(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2022-04-13
(45)【発行日】2022-04-21
(54)【発明の名称】微生物識別装置および微生物識別方法
(51)【国際特許分類】
C12M 1/34 20060101AFI20220414BHJP
G01N 27/62 20210101ALI20220414BHJP
C12Q 1/06 20060101ALI20220414BHJP
【FI】
C12M1/34 B
G01N27/62 V
C12Q1/06
(21)【出願番号】P 2018188213
(22)【出願日】2018-10-03
【審査請求日】2021-05-28
(73)【特許権者】
【識別番号】000001993
【氏名又は名称】株式会社島津製作所
(73)【特許権者】
【識別番号】599002043
【氏名又は名称】学校法人 名城大学
(74)【代理人】
【識別番号】100098305
【氏名又は名称】福島 祥人
(74)【代理人】
【識別番号】100108523
【氏名又は名称】中川 雅博
(74)【代理人】
【識別番号】100125704
【氏名又は名称】坂根 剛
(74)【代理人】
【識別番号】100187931
【氏名又は名称】澤村 英幸
(72)【発明者】
【氏名】大久保 達樹
(72)【発明者】
【氏名】福山 裕子
(72)【発明者】
【氏名】田村 廣人
(72)【発明者】
【氏名】加藤 晃代
【審査官】西垣 歩美
(56)【参考文献】
【文献】国際公開第2017/168740(WO,A1)
【文献】特開2015-184020(JP,A)
【文献】特開2013-85517(JP,A)
【文献】Teruyo Ojima-Kato,Appl Microbiol Biotechnol,2017年,101,8557-8569
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C12M 1/00-3/10
G01N 27/62
C12Q 1/00-3/00
JSTPlus/JMEDPlus/JST7580(JDreamIII)
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
種および属が既知でかつ血清型または株が未知である微生物の血清型または株を識別する微生物識別装置であって、
質量電荷比について複数の理論値を有する1以上のマーカタンパクが、血清型または株ごとにいずれの理論値で検出されるかを示す理論情報を取得する理論情報取得部と、
前記1以上のマーカタンパクのうち、同一の血清型または株についての特定の理論値におけるピークの検出強度が他の理論値におけるピークの検出強度よりも大きいマーカタンパクを特定する特定部と、
識別対象の微生物を含む試料のマススペクトルにおけるピークの質量電荷比とピークの検出強度との対応関係を示すピークリストを取得するピークリスト取得部と、
前記ピークリストにおいて、前記特定されたマーカタンパクについては、強度がより大きいピークのみが検出されたと判定する判定部と、
前記理論情報、前記ピークリストおよび前記判定部による判定の結果に基づいて前記識別対象の微生物の血清型または株を識別する識別部とを備える、微生物識別装置。
【請求項2】
血清型または株の種類と、当該血清型または株に対するマーカタンパクの各理論値におけるピークの複数の検出強度との関係を示す事前情報を取得する事前情報取得部をさらに備え、
前記特定部は、前記事前情報に基づいてマーカタンパクを特定する、請求項1記載の微生物識別装置。
【請求項3】
前記特定部は、前記識別対象の微生物がサルモネラ菌である場合、前記理論情報の前記1以上のマーカタンパクのうち、少なくともgnsマーカタンパクを特定する、請求項1または2記載の微生物識別装置。
【請求項4】
種および属が既知でかつ血清型または株が未知である微生物の血清型または株を識別する微生物識別方法であって、
質量電荷比について複数の理論値を有する1以上のマーカタンパクが、血清型または株ごとにいずれの理論値で検出されるかを示す理論情報を取得するステップと、
