(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2022-09-05
(45)【発行日】2022-09-13
(54)【発明の名称】質量分析方法及び質量分析装置
(51)【国際特許分類】
G01N 27/62 20210101AFI20220906BHJP
H01J 49/42 20060101ALI20220906BHJP
【FI】
G01N27/62 E
G01N27/62 V
H01J49/42 150
(21)【出願番号】P 2021522619
(86)(22)【出願日】2020-01-14
(86)【国際出願番号】 JP2020000926
(87)【国際公開番号】W WO2020240908
(87)【国際公開日】2020-12-03
【審査請求日】2021-08-10
(31)【優先権主張番号】P 2019102066
(32)【優先日】2019-05-31
(33)【優先権主張国・地域又は機関】JP
(73)【特許権者】
【識別番号】000001993
【氏名又は名称】株式会社島津製作所
(74)【代理人】
【識別番号】110001069
【氏名又は名称】特許業務法人京都国際特許事務所
(72)【発明者】
【氏名】▲高▼橋 秀典
【審査官】吉田 将志
(56)【参考文献】
【文献】特開2019-56598(JP,A)
【文献】米国特許出願公開第2019/0080893(US,A1)
【文献】国際公開第2017/103860(WO,A1)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
G01N 27/62
H01J 49/42
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
炭化水素鎖を有する試料成分由来のプリカーサイオンからプロダクトイオンを生成して質量分析する質量分析方法であって、
前記プリカーサイオンに対して、酸素ラジカル又はヒドロキシラジカルと、酸化窒素ラジカルとを照射してプロダクトイオンを生成し、
前記プロダクトイオンを質量電荷比に応じて分離して検出し、
前記検出されたプロダクトイオンの質量電荷比に基づいて前記炭化水素鎖の構造を推定する、質量分析方法。
【請求項2】
炭化水素鎖を有する試料成分由来のプリカーサイオンからプロダクトイオンを生成して質量分析する質量分析装置であって、
前記プリカーサイオンが導入される反応室と、
酸素ラジカル又はヒドロキシラジカルと、酸化窒素ラジカルとを生成するラジカル生成部と、
前記反応室に導入されたプリカーサイオンに対して、前記酸素ラジカル又はヒドロキシラジカルと、前記酸化窒素ラジカルとを照射するラジカル照射部と、
前記酸素ラジカル又はヒドロキシラジカルとの反応、及び前記酸化窒素ラジカルとの反応により前記プリカーサイオンから生成されたプロダクトイオンを質量電荷比に応じて分離し検出する分離検出部と
を備える質量分析装置。
【請求項3】
さらに、
前記検出されたプロダクトイオンのうち、質量差が29Da又は31Daであるプロダクトイオンの組を抽出して前記炭化水素鎖に含まれる不飽和結合の位置を推定する構造推定部
を備える、請求項2に記載の質量分析装置。
【請求項4】
前記試料成分が、炭化水素鎖に構造又は構造候補が既知である物質が結合してなるものであり、さらに、
前記構造又は構造候補に関する情報が収録された化合物データベース
を備え、
前記構造推定部が、前記検出されたプロダクトイオンの質量電荷比と、前記化合物データベースに収録された前記構造又は構造候補に関する情報に基づいて前記試料成分の構造を推定する、請求項3に記載の質量分析装置。
【請求項5】
前記構造推定部が、前記プリカーサイオンの強度に対する、該プリカーサイオンに酸素原子が付加したアダクトイオンであるプロダクトイオンの強度の比に基づいて、前記試料成分が有する炭化水素鎖に含まれる不飽和結合の型を推定する、請求項3に記載の質量分析装置。
【請求項6】
さらに、
前記試料成分に含まれる炭化水素鎖の候補である複数の成分に関する前記比の情報を集録した化合物データベース
を備え、
前記構造推定部が、前記試料成分の測定により得られた前記比を前記化合物データベースに収録された比と比較することにより前記試料成分が有する炭化水素鎖に含まれる不飽和結合の型を推定する、請求項5に記載の質量分析装置。
【請求項7】
前記化合物データベースに、前記不飽和結合の型以外が共通であるシス型とトランス型の成分の両方に関する前記比の情報が保存されており、
前記構造推定部が、前記試料成分の測定により得られた前記比を前記データベースに収録された比と比較することにより、前記試料成分に含まれる、シス型の不飽和結合を有する成分とトランス型の不飽和結合を有する成分の割合を推定する、請求項6に記載の質量分析装置。
【請求項8】
前記ラジカル生成部が、水蒸気、窒素ガス、及び空気のうちの少なくとも1種類を含む原料ガスから前記酸素ラジカル及び前記酸化窒素ラジカルを生成する、請求項2に記載の質量分析装置。
【請求項9】
前記ラジカル生成部が、
ラジカル生成室と、
前記ラジカル生成室を排気する真空排気部と、
前記ラジカル生成室に原料ガスを導入する原料ガス供給源と、
前記ラジカル生成室で真空放電を生じさせる真空放電部と
を備える、請求項2に記載の質量分析装置。
【請求項10】
前記真空放電部が、高周波プラズマ源、ホローカソードプラズマ源、又は磁場閉じ込め型プラズマ源である、請求項9に記載の質量分析装置。
【請求項11】
前記質量分析装置が前段四重極マスフィルタ及び後段四重極マスフィルタを備えており、前記反応室が該前段四重極マスフィルタと該後段四重極マスフィルタの間に設けられたコリジョンセルである、請求項2に記載の質量分析装置。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、質量分析方法及び質量分析装置に関する。
【背景技術】
【0002】
高分子化合物を同定したりその構造を解析したりするために、試料成分由来のイオンから特定の質量電荷比を有するイオンをプリカーサイオンとして選別し、それを1又は複数回解離させてプロダクトイオンを生成し、それらを質量電荷比に応じて分離し検出する質量分析法が広く利用されている。高分子化合物由来のプリカーサイオンを解離する手法としては、イオントラップ内で励振したプリカーサイオンをアルゴンなどの不活性ガスに繰り返し衝突させることによりプリカーサイオンに少しずつエネルギーを蓄積させて解離を誘起する低エネルギー衝突誘起解離(LE-CID: Low-Energy Collision Induced Dissociation)法が一般的である(例えば非特許文献1)。
【0003】
代表的な高分子化合物の1つに脂肪酸がある。脂肪酸は炭化水素鎖を有するカルボン酸であり、炭化水素鎖に不飽和結合を含まない飽和脂肪酸と、炭化水素鎖に不飽和結合を含む不飽和脂肪酸に大別される。不飽和脂肪酸では、炭化水素鎖に含まれている不飽和結合の位置によって生化学的な活性が変化する。従って、脂肪酸や、脂肪酸を含む物質(例えば脂肪酸にヘッドグループと呼ばれる既知の構造が結合してなるリン脂質)の解析には、不飽和結合の位置の推定に有用なプロダクトイオンを生成し検出することが有効である。しかし、LE-CID法のようなエネルギー蓄積型のイオン解離法では、プリカーサイオンに付与されたエネルギーが分子内全体に分散することからプリカーサイオンが解離する位置の選択性が低く、不飽和結合の位置の推定に有用なプロダクトイオンを生成することが難しい。
【0004】
特許文献1には、不飽和脂肪酸が有する炭化水素鎖の構造を推定する別の方法が提案されている。この方法は、オゾンをイオントラップに導入して不飽和脂肪酸と反応させると不飽和脂肪酸由来のプリカーサイオンが不飽和結合の位置で選択的に解離することを利用したものであり、不飽和結合の位置でプリカーサイオンが解離して生成されたプロダクトイオンの質量から炭化水素鎖の構造を推定する。
【0005】
特許文献2や非特許文献2には、不飽和脂肪酸由来のプリカーサイオンに高エネルギーの電子線を照射して解離させたり、プリカーサイオンをLE-CID法よりも大きく励振させて不活性ガスに衝突させる高エネルギー衝突誘起解離(HE-CID: High-Energy Collision Induced Dissociation)法により解離させたりしてプロダクトイオンを生成すると、不飽和結合の位置でプリカーサイオンが解離したプロダクトイオンが生成されにくく、不飽和結合以外の位置でプリカーサイオンが解離したプロダクトイオンに比べて検出強度が小さくなることを利用して不飽和結合の位置を推定する方法が記載されている。
【0006】
非特許文献3には、イオントラップに捕捉した不飽和脂肪酸由来のプリカーサイオンに高速に加速したHeを照射することによってプリカーサイオンをラジカル種に変化させ、その後に衝突誘起解離させてプロダクトイオンを生成すると、不飽和結合の位置でプリカーサイオンが解離したプロダクトイオンが生成されにくく、不飽和結合以外の位置でプリカーサイオンが解離して生成されたプロダクトイオンに比べて検出強度が小さくなることを利用して不飽和結合の位置を推定する方法が記載されている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0007】
【文献】オーストラリア特許出願公開第2007/211893号公報
【文献】カナダ特許出願公開第2951762号公報
【非特許文献】
【0008】
【文献】McLuckey, Scott A. "Principles of collisional activation in analytical mass spectrometry." Journal of the American Society for Mass Spectrometry 3.6 (1992): 599-614.
