(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2022-10-25
(45)【発行日】2022-11-02
(54)【発明の名称】硬質炭素膜とその製造方法および摺動部材
(51)【国際特許分類】
C23C 14/06 20060101AFI20221026BHJP
C23C 14/24 20060101ALI20221026BHJP
C23C 16/27 20060101ALI20221026BHJP
C23C 14/32 20060101ALI20221026BHJP
C01B 32/00 20170101ALI20221026BHJP
【FI】
C23C14/06 F
C23C14/24 F
C23C16/27
C23C14/32 Z
C01B32/00
(21)【出願番号】P 2019501313
(86)(22)【出願日】2018-02-19
(86)【国際出願番号】 JP2018005765
(87)【国際公開番号】W WO2018155385
(87)【国際公開日】2018-08-30
【審査請求日】2020-06-22
(31)【優先権主張番号】P 2017029786
(32)【優先日】2017-02-21
(33)【優先権主張国・地域又は機関】JP
(73)【特許権者】
【識別番号】591029699
【氏名又は名称】日本アイ・ティ・エフ株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】100078813
【氏名又は名称】上代 哲司
(74)【代理人】
【識別番号】100094477
【氏名又は名称】神野 直美
(74)【代理人】
【識別番号】100099933
【氏名又は名称】清水 敏
(72)【発明者】
【氏名】大城 竹彦
(72)【発明者】
【氏名】福谷 友佳子
(72)【発明者】
【氏名】三宅 浩二
【審査官】今井 淳一
(56)【参考文献】
【文献】特表2009-504448(JP,A)
【文献】特開2015-175014(JP,A)
【文献】特開2001-261318(JP,A)
【文献】特開2009-061540(JP,A)
【文献】特開2016-196690(JP,A)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C23C 14/06
C23C 14/24
C23C 16/27
C23C 14/32
C01B 32/00
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
摺動部材の摺動面に被覆される硬質炭素膜であって、
下層側の第1の硬質炭素膜および上層側の第2の硬質炭素膜が積層されて構成されており、
前記第2の硬質炭素膜は、前記第1の硬質炭素膜に比べて低硬度であり、
前記第1の硬質炭素膜には、前記第2の硬質炭素膜へ向けて突出するように隆起状形態物が複数形成されており、
前記第2の硬質炭素膜は、厚みが0.1~0.5μmであり、
前記隆起状形態物の先端が、前記第2の硬質炭素膜の表面から露出しており、
前記第1の硬質炭素膜がta-C膜であり、
前記第2の硬質炭素膜がa-C:H膜であり、
前記隆起状形態物は、前記第1の硬質炭素膜と同一の構造であることを特徴とする硬質炭素膜。
【請求項2】
前記第1の硬質炭素膜に形成されている前記隆起状形態物に由来する微小突起の数が、硬質炭素膜表面において、表面に沿う方向に伸びる直線上の測定長さ1.25mmあたり80~300個であることを特徴とする請求項1に記載の硬質炭素膜。
【請求項3】
前記第1の硬質炭素膜に形成されている前記隆起状形態物が、硬質炭素膜の断面において、表面に沿う方向に伸びる直線上の測定長さ125μmあたり8~30個であることを特徴とする請求項1に記載の硬質炭素膜。
【請求項4】
前記第1の硬質炭素膜のラマンスペクトルから得られたDピークの面積IDとGピークの面積IGの比(ID/IG比)が、0.2~0.8であることを特徴とする請求項1ないし請求項3のいずれか1項に記載の硬質炭素膜。
【請求項5】
前記第1の硬質炭素膜は、水素含有量が15atom%以下であることを特徴とする請求項1ないし請求項4のいずれか1項に記載の硬質炭素膜。
【請求項6】
前記第2の硬質炭素膜は、水素含有量が20atom%以上であることを特徴とする請求項1ないし請求項5のいずれか1項に記載の硬質炭素膜。
【請求項7】
前記第2の硬質炭素膜が、金属元素、窒素、ホウ素のいずれかを1~20atom%含有していることを特徴とする請求項1ないし請求項
6のいずれか1項に記載の硬質炭素膜。
【請求項8】
請求項1ないし請求項
7のいずれか1項に記載の硬質炭素膜が摺動面に被覆された摺動部材であって、MoDTC含有オイル中で摺動することを特徴とする摺動部材。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、硬質炭素膜とその製造方法および前記硬質炭素膜が形成された摺動部材に関する。
【背景技術】
【0002】
摺動部材は、各種機械、自動車、家電製品等の産業用、一般家庭用の機械・装置などに広く用いられており、さらなる低摩擦、高耐摩耗性を実現するため、種々の技術が開発されている。
【0003】
このような技術として、近年、摩擦係数を下げるためにMoDTC(モリブデンジチオカーバメイト)などの摩擦調整剤が開発され、エンジンオイルなどの潤滑油に添加されている。MoDTCを添加したエンジンオイルを適用した場合、鋼材同士の摺動においてはMoDTCが分解して鋼材表面にMoS2からなる低せん断性を有するトライボ膜が形成されるため摩擦係数が低下するが、バルブリフターやロッカアーム、ピストンピンなどの一部片当たりする部分など面圧が高い個所では鋼材が摩耗してしまい、耐久性が確保できない。
【0004】
そこで、鋼材同士の摺動に替えて、摺動部材の摺動面に低摩擦・高耐摩耗・低凝着性(耐焼き付き性)という摺動材料として優れた特徴を有する硬質炭素(DLC:ダイヤモンドライクカーボン)膜を設けることが提案されている。
【0005】
