IP Force 特許公報掲載プロジェクト 2022.1.31 β版

知財求人 - 知財ポータルサイト「IP Force」

▶ 独立行政法人物質・材料研究機構の特許一覧

<>
  • 特許-水素センサー及び水素検出方法 図1
  • 特許-水素センサー及び水素検出方法 図2
  • 特許-水素センサー及び水素検出方法 図3
  • 特許-水素センサー及び水素検出方法 図4
  • 特許-水素センサー及び水素検出方法 図5
  • 特許-水素センサー及び水素検出方法 図6
  • 特許-水素センサー及び水素検出方法 図7
  • 特許-水素センサー及び水素検出方法 図8
  • 特許-水素センサー及び水素検出方法 図9
  • 特許-水素センサー及び水素検出方法 図10
  • 特許-水素センサー及び水素検出方法 図11
  • 特許-水素センサー及び水素検出方法 図12
  • 特許-水素センサー及び水素検出方法 図13
  • 特許-水素センサー及び水素検出方法 図14
< >
(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2022-05-23
(45)【発行日】2022-05-31
(54)【発明の名称】水素センサー及び水素検出方法
(51)【国際特許分類】
   G01N 5/02 20060101AFI20220524BHJP
   G01N 19/00 20060101ALI20220524BHJP
【FI】
G01N5/02 Z
G01N19/00 H
【請求項の数】 12
(21)【出願番号】P 2021503505
(86)(22)【出願日】2020-02-14
(86)【国際出願番号】 JP2020005694
(87)【国際公開番号】W WO2020179400
(87)【国際公開日】2020-09-10
【審査請求日】2021-06-23
(31)【優先権主張番号】P 2019040136
(32)【優先日】2019-03-06
(33)【優先権主張国・地域又は機関】JP
【国等の委託研究の成果に係る記載事項】(出願人による申告)平成30年度、国立研究開発法人科学技術振興機構、未来社会創造事業「磁気冷凍材料および水素液化システムに関する研究開発」委託研究、産業技術力強化法第17条の適用を受ける特許出願
(73)【特許権者】
【識別番号】301023238
【氏名又は名称】国立研究開発法人物質・材料研究機構
(74)【代理人】
【識別番号】100190067
【弁理士】
【氏名又は名称】續 成朗
(72)【発明者】
【氏名】矢ヶ部 太郎
(72)【発明者】
【氏名】今村 岳
(72)【発明者】
【氏名】吉川 元起
(72)【発明者】
【氏名】中村 明子
【審査官】萩田 裕介
(56)【参考文献】
【文献】特表2006-507511(JP,A)
【文献】国際公開第2013/157581(WO,A1)
【文献】特開2011-232141(JP,A)
【文献】中国特許出願公開第109342558(CN,A)
【文献】欧州特許出願公開第2169400(EP,A1)
【文献】特開2019-100705(JP,A)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
G01N 5/02
G01N 19/00
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
膜型表面応力センサーの表面応力を受け取る表面に感応膜として非晶質のパラジウム-銅-シリコン合金薄膜を設けた水素センサー。
【請求項2】
前記非晶質のパラジウム-銅-シリコン合金中のパラジウム、銅及びシリコンの原子比はPd CuSiとし、x,y,zをパーセント比率で表したとき65<x<90、3<y<20、3<z<20の範囲である、請求項1に記載の水素センサー。
【請求項3】
前記感応膜の膜厚が0nmより大きく100nm未満である、請求項1または2に記載の水素センサー。
【請求項4】
前記感応膜の膜厚が50nm以下である、請求項3に記載の水素センサー。
【請求項5】
前記感応膜の膜厚が15nm以上である、請求項3または4に記載の水素センサー。
【請求項6】
前記感応膜の膜厚が5nm以上である、請求項3または4に記載の水素センサー。
【請求項7】
請求項1から6の何れかに記載の水素センサーに水素を含有するターゲットガスとパージガスとを交互に切り替えて供給し、前記水素センサーからの出力信号から前記ターゲットガス中の水素濃度を測定する水素検出方法。
【請求項8】
