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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2022-05-16
(45)【発行日】2022-05-24
(54)【発明の名称】質量分析装置
(51)【国際特許分類】
   H01J 49/42 20060101AFI20220517BHJP
   H01J 49/00 20060101ALI20220517BHJP
   H01J 49/02 20060101ALI20220517BHJP
【FI】
H01J49/42
H01J49/00 310
H01J49/00 360
H01J49/42 400
H01J49/42 900
H01J49/02 200
【請求項の数】 4
(21)【出願番号】P 2020572073
(86)(22)【出願日】2019-08-01
(86)【国際出願番号】 JP2019030136
(87)【国際公開番号】W WO2020166111
(87)【国際公開日】2020-08-20
【審査請求日】2021-05-28
(31)【優先権主張番号】P 2019024230
(32)【優先日】2019-02-14
(33)【優先権主張国・地域又は機関】JP
(73)【特許権者】
【識別番号】000001993
【氏名又は名称】株式会社島津製作所
(74)【代理人】
【識別番号】110001069
【氏名又は名称】特許業務法人京都国際特許事務所
(72)【発明者】
【氏名】狭間 一
【審査官】右▲高▼ 孝幸
(56)【参考文献】
【文献】特開2009-277376(JP,A)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
H01J 49/00
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
3以上の電極で囲まれる空間にイオンを捕捉するイオントラップを有し、少なくとも1つの電極にイオン捕捉用の矩形波電圧を印加しつつ該電極とは異なる対向配置された一対の電極にそれぞれ共鳴励起用の矩形波電圧を印加することにより、特定の質量電荷比を有するイオンを共鳴励起により選択的にイオントラップ内から排出して検出する質量分析装置において、
イオン捕捉用矩形波電圧及び共鳴励起用矩形波電圧を生成する電圧発生部と、
精密な質量電荷比値が既知である複数の較正用試料を対象として、前記イオン捕捉用矩形波高電圧の電圧振幅を調整しつつ、検出対象のイオンの質量電荷比を走査するように前記イオン捕捉用矩形波高電圧及び前記共鳴励起用矩形波電圧の周波数を同期的に走査する質量分析を実施した結果に基づいて、前記複数の較正用試料にそれぞれ対応する質量電荷比における質量誤差が許容範囲に収まる電圧振幅調整情報を取得する電圧振幅調整情報取得部と、
目的試料に対する所定の質量電荷比範囲に亘る質量分析の実行時に、前記電圧振幅調整情報に基づいて、前記イオン捕捉用矩形波高電圧及び前記共鳴励起用矩形波電圧の周波数の走査に伴ってイオン捕捉用矩形波高電圧の電圧振幅を変化させるように前記電圧発生部を制御する制御部と、
を備える質量分析装置。
【請求項2】
前記電圧振幅調整情報取得部は、前記較正用試料について前記イオン捕捉用矩形波高電圧の電圧振幅の調整量と質量電荷比の変化量との関係を示す情報が予め格納された事前情報格納部を有し、
前記較正用試料に対する質量分析の実行時に、前記事前情報格納部に格納されている情報に基づいて前記イオン捕捉用矩形波高電圧の電圧振幅を調整する、請求項1に記載の質量分析装置。
【請求項3】
前記複数の較正用試料のうちの少なくとも二つについて、前記イオン捕捉用矩形波高電圧の電圧振幅を一定に保ちつつ質量分析を実施した結果に基づいて、所定の質量電荷比範囲に亘る質量誤差を補正する較正情報を算出する質量較正情報算出部、をさらに備え、
前記電圧振幅調整情報取得部は、前記較正情報を利用した質量較正を実施したうえで質量誤差を求める、請求項1に記載の質量分析装置。
【請求項4】
