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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2022-05-27
(45)【発行日】2022-06-06
(54)【発明の名称】液体試料分析方法及び装置
(51)【国際特許分類】
   G01N 19/00 20060101AFI20220530BHJP
   G01N 27/12 20060101ALI20220530BHJP
   G01N 27/02 20060101ALI20220530BHJP
【FI】
G01N19/00 H
G01N27/12 A
G01N27/02 D
【請求項の数】 13
(21)【出願番号】P 2020558317
(86)(22)【出願日】2019-11-13
(86)【国際出願番号】 JP2019044474
(87)【国際公開番号】W WO2020110720
(87)【国際公開日】2020-06-04
【審査請求日】2021-04-16
(31)【優先権主張番号】P 2018220427
(32)【優先日】2018-11-26
(33)【優先権主張国・地域又は機関】JP
(73)【特許権者】
【識別番号】301023238
【氏名又は名称】国立研究開発法人物質・材料研究機構
(74)【代理人】
【識別番号】100190067
【弁理士】
【氏名又は名称】續 成朗
(72)【発明者】
【氏名】南 皓輔
(72)【発明者】
【氏名】吉川 元起
【審査官】櫃本 研太郎
(56)【参考文献】
【文献】国際公開第2014/196606(WO,A1)
【文献】国際公開第2005/031316(WO,A1)
【文献】特開2012-225910(JP,A)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
G01N 19/00
G01N 27/00-27/24
G01N 33/00-33/98
JSTPlus/JMEDPlus/JST7580(JDreamIII)
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
受容体層を担持した化学センサーに測定対象の液体試料を与え、
前記液体試料を与えた後の前記化学センサーに1または複数種類のガスを与え、
前記ガスを与えられたことによって前記化学センサーに引き起こされる物理パラメーターの変化により前記化学センサーから出力される信号に基づいて前記液体試料中の成分の分析を行う
液体試料分析方法。
【請求項2】
前記化学センサーに前記1または複数種類のガスを与える前に前記受容体層を乾燥させる、請求項1に記載の液体試料分析方法。
【請求項3】
前記物理パラメーターは、表面応力、応力、力、表面張力、圧力、質量、弾性、ヤング率、ポアソン比、共振周波数、周波数、体積、厚み、粘度、密度、磁力、磁気量、磁場、磁束、磁束密度、電気抵抗、電気量、誘電率、電力、電界、電荷、電流、電圧、電位、移動度、静電エネルギー、キャパシタンス、インダクタンス、リアクタンス、サセプタンス、アドミッタンス、インピーダンス、コンダクタンス、プラズモン、屈折率、光度および温度のうちの1種または2種以上である、請求項1または2に記載の液体試料分析方法。
【請求項4】
前記物理パラメーターは表面応力である、請求項1から3の何れかに記載の液体試料分析方法。
【請求項5】
前記化学センサーは膜型表面応力センサーである、請求項4に記載の液体試料分析方法。
【請求項6】
前記受容体層はポリマー、ポリマー以外の有機化合物、無機化合物、単体材料、多孔体、粒子の集積体からなる群から選択される材料を含む、請求項1から5の何れかに記載の液体試料分析方法。
【請求項7】
前記化学センサーから出力される信号からの特徴量の抽出を行った結果に基づいて前記分析を行う、請求項1から6の何れかに記載の液体試料分析方法。
【請求項8】
前記化学センサーに前記ガスとパージ用流体とを交互に切り替えて与える、請求項1から7の何れかに記載の液体試料分析方法。
【請求項9】
前記化学センサーから出力される信号を機械学習することにより前記分析を行う、請求項1から8の何れかに記載の液体試料分析方法。
【請求項10】
前記化学センサーから出力される信号を多変量解析処理することにより前記分析を行う、請求項1から8の何れかに記載の液体試料分析方法。
【請求項11】
前記化学センサーから出力される信号に主成分分析または線形判別分析を適用することによって前記分析を行う、請求項10に記載の液体試料分析方法。