前記出力信号に対して演算処理を行う、請求項7に記載の水素検出方法。
【請求項9】
前記演算処理は時間微分である、請求項8に記載の水素検出方法。
【請求項10】
前記時間微分された前記出力信号のピーク値に基づいて水素濃度を求める処理を行う、請求項9に記載の水素検出方法。
【請求項11】
前記時間微分された前記出力信号のピーク値に続く信号波形に基づいて水素濃度を求める処理を行う、請求項9に記載の水素検出方法。
【請求項12】
前記時間微分された前記出力信号の前記ピーク値に続く信号波形に基づいて水素濃度を求める処理は前記時間微分された前記出力信号のピーク値に基づいて選択的に行われる、請求項11に記載の水素検出方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は膜型表面応力センサー(Membrane-type Surface stress Sensor、以下MSSと称する)を用いた水素センサーに関し、特にその感応膜に非晶質のパラジウム銅シリコン合金(以下、PdCuSiと称する)薄膜を使用した水素センサーに関する。本発明はまたそのような水素センサーを使用した水素検出方法に関する。
【背景技術】
【0002】
環境への負荷の低減などのため、水素をエネルギー源として利用するための研究開発がすすめられ、一部では実用化されている。水素を広く利用するための一つの問題点として、その貯蔵器、配管などからの水素の漏出による爆発の可能性がある。水素は軽くまた拡散性が高いため、開放された空間では水素は蓄積しにくく爆発の危険性はそれほど高くないということができる。一方、密閉状態に近い区画内で水素の漏出が起こると、水素の滞留が起こり得る。このように水素が滞留して空気中の水素濃度が4~75体積%(以下、水素濃度は特に明記しない限り体積比である)という広い領域(爆発範囲)に入ると、引火した場合に爆発が起こる。従って、水素濃度が4%よりも十分に低いうちに水素の漏出や蓄積を早期発見することが、水素関連機器や施設の安全性の確保上、非常に重要である。
【0003】
これまでに提案された多様な動作原理に基づく水素センサーのうちに、微細なカンチレバーの片面に水素吸蔵材料の薄膜を形成し、この薄膜への水素の吸蔵・放出による薄膜の伸縮が引き起こすカンチレバーのたわみ量(カンチレバー先端の変位)の変化から、試料気体中の水素濃度を測定する形式のものがある(例えば非特許文献1、非特許文献2)。この形式のセンサー(カンチレバー型センサー)はカンチレバーの表面に被着する物質の膜(感応膜、受容体層等と呼ばれる)を適宜選択することにより液体あるいは気体試料中の特定の物質を選択的に検出することができるため、微量成分の検出のために多くの応用が提案されている。
【0004】
上述したように、水素は4%という低濃度でも爆発の危険があるため、漏出等した水素の蓄積をその濃度が爆発範囲に到達する十分前に検出するには、水素センサーの感度をできるだけ高くすることが望まれる。とりわけ、内部が複雑な構造・形状を有する閉鎖領域内では、水素漏出を起こしている箇所により領域内の水素濃度分布が大きく変化する可能性があるため、このような場合まで対応するには水素センサーの感度にはさらに大きな余裕が求められる。ただし、大気中には通常0.5ppm程度の水素が含まれているため(非特許文献3)、微量の水素漏出を検出するという目的に使用する場合には、0.5ppmに近い値を検出できる程の高い感度が必須であるとはされない。
【0005】
本願発明者は感応膜として膜厚が30nm以下のパラジウム等の水素吸蔵金属、合金等の水素吸蔵材料の薄膜を感応膜として使用したMSSにより上記課題が達成されることを見出し、特願2017-155808(特開2019-35613)として特許出願した。
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
本願発明者がすでに特許出願した水素センサーは十分高い感度で水素を検出することが可能であるとともに、無酸素状態で水素検出が可能であるという特徴を有するが、さらに感度を向上させることにより測定データのS/N比や特に低濃度域での測定結果の安定性を向上させることが望ましい。また、通常の水素吸蔵材料は水素の吸蔵・放出が緩慢であるために検出速度が低くなり、また吸蔵・放出がヒステリシス特性を有するため、応答信号がやや取り扱いにくいという点も改善が望まれる。
【課題を解決するための手段】
【0007】
本発明の一側面によれば、膜型表面応力センサーの表面応力を受け取る表面に感応膜として非晶質のパラジウム-銅-シリコン合金薄膜を設けた水素センサーが与えられる。