前記複数の較正用試料のうちの少なくとも二つについて、前記イオン捕捉用矩形波高電圧の電圧振幅を一定に保ちつつ質量分析を実施した結果に基づいて、所定の質量電荷比範囲に亘る質量誤差を補正する較正情報を算出する質量較正情報算出部、をさらに備え、
前記電圧振幅調整情報取得部は、前記較正情報を利用した質量較正を実施したうえで質量誤差を求める、請求項2に記載の質量分析装置。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、高周波電場の作用によってイオンを捕捉するイオントラップを備える質量分析装置に関する。
【背景技術】
【0002】
質量分析装置においてイオントラップは、高周波電場の作用によりイオンを捕捉して閉じ込めたり、特定の質量電荷比m/zを持つイオンを選別したり、さらにはそうして選別したイオンを解離させたりするために用いられる。イオントラップとしては、内面が回転1葉双曲面形状である1個のリング電極と、リング電極を挟んで対向して配置された内面が回転2葉双曲面形状である一対のエンドキャップ電極とからなる3次元四重極型イオントラップや、互いに平行に配置された4本の略円柱状のロッド電極から成るリニア型イオントラップがよく知られている。本明細書では、便宜上、「3次元四重極型イオントラップ」を例に挙げてイオントラップの説明を行う。
【0003】
一般的なイオントラップでは、通常、リング電極に正弦波状の高周波電圧を印加することで、リング電極及びエンドキャップ電極で囲まれる空間にイオン捕捉用の高周波電場を形成し、この高周波電場によってイオンを振動させながら閉じ込めを行う。これに対し、正弦波状の高周波電圧の代わりに、矩形波電圧をリング電極に印加することでイオンの閉じ込めを行うイオントラップが開発されている(特許文献1、非特許文献1など参照)。この種のイオントラップは、通常、「H」、「L」という二つの論理値に対応する電圧レベルを有する矩形波電圧が使用されることから、デジタルイオントラップ(DIT=Digital Ion Trap)と呼ばれる。
【0004】
デジタルイオントラップでは、非特許文献1に記載されているように、捕捉したいイオンの質量電荷比範囲に応じた所定の周波数を有する矩形波電圧を捕捉用高周波電圧としてリング電極に印加し、目的とする質量電荷比範囲のイオンを閉じ込める。こうして捕捉したイオンを質量電荷比に応じて順次イオン出射口から排出させ該イオン出射口の外側に設けた検出器により検出する際には、イオンの共鳴励起現象を利用する。即ち、リング電極に印加する矩形波高電圧(通常、電圧振幅は数百V以上)を所定の分周比(例えば1/4分周)で分周した矩形波低電圧(通常、電圧振幅は数V程度と上記矩形波高電圧に比べて格段に小さいので「低電圧」という)をエンドキャップ電極に印加し、それら矩形波電圧の電圧振幅を一定に維持したまま矩形波高電圧及び矩形波低電圧の周波数を同期的に走査する。これにより、イオントラップ内に捕捉されているイオンは、質量電荷比の順に共鳴励起されて大きく振動し、イオン出射口を通してイオントラップの外部に排出される。この排出されたイオンを検出器により検出することで、所定の質量電荷比範囲に亘るマススペクトルを作成することができる。
【0005】
非特許文献1にも記載されているように、共鳴励起排出における矩形波高電圧の周波数と排出される(共鳴励起される)イオンの質量電荷比との関係は理論的に決まるものの、実際には、イオントラップを構成する電極の形状や組立精度の限界、等の種々の要因によって、理論的に排出される筈であるイオンの質量電荷比と実際に排出されるイオンの質量電荷比とでは差が生じる。そこで一般的に、精密な質量電荷比が既知である複数種(通常は二種)のイオンについて理論質量電荷比値と実測質量電荷比値との差をそれぞれ求め、その複数の差値に基づいて較正式を算出し、この較正式を用いて実測の質量電荷比を較正する質量較正(キャリブレーション)が行われている(特許文献1等参照)。通常、較正式は二種のイオンの差値に基づく直線式である。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0006】
【文献】特開2011-96542号公報
【非特許文献】
【0007】
【文献】古橋、竹下、小河、岩本、ディン、ギルズ、スミルノフ、「デジタルイオントラップ質量分析装置の開発」、島津評論、島津評論編集部、2006年3月31日、第62巻、第3・4号、pp.141-151
