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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2022-10-03
(45)【発行日】2022-10-12
(54)【発明の名称】質量分析装置
(51)【国際特許分類】
   H01J 49/42 20060101AFI20221004BHJP
   H01J 49/00 20060101ALI20221004BHJP
   G01N 27/62 20210101ALI20221004BHJP
【FI】
H01J49/42 400
H01J49/00 310
G01N27/62 E
【請求項の数】 3
(21)【出願番号】P 2019098213
(22)【出願日】2019-05-27
(65)【公開番号】P2020194648
(43)【公開日】2020-12-03
【審査請求日】2021-08-25
(73)【特許権者】
【識別番号】000001993
【氏名又は名称】株式会社島津製作所
(74)【代理人】
【識別番号】110001069
【氏名又は名称】特許業務法人京都国際特許事務所
(72)【発明者】
【氏名】狭間 一
【審査官】藤本 加代子
(56)【参考文献】
【文献】特開2009-277376(JP,A)
【文献】特開平10-106484(JP,A)
【文献】特開2011-127929(JP,A)
【文献】特開平06-222044(JP,A)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
H01J 49/00
H01J 49/42
G01N 27/62-27/70
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
イオンを捕捉するイオントラップを有し、該イオントラップを用いてイオンの質量分離を実行する質量分析装置であって、
複数の電圧源によりそれぞれ生成された出力電圧を切り替えて前記イオントラップを駆動するための矩形波電圧を生成する電圧生成部と、
前記複数の電圧源を起動した時点から出力電圧が安定するまでの間の、出力電圧の変動に起因する質量誤差の時間変化を示す情報、又は該質量誤差の時間変化を補正する情報を記憶しておく補正情報記憶部と、
前記電圧生成部を動作させ出力電圧が安定する前に測定を実行する場合に、前記補正情報記憶部に記憶されている情報を用い、測定により得られた質量分析結果における質量誤差の時間変化を補正するデータ処理部と、
を備える質量分析装置。
【請求項2】
請求項1に記載の質量分析装置であって、
前記質量分析結果はマススペクトルであり、前記データ処理部は、測定によりマススペクトルが得られる毎にその質量電荷比軸をシフトさせる補正を行う、質量分析装置。
【請求項3】
請求項1又は2に記載の質量分析装置であって、
前記複数の電圧源を起動した時点以降に実施された測定の結果に基づいて、出力電圧の変動に起因する質量誤差の時間変化を示す情報を取得する補正情報作成部、をさらに備える質量分析装置。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は質量分析装置に関し、さらに詳しくは、高周波電場の作用によってイオンを捕捉するとともに捕捉したイオンの質量分離を行うイオントラップを用いた質量分析装置に関する。
【背景技術】
【0002】
質量分析装置の一方式として、高周波電場の作用によりイオンを捕捉することが可能なイオントラップを利用してイオンの質量分離を行うイオントラップ型質量分析装置が知られている。イオントラップとしては、内面が回転1葉双曲面形状である1個のリング電極と、リング電極を挟んで対向して配置された内面が回転2葉双曲面形状である一対のエンドキャップ電極とから成る3次元四重極型のイオントラップや、互いに平行に配置された4本の略円柱状のロッド電極とその両端の外側に配置された一対の端部電極とから成るリニア型のイオントラップがよく知られている。本明細書では、便宜上、「3次元四重極型イオントラップ」を例に挙げてイオントラップの説明を行うが、リニア型イオントラップでもよいことは明らかである。