前記1以上のマーカタンパクのうち、同一の血清型または株についての特定の理論値におけるピークの検出強度が他の理論値におけるピークの検出強度よりも大きいマーカタンパクを特定するステップと、
識別対象の微生物を含む試料のマススペクトルにおけるピークの質量電荷比とピークの検出強度との対応関係を示すピークリストを取得するステップと、
前記ピークリストにおいて、前記特定されたマーカタンパクについては、強度がより大きいピークのみが検出されたと判定するステップと、
前記理論情報、前記ピークリストおよび前記判定の結果に基づいて前記識別対象の微生物の血清型または株を識別するステップとを含む、微生物識別方法。
【請求項5】
血清型または株の種類と、当該血清型または株に対するマーカタンパクの各理論値におけるピークの複数の検出強度との関係を示す事前情報を取得するステップをさらに含み、
前記マーカタンパクを特定するステップは、前記事前情報に基づいてマーカタンパクを特定することを含む、請求項4記載の微生物識別方法。
【請求項6】
前記マーカタンパクを特定するステップは、前記識別対象の微生物がサルモネラ菌である場合、前記理論情報の前記1以上のマーカタンパクのうち、少なくともgnsマーカタンパクを特定することを含む、請求項4または5記載の微生物識別方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、微生物を識別する微生物識別装置および微生物識別方法に関する。
【背景技術】
【0002】
微生物を同定するためにMALDI-MS(マトリックス支援レーザ脱離イオン化質量分析法)が用いられる。MALDI-MSによる微生物同定システム(以下、MALDI-MSシステムと呼ぶ。)は、迅速性および低コスト性に優れ、近年、臨床現場で急速に普及している。現時点では、臨床現場においては、MALDI-MSシステムによる微生物同定は種レベルの識別に留まっている。一方で、学術研究においては、微生物が菌株レベルで識別されたことが報告されている(例えば、非特許文献1参照)。
【0003】
非特許文献1においては、種々のサルモネラ菌のマススペクトルから、所定のタンパク質の質量電荷比に対応する12種類のピークが血清型または株を識別するための識別マーカとして抽出される。ここで、各識別マーカは、血清型または株ごとに異なる複数の理論的な質量電荷比を有する。そこで、抽出された12種類の識別マーカにそれぞれ対応する12個の質量電荷比の組み合わせに基づいてサルモネラ菌の血清型または株が識別される。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0004】
【文献】Teruyo Ojima-Kato, et al., "Application of proteotyping Strain SolutionTM ver. 2 software and theoretically calculated mass database in MALDI-TOF MS typing of Salmonella serotype," Appl Microbiol Biotechnol, 2017, 101(23-24), 8557-8569
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
各識別マーカの1個の質量電荷比に対応するピークがマススペクトルに発現し、同識別マーカの他の質量電荷比に対応するピークがマススペクトルに発現しない場合には、発現した1個のピークを当該識別マーカとして抽出することにより、高い精度で株を識別することができる。しかしながら、何らかの原因により、いずれかの識別マーカの複数の質量電荷比にそれぞれ対応する複数のピークがマススペクトルに発現することがある。この場合、1個のピークを識別マーカとして抽出することができない。そのため、血清型または株の識別の精度が低下する。
【0006】
本発明の目的は、血清型または株の識別の精度が低下することを防止することが可能な微生物識別装置および微生物識別方法を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0007】