ここで、前記非晶質のパラジウム-銅-シリコン合金中のパラジウム、銅及びシリコンの原子比はPd CuSiとし、x,y,zをパーセント比率で表したとき65<x<90、3<y<20、3<z<20の範囲であってよい。
また、前記感応膜の膜厚が0nmより大きく100nm未満であってよい。
また、前記感応膜の膜厚が50nm以下であってよい。
また、前記感応膜の膜厚が15nm以上であってよい。
また、前記感応膜の膜厚が5nm以上であってよい。
本発明の他の側面によれば、上記何れかの水素センサーに水素を含有するターゲットガスとパージガスとを交互に切り替えて供給し、前記水素センサーからの出力信号から前記ターゲットガス中の水素濃度を測定する水素検出方法が与えられる。
ここで、前記出力信号に対して演算処理を行ってよい。
また、前記演算処理は時間微分であってよい。
また、前記時間微分された前記出力信号のピーク値に基づいて水素濃度を求める処理を行ってよい。
また、前記時間微分された前記出力信号のピーク値に続く信号波形に基づいて水素濃度を求める処理を行ってよい。
また、前記時間微分された前記出力信号の前記ピーク値に続く信号波形に基づいて水素濃度を求める処理は前記時間微分された前記出力信号のピーク値に基づいて選択的に行われてよい。
【発明の効果】
【0008】
本発明によれば、簡単な構成かつ低コストでありながら、高感度で低ヒステリシス特性を有する水素センサー及びこの水素センサーを使用した水素検出方法が提供される。
【図面の簡単な説明】
【0009】
図1】膜型表面応力センサー(MSS)の模式図。
図2】MSSの基板上に非晶質のPdCuSiの三元系膜をスパッター法により蒸着することによって作成した本発明の一実施例の水素センサーの写真。
図3】本発明の一実施例の水素センサーを使用して構成した水素測定装置の概略構成図。
図4図3に示す水素測定装置において、非晶質PdCuSi薄膜の膜厚が30nmの水素センサーを使用し、常時25℃のガスを供給しながら、その水素濃度を水素無し→0.2%→0.48%→1%→2%→4%→2%→1%→0.48%→0.2%の順で300秒ごとに変化させるサイクルを6回繰り返したときのMSSの出力電圧の変化を示す図。
図5図3に示す水素測定装置において、非晶質PdCuSi薄膜の膜厚が30nmの水素センサーを使用し、常時25℃のガスを供給しながら、ガス中の水素濃度を300秒ごとに水素無しと0.2%との間で切り替えるサイクルを3回繰り返し、以下、水素含有時の水素濃度を0.48%としたサイクルを3回、1%にしたサイクルを3回、2%にしたサイクルを3回、さらに4%にしたサイクルを3回繰り返したときのMSSの出力電圧の変化を示す図。
図6図3に示す水素測定装置において、非晶質PdCuSi薄膜の膜厚が30nmの水素センサーを使用し、常時25℃のガスを供給しながら、ガス中の水素濃度を30分ごとに水素無しと12ppmとの間で切り替えるサイクルを2回繰り返し、以下、水素含有時の水素濃度を25ppmとしたサイクルを2回、50ppmとしたサイクルを2回、さらに100ppmとしたサイクルを2回繰り返したときのMSSの出力電圧の変化を示す図。
図7図5及び図6に示すMSSの出力電圧のピーク値を濃度の1/2乗に対してプロットした図。さらに、この測定では、非晶質PdCuSi薄膜の膜厚が50nmの水素センサーについても同じ実験を行った。膜厚が30nm及び50nmの飽和値を夫々■及び〇で示す。
図8図3に示す水素測定装置において、非晶質PdCuSi薄膜の膜厚が30nmの水素センサーを使用し、常時25℃のガスを供給しながら、ガス中の水素濃度を300秒ごとに水素無しと0.25ppmとの間で切り替えるサイクルを3回繰り返し、以下、水素含有時の水素濃度を0.5ppmとしたサイクルを3回、さらに1ppmとしたサイクルを3回繰り返したときのMSSの出力電圧の変化を示す図。
図9図8に示すMSSの出力電圧を時間で数値微分した結果を示す図。
図10図5に示すMSSの出力電圧を時間で数値微分した結果を示す図。
図11図6に示すMSSの出力電圧を時間で数値微分した結果を示す図。
図12】微分で求められた図9図10及び図11の各水素濃度についてのピーク値を濃度に対してプロットした結果を示す図。
図13】本発明の一実施例の水素センサーとPd膜を感応膜として使用した水素センサーとの比較実験における本発明の実施例の水素センサーのデータを示す図。
図14】本発明の一実施例の水素センサーとPd膜を感応膜として使用した水素センサーとの比較実験におけるPd膜水素センサーのデータを示す図。