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
しかしながら、本発明者の実験によれば、上述したような質量較正を行っても、質量電荷比範囲の中で部分的に質量誤差が十分に軽減できない場合があり、そのためにマススペクトルの質量精度が低くなることがある。
【0009】
本発明は上記課題を解決するために成されたものであり、デジタルイオントラップを用い、共鳴励起排出によりイオンを選択的にイオントラップから排出して検出する質量分析装置において、目的とする質量電荷比範囲の全体に亘りマススペクトルの質量精度を向上させること、をその主たる目的としている。
【課題を解決するための手段】
【0010】
上記課題を解決するために成された本発明の一つの態様は、3以上の電極で囲まれる空間にイオンを捕捉するイオントラップを有し、少なくとも1つの電極にイオン捕捉用の矩形波電圧を印加しつつ該電極とは異なる対向配置された一対の電極にそれぞれ共鳴励起用の矩形波電圧を印加することにより、特定の質量電荷比を有するイオンを共鳴励起により選択的にイオントラップ内から排出して検出する質量分析装置において、
イオン捕捉用矩形波電圧及び共鳴励起用矩形波電圧を生成する電圧発生部と、
精密な質量電荷比値が既知である複数の較正用試料を対象として、前記イオン捕捉用矩形波高電圧の電圧振幅を調整しつつ、検出対象のイオンの質量電荷比を走査するように前記イオン捕捉用矩形波高電圧及び共鳴励起用矩形波電圧の周波数を同期的に走査する質量分析を実施した結果に基づいて、前記複数の較正用試料にそれぞれ対応する質量電荷比における質量誤差が許容範囲に収まる電圧振幅調整情報を取得する電圧振幅調整情報取得部と、
目的試料に対する所定の質量電荷比範囲に亘る質量分析の実行時に、前記電圧振幅調整情報に基づいて、前記イオン捕捉用矩形波高電圧及び前記共鳴励起用矩形波電圧の周波数の走査に伴ってイオン捕捉用矩形波高電圧の電圧振幅を変化させるように前記電圧発生部を制御する制御部と、
を備えるものである。
【発明の効果】
【0011】
例えば三次元四重極型のデジタルイオントラップでは、リング電極に印加されるイオン捕捉用矩形波電圧の周波数を変化させると共鳴励起排出されるイオンの質量電荷比が変化するが、該矩形波電圧の電圧振幅を変化させても共鳴励起排出されるイオンの質量電荷比が変化する。本発明に係る質量分析装置では、矩形波高電圧の周波数を走査する際に、該矩形波高電圧の電圧振幅を一定に維持するのではなく、該電圧振幅を積極的に変化させることで質量走査時の各質量電荷比における質量誤差を減少させる。
【0012】
この発明に係る質量分析装置によれば、所定の質量電荷比範囲に亘る質量走査のために矩形波電圧の周波数が走査されるとき、その周波数の変化に伴って、質量誤差が小さくなるようにイオン捕捉用矩形波電圧の振幅が適宜調整される。それにより、矩形波電圧の電圧振幅を一定に制御する場合に比べて、目的とする質量電荷比範囲内での質量誤差、特にその質量電荷比範囲内で部分的に大きくなる質量誤差を減らすことができ、全体的に質量精度が高いマススペクトルを取得することができる。
【図面の簡単な説明】
【0013】
図1】本発明の一実施形態であるデジタルイオントラップ質量分析装置(DIT-MS)の概略構成図。
図2】本実施形態のDIT-MSにおける特徴的な処理動作のフローチャート。
図3】本実施形態のDIT-MSにおける質量走査時の矩形波高電圧の周波数変化に伴う電圧振幅の変化の一例を示す模式図。
図4】DIT-MSにおける共鳴励起排出時の矩形波電圧波形の一例を示すタイミング図。
【発明を実施するための形態】
【0014】
本発明に係る質量分析装置で使用されるイオントラップは、通常、3次元四重極型のイオントラップ、又は、リニア型のイオントラップである。3次元四重極型のイオントラップの場合、通常、イオントラップは、環状のリング電極と、該リング電極を挟んで対向配置された一対のエンドキャップ電極とからなり、リング電極にイオン捕捉用の矩形波電圧、一対のエンドキャップ電極に共鳴励起用の矩形波電圧が印加される。一方、リニア型のイオントラップの場合、通常、イオントラップは、中心軸を取り囲むように互いに平行に配置された4本のロッド電極からなり、中心軸を挟んで対向する2本のロッド電極が上記リング電極に代わるものであり、別の2本のロッド電極がそれぞれ上記一対のエンドキャップ電極に代わるものである。
