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特許7063342質量分析装置及び質量分析装置における質量較正方法
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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2022-04-25
(45)【発行日】2022-05-09
(54)【発明の名称】質量分析装置及び質量分析装置における質量較正方法
(51)【国際特許分類】
   H01J 49/00 20060101AFI20220426BHJP
   G01N 27/62 20210101ALI20220426BHJP
   H01J 49/16 20060101ALI20220426BHJP
【FI】
H01J49/00 090
G01N27/62 D
H01J49/16 400
【請求項の数】 10
(21)【出願番号】P 2019568541
(86)(22)【出願日】2018-02-05
(86)【国際出願番号】 JP2018003760
(87)【国際公開番号】W WO2019150576
(87)【国際公開日】2019-08-08
【審査請求日】2020-06-18
(73)【特許権者】
【識別番号】000001993
【氏名又は名称】株式会社島津製作所
(74)【代理人】
【識別番号】110001069
【氏名又は名称】特許業務法人京都国際特許事務所
(72)【発明者】
【氏名】池上 将弘
【審査官】鳥居 祐樹
(56)【参考文献】
【文献】特開2010-205460(JP,A)
【文献】特開2014-059964(JP,A)
【文献】国際公開第2007/055293(WO,A1)
【文献】国際公開第2016/103388(WO,A1)
【文献】特開2016-006795(JP,A)
【文献】特開2007-309661(JP,A)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
H01J 49/00
H01J 49/16
H01J 49/40
G01N 27/62
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
マトリクスを試料に添加して又は試料に付着させて該試料中の成分をイオン化するイオン源を具備する質量分析装置における質量較正方法であって、
a)目的試料を前記質量分析装置で分析することで取得されたマススペクトル上で、その分析の際に使用されたマトリクスに由来すると推定される一又は複数のピークを検出するとともに、該ピークがマトリクス由来であることについての信頼性を判定することでピークを選択するものであって、マトリクスに由来する一種のイオンのピークの理論上の質量電荷比値に対し所定の質量電荷比幅の検出窓を設定し、その検出窓に入るピークが複数である場合、そのイオンに対応するピークを選択しないピーク検出ステップと、
b)前記ピーク検出ステップにおいて検出及び選択された、マトリクス由来の一又は複数のピークの実際の質量電荷比値と、該ピークに対応するイオンの理論上の質量電荷比値と、の差に基づいて質量較正情報を求める質量較正情報取得ステップと、
c)前記質量較正情報取得ステップにおいて得られた質量較正情報を利用して、前記マススペクトルで観測されるピークについての質量電荷比を補正する質量補正実行ステップと、
を実行することを特徴とする質量分析装置における質量較正方法。
【請求項2】
マトリクスを試料に添加して又は試料に付着させて該試料中の成分をイオン化するイオン源を具備する質量分析装置における質量較正方法であって、
a)目的試料を前記質量分析装置で分析することで取得されたマススペクトル上で、その分析の際に使用されたマトリクスに由来すると推定される一又は複数のピークを検出するとともに、該ピークがマトリクス由来であることについての信頼性を判定することでピークを選択するものであって、ピーク幅に基づいて、前記マトリクスに由来するイオンに対応するピークとして推定されるピークに他のピークの重なりがあるか否かを判定するピーク単一性判定部を含み、他のピークの重なりがあると判定された場合、そのイオンに対応するピークを選択しないピーク検出ステップと、
b)前記ピーク検出ステップにおいて検出及び選択された、マトリクス由来の一又は複数のピークの実際の質量電荷比値と、該ピークに対応するイオンの理論上の質量電荷比値と、の差に基づいて質量較正情報を求める質量較正情報取得ステップと、
c)前記質量較正情報取得ステップにおいて得られた質量較正情報を利用して、前記マススペクトルで観測されるピークについての質量電荷比を補正する質量補正実行ステップと、
を実行することを特徴とする質量分析装置における質量較正方法。
【請求項3】
マトリクスを試料に添加して又は試料に付着させて該試料中の成分をイオン化するイオン源を具備する質量分析装置における質量較正方法であって、
a)目的試料を前記質量分析装置で分析することで取得されたマススペクトル上で、その分析の際に使用されたマトリクスに由来すると推定される一又は複数のピークを検出するとともに、該ピークがマトリクス由来であることについての信頼性を判定することでピークを選択するものであって、ピークを構成する複数のデータから算出される重心に対応する質量電荷比値と該ピークの頂点に対応する質量電荷比値とに基づいて、前記マトリクスに由来するイオンに対応するピークとして推定されるピークに他のピークの重なりがあるか否かを判定するピーク単一性判定部を含み、他のピークの重なりがあると判定された場合、そのイオンに対応するピークを選択しないピーク検出ステップと、
b)前記ピーク検出ステップにおいて検出及び選択された、マトリクス由来の一又は複数のピークの実際の質量電荷比値と、該ピークに対応するイオンの理論上の質量電荷比値と、の差に基づいて質量較正情報を求める質量較正情報取得ステップと、
c)前記質量較正情報取得ステップにおいて得られた質量較正情報を利用して、前記マススペクトルで観測されるピークについての質量電荷比を補正する質量補正実行ステップと、
を実行することを特徴とする質量分析装置における質量較正方法。
【請求項4】
マトリクスを試料に添加して又は試料に付着させて該試料中の成分をイオン化するイオン源を具備する質量分析装置における質量較正方法であって、
a)目的試料を前記質量分析装置で分析することで取得されたマススペクトル上で、その分析の際に使用されたマトリクスに由来すると推定される一又は複数のピークを検出するとともに、該ピークがマトリクス由来であることについての信頼性を判定することでピークを選択するものであって、マトリクスに由来する一種のイオンのピークの理論上の質量電荷比値に対し所定の質量電荷比幅の検出窓を設定し、その検出窓に入るピークが複数である場合、その複数のピークの中で強度が最大であるピークを選択するピーク検出ステップと、
b)前記ピーク検出ステップにおいて検出及び選択された、マトリクス由来の一又は複数のピークの実際の質量電荷比値と、該ピークに対応するイオンの理論上の質量電荷比値と、の差に基づいて質量較正情報を求める質量較正情報取得ステップと、
c)前記質量較正情報取得ステップにおいて得られた質量較正情報を利用して、前記マススペクトルで観測されるピークについての質量電荷比を補正する質量補正実行ステップと、
を実行することを特徴とする質量分析装置における質量較正方法。
【請求項5】
マトリクスを試料に添加して又は試料に付着させて該試料中の成分をイオン化するイオン源を具備する質量分析装置であって、
a)前記質量分析装置による分析の際に使用されるマトリクスに由来する各種のイオンの理論上な質量電荷比の情報を格納しておく参照情報記憶部と、
b)目的試料を前記質量分析装置で分析する際に使用されるマトリクスに由来するイオンの情報を前記参照情報記憶部から取得し、該情報を用い、その分析により取得されたマススペクトル上で前記マトリクスに由来するイオンに対応すると推定される一又は複数のピークを検出するとともに、該ピークがマトリクス由来であることについての信頼性を判定することでピークを選択するものであって、マトリクスに由来する一種のイオンのピークの理論上の質量電荷比値に対し所定の質量電荷比幅の検出窓を設定し、その検出窓に入るピークが複数である場合、そのイオンに対応するピークを選択しない質量較正用基準ピーク検出部と、
