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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2022-05-25
(45)【発行日】2022-06-02
(54)【発明の名称】微生物の識別方法
(51)【国際特許分類】
   G01N 27/62 20210101AFI20220526BHJP
【FI】
G01N27/62 V
【請求項の数】 8
(21)【出願番号】P 2019055145
(22)【出願日】2019-03-22
(65)【公開番号】P2020153933
(43)【公開日】2020-09-24
【審査請求日】2021-06-14
(73)【特許権者】
【識別番号】000001993
【氏名又は名称】株式会社島津製作所
(74)【代理人】
【識別番号】110003007
【氏名又は名称】特許業務法人謝国際特許商標事務所
(74)【代理人】
【識別番号】100153394
【弁理士】
【氏名又は名称】謝 卓峰
(74)【代理人】
【識別番号】100145056
【弁理士】
【氏名又は名称】當別當 健司
(74)【代理人】
【識別番号】100116311
【氏名又は名称】元山 忠行
(72)【発明者】
【氏名】寺本 華奈江
【審査官】吉田 将志
(56)【参考文献】
【文献】特開2007-316063(JP,A)
【文献】国際公開第2017/168741(WO,A1)
【文献】国際公開第2017/168742(WO,A1)
【文献】国際公開第2017/168743(WO,A1)
【文献】特開2008-008769(JP,A)
【文献】特表2016-528880(JP,A)
【文献】国際公開第2013/058280(WO,A1)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
G01N 27/60 - G01N 27/70
G01N 27/92
CAplus(STN)
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
a)微生物を含む試料を質量分析することにより得られたマススペクトル上における、マーカータンパク質由来のピークの質量電荷比を読み取るステップ;および、
b)前記質量電荷比に基づいて、前記試料にCutibacterium acnes(C. acnes)が含まれるか否かを判定するステップ;を含み、
前記マーカータンパク質が、リボソームタンパク質L7/L12、L9、L18、L28、L29、L30、L31、S8、S15、S19およびS20からなる群より選ばれる1つ以上であることを特徴とする微生物の識別方法。
【請求項2】
a)被検微生物を質量分析することにより得られたマススペクトル上における、マーカータンパク質由来のピークの質量電荷比を読み取るステップ;および、
b)前記質量電荷比に基づいて、前記被検微生物がC. acnesタイプI、IIまたはIIIであるか否かを判定するステップ;を含み、
前記マーカータンパク質が、リボソームタンパク質L6およびL23の組み合わせ、リボソームタンパク質L15およびL23の組み合わせ、またはリボソームタンパク質L6およびL15の組み合わせであることを特徴とする微生物の識別方法。
【請求項3】
a)被検微生物を質量分析することにより得られたマススペクトル上における、マーカータンパク質由来のピークの質量電荷比を読み取るステップ;および、
b)前記質量電荷比に基づいて、前記被検微生物がC. acnesタイプIのphylotype
IA1もしくはIA2、またはIBであるか否かを判定するステップ;を含み、
前記マーカータンパク質が、リボソームタンパク質L13およびアンチトキシン(antitoxin)の組み合わせであることを特徴とする微生物の識別方法。
【請求項4】
マススペクトル上における前記アンチトキシンのピークの質量電荷比(m/z)が、7034.6である、請求項3に記載の識別方法。
【請求項5】
マススペクトル上における前記マーカータンパク質が、2価イオンをさらに含む、請求項1~4のいずれか1項に記載の識別方法。
【請求項6】
a)微生物を含む試料を質量分析することにより得られたマススペクトル上における、マーカータンパク質由来のピークの質量電荷比を読み取るステップ;および、
b)前記質量電荷比に基づいて、前記試料にC. acnesタイプI、IIまたはIIIの少なくとも1つが含まれるか否かを判定するステップ;を含み、
前記ステップb)において、前記マススペクトル上に、リボソームタンパク質L6およびL23の組み合わせ、リボソームタンパク質L15およびL23の組み合わせ、またはリボソームタンパク質L6およびL15の組み合わせに関して、C. acnesタイプI、II、ならびにIIIに特有の変異を有する場合の質量電荷比のピークの少なくとも1つが存在する場合に、前記試料にC. acnesタイプI、IIまたはIIIの少なくとも1つが含まれると判定することを特徴とする微生物の識別方法。
【請求項7】
コンピュータに、請求項1~6のいずれか1項に記載の各ステップを実行させるためのプログラム。
【請求項8】
請求項1~6のいずれか1項に記載の識別方法を用いる、皮膚細菌叢の分析方法。


【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、質量分析を利用する微生物の識別方法に関する。より具体的には、本発明は、質量分析を利用することにより、キューティバクテリウム・アクネス(Cutibacterium acnes)の系統型(phylotype)を識別する方法に関する。