本発明者らは、100種類を超える既知の血清型または株に属する微生物を含む試料を準備し、複数の識別マーカを用いて当該微生物の血清型または株の識別を行った。そして、特定の識別マーカについては、多数の血清型または株において複数のピークがマススペクトルに発現するものの、識別マーカとして理論的に発現するべきピークは他のピークよりも大きい検出強度でかつ高い再現性で発現するという知見を得た。この知見に基づいて、以下の本発明に想到した。
【0008】
(1)第1の発明に係る微生物識別装置は、種および属が既知でかつ血清型または株が未知である微生物の血清型または株を識別する微生物識別装置であって、質量電荷比について複数の理論値を有する1以上のマーカタンパクが、血清型または株ごとにいずれの理論値で検出されるかを示す理論情報を取得する理論情報取得部と、1以上のマーカタンパクのうち、同一の血清型または株についての特定の理論値におけるピークの検出強度が他の理論値におけるピークの検出強度よりも大きいマーカタンパクを特定する特定部と、識別対象の微生物を含む試料のマススペクトルにおけるピークの質量電荷比とピークの検出強度との対応関係を示すピークリストを取得するピークリスト取得部と、ピークリストにおいて、特定されたマーカタンパクについては、強度がより大きいピークのみが検出されたと判定する判定部と、理論情報、ピークリストおよび判定部による判定の結果に基づいて識別対象の微生物の血清型または株を識別する識別部とを備える。
【0009】
この微生物識別装置においては、質量電荷比について複数の理論値を有する1以上のマーカタンパクが、血清型または株ごとにいずれの理論値で検出されるかを示す理論情報が取得される。1以上のマーカタンパクのうち、同一の血清型または株についての特定の理論値におけるピークの検出強度が他の理論値におけるピークの検出強度よりも大きいマーカタンパクが特定される。識別対象の微生物を含む試料のマススペクトルにおけるピークの質量電荷比とピークの検出強度との対応関係を示すピークリストが取得される。
【0010】
ここで、本発明者らの知見によれば、特定されたマーカタンパクについては、マススペクトルに複数のピークが検出された場合、強度がより大きいピークは理論的に発現するべきピークである可能性が極めて高い。そこで、ピークリストにおいて、特定されたマーカタンパクについては、複数のピークが検出された場合、強度がより大きいピークのみが検出されたと判定される。理論情報、ピークリストおよび判定の結果に基づいて識別対象の微生物の血清型または株が識別される。
【0011】
この構成によれば、特定のマーカタンパクに対応する不要なピークが発現した場合でも、当該不要なピークに起因する株の誤識別が発生する確率を低減することができる。これにより、血清型または株の識別の精度が低下することを防止することができる。
【0012】
(2)微生物識別装置は、血清型または株の種類と、当該血清型または株に対するマーカタンパクの各理論値におけるピークの複数の検出強度との関係を示す事前情報を取得する事前情報取得部をさらに備え、特定部は、事前情報に基づいてマーカタンパクを特定してもよい。この場合、同一の血清型または株についての特定の理論値におけるピークの検出強度が他の理論値におけるピークの検出強度よりも大きいマーカタンパクを容易に特定することができる。
【0013】
(3)特定部は、識別対象の微生物がサルモネラ菌である場合、理論情報の1以上のマーカタンパクのうち、少なくともgnsマーカタンパクを特定してもよい。この場合、同一の血清型または株についての特定の理論値におけるピークの検出強度が他の理論値におけるピークの検出強度よりも大きいマーカタンパクとして少なくともgnsマーカタンパクを容易に特定することができる。
【0014】
(4)第2の発明に係る微生物識別方法は、種および属が既知でかつ血清型または株が未知である微生物の血清型または株を識別する微生物識別方法であって、質量電荷比について複数の理論値を有する1以上のマーカタンパクが、血清型または株ごとにいずれの理論値で検出されるかを示す理論情報を取得するステップと、1以上のマーカタンパクのうち、同一の血清型または株についての特定の理論値におけるピークの検出強度が他の理論値におけるピークの検出強度よりも大きいマーカタンパクを特定するステップと、識別対象の微生物を含む試料のマススペクトルにおけるピークの質量電荷比とピークの検出強度との対応関係を示すピークリストを取得するステップと、ピークリストにおいて、特定されたマーカタンパクについては、強度がより大きいピークのみが検出されたと判定するステップと、理論情報、ピークリストおよび判定の結果に基づいて識別対象の微生物の血清型または株を識別するステップとを含む。
