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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2022-04-22
(45)【発行日】2022-05-06
(54)【発明の名称】材料解析方法及び材料解析装置
(51)【国際特許分類】
   G01N 5/02 20060101AFI20220425BHJP
【FI】
G01N5/02 Z
【請求項の数】 13
(21)【出願番号】P 2020525461
(86)(22)【出願日】2019-06-04
(86)【国際出願番号】 JP2019022080
(87)【国際公開番号】W WO2019239950
(87)【国際公開日】2019-12-19
【審査請求日】2020-11-06
(31)【優先権主張番号】P 2018111344
(32)【優先日】2018-06-11
(33)【優先権主張国・地域又は機関】JP
(73)【特許権者】
【識別番号】301023238
【氏名又は名称】国立研究開発法人物質・材料研究機構
(74)【代理人】
【識別番号】100190067
【弁理士】
【氏名又は名称】續 成朗
(72)【発明者】
【氏名】南 皓輔
(72)【発明者】
【氏名】吉川 元起
(72)【発明者】
【氏名】今村 岳
(72)【発明者】
【氏名】柴 弘太
【審査官】北条 弥作子
(56)【参考文献】
【文献】米国特許出願公開第2003/0154031(US,A1)
【文献】特表2006-511800(JP,A)
【文献】特表2008-525060(JP,A)
【文献】国際公開第2009/096304(WO,A1)
【文献】国際公開第2017/098862(WO,A1)
【文献】国際公開第2011/148774(WO,A1)
【文献】Genki Yoshikawa,Two Dimensional Array of Piezoresistive Nanomechanical Membrane-Type Surface Stress Sensor(MSS) with Improved Sensitivity,Sensors,2012年,12,15873-15887,doi:10.3390/s121115873
【文献】Thomas Nowotny,Optimal feature selection for classifying a large set of chemicals using metal oxide sensors,Sensors and Actuators B,2013年,187,471-480
【文献】Kota Shiba,Data-driven nanomechanical sensing: specific information extraction from a complex system,Scientific Reports,2017年06月16日,7:3661,1-12,DOI:10.1038/s41598-017-03875-7
【文献】Genki Yoshikawa,Mechanical analysis and optimization of a microcantilever sensor coated with a solid receptor film,Appl. Phys. Lett.,2011年,98, 173502,1-3,https://doi.org/10.1063/1.3583451
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
G01N 5/02
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
測定対象の材料を担持した化学センサに一つの種類の既知の流体を与えるまたは複数種類の既知の流体をそれぞれ与えることにより前記測定対象の材料により引き起こされる物理パラメータの変化に基づいて前記化学センサから出力される信号に基づいて、前記測定対象の材料を解析する、化学センサに担持された材料の解析を行う材料解析方法であって、
前記解析は、前記測定対象の材料が他の材料と同じものであるか否かを識別すること、前記測定対象の材料を同定すること、および、前記測定対象の材料中の所望の成分の量を求めることのうちから選択される1以上である、材料解析方法。
【請求項2】
前記物理パラメータは、表面応力、応力、力、表面張力、圧力、質量、弾性、ヤング率、ポアソン比、共振周波数、周波数、体積、厚み、粘度、密度、磁力、磁気量、磁場、磁束、磁束密度、電気抵抗、電気量、誘電率、電力、電界、電荷、電流、電圧、電位、移動度、静電エネルギー、キャパシタンス、インダクタンス、リアクタンス、サセプタンス、アドミッタンス、インピーダンス、コンダクタンス、プラズモン、屈折率、光度および温度のうちの1種または2種以上である、請求項1に記載の材料解析方法。
【請求項3】
前記化学センサから出力される信号からの特徴量の抽出を行った結果から前記解析を行う、請求項1または2に記載の材料解析方法。
【請求項4】
前記化学センサに前記一つの種類の既知の流体または複数種類の既知の流体とパージ用流体とを交互に切り替えて与える、請求項1から3の何れかに記載の材料解析方法。
【請求項5】
前記与えられる一つの種類の既知の流体または複数種類の既知の流体の少なくとも一つは気体である、請求項1から4の何れかに記載の材料解析方法。
【請求項6】
前記与えられる一つの種類の既知の流体または複数種類の既知の流体の少なくとも一つは液体である、請求項1から4の何れかに記載の材料解析方法。
【請求項7】
前記気体の少なくとも一つは揮発性の物質から発生する蒸気である、請求項5に記載の材料解析方法。
【請求項8】
