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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2022-06-24
(45)【発行日】2022-07-04
(54)【発明の名称】浸炭窒化軸受部品の素材となる鋼材
(51)【国際特許分類】
   C22C 38/00 20060101AFI20220627BHJP
   C22C 38/54 20060101ALI20220627BHJP
   C23C 8/32 20060101ALI20220627BHJP
   C21D 1/06 20060101ALN20220627BHJP
   C21D 1/76 20060101ALN20220627BHJP
   C21D 8/06 20060101ALN20220627BHJP
   C21D 9/40 20060101ALN20220627BHJP
【FI】
C22C38/00 301N
C22C38/54
C23C8/32
C21D1/06 A
C21D1/76 M
C21D8/06 A
C21D9/40 A
【請求項の数】 3
(21)【出願番号】P 2020562520
(86)(22)【出願日】2019-12-27
(86)【国際出願番号】 JP2019051503
(87)【国際公開番号】W WO2020138450
(87)【国際公開日】2020-07-02
【審査請求日】2021-06-07
(31)【優先権主張番号】P 2018245699
(32)【優先日】2018-12-27
(33)【優先権主張国・地域又は機関】JP
(73)【特許権者】
【識別番号】000006655
【氏名又は名称】日本製鉄株式会社
(73)【特許権者】
【識別番号】000001247
【氏名又は名称】株式会社ジェイテクト
(74)【代理人】
【識別番号】110001553
【氏名又は名称】アセンド特許業務法人
(72)【発明者】
【氏名】根石 豊
(72)【発明者】
【氏名】山下 朋広
(72)【発明者】
【氏名】平上 大輔
(72)【発明者】
【氏名】鈴木 崇久
(72)【発明者】
【氏名】小山 達也
(72)【発明者】
【氏名】佐田 隆
(72)【発明者】
【氏名】金谷 康平
【審査官】岡田 眞理
(56)【参考文献】
【文献】国際公開第2016/017162(WO,A1)
【文献】国際公開第2016/017160(WO,A1)
【文献】特開2008-280583(JP,A)
【文献】国際公開第2019/039610(WO,A1)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C22C 38/00-38/60
C23C 8/32
C21D 1/06
C21D 1/76
C21D 8/06
C21D 9/40
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
化学組成が、
質量%で、
C:0.15~0.45%、
Si:0.50%以下、
Mn:0.20~0.60%、
P:0.015%以下、
S:0.005%以下、
Cr:0.80~1.50%、
Mo:0.17~0.30%、
V:0.24~0.40%、
Al:0.005~0.100%、
N:0.0300%以下、
O:0.0015%以下、
Cu:0~0.20%、
Ni:0~0.20%、
B:0~0.0050%、
Nb:0~0.100%、
Ti:0~0.100%、
Ca:0~0.0010%、及び、
残部がFe及び不純物からなり、
式(1)~式(4)を満たし、
ミクロ組織におけるフェライト及びパーライトの総面積率が10.0%以上であり、残部がベイナイトからなり、
前記化学組成中のV含有量(質量%)に対する、電解抽出残渣中のV含有量(質量%)の割合が10.0%以下である、
鋼材。
1.50<0.4Cr+0.4Mo+4.5V<2.45 (1)
2.20<2.7C+0.4Si+Mn+0.45Ni+0.8Cr+Mo+V<2.80 (2)
Mo/V≧0.58 (3)
(Mo+V+Cr)/(Mn+20P)≧2.40 (4)
ここで、式(1)~式(4)中の各元素記号には、対応する元素の含有量(質量%)が代入される。
【請求項2】
請求項1に記載の鋼材であって、
前記化学組成は、
Cu:0.01~0.20%、
Ni:0.01~0.20%、
B:0.0001~0.0050%、
Nb:0.005~0.100%、及び、
Ti:0.005~0.100%、からなる群から選択される1元素又は2元素以上を含有する、
鋼材。
【請求項3】
請求項1又は請求項2に記載の鋼材であって、
前記化学組成は、
Ca:0.0001~0.0010%を含有する、
鋼材。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本開示は、鋼材に関し、さらに詳しくは、浸炭窒化処理された軸受部品である浸炭窒化軸受部品の素材となる、鋼材に関する。
【背景技術】
【0002】
軸受部品の素材となる鋼材は、JIS G 4805(2008)に規定されたSUJ2に代表される。これらの鋼材は、次の方法により軸受部品に製造される。鋼材に対して熱間鍛造及び/又は切削加工を実施して、所望の形状の中間品を製造する。中間品に対して熱処理を実施して、鋼材の硬さ及びミクロ組織を調整する。熱処理はたとえば、焼入れ焼戻し、浸炭処理、又は、浸炭窒化処理等である。以上の工程により、所望の軸受性能(耐摩耗性及び軸受部品の芯部の靱性)を有する軸受部品が製造される。
【0003】
軸受性能として、特に耐摩耗性が要求される場合、上述の熱処理として、浸炭窒化処理が実施される。本明細書において、浸炭窒化処理とは、浸炭窒化焼入れ及び焼戻しを実施する処理を意味する。浸炭窒化処理では、鋼材の表層に、浸炭窒化層を形成して、鋼材の表層を硬化させる。本明細書では、浸炭窒化処理が実施された軸受部品を浸炭窒化軸受部品という。
【0004】
軸受部品の耐摩耗性及び靱性等を高める技術が特開平8-49057号公報(特許文献1)、特開平11-12684号公報(特許文献2)、及び、国際公開第2016/017162号(特許文献3)に提案されている。
【0005】
特許文献1に開示された転がり軸受は、軌道輪及び転動体の少なくとも一つが、C:0.1~0.7重量%、Cr:0.5~3.0重量%、Mn:0.3~1.2重量%、Si:0.3~1.5重量%、Mo:3重量%以下の中低炭素低合金鋼にV:0.8~2.0重量%を含有させた鋼を素材とする。その素材を用いて形成した製品の熱処理時に浸炭又は浸炭窒化処理を施し、製品表面の炭素濃度を0.8~1.5重量%で且つ表面のV/C濃度比が1~2.5の関係を満たすようにする。この転がり軸受は、表面にV炭化物を析出して耐摩耗性を高めることができる、と特許文献1には記載されている。
【0006】
特許文献2に開示された冷間鍛造用肌焼鋼は、フェライト+パーライトの面積率が75%以上であり、フェライトの平均粒径が40μm以下であり、パーライトの平均粒径が30μm以下である。この冷間鍛造用肌焼鋼は、上述のミクロ組織を有することにより、耐摩耗性を高めることができる、と特許文献2には記載されている。
【0007】
特許文献3に開示された浸炭窒化軸受用鋼は、質量%で、C:0.22~0.45%、Si:0.50%以下、Mn:0.40~1.50%、P:0.015%以下、S:0.005%以下、Cr:0.30~2.0%、Mo:0.10~0.35%、V:0.20~0.40%、Al:0.005~0.10%、N:0.030%以下、O:0.0015%以下、B:0~0.0050%、Nb:0~0.10%、及び、Ti:0~0.10%を含有し、残部がFe及び不純物からなり、式(1)及び式(2)を満たす化学組成を有する。ここで、式(1)は、1.20<0.4Cr+0.4Mo+4.5V<2.60であり、式(2)は、2.7C+0.4Si+Mn+0.8Cr+Mo+V>2.20である。この浸炭窒化軸受用鋼は、Niを含有しなくても、焼入れ性に優れ、熱処理後の靭性、耐摩耗性及び表面起点はく離寿命に優れる、と特許文献3には記載されている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0008】
【文献】特開平8-49057号公報
【文献】特開平11-12684号公報
【文献】国際公開第2016/017162号
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0009】
ところで、軸受部品は、鉱山機械用途又は建設機械用途に用いられる中型又は大型の軸受部品と、自動車用途に用いられる小型の軸受部品とが存在する。小型の軸受部品はたとえば、エンジン内に適用される軸受部品等である。自動車用途の軸受部品は、エンジンオイル等の潤滑油が循環する環境にて使用される場合が多い。
【0010】
最近では、燃費向上を目的として、潤滑油の粘度を低下して摩擦抵抗及び伝達抵抗を低減したり、循環させる潤滑油の使用量を低減したりしている。そのため、使用中の潤滑油が分解して水素が発生しやすくなっている。軸受部品の使用環境において水素が発生すると、外部から軸受部品内に水素が侵入する。侵入した水素は軸受部品のミクロ組織の一部において組織変化をもたらす。軸受部品の使用中での組織変化は、軸受部品の剥離寿命を低下させる。以下、本明細書において、組織変化の要因となる水素が発生する環境を「水素発生環境」という。
【0011】
上述の特許文献1~3では、水素発生環境下における浸炭窒化軸受部品の剥離寿命について検討されていない。また、浸炭窒化軸受部品の素材となる鋼材では、浸炭窒化軸受部品を製造する工程の熱間鍛造後の中間品に対して、最終形状とするための切削加工が実施される場合がある。この場合、浸炭窒化軸受部品の素材となる鋼材には、優れた被削性も求められる。
【0012】
本開示の目的は、被削性に優れ、浸炭窒化処理後の浸炭窒化軸受部品において、耐摩耗性、芯部の靱性、及び、水素発生環境下での組織変化に伴う剥離寿命に優れる、浸炭窒化軸受部品の素材となる鋼材を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0013】
本開示による鋼材は、
化学組成が、
質量%で、
C:0.15~0.45%、
Si:0.50%以下、
Mn:0.20~0.60%、
P:0.015%以下、
S:0.005%以下、
Cr:0.80~1.50%、
Mo:0.17~0.30%、
V:0.24~0.40%、
Al:0.005~0.100%、
N:0.0300%以下、
O:0.0015%以下、
Cu:0~0.20%、
Ni:0~0.20%、
B:0~0.0050%、
Nb:0~0.100%、
Ti:0~0.100%、
Ca:0~0.0010%、及び、
残部がFe及び不純物からなり、
式(1)~式(4)を満たし、
ミクロ組織におけるフェライト及びパーライトの総面積率が10.0%以上であり、残部がベイナイトからなり、
前記化学組成中のV含有量(質量%)に対する、電解抽出残渣中のV含有量(質量%)の割合が10.0%以下である。
1.50<0.4Cr+0.4Mo+4.5V<2.45 (1)
2.20<2.7C+0.4Si+Mn+0.45Ni+0.8Cr+Mo+V<2.80 (2)
Mo/V≧0.58 (3)
(Mo+V+Cr)/(Mn+20P)≧2.40 (4)
ここで、式(1)~式(4)中の各元素記号には、対応する元素の含有量(質量%)が代入される。
【発明の効果】
【0014】
本開示による鋼材は、被削性に優れ、浸炭窒化処理後において、耐摩耗性、芯部の靱性、及び、水素発生環境下での組織変化に伴う剥離寿命に優れる。
【図面の簡単な説明】
【0015】
図1図1は、JIS G 4805(2008)に規定されたSUJ2に相当する鋼材に対して焼入れ及び焼戻しを施した軸受部品(比較例)と、上述の化学組成を有し、式(1)~式(4)を満たし、かつ、化学組成中のV含有量(質量%)に対する、電解抽出残渣中のV含有量(質量%)の割合が10.0%以下である本実施形態の鋼材を浸炭窒化処理して製造した軸受部品(浸炭窒化軸受部品:本発明例)とにおける、水素発生環境下での剥離寿命(Hr)を示す図である。
図2図2は、実施例での焼入れ性評価試験、及び靱性評価試験用の試験片に対する焼入れ及び焼戻しのヒートパターンを示す図である。
図3図3は、実施例のローラピッチング試験で使用する小ローラ試験片の中間品の側面図である。
図4図4は、実施例のローラピッチング試験で使用する、小ローラ試験片の側面図である。
図5図5は、実施例のローラピッチング試験で使用する大ローラの正面図である。
【発明を実施するための形態】
【0016】
本発明者らは、浸炭窒化軸受部品の素材となる鋼材の被削性、及び、浸炭窒化処理後の浸炭窒化軸受部品における耐摩耗性、芯部の靱性、及び、水素発生環境下での組織変化に伴う剥離寿命について調査及び検討を行った。
【0017】