【0003】
一般的なイオントラップでは、通常、正弦波状の高周波電圧をリング電極に印加することで、リング電極及びエンドキャップ電極で囲まれる空間に四重極高周波電場を形成し、この高周波電場によってイオンを振動させながら閉じ込める。これに対し、正弦波状の高周波電圧の代わりに矩形波電圧をリング電極に印加することでイオンの閉じ込めを行うイオントラップが開発されている(特許文献1、非特許文献1など参照)。こうしたイオントラップは、通常、「H」、「L」という二つの論理値に対応する電圧レベルを有する矩形波電圧が使用されることから、デジタルイオントラップ(DIT=Digital Ion Trap)と呼ばれている。
【0004】
非特許文献1に記載されているように、デジタルイオントラップでは、捕捉対象であるイオンの質量電荷比(m/z)範囲に対応する所定の周波数を有する矩形波電圧を捕捉用高周波電圧としてリング電極に印加し、目的とする質量電荷比範囲のイオンを閉じ込める。そうして捕捉したイオンをその質量電荷比に応じてイオン出射口から順番に排出させ、イオン出射口の外側に設けたイオン検出器により検出する。
【0005】
このようにイオントラップの内部から外部へとイオンを排出する際には、イオンの共鳴励起現象を利用する。即ち、リング電極に印加する矩形波高電圧(通常、振幅は数百V以上)を所定の分周比(例えば1/4分周)で分周した矩形波低電圧(通常、振幅は数V程度と上記矩形波高電圧に比べて格段に小さいので「低電圧」という)をエンドキャップ電極に印加し、それら矩形波電圧の振幅を一定に維持したまま周波数を同期的に走査する。これにより、イオントラップ内に捕捉されているイオンのうち、矩形波電圧の周波数に対応する特定の質量電荷比のイオンが順番に共鳴励起されて大きく振動し、イオン出射口を通して外部に吐き出される。この吐き出されたイオンをイオン検出器で検出し、イオン量に応じた強度信号を得ることにより、所定の質量電荷比範囲に亘るマススペクトルを作成することができる。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0006】
【文献】特開2011-96542号公報
【非特許文献】
【0007】
【文献】古橋、ほか6名、「デジタルイオントラップ質量分析装置の開発」、島津評論、島津評論編集部、2006年3月31日、第62巻、第3・4号、pp.141-151
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
通常、上記矩形波高電圧は、直流高電圧電源の出力電圧をスイッチングすることにより生成される。そのため、矩形波高電圧の振幅(波高値)はその直流高電圧電源の出力電圧の安定性に依存する。デジタルイオントラップを用いた質量分析装置の質量精度は矩形波高電圧の振幅に大きく左右され、振幅が変動すると質量精度がそれだけ低下する。一般的に、直流高電圧電源では、起動時から出力電圧が安定するまでにかなりの時間を要するため、起動時から電圧出力が安定するまでの期間には満足できる質量精度が得られない。
【0009】
図4は、従来の質量分析装置において起動時からの時間経過に伴う質量誤差の変化を実測した結果の一例である。測定対象化合物は、ヒト副腎皮質刺激ホルモン:ACTH18-39(m/z 2465.2)であり、イオントラップ駆動用の直流高電圧電源を起動した時点から5分毎にACTH18-39を測定した結果から質量誤差を算出している。図から分かるように、起動時から約20分が経過するまでは質量誤差が±50ppmを超えており、約20分が経過すると質量誤差は±50ppm以内に収束して安定している。そこで、従来は、起動時から所定時間が経過するまでは測定不可(又は測定は可能であるものの精度が保証されない)の期間とされている。
【0010】
近年、質量分析装置の小形化、軽量化、低コスト化が要請されており、そのためには直流高電圧電源も小形・軽量、安価なものを用いる必要がある。しかしながら、一般に、小形・軽量、或いは安価な直流高電圧電源では、出力電圧が安定するまでの所要時間が長くなる傾向にあり、そうすると質量分析装置において測定が不可である待ち時間が長くなるという問題がある。
