(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2022-10-25
(45)【発行日】2022-11-02
(54)【発明の名称】被覆切削工具
(51)【国際特許分類】
B23B 27/14 20060101AFI20221026BHJP
B23C 5/16 20060101ALI20221026BHJP
C23C 14/06 20060101ALI20221026BHJP
C23C 14/32 20060101ALI20221026BHJP
【FI】
B23B27/14 A
B23C5/16
C23C14/06 A
C23C14/06 H
C23C14/32
(21)【出願番号】P 2021566834
(86)(22)【出願日】2020-10-12
(86)【国際出願番号】 JP2020038440
(87)【国際公開番号】W WO2021131232
(87)【国際公開日】2021-07-01
【審査請求日】2022-06-21
(31)【優先権主張番号】P 2019233353
(32)【優先日】2019-12-24
(33)【優先権主張国・地域又は機関】JP
【早期審査対象出願】
(73)【特許権者】
【識別番号】000233066
【氏名又は名称】株式会社MOLDINO
(74)【代理人】
【識別番号】100149548
【氏名又は名称】松沼 泰史
(74)【代理人】
【識別番号】100175802
【氏名又は名称】寺本 光生
(74)【代理人】
【識別番号】100142424
【氏名又は名称】細川 文広
(74)【代理人】
【識別番号】100140774
【氏名又は名称】大浪 一徳
(72)【発明者】
【氏名】佐々木 智也
【審査官】山本 忠博
(56)【参考文献】
【文献】特開2015-174196(JP,A)
【文献】国際公開第2014/156699(WO,A1)
【文献】国際公開第2017/094440(WO,A1)
【文献】特開2009-220260(JP,A)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
B23B 27/14;
B23C 5/16;
C23C 14/00-14/58
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
基材の表面が硬質皮膜で被覆された被覆切削工具であって、
前記硬質皮膜は、前記基材の表面に配置され、金属(半金属を含む)元素のうちWを最も多く含有し、次いでTiを多く含有するWとTiの合計の含有比率が85原子%以上である面心立方格子構造のA層と、前記A層の上に配置され、金属(半金属を含む)元素のうちAlの含有比率(原子%)が50%以上、AlとCrの合計の含有比率(原子%)が85%以上、Siの含有比率(原子%)が4%以上15%以下であるAlとCrとSiを含有する窒化物又は炭窒化物からなる面心立方格子構造のB層と、を含む被覆切削工具。
【請求項2】
前記A層は、金属(半金属を含む)元素のうちWとTiの合計の含有比率が90原子%以上である請求項1に記載の被覆切削工具。
【請求項3】
前記A層は、金属(半金属を含む)元素のうちAlとSiの合計の含有比率が10原子%以下である請求項1または2に記載の被覆切削工具。
【請求項4】
前記B層の上には、金属(半金属を含む)の窒化物又は炭窒化物からなるC層を更に有する請求項1ないし3の何れか1項に記載の被覆切削工具。
【請求項5】
前記C層は、金属(半金属を含む)元素のうちTiの含有比率(原子%)が50%以上であり、Siの含有比率(原子%)が1%以上30%以下である窒化物又は炭窒化物からなる請求項4に記載の被覆切削工具。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、エンドミル等の被覆切削工具に関する。