【背景技術】
【0002】
微生物の種類を識別する方法の1つとして、従来からDNA塩基配列に基づく相同性解析が知られており、微生物の分類・同定等に広く用いられている(特許文献1)。この手法では、まず、被検微生物からDNAを抽出して、リボソームRNA遺伝子等の、全生物に高い保存性で存在している領域のDNA塩基配列を決定する。次に、このDNA塩基配列を用いて、既知微生物のDNA塩基配列データを多数収録したデータベースを検索し、前記被検微生物のDNA塩基配列と高い類似性を示す塩基配列を選出する。そして、該塩基配列が由来する生物種を、前記被検微生物と同一種または近縁種であると判定する。しかしながら、このようなDNA塩基配列を利用する手法では、被検微生物からのDNA抽出やDNA塩基配列の決定などに比較的長い時間を要するため、迅速な微生物同定を行うのが困難であるという問題があった。また、リボソームRNA遺伝子は進化速度が比較的遅いため、系統のかけ離れた生物間での比較は容易であるが、非常に近縁な菌種間での比較は一般的に困難である。
【0003】
そこで近年では、被検微生物を質量分析して得られたマススペクトルパターンに基づいて微生物同定を行う手法が用いられるようになった。質量分析によれば、微量の微生物試料を用いて短時間で分析結果を得ることができ、かつ多検体の連続分析も容易であるため、簡便かつ迅速な微生物同定が可能となる。この手法では、まず、被検微生物から抽出したタンパク質を含む溶液および被検微生物の懸濁液等を、MALDI-MS(マトリックス支援レーザー脱離イオン化質量分析法)などのソフトなイオン化法を用いる質量分析装置によって分析する。なお「ソフトな」イオン化法とは、高分子量化合物の分解を生じにくいイオン化法をいう。そして、得られたマススペクトルパターンを、予めデータベースに多数収録された既知微生物のマススペクトルパターンと照合することにより、被検微生物の同定を行う。こうした手法は、マススペクトルパターンを各微生物に特異的な情報(すなわち指紋)として利用するため、フィンガープリント法と呼ばれている(非特許文献1および2)。
【0004】
上述の質量分析によるフィンガープリント法を用いる微生物同定においては、種レベルでの同定は可能であっても、より下位の分類レベルである亜種、病原型または株等のレベルでの識別は一般に困難とされている。さらに、フィンガープリント法では、マススペクトル上に現れる各ピークが、どのタンパク質に由来するかが特定されておらず、微生物を同定する上での理論的根拠および信頼性に課題を有していた。そこで、この課題を解消するため、微生物菌体を質量分析して得られるピークの約半分がリボソームタンパク質由来であることを利用し、質量分析で得られるピークの質量電荷比を、リボソームタンパク質遺伝子の塩基配列情報を翻訳したアミノ酸配列から推測される質量と関連づけることにより、該ピークの由来となるタンパク質の種類を帰属する手法が開発されている(特許文献2)。この手法によれば、理論的根拠に基づいた信頼性の高い微生物同定を行うことが可能となる。
【0005】
微生物に由来するタンパク質は、タンパク質の種類が同一であっても、微生物の分類レベル(科、属、種、亜種、病原型、血清型、株など)によって質量が相違する場合があり、その結果、質量分析におけるピークの観測値(質量電荷比m/z)が異なる。そのため、病原型または株レベルでの識別を再現性よく行うためには、同定対象とする病原型または株レベルでの識別に利用可能なマーカーピークを選択することが重要となる。例えば、特許文献2には、Pseudomonas putidaおよびその類縁細胞を同定・識別するためのバイオマーカータンパク質として、23種類のリボソームサブユニットタンパク質(L5、L13、L14、L15、L18、L19、L20、L22、L23、L24、L28、L30、L35、L36、S7、S8、S10、S13、S14、S17、S19、S20、およびS21)が利用可能であることが開示されている。また特許文献3には、病原型の大腸菌であり、腸管出血性大腸菌として知られるO157、O26およびO111を、質量分析によって同定・識別するためのマーカータンパク質として、O157については、リボソームタンパク質S15、リボソームタンパク質L25および酸ストレスシャペロンHdeBが利用可能であり、またO26およびO111については、DNA結合タンパク質H-NSが利用可能であることが開示されている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0006】
【文献】特開2006-191922
【文献】特開2007-316063
【文献】特開2015-184020
【非特許文献】
【0007】
【文献】Dekio I, Culak R, Fang M, et al.Correlation between phylogroups and intracellular proteomes ofPropionibacterium acnes and differences in the protein expression profilesbetween anaerobically and aerobically grown cells. Biomed Res Int.2013;2013:151797.