【0015】
本発明に係る質量分析装置の一実施形態であるデジタルイオントラップ質量分析装置(DIT-MS)について、添付図面を参照して説明する。このDIT-MSは3次元四重極型イオントラップを用いたものであるが、リニア型イオントラップに置き換え可能であることは当業者に明らかである。
図1は、この実施形態によるDIT-MSの要部の構成図である。
【0016】
[本装置の全体構成]
このDIT-MSは、目的試料をイオン化するイオン化部1と、イオンを質量電荷比に応じて分離する3次元四重極型のイオントラップ2と、イオンを検出する検出部3と、を備える。
【0017】
イオン化部1はマトリクス支援レーザ脱離イオン化(MALDI)法を用いたものであり、パルス状のレーザ光を出射するレーザ照射部11、試料成分を含むサンプル13が付着されたサンプルプレート12、レーザ光の照射によってサンプル13から放出されたイオンを引き出すとともにその引き出し方向を限定するアパーチャ電極14、引き出されたイオンを案内するイオンレンズ15、などを含む。もちろん、イオン化部1におけるイオン化法の種類はMALDI法に限るものではなく、他のレーザイオン化法やレーザ光を用いないイオン化法でも構わない。
【0018】
イオントラップ2は、円環状の1個のリング電極21と、これを挟むように対向して配置された、入口側エンドキャップ電極22及び出口側エンドキャップ電極24と、からなり、これら3個の電極21、22、24で囲まれた空間の一部がイオン捕捉領域となる。入口側エンドキャップ電極22の略中央にはイオン入射口23が穿設され、イオン化部1から出射したイオンはイオン入射口23を通過してイオントラップ2内に導入される。一方、出口側エンドキャップ電極24の略中央にはイオン出射口25が穿設され、イオン出射口25を通ってイオントラップ2内から排出されたイオンは検出部3に到達して検出される。
【0019】
検出部3は、イオンを電子に変換するコンバージョンダイノード31と、コンバージョンダイノード31から到来する電子を増倍して検出する二次電子増倍管32とを含み、入射したイオンの量に応じた検出信号を生成しデータ処理部8に送る。データ処理部8は、イオントラップ2において質量分離されつつ順次排出されるイオンに対して検出部3で得られる検出信号に基づいて、マススペクトルを作成する機能を有する。データ処理部8はキャリブラント(較正用試料)の質量電荷比理論値と質量電荷比実測値との差に基づいて較正式を作成し、この較正式を用いて質量較正を行う質量較正部81を機能ブロックとして含む。
【0020】
主電源部4はイオントラップ2のリング電極21に矩形波高電圧を印加するものであり正極性の第1電圧VHを発生する第1電圧源41と、負極性の第2電圧VLを発生する第2電圧源42と、第1電圧源41の出力端と第2電圧源42の出力端との間に直列に接続された第1スイッチング素子43及び第2スイッチング素子44と、を含む。一方、補助電源部5は、イオントラップ2のエンドキャップ電極22、24にそれぞれ異なる矩形波低電圧を印加するものである。
【0021】
タイミング信号発生部6はハードウェアによるロジック回路であり、制御部7による制御の下に、第1スイッチング素子43及び第2スイッチング素子44が交互にオンするように(但し、同時にオンすることがないように)、所定周波数の駆動パルスを生成して各スイッチング素子43、44に供給する。第1スイッチング素子43がオンするとき第1電圧VHが出力され、第2スイッチング素子44がオンするときに第2電圧VLが出力される。そのため、主電源部4の出力電圧VOUTは理想的には、図4(a)に示すように、ハイレベルがVH、ローレベルがVLである所定周波数f(周期t)の矩形波電圧となる。ここでは、VHとVLとは絶対値がほぼ同じで極性が逆の高電圧であり、例えば、その絶対値は数百V~1kV程度である。また、周波数fは通常数十kHz~数MHz程度の範囲である。但し、システムの基準電位によっては、VHとVLとは同極性であってもよい。