本願は、2019年12月24日に、日本に出願された特願2019-233353号に基づき優先権を主張し、その内容をここに援用する。
【背景技術】
【0002】
AlCrSiの窒化物又は炭窒化物は耐熱性と耐摩耗性に優れる膜種であり被覆切削工具に適用されている。本発明者は高硬度鋼のミーリング加工に適用可能な工具として、Tiボンバードにより基材の直上にhcp構造のWとTiを含有する中間皮膜を形成し、その直上にSiの含有比率を高めて皮膜組織を微細化したAlCrSiの窒化物又は炭窒化物を設けた被覆切削工具を提案している(特許文献1)。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0003】
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0004】
特許文献1に記載の被覆切削工具は、高硬度鋼の切削加工において耐久性に優れるものである。一方、本発明者は、Tiボンバードで形成される中間皮膜は組成がバラつき易いことを確認した。中間皮膜の組成のバラつきが大きければ、加工条件や工具形状によって硬質皮膜の耐久性が変動しやすくなり、工具性能が安定しない可能性もある。
【課題を解決するための手段】
【0005】
本発明者は以下の知見を見出し、本発明に到達した。
本発明者は、Tiボンバードで形成される中間皮膜の組成について、中間皮膜の直上に設けられる硬質皮膜の成分を含む量が少なく、WとTiを主体とする組成とした。本発明者は、上記組成の中間皮膜とすることで、中間皮膜の組成のバラつきが少なくなるとともに、結晶構造が面心立方格子構造となることを確認した。そして、本発明者は、上記の面心立方構造の中間皮膜の上にSi含有量を調整したAlCrSi系の窒化物又は炭窒化物からなる硬質皮膜を成膜することで、優れた耐久性を有する被覆切削工具が得られることを確認した。
【0006】
すなわち本発明は、基材の表面が硬質皮膜で被覆された被覆切削工具である。前記硬質皮膜は、前記基材の表面に配置され、金属(半金属を含む)元素のうちWを最も多く含有し、次いでTiを多く含有するWとTiの合計の含有比率が85原子%以上である面心立方格子構造のA層と、前記A層の上に配置され、金属(半金属を含む)元素のうちAlの含有比率(原子%)が50%以上、AlとCrの合計の含有比率(原子%)が85%以上、Siの含有比率(原子%)が4%以上15%以下であるAlとCrとSiを含有する窒化物又は炭窒化物からなる面心立方格子構造のB層と、を含む。
【0007】
A層は、金属(半金属を含む)元素のうちWとTiの合計の含有比率が85原子%以上であることが好ましい。
A層は、金属(半金属を含む)元素のうちAlとSiの合計の含有比率が10原子%以下であることが好ましい。
B層の上には、金属(半金属を含む)の窒化物又は炭窒化物からなるC層を更に有してもよい。
C層は、金属(半金属を含む)元素のうちTiの含有比率(原子%)が50%以上であり、Siの含有比率(原子%)が1%以上30%以下である窒化物又は炭窒化物であることが好ましい。
【発明の効果】
【0008】
本発明によれば、耐久性に優れる被覆切削工具が提供される。
【図面の簡単な説明】
【0009】
【
図1】実施例1の工具刃先部の透過電子顕微鏡写真である。図中の1が示すポイントは基材、2が示すポイントはA層、3が示すポイントはB層である。
【
図2】実施例1の基材の制限視野回折パターンを示す図である。
【
図3】実施例1の基材の組成分析結果を示す図である。
【
図4】実施例1のA層の制限視野回折パターンを示す図である。
【
図5】実施例1のA層の組成分析結果を示す図である。
【
図6】実施例1のB層の制限視野回折パターンを示す図である。
【
図7】実施例1のB層の組成分析結果を示す図である。
【発明を実施するための形態】
【0010】