【文献】Dekio I, Culak R, Misra R, et al.Dissecting the taxonomic heterogeneity within Propionibacterium acnes: proposalfor Propionibacterium acnes subsp. acnes subsp. nov. and Propionibacteriumacnes subsp. elongatum subsp. nov. Int J Syst Evol Microbiol. 2015;65:4776-4787.
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
アクネ菌(Cutibacterium acnes、C. acnes)は、嫌気性グラム陽性の代表的な皮膚常在細菌である。アクネ菌は、代謝産物であるプロピオン酸等により皮膚表面を弱酸性に保ち、また有害菌の皮膚への定着を抑制するなどの有用性が報告されている。さらに、アクネ菌は、紫外線などの酸化ストレスによる皮膚の細胞の損傷を抑える働きのある抗酸化酵素を産生しており、皮膚を保護する作用を有することも報告されている(Allhorn M, et al. Sci Rep. 2016;6:36412)。その一方で、アクネ菌は、尋常性ざ瘡(ニキビ)等の原因としても知られている。皮膚において皮脂分泌が亢進し、毛包が角栓により閉鎖され、毛包内に皮脂が充満した面皰が形成されると、嫌気性菌であるアクネ菌が面皰中で増殖し、炎症性物質を産生して炎症を誘発する。有用なアクネ菌と日和見感染の原因となるアクネ菌を識別し、アクネ菌による皮膚炎症の治療、骨髄炎、心内膜炎、眼内炎などの原因となるアクネ菌感染の予防、またアクネ菌による美容器具、人工関節および医療器具の汚染の防止を図るには、アクネ菌の系統型(phylotype)を迅速に分析する必要がある。
【0009】
上述のフィンガープリント法により、アクネ菌の同定・分類が試みられている(非特許文献1および2)。これらは、アクネ菌とその菌体構成成分のイオン化に必要な試薬とをバイアルまたは試料プレート上で混合して分析用の試料を調製し、SALDI-MS(表面支援レーザー脱離イオン化質量分析法)またはMALDI-MS(マトリックス支援レーザー脱離イオン化質量分析法)により分析し、マススペクトルのパターンや、m/z 7000~7300付近に観測されるピークのパターンを用いてアクネ菌を同定・分類している。しかしながら、非特許文献1におけるSALDI-MSのマススペクトルはS/N比が低く、信頼性に欠ける。非特許文献2では、SALDI-MSおよびMALDI-MSを用いているが、SALDI-MSのマススペクトルはS/N比が低く、信頼性に欠け、また、MALDI-MSにおいては、分類に用いるピークの具体的なタンパク質への帰属がなされていないため、分類の根拠が明確ではない。NagyらもMALDI-MSによるアクネ菌の同定・分類を報告しているが、分類に用いるピークの具体的なタンパク質への帰属は行われていない(Nagy E, et al.