【0022】
またタイミング信号発生部6は、主電源部4に供給する駆動パルスを適宜の比(例えば1/4)で分周したパルス信号を補助電源部5に与える。補助電源部5はタイミング信号発生部6から得られる信号に基づき、周波数がf/4であって振幅値が例えば数V程度である、図4(b)に示すような矩形波低電圧を生成する。
【0023】
制御部7は分析動作を実施するために各部を制御するものであり、本実施形態に特徴的な機能ブロックとして、電圧-m/zシフト量情報記憶部71、質量走査時電圧情報取得制御部72、質量誤差算出部73、質量誤差判定部74、調整済み電圧情報記憶部75、質量走査時電圧制御部76などを含む。この制御部7はハードウェア回路により構成することも可能であるが、通常、少なくとも一部はパーソナルコンピュータを中心に構成され、該パーソナルコンピュータにインストールされた専用の制御・処理プログラムを実行することにより、その機能が達成されるものとすることができる。
【0024】
[本装置の基本的な質量分析動作の説明]
本実施形態のDIT-MSにおける質量分析動作を概略的に説明する。
イオン化部1において、制御部7の制御の下にレーザ照射部11から短時間レーザ光をサンプル13に出射すると、該サンプル13中の試料成分がイオン化される。発生したイオンはイオンレンズ15により収束され、イオン入射口23を経てイオントラップ2内の空間に導入されて捕捉される。
【0025】
イオントラップ2内に安定的に捕捉されるイオンの質量電荷比範囲は、リング電極21に印加される矩形波高電圧の周波数に依存する。したがって、上記のようにイオンをイオントラップ2内に閉じ込めておくに際し、タイミング信号発生部6は制御部7からの指示に従って所定周波数の駆動パルスをスイッチング素子43、44に供給し、これに応じた周波数の矩形波高電圧が主電源部4で生成されてリング電極21に印加される。このときには、エンドキャップ電極22、24への印加電圧は接地電位に維持される。なお、所定の或る程度広い質量電荷比範囲のイオンを捕捉する場合には、矩形波高電圧の周波数はその質量電荷比範囲に応じて適切に選択される。
【0026】
上述したように様々な質量電荷比を有するイオンを捕捉したあと該イオンについてのマススペクトルを取得する際には、共鳴励起現象を利用し、イオンを質量電荷比の順にイオン出射口25を通してイオントラップ2から排出し、検出部3により検出する。このときには、主電源部4からリング電極21にイオン捕捉用の矩形波高電圧を印加する一方、補助電源部5からエンドキャップ電極22、24にそれぞれ、イオン捕捉用矩形波高電圧を分周した周波数の共鳴励振用矩形波電圧(矩形波低電圧)を印加する。そして、イオン捕捉用矩形波高電圧と共鳴励振用矩形波低電圧の周波数を同期的に走査する。それにより、特定の質量電荷比を有するイオンが共鳴励起されて大きく振動し、イオントラップ2から順番に排出される。
【0027】
[本装置に特徴的な制御及び処理動作の説明]
一般的に、上述した共鳴励起排出の際には、矩形波高電圧の電圧振幅、つまりは第1電圧VH及び第2電圧VLの電圧値は一定に制御される。しかしながら、スイッチング素子43、44をオン・オフ動作させる駆動パルスの周波数が連続的に変化されると、パルス幅が変化して電圧変化の過渡状態の影響が変化するとともに、電圧源41、42の負荷も変化する。そのため、矩形波高電圧の周波数変化に伴って、該矩形波高電圧の電圧振幅が変動するほか電圧波形形状も変動する。こうした電圧振幅や波形形状の変動は、質量走査時の質量誤差及びその変動の大きな要因となっていると推定される。
【0028】
これに対し、本実施形態のDIT-MSでは、矩形波高電圧の周波数を走査する際に、該矩形波高電圧の電圧振幅を一定に維持せずに変化させることで、質量走査時における全体的な質量誤差を軽減するようにしている。
【0029】
そのための制御及び処理について図2及び図3を参照して説明する。図2はこのDIT-MSにおける特徴的な処理動作のフローチャート、図3はこのDIT-MSにおける質量走査時の矩形波高電圧の周波数変化に伴う電圧振幅の変化の一例を示す模式図である。ここでは一例として、精密な質量電荷比値(理論値)が既知である5種類のキャリブラントを用いるものとする。キャリブラントの数は2以上であればよい。
