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特許7087900分析用試料の調製方法、分析方法および分析用試料の調製用キット
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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2022-06-13
(45)【発行日】2022-06-21
(54)【発明の名称】分析用試料の調製方法、分析方法および分析用試料の調製用キット
(51)【国際特許分類】
   G01N 1/28 20060101AFI20220614BHJP
   G01N 1/10 20060101ALI20220614BHJP
   G01N 30/88 20060101ALI20220614BHJP
   G01N 27/62 20210101ALI20220614BHJP
   G01N 1/34 20060101ALI20220614BHJP
【FI】
G01N1/28 J
G01N1/10 F
G01N30/88 N
G01N27/62 X
G01N1/34
G01N27/62 V
【請求項の数】 10
(21)【出願番号】P 2018188588
(22)【出願日】2018-10-03
(65)【公開番号】P2020056727
(43)【公開日】2020-04-09
【審査請求日】2021-02-10
(73)【特許権者】
【識別番号】000001993
【氏名又は名称】株式会社島津製作所
(74)【代理人】
【識別番号】110001069
【氏名又は名称】特許業務法人京都国際特許事務所
(72)【発明者】
【氏名】西風 隆司
【審査官】外川 敬之
(56)【参考文献】
【文献】特開2018-109525(JP,A)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
G01N 1/28
G01N 1/10
G01N 30/88
G01N 27/62
G01N 1/34
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
試料に含まれる糖鎖の分析を行うための分析用試料の調製方法であって、
前記試料と塩基性の反応溶液とを接触させ、前記糖鎖に含まれるシアル酸の少なくとも一部から生じるラクトン構造をアミド化するアミド化反応を行うことと、
前記アミド化反応に供した後の前記反応溶液に酸性溶液を加えることと、
前記酸性溶液が加えられた後の前記反応溶液に含まれる前記試料を、親水性相互作用クロマトグラフィ用の担体を用いて精製することと、
を備え
前記酸性溶液が加えられた後の前記反応溶液のpHは10以下である分析用試料の調製方法。
【請求項2】
請求項1に記載の分析用試料の調製方法において、
前記アミド化反応の前に、前記糖鎖に含まれるシアル酸の少なくとも一部をラクトン化するラクトン化反応を行うことを備える分析用試料の調製方法。
【請求項3】
請求項に記載の分析用試料の調製方法において、
前記ラクトン化反応は、脱水縮合剤を含むラクトン化反応溶液と前記試料とを接触させることにより行われる分析用試料の調製方法。
【請求項4】
請求項に記載の分析用試料の調製方法において、
前記アミド化反応で用いられる前記反応溶液は、アンモニアまたはアミンを含み、
前記ラクトン化反応溶液は、前記糖鎖に含まれる前記シアル酸と反応させる求核剤をさらに含み、
前記求核剤は、前記アミド化反応で用いられる前記反応溶液に含まれるアンモニアまたはアミンとは異なり、
前記ラクトン化反応では、前記試料に前記ラクトン化反応溶液を加え、前記シアル酸の結合様式に基づいて、前記シアル酸の一部をラクトン化し、前記シアル酸の他の一部に前記求核剤の少なくとも一部を結合させる、分析用試料の調製方法。
【請求項5】
請求項からまでのいずれか一項に記載の分析用試料の調製方法において、
前記ラクトン化反応において、α2,3-シアル酸、α2,8-シアル酸、およびα2,9-シアル酸からなる群から選択される少なくとも一つの前記シアル酸がラクトン化される分析用試料の調製方法。
【請求項6】
請求項に記載の分析用試料の調製方法において、
前記ラクトン化反応では、前記試料に前記ラクトン化反応溶液を加え、α2,3-シアル酸をラクトン化し、α2,6-シアル酸に前記求核剤の一部を結合させる、分析用試料の調製方法。
【請求項7】
請求項1からまでのいずれか一項に記載の分析用試料の調製方法において、
前記酸性溶液は、0.2重量%以上のトリフルオロ酢酸を含む溶液である分析用試料の調製方法。
【請求項8】
請求項1からまでのいずれか一項の分析用試料の調製方法により分析用試料を調製することと、
調製した前記分析用試料を分析することと
を備える分析方法。
【請求項9】
請求項に記載の分析方法において、
調製した前記分析用試料は、質量分析およびクロマトグラフィの少なくとも一つにより分析される分析方法。
【請求項10】
酸性溶液を備え、
請求項1からまでのいずれか一項に記載の分析用試料の調製方法に用いられる、前記アミド化反応後の前記反応溶液のpHを10以下にするための前記酸性溶液を含む分析用試料の調製用キット。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、分析用試料の調製方法、分析方法および分析用試料の調製用キットに関する。
【背景技術】
【0002】
糖鎖を含む試料を、質量分析等を用いて分析する際に、親水性相互作用クロマトグラフィ(Hydrophilic Interaction Chromatography:以下、適宜HILICと呼ぶ)用の担体を用いて糖鎖を精製し、分析用試料を調製することが行われている(特許文献1および非特許文献1参照)。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0003】
【文献】特許第6135710号公報
【非特許文献】
【0004】
【文献】Nishikaze T, Tsumoto H, Sekiya S, Iwamoto S, Miura Y, Tanaka K. "Differentiation of Sialyl Linkage Isomers by One-Pot Sialic Acid Derivatization for Mass Spectrometry-Based Glycan Profiling" Analytical Chemistry,(米国), ACS Publications, 2017年2月21日、Volume 89, Issue 4, pp.2353-2360
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