初めに、本発明者らは、上述の特性を得るための鋼材の化学組成について検討を行った。その結果、質量%で、C:0.15~0.45%、Si:0.50%以下、Mn:0.20~0.60%、P:0.015%以下、S:0.005%以下、Cr:0.80~1.50%、Mo:0.17~0.30%、V:0.24~0.40%、Al:0.005~0.100%、N:0.0300%以下、O:0.0015%以下、Cu:0~0.20%、Ni:0~0.20%、B:0~0.0050%、Nb:0~0.100%、Ti:0~0.100%、Ca:0~0.0010%、及び、残部がFe及び不純物からなる化学組成を有する鋼材を用いれば、被削性、及び、浸炭窒化処理後の浸炭窒化軸受部品における耐摩耗性、芯部の靱性、及び、水素発生環境下での組織変化に伴う剥離寿命を向上できる可能性があると考えた。
【0018】
しかしながら、単に各元素が上述の範囲内となる鋼材であっても、必ずしも上述の特性(被削性、浸炭窒化軸受部品の耐摩耗性、芯部の靱性及び水素発生環境下での剥離寿命)が向上しないことが判明した。そこで、本発明者らはさらに検討を行った。その結果、上述の化学組成がさらに、次の式(1)~式(4)を満たすことにより、上述の特性を高めることができることを見出した。
1.50<0.4Cr+0.4Mo+4.5V<2.45 (1)
2.20<2.7C+0.4Si+Mn+0.45Ni+0.8Cr+Mo+V<2.80 (2)
Mo/V≧0.58 (3)
(Mo+V+Cr)/(Mn+20P)≧2.40 (4)
ここで、式(1)~式(4)中の各元素記号には、対応する元素の含有量(質量%)が代入される。
【0019】
[式(1)について]
水素発生環境下での浸炭窒化軸受部品の剥離寿命を高めるためには、浸炭窒化軸受部品内において、円相当径が150nm以下のV炭化物、円相当径が150nm以下のV炭窒化物、円相当径が150nm以下のV複合炭化物、及び、円相当径が150nm以下のV複合炭窒化物からなる群から選択される1種以上を多数生成させることが有効である。ここで、V複合炭化物とは、V及びMoを含む炭化物を意味する。V複合炭窒化物とは、V及びMoを含有する炭窒化物を意味する。以降の説明では、V炭化物及びV炭窒化物を「V炭化物等」とも称し、V複合炭化物及びV複合炭窒化物を「V複合炭化物等」と称する。また、円相当径が150nm以下のV炭化物等を「小型V炭化物等」と称し、円相当径が150nm以下のV複合炭化物等を「小型V複合炭化物等」と称する。ここで、円相当径とは、V炭化物等、又は、V複合炭化物等の面積と同じ面積の円の直径を意味する。
【0020】
V炭化物等及びV複合炭化物等が円相当径で150nm以下の小型V炭化物等及び小型V複合炭化物等であれば、小型V炭化物等及び小型V複合炭化物等は、水素をトラップする。さらに、小型V炭化物等及び小型V複合炭化物等は、小型であるために、割れの起点になりにくい。そのため、小型V炭化物等及び小型V複合炭化物等を浸炭窒化軸受部品中に十分に分散させれば、水素発生環境下において組織変化が発生しにくく、その結果、水素発生環境下における浸炭窒化軸受部品の剥離寿命を高めることができる。
【0021】
F1=0.4Cr+0.4Mo+4.5Vと定義する。F1は、水素をトラップして水素発生環境下での浸炭窒化軸受部品の剥離寿命を高める小型V炭化物等及び小型V複合炭化物等の生成量に関する指標である。小型V炭化物等及び小型V複合炭化物等の生成は、Vだけでなく、Cr及びMoを含有することにより、促進される。CrはV炭化物等及びV複合炭化物等が生成する温度域よりも低い温度域において、セメンタイト等のFe系炭化物又はCr炭化物を生成する。Moは、V炭化物等及びV複合炭化物等が生成する温度域よりも低い温度域において、Mo炭化物(MoC)を生成する。温度の上昇に伴い、Fe系炭化物、Cr系炭化物、及び、Mo炭化物が固溶してV炭化物等及びV複合炭化物等の析出核生成サイトとなる。
【0022】
F1が1.50以下であれば、化学組成中の各元素含有量が本実施形態の範囲内であり、かつ、式(2)~式(4)を満たしても、Cr及びMoが不足しており、V炭化物等及びV複合炭化物等の析出核生成サイトが不足する。又は、V炭化物等及びV複合炭化物等の生成に必要なV含有量自体が、Cr含有量及びMo含有量に対して不足する。その結果、V炭化物等及びV複合炭化物等が十分に生成しない。一方、F1が2.45以上であれば、化学組成中の各元素含有量が本実施形態の範囲内であり、かつ、式(2)~式(4)を満たしても、円相当径が150nm超のV炭化物等及び円相当径が150nm超のV複合炭化物等が生成する。以降の説明では、円相当径が150nm超のV炭化物等を「粗大V炭化物等」とも称し、円相当径が150nm超のV複合炭化物等を「粗大V複合炭化物等」とも称する。粗大V炭化物等及び粗大V複合炭化物等は、水素をトラップする能力が低いため、組織変化を引き起こしやすい。そのため、粗大V炭化物等及び粗大V複合炭化物等は、水素発生環境下において、浸炭窒化軸受部品の剥離寿命を低下する。
【0023】
F1が1.50よりも高く、2.45未満であれば、化学組成中の各元素含有量が本実施形態の範囲内であり、かつ、式(2)~式(4)を満たすことを前提として、浸炭窒化軸受部品中において、小型V炭化物等及び小型V複合炭化物等が十分に多く生成し、かつ、浸炭窒化軸受部品の素材となる鋼材中において、V炭化物等及びV複合炭化物等は十分に固溶する。そのため、水素発生環境下において組織変化が発生しにくく、水素発生環境下において、浸炭窒化軸受部品の剥離寿命が高まる。また、F1が2.45未満であれば、浸炭窒化軸受部品において、粗大V炭化物等及び粗大V複合炭化物等の生成が抑制され、かつ、小型V炭化物等及び小型V複合炭化物等が表層にも多数生成している。そのため、浸炭窒化軸受部品の耐摩耗性も向上する。
【0024】
[式(2)について]
浸炭窒化軸受部品の水素発生環境下での剥離寿命を高めるためにはさらに、浸炭窒化軸受部品の芯部の強度を高めることが有効である。浸炭窒化軸受部品の芯部の強度を高めるためには、浸炭窒化軸受部品の素材となる鋼材の焼入れ性を高めることが有効である。しかしながら、鋼材の焼入れ性を過剰に高めれば、鋼材の被削性が低下してしまう。
【0025】
F2=2.7C+0.4Si+Mn+0.45Ni+0.8Cr+Mo+Vと定義する。F2内の各元素(C、Si、Mn、Ni、Cr、Mo及びV)は、上述の化学組成中の元素のうち、鋼の焼入れ性を高める主たる元素である。したがって、F2は、浸炭窒化軸受部品の芯部の強度、及び、鋼材の被削性の指標である。
【0026】
F2が2.20以下であれば、化学組成中の各元素含有量が本実施形態の範囲内であり、かつ、式(1)、式(3)及び式(4)を満たしても、鋼材の焼入れ性が十分ではない。そのため、浸炭窒化軸受部品の芯部の強度が十分ではなく、水素発生環境下での浸炭窒化軸受部品の剥離寿命が十分に得られない。一方、F2が2.80以上であれば、化学組成中の各元素含有量が本実施形態の範囲内であり、かつ、式(1)、式(3)及び式(4)を満たしても、鋼材の焼入れ性が過剰に高くなる。この場合、鋼材の被削性が十分に得られない。
【0027】
F2が2.20よりも高く、2.80よりも低ければ、化学組成中の各元素含有量が本実施形態の範囲内であり、かつ、式(1)、式(3)及び式(4)を満たすことを前提として、鋼材において十分な被削性が得られる。さらに、浸炭窒化軸受部品の芯部の強度が十分に高まり、水素発生環境下での浸炭窒化軸受部品の剥離寿命が十分に高まる。
【0028】
[式(3)について]
Moは小型V炭化物等及び小型V複合炭化物等の析出を促進する元素である。具体的には、上述のとおり、F1が式(1)を満たすことにより、小型V炭化物等及び小型V複合炭化物等の生成に必要なV含有量、Cr含有量及びMo含有量の総含有量が得られる。しかしながら、本発明者らの検討の結果、小型V炭化物等及び小型V複合炭化物等を十分に生成するためにはさらに、Mo含有量のV含有量に対する比(=Mo/V)を調整しなければならないことが判明した。具体的には、Mo含有量のV含有量に対する比が低すぎれば、小型V炭化物等及び小型V複合炭化物等が生成する前に、析出核生成サイトとなるMo炭化物が十分に析出しない。この場合、V含有量、Cr含有量及びMo含有量が本実施形態の範囲内であり、かつ、式(1)を満たしていても、小型V炭化物等及び小型V複合炭化物等が十分に生成しない。
【0029】
F3=Mo/Vと定義する。F3が0.58未満であれば、化学組成中の各元素含有量が本実施形態の範囲内であり、かつ、式(1)、式(2)及び式(4)を満たしても、小型V炭化物等及び小型V複合炭化物等が十分に生成しない。その結果、水素発生環境下において、浸炭窒化軸受部品の剥離寿命が十分に得られない。F3が0.58以上であり、式(3)を満たせば、化学組成中の各元素含有量が本実施形態の範囲内であり、かつ、式(1)、式(2)及び式(4)を満たすことを前提として、小型V炭化物等及び小型V複合炭化物等が十分に生成する。その結果、水素発生環境下において、浸炭窒化軸受部品の剥離寿命が十分に高くなる。
【0030】
[式(4)について]
上述の小型V炭化物等及び小型V複合炭化物等は、水素をトラップするだけでなく、析出強化により結晶粒内を強化する。一方で、水素発生環境下での浸炭窒化軸受部品の粒界も強化でき、さらに、水素の侵入を抑えることができれば、(a)結晶粒内強化、(b)結晶粒界強化、(c)水素侵入抑制、の3つの相乗効果により、水素発生環境下での浸炭窒化軸受部品の剥離寿命がさらに高まる。(a)の結晶粒内強化については、上述のとおり、Mo含有量、V含有量、Cr含有量の総含有量に依存する。一方、(b)の結晶粒界強化については、上述の化学組成のうち、特に結晶粒界に偏析しやすいPの含有量を低減することが有効である。さらに、(c)の水素侵入抑制については、鋼材中のMn含有量を低減することが極めて有効であることが本発明者らの調査により判明した。
【0031】
F4=(Mo+V+Cr)/(Mn+20P)と定義する。F4中の分子(=(Mo+V+Cr))は、結晶粒内強化の指標(上記(a)に相当)である。F4中の分母(=(Mn+20P))は、結晶粒界脆化及び水素侵入の指標(上記(b)及び(c)に相当)である。F4の分母が大きいほど、結晶粒界の強度が低いことを意味し、又は、水素が浸炭窒化軸受部品に侵入しやすいことを意味する。したがって、たとえ、結晶粒内強化指標(F4の分子)が大きくても、結晶粒界脆化及び水素侵入指標(F4の分母)が大きければ、結晶粒内強化機構、結晶粒界強化機構、及び水素侵入抑制機構の相乗効果が得られず、水素発生環境下での浸炭窒化軸受部品の剥離寿命の十分な向上が得られない。
【0032】
F4が2.40以上であれば、化学組成中の各元素含有量が本実施形態の範囲内であり、かつ、式(1)~式(3)を満たすことを前提として、結晶粒内強化機構、結晶粒界強化機構、及び水素侵入抑制機構の相乗効果が得られ、水素発生環境下での浸炭窒化軸受部品の剥離寿命が十分に得られる。
【0033】
本実施形態の鋼材ではさらに、鋼材の化学組成中のV含有量(質量%)に対する、鋼材の電解抽出残渣中のV含有量(質量%)の割合が10.0%以下である。
【0034】
上述のとおり、浸炭窒化軸受部品において小型V炭化物等及び小型V複合炭化物等を十分に生成するためには、浸炭窒化軸受部品の素材となる鋼材において、V炭化物等及びV複合炭化物等はなるべく固溶している方が好ましい。鋼材において、V炭化物等及びV複合炭化物等が残存していれば、浸炭窒化軸受部品の製造工程において、鋼材中に残存しているV炭化物等及びV複合炭化物等が成長して粗大化する。粗大V炭化物等及び粗大V複合炭化物等は、水素発生環境下での浸炭窒化軸受部品の使用中において、水素をトラップする能力が低い。そのため、粗大V炭化物等及び粗大V複合炭化物等は、水素発生環境下での浸炭窒化軸受部品の使用中において、組織変化を引き起こしやすく、さらに、割れの起点にもなりやすい。そのため、浸炭窒化軸受部品の剥離寿命が低下する。
【0035】
そこで、本実施形態による鋼材では、鋼材の電解抽出残渣中のV含有量を[V]と定義し、鋼材の化学組成中のV含有量を[V]と定義した場合、次の式(A)で定義される残渣中V量割合RAが10.0%以下である。
RA=[V]/[V]×100 (A)
残渣中V量割合RAが10.0%以下であれば、浸炭窒化軸受部品の素材である鋼材において、V炭化物等及びV複合炭化物等は十分に固溶している。そのため、粗大V炭化物等及び粗大V複合炭化物等に起因した水素発生環境下での浸炭窒化軸受部品の剥離寿命の低下が抑制される。
【0036】
以上の構成を有する本実施形態の鋼材は、浸炭窒化処理を実施した後の浸炭窒化軸受部品において、水素発生環境下で極めて優れた剥離寿命を示す。図1は、JIS G 4805(2008)に規定されたSUJ2に相当する鋼材に対して焼入れ及び焼戻しを施した軸受部品(比較例)と、上述の化学組成を有し、式(1)~式(4)を満たし、かつ、残渣中V量割合RAが10.0%以下である本実施形態の鋼材を浸炭窒化処理して製造した軸受部品(浸炭窒化軸受部品:本発明例)とにおける、水素発生環境下での剥離寿命を示す図である。水素発生環境下での剥離寿命試験は、後述の実施例に示す方法で実施した。図1の縦軸は、比較例の剥離寿命を1.0(基準)と定義した場合の、各本発明例の剥離寿命の、比較例の剥離寿命に対する比率(以下、剥離寿命比という)を示す。