特に、ta-C膜(Tetrahedral amorphous carbon膜)と称される水素フリー(水素非含有)硬質炭素膜は、硬質炭素表面がOH基で終端されていることにより、エンジンオイルなどの潤滑油中で非常に低摩擦な特徴を示すため、バルブリフターやピストンリングなど多くのエンジン部品に採用されている。
【0006】
しかし、このようなta-C膜をMoDTC添加エンジンオイル中で使用した場合、トライボ膜が殆ど形成されず、また、ta-C膜表面へのOH基の生成が阻害されるために、摩擦係数が下がらないという問題が発生している。
【0007】
また、ta-C膜は、一般に、アークイオンプレーティング法(「真空アーク蒸着法」とも言われる)を用いて形成されるが、アークイオンプレーティング法を用いて形成されたta-C膜では、ドロップレットとも称される硬質炭素のマクロパーティクルが生成されることが避けられない。ドロップレットが多数生成されたta-C膜を摺動させると、アブレーシブ摩耗によって、相手材が大きく摩耗されてしまう。また、脱落したドロップレットはta-C膜と同等の硬度を有しているため、脱落したドロップレットによってta-C膜自身が摩耗する。
【0008】
このようなta-C膜におけるドロップレットの生成を防止する方法としては、成膜原料となる炭素イオンと、ドロップレット形成の起点となるグラファイト微粒子とを電磁場によるフィルタなどによって分離して、炭素イオンのみでta-C膜を形成させることが考えられるが、高度なフィルタリングを行おうとすると、フィルタに炭素イオンの一部も捕獲されてしまい、成膜に関わる炭素イオンが減少する。この炭素イオンの減少は、通常のアークイオンプレーティング法に比べて大幅な成膜レートの低下を招いて、生産性を大きく低下させる。また、高度なフィルタリングには大掛かりな装置を必要とするため、コストが大きく上昇する。
【0009】
そこで、通常は、成膜後にラップ処理を施すことにより、ドロップレットを除去している。しかし、ドロップレットは、ta-C膜同士ほどではないが、ta-C膜と結合しているため、ラップ処理を施しても十分に除去することが難しい。強いラップ処理を行った場合には、ドロップレットを除去し易くなるものの、ta-C膜自体が損耗される恐れがある。また、ラップ装置の導入や別途ラップ工程を設けることはコストアップにつながる。
【0010】
硬質炭素膜には、上記したta-C膜の他に、プラズマCVD法などのCVD法や、ガス導入スパッタ法や反応性スパッタリング法などのスパッタリング法などによって形成されるa-C:H膜(Hydrogenated amorphous carbon膜)と称される水素含有硬質炭素膜がある。このa-C:H膜では上記したドロップレットは生成されないが、MoDTC添加エンジンオイル中で使用した場合、一時的に低摩擦を示した後は、異常に摩耗・摩滅して、耐久性が低下するという問題が発生する。このように異常に摩耗・摩滅して、耐久性が低下する理由は、a-C:H膜中の不飽和六員環構造に起因するsp2構造と、MoDTCが分解されてMoS2状の低せん断トライボ膜が形成される途中に生成されたMoO3とが、結合することにより生成された物質がa-C:H膜から脱離することによる。
【0011】
このような硬質炭素膜において、例えば、ta-C膜中にCr、W、Co、Tiなどの金属元素を添加して、金属元素表面にトライボ膜を形成させて、摩擦係数を低減させようという試みが行われているが、この場合には、膜硬度が大幅に低下して、物理的摩耗が非常に大きくなるなどの問題が発生する。
【0012】
このような状況下、母材との密着力アップを目的として、アークイオンプレーティング法により形成された硬質炭素膜(ta-C膜)とCVD法により形成された硬質炭素膜(a-C:H膜)を積層することが提案されている(例えば、特許文献1、2)。しかし、ta-C膜とa-C:H膜、2種類の硬質炭素膜を単に積層させただけでは、母材との密着力をアップさせることはできても、上記した低摩擦性、耐摩耗性を十分に向上させることは難しい。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0013】
【文献】特開2000-128516号公報
【文献】特開2002-322555号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0014】
本発明は、上記各問題点に鑑み、MoDTCを含有する潤滑油中で使用される摺動部材において、耐摩耗性や耐焼き付き性を維持しながら、アブレーシブ摩耗の発生を効果的に抑制すると共に、大幅に摩擦係数が低下された硬質炭素膜を、生産性を低下させることなく、またコストアップを招くことなく製造する硬質炭素膜の製造技術を提供することを課題とする。
【課題を解決するための手段】
【0015】
本発明者は、上記課題の解決を検討するに当って、アークイオンプレーティング法を用いたta-C膜の形成に際して生成されるドロップレットについて詳細に調査した。その結果、従来、ドロップレットは、アークイオンプレーティング法による成膜中にグラファイト蒸発源がアーク放電の衝撃で破損してグラファイト微粒子となって飛散し、この飛散したグラファイト微粒子自体からドロップレットが生成されると考えられていたが、実際には、飛散したグラファイト微粒子を核としてコーン状に成長したsp3リッチな構造の隆起状形態物であることが分かった。
【0016】
sp3リッチな構造は成膜されている硬質炭素膜(ta-C膜)と同一の構造であるため、この隆起状形態物は非常に硬質であり、硬質炭素膜から脱落した場合には容易に硬質炭素膜を傷つけてしまう。一方、硬質炭素膜から脱落しない場合には硬質炭素膜と共に耐久性の向上に寄与することができる。
【0017】
そこで、本発明者は、このta-C膜の形成に際して生成された隆起状形態物を覆うようにa-C:H膜を形成した場合、隆起状形態物が脱落しないだけでなく、耐摩耗性に優れているとは言えないa-C:H膜であっても、隆起状形態物によってMoDTC含有潤滑油中で優れた耐摩耗性を発揮させることができると考え、実験と検討を行った。
【0018】
その結果、ta-C膜の上にa-C:H膜を積層するように形成した場合、MoDTC含有潤滑油中での摺動に際して、まず、表層のa-C:H膜が摩耗して隆起状形態物が露出し始めるが、この隆起状形態物はta-C膜と結合していると共に、a-C:H膜に埋め込まれた形となっているため、容易に脱落せず、a-C:H膜の摩耗を抑制する支柱として機能し、硬質炭素膜の摩耗速度を徐々に減じさせることが分かった。