【文献】Shimma, Shuichi, et al. "Detailed structural analysis of lipids directly on tissue specimens using a MALDI-SpiralTOF-Reflectron TOF mass spectrometer." PloS one 7.5 (2012): e37107.
【文献】Deimler, Robert E., Madlen Sander, and Glen P. Jackson. "Radical-induced fragmentation of phospholipid cations using metastable atom-activated dissociation mass spectrometry (MAD-MS)." International journal of mass spectrometry 390 (2015): 178-186.
【文献】島袋、粕谷、和田、「マイクロ波容量結合プラズマを用いた小型原子源の開発」、第77回応用物理学会学術講演会講演予稿集、2016年9月、社団法人応用物理学会
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0009】
特許文献1に記載の方法では、反応性が高いオゾンを用いるため、オゾンが大気中に排出されることを防止するためのオゾンフィルター等の設備を導入する必要がある。また、オゾンが質量分析装置の内部に入り込むと、各部の電極や絶縁物が酸化されて質量分析装置の性能が低下する可能性もある。
特許文献2、非特許文献2、及び非特許文献3に記載の方法は、不飽和結合の位置でプリカーサイオンが解離して生成されたプロダクトイオンの検出強度が、不飽和結合以外の位置でプリカーサイオンが解離して生成されたプロダクトイオンの検出強度に比べて小さくなることを利用して不飽和結合の位置を推定するものであるが、不飽和脂肪酸の種類や測定条件によっては不飽和結合以外の位置で解離したプロダクトイオンのマスピークの強度も小さくなる場合があり、不飽和結合の位置を高い精度で推定することは難しい。
【0010】
本発明が解決しようとする課題は、不飽和結合を含む炭化水素鎖を有する試料成分について、該不飽和結合の位置を簡便かつ高い精度で推定することができる質量分析技術を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0011】
上記課題を解決するために成された本発明は、炭化水素鎖を有する試料成分由来のプリカーサイオンからプロダクトイオンを生成して質量分析する質量分析方法であって、
前記プリカーサイオンに対して、酸素ラジカル又はヒドロキシラジカルと、酸化窒素ラジカルとを照射してプロダクトイオンを生成し、
前記プロダクトイオンを質量電荷比に応じて分離して検出し、
前記検出されたプロダクトイオンの質量電荷比に基づいて前記炭化水素鎖の構造を推定する
ものである。
【0012】
また、上記課題を解決するために成された本発明の別の態様は、炭化水素鎖を有する試料成分由来のプリカーサイオンからプロダクトイオンを生成して質量分析する質量分析装置であって、
前記プリカーサイオンが導入される反応室と、
酸素ラジカル又はヒドロキシラジカルと、酸化窒素ラジカルとを生成するラジカル生成部と、
前記反応室に導入されたプリカーサイオンに対して、前記酸素ラジカル又はヒドロキシラジカルと、前記酸化窒素ラジカルとを照射するラジカル照射部と、
前記酸素ラジカル又はヒドロキシラジカルとの反応、及び前記酸化窒素ラジカルとの反応により前記プリカーサイオンから生成されたプロダクトイオンを質量電荷比に応じて分離し検出する分離検出部と
を備える。
【発明の効果】
【0013】
本発明者は、先願(PCT/JP2018/043074)において、不飽和結合を含む炭化水素鎖を有する試料成分由来のプリカーサイオンに対して酸素ラジカル等を照射して、該プリカーサイオンが不飽和結合の位置で解離して生じたフラグメントに酸素原子等が付加してなるプロダクトイオンを生成及び検出し、その質量から不飽和結合の位置を推定することを提案している。先願発明では、検出されたプロダクトイオンが、酸素原子が付加してなるプロダクトイオンであるか、あるいはそれ以外のイオンであるかを判断するために、該プロダクトイオンの精密質量(質量電荷比の小数点以下の値)を確認する必要があることから、質量分解能及び質量精度が高い飛行時間型質量分析装置等の使用が想定されている。
【0014】
本発明は、上記の先願発明を改良したものであり、不飽和結合を含む炭化水素鎖を有する試料由来のプリカーサイオンに対し、酸素ラジカル又はヒドロキシラジカルと、酸化窒素ラジカルとを照射する。これは、本発明者が、不飽和結合を含む炭化水素鎖を有する試料由来のプリカーサイオンに対して酸化窒素ラジカルを照射すると、該プリカーサイオンが不飽和結合の位置で解離して生じたフラグメントに二酸化窒素(NO2)が付加してなるプロダクトイオンが生成されることを見いだしたことに基づく。つまり、不飽和結合を含む炭化水素鎖を有する試料由来のプリカーサイオンに対して酸素ラジカルと酸化窒素ラジカルを照射すると、該プリカーサイオンが不飽和結合の位置で解離して生じたフラグメントに酸素原子が付加してなるプロダクトイオンと、該フラグメントに二酸化窒素が付加してなるプロダクトイオンの両方が生成される。また、ヒドロキシラジカルと酸化窒素ラジカルを照射すると該プリカーサイオンが不飽和結合の位置で解離して生じたフラグメントに水酸基が付加してなるプロダクトイオンと、該フラグメントに二酸化窒素が付加してなるプロダクトイオンの両方が生成される。酸素原子又は水酸基が付加してなるプロダクトイオンと二酸化窒素が付加してなるプロダクトイオンは特定の質量差(29Da又は31Da)を持つことから、その要件を満たすマスピークの対を抽出することにより、不飽和結合の位置で解離することにより生成されたプロダクトイオンを特定し、その質量から不飽和結合の位置を簡便かつ高い精度で推定することができる。また、本発明では、精密質量を確認する必要がないため、質量分解能や質量精度が高い質量分析装置を用いる必要もない。
【図面の簡単な説明】
【0015】
【
図1】本発明に係る質量分析装置の一実施例の要部構成図。
【
図2】本実施例の質量分析装置のラジカル生成・照射部の概略構成図。
【
図4】本実施例の質量分析装置において、真空下で高周波放電により水蒸気と空気の混合ガスから生成した酸素ラジカル及び酸化窒素ラジカルをリン脂質に照射し測定することにより取得したプロダクトイオンスペクトル。
【
図5】本実施例の質量分析装置において、真空下で高周波放電により水蒸気と空気の混合ガスから生成した酸素ラジカル及び酸化窒素ラジカルを別のリン脂質に照射し測定することにより取得したプロダクトイオンスペクトル。
【
図6】本実施例の質量分析装置において、真空下で高周波放電により水蒸気と空気の混合ガスから生成したイオンを測定することにより取得したマススペクトル。
【
図7】変形例の質量分析装置において、真空下で高周波放電により水蒸気から生成したヒドロキシラジカル及び酸素ラジカルをリン脂質に照射し測定することにより取得したプロダクトイオンスペクトル。
【
図8】変形例の質量分析装置において、真空下で高周波放電により酸素ガスから生成した酸素ラジカルを、シス型の不飽和結合を有するリン脂質由来のプリカーサイオンと、トランス型の不飽和結合を有するリン脂質由来のプリカーサイオンのそれぞれに照射することにより生成されたプロダクトイオンを測定して取得したプロダクトイオンスペクトルの部分拡大図。
【
図9】不飽和結合がトランス型であるリン脂質と、シス型であるリン脂質の分子構造。
【
図10】トランス型の不飽和結合を有するリン脂質から生成されたプリカーサアダクトイオンの検出強度のプリカーサイオンの検出強度に対する比と、シス型の不飽和結合を有するリン脂質から生成されたプリカーサアダクトイオンの検出強度のプリカーサイオンの検出強度に対する比、の比と、反応時間の関係を示すグラフ。
【