Anaerobe. 2013;20:20-26)。さらに、これらの質量分析を用いる方法では、現在のところアクネ菌のphylotypeを完全に分類することには成功していない。
【0010】
このように、アクネ菌のphylotypeを識別するための詳細な分析は一般に困難であり、質量分析において、ピークが分離し、識別に用いることができるバイオマーカータンパク質はいまだに特定されていないのが現状である。したがって、質量分析において、マススペクトルにおいて観察されるピークを帰属した、より信頼性の高い方法が必要である。
【0011】
本発明は、上記の点を鑑みてなされたものである。本発明の目的は、アクネ菌の進化系統群であるタイプI、II およびIII、さらにはタイプIを構成するphylotypeを再現性よく、また迅速に識別することのできるバイオマーカータンパク質を特定し、これを用いた微生物、特にアクネ菌の識別法を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0012】
すなわち、本発明の目的は、以下の発明により達成される。
〔1〕
a)微生物を含む試料を質量分析することにより得られたマススペクトル上における、マーカータンパク質由来のピークの質量電荷比を読み取るステップ;および、
b)前記質量電荷比に基づいて、前記試料にCutibacterium acnes(C. acnes)が含まれるか否かを判定するステップ;を含み、
前記マーカータンパク質が、リボソームタンパク質L7/L12、L9、L18、L28、L29、L30、L31、S8、S15、S19およびS20からなる群より選ばれる1つ以上であることを特徴とする微生物の識別方法。
〔2〕
a)被検微生物を質量分析することにより得られたマススペクトル上における、マーカータンパク質由来のピークの質量電荷比を読み取るステップ;および、
b)前記質量電荷比に基づいて、前記被検微生物がC. acnesタイプI、IIまたはIIIであるか否かを判定するステップ;を含み、
前記マーカータンパク質が、リボソームタンパク質L6およびL23の組み合わせ、リボソームタンパク質L15およびL23の組み合わせ、またはリボソームタンパク質L6およびL15の組み合わせであることを特徴とする微生物の識別方法。
〔3〕
a)被検微生物を質量分析することにより得られたマススペクトル上における、マーカータンパク質由来のピークの質量電荷比を読み取るステップ;および、
b)前記質量電荷比に基づいて、前記被検微生物がC. acnesタイプIのphylotype
IA1もしくはIA2、またはIBであるか否かを判定するステップ;を含み、
前記マーカータンパク質が、リボソームタンパク質L13およびアンチトキシン(antitoxin)の組み合わせであることを特徴とする微生物の識別方法。
〔4〕
マススペクトル上における前記アンチトキシンのピークの質量電荷比(m/z)が、7034.6である、〔3〕に記載の識別方法。
〔5〕
マススペクトル上における前記マーカータンパク質が、2価イオンをさらに含む、〔1〕~〔4〕のいずれかに記載の識別方法。
〔6〕
a)微生物を含む試料を質量分析することにより得られたマススペクトル上における、マーカータンパク質由来のピークの質量電荷比を読み取るステップ;および、
b)前記質量電荷比に基づいて、前記試料にC. acnesタイプI、IIまたはIIIの少なくとも1つが含まれるか否かを判定するステップ;を含み、
前記ステップb)において、前記マススペクトル上に、リボソームタンパク質L6およびL23の組み合わせ、リボソームタンパク質L15およびL23の組み合わせ、またはリボソームタンパク質L6およびL15の組み合わせに関して、C. acnesタイプI、II、ならびにIIIに特有の変異を有する場合の質量電荷比のピークの少なくとも1つが存在する場合に、前記試料にC. acnesタイプI、IIまたはIIIの少なくとも1つが含まれると判定することを特徴とする微生物の識別方法。
〔7〕
コンピュータに、〔1〕~〔6〕のいずれかに記載の各ステップを実行させるためのプログラム。
〔8〕
〔1〕~〔6〕のいずれかに記載の識別方法を用いる、皮膚細菌叢の分析方法。
【発明の効果】
【0013】
本発明によれば、代表的な皮膚常在細菌であるアクネ菌(C. acnes)が試料中に含まれるか否か、また被検微生物がC. acnesのタイプI、IIまたはIIIであるか否かを、再現性よく、また迅速に識別することができる。さらに、本発明によれば、C. acnesタイプIのサブタイプIA1もしくはIA2、またはIBを再現性よく、また迅速に識別することができる。
【0014】
C. acnesは、ニキビ等の皮膚疾患および皮膚の炎症の誘発に関与するが、主にC. acnesタイプIに起因すると考えられている。本発明により、試料中のC. acnesタイプIを、迅速かつ簡便に識別することができるため、ニキビ等の皮膚疾患の治療または予防に重要な皮膚細菌叢分析を迅速かつ簡便に行うことができる。さらには、本発明により、皮膚細菌叢分析に基づく皮膚の状態評価を簡便に行うことができるため、容易にスキンケアの評価を行うことができる。