発明者は、糖鎖に含まれるシアル酸を分析するための分析用試料を調製する際、塩基性の溶液を用いて好適にシアル酸のアミド化を行う方法を見出した。しかし、反応後に得られた塩基性の溶液を、特許文献1に記載されたような0.1重量%程度のトリフルオロ酢酸を含む有機溶媒を用いて希釈し、HILIC用の担体で精製すると、糖鎖の回収率が低下したり、マススペクトルにおいて夾雑物に対応するピークが顕著に現れる等の問題があった。
【課題を解決するための手段】
【0006】
本発明の好ましい実施形態による分析用試料の調製方法は、試料に含まれる糖鎖の分析を行うための分析用試料の調製方法であって、前記試料と塩基性の反応溶液とを接触させ、前記糖鎖に含まれるラクトン構造をアミド化するアミド化反応を行うことと、前記アミド化反応に供した後の前記反応溶液に酸性溶液を加えることと、前記酸性溶液が加えられた後の前記反応溶液に含まれる前記試料を、親水性相互作用クロマトグラフィ用の担体を用いて精製することと、を備える。
さらに好ましい実施形態では、前記酸性溶液が加えられた後の前記反応溶液のpHは10以下である。
さらに好ましい実施形態では、前記アミド化反応の前に、前記糖鎖に含まれるシアル酸の少なくとも一部をラクトン化するラクトン化反応を行うことを備える。
さらに好ましい実施形態では、前記ラクトン化反応は、脱水縮合剤を含むラクトン化反応溶液と前記試料とを接触させることにより行われる。
さらに好ましい実施形態では、前記アミド化反応で用いられる前記反応溶液は、アンモニアまたはアミンを含み、前記ラクトン化反応溶液は、前記糖鎖に含まれる前記シアル酸と反応させる求核剤をさらに含み、前記求核剤は、前記アミド化反応で用いられる前記反応溶液に含まれるアンモニアまたはアミンとは異なり、前記ラクトン化反応では、前記試料に前記ラクトン化反応溶液を加え、前記シアル酸の結合様式に基づいて、前記シアル酸の一部をラクトン化し、前記シアル酸の他の一部に前記求核剤の少なくとも一部を結合させる。
さらに好ましい実施形態では、前記ラクトン化反応において、α2,3-シアル酸、α2,8-シアル酸、およびα2,9-シアル酸からなる群から選択される少なくとも一つの前記シアル酸がラクトン化される。
さらに好ましい実施形態では、前記ラクトン化反応では、前記試料に前記ラクトン化反応溶液を加え、α2,3-シアル酸をラクトン化し、α2,6-シアル酸に前記求核剤の一部を結合させる。
さらに好ましい実施形態では、前記酸性溶液は、0.2重量%以上のトリフルオロ酢酸を含む溶液である。
本発明の好ましい実施形態による分析方法は、上述の分析用試料の調製方法により分析用試料を調製することと、調製した前記分析用試料を分析することとを備える。
さらに好ましい実施形態では、調製した前記分析用試料は、質量分析およびクロマトグラフィの少なくとも一つにより分析される。
本発明の好ましい実施形態による分析用試料の調製用キットは、酸性溶液を備え、上述の分析用試料の調製方法に用いられる。
【発明の効果】
【0007】
本発明によれば、塩基性の溶液に含まれる糖鎖試料をHILIC用の担体を用いて精製する場合に、当該糖鎖試料を精度よく分析することができる。
【図面の簡単な説明】
【0008】
図1図1は、一実施形態に係る分析方法の流れを示すフローチャートである。
図2図2(A)、(B)および(C)は、実施例または比較例で用いた糖鎖の構造を示す図である。
図3図3は、アミド化反応に供した酸性糖鎖を含む試料をアセトニトリル(ACN)により希釈した後、HILIC用のカラムに導入して得られた分析用試料に対し、負イオンモードで質量分析を行って得たマススペクトルである。
図4図4は、アミド化反応に供した中性糖鎖を含む試料を、ACN(上段)、4% トリフルオロ酢酸(TFA) ACN溶液(中段)および5% TFA ACN溶液(下段) によりそれぞれ希釈した後、HILIC用のカラムに導入して得られた分析用試料に対し、負イオンモードで質量分析を行って得たマススペクトルである。
図5図5は、アミド化反応に供した中性糖鎖を含む試料をACNにより希釈した後、HILIC用のカラムA(推奨pH:2~7.5)およびカラムB(推奨pH:2~8.5)にそれぞれ導入して得られた分析用試料に対し、負イオンモードで質量分析を行って得たマススペクトルである。
【発明を実施するための形態】
【0009】
以下、図を参照して本発明を実施するための形態について説明する。以下の実施形態の分析用試料の調製方法では、試料に含まれる糖鎖を塩基性の反応溶液を用いてアミド化し、反応後の試料を含む溶液に酸性溶液を加えた後、HILIC用の担体を用いて糖鎖を精製する。
【0010】
-第1実施形態-
第1実施形態の分析用試料の調製方法では、試料に含まれる糖鎖に対し、糖鎖に含まれるシアル酸の結合様式(linkage type)に応じた修飾を行う。この修飾は、2段階の反応により行われ、2段階目の反応でシアル酸のアミド化が行われた後、試料に含まれる糖鎖がHILIC用の担体を用いて精製される。
【0011】
シアル酸は生体内に数多く存在する糖である。シアル酸は、生体内においてタンパク質と結合された糖鎖に含まれ、糖鎖の非還元末端に存在することが多い。従って、シアル酸は、このような糖タンパク質分子において分子の外側に配置され他の分子から直接認識されるため、重要な役割を担っている。
【0012】
シアル酸は、隣接する糖との間の結合様式が異なる場合がある。例えば、ヒトのN結合型糖鎖(N型糖鎖)では主にα2,3-およびα2,6-、O結合型糖鎖(O型糖鎖)やスフィンゴ糖脂質ではこれらに加えてα2,8-およびα2,9-の結合様式が知られている。このような結合様式の違いにより、シアル酸は異なる分子から認識され、異なる役割を有し得る。
【0013】
シアル酸を含有するシアリル糖鎖の質量分析による解析は、シアル酸が負電荷を有し正イオンモードではイオン化しにくいことや、シアル酸が分解しやすいことから容易ではない。それに加え、シアル酸の結合様式を区別して解析することは、シアル酸の結合様式によって分子量が変化しないため、さらに難しくなる。そこで、シアル酸を安定化し、結合様式を区別して解析するため、結合様式特異的な修飾を行う化学修飾法が行われている。
【0014】
図1は、本実施形態の分析用試料の調製方法に係る分析方法の流れを示すフローチャートである。この分析方法では、化学修飾法によりシアル酸の結合様式を区別して分析する。ステップS1001において、糖鎖を含む試料が用意される。
【0015】