【0011】
本発明は上記課題を解決するために成されたものであり、デジタルイオントラップを用い、共鳴励起排出によりイオンを選択的にイオントラップから排出して検出する質量分析装置において、イオントラップ駆動用の電源を起動してから測定が可能になるまでの待ち時間を短縮して測定の効率を改善することをその主たる目的としている。
【課題を解決するための手段】
【0012】
上記課題を解決するために成された本発明の第1の態様に係る質量分析装置は、イオンを捕捉するイオントラップを有し、該イオントラップを用いてイオンの質量分離を実行する質量分析装置であって、
複数の電圧源によりそれぞれ生成された出力電圧を切り替えて前記イオントラップを駆動するための矩形波電圧を生成する電圧生成部と、
前記複数の電圧源を起動した時点から出力電圧が安定するまでの間の、出力電圧の変動に起因する質量誤差の時間変化を示す情報、又は該質量誤差の時間変化を補正する情報を記憶しておく補正情報記憶部と、
前記電圧生成部を動作させ出力電圧が安定する前に測定を実行する場合に、前記補正情報記憶部に記憶されている情報を用い、測定により得られた質量分析結果における質量誤差の時間変化を補正するデータ処理部と、
を備えるものである。
【発明の効果】
【0013】
第1の態様に係る質量分析装置において、イオントラップが3次元四重極型イオントラップである場合、リング電極に印加する矩形波電圧の周波数を変化させ共鳴励起されるイオンの質量電荷比を変化させることで、検出するイオンの質量電荷比を走査する。矩形波電圧の周波数が同じであっても該矩形波電圧の振幅(厳密には高レベル側の電圧及び低レベル側の電圧)が変動すると共鳴励起されるイオンの質量電荷比が変化し、これが質量誤差となる。同じ回路構成を有する同じ型式の電圧源では、起動されて電圧出力が開始された時点から出力電圧が安定するまでの出力電圧の時間変動の類似性は高い。また、その出力電圧の時間変動の再現性も高い。
【0014】
そこで例えば、本装置のメーカーは装置製造時に又は調整時に、実験的に測定した結果に基づいて、電圧源を起動した時点以降の、出力電圧の変動に起因する質量誤差の時間変化を示す情報、又は該質量誤差の時間変化を補正する情報を作成し、補正情報記憶部に記憶させておく。ユーザーが測定を実行する際に、データ処理部は、補正情報記憶部に記憶されている情報を用いて、測定により得られた質量分析結果における質量誤差の時間変化を補正する。
【0015】
第1の態様に係る質量分析装置によれば、イオントラップ駆動用の電源部を起動した時点以降の出力電圧の変動に起因する質量誤差が概ね補正される。これにより、電源部の出力電圧が安定する以前に、つまりは起動直後から測定を実施することができ、測定効率を向上させることができる。また、電源部をエージングする時間を実質的に無くすことができるので、無駄に電源部を通電状態にしておく必要がなくなり、消費電力の節約を図ることができる。
【図面の簡単な説明】
【0016】
図1】本発明の一実施形態であるDIT-MSの概略構成図。
図2】本発明の別の実施形態であるDIT-MSの概略構成図。
図3】本実施形態のDIT-MSにおける共鳴励起排出時の矩形波電圧波形の一例を示す波形図。
図4】従来の質量分析装置において起動時からの時間経過に伴う質量誤差の変化を実測した結果の一例を示す図。
図5】直流電源部の出力電圧の時間変化の一例を示す図。
【発明を実施するための形態】
【0017】
本発明に係る質量分析装置の一実施形態であるデジタルイオントラップ質量分析装置(DIT-MS)について、添付図面を参照して説明する。
【0018】
図1は、本実施形態のDIT-MSの要部の構成図である。また、図3は、本実施形態のDIT-MSにおける共鳴励起排出時の矩形波電圧波形の一例を示す波形図である。
このDIT-MSは、目的試料をイオン化するイオン化部1と、イオンを質量電荷比に応じて分離する3次元四重極型のイオントラップ2と、イオンを検出する検出部3と、検出信号をデジタル化するデジタルアナログ変換部(DAC)4と、データ処理部5と、主電源部6と、補助電源部7と、タイミング信号発生部8と、制御部9と、を備える。