本発明者は、高硬度鋼の高能率加工における被覆切削工具の損傷要因について検討し、硬質皮膜を形成する柱状粒界を起点に皮膜破壊が発生し易いことを確認した。そして、耐熱性と耐摩耗性が優れる皮膜種であるAlとCrを主体とする窒化物又は炭窒化物をベースに皮膜組織を微細化して破壊の起点となる結晶粒界を低減することが有効であることを見出した。また、硬質皮膜の組織を微細化することに起因する基材と硬質皮膜の密着性をより高めるために面心立方格子構造(fcc構造)の中間皮膜を設けることを見出し、本発明に到達した。以下、本発明の詳細について説明する。
【0011】
本実施形態の被覆切削工具は、基材と、基材の表面に配置されるA層と、A層の上に配置されるB層とを備える。本実施形態の被覆切削工具において、B層が工具に耐久性を付与する硬質皮膜である。A層は、B層と基材との密着性を向上させる中間皮膜である。
基材としては、切削工具用のWC基超硬合金基材が用いられる。基材は、ヘッドとシャンクが一体のソリッド工具であってもよく、ヘッド交換式工具のヘッドであってもよく、ホルダに装着される切削インサートであってもよい。
【0012】
まず、本発明の硬質皮膜であるB層について説明する。
B層は、後述するA層の上に設けられるAlとCrを主体とする窒化物又は炭窒化物からなる硬質皮膜である。AlとCrを主体とする窒化物又は炭窒化物は、被覆切削工具として優れた耐摩耗性と耐熱性が発揮できる膜種である。B層としてより好ましい材質は、耐熱性に優れる窒化物である。
【0013】
Alは硬質皮膜に耐熱性を付与する元素である。硬質皮膜に対して、より優れた耐熱性を付与するために、B層は、金属(半金属を含む、以下同様。)元素の含有比率(原子%、以下同様。)でAlの含有比率を50%以上にする。更には、B層のAlの含有比率を55%以上とすることが好ましい。一方、B層は、Alの含有比率が大きくなり過ぎると、六方最密充填構造(hcp構造)が主体となり、被覆切削工具の耐久性が低下する傾向にある。そのため、B層のAlの含有比率を70%以下とすることが好ましい。B層は耐熱性および耐摩耗性を高いレベルで両立させるため、AlとCrの合計の含有比率を85%以上とする。更には、B層のAlとCrの合計の含有比率を90%以上とすることが好ましい。
【0014】
CrはB層の結晶構造を面心立方格子構造(fcc構造)とし、被覆切削工具としての耐摩耗性と耐熱性を向上させる元素である。B層は、Crの含有比率が少なくなり過ぎると六方最密充填構造(hcp構造)が主体となり、被覆切削工具の耐久性が低下する傾向にある。そのため、B層のCrの含有比率は20%以上であることが好ましい。なお、本発明における半金属とは、Si、B(ボロン)である。
【0015】
Siは、AlとCrを主体とする窒化物又は炭窒化物の組織を微細化するために重要な元素である。Siを含有していないAlCrNおよびSi含有比率が小さいAlCrSiNは柱状粒子が粗大となる。このような組織形態の硬質皮膜は皮膜破壊の起点となる結晶粒界が多くなるため、逃げ面摩耗が増大する傾向にある。一方、一定量のSiを含有したAlCrSiNは組織が微細化し、例えば、電子顕微鏡による断面観察(20,000倍)において明確な柱状粒子が観察され難くなる。このような組織形態の硬質皮膜は、破壊の起点となる柱状粒界が少なくなり、逃げ面摩耗を抑制することができる。但し、B層は、Si含有比率が大きくなると非晶質および六方最密充填構造(hcp構造)が主体となり易くなり、被覆切削工具の耐久性が低下する。被覆切削工具の耐久性を低下させずに皮膜組織を十分に微細化するには、B層は、Siの含有比率を4%以上15%以下とすることが重要である。B層のSiの含有比率は5%以上であることが好ましい。B層のSiの含有比率は10%以下であることが好ましい。
【0016】
本実施形態の被覆切削工具では、B層は、面心立方格子構造(fcc構造)であることが重要である。本実施形態において面心立方格子構造(fcc構造)であるとは、例えば、X線回折において面心立方格子構造(fcc構造)に起因する回折強度が最大強度を示すことをいう。六方最密充填構造(hcp構造)に起因する回折強度が最大強度を示す硬質皮膜は脆弱であるため被覆切削工具として耐久性が乏しくなる。特に、湿式加工においては、耐久性が低下する傾向にある。