【請求項12】
前記化学センサーから出力される信号にパターン認識を適用することによって前記分析を行う、請求項10に記載の液体試料分析方法。
【請求項13】
化学センサー及び前記化学センサーから出力される信号に基づいて前記分析を行う分析手段を備える、請求項1から12の何れかの液体試料分析方法を行う液体試料分析装置。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は液体試料の分析に関し、特にガス試料についての表面応力センサーなどの化学センサーの分析方法を応用した液体試料の分析方法に関する。本発明はまたこの分析方法によって分析を行う液体試料の分析装置に関する。
【背景技術】
【0002】
例えば医学や生物学等の分野では試料の同定や分析が頻繁に行われる。このような場合、対象となる試料としてはガス状の試料だけではなく液体試料も多いが、液体試料の同定・分析に当たっては気体とは異なる困難性がある。現在使用されているバイオセンサーの多くは、抗原抗体反応による検出のような、対象となる検体を一対一で検出するタイプである。このような検出形態では、非常に低濃度であるバイオマーカーを検出する必要があるため、既知のバイオマーカーを個別に検出する必要があることから非常に高感度のセンサーを多数使用して検出を行う必要がある。したがって、このような液体試料分析装置は大型で高価なものとなり、一般向けの製品としてほとんど実用化されていない。
【0003】
各種の物質に対してそれぞれ特有な応答を示す化学センサーを使用して検体の同定や定量を行う手法が開発されている。化学センサーは対象となる検体、とりわけガス状分子の複雑な混合物からなる多様なニオイの検出、判別及び同定のための強力なツールとして大きな注目を集めてきた。この種のセンサーは一般に検出対象の分子(検体分子)の吸着に伴い生じる物理パラメーターの変化を検出するものである。物理パラメーターの変化を検出しやすくするため、一般にセンサーは「受容体層」と呼ばれる層で被覆した後、測定に用いられる。なお、本願では受容体を被覆する前のセンサーをセンサー本体と呼ぶことがある。この種のセンサーが検出する物理パラメーターは多岐にわたるが、非限定的に例示すれば、表面応力、応力、力、表面張力、圧力、質量、弾性、ヤング率、ポアソン比、共振周波数、周波数、体積、厚み、粘度、密度、磁力、磁気量、磁場、磁束、磁束密度、電気抵抗、電気量、誘電率、電力、電界、電荷、電流、電圧、電位、移動度、静電エネルギー、キャパシタンス、インダクタンス、リアクタンス、サセプタンス、アドミッタンス、インピーダンス、コンダクタンス、プラズモン、屈折率、光度および温度、あるいはこれらの組み合わせ等が用いられる。具体的な化学センサーとしては、例えば水晶振動子マイクロバランス(QCM)、導電性ポリマー(CP)、電界効果トランジスタ(FET)等の多様なものがある。また、このような化学センサーは単一のセンサーとして使用する場合もあるが、多くの場合は複数のセンサー素子(以下、チャンネルとも称する)を何らかの形態でまとめてアレイ状に構成した化学センサーアレイとして利用されてきた。
【0004】
しかしながら、これまでのところ化学センサーによる液体試料の分析はガス状の試料の分析と比較して例が少なく、特にパターン認識の手法を用いた液体試料の分析についての研究はほとんど行われていなかった。そのひとつの要因として、液体-固体界面での動力学的に緩慢な平衡にともなう有効な信号パターンを得るのが困難であることが挙げられる。一方、ガス状の試料については、ガス-固体界面での平衡が液体の場合に比べて大幅に速いことによって、パターン認識が有効な方法であることが示されている。
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
最近、本願発明者はガス-固体界面に基づくパターン認識を逆方向の手法、すなわち固体試料認識、に更に拡張できることを見出した。概念実証として、ナノメカニカルセンサーに代表される化学センサー上に被覆された各種の固体層の判別例を示すとともに、図4に示す通り、この手法は固体層の非常にわずかな違いを明確に認識できることを確認した。したがって、もし液体試料がある固体マトリクス(以下、単にマトリクスと呼ぶこともある)中で抽出及び不動化できるものとすれば、ガス-固体界面を経由することでパターン認識を液体の分析に効果的に適用して、液体試料のパターン認識を実現できる。もちろん、結果についてパターン認識等を適用するまでもなく目視その他の簡単な手法で必要な分析結果を得ることができる場合であっても、本発明は有用である。