【0019】
イオン化部1はマトリクス支援レーザ脱離イオン化(MALDI)法を用いたものであり、パルス状のレーザ光を出射するレーザ照射部11、試料成分を含むサンプル13が付着されたサンプルプレート12、レーザ光の照射によってサンプル13から放出されたイオンを引き出すとともにその引き出し方向を限定するアパーチャ電極14、引き出されたイオンを案内するイオンレンズ15、などを含む。もちろん、イオン化部1におけるイオン化法の種類はMALDI法に限るものではなく、LDI法、SALDI法などの他のレーザイオン化法やレーザ光を用いないイオン化法でも構わない。
【0020】
イオントラップ2は、円環状の1個のリング電極21と、これを挟むように対向して配置された、入口側エンドキャップ電極22及び出口側エンドキャップ電極24と、からなり、これら3個の電極21、22、24で囲まれた空間の一部がイオン捕捉領域となる。入口側エンドキャップ電極22の略中央にはイオン入射口23が穿設され、イオン化部1から出射されたイオンはイオン入射口23を通してイオントラップ2内に導入される。一方、出口側エンドキャップ電極24の略中央にはイオン出射口25が穿設され、イオン出射口25を通って排出されたイオンは検出部3に到達して検出される。
【0021】
検出部3は入射したイオンの量に応じた検出信号を生成し、DAC4はこの検出信号をデジタルデータに変換してデータ処理部5へと送る。データ処理部5は、データ格納部51、スペクトル作成部52、スペクトル補正部53、電圧変動補正データ記憶部54などの機能ブロックを含み、測定により収集されたデータに基づいて例えばマススペクトルを作成し、表示部55の画面上に表示する。
【0022】
主電源部6はイオントラップ2のリング電極21に矩形波高電圧を印加するものであり正極性である第1電圧VHを発生する第1電圧源61と、負極性である第2電圧VLを発生する第2電圧源62と、第1電圧源61の出力端と第2電圧源62の出力端との間に直列に接続された第1スイッチング素子63及び第2スイッチング素子64と、を含む。補助電源部7はイオントラップ2のエンドキャップ電極22、24にそれぞれ異なる矩形波低電圧を印加するものである。
【0023】
タイミング信号発生部8はハードウェアによるロジック回路であり、制御部9による制御の下に、第1スイッチング素子63及び第2スイッチング素子64が交互にオンするように(但し、少なくとも同時にオンすることがないように)、所定周波数の駆動パルスを生成して各スイッチング素子63、64に供給する。第1スイッチング素子63がオンするとき第1電圧VHが出力され、第2スイッチング素子64がオンするときに第2電圧VLが出力される。そのため、主電源部6の出力電圧VOUTは理想的には、図3(a)に示すように、ハイレベルがVH、ローレベルがVLである所定周波数f(周期t)の矩形波電圧となる。VHとVLとは絶対値がほぼ同じで極性が逆の高電圧であり、例えば、その絶対値は数百V~1kV程度である。また、矩形波電圧の周波数fは通常数十kHz~数MHz程度の範囲である。但し、システムの基準電位によっては、VHとVLとが同極性であってもよい。
【0024】
タイミング信号発生部8は、主電源部6に供給する駆動パルスを適宜の比(例えば1/4)で分周したパルス信号を補助電源部7に与える。補助電源部7はタイミング信号発生部8から得られる信号に基づき、周波数がf/4であって振幅値が例えば数V程度である、図3(b)に示すような矩形波低電圧を生成する。制御部9は測定を実施するために各部を制御するものである。
【0025】
なお、データ処理部5及び制御部9はハードウェア回路により構成することも可能であるが、通常、少なくともその一部はパーソナルコンピュータを中心に構成され、該パーソナルコンピュータにインストールされた専用の制御・処理プログラムを実行することにより、その機能が達成されるものとすることができる。即ち、データ処理部5は測定を実行する装置本体と一体の装置であってもよいが、装置本体とは別の装置であってもよい。
【0026】
本実施形態のDIT-MSにおける典型的な測定動作を概略的に説明する。
