(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2022-09-15
(45)【発行日】2022-09-27
(54)【発明の名称】神経伸長促進剤
(51)【国際特許分類】
A61K 31/198 20060101AFI20220916BHJP
A61P 25/28 20060101ALI20220916BHJP
【FI】
A61K31/198
A61P25/28
(21)【出願番号】P 2018102184
(22)【出願日】2018-05-29
【審査請求日】2021-01-20
(31)【優先権主張番号】P 2017112016
(32)【優先日】2017-06-06
(33)【優先権主張国・地域又は機関】JP
(73)【特許権者】
【識別番号】500523087
【氏名又は名称】株式会社らいむ
(73)【特許権者】
【識別番号】520223103
【氏名又は名称】田井 章博
(74)【代理人】
【識別番号】110000109
【氏名又は名称】特許業務法人特許事務所サイクス
(72)【発明者】
【氏名】田井 章博
(72)【発明者】
【氏名】古賀 武尊
(72)【発明者】
【氏名】若山 祥夫
【審査官】六笠 紀子
(56)【参考文献】
【文献】特開2016-210720(JP,A)
【文献】国際公開第2018/047980(WO,A1)
【文献】特表2015-535241(JP,A)
【文献】特開平02-076813(JP,A)
【文献】特開昭54-089014(JP,A)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
A61K 31/198
JSTPlus/JMEDPlus/JST7580(JDreamIII)
CAplus/REGISTRY/MEDLINE/EMBASE/BIOSIS(STN)
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
アミノ基の水素原子が
炭素数2~6のアシル基で置換されていてもよい
遊離バリンを含有するが、
遊離ロイシンを含有しない神経伸長促進剤。
【請求項2】
さらに、アミノ基の水素原子が
炭素数2~6のアシル基で置換されていてもよい
遊離メチオニンを含有する請求項1に記載の神経伸長促進剤。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、神経伸長促進剤に関する。
【背景技術】
【0002】
ヒトの脳における情報伝達は、神経細胞がシナプスを介して網の目状に接合したネットワークにより行われている。ところが、成人ではその神経細胞が毎日10万個以上消失し、これがアルツハイマー型認知症などの中枢神経系疾患の一因になっていると言われている。このため、この種の疾患の原因を究明し、治療法や予防法を確立することが必要とされている。
【0003】
アルツハイマー型認知症の原因はいまだ完全に解明されていないが、原因物質がβアミロイドであるという仮説が有力視されている。βアミロイドが脳内で凝集するとアミロイド斑として沈着し、その後に神経細胞が死滅する。このため、これまでの研究は、βアミロイド産生酵素であるβ-セクレターゼやγ-セクレターゼに対する阻害薬を提案したり、アミロイドなどの抗原や抗体を用いた免疫療法を提案したりするものが多かった。しかし、これらの阻害薬や療法では十分な効果が得られなかったり、副作用があったりするといった問題があることが指摘されていた。
【0004】
一方、神経栄養因子をアルツハイマー病の治療薬として応用する検討もなされている。神経栄養因子(ニューロトロフィン)とは神経細胞の生存、分化、再生を促進させる物質の総称であり、様々な栄養因子が同定されている(例えば、非特許文献1参照。)。中でも神経成長因子(nerve growth factor,NGF)は、アルツハイマー病の病態に関連する前脳基底核コリン作動性神経細胞(basal fore-brain cholinergic neuron;BFCN)に対するニューロトロフィンであることから注目され、その研究が盛んに行われている(例えば、非特許文献2、3参照。)。すなわち、アルツハイマー病は、病因が不明で有効な治療手段を持たない痴呆疾患であるが、その患者の脳ではBFCNに顕著な障害(細胞数の減少、細胞体の萎縮、神経突起の変性)が起きていることが知られている。そして、BFCNは記憶や学習能に関連する神経路であり、アルツハイマー病の痴呆病態はこの神経路の障害とよく一致している。そのためアルツハイマー病の病因の1つとしてNGFの欠乏が考えられるようになっており、また、神経栄養因子をアルツハイマー病の治療薬として応用する試みもなされている。たとえば、BFCNの死を誘発するようにしたモデル動物にNGFを投与すると神経細胞死が抑制されるという結果がでている(例えば、非特許文献4、5参照。)。また、軽度認知機能障害(MCI)患者や初期のアルツハイマー病患者において、前脳基底部のNGF受容体(TrkA)免疫陽性細胞数は認知機能テストの成績と相関することが報告されている(非特許文献6参照。)