前記化学センサから出力される信号を機械学習することにより前記測定対象の材料を解析する、請求項1から7の何れかに記載の材料解析方法。
【請求項9】
前記化学センサから出力される信号を多変量解析処理することにより前記測定対象の材料を解析する、請求項1から7の何れかに記載の材料解析方法。
【請求項10】
前記化学センサから出力される信号に主成分分析または線形判別分析を適用することによって前記測定対象の材料を解析する、請求項9に記載の材料解析方法。
【請求項11】
前記化学センサから出力される信号にパターン認識を適用することにより、前記測定対象の材料を解析する、請求項9に記載の材料解析方法。
【請求項12】
前記パターン認識はサポートベクトルマシンである、請求項11に記載の材料解析方法。
【請求項13】
測定対象の材料を担持した化学センサ、前記化学センサに一つの種類の既知の流体を与えるまたは複数種類の既知の流体をそれぞれ与える手段、及び前記化学センサから出力される検出信号を解析する解析手段を備え、請求項1から12の何れかに記載の材料解析方法を行う材料解析装置。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は化学センサを使用した材料の解析に関する。
【背景技術】
【0002】
化学センサは対象となる検体、とりわけガス状分子の複雑な混合物からなる多様なニオイの検出、判別及び同定のための強力なツールとして大きな注目を集めてきた。この種のセンサは一般に検出対象の分子(検体分子)の吸着に伴い生じる物理パラメータの変化を検出するものである。物理パラメータの変化を検出しやすくするため、一般にセンサは「受容体層」と呼ばれる層で被覆した後、測定に用いられる。なお、本願では受容体を被覆する前のセンサをセンサ本体と呼ぶことがある。この種のセンサが検出する物理パラメータは多岐にわたるが、非限定的に例示すれば、表面応力、応力、力、表面張力、圧力、質量、弾性、ヤング率、ポアソン比、共振周波数、周波数、体積、厚み、粘度、密度、磁力、磁気量、磁場、磁束、磁束密度、電気抵抗、電気量、誘電率、電力、電界、電荷、電流、電圧、電位、移動度、静電エネルギー、キャパシタンス、インダクタンス、リアクタンス、サセプタンス、アドミッタンス、インピーダンス、コンダクタンス、プラズモン、屈折率、光度および温度、あるいはこれらの組み合わせ等が用いられる。具体的な化学センサとしては例えば水晶振動子マイクロバランス(QCM)、導電性ポリマー(CP)、電界効果トランジスタ(FET)等の多様なものがある。また、このような化学センサは単一のセンサとして使用する場合もあるが、多くの場合は複数のセンサ素子(以下、チャネルとも称する)を何らかの形態でまとめてアレイ状に構成した化学センサアレイとして利用されてきた。
【0003】
化学センサアレイにおいては、検出信号は広い範囲の化学物質類に応答するように設計された検出材料中に対象とする検体が吸脱着すること(sorption)によって引き起こされる物理化学的相互作用を測定することによって得られる。化学センサアレイによって得られるこのような多次元的なデータセットは大量の情報を含むため、各々の試料の判別、同定には機械学習を用いた多変量の解析が効果的に適用できる。このような材料解析手法については食品、農業、医薬及び環境科学のような多様な分野で広範な応用が示されてきたが、これらのパターン認識に基づいた解析は基本的にガス状の検体に限定されていた。
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0004】
すなわち、従来の化学センサを利用した各種の測定の基本原理は、受容体を表面に有する化学センサに流体(主にガス状であるが、液体の場合もある)状の検体を与え、これにより受容体に引き起こされる各種の物理量の変化を化学センサ本体が検出信号に変換することにより、上述したような検体の測定を行うというものであった。本発明の課題は上述の動作原理を応用して、化学センサにより受容体として使用できる検体の判別、同定、組成等の測定を行うことにある。
【課題を解決するための手段】
【0005】
本発明の一側面によれば、測定対象の材料を担持した化学センサに一つまたは複数種類の流体を与えることにより前記測定対象の材料により引き起こされる物理パラメータの変化に基づいて前記化学センサから出力される信号に基づいて、前記測定対象の材料を解析する、化学センサに担持された材料の解析を行う材料解析方法が与えられる。
ここで、前記物理パラメータは、表面応力、応力、力、表面張力、圧力、質量、弾性、ヤング率、ポアソン比、共振周波数、周波数、体積、厚み、粘度、密度、磁力、磁気量、磁場、磁束、磁束密度、電気抵抗、電気量、誘電率、電力、電界、電荷、電流、電圧、電位、移動度、静電エネルギー、キャパシタンス、インダクタンス、リアクタンス、サセプタンス、アドミッタンス、インピーダンス、コンダクタンス、プラズモン、屈折率、光度および温度のうちの1種または2種以上であってよい。
また、前記化学センサから出力される信号からの特徴量の抽出を行った結果から前記解析を行ってよい。
また、前記化学センサに前記流体とパージ用流体とを交互に切り替えて与えてよい。
また、前記与えられる一つまたは複数種類の流体の少なくとも一つは気体であってよい。
また、前記与えられる一つまたは複数種類の流体の少なくとも一つは液体であってよい。
また、前記気体の少なくとも一つは揮発性の物質から発生する蒸気であってよい。
また、前記解析は前記測定対象の材料が他の材料と同じものであるか否かを識別することであってよい。
また、前記解析は前記測定対象の材料を同定することであってよい。
また、前記解析は前記測定対象の材料中の所望の成分の量を求めることであってよい。
また、前記化学センサから出力される信号を機械学習することにより前記測定対象の材料を解析してよい。
また、前記化学センサから出力される信号を多変量解析処理することにより前記測定対象の材料を解析してよい。