糖鎖を含む試料は、特に限定されず、遊離糖鎖、糖ペプチドおよび糖タンパク質、ならびに糖脂質からなる群から選択される少なくとも一つの分子を含むことができる。本実施形態の分析用試料の調製方法は、糖鎖に含まれるシアル酸の分析に好適に用いられるため、試料中の糖鎖は、N-結合型糖鎖やO-結合型糖鎖、糖脂質型糖鎖等、末端にシアル酸を有する可能性がある糖鎖を含むことが好ましい。試料中の糖鎖は、ラクトン化されやすいα2,3-シアル酸、α2,8-シアル酸およびα2,9-シアル酸の少なくとも一つを含むことがより好ましい。
【0016】
試料が遊離糖鎖を含む場合には、糖タンパク質や糖ペプチド、糖脂質から遊離させた糖鎖を用いることができる。糖鎖を糖タンパク質や糖ペプチド、糖脂質から遊離させる方法としては、N‐グリコシダーゼやO‐グリコシダーゼ、エンドグリコセラミダーゼなどを用いた酵素処理、ヒドラジン分解、アルカリ処理によるβ脱離等の方法を用いることができる。糖ペプチドおよび糖タンパク質のペプチド鎖からN‐結合型糖鎖を遊離させる場合は、ペプチド‐N‐グリコシダーゼF(PNGase F)やペプチド‐N‐グリコシダーゼA(PNGase A)、エンド-β-N-アセチルグルコサミニダーゼ(Endo M)等による酵素処理が好適に用いられる。また、糖鎖の還元末端のピリジルアミノ化(PA化)等の修飾を適宜行うことができる。酵素処理の前に、後述する糖ペプチドまたは糖タンパク質のペプチド鎖の切断を行ってもよい。
【0017】
試料が糖ペプチドまたは糖タンパク質を含む場合、後述の「糖ペプチドおよび糖タンパク質の副反応の抑制について」の部分で述べるように、ペプチド部分の副反応を抑えるための処理を適宜行うことができる。また、糖ペプチドまたは糖タンパク質のペプチド鎖のアミノ酸の残基数が多いものは、酵素的切断等により、ペプチド鎖を切断して用いることが好ましい。例えば、質量分析用の試料を調製する場合、ペプチド鎖のアミノ酸残基数は30以下が好ましく、20以下がより好ましく、15以下がさらに好ましい。一方、糖鎖が結合しているペプチドの由来を明確とすることが求められる場合には、ペプチド鎖のアミノ酸残基数は2以上が好ましく、3以上がより好ましい。
【0018】
糖ペプチドまたは糖タンパク質のペプチド鎖を切断する場合の消化酵素としては、トリプシン、Lys‐C、アルギニンエンドペプチダーゼ、キモトリプシン、ペプシン、サーモリシン、プロテイナーゼK、プロナーゼE等が用いられる。これらの消化酵素の2種以上を組み合わせて用いてもよい。ペプチド鎖の切断の際の条件は特に限定されず、使用する消化酵素に応じた適宜のプロトコールが採用される。この切断の前に、試料中のタンパク質およびペプチドの変性処理やアルキル化処理が行われてもよい。変性処理やアルキル化処理の条件は特に限定されない。
なお、上記ペプチド鎖の切断処理は、後述するステップS1003のラクトン化反応の後に行ってもよい。また、酵素的切断では無く、化学的切断等によりペプチド鎖を切断してもよい。
ステップS1001が終了したら、ステップS1003に進む。
【0019】
(ラクトン化反応)
ステップS1003において、試料を反応溶液(以下、ラクトン化反応溶液と呼ぶ)と接触させ、糖鎖に含まれるシアル酸の少なくとも一部をラクトン化するラクトン化反応を行う(以下、ラクトン化反応と記載した場合、特に言及が無い限り、ステップS1003のラクトン化反応を指す)。ラクトン化反応では、ラクトン化されにくいα2,6-シアル酸等のシアル酸の一部にラクトン化とは異なる修飾をすることが好ましく、以下でも当該修飾を行う例を説明する。ラクトン化反応において、α2,3-シアル酸、α2,8-シアル酸およびα2,9-シアル酸が好適にラクトン化される。
【0020】
ラクトン化反応溶液は、脱水縮合剤と、アルコール、アミンまたはこれらの塩を含む求核剤とを含む。シアル酸の結合様式に基づいて選択的に脱水反応または求核反応を起こすように、脱水縮合剤および求核剤の種類や濃度が調整される。
なお、ラクトン化されにくいα2,6-シアル酸等のシアル酸の修飾を行わない場合は、求核剤を含む必要はない。
【0021】
α2,3-シアル酸のカルボキシ基の分子内脱水で生じるラクトンは六員環であり、α2,6-シアル酸のカルボキシ基の分子内脱水により生じ得るラクトンは七員環となる。従って、七員環より安定な六員環を生じるα2,3-シアル酸はα2,6-シアル酸よりラクトン化されやすい。また、α2,3-シアル酸のカルボキシ基はα2,6-シアル酸のカルボキシ基に比べて立体障害が比較的大きい位置にあるため、大きな分子は、α2,6-シアル酸と比べると、α2,3-シアル酸とは反応しづらい。このようなシアル酸の結合様式による分子構造の違いに基づいて、シアル酸の結合様式により異なる修飾がされるように脱水縮合剤および求核剤の種類や濃度が調整される。
【0022】
(ラクトン化反応における脱水縮合剤)
脱水縮合剤は、カルボジイミドを含むことが好ましい。カルボジイミドを用いると、脱水縮合剤としてホスホニウム系脱水縮合剤(いわゆるBOP試薬)やウロニウム系脱水縮合剤を用いた場合に比べて、立体障害が大きい部位に存在するカルボキシ基がアミド化されにくいからである。カルボジイミドの例としては、N,N’‐ジシクロへキシルカルボジイミド(DCC)、N‐(3‐ジメチルアミノプロピル)‐N’‐エチルカルボジイミド(EDC)、N,N’‐ジイソプロピルカルボジイミド(DIC)、1‐tert‐ブチル‐3‐エチルカルボジイミド(BEC)、N,N’‐ジ‐tert‐ブチルカルボジイミド、1,3‐ジ‐p‐トルイルカルボジイミド、ビス(2,6‐ジイソプロピルフェニル)カルボジイミド、ビス(トリメチルシリル)カルボジイミド、1,3‐ビス(2,2‐ジメチル‐1,3‐ジオキソラン‐4‐イルメチル)カルボジイミド(BDDC)や、これらの塩が挙げられる。
【0023】
(ラクトン化反応における添加剤)
脱水縮合剤による脱水縮合を促進させ、かつ副反応を抑制するために、カルボジイミドに加えて、求核性の高い添加剤を用いることが好ましい。求核性の高い添加剤としては、1‐ヒドロキシベンゾトリアゾール(HOBt)、1‐ヒドロキシ‐7‐アザ‐ベンゾトリアゾール(HOAt)、4‐(ジメチルアミノ)ピリジン(DMAP)、2‐シアノ‐2‐(ヒドロキシイミノ)酢酸エチル(CHA)、N‐ヒドロキシ‐スクシンイミド(HOSu)、6‐クロロ‐1‐ヒドロキシ‐ベンゾトリアゾール(Cl-HoBt)、N‐ヒドロキシ‐3,4‐ジヒドロ‐4‐オキソ‐1,2,3‐ベンゾトリアジン(HOOBt)等が好ましく用いられる。
【0024】
(ラクトン化反応における求核剤)
