(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2022-05-23
(45)【発行日】2022-05-31
(54)【発明の名称】飛行時間型質量分析装置及び質量分析方法
(51)【国際特許分類】
H01J 49/40 20060101AFI20220524BHJP
H01J 49/10 20060101ALI20220524BHJP
【FI】
H01J49/40
H01J49/10
(21)【出願番号】P 2017225112
(22)【出願日】2017-11-22
【審査請求日】2020-10-06
【新規性喪失の例外の表示】特許法第30条第2項適用 刊行物 日本分析化学会第66年会 学会予稿集 発行日 平成29年8月26日 〔刊行物等〕 集会名 日本分析化学会 第66年会 開催日 平成29年9月11日
(73)【特許権者】
【識別番号】000171115
【氏名又は名称】今坂 藤太郎
(73)【特許権者】
【識別番号】517409664
【氏名又は名称】今坂 智子
(74)【代理人】
【識別番号】100088155
【氏名又は名称】長谷川 芳樹
(74)【代理人】
【識別番号】100145012
【氏名又は名称】石坂 泰紀
(72)【発明者】
【氏名】今坂 藤太郎
(72)【発明者】
【氏名】今坂 智子
【審査官】中尾 太郎
(56)【参考文献】
【文献】特開平08-064170(JP,A)
【文献】特開平11-329345(JP,A)
【文献】特開2007-040955(JP,A)
【文献】特開2007-115556(JP,A)
【文献】特表2007-531218(JP,A)
【文献】特表2013-532886(JP,A)
【文献】特表2016-522887(JP,A)
【文献】米国特許出願公開第2007/0205358(US,A1)
【文献】国際公開第2005/074003(WO,A1)
【文献】Fengjian Shi,LASER ELECTROSPRAY MASS SPECTROMETRY: INSTRUMENTATION AND APPLICATION FOR DIRECT ANALYSIS AND MOLECULAR IMAGING OF BIOLOGICAL TISSUE,A Dissertation Submitted to the Temple University Graduate Board,米国,Temple University,2017年05月,Chapter 2,pp. 30-67
【文献】C. Ye et al.,A field-programmable-gate-array based time digitizer for the time-of-flight mass spectrometry,Review of Scientific Instruments,米国,AIP Publishing,2014年04月16日,Vol. 85 045115,pp. 1-7
【文献】S. Yamaguchi et al.,Near-ultraviolet femtosecond laser ionization of dioxins in gas chromatography/time-of-flight mass spectrometry,Analytica Chimica Acta,NL,Elsevier,2008年11月12日,Vol. 632,pp. 229-233
【文献】J. A. McLean et al.,A High Repetition Rate (1 kHz) Microcrystal Laser for High Throughput Atmospheric Pressure MALDI-Quadrupole-Time-of-Flight Mass Spectrometry,Analytical Chemistry,米国,American Chemical Society,2002年12月24日,Vol. 75,pp. 648-654
【文献】Y. Tang et al.,Determination of polycyclic aromatic hydrocarbons and their nitro-,amino-derivatives absorbed on particulate matter 2.5 by multiphoton ionization mass spectrometry using far-, deep-, and near-ultraviolet femtosecond lasers,Chemosphere,NL,Elsevier,2016年03月11日,Vol. 152,pp. 252-258
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
H01J 49/40
H01J 49/10
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