イオン化部1において、制御部9の制御の下にレーザ照射部11から短時間レーザ光をサンプル13に出射すると、該サンプル13中の試料成分がイオン化される。発生したイオンはイオンレンズ15により収束され、イオン入射口23を経てイオントラップ2内の空間に導入されて捕捉される。
【0027】
イオントラップ2内に安定的に捕捉されるイオンの質量電荷比範囲は、リング電極21に印加される矩形波高電圧の周波数に依存する。したがって、イオンをイオントラップ2内に閉じ込めておくに際し、タイミング信号発生部8は制御部9からの指示に従って所定周波数の駆動パルスをスイッチング素子63、64に供給し、これに応じた周波数の矩形波高電圧が主電源部6で生成されてリング電極21に印加される。このときには、エンドキャップ電極22、24の電位は接地電位に維持される。なお、所定の或る程度広い質量電荷比範囲のイオンを捕捉する場合には、矩形波高電圧の周波数はその質量電荷比範囲に応じて適切に選択される。
【0028】
様々な質量電荷比を有するイオンを捕捉したあと該イオンについてのマススペクトルを取得する際には、共鳴励起現象を利用し、イオンを質量電荷比の順にイオン出射口25を通してイオントラップ2から吐き出させ、検出部3により検出する。このときには、主電源部6からリング電極21にイオン捕捉用の矩形波高電圧を印加する一方、補助電源部7からエンドキャップ電極22、24にそれぞれ、イオン捕捉用矩形波高電圧を分周した周波数の共鳴励振用矩形波電圧(矩形波低電圧)を印加する。そして、イオン捕捉用の矩形波高電圧と矩形波低電圧の周波数とを同期的に走査する。それにより、特定の質量電荷比を有するイオンが順番に共鳴励起されて大きく振動し、イオン出射口25を通して外部へ排出される。
【0029】
検出部3は質量走査の際に入射するイオンの量に応じた検出信号を出力し、この信号に基づくデータがデータ処理部5のデータ格納部51に保存される。スペクトル作成部52は、1回の質量走査の間に得られたデータをデータ格納部51から読み出し、横軸が質量電荷比、縦軸が信号強度であるマススペクトルを作成し、表示部55に出力して表示させる。
【0030】
一般的には、上記のような測定は、第1電圧源61、第2電圧源62を起動し、それらの出力電圧が安定するまで待ってから、実施される。図5は、この種の質量分析装置において、第1電圧源61、第2電圧源62として使用される電圧源の出力電圧の時間変化を測定した結果の一例である。この例では、起動してから約20分が経過するまでは出力電圧がかなり変動している。また、正極性、負極性の二つの電圧源の出力電圧の変化は同じではなく、また仮にそれらの変化の度合いが同じであったとしても、電圧変化に対する質量ずれが正極性側と負極性側とで同じではないため、出力電圧が安定するまで質量誤差が生じることが避けられない。これは、図4を用いて既に説明した通りである。
【0031】
そこで、本実施形態のDIT-MSでは、次のようにして電圧源61、62の起動直後の出力電圧が安定するまでの間における測定の質量誤差を補正し、起動直後から有用な測定が実施できるようにしている。
【0032】
高電圧を出力する電圧源の出力電圧の時間的変化の特性は、回路構成や使用している回路部品の特性などに依存するため、再現性がある。即ち、一台の質量分析装置において、図4に示したような質量精度の時間変化を示すパターンは、電圧源の交換などの大きな修理がなされていない限り、同じであるとみなすことができる。そこで、本実施形態の質量分析装置のメーカーでは、装置の組立・調整の段階で、予備実験を実施してその実験結果に基づき補正データを取得し、該データを電圧変動補正データ記憶部54に記憶させておく。
【0033】