【0006】
したがって、本願の課題は化学センサーを使用して高精度で液体試料の分析を行うことにある。本願は更に、このような液体試料の分析に統計的な処理やパターン認識等を適用することにより更に高精度の分析を実現することも、その課題とする。
【課題を解決するための手段】
【0007】
本発明の一側面によれば、受容体層を担持した化学センサーに測定対象の液体試料を与え、前記液体試料を与えた後の前記化学センサーに1または複数種類のガスを与え、前記ガスを与えられたことによって前記化学センサーに引き起こされる物理パラメーターの変化により前記化学センサーから出力される信号に基づいて前記液体試料中の成分の分析を行う液体試料分析方法が与えられる。
ここで、前記化学センサーに前記1または複数種類のガスを与える前に前記受容体層を乾燥させてよい。
また、前記物理パラメーターは、表面応力、応力、力、表面張力、圧力、質量、弾性、ヤング率、ポアソン比、共振周波数、周波数、体積、厚み、粘度、密度、磁力、磁気量、磁場、磁束、磁束密度、電気抵抗、電気量、誘電率、電力、電界、電荷、電流、電圧、電位、移動度、静電エネルギー、キャパシタンス、インダクタンス、リアクタンス、サセプタンス、アドミッタンス、インピーダンス、コンダクタンス、プラズモン、屈折率、光度および温度のうちの1種または2種以上であってよい。
また、前記物理パラメーターは表面応力であってよい。
また、前記化学センサーは膜型表面応力センサーであってよい。
また、前記受容体層はポリマー、ポリマー以外の有機化合物、無機化合物、単体材料、多孔体、粒子の集積体からなる群から選択される材料を含んでよい。
また、前記化学センサーから出力される信号からの特徴量の抽出を行った結果に基づいて前記分析を行ってよい。
また、前記化学センサーに前記ガスとパージ用流体とを交互に切り替えて与えてよい。
また、前記化学センサーから出力される信号を機械学習することにより前記分析を行ってよい。
また、前記化学センサーから出力される信号を多変量解析処理することにより前記分析を行ってよい。
また、前記化学センサーから出力される信号に主成分分析または線形判別分析を適用することによって前記分析を行ってよい。
また、前記化学センサーから出力される信号にパターン認識を適用することによって前記分析を行ってよい。
本発明の他の側面によれば、化学センサー及び前記化学センサーから出力される信号に基づいて前記分析を行う分析手段を備えることにより、前記何れかの液体試料分析方法を行う液体試料分析装置が与えられる。
【発明の効果】
【0008】
本発明は液体試料の分析を化学センサーによる気体の分析を転用して行うものであるため、液体試料に対して高精度でありまた識別能力の大きな分析を実現することができる。
【図面の簡単な説明】
【0009】
図1】本発明による液体試料の分析の過程を説明する概念図。
図2】本発明の実施例における4種類のプローブガスと4種類のポリマー、PS、P4MS、PVF及びPCL、を被覆したMSSチャンネルとの組み合わせの夫々について得られた出力信号の例を示すグラフ。
図3】本発明の実施例において正規化された出力信号から特徴量の抽出を行う方法を示す図。
図4】本発明の原理を実証するための実験の結果を示す主成分分析結果のグラフ。
図5】本発明の実施例である、ウシ胎仔血清入り培地、ウシ胎仔血清無し培地等の同定のためのLDAの結果を示すグラフ。
【発明を実施するための形態】
【0010】
本発明においてはナノメカニカルセンサーなどの化学センサーを使用して液体試料の分析を行うが、この分析を従来のように一貫して液相中で行う代わりに、分析の過程の一部を気相中で行うことによって、上述したところの液体-固体界面での平衡が緩慢であることに起因する問題を解消する。なお、本願で言う「液体試料」とは、化学センサーに与えられた時点で液体である試料である。液体試料中には各種の成分が溶解・分散等しており、試料の温度を変化させたり、他の物質の添加や、揮発成分の蒸発、時間の経過等により、液体試料全体あるいは一部の成分が凝固したり、揮発性の成分が気体になるなど、条件により固体や気体に変化することもあり得るが、本願では条件の変化などにより全体あるいは一部が液体でない状態を取る可能性がある試料であっても、化学センサーに与えられた時点で液体であれば液体試料であるとすることに注意されたい。
【0011】
化学センサーはこれまで各種の形式・構造のものが報告されており、適宜選択して使用できる。以下の説明では化学センサーの例として膜型表面応力センサー(以下、MSSと称する)を使用する。MSSの具体的な構造、作製方法、動作、特性等については既によく知られている事項なので本願では具体的に説明しないが、必要に応じて特許文献1、非特許文献1等を参照されたい。また、受容体の材料やその被覆の形態等は分析の目的、分析対象の試料等に応じて適宜設計・選択される。