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0005】
【文献】Drug News Perspect, 15, 290-298 (2002)
【文献】The EMBO Journal, 4, 1389, (1985)
【文献】Reviews of Physiology, Biochemistry and Pharmacology, 109, 145 (1987)
【文献】Neurobiology of Aging, 9, 689-690 (1988)
【文献】Journal of Neuroscience, 5, 866 (1985)
【文献】Journal of Comparative Neurology, 427, 19-30 (2000)
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
上記のように、NGFをアルツハイマー病の治療薬として応用する試みがなされている。しかしながら、NGFは高分子のタンパク質であり、消化管内でタンパク質分解酵素により分解されるため、経口で摂取しても脳に到達しない。また、静脈内投与しても血液脳関門を通過できないため、脳に到達しない。そのため、NGFを外部から投与して、その神経分化促進作用や神経成長作用を脳で発現させるためには、脳実質内あるいは脳室内へNGFを直接的に投与するしかなく、患者の負担が大きいという問題がある。
【0007】
そこで本発明者らは、このような従来技術の課題を解決するために、神経分化促進作用と神経突起形成作用を有し、活性成分が消化酵素による分解を受けにくく、血液脳関門を通過できる薬剤を提供することを課題として検討を進めた。
【課題を解決するための手段】
【0008】
上記の課題を解決するために本発明者らが、生理活性と耐酵素性が期待できる低分子化合物としてアミノ酸に着目し、それらの神経細胞に対する作用を調べたところ、特に、バリンにおいて、神経突起の形成および神経分化を促進する作用が認められ、神経伸長促進剤として有用であることを見出した。本発明は、こうした知見に基づいて提案されたものであり、具体的に以下の構成を有する。
【0009】
[1] アミノ基の水素原子が置換基で置換されていてもよいバリンを含有する神経伸長促進剤。
[2] さらに、アミノ基の水素原子が置換基で置換されていてもよいメチオニンを含有する[1]に記載の神経伸長促進剤。
【発明の効果】
【0010】
本発明で用いるバリンは、神経突起を形成する作用と幹細胞の神経細胞への分化を促進する作用を有し、神経伸長促進剤として有用である。また、バリンは低分子化合物であるため、消化酵素による分解を受けにくく、血液脳関門を通過できる。そのため、バリンを含有する神経伸長促進剤は、例えば経口で摂取された場合でも、バリンが構造を維持したまま脳内に到達し、脳内においてその活性を発現しうる。
【図面の簡単な説明】
【0011】
【
図1】PC12細胞における神経突起形成率のBt
2cAMP濃度依存性を示すグラフである。
【
図2】Bt
2cAMPを添加したPC12細胞のRPMI-1640培地に、L-バリン溶液、L-ロイシン溶液、L-イソロイシン溶液をそれぞれ0.02μg/mLまたは0.2μg/mLで添加して培養したときの神経突起形成率を示すグラフである。
【
図3】Bt
2cAMPを添加したPC12細胞のNutrient Mixture F-12 Ham培地に、L-バリン溶液、L-ロイシン溶液、L-イソロイシン溶液をそれぞれ0.02μg/mLで添加して培養したときの神経突起形成率を示すグラフである。
【
図4】Bt
2cAMPを添加したPC12細胞のRPMI-1640培地に、L-バリン溶液、N-アセチル-L-バリン溶液をそれぞれ0.2μMまたは2μMで添加して培養したときの神経突起形成率を示すグラフである。
【
図5】Bt