具体的には、予備実験では、主電源部6の第1電圧源61及び第2電圧源62を共に起動した時点からその出力電圧が安定するまでの所定の期間に亘り、精密な質量が既知である成分(例えば上記ACTH18-39)を含むサンプルを一定の時間間隔で繰り返し測定し、上記成分由来のピークが観測できるマススペクトルをそれぞれ取得する。そのあと、得られた多数のマススペクトルから、図4に示したような質量誤差量の時間変化のデータを求める。そして、この質量誤差量の実測データに基づいて、第1電圧源61及び第2電圧源62を起動した時点から出力電圧が安定するまでの期間における、時間経過と質量誤差量との関係を示す近似式を算出する。近似式を算出する際には、最小二乗法等の一般的なフィッティングの手法を用いればよい。こうして求めた近似式自体を補正データとして記憶させてもよいし、該近似式から経過時間毎に質量電荷比値の補正量を導出するテーブルを求め、このテーブルを補正データとして記憶させてもよい。
【0034】
また通常、同じ型式の電圧源は個体が異なっていても、概ね同じ出力電圧の時間的変化を示す。そのため、同じ型式の電圧源を第1、第2電圧源61、62に使用している異なる質量分析装置同士の間では、質量精度の時間変化は類似したパターンを示すことが多い。それ故に、質量分析装置1台毎にそれぞれ、上述したような予備実験を実施して補正データを求める必要は必ずしもない。即ち、同じ型式の電圧源を使用する複数の質量分析装置に対して1台の標準装置を決めておき、その標準装置を用いた予備実験による結果から得られた補正データを、同じ型式の電圧源を使用する他の質量分析装置に適用してもよい。
【0035】
上述したように電圧変動補正データ記憶部54に適切な補正データが格納されている状態の質量分析装置を用い、任意のサンプルについての測定を実施する際には以下のような処理が実施される。
【0036】
即ち、制御部9は測定を実施するために第1、第2電圧源61、62を起動すると、その旨をデータ処理部5に通知する。そのあと、制御部9の制御の下で、イオン化部1、イオントラップ2、検出部3等が駆動されて測定が実施され、マススペクトルデータがデータ格納部51に格納される。このとき、マススペクトルデータには、第1、第2電圧源61、62が起動された時点を起点として、測定が実施されたときの経過時間を示すデータが付加される。
【0037】
スペクトル作成部52は格納されたマススペクトルデータに基づいてマススペクトルを作成する。スペクトル補正部53は、マススペクトルデータに付加されている経過時間データと電圧変動補正データ記憶部54に記憶されている補正データとに基づいて、その経過時間に対応する質量誤差量を算出し、質量誤差を補正するようにマススペクトルの質量電荷比軸を修正する。そして、質量誤差が補正されたマススペクトルを表示部55の画面上に表示する。
【0038】
以上のようにして、本実施形態のDIT-MSでは、第1、第2電圧源61、62の出力電圧が安定する前であっても、従来に比べて質量精度が高いマススペクトルを取得することができる。そのため、出力電圧が安定するまで待つことなく、測定結果を確認することができる。
【0039】
なお、上記実施形態のDIT-MSでは、出力電圧の変動に起因する質量誤差を含むマススペクトルデータ(プロファイルデータ)を測定部側からデータ処理部5に転送し、データ格納部51に格納したあとマススペクトルを作成する際に質量誤差を補正している。これに対し、測定部側で質量誤差を補正し、補正済みのマススペクトルデータをデータ処理部5に転送してデータ格納部51に格納するようにしてもよい。いずれでも、結果として表示されるマススペクトルの質量精度は同じである。
【0040】
但し、前者の場合には質量誤差を含む生のデータが残るのに対し、後者の場合にはこうした生のデータは残らないという相違がある。そのため、例えば、最終的に得られるマススペクトルに疑義があり、測定が不適切であるのかデータ処理(補正)が不適切であるのかを確認する、というような場合には前者のほうが適切である。
【0041】
上記実施形態のDIT-MSでは、ユーザーが装置を入手する時点において電圧変動補正データ記憶部54に補正データが記憶されていたが、ユーザー側で補正データを作成することが可能である機能を持たせてもよい。
【0042】
図2は、本発明の別の実施形態のDIT-MSの要部の構成図である。図1に示した装置と異なる点は、データ処理部5に電圧変動補正データ作成部56が追加され、制御部9が電圧変動補正データ取得制御部91を機能ブロックとして有している点である。
【0043】