【0012】
本発明の一実施形態によれば、液体試料の分析は図1に概念的に示すようにして行われる。測定の過程の前半では、センサー本体表面上に受容体材料を被覆したMSSを液体試料中に浸漬する等により、MSSに液体試料を与える。これにより、MSS表面の固体状の受容体に液体試料中の各種の成分が吸着などにより結合する。
【0013】
測定の過程の後半では、上述のようにして液体試料中の各種の成分が結合されたMSSを液体試料中から引き揚げてから乾燥する。乾燥後、このMSSに適切なガス(以下、プローブガスと称する)を与えて、MSSからの出力信号を得る。この出力信号は与えられたプローブガスとMSSの受容体に結合している各種の成分との間の固有の相互作用を反映する信号のパターンを含む。分析対象の液体試料成分が特定の受容体と特定のプローブガスとの組み合わせに対して容易に識別可能な非常に特徴的な出力信号を与える場合には、出力信号を目視したり、簡単なパターンマッチング等の処理を行ったりする等の簡単な手法で当該成分の同定や定量等が可能となる。しかし、多くの場合には、図1に示すように、複数の受容体及び/または複数のプローブガスを使用してこれらの組み合わせに対する応答信号を得て、これらの応答信号を必要に応じてパターン認識等の処理を行うことで、液体試料成分や液体試料自体の同定、定量等を行った方が、より正確、精密な結果を得ることができる。
【0014】
なお、ここで液体試料のMSSへの付与に当たっては、液体試料中に浸漬する以外にも多様な方法が可能である。これらに限定する意図はないが、非限定的に列挙すれば例えば液体試料の滴下、スプレーなどの飛沫の形態での付与も可能である。また、MSSに液体試料を付与した後に乾燥する旨の説明を上で行ったが、この乾燥は完全に溶媒を除去するまで行う必要はなく、溶媒が一部残留している状態、極端な場合としては生乾き状態、すなわち目視その他の簡単な観測でも明らかに溶媒が残留していることがわかる状態、で乾燥の処理を打ち切って以降の測定を行ってもよい。更には上の説明では乾燥終了まではプローブガスを与えてMSSからの出力信号を観察するという測定は行わないと理解されるかもしれないが、実際はそのような場合に限定する意図はなく、必要に応じて乾燥の過程でもプローブガスを与えながら出力信号を得ることもできる。また、必要に応じて、乾燥処理の前後、すなわち液体試料の付与から乾燥までの間及び/または乾燥以降において他の処理を行ってもよい。このような処理としては、例えばMSSの表面に付着している余分な液体試料などを除去する洗浄処理、その他、受容体に吸着した液体試料成分の吸着状態を安定化したり、測定の感度に影響を与えるような各種の処理を行うこともできる。
【0015】
本願で言うパターン認識とは対象を幾何図形に限定した狭い意味ではなく、多くのデータ処理分野で使用されているように、夫々のデータ集合(ディジタルデータの場合にはデータのベクトルとして表現できる)の特徴からそのデータ集合が属するクラスを判定することである。例えば、1個のMSSの出力を考えた場合には、通常その出力をサンプリングしてディジタル化するが、その一連のディジタルデータ全体が一つのデータ集合であり、多数の試料のそれぞれから得られたデータ集合の全体がデータ集合の空間を形成する。このデータ集合の空間を複数のクラスに分割して、ある測定から得られたデータ集合がどのクラスに属するかを求める。例えば、血液の測定によって得られたデータ集合が形成するデータ集合空間を、対応する疾病(○○ガン、△△ガン、・・・、糖尿病、・・・)によりクラス分割して、特定の血液試料の測定から得られたデータ集合がどのクラスに属するかにより、当該血液の提供者が罹患している可能性のある疾病を判定するというような血液の分析が可能である。ここで、測定対象の試料や受容体の種類その他の測定条件、また測定結果のデータ集合が有する各種の特性に応じて、使用するパターン認識の手法を適宜選択してよい。
【0016】
なお、本願においては、例えば主成分分析(PCA、principal component analysis)や線形判別分析(LDA、linear discriminant analysis)等、データ集合の特徴に基づいて、データ集合間の類似の程度を何らかの形態で表現する各種の統計的な処理やそれに関連する機械学習もパターン認識に含める。
【0017】