B層は、X線回折においてZnS型の結晶構造に起因する回折強度が確認されないことが好ましい。しかし、NaCl型の結晶構造に起因する回折強度が最大強度を示すのであれば、B層は、一部に六方最密充填構造(hcp構造)および非晶質相を含有してもよい。
【0017】
但し、皮膜の被験面積が小さい場合や、B層の上に後述する別の皮膜を被覆している場合には、上記X線回折による面心立方格子構造(fcc構造)の同定が困難な場合がある。このような場合であっても、例えば透過電子顕微鏡(TEM)を用いた制限視野回折法による結晶構造の同定を行うことができる。
【0018】
本実施形態におけるB層のミクロ組織は、Si量の全体に対して相対的にSi含有量の多い結晶相に、Si量の全体に対して相対的にSi含有量が少ない結晶相が分散する組織形態である。B層がこのような組織形態になることで、硬質皮膜に対して、より高い残留圧縮応力が付与されるとともに、クラックの進展がミクロレベルでも抑制される。これにより、優れた耐久性が発揮できると考えられる。一般的に、Si含有比率が大きくなると、AlとCrを主体とする窒化物又は炭窒化物は非晶質相が主体の組織形態となり易く、靱性が低下する傾向にある。
【0019】
本実施形態のB層は、結晶相を有する結晶構造の層である。B層の結晶性を高めるため、成膜装置内において基材付近の磁束密度を高めて被覆をしている。具体的には、成膜装置において、ターゲット中心付近の平均磁束密度が14mT以上である。また、ターゲット背面および外周に永久磁石を配備し、基材付近まで磁力線が到達するよう調整したカソードを用いて、B層を被覆している。また、基材に印加する負のバイアス電圧の絶対値が小さくなると非晶質相が増加する傾向にある。B層の被覆においては-250V以上-100V以下のバイアス電圧で被覆することが好ましい。結晶相をより安定化させるには、-220V以上-150V以下のバイアス電圧で被覆することがより好ましい。
【0020】
B層は、面心立方格子構造(fcc構造)に起因する回折強度が最大強度を示す範囲であれば、Al、Cr、Siの含有量を考慮して、他の金属元素を含有することができる。例えば、硬質皮膜の耐摩耗性や耐熱性や潤滑性などの向上を目的として、周期律表の4a族、5a族、6a族の元素およびB、Y、Cuから選択される1種または2種以上の元素を含有することができる。これらの元素は、硬質皮膜の特性を改善するために、AlTiN系やAlCrN系の硬質皮膜には一般的に添加されている元素であり、含有比率が過多にならなければ被覆切削工具の耐久性を著しく低下させることはない。
但し、B層がAlとCrとSi以外の金属元素を多く含有すると、上述した基礎特性が損なわれ被覆切削工具の耐久性が低下する恐れがある。そのため、B層はAlとCrとSi以外の添加元素を含有する場合でも、添加元素の合計の含有比率を10%以下とすることが好ましい。更には、B層はAlとCrとSi以外の金属元素を含有する場合でも、添加元素の合計の含有比率を5%以下とすることが好ましい。
【0021】
B層の膜厚が薄くなり過ぎると優れた耐久性が十分に発揮されない場合がある。また、膜厚が厚くなり過ぎると皮膜剥離が発生する場合がある。B層の厚みは、例えば、0.5μm以上10μm以下の範囲から適当な値を選択すれば良い。B層の厚みは、より好ましくは1μm以上である。また、B層の厚みは、より好ましくは5μm以下である。
【0022】