c)前記質量較正用基準ピーク検出部により検出及び選択された、マトリクス由来の一又は複数のピークの実際の質量電荷比値と、該ピークに対応するイオンの理論上の質量電荷比値と、の差に基づいて質量較正情報を求める質量較正情報算出部と、
d)前記質量較正情報算出部により得られた質量較正情報を利用して、前記マススペクトルで観測されるピークについての質量電荷比を補正する質量較正実行部と、
を備えることを特徴とする質量分析装置。
【請求項6】
マトリクスを試料に添加して又は試料に付着させて該試料中の成分をイオン化するイオン源を具備する質量分析装置であって、
a)前記質量分析装置による分析の際に使用されるマトリクスに由来する各種のイオンの理論上な質量電荷比の情報を格納しておく参照情報記憶部と、
b)目的試料を前記質量分析装置で分析する際に使用されるマトリクスに由来するイオンの情報を前記参照情報記憶部から取得し、該情報を用い、その分析により取得されたマススペクトル上で前記マトリクスに由来するイオンに対応すると推定される一又は複数のピークを検出するとともに、該ピークがマトリクス由来であることについての信頼性を判定することでピークを選択するものであって、ピーク幅に基づいて、前記マトリクスに由来するイオンに対応するピークとして推定されるピークに他のピークの重なりがあるか否かを判定するピーク単一性判定部を含み、他のピークの重なりがあると判定された場合、そのイオンに対応するピークを選択しない質量較正用基準ピーク検出部と、
c)前記質量較正用基準ピーク検出部により検出及び選択された、マトリクス由来の一又は複数のピークの実際の質量電荷比値と、該ピークに対応するイオンの理論上の質量電荷比値と、の差に基づいて質量較正情報を求める質量較正情報算出部と、
d)前記質量較正情報算出部により得られた質量較正情報を利用して、前記マススペクトルで観測されるピークについての質量電荷比を補正する質量較正実行部と、
を備えることを特徴とする質量分析装置。
【請求項7】
マトリクスを試料に添加して又は試料に付着させて該試料中の成分をイオン化するイオン源を具備する質量分析装置であって、
a)前記質量分析装置による分析の際に使用されるマトリクスに由来する各種のイオンの理論上な質量電荷比の情報を格納しておく参照情報記憶部と、
b)目的試料を前記質量分析装置で分析する際に使用されるマトリクスに由来するイオンの情報を前記参照情報記憶部から取得し、該情報を用い、その分析により取得されたマススペクトル上で前記マトリクスに由来するイオンに対応すると推定される一又は複数のピークを検出するとともに、該ピークがマトリクス由来であることについての信頼性を判定することでピークを選択するものであって、ピークを構成する複数のデータから算出される重心に対応する質量電荷比値と該ピークの頂点に対応する質量電荷比値とに基づいて、前記マトリクスに由来するイオンに対応するピークとして推定されるピークに他のピークの重なりがあるか否かを判定するピーク単一性判定部を含み、他のピークの重なりがあると判定された場合、そのイオンに対応するピークを選択しない質量較正用基準ピーク検出部と、
c)前記質量較正用基準ピーク検出部により検出及び選択された、マトリクス由来の一又は複数のピークの実際の質量電荷比値と、該ピークに対応するイオンの理論上の質量電荷比値と、の差に基づいて質量較正情報を求める質量較正情報算出部と、
d)前記質量較正情報算出部により得られた質量較正情報を利用して、前記マススペクトルで観測されるピークについての質量電荷比を補正する質量較正実行部と、
を備えることを特徴とする質量分析装置。
【請求項8】
マトリクスを試料に添加して又は試料に付着させて該試料中の成分をイオン化するイオン源を具備する質量分析装置であって、
a)前記質量分析装置による分析の際に使用されるマトリクスに由来する各種のイオンの理論上な質量電荷比の情報を格納しておく参照情報記憶部と、
b)目的試料を前記質量分析装置で分析する際に使用されるマトリクスに由来するイオンの情報を前記参照情報記憶部から取得し、該情報を用い、その分析により取得されたマススペクトル上で前記マトリクスに由来するイオンに対応すると推定される一又は複数のピークを検出するとともに、該ピークがマトリクス由来であることについての信頼性を判定することでピークを選択するものであって、マトリクスに由来する一種のイオンのピークの理論上の質量電荷比値に対し所定の質量電荷比幅の検出窓を設定し、その検出窓に入るピークが複数である場合、その複数のピークの中で強度が最大であるピークを選択する質量較正用基準ピーク検出部と、
c)前記質量較正用基準ピーク検出部により検出及び選択された、マトリクス由来の一又は複数のピークの実際の質量電荷比値と、該ピークに対応するイオンの理論上の質量電荷比値と、の差に基づいて質量較正情報を求める質量較正情報算出部と、
d)前記質量較正情報算出部により得られた質量較正情報を利用して、前記マススペクトルで観測されるピークについての質量電荷比を補正する質量較正実行部と、
を備えることを特徴とする質量分析装置。
【請求項9】
請求項5~8のいずれか1項に記載の質量分析装置であって、
マトリクスを当該質量分析装置で分析することで取得されたマススペクトルに基づいて、実際に検出される該マトリクス由来の各種のイオンの、理論上の質量電荷比に関する情報を作成して前記参照情報記憶部に格納する参照情報作成部、をさらに備えることを特徴とする質量分析装置。
【請求項10】
請求項5~8のいずれか1項に記載の質量分析装置であり、試料上の2次元的な測定領域内の複数の測定点についてそれぞれ質量分析を実施することによりイメージング質量分析が可能である質量分析装置であって、
測定領域内の各測定点において取得されたマススペクトルに基づいて、前記質量較正用基準ピーク検出部、前記質量較正情報算出部、及び前記質量較正実行部により、測定点毎にマススペクトルで観測されるピークについての質量較正を行うことを特徴とする質量分析装置。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、質量分析装置及び質量分析装置における質量較正方法に関し、さらに詳しくは、マトリクス支援レーザ脱離イオン化(MALDI)法など、一種のイオン化補助剤であるマトリクスを試料に添加して又は付着させてイオン化を行うイオン源を搭載した質量分析装置、及びそうした質量分析装置における質量較正方法に関する。
【背景技術】
【0002】
質量分析装置では、様々な要因によって、或る化合物について実測により求まった質量と理論的な質量との差異、つまり質量ずれが発生する。飛行時間型質量分析装置(TOFMS)の場合には、飛行空間へイオンを導入するためのイオンの引き出し電圧の変動、温度変化に伴う装置の膨張や収縮による飛行距離の変化、などが質量ずれの主たる要因である。また、MALDIイオン源を搭載したTOFMS(MALDI-TOFMS)では、試料が載せられたサンプルプレートの傾きや試料表面の凹凸によっても飛行距離が変化し、質量ずれを引き起こす。また、MALDI-TOFMSを用いて試料上の2次元的な測定領域内の多数の測定点における質量分析を行うイメージング質量分析装置では、測定領域内の測定点の位置毎にこうした質量ずれが異なることになる。
【0003】
上記質量ずれを補正する質量較正方法として最も一般的であるのは、理論質量が既知である標準物質を利用した方法である。即ち、標準物質(又は理論質量が既知である適宜の化合物)を測定対象の試料に添加し、該試料を質量分析することで得られたマススペクトルから当該標準物質由来のピークを見つけ出し、該ピークの質量電荷比値が理論質量に基づく質量電荷比値に一致するように補正量を求める。そして、この補正量に基づいてマススペクトル上で観測される他の化合物由来のイオンの質量電荷比値を補正する(特許文献1等参照)。
【0004】