上述したような分析の応用分野としては、もちろんこれに限定されるものではないが、例えば、図1に例示したように、医療診断分野においてガン、糖尿病等の疾病の診断やスクリーニングに適用することができる。
【0018】
複数種類の受容体を準備し、これらを複数のMSS素子に被覆することで一つの液体試料に対する複数種類の受容体の応答信号の集合を得るようにする場合、MSSでは一つのセンサチップ上に特性の揃った複数のMSS素子を作り込むのが容易であり、実際にそのようなMSSが作製されているので好都合である。測定系としてみた時にこれらのMSS素子(通常はそれぞれ異なる受容体で被覆されている)の各々を以下ではチャンネルと称する。複数チャンネルを有するMSSを使用することで、上述したような単一の液体試料に対する複数種類の受容体の応答信号の集合を容易に得ることができる。もちろん、非常に多数のチャンネルからの応答信号が必要な場合には、複数個のMSSを同時に使用してもよい。応答信号は通常ディジタル化してから表示、記憶、データ処理等に供する。
【0019】
複数のMSSを準備してこれらに単一の種類のプローブガスを与える手法に加えて、単一の(あるいはプローブガスの種類よりも少ない)MSSを使用して分析を行うことも可能である。そのような場合は、例えば、MSSに各種のプローブガスを1種類ずつ与えて当該プローブガスに対する応答としての出力信号を得るというサイクルの終了後、プローブガスを次のものに切り替えて次のサイクルを開始して同様な測定を行う。このようなサイクルを繰り返すことにより、複数種類のプローブガスに対する出力信号の組を得てその後の解析を行うことができる。この場合、先行するサイクルで使用されたプローブガスの影響が残留する可能性がある場合には、それを除去/低減するため、サイクル間でMSSを十分な時間パージガス流中に保持する等のパージ処理を行うことが好ましい。これは、出力信号の解析を容易にするためには、パージ処理後には前回のサイクルにより引き起こされたMSS(具体的にはその上の受容体)に対する変化ができるだけ残留しないことが好ましいからである。このような点からは、MSSの出力信号に影響を与えるような不可逆変化を受容体に与える受容体-液体試料成分-パージガスの組み合わせは好ましくない場合があるということができる。あるいは、不可逆変化が受容体に起こることで出力信号に影響が出る場合であっても、後処理などでそのような影響が最終的な同定、定量等の結果に実質的な影響が現れないようにすることで、不可逆変化の悪影響を打ち消すことも可能である。逆に、不可逆変化が出力信号に与える影響まで出力信号の特徴としてパターン認識などを行うこともできる。
【0020】
また、MSSを使用した分析においては、各サイクル内で試料ガスとパージガスとを所定周期で切り替えることで鋸歯状の出力信号を得て、これを解析するという処理が通常採用されており、本発明でもこのような周期的な切替処理を行う手法に従うことが好ましい。ここで、サイクル内で上記切替の際に使用するプローブガス(上述の試料ガスに対応)とサイクル間で使用するプローブガスとを同一のガスとしてよいし、あるいは別のガスとすることもできる。更には、サイクル間でパージ用のガスを使用する代わりに水等の液体を使用してパージ処理を行ってもよい。なお、ガスセンサーの洗浄のために液体を使用することについては特許文献2に記載があるので、必要に応じて参照されたい。液体を使用したパージ処理の場合には、次のプローブガスを使用したサイクルの開始前に必要に応じてMSSに付着した当該液体を乾燥等によって除去する処理を行ってもよい。
【0021】
従って、このようにして得られた出力信号から液体試料中の各種の成分やその組み合わせの同定や定量を行うことが可能となる。液体試料中の個々の成分の同定・定量を行うのではなく、個々の成分が不明であっても液体試料自体が何であるかを同定することもできる。例えば、以下の実施例では液体試料が水、血清無し培地、血清入り培地のうちの何れであるかを判定する例が示されている。
【0022】
液体試料中に存在する可能性のある成分が1種類あるいは非常に限定された数種類に限定されていることが既知であったり、ある特定の物質に固有な非常に特徴的な応答信号のパターンが検出されたりしたなどという単純な状況では、上述したように、応答信号パターンの目視等により直ちに液体試料の分析結果を得ることができる。しかし、多くの場合には、応答信号を、上述したように例えばPCA、LDAを含む多変量解析等の各種の統計的処理や機械学習等を用いたパターン認識の手法を使用することで液体試料の分析を行うこともできる。
【0023】