また、前記化学センサから出力される信号に主成分分析または線形判別分析を適用することによって前記測定対象の材料を解析してよい。
また、前記化学センサから出力される信号にパターン認識を適用することにより、前記測定対象の材料を解析してよい。
また、前記パターン認識はサポートベクトルマシンであってよい。
本発明の他の側面によれば、化学センサ及び前記化学センサから出力される検出信号を解析する解析手段とを備え、上記何れかの材料解析方法を行う材料解析装置が与えられる。
【発明の効果】
【0006】
以下で詳細に説明するように、本発明によれば、化学センサを使用した各種の測定にあたって、従来とは逆に受容体を測定対象とする新規な材料解析の手法が提供される。これにより、例えば従来化学センサの測定対象とすることが困難であった材料の解析を行うことができるようになる等の効果が得られる。また、これを機械学習などの各種のデータ科学的な処理と組み合わせることにより、測定対象の解析を更に高い精度で行うことができるようになる。
【図面の簡単な説明】
【0007】
図1A】12種類の異なる蒸気(プローブガス)のうちの6種類に対する4種類のポリマー(PS、P4MS、PVF及びPCL)の応答信号を示す図。使用したプローブガスは上から順に水、エタノール、1-ヘキサノール、ヘキサナル、n-ヘプタン、メチルシクロヘキサンであった。
図1B】残り6種類の異なる蒸気(プローブガス)に対する4種類のポリマー(PS、P4MS、PVF及びPCL)の応答信号を示す図。使用したプローブガスは上から順にトルエン、酢酸エチル、アセトン、クロロホルム、アニリン、プロピオン酸であった。
図2】正規化されたそれぞれの応答信号から特徴量の抽出を行う方法を示す図。
図3】4種類のポリマーの同定を示す図。左上、右上及び左下は4種類のポリマーをMSSに被覆して12種類の異なる蒸気(プローブガス)に対する応答信号をPCAで解析したPCAスコアプロット。右下は同じ応答信号をLDAで解析したLDAスコアプロットである。使用したポリマーはPS(350k)、P4MS、PVF、及びPCLであり、各ポリマーを被覆したMSSチャネル個数N=11とした。
図4】4種類の異なるポリマー材料(PS(350k)、P4MS、PVF及びPCL)を識別するための、各溶媒1種類からの応答信号から得られた特徴量のPCAスコアプロット。N=11とした。PCAスコアプロット中、縁取りしたグレイの丸はPS、黒丸はP4MS、やや濃色のグレイの丸はPVF、やや淡色のグレイの丸はPCLを表す。
図5】(a)サポートベクトルマシン(SVM)によって計算された分類精度のドットプロットであって、計算に使用されたところの組み合わせたプローブガスの種類数(n)の関数として表している。ここで、5×2交差検証を行っている。上側にあるヒストグラムは組み合わせの個数を示し、下側のヒストグラムは分類精度を示す。(b)同じ12種類の異なるプローブガスから選択した2種類のプローブガスの組み合わせによる分類精度のドットプロット。最良及び最低の精度を与えた組み合わせをドットプロットに隣接して示す。
図6】各グラフの上部に記載した溶媒を含む選択された溶媒の組み合わせを使用した場合のポリマー材料の分類精度を、使用した溶媒の種類数(n)の関数として示す図。平均分類精度を標準偏差とともに示している。
図7】12種類の異なるプローブガスから選択した2種類のプローブガスの組み合わせのうちで、SVMによって計算された分類精度が最良及び最低の結果を与えた組み合わせの各々についてのPCAプロット。酢酸エチルとエタノールとの組み合わせ、酢酸エチルとトルエンとの組み合わせ、及び酢酸エチルとクロロホルムとの組み合わせがSVMによって計算された分類精度について最良の結果を与え、また酢酸エチルとプロピオン酸との組み合わせが最低であった。
図8】本発明に基づいたポリマーの分子量の同定の結果を示すPCAスコアプロット(左上、右上、左下)及びLDAスコアプロット(右下)。ここで、4種類のポリマーでMSSを被覆し、12種類の異なったプローブガスで測定を行った。使用したポリマーは平均分子量Mw=350000のポリスチレン(PS(350k))、Mw=72000のポリ(4-メチルスチレン)(P4MS)、Mw=280000のポリスチレン(PS(280k))、及びMw=35000のポリスチレン(PS(35k))であった。
図9】3種類の異なるポリマー材料(PS(350k)、P4MS及びPS(280k))を識別するための、各溶媒1種類からの応答信号から得られた特徴量のPCAスコアプロット。PCAスコアプロット中、PS(350k)はグレイの丸、P4MSは黒丸、PS(280k)は縁取り付きのグレイの丸である。
図10】ポリマーの分子量の同定のためのSVM分類結果を示す図。(a)SVMによって計算された分類精度のドットプロットであって、計算に使用されたところの組み合わせたプローブガスの種類数(n)の関数として表している。ここで、5×2交差検証を行っている。上側にあるヒストグラムは組み合わせの個数を示し、右側のヒストグラムは分類精度毎のドットの個数を示す。(b)2種類のプローブガスを使用した場合の分類精度のドットプロット。最良及び最悪の精度を与えた組み合わせをドットプロットに隣接して示す。
図11】選択された溶媒を含む選択された溶媒の組み合わせを使用した場合のポリマー材料の分子量の分類精度を、使用した溶媒の種類数(n)の関数として示す図。平均分類精度を標準偏差とともに示している。
図12】品種と産地との組み合わせの異なる3種類の米(米粉)の判別を示す図。3種類の米粉の水分散液をMSSの各チャネル上に塗布して2種類のプローブガスに対する応答信号をPCAで解析したPCAスコアプロットである。使用した米は、北海道産(品種:コシヒカリ)(黒丸印)、山形県産(品種:はえぬき)(無洗米)(白丸印)及び茨城県産(品種:コシヒカリ)(×印)であり、使用したプローブガスは、水及びエタノールであった。