【0019】
即ち、上記プロセスの進行に伴って、まず、比較的低硬度のa-C:H膜が摩耗されて硬質炭素膜表面がナノレベルで平滑化される。これにより、全体の面圧が低下して、a-C:H膜の摩耗の進行が停止する。このとき、硬質炭素膜表面では、a-C:H膜中にta-C膜と同一構造の隆起状形態物が点在する海島構造が形成されており、このような表面状態となった後は、ta-C膜と同一構造で高硬度の隆起状形態物の先端がa-C:H膜の支柱として機能することにより、もはや摩耗が殆ど進行しなくなるだけでなく、摩擦係数も大幅に低下するという驚くべき結果が得られることが分かり、本発明を完成するに至った。
【0020】
このように摩擦係数が大幅に低下した理由は、以下の(1)~(4)に示す各効果が複合したためと考えられる。
【0021】
(1)平滑化効果、即ち、a-C:H膜の摩耗に伴う平滑化による効果。
(2)硬質炭素膜の表面をa-C:H膜が広範囲に占めているため、ta-C膜の場合と異なり、トライボ膜が摺動相手側に形成されることによる効果。
(3)ta-C膜と同一構造の隆起状形態物の大きさがサブミクロンレベルであるため、硬質炭素膜としては、最終的に、高硬度なta-C膜の上に低硬度のa-C:H膜がサブミクロンの厚みで形成される形となり、低摩擦が発現される理想的な層構造が形成されることによる効果。
(4)隆起状形態物上で摺動するため、接触面積が小さくなる効果。
【0022】
このように、本発明によれば、2種類の硬質炭素膜を積層して、下層側の第1の硬質炭素膜から上層側の第2の硬質炭素膜へ向けて隆起状形態物を突出させることにより、MoDTC含有潤滑油中であっても、隆起状形態物の脱落に起因するアブレーシブ摩耗が低減されると共に、十分に低い摩擦係数を得ることができる。
【0023】
そして、MoDTCを含有する潤滑油中で使用される摺動部材において、耐摩耗性や耐焼き付き性を維持しながら、アブレーシブ摩耗の発生を効果的に抑制すると共に、大幅に摩擦係数を低下させることができる。
【0024】
このような硬質炭素膜は、生成された隆起状形態物を除去する必要がないため高価なフィルタが不要となり、また、ラップ処理の必要性も特にないため、コストアップを招くこともなく、また、生産性の低下も招かない。
【0025】
なお、本発明のように、ta-C膜とa-C:H膜とを積層して、潤滑油中での低摩擦、耐摩耗を図る技術として、特開2016-60921号があるが、この技術は、下層のta-C膜まで研磨加工して隆起状形態物を除去するものであり、ta-C膜におけるsp2をかなり高くする(本発明のID/IG比に対応するEcd/Ecgが1.7~3.8)必要があり、本発明のように隆起状形態物を積極的に使用しようという考えがない。
【0026】
上記知見に基づき、本発明者は、硬質炭素膜の表面において、隆起状形態物の具体的に好ましい密度について、さらに検討を行った。その結果、第2の硬質炭素膜を作製した直後の状態で、表面に突出している隆起状形態物の微小突起の数が、表面に沿う方向に伸びる直線上の測定長さ1.25mmあたり80~300個が好ましいことが分かった。しかし、実際の使用時には、a-C:H膜(第2の硬質炭素膜)作製後のラップ処理などにより、硬質炭素膜表面の微小突起が削られ平坦化されていることがある。この場合、硬質炭素膜の断面で隆起状形態物の数を確認する必要があり、硬質炭素膜の断面における隆起状形態物の数は、表面に沿う方向に伸びる直線上の測定長さ125μmあたり8~30個が好ましい。さらに、硬質炭素膜を形成する基材表面が粗く、硬質炭素膜表面に基材表面の粗さに由来する突起が形成されて、隆起状形態物による微小突起の数が数えにくい場合にも、硬質炭素膜の断面で隆起状形態物の数を確認する必要があり、硬質炭素膜の断面における隆起状形態物の数は、表面に沿う方向に伸びる直線上の測定長さ125μmあたり8~30個が好ましい。
【0027】
また、さらに実験を進めたところ、第1の硬質炭素膜は隆起状形態物が形成される限りta-C膜に限定されず、また、第2の硬質炭素膜は隆起状形態物が形成されず、第1の硬質炭素膜より硬度が低い限りa-C:H膜に限定されないことが分かった。
【0028】
請求項1~3に記載の発明は上記の各知見に基づくものであり、請求項1に記載の発明は、
摺動部材の摺動面に被覆される硬質炭素膜であって、
下層側の第1の硬質炭素膜および上層側の第2の硬質炭素膜が積層されて構成されており、
前記第2の硬質炭素膜は、前記第1の硬質炭素膜に比べて低硬度であり、
前記第1の硬質炭素膜には、前記第2の硬質炭素膜へ向けて突出するように隆起状形態物が複数形成されており、
前記第2の硬質炭素膜は、厚みが0.1~0.5μmであり、
前記隆起状形態物の先端が、前記第2の硬質炭素膜の表面から露出しており、
前記第1の硬質炭素膜がta-C膜であり、
前記第2の硬質炭素膜がa-C:H膜であり、
前記隆起状形態物は、前記第1の硬質炭素膜と同一の構造であることを特徴とする硬質炭素膜である。
【0030】
また、請求項2に記載の発明は、
前記第1の硬質炭素膜に形成されている前記隆起状形態物に由来する微小突起の数が、硬質炭素膜表面において、表面に沿う方向に伸びる直線上の測定長さ1.25mmあたり80~300個であることを特徴とする請求項1に記載の硬質炭素膜である。
【0031】
また、請求項3に記載の発明は、
前記第1の硬質炭素膜に形成されている前記隆起状形態物が、硬質炭素膜の断面において、表面に沿う方向に伸びる直線上の測定長さ125μmあたり8~30個であることを特徴とする請求項1に記載の硬質炭素膜である。
【0033】
隆起状形態物は上記したように、第2の硬質炭素膜に埋め込まれているため、硬質炭素膜からの脱落が防止される。そして、隆起状形態物の先端が、第2の硬質炭素膜を貫通して表面に露出していると、第2の硬質炭素膜の支柱としての機能が顕著に発揮される。また、コーン状に成長した隆起状形態物の先端は球状に形成されているため、摩擦係数も十分に低下する。
【0034】
このような隆起状形態物の先端が第2の硬質炭素膜の表面から露出している硬質炭素膜は、第2の硬質炭素膜の表面をラップ処理することにより作製することができる。