即ち、この実施形態のDIT-MSでは、ユーザーが図示しない操作部で所定の操作を行うと、電圧変動補正データ取得制御部91は、上述したような、第1電圧源61、第2電圧源62の出力電圧の変動に起因する質量誤差を補正するための補正データを取得するための測定を繰り返し行うように、イオン化部1、イオントラップ2等を制御する。一方、電圧変動補正データ作成部56は、電圧変動補正データ取得制御部91の制御の下で繰り返し実施される測定により得られたデータに基づいて、質量誤差を補正するための補正データを作成し、これを電圧変動補正データ記憶部54に保存する。
これにより、DIT-MSが実際に使用される環境の下で補正データが取得できるので、質量誤差の補正の精度を向上させることができる。
【0044】
上記実施形態では、イオントラップとして3次元四重極型イオントラップを用いたが、リニア型のイオントラップに置き換え可能であることは当然である。
【0045】
さらにまた、上記実施形態は本発明の一例にすぎず、本発明の趣旨の範囲で適宜、変形、追加、修正を行っても本願特許請求の範囲に包含されることは当然である。
【0046】
[種々の態様]
上述した例示的な実施形態は、以下の態様の具体例であることが当業者により理解される。
【0047】
第1の態様による質量分析装置は、イオンを捕捉するイオントラップを有し、該イオントラップを用いてイオンの質量分離を実行する質量分析装置であって、
複数の電圧源によりそれぞれ生成された出力電圧を切り替えて前記イオントラップを駆動するための矩形波電圧を生成する電圧生成部と、
前記複数の電圧源を起動した時点から出力電圧が安定するまでの間の、出力電圧の変動に起因する質量誤差の時間変化を示す情報、又は該質量誤差の時間変化を補正する情報を記憶しておく補正情報記憶部と、
前記電圧生成部を動作させ出力電圧が安定する前に測定を実行する場合に、前記補正情報記憶部に記憶されている情報を用い、測定により得られた質量分析結果における質量誤差の時間変化を補正するデータ処理部と、
を備えるものである。
【0048】
第1の態様による質量分析装置では、電圧源が起動された直後で、その出力電圧が十分に安定せずに変動している状態であっても、その電圧変動に起因する測定上の質量誤差がデータ処理によって補正される。したがって、第1の態様による質量分析装置によれば、電源部の出力電圧が安定する以前に、つまりは起動直後から測定を実施することができ、従来のように出力電圧が安定するまで待つ必要がないため、測定効率が向上する。
【0049】
第2の態様による質量分析装置は、第1の態様による質量分析装置であって、前記質量分析結果はマススペクトルであり、前記データ処理部は、測定によりマススペクトルが得られる毎にその質量電荷比軸をシフトさせる補正を行うものとすることができる。
【0050】
第2の態様による質量分析装置によれば、電源部の出力電圧が安定する以前に、高い質量精度のマススペクトルを取得することができる。
【0051】
第3の態様による質量分析装置は、第1又は第2の態様による質量分析装置であって、前記複数の電圧源を起動した時点以降に実施された測定の結果に基づいて、出力電圧の変動に起因する質量誤差の時間変化を示す情報を取得する補正情報作成部、をさらに備えるものとすることができる。
【0052】
第3の態様による質量分析装置によれば、当該装置が設置される環境の下での質量誤差に関する情報を収集できるので、質量誤差の補正の精度を向上させることができる。
【符号の説明】
【0053】
1…イオン化部
11…レーザ照射部
12…サンプルプレート
13…サンプル
14…アパーチャ電極
15…イオンレンズ
2…イオントラップ
21…リング電極
22、24…エンドキャップ電極
23…イオン入射口
25…イオン出射口
3…検出部
4…デジタルアナログ変換器(DAC)
5…データ処理部
51…データ格納部
52…スペクトル作成部
53…スペクトル補正部
54…電圧変動補正データ記憶部
55…表示部
56…電圧変動補正データ作成部
6…主電源部
61、62…電圧源
63、64…スイッチング素子
7…補助電源部
8…タイミング信号発生部
9…制御部
91…電圧変動補正データ取得制御部
図1
図2
図3
図4
図5