【発明を実施するための形態】
【0008】
上述したように、従来の化学センサによる測定では、測定に関与する3つの要素、すなわち化学センサ本体、受容体及び化学センサに与えるガス等の流体のうちで、流体を検体、すなわち変量とし、測定系から出力される検出信号から変量である流体についての判別、同定、組成等の測定を行うというものであった。しかしながら、本願発明者の研究の結果、これら3つの要素の役割は上述のように固定しなければならないというものではなく、変量を流体以外のものに設定することも可能であることを見出した。本発明はこの知見に基づいて完成されたものであり、例えば未知の材料を受容体とした化学センサに既知のガス(以下、本願では化学センサに与える流体としてガスを例に挙げて説明するが、もちろん液体を使用してもよい)を与え、それにより化学センサから出力される検出信号に基づいて受容体を構成する物質の判別・同定・成分の定量等の測定を行うことができる(以下ではこのようなガスをプローブガスと呼ぶ)。
【0009】
ここで注意しておくが、以下では検出信号から抽出された特徴量に基づいて機械学習等のデータ科学的な手法を用い、パターン認識等の各種の解析手法により未知の材料の識別・同定や組成等を求めるものとして説明を進めるが、本発明は機械学習やパターン認識等を必須の要件とするものではない。本発明の原理は、化学センサを用いた従来の測定の考え方を逆転させ、化学センサに被覆された未知の材料についての情報を、そこに与えられた一つまたは複数の流体(気体、あるいは液体)への応答に基づいて求めるという点にあることに注意されたい。例えば、検出信号が非常に特徴的である等の場合には、機械学習を行うまでもなく受容体の判別等が可能である。検出信号から結論が容易に導けないような場合や、詳細な分析等が必要な場合には、機械学習やパターン認識の手法等を採用して解析を進めることができる。
【0010】
本発明の一態様によれば、従来とは逆の手法、すなわち化学センサを用いて受容体として使用できる材料のパターン認識を行う。化学センサの検出信号はガスと受容体との相互作用に基づくものであるため、検出を行う要素と検出の対象となる検体とは入替可能である、すなわち、従来とは逆に受容体を検出の対象となる検体とし、ガス分子を検出を行うプローブとして使用することができる。これにより、受容体を、それから得られる特徴量、すなわち検出信号(通常はその信号波形から特徴量の抽出を行った結果のデータ)を用いてパターン認識することができる。
【0011】
ここで注意しておくが、受容体として使用できる材料は主に固体であるが、その他の材料でも使用する化学センサにおいて受容体として使用できるものであれば特に限定しないが、通常は非揮発性材料が好ましい。また、化学センサを低温にすることで液体や揮発性の固体であっても検出対象の材料として使用できる。説明を簡略化するため、以下では受容体として使用できる材料を固体材料として説明するが、このような説明を行っても一般性を失うものではない。以下で具体的に示す実施例では、固体材料の溶液をインクジェットを用いて塗布することで受容体として使用しているが、本発明は受容体の塗布方法にインクジェットを必須の要件とするものではない。受容体の塗布方法として使用できるものであれば、すべて使用可能である。また、固体材料を特定の溶媒に溶解させた溶液として受容体を調製しているが、本発明では溶液にすることを必須の要件とするものではないことにも注意されたい。
【0012】
また、単に対象となる材料の識別・同定を行うだけではなく、測定に使用するプローブガスの組み合わせを適切に選択することにより、検体中の特定成分の組成を求める等の量的な分析を行うこともできる。これを行うには、例えば本願発明者等が以前に非特許文献5で詳細に報告した機械学習による手法をそのまま適用すればよい。
【0013】
上述した本発明の原理をさらに具体的に説明するため、以下では化学センサのセンサ本体としてナノメカニカルセンサを使用する。ナノメカニカルセンサはガス分子と固体材料との間の相互作用から導かれた機械的情報を高い感度で検出する。有機低分子、ポリマー、及び無機ナノ粒子等のほとんどすべての固体材料は、ガス-固体相互作用の結果としてナノメカニカルセンサに作用して何らかの信号を与えることが確認されたので、ナノメカニカルセンサは各種の固体材料を試験するための理想的なプラットプラットホームである。
【0014】
以下で具体的に示すように、異なる分子量を有する同種のポリマー同士、また異なるモノマーから構成されるポリマー同士を、パターン認識の手法を用いることでうまく識別することができる。また、パターン認識の一手法であるサポートベクトルマシン(support vector machine、SVM)に基づく分類モデルを使用した詳細な解析により、選択された僅か2あるいは3種類のプローブガスにより、固体試料を高い分類精度で同定することができることがわかった。複雑な混合物であってもよい任意のガス種をプローブとして使用して検出信号のパターンの多様性を増大させることができるので、本発明によれば、個別の要求に基づいて固体材料のパターン認識の分解能をいくらでも上げることができると期待される。
【0015】