フェムト秒レーザー
光のパルスを発光する発光部と、
前記パルスで測定対象成分をイオン化するイオン化領域、前記イオン化領域で発生したイオンが飛行する飛行領域、及び、前記飛行領域を飛行した前記イオンを検出する検出部、を備える本体部と、
前記本体部よりも上流側から前記本体部の前記イオン化領域に前記測定対象成分を導入する導入部と、
前記パルスと前記検出部で検出された前記イオンの検出信号との時間間隔を計測する時間相関単一イオン計数部と、を備え、
前記本体部において、前記飛行領域の上流側に設けられるリペラー電極と前記検出部との間の距離が
10cm以下であり、
前記イオン化領域において前記測定対象成分に照射される前記パルスの繰り返し周波数が1kHz以上であ
り、
前記イオン化領域を区画する前記リペラー電極とグランドとして機能するグリッド電極との間の電位差が3kV以上である、飛行時間型質量分析装置。
【請求項2】
前記発光部としてファイバーレーザーを用いる、請求項1に記載の飛行時間型質量分析装置。
【請求項3】
前記飛行領域における前記イオンの飛行時間が30μs以下である、請求項1又は2に記載の飛行時間型質量分析装置。
【請求項4】
前記フェムト秒レーザー
光の1パルス当たりのエネルギーが100μJ以下である、請求項1~3のいずれか一項に記載の飛行時間型質量分析装置。
【請求項5】
前記導入部はキャピラリーを有する、請求項1~4のいずれか一項に記載の飛行時間型質量分析装置。
【請求項6】
前記導入部の上流側にガスクロマトグラフを備える、請求項1~5のいずれか一項に記載の飛行時間型質量分析装置。
【請求項7】
測定対象成分をイオン化するイオン化領域と、前記イオン化領域で発生したイオンが飛行する飛行領域と、前記飛行領域を飛行した前記イオンを検出する検出部と、を有する本体部を備える飛行時間型質量分析装置を用いる質量分析方法であって、
前記本体部よりも上流側から前記本体部の前記イオン化領域に測定対象成分を導入する工程と、
前記測定対象成分にフェムト秒レーザー
光のパルスを照射して前記測定対象成分をイオン化する工程と、
前記飛行領域を飛行したイオンを前記検出部で検出する工程と、
時間相関単一イオン計数法を用い、前記パルスと前記検出部で検出された前記イオンの検出信号との時間間隔を計測する工程と、を有し、
前記本体部において、前記飛行領域の上流側に設けられるリペラー電極と前記検出部との間の距離が
10cm以下であり、
前記パルスの繰り返し周波数が1kHz以上であ
り、
前記イオン化領域を区画する前記リペラー電極とグランドとして機能するグリッド電極との間の電位差が3kV以上である、質量分析方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本開示は、飛行時間型質量分析装置及び質量分析方法に関する。
【背景技術】
【0002】
飛行時間型質量分析装置は、高感度であるため、有機化合物の分析に広く利用されている。濃度が極めて低いダイオキシンのような毒物、及びニトロ芳香族化合物のような発がん物質を、サブフェムトグラムの精度で分析するためには、十分に高い感度を有することが望まれる。このような高感度化を図る方法として、フェムト秒レーザー光を用いた飛行時間型質量分析装置が提案されている(例えば、非特許文献1)。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0003】
【文献】“Gaschromatography/multiphoton ionization/time-of-flight mass spectrometry using afemtosecond laser”, Anal Bioanal Chem, (2013) 405:6907-6912
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0004】
微量成分の分析感度を向上するためには、測定試料に含まれるなるべく多くの分子にレーザー光を照射することが好ましい。このような観点から、高い繰り返し速度のレーザーを用いることが有効であると考えられる。しかしながら、繰り返し速度が高くなると、光パルス毎のイオン信号が重なって観測されるため、イオンの飛行時間を短くする必要がある。また、小型化されれば設置スペースの低減及び利便性が向上すると考えられるものの、飛行領域が短くなるとイオンの飛行時間が短くなる。ここで、イオンの飛行時間が短くなると、質量分解能が低くなることが懸念される。
【0005】
そこで、本開示では、一つの側面において、小型化が可能であるとともに、測定のダイナミックレンジが広く、且つ質量分解能に優れる飛行時間型質量分析装置を提供することを目的とする。また、別の側面において、測定のダイナミックレンジが広く、且つ質量分解能に優れる質量分析方法を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0006】