図11】プリカーサアダクトイオンの検出強度のプリカーサイオンの検出強度に対する比と、トランス型の不飽和脂肪酸とシス型の不飽和脂肪酸の混合比の関係を示すグラフ。
【発明を実施するための形態】
【0016】
本発明に係る質量分析装置及び質量分析方法の一実施例について、以下、図面を参照して説明する。
【0017】
図1は本実施例の質量分析装置1の概略構成図である。この質量分析装置1は、大別して質量分析装置本体2、ラジカル生成・照射部3、及び制御・処理部4から構成されている。
【0018】
本実施例の質量分析装置本体2は、いわゆる三連四重極型の質量分析装置である。この質量分析装置本体2は、略大気圧であるイオン化室10と真空ポンプ(図示なし)により真空排気された高真空の分析室13との間に、段階的に真空度が高められた第1中間真空室11及び第2中間真空室12を備えた多段差動排気系の構成を有している。イオン化室10にはESIプローブ101が設置されている。イオンを収束させつつ後段へ輸送するために、第1中間真空室11と第2中間真空室12には、それぞれイオンレンズ111とイオンガイド121が配置されている。分析室13には、前段四重極マスフィルタ131、多重極イオンガイド133が内部に設置されたコリジョンセル132、後段四重極マスフィルタ134、及びイオン検出器135が設置されている。前段四重極マスフィルタ131と後段四重極マスフィルタ134は、それぞれ、適宜の電圧を印加することによりイオンを質量分離するメインロッドに加えて、該メインロッドの前段側及び後段側の電場を調整するためのプリロッド及びポストロッドを有している。
【0019】
ラジカル生成・照射部3は、高周波プラズマを用いて所定の種類のラジカルを生成し、質量分析装置本体2のコリジョンセル132の内部に照射するものである。ラジカル生成部には、例えば非特許文献4に記載のもの用いることができる。
【0020】
図2にラジカル生成・照射部3の概略構成を示す。ラジカル生成・照射部3は、内部にラジカル生成室31が形成されたノズル34と、ラジカル生成室31を排気する真空ポンプ(真空排気部)37と、ラジカル生成室31内で真空放電を生じさせるためのマイクロ波を供給する誘導結合型の高周波プラズマ源33とを備えている。
【0021】
高周波プラズマ源33は、マイクロ波供給源331とスリースタブチューナー332を備えている。ノズル34は外周部を構成する接地電極341、その内側に位置するパイレックス(登録商標)ガラス製のトーチ342を備えており、該トーチ342の内部がラジカル生成室31となる。ラジカル生成室31の内部では、コネクタ344を介して高周波プラズマ源33と接続されたニードル電極343がラジカル生成室31の長手方向に貫通している。
【0022】
ノズル34の出口端には、ラジカル生成室31内で生成されたラジカルをコリジョンセル132に輸送するための輸送管38が接続されている。本実施例における輸送管38は石英製の管(絶縁管)であり、内径が異なる複数種類の石英管(例えば内径5mm、1mm、500μm、100μmの4種類)が用意されている。これらは、照射するラジカルの量や、コリジョンセル132の真空度に応じて適宜に使い分けられる。内径が5mmよりも大きいと、輸送管38を通じてコリジョンセル132に流入するガスの量が多くなり、コリジョンセル132内の真空度が悪くなる。一方、内径が100μm未満であると、プリカーサイオンに照射されるラジカルの量が不足する場合がある。
【0023】
輸送管38のうち、コリジョンセル132の壁面に沿って配設された部分には、複数の(本実施例では5つの)ヘッド部381が設けられている。各ヘッド部381には傾斜したコーン状の照射口が設けられており、イオンの飛行方向の中心軸(イオン光軸C)と交差する方向にラジカルが照射される。これにより、イオン光軸Cに沿って飛行するイオンとラジカルの接触機会を増やし、より多くのラジカルをプリカーサイオンに付着させることができる。この例では、各ヘッド部381から同じ方向にラジカルを照射するように照射口を設けたが、各ヘッド部381から異なる方向にラジカルを照射し、コリジョンセル132内部空間の全体にラジカルを満遍なく照射するように構成してもよい。あるいは、輸送管の先端に開口を設けておき、該先端をコリジョンセル132の内部に挿入するという簡素な構成でラジカルを照射することもできる。
【0024】
また、ラジカル生成・照射部3は、第1原料ガス供給源351と第2原料ガス供給源352とを備えている。第1原料ガス供給源351はラジカル生成室31に水蒸気を供給し、第2原料ガス供給源352はラジカル生成室31に乾燥空気を供給する。なお、この乾燥空気は、水分を含まない空気であり、いわゆる大気とは異なる。また、第1原料ガス供給源及び第2原料ガス供給源と、ラジカル生成室の間には、それぞれのガスの流量を調整するためのバルブ361、362が設けられている。
【0025】
制御・処理部4は、質量分析装置本体2及びラジカル生成・照射部3の動作を制御するとともに、質量分析装置本体2のイオン検出器135で得られたデータを保存及び解析する機能を有する。制御・処理部4の実体は一般的なパーソナルコンピュータであり、その記憶部41には化合物データベース42が保存されている。また、機能ブロックとしてスペクトル作成部43と構造推定部44を備えている。スペクトル作成部43と構造推定部44は、予めパーソナルコンピュータにインストールされた所定のプログラムを実行することにより具現化される。さらに、制御・処理部4には入力部45と表示部46が接続されている。
【0026】
例えば本実施例の質量分析装置をリン脂質の分析に用いる場合、リン脂質に特徴的である、ヘッドグループと呼ばれる数十種類の構造に関する情報(ヘッドグループの名称、構造、質量等を関連付けたもの)、及び少なくとも1つの不飽和結合を含む炭化水素鎖を持つリン脂質から生成されるプリカーサイオンの強度に対する、プリカーサアダクトイオン(プリカーサイオンに酸素原子が付加したイオン)の強度の比に関する情報などを収録した化合物データベース42が用いられる。化合物データベース42に収録される情報は、実際に標準試料等を測定することにより取得したデータに基づくものであってもよく、あるいは計算科学的にシミュレーションから取得したデータに基づくものであってもよい。
【0027】
次に、本実施例の質量分析装置を用いた分析の流れを説明する。試料成分の分析開始前に、質量分析装置本体2の第1中間真空室11、第2中間真空室12、及び分析室13、並びにラジカル生成室31の内部をそれぞれ真空ポンプにより所定の真空度まで排気する。続いて、バルブ361、362を所定の開度に開くことにより第1原料ガス供給源351及び第2原料ガス供給源352からラジカル生成室31に、所定流量の水蒸気及び空気を供給する。その後、マイクロ波供給源331からニードル電極343にマイクロ波を供給することにより高周波プラズマを生じさせ、ラジカル生成室31内で酸素ラジカルと酸化窒素ラジカルを生成する。ラジカル生成室31で生成された酸素ラジカル及び酸化窒素ラジカルは輸送管38を通じて輸送され、各ヘッド部381からコリジョンセル132の内部に照射される。
【0028】
次に(あるいはラジカルの生成と並行して)、ESIプローブ101に試料を導入してイオンを生成する。これは、試料を直接ESIプローブ101に注入することにより行ってもよく、あるいは試料に含まれる複数種類の成分を液体クロマトグラフに注入し、カラムで成分分離された後の溶出液をESIプローブ101に送出することにより行ってもよい。イオン化室10内で試料成分から生成されたイオンは、イオン化室10と第1中間真空室11の圧力差により該第1中間真空室11に引き込まれ、イオンレンズ111によりイオン光軸C上に収束される。続いて、第1中間真空室11と第2中間真空室12の圧力差により該第2中間真空室12に引き込まれ、イオンガイド121によってさらに収束される。その後、分析室13において前段四重極マスフィルタ131により所定の質量電荷比を有するイオンがプリカーサイオンとして選別され、コリジョンセル132に進入する。
【0029】