また、イメージング質量分析装置では、上述したように試料上の測定位置によって質量ずれ量やそのずれ量の質量電荷比依存性が異なる場合があるが、測定領域全体ではなく、測定領域内のより小さな範囲毎にそれぞれ質量較正を行うことで質量精度を向上させる方法も知られている(特許文献2、3等参照)。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0005】
【文献】特開2016-26302号公報
【文献】特開2015-146288号公報
【文献】特開2010-205460号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
しかしながら、上述したように、試料に添加された標準物質等の特定の化合物由来のピークを利用した質量較正方法では次のような問題がある。
【0007】
特に測定対象の試料が生体由来の試料である場合、試料に何らかの化合物を多量に添加するとそれが該試料中の成分のイオン化効率等に影響を与え、正確な測定に支障をきたす場合がある。そのため、一般に、試料に添加される標準物質の量は少量である。一方で、MALDIイオン源を搭載した質量分析装置によりイメージング質量分析を行う際には、一つの測定点(微小領域)に照射されるレーザ光の径は絞られ、また該測定点の周囲の試料の損傷を避けるために、レーザ光のパワーも比較的低く設定される。そのため、一つの測定点において生成されるイオンの量は比較的少ない。このため、質量較正用として試料に添加された標準物質由来のイオンのピークが十分なSN比で以て観測できない場合がある。さらにまた、いわゆるイオンサプレッション効果等のために、標準物質由来のイオンのピークが実質的に殆ど観測できないこともある。
【0008】
また一般に、標準物質由来のピークを同定する際には、マススペクトルにおいて当該物質の理論質量に基づく質量電荷比値から所定の範囲内に存在するピークを当該物由来のピークであるとみなす処理が行われることが多い。しかしながら、特にイメージング質量分析では、生体組織切片等の試料が前処理されずにそのまま測定に供されることが多く、その場合、試料に含まれる多数の化合物由来のイオンのピークがマススペクトルに現れる。そのピークの数は非常に多いため、そうした試料に含まれる化合物由来のピークと標準物質由来のピークとがマススペクトル上で非常に近接した状態で観測されたり、一部又は全部が重なってしまったりすることがある。そうした場合、標準物質ではない別の化合物由来のピークを標準物質由来のピークであると誤って同定したり、或いは、別の化合物由来のピークが重なっているために質量電荷比がずれてしまっている標準物質由来のピークを質量較正の基準として選択してしまったりするおそれがある。そうなると、質量較正が適切に行われず、試料中の化合物の同定等に支障をきたすことになる。
【0009】
本発明は上記課題を解決するために成されたものであり、その主たる目的は、標準物質等の質量較正用の化合物を使用することなく、或いは、そうした化合物由来のイオンのピークが十分なSN比又は信号強度で観測できない場合であっても、正確な質量較正が可能である質量分析装置及び質量分析装置における質量較正方法を提供することにある。
【0010】
また本発明の他の目的は、マススペクトル上で質量較正の基準としたいピークにごく近接して他のピークが存在している場合や、その質量較正の基準としたいピークに他のピークが重なってしまっている場合に、信頼性がより高い他のピークを質量較正の基準として質量較正を行うことができる質量分析装置及び質量分析装置における質量較正方法を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0011】
上記課題を解決するために成された本発明に係る質量較正方法は、マトリクスを試料に添加して又は試料に付着させて該試料中の成分をイオン化するイオン源を具備する質量分析装置における質量較正方法であって、
a)目的試料を前記質量分析装置で分析することで取得されたマススペクトル上で、その分析の際に使用されたマトリクスに由来すると推定される一又は複数のピークを検出するとともに該ピークがマトリクス由来であることについての信頼性を判定することでピークを選択するピーク検出ステップと、
b)前記質量較正用基準ピーク検出ステップにおいて検出及び選択された、マトリクス由来の一又は複数のピークの実際の質量電荷比値と、該ピークに対応するイオンの理論上の質量電荷比値と、の差に基づいて質量較正情報を求める質量較正情報算出ステップと、
c)前記質量較正情報算出ステップにおいて得られた質量較正情報を利用して、前記マススペクトルで観測されるピークについての質量電荷比を補正する質量補正実行ステップと、
を実行することを特徴としている。
【0012】
また上記課題を解決するために成された本発明に係る質量分析装置は、上記発明に係る質量較正方法を実施するための装置であり、マトリクスを試料に添加して又は試料に付着させて該試料中の成分をイオン化するイオン源を具備する質量分析装置であって、
a)前記質量分析装置による分析の際に使用されるマトリクスに由来する各種のイオンの理論上の質量電荷比の情報を格納しておく参照情報記憶部と、
b)目的試料を前記質量分析装置で分析する際に使用されるマトリクスに由来するイオンの情報を前記参照情報記憶部から取得し、該情報を用い、その分析により取得されたマススペクトル上で前記マトリクスに由来するイオンに対応すると推定される一又は複数のピークを検出するとともに該ピークがマトリクス由来であることについての信頼性を判定することでピークを選択する質量較正用基準ピーク検出部と、
c)前記質量較正用基準ピーク検出部により検出及び選択された、マトリクス由来の一又は複数のピークの実際の質量電荷比値と、該ピークに対応するイオンの理論上の質量電荷比値と、の差に基づいて質量較正情報を求める質量較正情報算出部と、
d)前記質量較正情報算出部により得られた質量較正情報を利用して、前記マススペクトルで観測されるピークについての質量電荷比を補正する質量較正実行部と、
を備えることを特徴としている。
【0013】
ここで、「マトリクスを試料に添加して又は試料に付着させて該試料中の成分をイオン化するイオン源」とは、典型的には、MALDIイオン源、二次イオン質量分析(SIMS)法における一次イオンの照射を利用したイオン源、などである。例えばMALDI法では、測定対象の化合物の種類や特性、或いはイオンの極性などに応じて、様々な種類のマトリクスが選択的に利用される。マトリクスとして使用される代表的な物質としては、1,4-ビスベンゼン、1,8,9-トリヒドロキシアントラセン、2,4,6-トリヒドロキシアセトフェノン、2,5-ジヒドロキシ安息香酸、2-(4-ヒドロキシフェニルアゾ)安息香酸、2-アミノ安息香酸、3-アミノピラジン-2-カルボン酸、3-ヒドロキシピコリン酸、4-ヒドロキシ-3-メトキシケイ皮酸、トランス-インドールアクリル酸、2,6-ジヒドロキシアセトフェノン、5-メトキシサリチル酸、5-クロロサリチル酸、9-アントラセンカルボン酸、インドール酢酸、トランス-3-ジメトキシ-ヒドロキシケイ皮酸、α-シアノ-4-ヒドロキシケイ皮酸、1,4-ジフェニルブタジエン、3,4-ジヒドロキシケイ皮酸、9-アミノアクリジンなどがある。
【0014】
また、一般に質量分析の分野では、セントロイド処理後の線状のスペクトルを「マススペクトル」ということもあるが、ここでは「マススペクトル」はセントロイド処理がなされていないプロファイルスペクトルのことをいう。
【0015】
一般に、マトリクスはイオン化され易い物質であるため、マススペクトル上には比較的な大きな信号強度でマトリクス由来のピークが現れる。また、マトリクスの分子に1個のプロトンが付加したプロトン化分子又は1個のプロトンが脱離した脱プロトン化分子のイオンだけでなく、マトリクスの分子に不純物等に由来するナトリウム(Na)やカリウム(K)等の金属イオンが付加したイオンや、プロトンとそれら金属イオンとの組合せが付加したイオン、さらには、マトリクスの分子が複数重合した多量体にプロトン、金属イオン等が付加したイオン等、様々な種類のマトリクス由来のイオンピークがマススペクトルに現れる。このようにマトリクス由来のイオンピークの数(種類)は多く、一般に、その信号強度は大きい。そこで、本発明に係る質量分析装置及び質量較正方法では、こうしたマトリクス由来のピークを質量較正の基準ピークとして利用する。