本発明は、一つの側面において、フェムト秒レーザー光又はピコ秒レーザー光を発光する発光部と、フェムト秒レーザー光又はピコ秒レーザー光で測定対象成分をイオン化するイオン化領域と、イオン化領域で発生したイオンが飛行する飛行領域と、飛行領域を飛行したイオンを検出する検出部と、フェムト秒レーザー光又はピコ秒レーザー光と検出部で検出されたイオンの検出信号との時間間隔を計測する時間相関単一イオン計数部と、を備え、飛行領域の上流側に設けられるリペラー電極と検出部との間の距離が20cm以下である、飛行時間型質量分析装置を提供する。
【0007】
本発明の飛行時間型質量分析装置は、フェムト秒レーザー光又はピコ秒レーザー光を発光する発光部と検出部で検出されたイオンの検出信号の時間間隔を計数する時間相関単一イオン計数部を備える。このため、ノイズを低減してS/N比を向上し、測定対象成分の検出下限を低減することができる。一方、時間相関単一イオン計数部を用いた場合、測定のダイナミックレンジ(測定可能な濃度範囲)を広くするためには、イオンの飛行時間データの積算回数を増やす必要がある。ここで、飛行時間データの積算回数を増やすと、質量分析に所要する時間が長くなる傾向にある。
【0008】
そこで、本発明の飛行時間型質量分析装置は、フェムト秒レーザー光又はピコ秒レーザー光を試料に照射する発光部を備えている。発光部におけるフェムト秒レーザー光又はピコ秒レーザー光のパルスの繰り返し速度を高くすることによって、飛行時間の積算回数を容易に増やして測定のダイナミックレンジを広くすることができる。時間相関単一イオン計数部は高速データ処理が可能であることから、パルスの繰り返し速度を速くしても飛行時間データを積算することができる。また、フェムト秒レーザー光又はピコ秒レーザー光を照射する発光部と時間相関単一イオン計数部を有するため、質量分解能を向上することができる。
【0009】
さらに、上記飛行領域において上流側に設けられるリペラー電極と検出部との間の距離は20cm以下である。したがって、飛行時間型質量分析装置の小型化を図ることができる。これによって、飛行時間型質量分析装置の設置スペースを低減し、持ち運びや装置の操作も容易にすることができる。通常、飛行領域が短くなると質量分解能が低下する傾向にある。しかしながら、本発明の飛行時間型質量分析装置は、時間相関単一イオン計数部を備えることから、飛行領域が短くても質量分解能を高く維持することができる。さらに、飛行領域におけるイオンと残留ガスとの衝突を低減することができるため、排気容量が小さく安価な排気装置を用いることができる。また、飛行時間をより短縮できるので分子量が大きな有機分子が測定対象成分に含まれていてもよい。
【0010】
上記発光部として、ファイバーレーザーを用いることが好ましい。高い繰り返し速度を有するファイバーレーザーは、1パルス当たりのエネルギーを小さくしてスペースチャージ効果を低減しつつ積算回数を大きくすることができる。このため、質量分解能を向上しつつダイナミックレンジを十分に広くすることができる。また、低コストであるうえに信頼性にも優れる。
【0011】
上記飛行領域におけるイオンの飛行時間は30μs以下であることが好ましい。飛行時間を短くすることによって、繰り返し速度が高い高出力のファイバーレーザーを利用することができる。また、信号の積算回数を大きくしてダイナミックレンジを広くすることができる。したがって、分析の感度を高めるとともに測定時間を短くすることができる。
【0012】
フェムト秒レーザー光又はピコ秒レーザー光の1パルス当たりのエネルギーは100μJ以下であることが好ましい。これによって、スペースチャージ効果を低減するとともに検出ピークの飽和を抑制することができる。したがって、質量分解能を一層向上しつつダイナミックレンジを広くすることができる。
【0013】
上記イオン化領域に測定対象成分を導入する部分にはキャピラリーを用いることが好ましい。これによって、イオン化領域の上流側にガスクロマトグラフを設ける場合に、死容積が無視できるようになり、ガスクロマトグラフの分解能の低下を抑制することができる。
【0014】
本発明の飛行時間型質量分析装置は、イオン化領域の上流側にガスクロマトグラフを備えることが好ましい。これによって、複数の成分を含有する試料であっても、区別して分析することができる。ガスクロマトグラフで分離した各成分の質量分析を行うためには、短時間で質量分析を行う必要がある。本発明の飛行時間型質量分析装置は、フェムト秒レーザー光又はピコ秒レーザー光を照射する発光部と時間相関単一イオン計数部とを備えることから、フェムト秒レーザー光又はピコ秒レーザー光のパルスの繰り返し速度を高くすることによって、短時間で質量分析を行うことができる。
【0015】
本発明は、別の側面において、飛行時間型質量分析装置を用いる質量分析方法であって、測定対象成分にフェムト秒レーザー光又はピコ秒レーザー光を照射して測定対象成分をイオン化する工程と、飛行領域を飛行したイオンを検出部で検出する工程と、時間相関単一イオン計数法を用い、フェムト秒レーザー光又はピコ秒レーザー光と検出部で検出されたイオンの検出信号との時間間隔を計測する工程と、を有し、飛行領域の上流側に設けられるリペラー電極と検出部との間の距離が20cm以下である、質量分析方法を提供する。
