IP Force 特許公報掲載プロジェクト 2022.1.31 β版

知財求人 - 知財ポータルサイト「IP Force」

▶ 三井化学株式会社の特許一覧

<>
  • 特許-内境界膜剥離モデルおよびその利用 図1
  • 特許-内境界膜剥離モデルおよびその利用 図2
  • 特許-内境界膜剥離モデルおよびその利用 図3
  • 特許-内境界膜剥離モデルおよびその利用 図4
< >
(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2022-10-26
(45)【発行日】2022-11-04
(54)【発明の名称】内境界膜剥離モデルおよびその利用
(51)【国際特許分類】
   G09B 23/28 20060101AFI20221027BHJP
   G09B 9/00 20060101ALI20221027BHJP
【FI】
G09B23/28
G09B9/00 Z
【請求項の数】 7
(21)【出願番号】P 2018552537
(86)(22)【出願日】2017-11-16
(86)【国際出願番号】 JP2017041318
(87)【国際公開番号】W WO2018097031
(87)【国際公開日】2018-05-31
【審査請求日】2020-10-07
(31)【優先権主張番号】P 2016227731
(32)【優先日】2016-11-24
(33)【優先権主張国・地域又は機関】JP
【国等の委託研究の成果に係る記載事項】(出願人による申告)平成27年度、国立研究開発法人科学技術振興機構、革新的研究開発推進プログラム(ImPACT)事業「バイオニックヒューマノイドが拓く新産業革命」に係る委託業務、産業技術力強化法第19条の適用を受ける特許出願
(73)【特許権者】
【識別番号】000005887
【氏名又は名称】三井化学株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】100103517
【弁理士】
【氏名又は名称】岡本 寛之
(72)【発明者】
【氏名】小俣 誠二
(72)【発明者】
【氏名】早川 健
(72)【発明者】
【氏名】佐久間 臣耶
(72)【発明者】
【氏名】新井 史人
【審査官】西村 民男
(56)【参考文献】
【文献】特開2014-189581(JP,A)
【文献】特開2013-246262(JP,A)
【文献】特開2011-253060(JP,A)
【文献】特開2007-316434(JP,A)
【文献】国際公開第2015/151939(WO,A1)
【文献】米国特許出願公開第2012/0021397(US,A1)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
G09B 1/00- 9/56,
17/00-19/26,
23/00-29/14,
A61B 3/00- 3/18,
C08J 5/00- 5/02,
5/12- 5/22
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
内境界膜剥離の手技訓練に使用される内境界膜剥離モデルであって、
擬似網膜と、
該擬似網膜上に形成された擬似内境界膜であって、少なくとも内境界膜剥離の手技訓練に使用される時においては水または所定の溶質を含む水溶液に浸された状態で配置される擬似内境界膜と、
ヒトの眼球に似せた形状である外壁部と、
を備え、
前記擬似網膜および前記擬似内境界膜が前記外壁部の内側に配置されており、
前記擬似内境界膜は、水溶性高分子を主体に形成された親水性高分子ゲルで形成されており、
前記親水性高分子ゲルは、ケン化度が50%以上、且つ、重合度が300以上3000以下であるポリビニルアルコール(PVA)系樹脂を主体に構成されている、内境界膜剥離モデル。
【請求項2】
内境界膜剥離の手技訓練に使用される内境界膜剥離モデルであって、
擬似網膜と、
該擬似網膜上に形成された擬似内境界膜と、
ヒトの眼球に似せた形状である外壁部と、
を備え、
前記擬似網膜および前記擬似内境界膜が前記外壁部の内側に配置されており、
前記擬似内境界膜は、水または所定の溶質を含む水溶液に浸された状態で配置されており、
前記擬似内境界膜は、水溶性高分子を主体に形成された親水性高分子ゲルで形成されており、
前記親水性高分子ゲルは、ケン化度が50%以上、且つ、重合度が300以上3000以下であるポリビニルアルコール(PVA)系樹脂を主体に構成されている、内境界膜剥離モデル。
【請求項3】
前記擬似内境界膜の平均膜厚が0.5μm以上20μm以下である、請求項1または2に記載の内境界膜剥離モデル。
【請求項4】
前記擬似網膜は、シリコーン系樹脂を主体に構成されている、請求項1~3のいずれか一項に記載の内境界膜剥離モデル。
【請求項5】
前記擬似内境界膜は、着色剤を含む、請求項1~4のいずれか一項に記載の内境界膜剥離モデル。
【請求項6】
内境界膜剥離の手技訓練を行うために用いる内境界膜剥離の手技訓練用のキットであって、
請求項1~5のいずれか一項に記載の内境界膜剥離モデルと、
前記擬似内境界膜を浸すために用いる水または所定の溶質を含む水溶液と、
を備える、内境界膜剥離の手技訓練用のキット。
【請求項7】
内境界膜剥離の手技訓練に使用される内境界膜剥離訓練装置であって、
内境界膜剥離モデルセット部と、
該セット部にセットされる、請求項1~5のいずれか一項に記載の内境界膜剥離モデルと、
を備える、内境界膜剥離訓練装置。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、眼球の内境界膜を剥離する手術の手技訓練等に用いる眼科用内境界膜剥離モデルとその利用に関する。