【0030】
事前に、使用するキャリブラントに対応する質量電荷比値毎に、矩形波高電圧の電圧振幅の変化量と質量電荷比の変化量との関係を実験的に調べ、電圧-m/zシフト量情報記憶部71に格納しておく。具体的には例えば、矩形波高電圧の電圧振幅を規定の電圧振幅値から0.1Vだけ減らしたときの質量電荷比の変化値を求めておけばよい。
【0031】
キャリブラントを用いた質量較正の際に、制御部7の質量走査時電圧情報取得制御部72は矩形波高電圧の電圧振幅を一定にするべく、第1電圧源41及び第2電圧源42の出力電圧をそれぞれ所定値に固定するように設定する(ステップS1)。そうした電圧条件の下で、5種類のキャリブラントについて質量分析を実行し、所定の質量電荷比範囲に亘るマススペクトルデータを取得する(ステップS2)。ここで、5種類のキャリブラントは、図3に示すように、Cal.a、Cal.b、Cal.c、Cal.d、Cal.eであり、その質量電荷比はCal.aが最も小さく、Cal.a、Cal.b、Cal.c、Cal.d、Cal.eの順に大きいものとする。
【0032】
データ処理部8において質量較正部81は、質量電荷比が最小、最大である二つのキャリブラントCal.a、Cal.eについて実測したマススペクトルデータから質量電荷比実測値を算出し、それらキャリブラントの質量電荷比の実測値と理論値との差に基づいて直線的な較正式を求める。そして、この較正式を用いて、全てのキャリブラントCal.a、Cal.b、Cal.c、Cal.d、Cal.eについて質量較正を実施し、この質量較正後の質量電荷比値を実測値であるとして制御部7へと送る(ステップS3)。
【0033】
制御部7において質量誤差算出部73は、まず質量電荷比が最小であるキャリブラントCal.aを選択し、そのキャリブラントに対応する質量電荷比の質量誤差を求める(ステップS4)。質量誤差判定部74は、その質量誤差が予め定められた許容範囲内に収まっているか否かを判定する(ステップS5)。質量誤差が許容範囲内に収まっていれば、ステップS5から後述するステップS8へと進む。
【0034】
一方、質量誤差が許容範囲を逸脱している場合、質量走査時電圧情報取得制御部72は電圧-m/zシフト量情報記憶部71に記憶されてている情報、つまりは該当するキャリブラントに対応する矩形波高電圧の電圧振幅の変化量と質量電荷比の変化量との関係、を参照して、質量誤差がゼロになるような電圧振幅の変化量を算出する。そして、そのキャリブラントに対応する質量電荷比を有するイオンが共鳴励起排出される矩形波高電圧の周波数付近の所定の周波数範囲では、その算出結果に応じて電圧振幅を変化させるように周波数を走査することで、該当するキャリブラントについての質量分析を再度実施する(ステップS6)。
【0035】
データ処理部8において質量較正部81は得られたマススペクトルデータから求まる測定対象のキャリブラントの質量電荷比値を上記較正式を用いて較正し、質量電荷比実測値を得る。そして、質量誤差算出部73はそのキャリブラントに対応する質量電荷比の質量誤差を求める(ステップS7)。そのあと、ステップS7からS5へと戻り、質量誤差判定部74は、その質量誤差が許容範囲内に収まっているか否かを判定する。そして、質量誤差が許容範囲内に収まっていなければ、ステップS5~S6の処理を繰り返す。それにより、そのキャリブラント由来のイオンに対応する矩形波高電圧の周波数近傍において、質量誤差が許容範囲内に収まるような電圧振幅の変化量を決定することができる。そして、ステップS5でYesと判定されたときには、決定された電圧振幅の変化量をその矩形波高電圧の周波数に対応して調整済み電圧情報記憶部75に記憶する(ステップS8)。
【0036】
そのあと、質量走査時電圧情報取得制御部72は電圧振幅の変化量を決定していないキャリブラントが残っているか否かを判定する(ステップS9)。未だキャリブラントが残っていれば次に質量電荷比が大きいキャリブラントを選択し、質量誤差算出部73は、そのキャリブラントに対応する質量電荷比の質量誤差を求め(ステップS10)ステップS5に戻り、上述した処理を実行する。したがって、ステップS10→S5~S7の繰り返し→S8→S9、の繰り返しにより、5種類のキャリブラントCal.a、Cal.b、Cal.c、Cal.d、Cal.eの全てについて、質量較正後の質量誤差が許容範囲に収まるような電圧振幅の変化量がそれぞれ決まり、その情報が調整済み電圧情報記憶部75に記憶される。