【発明を実施するための形態】
【0010】
本願発明者は鋭意研究の結果、感応膜として非晶質のPdCuSi薄膜を使用したMSSが上記課題を達成することを見出し、本発明を完成させるに至った。
【0011】
なお、非晶質のPd系合金が水素吸蔵性を示すことが従来から知られており、この特性を利用した水素センサーも提案されている。例えば、特許文献4~特許文献6並びに非特許文献4には非晶質のPdCuSiの電気抵抗変化を用いた水素センサーが開示されている。また特許文献7及び非特許文献5にはPdCuSi膜が水素吸蔵時に撓むことによる当該膜の位置変位がもたらすキャパシタンス変化を用いた水素センサーが開示されている。しかしながら、このような電気抵抗変化を利用した水素センサーはPdCuSiに電流を流すため、センサー動作時の消費電力が大きいという問題がある。また、上述したようなキャパシタンス変化を利用した水素センサーはPdCuSi膜の膜面に垂直な方向への積み上げ構造が必要となるために構造が複雑化して、その作製が容易ではない。また、その構造上PdCuSi膜を薄くするのは困難である(非特許文献5の316ページ左欄によればPdCuSi膜の厚さは500nm)ため、高価な貴金属であるPdの使用量が多くなってしまう。
【0012】
本発明では表面応力センサーとしてMSSを使用することにより、非晶質のPdCuSi薄膜を非常に薄くしても高い感度と比較的良好な応答性を示すとともに、ヒステリシスが小さくまた構造が単純であるとともに消費電力を低く抑えることのできる水素センサーが提供される。
【0013】
ここで先ずMSSについて説明する。図1に示す模式図からわかるように、MSSでは長手方向に延びている短冊状の基材表面に感応膜を被着する代わりに、円盤状(あるいは正方形状等の、その中心の周りの90度の整数倍の回転について対称になっている回転対称性を有する形状でもよい)の薄板状部材の周辺4カ所を外側から(図2ではバルクシリコン基板部)支持している。これら4カ所の支持部は互いに上記部材の中心から90度の回転対称の位置に設けられる(つまり、上記部材の中心点の周りに薄板状部材を90度回転すると、隣の支持部が90度回転前の支持部と同じ位置に来る)。薄板状部材の表面に生起した表面応力はこれら4カ所の支持部に集中することにより、これら支持部に増幅された一軸性の応力が印加される。この応力により支持部にそれぞれ設けられた応力検知部の電気特性(現在作製されているMSSでは電気抵抗)が変化することで、表面応力を検出することができる。さらに、図1に示されているように、これら4カ所の応力検知部の抵抗R1-ΔR1、R2+ΔR2、R3-ΔR3、R4+ΔR4はフルホイートストンブリッジ構成で接続されており、VとGNDの2つの端子間に電圧を印加したときに2つのVout端子間に現れる電圧をMSSの出力として取り出す。薄板状部材及びその周辺は通常はシリコンウエハーから作製し、また応力検知部は通常はシリコンウエハーの当該箇所にピエゾ抵抗素子を形成することにより実現される。
【0014】
MSSでは薄板状部材表面(センサー本体表面)の表面応力の検出に当たって、カンチレバー型センサーのように特定の一つの方向(カンチレバーの長手方向)の表面応力だけを検出する代わりに、感応膜(図1では本発明の主題を反映して「水素感応被膜部」と記載)などによってセンサー本体表面上に生起したところの、あらゆる方向の成分を有する表面応力を、直交する2つの方向の成分に分けて互いに90度回転した位置にある二組の応力検知部対で検出する。これによりセンサー本体表面上の表面応力のすべての方向の成分をその検出に利用でき、また薄板状部材表面の応力は検出部を兼ねた狭窄部分に集中するため、良好な検出効率を達成できる。さらに、4つの応力検出部の出力(図1の場合は抵抗変化)をフルホイートストンブリッジ構成で接続して一つの出力(Vout間に現れる電圧)にまとめるため、大振幅の出力が得られるとともに、4つの応力検出部の出力に乗っている同相のノイズ成分を相殺できるのでS/Nが改善される。これらにより、MSSは同等の材料を使用したカンチレバー型センサーに比べて最大130倍程度高い感度が期待される(非特許文献6、非特許文献7)。
【0015】