【0037】
図1を参照して、従前の化学組成の軸受部品(比較例)の水素発生環境下での剥離寿命に対して、本発明例の水素発生環境下での剥離寿命は、少なくとも2.0倍を超えている。つまり、本実施形態の鋼材を用いて製造された浸炭窒化軸受部品の水素発生環境下での剥離寿命は、従来の軸受部品と比較して、極めて顕著に向上している。
【0038】
以上の知見に基づいて完成した本実施形態による浸炭窒化軸受部品の素材となる鋼材は、以下の構成を有する。
【0039】
[1]
化学組成が、
質量%で、
C:0.15~0.45%、
Si:0.50%以下、
Mn:0.20~0.60%、
P:0.015%以下、
S:0.005%以下、
Cr:0.80~1.50%、
Mo:0.17~0.30%、
V:0.24~0.40%、
Al:0.005~0.100%、
N:0.0300%以下、
O:0.0015%以下、
Cu:0~0.20%、
Ni:0~0.20%、
B:0~0.0050%、
Nb:0~0.100%、
Ti:0~0.100%、
Ca:0~0.0010%、及び、
残部がFe及び不純物からなり、
式(1)~式(4)を満たし、
ミクロ組織におけるフェライト及びパーライトの総面積率が10.0%以上であり、残部がベイナイトからなり、
前記化学組成中のV含有量(質量%)に対する、電解抽出残渣中のV含有量(質量%)の割合が10.0%以下である、
鋼材。
1.50<0.4Cr+0.4Mo+4.5V<2.45 (1)
2.20<2.7C+0.4Si+Mn+0.45Ni+0.8Cr+Mo+V<2.80 (2)
Mo/V≧0.58 (3)
(Mo+V+Cr)/(Mn+20P)≧2.40 (4)
ここで、式(1)~式(4)中の各元素記号には、対応する元素の含有量(質量%)が代入される。
【0040】
[2]
[1]に記載の鋼材であって、
前記化学組成は、
Cu:0.01~0.20%、
Ni:0.01~0.20%、
B:0.0001~0.0050%、
Nb:0.005~0.100%、及び、
Ti:0.005~0.100%、からなる群から選択される1元素又は2元素以上を含有する、
鋼材。
【0041】
[3]
[1]又は[2]に記載の鋼材であって、
前記化学組成は、
Ca:0.0001~0.0010%を含有する、
鋼材。
【0042】
以下、本実施形態の鋼材について詳述する。元素に関する「%」は、特に断りがない限り、質量%を意味する。
【0043】
[浸炭窒化軸受部品の素材となる鋼材の化学組成]
本実施形態の鋼材は、浸炭窒化軸受部品の素材となる。本実施形態の鋼材の化学組成は、次の元素を含有する。
【0044】
C:0.15~0.45%
炭素(C)は、鋼の焼入れ性を高める。そのため、本実施形態の鋼材を素材として製造される浸炭窒化軸受部品の芯部の強度及び芯部の靭性を高める。Cはさらに、浸炭窒化処理により微細な炭化物及び炭窒化物を形成して、浸炭窒化軸受部品の耐摩耗性を高める。Cはさらに、主として浸炭窒化処理時において、小型V炭化物等及び小型V複合炭化物等を形成する。小型V炭化物等及び小型V複合炭化物等は、水素発生環境下での浸炭窒化軸受部品の使用中に、鋼材中の水素をトラップする。そのため、小型V炭化物等及び小型V複合炭化物等は、浸炭窒化軸受部品の水素発生環境下での剥離寿命を高める。C含有量が0.15%未満であれば、化学組成中の他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、上記効果が十分に得られない。一方、C含有量が0.45%を超えれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、鋼材の製造工程において、V炭化物等及びV複合炭化物等が固溶しきらずに残存する。残存したV炭化物等及びV複合炭化物等は、浸炭窒化軸受部品の製造工程においても十分に固溶しない。そして、鋼材中に残存したV炭化物等及びV複合炭化物等は、浸炭窒化軸受部品の製造工程中で成長して、浸炭窒化軸受部品中において、粗大V炭化物等及びV複合炭化物等として残存する。この場合、水素発生環境下での浸炭窒化軸受部品の使用中に、浸炭窒化軸受部品内の粗大V炭化物等及び粗大V複合炭化物等は水素をトラップする能力が低いため、組織変化を引き起こす。浸炭窒化軸受部品内の粗大V炭化物等及び粗大V複合炭化物等はさらに、割れの起点ともなる。そのため、水素発生環境下での浸炭窒化軸受部品の剥離寿命が低下する。したがって、C含有量は0.15~0.45%である。C含有量の好ましい下限は0.16%であり、さらに好ましくは0.17%であり、さらに好ましくは0.18%である。C含有量の好ましい上限は0.40%であり、さらに好ましくは0.35%であり、さらに好ましくは0.32%である。
【0045】
Si:0.50%以下
シリコン(Si)は、不可避的に含有される。つまり、Si含有量は0%超である。Siは鋼材の焼入れ性を高め、さらに、鋼材のフェライトに固溶してフェライトを強化する。これにより、浸炭窒化軸受部品の芯部の強度が高まる。しかしながら、Si含有量が0.50%を超えれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、鋼材の硬さが高くなりすぎ、鋼材の被削性が低下する。したがって、Si含有量は0.50%以下である。Si含有量の好ましい下限は0.01%であり、さらに好ましくは0.02%であり、さらに好ましくは0.05%である。Si含有量の好ましい上限は0.40%であり、さらに好ましくは0.35%であり、さらに好ましくは0.32%であり、さらに好ましくは0.30%である。
【0046】
Mn:0.20~0.60%
マンガン(Mn)は、鋼材の焼入れ性を高める。これにより、浸炭窒化軸受部品の芯部の強度が高まり、水素発生環境下での浸炭窒化軸受部品の剥離寿命が高まる。Mn含有量が0.20%未満であれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、上記効果が十分に得られない。一方、Mn含有量が0.60%を超えれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、鋼材の硬さが高くなりすぎ、鋼材の被削性が低下する。Mn含有量が0.60%を超えればさらに、水素発生環境下での浸炭窒化軸受部品の使用中に、浸炭窒化軸受部品に水素が侵入しやすくなり、浸炭窒化軸受部品の剥離寿命が低下する。したがって、Mn含有量が0.20~0.60%である。Mn含有量の好ましい下限は0.22%であり、さらに好ましくは0.24%であり、さらに好ましくは0.26%である。Mn含有量の好ましい上限は0.55%であり、さらに好ましくは0.50%であり、さらに好ましくは0.45%である。
【0047】
P:0.015%以下
リン(P)は、不可避に含有される不純物である。つまり、P含有量は0%超である。Pは粒界に偏析して粒界強度を低下する。P含有量が0.015%を超えれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、Pが粒界に過剰に偏析して粒界強度を低下する。その結果、水素発生環境下での浸炭窒化軸受部品の剥離寿命が低下する。したがって、P含有量は0.015%以下である。好ましいP含有量の上限は0.013%であり、さらに好ましくは0.010%である。P含有量はなるべく低い方が好ましい。しかしながら、P含有量の過剰な低減は製造コストを引き上げる。したがって、通常の工業生産を考慮した場合、P含有量の好ましい下限は0.001%であり、さらに好ましくは0.002%である。
【0048】
S:0.005%以下
硫黄(S)は不可避に含有される不純物である。つまり、S含有量は0%超である。Sは、硫化物系介在物を生成する。粗大な硫化物系介在物は、水素発生環境下で浸炭窒化軸受部品の使用中に、割れの起点となりやすい。S含有量が0.005%を超えれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、硫化物系介在物が粗大となり、水素発生環境下での浸炭窒化軸受部品の剥離寿命が低下する。したがって、S含有量は0.005%以下である。S含有量の好ましい上限は0.004%であり、さらに好ましくは0.003%である。S含有量はなるべく低い方が好ましい。しかしながら、S含有量の過剰な低減は製造コストを引き上げる。したがって、通常の工業生産を考慮した場合、S含有量の好ましい下限は0.001%であり、さらに好ましくは0.002%である。
【0049】
Cr:0.80~1.50%
クロム(Cr)は、鋼材の焼入性を高める。これにより、浸炭窒化軸受部品の芯部の強度が高まる。Crはさらに、V及びMoと複合して含有されることにより、浸炭窒化処理時において小型V炭化物等及び小型V複合炭化物等の生成を促進する。これにより、浸炭窒化軸受部品の耐摩耗性だけでなく、水素発生環境下での浸炭窒化部品の剥離寿命が高まる。Cr含有量が0.80%未満であれば、上記効果が十分に得られない。一方、Cr含有量が1.50%を超えれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、浸炭窒化処理時の浸炭性が低下する。この場合、浸炭窒化軸受部品の耐摩耗性が十分に得られなくなる。したがって、Cr含有量は0.80~1.50%である。Cr含有量の好ましい下限は0.85%であり、さらに好ましくは0.88%であり、さらに好ましくは0.90%である。Cr含有量の好ましい上限は1.45%であり、さらに好ましくは1.40%であり、さらに好ましくは1.35%である。
【0050】
Mo:0.17~0.30%
モリブデン(Mo)は、Crと同様に、鋼材の焼入性を高める。これにより、浸炭窒化軸受部品の芯部の強度が高まる。Moはさらに、V及びCrと複合して含有されることにより、浸炭窒化処理時において小型V炭化物等及び小型V複合炭化物等の生成を促進する。これにより、浸炭窒化軸受部品の耐摩耗性だけでなく、水素発生環境下での浸炭窒化軸受部品の剥離寿命が高まる。Mo含有量が0.17%未満であれば、上記効果が十分に得られない。一方、Mo含有量が0.30%を超えれば、鋼材の強度が高くなりすぎる。この場合、鋼材の被削性が低下する。したがって、Mo含有量は0.17~0.30%である。Mo含有量の好ましい下限は0.18%であり、さらに好ましくは0.19%であり、さらに好ましくは0.20%である。Mo含有量の好ましい上限は0.29%であり、さらに好ましくは0.28%であり、さらに好ましくは0.27%である。
【0051】
V:0.24~0.40%
バナジウム(V)は、鋼材を用いた浸炭窒化軸受部品の製造工程において、小型V炭化物等及び小型V複合炭化物等を形成する。小型V炭化物等及び小型V複合炭化物等は、水素発生環境での浸炭窒化軸受部品の使用中に、浸炭窒化軸受部品に侵入した水素をトラップする。浸炭窒化軸受部品中の小型V炭化物等及び小型V複合炭化物等の円相当径は150nm以下と小さい。そのため、小型V炭化物等及び小型V複合炭化物等が水素をトラップしても、組織変化の起点とはなりにくい。そのため、水素発生環境下での浸炭窒化軸受部品の剥離寿命が高まる。Vはさらに、浸炭窒化軸受部品の製造工程において、小型V炭化物等及び小型V複合炭化物等を形成して、浸炭窒化軸受部品の耐摩耗性を高める。V含有量が0.24%未満であれば、上記効果が十分に得られない。一方、V含有量が0.40%を超えれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、鋼材の製造工程において、V炭化物及びV複合炭化物等が固溶しきらずに残存する。残存したV炭化物等及びV複合炭化物等は、浸炭窒化軸受部品の製造工程においても十分に固溶しきらず、浸炭窒化軸受部品の製造工程中において成長して粗大V炭化物等及び粗大V複合炭化物等となる場合がある。粗大V炭化物等及び粗大V複合炭化物等は、浸炭窒化軸受部品の芯部の靱性を低下する。さらに、浸炭窒化軸受部品内の粗大V炭化物等及び粗大V複合炭化物等は水素をトラップする能力が低い。そのため、粗大V炭化物等及び粗大V複合炭化物等は、水素発生環境下での浸炭窒化軸受部品の使用中に、組織変化を引き起こしやすい。粗大V炭化物等及び粗大V複合炭化物等はさらに、割れの起点にもなる。そのため、粗大V炭化物等及び粗大V複合炭化物等は、水素発生環境下での浸炭窒化軸受部品の剥離寿命を低下する。したがって、V含有量は0.24~0.40%である。V含有量の好ましい下限は0.25%であり、さらに好ましくは0.26%であり、さらに好ましくは0.27%である。V含有量の好ましい上限は0.39%であり、さらに好ましくは0.38%であり、さらに好ましくは0.36%である。
【0052】
Al:0.005~0.100%