【0016】
本発明に係る質量分析装置においては、当該質量分析装置による分析の際に使用されるマトリクスに由来する各種のイオンの理論上の質量電荷比の情報が、参照情報記憶部に格納される。一般的に使用されるマトリクスについてのイオンの種類と理論上の質量電荷比値の情報は、例えば装置のメーカが予め実験等により取得してユーザに提供するようにしてもよい。また、後述するように、ユーザが当該装置を用いてマトリクスを分析した結果に基づいて必要な情報が自動的に作成され、参照情報記憶部に記憶されるようにしてもよい。いずれにしても、使用される可能性がある様々な種類のマトリクスについての情報が、予め(目的試料に対する分析に先立って)参照情報記憶部に用意されていることが望ましい。
【0017】
上述したように参照情報記憶部に種々のマトリクスについてマトリクス由来のイオンの情報が格納されている場合、ユーザが目的試料を分析する際に使用する又は使用したマトリクスを指定すると、質量較正用基準ピーク検出部は指定されたマトリクスに対応するイオンの情報を参照情報記憶部から取得する。そして質量較正用基準ピーク検出部は、その取得した情報を利用して、目的試料を分析することで得られた実測のマススペクトル上で、マトリクス由来のイオンピークを検出する。
【0018】
具体的には例えば、マトリクスに由来する各種のイオンのピークの理論上の質量電荷比値に対し所定の質量電荷比幅の検出窓を設定し、その検出窓に入るピークをマトリクス由来のイオンピークとみなせばよい。ただし、その際に、後述するように、質量較正の基準とするのに適切でないと推定されるピークや信頼性の低いピークを除外する処理を行うことが好ましい。
【0019】
上記質量較正用基準ピーク検出部では、マトリクス由来のイオンピークが一つのみ検出される場合もあれば、複数検出される場合もある。質量較正情報算出部は、その検出されたマトリクス由来の一又は複数のイオンピークをそれぞれ質量較正の基準ピークとして、そのマトリクス由来のイオンピークについて実測された質量ずれを含む質量電荷比値と、該ピークに対応するイオンの理論上の質量電荷比値と、の差に基づいて質量較正情報を算出する。そして、質量較正実行部は、算出された質量較正情報を利用して、実測のマススペクトルにおいて観測される各ピークについての質量電荷比を補正して、より精度の高い(理論に近い)質量電荷比を求める。これにより、実測のマススペクトル上で観測される任意のピークの質量電荷比をより精度の高い値に較正することができる。
【0020】
なお、質量較正の基準となる一又は複数のピークが確定したあとの質量較正情報の求め方及び質量較正情報を利用した質量較正処理については、従来の、標準物質由来のイオンピークを質量較正の基準ピークとする質量較正法で利用されている各種の計算方法を利用することができる。
【0021】
また、本発明に係る質量分析装置が、例えば衝突誘起解離(CID)等の手法によりイオンを解離させるイオン解離部を備え、該イオン解離部で一段階又は複数段階解離されたプロダクトイオンを質量分析することが可能な構成である場合、上記質量較正実行部は、プロダクトイオンについてのマススペクトル、つまりはMSnスペクトル(nは2以上の整数)上で観測される任意のピークの質量電荷比を質量較正情報に基づいて較正するようにしてもよい。
【0022】
本発明に係る質量分析装置及び質量較正方法において、前記マトリクスに由来する各種のイオンは、アダクトイオン、多量体イオン、及び該多量体のアダクトイオンを含むものとすることができる。
【0023】
上述したように、質量較正用基準ピーク検出部は、実測のマススペクトル上でマトリクスに由来するイオンピークを検出するが、試料中の化合物由来のピークがマトリクス由来のイオンピークにごく近接して現れたり或いは重なって現れたりする場合がある。こうした状態にあるマトリクス由来イオンピークは、質量較正用の基準ピークとするのには不適切である。そこで、こうした不適切なピークを質量較正用の基準ピークとして選択するのを避けるために、以下のような態様のいずれか又は複数の態様の組合せを採ることが好ましい。
【0024】
即ち、本発明に係る質量分析装置の第1の態様において、前記基準質量較正用基準ピーク検出部は、マトリクスに由来する一種のイオンのピークの理論上の質量電荷比値に対し所定の質量電荷比幅の検出窓を設定し、その検出窓に入るピークが複数である場合、そのイオンに対応するピークを選択しないことを特徴としている。
【0025】
また、本発明に係る質量分析装置の第2の態様において、前記基準質量較正用基準ピーク検出部は、ピーク幅に基づいて、前記マトリクスに由来するイオンに対応するピークとして推定されるピークに他のピークの重なりがあるか否かを判定するピーク単一性判定部を含み、他のピークの重なりがあると判定された場合、そのイオンに対応するピークを選択しないことを特徴としている。
【0026】
一般に、マススペクトルに現れるピークの幅は、概ねそのピークの質量電荷比値と装置の質量分解能とに依存する。したがって、或るピークが質量電荷比値と装置の質量分解能とから求まる標準的なピーク幅に比べてかなり大きな幅を有している場合、そのピークは単一ピークではなく質量電荷比値が僅かに異なる複数のピークが重なっているものと推測するのが妥当である。そこで、上記構成の質量分析装置では、ピーク単一性判定部が、マトリクスに由来するイオンに対応するピークとして推定される実測のマススペクトル上のピークのピーク幅を算出し、そのピーク幅を質量電荷比値等に依存する閾値と比較して、他のピークの重なりがあるか否かを判定する。
【0027】
これにより、マススペクトル上では一つのピークに見えるピークに、他のピークが重なっているか否かを的確に判定し、不適切なピークが質量較正の基準ピークとなることを避けることができる。
【0028】
また、本発明に係る質量分析装置の第3の態様において、前記基準質量較正用基準ピーク検出部は、ピークを構成する複数のデータから算出される重心に対応する質量電荷比値と該ピークの頂点に対応する質量電荷比値とに基づいて、前記マトリクスに由来するイオンに対応するピークとして推定されるピークに他のピークの重なりがあるか否かを判定するピーク単一性判定部を含み、他のピークの重なりがあると判定された場合、そのイオンに対応するピークを選択しないことを特徴としている。
【0029】
一般に、マススペクトルに現れるピークが単一ピークである場合、そのピーク波形の形状はピークの頂点を通る垂線を中心に左右対称形状である。そのため、ピークの重心に対応する質量電荷比値と該ピークの頂点に対応する質量電荷比値とはほぼ一致している。これに対し、或るピークに質量電荷比が相違する別のピークが重なると、ピーク波形の左右対称性が崩れるため、ピークの重心に対応する質量電荷比値と該ピークの頂点に対応する質量電荷比値とのずれが大きくなる。そこで、上記構成の質量分析装置では、ピーク単一性判定部が、ピークを構成する複数のデータから該ピークの重心を求め、この重心に対応する質量電荷比値と該ピークの頂点に対応する質量電荷比値との差を閾値と比較して、他のピークの重なりがあるか否かを判定する。
【0030】
これにより、第2の態様と同様に、マススペクトル上では一つのピークに見えるピークに、他のピークが重なっているか否かを的確に判定し、不適切なピークが質量較正の基準ピークとなることを避けることができる。
【0031】
また本発明に係る質量分析装置では、参照情報記憶部に格納される情報は装置メーカからユーザに提供されるようにすることが望ましいものの、マトリクスとしてはあまり一般的でない化合物をユーザが独自にマトリクスとして使用する場合もあり得る。
【0032】
そこで、本発明に係る質量分析装置では、マトリクスを当該質量分析装置で分析することで取得されたマススペクトルに基づいて、実際に検出される該マトリクス由来の各種のイオンの、理論上の質量電荷比に関する情報を作成して前記参照情報記憶部に格納する参照情報作成部、をさらに備える構成としてもよい。