なお、本願は2016年11月24日に出願された日本国特許出願第2016-227731号に基づく優先権を主張しており、当該日本国出願の全内容は本明細書中に参照として援用されている。
【背景技術】
【0002】
ヒトや哺乳類の眼球の外壁には、眼球の外側からみて、強膜、脈絡膜および網膜といった種々の膜組織を備えている。さらに、網膜の内側(眼球の硝子体側を「内側」という。以下同じ。)には、内境界膜(Inner limiting membrane:ILM)と呼ばれる薄い膜組織が存在している。
【0003】
ところで、網膜の一部に損傷や異常が生じると、視力低下、視野の歪み、または視野欠損等の原因となる場合があり、また、進行すると失明を招く場合もある。例えば、黄斑(特に中心窩の部分)に異常が生じると、著しい視力低下若しくは中心視野の欠損を引き起こし、QOL(Quality of life、生活の質)の低下を招くことから、眼科における重要な治療対象となっている。
【0004】
かかる異常(疾患)の一例として、黄斑に孔があく症状、いわゆる黄斑円孔が挙げられる。黄斑円孔の治療は、一般的に硝子体手術により行われる。具体的には、後部硝子体剥離と内境界膜剥離、および液ガス置換が行われる。内境界膜の剥離は、黄斑円孔の治療に必須の処置ではなかったが、かかる内境界膜剥離を行うことによって、円孔周辺の網膜の進展性(柔軟性)が増し、円孔が閉鎖しやすくなる(即ち、治療効果が向上する)ことから、近年は頻繁に行われるようになってきている。さらに、内境界膜の剥離は、黄斑上膜、網膜静脈閉塞、等の疾患に対しても適応の優位性が報告されており、硝子体手術の中でも重要な手技の一つに位置付けられている。
【0005】
その一方で、内境界膜は極めて薄い膜(ヒトの眼球の内境界膜の平均膜厚で約3μm程度)であり、当該内境界膜直下には網膜が存在するため、内境界膜剥離は特に繊細な技術が必要な手術の一つである。このため、実際の内境界膜剥離手術を行う前に、何らかの眼球モデルを使って内境界膜剥離の事前訓練を何回も行っておくことが特に重要である。
従来、一般的な眼科手術の技術習得においては、摘出動物眼(典型的には豚眼)を用いて訓練が実施されてきた。しかし、高度な眼科手術にはヒトの眼球特有の構造の把握が必須であり、内境界膜剥離の訓練には、摘出動物眼を利用した代替訓練は不向きであった。このことに関し、例えば、特許文献1には、内境界膜を疑似した膜を備えた眼科手術訓練用の人工眼球モデルが記載されている。また、特許文献2には、内境界膜剥離を訓練するために用いられ得る人工の内境界膜剥離モデルが記載されている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0006】
【文献】米国特許出願公開第US2012/0021397号
【文献】国際公開第WO2015/151939号
【発明の概要】
【0007】
しかしながら、特許文献1に開示される人工眼球モデルは、網膜から内境界膜を剥離する手術の訓練に対応する構造ではない。また、特許文献2に開示される内境界膜剥離モデルは、良好な手技訓練が行える内境界膜剥離モデルであるといえるが、モデル自体が乾燥状態で手技訓練を行う形態であり、実際のヒト眼球により近いコンディションであるウェット状態で手技訓練を行えるモデルが望まれている。
【0008】
そこで本発明は、従来の手技訓練用モデルとは異なり、ヒトの眼球の内側の自然な状態に近いウェットな条件下で内境界膜剥離の手技訓練を行える内境界膜剥離モデル(手技訓練用のマテリアル)を提供することを目的として創出された発明である。
【0009】
上記の目的を実現するべく、本発明によって、擬似網膜と、該擬似網膜上に形成された擬似内境界膜とを備え、内境界膜剥離の手技訓練に使用される内境界膜剥離モデルが提供される。
ここで開示される内境界膜剥離モデルは、上記擬似内境界膜が水溶性高分子を主体(擬似内境界膜の構成成分中の50質量%を超える成分であることをいう。以下同じ)に形成された親水性高分子ゲルで形成されており、
少なくとも上記使用時(即ち、内境界膜剥離の手技訓練を行うとき)には、上記擬似内境界膜が水または所定の溶質を含む水溶液に浸された状態で配置されることを特徴としている内境界膜剥離モデルである。
【0010】
ここで開示される内境界膜剥離モデルでは、上記のとおり、擬似内境界膜が、親水性高分子ゲルで形成されており、水または所定の溶質を含む水溶液(以下、これらを総称して「水性媒体」ともいう。)に擬似内境界膜が浸された状態で手技訓練を行う、いわば、ウェットタイプの内境界膜剥離モデルである。
なお、本発明に関して「疑似網膜」および「疑似内境界膜」は、ヒトの眼球の内側の自然な状態に近いウェットな条件下で内境界膜剥離の手技訓練を行うことを実現する基材および該基材から剥離する膜状部材を意味するのであり、実際の網膜および内境界膜と同じ材質、形状、外観である必要はない。
例えば、疑似網膜は、内境界膜剥離の手技訓練を行うための基材として適用され得る限りにおいて、実際の網膜と同様の有機体である必要はなく、任意の形状、材質の無機物質からなる基材であってもよい。疑似内境界膜についても同様であり、ヒトの眼球の内側の自然な状態に近いウェットな条件下で内境界膜剥離の手技訓練を行うために基材から剥離される親水性高分子ゲル製の膜材として好適な限りにおいて、任意の形状でよい。