なお、現在利用されているカンチレバー型センサーの種類としては光読み取りカンチレバー及びピエゾ抵抗カンチレバーがあるが、感度を比較するとMSS≧光読み取りカンチレバー≫ピエゾ抵抗カンチレバーとなる。なお、MSSでも応力検知部材にピエゾ抵抗素子を使用しているにもかかわらずピエゾ抵抗カンチレバーよりも非常に高感度にすることができる理由は、MSSの応力検知部材(及びそれらと一体になった薄板状部材)にp型シリコン単結晶の(001)面を使用した場合に、この表面上に[110]方向の電流を流した場合のピエゾ抵抗率の符号が[110]方向と[1/10]方向(ここで「/1」は1にオーバーバーを付けた記号を意味する)で互いに反対向きになることを利用できるからである。つまり、この場合には、上記2つの方向をそれぞれx軸、y軸にとった座標系を設定したとき、ピエゾ抵抗値Rの微小変化dRがx方向の応力とy方向の応力の差、σ-σに比例する。そこで、4つの応力検知部材中のピエゾ抵抗素子に電流が同じ向き([110]方向)に流れるようにこれら応力検知部材を構成すること(図1に示すMSSの構造中の4つの応力検知部に示された黒の太線の向きが全て横方向、つまり[110]方向になっている点に注意)により、薄板状部材へ表面応力を印加すると、その周辺で隣り合う応力検知部材のピエゾ抵抗値が互いに逆方向に変化し(図1に示された応力検知部材の抵抗変化ΔR1~ΔR4の符号が、ΔR1から反時計回りに-、+、-、+と交互に変化している点に注意)、その結果、これらのピエゾ抵抗素子により構成されるフルホイートストンブリッジから大きな出力変化が得られるためである。この詳細な解析等は非特許文献6等を参照されたい。
【0016】
MSSは表面応力センサー及びその応用の分野に属する当業者にはすでによく知られている事項であるため、これ以上の詳細な説明は省略する。より詳細な情報等が必要であれば、MSSについて説明している特許文献1~3、並びに非特許文献6等を参照されたい。
【0017】
本発明の水素センサーでは、MSSの感応膜として水素吸蔵材料の一種である非晶質のPdCuSiの薄膜を使用する。以下の実施例で説明するように、高濃度側4%から低濃度側は上述したように大気中に通常含有されている水素の濃度である約0.5ppmのさらに1/2である0.25ppmまでの極めて広い範囲の水素濃度のガス(水素と窒素との混合ガス)とMSSの検出出力との間の関係を調べたところ、非特許文献4、非特許文献5等では検証されていなかった範囲であるところの膜厚が100nm未満、具体的には30nmという極めて薄い非晶質PdCuSi薄膜を使用してもこの範囲の下限の非常に希薄な水素を十分大きなS/N比で検出可能であるという、予想を超えた効果が得られた。なお、実施例では膜厚が50nmの非晶質PdCuSi薄膜を感応膜として使用した場合の実験も行ったが、理論的にもまた実施例の実験結果からもわかるように、この程度の膜厚領域では出力信号の強度は膜厚が薄い方が小さくなるため、実施例の実験は主により厳しい条件である薄い方の30nm厚の非晶質PdCuSi薄膜を使用して行った。なお、非晶質PdCuSi薄膜を30nmよりも薄くした場合の実験は行っていないが、非特許文献9で議論されているように、膜厚が数十nmの領域では膜厚によって劇的に感度が変化するということはないため、例えば膜厚が2倍もしくは半分になったとしても、感度が10倍もしくは1/10になるというようなことはない。したがって、膜厚が30nmの場合に濃度が0.25ppmの水素を十分大きなS/N比で検出できることから考えて、膜厚を20nm程度まで薄くしても0.25ppm程度までの濃度の水素を十分に検出でき、また0.5ppm程度の濃度の検出でよいのであれば、膜厚を15nm程度までさらに薄くすることが可能であると考えられる。
【0018】
なお、検出感度を更に低くしてもよいのであれば、膜厚を更に薄くすることも可能である。ただし、PdCuSi薄膜の成膜方法や成膜条件にもよるが、平均膜厚を5nm程度まで薄くすると、実際に形成される膜としては、微粒子が基材上に散在したり、互いに不連続である微小な島状領域が隙間を開けて多数基材上に形成されたりするという、通常の意味での膜とはいいがたい状態になる傾向が強くなる。このような状態では、連続した一様な膜が基材上に形成されているというモデルで考えた場合に比べて、薄膜の水素吸蔵・放出によって検出器本体表面上に生起する表面応力が大幅に小さくなるため、連続した一様な膜の方が水素の検出感度が高くなると考えられる。この意味では、特殊な成膜手法等を使用して連続性の高い極薄の膜を成膜するのでない限り、感応膜の膜厚の下限は5nm程度であるということができる。一方では、非特許文献8からわかるように、表面応力センサーにおいては、感応膜が単に不連続になっただけでは大きな感度低下は起こらないと考えられる。このように、感応膜としては完全に連続している膜だけでなく切れ目等があるような不連続な膜も許容されるので、この意味では本願で言う膜厚とは平均の膜厚であると理解すべきである。同文献によれば、感度低下が顕著になるのは、不連続な感応膜の微細構造が島状や微粒子状等の小領域が互いに隙間を開けた状態で分布している状態、つまりセンサー本体表面を感応膜が実際に覆っている被覆率が1よりも実質的に低下するようになってからである。