【図面の簡単な説明】
【0015】
図1】本発明の微生物の識別方法に用いられる微生物識別システムの全体図である。
図2】本発明の微生物の識別方法を用いたC. acnesのタイプ識別手順を示す図である。
図3】C. acnesタイピングのためのマーカータンパク質のリストである。Sequencetype は、Multilocus Sequence Typing(MLST)による分類である。
図4】C. acnesタイピングに寄与するマススペクトル上のピークを示す図である。
図5】C. acnesプロテオタイピングのためのピークプロファイルを示す図である。Sequence type は、MultilocusSequence Typing(MLST)による分類である。
図6】C. acnesの分類結果を示す図である。
【発明を実施するための形態】
【0016】
図1は、本発明に係る微生物の識別方法に用いられる微生物識別システムの全体図である。
【0017】
この微生物識別システムは、大別して質量分析部10と微生物判別部20とからなる。質量分析部10は、マトリックス支援レーザ脱離イオン化法(MALDI)によって試料中の分子および原子をイオン化するイオン化部11と、イオン化部11から出射された各種イオンを質量電荷比に応じて分離する飛行時間型質量分離器(TOF)12とを備える。
【0018】
TOF12は、イオン化部11からイオンを引き出してTOF12内のイオン飛行空間に導くための引き出し電極13と、イオン飛行空間で質量分離されたイオンを検出する検出器14とを備える。
【0019】
微生物判別部20の実体は、ワークステーションおよびパーソナルコンピュータ等のコンピュータであり、中央演算処理装置であるCPU(Central Processing Unit)21にメモリ22、LCD(Liquid
Crystal Display)等から成る表示部23、キーボードおよびマウス等からなる入力部24、ハードディスクおよびSSD(Solid State Drive)等の大容量記憶装置からなる記憶部30が相互に接続されている。記憶部30には、OS(Operating System)31、スペクトル作成プログラム32、種決定プログラム33、およびphylotype決定プログラム35(本発明に係るプログラム)が記憶されると共に、第1データベース34および第2データベース36が格納されている。微生物判別部20は、さらに、外部装置との直接的な接続および外部装置等とのLAN(Local Area Network)などのネットワークを介した接続を司るためのインターフェース(I/F)25を備えており、該インターフェース25よりネットワークケーブルNW(または無線LAN)を介して質量分析部10に接続されている。
【0020】
図1においては、phylotype決定プログラム35(本発明に係るプログラム)に係るように、スペクトル取得部37、m/z読み取り部38およびphylotype判定部39が示されている。これらは、いずれも基本的にはCPU21がphylotype決定プログラム35を実行することにより、ソフトウェア的に実現される機能手段である。なお、phylotype決定プログラム35は、必ずしも単体のプログラムである必要はなく、例えば種決定プログラム33や、質量分析部10を制御するためのプログラムの一部に組み込まれた機能であってもよく、その形態は特に問わない。
【0021】
また、図1では、ユーザが操作する端末にスペクトル作成プログラム32、種決定プログラム33、およびphylotype決定プログラム35、第1データベース34、および第2データベース36を搭載する構成としたが、これらの少なくとも一部または全部を前記端末とコンピュータネットワークで接続された別の装置内に設け、前記端末からの指示に従って前記別の装置内に設けられたプログラムによる処理および/またはデータベースへのアクセスが実行される構成としてもよい。
【0022】
記憶部30の第1データベース34には、既知微生物に関する質量リストが多数登録されている。この質量リストは、ある微生物細胞を質量分析した際に検出されるイオンの質量電荷比を列挙したものであり、該質量電荷比の情報に加えて、少なくとも、前記微生物細胞が属する分類群(科、属、種など)の情報(分類情報)を含んでいる。こうした質量リストは、予め各種の微生物細胞を前記質量分析部10によるものと同様のイオン化法および質量分離法によって実際に質量分析して得られたデータ(実測データ)に基づいて作成することが望ましい。
【0023】
前記実測データから質量リストを作成する際には、まず、前記実測データとして取得されたマススペクトルから所定の質量電荷比範囲に現れるピークを抽出する。このとき、前記質量電荷比範囲を3,000~20,000程度とすることにより、主にタンパク質由来のピークを抽出することができる。また、ピークの高さ(相対強度)が所定の閾値以上のものだけを抽出することにより、不所望のピーク(ノイズ)を除外することができる。なお、リボソームタンパク質群は細胞内で大量に発現しているため、前記閾値を適切に設定することにより、質量リストに記載される質量電荷比の大部分をリボソームタンパク質由来のものとすることができる。そして、以上により抽出されたピークの質量電荷比(m/z)を細胞毎にリスト化し、前記分類情報等を付加した上で第1データベース34に登録する。なお、培養条件による遺伝子発現のばらつきを抑えるため、実測データの採取に用いる各微生物細胞は、予め培養環境を規格化しておくことが望ましい。