【0035】
請求項4に記載の発明は、
前記第1の硬質炭素膜のラマンスペクトルから得られたDピークの面積IDとGピークの面積IGの比(ID/IG比)が、0.2~0.8であることを特徴とする請求項1ないし請求項3のいずれか1項に記載の硬質炭素膜である。
【0036】
ID/IG比は、硬質炭素膜におけるsp3/(sp2+sp3)比率と相関関係があることが知られているため、このID/IG比を用いることにより炭素膜の硬度を推測することができる。具体的には、ID/IG比が高くなると、sp3の割合が低くなり硬度が低下する。
【0037】
ID/IG比が0.2~0.8と高硬度の第1の硬質炭素膜を下層側に配することにより、同一構造の隆起状形態物によって、より耐摩耗性に優れた硬質炭素膜を提供することができる。
【0038】
請求項5に記載の発明は、
前記第1の硬質炭素膜は、水素含有量が15atom%以下であることを特徴とする請求項1ないし請求項4のいずれか1項に記載の硬質炭素膜である。
【0039】
水素含有量が15atom%以下の硬質炭素膜は高硬度であり、このような硬質炭素膜を第1の硬質炭素膜として形成し、第1の硬質炭素膜の表面に同一構造の隆起状形態物を設けることにより、優れた耐摩耗性を発揮することができる。
【0040】
請求項6に記載の発明は、
前記第2の硬質炭素膜は、水素含有量が20atom%以上であることを特徴とする請求項1ないし請求項5のいずれか1項に記載の硬質炭素膜である。
【0041】
水素含有量が20atom%以上の硬質炭素膜は低硬度であり、このような第2の硬質炭素膜が摺動によって摩耗されることにより、隆起状形態物を容易に表面に露出させることができる。また、MoDTC含有潤滑油中で、より優れた低摩擦性を発揮することができる。なお、水素含有量が多くなって、第1の硬質炭素膜と第2の硬質炭素膜との間で硬度や内部応力の差が大きくなり過ぎると、膜間で剥離しやすくなるため、水素含有量の上限は40atom%が好ましい。
【0043】
第1の硬質炭素膜に形成される隆起状形態物の高さは、通常、0.5μm程度以下であるため、第2の硬質炭素膜を0.1~0.5μmの厚みに形成することにより、その厚みより低い隆起状形態物を覆い隠して、比較的平坦な摺動面を形成させることができる。そして、低硬度の第2の硬質炭素膜はMoDTC含有潤滑油中での摺動によって急速に摩耗されるが、隆起状形態物が表面に露出するまで摩耗された後は摩耗が進行しなくなるため、低摩擦係数と耐摩耗性とを実現することができる。なお、上記の場合でもラップ処理などにより隆起状形態物を意図的に露出させることもできる。
【0044】
請求項7に記載の発明は、
前記第2の硬質炭素膜が、金属元素、窒素、ホウ素のいずれかを1~20atom%含有していることを特徴とする請求項1ないし請求項6のいずれか1項に記載の硬質炭素膜である。
【0045】
これらの元素を添加した場合、第2の硬質炭素膜の硬度が低下すると共にトライボ膜が形成され易いため、より低摩擦性を発揮させることができるが、その一方で耐摩耗性が低下する。しかし、本発明においては、第1の硬質炭素膜と同一構造の隆起状形態物が支柱となることによって耐摩耗性が確保されて、耐摩耗性の低下を招くことがない。なお、具体的な金属元素としては、Cr、Fe、Si、W、Tiなどを挙げることができる。
【0046】
請求項8に記載の発明は、
請求項1ないし請求項7のいずれか1項に記載の硬質炭素膜が摺動面に被覆された摺動部材であって、MoDTC含有オイル中で摺動することを特徴とする摺動部材である。
【0047】
上記した硬質炭素膜が摺動面に被覆された摺動部材は、MoDTC含有潤滑油中で使用されても、耐摩耗性や耐焼き付き性を維持しながら、アブレーシブ摩耗の発生を効果的に抑制すると共に、大幅に摩擦係数を低下させることができる。
【0049】
アークイオンプレーティング法を用いて、母材上に第1の硬質炭素膜を形成することにより、高硬度の第1の硬質炭素膜の表面に複数の隆起状形態物を成長させて、点在させることができる。
【0050】
そして、CVD法またはスパッタリング法を用いて、第1の硬質炭素膜上に低硬度の第2の硬質炭素膜を形成することにより、第2の硬質炭素膜の中に隆起状形態物が点在した硬質炭素膜が形成されて、MoDTC含有潤滑油中であっても、耐摩耗性や耐焼き付き性を維持しながら、アブレーシブ摩耗の発生を抑制して大幅に摩擦係数を低下させた摺動部材とすることができる。
【0052】
最初に、アーク電流を40A以上と高くすることにより、グラファイト蒸発源が破損されて隆起状形態物の形成の起点となるグラファイトの微粒子が放出される頻度が高くなり、十分な密度で隆起状形態物の形成の起点を形成することができる。
【0053】
その後、アーク電流を0Aを超え40A以下と低くすることにより、第1の硬質炭素膜の最表層付近で形成され始める比較的脱落しやすい隆起状形態物の生成を抑えることができる。この結果、第1の硬質炭素膜の表面より0.1~0.3μmの範囲に隆起状形態物の形成の起点が集中し、これらがほぼ一様に成長することにより、第2の硬質炭素膜を貫通して突出する隆起状形態物の高さが一様になる。
【0055】
アークイオンプレーティング法を用いた第1の硬質炭素膜の形成において、アーク放電を消弧、再点弧すると、隆起状形態物の形成の起点となるマクロパーティクル(グラファイト微粒子)が大量に飛散して、硬質炭素膜のある厚み位置においてこのマクロパーティクルが比較的多く含まれることになるため、膜表面近傍においてアーク放電を消弧、再点弧することにより、膜表面近傍においてこのマクロパーティクルを起点とした隆起状形態部がほぼ一様に成長し、第2の硬質炭素膜を貫通して突出する隆起状形態物の密度が大きくなると共に、突出高さが一様になる。
【0056】
この結果、相手摺動部材と接触する隆起状形態部の先端部の数が多くなって、摩耗性の向上と摩擦係数の低減を図ることができる。
【発明の効果】
【0057】
本発明によれば、MoDTCを含有する潤滑油中で使用される摺動部材において、耐摩耗性や耐焼き付き性を維持しながら、アブレーシブ摩耗の発生を効果的に抑制すると共に、大幅に摩擦係数が低下された硬質炭素膜を、生産性を低下させることなく、またコストアップを招くことなく製造する硬質炭素膜の製造技術を提供することができる。