コリジョンセル132では試料成分由来のプリカーサイオンに酸素ラジカル及び酸化窒素ラジカルが照射される。このときにプリカーサイオンに照射されるラジカルの流量が所定の流量になるように、バルブ361、362の開度は適宜に調整される。後述するように不飽和結合の位置で解離したフラグメントに酸素原子又は水酸基が付加してなるプロダクトイオンと、該フラグメントに二酸化窒素が付加してなるプロダクトイオンの両方を十分に検出可能な量だけ生成するには、水蒸気と乾燥空気の混合ガスに占める水蒸気の割合を50vol%以上とすることが好ましく、該割合を90vol%以上とすることがより好ましい。
【0030】
また、プリカーサイオンへのラジカルの照射時間も適宜に設定される。バルブ361、362の開度やラジカルの照射時間は、予備実験の結果等に基づき事前に決めておくことができる。プリカーサイオンに酸素ラジカル及び/又はヒドロキシラジカルと、酸化窒素ラジカルとが照射されると、プリカーサイオンに不対電子誘導型の解離が生じてプロダクトイオンが生成される。また、後述するように、炭化水素鎖の構造が有する不飽和結合の型(cis/trans)に応じて強度が異なるプロダクトイオンが生成される。ラジカルの照射によってプリカーサイオンから生成されたプロダクトイオンはコリジョンセル132から出射し、後段四重極マスフィルタ134により質量分離されたあとイオン検出器135に入射し検出される。イオン検出器135からの検出信号は、順次、制御・処理部4に送信され、記憶部41に保存される。
【0031】
スペクトル作成部43は、この検出信号に基づいてプロダクトイオンスペクトルを作成し、表示部46に表示する。構造推定部44は、このプロダクトイオンスペクトルから得られる情報(質量情報及び強度)に基づく所定のデータ処理を行うことで、試料成分の構造を推定する。例えば、リン脂質の分析を行う場合には、スペクトル作成部43により作成されたプロダクトイオンスペクトルに現れるマスピーク(ノイズと有意に識別可能な強度を有するマスピーク)に対応するプロダクトイオンの質量と、化合物データベース42に収録されているヘッドグループの質量の差の情報に基づき、試料成分の構造を推定する。
【0032】
このように、本実施例の質量分析装置1では、試料成分由来のプリカーサイオンをコリジョンセル132に導入するとともに、ラジカル生成室31内で高周波放電により酸素ラジカル及び/又はヒドロキシラジカルと酸化窒素ラジカルとを生成してコリジョンセル132を通過するプリカーサイオンに照射する。これにより、プリカーサイオンがラジカルと反応してプロダクトイオンが生成される。
【0033】
具体的な測定例は後述するが、本発明者が行った測定により、不飽和結合を含む炭化水素鎖を有する試料成分由来のプリカーサイオンに対して酸素ラジカル及び/又はヒドロキシラジカルと、酸化窒素ラジカルとを照射すると、該プリカーサイオンが不飽和結合の位置で解離して生じたフラグメントに酸素原子又は水酸基が付加してなるプロダクトイオンと、該フラグメントに二酸化窒素が付加してなるプロダクトイオンの両方が生成されることが分かった。同じフラグメントに対して奇数個の窒素原子が付加したイオンと、偶数個(0個を含む)の窒素原子が付加したイオンでは、その一方の質量数の整数部分が奇数に、他方の質量数の整数部分が偶数になることが知られている。これは窒素ルールと呼ばれる。具体的には、これらのプロダクトイオンは特定の質量差(29Da又は31Da)を持つ。そこで、上記測定により得られたプロダクトイオンスペクトルから、その要件を満たすマスピークの対を抽出することにより、不飽和結合の位置で解離することにより生成されたプロダクトイオンを特定し、その質量から不飽和結合の位置を簡便かつ高い精度で推定することができる。
【0034】
次に、上記実施例の質量分析装置1と異なる構成を有する、変形例の質量分析装置100について説明する。なお、上記実施例の質量分析装置1と同じ機能を持つ構成については同一の符号を付して、適宜、説明を省略する。
【0035】
図3に変形例の質量分析装置100の概略構成を示す。この質量分析装置100の本体2はイオントラップ-飛行時間型質量分析装置である。変形例の質量分析装置100は、真空雰囲気に維持される図示しない真空チャンバの内部に、試料中の成分をイオン化するイオン源102と、イオン源102で生成されたイオンを高周波電場の作用により捕捉するイオントラップ5と、イオントラップ5から射出されたイオンを質量電荷比に応じて分離する飛行時間型質量分離部81と、分離されたイオンを検出するイオン検出器82とを備えている。変形例の質量分析装置100はさらに、イオントラップ5内に捕捉されているイオンを解離させるべく、イオントラップ5内に捕捉されたプリカーサイオンにラジカルを照射するためのラジカル生成・照射部3と、イオントラップ5内に所定の種類の不活性ガスを供給する不活性ガス供給部6と、トラップ電圧発生部59と、ヒータ電源部71と、機器制御部(システムコントローラ)70と、制御・処理部4とを備えている。
【0036】
本実施例の質量分析装置のイオン源102はMALDI(Matrix Assisted Laser Desorption/Ionization)イオン源である。MALDIイオン源では、レーザ光を吸収しやすく、またイオン化しやすい物質(マトリックス物質)を試料の表面に塗布して該マトリクス物質内に試料分子を取り込ませて微結晶化させておき、これにレーザ光を照射することによって試料分子をイオン化する。あるいはMALDIイオン源に代えてLDI(Laser Desorption/Ionization)イオン源を用いることもできる。LDIイオン源では試料に直接レーザ光を照射してイオンを生成する。
【0037】
イオントラップ5は、円環状のリング電極51と、該リング電極51を挟んで対向配置された一対のエンドキャップ電極(入口側エンドキャップ電極52、出口側エンドキャップ電極54)とを含む三次元イオントラップである。リング電極51にはラジカル導入口56とラジカル排出口57が、入口側エンドキャップ電極52にはイオン導入孔53が、出口側エンドキャップ電極54にはイオン射出孔55が、それぞれ形成されている。トラップ電圧発生部59は、制御・処理部4及び機器制御部70からの指示に応じて上記の各電極51、52、54のそれぞれに対して所定のタイミングで高周波電圧と直流電圧のいずれか一方又はそれらを合成した電圧を印加する。
【0038】
また、イオントラップ5のリング電極51とエンドキャップ電極52、54との間の電気的絶縁性を確保しつつそれら電極51、52、54の相対的位置を保つ絶縁部材としてセラミックヒータ58を備えている。セラミックヒータ58はヒータ電源部71に接続されており、機器制御部70の制御の下でヒータ電源部71がセラミックヒータ58に電力を供給すると、セラミックヒータ58は発熱する。そして、セラミックヒータ58からの熱伝導により各電極51、52、54も加熱される。セラミックヒータ58には図示しない熱電対が埋め込まれている。熱電対によるセラミックヒータ58のモニタ温度に基づいて、供給される電力は調整され、セラミックヒータ58での発熱量はフィードバック制御される。これにより、セラミックヒータ58は目標温度に精度良く調整される。
【0039】
ラジカル生成・照射部3は、上記実施例と類似の構成を有するが、輸送管38に代えて、ノズル34からの噴出流の中心軸上に開口を有し、拡散する原料ガス分子等を分離して細径のラジカル流を取り出すスキマー39を有している。
【0040】
不活性ガス供給部6は、バッファガスやクーリングガスなどとして使用されるヘリウム、アルゴンなどの不活性ガスを貯留したガス供給源61と、その流量を調整するためのバルブ62と、ガス導入管63とを含む。
【0041】
セラミックヒータ58によりイオントラップ5の各電極51、52、54を加熱している状態で、イオントラップ5内にラジカルを導入した時点からプロダクトイオンをイオントラップ5から排出する時点までの間に、不活性ガス供給部6からイオントラップ5内にバッファガスであるヘリウムガス(あるいは他の不活性ガス)を断続的に導入する。すると、バッファガスを介してイオントラップ5の各電極51、52、54の熱がプリカーサイオンに伝搬する。この熱によりイオンが活性化されて、つまり熱によるエネルギーが付与されてプリカーサイオンの解離効率が向上する。また、熱を加えない状態では切断されにくい結合(つまりは結合エネルギーが高い結合部位)も解離し易くなり、より多くの種類のプロダクトイオンが生成されシーケンスカバレージが向上する。