アルミニウム(Al)は、鋼を脱酸する。Al含有量が0.005%未満であれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、上記効果が十分に得られない。一方、Al含有量が0.100%を超えれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、粗大な酸化物系介在物が生成する。粗大な酸化物系介在物は、水素発生環境下での浸炭窒化軸受部品の疲労破壊の起点となる。そのため、水素発生環境下での浸炭窒化軸受部品の剥離寿命を低下する。したがって、Al含有量は0.005~0.100%である。Al含有量の好ましい下限は0.008%であり、さらに好ましくは0.010%である。Al含有量の好ましい上限は0.080%であり、さらに好ましくは0.070%であり、さらに好ましくは0.060%である。本明細書にいうAl含有量は、全Al(Total Al)の含有量を意味する。
【0053】
N:0.0300%以下
窒素(N)は不可避に含有される不純物である。つまり、N含有量は0%超である。Nは鋼材中に固溶して、鋼材の熱間加工性を低下する。N含有量が0.0300%を超えれば、鋼材の熱間加工性が顕著に低下する。したがって、N含有量は0.0300%以下である。N含有量の好ましい上限は0.0250%であり、さらに好ましくは0.0200%であり、さらに好ましくは0.0150%であり、さらに好ましくは0.0130%である。N含有量はなるべく低い方が好ましい。しかしながら、N含有量の過剰な低減は、製造コストを引き上げる。したがって、通常の工業生産を考慮した場合、N含有量の好ましい下限は0.0001%であり、さらに好ましくは0.0002%である。
【0054】
O(酸素):0.0015%以下
酸素(O)は不可避に含有される不純物である。つまり、O含有量は0%超である。Oは鋼中の他の元素と結合して粗大な酸化物系介在物を生成する。粗大な酸化物系介在物は、水素発生環境下での浸炭窒化軸受部品の疲労破壊の起点となる。そのため、水素発生環境下での浸炭窒化軸受部品の剥離寿命が低下する。O含有量が0.0015%を超えれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、水素発生環境下での浸炭窒化軸受部品の剥離寿命が顕著に低下する。したがって、O含有量は0.0015%以下である。O含有量の好ましい上限は0.0013%であり、さらに好ましくは0.0012%である。O含有量はなるべく低い方が好ましい。しかしながら、O含有量の過剰な低減は、製造コストを引き上げる。したがって、通常の工業生産を考慮した場合、O含有量の好ましい下限は0.0001%であり、さらに好ましくは0.0002%である。
【0055】
本実施形態による鋼材の化学組成の残部は、Fe及び不純物からなる。ここで、不純物とは、鋼材を工業的に製造する際に、原料としての鉱石、スクラップ、又は製造環境などから混入されるものであって、本実施形態の鋼材に悪影響を与えない範囲で許容されるものを意味する。
【0056】
[任意元素(optional elements)について]
本実施形態の鋼材の化学組成はさらに、Feの一部に代えて、Cu、Ni、B、Nb、Tiからなる群から選択される1種又は2種以上を含有してもよい。これらの元素は任意元素であり、いずれも、浸炭窒化軸受部品の強度を高める。
【0057】
Cu:0~0.20%
銅(Cu)は任意元素であり、含有されなくてもよい。つまり、Cu含有量は0%であってもよい。含有される場合、Cuは鋼材の焼入れ性を高める。これにより、鋼材の強度が高まり、浸炭窒化軸受部品の芯部の強度が高まる。Cuが少しでも含有されれば、上記効果がある程度得られる。しかしながら、Cu含有量が0.20%を超えれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、鋼材の強度が過剰に高まり、鋼材の被削性が低下する。したがって、Cu含有量は0~0.20%である。Cu含有量の好ましい下限は0%超であり、さらに好ましくは0.01%であり、さらに好ましくは0.02%であり、さらに好ましくは0.03%であり、さらに好ましくは0.05%である。Cu含有量の好ましい上限は0.18%であり、さらに好ましくは0.16%であり、さらに好ましくは0.15%である。
【0058】
Ni:0~0.20%
ニッケル(Ni)は任意元素であり、含有されなくてもよい。つまり、Ni含有量は0%であってもよい。含有される場合、Niは鋼材の焼入れ性を高める。これにより、鋼材の強度が高まり、浸炭窒化軸受部品の芯部の強度が高まる。Niが少しでも含有されれば、上記効果がある程度得られる。しかしながら、Ni含有量が0.20%を超えれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、鋼材の強度が過剰に高まり、鋼材の被削性が低下する。したがって、Ni含有量は0~0.20%である。Ni含有量の好ましい下限は0%超であり、さらに好ましくは0.01%であり、さらに好ましくは0.02%であり、さらに好ましくは0.03%であり、さらに好ましくは0.05%である。Ni含有量の好ましい上限は0.18%であり、さらに好ましくは0.16%であり、さらに好ましくは0.15%である。
【0059】
B:0~0.0050%
ボロン(B)は任意元素であり、含有されなくてもよい。つまり、B含有量は0%であってもよい。含有される場合、Bは鋼材の焼入れ性を高める。これにより、鋼材の強度が高まり、浸炭窒化軸受部品の芯部の強度が高まる。Bはさらに、結晶粒界にPが偏析するのを抑制する。Bが少しでも含有されれば、上記効果がある程度得られる。しかしながら、B含有量が0.0050%を超えれば、B窒化物(BN)が生成して浸炭窒化軸受部品の芯部の靱性が低下する。したがって、B含有量は0~0.0050%である。B含有量の好ましい下限は0%超であり、さらに好ましくは0.0001%であり、さらに好ましくは0.0003%であり、さらに好ましくは0.0005%であり、さらに好ましくは0.0010%である。B含有量の好ましい上限は0.0030%であり、さらに好ましくは0.0025%であり、さらに好ましくは0.0020%である。
【0060】
Nb:0~0.100%
ニオブ(Nb)は任意元素であり、含有されなくてもよい。つまり、Nb含有量は0%であってもよい。含有される場合、Nbは鋼中のC及びNと結合して炭化物、窒化物、及び、炭窒化物を生成する。これらの析出物は析出強化により浸炭窒化軸受部品の強度を高める。Nbが少しでも含有されれば、上記効果がある程度得られる。しかしながら、Nb含有量が0.100%を超えれば、浸炭窒化軸受部品の芯部の靱性が低下する。したがって、Nb含有量は0~0.100%である。Nb含有量の好ましい下限は0%超であり、さらに好ましくは0.005%であり、さらに好ましくは0.010%である。Nb含有量の好ましい上限は0.080%であり、さらに好ましくは0.070%であり、さらに好ましくは0.050%であり、さらに好ましくは0.040%である。
【0061】
Ti:0~0.100%
チタン(Ti)は任意元素であり、含有されなくてもよい。つまり、Ti含有量は0%であってもよい。含有される場合、TiはNbと同様に、炭化物、窒化物、及び、炭窒化物を生成して、浸炭窒化軸受部品の強度を高める。Tiが少しでも含有されれば、上記効果がある程度得られる。しかしながら、Ti含有量が0.100%を超えれば、浸炭窒化軸受部品の芯部の靱性が低下する。したがって、Ti含有量は0~0.100%である。Ti含有量の好ましい下限は0%超であり、さらに好ましくは0.005%であり、さらに好ましくは0.010%である。Ti含有量の好ましい上限は0.080%であり、さらに好ましくは0.070%であり、さらに好ましくは0.050%であり、さらに好ましくは0.040%である。
【0062】
本実施形態の鋼材の化学組成はさらに、Feの一部に代えて、Caを含有してもよい。
【0063】
Ca:0~0.0010%
カルシウム(Ca)は任意元素であり、含有されなくてもよい。つまり、Ca含有量は0%であってもよい。含有される場合、Caは、鋼材中の介在物に固溶して、硫化物を微細化かつ球状化する。この場合、鋼材の熱間加工性が高まる。Caが少しでも含有されれば、上記効果がある程度得られる。しかしながら、Ca含有量が0.0010%を超えれば、鋼材中に粗大な酸化物系介在物が生成する。水素発生環境下での浸炭軸受部品の使用中に、粗大な酸化物系介在物が水素をトラップすると、組織変化が発生しやすくなる。組織変化の発生は、浸炭窒化軸受部品の剥離寿命を低下する。したがって、Ca含有量は0~0.0010%である。Ca含有量の好ましい下限は0%超であり、さらに好ましくは0.0001%であり、さらに好ましくは0.0003%である。Ca含有量の好ましい上限は、0.0009%であり、さらに好ましくは0.0008%である。
【0064】
[式(1)~式(4)について]
本実施形態の鋼材の化学組成はさらに、次の式(1)~式(4)を満たす。
1.50<0.4Cr+0.4Mo+4.5V<2.45 (1)
2.20<2.7C+0.4Si+Mn+0.45Ni+0.8Cr+Mo+V<2.80 (2)
Mo/V≧0.58 (3)
(Mo+V+Cr)/(Mn+20P)≧2.40 (4)
ここで、式(1)~式(4)中の各元素記号には、対応する元素の含有量(質量%)が代入される。
【0065】
[式(1)について]
本実施形態の鋼材の化学組成は、式(1)を満たす。
1.50<0.4Cr+0.4Mo+4.5V<2.45 (1)
ここで、式(1)中の元素記号には、対応する元素の含有量(質量%)が代入される。
【0066】
F1=0.4Cr+0.4Mo+4.5Vと定義する。F1は、水素をトラップして水素発生環境下での浸炭窒化軸受部品の剥離寿命を高める小型V炭化物等(小型V炭化物及び小型V炭窒化物)及び小型V複合炭化物等(小型V複合炭化物及び小型V複合炭窒化物)の生成に関する指標である。上述のとおり、小型V炭化物等及び小型V複合炭化物等の生成は、Vだけでなく、Cr及びMoを含有することにより、促進される。CrはV炭化物等及びV複合炭化物等が生成する温度域よりも低い温度域において、セメンタイト等のFe系炭化物又はCr炭化物を生成する。Moは、V炭化物等及びV複合炭化物等が生成する温度域よりも低い温度域において、Mo炭化物(MoC)を生成する。温度の上昇に伴い、Fe系炭化物、Cr系炭化物、及び、Mo炭化物が固溶してV炭化物等及びV複合炭化物等の析出核生成サイトとなる。
【0067】
F1が1.50以下であれば、化学組成中の各元素含有量が本実施形態の範囲内であり、かつ、式(2)~式(4)を満たしても、Cr及びMoが不足しており、V炭化物等及びV複合炭化物等の析出核生成サイトが不足する。又は、V炭化物等及びV複合炭化物等を生成するV含有量自体が、Cr含有量及びMo含有量に対して不足する。その結果、小型V炭化物等及び小型V複合炭化物等が十分に生成しない。一方、F1が2.45以上であれば、化学組成中の各元素含有量が本実施形態の範囲内であり、かつ、式(2)~式(4)を満たしても、粗大V炭化物等及び粗大V複合炭化物等が生成する。この場合、鋼材の製造工程において、V炭化物等及びV複合炭化物等が十分に固溶せずに鋼材中に残存する。そのため、浸炭窒化軸受部品の製造工程において、鋼材中に残存していたV炭化物等及びV複合炭化物等が成長して、粗大V炭化物等及び粗大V複合炭化物等になる。粗大V炭化物等及び粗大V複合炭化物等は、水素をトラップする能力が低い。そのため、粗大V炭化物等及び粗大V複合炭化物等は、水素発生環境下での浸炭窒化軸受部品の使用中に、組織変化を引き起こしやすい。粗大V炭化物等及び粗大V複合炭化物等はさらに、割れの起点にもなる。そのため、水素発生環境下での浸炭窒化軸受部品の剥離寿命が低下する。
【0068】
F1が1.50よりも高く、2.45未満であれば、化学組成中の各元素含有量が本実施形態の範囲内であり、かつ、式(2)~式(4)を満たすことを前提として、浸炭窒化軸受部品中において、小型V炭化物及び小型V複合炭化物が十分に多く生成し、かつ、鋼材中のV炭化物等及びV複合炭化物等が十分に固溶する。そのため、水素発生環境下での浸炭窒化軸受部品の使用中に、水素割れに起因した組織変化が発生しにくい。その結果、水素発生環境下での浸炭窒化軸受部品の剥離寿命が高まる。
【0069】
F1の好ましい下限は1.51であり、さらに好ましくは1.52であり、さらに好ましくは1.54であり、さらに好ましくは1.55であり、さらに好ましくは1.56である。F1の好ましい上限は2.44であり、さらに好ましくは2.43であり、さらに好ましくは2.42である。F1の数値は、小数第3位を四捨五入して得られた値とする。
【0070】
[式(2)について]
本実施形態の鋼材の化学組成はさらに、式(2)を満たす。
2.20<2.7C+0.4Si+Mn+0.45Ni+0.8Cr+Mo+V<2.80 (2)
ここで、式(2)中の元素記号には、対応する元素の含有量(質量%)が代入される。
【0071】