求核剤として用いられるアミンは、炭素原子を2個以上含む第一級または第二級のアルキルアミンを含むことが好ましい。第一級のアルキルアミンは、エチルアミン、プロピルアミン、イソプロピルアミン、ブチルアミン、sec‐ブチルアミン、tert‐ブチルアミン等が好ましい。第二級アルキルアミンは、ジメチルアミン、エチルメチルアミン、ジエチルアミン、プロピルメチルアミン、イソプロピルメチルアミン等が好ましい。α2,3-シアル酸のカルボキシ基のように立体障害が大きい部位に存在するカルボキシ基がアミド化されにくいようにする観点から、イソプロピルアミンのような分枝アルキル基(以下、「分枝」は炭化水素鎖の分枝を示す)を有するアミンを用いることが好ましい。ラクトン化反応溶液の求核剤にアミンを用いた場合、シアル酸の結合様式に基づいて、α2,6-シアル酸等の一部のシアル酸のカルボキシ基がアミド化される。
【0025】
求核剤として用いられるアルコールは、特に限定されず、例えばメタノールおよびエタノール等を用いることができる。ラクトン化反応溶液の求核剤にアルコールを用いた場合、シアル酸の結合様式に基づいて、α2,6-シアル酸等の一部のシアル酸のカルボキシ基がエステル化される。
なお、求核剤は、上述の求核剤の塩を含んでもよい。
【0026】
(脱水縮合剤および求核剤の濃度について)
ラクトン化反応溶液の脱水縮合剤の濃度は、例えば、1mM~5Mが好ましく、10mM~3Mがより好ましい。カルボジイミドとHOAtやHOBt等の求核性の高い添加剤とを併用する場合は、それぞれの濃度が上記範囲であることが好ましい。ラクトン化反応溶液の求核剤の濃度は、0.01~20Mが好ましく、0.1M~10Mがより好ましい。ラクトン化反応の際の反応温度は、-20℃~100℃程度が好ましく、-10℃~50℃がより好ましい。試料とラクトン化反応溶液とを接触させる時間は、試料や試薬の濃度、反応温度等に基づいて調整されるが、例えば30分~数時間程度である。
【0027】
(ラクトン化反応を行う相)
ラクトン化反応は、液相でも固相でも行うことができる。試料とラクトン化反応溶液とを接触させることができれば、ラクトン化反応を起こす際の試料の状態は特に限定されない。
【0028】
固相で反応を行う場合、固相担体としては、糖鎖、糖ペプチド、糖タンパク質等を固定可能なものであれば、特に制限なく用いることができる。例えば、糖ペプチドや糖タンパク質を固定するためには、エポキシ基、トシル基、カルボキシ基、アミノ基等をリガンドとして有する固相担体を用いることができる。また、糖鎖を固定するためには、ヒドラジド基やアミノオキシ基等をリガンドとして有する固相担体を用いることができる。また、糖鎖を親水性相互作用クロマトグラフィ(HILIC)用の担体、すなわち固定相に吸着させることも好ましく、このHILIC用の担体はアミド基を含むことがさらに好ましい。
【0029】
ラクトン化反応を固相で行う場合、固相担体に固定された試料に、ラクトン化反応溶液を作用させてラクトン化を行った後は、化学的手法や酵素反応等により、担体から試料を遊離させて回収すればよい。例えば、担体に固定された糖タンパク質や糖ペプチドを、PNGase F等のグリコシダーゼやトリプシン等の消化酵素により酵素的に切断し回収してもよく、ヒドラジド基を有する固相担体に結合している糖鎖を、弱酸性溶液により遊離させて回収してもよい。HILICでは、アセトニトリル等を溶媒としたラクトン化反応溶液によりラクトン化反応を行い、水等の水系溶液により試料を溶出することができる。
【0030】
試料を固相担体に固定した状態で反応を行うことにより、反応溶液の除去や脱塩精製がより容易となり、試料の調製を簡素化できる。また、固相担体を用いる場合、上述のように糖タンパク質や糖ペプチドの状態で試料を固定し、ラクトン化反応後に、PNGase F等のグリコシダーゼ等による切断を行えば、ラクトン化反応後の試料を遊離糖鎖として回収することもできる。
【0031】
ラクトン化反応後の試料は、必要に応じて、公知の方法等により精製、脱塩、可溶化、濃縮、乾燥等の処理が行われてもよい。ラクトン化反応が液相で行われた場合、HILIC用のカラムに反応溶液を導入して糖鎖の精製を行うことが好ましい。
ステップS1003が終了したら、ステップS1005に進む。
【0032】
(アミド化反応)
ステップS1005において、試料を、反応溶液(以下、アミド化反応溶液と呼ぶ)と接触させ、ラクトン化反応によりラクトン化されたシアル酸をアミド化するアミド化反応(以下、アミド化反応と記載した場合、特に言及が無い限り、ステップS1005のアミド化反応を指す)が行われる。発明者は、従来行われていた、加水分解によりラクトンを開環してからカルボキシ基をアミド化する技術的な常識とは全く異なり、ラクトンを迅速に直接アミド化する方法を見出した。この反応は無水条件下でも好適に行われるため、加水分解とは異なる反応であり、アミノ基とラクトンとの相互作用に基づくアミノリシスと考えられる。以下では、無水条件下でも可能な、アンモニア、アミンまたはこれらの塩によるラクトンの開環およびアミド化をアミノリシスと呼ぶ。
【0033】
アミド化反応溶液は、アンモニア、アミンまたはこれらの塩を求核剤(以下、適宜第2求核剤と呼ぶ)として含む。第2求核剤は、ラクトン化反応溶液に含まれる求核剤(以下、適宜第1求核剤と呼ぶ)とは異なる。本実施形態の分析用試料の調製方法で得られた分析用試料を質量分析で分析する場合、第1求核剤と第2求核剤は質量が異なる等、質量分析で区別が可能なように選択される。質量分析の質量分解能に応じて、得られた修飾体が精度よく質量分離が行われるように第1求核剤および第2求核剤が選択される。第1求核剤および第2求核剤は別の物質でもよいし、安定同位体により質量を異ならせた同じ物質でもよい。また、第1求核剤および第2求核剤はiTRAQに代表されるようなアイソバリック(isobaric)なタグを含んでも良い。この場合、第1段階の質量分析と第2段階の質量分析の間に行われる開裂により得られるプロダクトイオンのm/zが異なるように当該タグが設計されているため、シアル酸の結合様式やラクトン体の識別はタンデム質量分析(MS/MS)により行うことができる。このように、第1求核剤および第2求核剤によりそれぞれ修飾された修飾体を2以上の段階により質量分析する際に、いずれかの段階で異なるm/zによりこれらの修飾体を分離することができればよい。本実施形態の分析用試料の調製方法で得られた分析用試料をクロマトグラフィで分析する場合、第1求核剤と第2求核剤とは異なる置換基を有することがクロマトグラフィで互いに分離しやすくするために好ましい。
【0034】
(アミド化反応におけるアミン)
第2求核剤としてアミンを用いる場合、当該アミンは、第一級アミンが好ましく、直鎖炭化水素基を有する第一級アミンがより好ましく、直鎖アルキル基を有する第一級アミンがさらに好ましい。アミド化反応溶液に含まれるアミンは、直鎖アルキル基を有する第一級アミンとしては、炭素数が10以下の第一級アミンが好ましく、炭素数が7以下の第一級アミンがより好ましく、メチルアミン、エチルアミン、プロピルアミン、ブチルアミン、ペンチルアミンがさらに好ましく、メチルアミンが最も好ましい。アミド化反応溶液に含まれるアミンが分枝を有しない直鎖状の構造を有していたり、炭素数が少ない方が、より効率的にラクトン化されたシアル酸がアミド化されるため好ましい。