実際の眼球は房水と呼ばれる眼内を循環する液体で満たされており、内境界膜剥離を伴う眼科手術中は、眼還流液を循環させ、眼圧調整や眼内清掃を行っている。このため、より忠実に実際の手術環境を模倣したモデルにおいて手技訓練を行うことが、手術トレーニングシステムとして重要である。しかし、従来の技術(例えば上記特許文献2に開示される内境界膜剥離モデル)によって、実際の眼科手術を模擬するようなウェット環境においての内境界膜剥離の手技訓練を行うことは困難である。これに対し、ここで開示されるウェットタイプの内境界膜剥離モデルによると、水(例えば蒸留水、水道水)あるいは眼還流液や生理食塩水のような実際に手術の際に使用する水溶液を擬似内境界膜上に供給しつつ、ウェット環境下において内境界膜剥離訓練を行うことができる。このため、高度なスキルが要求される内境界膜剥離手術を、実際の眼科手術時のウェット環境に近似する環境でトレーニングすることができる。
【0011】
ここで開示されるウェットタイプの内境界膜剥離モデルの好ましい一態様では、上記擬似内境界膜の平均膜厚が0.5μm以上20μm以下であることを特徴とする。
この程度の膜厚の親水性高分子ゲルで擬似内境界膜を構成することにより、鉗子等の手術器具で内境界膜を把持した際にヒト眼球の内境界膜を把持している場合と同様(典型的には同じ)の厚さならびに感触が得られ得る。したがって、擬似内境界膜の膜厚を上記の範囲とすることで、ヒト眼球の内境界膜の感触をより好適に再現することができる。
【0012】
ここで開示されるウェットタイプの内境界膜剥離モデルの好ましい他の一態様では、上記親水性高分子ゲルは、ポリビニルアルコール(PVA)系樹脂、ポリエチレングリコール(PEG)系樹脂、コラーゲンおよびゼラチンのうちから選択される少なくとも一種を主体に構成されていることを特徴とする。
これら高分子物質からなる高分子ゲルは、良好な親水性(さらに好ましい場合は保水性)を有する。このため、水性媒体を使用した環境下で良好な内境界膜剥離の手技訓練を行うことができる。
例えば、ケン化度が50%以上のPVA系樹脂、及び/又は、重合度が300以上3000以下のPVA系樹脂を主体に構成されていることが、擬似内境界膜のウェットな存在状態を、ヒト眼球における内境界膜の自然な存在状態に近似させる、という観点から特に好ましい。
【0013】
また、ここで開示されるウェットタイプの内境界膜剥離モデルの好ましい他の一態様では、疑似網膜がシリコーン系樹脂を主体(擬似網膜の構成成分中の50質量%を超える成分であることをいう。以下同じ。)に構成されていることを特徴とする。
シリコーン系樹脂で構成された擬似網膜は、その表面上に形成された上記親水性高分子ゲル製の擬似内境界膜との密着性および剥離性を実際のヒト眼球における天然の網膜と内境界膜との密着性および剥離性に近似させることができ、臨場感のある内境界膜剥離の訓練を行うことができる。
【0014】
また、ここで開示されるウェットタイプの内境界膜剥離モデルの好ましい他の一態様では、上記疑似内境界膜は、着色剤を含むことを特徴とする。
内境界剥離モデルの擬似内境界膜を、視覚を通じて識別可能に着色しておくことで、より視覚的に分かり易い環境下で内境界膜剥離の手技訓練を行うことができる。また、実際にヒト眼球において内境界膜剥離手術を行う際にも、内境界膜を確実かつ安全に剥離するために色素等を用いて内境界膜を着色することがあり得るため、実際の手術に即した状態で手技訓練を行うことができる。
【0015】
また、ここで開示されるウェットタイプの内境界膜剥離モデルの特に好ましい一態様では、ヒトの眼球形状に形成された外壁部をさらに備えており、上記疑似網膜および疑似内境界膜が当該外壁部の内側に配置されていることを特徴とする。
ヒト眼球に近似する形状の内境界膜剥離モデルとして形成されていることにより、高いリアリティー感および臨場感をもって手技訓練を行うことができる。
【0016】
また、ここで開示されるウェットタイプの内境界膜剥離モデルの特に好適な実施態様の幾つかの例として、以下の(1)~(5)に示すものが挙げられる。
(1).内境界膜剥離の手技訓練に使用される内境界膜剥離モデルであって、
擬似網膜と、
該擬似網膜上に形成された擬似内境界膜であって、少なくとも前記使用時においては水または所定の溶質を含む水溶液に浸された状態で配置される擬似内境界膜と、
ヒトの眼球に似せた形状である外壁部と、
を備え、
前記疑似網膜および前記疑似内境界膜が前記外壁部の内側に配置されており、
前記擬似内境界膜は、水溶性高分子を主体に形成された親水性高分子ゲルで形成されており、
前記親水性高分子ゲルは、ケン化度が50%以上、且つ、重合度が300以上3000以下であるポリビニルアルコール(PVA)系樹脂を主体に構成されている、内境界膜剥離モデル。
(2).内境界膜剥離の手技訓練に使用される内境界膜剥離モデルであって、
擬似網膜と、
該擬似網膜上に形成された擬似内境界膜と、
ヒトの眼球に似せた形状である外壁部と、
を備え、
前記疑似網膜および前記疑似内境界膜が前記外壁部の内側に配置されており、
前記擬似内境界膜は、水または所定の溶質を含む水溶液に浸された状態で配置されており、
前記擬似内境界膜は、水溶性高分子を主体に形成された親水性高分子ゲルで形成されており、
前記親水性高分子ゲルは、ケン化度が50%以上、且つ、重合度が300以上3000以下であるポリビニルアルコール(PVA)系樹脂を主体に構成されている、内境界膜剥離モデル。
【0017】
(3).前記擬似内境界膜の平均膜厚が0.5μm以上20μm以下である、(1)または(2)に記載の内境界膜剥離モデル。
(4).前記疑似網膜は、シリコーン系樹脂を主体に構成されている、(1)~(3)のいずれかに記載の内境界膜剥離モデル。