F2=2.7C+0.4Si+Mn+0.45Ni+0.8Cr+Mo+Vと定義する。F2内の各元素は、鋼材の焼入れ性を高める。したがって、F2は、浸炭窒化軸受部品の芯部の強度の指標である。
【0072】
F2が2.20以下であれば、化学組成中の各元素含有量が本実施形態の範囲内であり、かつ、式(1)、式(3)及び式(4)を満たしても、鋼材の焼入れ性が十分ではない。そのため、浸炭窒化軸受部品の芯部の強度が十分ではない。この場合、水素発生環境下での浸炭窒化軸受部品の剥離寿命が十分に得られない。一方、F2が2.80以上であれば、化学組成中の各元素含有量が本実施形態の範囲内であり、かつ、式(1)、式(3)及び式(4)を満たしても、鋼材の焼入れ性が過剰に高くなる。この場合、鋼材のミクロ組織において、フェライト及びパーライトの総面積率が10.0%未満となる。そのため、鋼材の被削性が十分に得られない。
【0073】
F2が2.20よりも高く、2.80よりも低ければ、化学組成中の各元素含有量が本実施形態の範囲内であり、かつ、式(1)、式(3)及び式(4)を満たすことを前提として、鋼材において十分な被削性が得られる。さらに、浸炭窒化軸受部品の芯部の強度が十分に高まり、水素発生環境下での浸炭窒化軸受部品の剥離寿命が十分に高まる。F2の好ましい下限は2.23であり、さらに好ましくは2.25であり、さらに好ましくは2.30であり、さらに好ましくは2.35であり、さらに好ましくは2.45である。F2の好ましい上限は2.78であり、さらに好ましくは2.75であり、さらに好ましくは2.73であり、さらに好ましくは2.70である。F2の数値は、小数第3位を四捨五入して得られた値とする。
【0074】
[式(3)について]
本実施形態の鋼材の化学組成はさらに、式(3)を満たす。
Mo/V≧0.58 (3)
ここで、式(3)中の元素記号には、対応する元素の含有量(質量%)が代入される。
【0075】
F3=Mo/Vと定義する。本実施形態の鋼材では、上述のとおり、F1が式(1)を満たすことにより、小型V炭化物等及び小型V複合炭化物等の生成に必要なV含有量、Cr含有量及びMo含有量の総含有量が得られる。しかしながら、小型V炭化物等及び小型V複合炭化物等を十分に生成するためにはさらに、Mo含有量のV含有量に対する比を調整しなければならない。具体的には、Mo含有量のV含有量に対する比(=Mo/V)が低すぎれば、V炭化物等及びV複合炭化物等が生成する前に、析出核生成サイトとなるMo炭化物が十分に析出しない。この場合、V含有量、Cr含有量及びMo含有量が本実施形態の範囲内であり、かつ、式(1)を満たしていても、小型V炭化物等及び小型V複合炭化物等が十分に生成しない。具体的には、F3が0.58未満であれば、化学組成中の各元素含有量が本実施形態の範囲内であり、かつ、式(1)、式(2)及び式(4)を満たしても、浸炭窒化軸受部品中に、小型V炭化物等及び小型V複合炭化物等が十分に生成しない。その結果、水素発生環境下での浸炭窒化軸受部品の剥離寿命が十分に得られない。
【0076】
F3が0.58以上であり、式(3)を満たせば、化学組成中の各元素含有量が本実施形態の範囲内であり、かつ、式(1)、式(2)及び式(4)を満たすことを前提として、浸炭窒化軸受部品中に、小型V炭化物等及び小型V複合炭化物等が十分に生成する。その結果、水素発生環境下での浸炭窒化軸受部品の剥離寿命が十分に高くなる。F3の好ましい下限は0.60であり、さらに好ましくは0.65であり、さらに好ましくは0.68であり、さらに好ましくは0.70であり、さらに好ましくは0.73であり、さらに好ましくは0.76である。F3の数値は、小数第3位を四捨五入して得られた値とする。
【0077】
[式(4)について]
本実施形態の鋼材の化学組成はさらに、式(4)を満たす。
(Mo+V+Cr)/(Mn+20P)≧2.40 (4)
ここで、式(4)中の元素記号には、対応する元素の含有量(質量%)が代入される。
【0078】
F4=(Mo+V+Cr)/(Mn+20P)と定義する。小型V炭化物等及び小型V複合炭化物等は水素をトラップするだけでなく、析出強化により結晶粒内を強化する。一方で、水素発生環境下での浸炭窒化軸受部品の粒界も強化でき、さらに、水素の侵入を抑えることができれば、(a)結晶粒内強化、(b)結晶粒界強化、(c)水素侵入抑制、の3つの相乗効果により、水素発生環境下での浸炭窒化軸受部品の剥離寿命がさらに高まる。(a)の結晶粒内強化については、上述のとおり、Mo含有量、V含有量、Cr含有量の総含有量に依存する。一方、(b)の結晶粒界強化については、上述の化学組成のうち、特に結晶粒界に偏析しやすいPの含有量を低減することが有効である。さらに、(c)の水素侵入抑制については、鋼材中のMn含有量を低減することが極めて有効である。
【0079】
F4中の分子(=(Mo+V+Cr))は、結晶粒内強化の指標(上記(a)に相当)である。F4中の分母(=(Mn+20P))は、結晶粒界脆化及び水素侵入の指標(上記(b)及び(c)に相当)である。F4の分母が大きいほど、結晶粒界の強度が低いことを意味し、又は、水素が浸炭窒化軸受部品に侵入しやすいことを意味する。したがって、たとえ、結晶粒内強化指標(F4の分子)が大きくても、結晶粒界脆化及び水素侵入指標(F4の分母)が大きければ、結晶粒内強化機構、結晶粒界強化機構、及び水素侵入抑制機構の相乗効果が得られず、水素発生環境下での浸炭窒化軸受部品の剥離寿命の十分な向上が得られない。
【0080】
F4が2.40以上であれば、化学組成中の各元素含有量が本実施形態の範囲内であり、かつ、式(1)~式(3)を満たすことを前提として、結晶粒内強化機構、結晶粒界強化機構、及び水素侵入抑制機構の相乗効果が得られ、水素発生環境下での浸炭窒化軸受部品の剥離寿命が十分に得られる。F4の好ましい下限は、2.42であり、さらに好ましくは2.45であり、さらに好ましくは2.47であり、さらに好ましくは2.50であり、さらに好ましくは2.52である。F4の数値は、小数第3位を四捨五入して得られた値とする。
【0081】
[鋼材のミクロ組織について]
本実施形態の鋼材のミクロ組織では、フェライト及びパーライトの総面積率が10.0%以上であり、残部がベイナイトからなる組織を意味する。化学組成中のC含有量が低い場合、本実施形態の鋼材のミクロ組織では、フェライト及びパーライトの総面積率が50.0%以上であり、残部はベイナイトからなる。一方、化学組成中のC含有量が高い場合、本実施形態の鋼材のミクロ組織では、ベイナイトの面積率が50.0%以上であり、残部はフェライト及びパーライトからなる。C含有量が変動しても、本実施形態の鋼材のミクロ組織では、フェライト及びパーライトの総面積率が少なくとも10.0%以上であり、残部はベイナイトからなる。好ましくは、本実施形態の鋼材のミクロ組織では、フェライト及びパーライトの好ましい総面積率が10.0~90.0%であり、残部はベイナイトからなる。フェライト及びパーライトの総面積率の好ましい上限は80.0%であり、さらに好ましくは78.0%である。フェライト及びパーライトの好ましい下限は20.0%であり、さらに好ましくは25.0%である。なお、鋼材のミクロ組織において、ベイナイト、フェライト及びパーライト以外の領域はたとえば、残留オーステナイト、析出物(セメンタイトを含む)及び、介在物であるが、ミクロ組織における残留オーステナイト、析出物及び介在物の総面積率は無視できるほど小さい。
【0082】
[フェライト及びパーライト面積率の測定方法]
本実施形態の鋼材のミクロ組織中のフェライト及びパーライトの総面積率(%)、及び、ベイナイトの面積率(%)は、次の方法で測定される。棒鋼又は線材である鋼材の長手方向(軸方向)に垂直な断面(以下、横断面という)のうち、表面と中心軸とを結ぶ半径Rの中央位置(R/2位置)からサンプルを採取する。採取したサンプルの表面のうち、上記横断面に相当する表面を観察面とする。観察面を鏡面研磨した後、2%硝酸アルコール(ナイタール腐食液)を用いて観察面をエッチングする。エッチングされた観察面を、500倍の光学顕微鏡を用いて観察し、任意の20視野の写真画像を生成する。各視野のサイズは、100μm×100μmとする。
【0083】
各視野において、ベイナイト、フェライト、パーライト等の各相は、相ごとにコントラストが異なる。したがって、コントラストに基づいて、各相を特定する。特定された相のうち、各視野でのフェライトの総面積(μm)、及び、パーライトの総面積(μm)を求める。全ての視野の総面積に対する、全ての視野におけるフェライトの総面積とパーライトの総面積との合計面積の割合を、フェライト及びパーライトの総面積率(%)と定義する。フェライト及びパーライトの総面積率を用いて、ベイナイトの面積率(%)を次の方法で求める。
ベイナイト面積率=100.0-フェライト及びパーライトの総面積率
フェライト及びパーライトの総面積率(%)は、小数第2位を四捨五入して得られた値である。
【0084】
[鋼材の電解抽出残渣中のV含有量]
本実施形態の鋼材ではさらに、鋼材の電解抽出残渣中のV含有量を[V]と定義し、鋼材の化学組成中のV含有量を[V]と定義した場合、次の式(A)で定義される残渣中V量割合RAが10.0%以下である。
RA=[V]/[V]×100 (A)
【0085】
本実施形態の鋼材では、V炭化物等及びV複合炭化物等は十分に固溶しており、V炭化物等及びV複合炭化物等の残存量が十分に低い。具体的には、式(A)で定義される残渣中V量割合RAが10.0%以下である。
【0086】
残渣中V量割合RAが10.0%を超える場合、鋼材において、V炭化物等及びV複合炭化物等が十分に固溶していない。この場合、鋼材を素材として用いた浸炭窒化軸受部品の製造工程において、鋼材中に残存しているV炭化物等及びV複合炭化物等が成長して、粗大V炭化物等及び粗大V複合炭化物等となる。粗大V炭化物等及び粗大V複合炭化物等は、水素をトラップする能力が低い。そのため、粗大V炭化物等及び粗大V複合炭化物等は、水素発生環境下での浸炭窒化軸受部品の使用中において、組織変化を引き起こしやすい。組織変化が発生すれば、水素発生環境下での浸炭窒化軸受部品の剥離寿命が低下する。
【0087】
残渣中V量割合RAが10.0%以下であれば、鋼材において、V炭化物等及びV複合炭化物等が十分に固溶している。そのため、粗大V炭化物等及び粗大V複合炭化物等に起因した水素発生環境下での浸炭窒化軸受部品の剥離寿命の低下が抑制される。残渣中V量割合RAの好ましい上限は9.5%であり、さらに好ましくは9.2%であり、さらに好ましくは9.0%であり、さらに好ましくは8.5%であり、さらに好ましくは8.3%であり、さらに好ましくは8.0%であり、さらに好ましくは7.5%であり、さらに好ましくは7.0%であり、さらに好ましくは6.5%であり、さらに好ましくは6.0%である。
【0088】
[残渣中V量割合RAの決定方法]
本実施形態の鋼材の電解抽出残渣中のV含有量は次の方法で測定できる。初めに、鋼材中の析出物及び介在物を残渣として捕捉する。鋼材から、直径6mmで長さ50mmの円柱試験片を採取する。具体的には、鋼材の長手方向(軸方向)に垂直な断面(以下、横断面という)のR/2位置から上述の円柱試験片を3個を採取する。採取した円柱試験片の表面を、予備の電解研磨にて50μm程度研磨して新生面を得る。電解研磨した円柱試験片を、電解液(10%アセチルアセトン+1%テトラアンモニウム+メタノール)で電解する。電解後の電解液を0.2μmのフィルターを通して残渣を捕捉する。得られた電解抽出残渣を酸分解し、ICP(誘導結合プラズマ)発光分析により、鋼材(母材)を100質量%とした場合の電解抽出残渣中のV含有量を質量%単位で定量する。各円柱試験片の電解抽出残渣中のV含有量の算術平均値(つまり、3つのV含有量の算術平均値)を、鋼材の電解抽出残渣中のV含有量[V]と定義する。電解抽出残渣中のV含有量[V]は、上述の算術平均値の小数第2位を四捨五入して得られた値である。鋼材の化学組成中のV含有量[V]と、上記測定により得られた電解抽出残渣中のV含有量[V]とを用いて、式(A)により残渣中V量割合RAを求める。残渣中V量割合RAは小数第2位を四捨五入して得られた値である。
RA=[V]/[V]×100 (A)
【0089】
以上の構成を有する本実施形態の鋼材は、各元素含有量が上述の本実施形態の範囲内であり、かつ、F1~F4が式(1)~式(4)を満たす。そして、ミクロ組織において、フェライト及びパーライトの総面積率が10.0%以上であって残部がベイナイトからなり、さらに、残渣中V量割合RAが10.0%以下である。そのため、本実施形態の鋼材は、被削性に優れる。さらに、本実施形態の鋼材に対して熱間鍛造処理を実施した後、浸炭窒化処理して得られる浸炭窒化軸受部品において、優れた耐摩耗性及び優れた芯部の靱性が得られ、さらに、水素発生環境下での浸炭窒化軸受部品において、優れた剥離寿命が得られる。
【0090】
[本実施形態の鋼材の製造方法]
本実施形態の鋼材の製造方法の一例を説明する。以降に説明する鋼材の製造方法は、本実施形態の浸炭窒化軸受部品の素材となる鋼材を製造するための一例である。したがって、上述の構成を有する鋼材は、以降に説明する製造方法以外の他の製造方法により製造されてもよい。しかしながら、以降に説明する製造方法は、本実施形態の鋼材の製造方法の好ましい一例である。
