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特許7170406オーステナイト系ステンレス鋼およびその製造方法、および摺動部品
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  • 特許-オーステナイト系ステンレス鋼およびその製造方法、および摺動部品 図1
  • 特許-オーステナイト系ステンレス鋼およびその製造方法、および摺動部品 図2
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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2022-11-04
(45)【発行日】2022-11-14
(54)【発明の名称】オーステナイト系ステンレス鋼およびその製造方法、および摺動部品
(51)【国際特許分類】
   C22C 38/00 20060101AFI20221107BHJP
   C22C 38/58 20060101ALI20221107BHJP
   F01L 3/02 20060101ALI20221107BHJP
   C21D 8/00 20060101ALN20221107BHJP
   C21D 1/06 20060101ALN20221107BHJP
   C21D 1/76 20060101ALN20221107BHJP
【FI】
C22C38/00 302Z
C22C38/58
F01L3/02 J
C21D8/00 E
C21D1/06 A
C21D1/76 G
【請求項の数】 3
(21)【出願番号】P 2018045965
(22)【出願日】2018-03-13
(65)【公開番号】P2019157208
(43)【公開日】2019-09-19
【審査請求日】2020-11-13
(73)【特許権者】
【識別番号】503378420
【氏名又は名称】日鉄ステンレス株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】100106909
【弁理士】
【氏名又は名称】棚井 澄雄
(74)【代理人】
【識別番号】100175802
【弁理士】
【氏名又は名称】寺本 光生
(74)【代理人】
【識別番号】100134359
【弁理士】
【氏名又は名称】勝俣 智夫
(74)【代理人】
【識別番号】100188592
【弁理士】
【氏名又は名称】山口 洋
(72)【発明者】
【氏名】安達 和彦
(72)【発明者】
【氏名】杉浦 夏子
(72)【発明者】
【氏名】寺岡 慎一
【審査官】河口 展明
(56)【参考文献】
【文献】特開2017-020105(JP,A)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C22C 38/00-38/60
C23C 8/10-8/18
C21D 1/06、1/76、8/00
F01L 3/02
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
質量%で、
C:0.10%以下、
N:0.10%以下、
Si:1.00%以下、
P:0.060%以下、
S:0.010%以下、
Cr:10.00~24.00%、
Ni:6.0~10.0%、
Mn:0.1%以上3.5%以下、
Cu:0.005%以上4.0%以下、
Mo:0.005%以上3.0%以下を含み、
残部Feおよび不純物からなる成分組成を有し、
表面に、Feを含み、Fe の構成元素であるFeとOの合計割合が95原子%以上である平均厚さ1~20μmの上層と、(Fe,Cr)を含み、(Fe,Cr) の構成元素であるFeとCrとOの合計割合が90原子%以上である平均厚さ0.1μm以上10μm以下の下層とが形成されていることを特徴とするオーステナイト系ステンレス鋼。
【請求項2】
質量%で、
C:0.10%以下、
N:0.10%以下、
Si:1.00%以下、
P:0.060%以下、
S:0.010%以下、
Cr:10.00~24.00%、
Ni:6.0~10.0%、
Mn:0.1%以上3.5%以下、
Cu:0.005%以上4.0%以下、
Mo:0.005%以上3.0%以下を含み、
残部Feおよび不純物からなる成分組成を有するオーステナイト系ステンレス鋼の表面に、真空浸炭処理またはガス浸炭処理により炭素を拡散させる第1の工程と、
酸素を含有する雰囲気下で650~950℃で0.1時間以上加熱する第2の工程と、を順次行うことを特徴とする請求項1に記載のオーステナイト系ステンレス鋼の製造方法。
【請求項3】
