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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2022-10-31
(45)【発行日】2022-11-09
(54)【発明の名称】高強度鋼部材
(51)【国際特許分類】
   C22C 38/00 20060101AFI20221101BHJP
   C22C 38/12 20060101ALI20221101BHJP
   C22C 38/58 20060101ALI20221101BHJP
   C21D 9/00 20060101ALN20221101BHJP
【FI】
C22C38/00 301Z
C22C38/12
C22C38/58
C21D9/00 A
【請求項の数】 3
(21)【出願番号】P 2021551091
(86)(22)【出願日】2019-10-11
(86)【国際出願番号】 JP2019040310
(87)【国際公開番号】W WO2021070384
(87)【国際公開日】2021-04-15
【審査請求日】2021-11-15
(73)【特許権者】
【識別番号】000006655
【氏名又は名称】日本製鉄株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】110001519
【氏名又は名称】弁理士法人太陽国際特許事務所
(72)【発明者】
【氏名】山▲崎▼ 真吾
(72)【発明者】
【氏名】寺本 真也
【審査官】立木 林
(56)【参考文献】
【文献】特開2011-246811(JP,A)
【文献】国際公開第2017/131077(WO,A1)
【文献】特開2012-172247(JP,A)
【文献】特開平6-336650(JP,A)
【文献】特開2006-45670(JP,A)
【文献】特開2015-161018(JP,A)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C22C 38/00
C22C 38/12
C22C 38/58
C22C 38/60
C21D 9/00
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
質量%で、
C :0.25~0.50%、
Si:2.00~4.00%、
Mn:0.20~2.00%、
V :0.30~1.00%、
Mo:0.05~1.00%、
N :0.001~0.020%、
P :0.015%以下、および
S :0.015%以下、
を含有し、残部がFeおよび不純物からなり、下記式(1)の値が200超であり、かつ下記式(2)の値が3.00以下である化学組成を有し、
鋼部材の表面から深さ1.0mmに位置しかつ鋼部材の表面と平行な面における鋼組織が、旧オーステナイト粒の平均アスペクト比1.3以下の焼戻しマルテンサイト組織であり、
鋼部材の引張強さが1300MPa以上1600MPa以下の高強度鋼部材。
100×%C+50×%Si+200×%V+100×%Mo ・・・式(1)
%Mo/%V ・・・式(2)
ここで、式(1)及び式(2)中、%C、%Si、%Vおよび%Moは、それぞれC、Si、V、およびMoの含有量(質量%)を表す。
【請求項2】
質量%で、
Cr:0~2.00%、
Al:0~0.100%、
Ti:0~0.300%、
Nb:0~0.300%、
W :0~1.000%、
B :0~0.0100%、
Ni:0~3.00%、
Cu:0~2.00%、および、
REM:0~0.0200%
の1種または2種以上を含有する化学組成を有する請求項1に記載の高強度鋼部材。
【請求項3】
前記鋼部材の表面から深さ1.0mmに位置しかつ鋼部材の表面と平行な面における鋼組織が、粒径50nm以下の析出物が面積率で0.50%以上含有する請求項1または請求項2に記載の高強度鋼部材。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本開示は、引張強さが1300MPa以上1600MPa以下の高強度鋼部材に関するものである。
【背景技術】
【0002】
機械、自動車、橋、建物等に数多く使用されている高強度鋼部材は、例えばJIS G 4104:1979,JIS G 4105:1979に規定されている、C量が0.20~0.35%の中炭素鋼(クロム鋼(SCr)、クロムモリブデン鋼(SCM)等)を用いて焼入れ・焼戻し処理をすることによって製造されている。しかし、どの鋼種についても引張強さが1300MPa以上となると水素脆化(遅れ破壊)の危険性が高まることがよく知られている。そのため、例えば、現在使用されている建築用高強度鋼部材の引張強度は1150MPa級が上限となっているのが現状である。
【0003】
高強度鋼部材の耐遅れ破壊特性を向上させる従来の知見として、例えば、特許文献1には、旧オーステナイト粒を微細化させること、及び組織をベイナイト化させることが有効であると提案している。確かに、ベイナイト組織は遅れ破壊に対して有効であるが、ベイナイト化処理は製造コストが高くなる。特許文献2には、旧オーステナイト粒を微細化することにより耐遅れ破壊特性が向上することが提案されている。
【0004】
また、特許文献3には、微細化合物による水素トラップ効果を利用して耐遅れ破壊特性を向上させたボルト用鋼が提案されている。
【0005】