受容体として使用可能な材料としては、各種のポリマー、ポリマー以外の各種の有機及び無機化合物や単体材料、多孔体、粒子の集積体、その他、ガスの分析を行う際に使用可能な受容体材料の多くを挙げることができる。具体的にどの材料を使用するかは、分析対象の液体試料や、測定過程の後半で使用するプローブガスの種類により、適宜選択してよい。液体試料(液体試料中の成分)、受容体、プローブガスの組み合わせにより、MSSからの応答信号は多様なパターンを示す。分析対象となり得る液体試料は多くの場合多数の成分を含む複雑な組成を有するが、異なる受容体で被覆された複数のチャンネルに、適切に選択されたプローブガスを与えることによって、測定されている液体試料中の成分の種類(更にはそれらの量)についての大量の情報を含む検出信号の集合が得られる。したがって、複雑な組成を有する液体試料でも、受容体やプローブガスを適切に選択し、更にその結果得られる検出信号の集合に対して適切な処理を行うことにより、高精度・高速の液体試料分析を比較的単純な装置構成を用いて実現することができる。また、当然のことではあるが、プローブガスとして何を使用するかについては、実施例では水蒸気、エタノール、ヘプタン及びトルエンを使用したが、これに限定されるものではない。測定対象の試料(また、検出したい、あるいは検出されることが予期されている成分)、受容体、その他の諸条件の組み合わせに応じて適切な一または複数のガス、あるいは任意の種類のガスを混合した混合ガスなどをプローブガスとして適宜選択することができる。
【0024】
なお、上述した測定過程の後半において、全てのチャンネルに対して同一種のプローブガスを供給するように装置を構成すれば、装置中のガス流路の構造・制御が簡略化される。逆に、チャンネル間で異なる種類のプローブガスを供給できるようにすれば、ガス流路の構造・制御は複雑になるが、液体試料(あるいはその成分)の識別能力を最大化できる。
【0025】
なお、表面応力センサーなどの化学センサーを使用して液中測定を行うことも一部では行われているが、その場合には一貫して液体中での測定を行っている。本発明では一旦液体試料中からその成分を受容体に抽出し、これをプローブガスに曝すことでセンサー出力を得る点で従来技術と全く異なる技術思想に基づいているということができる。また、この相違により、化学センサーを使用した測定の過程を、受容体による液体試料成分の抽出過程と抽出によってその成分を含む受容体から検出出力を得るためのプローブガスへの暴露過程という2つの過程に分離しているので、それぞれの過程毎に好適な材料(受容体、ガス、その他の条件)を適宜選択する等により、これらの過程を個別に最適化できる。このように、一貫して液中で測定を行う従来の測定に比べて制御可能なパラメーターが多くなるため、従来の液中測定に比べ、感度や成分の選択性等の向上・制御等の最適化の自由度が向上する。
【実施例
【0026】
以下、実施例に基づいて本発明をさらに具体的に説明する。以下の実施例は本発明を判り易くするための例示であって、本発明を特定の実現形態に限定するものでないことに注意されたい。
【0027】
<実験1-MSSを使用して通常のガス分析とは逆に、既知のプローブガスから受容体材料を識別する>
ここでは、4種類の受容体材料、すなわちPS(polystyrene)、P4MS(poly(4-methylstyrene))、PCL(polycaprolactone)、PVF(polyvinylidene fluoride)で被覆したMSSを準備し、これらに4種類のプローブガス、すなわち水蒸気、エタノール(ethanol)、ヘプタン(n-heptane)、及びトルエン(toluene)を与えることにより出力信号を得た。上記4種類の受容体材料の化学構造式を以下に示す。
【0028】
【化1】
【0029】
受容体材料として使用した4種類のポリマーであるPS(Mw=350,000)、PCL、P4MS及びPVFはSigma-Aldrichから購入した。ポリマー溶液を作成することでインクジェットによる膜形成に用いる溶媒として使用したDMF(N,N’-Dimethylformamide)は富士フイルム和光純薬株式会社から購入した。
【0030】
プローブガスとして使用したエタノール、ヘプタン及びトルエン(toluene)はSigma-Aldrich、東京化成工業株式会社及び富士フイルム和光純薬株式会社から、分析グレードあるいはより上級のものを購入した。全ての試薬は購入したままの状態で使用した。また、プローブガスとして使用した水蒸気(図中ではwaterとも表記)を得るために超純水を使用した。
【0031】