【0035】
アミド化反応溶液に含まれるアミンが不飽和鎖式炭化水素基を有する第一級アミンの場合、当該不飽和鎖式炭化水素基は二重結合を含むことが好ましく、当該不飽和鎖式炭化水素基はアリル(Allyl)基を含むことがより好ましく、当該アミンはアリルアミン(Allylamine)が最も好ましい。アミド化反応溶液に含まれるアミンはヒドロキシ基を含む第一級アミンでもよく、この場合、エタノールアミンが好ましい。アミド化反応溶液に含まれるアミンはアルキル基以外の様々な官能基を含んでもよい。糖鎖がアミド化反応の結果このような官能基を含むように修飾されることにより、当該修飾を受けた糖鎖を、質量分析だけではなく、クロマトグラフィ等によってもより分離しやすくなる。
なお、アミド化反応溶液は、上述のアンモニアまたはアミンの塩を含んでもよい。
【0036】
(脱水縮合剤について)
アミド化反応には脱水縮合剤は必要でなく、含まなくてよい。好ましくは、アミド化反応は、試料をアミド化反応溶液と接触させることのみにより行われ、簡便な操作でラクトン化されたシアル酸が安定化される。
なお、アミド化反応には脱水縮合剤は必要ではないが、アミド化反応溶液に脱水縮合剤が含まれていてもよい。例えば、ステップS1003で試料に加えたラクトン化反応溶液を除去しないで、アンモニア、アミンまたはこれらの塩を加えることにより、試料を含むアミド化反応溶液を調製してもよい。この場合、ラクトン化反応溶液の除去を行わない分、操作が簡素化される。
【0037】
(アミド化反応溶液の濃度)
アミド化反応溶液におけるアンモニア、アミンおよびこれらの塩の濃度は、0.1M(Mはmol/l)以上が好ましく、0.3M以上がより好ましく、0.5M以上がさらに好ましく、1.0M以上がさらに好ましく、3.0M以上が最も好ましい。好適な例として、アミド化反応溶液は、アンモニアまたは第一級アミン、特にメチルアミンを含み、当該アンモニア、またはメチルアミン等の第一級アミンの濃度は、0.1M以上が好ましく、0.3M以上がより好ましく、0.5M以上がさらに好ましく、1.0M以上がさらに好ましく、3.0M以上が最も好ましい。アミド化反応溶液のアミン等の濃度が高いほど、より確実にラクトン化されたシアル酸のアミド化を行うことができる。アミド化反応溶液におけるアミンの濃度は、適宜50%以下等にすることができる。
【0038】
(アミド化反応溶液の溶媒)
アミド化反応溶液の溶媒は、水系溶媒でも有機溶媒でもよいが、ラクトンの加水分解を防いで迅速なアミド化を確実に起こす観点から水含有量が少ない方が好ましい。アミド化反応溶液の溶媒は、水含有量を抑える脱水操作が加えられた脱水溶媒が好ましく、無水溶媒がさらに好ましい。アミド化反応溶液の溶媒は、メタノールおよびアセトニトリル(ACN)の少なくとも一つを含むことが好ましい。
なお、アミド化反応溶液は水(H2O)を相当量含んでいてもよく、アミド化反応溶液の溶媒は水でもよい。
【0039】
(アミド化反応溶液のpH)
アミド化反応溶液のpHは、7.7以上であり、8より大きいことが好ましく、10より大きいことがより好ましく、12以上がさらに好ましい。アミド化反応溶液のpHが高くなる程、より迅速かつ確実にラクトンがアミド化されるため好ましい。
【0040】
(アミド化反応を起こすための時間)
アミド化反応は、数秒~数分以内に完了する。従って、アミド化反応によりラクトンをアミド化するために、試料をアミド化反応溶液と接触させる時間(以下、反応時間と呼ぶ)は、1時間未満が好ましく、30分未満がより好ましく、15分未満がさらに好ましく、5分未満がさらに好ましく、1分未満が最も好ましい。好適には、試料をアミド化反応溶液で洗浄したり、担体等に保持されている試料に対して一時的に通液するだけでもよい。このように、アミド化反応は短時間に完了するため、不安定なラクトンが分解し糖鎖の解析における定量性が損なわれることを防ぐことができる。また、アミド化反応の反応時間を短く設定することで、より効率的に試料の解析を行うことができる。
【0041】
(アミド化反応を行う相)
本実施形態の分析用試料の調製方法では、アミド化反応は液相で行われる。
ステップS1005が終了したら、ステップS1007に進む。
【0042】
(アミド化反応後の反応溶液のpHの調節)
ステップS1007において、アミド化反応後の反応溶液にpHを低下させるための酸性溶液(以下、酸性溶液と記載した場合、ステップS1007で反応溶液に加える酸性溶液のことを指す)を加え、当該反応溶液のpHを所定の値以下にする。この所定の値は、10以下が好ましく、8以下がより好ましい。当該所定の値は、ステップS1009で用いるHILIC用のカラムに適したpHも好ましく、特に当該カラムの製造者等が推奨するpH(以下、推奨pHと呼ぶ)の範囲から選択することもより好ましい。本実施形態では、pHが7未満を酸性とし、pHが7を超える場合を塩基性とする。酸性溶液のpHは、6以下がより好ましく、4以下がさらに好ましい。
【0043】
酸性溶液の組成は特に限定されず、後述のHILIC用のカラムを用いた糖鎖の精製および質量分析等の分析が所望の精度で行われればよい。酸性溶液に含まれる酸の種類は特に限定されず、例えば有機溶媒に可溶な強酸という観点からトリフルオロ酢酸(TFA)等を用いることができる。酸性溶液は、有機溶媒中に0.2重量%以上の濃度のTFAを含む溶液が好ましく、1重量%以上の濃度のTFAを含む溶液がより好ましく、2.4重量%以上の濃度のTFAを含む溶液がさらに好ましく、4重量%以上の濃度のTFAを含む溶液がより一層好ましく、5重量%以上の濃度のTFAを含む溶液がさらに一層好ましい。酸性溶液のpHが低い程、より効率的にアミド化反応後の反応溶液のpHを下げることができる。酸性溶液を構成する上記有機溶媒は、アセトニトリルが好ましいが、特に限定されない。また、酸性溶液は適宜水を含んでいてもよい。
【0044】
後述の比較例に示されるように、従来HILIC用のカラムによる精製の前に行われていたような有機溶媒による希釈等しか行わない場合、アミド化反応後のHILIC用カラムでの精製は、試料の回収率の低下やマススペクトルにおける夾雑物に対応するピークの出現を引き起こす。しかし、本実施形態の分析用試料の調製方法によりアミド化反応後の反応溶液のpHの調整を行うことで、実施例に示されるように試料の回収率が改善し、マススペクトルにおける夾雑物に対応するピークも減少した。
ステップS1007が終了したら、ステップS1009に進む。
【0045】
(HILIC用の担体を用いた糖鎖の精製)