【0016】
本発明の質量分析方法は、時間相関単一イオン計数法を用い、イオンを計数する工程を有する。このため、ノイズを低減してS/N比を向上し、測定対象成分の検出下限を低減することができる。
【0017】
また、この質量分析方法では、フェムト秒レーザー光又はピコ秒レーザー光を試料に照射してイオンを生じさせている。繰り返し速度が高いフェムト秒レーザー光又はピコ秒レーザー光を用いることによって、イオンの飛行時間データの積算回数を増やすことができる。時間相関単一イオン計数部は高速データ処理が可能であることから、パルスの繰り返し速度を高くしても飛行時間データを積算することができる。すなわち、本発明の分析方法は、繰り返し速度が高い高出力のフェムト秒レーザー光又はピコ秒レーザー光を用いるとともに、時間相関単一イオン計数法を採用することによって、分析感度と質量分解能を向上し、ダイナミックレンジを広くすることができる。
【0018】
さらに、上記質量分析方法に用いられる飛行時間型質量分析装置は、飛行領域の上流側に設けられるリペラー電極と検出部との間の距離が20cm以下である。したがって、飛行時間型質量分析装置の小型化を図ることができる。これによって、飛行時間型質量分析装置の設置スペースを低減し、持ち運びや装置の操作も容易にすることができる。通常、飛行領域が短くなると質量分解能が低下する傾向にある。しかしながら、本発明では、時間相関単一イオン計数法を用いていることから、上記距離が短くても質量分解能を高く維持することができる。さらに、飛行領域におけるイオンと残留ガスとの衝突を低減することができるため、排気容量が小さく安価な排気装置を用いることができる。また、飛行時間をより短縮できるので分子量が大きな有機分子が測定対象成分に含まれていてもよい。
【発明の効果】
【0019】
本開示によれば、小型化が可能であるとともに、測定のダイナミックレンジが広く、高感度で、且つ質量分解能に優れる飛行時間型質量分析装置を提供することができる。また、測定のダイナミックレンジが広く、且つ質量分解能に優れる質量分析方法を提供することができる。
【図面の簡単な説明】
【0020】
【
図1】
図1は、飛行時間型質量分析装置の一実施形態の概要を示す図である。
【
図2】
図2は、飛行時間型質量分析装置における本体部の内部構造を説明するための図である。
【
図3】
図3は、レーザー光のパルスの間隔と飛行時間の関係の例を示す図である。
【
図4】
図4(A)は、実施例1の質量スペクトルを示す図である。
図4(B)は実施例1で測定した試料に含まれるピネンの吸収スペクトルの理論計算の結果である。
【
図5】
図5は、実施例2の質量スペクトルを示す図である。
【
図6】
図6は、ピネンの濃度とピネンに相当するピークの計数確率との関係を示すグラフである。
【
図7】
図7(A)は、実施例4の質量スペクトルを示す図である。
図7(B)は実施例4で測定した試料に含まれるオイゲノールの吸収スペクトルの理論計算の結果である。
【発明を実施するための形態】
【0021】
以下、場合により図面を参照して、本開示の一実施形態について説明する。ただし、以下の実施形態は、本発明を説明するための例示であり、本発明を以下の内容に限定する趣旨ではない。説明において、同一要素又は同一機能を有する要素には同一符号を用い、場合により重複する説明は省略する。なお、各要素の寸法比率は図示の比率に限られるものではない。
【0022】
図1は、飛行時間型質量分析装置の一実施形態の概要を示す図である。飛行時間型質量分析装置100は、フェムト秒レーザー光又はピコ秒レーザー光を発光する発光部10と、フェムト秒レーザー光又はピコ秒レーザー光で測定対象成分をイオン化するイオン化領域、及び、イオン化領域で発生したイオンが飛行する飛行領域を有する本体部20と、イオンを計数する時間相関単一イオン計数部33及びマルチチャンネルアナライザ34を有する信号処理部30と、信号処理部30で得られたデータ(質量スペクトル)を表示する表示部50を備える。
【0023】
発光部10は、試料のイオン化光源として用いられるフェムト秒レーザー光又はピコ秒レーザー光を発光するものを適宜用いることができる。発光部10として、例えば、チタンサファイアレーザーを用いてもよいし、ファイバーレーザーを用いてもよい。これらのうち、ファイバーレーザーを用いることが好ましい。ファイバーレーザーは、高い繰り返し速度を有するため、1パルス当たりのエネルギーを小さくしてスペースチャージ効果を低減しつつ飛行時間データの積算回数を大きくしてダイナミックレンジを十分に広くすることができる。このため、質量分解能を一層向上するとともに、分析値の精度を高くすることができる。また、ファイバーレーザーは、信頼性にも優れつつ、コストを低減することもできる。ファイバーレーザーは、Yb(イッテルビウム)ファイバーレーザーであってもよいし、Er(エルビウム)ファイバーレーザーであってもよい。これらのうち、平均出力を一層高くする観点から、Ybファイバーレーザーが好ましい。