また、特許文献4には、所定の粒径でアスペクト比が1.5以上の旧オーステナイト粒を利用して、高強度で、かつ耐遅れ破壊特性を向上させた高強度鋼材が提案されている。
【0006】
また、特許文献5には、Mnミクロ偏析度、および非拡散性水素量を制御して、引張強さが1800MPa以上の高強度で、かつ耐遅れ破壊特性を向上させた高強度鋼材が提供されている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0007】
特許文献1: 日本国特開平3-243744号公報
特許文献2: 日本国特開平3-243745号公報
特許文献3: 日本国特開平10-17985号公報
特許文献4: 日本国特開2014-43612号公報
特許文献5: 日本国特開2012-172247号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
しかし、特許文献1~2のいずれの鋼部材も、耐遅れ破壊特性が向上するが、より安定的に使用するため、さらなる改善が望まれる。
また、特許文献3のボルト用鋼も、本発明者らの試験では、水素トラップ能を発現する析出物には構造、サイズ、形態に制約があり、特許文献3記載の技術では有効な水素トラップ能が得られない。
【0009】
特許文献4で開示される技術では、鋼材が、熱間圧延につづいて焼入れ焼戻し処理がなされることが必要である。この結果、特許文献4で開示される鋼材の金属組織は、伸長された旧オーステナイト粒界を有し、これにより水素トラップ効果を実現している。特許文献4が開示する製造方法は、常温での成形後に焼入れ焼戻しを行って製造される鋼部材(たとえば、高強度ボルト等)に適用することができない。
一方、特許文献5の技術は、引張強さが1800MPa以上のばね用鋼材を前提とするものである。一般的には、引張強度と耐遅れ破壊特性はトレードオフの関係にあり、特許文献5(引張強度1800MPa以上)で求められる特性水準と、引張強さが1300MPa以上1600MPa以下の鋼材とで求められる特性水準は異なる。特許文献5の技術をそのまま応用しても、本開示で想定する強度範囲において、十分な水素トラップ能を発現できるわけではなく、異なる着想が必要となる。
【0010】
以上のように、従来の技術では、引張強さが1300MPa以上1600MPa以下の鋼部材で、耐遅れ破壊特性を抜本的に向上させた高強度鋼部材を製造することには限界があった。
【0011】
そこで、本開示の課題は、上記の如き実状に鑑みてなされたものであって、耐遅れ破壊特性が良好で且つ引張強さが1300MPa以上1600MPa以下の高強度鋼部材を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0012】
上記課題を解決する手段は、以下の態様が含まれる。
【0013】
<1>
質量%で、
C :0.25~0.50%、
Si:2.00~4.00%、
Mn:0.20~2.00%、
V :0.30~1.00%、
Mo:0.05~1.00%、
N :0.001~0.020%、
P :0.015%以下、および
S :0.015%以下、
を含有し、残部がFeおよび不純物からなり、下記式(1)の値が200超であり、かつ下記式(2)の値が3.00以下である化学組成を有し、
鋼部材の表面から深さ1.0mmに位置しかつ鋼部材の表面と平行な面における鋼組織が、旧オーステナイト粒の平均アスペクト比1.3以下の焼戻しマルテンサイト組織であり、
鋼部材の引張強さが1300MPa以上1600MPa以下の高強度鋼部材。
100×%C+50×%Si+200×%V+100×%Mo ・・・式(1)
%Mo/%V ・・・式(2)
ここで、式(1)及び式(2)中、%C、%Si、%Vおよび%Moは、それぞれC、Si、V、およびMoの含有量(質量%)を表す。
<2>
質量%で、
Cr:0~2.00%、
Al:0~0.100%、
Ti:0~0.300%、
Nb:0~0.300%、
W :0~1.000%、
B :0~0.0100%、
Ni:0~3.00%、
Cu:0~2.00%、および、
REM:0~0.0200%
の1種または2種以上を含有する化学組成を有する<1>に記載の高強度鋼部材。
<3>
前記鋼部材の表面から深さ1.0mmに位置しかつ鋼部材の表面と平行な面における鋼組織が、粒径50nm以下の析出物が面積率で0.50%以上含有する請求項1または請求項2に記載の高強度鋼部材。
【発明の効果】
【0014】
本開示によれば、耐遅れ破壊特性が良好で且つ引張強さが1300MPa以上1600MPa以下の高強度鋼部材を提供できる。
【発明を実施するための形態】
【0015】
以下、本開示の一例である実施形態について詳細に説明する。
なお、本明細書中において、「~」を用いて表される数値範囲は、「~」の前後に記載される数値を下限値及び上限値として含む範囲を意味する。
段階的に記載されている数値範囲において、ある数値範囲で記載された上限値又は下限値は、他の段階的な記載の数値範囲の上限値又は下限値に置き換えてもよい。
数値範囲において、ある数値範囲で記載された上限値又は下限値は、実施例に示されている値に置き換えてもよい。
「工程」との語は、独立した工程だけでなく、他の工程と明確に区別できない場合であっても工程の所期の目的が達成されれば、本用語に含まれる。
化学組成の元素の含有量は、元素量(例えば、C量、Si量等)と表記する。
化学組成の元素の含有量について、「%」は「質量%」を意味する。