【0091】
本実施形態の鋼材の製造方法の一例は、溶鋼を精錬し、鋳造して素材(鋳片)を製造する製鋼工程と、素材を熱間加工して鋼材を製造する熱間加工工程とを備える。以下、各工程について説明する。
【0092】
[製鋼工程]
製鋼工程では、初めに、各元素含有量が本実施形態の範囲内であり、かつ、F1~F4が式(1)~式(4)を満たす上記化学組成を有する溶鋼を製造する。精錬方法は特に限定されず、周知の方法を用いればよい。たとえば、周知の方法で製造された溶銑に対して転炉での精錬(一次精錬)を実施する。転炉から出鋼した溶鋼に対して、周知の二次精錬を実施する。二次精錬において、成分調整の合金元素の添加を実施して、各元素含有量が本実施形態の範囲内であり、かつ、F1~F4が式(1)~式(4)を満たす化学組成を有する溶鋼を製造する。
【0093】
上述の精錬方法により製造された溶鋼を用いて、周知の鋳造法により素材を製造する。たとえば、溶鋼を用いて造塊法によりインゴットを製造する。また、溶鋼を用いて連続鋳造法によりブルーム又はビレットを製造してもよい。以上の方法により、素材(ブルーム、インゴット)を製造する。
【0094】
[熱間加工工程]
熱間加工工程では、製鋼工程で製造された素材(ブルーム又はインゴット)に対して、熱間加工を実施して、鋼材を製造する。鋼材は、棒鋼又は線材である。
【0095】
熱間加工工程は、粗圧延工程と、仕上げ圧延工程とを含む。粗圧延工程では、素材を熱間加工してビレットを製造する。粗圧延工程はたとえば、分塊圧延機を用いる。分塊圧延機により素材に対して分塊圧延を実施して、ビレットを製造する。分塊圧延機の下流に連続圧延機が配置されている場合、分塊圧延後のビレットに対してさらに、連続圧延機を用いて熱間圧延を実施して、さらにサイズの小さいビレットを製造してもよい。連続圧延機では、一対の水平ロールを有する水平スタンドと、一対の垂直ロールを有する垂直スタンドとが交互に一列に配列される。以上の工程により、粗圧延工程では、素材をビレットに製造する。
【0096】
粗圧延工程での加熱炉での加熱温度及び保持時間は次のとおりとする。
加熱温度:1150~1300℃
上記加熱温度での保持時間:1.5~10.0時間
ここで、加熱温度は、加熱炉の炉温(℃)である。また、保持時間は、加熱炉の炉温が1150~1300℃での保持時間(時間)である。
【0097】
加熱温度が1150℃未満、又は、加熱温度が1150~1300℃での保持時間が1.5時間未満であれば、素材中のV炭化物及びV複合炭化物が十分に固溶しない。そのため、鋼材中の残渣中V量割合RAが10.0%を超える。一方、加熱温度が1300℃を超えたり、1150~1300℃での保持時間が10.0時間を超えれば、原単位が過剰に高くなり、製造コストが高くなる。
【0098】
粗圧延工程の加熱温度が1150~1300℃であり、かつ、1150~1300℃での保持時間が1.5~10.0時間であれば、素材中のV炭化物等及びV複合炭化物等が十分に固溶する。
【0099】
仕上げ圧延工程では、初めに、加熱炉を用いてビレットを加熱する。加熱後のビレットに対して、連続圧延機を用いて熱間圧延を実施して、鋼材である棒鋼又は線材を製造する。仕上げ圧延工程での加熱炉での加熱温度及び保持時間は次のとおりとする。
加熱温度:1150~1300℃
上記加熱温度での保持時間:1.5~5.0時間
ここで、加熱温度は、加熱炉の炉温(℃)である。また、保持時間は、加熱炉の炉温が1150~1300℃での保持時間(時間)である。
【0100】
仕上げ圧延工程では、なるべく、仕上げ圧延工程中にV炭化物等及びV複合炭化物等が析出するのを抑制する。仕上げ圧延工程の加熱炉での加熱温度が1150℃未満であったり、1150~1300℃での保持時間が1.5時間未満であれば、仕上げ圧延時において圧延機に掛かる負荷が過剰に大きくなる。一方、加熱温度が1300℃を超えたり、1150~1300℃での保持時間が5.0時間を超えれば、原単位が過剰に高くなり、製造コストが高くなる。
【0101】
仕上げ圧延工程での加熱温度が1150~1300℃であり、かつ、1150~1300℃での保持時間が1.5~5.0時間であれば、素材中のV炭化物等及びV複合炭化物等が十分に固溶する。
【0102】
仕上げ圧延後の鋼材に対して、放冷以下の冷却速度で冷却を行い、本実施形態の鋼材を製造する。好ましくは、仕上げ圧延後の鋼材であって、鋼材温度が800℃~500℃となる温度範囲における平均冷却速度CRを、0.1~5.0℃/秒とする。鋼材温度が800~500℃では、オーステナイトからフェライト、パーライト、又はベイナイトへの相変態が生じる。鋼材温度が800℃~500℃となる温度範囲における平均冷却速度CRが0.1~5.0℃/秒であれば、ミクロ組織が、フェライト及びパーライトの総面積率が10.0%以上であり、残部がベイナイトからなる組織となる。
【0103】
なお、平均冷却速度CRは次の方法で測定する。仕上げ圧延後の鋼材は、搬送ラインで下流に搬送される。搬送ラインには、複数の測温計が搬送ラインに沿って配置されており、搬送ラインの各位置での鋼材温度を測定可能である。搬送ラインに沿って配置された複数の測温計に基づいて、鋼材温度が800℃~500℃となるまでの時間を求め、平均冷却速度CR(℃/秒)を求める。たとえば、搬送ラインに複数の徐冷カバーを間隔を開けて配置することにより、平均冷却速度CRを調整できる。
【0104】
以上の製造工程により、上述の構成を有する本実施形態の鋼材を製造できる。
【0105】
[浸炭窒化軸受部品について]
本実施形態の鋼材は、浸炭窒化軸受部品に用いられる。浸炭窒化軸受部品とは、浸炭窒化処理された軸受部品を意味する。本明細書において、浸炭窒化処理とは、浸炭窒化焼入れ及び焼戻しを実施する処理を意味する。
【0106】
軸受部品とは、転がり軸受の部品を意味する。軸受部品はたとえば、軌道輪、軌道盤、転動体等である。軌道輪は内輪であっても外輪であってもよいし、軌道盤は軸軌道盤やハウジング軌道盤、中央軌道盤、調心ハウジング軌道盤であってもよい。軌道輪及び軌道盤は、軌道面を有する部材であれば、特に限定されない。転動体は玉でもころでもよい。ころはたとえば、円筒ころ、棒状ころ、針状ころ、円すいころ、凸面ころ等である。
【0107】
浸炭窒化軸受部品は、浸炭窒化処理により表層に形成される浸炭窒化層と、浸炭窒化層よりも内部の芯部とを備える。浸炭窒化層の深さは特に限定されないが、浸炭窒化層の表面からの深さはたとえば、0.2mm~5.0mmである。芯部の化学組成は、本実施形態の鋼材の化学組成と同じである。
【0108】
[浸炭窒化軸受部品の製造方法]
上述の構成を有する浸炭窒化軸受部品の製造方法の一例は次のとおりである。初めに、浸炭窒化軸受部品の素材となる本実施形態の鋼材を所定の形状に加工して中間品を製造する。加工方法はたとえば、熱間鍛造や機械加工である。機械加工はたとえば、切削加工である。熱間鍛造は、周知の条件で実施すれば足りる。熱間鍛造工程での鋼材の加熱温度はたとえば、1000~1300℃である。熱間鍛造後の中間品を放冷する。なお、熱間鍛造後に機械加工工程を実施してもよい。機械加工工程を実施する前の鋼材又は中間品に対して、周知の球状化焼鈍処理を実施してもよい。機械加工では鋼材(中間品)の被削性が高い方が好ましい。本実施形態の鋼材は被削性に優れる。したがって、本実施形態の鋼材は、機械加工工程に適する。
【0109】
製造された中間品に対して、浸炭窒化処理を実施して、浸炭窒化軸受部品を製造する。浸炭窒化処理は、上述のとおり、浸炭窒化焼入れと、焼戻しとを含む。浸炭窒化焼入れでは、周知の浸炭変成ガスにアンモニアガスを含有した周知の雰囲気ガス中において、中間品をAc3変態点以上の浸炭窒化温度に加熱及び保持した後、急冷する。焼戻し処理では、浸炭窒化焼入れされた中間品を100~500℃の焼戻し温度で所定時間保持する。ここで、浸炭変成ガスとは、周知の吸熱型変成ガス(RXガス)を意味する。RXガスは、ブタン、プロパン等の炭化水素ガスを空気と混合させ、加熱されたNi触媒を通過させて反応させたガスであり、CO、H、N等を含む混合ガスである。
【0110】
浸炭窒化軸受部品の表面C濃度、表面N濃度、及び、表面硬さは、浸炭窒化焼入れ、及び、焼戻しの条件を制御することにより調整可能である。具体的には、表面C濃度及び表面N濃度は、浸炭窒化焼入れ時の雰囲気ガス中のカーボンポテンシャル及びアンモニア濃度等を制御することにより調整される。
【0111】
具体的には、浸炭窒化軸受部品の表面C濃度は、主に、浸炭窒化焼入れのカーボンポテンシャル、浸炭窒化温度、及び、浸炭窒化温度での保持時間で調整される。カーボンポテンシャルが高く、浸炭窒化温度が高く、浸炭窒化温度での保持時間が長いほど、表面C濃度が高くなる。一方、カーボンポテンシャルが低く、浸炭窒化温度が低く、浸炭窒化温度での保持時間が短いほど、表面C濃度が低くなる。
【0112】
表面N濃度は、主に、浸炭窒化焼入れのアンモニア濃度、浸炭窒化温度、及び、浸炭窒化温度での保持時間で調整される。アンモニア濃度が高く、浸炭窒化温度が低く、浸炭窒化温度での保持時間が長いほど、表面N濃度が高くなる。一方、アンモニア濃度が低く、浸炭窒化温度が高く、浸炭窒化温度での保持時間が短いほど、表面N濃度が低くなる。
【0113】
表面硬さは、表面C濃度及び表面N濃度と関連する。具体的には、表面C濃度及び表面N濃度が高くなれば、表面硬さも高くなる。一方、表面C濃度及び表面N濃度が低くなれば、表面硬さも低下する。
【0114】
浸炭窒化焼入れによって上昇した表面硬さは、焼戻しにより低下させることができる。焼戻し温度を高く、焼戻し温度での保持時間を長くすれば、浸炭窒化部品の表面硬さは低下する。焼戻し温度を低く、焼戻し温度での保持時間を短くすれば、浸炭窒化部品の表面硬さは高く維持できる。
【0115】
浸炭窒化焼入れの好ましい条件は次のとおりである。
【0116】
雰囲気ガス中のカーボンポテンシャルCP:0.70~1.40
雰囲気ガス中のカーボンポテンシャルCPが0.70以上であれば、浸炭窒化軸受部品の表面のC濃度が十分に高まり、たとえば、表面C濃度が質量%で0.70%以上になる。この場合、浸炭窒化処理により十分な量の炭窒化物が生成して、耐摩耗性が顕著に高まる。また、カーボンポテンシャルCPが1.40以下であれば、表面C濃度が1.20%以下となり、粗大な炭窒化物の生成が十分に抑えられる。したがって、好ましいカーボンポテンシャルCPは0.70~1.40である。
【0117】
雰囲気中の浸炭変成ガス流量に対するアンモニア濃度:1.00~6.00%
雰囲気中の浸炭変成ガス流量に対するアンモニア濃度とは、浸炭変成ガス流量を100%とした場合のアンモニア濃度(質量%)を意味する。浸炭変成ガス流量に対するアンモニア濃度が1.00%以上であれば、浸炭窒化軸受部品の表面N濃度が十分に高まり、表面N濃度が0.15%以上となる。この場合、浸炭窒化処理により十分な量の炭窒化物が生成して、耐摩耗性が顕著に高まる。また、浸炭変成ガス流量に対するアンモニア濃度が6.00%以下であれば、浸炭窒化軸受部品の表面N濃度が0.60%以下となる。この場合、粗大な炭窒化物の生成が十分に抑えられる。したがって、雰囲気中の浸炭変成ガス流量に対するアンモニア濃度は1.00~6.00%である。
【0118】
浸炭窒化時の保持温度(浸炭窒化温度):830~930℃
浸炭窒化温度での保持時間:30~100分
浸炭窒化温度が低すぎれば、C及びNの拡散速度が遅くなる。この場合、所定の熱処理性状を得るために必要な処理時間が長くなり、製造コストが高くなる。一方、浸炭窒化温度が高すぎれば、雰囲気中のアンモニアが分解し、鋼材に侵入するN量が減少する。さらに、侵入したC及びNの鋼材マトリクス中への固溶量が増加する。そのため、十分な量の炭窒化物が生成せず、浸炭窒化軸受部品の耐摩耗性が低下する。したがって、浸炭窒化温度は830~930℃である。
【0119】
浸炭窒化温度での保持時間は、鋼材の表面に十分なC濃度及びN濃度を確保できれば、特に制限されない。保持時間はたとえば、30~100分である。
【0120】
焼入れ温度:830~930℃
焼入れ温度は低すぎれば、鋼中に十分なCを固溶させることができず、鋼の硬さが低下する。一方、焼入れ温度が高すぎれば、結晶粒が粗大化し、結晶粒界に沿った粗大な炭窒化物が析出しやすくなる。したがって、焼入れ温度は830~930℃である。なお、浸炭窒化温度が、浸炭焼入れ温度を兼用していてもよい。
【0121】
焼戻しの好ましい条件は次のとおりである。
【0122】
焼戻し温度:150~200℃
焼戻し温度での保持時間:30~240分
焼戻し温度が低すぎれば、浸炭窒化軸受部品の芯部の靱性が十分に得られない。一方、焼戻し温度が高すぎれば、浸炭窒化軸受部品の表面硬さが低下し、浸炭窒化軸受部品の耐摩耗性が低下する。したがって、焼戻し温度は150~200℃である。
【0123】