2cAMPを添加したPC12細胞のRPMI-1640培地に、L-メチオニン溶液、D-メチオニン溶液をそれぞれ0.2μM、2μMまたは20μMで添加して培養したときの神経突起形成率を示すグラフである。
【
図6】Bt
2cAMPを添加したPC12細胞のRPMI-1640培地に、L-バリン溶液、L-メチオニン溶液、L-バリンとL-メチオニンの混合物の溶液をそれぞれ0.2μMで添加して培養したときの神経突起形成率を示すグラフである。
【
図7】NGFおよびL-バリンを培地に添加せずに培養したPC12細胞(比較標本1)、NGFを培地に添加して培養したPC12細胞(比較標本2)、NGFおよびL-バリンを培地に添加して培養したPC12細胞(標本1)の位相コントラスト写真および蛍光染色画像である。
【発明を実施するための形態】
【0012】
以下において、本発明について詳細に説明する。以下に記載する構成要件の説明は、代表的な実施形態や具体例に基づいてなされることがあるが、本発明はそのような実施形態に限定されるものではない。なお、本明細書において「~」を用いて表される数値範囲は「~」前後に記載される数値を下限値及び上限値として含む範囲を意味する。
【0013】
本発明の神経伸長促進剤は、アミノ基の水素原子が置換基で置換されていてもよいバリンを含有する点に特徴がある。以下の説明では、アミノ基の水素原子が置換基で置換されたバリンを「N置換バリン」といい、N置換バリンと無置換のバリンを総称して「N置換もしくは無置換のバリン」ということがある。
バリンは、下記式で表される化合物であり、α位の炭素にアミノ基が結合したα-アミノ酸であって、分枝構造を有する分岐鎖アミノ酸(BCAA)である。
【0014】
【0015】
バリンは、ヒトの必須アミノ酸の1つであり、生体内においてエネルギー源として利用されるとともに、骨格筋のタンパク質合成を促進し、タンパク質分解を抑制する作用を有することが知られている。一方、本発明者らがバリンの生理活性をさらに検討したところ、幹細胞の神経細胞への分化を促進する作用(神経分化促進作用)と神経突起を形成する作用(神経突起形成作用)が認められ、バリンが神経伸長促進剤として優れた機能を発揮することを明らかにした。また、ヒトの消化酵素には、大別して炭水化物分解酵素、タンパク質分解酵素、脂肪分解酵素が存在するが、バリンは、いずれの酵素の分解も受けず、そのままの構造で腸管から吸収される。また、腸管から吸収され、血中に入ったバリンは血液脳関門を通過できる。そのため、バリンを含有する神経伸長促進剤は、例えば経口で摂取された場合でも、バリンが構造を維持したまま脳内に到達し、脳内においてその活性を効果的に発現しうる。
【0016】
本発明で用いるN置換もしくは無置換のバリンは、遊離アミノ酸であることが好ましい。バリンがタンパク質やペプチドの構成単位として存在する場合、そのアミノ基が他のアミノ酸のカルボキシ基と脱水縮合してペプチド結合を形成し、そのカルボキシ基がさらに他のアミノ酸のアミノ基と脱水縮合してペプチド結合を形成したかたちで存在する。
N置換もしくは無置換のバリンは、L体であってもD体であってもよく、L体とD体の混合物として神経伸長促進剤に含有されていてもよいが、神経伸長促進剤が含むN置換もしくは無置換のバリン全量の50mol%超がL体であることが好ましく、70mol%超がL体であることがより好ましく、80mol%超がL体であることがさらに好ましく、神経伸長促進剤が含む全てのN置換もしくは無置換のバリンがL体であることが最も好ましい。
【0017】
本発明で用いるN置換もしくは無置換のバリンは、合成されたものであってもよいし、天然物から抽出されたものであってもよい。バリンの合成法として、α-ブロモイソ吉草酸にアンモニアを作用させる方法、ストレッカー反応を用いた合成法、微生物を用いたアミノ酸発酵による合成法を挙げることができる。また、天然物からのバリンの抽出は、機械的な天然物の小片化やホモジネート、酵素や酸、塩基による加水分解、各種分離精製法等を用いて行うことができる。
【0018】
また、本発明におけるN置換バリンにおいて、置換基で置換されているのは、アミノ基を構成する2つの水素原子のうちの1つであっても2つであってもよいが、1つであることが好ましい。アミノ基の2つの水素原子が置換基で置換されているとき、その2つの置換基は互いに同一であっても異なっていてもよい。置換基の種類は特に限定されないが、例えばアルキル基、アシル基を挙げることができる。アルキル基は、その炭素数が1~10であることが好ましく、1~6であることがより好ましく、例えば1~3の範囲内から選択することができる。アシル基は、その炭素数が2~10であることが好ましく、2~6であることがより好ましく、例えば1~3の範囲内から選択することができ、アセチル基等を採用することが可能である。