ステップS1009において、HILIC用のカラムにステップS1007でpHが調節された反応溶液が導入され、当該カラム内のHILIC用の担体を用いて糖鎖を精製する。この操作の後、分析用試料が取得される。pHが調節された反応溶液がHILIC用のカラムに導入され、糖鎖が担体に吸着された後は、適宜通液により洗浄が行われ、水や水系溶液等のカラムへの導入により、水または極性溶媒の濃度を上げることで糖鎖を含む試料が溶出される。
【0046】
本実施形態において、HILIC用のカラムは、アミド化反応後の試料における糖鎖を精製することができれば特に限定されないが、固相抽出用等の前処理用カラムが好ましい。前処理用カラムとしては、例えば、ピペットチップ型、スピンカラム型、シリンジ型、ウェルプレート型等の様々な種類のものを用いることができる。
なお、HILIC用のカラムは、分析用試料がLC/MSの分析カラムに導入される前の試料の濃縮等に用いられるトラップカラムを用いてもよい。また、HILIC用の担体を試料の入った容器に導入して吸着を行うバッチ式の方法で精製を行ってもよい。
【0047】
HILIC用カラムにおける担体はアミド化反応後の試料における糖鎖を精製することができれば特に限定されない。この担体は、未修飾シリカ、アミノプロピル基、アミド基、ジオール、シアノ基、ポリスクシンイミド誘導体およびシクロデキストリン等の極性を有する官能基が修飾されたシリカゲル等を含む。アミド化された糖鎖を含む試料を好適に分離する観点から、当該担体はアミド基を有することが好ましい。あるいは、HILIC用カラムにおける担体は、セルロース、セファロースまたはアガロース等を含む多糖系担体でもよい。このほか、HILIC用カラムにおける担体は、スルホ基や四級アンモニウム等のイオン性の官能基を複数有するシリカゲルやポリマーを含んでもよい。
【0048】
HILIC用の担体を用いた精製後の試料は、必要に応じて、公知の方法等により精製、可溶化、脱塩、濃縮、乾燥等の処理が行われてもよい。
【0049】
上述した調製方法により、α2,6-シアル酸等のラクトン化されにくい結合様式のシアル酸はラクトン化反応において第1求核剤により修飾される。α2,3-、α2,8-およびα2,9-シアル酸等のラクトン化されやすい結合様式のシアル酸はラクトン化反応においてラクトン化され、アミド化反応において第2求核剤により修飾される。
ステップS1009が終了したら、ステップS1011に進む。
【0050】
ステップS1011において、試料を質量分析およびクロマトグラフィの少なくとも一つにより分析する。上述のラクトン化反応およびアミド化反応により、第1求核剤および第2求核剤によりそれぞれ修飾を受けた糖鎖は質量が異なっている。従って、質量分析によりこれらの糖鎖を、シアル酸の結合様式に基づいて分離することができる。
【0051】
質量分析におけるイオン化の方法は特に限定されず、マトリックス支援レーザ脱離イオン化(MALDI)法、エレクトロスプレー(ESI)法、ナノエレクトロスプレーイオン化(nano-ESI)法等を用いることができる。イオン化の方法は特にMALDI法が好ましい。質量分析におけるイオン化では、正イオンモードおよび負イオンモードのいずれを用いてもよい。質量分析は、多段階で行ってもよく、これによりシアル酸の結合様式以外の糖鎖の構造や、ペプチド鎖の構造を好適に解析することができる。
【0052】
クロマトグラフィで分析を行う場合、液体クロマトグラフィが好ましい。液体クロマトグラフィに用いるカラムは特に限定されず、C30、C18、C8、C4等の疎水性逆相カラムやカーボンカラム、HILIC用の順相カラムなどを適宜用いることができる。液体クロマトグラフィを行った後、質量分析により測定を行うことが複数回の分離により精密に試料中の成分の分析を行う上で好ましい。この場合、液体クロマトグラフからの溶出液をオンライン制御で質量分析計において直接ESI等によりイオン化することがより好ましい。
【0053】
質量分析またはクロマトグラフィにより得られたデータが解析される。この解析では、結合様式を区別してラクトン化されやすいα2,3-シアル酸等のシアル酸を含む糖鎖、および、ラクトン化されにくいα2,6-シアル酸等のシアル酸を含む糖鎖の定量やマススペクトルに対応するデータの作成等が行われる。質量分析またはクロマトグラフィにより得られたデータの解析方法は特に限定されない。
ステップS1011が終了したら、処理を終了する。
【0054】
(糖ペプチドおよび糖タンパク質の副反応の抑制について)
糖ペプチドまたは糖タンパク質にラクトン化反応溶液およびアミド化反応溶液を加え、上述のようにシアル酸を修飾した場合、糖ペプチドまたは糖タンパク質に含まれるアミノ酸の側鎖や、主鎖の末端にあるアミノ基やカルボキシ基との間で分子内脱水縮合等の副反応が起こる場合がある。この場合、分析対象の糖鎖に対応するマススペクトルのピークが分かれてしまい、解析が難しくなってしまう問題があった。
【0055】
発明者らは、ペプチド部分の副反応は主にアミノ基の存在に由来することを明らかにし、シアル酸修飾の前にアミノ基を化学修飾などで先にブロックしておくことで、シアル酸修飾時にペプチド部分の副反応を抑制出来ることを明らかにした。詳細は、以下の文献を参照されたい:Takashi Nishikaze, Sadanori Sekiya, Shinichi Iwamoto, Koichi Tanaka. “A Universal Approach to linkage-Specific Derivatization for Sialic Acids on Glycopeptides,” Journal of The American Society for Mass Spectrometry, 2017年6月, Volume 28, Issue 1 Supplement, ポスター番号MP091。本実施形態の分析用試料の調製方法もこれと同様に糖ペプチドおよび糖タンパク質に用いることができる。すなわち、糖ペプチドまたは糖タンパク質に対してジメチルアミド化やグアニジル化などのアミノ基をブロックする反応を行い、次いでラクトン化反応およびアミド化反応を行う。このとき、シアル酸の結合様式に応じてラクトンを形成させる手法を用いれば、シアル酸の結合様式を識別することもできる。
【0056】
なお、糖ぺプチドの中にはアミノ酸配列に基づく特性上副反応を生じ難いものがある。例えば、IgGのFc領域をトリプシン等の消化酵素により消化することによって生成した糖ペプチドは、リジンを有さず、N末端のアミノ基も脱水縮合剤の存在下で速やかに環化脱水してピログル化する。その結果、アミノ基が存在しなくなるので、ジメチルアミド化やグアニジル化など事前のアミノ基のブロッキングは必要ない。このような糖ペプチドに関しては、アミノ基のブロッキングを行わずにラクトン化反応およびアミド化反応を行うことにより解析に足るマススペクトルを得ることが可能となる。