焼戻し温度での保持時間が短すぎれば、十分な芯部の靭性が得られない。一方、保持時間が長すぎれば、表面硬さが低下し、浸炭窒化軸受部品の耐摩耗性が低下する。したがって、焼戻し温度での保持時間は30~240分である。
【0124】
[浸炭窒化軸受部品の表面におけるC濃度、N濃度及びロックウェルC硬さ]
以上の製造工程で製造される浸炭窒化軸受部品の表面でのC濃度、N濃度及びロックウェルC硬さHRCは次のとおりである。
【0125】
表面のC濃度:質量%で0.70~1.20%
本実施形態の鋼材を上述の条件で浸炭窒化焼入れ及び焼戻しして製造された浸炭窒化軸受部品の表面のC濃度は0.7~1.2%である。表面のC濃度が低すぎれば、表面硬さが低くなりすぎ、耐摩耗性が低下する。一方、表面のC濃度が高すぎれば、粗大な炭化物及び粗大な炭窒化物等が生成して、水素発生環境下での剥離寿命が低下する。表面のC濃度が0.70~1.20%であれば、耐摩耗性及び水素発生環境下での剥離寿命に優れる。表面のC濃度の好ましい下限は0.75%であり、さらに好ましくは0.80%である。表面のC濃度の好ましい上限は1.10%であり、さらに好ましくは1.05%であり、より好ましくは1.00%である。
【0126】
表面のN濃度:質量%で0.15~0.60%
本実施形態の鋼材を上述の条件で浸炭窒化焼入れ及び焼戻しして製造された浸炭窒化軸受部品の表面のN濃度は0.15~0.60%である。表面のN濃度が低すぎれば、微細な炭窒化物の生成が抑制されるため、浸炭窒化軸受部品の耐摩耗性が低下する。一方、表面のN濃度が高すぎれば、残留オーステナイトが過剰に多く生成される。この場合、浸炭窒化軸受部品の表面の硬さが低下してしまい、水素発生環境下での剥離寿命が低下する。表面のN濃度が0.15~0.60%であれば、浸炭窒化軸受部品は、耐摩耗性及び水素発生環境下での剥離寿命に優れる。表面のN濃度の好ましい下限は0.18%であり、さらに好ましくは0.20%である。表面のN濃度の好ましい上限は0.58%であり、さらに好ましくは0.56%であり、さらに好ましくは0.54%である。
【0127】
表面のC濃度及びN濃度は次の方法で測定される。電子線マイクロアナライザ(EPMA)を用いて、浸炭窒化軸受部品の任意の表面位置において、表面から100μm深さまで、1.0μmピッチでC濃度及びN濃度を測定する。測定されたC濃度の算術平均値を表面C濃度(質量%)と定義する。同様に、測定されたN濃度の算術平均値を表面N濃度(質量%)と定義する。
【0128】
表面のロックウェルC硬さHRC:58~65
浸炭窒化軸受部品の表面のロックウェルC硬さHRCは58~65である。表面のロックウェルC硬さHRCが58未満であれば、浸炭窒化軸受部品の耐摩耗性が低下する。一方、表面のロックウェルC硬さが65を超えれば、微細なき裂の発生及び進展が容易になり、水素発生環境下での剥離寿命が低下する。表面のロックウェルC硬さは58~65であれば、優れた耐摩耗性及び水素発生環境下での優れた剥離寿命が得られる。表面のロックウェルC硬さの好ましい下限は59である。表面のロックウェルC硬さの好ましい上限は64である。
【0129】
浸炭窒化軸受部品のロックウェルC硬さHRCは次の方法で測定される。浸炭窒化軸受部品の表面のうち、任意の4つの測定位置を特定する。特定された4つの測定位置において、JIS Z 2245(2011)に準拠して、Cスケールを用いたロックウェル硬さ試験を実施する。得られた4つのロックウェルC硬さHRCの算術平均値を、表面でのロックウェルC硬さHRCと定義する。
【0130】
以上の製造工程により、上述の浸炭窒化軸受部品の素材となる鋼材及び浸炭窒化軸受部品が製造される。以下、実施例によって本発明をより具体的に説明する。
【実施例
【0131】
表1に示す種々の化学組成を有する溶鋼を製造した。
【0132】
【表1】
【0133】
表1中の空白は、対応する元素の含有量が検出限界未満であったことを意味する。また、鋼種Yは従来鋼材であるJIS G 4805(2008)に規定されたSUJ2に相当する化学組成を有した。本実施例では、鋼種Yを比較基準鋼材と称する。表1の各溶鋼を連続鋳造してブルームを製造した。ブルームに対して粗圧延工程を実施した。具体的には、ブルームを表2に示す加熱温度(℃)で加熱した。加熱温度での保持時間はいずれも、3.0~3.5時間であった。
【0134】
【表2】
【0135】
加熱後のブルームを分塊圧延して、160mm×160mmの矩形横断面を有するビレットを製造した。さらに、ビレットに対して仕上げ圧延工程を実施した。仕上げ圧延工程では、ビレットを表2に示す加熱温度(℃)で加熱した。加熱温度での保持時間はいずれも、2.5~3.0時間であった。加熱されたビレットを熱間圧延して、直径60mmの棒鋼を製造した。製造後のビレットに対して、表2に示す平均冷却速度CR(℃/秒)で冷却した。以上の工程により鋼材である棒鋼を製造した。なお、比較基準鋼材についても同様の製造条件により、直径60mmの棒鋼を製造した。比較基準鋼材の粗圧延工程での加熱温度は1250℃であり、保持時間は3.0時間であった。仕上げ圧延工程での加熱温度は1250℃であり、保持時間は2.5時間であった。平均冷却速度CRは1.0℃/秒であった。
【0136】
[評価試験]
製造された鋼材(棒鋼)に対して、ミクロ組織観察試験、残渣中V量割合RA測定試験、被削性評価試験、靭性評価試験、耐摩耗性評価試験、及び、水素発生環境下での剥離寿命評価試験を実施した。
【0137】
[ミクロ組織観察試験]
各試験番号の鋼材(棒鋼)の長手方向(軸方向)に垂直な断面(横断面)のうち、R/2位置からサンプルを採取した。採取したサンプルの表面のうち、上記横断面に相当する表面を観察面とした。観察面を鏡面研磨した後、2%硝酸アルコール(ナイタール腐食液)を用いて観察面をエッチングした。エッチングされた観察面を、500倍の光学顕微鏡を用いて観察し、任意の20視野の写真画像を生成した。各視野のサイズは、100μm×100μmとした。
【0138】
各視野において、コントラストに基づいて、各相(フェライト、パーライト、ベイナイト)を特定した。特定された相のうち、各視野でのフェライトの総面積(μm)、及び、パーライトの総面積(μm)を求めた。全ての視野の総面積に対する、全ての視野におけるフェライトの総面積とパーライトの総面積との合計面積の割合を、フェライト及びパーライトの総面積率(%)と定義した。フェライト及びパーライトの総面積率(%)は、小数第2位を四捨五入して得られた値とした。なお、各試験番号において、フェライト及びパーライト以外のミクロ組織はベイナイトであった(ただし、介在物及び析出物を除く)。各試験番号のフェライト及びパーライトの総面積率を表2中の「F+P総面積率」欄に示す。
【0139】
[残渣中V量割合RA測定試験]
各試験番号の鋼材(棒鋼)の長手方向(軸方向)に垂直な断面(横断面)のうち、R/2位置から、直径6mmで長さ50mmの円柱試験片を3個を採取した。採取した円柱試験片の表面を、予備の電解研磨にて50μm程度研磨して新生面を得た。電解研磨した試験片を、電解液(10%アセチルアセトン+1%テトラアンモニウム+メタノール)で電解した。電解後の電解液を0.2μmのフィルターを通して残渣を捕捉した。得られた残渣を酸分解し、ICP(誘導結合プラズマ)発光分析により、鋼材(母材)を100質量%とした場合の電解抽出残渣中のV含有量を質量%単位で定量した。各円柱試験片の電解抽出残渣中のV含有量の算術平均値(つまり、3つのV含有量の算術平均値)を、鋼材の電解抽出残渣中のV含有量を[V]と定義した。電解抽出残渣中のV含有量[V]は、上述の算術平均値の小数第2位を四捨五入して得られた値とした。鋼材の化学組成中のV含有量[V]と、上記測定により得られた電解抽出残渣中のV含有量[V]とを用いて、式(A)により残渣中V量割合RA(%)を求めた。残渣中V量割合RAは小数第2位を四捨五入して得られた値とした。
RA=[V]/[V]×100 (A)
得られた残渣中V量割合RA(%)を表2中の「RA」欄に示す。
【0140】
[被削性評価試験]
各試験番号の鋼材(直径60mmの棒鋼)に対して、外周旋削加工を実施して、工具寿命を評価した。具体的には、各試験番号の棒鋼に対して、次の条件で外周旋削加工を実施した。使用した切削工具は、JIS B 4053(2013)に規定のP10に相当する超硬合金とした。切削速度を150m/分とし、送り速度を0.15mm/revとし、切込み量を1.0mmとした。なお、旋削時には潤滑剤を使用しなかった。
【0141】
上述の切削条件にて外周旋削加工を実施して、切削工具の逃げ面摩耗量が0.2mmになるまでの時間を工具寿命(Hr)と定義した。比較基準鋼材の工具寿命を基準とし、各試験番号の工具寿命比を次の式で求めた。
工具寿命比=各試験番号の工具寿命(Hr)/比較基準鋼材の工具寿命(Hr)
【0142】
得られた工具寿命比が0.8以上であれば、被削性に優れると判断した(表2中の被削性評価欄で「E」(Excellent)で表記)。一方、工具寿命比が0.8未満であれば、被削性が低いと判断した(表2中の被削性評価欄で「B」(Bad)で表記)。
【0143】
[靭性評価試験]
靭性評価試験を次の方法で実施した。各試験番号の棒鋼に対して、機械加工(外周旋削加工)を実施して、直径40mmの中間品(棒鋼)とした。機械加工後の中間品に対して浸炭窒化処理を模擬して、図2に示すヒートパターンの焼入れ及び焼戻し(模擬浸炭窒化処理)を実施した。図2を参照して、模擬浸炭窒化処理での焼入れ処理では、焼入れ温度は900℃とし、保持時間を60分とした。保持時間経過後の中間品(棒鋼)を油冷した(図中「OQ」と記載)。焼戻し処理では、焼戻し温度を180℃とし、保持時間を120分とした。保持時間経過後の中間品(棒鋼)を空冷した(図中「AC」と記載)。以上の模擬浸炭窒化処理を実施した棒鋼は、浸炭窒化軸受部品の芯部に相当した。
【0144】
上記模擬浸炭窒化処理(焼入れ及び焼戻し)を実施した棒鋼のR/2位置から、Vノッチを有するシャルピー試験片を採取した。シャルピー試験片を用いて、JIS Z2242(2009)に準拠したシャルピー試験を常温(20℃±15℃)で行った。試験により得られた吸収エネルギーを、切欠き部の原断面積(試験前の試験片の切欠き部の断面積)で除して、衝撃値vE20(J/cm)を求めた。得られた衝撃値vE20を表2中の「vE20」欄に示す。
【0145】
さらに、上述の模擬浸炭窒化処理(焼入れ及び焼戻し)を実施した鋼材(棒鋼)から、JIS Z 2241(2011)に準拠した棒状4号引張試験片を採取した。この試験片を用いて、JIS Z 2241(2011)に準拠した引張試験を大気中、常温(20℃±15℃)にて実施し、得られた応力ひずみ曲線から、0.2%オフセット耐力σy(MPa)を求めた。得られた0.2%オフセット耐力σyを表2中の「σy」欄に示す。
【0146】
得られたシャルピー衝撃値vE20(J/cm)と0.2%耐力σy(MPa)とを用いて、靭性の評価指標Indexを次の式で求めた。
Index=σy×(vE200.1
【0147】
得られたIndexを表2中の「Index」欄に示す。浸炭窒化軸受部品では、上記Indexが950以上であることが要求される。したがって、靭性評価試験では、Indexが950以上である場合、靭性に優れると判断した(表2中の靱性評価欄で「E」印で表記)。一方、Indexが950未満である場合、靭性が低いと判断した(表2中の靱性評価欄で「B」印で表記)。
【0148】
[耐摩耗性評価試験]
耐摩耗性評価試験を次の方法で実施した。直径60mmの棒鋼から機械加工により図3に示す中間品を作製した。図3は、中間品の側面図である。図3中の数値は、中間品の各部位の寸法(mm)を示す。図3中の「φ」の横の数値は、直径(mm)を示す。
【0149】
中間品に対して浸炭窒化処理(浸炭窒化焼入れ及び焼戻し)を実施して、浸炭窒化軸受部品を模擬した図4に示す小ローラ試験片を作製した。このとき、小ローラ試験片の表面C濃度が0.80%、表面N濃度が0.30%、表面硬さがロックウェルC硬さHRCで60.0となるように、浸炭窒化焼入れ及び焼戻しの条件を調整した。具体的には、浸炭窒化焼入れ処理は、表3に示すカーボンポテンシャルCP、雰囲気中の浸炭変成ガスに対するアンモニア濃度、加熱温度(本実施例では加熱温度=浸炭窒化処理温度=焼入れ温度)及び保持時間(=浸炭窒化処理温度での保持時間+焼入れ温度での保持時間)で実施し、冷却方法は油冷とした。焼戻し処理は、表3に示す焼戻し温度及び保持時間で実施し、保持時間経過後は空冷した。浸炭窒化焼入れ及び焼戻し後の中間品に対して、仕上げ加工(切削加工)を実施して、図4に示す形状の小ローラ試験片とした。図4は小ローラ試験片の側面図である。図4中の数値は、試験片の各部位の寸法(mm)を示す。図4中の「φ」の横の数値は、直径(mm)を示す。
【0150】
【表3】
【0151】