以下において、アミノ基の水素原子が置換基で置換されたバリン(N置換バリン)の具体例を例示する。ただし、本発明において用いることができるN置換バリンはこの具体例によって限定的に解釈されるべきものではない。
【0019】
【0020】
本発明の神経伸長促進剤におけるバリンは、無置換のバリンのみから構成されていてもよいし、N置換バリンのみから構成されていてもよいし、無置換のバリンとN置換バリンの両方を含んでいてもよい。神経伸長促進剤がN置換バリンを含有する場合、そのN置換バリンは全て同一であってもよいし、2種類以上の組み合わせであってもよい。
【0021】
本発明の神経伸長促進剤は、N置換もしくは無置換のバリンのみから構成されていてもよいし、N置換もしくは無置換のバリン以外の成分(他の成分)を含んでいてもよい。神経伸長促進剤に用いうる他の成分の好ましい例として、メチオニンを挙げることができる。N置換もしくは無置換のバリンとメチオニンを組み合わせて用いることにより、N置換もしくは無置換のバリンのみを用いる場合に比べて神経伸長促進作用を増強することができる。メチオニンは、下記式で表される化合物であり、L体であってもD体であってもよく、L体とD体の混合物として神経伸長促進剤に含有されてもよい。
【0022】
【0023】
また、N置換もしくは無置換のバリンと組み合わせて用いるメチオニンは、アミノ基の水素原子が置換基で置換されたものであってもよいが、神経伸長促進作用を増強させる点からは、無置換であることが好ましく、無置換のメチオニンと無置換のバリンを組み合わせて用いることがより好ましい。ここで、アミノ基が置換基で置換されたメチオニン(以下、「N置換メチオニン」ということがある)において、置換基で置換されているのは、アミノ基を構成する2つの水素原子のうち1つであっても2つであってもよいが、1つであることが好ましい。アミノ基の2つの水素原子が置換基で置換されているとき、その2つの置換基は互いに同一であっても異なっていてもよい。置換基の好ましい範囲と具体例については、上記のN置換バリンにおける、アミノ基の水素原子と置換する置換基の好ましい範囲と具体例を参照することができる。
以下において、アミノ基の水素原子が置換基で置換されたメチオニン(N置換メチオニン)の具体例を例示する。ただし、本発明において用いることができるN置換メチオニンはこの具体例によって限定的に解釈されるべきものではない。
【0024】
【0025】
本発明の神経伸長促進剤がバリンとメチオニン(いずれも、アミノ基の水素原子が置換基で置換されていてもよい)を含有する場合、バリンの含有率はバリンとメチオニンの合計量に対して1重量%以上であることが好ましく、10重量%以上であることがより好ましく、30重量%以上であることがさらに好ましい。また、99重量%以下であることが好ましく、90重量%以下であることがより好ましく、70重量%以下であることがさらに好ましい。
【0026】
また、本発明の神経伸長促進剤では、例えば、N置換もしくは無置換のバリンが天然物から抽出されたものである場合には、N置換もしくは無置換のバリン以外に、その天然物由来の成分を含んでいてもよい。また、本発明の神経伸長促進剤には、N置換もしくは無置換のバリン以外にも、さまざまな成分を含有させることができる。例えば、神経伸長促進剤に賦形剤を含有させた場合には、成型が容易になるとともに、N置換もしくは無置換のバリンの含有量を変えずに神経伸長促進剤を増量させ、取り扱い性を改善することができる。賦形剤としては、特に限定されないが、デキストリンが好適である。賦形剤による希釈倍率は、質量比で2~10倍であることが好ましく、2~7倍であることがより好ましく、3~5倍であることがさらに好ましい。
また、神経伸長促進剤が、N置換もしくは無置換のバリン以外の成分を含む場合、神経伸長促進剤におけるN置換もしくは無置換のバリンの含有量は、神経伸長促進剤の全質量に対して0.01質量%以上であることが好ましく、0.1質量%以上であることがより好ましく、1質量%以上であることがさらに好ましい。また、例えば50質量%以上、90質量%以上、99質量%以上とすることもできる。
【0027】
本発明の神経伸長促進剤は、幹細胞の神経細胞への分化を促進する作用(神経分化促進作用)と、神経細胞に神経突起を形成する作用(神経突起形成作用)を有し、特にジブチリルcAMP(Bt2cAMP:Dibutyryladenosine 3',5'-cyclic monophosphate)により誘導される神経突起の形成、および、神経成長因子(NGF)により誘導される神経分化を効果的に促進することができる。