各々のポリマーをDMFに濃度1mg/mLで溶解し、インクジェットによりMSSの各チャンネル上に堆積つまり被覆させた。ここではノズル(MICROJET CorporationのIJHBS-300)を装着したインクジェットスポッタ(MICROJET CorporationのLaboJet-500SP)を使用した。この堆積を行う際のインクジェットの射出速度、液滴体積、及びインクジェット射出数はそれぞれ約5m/秒、約300pL、及び300発に固定した。また、インクジェットスポッタのステージを80℃に加熱しておくことで、DMFを乾燥させた。各ポリマーをMSS上の少なくとも2つの異なるチャンネルに被覆して、コーティング品質を調べた。具体的な被覆チャンネル数Nは以下の通りであった:PS:N=11;PCL:N=11;P4MS:N=11;PVF:N=11。
【0032】
プローブガスとして使用した4種類の物質は何れも常温では液体であるので、それぞれの蒸気をプローブガスとして使用して、MSS(より具体的にはMSSチップ上に設けられている4つのMSSチャンネル)から、4種類のプローブガスと4種類のポリマーとの組み合わせの各々についてのガス-固体相互作用を表す検出信号を得た(液体状態のこれらの物質を以下では溶媒、あるいは溶媒液体と呼ぶことがある)。具体的には以下の装置構成・手順を使用した。
【0033】
上述のようにして準備した、ポリマーで被覆されたMSSチップをテフロン(登録商標)製のチャンバー(MSSチャンバー)に取り付け、これを25.0±0.5℃に温度制御されたインキュベータ中に置いた。このチャンバーを2つのマスフローコントローラ(MFC(MFC-1及びMFC-2))、パージガスライン並びに15.0±0.5℃に温度制御されたインキュベータ内に収容された混合チャンバー及び溶媒液体を入れるバイアル瓶からなるガスシステムに結合した。各溶媒の蒸気はMFC-1を通して供給されるキャリアガスのバブリングにより発生させた。ここでは、純窒素ガスをキャリアガス及びパージガスとして使用した。実験中、全流量を100mL/分に維持した。4種類の異なる溶媒蒸気の濃度はMFC-1によりPa/Po=0.1になるように制御した。ここで、Pa及びPoはそれぞれ溶媒蒸気の分圧及び飽和蒸気圧を表す。
【0034】
MSSの出力信号を測定する前に、純窒素ガスをMFC-2によって流量が制御されるパージガスラインからMSSチャンバー中に1分間導入した。次に、MFC-1(プローブガスライン)を10秒毎にオン/オフするとともに、MFC-2の制御により、MFC-1のオン、オフに関わらずMSSチャンバーへ送り込まれるガスの全流量が100mL/分を維持するようにした。このオン、オフを5サイクル繰り返した。図2に、4種類のプローブガス(蒸気)である水蒸気、エタノール、ヘプタン、トルエンに対する4種類のポリマー、PS、P4MS、PVF及びPCL、を被覆したMSSチャンネルからの出力信号の例を示す。この図は上記4種類のポリマーを被覆したMSSチャンネルと4種類のプローブガスとの組み合わせのそれぞれに対応する出力信号の具体例を示す。これらのデータはMSSチャンネルのブリッジ電圧を-0.5Vとして、サンプリングレート10Hzで測定したものである。
【0035】
上述したように、各々の蒸気に暴露されると、図2から判るように、各ポリマーからの応答信号(MSSチャンネルからの出力信号)は、当該ポリマーと蒸気との化学的・物理的親和性を反映して強度及び形状の面でユニークなものとなった。
【0036】
このようにして得られたデータ集合(つまり、夫々の応答信号の波形をディジタル化したデータの集合体)に対して主成分分析(PCA)を使用して解析を行った。先ず、図3に示すように、正規化された応答信号の減衰曲線の各々から複数のパラメーターを特徴量の集合として抽出した。より具体的には、P4MS、PCL、PS、PVFの何れかで被覆された各MSSチャンネルからの出力信号は水蒸気、エタノール、ヘプタン及びトルエンをプローブガスとして与えた場合の4系列が得られるが、これら4系列の出力信号の組を対応する受容体材料についての一つのデータ集合として取り扱った。4種類の受容体材料に対応する4つのデータ集合について主成分分析を行った。その結果を図4に示す。図4において、受容体材料P4MS、PCL、PS及びPVFについてのプロットは相互に重なることのない狭い領域にそれぞれまとまっている。これらの領域の近傍にそれに対応する受容体材料の略号を付し、更に当該受容体材料の化学構造式を示した。
【0037】