【0024】
フェムト秒レーザー光のパルス幅の上限は、分析感度向上の観点から、好ましくは700fsであり、より好ましくは100fsである。フェムト秒レーザー光のパルス幅の下限は、例えば1fsである。ピコ秒レーザー光のパルス幅の上限は、同様の観点から、好ましくは700psであり、より好ましくは100psである。ピコ秒レーザー光のパルス幅の下限は、例えば1psである。分析感度を十分に向上する観点から、発光部10は、フェムト秒レーザー光を発光するものであることが好ましい。
【0025】
フェムト秒レーザー光又はピコ秒レーザー光の1パルス当たりのエネルギーは、スペースチャージ効果を低減するとともに検出ピークの飽和を抑制する観点から、好ましくは100μJ以下であり、より好ましくは60μJ以下であり、さらに好ましくは40μJ以下である。エネルギーの大きさは、発光部10と本体部20の間にエネルギー調節部を設けて調節してもよい。エネルギー調節部としては、公知のフィルタを用いることができる。
【0026】
高い精度で定量分析を行うためには、時間相関単一イオン計数部33で、フェムト秒レーザー光又はピコ秒レーザー光のパルスの繰り返し速度に対するイオンの計数速度の比を1/10以下にすることが好ましい。この比が1/10を超えると、イオン数と検出ピークの強度との比例関係が成立し難くなり、定量分析の精度が低下する場合がある。このような観点からも、フェムト秒レーザー光又はピコ秒レーザー光のパルスの繰り返し速度は大きい方が好ましい。
【0027】
発光部10から照射されるフェムト秒レーザー光又はピコ秒レーザー光のパルスの繰り返し周波数は、好ましくは40kHz以上であり、より好ましくは100kHz以上である。フェムト秒レーザー光又はピコ秒レーザー光のパルスの繰り返し周波数を大きくすること、すなわちパルスの繰り返し速度を高くすることによって、より多くの試料分子をイオン化して分析感度を高くすることができる。また、イオンの計数速度を上げることが可能になるため、飛行時間データの積算時間を短くすることができる。したがって、ガスクロマトグラフと組み合わせて、混合物を分析する上で有利である。ガスクロマトグラフは通常の市販品を、本体部20の上流側にある試料の導入部21に接続することができる。
【0028】
フェムト秒レーザー光又はピコ秒レーザー光のパルスの繰り返し周波数を大きくしつつ、1パルス当たりのエネルギーを小さくすることによって、信号の飽和を抑制しつつダイナミックレンジを広くすることができる。
【0029】
フェムト秒レーザー光又はピコ秒レーザー光の波長は、測定対象成分の種類に応じて調節してもよい。発光部10は、波長を例えば紫外域又は近赤外域に調節するための波長調節部を有していてもよい。波長調節部は非線形光学結晶の一種であるベータ型ほう酸バリウム等で構成される公知のものを用いることができる。フェムト秒レーザー光又はピコ秒レーザー光の波長が測定対象成分の吸収バンド内に含まれていれば、一層高い感度で試料の濃度を測定することができる。
【0030】
本実施形態ではフェムト秒レーザー光又はピコ秒レーザー光を用いているので、測定対象成分に照射されるフェムト秒レーザー光又はピコ秒レーザー光の波長が、測定対象成分の吸収バンド内に含まれていなくてもよい。このような場合であっても、フェムト秒レーザー光又はピコ秒レーザー光を用いることによって、電子が基底状態から一旦仮想的なエネルギー準位に励起され、その後イオン化する現象が高い頻度で発生する。このように非共鳴の場合であっても、分子を効率よくイオン化することができるため、例えば測定対象成分が未知のものであっても、高感度に測定を行うことができる。
【0031】
発光部10からのフェムト秒レーザー光又はピコ秒レーザー光(レーザー光12)は、反射板13で進行方向が調節された後、本体部20に導入される。本体部20には、導入部21から測定対象成分が導入される。測定対象成分は、不活性ガス等で希釈されていてもよい。測定対象成分が導入される部分である導入部21はキャピラリーを有する。これによって、導入部21の上流側にガスクロマトグラフを容易に接続することができる。
【0032】
図2は、本体部20の内部構造を説明するための図である。本体部20は、試料をレーザー光12でイオン化するイオン化領域24と、イオン化領域24で発生したイオンが飛行する飛行領域27と、飛行領域27を飛行したイオンを検出する検出部28を備える。
【0033】
本体部20は、イオンを加速するための電圧を印加するリペラー電極22と、グランドとして機能する一対のグリッド電極26a,26bを有する。イオン化領域24は、リペラー電極22とグリッド電極26aとで区画される。イオン化領域24には、