「好ましい態様の組み合わせ」は、より好ましい態様である。
【0016】
本実施形態に係る高強度鋼部材(以下、単に「鋼部材」とも称する)は、所定の元素が後述する各元素量の範囲で含み、下記式(1)の値が200超であり、かつ下記式(2)の値が3.00以下である化学組成を有する。
100×%C+50×%Si+200×%V+100×%Mo ・・・式(1)
%Mo/%V ・・・式(2)
ここで、式(1)及び式(2)中、%C、%Si、%Vおよび%Moは、それぞれC、Si、V、およびMoの含有量(質量%)を表す。
【0017】
そして、本実施形態に係る高強度鋼部材は、鋼部材の表面から深さ1.0mmに位置しかつ鋼部材の表面と平行な面における鋼組織が、旧オーステナイト粒の平均アスペクト比1.3以下の焼戻しマルテンサイト組織であり、鋼部材の引張強さが1300MPa以上1600MPa以下である。
なお、鋼部材の引張強さは、JIS Z 2241:2011に従って測定する値である。
【0018】
本実施形態に係る高強度鋼部材は、上記構成により、耐遅れ破壊特性が良好で且つ引張強さが1300MPa以上1600MPa以下の高強度鋼部材となる。そして、本実施形態に係る高強度鋼部材は、次に示す知見により見出された。
【0019】
まず、本発明者らは、まず、焼入れ焼戻し処理によって製造した種々の強度レベルの鋼部材を用いて、遅れ破壊挙動を詳細に解析した。その結果、本発明者らは次の知見を得た。焼入れ焼戻し処理後の硬さが同じ鋼部材間で比較すると、焼入れ処理後に高温焼戻しを施すことで、耐遅れ破壊特性が向上する。また、析出物を微細に析出(特に、二次硬化現象を示すMC系炭化物を析出)させることで、高強度を保ちながら耐遅れ破壊特性を向上させることが可能である。
ただし、焼戻しに際しては、通常、炭素の拡散のみを必要とするセメンタイトが析出し、このセメンタイトを炭素供給源として、セメンタイトの溶解を伴いながらMC系炭化物が析出する。そのため、十分なMC系炭化物を析出させるには時間が掛かる難点がある。
【0020】
これに対し、さらに、本発明者らは、次の知見を得た。2.00%以上(好ましくは3.00%以上)かつ4.00%以下のSi、0.30%以上1.00%以下のV、および0.05%以上1.00%以下のMoを含有し、かつ式(1)および式(2)を満たす鋼部材を焼入れ、550℃以上の高温で焼戻すことで、従来品との対比において、高強度を保ちながら耐遅れ破壊特性が向上した鋼部材を得られる。
【0021】
この理由は、次の通りと考えられる。上記化学組成を満たす鋼部材を焼入れ、550℃以上の高温で焼戻すと、焼入れマルテンサイト組織中で、析出物が微細な状態で析出する。特に、Siによりセメンタイトの析出が抑制され、焼戻し二次硬化現象を示す「VCを主体とするMC系炭化物」を効率よく、かつ粒径50nm以下という微細な状態で析出させることが可能となる。そして、この析出物(特にMC系炭化物)の析出が、鋼部材の表面から深さ1.0mmに位置しかつ鋼部材の表面と平行な面における鋼部材の鋼組織中で少なくとも生じる。それにより、高強度を保ちながら耐遅れ破壊特性が向上すると考えられる。
【0022】
なお、鋼部材の表面から深さ1.0mmに位置しかつ鋼部材の表面と平行な面における鋼部材の鋼組織に着目したのは、水素脆化による遅れ破壊は鋼部材の表面から深さ数百μm以上の内部でかつ応力三軸度の高い部位が起点となって発生するためである。もっとも、MC系炭化物の析出は鋼部材の表面から深さ1.0mm位置に限られず、鋼部材の任意の箇所にて進むものと考えられる。
【0023】
これらの知見に基づき、本発明者らは、鋼部材の化学組成を最適に選択すれば、引張強さが1300MPa以上1600MPa以下という高強度でも、耐遅れ破壊特性に優れ、高強度ボルト、プレストレスト・コンクリート(PC)鋼棒等に適用可能な鋼部材を実現できるという結論に達した。
【0024】
よって、以上の知見により、本実施形態に係る鋼部材は、上記構成により、耐遅れ破壊特性が良好で且つ引張強さが1300MPa以上1600MPa以下の高強度鋼部材となることが見出された。
【0025】
(化学組成)
以下、本実施形態に係る鋼部材の化学組成の限定理由について述べる。
【0026】
-C:0.25~0.50%-
Cは、鋼部材の強度を確保する上で必須の元素である。C量が0.25%未満では所要の強度が得られない。一方、C量が0.50%を超えると靭性を劣化させると共に、耐遅れ破壊特性も劣化させる。そのため、C量は0.25~0.50%とする。
C量の下限は、好ましくは0.30%以上である。
C量の上限は、好ましくは0.45%以下、より好ましくは0.39%以下である。
【0027】
-Si:2.00~4.00%-
Siは、焼戻し時のセメンタイトの析出を抑制する効果を有し、本開示において重要な元素である。Siが2.00%以上含まれた鋼部材を焼入れ、焼戻しを行うと、焼戻しの際にSiの効果によって粗大なセメンタイトの析出が抑制され、それに替えて、微細なε炭化物が形成される。それにより、微細な析出物が析出し易くなる。
Siは、粗大なセメンタイトの析出を抑制することが可能なため、MC系炭化物の析出を促進する作用がある。セメンタイトを経由せずにMC系炭化物を析出させると、析出するMC系炭化物は、微細、かつ多数多量となる。さらに、Siは固溶強化作用があり、鋼の強度を高める効果を有する。こういった観点から、Si量を2.00%以上としている。一方、Si量が過度に多く、4.00%を超えると、上述した効果が飽和すると同時に、Siの粒界偏析によって粒界が脆化し、耐遅れ破壊特性の低下の要因となる。そのため、Si量を2.00~4.00%とした。