【0033】
参照情報作成部は、ユーザが用意したマトリクスを当該質量分析装置で質量分析した結果に基づくマススペクトルが得られると、該マススペクトル上で観測されているピークを検出する。そして、例えばそのピークの質量電荷比値とユーザにより入力されたマトリクスの情報(化学式や理論上の質量など)とに基づいて、検出された各ピークのイオンの種類(例えばプロトン付加イオン、Na付加イオン等)を特定する。そして、種類が特定されたイオンについて理論上の質量電荷比値を計算し、イオン種と理論上の質量電荷比値とを対応付けた参照情報を作成すればよい。また、マススペクトル上で検出される各ピークに対応する理論上の質量電荷比値は、自動的な計算によらず、ユーザに入力させるようにしてもよい。
【0034】
また、一般的には、上記「理論上の質量電荷比値」は文字通りに理論的な計算により求まる質量電荷比であることが好ましいものの、場合によっては、ユーザがマトリクスを分析した時点を基準とした簡易的な質量較正でよい、つまり、その基準の時点からの装置の変動等に起因する質量ずれのみを補正すれば十分である場合もある。その際には、上記参照情報作成部は、マススペクトル上で実際に検出されるマトリクス由来の各種のイオンピークの質量電荷比値を求め、この質量電荷比値を理論上の質量電荷比値であるとみなして参照情報を作成してもよい。
【0035】
また本発明に係る質量分析装置では、マトリクス由来のイオンピークを質量較正の基準ピークとしているが、試料に添加される標準物質由来のイオンピークが十分なSN比や信号強度で以て検出可能である場合には、そうしたピークも質量較正の基準ピークとして利用してもよい。特に、質量電荷比によって質量ずれ量が相違する場合、質量較正用基準ピークの数が多いほうが質量較正の精度が向上する。そこで、マトリクス由来のイオンピークと標準物質由来のイオンピークとを共に質量較正用基準ピークとして用いるようにしてもよい。
【0036】
また本発明に係る質量分析装置及び質量較正方法は、サンプルプレート上にスポッティングされた試料中の化合物をMALDI法でイオン化して質量分析する構成に適用可能であることは当然であるが、イメージング質量分析装置に適用可能であることも当然である。
【0037】
即ち、本発明に係る質量分析装置は、試料上の2次元的な測定領域内の複数の測定点についてそれぞれ質量分析を実施することによりイメージング質量分析が可能である質量分析装置であって、
測定領域内の各測定点において取得されたマススペクトルに基づいて、前記質量較正用基準ピーク検出部、前記質量較正情報算出部、及び前記質量較正実行部により、測定点毎にマススペクトルで観測されるピークについての質量較正を行う構成とすることができる。
【0038】
この構成によれば、試料上の測定領域内の各測定点においてそれぞれ質量較正が実施されるので、例えば試料表面の凹凸が比較的大きく測定点毎に質量ずれ量に差があるような場合であっても、いずれの測定点においても良好な質量較正が可能である。それにより、例えば特定の質量電荷比値におけるイオンの強度分布を示す質量分析イメージング画像を作成して表示するような場合に、精度の高い分布情報を得ることができる。
【0039】
もちろん、一つの測定点において得られるマススペクトルでは、マトリクス由来のイオンピークが十分な信号強度で得られないような場合には、隣接する複数の測定点において得られる複数のマススペクトルを加算し、その加算したマススペクトル上で観測されるマトリクス由来のイオンピークを質量較正の基準ピークとしてもよい。また、測定領域内の全ての測定点において得られるマススペクトルを全て加算してもよい。
【発明の効果】
【0040】
本発明に係る質量分析装置及び質量較正方法によれば、標準物質等の質量較正用の化合物を使用することなく、或いは、そうした化合物由来のイオンのピークが十分なSN比又は信号強度で以て観測できない場合であっても、マトリクス由来のイオンピークを質量較正用の基準ピークとすることで正確な質量較正を行うことができる。
【0041】
また、本発明に係る質量分析装置の好ましい構成によれば、質量較正の基準としたいマトリクス由来のイオンピークに他のピークが重なってしまって一つのピークに見えるような場合でも、そうしたピークを質量較正の基準ピークとして採用することなく、ピークの重なりがない信頼性がより高い他のマトリクス由来のイオンピークを質量較正の基準として質量較正を行うことができる。それにより、質量較正の正確性を一段と高めることができる。
【図面の簡単な説明】
【0042】
図1】本発明の一実施例であるイメージング質量分析システムの要部の構成図。
図2】マトリクスとしてDHBを使用したときに観測されるマトリクス由来の各種イオンとその理論上の質量電荷比値の一例を示す図。
図3】本実施例のイメージング質量分析システムにおいてマトリクス由来のイオンピークを検出する際の処理動作の説明図(単一ピークである場合)。
図4】本実施例のイメージング質量分析システムにおいてマトリクス由来のイオンピークを検出する際の処理動作の説明図(複数のピークである場合)。
図5】本実施例のイメージング質量分析システムにおいてマトリクス由来のイオンピークを検出する際の処理動作の説明図(ピークが重なっていて単一ピークに見える場合)。
図6】m/z値が僅かに異なり信号強度がほぼ同じである二つのピークが重なっている状態を説明するための概略図。
図7】m/z値が僅かに異なり信号強度が相違する複数のピークが重なっている状態を説明するための概略図。
図8】本実施例のイメージング質量分析システムにおいてピークの単一性を判定する処理の説明図。
図9】本実施例のイメージング質量分析システムにおいてピークの単一性を判定する処理の説明図。
図10】本実施例のイメージング質量分析システムにおいて一つの測定点で得られるマトリクス由来のイオンの強度が不足している場合の処理の説明図。
【発明を実施するための形態】
【0043】
以下、本発明に係る質量分析装置の一実施例であるイメージング質量分析システムについて、添付図面を参照して説明する。
図1は本実施例のイメージング質量分析システムの要部の構成図である。
本実施例のイメージング質量分析システムは、測定部1、データ処理部3、制御部4、入力部5、表示部6等を含む。
【0044】
測定部1は、試料11が載置される試料ステージ10と、該試料ステージ10を互いに直交するX、Yの二軸方向に移動させるステージ駆動部12と、MALDI(大気圧MALDI)法によるイオン化を行うためのレーザ照射部13と、試料11から発生したイオンを質量電荷比に応じて分離する質量分離部14と、質量分離部14で分離されたイオンを順次検出する検出部15と、を含む。ここでは質量分離部14は飛行時間型質量分離器である。検出部15から出力される検出信号はアナログデジタル変換器(ADC)2に入力され、アナログデジタル変換器2でデジタル化されたデータがデータ処理部3に入力される。
【0045】
データ処理部3は、マススペクトルデータ格納部30、マトリクス由来ピーク情報取得部31、マトリクス由来ピーク情報記憶部32、質量較正用基準ピーク検出部33、ピーク単一性判定部34、質量較正情報算出部35、質量較正情報記憶部36、質量較正処理部37、などの機能ブロックを含む。
なお、データ処理部3や制御部4の少なくとも一部の実体はパーソナルコンピュータ又はより高性能のコンピュータであるワークステーションであり、そうしたコンピュータにインストールされた専用の制御・処理ソフトウェアがそのコンピュータ上で動作することにより上記各機能ブロックの機能が達成される構成とすることができる。
【0046】
本実施例のイメージング質量分析システムの測定部1における測定動作を説明する。ここでは、試料11はマウス肝臓などの生体組織から切り出された切片などである。そうした試料11の表面のほぼ全体に所定のマトリクスが塗布される。MALDI用のマトリクスには上で例示したような様々な化合物が用いられており、測定対象物質の種類やイオンの極性などに応じて適宜のマトリクスが選択される。