(5).前記疑似内境界膜は、着色剤を含む、(1)~(4)のいずれか一項に記載の内境界膜剥離モデル。
【0018】
また、本発明は、上記目的を実現するため、内境界膜剥離の手技訓練を行うために用いるキット(物品の組合せ)であって、
ここで開示される何れかの構成の内境界膜剥離モデルと、
少なくとも使用時において、上記擬似内境界膜を浸すために用いる水または所定の溶質を含む水溶液(即ち、水性媒体)とを備える、内境界膜剥離の手技訓練用のキットを提供することができる。
【0019】
また、本発明は、内境界膜剥離の手技訓練に使用される内境界膜剥離訓練装置を提供することができる。即ち、ここで開示される内境界膜剥離訓練装置は、
内境界膜剥離モデルセット部と、
該セット部にセット(装着)される、ここで開示される何れかの構成の内境界膜剥離モデルと、
を備えることを特徴とする。
上記のとおり、ここで開示されるウェットタイプの内境界膜剥離モデルを使用することにより、実際のヒト眼球における場合と同様なウェット環境下において内境界膜剥離訓練を行うことができる。このため、本発明により提供される内境界膜剥離訓練装置によると、高度なスキルが要求される内境界膜剥離手術を、実際の眼科手術時のウェット環境に近似する環境でトレーニングすることができる。
【図面の簡単な説明】
【0020】
図1図1は、内境界膜剥離モデルの一構成例を模式的に示す断面図である。
図2図2は、内境界膜剥離モデルの他の一構成例を模式的に示す断面図である。
図3図3は、ヒト眼球形状に形成された内境界膜剥離モデルと、該モデルを装着可能な内境界膜剥離訓練装置の一例を模式的に示す説明図である。
図4図4は、ヒト眼球形状に形成された内境界膜剥離モデルを装着した内境界膜剥離訓練装置の構成を模式的に示す説明図である。
【発明を実施するための形態】
【0021】
以下、本発明の好適な実施形態を説明する。本明細書において特に言及している事項以外の事柄であって本発明の実施に必要な事柄は、当該分野における従来技術に基づく当業者の設計事項として把握され得る。本発明は、本明細書に開示されている内容と当該分野における技術常識とに基づいて実施することができる。なお、以下の図面において、同じ作用を奏する部材、部位に同じ符号を付して説明し、重複する説明は省略又は簡略化することがある。また、各図における寸法関係(長さ、幅、厚さ等)は実際の寸法関係を反映するものではない。なお、明細書中の数値範囲:A~B(A、Bは任意の数値)という表示は、A以上B以下を示す。
【0022】
ここで開示される内境界膜剥離モデルは、擬似網膜と、該擬似網膜上に形成された擬似内境界膜とを備えるモデルである。目的である内境界膜剥離手術の手技訓練を実施し得る限りにおいて、ここで開示される内境界膜剥離モデルの形状は特に限定されない。例えばシート状や板状、適当な大きさのチップ状等であり得る。
ここで開示される内境界膜剥離モデルの構成の一典型例を図1に模式的に示す。この内境界膜剥離モデル10は、シート状の擬似網膜30(即ち、疑似内境界膜20を形成するための基材)と、その一方の面(片面)に積層されたフィルム状(シート状)の擬似内境界膜20とを備える。かかる内境界膜剥離モデルは、内境界膜を網膜から剥離する内境界膜剥離手術のための事前の手技訓練に使用される。このことから、使用前(即ち、内境界膜剥離の手技訓練に供される前、典型的には保管中)においては、水性媒体を供給することなく、乾燥を防ぐための保護シートで表面が保護された形態であり得る。
あるいは、図2に示すように、上記擬似網膜30の背面側に何らかの支持基材40を備える形態の内境界膜剥離モデル10Aが好ましい。このような支持基材40を備える形態の内境界膜剥離モデル10Aは、形態保持に優れるため好ましい。
【0023】
内境界膜剥離モデルの擬似内境界膜の表面形状は、図1および図2に示すような平面であってもよいが、図3に示すような、ヒト眼球の眼底球面の凹面を模した湾曲であってもよい。具体的には、図3に示すような、ヒト眼球形状(即ち、ヒト眼球に似せた形状)の内境界膜剥離モデル100では、上記支持基材が眼球外壁部を構成する擬似強膜140に相当し、その内側に擬似網膜130と、擬似内境界膜120とが形成される。
擬似強膜(眼球外壁部)140は、適当な合成樹脂材料やエラストマー材料から成形することにより形成される。ヒト眼球での内境界膜剥離手術において剥離する内境界膜の範囲は狭小(例えば凡そ直径3mm以上5mm以下の円程度の大きさ)であることが多いため、上記ヒト眼球の眼底球面の凹面を模した湾曲形状の内境界膜剥離モデル100、あるいは平面形状の内境界剥離モデル10,10Aのいずれであっても本発明を好適に実施できる。
【0024】
ここで開示される内境界膜剥離モデルは、擬似内境界膜を擬似網膜上から剥離する際の剥離性が、ヒト眼球において天然の内境界膜を網膜から剥離する際の剥離性と近似している。かかる擬似内境界膜を擬似網膜上から剥離する際の剥離性が、ヒト眼球において内境界膜を剥離する際の剥離性と近似していることは、ヒト眼球における内境界膜剥離の手技を習得している医師(即ち、当業者)が擬似網膜上から擬似内境界膜を剥離する官能試験を行うことで、評価することができる。例えば、後述の実施例に示す評価方法を採用することで評価可能である。あるいは、内境界膜剥離モデルの破断強度、破断伸度、剥離強度等をそれぞれ測定することによっても評価することができる。
【0025】