【0024】
記憶部30の第2データベース36には、既知微生物を種よりも下位の分類(亜種、病原型、血清型、株など)で識別するためのマーカータンパク質に関する情報が登録されている。該マーカータンパク質に関する情報としては、少なくとも既知微生物における該マーカータンパク質の質量電荷比(m/z)の情報が含まれる。第2データベース36に記憶されるマーカータンパク質は、2価イオンであってもよい。なお本明細書に記載される質量電荷比(m/z)は、特に明示しない限り、1価イオンに対する値である。本実施形態における第2データベース36には、被検微生物がC. acnesか否かを判定するためのマーカータンパク質に関する情報として、少なくともリボソームタンパク質L7/L12、L9、L18、L28、L29、L30、L31、S8、S15、S19、およびS20にそれぞれ対応する質量電荷比の値(L7/L12:m/z 13571.4、L9:m/z 16118.8、L18:m/z 13570.6、L28:m/z 6807.0、L29:m/z 8754.9、L30:m/z 6786.9、L31:m/z 7718.8、S8:m/z 14525.7、S15:m/z 10080.7、S19:m/z 10380.0およびS20:m/z 9570.0)が記憶されている。さらに、第2データベース36には、被検微生物がC. acnes タイプI、IIおよびIIIのいずれかであることを判定するためのマーカータンパク質L6、L15およびL23に関する情報として、それぞれのマーカータンパク質に対応する質量電荷比の値(L6:m/z 19678.5またはm/z 19706.6、L15:m/z 15384.7またはm/z 15357.6、およびL23:m/z 11181.0またはm/z 11200.0)が記憶されている。ここで、タイプIと判定するためのマーカータンパク質L6、L15およびL23に関する情報は、L6:m/z 19706.6かつL23:m/z 11200.0、L15:m/z 15384.7かつL23:m/z 11200.0、またはL6:m/z 19706.6かつL15:m/z 15384.7である。タイプIIと判定するためのマーカータンパク質L6、L15およびL23に関する情報は、L6:m/z
19678.6かつL23:m/z 11200.0、L15:m/z
15357.6かつL23:m/z 11200.0、またはL6:m/z
19678.6かつL15:m/z 15357.6である。タイプIIIと判定するためのマーカータンパク質L6、L15およびL23に関する情報は、L6:m/z 19678.6かつL23:m/z 11181.0、L15:m/z 15384.7かつL23:m/z 11181.0、またはL6:m/z 19678.6かつL15:m/z 15384.7である。
【0025】
さらに、第2データベース36には、C. acnesタイプIを、サブタイプIA1、IA2およびIBに細分するためのマーカータンパク質に関する情報として、L13に対応する質量電荷比の値(m/z 16153.5、m/z 16167.6およびm/z 16180.7)ならびにC. acnesのアンチトキシン(antitoxin)に対応するm/z 7034.6が記憶されている。アンチトキシン(antitoxin)は、細菌の染色体またはプラスミドDNAにコードされた、抗毒素タンパク質を指す。ここで、C. acnesタイプIを、サブタイプIA1に細分するためのマーカータンパク質に関する情報は、L13:m/z 16167.6かつ antitoxin:m/z 7034.6である。C. acnesタイプIを、サブタイプIA2に細分するためのマーカータンパク質に関する情報は、L13:m/z 16167.6であり、かつantitoxinがm/z 7034.6ではない。C. acnesタイプIを、サブタイプIBに細分するためのマーカータンパク質に関する情報は、L13:m/z 16153.6であり、かつantitoxinがm/z 7034.6ではない。
【0026】
第2データベース36に記憶するマーカータンパク質の質量電荷比の値としては、各マーカータンパク質の塩基配列をアミノ酸配列に翻訳することにより求められた計算質量と、実測により検出される質量電荷比を比較して選別することが望ましい。なお、マーカータンパク質の塩基配列は、シークエンスによって決定するほか、公共のデータベース、例えばNCBI(国立生物工学情報センター:National Center for Biotechnology Information)のデータベース等から取得したものを用いることもできる。前記アミノ酸配列から計算質量を求める際には、翻訳後修飾としてN-末端メチオニン残基の切断を考慮することが望ましい。具体的には、N-末端から2番目のアミノ酸残基がグリシン、アラニン、セリン、プロリン、バリン、スレオニンまたはシステインである場合に、N-末端メチオニンが切断されるものとして前記理論値を算出する。また、MALDI-TOF