【0015】
この方法によれば、特定のマーカタンパクに対応する不要なピークが発現した場合でも、当該不要なピークに起因する株の誤識別が発生する確率を低減することができる。これにより、血清型または株の識別の精度が低下することを防止することができる。
【0016】
(5)微生物識別方法は、血清型または株の種類と、当該血清型または株に対するマーカタンパクの各理論値におけるピークの複数の検出強度との関係を示す事前情報を取得するステップをさらに含み、マーカタンパクを特定するステップは、事前情報に基づいてマーカタンパクを特定することを含んでもよい。この場合、同一の血清型または株についての特定の理論値におけるピークの検出強度が他の理論値におけるピークの検出強度よりも大きいマーカタンパクを容易に特定することができる。
【0017】
(6)マーカタンパクを特定するステップは、識別対象の微生物がサルモネラ菌である場合、理論情報の1以上のマーカタンパクのうち、少なくともgnsマーカタンパクを特定することを含んでもよい。この場合、同一の血清型または株についての特定の理論値におけるピークの検出強度が他の理論値におけるピークの検出強度よりも大きいマーカタンパクとして少なくともgnsマーカタンパクを容易に特定することができる。
【発明の効果】
【0018】
本発明によれば、血清型または株の識別の精度が低下することを防止することが可能になる。
【図面の簡単な説明】
【0019】
【
図1】本発明の一実施の形態に係る微生物識別装置を含む質量分析装置の構成を示す図である。
【
図2】記憶部に記憶された識別マーカリストの一例を示す図である。
【
図4】タンパク質gnsを識別マーカとしたときの事前情報の一例を示す図である。
【
図6】微生物識別プログラムにより行われる微生物識別処理のアルゴリズムを示すフローチャートである。
【発明を実施するための形態】
【0020】
(1)質量分析装置の構成
以下、本発明の実施の形態に係る微生物識別装置および微生物識別方法について図面を参照しながら詳細に説明する。
図1は、本発明の一実施の形態に係る微生物識別装置を含む質量分析装置の構成を示す図である。
図1に示すように、質量分析装置100は、処理装置10および分析部20を含む。分析部20は、MALDI(マトリックス支援レーザ脱離イオン化法)を用いて、微生物を含む種々の試料を質量分析することによりマススペクトルを生成する。
【0021】
処理装置10は、CPU(中央演算処理装置)11、RAM(ランダムアクセスメモリ)12、ROM(リードオンリメモリ)13、記憶部14、操作部15、表示部16および入出力I/F(インターフェイス)17により構成される。CPU11、RAM12、ROM13、記憶部14、操作部15、表示部16および入出力I/F17はバス18に接続される。CPU11、RAM12およびROM13が微生物識別装置1を構成する。
【0022】
RAM12は、CPU11の作業領域として用いられる。ROM13にはシステムプログラムが記憶される。記憶部14は、ハードディスクまたは半導体メモリ等の記憶媒体を含み、微生物識別プログラムを記憶する。CPU11が記憶部14に記憶された微生物識別プログラムをRAM12上で実行することにより、後述する微生物識別処理が行われる。また、記憶部14は、試料に含まれる微生物の血清型または株を識別するための識別マーカリストを記憶する。識別マーカリストの詳細については後述する。
【0023】
操作部15は、キーボード、マウスまたはタッチパネル等の入力デバイスである。表示部16は、液晶表示装置等の表示デバイスである。使用者は、操作部15を用いて微生物識別装置1に各種指示を行うことができる。表示部16は、微生物識別装置1による識別結果を表示可能である。入出力I/F17は、分析部20に接続される。
【0024】
図2は、記憶部14に記憶された識別マーカリストの一例を示す図である。