かかる内境界膜剥離モデルの剥離性(例えば、破断強度、破断伸度)は、例えば、擬似内境界膜を構成する親水性高分子ゲルの性状(膜厚や強度)を適宜調整する、あるいは、該高分子ゲルを形成するための水溶性高分子材料の分子量、重合度、ケン化度、主鎖(ポリマー骨格)や側鎖の官能基の化学修飾の有無やその程度、等を適宜制御することによって調整することができる。あるいはまた、擬似網膜の性状(膜厚や強度)を適宜調整する、あるいは、該擬似網膜を構成する高分子材料の分子量、重合度、主鎖(ポリマー骨格)や側鎖の官能基の化学修飾の有無やその程度、等を適宜制御することによって調整することができる。
【0026】
ここで開示されるウェットタイプの内境界膜剥離モデルにおいて、擬似内境界膜の厚さは特に限定されない。ヒト眼球における内境界膜剥離の剥離性に近似した剥離性(典型的には、擬似内境界膜の把持性、破断強度、破断伸度等)を高度に再現する観点からは、擬似内境界膜の平均膜厚は、0.5μm以上(好ましくは1μm以上、例えば2μm以上あるいは3μm以上)が適当であり、20μm以下(好ましくは15μm以下、例えば10μm以下、あるいは3μm以下)が好ましい。
親水性高分子ゲルからなる擬似内境界膜の平均膜厚を上記範囲(例えば0.5μm以上20μm以下、あるいは0.5μm以上3μm以下)に設定することにより、ウェット環境下における内境界膜剥離の手技訓練をより好適に行うことができる。なお、本明細書において「膜厚」および「厚さ」とは、平均膜厚および平均厚さを表すものであるが、全測定領域の90%以上がここに示す膜厚または厚さの範囲に収まる擬似内境界膜が好ましい。
【0027】
ここで開示される内境界膜剥離モデルの擬似内境界膜は、ウェット環境下において内境界膜剥離訓練を行うことができるように、水溶性高分子を主体に形成された親水性高分子ゲルによって構成されている。ここで水溶性高分子の好適例として、タンパク質由来の水溶性高分子、例えば、各種のコラーゲン(例えばIV型コラーゲン、I型アテロコラーゲン)、あるいはゼラチン等の水溶性タンパク質、あるいはまた、ポリビニルアルコール(PVA)系樹脂、ポリエチレングリコール(PEG)系樹脂、等の水溶性高分子が挙げられる。
【0028】
ここで「ポリエチレングリコール(PEG)系樹脂」とは、
PEG単位:-(CH-CH-O)-で分子鎖(主鎖)が構成されているポリマー(ポリエーテル)であって、種々の官能基で修飾されたPEGを包含する用語である。例えば、ポリエチレングリコールジアクリレート、ポリエチレングリコールジメタクリレート、アルコキシポリエチレングリコールメタクリレート、アルキルフェノキシポリエチレングリコールアクリレート、等が挙げられる。
【0029】
また、ここで「ポリビニルアルコール(PVA)系樹脂」とは、
式:(-CHCH(OH)-) で示す狭義のPVA(即ち、ケン化度100%)のみならず、
式:-(CHCH(OH))-(CHCH(OCOCH))-で示す種々のケン化度(l/(l+m)×100)および重合度(l+m)のポリマーを包含する。また、一部の水酸基あるいは酢酸基が他の官能基で置換されたもの(ポリマー)を包含する用語である。例えば、ケン化度が78%以上(例えば80%以上)、さらには85%以上、特には90%以上のPVA系樹脂の使用が良好な親水性を発揮し得るため、好ましい。また、重合度は300以上が使用に適し、1000以上が好ましく、1700以上が特に好ましい。重合度の上限としては3000程度がよい。重合度が1000以上(特には1700以上)であって3000以下(特には2400以下)であると、良好な親水性(さらには保水性)の獲得と、ゲルの機械的強度の両立を図ることができる。このような好適な重合度のPVA系樹脂の分子量は、概ね10000以上150000以下であり得る。
【0030】
上記のような高分子化合物を適当な架橋剤と触媒を使用して架橋することにより、水に対して不溶性となった親水性高分子ゲル(ハイドロゲル)を得ることができる。
架橋剤としては、従来から使用される一般的な化合物、例えば、グルタルアルデヒド、N,N’-メチレンビスアクリルアミド、ヘキサメチレンテトラミン等の架橋剤を、無機酸または有機酸を触媒(塩酸、酢酸等)として使用し、好適な架橋反応によって親水性高分子ゲルを形成することができる。尚、かかる架橋反応や架橋剤の使用に関しては従来技術にすぎないため、これ以上の詳細な説明は省略する。
【0031】
擬似内境界膜を構成する親水性高分子ゲルには、熱安定剤、可塑剤、滑剤、抗酸化剤、充填剤、界面活性剤、安定剤、pH調整剤、着色剤(染料、顔料)等の各種添加剤を必要に応じて含有させることができる。特に、着色剤の利用が好適である。
例えば、充填材として着色可能な物質と、当該物質を着色し得る化合物(着色剤)を添加することが好ましい。擬似内境界膜は、無色透明であってもよいが、好ましくは、擬似内境界膜を確実かつ安全に剥離するために色素等を用いて擬似内境界膜を着色しておくことが好ましい。例えば、PVA系樹脂またはPEG系樹脂を主体に高分子ゲルを形成する場合、ゼラチン等のタンパク質系物質を高分子ゲル調製用材料に添加し、さらに当該物質を染色し得る着色剤(例えばブリリアントブルー、クマシーブリリアントブルー、蛍光色素、等)を加えるとよい。着色剤として顔料(アゾ系顔料、フタロシアニン系顔料、アントラキノン系顔料等)を特に制限なく使用することができる。
【0032】
次に、擬似網膜について説明する。ここで開示される擬似網膜は、ヒト眼球における内境界膜剥離の剥離性に近似した剥離性(典型的には上記の破断強度、破断伸度、剥離強度)を疑似内境界膜とともに実現する基材であれば、特に限定されない。擬似網膜(基材)の厚さは特に限定されず、生産性、コスト、保存性等の観点から適宜設定することができる。例えば、擬似網膜の平均膜厚を、100μm以上(例えば200μm以上)、1000μm以下(例えば500μm以下)程度とすることができる。