このため、本発明の神経伸長促進剤は、経口で摂取され、その成分が腸管から吸収された場合には、末梢、中枢に関わらず到達した神経系において幹細胞の神経細胞への分化、神経突起の形成を効果的に促進し、神経突起の変性または損傷により損なわれた神経回路の再構築に寄与する。これにより、神経変性疾患や神経損傷に起因する認知機能や運動機能の障害を効果的に軽減することができる。ここで、本発明の神経伸長促進剤は、生体成分であるバリンやバリン誘導体であるN置換バリンを用いているため安全性が高く、また、バリンおよび多くのN置換バリンは消化酵素による分解を受けないため、経口で摂取する内服剤として使用し易いという利点がある。
また、本発明の神経伸長促進剤は、培地で培養している幹細胞の神経細胞への分化を促進する作用を有する。このため、本発明の神経伸長促進剤は、iPS細胞等の多能性幹細胞や神経前駆細胞を利用する再生医療の分野において、それら幹細胞の神経細胞への分化を促進する分化促進剤としても効果的に用いることができる。これにより、幹細胞からの神経細胞の生産を効率よく行うことが可能となり、再生医療に関連する各種産業の生産効率向上およびコスト削減に大いに貢献することができる。
【0028】
本発明の神経伸長促進剤の使用量は、対象とする障害によっても異なるが、例えば以下の使用量で用いることが好ましい。
例えば本発明の神経伸長促進剤を内服薬として経口投与する場合、その投与量は80~2000mg/成人標準体重/日であることが好ましく、1日に2~3回に分けて投与することが適当である。
また、本発明の神経伸長促進剤を、多能性幹細胞や神経前駆細胞を培養する培地に添加する場合、その添加量は、全量に対する質量比率で0.1質量%以上であることが好ましく、0.2質量%以上であることがより好ましく、0.2~1.0質量%であることがさらに好ましい。また、N置換もしくは無置換のバリンとしての添加量は、乾燥重量で0.03質量%以上であることが好ましく、0.05質量%以上であることがより好ましく、0.05~0.25質量%であることがさらに好ましい。
【0029】
[神経伸長促進剤の用途]
上記のように、本発明の神経伸長促進剤は、神経伸長促進作用を有するとともに、多能性幹細胞や神経前駆細胞のような幹細胞の神経細胞への分化を促進する作用を有する。
このため、本発明の神経伸長促進剤は、ヒト等の動物に投与して、その神経変性疾患や神経損傷に起因する機能障害を軽減する内服剤として効果的に用いることができる。内服剤としての神経伸長促進剤には、必要に応じて、上記の分解生成物や賦形剤以外にも、さまざまな成分を含有させることができる。例えば、ビタミン、野菜粉末、ミネラル、酵母エキス、着色剤、増粘剤などを必要に応じて含有させることができる。これらの成分の種類は特に制限されず、含有量は目的とする機能を十分に発揮させることができる範囲内で適宜調節することができる。
また、本発明の神経伸長促進剤は、iPS細胞等の多能性幹細胞や神経前駆細胞を利用する再生医療の分野において、培地や細胞の希釈液に添加して、これら幹細胞の神経細胞への分化を促進する分化促進剤として好適に用いることができる。神経伸長促進剤を添加する培地は、液体(ブイヨン)培地、半流動培地、固形(寒天)培地のいずれであってもよく、その組成も特に制限されない。また、希釈液についても、生理食塩水等、細胞の希釈液として通常用いられているものの、いずれにも適用可能である。
【実施例】
【0030】
以下に実施例を挙げて本発明をさらに具体的に説明する。以下の実施例に示す材料、割合、操作等は、本発明の趣旨を逸脱しない限り適宜変更することができる。したがって、本発明の範囲は以下に示す具体例により限定的に解釈されるべきものではない。
【0031】
[神経伸長促進剤の溶液の調製]
以下のようにして、L-バリン(神経伸長促進剤1)の溶液と、L-ロイシン溶液およびL-イソロイシン溶液を調製した。各アミノ酸の構造を下記に示す。下記式に示すように、L-ロイシンおよびL-イソロイシンは、L-バリンと同様に分枝構造を有する分岐鎖アミノ酸である。
【0032】
【0033】
(調製例1) RPMI-1640を用いたL-バリン溶液の調製
L-バリンを培地(シグマアルドリッチ社製,RPMI-1640)に溶解して0.4μg/mLのL-バリン溶液および4μg/mLのL-バリン溶液を調製した。
【0034】