【0019】
また、以下の実施例において説明するように、PdCuSiの水素吸蔵は他の水素吸蔵金属類に比較した場合には急速であるとは言うものの、水素吸蔵は一般に比較的長時間を要する現象であるが、水素吸蔵材料の感応膜を極めて薄くした場合には、測定対象であるところの水素を含有するガス(試料ガス)のMSSへの供給を開始すると、感応膜中の水素吸蔵量は短時間で平衡状態に近づく。そのため、MSSからの出力信号のうちの試料ガスの供給開始時点及びそのごく近傍だけを使用することで、試料ガス中の水素濃度を高い精度で検出することが可能となる。もちろんこれに限定する意図はないが、MSSからの出力信号に対して時間微分等の演算処理を行うことによって、このような供給開始時点近傍の信号に含まれる水素濃度情報を容易に抽出することが可能である。より具体的に言えば、MSSからの出力信号の時間微分値のピーク値を見るだけで高い精度で水素濃度を判定できる。また、特に水素濃度が低い場合には水素吸蔵が平衡に到達する態様が緩慢になる傾向がみられるが、その場合にはピーク値だけでは水素濃度を高い精度で判定することが困難になる。このような場合であっても、ターゲットガスの供給開始時点からある程度の時間が経過する間の出力信号の、あるいは時間微分などの演算処理後の波形や値(以下、波形等と称する)には水素濃度の違いが反映される。従って、このような波形等の情報を利用することで、水素濃度を低濃度域まで高い精度で判定することができる。また、水素濃度(具体的には例えば得られたピーク値)により場合分けを行い、検出された水素濃度が低い場合に上述のような波形等の情報も加えた水素濃度判定を行うことで、低水素濃度域での検出精度を向上させ、またそのような情報なしで高精度の水素濃度を得ることができる領域ではピーク値だけを使用することで、短時間で水素濃度の判定を行うという方法を採用することもできる。
【0020】
なお、実施例では非晶質PdCuSiの例としてPd:Cu:Siの原子比が75%:10%:15%の組成を挙げたが、本発明はこれに限定されるものではない。PdCuSiが非晶質構造を取り得る原子比の範囲は、非特許文献4の三角相図及び非特許文献5に基づいて検討すれば、Pd CuSiとし、x,y,zをパーセント比率で表すと65<x<90、3<y<20及び3<z<20の範囲となる。
【実施例
【0021】
以下では図1に概念的な構造を示し、図2にその光学顕微鏡写真を示す膜型表面応力センサー(MSS)において表面応力を受け取る平坦部材(図1中央、並びに図2左上、左下、右上及び右下に示す円形部分)に水素吸蔵材料としてPdCuSi(具体的にはPd75Cu10Si15)を使用した薄膜(図2に示すように、膜厚50nm及び30nm)を形成した水素センサーを例に挙げて、その水素センサーとしての特性を測定し、この水素センサーが高い感度を有することを示した。なお、当然のことであるが、本発明は実施例で使用した特定の水素センサーに限定されるものではなく、その技術的範囲はもっぱら本願特許請求の範囲中の各請求項により定められることに注意すべきである。
【0022】
MSS上において表面応力を受け取る平坦部材にPd75Cu10Si15を三元同時スパッター法により蒸着した。上述したように、図2に例示した膜厚は30nmと50nmの二種類である。PdCuSiは非晶質の水素吸蔵合金であり、吸蔵・放出においてヒステリシスが小さな材料として知られている。
【0023】
図3に実施例で使用した実験システムの概要を示す。試料ガスである水素(あるいは既知の濃度の水素と窒素との混合ガス)を窒素で希釈することにより各水素濃度でのMSSの応答(出力電圧)を調べた。ここで、感応膜が蒸着されたMSSを温度制御された恒温槽の中に収容し、外部からガスを導入した。流量計(マスフローコントローラ、MFC)によりコントロールすることにより当該ガスの水素濃度を変化させることが可能である。温度は流入ガスおよび恒温槽内を同じ温度とした。本実施例においては25℃で測定を行った。
【0024】