本実施形態において、B層の上に更に別の層を被覆しても本実施形態の効果を発揮する。そのため、本実施形態におけるA層とB層とで成る皮膜構造は、B層を工具の最表面とする構成以外に、別の層が被覆された構成を採用しても良い。この場合、B層の上には、保護皮膜として耐熱性と耐摩耗性に優れる窒化物又は炭窒化物からなるC層が被覆されていることが好ましい。C層は、より好ましくは窒化物からなる層である。C層は、耐熱衝撃性に優れる、残留圧縮応力を有する硬質皮膜であることが好ましい。C層の組成は、被削材や加工条件によって適宜選択すればよい。特に湿式加工においては、加熱冷却のサイクルにより硬質皮膜が剥離し易くなることから、高い残留圧縮応力を有する硬質皮膜を保護皮膜として設けることが好ましい。
C層としては、特に、残留圧縮応力が高い皮膜種である点で、Tiの含有比率を50%以上、Siの含有比率を1%以上30%以下で含有する窒化物又は炭窒化物皮膜が好ましい。
【0023】
続いて、A層について説明する。
本実施形態における硬質皮膜であるB層は、微細な組織形態であるため、基材との密着性が乏しい。本発明者は、金属元素のうちWを最も多く含み、次いでTiを多く含有するWとTiの合計の含有比率が85%以上である面心立方格子構造(fcc構造)のA層を基材の上に設けることで、微細な組織形態であるB層との密着性が改善されて被覆切削工具の耐久性が向上することを確認した。つまり、本実施形態の被覆切削工具は、基材とB層との間にWとTiが主体の面心立方格子構造(fcc構造)のA層を形成することにより、微細な組織形態であるB層の基材との密着性を改善したものである。
基材とB層との間に形成されるA層を、面心立方格子構造(fcc構造)とすることで、A層の上面にある微細組織であるB層が、面心立方格子構造(fcc構造)を維持し易くなる。そして、A層の近傍にあるB層の結晶性がより高まり、基材とB層の密着性がより高まると考えられる。また、A層は、金属(半金属を含む)元素のうちWとTiの合計の含有比率が85%以上であることで、組成および結晶構造が安定する。これにより、A層の組成および結晶構造がバラつくことによるB層の組成および結晶構造の不均一が低減される。B層の全体で均一な耐久性が得られやすくなるため、切削条件または工具形状によって工具性能がバラつくリスクを低減することができる。A層は、金属(半金属を含む)元素のうちWとTiの合計の含有比率が90%以上であることが好ましい。
【0024】
A層は、WおよびTi以外に硬質皮膜成分および基材成分を含有してもよい。ただし、A層の組成および結晶構造を安定させるためには、A層は金属(半金属を含む)元素のうちAlとSiの合計の含有比率が10%以下であることが好ましい。A層に含まれるAlとSiが少なくなることでA層の組成および結晶構造がより安定しやすくなる。
A層には、基材の結合相に含まれるCoとCrが含有されやすい。A層がCoとCrを含有する場合でも、金属(半金属を含む)元素のうちCoとCrの合計の含有比率が10%以下であることが好ましい。
A層は、透過型電子顕微鏡観察による断面観察、組成分析、ナノビーム回折パターンより確認することができる。
【0025】
A層は非金属元素として炭素を最も多く含有し、次いで窒素を多く含有する。また、A層は炭素と窒素以外に酸素を含有する場合もある。A層における炭素と窒素と酸素の合計の含有比率を100%とした場合、A層は炭素を50%以上含有する。更には、A層は炭素を60%以上含有することが好ましい。また、A層は窒素を30%以下で含有することが好ましい。A層は酸素を10%以下で含有することが好ましい。
【0026】
A層の厚みが薄くなり過ぎれば、基材との密着性が低下する。また、A層の厚みが大きくなり過ぎても、基材との密着性が低下する傾向にある。よって、A層の厚みは、1nm以上30nm以下であることが好ましい。A層の厚みは、2nm以上10nm以下とすることが好ましい。
【0027】
基材の上に本実施形態のA層を形成するためには、基材に対してTiボンバードを実施する。Tiボンバードに用いる成膜装置は、ターゲットの外周にコイル磁石を配備してアークスポットをターゲット内部に閉じ込めるような磁場構成としたカソードを備えることが好ましい。このようなカソードを用いて炭化物を形成し易い元素種であるTiでボンバード処理することで、基材表面の酸化物が除去されて清浄化される。また、この清浄化だけでなく、ボンバードされたTiイオンが基材表面のWCに拡散してWおよびTiを含む層が形成され易くなる。