【0042】
また、不活性ガス供給部6のガス供給源61からイオントラップ5内にガスを供給するガス導入管63の周囲にもガス導入管ヒータ64が設けられている。このガス導入管ヒータ64にヒータ電源部71から電力を供給してガス導入管63を予め加熱しておき、バッファガスをイオントラップ5内に導入するのと同じタイミングで不活性ガス供給部6からイオントラップ5内にバッファガスであるヘリウムガス(あるいは他の不活性ガス)を導入する。このときヘリウムガスはヒータ64付近のガス導入管63で加熱され高温の状態でイオントラップ5に導入される。この高温のヘリウムガスがプリカーサイオンに衝突すると、該ヘリウムガスの熱がイオンに伝搬しラジカルの照射によるイオン解離が促進される。なお、セラミックヒータ58による各電極51、52、54の加熱と、ガス導入管ヒータ64によるバッファガスの加熱は必ずしも両方行う必要はなく、一方のみを行うように構成することもできる。ここではガス導入管63を加熱する構成としたが、不活性ガス供給源61を加熱するようにしても上記同様の効果が得られる。もちろん、それら両方を加熱してもよい。
【0043】
なお、プリカーサイオンを加熱しなくても十分にラジカル付着及び解離反応が生じる場合には、セラミックヒータ58や導入管ヒータ64への通電の必要はない。その場合には、イオントラップ5内に不活性ガスを導入することにより、該イオントラップ5内に捕捉したプリカーサイオンを冷却して該イオントラップ5の中心付近に収束させればよい。
【0044】
以下、本実施例の質量分析装置1又は変形例の質量分析装置100を用いた実際の測定例を説明する。
【0045】
1.不飽和結合の位置の推定(1)
図4は、上記実施例の質量分析装置1を用い、マイクロ波放電によって水蒸気と乾燥空気の混合ガス(混合ガス中の水蒸気の割合:90vol%)から生成したラジカルを、リン脂質の一種であるホスフォチジルコリンPC(16:0/18:1)に照射することにより取得したプロダクトイオンスペクトルである。
図4のプロダクトイオンスペクトルに示すように、不飽和結合の位置で解離したフラグメントに水酸基が付加してなるプロダクトイオン(質量数686.4)と、不飽和結合の位置で解離したフラグメントに二酸化窒素が付加してなるプロダクトイオン(質量数715.4)が検出されている。このように、不飽和結合の位置で解離したフラグメントに水酸基が付加したプロダクトイオンと、同じフラグメントに二酸化窒素が付加したプロダクトイオンの組に対応する、質量差が29Daのマスピークを抽出することにより、いわゆる窒素ルールを利用して不飽和結合の位置を特定し、正確にマスピークを帰属させることができる。また、水酸基が付加してなるプロダクトイオンに比べると生成量は少ないものの、該プロダクトイオンよりも2Da小さい質量位置に酸素原子が付加してなるプロダクトイオンのピークも現れている。このプロダクトイオンと、二酸化窒素が付加してなるプロダクトイオンの質量差は31Daである。
【0046】
ヒドロキシラジカルや酸素ラジカルを、不飽和結合を有する炭化水素鎖を含む試料成分由来のプリカーサイオンに照射してプロダクトイオンスペクトルを取得し、上記のように不飽和結合の位置で解離したフラグメント由来のプロダクトイオンを検出することによって、マスピークの位置に対応する質量と、化合物データベース42に収録された情報に基づいて、試料成分に含まれる炭化水素鎖の不飽和結合の位置や炭化水素鎖の長さといった構造を推定することができる。構造推定部44は、こうした推定を行い、その結果を表示部46に表示する。
【0047】
2.不飽和結合の位置の推定(2)
図5は、上記実施例の質量分析装置1を用い、マイクロ波放電によって水蒸気と乾燥空気の混合ガス(混合ガス中の水蒸気の割合:90vol%)から生成したラジカルを、リン脂質の一種であるリゾホスファイルジルコリンLysoPC(18:1(9Z))に照射することにより取得したプロダクトイオンスペクトルである。このプロダクトイオンスペクトルには、不飽和結合の位置で解離したフラグメントに水酸基が付加してなるプロダクトイオン(スペクトル上に星印で示すマスピーク)と、不飽和結合の位置で解離したフラグメントに二酸化窒素が付加してなるプロダクトイオン(スペクトル上に四角印で示すマスピーク)が検出されている。また、
図4と同様に、水酸基が付加してなるプロダクトイオンよりも質量が2Da小さい位置に酸素原子が付加してなるプロダクトイオンも検出されている。さらに、スペクトル上に丸印で示す位置には、酸化/窒化のいずれも生じていないフラグメントのマスピークも検出されている。このフラグメントのマスピークは、水酸基が付加してなるプロダクトイオンのマスピークよりも44Da小さい質量の位置に現れることから、(1)二酸化窒素が付加してなるプロダクトイオン、(2)水酸基又は酸素原子が付加してなるプロダクトイオン、(3)フラグメントイオンという3つのマスピークで構成される組に基づいて不飽和結合の位置を推定することができる。フラグメントイオンのマスピークは、試料成分の特性によってその有無やピーク強度が異なるものの、
図5に示すような強度でフラグメントイオンのマスピークが検出されている場合には、3本のマスピークで構成される組を抽出することで、より確実に不飽和結合の位置を推定することが可能である。
【0048】
また、水酸基又は酸素原子が付加してなるプロダクトイオンや二酸化窒素が付加してなるプロダクトイオンのマスピークをより確実に特定するには、酸素の同位体(18O)の水蒸気を用いることが有効である。これにより、酸素原子が付加した断片であるプロダクトイオンについては、質量が2Da異なる2つのマスピークが現れるため、検出されたプロダクトイオンが、酸素原子が付加した断片であるか否かを容易に判別することができる。
【0049】
具体的には
図5のプロダクトイオンスペクトルでは水酸基、酸素原子、あるいは二酸化窒素のマスピークの位置が+2Daシフトする。本発明者が行った測定では、二酸化窒素が付加してなるプロダクトイオンについても+2Daのマスシフトが確認された。これは空気から酸化窒素ラジカルが生成され(これに含まれる酸素は
16O)、そこに水蒸気から生成される酸素原子(
18O)して二酸化窒素が構成されているためであると考えられる。従って、乾燥空気についても
18Oを含んだものを用いると、二酸化窒素が付加してなるプロダクトイオンのマスピークは+4Daマスシフトするものと推測される。
【0050】
また、
図5のプロダクトイオンスペクトルでは、3本のマスピークからなる組のうち、フラグメントイオンには
18Oが含まれないため、フラグメントイオンのマスピークを除く2本のマスピークにのみマスシフトが現れることになる。
【0051】
3.ラジカル種の確認
図6は、上記実施例の質量分析装置1において、試料成分由来のイオンを導入することなく、マイクロ波放電によって水蒸気と空気の混合ガスから生成したラジカルをコリジョンセル132に導入し、それらに対応するイオンを後段四重極マスフィルタ134で質量分離して、イオン検出器135で検出することにより取得したマススペクトルである。
図6に示すとおり、このマススペクトルにはNO(質量数30)、及びO
2(質量数32)のマスピークが現れている。この測定により直接検出されるのはイオンであるが、検出されたイオンと同じ組成のラジカル、即ち酸化窒素ラジカルと酸素ラジカルも同様に生成されていると考えられる。NO(一酸化窒素)ラジカルは、酸素に触れると即座に反応してNO
2(二酸化窒素)になることが知られており、酸素原子が付加したプロダクトイオンにNOラジカルが反応することによって二酸化窒素が付加したラジカルが生成されたと考えられる。
【0052】
4.不飽和結合の位置の推定(2)