図4は膜厚30nmの非晶質PdCuSi薄膜を感応膜として用いたMSSからなる水素センサーからの出力電圧を示す。ここで、水素濃度を0%→0.2%→0.48%→1%→2%→4%→2%→1%→0.48%→0.2%と300秒ごとに変化させ、このサイクルを6回繰り返したときの水素センサーの出力電圧を示す。濃度の上昇中及び下降中において同じ濃度では同じ出力電圧値を示すことから、本水素センサーではヒステリシスがほとんどないことがわかる。これにより、例えば水素濃度の上昇過程の信号波形と下降過程の信号波形とは互いにほぼ鏡像関係になっていて一方の信号波形に応答のほぼすべての情報が入っていることになることから、信号波形の処理を簡略化することが可能となる。またこの信号強度を本願出願人が先に特願2017-155808として出願したところの、感応膜としてPd単体を用いた結果と比較しても、本実施例の方が大きな出力電圧値が得られている。詳細は後述する。
【0025】
図5はガスの温度及び非晶質PdCuSi薄膜の膜厚について図4と同じ条件の下で、水素濃度を0.2%、0.48%、1%、2%及び4%のある水素濃度と0%との間で300秒ごとに切り替えるサイクルを3回繰り返し、次に別の水素濃度について同じ切り替えを行うという測定を繰り返す測定を行ったときの水素センサーの出力電圧を示す。出力電圧の飽和値は同じ水素濃度では何れもほぼ同じであり、水素濃度4%の場合の飽和までの到達時間は10秒程度であった。
【0026】
図6はガスの温度及び非晶質PdCuSi薄膜の膜厚について図5と同じ条件の下で、図5と同様な測定を行った際の水素センサーの出力電圧を示す。ただし、ここでは水素濃度を低濃度、具体的には12ppm、25ppm、50ppm及び100ppmとし、また同一水素濃度の上記サイクルの繰り返しを2回とした。各水素濃度で30分間水素含有ガスを供給し、90分間窒素のみを供給するというサイクルを各水素濃度で2回ずつ繰り返した。この結果から、水素濃度を低くした場合、水素センサー出力電圧が飽和に達するまでの時間がより長くなることがわかる。
【0027】
図7はガスの温度が図5と同じ条件の下であって、非晶質PdCuSi薄膜の膜厚については30nm及び50nmの二つの場合について、ガスの各種の水素濃度の1/2乗に対する水素センサーの出力電圧のピーク値をプロットした結果を示す。これからわかるように、出力値(ピーク値)は濃度と正の相関を持っている。また、当然のことではあるが、感応膜として使用される非晶質PdCuSi薄膜の膜厚をこのように非常に薄くした場合には、膜厚を薄くした方が出力電圧が減少することもわかる。
【0028】
図8はガスの温度が図5と同じ条件の下であり、かつ非晶質PdCuSi薄膜の膜厚30nmの場合に、水素ガス濃度をさらに低くしたとき、具体的には0.25ppm、0.5ppm及び1ppmとしたときの水素センサーの出力電圧を示す。ここで、各水素濃度のガスを300秒間水素センサーに供給したが、飽和状態に達するには長時間かかるために飽和値での判定はできなかった。しかしながら図中の出力電圧の変化からわかるように、水素濃度に応じてこの変化の傾き(つまり、上述した波形)が異なることがわかる。そこでこのグラフを時間微分したものを図9に示す。
【0029】
図9は水素濃度を0.25ppm、0.5ppm、及び1ppmとした場合の水素センサーの出力電圧の時間微分である。各水素濃度で一定の信号を得ることができる。時間微分の方法は隣接したn点を多項式で近似したのちにその微分係数を求める方法であるSavitzky-Golay(SG)法を用いた。図9においては2次式近似と101点の隣接点を用いて計算したものである。
【0030】
図10図5の、また図11図6に示す出力電圧をそれぞれ時間微分したものであり、濃度に応じて微分値にも違いが出ることがわかる。信号の微分値は感応膜への水素吸蔵の速度に相当する量と考えられ、水素雰囲気の水素分圧に対する吸蔵速度の違いを表している。図10および図11図9と同様SG法を用いて数値微分したものであり、2次式近似と21点の隣接点を用いて計算したものである。図9の場合より隣接点が少ないのは高濃度ほど信号電圧が強くS/N比の違いによるものである。
【0031】