本実施形態において、WおよびTiを含むA層は、機能部である刃先に形成されることで、刃先における基材と硬質皮膜の密着性が高まり、被覆切削工具の耐久性を高める効果を得ることができる。
A層を面心立方格子構造(fcc構造)にするには、Tiボンバードを開始する際の基材温度が高いことが好ましい。そのため、Tiボンバード開始の際の炉内温度を530℃以上にすることが好ましい。
また、Tiボンバードの際に基材に印加する負圧のバイアス電圧の絶対値が小さい場合およびターゲットへ投入する電流が低い場合には、基材表面にWおよびTiを含む層が形成され難い。そのため、基材に印加する負圧のバイアス電圧は、-1000V以上-700V以下とすることが好ましい。また、ターゲットへ投入する電流は、80A以上150A以下とすることが好ましい。
Tiボンバードは、アルゴンガス、窒素ガス、水素ガス、炭化水素系ガス等を導入しながら実施してもよいが、炉内雰囲気を0.1Pa程度の真空下で実施することで基材表面が清浄化されるだけでなく、アーク放電が安定してA層が形成され易くなり好ましい。
なお、本発明者の検討によると、工具径や刃先形状等の形状の違いによって、工具刃先に形成されるA層の厚みは影響を受けることを確認している。
【実施例】
【0028】
同一条件で被覆したときの実施例1、2の被覆切削工具と、比較例1、2の被覆切削工具について、各々の中間皮膜のバラつきを評価した。その後、実施例1、2および比較例1、2の被覆切削工具の工具性能を評価した。
【0029】
<成膜装置>
成膜には、アークイオンプレーティング方式の成膜装置を用いた。本装置は、複数のカソード(アーク蒸発源)、真空容器および基材回転機構を含む。
カソードは、ターゲット外周にコイル磁石を配備したカソードを1基(以下「C1」という。)と、ターゲット背面および外周に永久磁石を配備し、ターゲットに垂直方向の磁束密度がターゲット中央付近で14mT以上の磁場を有したカソードを2基(以下「C2」、「C3」という。)が搭載されている。
真空容器内は、内部を真空ポンプにより排気され、ガスは供給ポートより導入される。
真空容器内に設置した各基材にはバイアス電源が接続され、独立して各基材に負圧のDCバイアス電圧を印加する。
基材回転機構は、プラネタリーとプラネタリー上のプレート状治具、プレート状治具上のパイプ状治具が取り付けられ、プラネタリーが毎分3回転の速さで回転し、プレート状治具、パイプ状治具は夫々自公転する。C1には、金属チタンターゲット、C2にはAlCrSi合金ターゲット、C3にはTiSi合金ターゲットを設置した。
【0030】
<基材>
基材は、組成がWC(bal.)-Co(8質量%)-Cr(0.5質量%)-VC(0.3質量%)、WC平均粒度0.6μm、硬度93.9HRA、からなる超硬合金製の2枚刃ボールエンドミル(株式会社MOLDINO製)を準備した。なお、WCは炭化タングステンを、Coはコバルトを、Crはクロムを、VCは炭化バナジウムを、それぞれ表す。
【0031】
<加熱および真空排気工程>
実施例1、2の製造工程では、基材をそれぞれ真空容器内のパイプ状冶具に固定し、成膜前プロセスを以下のように実施した。まず、真空容器内を8×10-3Pa以下に真空排気した。その後、真空容器内に設置したヒーターにより、基材温度が550℃になるまで加熱しながら、真空排気を行った。これにより、基材温度を550℃、真空容器内の圧力を8×10-3Pa以下とした。
【0032】
<Arボンバード工程>
その後、真空容器内にArガスを導入し、容器内圧を0.67Paとした。その後、フィラメント電極に20Aの電流を供給し、基材に-200Vの負圧のバイアス電圧を印加し、Arボンバードを4分間実施した。
【0033】