図1の導入部21からイオン化領域24に測定対象成分を含有する試料が導入される。試料は例えば窒素やヘリウム等の不活性ガスと測定対象成分を含むガスである。測定対象成分は、例えば有機化合物である。測定対象成分は、イオン化領域24においてレーザー光12に照射され、イオン化する。生成したイオンは、リペラー電極22とグリッド電極26a間の電位差によって加速され、検出部28に向かって飛行する。
【0034】
リペラー電極22とグリッド電極26a間の電位差は、イオン化領域24でイオンを加速して飛行領域27を飛行するイオンの飛行時間を短くする観点から大きい方が好ましい。当該電位差は、好ましくは3kV以上であり、より好ましくは10kV以上であり、さらに好ましくは20kV以上である。
【0035】
一方のグリッド電極26aは、飛行領域27の上流側に設けられ、他方のグリッド電極26bは飛行領域27の下流側に設けられる。このようにして対向配置される一対のグリッド電極26a,26bは、飛行領域27を区画している。イオン化領域24で発生したイオンは、イオン化領域24で加速された後、グリッド電極26aを通過して飛行領域27を検出部28に向かって飛行する。飛行領域27を飛行したイオンは、グリッド電極26bを通過して検出部28に到達する。
【0036】
リペラー電極22と検出部28の間の距離Lは20cm以下であり、レーザー光のパルス毎に発生するイオン信号の重なりを避ける観点から、好ましくは15cm以下であり、より好ましくは10cm以下であり、さらに好ましくは8cm以下である。このように小型化すれば、飛行時間型質量分析装置100の設置スペースを一層低減しつつ持ち運びも一層容易にすることができる。例えばハンディータイプのモニターや腕時計サイズのセンサーとして用いることもできる。
【0037】
一対のグリッド電極26a,26bで区画される飛行領域27を飛行するイオンの飛行時間は好ましくは30μs以下であり、より好ましくは10μs以下であり、さらに好ましくは4μs以下である。このように飛行時間を短くすることによって、繰返し速度が高い高出力のレーザーを用いることができる。また、飛行時間データの積算回数を大きくすることができるので、質量分析に所要する時間を短くすることができる。
【0038】
リペラー電極22とグリッド電極26aとの間に、イオンの二段加速を行うため、任意の電極を備えていてもよい。このような電極を備えることによって、イオン化位置の相違によるイオンの検出タイミングの違いを低減し、質量分解能を向上することができる。
【0039】
図3は、レーザー光のパルスの繰り返し周波数と、飛行領域27におけるイオン飛行時間の関係の例を模式的に示す図である。
図3(A)、
図3(B)及び
図3(C)は、それぞれ、レーザー光のパルスPの周波数(繰り返し速度)が1kHz、100kHz及び1MHzの場合を示している。
図3(A)、
図3(B)及び
図3(C)において、横軸は時間を示し、縦線はパルスPの照射タイミングを示している。
図3(A)、
図3(B)及び
図3(C)におけるパルスPの間隔は、それぞれ、1ms(1ミリ秒)、10μs(10マイクロ秒)及び1μs(1マイクロ秒)である。
【0040】
パルスPの間隔よりも飛行時間FTが長くなると、質量スペクトルが重なるため、パルスPの間隔に応じて飛行時間FTを調節し、パルスPの間隔よりも飛行時間FTを十分に短くすることが好ましい。パルスPの間隔に対する飛行時間FTの比は、好ましくは0.8以下であり、より好ましくは0.2以下である。
【0041】
図1に戻り、検出部28にイオンが到達すると、検出部28はパルス信号を出力する。このパルス信号は、ストップ信号29として
図1に示す時間相関単一イオン計数部33に入力される。信号処理部30は、時間相関単一イオン計数部33とマルチチャンネルアナライザ34とを有する。信号処理部30は、時間相関単一イオン計数部33に、スタート信号15とストップ信号29が入力されるように構成される。
【0042】
時間相関単一イオン計数部33は、ストップ信号29を増幅する増幅器、時間分解能を向上するためコンスタントフラクションディスクリミネーター(CFD)、及び時間電圧変換器(TAC)等を備えていてもよい。時間電圧変換器(TAC)は、時間分解能が高く低コストである点で有用である。時間相関単一イオン計数部33はこのような構成に限定されず、時間電圧変換器(TAC)に代えて、パルスの時間間隔を直接測定するタイムデジタルコンバーター(TDC)を備えていてもよい。
【0043】
時間相関単一イオン計数部33は、スタート信号15とストップ信号29との時間間隔からイオンの飛行時間を計測する。計測された飛行時間は、デジタル信号として、マルチチャンネルアナライザ34において積算され、飛行時間のヒストグラムが作成される。このヒストグラムに基づいて質量スペクトルを得ることができる。質量スペクトルは、マルチチャンネルアナライザ34に接続されるパーソナルコンピュータ等の表示部50において表示される。
【0044】