【0057】
(分析用試料の調製用キットについて)
本実施形態の分析用試料の調製方法に好適に用いられる分析用試料の調製用キット(以下、調製用キットと呼ぶ)が提供される。調製用キットは、上述のアミド化反応後の反応溶液のpHの調節に用いられる酸性溶液を含めばその内容は特に限定されず、試薬や、試薬以外の質量分析に用いられる任意の消耗品を含むことができる。調製用キットを用いて分析用試料を調整することにより、より効率的に分析用試料を調整することができる。
【0058】
上述の実施形態によれば、次の作用効果が得られる。
(1)本実施形態の分析用試料の調製方法は、試料と塩基性の反応溶液とを接触させ、糖鎖に含まれるラクトン構造をアミド化するアミド化反応を行うことと、アミド化反応に供した後の反応溶液に酸性溶液を加えることと、酸性溶液が加えられた後の反応溶液に含まれる試料を、HILIC用の担体を用いて精製することと、を備える。これにより、アミド化反応およびHILICに供した試料について、試料の回収率が向上したり夾雑物が減少したりし、精度よく分析することができる。
【0059】
(2)本実施形態の分析用試料の調製方法は、アミド化反応の前に、糖鎖に含まれるシアル酸の少なくとも一部をラクトン化するラクトン化反応を行うことを備える。これにより、ラクトン化反応でラクトン化されたシアル酸を、アミド化反応を用いて迅速に修飾することができる。
【0060】
(3)本実施形態の分析用試料の調製方法において、ラクトン化反応は、脱水縮合剤を含むラクトン化反応溶液と試料とを接触させることにより行われる。これにより、ラクトン化されやすいシアル酸とラクトン化されにくいシアル酸とを区別して修飾することができる。
【0061】
(4)本実施形態の分析用試料の調製方法において、アミド化反応で用いられる反応溶液は、アンモニアまたはアミンを含み、ラクトン化反応溶液は、糖鎖に含まれるシアル酸と反応させる第1求核剤をさらに含み、第1求核剤は、アミド化反応で用いられる反応溶液に含まれるアンモニアまたはアミンとは異なり、ラクトン化反応では、試料にラクトン化反応溶液を加え、シアル酸の結合様式に基づいて、シアル酸の一部をラクトン化し、シアル酸の他の一部に第1求核剤の少なくとも一部を結合させる。これにより、質量等の違いに基づいて、シアル酸の結合様式を区別して分析することができる。
【0062】
(5)本実施形態の分析用試料の調製方法において、酸性溶液は、0.2重量%以上のトリフルオロ酢酸(TFA)を含む溶液である。これにより、TFAの有機溶媒に可溶な強酸であるという特性を生かして、確実かつ効率的にアミド化反応後の反応溶液のpHを調整することができる。
【0063】
(6)本実施形態に係る分析方法は、本実施形態の分析用試料の調製方法により分析用試料を調製することと、調製した分析用試料を分析することとを備える。これにより、HILIC用のカラムを用いた精製における試料の回収率が向上したり夾雑物が減少したりし、精度よく糖鎖を解析することができる。
【0064】
(7)本実施形態に係る分析方法において、調製した分析用試料は、質量分析およびクロマトグラフィの少なくとも一つにより分析されることができる。これにより、結合様式特異的に生じた質量の差や、クロマトグラフィでの分離への影響に基づいて、シアル酸の結合様式を区別して糖鎖を解析することができる。
【0065】
(8)本実施形態に係る分析用試料の調製用キットは、酸性溶液を備える。これにより、アミド化反応後、HILIC用のカラムに導入する前の試料を迅速に調達、用意することができる。
【0066】
次のような変形も本発明の範囲内であり、上述の実施形態と組み合わせることが可能である。以下の変形例において、上述の実施形態と同様の構造、機能を示す部位等に関しては、同一の符号で参照し、適宜説明を省略する。
(変形例1)
上述の実施形態では、ラクトン化反応によりラクトン化されたシアル酸を、アミド化反応によりアミド化した。しかし、アミド化反応を行った後、HILIC用の担体を用いて試料を精製するのであれば、アミド化反応の前の処理は、特に限定されない。例えば、ラクトン化反応を行わずにアミド化反応を行い、試料に元々含まれるラクトン化されたシアル酸を検出してもよい。また、ラクトン化反応をシアル酸の結合様式非特異的に行ってもよい。
【0067】
本発明は上記実施形態の内容に限定されるものではない。本発明の技術的思想の範囲内で考えられるその他の態様も本発明の範囲内に含まれる。
【実施例
【0068】
以下に、本実施形態に係る実施例を示すが、本発明は下記の実施例に限定されるものではない。なお、以下において、%の記載は特に言及が無い限り重量%を示す。
【0069】
(比較例1:酸性糖鎖を用いて行った比較例)
<ラクトン化反応およびアミド化反応>
試料として、増田化学工業から購入したPA化糖鎖PA059(図2(A)に構造を示した)を用意した。PA059は、α2,3-シアル酸を2つ含む2本鎖糖鎖であり、以下ではPAm059と呼ぶ。試料を200 fmolエッペンドルフチューブ内に乾固し、その後、イソプロピルアミンを含む20μLのラクトン化反応溶液(2M イソプロピルアミン塩酸塩、500mM EDC-HCl、500mM HOBt)を加え、2000rpmで攪拌しながら1時間反応させた(これにより、α2,6-シアル酸はイソプロピルアミドに、α2,3-シアル酸はラクトン体に変換される。PAm059の2つのシアル酸はα2,3-シアル酸であるためラクトン化される)。ラクトン化反応後、反応溶液に20μLの20% メチルアミン水溶液を添加し、ボルテックスミキサーにより攪拌しアミド化反応を行った(これにより、ラクトン化されたα2,3-シアル酸はアミノリシスによりメチルアミド化される)。
【0070】
<HILIC用のカラムによる精製>
アミド化反応後の反応溶液に140μLのACNを加え希釈した後、遠心用の前処理用カラムであるHILIC Tip (GL-Tip Amide, GL Science特注品、同社のInertsil Amide分析カラムと同じ担体(以下、単にInertsil Amideと呼ぶ)が充填されたもの)を用いて過剰試薬を除いた。Inertsil Amideはシリカゲルにアミド基(カルバモイル基)を化学修飾させた担体であり、HPLCに用いる場合の推奨pHは2~7.5である。ACNで希釈した上記反応溶液をGL-Tip Amideに加え、4000xgで遠心することで通液し糖鎖を担体に吸着させた。その後、90% ACN 0.1% TFA溶液100μLを2回通液させることで洗浄し、20μL H2Oを2回、20μL 90% ACN 0.1% TFA溶液を1回通液して糖鎖を溶出させ、溶出液をSpeedVac(サーモフィッシャーサイエンティフィック)で乾固した。その後、乾固した試料を再溶解した溶液をStage Tip Carbonに通液して脱塩操作を行った。Stage Tip Carbonは、エムポアディスクカーボン(3M製)を、直径約1mmに切り抜き、200μLのチップに詰めたカーボンカラムである。