<Tiボンバード工程>
その後、真空容器内の圧力が8×10-3Pa以下になるように真空排気した。続いて、Arガスを導入して真空容器内の圧力を0.1Paとし、基材にバイアス電圧を印加して、C1に150Aのアーク電流を供給してTiボンバード処理を実施した。
【0034】
<成膜工程>
Tiボンバード後、直ちにC1への電力供給を中断した。そして、真空容器内のガスを窒素に置き換え、真空容器内の圧力を5Pa、基材設定温度を520℃とした。C2に150Aの電力を供給し、基材に印加する負圧のバイアス電圧を-200V、カソード電圧を25Vとしてfcc構造からなる約2μmのAl56Cr37Si6の窒化物(数値は原子比率、以下同様)を被覆した。続いて、C3に150Aの電力を供給し、基材に印加する負圧のバイアス電圧を-100V、カソード電圧を25Vとしてfcc構造からなる約1μmのTi75Si25の窒化物を被覆した。その後、略250℃以下に基材を冷却して真空容器から取り出した。実施例1、2は同一条件で別々に被覆した。
【0035】
比較例1、2の製造工程では、上記の実施例1、2の製造工程において、Tiボンバードを実施する前に炉内にArを導入せずに、真空容器内の圧力が8×10-3Pa以下でTiボンバードを実施した。また、550℃としていたTiボンバード工程の温度を520℃に変化させた。比較例1、2の皮膜は同一条件で別々に被覆した。
【0036】
皮膜構造を確認するため、電界放射型透過電子顕微鏡(日本電子株式会社製 JEM-2010F型)を用いてボールエンドミルの刃先部の断面観察を実施した。試料を切断しダミー基板上にエポキシ樹脂を用いて接着した。その後、切断、Mo製補強リング接着、研磨、ディンプリング、Arイオンミーリングを行って測定用の試料を準備した。測定前にはカーボン蒸着を施した。加速電圧を200kVで観察、組成分析、ナノビーム回折を実施した。
組成は顕微鏡に付属のUTW型Si(Li)半導体検出器を用いてビーム径1nmで分析した。
組成分析において、微小なピークに対しては、バックグラウンドの揺らぎによるピークと判別するために、バックグラウンドの強度の標準偏差に対して3倍以上の強度を有する場合のみ、元素の検出ピークであるとみなした。ナノビーム回折は、カメラ長50cmとし、2nm以下のビーム径で分析した。
【0037】
図1は、実施例1の工具刃先部の透過電子顕微鏡写真である。図中の1が示すポイントは基材、2が示すポイントはA層、3が示すポイントはB層である。
図2~
図7に、実施例1の被覆切削工具の分析結果を示す。
表1に、中間皮膜(A層)の分析結果を示す。
【0038】
【0039】
実施例1、2のA層は、WとTi以外の元素の含有比率が少なく、面心立方格子構造(fcc構造)となった。一方、比較例1、2のA層は硬質皮膜の成分であるAlまたはSiを多く含有しており、六方最密充填構造(hcp構造)であった。比較例1、2のA層では、膜内において組成差が大きくなることが確認された。
【0040】
実施例1、2の被覆切削工具について、以下の加工条件で切削評価を行った。
<切削条件>
・工具:2枚刃超硬ボールエンドミル
・型番:EPDBE2010-6、工具半径0.5mm
・乾式加工
・切削方法:底面切削
・被削材:STAVAX(52HRC)(ウッデホルム社製)・切り込み:軸方向、0.04mm、径方向、0.04mm・切削速度:75.4m/min
・一刃送り量:0.0179mm/刃
・切削距離:15m
【0041】
実施例1、2の被覆切削工具は、逃げ面最大摩耗幅が20μm未満と小さく、均一で安定した摩耗形態を示し、耐久性に優れることが確認された。一方、比較例1、2の被覆切削工具は、実施例1、2の被覆切削工具と比較して、硬質皮膜の摩耗状態がやや不均一であった。本発明の被覆切削工具によれば、中間皮膜の組成のバラつきが少ないことで、硬質皮膜の膜質を向上させることができ、様々な加工条件においても安定した工具性能を発揮することが期待される。