【0037】
いま、5種類のキャリブラントCal.a、Cal.b、Cal.c、Cal.d、Cal.eの初期的な質量誤差が図3(a)中に●で示した状態にあるものとすると、3種類のキャリブラントCal.b、Cal.c、Cal.dについては初期的な質量誤差が許容範囲を外れているため、矩形波高電圧の電圧振幅の調整が実施される。
【0038】
図4に示したような矩形波電圧を印加することで共鳴励起排出を行うイオントラップでは、矩形波高電圧の正極側高電圧(第1電圧VH)を下げるとマススペクトル上で観測される規定の質量電荷比のイオンピークは低マス側にシフトする。一方、矩形波高電圧の負極側高電圧(第2電圧VL)を下げるとマススペクトル上で観測される規定の質量電荷比のイオンピークは高マス側にシフトする。そこで、本実施形態のDIT-MSでは、質量誤差が負値である場合には、負極側高電圧(第2電圧VL)を下げるように電圧振幅を変化させる。一方、質量誤差が正値である場合には、正極側高電圧(第1電圧VH)を下げるように電圧振幅を変化させる。
【0039】
したがって、各キャリブラントにおける質量誤差が図3(a)に示したようになる場合、各キャリブラントに対応する周波数における電圧調整量は図3(b)に示すような傾向になる。但し、図3(b)においてマイナスの電圧調整量とは電圧を下げることを意味する。即ち、図3(b)において、○で示すプロットは正極性である第1電圧VHの調整量、□で示すプロットは負極性である第2電圧VLの調整量である。キャリブラントCal.b及びCal.cについては、第1電圧VHが下がる方向に調整されることで矩形波高電圧の電圧振幅が調整される。また、キャリブラントCal.dについては、第2電圧VLが下がる方向に調整されることで矩形波高電圧の電圧振幅が調整される。
【0040】
なお、図3(b)では、一つの質量電荷比のキャリブラントに対応する周波数における電圧調整量とそれに隣合う質量電荷比のキャリブラントに対応する周波数における電圧調整量との間を直線で結んでいるが、これは必ずしも直線でなく適宜の曲線で結んでもよい。
【0041】
目的とする試料成分を含むサンプルについて質量分析を実施して所定の質量電荷比範囲に亘るマススペクトルを取得する際には、質量走査時電圧制御部76がその質量電荷比範囲に対応した矩形波高電圧の周波数走査範囲を決める。そして、調整済み電圧情報記憶部75に記憶されている、周波数に対応した電圧調整量の情報に基づいて、周波数の走査に従って第1電圧源41で生成する第1電圧VH、及び第2電圧源42で生成する第2電圧VLの値をそれぞれ変化させる。それにより、スイッチングにより生成される矩形波高電圧の電圧振幅が周波数変化に伴って調整され、質量電荷比範囲全体に亘り質量誤差が小さくなる。その結果、得られるマススペクトルの質量精度を向上させることができる。
【0042】
なお、上記実施形態では、キャリブラントの数が5であるが、これは2以上であればよい。一般に、キャリブラントの数が多いほうが電圧調整量がより正確に求まるため、マススペクトルの質量精度を向上させるには有利である。その反面、キャリブラントを用意する手間が増えるとともに上述したような電圧調整量を求めるための処理に要する時間も長くなる。したがって、キャリブラントの数は通常、数個程度が適当である。
【0043】
また、上記実施形態では、イオントラップとして3次元四重極型イオントラップを用いたが、リニア型イオントラップに置き換え可能であることは当然である。また、図1に示した主電源部4の構成はあくまでも一例であり、矩形波高電圧として必要な電圧振幅及び周波数の波形を生成可能な構成であれば、例示したものに限らないことも当然である。
【0044】
さらにまた、上記実施形態及び変形例は本発明の一例にすぎず、本発明の趣旨の範囲で適宜、変形、追加、修正を行っても本願特許請求の範囲に包含されることは当然である。
【0045】