【図面の簡単な説明】
【0058】
【
図1】本発明の実施の形態に係る硬質炭素膜の製造工程を模式的に示す断面図である。
【
図2】本発明の実施の形態に係る硬質炭素膜の模式的断面図である。
【
図3】本発明の実施の形態に係る本発明の硬質炭素膜の表面を模式的に示す図である。
【発明を実施するための形態】
【0059】
以下、本発明を実施の形態に基づき、図面を用いて説明する。なお、以下においては、第1の硬質炭素膜としてta-C膜を、第2の硬質炭素膜としてa-C:H膜を例に挙げて説明する。
【0060】
図1は本実施の形態に係る硬質炭素膜の製造工程を模式的に示す断面図であり、(a)から(c)の順に工程が進んでいくことを示している。そして、
図2は硬質炭素膜の模式的断面図であり、(a)は母材上にa-C:H膜のみが形成されて異常摩耗している状態、(b)はta-C膜のみが形成されて隆起状形態物が脱落している状態、(c)は隆起状形態物を含まないta-C膜(第1の硬質炭素膜)上にa-C:H膜(第2の硬質炭素膜)が形成されてa-C:H膜が異常摩耗している状態、(d)は本実施の形態に係る硬質炭素膜が形成されて隆起状形態物により摩耗が抑制されている状態を示している。また、
図3は本実施の形態に係る硬質炭素膜の表面を模式的に示す図である。なお、
図1~
図3において、1は硬質炭素膜形成用の母材、2は第1の硬質炭素膜としてのta-C膜、3は隆起状形態物、4は第2の硬質炭素膜としてのa-C:H膜である。
【0061】
(1)硬質炭素膜の構成
図1に示すように、本実施の形態に係る硬質炭素膜は、まずアークイオンプレーティング法を用いて隆起状形態物3を多量に含むta-C膜2が母材1上に形成される。その後、CVD法またはスパッタリング法を用いて、ta-C膜2上にa-C:H膜4が隆起状形態物3を覆うように形成されて、本実施の形態に係る硬質炭素膜が製造される。このとき、隆起状形態物3は、a-C:H膜4の表面に所定の密度で形成されて点在している。好ましい密度は、硬質炭素膜表面の微小突起の数が、表面に沿う方向に伸びる直線上の測定長さ1.25mmあたり80~300個、または、硬質炭素膜の断面において、隆起状形態物が、表面に沿う方向に伸びる直線上の測定長さ125μmあたり8~30個である。
【0062】
このように、ta-C膜2上に形成された隆起状形態物3を覆うようにa-C:H膜4を形成した場合、隆起状形態物3が脱落しないだけでなく、
図2(d)に示すように、a-C:H膜4の摩耗を隆起状形態物3が支柱となって抑制するため、MoDTC含有潤滑油中で使用しても、耐摩耗性や耐焼き付き性を維持しながら、アブレーシブ摩耗の発生を抑制して大幅に摩擦係数を低下させることができる。
【0063】
これに対して、母材上にa-C:H膜のみが形成されている場合には、
図2(a)に示すように、a-C:H膜が異常摩耗する。そして、母材上にta-C膜のみが形成されている場合には、
図2(b)に示すように、隆起状形態物が脱落してしまう。また、母材上に隆起状形態物を含まないta-C膜を形成した後にa-C:H膜が形成されている場合には、
図2(c)に示すように、上層のa-C:H膜が異常摩耗する。
【0064】
なお、本実施の形態においては、ta-C膜2と同一構造の隆起状形態物3による耐摩耗性を確保するために、ta-C膜2はsp3の割合が高い高硬度の硬質炭素膜であり、a-C:H膜4はsp3の割合が低い低硬度の硬質炭素膜である。
【0065】
具体的には、ta-C膜2のID/IG比が0.2~0.8であること、または、水素含有量が15atom%以下であることが好ましい。一方、a-C:H膜4の水素含有量は20atom%以上であることが好ましい。
【0066】
そして、隆起状形態物3の高さは、通常、0.5μm程度以下であるため、a-C:H膜4の厚みは0.1~0.5μmに形成することが好ましい。
【0067】
(2)硬質炭素膜の製造方法
上記した本実施の形態に係る硬質炭素膜は以下の各工程に従って製造される。
【0068】
(a)母材の準備
まず、硬質炭素膜を形成させる対象となる母材を準備し、成膜槽内へセットする。このとき、成膜槽内へArガスなどの希ガス、または水素ガスを導入してプラズマを生成させ、母材にバイアス電圧を印加することで、母材の硬質炭素膜形成面の汚れや酸化層を除去することが好ましい。
【0069】
そして、汚れや酸化層が除去された硬質炭素膜形成面に、中間層としての金属膜を予め形成させておくと、硬質炭素膜との密着性を向上させることができ好ましい。なお、この中間層(金属膜)は、CrやWなどの金属原料をアーク蒸発源とするアークイオンプレーティング法により形成することができる。
【0070】
(b)ta-C膜の作製
グラファイトカソードをアーク蒸発源とするアークイオンプレーティング法により、母材上にta-C膜を形成させる。このとき、アーク蒸発源に流す電流(アーク電流)とta-C膜の膜厚を調整することにより、隆起状形態物の密度をコントロールすることができる。
【0071】
通常、アークイオンプレーティング法では、アーク蒸発源の表面にアーク放電を発生させて、グラファイトカソードから炭素をイオン化して成膜槽内へ放出しているが、同時にアーク放電の衝撃でグラファイトが破損し、グラファイトの微粒子が成膜槽内に頻繁に放出されている。このグラファイトの微粒子が形成途中のta-C膜の表面に付着すると、このグラファイトの微粒子を核としてta-C粒子がコーン状に成長して隆起状形態物となる。
【0072】
このとき、アーク電流を増やすと、グラファイトカソードが破損される頻度が高くなるため、隆起状形態物の生成が促進され、隆起状形態物密度の高いta-C膜が形成される。また、膜厚の厚いta-C膜を作製するためには成膜時間を長くする必要があるため、同じアーク電流で作製しても、グラファイトカソードが破損される回数が多くなるため、ta-C膜の表面に付着するグラファイトの微粒子の量が増えて、やはり、隆起状形態物密度の高いta-C膜が形成される。そして、最終的に、上記した密度、即ち、硬質炭素膜表面の微小突起の数が、表面に沿う方向に伸びる直線上の測定長さ1.25mmあたり80~300個、または、硬質炭素膜の断面における隆起状形態物が、表面に沿う方向に伸びる直線上の測定長さ125μmあたり8~30個となるように、ta-C膜が形成される。