また、以下で具体的に示すように、本発明の例示的な実施形態では、受容体として使用する固体材料が粉状の固体(粉粒体)であり、パターン認識の手法を用いることで単一成分の粉粒体試料の違い、あるいは複数種類の成分が混ざり合った粉粒体試料の違いを識別することができる。本実施形態では、化学センサを使用した測定に供する前に、粉粒体試料に含まれる複数種類の成分を個々の成分に分離・精製等する必要がないため、測定対象の固体材料(粉粒体)以外の成分(不純物)等が複雑に混ざり合った粉粒体試料の物理・化学特性を簡便に評価することができる。すなわち、本発明によれば、様々な粉粒体、あるいはこれに限らずその他の受容体として使用できる任意試料の物理・化学特性に応じた違いを、化学センサに与える流体(プローブガス)とのガス-固体相互作用、より一般的にはプローブ流体-受容体材料相互作用の結果として得られる独特のパターンとして簡便に識別することができる。なお、本願においては、粉状、粒状の物体を、その粒径が10-2mから10-4m(数mm~0.1mm)の場合に粒体、10-4m未満から10-9m(原子の大きさの数倍まで)の場合には粉体と規定し、両者をまとめて粉粒体(granular materials including nanoparticles, micro-particles and powders)と総称する。
【実施例
【0016】
以下で実施例により本発明をさらに詳細に説明する。なお、以下ではナノメカニカルセンサとして膜型表面応力センサ(MSS)を使用する。MSSの具体的な構造、作製方法、動作、特性等については既によく知られている事項なので本願では具体的に説明しないが、必要に応じて特許文献1、非特許文献1等を参照されたい。
【0017】
以下では、ポリスチレン(polystyrene、PS)、ポリ(4-メチルスチレン)(poly-(4methylstyrene)、P4MS)、ポリカプロラクトン(polycaprolactone、PCL)及びポリフッ化ビニリデン(polyvinylidene fluoride、PVF)の4種類の異なるポリマーの同定を、MSSを用いて得られた検出信号をパターン認識の手法を用いて行った。ここで、PSとP4MSとは互いによく似た化学構造を有するポリマーの対として、またPCLとPVFとは互いによく似た化学的特性、具体的には疎水性を示すポリマーの対として選択した。これら4種のポリマーの化学構造式を以下に示す。
【0018】
【化1】
【0019】
ここで、PS(平均分子量Mw=35000、以下PS(35k)と称する)、PS(Mw=280000、以下PS(280k)と称する)、PS(Mw=350000、以下PS(350k)と称する)、PCL、P4MS及びPVFはSigma-Aldrichから購入した。ポリマー溶液を作成することでインクジェットによる膜形成に用いる溶媒として使用したDMF(N,N’-Dimethylformamide)は富士フイルム和光純薬株式会社から購入した。
【0020】
プローブガスとして使用したエタノール(Ethanol)、1-ヘキサノール(1-hexanol)、ヘキサナル(hexanal)、n-ヘプタン(n-heptane)、メチルシクロヘキサン(methylcyclohexane)、トルエン(toluene)、酢酸エチル(ethyl acetate)、アセトン(acetone)、クロロホルム(chloroform)、アニリン(aniline)及びプロピオン酸(propionic acid)はSigma-Aldrich、東京化成工業株式会社及び富士フイルム和光純薬株式会社から、分析グレードあるいはより上級のものを購入した。全ての試薬は購入したままの状態で使用した。プローブガスとしては上に挙げた11種類の化学物質に加えて水蒸気(図中ではwaterとも表記)の都合12種類を使用した。ここで、水蒸気を得るために超純水を使用した。なお、これら12種類のプローブガスは常温では液体として存在するため、液体の状態では溶媒と呼ぶことがある。また、これらの液体を気化したものを蒸気あるいは溶媒蒸気とよぶことがある。
【0021】
各々のポリマーをDMFに濃度1mg/mLで溶解し、インクジェットによりMSSの各チャネル上に堆積つまり被覆させた。ここではノズル(MICROJET CorporationのIJHBS-300)を装着したインクジェットスポッタ(MICROJET CorporationのLaboJet-500SP)を使用した。この堆積を行う際のインクジェットの射出速度、液滴体積、及びインクジェット射出数はそれぞれ約5m/秒、約300pL、及び300発に固定した。また、インクジェットスポッタのステージを80℃に加熱しておくことで、DMFを乾燥させた。各ポリマーをMSS上の少なくとも2つの異なるチャネルに被覆して、コーティング品質を調べた。具体的な被覆チャネル数Nは以下の通りであった:PS(35k):N=3;PS(280k):N=2;PS(350k):N=11;PCL:N=11;P4MS:N=11;PVF:N=11。
【0022】
上記12種類の物質のそれぞれの蒸気をプローブガスとして使用して、MSS(より具体的にはMSSチップ上に設けられている4つのMSSセンサチャネル)から、12種類のプローブガスと4種類のポリマーとの組み合わせの各々についてのガス-固体相互作用を表す検出信号を得た。具体的には以下の装置構成・手順を使用した。
【0023】
上述のようにして準備した、ポリマーで被覆されたMSSチップをテフロン(登録商標)製のチャンバー(MSSチャンバー)に取り付け、これを25.0±0.5℃に温度制御されたインキュベータ(インキュベータ1)中に置いた。このチャンバーを2つのマスフローコントローラ(MFC-1及びMFC-2)、パージガスライン並びに15.0±0.5℃に温度制御されたインキュベータ(インキュベータ2)内に収容された混合チャンバー及び溶媒液体を入れるバイアル瓶からなるガスシステムに結合した。各溶媒の蒸気はキャリアガスのバブリングにより発生させた。ここでは、純窒素ガスをキャリアガス及びパージガスとして使用した。実験中、全流量を100mL/分に維持した。12種類の異なる溶媒蒸気の濃度はMFC-1によりP/P=0.1になるように制御した。ここで、P及びPはそれぞれ溶媒蒸気の分圧及び飽和蒸気圧を表す。
【0024】