(調製例2) Nutrient Mixture F-12 Hamを用いたL-バリン溶液の調製
L-バリンを培地(シグマアルドリッチ社製,Nutrient Mixture F-12 Ham)に溶解して0.4μg/mLのL-バリン溶液を調製した。
【0035】
(比較調製例1) RPMI-1640を用いたL-ロイシン溶液、L-イソロイシン溶液の調製
L-バリンの代わりに、L-ロイシンまたはL-イソロイシンを用いること以外は、調製例1と同様にして0.4μg/mLのL-ロイシン溶液および4μg/mLのL-ロイシン溶液、並びに、0.4μg/mLのL-イソロイシン溶液および4μg/mLのL-イソロイシン溶液を調製した。
【0036】
(比較調製例2) Nutrient Mixture F-12 Hamを用いたL-ロイシン溶液、L-イソロイシン溶液の調製
L-バリンの代わりに、L-ロイシンまたはL-イソロイシンを用いること以外は、調製例1と同様にして0.4μg/mLのL-ロイシン溶液および0.4μg/mLのL-イソロイシン溶液を調製した。
【0037】
[神経突起形成作用および神経分化促進作用の評価]
理化学研究所バイオリソースセンターより入手した、ラット副腎髄質褐色細胞腫由来PC12細胞をモデルに用い、各調製例で調製したL-バリン溶液の神経突起形成作用および神経分化促進作用を評価した。PC12細胞は、Bt2cAMP(Dibutyryladenosine 3',5'-cyclic monophosphate)やNGFを作用させると、増殖を停止して神経繊維を伸長し、交感神経節ニューロン様の樹状突起を伸ばすことが知られている。ここでは、このBt2cAMP誘導性の神経突起形成プロセスおよびNGF誘導性の神経分化プロセスにL-バリンを導入し、その神経突起形成作用および神経分化促進作用を評価するとともに、L-ロイシンおよびL-イソロイシンの作用と比較した。
ここで、PC12細胞は、10%ウマ血清(非働化済)、5%ウシ胎児血清(非働化済)、100U/mLのペニシリンGおよび100μg/mLのストレプトマイシンを含有するRPMI-1640培地を用い、5%CO2気相下で、37℃のインキュベーターにより培養し、70%程度にコンフルエントになった細胞を基本培地で剥離し、実験に使用した。以下では、このPC12細胞の培養に使用した培地と同組成の培地を「基本培地」という。
【0038】
(a)培地に添加するBt
2cAMPの濃度の検討
予備実験として、下記の実験(b)で培地に添加するBt
2cAMPの適正濃度を検討した。
まず、PC12細胞を基本培地中に浮遊させ、単一細胞となるようによく懸濁した。このPC12細胞の懸濁液を、コラーゲンコート済みの96ウェルプレートに4.0x10
3cells/95μL/wellで播種し、5%CO
2気相下、37℃で24時間培養した。培養後、Bt
2cAMPを5mM、10mM、20mMまたは25mMで含有する各種ダルベッコPBS(-)(ダルベッコリン酸緩衝生理食塩水(Ca、Mg不含))を、Bt
2cAMP濃度が0.25mM、0.5mM、1.0mMまたは1.25mMとなるように、各ウェル内の培地に5μLずつ添加し、さらに24時間培養した。培養後、各ウェル内の培地を除去し、1%グルタルアルデヒドを含有するリン酸緩衝液(0.1M、pH7.2)を各ウェル内に100μLずつ分注して20分間静置し、細胞を固定した。続いて、グルタルアルデヒドを含有するリン酸緩衝液を各ウェル内から除去し、ギムザ染色液を100μLずつ分注し、2~3分間静置して染色を行った。染色後、ギムザ染色液を各ウェル内から除去し、染色したウェル内のサンプルを超純水で2回洗浄した後、乾燥させた。
以上の処理を経た各ウェル内のサンプルを顕微鏡で観察し、細胞体の長径の2倍以上の長さで神経突起が形成されている細胞を陽性と判定し、全細胞数(陽性または陰性の判定を行った全細胞数)に対する陽性細胞数の百分率を神経突起形成率として求めた。ここで、陽性または陰性の判定は、1ウェル当たり300~400個の細胞について行った。
また、Bt
2cAMPを含有するダルベッコPBS(-)の代わりに、Bt
2cAMPを含有していないダルベッコPBS(-)をウェル内の培地に5μL添加したこと以外は同様にして、培養、グルタルアルデヒドによる固定、ギムザ染色を行い、染色後のサンプルを観察して神経突起形成率を求めた。
神経突起形成率のBt
2cAMP濃度依存性を
図1に示す。なお、
図1における神経突起形成率は±SDで示しており、SDは同様にして行った3回の実験の標準偏差である。下記の実験(b)で測定した