【0033】
擬似網膜の材質は特に限定されず、例えば、エラストマー材料や合成樹脂材料等の有機材料を主体とする材質で形成されるとよい。実際のヒト眼球における内境界膜剥離の剥離性と近似した剥離性を高度に実現しやすいため、特に、エラストマー材料を主体として形成されることが好ましい。例えば、シリコーンゴム、ブタジエンゴム、イソプレンゴム、ブチルゴム、フッ素ゴム、エチレンプロピレンゴム、ニトリルゴム、天然ゴム等の高分子材料を主成分とする材質により構成することができる。このような高分子材料は、1種類を単独で用いてもよいし、2種類以上を組み合わせて用いてもよい。
特に、シリコーンゴムによって擬似網膜を形成することが好ましい。使用されるシリコーンゴムとしては、架橋構造を有し、ゴム状性質を有するポリシロキサンであれば特に制限なく使用できる。通常、シリコーンゴムはポリシロキサンを架橋することによって製造される。なお、ポリシロキサンは直鎖状、分岐鎖状、または環状のいずれであってもよい。シリコーンゴムを構成する主鎖であるポリシロキサンの側鎖には、種々の官能基が導入されていてもよい。側鎖の実質的に全てがメチル基であるポリジメチルシロキサン(PDMS;典型的には両末端変性ポリジメチルシロキサン)からなるシリコーンゴムを好適に用いることができる。
【0034】
擬似網膜には、シリコーンゴムを構成するポリシロキサン成分以外に、必要に応じて、例えば触媒、充填剤、酸化防止剤、紫外線吸収剤、可塑剤、着色剤(染料、顔料)、反応助剤、反応抑制剤等、他の公知の添加剤を適宜添加することができる。触媒、充填剤、可塑剤等の添加量を調整することで、シリコーンゴムの硬さ等を適宜調整することができる。かかるシリコーンゴムは、上述のような成分を適宜調製又は入手して混合したもの、あるいは上述のような成分を含む市販品を使用することができる。
【0035】
次に、支持基材について説明する。ここで開示される内境界膜剥離モデルの支持基材は、擬似内境界膜および擬似網膜を支持し得るものであればよく、特に性状は限定されない。ヒト眼球形状に形成された内境界膜剥離モデルにおいては、支持基材が眼球の外壁部を構成する擬似強膜であり得る。支持基材の厚さは特に限定されず、生産性、コスト、保存性等の観点から適宜設定することができる。例えば、支持基材としてのヒト眼球モデルの外壁部(擬似強膜)の平均膜厚は、3mm以下(好ましくは0.5mm以上2mm以下、例えば1mm±0.2mm)程度とすることができる。なお、ここで開示されるヒト眼球に似せた形状である内境界膜剥離モデルは、眼球の内境界膜を剥離する手術の手技訓練に好適に用いることができるものであればよく、ヒト眼球モデルの外壁部が擬似強膜以外の形態であってもよい。
【0036】
支持基材(例えば擬似強膜)の材質は特に限定されない。例えば、エラストマー材料や合成樹脂材料等の有機材料を主体とする材質で形成されるとよい。実際のヒト眼球に近似させるには、特にエラストマー材料を主体として形成されることが好ましい。例えば、シリコーンゴム、ブタジエンゴム、イソプレンゴム、ブチルゴム、フッ素ゴム、エチレンプロピレンゴム、ニトリルゴム、天然ゴム等の高分子材料を主成分とする材質により構成することができる。このような高分子材料は、1種類を単独で用いてもよいし、2種類以上を組み合わせて用いてもよい。
特に、シリコーンゴムによって支持基材(特に、擬似強膜)を形成することが好ましい。使用されるシリコーンゴムとしては、架橋構造を有し、ゴム状性質を有するポリシロキサンであれば特に制限なく使用できる。直鎖状、分岐鎖状、または環状のいずれのポリシロキサンであってもよい。シリコーンゴムを構成する主鎖であるポリシロキサンの側鎖には、種々の官能基が導入されていてもよい。側鎖の実質的に全てがメチル基であるポリジメチルシロキサン(PDMS;例えば両末端変性ポリジメチルシロキサン)からなるシリコーンゴムを好適に用いることができる。
【0037】
支持基材についても、必要に応じて、触媒、充填剤、酸化防止剤、紫外線吸収剤、可塑剤、着色剤(染料、顔料)、反応助剤、反応抑制剤、等の添加剤を適宜添加することができる。触媒、充填剤、可塑剤等の添加量を調整することで、シリコーンゴムの硬さ等を適宜調整することができる。かかるシリコーンゴムは、上述のような成分を適宜調製又は入手して混合したもの、あるいは上述のような成分を含む市販品を使用することができるが、このこと自体は従来技術であり、特に詳しい説明は省略する。
【0038】
次に、ここで開示される内境界膜剥離モデルの製造(形成)について説明する。
上述のとおり、ここで開示される内境界膜剥離モデルを構成する各構成要素自体は、従来知られた素材から構築されており(例えば、PVA系樹脂からなる親水性高分子ゲル、シリコーンゴム等)、素材に合わせた従来の形成方法を採用することによって、内境界膜剥離モデルを製造(形成)することができる。
例えば、各種のエラストマー材料や合成樹脂材料を主体とする場合、支持基材上に、擬似網膜の構成成分を含む液状の擬似網膜形成用組成物を直接付与(典型的には塗付)し、次いで、必要に応じて乾燥させ、光硬化、熱硬化、等の種々の硬化処理を行うことにより、擬似網膜を形成することができる。具体的には、グラビアコーター、ロールコーター、ダイコーター、スピンコーター、スプレーコーター等を用いて支持基材上に擬似網膜形成用組成物を塗付することができる。特に、スピンコーターを用いた塗付(即ち、スピンコート法)は、膜厚が均一な薄い膜を高精度に形成可能であり、作業性にも優れているため本発明の実施に好ましい。