MSSの出力信号を測定する前に、純窒素ガスをMSSチャンバー中に1分間導入した。次に、MFC-1(プローブガスライン)を10秒毎にオン/オフするとともに、MFC-2の制御により、MFC-1のオン、オフに関わらず全流量が100mL/分を維持するようにした。このオン、オフを5サイクル繰り返した。図1A及び図1Bに、同一のプローブガスに対する4種類のポリマーPS、P4MS、PVF及びPCLを被覆したMSSセンサチャネルからの出力信号の例を示す。これらの図は上記4種類のポリマーを被覆したMSSセンサチャネルと12種類のプローブガスとの組み合わせのそれぞれに対応する出力信号の具体例を示す。これらのデータはMSSセンサチャネルのブリッジ電圧を-0.5Vとして、サンプリングレート10Hzで測定したものである。
【0025】
上述したように、各々の蒸気に暴露されると、図1A及び図1Bから判るように、各ポリマーからの応答信号(MSSセンサチャネルからの出力信号)は、当該ポリマーと蒸気との化学的・物理的親和性を反映して強度及び形状の面でユニークなものとなった。
【0026】
このようにして得られたデータセット(つまり、夫々の応答信号の波形をデジタル化したデータの集合体)に対して教師あり学習を用いた解析(supervised analysis)及び教師なし学習を用いた解析(unsupervised analysis)を行った。教師あり学習及び教師なし学習として、具体的にはそれぞれ線形判別分析(LDA)及び主成分分析(PCA)を使用した。図2に示すように、正規化された応答信号の減衰曲線の各々から複数のパラメータを特徴量の集合として抽出した。図3の左上、右上及び左下に示すように、PCAにより12種類のプローブガスからの全ての特徴量を利用して4つの異なるポリマーをはっきりと判別することができた。また、1種類のプローブガスからの特徴量を用いたPC1-2面については図4を参照されたい。同図では、PC1-2面上ではPSとP4MSとは、各プローブガスに対する両者の化学的及び物理的な類似性を反映して、相互に接近したクラスタを形成する。なお、同様のことは図3についても成り立つ。実際、PSとP4MSの化学構造や物理特性が似ているため、PCAおよびLDAにてクラスタが近接している。図3の右下に示すLDAの場合には、各ポリマーは対応するクラスタ同士が重なることがなく明確に分類された。このことから、本発明に基づいて固体材料をパターン認識によって判別することの実現可能性が示される。
【0027】
ここで注意すべき点として、図3の左上、右上及び左下に示されているPCAの各クラスタ中にまたいくつかのサブクラスタがみられる。これらの小さなサブクラスタの各々はMSSの各チャネル上で被覆されている各ポリマー層に対応するので(ポリマー種毎に11個のチャネルへの被覆を行った)、これらのサブクラスタ間の違いは各ポリマー層の被覆の再現性を表していると見なすことができる。従って、本発明の方法は、被覆の材料の違いだけではなく、被覆の品質のこのようなわずかな違いを判別するのに十分な分解能を提供する。
【0028】
ここで、PCA及びLDAはPython用の機械学習ライブラリであるscikit-learnを使用して導入した。PCAでは、データを第1主成分(PC1)の分散が最大になるように、より低い次元に投影する。第1主成分以降の主成分については、(n+1)次の主成分がn次主成分に対して直交するという制約条件の下でその分散が最大になるように定められる。
【0029】
PCAとは対照的に、LDAではクラスタの分離が最大化されるようにしながらより低い次元へのデータの投影が行われる。LDAはクラス間の距離を最大化し、同じクラス内の分散を最小化する。
【0030】
本願ではまた、非線形カーネルを有するSVMクラシファイア(非特許文献2)に基づく機械学習モデルも提供される。132個のサンプル(ポリマー毎に33個のサンプル)の36組の特徴量集合(プローブガス毎に3つのパラメータ)を使用して最適なSVMモデルを構築し、また検証した。全サンプルの80%(105~106サンプル)をトレーニングデータセットとして使用した。放射基底関数のハイパーパラメータ(C及びγ)を調節した後、残りの26~27個のパラメータを使用してSVMモデルを検証した。同定精度を計算するため、五重の交差検証を適用した。各プローブガスの全ての組み合わせを計算してSVMモデルを生成した。訓練されたSVMモデルの個数は4095(212-1)であった。
【0031】
ここでSVMについて更に説明すれば、PCA及びLDAはデータセットの次元を減少させるのに使用する。データをより低次元の空間に射影することによって、被覆された材料をクラスタ分離に従って視覚的に認識することができる。ここにおいて、被覆された各々の材料を同定し、またその精度を評価するため、放射基底関数カーネルを有するSVMに基づいた分類モデルを構築した。特徴量集合は、12種類の異なるガスで測定したMSS出力信号を正規化したものの各減衰曲線から図2に示すようにして抽出した。ここで、3つの異なる傾きmij(t)を、以下の式に従って、j番目のガスが与えられるi番目のチャネルから抽出した:mij(t)=[Iij(t)-Iij(t+t)]/t。ここで、Iij(t)は、時刻tにおける信号出力を、tは応答信号が減衰し始める時刻を示す。本願ではtとして3つの時刻、すなわちt=0.5、1、1.5(秒)を選択した。三つ組みのパラメータ[mij(0.5),mij(1),mij(1.5)]は各測定における5サイクルの信号応答中の40秒~100秒の間の3サイクルから抽出した。このような選択を行った理由は、一連の測定中では時間的に後のサイクルの信号応答の方が初めの頃のものに比べて再現性の良好な信号を与えるからであるが、これはサンプルガスと先に吸着されていたガスとが混合することによって引き起こされる初期変動があることを示している。なお、言うまでもないことであるが、特徴量の抽出法は図2を参照して上で説明したものに限定されるわけではないことに注意されたい。