Si量の下限は、好ましくは2.50%以上であり、より好ましくは、3.00%以上である。
Si量の上限は、好ましくは3.50%以下である。
なお、Siは、従来、フェライトの固溶強化により延靱を低下させるため、耐遅れ破壊特性を損なうとされていた。しかし、本発明者らにより、高Si量(Si:2.00%~4.00%)の領域では、むしろ耐遅れ破壊特性を向上させることができるとの知見が得られた。
【0028】
-Mn:0.20~2.00%-
Mnは、脱酸、脱硫のために必要であるばかりでなく、マルテンサイト組織を得るための焼入性を高める有効な元素である。Mn量が0.20%未満では上記効果が得られない。一方、Mn量が2.00%を超えるとオーステナイト域加熱時に粒界に偏析し、粒界を脆化させると共に、耐遅れ破壊特性を劣化させる。そのため、Mn量は0.20~2.00%とする。
Mn量の下限は、好ましくは0.50%以下である。
Mn量の上限は、好ましくは1.50%以下である。
【0029】
-V:0.30~1.00%-
Vは、焼戻し二次硬化現象を生じさせるMC系炭化物を析出させるのに有効な元素である。ただし、V量が0.30%以上でなければ上記効果が少ない。V量が1.00%を超えると上記効果は飽和する。また、V量が1.00%を超えて含有すると、変形抵抗の増大により加工性が損なわれる。そのため、V量は0.30~1.00%とする。
V量の下限は、好ましくは0.35%以上である。
V量の上限は、好ましくは0.60%以下である。
【0030】
-Mo:0.05~1.00%-
Moは、Vとともに鋼部材に含有された場合、Vとの複合効果によりMC系炭化物として析出し、さらにMC系炭化物を微細化させる効果がある。ただし、Mo量が0.05%以上でなければ上記効果が少ない。
Mo量が1.00%を超えると上記効果は飽和するばかりでなく、Mo量が過剰に含有すると、MC系炭化物として単独で析出し、MC系炭化物の析出量を抑制するため、焼戻し二次硬化量を減少させる。そのため、Mo量は0.05~1.0%とする。
Mo量の下限は、好ましくは0.20%以上である。
Mo量の上限は、好ましくは0.80%以下である。
【0031】
-N:0.001~0.020%-
Nは、V、Al、Nb、Ti等の窒化物を形成することによって旧オーステナイト粒の微細化、降伏強度の増加の効果がある。N量が0.001%未満ではその効果が小さい。N量が0.020%を超えると上記効果が飽和する。そのため、N量は0.001~0.020%とする。
【0032】
-P :0.015%以下-
Pは、不純物として鋼中に含まれる。P量が0.015%を超えると、耐遅れ破壊特性が低下する。よって、P量は、0.015%以下とする。
P含有量は極力低くすることがよく、P含有量の下限値は理想的には0%である。しかし、Pの除去を必要以上に行った場合、製造コストが増大する。よって、P含有量の実質的な下限値は、例えば、0.002%である。
【0033】
-S :0.015%以下-
Sは、不純物として鋼中に含まれる。S量が0.015%を超えると、耐遅れ破壊特性が低下する。よって、S量は、0.015%以下とする。
S量は極力低くすることがよく、S含有量の下限値は理想的には0%である。しかし、Sの除去を必要以上に行った場合、製造コストが増大する。よって、S量の実質的な下限値は、例えば、0.002%である。
【0034】
-式(1)-
本実施形態に係る鋼部材は、上記元素の化学組成を満足した上で、下記式(1)の値を200超とする。それにより、鋼部材の耐遅れ破壊特性を向上させつつ、後述する550℃以上の焼戻しで1300MPa以上の鋼部材の引張強さが確保できる。
式(1)の値は、鋼部材の引張強さ確保および耐遅れ破壊特性向上の観点から、220以上が好ましく、250以上がより好ましい。ただし、靭性確保の観点から、式(1)の値の上限は、500以下がよい。
100×%C+50×%Si+200×%V+100×%Mo・・・(1)
ここで、%C、%Si、%Vおよび%Moは、それぞれC、Si、V、およびMoの含有量(質量%)を表す。
【0035】
-式(2)-
本実施形態に係る鋼部材は、VおよびMoを必須元素とし、所定の割合で両元素を含む。鋼中において、VとMoとの複合効果を得るために、上記元素の化学組成を満足した上で、下記式(2)の値を3.00以下とする。それにより、微細なMC系炭化物が多量に析出し、後述する550℃以上の焼戻しで1300MPa以上の鋼部材の引張強さを確保しつつ、鋼部材の耐遅れ破壊特性を向上できる。一方、式(2)の値が3.00を超えると、MC系の炭化物が析出することにより、MC系炭化物の析出が抑制され、十分な特性が実現されない。
式(2)の値は、鋼部材の引張強さ確保および耐遅れ破壊特性向上の観点から、2.50以下が好ましく、2.00以下がより好ましい。ただし、水素トラップ量の観点から、式(2)の値の下限は、0.30以上がよい。
%Mo/%V ・・・式(2)
ここで、%Vおよび%Moは、それぞれV、およびMoの含有量(質量%)を表す。
【0036】
-選択元素-
本実施形態に係る鋼部材は、上記元素以外に、下記に示す元素を1種または2種以上、さらに含有してもよい。もっとも、下記の元素をいずれも含まない鋼においても、本開示の目的は達成される。