MSで実際に観測されるものは、プロトンが付加した分子であるため、そのプロトン分も加味して前記計算質量(すなわち各タンパク質をMALDI-TOF MSで分析した場合に得られるイオンの質量電荷比の理論値)を求めることが望ましい。
【0027】
本実施形態に係る微生物識別システムを用いたC. acnesタイプI、IIおよびIIIの識別手順について、フローチャート(図2)を参照しつつ説明する。
【0028】
まず、ユーザは被検微生物の構成成分を含む試料を調製し、質量分析部10にセットして質量分析を実行させる。このとき、前記試料としては、菌体や細胞懸濁液をそのまま使用することもできるが、好ましくは細胞抽出物、より好ましくは細胞抽出物からリボソームタンパク質等の細胞構成成分を濃縮または精製したものを使用する。
【0029】
スペクトル作成プログラム32は、質量分析部10の検出器14から得られる検出信号を、インターフェース25を介して取得し、該検出信号に基づいて被検微生物のマススペクトルを作成する(ステップS101)。
【0030】
次に、種決定プログラム33が、前記被検微生物のマススペクトルを第1データベース34に収録されている既知微生物の質量リストと照合し、被検微生物のマススペクトルに類似した質量電荷比パターンを有する既知微生物の質量リスト、例えば被検微生物のマススペクトル中の各ピークと所定の誤差範囲(好ましくは50~500 ppm、より好ましくは150~200 ppm)で一致するピークが多く含まれている質量リストを抽出する(ステップS102)。種決定プログラム33は、続いて、ステップS102で抽出した質量リストと対応付けて第1データベース34に記憶された分類情報を参照することにより、該質量リストに対応した既知微生物が属する生物種を特定する(ステップS103)。そして、この生物種がC. acnesではなかった場合(ステップS104で「No」の場合)は、該生物種を被検微生物の生物種として表示部23に出力し(ステップS113)、識別処理を終了する。一方、前記生物種がC. acnesであった場合(ステップS104で「Yes」の場合)は、続いてphylotype決定プログラム35による識別処理に進む。なお、あらかじめ他の方法により、試料中にC. acnesを含むことが判定されている場合は、マススペクトルを用いた種決定プログラムを利用することなく、phylotype決定プログラム35に進めばよい。
【0031】
Phylotype決定プログラム35では、まずphylotype判定部39がマーカータンパク質であるリボソームタンパク質L6、L13、L15、L23およびアンチトキシン(antitoxin)の質量電荷比の値をそれぞれ第2データベース36から読み出す(ステップS105)。続いてスペクトル取得部37が、ステップS101で作成された被検微生物のマススペクトルを取得する。そして、m/z(質量電荷比)読み取り部38が、該マススペクトル上において、前記の各マーカータンパク質に関連付けて、第2データベース36に記憶された質量電荷比範囲に現れるピークを各マーカータンパク質に対応するピークとして選出し、その質量電荷比を読み取る(ステップS106)。その後、phylotype判定部39が、この質量電荷比と、前記第2データベース36から読み出した各マーカータンパク質の質量電荷比の値とを比較して、両者が所定の許容誤差範囲内で一致するか否かを判断する(ステップS107)。その結果、両者が一致した場合には、被検微生物がC. acnesタイプI、IIまたはIIIのいずれかであると判定し(ステップS108)、その旨を被検微生物の識別結果として表示部23に出力する(ステップS113)。
さらに、ステップS108においてタイプIとして分類されたC.
acnesは、L13の質量電荷比の値およびアンチトキシン(antitoxin)に対応するm/z 7034.6を読み取ることにより、サブタイプIA1もしくはIA2、またはIBに細分することができる(ステップS111およびS112)。なお、あらかじめ他の方法により、試料中にC. acnesタイプIを含むことが判定されている場合は、ステップS111及びS112のみを実行するにより、C. acnesタイプIを、さらにサブタイプIA1もしくはIA2、またはIBに細分することができる。
【0032】
以上、本発明を実施するための形態について、図面を参照しつつ説明したが、本発明は上記実施形態に限定されるものではなく、本発明の趣旨の範囲で適宜変更が許容される。
【実施例
【0033】
以下、本発明におけるマーカータンパク質の選定手順および本発明の効果を実証するために行った実験について説明するが、本発明の範囲はこれによって限定されることはない。
【0034】
(1)菌株および培養条件
タンパク質質量データベースを構築するためにC. acnes 22株を使用した。これらの株は、国立研究開発法人理化学研究所バイオリソース研究センター微生物材料開発室(Japan Collection of Microorganisms、JCM)(つくば市,