あるいは、上記材料を主成分として含む材料を使用して、一般的なフィルム(シート)成形法(例えば押し出し成形法やインフレーション成形法)により形成してもよい。支持基材を有しない内境界膜剥離モデルにおける擬似網膜の形成には、かかる方法が適している。また、かかる方法により形成した擬似網膜を、接着剤等を用いて支持基材上に固定して用いてもよい。
【0039】
また、擬似内境界膜を擬似網膜上に設ける方法としては、ヒト眼球における内境界膜剥離の剥離性に近似した剥離性を有する擬似内境界膜を製造可能な方法であれば、従来公知の方法を特に制限なく選択して行うことができる。
例えば、擬似内境界膜(親水性高分子ゲル)の構成成分を含む液状またはスラリー状の擬似内境界膜形成用組成物を、擬似網膜上に各種コート法(例えばスピンコート法)によって直接塗付し、架橋剤の種類に応じて、加熱や光照射処理を施し、塗布物を架橋することによって目的とする高分子ゲルを作製する方法が挙げられる。
【0040】
以下、ここで開示される内境界膜剥離モデルとして好適なヒト眼球モデル、ならびに該ヒト眼球モデルを備えた内境界膜剥離訓練装置の一実施形態を、図3および図4を参照しつつ説明する。
図3に示すように、本実施形態に係る内境界膜剥離訓練装置1は、ヒト眼球に似せた形状およびサイズに形成された内境界膜剥離モデル100と、該内境界膜剥離モデル100をセット(装着)する内境界膜剥離モデルのセット部200(以下、単に「セット部200」という。)とから構成されている。
具体的には、図示されるように、本実施形態に係る内境界膜剥離モデル100は、ヒト眼球に近似する直径が約24mmの中空の球形状形態に形成される。その外壁部(球面)は、厚さ1mm±0.1mm程度のシリコーンゴムからなる成形物(支持基材)であり、ヒト眼球に似せた形状およびサイズに形成された擬似強膜140を構成している。特に限定しないが、ヒト眼球に近似するよう、当該シリコーンゴムからなる擬似強膜140の弾性率(JISやASTMに基づくフィルム(シート)を対象とする引張試験法による。以下同じ。)は、0.5MPa以上20MPa以下程度に調整される。1MPa以上10MPa以下程度が好ましい。
【0041】
ヒト眼球の前面部に相当する外壁部の一部は、ヒト眼球の場合と同様にやや隆起した角膜領域150を構成している。これにより、後述するセット部200との位置関係を適正に保つことができる。
図3に示すように、内境界膜剥離モデル100の擬似強膜(外壁部)140の内面側であって、角膜領域150に対向する領域、具体的には、自然のヒト眼球であれば視神経や黄斑部が存在する領域、例えばヒト眼球の黄斑部を中心に眼球内側全体の1/3~1/2に相当する領域に、擬似網膜130が形成されている。本実施形態に係る擬似網膜130は、シリコーンゴムから形成されており、その平均膜厚は、100μm以上500μm以下(例えば200μm~300μm)である。また、ヒト眼球に近似するよう、当該シリコーンゴムからなる擬似網膜130の弾性率は、100kPa未満(例えば10kPa以上50kPa以下)程度に調整されることが好ましい。
【0042】
擬似網膜130の上面には、本実施形態に係る擬似内境界膜120が形成されている。具体的には、ケン化度が50%以上且つ重合度が300以上3000以下であるPVA系樹脂(より好ましくは、ケン化度が78%以上、及び/又は、重合度が1000以上3000以下のPVA系樹脂)が架橋されて構成された親水性高分子ゲルにより擬似内境界膜120が形成されている。擬似内境界膜120の平均膜厚は、3μm以上15μm以下である。あるいは、ヒト生体眼球が備える擬似内境界膜に近似するよう、擬似内境界膜120の平均膜厚を1μm以上3μm以下に設定してもよい。ヒト眼球に近似するよう、当該親水性高分子ゲルからなる擬似内境界膜120の弾性率は、50kPa以上200kPa以下(例えば100kPa以上150kPa以下)程度に調整される。
【0043】
図3に示すように、本実施形態に係るセット部200は、ベース板201と、該ベース板から立ち上がった円筒状の周壁202であってヒト眼球形状の内境界膜剥離モデル100の直径に対応する内径の周壁202と、から構成されている。
かかる構成により、図3に示すように、ヒト眼球形状の内境界膜剥離モデル100の約半分がセット部200の周壁202に囲まれた装着空間204に収容された状態で、当該ヒト眼球形状の内境界膜剥離モデル100は、セット部200に嵌合される。これにより、物理的に安定した形態で、内境界膜剥離の手技訓練を行うことができる。
なお、図4に示すように、あらかじめ用意されたヒトの顔面(フェース)に似せて形成されたフェース模型500からなる内境界膜剥離訓練装置を使用することができる。この態様では、装着穴(即ち、擬似眼窩を構成する穴)502が、ヒト眼球形状の内境界膜剥離モデル100を装着する凹形状のセット部502に相当する。そして、当該セット部(擬似眼窩)502に内境界膜剥離モデル100を装着し、内境界膜剥離の手技訓練を行うことができる。この態様では、より臨場感をもって内境界膜剥離の手技訓練を行うことができる。
【0044】