Cr:0~2.00%(好ましくは0.05~2.00%)
Al:0~0.100%(好ましくは0.005~0.100%)、
Ti:0~0.300%(好ましくは0.005~0.300%)、
Nb:0~0.300%(好ましくは0.005~0.300%)、
W :0~1.000%(好ましくは0.005~1.000%)、
B :0~0.0100%(好ましくは0.0003~0.0100%)、
Ni:0~3.00%(好ましくは0.05~3.00%)、
Cu:0~2.00%((好ましくは0.05~2.00%)、および
REM:0~0.0200%(好ましくは0.0020~0.0200%)。
【0037】
-Cr:0.05~2.00%-
Crは、焼入性の向上および焼戻し処理時の軟化抵抗を増加させる有効な元素である。Cr量が0.05%未満では上記効果が十分に発揮でき難い。一方、Cr量が2.00%を超えると靭性の劣化、冷間加工性の劣化、および耐遅れ破壊特性の低下を招く。そのため、Cr量は0.05~2.00%とすることが好ましい。
Cr量の下限は、より好ましくは0.20%以上である。
Cr量の上限は、より好ましくは1.50%以下である。
【0038】
-Al:0.005~0.100%-
Alは、脱酸および熱処理時においてAlNを形成することによりオーステナイト粒の粗大化を防止する効果とともにNを固定する効果も有している。Al量が0.005%未満では上記効果が発揮され難い。Al量が0.100%を超えると上記効果は飽和する。そのため、Al量は0.005~0.100%とすることが好ましい。
【0039】
-Ti:0.005~0.300%-
Tiは、Alと同様に脱酸および熱処理時においてTiNを形成することによりオーステナイト粒の粗大化を防止する効果と共に、Nを固定する効果も有している。Ti量が0.005%未満では上記効果が発揮され難い。Ti量が0.300%を超えると上記効果は飽和する。そのため、Ti量は0.005~0.300%とすることが好ましい。Tiの上限は、0.100%、もしくは0.050%であってもよい。
【0040】
-Nb:0.005~0.300%-
Nbは、炭窒化物を生成することにより、オーステナイト粒を微細化させるために有効な元素である。Nb量が0.005%未満では上記効果が不十分であることがある。一方、Nb量が0.300%を超えると上記効果が飽和する。そのため、Nb量は0.005~0.300%とすることが好ましい。Nbの上限は、0.100%、もしくは0.050%であってもよい。
【0041】
-W:0.005~1.000%-
Wは、Nbと同様に炭窒化物を生成することにより、オーステナイト粒を微細化させるために有効な元素である。W量が0.005%未満では上記効果が不十分であることがある。一方、W量が1.000%を超えると上記効果が飽和する。そのため、W量は0.005~1.000%とすることが好ましい。
【0042】
-B:0.0003~0.0100%-
Bは、粒界破壊を抑制し耐遅れ破壊特性を向上させる効果がある。さらに、Bは、オーステナイト粒界に偏析することにより、焼入性を著しく高める。B量が0.0003%未満では上記効果が発揮され難い。B量が0.0100%を超えると上記効果は飽和する。そのため、B量は0.0003~0.0100%とすることが好ましい。Bの上限は、0.0050%以下であってもよい。
【0043】
-Ni:0.05~3.00%-
Niは、高強度化に伴って劣化する延性を向上させるとともに、熱処理時の焼入性を向上させて引張強さを増加させる効果がある。Ni量が0.05%未満では上記効果が少ない。一方、Ni量が3.00%を超えると含有量に見合う効果が発揮できない。そのため、Ni量は0.05~3.00%とすることが好ましい。Niの上限は、1.00%以下、または0.50%以下であってもよい。
【0044】
-Cu:0.05~2.00%-
Cuは、焼戻し軟化抵抗を高めるために有効な元素である。Cu量が0.05%未満では効果が発揮できない。Cu量が2.00%を超えると熱間加工性が劣化する。そのため、Cu量は0.05~2.00%とすることが好ましい。Cuの上限は、1.00%以下、または0.50%以下であってもよい。
【0045】
-REM:0.0020~0.0200%-
REMは、圧延時及び熱間鍛造時にMnS粒子の伸延が抑制され、冷間鍛造時の割れを抑制する効果が得られる。REM量が0.0020%未満では効果が発揮でき難い。REM量が0.0200%を超えると、その効果は飽和する。そのため、REM量は、0.0020~0.0200%とすることが好ましい。REMの上限は、0.0100%、または0.0050%であってもよい。
【0046】
なお、「REM」とはSc、Y、及びランタノイドの合計17元素の総称であり、REMの含有量はREMのうちの1種または2種以上の元素の合計含有量を指す。また、REMについては一般的にミッシュメタルに含有される。このため、例えば、REMは、REM量が上記の範囲となるように、ミッシュメタルの形で添加してもよい。
【0047】
-残部-
本実施形態に係る鋼部材の化学組成において、残部は、Fe及び不純物である。
ここで、不純物とは、原材料に含まれる成分、または、製造の工程で混入する成分であって、意図的に含有させたものではない成分を指す。さらに、不純物は、意図的に含有させた成分であっても、鋼部材の性能に影響を与えない範囲の量で含有する成分も含む。