【0071】
<質量分析>
Stage Tip Carbonからの溶出液に内部標準として4本鎖中性糖鎖のPA004(Takara Bio、図2(B)に構造を示した)を200 fmol添加し、試料と共に乾固させた。その後、試料を5μLの水に再溶解し、うち1μLをμFocus MALDI plate 700μm (Hudson Surface Technologies)に滴下した。滴下した試料に2mMのリン酸二水素アンモニウムを含む3AQ/CA(3-アミノキノリン/p-クマル酸)マトリックス溶液を0.75μL加え、プレートごと75℃に加熱し残存溶媒を除去した。その後、飛行時間型質量分析計(AXIMA-Resonance, Shimadzu/Kratos) を用いて、MALDIでイオン化し負イオンモードで測定を行った。
【0072】
図3は、比較例1において、質量分析により得られたマススペクトルである。本条件では、内部標準(I.S.)のPA化中性糖鎖はリン酸付加体として負イオン化する。試料に含まれるPAm059も、アミド化されているため同様にリン酸付加体としてイオン化する。m/z 2423.9のピークはメチルアミド化したPAm059のリン酸付加体に対応し、一連の処理の中でシアル酸はメチルアミド化により中性化していることが分かる。しかしながら、m/z 2000以下等の低m/z領域に夾雑物由来と思われるシグナルが強く観測されたため、比較例の調製方法は実用性を欠いた。また、s/n(信号雑音比)も悪く、これも夾雑物の影響であると推測された。
【0073】
(実施例1:中性糖鎖を用いて行った実施例)
比較例1の実験系では試料の回収率を正確に評価することができない。そのため、ラクトンの形成やアミノリシスによって変化しないPA化中性糖鎖を用いて評価を行った。HILIC用のカラムから溶出した溶出液に対して内部標準(I.S.)としてPA011(Takara Bio、図2(C)に構造を示した)を加え、内部標準との相対強度で回収率を評価した。
【0074】
<ラクトン化反応およびアミド化反応>
試料としては4本鎖糖鎖のPA004(Takara Bio)を100fmolエッペンドルフチューブ内に乾固した。次いで上記ラクトン化反応溶液を20μL加えて攪拌しながら1時間反応させた後、アミド化反応溶液として20% メチルアミン水溶液を20μL加えてボルテックスミキサーにより攪拌しアミノリシスが起こる条件にした。
【0075】
<HILIC用のカラムによる精製>
HILIC Tipで精製する前に希釈する際、3つに分けた試料に(a)ACN、(b)4% TFAを含むACN、(c)5% TFAを含むACNをそれぞれ140μLずつ加えた。希釈後のpHをpH試験紙を用いて調べたところ、(a)は12以上、(b)は8程度、(c)は3程度であった。この溶液をHILIC Tipで精製した後、Stage Tip Carbonにて脱塩処理し、SpeedVacにて乾固した。
【0076】
<質量分析>
その後、5μLの水に再溶解し、うち1μLをμFocus MALDI plate 700μm (Hudson Surface Technologies)に滴下した。滴下した試料に2mMのリン酸二水素アンモニウムを含む3AQ/CAマトリックス溶液を0.75μL加え、プレートごと75℃に加熱し残存溶媒を除去した。その後、飛行時間型質量分析計(AXIMA-Resonance, Shimadzu/Kratos) を用いて、MALDIでイオン化し負イオンモードで測定を行った。
【0077】
図4は、実施例1において、質量分析により得られたマススペクトルである。本条件では、PA化中性糖鎖はリン酸付加体として負イオン化する。HILIC用のカラムを用いた精製後のPA004とPA011の相対強度比を予め得られた検量線にあてはめて回収率を評価した。検量線を得るための測定では、一定量のPA011(100 fmol)に対して希釈系列のPA004(25 fmol, 50 fmol, 100 fmol, 200 fmol)を加え、一旦乾固した後、HILIC用のカラムによる精製は行わずに上記の手法と同様の測定方法にて負イオンマススペクトルを取得した。PA004とPA011の相対強度比から検量線が得られた。
【0078】
図4の上段のマススペクトルに対応する(a)の場合、m/z 2000以下等の低分子量領域に夾雑物由来と思われるシグナルが強く観測された。しかし、図4の中段および下段のマススペクトルにそれぞれ対応する(b)および(c)の場合(酸性溶液によるpH調節(クエンチ)を行った場合)では、(a)のような夾雑シグナルは観測されなかった。試料の回収率は(a)が40%程度であったのに対し、(b)および(c)ではそれぞれ67%および70%と算出され、回収率そのものもクエンチを行うことで改善されていることが分かる。なお、この回収率はクエンチ後のHILIC精製に加えカーボン精製を経た後の回収率であり、さらに200fmolという微量糖鎖を扱っていることを勘案すると十分に優秀な値である。即ち、クエンチを行うことでHILIC担体からの夾雑を抑えられ、精製後の回収率も改善されることが分かった。
【0079】
(比較例2:異なるアミド担体による精製の比較)
比較例2として、比較例1および実施例1で用いたアミド担体とは異なるアミド担体を用いて精製を行った場合でも夾雑物に対応するシグナルが観測される例を示す。実施例1における(a)(クエンチなし条件)と同様の方法で、HILIC用のカラムとしてInertsil Amide担体を含むチップ(カラムA)を用いた場合とInertSustain Amide担体(GL Science)を含むチップ(カラムB)を用いた場合とで比較した。InertSustain Amideは、シリカゲルにアミド基(カルバモイル基)を化学修飾させた担体であり、HPLCに用いる場合の推奨pHは2~8.5である。
【0080】
図5は、比較例2において、質量分析により得られたマススペクトルである。カラムAでの回収率は約40%、カラムBでの回収率は70%であった。しかしながら、カラムBの場合でもm/z 2000以下等の低m/z領域にはパターンは異なるものの夾雑物に対応するシグナルが観測されており、推奨pHから外れたpHの溶液を導入するとHILIC用の担体が損傷を受けることがさらに強く示唆された。
図1
図2
図3
図4
図5