図2に示すように、識別マーカリストは、血清型または株の種類と、当該血清型または株を識別するための1以上の識別マーカとの対応関係を示すリストである。なお、識別マーカはマーカタンパクであり、識別マーカリストは、マーカタンパクの遺伝子解析等により作成される。本実施の形態においては、株の識別方法について説明するが、血清型の識別方法についても同様である。
【0025】
図2の例においては、2種類の識別マーカとして識別マーカMa,Mbが含まれる。また、識別マーカMaは、株の種類によって異なる理論的な質量電荷比「A1」または「A2」を有する。識別マーカMbは、株の種類によって異なる理論的な質量電荷比「B1」、「B2」または「B3」を有する。各質量電荷比には、株ごとに「1」または「0」の理論値が付与される。理論値「1」が付与された質量電荷比には、対応する株のマススペクトルにピークが発現する。一方、理論値「0」が付与された質量電荷比には、対応する株のマススペクトルにピークが発現しない。
【0026】
具体的には、「株X」においては、識別マーカMa,Mbとして質量電荷比「A1」および「B1」にそれぞれピークが発現し、質量電荷比「A2」、「B2」および「B3」にはピークが発現しない。「株Y」においては、識別マーカMa,Mbとして質量電荷比「A1」および「B2」にそれぞれピークが発現し、質量電荷比「A2」、「B1」および「B3」にはピークが発現しない。「株Z」においては、識別マーカMa,Mbとして質量電荷比「A2」および「B3」にそれぞれピークが発現し、質量電荷比「A1」、「B1」および「B2」にはピークが発現しない。
【0027】
図2の識別マーカリストを用いた株の識別方法を説明する。まず、識別対象の株に由来する微生物を含む試料のマススペクトルが分析部20により生成される。次に、生成されたマススペクトルに基づいて、ピークリストが作成される。なお、ピークリストは、ピークの質量電荷比とピークの検出強度との対応関係を示すリストである。続いて、作成されたピークリストから識別マーカMa,Mbの質量電荷比の許容誤差範囲内に含まれるピークが抽出される。
【0028】
図3は、抽出されたピークの一例を示す図である。
図3の例では、「試料1」については、質量電荷比「A1」および「B2」にそれぞれピークが抽出され、質量電荷比「A2」、「B1」および「B3」にはピークが抽出されない。「試料2」については、質量電荷比「A2」および「B3」にそれぞれピークが抽出され、質量電荷比「A1」、「B1」および「B2」にはピークが抽出されない。「試料3」については、質量電荷比「A1」、「B1」および「B2」にそれぞれピークが抽出され、質量電荷比「A2」および「B3」にはピークが抽出されない。
【0029】
図3のピークと、
図2の識別マーカリストとの比較により株の識別が行われる。具体的には、比較の結果、「試料1」の株は「株Y」であると識別され、「試料2」の株は「株Z」であると識別される。しかしながら、「試料3」については、識別マーカMbに対応するピークが質量電荷比「B1」および「B2」の両方に抽出されている。そのため、「試料3」の株は「株X」であるのか、「株Y」であるのかを識別することができない。この場合、株の識別の精度が低下する。
【0030】
一方で、本発明者らは、特定の識別マーカについては、複数のピークが発現する場合でも、理論的に発現するべきピークは他のピークよりも大きい検出強度でかつ高い再現性で発現するという知見を得た。そこで、微生物識別装置1は、特定の識別マーカに対応して複数のピークが検出された場合、各ピークの検出強度の大きさに基づいてピークの取捨選択を行うことにより、不要なピークの発現による株の識別の精度の低下を防止する。
【0031】
(2)事前情報
微生物識別装置1は、種および属が既知でかつ株が未知である微生物を識別対象とするが、測定対象の微生物の株を識別する前に、既知の複数の株を用いて生成された事前情報を取得する。事前情報は、1以上の識別マーカについて、株の種類と、当該株に対する識別マーカの各質量電荷比におけるピークの複数の検出強度との関係を含む情報である。
【0032】
図4は、タンパク質gns(N-アセチルグルコサミン-6-スルファターゼ:N-acetylglucosamine-6-sulfatase)を識別マーカとしたときの事前情報の一例を示す図である。