図7は、イオントラップ-飛行時間型の構成を有する変形例の質量分析装置100を用いて、同図の上部に示す構造のリン脂質PC(16:0/20:4)をイオントラップ5にトラップし、真空雰囲気で水(水蒸気)を高周波放電させて生成したラジカルを、リン脂質の分子イオンであるプリカーサイオンに照射して得たプロダクトイオンスペクトルである。なお、この測定は、酸化能を有するラジカルにより炭化水素鎖に含まれる不飽和結合の位置で選択的な解離が生じること等を確認するために行ったものであり、酸化窒素ラジカルは生成及び照射していない。
【0053】
このプロダクトイオンスペクトルには、炭化水素鎖に含まれる不飽和結合の位置でプリカーサイオンが解離して生成されたフラグメントに酸素原子が付加したプロダクトイオンのマスピークが現れている。原料ガスが水蒸気であること、及びプリカーサイオンやフラグメントに酸素原子が付加したイオンに対応するマスピークが現れていることから、水蒸気の高周波放電により生成されたヒドロキシラジカル及び酸素ラジカルによって、炭化水素鎖が不飽和結合の位置で選択的に解離していることが分かる。
【0054】
この測定例では、酸素原子が付加したプロダクトイオンが生成されており、酸化能を有するラジカルが不飽和結合の位置に付着することで不飽和結合が選択的に開裂したと考えられる。従って、ヒドロキシラジカルや酸素ラジカルと同様に酸化能を有する、これら以外の種類のラジカルを用いることによっても、炭化水素鎖を不飽和結合の位置で選択的に解離することができると考えられる。
【0055】
また、
図7に示すプロダクトイオンスペクトルのピークのうち、sn-2位に結合した炭素鎖の脱離ピーク(478Da, 496Da)の強度が、sn-1位に結合した炭素鎖の脱離ピーク(544Da)の強度よりも強いことが分かる。特に、sn-2位の脱離ピーク(478Da)に対応する、sn-1位の脱離ピーク(528Da(=544Da-16Da))の脱離ピークはプロダクトイオン上に現れていないことが分かる。このような特性を用いると、リン脂質等において、炭化水素鎖がヘッドグループ等の既知の構造(あるいは構造候補)のどの位置に結合しているかを推定することができる。例えば、化合物データベース42に、炭化水素鎖の結合位置とプロダクトイオンスペクトルに現れるマスピークの相対的な強度の関係を表す情報を含めておくことにより、構造推定部44は、プロダクトイオンスペクトルから炭化水素鎖の構造を推定するだけでなく、さらに炭化水素鎖の結合位置を特定して試料成分の全体の構造を推定することが可能となる。
【0056】
上記のように、不飽和結合の位置における選択的な開裂は、不飽和結合している2つの炭素のうちの一方に酸化能を有するラジカルが付着することにより生じる。多くの場合、
図7に示したプロダクトイオンスペクトルのように、不飽和結合の開裂後、酸素原子が付加した方の断片がプロダクトイオンとして多く検出されるが、測定条件によっては酸素原子が付加していない方の断片がプロダクトイオンとして多く検出される場合がある。同じ不飽和結合の解離によって2種類のプロダクトイオンが検出されると、プロダクトイオンスペクトルに現れるマスピークの解析が難しくなる。また、炭化水素鎖の構造によっては、酸素原子が付加した断片であるプロダクトイオンの質量電荷比と、別の構造を持つ、酸素原子が付加していない断片であるプロダクトイオンの質量電荷比がほぼ同じになる場合がある。本実施例の飛行時間型質量分離部のような高分解能の質量分析装置では、イオンを小数点以下の質量電荷比のレベルで分離することができるため両者を識別可能であるが、汎用的な質量分析装置ではこれらを分離できないことがある。
【0057】
そこで、汎用的な質量分析装置を用いて測定を行う場合には、測定例2において説明したように、質量数18である酸素原子の安定同位体(18O)を含む原料ガスからヒドロキシラジカルや酸素ラジカルを生成するとよい。これにより、酸素原子が付加した断片であるプロダクトイオンについては、質量が2Da異なる2つのマスピークが現れるため、検出されたプロダクトイオンが、酸素が付加した断片であるか否かを容易に判別することができる。
【0058】
4.不飽和結合の型の推定
上記の例では、不飽和結合の開裂により生じたプロダクトイオンに着目して不飽和結合の位置を特定したが、全てのプリカーサイオンの不飽和結合が開裂するわけではなく、不飽和結合の位置にラジカルが付着しつつも開裂を生じない場合がある。その場合には、不飽和結合している2つの炭素原子の両方と酸素原子が結合し、2つの炭素原子間の結合が飽和結合に変化したプロダクトイオンが生成される。つまり、プリカーサイオンに酸素原子が付加したアダクトイオン(プリカーサアダクトイオン)がプロダクトイオンとして生成される。
【0059】
図8は、2種類の脂肪酸であるPC(18:1 trans)とPC(18:1 cis)に酸素ラジカルを1秒間、照射して得たプロダクトイオンスペクトルのうちの、プリカーサイオンの質量電荷比付近を拡大したものである。
図9の上部にPC(18:1 trans)の分子構造を、
図9の下部にPC(18:1 cis)の分子構造を、それぞれ示す。PC(18:1 trans)とPC(18:1 cis)は、不飽和結合の位置がトランス型であるかシス型であるかという点においてのみ異なり、それ以外の構造は同じである。
【0060】
図8に示す結果から、トランス型の不飽和結合を有する脂肪酸から生成されるプリカーサアダクトイオンの強度が、シス型の不飽和結合を有する脂肪酸から生成されるプリカーサアダクトイオンの強度よりも大きいことが分かる。これらについて、プリカーサアダクトイオンの強度の、プリカーサイオンの強度に対する比を求めると、前者の脂肪酸の比が後者の脂肪酸の比の約1.7倍となった。
【0061】
トランス型の不飽和結合では、不飽和結合している2つの炭素原子に結合している水素原子が、不飽和結合に対して反対側に位置している。つまり、水素原子が位置する2方向から酸素ラジカルが不飽和結合にアクセス可能である。一方、シス型の不飽和結合では、不飽和結合している2つの炭素原子に結合している水素原子が不飽和結合に対して同じ側に位置している。そのため、1方向からしか酸素ラジカルが不飽和結合にアクセスすることができない。そのため、トランス型の不飽和結合に対して酸素ラジカルが付着する反応の速度が、シス型の不飽和結合に対して酸素ラジカルが付着する反応の速度よりも速いと考えられる。そして、
図8に示す結果はこの反応速度の違いを反映したものであると考えられる。酸素ラジカルとの反応時間を変更しつつ、上記同様の測定を行ったところ、
図10に示すように、反応時間が長くなるにつれて、トランス型の不飽和結合を有するリン脂質から生成されたプリカーサアダクトイオンの検出強度のプリカーサイオンの検出強度に対する比(強度比)と、シス型の不飽和結合を有するリン脂質から生成されたプリカーサアダクトイオンの検出強度のプリカーサイオンの検出強度に対する比(強度比)、の比が小さくなっていくことが確認された。
【0062】
このように、トランス型の不飽和脂肪酸とシス型の不飽和脂肪酸では、プリカーサアダクトイオンの強度の、プリカーサイオンの強度に対する比が異なることを利用すると、両者を識別することができる。例えば、トランス型であるかシス型であるかが不明な不飽和脂肪酸について、予め標準試料を用いた測定により得られた上記強度比をデータベースに保存しておき、不飽和結合の型が不明な不飽和脂肪酸の測定から得られた上記比をデータベースに保存された比と比較することにより、不飽和結合の型を推定することができる。
【0063】
図11に、シス型の不飽和脂肪酸と、トランス型の不飽和脂肪酸を異なる比率で混合した複数の試料について、上記同様に、1秒間、酸素ラジカルを照射する測定を行って、プリカーサアダクトイオンとプリカーサイオンの強度比を求めた結果を示す。この結果からは、トランス型脂肪酸の割合が高くなるにつれて、上記強度比が線形に増加することが確認された。従って、化合物データベース42に、シス型の不飽和脂肪酸の強度比とトランス型の不飽和脂肪酸の強度比の情報を含めておくことにより、トランス型の不飽和脂肪酸とシス型の不飽和脂肪酸の両方が含まれうる未知試料の測定から得られた強度比から、該未知試料に含まれるシス型の不飽和脂肪酸とトランス型の不飽和脂肪酸の割合を推定することができる。なお、化合物データベース42に収録しておく情報は標準試料等を測定することにより取得したデータに基づくものであってもよく、あるいは計算科学的にシミュレーションから取得したデータに基づくものであってもよい。