【0073】
本実施の形態において、隆起状形態物の形成の起点となるグラファイトの微粒子をta-C膜の表面に十分な密度で形成するためには、高いアーク電流でta-C膜の形成を行うことが好ましく、さらに、高さの揃った隆起状形態物を形成するためには、以下のようにアーク電流を変化させながらta-C膜の形成を行うことが好ましい。
【0074】
まず、母材の表面から成長するta-C膜の厚みが、設計厚みに対して残り0.3μmとなるまでの領域を、所定のアーク電流で作製する。その後、残り0.3~0.1μmの領域では、アーク電流を40A以上で、かつ0.3μm以前の領域よりも高く設定する。さらに、残り0.1μm未満の領域では、アーク電流を、0Aを超え40A以下に設定する。その際、残り0.3~0.1μmの領域では、アーク放電を消弧した後、再点弧する工程を入れることがより好ましい。これにより、0.3~0.1μmの領域においてグラファイト微粒子が大量に飛散して、十分な密度で、かつ高さの揃った隆起状形態物を形成することができる。
【0075】
(c)a-C:H膜の形成
所定の厚みにta-C膜を形成した後は、ta-C膜の上にa-C:H膜を形成する。
【0076】
このとき、成膜装置として、上記したta-C膜の成膜装置と別の装置を用いてもよいが、ta-C膜の表面が大気や汚れに曝されてしまうと、a-C:H膜のta-C膜への密着性が悪くなりやすいため、同一の装置でta-C膜作製後に連続してa-C:H膜を成膜することが望ましい。
【0077】
本実施の形態においては、アークイオンプレーティング装置でta-C膜を作製した後に、Arガスなどの希ガスと炭化水素ガスを導入し、ta-C膜が被覆された母材にバイアス電圧を印加することで自己放電型CVD放電を発生させて、ta-C膜上にa-C:H膜を作製する。なお、他の成膜方法として、外部プラズマ源によるCVD放電を利用するCVD法や、グラファイトカソードをスパッタ源とし、Arガスなどの希ガスと炭化水素ガスを導入して成膜を行うスパッタリング法など、成膜に際してグラファイト微粒子を発生させない成膜方法を用いることもできる。
【0078】
形成されたa-C:H膜の膜厚は厚くても問題はないが、MoDTC添加エンジンオイル中で摺動した場合、ta-C粒子である隆起状形態物が膜表面に露出して、
図3に示すように、一定の密度以上で島状に点在するようになるまでは、容易に摩耗していく。一方、0.1μm未満と薄い場合には、ta-C膜に形成された隆起状形態物を保持する効果が得られなくなる。そして、ta-C膜に形成された隆起状形態物の高さは、通常、0.5μm程度以下である。以上を考慮すると、a-C:H膜の膜厚は、0.1~0.5μmであることが好ましく、0.2~0.3μmであるとより好ましい。
【0079】
そして、本実施の形態においては、下層のta-C膜に形成された隆起状形態物が支柱として機能することにより耐摩耗性を維持することができるため、a-C:H膜にCr、Fe、Siなどの金属元素や、窒素、ホウ素を含有させることでa-C:H膜の硬度が低下しても耐摩耗性が損なわれるようなことがなく、より積極的に硬質炭素膜表面にトライボ膜を形成することが可能となる。このように、本実施の形態において、a-C:H膜としては、上記した金属元素などを含有するa-C:H膜であってもよい。なお、このときの含有量は1~20atom%が好ましい。
【0080】
(d)成膜後のラップ処理
本発明による被膜は、a-C:H膜をta-C膜上に被覆し、ta-C膜中の隆起状形態物をa-C:H膜が保持することで隆起状形態物の脱落を防いでいるため、成膜後のラップ処理がなくとも十分に性能を発揮することができる。
【0081】
しかし、ta-C膜の形成の終盤に付着したグラファイト粒子を起点として成長した隆起状形態物は、ta-C膜との結合が弱いため、a-C:H膜で被覆していても、他の隆起状形態物と比べると脱落しやすい。このため、極僅かではあるが、隆起状形態物の脱落が発生する場合もある。
【0082】
このような脱落した隆起状形態物を除去するために、本実施の形態においても、必要に応じてラップ処理を行ってもよい。特に、摺動相手が銅材やアルミ材などの軟質材料である場合には、脱落した隆起状形態物が極僅かであっても相手材を傷つける恐れがあるため、ラップ処理を行うことが好ましい。
【0083】
具体的なラップ処理方法としては、砥粒をぶつけるショットブラストのようなラップ処理を用いてもよいが、ブラシラップやフィルムラップなど摺動により研磨を行うラップ処理は、脱落しやすい隆起状形態物の除去に加えて、a-C:H膜上の凸構造を摩耗させることにより表面の平滑化を行うことができるため好ましい。
【0084】
このようなラップ処理は、脱落した隆起状形態物を除去するためだけでなく、隆起状形態物を意図的に表面に露出させる場合にも適用することができる。この場合、特にテープラップまたはブラシラップによるラップ処理が好ましい。
【実施例】
【0085】
[1]硬質炭素膜の特性評価
まず、硬質炭素膜の特性を評価する実験を行った。
【0086】
1.試験体の作製
(1)実施例1-1
SCM415浸炭材ディスク(φ31mm×t3mm、HRC60、表面粗度Ra<0.01μm)を母材として、上記した本実施の形態に係る硬質炭素膜の製造方法に従って、厚み1.0μmのta-C膜を形成し、さらに、ta-C膜の上に厚み0.3μmのa-C:H膜を形成することにより、ta-C膜とa-C:H膜が積層された硬質炭素膜を有する実施例1-1の摺動部材を作製した。
【0087】
具体的には、まず、成膜装置内の治具に、上記母材を成膜面がグラファイトカソードと対向するようにセットした後、成膜装置内を真空排気した。次に、アーク放電によってグラファイトカソードを蒸発させながら、外部よりガスを導入せずに、母材表面にta-C膜を形成した。引き続いて、成膜装置内にアセチレンとArを導入しながら直流パルス電圧を印加し、直流パルス放電プラズマを利用したプラズマCVD法によってta-C膜上にa-C:H膜を形成した。
【0088】
(2)比較例1-1
同じ母材上に、厚み1.0μmのta-C膜を形成し、ta-C膜のみを硬質炭素膜とする比較例1-1の摺動部材を作製した。なお、成膜は、実施例1-1のta-C膜と同様の方法によって行った。