本実施形態に係る鋼部材は、不純物として、例えば、PおよびS以外にも、O,Pb,Ca,Mg,Sb,Bi,Co,As,Ta,Sn,In,Zr,Te,Se,Zn等の元素を含有する可能性が考えられる。いずれの元素においても、含有量が以下の水準内であれば、耐遅れ破壊特性に影響を与えず、特段の問題は生じない。
O:0.0040%以下
Pb:0.01%以下
Ca:0.0010%以下
Mg:0.0010%以下
Sb:0.10%以下
Bi:0.10%以下
Co:0.10%以下
As:0.05%以下
Ta:0.10%以下
Sn:0.05%以下
In:0.01%以下
Zr:0.05%以下
Te:0.005%以下
Se:0.005%以下
Zn:0.10%以下
【0048】
(組織形態)
本実施形態に係る鋼部材は、鋼部材の表面から深さ1.0mmに位置しかつ鋼部材の表面と平行な面における鋼組織が、旧オーステナイト粒のアスペクト比1.3以下の焼戻しマルテンサイト組織である。これは、本実施形態に係る鋼部材は、室温から再加熱して焼入れ焼戻しを行う際、熱間での加工(熱間圧延または熱間鍛造など)を経由せずに製造されるからである。
【0049】
ここで、「鋼組織が焼戻しマルテンサイト組織」であるとは、金属組織が焼入れ焼戻しによって形成されたものであり、その主体が焼戻しマルテンサイトであることを指す。焼入れ焼戻しによって形成される金属組織においては、微量ながら、非・焼戻しマルテンサイトが含有されることがある。たとえば、焼入れ焼戻し処理によって形成される金属組織には、焼入れによって発生した残留オーステナイトが焼戻しで分解されて形成されるフェライトまたはセメンタイト組織も微量に含まれることがある。これらは、焼戻しマルテンサイトから分離して判別することが難しい。仮に判別できた場合、焼戻しマルテンサイト以外の組織(パーライト、フェライト、セメンタイト)が少し(具体的には、面積率で10%以下)含まれるとしても本開示の目的は達成できる。すなわち、本開示においては、「焼戻しマルテンサイト組織」とは、金属組織の主体が焼戻しマルテンサイトであり、その他組織(パーライト、フェライト、セメンタイト)の面積率の総和が10%以下である金属組織を指す。
【0050】
(旧オーステナイト粒界の平均アスペクト比)
本実施形態に係る鋼部材は、用いられる形状に常温で成形された後(又は成形工程を経ず)に、常温から再加熱して焼入れおよび焼戻し処理をなされることを想定している。つまり、本実施形態では、鋼部材は熱間圧延による旧オーステナイト粒の伸長化が行われない。したがって、焼入れ処理の際に一時的に形成されるオーステナイト粒は等方的となる。そのため、完成した鋼部材においても、旧オーステナイト粒界は等方的となり、旧オーステナイト粒の平均アスペクト比は1.3以下である。
【0051】
ここで、旧オーステナイト粒の平均アスペクト比は、次の通り測定する。
測定対象となる鋼部材の任意の部位から、鋼部材の表面から深さ1.0mmに位置しかつ鋼部材の長手方向に平行な表面と平行な面(以下「測定面」とも称する)を有する部位を採取し、採取物の測定面を研磨およびエッチングを行って試験片を作製した。エッチングは、40~60℃程度とした3~5%のピクラール溶液(ピクリン酸及びエチルアルコールを混合した溶液)に、30sec~2minの間、観察面を浸漬する方法を用いる。腐食後は、試料の観察面を直ちに十分に水洗いした後、冷風もしくは温風で速やかに乾燥する。
次に、エッチングされた測定面から、視野200μm×200μmの光学顕微鏡画像(倍率は500倍)を撮像した。撮像された画像に含まれる各旧オーステナイト粒において、アスペクト比を測定し、測定されたアスペクト比の平均値(平均アスペクト比)を算出する。旧オーステナイト粒界のアスペクト比は、長径(旧オーステナイト粒内において、最も距離が離れた2点間距離)と、短径(当該旧オーステナイト粒界の、前記長径に垂直な方向の最大幅)との比によって求めた。
【0052】
(析出物)
本実施形態に係る鋼部材では、鋼部材の表面付近に、VCを主体とするMC系炭化物を微細に析出させることが好ましい。発明者の知見によれば、上記の成分系かつ後述する製造方法により製造された鋼部材では、特に50nm以下の粒径の析出物は、ほとんどがVCを主体とするMC系炭化物となることが多い。すなわち、粒径50nm以下の析出物の析出量を所定以上とすることにより、VCを主体とする微細なMC系炭化物が確保され、引張強度と耐遅れ破壊特性との両立が可能になる易くなると考えられる。
【0053】
VCを主体とするMC系炭化物が微細に存在すると、同炭化物が水素トラップとして機能し、耐遅れ破壊特性がより改善されると推測される。さらに、VCを主体とするMC系炭化物は焼戻し二次硬化能を有し、引張強度を高める。炭化物が非・MC系炭化物となる場合には、このような効果が低減する傾向がある。非・MC系炭化物の典型例としては、MC系炭化物があげられる。
【0054】
本実施形態に係る鋼部材において、鋼部材の表面から深さ1.0mmに位置しかつ鋼部材の表面と平行な面における鋼組織は、粒径(具体的には円相当径)50nm以下の析出物が面積率で0.50%以上含有していることが好ましい。微細な析出物が面積率で0.50%以上含有することで、高強度を保ちながら耐遅れ破壊特性がさらに向上する。その理由は、上述したVCを主体とするMC系炭化物が十分に確保され、水素トラップ機能および焼戻し二次硬化現象が実現されると推測されるためである。