【0064】
トランス型の不飽和脂肪酸の中には人体に悪影響を及ぼすものがあることが知られており、食品試料等にトランス型の不飽和脂肪酸が含まれているか否かを特定することは重要である。しかし、不飽和脂肪酸の型が違う以外は同一の構造を持つ2種類の成分を、液体クロマトグラフやガスクロマトグラフのカラムで分離しても、両者のカラムからの溶出時間は非常に近い(保持時間がほぼ同じである)。そのため、クロマトグラフィーにより得たクロマトグラムからトランス型の不飽和脂肪酸のピークとシス型の不飽和脂肪酸のピークを分離することは非常に困難である。上記のようにシス型の不飽和脂肪酸とトランス型の不飽和脂肪酸で、プリカーサアダクトイオンとプリカーサイオンの強度比が異なることを利用すれば、未知試料にシス型の不飽和脂肪酸とトランス型の不飽和脂肪酸のいずれが含まれているのか、あるいは両者の混合物であるのか等を判定することが可能になる。
【0065】
こうした判定は、クロマトグラフと質量分析装置を組み合わせてなるクロマトグラフ質量分析を用いると、より精確に行うことができる。上記実施例のようにイオン源101として、電子イオン化(EI: Electron Ionization)源、エレクトロスプレーイオン化(ESI: ElectroSpray Ionization)源、あるいは大気圧化学イオン化(APCI: Atmospheric Pressure Chemical Ionization)源を用い、ガスクロマトグラフや液体クロマトグラフのカラムからの溶出液をイオン化する構成のクロマトグラフ質量分析装置を好適に用いることができる。そして、シス型の不飽和脂肪酸とトランス型の不飽和脂肪酸のいずれか一方のみを含むのか、あるいはそれらの両方を含むのかが不明である未知試料をクロマトグラフのカラムで成分分離した後、イオン化し、プリカーサイオンを選別して酸化能を有するラジカルを照射する。こうして生成したプロダクトイオンを質量分離し検出する。こうした一連の測定を、クロマトグラフのカラムからシス型であるかトランス型であるかが不明な不飽和脂肪酸が溶出している時間(保持時間)中に繰り返し、実行し、1軸を時間(保持時間)、別の1軸を質量電荷比としてプロダクトイオンの強度をプロットした三次元データを得る。
【0066】
こうして得られた三次元データから、プリカーサアダクトイオンとプリカーサイオンの強度比と、その時間変化を求める。トランス型の不飽和脂肪酸と、シス型の不飽和脂肪酸の保持時間は非常に近いものの、全く同じではない。未知試料にトランス型の不飽和脂肪酸とシス型の不飽和脂肪酸の両方が含まれている場合には、例えば保持時間の最初の時間帯にはトランス型の不飽和脂肪酸のみが溶出し、徐々にシス型の不飽和脂肪酸も同時に溶出し、最後にはシス型の不飽和脂肪酸のみが溶出する。従って、上記三次元データから得られた強度比が、時間的に徐々に低くなっていく場合には、クロマトグラフのカラムからの溶出物が上記のように時間的に変化しており、未知試料にはトランス型の不飽和脂肪酸とシス型の不飽和脂肪酸の両方が含まれていると推定できる。また、プリカーサアダクトイオンとプリカーサイオンの強度比に時間変化がない場合には、トランス型の不飽和脂肪酸とシス型の不飽和脂肪酸のいずれか一方のみが含まれていると判断することができる。また、その強度比を予めデータベースに保存された強度比と比較することにより、トランス型の不飽和脂肪酸とシス型の不飽和脂肪酸のいずれであるかも推定することができる。
【0067】
上記のように不飽和結合にラジカルが付着する反応の速度は、ラジカルの温度やラジカルの量に依存する。そのため、データベースに登録されている、各種成分のプリカーサアダクトイオンとプリカーサイオンの強度比を決定した時の測定条件と、未知試料の測定時の条件が異なると、データベースに収録されている成分と同じ成分を測定しても、プリカーサアダクトイオンとプリカーサイオンの強度比がデータベースに収録された強度比と異なる可能性がある。
【0068】
そこで、実試料の測定前に、1乃至複数の標準試料を用いた測定を行うことが好ましい。実試料に含まれる成分と同じ成分を含む標準試料を使用することが可能な場合には、該標準試料の測定結果を実試料の測定結果と比較することにより、該実試料に含まれる不飽和脂肪酸がトランス型とシス型のいずれであるかを推定することが好ましい。実試料に含まれる成分と同じ成分を含む標準試料を使用することが難しい場合には、データベースに収録されている成分のいずれかを含む標準試料を用いる。そして、標準試料の測定から得られた強度比をデータベースに収録されている強度比と比較し、データベースに収録されている強度比の値を補正する。これにより、ラジカル照射条件の違いにより実試料に含まれる成分を誤って推定することを防ぐことができる。なお、上記標準試料の測定は、実試料とは別に測定する外部標準法で行ってもよく、実試料と同時に測定する内部標準法で行ってもよい。ただし、内部標準法により測定する場合には、実試料から生成されうるイオン(少なくともプリカーサイオンとプリカーサアダクトイオン)の質量電荷比と同一の質量電荷比を有するイオンを生成しない標準試料を使用する必要がある。
【0069】
プリカーサアダクトイオンとプリカーサイオンの強度比を利用してトランス型の不飽和脂肪酸とシス型の不飽和脂肪酸を推定する上記の方法は、実試料の測定から得られた強度比を比較する対象となる強度比が予め分かっていること、即ち、不飽和結合の型以外の構造が予め分かっていることを前提としている。炭化水素鎖の化学式は、後述するように還元能を有するラジカルを照射する測定から決定してもよく、それ以外の方法で決定してもよい。また、不飽和結合の数及び位置は、酸化能を有するラジカルを照射する、上記測定から決定してもよく、それ以外の方法で決定してもよい。
【0070】
上記実施例は一例であって、本発明の趣旨に沿って適宜に変更することができる。上記実施例では三連四重極型あるいはイオントラップ-飛行時間型の構成を有する質量分析装置本体2を備えた質量分析装置1としたが、それら以外の構成のものを用いることもできる。また、上記実施例では高周波プラズマ源を用いたが、その他、ホローカソードプラズマ源、又は磁場閉じ込め型プラズマ源を用いてラジカルを生成することもできる。あるいは、大気圧雰囲気でコロナ放電等によりプラズマを生成するものを用いてもよい。
【0071】
[態様]
上述した複数の例示的な実施形態は、以下の態様の具体例であることが当業者により理解される。
【0072】
(第1態様)
本発明の第1態様は、炭化水素鎖を有する試料成分由来のプリカーサイオンからプロダクトイオンを生成して質量分析する質量分析方法であって、
前記プリカーサイオンに対して、酸素ラジカル又はヒドロキシラジカルと、酸化窒素ラジカルとを照射してプロダクトイオンを生成し、
前記プロダクトイオンを質量電荷比に応じて分離して検出し、
前記検出されたプロダクトイオンの質量電荷比に基づいて前記炭化水素鎖の構造を推定する
ものである。
【0073】
(第2態様)
本発明の第2態様は、炭化水素鎖を有する試料成分由来のプリカーサイオンからプロダクトイオンを生成して質量分析する質量分析装置であって、
前記プリカーサイオンが導入される反応室と、
酸素ラジカル又はヒドロキシラジカルと、酸化窒素ラジカルとを生成するラジカル生成部と、
前記反応室に導入されたプリカーサイオンに対して、前記酸素ラジカル又はヒドロキシラジカルと、前記酸化窒素ラジカルとを照射するラジカル照射部と、
前記酸素ラジカル又はヒドロキシラジカルとの反応、及び前記酸化窒素ラジカルとの反応により前記プリカーサイオンから生成されたプロダクトイオンを質量電荷比に応じて分離し検出する分離検出部と
を備える。
【0074】