時間相関単一イオン計数部33は、発光部10からのレーザー光をスタート信号15とし、検出部28からの検出信号をストップ信号29として求められる飛行時間をデジタル信号として積算するように構成される。飛行時間の計測を例えば1~100万回繰り返し行って飛行時間を積算し、飛行時間のヒストグラムを作成する。このヒストグラムに基づいて質量スペクトルを得ることができる。時間相関単一イオン計数部33は、ノイズを積算することなく飛行時間のみを積算するため、S/N比を大きくすることができる。なお、検出部28のアナログ信号をデジタル信号に変換することなく積算して計測してもよいが、時間分解能の向上及びノイズを低減する観点から、デジタル信号として積算することが好ましい。
【0045】
時間相関単一イオン計数部33としては、市販されている時間相関単一光子計数装置を用いることができる。そのような装置としては、例えば、株式会社堀場製作所製の高速蛍光寿命測定装置(FluoroCube)等が挙げられる。
【0046】
飛行時間型質量分析装置100は、レーザー光と検出部28で検出されたイオンの検出信号との時間間隔を測定する時間相関単一イオン計数部33を備える。このため、ノイズを低減してS/N比を向上し、試料における測定対象成分の検出下限を低減することができる。
【0047】
飛行時間型質量分析装置100は、レーザー光を試料に照射する発光部10を備えている。フェムト秒レーザー光又はピコ秒レーザー光はパルス幅が小さく、且つ繰り返し速度を高くすることが可能であるため、時間分解能を高め、飛行時間の積算回数を増やすことができる。時間相関単一イオン計数部33は高速データ処理が可能であることから、レーザー光のパルスの繰り返し速度を早くしても信号の数え落としがなく飛行時間を積算することができる。すなわち、飛行時間型質量分析装置100は、フェムト秒レーザー光又はピコ秒レーザー光を照射する発光部10と時間相関単一イオン計数部33を備えるため、質量分解能と分析感度の両方に優れる。
【0048】
本実施形態の飛行時間型質量分析装置は、分子量が例えば100以上の有機化合物の分析に極めて有効である。有機化合物の濃度が低い場合であっても、高い精度で分析することができる。例えば、ダイオキシンのような毒物、並びに、多塩素化ビフェニル、農薬、及びニトロ芳香族化合物のような発がん物質の微量分析に有用である。
【0049】
以上、本発明の飛行時間型質量分析装置の実施形態を説明したが、本発明は上述の実施形態に限定されない。例えば、飛行時間型質量分析装置は、本体部20の上流側にガスクロマトグラフを備えていてもよい。ガスクロマトグラフで分離された成分を導入部21から本体部20に導入することによって、測定対象成分以外の成分を含有する試料、又は測定対象成分を複数含有する試料であっても、これらを区別して分析することができる。また、信号処理部30は、時間相関単一イオン計数部33とマルチチャンネルアナライザ34が別々のハード構成ではなく一体となっていてもよい。さらに、信号処理部30が表示部50を備えていてもよい。
【0050】
本発明の質量分析方法の一実施形態は、上述の飛行時間型質量分析装置100を用いる。本実施形態の質量分析方法は、イオン化領域24において測定対象成分に発光部10からのレーザー光12を照射してイオンを生じさせるレーザー照射工程と、飛行領域27を飛行したイオンを検出部28で検出する検出工程と、レーザー光と検出部28で検出されたイオンの検出信号とを、それぞれスタート信号15及びストップ信号29とする時間相関単一イオン計数法によって、イオンの飛行時間を計測するデータ処理工程を有する。各工程は、上述の飛行時間型質量分析装置100の説明内容に基づいて行うことができる。時間相関単一イオン計数法によるイオンの飛行時間の計測は、時間相関単一イオン計数部33において行うことができる。
【0051】
上記質量分析方法は、ガスクロマトグラフにおいて試料を複数に分離する分離工程を有していてもよい。この場合、レーザー照射工程では、分離された一つ以上の測定対象成分にレーザー光を照射してイオンを生じさせることができる。したがって、複数の成分を含有する試料であっても、これらを区別して分析をすることができる。
【0052】
本発明の質量分析方法は上述の実施形態に限定されない。飛行時間型質量分析装置100とは装置構成が異なる飛行時間型質量分析装置を用いて上述の質量分析方法を行ってもよい。例えば、時間相関単一イオン計数部33とマルチチャンネルアナライザ34が別々のハード構成ではなく一体となった信号処理部を有する飛行時間型質量分析装置を用いて行ってもよい。
【実施例】
【0053】
実施例及び参考例を参照して本発明の内容をより詳細に説明するが、本発明は下記の実施例に限定されるものではない。
【0054】
(
参考例1)
図1及び
図2と同じ構成を有する飛行時間型質量分析装置を用いて、下記式で表される、アレルギー物質であるピネン(分子量=136)の分析を行った。まず、測定対象成分であるピネンを含む試料(サンプル瓶に入れたピネンを蒸発させて窒素ガスにて希釈した試料)を準備した。