図12図9図10及び図11の各濃度でのピーク値を濃度ごとにプロットしたものである。これらのピーク値は濃度に対して単調増加の傾向が見られる。このように、本発明の水素センサーの出力電圧を時間微分することにより、1ppm以下の低濃度の水素であってもその存在や濃度を判定可能である。具体的には水素濃度が0.25ppmの場合でも、このような低濃度のガスが与えられている間の本発明の水素センサーの出力電圧の微分値は他の状態の微分値と一見して区別できる。したがって、本発明の水素センサーを使用することにより、図11及び図12からわかるように、水素濃度が0.25ppmという水素濃度が極めて低いガスであっても特別な信号処理なしで十分大きなS/N比で検出することができる。さらには、本実施例では0.25ppmの水素濃度のガスまでしか実験しか示していない。0.12ppmの実験を行ったが、30nm~50nmの膜厚条件においては0.25ppm程度が検出限界と考えられる。厚い膜を使うことによりさらに低濃度の測定できる可能性はある。
【0032】
ここで本実施例における非晶質Pd75Cu10Si15薄膜(膜厚30nm)感応膜を使用したMSSで構成された水素センサーと上述した特願2017-155808におけるPd薄膜(膜厚20nm)を使用したMSSで構成された水素センサーとのセンサー動作を具体的に比較する実験を行った。なお、ここでPd薄膜の方が膜厚が薄いが、これら2種類の膜に含有されるPdの量はPd薄膜の方がむしろ多いので、Pd薄膜を使用した水素センサー側に特に不利な比較にはなっていないと考えられる。
【0033】
比較実験においては、上記2種類の水素センサーに対して水素を4%混入した窒素ガスと純粋な窒素ガスとを繰り返し導入し、センサー出力を測定した。本発明の実施例の水素センサー及びPd薄膜を使用した水素センサーのデータを夫々図13及び図14のグラフに示す。これらの図において、下側が水素センサーに導入された窒素ガス中の水素濃度(%)の変化を、また上側が水素センサーの出力電圧(mV)の変化を示す。なお、ガスの切り替えは本発明の実施例の水素センサーでは5分毎に、またPd薄膜を使用した水素センサーでは180分毎に行った。両者で切り替え周期が異なるのは、両センサーの水素ガスに対する応答速度が異なるためである。具体的には、水素混入窒素ガス導入後飽和値に達する時間は、本発明の実施例の水素センサーの場合は10程度、Pd薄膜を使用した水素センサーでは60分程度であった。また、水素センサーの出力信号の繰り返しのピーク高さを見ると、本発明の実施例の水素センサーでは出力電圧が大きいだけでなく、導入を繰り返してもそのピーク高さがほぼ一定であるが、Pd薄膜を使用した水素センサーでは導入を繰り返すについてピーク高さが減少していき再現性に乏しいことがわかる。
【0034】
上記比較の結果、本発明の実施例の水素センサーの方が反応速度が大きく、再現性が良好であり(ヒステリシスが小さい)、また信号強度が大きいという結果をもたらしているのは、PdCuSi中のPdが微粒子化しており、また合金となっていることでMSS基板との密着性が良いためであると考えられる。
【産業上の利用可能性】
【0035】
以上説明したように、本発明は単純な構成の水素センサーを使用して燃料電池や水素利用施設等の高い安全性を確保するために利用可能である等、産業上の利用可能性は高いと期待される。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0036】
【文献】特開2015-45657
【文献】再公表2013/157581
【文献】再公表2011/148774
【文献】特開2008-8869
【文献】特開2009-139106
【文献】特開2010-181282
【文献】特開2017-215170
【非特許文献】
【0037】
【文献】S. Okuyama et al., Jpn. J. Appl. Phys., 39(2000)3584.
【文献】Yen-I Chou et al., Tamkang J. Sci. Eng., 10(2007)159.
【文献】JIS W 0201:1990 標準大気
【文献】梶田進, Panasonic Technical J. Vol.61(2015)61.
【文献】山崎宏明 et al.,IEEJ Trans. Sens. Micro. 138(2018)312.
【文献】G. Yoshikawa et al., Nano Lett., 11(2011)1044.
【文献】G. Yoshikawa et al., Sensors 12(2012)15873.
【文献】G. Imamura et al., Anal. Sci., 32(2016)1189.
【文献】G. Yoshikawa, Applied Physics Letters 98, 173502 (2011).
図1
図2
図3
図4
図5
図6
図7
図8
図9
図10
図11
図12
図13
図14