【0047】
試料11上の測定領域内の所定の測定点が、レーザ照射部13から出射されるレーザ光の照射位置に来るように、ステージ駆動部12により試料ステージ10がXーY面内で移動される。測定対象である一つの測定点がレーザ光の照射位置にあるときに、レーザ照射部13からレーザ光がパルス状に試料11に照射される。すると、レーザ光が照射された測定点付近の試料11中の成分がマトリクスの補助を受けてイオン化される。発生したイオンは試料11近傍から引き出され、質量分離部14に導入される。試料11から発生するイオンは様々な質量電荷比を有するイオンが混じったものであるが、質量分離部14において質量電荷比に応じてイオンは分離される。そして、イオンは質量電荷比が小さいものから順に検出部15に到達し、検出部15は入射したイオンの量に応じた検出信号を出力する。
【0048】
この検出信号がADC2においてデジタル化され、データ処理部3に入力される。レーザ光が照射された時点から所定の時間範囲内にデータ処理部3に入力される一連のデータが、データ処理部3においてマススペクトルを作成するための元のデータである。入力されるデータはイオンの飛行時間と信号強度との関係を示す飛行時間スペクトルデータであるが、データ処理部3において飛行時間は質量電荷比に換算され、イオンの質量電荷比と信号強度との関係を示すマススペクトルデータとしてマススペクトルデータ格納部30に保存される。
【0049】
或る一つの測定点について上述したような測定が終了すると、測定領域内の別の測定点がレーザ光照射位置に来るように、ステージ駆動部12により試料ステージ10がXーY面内で移動される。試料11上の測定領域内の全ての測定点について、試料ステージ10の移動(つまりは試料11の移動)とレーザ光の照射による分析を繰り返すことで、測定領域全体についての質量分析イメージング画像を作成するためのマススペクトルデータの収集が完了する。
【0050】
このようにMALDI法によるイオン化を行う質量分析装置では、試料11中の成分(化合物)だけでなくマトリクスに由来する各種のイオンが発生する。もともとマトリクスとして用いられる化合物の多くはイオン化され易い物質であるため、マトリクス由来のイオンの量は比較的多く、そのためにマススペクトル上にはマトリクス由来のイオンのピークが比較的大きな信号強度で現れる。また、イオン化の際に、マトリクスの分子に1個のプロトン(H)が付加したプロトン化分子や1個のプロトンが脱離した脱プロトン化分子のイオンのほかに、不純物として存在するNaやKのイオンが上記プロトン化分子や脱プロトン化分子に付加したり、それらを組み合わせた-H+2K、-H+2Na(ここで、-Hは1個のプロトンが脱離することを意味し、+2K、+2NaはK、Naイオンが2個付加することを意味する)が付加したりしたアダクトイオンが発生する。また、マトリクスの分子が複数重合した多量体にH、Na、Kが付加したりそれらの組合せが付加したりする場合もあるし、マトリクス分子やその多量体からH2Oなどの特定の分子が電荷を持たずに脱離し、それにH、Na、Kが付加したりそれらの組合せが付加したりする場合もある。
【0051】
図2は、マトリクスとしてごく一般的である2,5-ジヒドロキシ安息香酸(DHB)を使用した場合に、m/z 400以下の質量電荷比範囲に現れるマトリクス由来のイオンの種類とその理論上の質量電荷比値とをまとめたものである。図2において、「M」はDHBの分子を表し、「2M」はDHBの二量体である。この図から分かるように、一つのマトリクス由来のイオンは多種類である。しかもそれらイオンの質量電荷比は、少なくとも一般的な質量分析装置の質量精度で十分に識別可能である程度に、それぞれ異なる。また、試料に含まれる化合物の影響のために、必ずしもマトリクス由来の全てのイオン種が十分に高い信号強度で観測されるとは限らないが、少なくともその一部は十分に高い信号強度で観測されることになる。そこで、本実施例のイメージング質量分析システムでは、こうしたマトリクス由来のイオンのピークを基準ピークとして質量較正を行うようにしている。以下、その質量較正の手順及び処理について図3図9を参照しつつ詳述する。
【0052】
[マトリクスに由来するイオン種のピークリストの作成]
目的試料の分析に先立つ適宜の時点で、分析に使用するマトリクスについて該マトリクス由来のイオンのピークリストを作成してマトリクス由来ピーク情報記憶部32に記憶させておくことが必要である。このピークリストは、図2に示したように、一つのマトリクスに由来する様々なイオン種の理論上の質量電荷比値(以下、適宜、m/z値と称す)をリスト化したものである。ただし、上述したようにマトリクスとしては様々な化合物が使用される可能性があり、分析の実行直前にピークリストを作成するのは効率が悪い。そこで一般には、分析に使用する可能性がある各種マトリクスをユーザが用意し、各マトリクスを実測した結果に基づいて各マトリクスについてのピークリストを予め作成して記憶させておくとよい。
【0053】
本実施例のイメージング質量分析システムにおいて、マトリクス由来ピーク情報取得部31は上述したようなユーザによる、マトリクス由来のイオンのピークリストを作成する作業を支援する機能を有する。
【0054】
即ち、ユーザが純粋なマトリクスのみの試料を用意すると、制御部4の制御の下で測定部1はその試料に対する質量分析を実行し、データ処理部3はその分析により得られたデータに基づいてマススペクトルを作成する。なお、ピークリスト作成のための分析の際には、質量精度を高めるために、装置の周囲温度、電源電圧などが予め決められた状態になるようにすることが望ましい。また、ユーザはそのマトリクスの化合物の情報として少なくとも理論上の質量(精密な質量)又は化学式を入力部5から入力する。化学式が入力された場合、マトリクス由来ピーク情報取得部31はその化学式から理論上の質量を計算する。
【0055】
取得されたマススペクトルには、マトリクス由来の各種イオンのピークが現れる。マトリクス由来ピーク情報取得部31は得られたマススペクトルについて所定のアルゴリズムに従ってピークを検出し、検出された各ピークのm/z値を求める。この場合、マススペクトル上の各ピークは孤立した単一ピークであるので、ピークの頂部に対応するm/z値又はピークの重心位置に対応するm/z値のいずれでもよい。上述したように、マトリクス由来のイオンは多種類であるため、多数のピークが検出される。各ピークの実測のm/z値は装置の質量分解能などに依存する誤差を含むが、上述したように装置状態が適切に管理されていれば、その誤差は小さい。そこで、マトリクス由来ピーク情報取得部31は、検出された各ピークのm/z値とマトリクスの理論上の質量から計算される各種のイオン種のm/z値とを比較し、各ピークがいずれのイオン種であるのかを同定する。なお、マトリクス由来のイオン種は、図2に示したような各種のアダクトイオン、多量体、多量体のアダクトイオン、H2Oなどの特定の物質の脱離などを予め想定して決めておけばよい。
【0056】
上記処理により、マトリクスに対する実測のマススペクトル上で観測される各ピークのイオン種が判明するから、マトリクス由来ピーク情報取得部31はその結果に基づき、分析したマトリクスに由来する、実際に観測できたイオン種の理論上のm/z値を列記したピークリストを作成する。そして、作成したピークリストをマトリクスの名称又は識別子等に対応付けてマトリクス由来ピーク情報記憶部32に記憶する。なお、実測のマススペクトル上のピークを同定する作業は全て自動的に行うのではなく、ユーザが表示部6に表示されたマススペクトルを見ながら手動で行うようにしてもよい。また、自動的に同定された結果をユーザが適宜修正したり追加したりできるようにしてもよい。
【0057】
上述したように、ユーザは分析に使用する可能性のあるマトリクスについて一つずつ分析を実施し、そのマトリクスに由来するイオン種のピークリストを作成してマトリクス由来ピーク情報記憶部32に記憶させておく。
【0058】