図2、3、4の神経突起形成率の表示もこれと同じである。
図1から示されるように、神経突起形成率は、培地のBt
2cAMP濃度が1.0mMであるとき、19.5%と最大値になった。下記の実験(b)では、Bt
2cAMPを神経突起形成のための誘導剤として使用するため、神経突起形成率が最大になる濃度(1.0mM)の1/2の濃度(0.5mM)を培地のBt
2cAMP濃度として採用することとした。
【0039】
(b)Bt
2cAMP誘導性神経突起形成に対する作用の評価
上記の予備実験と同様にして、PC12細胞の懸濁液をコラーゲンコート済みの96ウェルプレートに4.0x10
3cells/90μL/wellで播種し、5%CO
2気相下、37℃で24時間培養した。培養後、10mMのBt
2cAMPを含有するダルベッコPBS(-)と、調製例1または調製例2で調製したL-バリン溶液をそれぞれ5μLずつ各ウェル内に添加し、さらに24時間培養した。このとき、各ウェル内の培地におけるBt
2cAMP濃度はそれぞれ0.5mMである。その後、上記の予備実験と同様にして、グルタルアルデヒドによる細胞固定およびギムザ染色を行い、染色後のサンプルを観察して神経突起形成率を求めた。
また、L-バリン溶液の代わりに、比較調製例1、2で調製したL-ロイシン溶液、L-イソロイシン溶液、RPMI-1640培地、Nutrient Mixture F-12 Ham培地を各ウェル内の培地にそれぞれ5μLずつ添加すること以外は同様にして、培養、グルタルアルデヒドによる細胞固定およびギムザ染色を行い、染色後のサンプルを観察して神経突起形成率を求めた。
各サンプルの神経突起形成率をRPMI-1640培地またはNutrient Mixture F-12 Ham培地に添加したアミノ酸濃度に対してプロットしたグラフを
図2、
図3に示す。
図2は調製例1、比較調製例1で調製した溶液(各分岐鎖アミノ酸をRPMI-1640培地に溶解して調製した溶液)を用いた場合のグラフであり、
図3は調製例2、比較調製例2で調製した溶液(各分岐鎖アミノ酸をNutrient Mixture F-12 Ham培地に溶解して調製した溶液)を用いた場合のグラフである。
図2、3から、培地に微量のL-バリンを添加することにより、神経突起形成が有意に促進されることがわかった。一方、L-ロイシンとL-イソロイシンを培地に添加した系では、こうした神経突起形成促進作用が認められなかった。このことから、バリンの神経突起形成作用は、分岐鎖アミノ酸であることに起因するものではなく、バリン特有の作用であることが示唆された。
【0040】
また、D-バリン、N-アセチル-L-バリンについても、上記と同様にして、Bt
2cAMP誘導性神経突起形成に対する作用を評価したところ、L-バリンと同等の神経突起形成促進作用を確認することができた(
図4)。
【0041】
さらに、分岐鎖アミノ酸以外のアミノ酸について、上記と同様にして、Bt
2cAMP誘導性神経突起形成に対する作用を調べたところ、アスパラギン酸、グルタミン酸、システイン、トリプトファン、フェニルアラニン、チロシン、セリン、トレオニン、アスパラギン、グルタミン、アルギニン、リジン、ヒスチジン、グリシン、アラニン、またはプロリンでは、RPMI-1640培地に添加する各アミノ酸の濃度を200μMまで上げても神経突起形成率の有意な変化は認められなかった。一方、L-メチオニンまたはD-メチオニンを培地に添加した系においては、20μMの高濃度で、神経突起形成促進作用が確認された(
図5)。
【0042】
そこで、次に、バリンとメチオニンを培地に共添加することによる効果を調べるため、上記と同様にして、ウェルプレートに播種して培養したPC12細胞のRPMI-1640培地にBt
2cAMPを添加し、さらにL-バリン溶液、L-メチオニン溶液、またはL-バリンとL-メチオニンを1:1で混合した混合物の溶液をそれぞれ添加して培養し、神経突起形成率を調べた。RPMI-1640培地に添加するアミノ酸の濃度は、L-バリン溶液またはL-メチオニン溶液を用いた系では0.2μMとし、L-バリンとL-メチオニンの混合物の溶液を用いた系では、L-バリンとL-メチオニンの各濃度を0.1μMとし、合計で0.2μMとした。測定された神経突起形成率を
図6に示す。
図6から示されるように、L-バリンとL-メチオニンを培地に共添加したことにより、それぞれのアミノ酸を単独で培地に添加した場合よりも強い神経突起形成促進作用が認められた。このことから、バリンとメチオニンの共添加により神経突起形成促進作用が相乗的に向上することがわかった。また、バリンとメチオニンを共添加する場合には、無置換のバリンと無置換のメチオニンを組み合わせることが作用増強の点で好ましいこともわかった。