析出物の面積率は、引張強さ確保および耐遅れ破壊特性向上の観点から、0.60%以上が好ましく、0.70%がより好ましい。ただし、靭性確保の観点から、析出物の面積率の上限は、1.50%以下が好ましく、1.00%以下がより好ましい。
【0055】
具体的には、鋼部材の表面から深さ1.0mmに位置しかつ鋼部材の表面と平行な面における鋼組織は、VC(V炭化物)を主体とするMC系炭化物を面積率で0.50%以上含有することが特に好ましい。
【0056】
ここで、VCを主体とするMC系炭化物とは、V炭化物単独の炭化物に限定されず、V炭化物とV以外の元素の炭化物との複合炭化物であって、炭化物全体に占めるV炭化物の質量比が最も多い複合炭化物も含む。
【0057】
析出物の面積率は、抽出レプリカ法により試験片を作製し、エネルギー分散型X線分析装置(EDS)付き透過型顕微鏡(TEM)を用いて行う。具体的には、次の通りである。
【0058】
測定対象となる鋼部材の任意の部位から、鋼部材の表面から深さ1.0mmに位置しかつ鋼部材の表面と平行な面(以下「測定面」とも称する)を有する部位を採取し、抽出レプリカ法により試験片を作製する。
【0059】
ここで、抽出レプリカ法による試験片の作製は、次の通りである。まず、鋼部材から採取した採取物の測定面を電解研磨する。電解研磨後の採取物の測定面を、10%アセチルアセトン-1%塩化テトラメチルアンモニウム(TMAC)-メタノール溶液を用いて-200mVの電位で定電位電解する。電流密度は、20mA/cmであった。また、本開示の試料においては、通電面積が0.8cmとなる条件で電解研磨を行った。これにより、析出物及び介在物が採取物の測定面から露出する。通電時間は60secである。
電解後の採取物の測定面にアセチルセルロースフィルムを貼り付けた後に、フィルムを剥がし、析出物および介在物をフィルム上に転写する。転写したフィルムにカーボン蒸着を行ない、カーボン蒸着膜を作成する。カーボン蒸着膜を酢酸メチル溶液に浸漬してアセチルセルロースフィルムを溶解し、試験片として抽出レプリカ膜を得る。作製した抽出レプリカ膜は、直径が3mmの円板状である。
【0060】
次に、試験片としての抽出レプリカ膜表面(測定面)の任意の視野(大きさ5μm×5μmの視野)を倍率50000倍で5視野観察する。
【0061】
次に、観察する視野に存在する析出物のうち、円相当径で50nm以下の析出物の面積率を測定する。そして、5視野の観察による円相当径で50nm以下の析出物の面積率の平均値を、析出物の面積率として求める。
【0062】
なお、観察する視野に存在する析出物の成分を、TEMの電子線回折パターンの解析及びEDSによる分析による分析によって解析した。その結果、後述する実施例のうち、本開示の要件を満たす実施例では、円相当径で50nm以下の析出物の大半が、VCを主体とするMC系炭化物であった。
【0063】
(引張強度)
本実施形態に係る鋼部材の、JIS Z 2241:2015に従って測定された引張強度は1300~1600MPaである。一般的には、鋼部材において引張強度と耐遅れ破壊特性とはトレードオフの関係にある。本実施形態に係る鋼部材は、引張強度が1300MPa以上となる高強度と、耐遅れ破壊特性との両立を実現できる。一方、引張強度が1600MPaを超えると、耐遅れ破壊特性を十分確保することができなかった。
【0064】
(水素吸蔵量)
本実施形態に係る鋼部材の水素吸蔵量は、4.0ppm以上であることが好ましい。水素吸蔵量が4.0ppm以上であると、鋼の水素トラップ能が十分となり、より耐遅れ破壊特性が向上する。なお、ppmは質量基準である。
耐遅れ破壊特性向上の観点から、水素吸蔵量は、好ましくは5.0ppm以上、より好ましくは6.0ppm以上である。なお、本開示の手法によれば、水素吸蔵量として、最大で25.0ppm程度を見込むことができる。
【0065】
水素吸蔵量は、次の通り測定する。
測定対象の鋼部材から、直径7mm、長さ70mmの丸棒を採取し、トラップ水素量調査用の試験片とする。
次に、上記の手順で作製した直径7mm、長さ70mmの丸棒試験片に、20質量%のチオシアン酸アンモニウム水溶液(20℃)の溶液に100h浸漬し水素チャージを行う。水素チャージがなされた丸棒試験片を溶液から取り出した後、大気雰囲気下で20℃で72h放置した後に、ガスクロマトグラフを用い、昇温速度100℃/時間で、室温から400℃まで昇温し、試料片から放出される水素量を測定する。
【0066】
(鋼部材の製造方法)
以下、本実施形態に係る鋼部材の製造方法の一例について説明する。
本実施形態に係る鋼部材の製造方法では、上記化学組成を有する鋼部材を焼入れ後に、550℃以上(好ましくは580℃以上)で焼戻しする。
【0067】
焼戻し温度の下限は、引張強度を1300~1600MPaとするために、550℃以上とする。焼戻し温度を550℃未満とした場合、引張強度が高く(1600MPa超)なる可能性があり、耐遅れ破壊特性を損なうことにつながる。また、焼戻し温度が550℃未満である場合には、水素トラップとして機能させるMC系炭化物の析出が不十分となる可能性があり、この点からも耐遅れ破壊特性を損なう虞がある。
【0068】
焼戻し温度の上限は、上限は特に定める必要はないが、700℃以上になると、VCを主体とするMC系炭化物が粗大化し必要な強度が保てなくなる虞がある。また、粗大化したMC系炭化物は水素トラップ能が低い。そのため焼戻しの処理温度の上限は、700℃未満が好ましく、650℃未満がより好ましい。