図4の事前情報は、「株1」~「株33」に属するサルモネラ菌を含む複数の試料が質量分析されることにより生成される。
【0033】
図4(a)に示すように、gns識別マーカは理論的に質量電荷比「6483.51」および「6511.56」を有する。以下、質量電荷比「6483.51」および「6511.56」をそれぞれ質量電荷比「M1」および「M2」と呼ぶ。また、
図4(a)においては、「株1」~「株33」に対応する質量電荷比「M1」および「M2」におけるピークの検出確率が記載されている。
【0034】
具体的には、各株について4個の試料が準備され、4個の試料のうち、各質量電荷比におけるピークが検出された試料の数に基づいて検出確率が評価される。各質量電荷比においてピークが検出された試料の数が4個、3個、2個、1個および0個である場合、当該質量電荷比におけるピークの検出確率はそれぞれ100%、75%、50%、25%および0%となる。
【0035】
図4(b),(c)には、それぞれ「株1」および「株18」において検出されたピークの強度が示される。
図4(b)の例では、「株1」についての4個の試料において、質量電荷比「M1」および「M2」にピークが検出されたので、質量電荷比「M1」および「M2」の各々におけるピークの検出確率は100%となる。
【0036】
図4(c)の例では、「株18」についての4個の試料において質量電荷比「M1」にピークが検出されたので、質量電荷比「M1」におけるピークの検出確率は100%となる。一方、「株18」についての1個の試料において質量電荷比「M2」にピークが検出されたが、他の3個の試料においては質量電荷比「M2」にピークが検出されなかったので、質量電荷比「M2」におけるピークの検出確率は25%となる。
【0037】
さらに、
図4(a)においては、識別マーカとして理論的に発現するべきピークの質量電荷比に対応する枠がハッチングパターンにより強調表示されている。例えば、「株1」については、質量電荷比「M1」のピークが理論的に発現するべきピークである。そのため、質量電荷比「M1」に対応する枠がハッチングパターンにより強調表示されている。
【0038】
ここで、事前情報によると、
図4の識別マーカについては、「株1」のように100%の確率で質量電荷比「M1」および「M2」の両方にピークが検出される場合でも、
図4(b)に示すように、理論的に発現するべきピークの検出強度は他のピークの検出強度よりも大きいことが示される。
図4(c)の「株18」ならびに他の「株2」~「株17」および「株19」~「株33」においても同様である。
【0039】
そこで、微生物識別装置1は、
図4の識別マーカ(具体的にはgns識別マーカ)については、質量電荷比「M1」および「M2」の両方にピークが検出された場合、検出強度がより大きいピークを選択し、他のピークを消去する。これにより、不要なピークに起因する株の誤識別が発生する確率を低減することができる。
【0040】
(3)微生物識別処理
図5は、微生物識別装置1の構成を示す図である。
図6は、微生物識別プログラムにより行われる微生物識別処理のアルゴリズムを示すフローチャートである。
図5に示すように、微生物識別装置1は、機能部として、事前情報取得部A、理論情報取得部B、特定部C、ピークリスト取得部D、判定部Eおよび識別部Fを含む。
【0041】
図1のCPU11が記憶装置14に記憶された微生物識別プログラムを実行することにより、微生物識別装置1の機能部が実現される。微生物識別装置1の機能部の一部または全てが電子回路等のハードウエアにより実現されてもよい。以下、
図5の微生物識別装置1ならびに
図6のフローチャートを用いて微生物識別処理を説明する。
【0042】
事前情報取得部Aは、
図4の事前情報を分析部20から取得する(ステップS1)。事前情報が記憶部14または他の記憶装置に記憶されている場合には、事前情報取得部Aは事前情報を記憶部14または他の記憶装置から取得してもよい。理論情報取得部Bは、記憶部14から識別マーカリストを取得する(ステップS2)。識別マーカリストが他の記憶装置に記憶されている場合には、理論情報取得部Bは識別マーカリストを他の記憶装置から取得してもよい。
【0043】