上の例から、従来とは逆に、分析のためにMSSに対して与えるガス(ここではプローブガス)に対する受容体側の応答信号から、パターン認識(この実施例ではPCA)により受容体材料の同定が可能となることが実証された。より具体的に言えば、上記実験1では4種類のポリマーという既知の材料の識別を行ったが、当然ながら、この方法は既知の材料の検証に限定されるものではない。すなわち、試料液体に浸漬する等の処理により試料中の検体(測定対象成分)を吸着等により取り込んだMSS上の受容体は浸漬前の受容体とはもはや異なる材料になっているため、未知の受容体である。本実験によれば、そのような未知の受容体を他の受容体(異なる試料液体に浸漬等し、あるいは同じ試料液体であっても浸漬等の処理が異なるもの、また浸漬等の処理を何も行っていない「生の」受容体等)から識別し、またこれら異なる受容体とは異なるクラスに属する受容体であると判定することが可能となる。これは結局は試料液体から受容体に吸着された物質の識別、同定などを行っていることになる。
【0038】
<実験2-培地が水、血清無し培地、血清入り培地のうちの何れであるかを識別する>
ここでは、ウシ胎仔血清(fetal bovine serum、FBS)を10%含むウシ胎仔血清入り培地及びウシ胎児血清無し培地(これらでは培地としてDMEM(高グルコース)(Dulbecco's modified eagle medium (high glucose))を使用)に浸漬したMSSにプローブガスとして水蒸気及びエタノールを与えた時の測定信号からそれぞれデータ集合を得た。また同じMSSを水に浸漬してから同じプローブガスを与えた場合、更には受容体を塗布しただけで水にもまた血清入りあるいは血清無し培地にも浸漬していないMSS(以下、この状態を未浸漬と称する)についても同じプローブガスを与えた場合のデータ集合も得た。これらのデータ集合を得るための具体的な手順は実験1の場合と同様とした。実際の実験手順としては、MSSチップを2枚用意し、血清あり及び血清無し培地の各々について、最初MSSに受容体を塗布し、次に何も浸漬を行わないで(つまり、未浸漬で)測定し、その後水に浸漬して測定し、さらに同じMSSを培地(一方のMSSは血清あり、他方のMSSは血清無し)に浸漬して測定を行った。上記4種類のデータ集合についてLDAを行った結果をプロットしたものを図5に示す。なお、この実験は水と水溶液(血清あり培地水溶液と血清無し培地水溶液)の3種類を識別することが目的である。ここでMSSチップを2枚使っているのは、一旦血清あり/血清無し培地水溶液に浸漬すると、MSSチップ上の受容体にそのような培地成分の影響が残らないように十分に洗浄できない可能性があるため、他方の水溶液(血清無し/血清あり培地水溶液)をその後に同じMSSで行った場合に不正確な結果が得られる恐れがあったからである。また,水浸漬しているのは,この場合には、測定後の洗浄によって、同じMSSで次に血清ありまたは血清無し培地水溶液の測定を行っても最初の水浸漬の影響が残らないようにでき、また溶解している固体成分なども残存しないと考えられたからである。
【0039】
図5において、ウシ胎仔血清入り培地、ウシ胎仔血清無し培地、水、未浸漬についてのプロット結果は互いに明瞭に分離された領域に含まれている。したがって、本発明により、液体試料がウシ胎仔血清入り培地、ウシ胎仔血清無し培地、水のいずれであるか、という液体試料の同定を行うことができ、あるいは比較対象や装置の正常動作検証用の(あるいは誤操作の類により)液体試料に浸漬等されていない受容体を塗布しただけのMSSについての測定を行ったものであるのかを判別することができる。
【産業上の利用可能性】
【0040】
以上詳細に説明したように、本発明によれば、液体試料の分析のうちの測定データを直接得るための後半部の処理を、液体測定に比べて長所が多く、また従来から多くの知見やデータ等が蓄積されているMSSに代表される化学センサーを使用した気体測定の手法をそのまま利用して実現できるため、液体試料分析に大いに貢献することが期待される。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0041】
【文献】国際公開2011/148774
【文献】国際公開2018/079509
【非特許文献】
【0042】
【文献】G. Yoshikawa, T. Akiyama, F. Loizeau, K. Shiba, S. Gautsch, T. Nakayama, P. Vettiger, N. Rooij and M. Aono. Sensors, 2012, 12, 15873-15887.
図1
図2
図3
図4
図5