図3図4に示す内境界膜剥離訓練装置1を使用する場合、具体的には、内境界膜剥離の手技訓練を行う前に、ここで開示される上記キット等により提供される水性媒体2(水または所定の溶質を含む水溶液である、例えば蒸留水や生理食塩水)を、ヒト眼球形状の内境界膜剥離モデル100の内部に供給し、少なくとも内境界膜120が当該供給された水性媒体2によって浸される環境を形成する。これにより、ウェット環境下で好ましく、物理的に安定した形態で、内境界膜剥離の手技訓練を行うことができる。なお、擬似強膜(外壁部)140の内部に予め水性媒体2を含有させ、擬似内境界膜120が水または所定の溶質を含む水溶液に浸された状態のヒト眼球形状の内境界膜剥離モデル100を製造、販売することもできる。この形態では、内境界膜剥離の手技訓練を行う直前に水性媒体2を内境界膜剥離モデル100の内部に供給する手間を省くことができる。水性媒体2の供給量は、内境界膜120が当該供給された水性媒体2によって浸される環境を形成することができる限り特に限定されない。例えば、図3に示す角膜領域150の近傍まで水性媒体2の供給量を増やしてもよい。
そして、使用者は、擬似強膜140の一部に挿入口160を設け、当該挿入口160から適当な手術器具3(鉗子、カニューレ、等)を眼球(擬似強膜140)の内側に挿入して、内境界膜剥離の手技訓練を行うことができる。なお、挿入口160は、事前に形成されていてもよく、あるいは手技訓練の際に使用者が手術器具等を操作して直接形成してもよい。
【0045】
以下、本発明に関するいくつかの実施例を説明するが、本発明をかかる実施例に示すものに限定することを意図したものではない。
【0046】
<試験例1:内境界膜剥離モデルの作製>
表1に示す計11種類(サンプルNo.1~11)の相互に重合度およびケン化度が異なるPVA系樹脂をそれぞれ使用して内境界膜を作製することにより、内境界膜が各々異なる計11種類(サンプルNo.1~11)の内境界膜剥離モデルを作製した。
【0047】
【表1】
【0048】
即ち、支持基材として、厚さ0.25mmのガラス板を準備した。そして、この支持基材の片面に、ポリジメチルシロキサンを主成分とするシリコーンゴム材料として、東レ・ダウコーニング株式会社製の加熱硬化性ジメチルシリコーンゴム(商品名「DOW CORNING TORAY SILPOT 184 W/C」)を用い、主剤10質量部に対して硬化触媒を1質量部の割合で混合したシリコーンゴム塗料を、スピンコート法(回転数1000rpm、回転時間30秒)により塗布した。そして、シリコーンゴム塗料をコートしたガラス板を90℃のホットプレート上で約10分間加熱して当該シリコーンゴムを乾燥および硬化させ、直径が約10mmの円形状に擬似網膜を作製した。擬似網膜の平均厚さは約280μmであった。
【0049】
次に、上記作製した疑似網膜上に内境界膜を形成した。具体的には次のとおりである。
(1)表1に示すいずれかのPVA系樹脂を使用し、架橋剤としてグルタルアルデヒド、着色剤としてブリリアントブルー、着色用充填剤としてゼラチンを用意した。
(2)上記(1)に記載の各材料を、PVA系樹脂:100mM、架橋剤:500mM、着色用充填剤:1mM、着色剤:40μMの各濃度となるように、蒸留水に添加、混合し、内境界膜形成用水性材料を調製した。
(3)上記作製した疑似網膜上に、内境界膜形成用水性材料を塗布し、チャンバー内で乾燥した。その後、70℃で1時間、さらに120℃で1時間の加熱処理を行った。
(4)次に、加熱後の各サンプルを室温条件下で触媒である1Mの塩酸(HCl)溶液に2分~10分ほど浸しておき、架橋反応を誘起した。
(5)このようにして、PVA系樹脂がグルタルアルデヒドによって架橋された、親水性高分子ゲル(ハイドロゲル)からなる疑似内境界膜が疑似網膜上に形成された。疑似内境界膜の平均厚さは、いずれも1~6μmの範囲内にあった。
【0050】
<試験例2:内境界膜剥離モデルの剥離性の評価>
試験例1で作製した例1~11の内境界膜剥離モデルについて、以下の方法で内境界膜剥離試験を行った。
即ち、当業者である医師(眼科医)2名をそれぞれ試験実施者1および2とし、実際の手術に用いる鉗子を用いて各例に係る内境界膜剥離モデルについて擬似網膜上から擬似内境界膜を剥離する手技試験を行った。各内境界膜剥離モデルには蒸留水を供給し、擬似内境界膜の上面まで蒸留水に浸された状態で、剥離試験を行った。
また、実施に際し、試験実施者である2名の医師に対しては、試験体がどのサンプルであるかを明らかにせず、例1~11に係る内境界膜剥離モデルを順不同(ランダム)に提供し、試験を行った。なお、試験実施者1および2は、内境界膜剥離の手技を高度に習得している医師である。
【0051】
上記剥離試験の評価は以下の基準に基づいて評価した。
◎:実際にヒト眼球の内境界膜を剥離するときの剥離性に極めて近い
〇:実際にヒト眼球の内境界膜を剥離するときの剥離性と似ている
△:実際にヒト眼球の内境界膜を剥離するときの剥離性と比較して違和感がある。
各試験実施者によってなされた各例に係る内境界膜剥離モデルの剥離性の評価(官能試験結果)を表2に示す。

【0052】
【表2】
【0053】
表2に示すように、いずれの内境界膜剥離モデルもうまく剥離することができ、内境界膜剥離モデルとしての使用が可能であることが認められた。
特に、表2の結果から、ケン化度78%を上回るもの、具体的にはケン化度が88%以上であり、重合度が1000以上(ここでは、1000~2400)のPVC系樹脂由来の親水性高分子ゲルからなる擬似内境界膜が、ウェット環境下での内境界膜剥離手術の訓練に好適であることが認められた。
【産業上の利用可能性】
【0054】
上述したように、本発明によって、ヒト眼球の内側の自然状態に近いウェットな条件下で内境界膜剥離の手技訓練を行える内境界膜剥離モデル(手技訓練用のマテリアル)である。このため、高度なスキルが要求される内境界膜剥離手術を、実際の眼科手術時のウェット環境に近似する環境でトレーニングすることができる。
図1
図2
図3
図4