【0043】
(c)NGF誘導性神経分化に対する作用の評価
ニューロフィラメントを神経分化マーカーとして用い、これを免疫蛍光染色法で染色することにより、L-バリンの神経分化促進作用を評価した。
PC12細胞を基本培地中に浮遊させ、単一細胞となるようによく懸濁し、1.4x10
4cells/mLに調製した。このPC12細胞の懸濁液を、コラーゲンコートした8ウェルチャンバースライドに5.0x10
3cells/360μL/wellで播種し、5%CO
2気相下で、37℃のインキュベーターにより24時間培養した。培養後、200ng/mLのNGFを含有するダルベッコPBS(-)(NGF溶液)と、4μg/mLのL-バリンを含有するRPMI-1640培地(調製例1で調製したL-バリン溶液)をそれぞれ20μLずつ各ウェル内に分注し、さらに48時間培養した。培養後、各ウェル内の培地を除去し、PBS(-)(リン酸緩衝生理食塩水(Ca、Mg不含))で洗浄した後、4%ホルムアルデヒド溶液を各ウェル内に分注して30分間処理した後、PBS(-)で3分間の洗浄を3回行った。続いて、0.4%のTriton X-100(シグマアルドリッチ社製)を含有するPBS(-)を各ウェル内に分注し、30分間処理した後、PBS(-)で洗浄した。
次に、2.5%のウシ血清アルブミン(BSA)を含有するPBS(-)を各ウェル内に分注して1時間処理した後、2.5%のBSAを含有するPBS(-)で200倍希釈した1次抗体(シグマアルドリッチ社製,Anti-neurofilament 200 IgG fraction of antiserum)を各ウェル内に分注して室温で2時間処理し、0.05%のTween 20(アトー社製)を含有するPBS(-)で3分間の洗浄を3回行った。続いて、2.5%のBSAを含有するPBS(-)で200倍希釈した2次抗体(シグマアルドリッチ社製,Anti-Rabbit IgG(whole molecule)-FITC antibody produced in goat)を各ウェル内に分注し、室温で1時間処理した後、0.05%のTween 20を含有するPBS(-)で3分間の洗浄を3回行った。以上の処理を経た各ウェル内のサンプルを核染色封入剤(コスモバイオ社製,DAPI-Fluoromount-G)にて封入し、カバーガラスを被せて四方をマニキュアすることにより標本1を作製した。また、NGF溶液の代わりにダルベッコPBS(-)を用い、L-バリン溶液の代わりにRPMI-1640培地を用いること以外は、上記と同様の工程で培養および免疫蛍光染色を行って比較標本1を作製し、L-バリン溶液の代わりにRPMI-1640培地を用いること以外は、上記と同様の工程で培養および免疫蛍光染色を行って比較標本2を作製した。
作製した各標本の蛍光染色画像を共焦点レーザー顕微鏡(オリンパス社製,FLUOVIEWFV10i)を用いて観察し、写真を撮影した。撮影した写真を
図7に示す。
図7中、左から1列目の写真は標本の位相コントラスト写真である。左から2列目の写真は励起波長359nm、検出波長461nmで撮影したDAPI蛍光染色画像であり、光って見える箇所が核に相当する。左から3列目の写真は励起波長495nm、検出波長519nmで撮影したFITC蛍光染色画像であり、光って見える箇所がニューロフィラメントに相当する。また、左から4列目の写真は、左から2列目の写真と3列目の写真を合成したものである。
培地にNGFとL-バリンを添加した標本1と、培地にNGFを添加し、L-バリンを添加していない比較標本2の各FITC蛍光染色画像を比較すると、標本1の蛍光染色画像の方が比較標本2の蛍光染色画像よりも光って見える箇所が多数存在しており、ニューロフィラメントが多く発現していることがわかる。このことから、培地のバリンを添加することにより、幹細胞からの神経分化が促進されることがわかった。
【産業上の利用可能性】
【0044】
本発明によれば、幹細胞の神経細胞への分化、神経細胞における神経突起の形成を効果的に促進することができ、且つ、活性成分が消化酵素による分解を受けにくい神経伸長促進剤を低コストで提供することができる。このため、本発明の神経伸長促進剤を用いれば、神経変性疾患や神経損傷が起因する認知機能障害や運動機能障害を軽減しうる、安価な内服剤を提供することができる。このため、本発明は産業上の利用可能性が高い。