[種々の態様]
上述した例示的な実施形態は、以下の態様の具体例であることが当業者により理解される。
【0046】
(第1項)本発明に係る質量分析装置の一態様は、3以上の電極で囲まれる空間にイオンを捕捉するイオントラップを有し、少なくとも1つの電極にイオン捕捉用の矩形波電圧を印加しつつ該電極とは異なる対向配置された一対の電極にそれぞれ共鳴励起用の矩形波電圧を印加することにより、特定の質量電荷比を有するイオンを共鳴励起により選択的にイオントラップ内から排出して検出する質量分析装置において、
イオン捕捉用矩形波電圧及び共鳴励起用矩形波電圧を生成する電圧発生部と、
精密な質量電荷比値が既知である複数の較正用試料を対象として、前記イオン捕捉用矩形波高電圧の電圧振幅を調整しつつ、検出対象のイオンの質量電荷比を走査するように前記イオン捕捉用矩形波高電圧及び前記共鳴励起用矩形波電圧の周波数を同期的に走査する質量分析を実施した結果に基づいて、前記複数の較正用試料にそれぞれ対応する質量電荷比における質量誤差が許容範囲に収まる電圧振幅調整情報を取得する電圧振幅調整情報取得部と、
目的試料に対する所定の質量電荷比範囲に亘る質量分析の実行時に、前記電圧振幅調整情報に基づいて、前記イオン捕捉用矩形波高電圧及び前記共鳴励起用矩形波電圧の周波数の走査に伴ってイオン捕捉用矩形波高電圧の電圧振幅を変化させるように前記電圧発生部を制御する制御部と、
を備える。
【0047】
第1項に記載の質量分析装置によれば、共鳴励起排出に際しイオン捕捉用矩形波電圧の周波数が走査されるときに、その電圧振幅もその周波数の走査に伴って適宜変化される。それにより、検出対象のイオンの質量電荷比を走査する途中における質量誤差を減少させることができ、マススペクトルの質量精度を向上させることができる。
【0048】
(第2項)第1項に記載の質量分析装置において、
前記電圧振幅調整情報取得部は、前記較正用試料について前記イオン捕捉用矩形波高電圧の電圧振幅の調整量と質量電荷比の変化量との関係を示す情報が予め格納された事前情報格納部を有し、
前記較正用試料に対する質量分析の実行時に、前記事前情報格納部に格納されている情報に基づいて前記イオン捕捉用矩形波高電圧の電圧振幅を調整する、ものとすることができる。
【0049】
第2項に記載の質量分析装置によれば、予め求めておいた電圧振幅の調整量と質量電荷比の変化量との関係を示す情報を利用して較正用試料に対する質量分析の際の電圧振幅を決めることができる。それにより、較正用試料に対する質量分析の際の電圧振幅をより迅速に且つ精度良く決定することができる。
【0050】
(第3項及び第4項)第1項又は第2項に記載の質量分析装置は、前記複数の較正用試料のうちの少なくとも二つについて、前記イオン捕捉用矩形波高電圧の電圧振幅を一定に保ちつつ質量分析を実施した結果に基づいて、所定の質量電荷比範囲に亘る質量誤差を補正する較正情報を算出する質量較正情報算出部、をさらに備え、
前記電圧振幅調整情報取得部は、前記較正情報を利用した質量較正を実施したうえで質量誤差を求めるものとすることができる。
【0051】
第3項及び第4項に記載の質量分析装置によれば、質量較正を実行したうえで残る(つまりは較正しきれない)質量誤差について電圧振幅の調整によって低減を図ればよい。そのため、多くの場合、電圧振幅の調整量は僅かで済み、周波数の変化に応じた電圧振幅の調整が容易になる。
【符号の説明】
【0052】
1…イオン化部
11…レーザ照射部
12…サンプルプレート
13…サンプル
14…アパーチャ電極
15…イオンレンズ
2…イオントラップ
21…リング電極
22…入口側エンドキャップ電極
23…イオン入射口
24…出口側エンドキャップ電極
25…イオン出射口
3…検出部
31…コンバージョンダイノード
32…二次電子増倍管
4…主電源部
41…第1電圧源
42…第2電圧源
43…第1スイッチング素子
44…第2スイッチング素子
5…補助電源部
6…タイミング信号発生部
7…制御部
71…m/zシフト量情報記憶部
72…質量走査時電圧情報取得制御部
73…質量誤差算出部
74…質量誤差判定部
75…電圧情報記憶部
76…質量走査時電圧制御部
8…データ処理部
81…質量較正部
図1
図2
図3
図4