【0032】
非線形SVMに基づいた分類モデルはPython用のscikit-learnライブラリを使用して開発した。モデルを最適化して評価するため、5×2交差検証を採用した。データベース全体を最初は5つのデータセットに区分した。そのうちの4つのデータセットをトレーニングデータセットとして使用し、残った1つのデータセットはテストデータセットとして使用した。トレーニングデータセットは更に2つのサブデータセットに区分した。これらのサブデータセットに基づいてSVMのハイパーパラメータ(すなわちC及びγ)を最適化した。この検証過程を5つのデータセットの全ての組み合わせについて繰り返してモデルの分類精度を評価した。
【0033】
プローブガスの組み合わせによる同定精度をドットプロットとして図5のaに示し、また選択されたプローブガスの組み合わせにより得られる平均精度の計算結果を図6に示す。SVM解析により、12種類のプローブガスからの特徴量集合を100%の同定精度でポリマー毎に明確に分類することができた。注目すべきことに、プローブガスの組み合わせのほぼ1/4が、2から12種類のプローブガスを使って、100%の同定精度となった。各プローブガスの使用割合(usage rate)を以下の表にまとめて示す。この表はSVM分類のまとめを示しており、「使用率」カラム中の「ポリマー」及び「分子量」サブカラムは、夫々異なるポリマーを判別する精度(ポリマー同定精度)及び分子量の異なるポリマーを判別する精度(分子量同定精度)100%を達成するプローブガスの組み合わせ中の左端カラム(プローブガス)に示すプローブガスの使用率を示し、「精度」カラム中の「ポリマー」及び「分子量」サブカラムは、上と同様に各プローブガスからの一つの特徴量集合を使用した際の同定精度を示す。ここで、各同定精度は交差検証によって得られた精度を「平均値±標準偏差」の形態で表記している。
【0034】
【表1】
【0035】
これらの結果は、対象とする固体試料に依存してプローブガスを適切に選択することで高精度かつ効率的な同定が可能となることを明確に示している。これについては図5のbも参照されたい。例えば、この例の場合、2つのプローブガス(すなわち、酢酸エチルとエタノールとの組み合わせ、酢酸エチルとトルエンとの組み合わせ、及び酢酸エチルとクロロホルムとの組み合わせ)を使用することで、100%の同定精度が達成されるが、他の組み合わせ(酢酸エチルとプロピオン酸)では75.5±14.1%という最低の精度となる。
【0036】
上述した結果に基づいて、2つのプローブガスの最良及び最低の組み合わせを使用して、目視による判定のためにPCAを再度行った。予期したとおり、最良の組み合わせの場合には、図7の左上、右上及び左下に示すようにほとんどのクラスタが十分に分離したが、最低の組み合わせでは、図7の右下から判るように、とりわけPSとP4MS間でクラスタ間に大きな重なりが現れた。この高いパターン認識精度は、極性物質であるPCLを他の物質から識別するプローブガスと、PSとP4MSとPVFとを互いに識別するプローブガスとの組み合わせにより達成されたものと考えられる。これについては上掲の表及び図4も参照されたい。ここで、PCAでのクラスタの明確な分離は必ずしもSVMでの高い分類精度をもたらすわけではないことに注意すべきである(非特許文献3)。
【0037】
固体材料のパターン認識の更なる適用可能性を評価するため、ポリマーの分子量の同定の実験結果を示す。分子量が異なる2種類のポリマー(PS(35k)及びPS(280k))を追加して、これらを他のポリマーと同様にMSSセンサの各チャネルに被覆し、上述の12種類のプローブガスに対するこれらの応答を測定した。これらの応答から他のポリマーの場合と同様に特徴量集合を抽出して以前に測定したPS(350k)及びP4MSについてのデータセットと組み合わせた。12種類のプローブガスについてのこれらデータセットについてPCA及びLDAによる解析を行った。図8に示すように、PCAスコアプロット(図8の左上、右上及び左下)ではとりわけPSとP4MSとの間で幾分かの誤分類が起こったが、LDA(図8の右下)ではPS及びP4MSを含むポリスチレン類を分子量に関して明確に識別することができた。また、1種類のプローブガスからの特徴量を用いたPC1-2面については図9を参照されたい。本願発明者が以前に公表した非特許文献4によれば、ナノメカニカルセンサの応答は受容体層のヤング率等の物理的特性に強く影響される。本願実施例で使用したポリスチレンの薄膜のヤング率は3.4~3.9GPaの範囲であると報告されている。従って、本発明の一態様であるパターン認識手法はこのような狭い範囲のヤング率を有するいくつかの材料同士の識別を行うことができることが判る。
【0038】
12種類のプローブガスに対する応答の組み合わせについてSVM分類を行うこともできる。図10のa及び上掲の表に示されるように、プローブガスの全組み合わせ中、312通りの組み合わせ(全組み合わせの7.6%)で分子量の違いを100%の精度で同定することができたが、12種類のプローブガス全てによる応答信号から抽出した最大の特徴量集合では精度が95.0±0.10%と言う結果が得られた。これについては図11も参照されたい。図10のbに示すように、2種類のプローブガスの特定の組み合わせ、具体的にはクロロホルムとアニリンとの組み合わせにより100%の精度が達成されたことに注意されたい。更に、上掲の表からわかるように、一つのプローブガスだけを使用した場合であっても、具体的にはトルエンにより91.5±3.9%の同定精度が達成され、また図9に示すように、ほとんどのプローブガスのPCAスコアプロットから分子量の違いを大まかに識別できる。
【0039】