焼戻し保持時間は、鋼部材の引張強さ確保および耐遅れ破壊特性向上の観点から、20~120分が好ましく、30~60分がより好ましい。
なお、焼戻し後の冷却は、特に制限はなく、空冷等が挙げられる。
【0069】
なお、焼入れ条件としては、例えば、温度850~1000℃で焼入れ時間30~60分保持して急冷する条件が挙げられる。
【実施例
【0070】
以下、本開示を、実施例を挙げてさらに具体的に説明する。ただし、これら各実施例は、本開示を制限するものではない。
【0071】
表1に示す化学組成を有する供試材を種々の条件で焼入れ焼戻し処理し、焼入れ焼戻し処理後の供試材の「機械的性質、組織形態、及び耐遅れ破壊特性」について評価した。詳細は、次の通りである。なお、表1に示されるいずれの実施例および比較例においても、Oの含有量は0.0040%以下であった。
【0072】
(試験条件)
供試材は、直径7mm×長さ800mmの棒状鋼材とした。
焼入れ処理の条件は、950℃で30分保持して油冷却する条件とした。
焼戻し処理の条件は、表2に示す温度で30分保持して空冷する条件とした。なお、焼戻し温度での保持時間は、工業的な生産性を考慮し、30分とした。
【0073】
(機械的性質の評価)
供試材の引張強さ(表中「TS」と表記する)を、JIS Z 2241:2015に従って測定した。
【0074】
(組織形態の評価)
供試材の下記組織形態について、記述の方法に従って測定した。
・析出物の面積率
・旧オーステナイト粒の平均アスペクト比
なお、表2に示される各実施例および比較例において、試料の表面から深さ1.0mmに位置しかつ試料の表面と平行な面で光学顕微鏡により金属組織を観察し、いずれも焼戻しマルテンサイト組織であることを確認した。
【0075】
(耐遅れ破壊特性の評価)
耐遅れ破壊特性は、液温50℃、濃度20質量%のチオシアン酸アンモニウム水溶液中で、引張強さの70%の荷重を付与し、FIP破断時間を測定した。ただし、FIP破断時間が100時間に達した時点で試験を中止した(表中「破断せず」と表記)。
なお、表2中、「-」の表記は、供試材の引張強さが過度に低く、耐遅れ破壊特性の評価を実施しなかったことを示す。
【0076】
(水素吸蔵量の評価)
供試材としての、直径7mm×長さ800mmの棒状鋼材から、直径7mm、長さ70mmの丸棒を採取し、トラップ水素量調査用の試験片とした。そして、試験片の水素吸蔵量を既述の方法に従って測定した。
【0077】
これら試験及び評価の結果を表1~表2に示す。
なお、表1~表2中、供試材No.1~21が実施例で、その他は比較例である。
【0078】
【表1】
【0079】
【表2】
【0080】
実施例である供試材No.1~21から、所定の化学組成を満たし、鋼組織が、旧オーステナイト粒の平均アスペクト比1.3以下の焼戻しマルテンサイト組織であると、引張強さが1300MPa以上1600MPa以下といった高強度を保ちつつ、耐遅れ破壊特性(FIP破断時間)に優れることがわかる。
【0081】
一方、比較例である供試材No.22は、所定のMo量を添加していないため、VとMoの複合効果が得られず、強度は出るものの水素トラップ量が低い例である。その結果、耐遅れ破壊特性が低下した。
供試材No.23~28は、所定のSi量が添加されていないため、VCを主体とするMC系炭化物の形成が不十分となり、粒径50nm以下の析出物の面積率を十分に得られず、耐遅れ破壊特性が低下した例である。
供試材No.29は、所定のV量が添加されていないため、粒径50nm以下の析出物の面積率を十分に得られず、耐遅れ破壊特性が低下した例である。
供試材No.30は、所定のC量が添加されていないため、十分な引張強さが得られなかった例である。
供試材No.31は、Si量が過剰で、Siが粒界に偏析することによって粒界が脆化し、耐遅れ破壊特性が低下した例である。
供試材No.32は、Mn量が過剰で、Mnが粒界に偏析することによって粒界が脆化し、耐遅れ破壊特性が低下した例である。
供試材No.33は、Cr量が過剰に含有された結果、耐遅れ破壊特性が低下した例である。
供試材No.34は、式(1)の値が所定の範囲を満足していないため、粒径50nm以下の析出物の面積率を十分に得られず、耐遅れ破壊特性が低下した例である。
供試材No.35は、焼戻し温度が高く、析出する炭化物が粗大化した結果、粒径50nm以下の析出物の面積率が不十分となり、耐遅れ破壊特性が低下した例である。さらに、供試材No.35では、焼戻し温度が高いために十分な引張強さを得られなかった。
供試材No.36は、焼戻し温度が低く、粒径50nm以下の析出物が十分に析出せず、面積率が不十分となったため、耐遅れ破壊特性が低下した例である。さらに、供試材No.36では、焼戻し温度が低いために引張強さが過剰となった。
供試材No.37は、式(2)の値が所定の範囲を満足していない。粒径50nm以下の析出物の面積率が0.50%に到達しているが、MC系炭化物ではなくMC系炭化物としてVおよびMoが析出した結果、VC系を主体とするMC系炭化物が不十分となり、耐遅れ破壊特性が低下した例である。
なお、実際に供試材No.37における粒径50nm以下の析出物の化学組成を、TEMの電子線回折パターンの解析及びEDSによる分析によって解析した。その結果、供試材No.37においては、円相当径で50nm以下の析出物において、MC系炭化物が生じており、MC系炭化物の割合が低下していることが確認された。