ステップS1,S2は、いずれが先に実行されてもよいし、同時に実行されてもよい。ステップS1,S2の後、特定部Cは、ステップS2で取得された識別マーカリストにおける1以上の識別マーカのうち、ステップS1で取得された事前情報に含まれる識別マーカを特定する(ステップS3)。
【0044】
ピークリスト取得部Dは、分析部20により生成された識別対象の微生物を含む試料のマススペクトルを取得する(ステップS4)。また、ピークリスト取得部Dは、ステップS4で取得されたマススペクトルからピークを検出することによりピークリストを取得する(ステップS5)。ステップS4,S5は、ステップS1~S3のいずれかよりも先に実行されてもよいし、同時に実行されてもよい。
【0045】
判定部Eは、ステップS5で取得されたピークリストにおいて、ステップS3で特定された識別マーカについて、質量電荷比「M1」および「M2」の両方におけるピークが検出されたか否かを判定する(ステップS6)。質量電荷比「M1」および「M2」の両方におけるピークが検出されず、質量電荷比「M1」および「M2」の一方におけるピークのみが検出された場合、判定部EはステップS10に進む。両方のピークが検出された場合、判定部Eは、質量電荷比「M1」におけるピークの検出強度が質量電荷比「M2」におけるピークの検出強度よりも大きいか否かを判定する(ステップS7)。
【0046】
質量電荷比「M1」におけるピークの検出強度が質量電荷比「M2」におけるピークの検出強度よりも大きい場合、判定部Eは、質量電荷比「M2」におけるピークを消去し(ステップS8)、ステップS10に進む。質量電荷比「M1」におけるピークの検出強度が質量電荷比「M2」におけるピークの検出強度よりも小さい場合、判定部Eは、質量電荷比「M1」におけるピークを消去し(ステップS9)、ステップS10に進む。
【0047】
ステップS10で、識別部Fは、ステップS2で取得された識別マーカリスト、ステップS5で取得されたピークリストおよびステップS8,S9における判定結果に基づいて識別対象の微生物の株を識別する(ステップS10)。また、識別部Fは、識別結果を表示部16に表示させ(ステップS11)、微生物識別処理を終了する。
【0048】
(4)効果
本実施の形態に係る微生物識別装置1においては、理論的な複数の質量電荷比を有する1以上の識別マーカが、株ごとにいずれの質量電荷比で検出されるかを示す識別マーカリストが理論情報取得部Bにより取得される。1以上の識別マーカのうち、同一の株についての特定の質量電荷比におけるピークの検出強度が他の質量電荷比におけるピークの検出強度よりも大きい識別マーカが特定部Cにより特定される。識別対象の微生物を含む試料のマススペクトルにおけるピークリストがピークリスト取得部Dにより取得される。
【0049】
ここで、特定部Cにより特定された識別マーカについては、マススペクトルに複数のピークが検出された場合、強度がより大きいピークは理論的に発現するべきピークである可能性が極めて高い。そこで、ピークリストにおいて、特定部Cにより特定された識別マーカについては、複数のピークが検出された場合、強度がより大きいピークのみが検出されたと判定部Eにより判定される。識別マーカリスト、ピークリストおよび判定部Eによる判定の結果に基づいて識別対象の微生物の株が識別部Fにより識別される。
【0050】
この構成によれば、特定の識別マーカに対応する不要なピークが発現した場合でも、当該不要なピークに起因する株の誤識別が発生する確率を低減することができる。これにより、株の識別の精度が低下することを防止することができる。
【0051】
(5)他の実施の形態
上記実施の形態において、微生物識別装置1は事前情報取得部Aを含むが、本発明はこれに限定されない。サルモネラ菌の血清型または株の識別において、gnsを識別マーカとする場合には、事前情報が取得されなくてもよく、微生物識別装置1は事前情報取得部Aを含まなくてもよい。
【符号の説明】
【0052】
1…微生物株識別装置,10…処理装置,11…CPU,12…RAM,13…ROM,14…記憶部,15…操作部,16…表示部,17…入出力I/F,18…バス,20…分析部,100…質量分析装置,A…事前情報取得部,B…理論情報取得部,C…特定部,D…ピークリスト取得部,E…判定部,F…識別部,Ma,Mb…識別マーカ