【0055】
【0056】
ここで用いた飛行時間型質量分析装置の本体部20におけるリペラー電極22と検出部28との間の距離Lは約42cmであった。また、リペラー電極22とグリッド電極26a間の電位差は1780Vとした。チタンサファイアレーザーからのフェムト秒レーザー光を、波長変換部において267nmの波長に変えた後、イオン化領域24において試料に照射した。照射したフェムト秒レーザー光のパルス幅は100fs、繰り返し速度は1kHz、1パルス当たりのエネルギーは0.142μJとした。飛行時間データの積算時間は205秒とした。得られた質量スペクトルは
図4(A)に示すとおりであった。
【0057】
図4(B)は、ピネンの吸収スペクトルの理論計算の結果を示す図である。
図4(B)から、測定に用いたフェムト秒レーザー光の波長(267nm)付近にはピネンの吸収バンドがないことが分かる。このように、フェムト秒レーザー光の波長が吸収バンド内に含まれていないにもかかわらず、
図4(A)に示すとおり、フェムト秒レーザー光の1パルス当たりのエネルギーが低くても、十分にピネンが測定できることが確認された。
【0058】
(
参考例2)
ピネンの濃度が異なる試料(窒素ガスにてピネンを約6.4体積ppmに調整した試料)を用いたこと、及び、照射したフェムト秒レーザー光の1パルス当たりのエネルギーを2.6μJとしたこと、同一サイズの異なる質量分析装置を用いたこと、リペラー電極22とグリッド電極26a間の電位差を1980Vとしたこと、及び飛行時間データの積算時間を600秒とした以外は、
参考例1と同様にして質量分析を行った。得られた質量スペクトルは
図5に示すとおりであった。
【0059】
図5に示すとおり、ppmオーダーの成分も測定できることが確認された。なお、質量スペクトルで検出されているフェノール及びヘキサンは、試料の調整に用いたプラスチック製サンプリングバッグに含まれていた不純物に由来するものと考えられる。
図5のグラフの縦軸(Counts)は測定したイオンの数である。イオンの計数確率は、以下の計算式で求められる。レーザー光の1パルス当たりのエネルギーが高くなると計数確率が高くなり信号が飽和する傾向にあるが、本
参考例では計数確率が0.1よりも十分に小さく、信号強度を正確に測定することができた。
計数確率=測定したイオンの数[回]/(計測時間[秒]×レーザー光の繰り返し周波数[Hz])
【0060】
(
参考例3)
ピネンの濃度を1.7~6.4体積ppmの範囲内で変えた試料を複数調製し、
参考例2と同様にして質量分析を行った。得られた分析結果を、
図6にプロットした。
図6は、ピネンの濃度とピネンに相当するピークの計数確率との関係を示すグラフである。
図6に示すとおり、両者に高い相関関係が認められた。この結果から、ppmオーダーでも十分に高い精度で定量分析ができることが確認された。各試料の質量分析で得られた質量スペクトルのノイズの高さから検出下限を求めた。すなわち、S/N比が3となるピネンの濃度を求めた。この結果、ピネンの検出下限は0.36体積ppmであった。このことから、検出下限は十分に低く、分析感度に優れることが確認された。
【0061】
(実施例4)
下記式で表される、アレルギー物質であるオイゲノール(分子量=164)を含む試料(窒素ガスにてオイゲノールを30体積pptに調整した試料)を用いたこと、リペラー電極22と検出部28との間の距離Lが約6.4cmである本体部20を備える飛行時間型質量分析装置を用いたこと、フェムト秒レーザー光の1パルス当たりのエネルギーを34μJとしたこと、及び積算時間を1500秒としたこと以外は、
参考例1と同様にして質量分析を行った。得られた質量スペクトルは
図7(A)に示すとおりであった。
【0062】
【0063】
図7(B)は、オイゲノールの吸収スペクトルを理論計算により求めた結果である。
図7(B)に示すとおり、測定に用いたフェムト秒レーザー光の波長(267nm)は、オイゲノールの吸収バンド内に含まれている。
【0064】
図7(A)の質量スペクトルに基づいて、検出下限、すなわちS/N比が3となるオイゲノールの濃度を求めたところ、1.2pptであった。このように、検出下限は十分に低く、分析感度に十分に優れることが確認された。
【産業上の利用可能性】
【0065】
本開示によれば、小型化が可能であるとともに、測定のダイナミックレンジが広く、且つ質量分解能に優れる飛行時間型質量分析装置を提供することができる。また、測定のダイナミックレンジが広く、且つ質量分解能に優れる分析方法を提供することができる。
【符号の説明】
【0066】
10…発光部、12…レーザー光、13…反射板、15…スタート信号、20…本体部、21…導入部、22…リペラー電極、24…イオン化領域、26a,26b…グリッド電極、27…飛行領域、28…検出部、29…ストップ信号、30…信号処理部、33…時間相関単一イオン計数部、34…マルチチャンネルアナライザ、50…表示部。