なお、DHB、α-シアノ-4-ヒドロキシケイ皮酸(CACH)など、MALDI法でごく一般的に用いられるマトリクスに由来するイオンのピークリストは、装置メーカが当該装置を出荷する段階で予めマトリクス由来ピーク情報記憶部32に記憶させておいたり、或いは、あとからライブラリソフトウェアとして装置メーカからユーザに提供されたりするようにしてもよい。
【0059】
より正確な質量較正を行うには、ピークリストに記載されているm/z値は理論上のm/z値であることが望ましい。ただし、例えば装置を導入した初期時点等の基準時点からの装置の経時変化や電源電圧の変動、周囲温度の変動などに起因する質量ずれのみを補正すれば十分であるような場合には、上述した、マトリクスのみの試料を分析した際に求まった実測のm/z値が理論上のm/z値にほぼ近いとみなし、これをピークリストに記載されるm/z値としても構わない。その場合、マトリクスに由来する各イオン種の理論上のm/z値の計算は不要である。
【0060】
目的とする試料11に対するイメージング質量分析を実施することで得られた各測定点のマススペクトルに現れている各種化合物由来のピークの質量較正は以下の手順で行う。なお、分析に際してユーザは入力部5から分析に使用するマトリクスの種類を指定する。このとき、例えばマトリクス由来ピーク情報記憶部32にピークリストが格納されているマトリクスの一覧が表示部6の画面上に表示され、ユーザがその中から使用するマトリクスを入力部5により選択指示することができるようにするとよい。
【0061】
[実試料のマススペクトルにおけるマトリクス由来のピークの同定]
質量較正用基準ピーク検出部33は、上記のように選択指示されたマトリクスに対応するピークリストをマトリクス由来ピーク情報記憶部32から読み出す。そして、一つの測定点に対する実測マススペクトルにおいて観測される多数のピークの中から、読み出したピークリスト中の各m/z値を中心とした所定の許容幅を有する検出窓内に入るピークを選択する。この許容幅は測定部1の質量精度に応じて決めるとよい。ここでいう質量精度は、特定の時間範囲内、温度範囲内、電源電圧の変動範囲内でマススペクトルのピークの位置(m/z値)が真の値からずれる最大量のことである。
【0062】
図3図5はピークの検出動作を説明するための概念図である。図3図5では、ピークリスト中のm/z値を中心としてm/zの増加方向及び減少方向にそれぞれ幅Δmの検出窓が設定されている。ピークリスト中には多数のm/z値が挙げられており、その一つ一つについて上述したように検出窓内に存在するピークを検出する処理を行うが、次の場合、ピークリスト中のそのイオン種(つまりはm/z値)を質量較正の基準ピークから除外する。
(A)検出窓内に複数のピークが存在する場合。
(B)検出窓内に存在するピークは一つであるものの、そのピークが複数のピークが重なっているものと推定される場合。
【0063】
図3は上記(A)、(B)のいずれにも該当しないケースであり、このときには検出された一つのピークがマトリクス由来のイオン種のピークであるとして同定され、質量較正の基準ピークとして採用される。一方、図4は上記(A)に該当するケースであり、これらピークは質量較正の基準ピークとして採用されない。このようにピークが複数であるか否かの判定は簡単である。これに対し、上記(B)のケースの判定は一般に困難である。そこで、ここでは、図3又は図5に示すように検出されたピークが一つである場合に、ピーク単一性判定部34は次に述べるいずれか一つの方法又は複数の方法の組合せを用いて、検出された一つに見えるピークが複数のピークの重なりでないか否かを判定する。
【0064】
なお、上記(A)のケースでは、検出窓内に含まれる複数のピークのうち、その質量がピークリストのm/z値に最も近いものを、質量較正の基準ピークとして採用してもよい。又は、強度値が最も大きなものを質量較正の基準ピークとして採用してもよい。
【0065】
[ピーク幅を利用したピーク単一性の判定処理]
図6(a)に示すように、マススペクトル上で信号強度値がほぼ同じでm/z値が僅かに相違する二つのピークが重なっていると、図6(b)に示すように、見かけ上、一つのピークしか存在しないように見えることがある。また、信号強度値に差がある複数のピークが少しずれて重なっていると、図7に示すように、ピーク割れやピークショルダが観測される。このように複数のピークが重なっている場合、ピークの拡がりが通常の、つまりは単一のピークとは異なる。そこで、一つに見えるピークであっても、そのピークの幅を利用して、マトリクス由来の純粋なイオンピークであるか否かを判定することができる。
【0066】
一般に、ピーク幅(半値全幅)はそのピークのm/z値を質量分解能の値で除した値に近くなる。例えば、図6(a)において重なっている二つのピークのピーク幅はそれぞれ、m1/R、m2/R(ここでRは質量分解能)程度である。そのため、この値よりも大幅に大きなピーク幅を有するピークは、複数の化合物由来のピークが重なっているものと判断できる。そこで、ピーク単一性判定部34は、検出窓内に検出された一つのピークのピーク幅を算出する。そして、得られたピーク幅が、その装置に予め定められている質量分解能Rでそのピークの理論上のm/z値を除した値(例えば図6(b)ではm3/R)に所定の許容値を加算した閾値を超えているか否かを判定する。実際のピークのピーク幅がその閾値を超えている場合には、そのピークは単一のピークではないと判断し、質量較正の基準ピークから除外する。
なお、マススペクトルデータに対してスムージング処理を実行しピーク波形形状を滑らかにしたあとにピーク幅を求めるようにしてもよい。
【0067】
[ピークトップの位置とピークの重心位置との相違を利用したピーク単一性の判定]
一般に、単一ピークの波形形状はピークトップを通る垂線に対し軸対称であることが多い。これに対し、図7に示した例のように、m/z値が僅かに異なり信号強度値にも差がある二つのピークが重なっている場合、そのピーク波形形状は左右非対称になる。ピークの波形形状が左右非対称である場合、ピークの重心に対応するm/z値とピークトップに対応するm/z値とで差が生じるから、この差が所定閾値以上であるか否かを判定することで、そのピークが単一のピークであるか否かを判断することができる。
【0068】
また、装置によってはピークの波形形状が左右対称にはならない場合もあるが、その場合であってもピーク波形は所定の分布形状に従っており、ピークトップの位置と重心位置との差やその差を重心の値で除した値などはほぼ一定となる。そこで、こうした値が所定の閾値以上であるか否かを判定することで、そのピークが単一のピークであるか否かを判断することができる。
【0069】
具体的には、ピーク単一性判定部34は以下の手順で処理を進める。
ピーク単一性判定部34はピークのピークトップを特定するために、マススペクトル上の所定のm/z値範囲内の一つの特定のデータ点の信号強度値とその前後のデータ点の信号強度値とを比較し、その特定のデータ点の前後で信号強度値が増加しているか又は減少しているかを判定する。そして、所定のm/z値範囲内で特定のデータ点を一つずつずらしながら上記判定を繰り返し、一つのデータ点の前後で信号強度値が増加から減少に転じる特定のデータ点を見つけ、これをピークトップとして決定する。図8に示す例では、m/z値がm3
であるデータ点がピークトップである。
【0070】
次に、ピークトップのデータ点を挟んだ前後の複数のデータ点の中で、ピークトップの信号強度値topIdxに所定の係数(ただし係数<1)を乗じた値を閾値とし、その閾値以上の信号強度値を有するデータ点をそのピークを構成するデータ点として抽出する。図8に示した例では、m/z値がm1で信号強度値がI1であるデータ点はピークを構成するデータ点となるが、m/z値がm0で信号強度値がI0であるデータ点はI0が閾値未満であるので、ピークを構成するデータ点から外れる。そして、横軸に平行である閾値のラインとピークプロファイルとが交わる点の間mend[0]~mend[1]図8中の斜線で示す範囲をピーク範囲と定義し、このピーク範囲において重心位置を計算する。そして、その重心位置に対応するm/z値を求める。
【0071】