上述の結果から、化学的及び物理的特性が互いに類似している複数の固体材料であっても、適切なプローブガス対を選択することにより、本発明の一態様に係るパターン認識を効果的に適用して検体の同定に使用することができる。本願発明者等が以前非特許文献5で報告したとおり、これらの特性はヤング率等の他の材料パラメータに関連付けることができ、これにより機械学習ベースの回帰分析を用いることによって、成分組成等(非特許文献では例としてアルコール濃度を求めている)のこの種のパラメータを求めることができる。
【0040】
次に、受容体材料として粉状の固体(粉粒体)を用いて、MSSを用いて得られた検出信号をパターン認識の手法を用いて行った、粉粒体の同定について説明する。なお、以下に説明する実施例では、特に明記しない限り、使用したMSSの構造・動作、プローブガスの入手元、ガス-固体相互作用を表す検出信号を得るための装置構成・手順、得られたデータセットに対する解析手法(LDA及びPCA)等は、上述したポリマーの同定に関する実施例と同様である。ただし、他の実施例では特徴量の抽出は図2を参照して説明したように、応答信号波形の傾きを求めることにより行ったが、ここでは0.5秒おきのデータ点そのものを使っている。つまり、波形のベースラインを0Vにオフセットさせ、この処理を行った波形上で、立ち下がり点から0.5秒、1秒、1.5秒のデータ点の値を特徴量として抽出した。
【0041】
粉粒体として、産地の異なる3種類の米の粉(米粉)を使用した。具体的には、北海道産の米(品種:コシヒカリ)、山形県産の米(品種:はえぬき)(無洗米)及び茨城県産の米(品種:コシヒカリ)をめのう乳ばちで各々すりつぶして粉状にしたものを水に分散させ、各々の分散液を、MSSの各チャネル上に塗布した。
プローブガスとして、エタノール(Ethanol)の蒸気及び超純水を使用して得た水蒸気を使用して、MSSから、2種類のプローブガスと3種類の米粉との組み合わせの各々についてのガス-固体相互作用を表す検出信号を得た。
【0042】
得られたデータセットに対するPCAの結果を図12に示す。図12に示すように、PCAにより2種類のプローブガスからの全ての特徴量を利用して品種と産地との組み合わせの異なる3種類の米(米粉)をはっきりと判別することができた。このことから、本発明に基づいて固体材料をパターン認識によって判別することの実現可能性がより具体的に示される。また、系統的にかなり近縁の米の品種間の違い(はえぬきはコシヒカリと別の品種の米との2代交配種)や同品種の米の間の産地等の栽培条件の違いという僅かな違いをパターン認識によってはっきりと識別できたことは、化学的及び物理的特性の違いがごく僅かな固体材料(より一般的には固体に限らず、受容体として使用できる任意の材料)であっても、適切なプローブガス対を選択することにより、本発明の一態様に係るパターン認識を効果的に適用して検体の同定に使用することができることを示している。加えて、本発明によって得られる化学センサの検出信号と、別の指標(例えば、上述した米の場合には、糖度等の食味に関する指標・評価値等)とを組み合わせて機械学習ベースの解析(例えば非特許文献5を参照)を行うことにより、検体に関する様々な指標をより簡便に推定することができるようになると考えられる。
【産業上の利用可能性】
【0043】
以上詳細に説明したように、本発明によれば、パターン認識の手法を用いることで、プローブガスのある特定の組み合わせを使用した場合、100%の精度で試料を同定することができる。SVM、またPCAやLDAにより例証したように、分子量などの材料特性のわずかな相違であっても、本発明により判別することができる。本発明では任意の種類の気体状のあるいは揮発性の分子でもプローブとして使用して固体材料等の同定に使用できることから、本発明は固体材料等を区別するにあたって極めて高い可能性を有する。本発明において測定対象となり得る固体材料等としては、これに限定する意図はないが、無機ナノ粒子、機能性有機材料及びペプチド、タンパク質、核酸等の生体分子などが挙げられる。ナノメカニカルセンサは多用途の検出プラットホームを提供するが、これによりほとんど全ての種類の固体試料が解析可能となる。本発明はナノメカニカルセンサに限定されるものではなく、多様な化学センサに拡張することができる。本発明はまた工業面でも有効であり、この場合、センサ受容体の品質・性能を定量的に評価することができる。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0044】
【文献】国際公開2011/148774
【非特許文献】
【0045】
【文献】G. Yoshikawa, T. Akiyama, F. Loizeau, K. Shiba, S. Gautsch, T. Nakayama, P. Vettiger, N. Rooij and M. Aono. Sensors, 2012, 12, 15873-15887.
【文献】Vapnik, V. Estimation of Dependences Based on Empirical Data [in Russian], Nauka, Moscow, 1979 [English translation], Springer, New York, 1982.
【文献】T. Nowotny, A. Z. Berna, R. Binions, S. Trowell, Sens. Actuators B Chem., 2013, 187, 471-480.
【文献】G. Yoshikawa, Appl. Phys. Lett., 2011, 98, 173502.
【文献】K. Shiba, R. Tamura, G. Imamura and G. Yoshikawa, Sci. Rep., 2017, 7, 3661.
図1A
図1B
図2
図3
図4
図5
図6
図7
図8
図9
図10
図11
図12