耐摩耗性評価試験として、各試験番号の小ローラ試験片に対し、ローラピッチング試験(2円筒転がり疲労試験)を実施した。具体的には、図5に示すとおり、直径を130mm、クラウニング半径を150mmとする大ローラを準備した。大ローラの素材は、表1の比較基準鋼材である鋼種Yの化学組成を有した。大ローラの素材に対して、焼入れ処理及び焼戻し処理を実施した。焼入れ処理での焼入れ温度は860℃とし、焼入れ温度での保持時間は60分とした。保持時間経過後、素材に対して80℃の油で油冷した。焼入れ処理後の素材に対して焼き戻し処理を実施した。焼戻し処理での焼戻し温度は180℃とし、焼戻し温度での保持時間を120分とした。以上の焼入れ処理及び焼戻し処理を実施した後、仕上げ加工を実施して、図5に示す大ローラとした。
【0152】
各試験番号の小ローラ試験片を用いて、次のローラピッチング試験を実施した。具体的には、小ローラ試験片の中心軸と大ローラの中心軸とが平行になるように、小ローラ試験片と大ローラとを配置した。そして、ローラピッチング試験を、次に示す条件で実施した。小ローラ試験片の中央部(直径26mmの部分)に対して、大ローラの表面を押し当てた。小ローラ試験片の回転数を1500rpmとし、接触部での小ローラ試験片と大ローラとの回転方向を同一方向とし、すべり率を40%とした。大ローラの回転速度をV1(m/sec)、小ローラ試験片の回転速度をV2(m/sec)としたとき、すべり率(%)は、以下の式により求めた。
すべり率=(V2-V1)/V2×100
【0153】
試験中の小ローラ試験片と大ローラとの接触応力を3.0GPaとした。試験中、潤滑剤(市販のオートマチックトランスミッション用オイル:ATF)を油温80℃の条件で、大ローラと小ローラ試験片との接触部分(試験部の表面)に回転方向と反対の方向から2L/minで吹き付けた。繰り返し数を2×10回までとし、繰り返し数2×10回後に試験を終了した。
【0154】
耐摩耗性評価試験後の小ローラ試験片を用いて、平均摩耗深さ(μm)、表面硬さ(HRC)、表面C濃度(質量%)及び表面N濃度(質量%)を次の方法で求めた。
【0155】
[平均摩耗深さ]
試験後の試験片の摺動部分の粗さを測定した。具体的には、小ローラ試験片の周面において、円周方向に90°ピッチで4箇所の位置で、粗さプロファイルを測定した。上記4箇所での粗さプロファイルの最大深さを摩耗深さと定義し、これら4箇所の摩耗深さの平均を、平均摩耗深さ(μm)と定義した。平均摩耗深さを表2中の「平均摩耗深さ」欄に示す。平均摩耗深さが10μm以下であれば、耐摩耗性に優れると判断した(表2中の耐摩耗性評価において「E」で表記)。一方、平均摩耗深さが10μmを超えた場合、耐摩耗性が低いと判断した(表2中の耐摩耗性評価において「B」で表記)。
【0156】
[表面硬さ]
試験後の小ローラ試験片の試験部の表面のうち、摺動部分以外の領域(以下、未摺動部分という)において、円周方向に対して90°ピッチで4箇所の測定位置を特定した。特定された4箇所の測定位置において、JIS Z2245(2011)に準拠して、Cスケールを用いたロックウェル硬さ試験を実施した。各測定箇所のロックウェルC硬さHRCの算術平均値を、表面でのロックウェルC硬さHRCと定義した。得られたロックウェルC硬さを表2中の「HRC」欄に示す。
【0157】
[表面C濃度及び表面N濃度]
小ローラ試験片の試験部の未摺動部分を軸方向に対して垂直に切断した。未摺動部の表面(周面)を含む切断面を含む試験片を採取した。切断面に対して埋め込み研磨仕上げを行った。その後、電子線マイクロアナライザ(EPMA)を用いて、未摺動部分の表面から10μm深さまで、0.1μmピッチでC濃度及びN濃度を測定した。測定された値の算術平均値を、表面C濃度(質量%)及び表面N濃度(質量%)と定義した。得られた表面C濃度(%)及び表面N濃度(%)を表2に示す。
【0158】
[水素発生環境下での剥離寿命試験]
各試験番号の鋼材(直径60mmの棒鋼)から、機械加工により、直径60mm、厚さ5.5mmの円板状の中間品を作成した。中間品の厚さ(5.5mm)は、棒鋼の長手方向に相当した。中間品に対して、浸炭窒化処理(浸炭窒化焼入れ及び焼戻し)を実施して、浸炭窒化軸受部品を製造した。このとき、各浸炭窒化軸受部品の表面C濃度が0.80%、表面N濃度が0.30%、及び、表面ロックウェルC硬さHRCが60となるように、浸炭窒化焼入れ及び焼戻しを実施した。具体的には、浸炭窒化焼入れ処理は、表3に示すカーボンポテンシャルCP、雰囲気中の浸炭変成ガスに対するアンモニア濃度、加熱温度(本実施例では加熱温度=浸炭窒化処理温度=焼入れ温度)及び保持時間(=浸炭窒化処理温度での保持時間+焼入れ温度での保持時間)で実施し、冷却方法は油冷とした。焼戻し処理は、表3に示す焼戻し温度及び保持時間で実施し、保持時間経過後は空冷した。得られた試験片の表面をラッピング加工して、転動疲労試験片とした。
【0159】
なお、水素環境下での剥離寿命試験において、比較基準鋼材である鋼種Yについては、上述の浸炭窒化処理に代えて、次の焼入れ処理及び焼戻し処理を実施した。具体的には、直径60mmの鋼種Yの棒鋼から、機械により、直径60mm、厚さ5.5mmの円板状の中間品を作成した。中間品の厚さ(5.5mm)は、棒鋼の長手方向に相当した。中間品に対して、焼入れ処理を実施した。焼入れ処理での焼入れ温度は860℃とし、焼入れ温度での保持時間は60分とした。保持時間経過後、中間品に対して80℃の油を用いた油冷を実施した。なお、焼入れ処理後の中間品に脱炭が生じないように、焼入れ処理に用いる熱処理炉の炉内雰囲気を調整した。焼入れ処理後の中間品に対して、焼戻し処理を実施した。焼戻し処理での焼戻し温度は180℃とし、焼戻し温度での保持時間を120分とした。得られた試験片の表面をラッピング加工して、比較基準鋼材の転動疲労試験片とした。
【0160】
各試験番号の転動疲労試験片、及び、比較基準鋼材(鋼種Y)の転動疲労試験片を用いて、次の剥離寿命試験を実施した。具体的には、水素発生環境を模擬するため、20%チオシアン酸アンモニウム(NHSCN)水溶液中に転動疲労試験片を浸漬させて水素チャージ処理を実施した。具体的には、水溶液温度50℃、浸漬時間24時間で水素チャージ処理を実施した。
【0161】
水素チャージ処理した転動疲労試験片に対して、スラスト型の転動疲労試験機を用いて、転動疲労試験を実施した。試験時における最大接触面圧を3.0GPaとし、繰り返し速度を1800cpm(cycle per minute)とした。試験時に使用した潤滑油はタービン油とし、試験時に用いた鋼球は、JIS G 4805(2008)に規定されたSUJ2の調質材とした。
【0162】
転動疲労試験結果をワイブル確率紙上にプロットし、10%破損確率を示すL10寿命を「剥離寿命」と定義した。各試験番号の剥離寿命L10の、鋼種Yの剥離寿命L10に対する比を剥離寿命比と定義した。つまり、次式により、剥離寿命比を求めた。
剥離寿命比=各試験番号の剥離寿命/鋼種Yの剥離寿命
【0163】
得られた剥離寿命比を表2の「剥離寿命比」欄に示す。得られた剥離寿命比が2.0以上であれば、水素発生環境下での剥離寿命に優れると判断した(表2中の「剥離寿命比」の「評価」欄で「E」で表記)。一方、剥離寿命比が2.0未満であれば、水素発生環境下での剥離寿命が低いと判断した(表2中の「剥離寿命比」の「評価」欄で「B」で表記)。
【0164】
[試験結果]
表2に試験結果を示す。表2を参照して、試験番号1~10の化学組成において、各元素含有量は適切であり、F1~F4が式(1)~式(4)を満たした。さらに、製造条件も適切であった。そのため、ミクロ組織におけるフェライト及びパーライトの総面積率が10.0%以上であり、残部がベイナイトからなり、残渣中V量割合RAが10.0%以下であった。その結果、鋼材の工具寿命比は0.8以上であり、優れた被削性が得られた。さらに、模擬浸炭窒化処理後において、Indexはいずれも950以上であり、浸炭窒化軸受部品の芯部において優れた靱性が得られることが予想できた。さらに、耐摩耗性評価試験において、浸炭窒化処理後の浸炭窒化軸受部品の表面C濃度は0.70~1.20%であり、表面N濃度は0.15~0.60%であり、表面のロックウェルC硬さHRCは58~65であった。さらに、耐摩耗性評価試験において、平均摩耗深さは10μm以下であり、耐摩耗性に優れた。さらに、耐水素発生環境下での剥離寿命試験において、浸炭窒化処理後の浸炭窒化軸受部品の表面C濃度は0.70~1.20%であり、表面N濃度は0.15~0.60%であり、表面のロックウェルC硬さHRCは58~65であった。さらに、剥離寿命比は2.0以上であり、水素発生環境下での剥離寿命に優れた。
【0165】
一方、試験番号11では、Mn含有量が低すぎた。そのため、剥離寿命比が2.0未満であり、水素環境下での剥離寿命が低かった。
【0166】
試験番号12では、Mn含有量が高すぎた。そのため、剥離寿命比が2.0未満であり、水素環境下での剥離寿命が低かった。
【0167】
試験番号13では、Mo含有量が低すぎた。そのため、耐摩耗性評価試験において、平均摩耗深さは10μmを超え、耐摩耗性が低かった。さらに、剥離寿命比が2.0未満であり、水素環境下での剥離寿命が低かった。
【0168】
試験番号14では、Mo含有量が高すぎた。そのため、鋼材の工具寿命比は0.8未満であり、被削性が低かった。
【0169】
試験番号15では、V含有量が低すぎた。そのため、耐摩耗性評価試験において、平均摩耗深さは10μmを超え、耐摩耗性が低かった。さらに、剥離寿命比が2.0未満であり、水素環境下での剥離寿命が低かった。
【0170】
試験番号16では、V含有量が高すぎた。そのため、残渣中V量割合RAが10.0%を超えた。その結果、模擬浸炭窒化処理後において、Indexが950未満となり、靱性が低かった。さらに、剥離寿命比が2.0未満であり、水素環境下での剥離寿命が低かった。
【0171】
試験番号17では、化学組成において各元素の含有量は適切であったものの、F1が式(1)の下限未満であった。そのため、耐摩耗性評価試験において、平均摩耗深さは10μmを超え、耐摩耗性が低かった。さらに、剥離寿命比が2.0未満であり、水素環境下での剥離寿命が低かった。
【0172】
試験番号18では、化学組成において各元素の含有量は適切であったものの、F1が式(1)の上限を超えた。そのため、残渣中V量割合RAが10.0%を超えた。その結果、模擬浸炭窒化処理後において、Indexが950未満となり、靱性が低かった。さらに、剥離寿命比が2.0未満であり、水素環境下での剥離寿命が低かった。
【0173】
試験番号19では、化学組成において各元素の含有量は適切であったものの、F2が式(2)の下限未満であった。そのため、剥離寿命比が2.0未満であり、水素環境下での剥離寿命が低かった。
【0174】
試験番号20では、化学組成において各元素の含有量は適切であったものの、F2が式(2)の上限を超えた。そのため、フェライト及びパーライトの総面積率が10.0%未満となった。その結果、鋼材の工具寿命比は0.8未満であり、被削性が低かった。
【0175】
試験番号21及び22では、化学組成において各元素の含有量は適切であったものの、F3が式(3)の下限未満であった。そのため、耐摩耗性評価試験において、平均摩耗深さは10μmを超え、耐摩耗性が低かった。さらに、剥離寿命比が2.0未満であり、水素環境下での剥離寿命が低かった。
【0176】
試験番号23及び24では、化学組成において各元素の含有量は適切であったものの、F4が式(4)の下限未満であった。そのため、剥離寿命比が2.0未満であり、水素環境下での剥離寿命が低かった。
【0177】
試験番号25では、化学組成において、各元素含有量は適切であり、F1~F4が式(1)~式(4)を満たした。しかしながら、粗圧延工程での加熱温度が低すぎた。そのため、残渣中V量割合RAが10.0%を超えた。そのため、模擬浸炭窒化処理後において、Indexが950未満となり、靱性が低かった。さらに、剥離寿命比が2.0未満であり、水素環境下での剥離寿命が低かった。
【0178】
試験番号26では、化学組成において、各元素含有量は適切であり、F1~F4が式(1)~式(4)を満たした。しかしながら、仕上げ圧延工程での加熱温度が低すぎた。そのため、残渣中V量割合RAが10.0%を超えた。そのため、模擬浸炭窒化処理後において、Indexが950未満となり、靱性が低かった。さらに、剥離寿命比が2.0未満であり、水素環境下での剥離寿命が低かった。
【0179】
試験番号27では、化学組成において、各元素含有量は適切であり、F1~F4が式(1)~式(4)を満たした。しかしながら、仕上げ圧延工程での冷却速度CRが速すぎた。そのため、フェライト及びパーライトの総面積率が10.0%未満となった。その結果、鋼材の工具寿命比は0.8未満であり、被削性が低かった。
【0180】
以上、本発明の実施形態を説明した。しかしながら、上述した実施形態は本発明を実施するための例示に過ぎない。したがって、本発明は上述した実施形態に限定されることなく、その趣旨を逸脱しない範囲内で上述した実施形態を適宜変更して実施することができる。
図1
図2
図3
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図5