なお、図9に示すように、隣接するピークの重なり等の原因によってピークの端部のデータ点の信号強度値が閾値を下回らない場合には、図9(a)、(b)中に点線で示したように、信号強度が減少する筈である隣接するデータ点(図9(a)ではm/zがm-1であるデータ点、図9(b)ではm/zがm5であるデータ点)の信号強度値が0になるとみなしてピークプロファイルを外挿する。そして、その外挿線と閾値との交点を求め、その交点をピーク範囲の端部とすればよい。もちろん、重心位置を計算のためのピーク範囲の定め方はここで説明したものに限らない。
【0072】
重心位置に対応するm/z値が求まったならば、ピーク単一性判定部34は、そのm/z値とピークトップに対応するm/z値と差を計算し、その差が予め決めた許容値を超えているか否かを判定する。そして、m/z値差が許容値を超えている場合にはピークが重なっていると判断し、そのピークを質量較正の基準ピークから除外する。
なお、この場合にも、マススペクトルデータについてスムージング処理を実行したあとに、上記一連の処理を行ってもよい。
【0073】
[ピークの拡がりの確率分布を利用したピーク単一性の判定]
ピークが単一ピークである場合、一般に、そのピーク波形は所定の確率分布に近似できる。そこで、ピーク単一性判定部34は、検出したピーク全体又はその一部を含む所定のm/z値範囲に含まれるデータ点から、そのピークの拡がりの確率分布を計算する。そして、その確率分布が予め定めておいた確率分布に従っているとみなせるか否かを判定することで、ピークの単一性を判断する。
【0074】
ピークの単一性、つまりは純粋性を判定する方法は上記記載のものに限らず、従来から知られている他の方法を用いてもよい。また、通常、一つの方法ではピークの単一性を正確に判定することは難しいため、複数の判定方法を併用し、例えば複数の方法のいずれかで単一ピークでないと判定された場合に質量較正の基準ピークから除外する処理を行うとよい。
【0075】
上述したような処理により、マトリクス由来のイオンピークの中で質量較正に利用する一又は複数の基準ピークが決まったならば、質量較正情報算出部35は例えば以下のようにして質量較正情報を算出する。
【0076】
即ち、或る化合物の実測のm/z値とその化合物の理論上のm/z値との関係は、例えば次の(1)式で近似することができる。
√(実測のm/z値)=a・√(理論上のm/z値)+b …(1)
質量較正用基準ピーク検出部33で検出された基準ピークの位置が実測のm/z値であり、ピークリストからそのピークの理論上のm/z値も既知である。そこで、質量較正情報算出部35は、それらを(1)式に適用して係数a、bを算出する。基準ピークが二つである場合には、(1)式を単純な一次方程式として係数a、bを算出すればよい。また、基準ピークが三以上である場合には、最小二乗法を用い(1)式に一次回帰させて係数a、bを算出すればよい。或いは、基準ピークが三以上である場合には、m/z範囲を隣接する二つの基準ピークの間毎の区間に区切り、各区間においてその両端の基準ピークから係数a、bを算出してもよい。また、基準ピークが一つのみである場合には、係数bを0として係数aを算出すればよい。このようにして求めた係数a、bを質量較正情報として質量較正情報記憶部36に記憶させる。
【0077】
なお、実測のm/z値とその化合物の理論上のm/z値との関係は質量分析装置の原理によって異なり(1)式に限るものではないが、実測のm/z値は理論上のm/z値の多項式で表せる場合が多い。その多項式の係数を基準ピークの実測値から決めるとよい。基準ピークの数が多項式の係数の数より少ない場合、高次の項の係数から順に決めて低次の係数は0にするとよい。
【0078】
質量較正処理部37は、実測マススペクトル上で観測される目的化合物由来のピーク(又は任意のピーク)のm/z値に対し、上記係数a、bを適用した(1)式に基づいてm/z値を補正して、より正確なm/z値を算出する。これが、様々な要因による質量ずれが補正された、精度の高いm/z値である。
【0079】
イメージング質量分析では、測定領域内の測定点毎に試料11の高さが相違する等の原因で質量ずれ量が相違することが多い。また、試料11に塗布されるマトリクスの不均一性や試料11に含まれる成分の影響等のために、測定点によってマトリクス由来の一部のイオン種が観測できない場合もある。そこで、好ましくは、測定点毎にそれぞれ得られた実測マススペクトルについて上述したような処理を実施して質量較正情報を求め、その質量較正情報を利用して、実測マススペクトル上で観測される目的化合物由来のイオンのm/z値を補正するとよい。
【0080】
一方、場合によっては、一つの測定点において得られた実測のマススペクトル上でマトリクス由来のイオンピークが十分な信号強度で観測されず、質量較正用基準ピーク検出部33で基準ピークを検出することができないことがある(図10(b)参照)。その場合には、図10(c)に示すように、一つの測定点とそれに隣接する複数(この例では8個)の測定点とにおいてそれぞれ得られたマススペクトルを積算し、その積算したマススペクトルについて上述したような処理を実施して質量較正情報を求めるようにしてもよい。こうした求めた質量較正情報を利用して、上記一つの測定において得られた実測のマススペクトル上で観測されるピークのm/z値を補正すればよい。或いは、測定点毎に、質量較正用の基準ピークとして採用可能なマトリクス由来のイオンピークが所定の信号強度値以上で以て存在するか否かを判定し、存在する場合にはその測定点単独のマススペクトルに基づいて質量較正情報を算出し、存在しない場合にのみ複数の測定点におけるマススペクトルを積算したマススペクトルに基づいて質量較正情報を算出してもよい。
【0081】
さらにまた、測定領域全体の測定点や、測定領域の中でユーザの指定により又は自動的に設定された関心領域に含まれる複数の測定点におけるマススペクトルを積算したマススペクトルに基づいて質量較正情報を算出し、その質量較正情報を用いて測定領域全体の測定点又は関心領域に含まれる測定点におけるマススペクトル上のピークのm/z値を補正してもよい。
【0082】
さらにまた、マトリクス由来のイオンピークだけでなく、それ以外のピーク、例えば標準物質のイオンピークも質量較正用基準ピークとして利用するようにしてもよい。例えば、標準物質のイオンピークが十分な信号強度で観測される場合には、その標準物質のイオンピークを質量較正用基準ピークとして用い、標準物質のイオンピークが十分な信号強度で観測される場合にマトリクス由来のイオンピークを質量較正用基準ピークとしてもよい。或いは、標準物質のイオンピークとマトリクス由来のイオンピークとで信号強度が大きいほう又はSN比が良好であるほうを質量較正用基準ピークとして採用することも可能である。また、質量較正用基準ピークとして標準物質のイオンピークとマトリクス由来のイオンピークとのいずれを使用するのかをユーザが選択できるようにしてもよい。
【0083】
また上記実施例は本発明をMALDIイオン源を搭載した質量分析装置に適用した例であるが、MALDI法以外でもイオン化の補助にマトリクスを利用する場合がある。例えばSIMS法では一次イオンを固体試料に照射して該試料中の成分をイオン化するが、その際にもMALDI法と同様に試料にマトリクスが塗布されることがある。そうした場合にも本発明を適用できることは明らかである。
【0084】
なお、上記実施例や各種の変形例も本発明の一例にすぎず、本発明の趣旨の範囲で適宜に変更、修正、追加を行っても本願特許請求の範囲に包含されることは当然である。
【符号の説明】
【0085】
1…測定部
10…試料ステージ
11…試料
12…ステージ駆動部
13…レーザ照射部
14…質量分離部
15…検出部
2…アナログデジタル変換器(ADC)
3…データ処理部
30…マススペクトルデータ格納部
31…マトリクス由来ピーク情報取得部
32…マトリクス由来ピーク情報記憶部
33…質量較正用基準ピーク検出部
34…ピーク単一性判定部
35…質量較正情報算出部
36…質量較正情報記憶部
37…質量較正処理部
4…制御部
5…入力部
6…表示部
図1
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図10