上記第1態様の質量分析方法及び第2態様の質量分析装置は、上記の先願発明を改良したものであり、不飽和結合を含む炭化水素鎖を有する試料由来のプリカーサイオンに対し、酸素ラジカル及び酸化窒素ラジカルを照射する。これは、本発明者が、不飽和結合を含む炭化水素鎖を有する試料由来のプリカーサイオンに対して酸化窒素ラジカルを照射すると、該プリカーサイオンが不飽和結合の位置で解離して生じたフラグメントに二酸化窒素(NO2)が付加してなるプロダクトイオンが生成されることを見いだしたことに基づく。つまり、不飽和結合を含む炭化水素鎖を有する試料由来のプリカーサイオンに対して酸素ラジカルと酸化窒素ラジカルを照射すると、該プリカーサイオンが不飽和結合の位置で解離して生じたフラグメントに酸素原子が付加してなるプロダクトイオンと、該フラグメントに二酸化窒素が付加してなるプロダクトイオンの両方が生成される。これらのプロダクトイオンは特定の質量差(29Da)を持つことから、その要件を満たすマスピークの対を抽出することにより、不飽和結合の位置で解離することにより生成されたプロダクトイオンを特定し、その質量から不飽和結合の位置を簡便かつ高い精度で推定することができる。また、上記第1態様の質量分析方法及び第2態様の質量分析装置では、精密質量を確認する必要がないため、質量分解能や質量精度が高い質量分析装置を用いる必要もない。
【0075】
(第3態様)
本発明の第3態様に係る質量分析装置は、上記第2態様の質量分析装置において、
さらに、
前記検出されたプロダクトイオンのうち、質量差が29Da又は31Daであるプロダクトイオンの組を抽出して前記炭化水素鎖に含まれる不飽和結合の位置を推定する構造推定部
を備える。
【0076】
上記第3態様の質量分析装置では、使用者の手を煩わせることなく、炭化水素鎖に含まれる不飽和結合の位置を推定することができる。
【0077】
(第4態様)
本発明の第4態様に係る質量分析装置は、上記第3態様の質量分析装置において、
前記試料成分が、炭化水素鎖に構造又は構造候補が既知である物質が結合してなるものであり、さらに、
前記構造又は構造候補に関する情報が収録された化合物データベース
を備え、
前記構造推定部が、前記検出されたプロダクトイオンの質量電荷比と、前記化合物データベースに収録された前記構造又は構造候補に関する情報に基づいて前記試料成分の構造を推定する。
【0078】
上記第4態様の質量分析装置では、使用者の手を煩わすことなく試料成分の構造を推定することができる。
【0079】
(第5態様)
本発明の第5態様に係る質量分析装置は、上記第3態様又は第4態様の質量分析装置において、
前記構造推定部が、前記プリカーサイオンの強度に対する、該プリカーサイオンに酸素原子が付加したアダクトイオンであるプロダクトイオンの強度の比に基づいて、前記試料成分が有する炭化水素鎖に含まれる不飽和結合の型を推定する。
【0080】
上記第5態様の質量分析装置では、試料成分が有する炭化水素鎖に含まれる不飽和結合の型を推定することができる。
【0081】
(第6態様)
本発明の第6態様に係る質量分析装置は、上記第5態様の質量分析装置において、
さらに、
前記試料成分に含まれる炭化水素鎖の候補である複数の成分に関する前記比の情報を集録した化合物データベース
を備え、
前記構造推定部が、前記試料成分の測定により得られた前記比を前記化合物データベースに収録された比と比較することにより前記試料成分が有する炭化水素鎖に含まれる不飽和結合の型を推定する。
【0082】
上記第6態様の質量分析装置では、使用者の手を煩わすことなく試料成分が有する炭化水素鎖に含まれる不飽和結合の型を推定することができる。
【0083】
(第7態様)
本発明の第7態様に係る質量分析装置は、上記第6態様の質量分析装置において、
前記化合物データベースに、前記不飽和結合の型以外が共通であるシス型とトランス型の成分の両方に関する前記比の情報が保存されており、
前記構造推定部が、前記試料成分の測定により得られた前記比を前記データベースに収録された比と比較することにより、前記試料成分に含まれる、シス型の不飽和結合を有する成分とトランス型の不飽和結合を有する成分の割合を推定する。
【0084】
上記第7態様の質量分析装置では、使用者の手を煩わすことなく試料成分に含まれる、シス型の不飽和結合を有する成分とトランス型の不飽和結合を有する成分の割合を推定することができる。
【0085】
(第8態様)
本発明の第8態様に係る質量分析装置は、上記第2態様から第7態様のいずれかの質量分析装置において、
前記ラジカル生成部が、水蒸気、窒素ガス、及び空気のうちの少なくとも1種類を含む原料ガスから前記酸素ラジカル及び前記酸化窒素ラジカルを生成する。
【0086】
上記第8態様の質量分析装置において使用するガスはいずれも取り扱いが容易であり、また安全かつ安価に測定を行うことができる。
【0087】
(第9態様)
本発明の第9態様に係る質量分析装置は、上記第2態様から第8態様のいずれかの質量分析装置において、
前記ラジカル生成部が、
ラジカル生成室と、
前記ラジカル生成室を排気する真空排気部と、
前記ラジカル生成室に原料ガスを導入する原料ガス供給源と、
前記ラジカル生成室で真空放電を生じさせる真空放電部と
を備える。
【0088】
(第10態様)
本発明の第10態様に係る質量分析装置は、上記第9態様の質量分析装置において、
前記真空放電部が、高周波プラズマ源、ホローカソードプラズマ源、又は磁場閉じ込め型プラズマ源である。
【0089】
質量分析装置でプリカーサイオンを選別する質量分離部やプリカーサイオンの解離により生じたフラグメントイオンを質量分離する質量分離部は高真空空間に配置されるため、それらの間に大気圧空間を配置しようとすると、その前後に大型の真空ポンプを配置しなければならず装置が大型化し、また高価になってしまう。さらに、大気圧下で生成されるラジカルは周辺のガスやラジカルと衝突して再結合等により消失しやすく、ラジカルの利用効率が悪いという問題もある。上記第9態様や第10態様の質量分析装置では高周波プラズマ源やホローカソードプラズマ源のような真空放電部を用いるため、イオン分析装置内に大気圧空間を設ける必要がなく、これらの問題は生じない。
【0090】
(第11態様)
本発明の第11態様に係る質量分析装置は、上記第2態様から第10態様のいずれかの質量分析装置において、
前記質量分析装置が前段四重極マスフィルタ及び後段四重極マスフィルタを備えており、前記反応室が該前段四重極マスフィルタと該後段四重極マスフィルタの間に設けられたコリジョンセルである。
【0091】
上記第11態様の質量分析装置の構成は、いわゆる三連四重極型の質量分析装置であり、これを用いることによりイオントラップ-飛行時間型の質量分析装置に比べて安価に測定を実施することができる。
【符号の説明】
【0092】
1、100…質量分析装置
2…質量分析装置本体
10…イオン化室
101、102…イオン源
11…第1中間真空室
111…イオンレンズ
12…第2中間真空室
121…イオンガイド
13…分析室
131…前段四重極マスフィルタ
132…コリジョンセル
133…多重極イオンガイド
134…後段四重極マスフィルタ
135…イオン検出器
3…ラジカル生成・照射部
31…ラジカル生成室
33…高周波プラズマ源
331…マイクロ波供給源
332…スリースタブチューナー
34…ノズル
341…接地電極
342…トーチ
343…ニードル電極
344…コネクタ
351…第1原料ガス供給源
352…第2原料ガス供給源
361、362…バルブ
38…輸送管
381…ヘッド部
39…スキマー
4…制御・処理部
41…記憶部
42…化合物データベース
43…スペクトル作成部
44…構造推定部
45…入力部
46…表示部
5…イオントラップ
51…リング電極
52…入口側エンドキャップ電極
53…イオン導入孔
54…ノズル
54…出口側エンドキャップ電極
55…イオン射出孔
56…ラジカル導入口
57…ラジカル排出口
58…セラミックヒータ
59…トラップ電圧発生部
6…不活性ガス供給部
61…ガス供給源
62…バルブ
63…ガス導入管
64…ガス導入管ヒータ
70…機器制御部
71…ヒータ電源部
81…飛行時間型質量分離部
82…イオン検出器
C…イオン光軸