【0089】
(3)比較例1-2
同じ母材上に、厚み1.0μmのa-C:H膜を形成し、a-C:H膜のみを硬質炭素膜とする比較例1-2の摺動部材を作製した。なお、高周波放電プラズマを利用したプラズマCVD法によって行った。具体的には、まず、成膜装置内の治具に母材をセットした後、成膜槽内を排気した。次に、Arを導入し、母材と対向したSiカソードに高周波バイアス(周波数13.56MHz)を印加し、スパッタリング法によりSi膜を0.3μm形成した。引き続いて、成膜装置内にメタンとArを導入しながら、母材に高周波バイアスを印加し、高周波放電プラズマを利用したプラズマCVD法によってa-C:H膜を1.0μm形成した。
【0090】
2.膜特性の評価
実施例1-1および比較例1-1および比較例1-2において形成された各硬質炭素膜について以下の項目で評価を行った。
【0091】
(1)水素含有量
各摺動部材に形成された硬質炭素膜における水素含有量を、RBS法(Rutherford Backscattering Spectrometry:ラザフォード後方散乱分析法)により測定した。
【0092】
その結果、実施例1-1においては、ta-C膜における水素含有量は測定限界の0.1atom%未満、a-C:H膜における水素含有量は26atom%であることが分かった。一方、比較例1-1ではta-C膜における水素含有量が測定限界の0.1atom%未満であり、比較例1-2ではa-C:H膜における水素含有量が24atom%であることが分かった。
【0093】
(2)sp3/(sp3+sp2)比率
硬質炭素膜は、sp2構造とsp3構造とが混在しており、その比率(sp3/(sp3+sp2)比率)によって硬質炭素膜の硬度が変化し、具体的には、sp3の割合が高くなるにつれて高い硬度となる。
【0094】
そして、このsp3/(sp3+sp2)比率は、前記した通り、ラマンスペクトルに基づく(ID/IG比)と相関関係にあるため、ラマン分光測定の結果から検量線を用いて推定することができる。
【0095】
具体的には、ラマン分光測定は日本分光社製NRS-5100を用い、波長532nmのレーザー光を照射して行った。得られたラマンスペクトルは硬質炭素膜の分析においてよく用いられる、Dピーク、Gピークの2波形に分離して解析した。具体的には、900cm-1と1800cm-1の間で直線のベースラインを引き、ベースラインをゼロとする処理を行った後に、1350cm-1付近を中心とするDピークと1550cm-1付近を中心とするGピークのそれぞれをガウス関数でフィッティングして分離し、Dピークの面積IDとGピークの面積IGを定量化した。
【0096】
ラマン分光測定で得られたID/IG面積比に基づいて、以下に示す経験式(式1)を用いてsp3/(sp3+sp2)比率を求めた。この経験式は、様々な硬質炭素膜のラマン分光分析結果とNMR(核磁気共鳴法)によるsp3/(sp3+sp2)比率分析結果の相関を取ったところ、良い相関が見られたことから、sp3/(sp3+sp2)比率を推定する式として用いることができる。
sp3/(sp3+sp2)比率=55.5X2-163.9X+142.0 (式1)
※ X:ID/IG面積比
【0097】
その結果、実施例1-1においては、ta-C膜におけるsp3/(sp3+sp2)比率は0.90、a-C:H膜におけるsp3/(sp3+sp2)比率は0.39であることが分かった。一方、比較例1-1ではta-C膜におけるsp3/(sp3+sp2)比率が0.90であり、比較例1-2では、a-C:H膜におけるsp3/(sp3+sp2)比率が0.43であることが分かった。
【0098】
(3)膜硬度(ナノインデンテーション硬度)
各硬質炭素膜における膜硬度として、ナノインデンテーション硬度を測定した。具体的には、エリオニクス社製インデンテーション硬度計 ENT-1100aを用い、荷重300mgfでナノインデンテーション硬度を測定した。
【0099】
その結果、実施例1-1においては26GPa、比較例1-1では55GPa、比較例1-2では24GPaであることが分かった。
【0100】
(4)隆起状形態物の数
各硬質炭素膜における、隆起状形態物の数は、硬質炭素膜表面の微小突起の数をピークカウント値(Pc値)として測定することで評価できる。具体的なPc値の測定は、東京精密社製Surfcom 480Aを用いて以下の条件の下で行った。
【0101】
測定長 :1.250mm
測定速度 :0.06mm/s
カットオフ値 :0.25mm
フィルタ種別 :ガウシアン
測定レンジ :±4.0μm
傾斜補正 :直線
λs値 :無し
Pc上限 :0.050μm
Pc下限 :0.000μm
測定子先端径 :R2μm
【0102】
このPc値の測定は、a-C:H膜を作製した直後に行う必要がある。a-C:H膜の作製後に、硬質炭素膜に対しラップ処理を行ったり、実際に使用して硬質炭素膜表面が摺動されたりすると、微小突起が摩耗してしまうため、微小突起の数の測定では、隆起状形態物の数を評価できなくなる。
【0103】
このような場合には、硬質炭素膜の断面を観察し、隆起状形態物の数を直接数える必要がある。硬質炭素膜の断面出しは、機械的な切削・研磨でも良いが、
図6下段のSEM像の様に、断面出しの際に隆起状形態物が脱落してしまうことがあるため、クロスセクションポリッシャ(CP)加工や収束イオンビーム(FIB)加工の方がより望ましい。
【0104】
CP加工やFIB加工では、
図6上段の様に隆起状形態物が脱落しないため、隆起状形態物の数を直接数えることができる。一方で、機械的な切削・研磨の場合には、隆起状形態物だけでなく、隆起状形態物が脱落した凹みも、隆起状形態物として数える必要がある。
【0105】
a-C:H膜作製直後のPc値を測定した結果、実施例1-1においては109個、比較例1-1では107個であった。なお、比較例1-2は、プラズマCVD法のみにより作製されているため、隆起状形態物を持たない。
【0106】
[2]摺動部材の摺動性評価
次いで、硬質炭素膜が形成された摺動部材の摺動性を評価する実験を行った。
【0107】
1.試験体の作製