日本)から購入した。C. acnesの培養には、日水製薬株式会社の変法GAM培地もしくはGAM培地を使用した。
【0035】
(2)タンパク質質量データベースの構築
リボソームサブユニットタンパク質のアミノ酸配列を、米国の国立生物工学情報センター(National Center for Biotechnology Information、NCBI)のデータベースより入手した。各タンパク質の計算質量の算出には、スイス生物情報科学機構により提供されるExPASyプロテオミクスサーバーのCompute pI/Mw tool を使用した。このとき、N-末端から2番目のアミノ酸残基がグリシン、アラニン、セリン、プロリン、バリン、スレオニンまたはシステインである場合には、N-末端メチオニンが切断されるものとして前記計算質量を算出した。
【0036】
(3)MALDI-TOF MSによる測定
測定には、寒天培地上のコロニーの菌体、または液体培地から遠心分離により回収した菌体を使用した。菌体は、610 nmにおける吸光度が約1となるように蒸留水で希釈し、菌体懸濁液を調製した。この菌体懸濁液(500 μL)は、ジルコニア製ビーズ(直径0.5 mm)を用いて破砕処理した。これを15000 gで5分間遠心分離してデブリを除去し、上清として菌体破砕液を得た。得られた上清を、NMWL(nominal molecular weight limit) 30 kDaのろ過フィルターを用いて14000 gで10分間遠心分離してリボソーム画分(捕捉画分)を得た。リボソーム画分1 μLと、1%(v/v)トリフルオロ酢酸を含む50%(v/v)アセトニトリル水溶液で調製した15 mg/mLのシナピン酸またはα-シアノ-4-ヒドロキシけい皮酸を含んで成る10 μlのマトリックス溶液をマイクロチューブ内で混合して、その1 μLを試料プレーに滴下して乾燥させた。MALDI-TOF MS測定にはAXIMA Performance(登録商標)を使用し、ポジティブリニアモードによりm/z 2000~20000の質量範囲の測定を行った。上述の計算質量を、測定された質量電荷比と許容誤差200 ppmでマッチングした。
【0037】
以上の結果、近接ピークと重複してピーク形状が不明瞭であり、ピーク強度が不十分で、安定検出可能なバイオマーカーとしては不適当なリボソームタンパク質を除外すると、L7/L12、L9、L18、L28、L29、L30、L31、S8、S15、S19およびS20が、すべての菌株でそれぞれ同一のm/zを示した。
【0038】
測定された質量電荷比(m/z)およびマススペクトルについて、phylotypeの識別に寄与する部分を抜粋して、それぞれ図3および図4に示した。図3および図4に基づき、以下が示される。
L23に着目することにより、タイプIIIを同定することができる(タイプIII:m/z 11180.9、タイプIおよびII:m/z 11200.0)。
L15に着目することにより、タイプIIを同定することができる(タイプII:
m/z 15357.6、タイプIおよびIII: m/z
15384.7)。
L6に着目することにより、タイプIを同定することができる(タイプI:m/z
19706.6、タイプII及びIII:m/z 19678.5)。
L13に着目することにより、タイプIのphylotype IBを同定することができる(IB:m/z 16153.5、IA1およびIA2:m/z 16167.6)。
m/z 7034.6のピーク(アンチトキシン)に着目することにより、タイプIのIA1を同定することができる。
L13およびm/z
7034.6のピーク(アンチトキシン)により、タイプIのIA1またはIA2とIBとを識別することができる。
【0039】
(4)クラスター解析
タンパク質の質量パターンを、MALDI-MSを用いて解析し、すべての菌株がC. acnesであることを確認した。続いて、各菌株のマススペクトル上のピークの質量電荷比が、変異のないバイオマーカータンパク質の質量電荷比と一致したものを「1」、一致しなかったものを「0」として、図5に示されるプロファイルデータを作成した。このデータを用いてクラスター解析してデンドログラム(樹形図)を作成した。その結果を図6に示す。図6から明らかなように、C. acnesはタイプI、IIおよびIIIに正しく分類された。さらに、皮膚の炎症に関連するタイプIは、さらにIA1、IA2およびIBに細分することができた。したがって、皮膚細菌叢の分析方法が提供される。
【符号の説明】
【0040】
10:質量分析部
11:イオン化部
12:TOF
13:引き出し電極
14:検出器
20:微生物判別部
21:CPU
22:メモリ
23:表示部
24:入力部
25:I/F
30:記憶部
31:OS
32:スペクトル作成プログラム
33:種決定プログラム
34:第1データベース
35:Phylotype決定プログラム
36:第2データベース
37:スペクトル取得部
38:m/z読み取り部
39:Phylotype判定部

図1
図2
図3
図4
図5
図6