次に、母材としてSCM415浸炭材シリンダ(φ15mm×L22mm、HRC60)を用いて、上記と同じ方法で同じ厚みの硬質炭素膜を形成することにより、それぞれ、実施例2-1および比較例2-1および比較例2-2の摺動部材を作製した。なお、本実験においては、併せて、ta-C膜上にNを42atom%含有させたa-C:H膜(CNX膜)が積層された硬質炭素膜を形成することにより実施例2-2の摺動部材を作製した。
【0108】
2.摺動試験方法
作製された各摺動部材を用いて、鋼材ディスク(100CR6(DIN規格))を摺動相手として摺動試験を行った。
【0109】
具体的には、Optimol社製SRV(Schwingungs Reihungund und Verschleiss)試験機を用いて、
図4に示すように、硬質炭素膜が形成されたシリンダ41を鋼材ディスク42と往復摺動させることにより、摺動試験(SRV試験)を行い、摺動特性を評価した。
【0110】
なお、このときの試験条件は以下の通りである。
・荷重:100N(事前慣らし時のみ50N)
・振動数:33Hz
・振幅:1.5mm
・時間:120min(事前慣らし:5min)/ 断面観察品のみ360min
・温度:80℃
・オイル:MoDTC添加の0W-16
【0111】
3.試験結果
(a)表面状態および断面状態
SRV試験2時間後における比較例2-1および実施例2-1の表面状態を
図5上段に、また、比較例2-2および実施例2-1の断面状態を
図5下段に示す。
【0112】
図5より、比較例2-1においては、摩耗は軽微なものの、隆起状形態物の脱落が見られ、脱落した隆起状形態物による引掻き(アブレーシブ摩耗)も図中の矢印部分に発生していることが確認できる。
【0113】
そして、比較例2-2においては、異常摩耗によりa-C:H膜が完全になくなり、母材まで摩耗が進展していることが確認できる。
【0114】
これに対して、実施例2-1においては、a-C:H膜が残っており、隆起状形態物も脱落することなく残っており、アブレーシブ摩耗も発生していないことが確認できる。
【0115】
その後、実施例2-1について、さらに摺動を行い、摺動合計時間6時間後の断面状態を測定したところ、
図6に示すように、摺動によるa-C:H膜の未摺動時からの減少が、SEMレベルでは確認できないほど小さいことが確認できた。
【0116】
(b)摩擦係数
各摺動部材の摺動試験中における摩擦係数の変化を
図7に示す。
【0117】
図7に示すように、比較例2-2と実施例2-1、実施例2-2のいずれも、比較例2-1に比べて低い摩擦係数を示している。
【0118】
しかし、比較例2-2においては、試験開始後、すぐに摩擦係数が増加している。このため、MoDTC含有潤滑油中では、a-C:H膜の方がta-C膜よりも低い摩擦係数を示していても、比較例2-2では異常摩耗が発生し、低摩擦を安定して保つことができないと考えられる。なお、比較例2-2において、時間の経過に伴って摩擦係数が低下しているのは、異常摩耗により母材である鋼材が露出して、鋼材同士の摺動となったためと考えられる。
【0119】
これに対して、実施例2-1、および実施例2-2では、低い摩擦係数が維持されており、MoDTC含有潤滑油中でも、比較例2-2よりも優れた摺動性を安定して発揮できることが分かる。
【0120】
[3]隆起状形態物の数に対する耐久性評価
次いで、隆起状形態物の数に対する耐久性を評価する実験を行った。
【0121】
1.試験体の作製
母材としてSCM415浸炭材シリンダ(φ15mm×L22mm、HRC60)を用いて、上記した本実施の形態に係る硬質炭素膜の製造方法に従って、ta-C膜を表1に示すアーク電流および膜厚で形成し、さらに、ta-C膜の上に厚み0.3μmのa-C:H膜を形成することにより、実施例3-1~実施例3-3の摺動部材を作製した。また、隆起状形態物の数を極力減らすためにta-C膜の作製時のアーク電流を下げた比較例3-1、および隆起状形態物の数を極力増やすためにアーク電流と膜厚を極端に上げた比較例3-2を作製した。さらに、アークイオンプレーティング法(AIP法)ではなく、フィルタードアークイオンプレーティング法(FVA法)を用いた比較例3-3、比較例3-4を作製した。比較例3-1~比較例3-4においてもta-C膜の上に厚み0.3μmのa-C:H膜を形成している。
【0122】
2.耐久試験方法
作製された各摺動部材を用いて、鋼材ディスク(100CR6(DIN規格))を摺動相手として摺動試験を行った。
【0123】
具体的には、Optimol社製SRV(Schwingungs Reihungund und Verschleiss)試験機を用いて、
図4に示すように、硬質炭素膜が形成されたシリンダ41を鋼材ディスク42と往復摺動させることにより、SRV試験を行い、摺動特性を評価した。
【0124】
なお、このときの試験条件は以下の通りである。
・荷重:100N(事前慣らし時のみ50N)
・振動数:33Hz
・振幅:1.5mm
・時間:120min(事前慣らし:5min)
・温度:80℃
・オイル:MoDTC添加の0W-16
【0125】
3.試験結果
試験結果を表1に示す。
【0126】
【0127】
表1より、Pc値の小さい比較例3-1および比較例3-3、比較例3-4では、耐久試験後にta-C膜が露出しており、Pc値が小さいと隆起状形態物がa-C:H膜の摩耗を抑制する支柱として、その機能を十分に発揮できないことが確認できる。
【0128】
また、Pc値の大きい比較例3-2においても耐久試験後にta-C膜が露出しており、隆起状形態物がa-C:H膜の摩耗を抑制する機能が発揮されていない。
【0129】
これに対して、実施例3-1~実施例3-3では、耐久試験後にもa-C:H膜が残留しており、Pc値が80~300個の範囲において、隆起状形態物はa-C:H膜の摩耗を抑制する支柱としての機能を十分に発揮できる。
【0130】
以上、本発明を実施の形態に基づき説明したが、本発明は上記の実施の形態に限定されるものではない。本発明と同一および均等の範囲内において、上記の実施の形態に対して種々の変更を加えることが可能である。
【符号の説明】
【0131】
1 母材
2 ta-C膜
3 隆起状形態物
4 a-C:H膜
41 シリンダ
42 鋼材ディスク