質量%で、
C:0.10%以下、
N:0.10%以下、
Si:1.00%以下、
P:0.060%以下、
S:0.010%以下、
Cr:10.00~24.00%、
Ni:6.0~10.0%、
Mn:0.1%以上3.5%以下、
Cu:0.005%以上4.0%以下、
Mo:0.005%以上3.0%以下を含み、
残部Feおよび不純物からなる成分組成を有し、
少なくとも摺動部表面に、Feを含み、Fe の構成元素であるFeとOの合計割合が95原子%以上である平均厚さ1~20μmの上層と、(Fe,Cr)を含み、(Fe,Cr) の構成元素であるFeとCrとOの合計割合が90原子%以上である平均厚さ0.1μm以上10μm以下の下層とが形成されていることを特徴とする摺動部品。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、低荷重、高温にて摩擦係数、摩耗量が小さく、摺動性に優れるオーステナイト系ステンレス鋼、その製造方法および摺動部品に関する。
【背景技術】
【0002】
昨今の環境問題対応への機運の高まりにより、内燃機関等の産業機械では、装置の小型化、燃焼効率改善等の対策が取られている。
【0003】
内燃機関では、高温で大きな応力が作用する部品以外に、高温下で排気ガスの流量、方向を調整する弁のように比較的小さな応力で作動させる部品があり、排気ガス調整弁やその固定部品等がそれにあたる(以降、これらを総称して「高温摺動部品」と呼ぶ)。高温摺動部品は、700℃以上の使用条件で摩擦係数、摩耗量が小さく、かじりと呼ばれる部品の変形、部品間の接合等に起因した作動不良を起こさないことが求められる。言い換えると、優れた摺動性が必要となる。
【0004】
更に、使用条件を低荷重と限定すれば、それらの素材は部品への成形加工時の負荷を大きくする高強度は必ずしも必要で無く、素材の段階では軟質で加工の負荷が小さく、加工後の表面処理等により摺動性を向上できることが望ましいと考えられる。
【0005】
従来、高温摺動部品には、ステンレス鋼、更に言えば、それらの中で一般に高温強度が高く、耐酸化性に優れるオーステナイト系ステンレス鋼が適用されてきた。具体的には、特許文献1、2において、高温摺動部品等に適用されるオーステナイト系ステンレス鋼が提案されている。更に、特許文献3では、化学プラント等の腐食環境にて使用される安価なステンレス鋼として、摺動部表面にFeおよびCrを主体とする酸化物および/または水酸化物からなり、厚さが0.1μm以上で3.0μm以下の表面皮膜を有するステンレス鋼摺動部材が提案されている。また、特許文献4では、高温かつ大きな応力が作用するステンレス鋼の熱間圧延時の個体潤滑材として、Feを含む一種または二種以上の潤滑剤をロール、圧延材等に塗布する方法が提案されている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0006】
【文献】特開2017-179561号公報
【文献】国際公開第2017/164344号
【文献】特開2016-186123号公報
【文献】特開平4-253513号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
本発明は、低荷重かつ高温での摺動性に優れるオーステナイト系ステンレス鋼および当該オーステナイト系ステンレス鋼からなる摺動部品を提供することを課題とする。また、本発明は、低荷重かつ高温での摺動性に優れるオーステナイト系ステンレス鋼を工業的に安定して生産可能なオーステナイト系ステンレス鋼の製造方法を提供することを課題とする。
【課題を解決するための手段】
【0008】
本発明の要旨は以下の通りである。
[1] 質量%で、
C:0.10%以下、
N:0.10%以下、
Si:1.00%以下、
P:0.060%以下、
S:0.010%以下、
Cr:10.00~24.00%、
Ni:6.0~10.0%、
Mn:0.1%以上3.5%以下、
Cu:0.005%以上4.0%以下、
Mo:0.005%以上3.0%以下を含み、
残部Feおよび不純物からなる成分組成を有し、
表面に、Feを含み、Fe の構成元素であるFeとOの合計割合が95原子%以上である平均厚さ1~20μmの上層と、(Fe,Cr)を含み、(Fe,Cr) の構成元素であるFeとCrとOの合計割合が90原子%以上である平均厚さ0.1μm以上10μm以下の下層とが形成されていることを特徴とするオーステナイト系ステンレス鋼。
[2] 質量%で、
C:0.10%以下、
N:0.10%以下、
Si:1.00%以下、
P:0.060%以下、
S:0.010%以下、
Cr:10.00~24.00%、
Ni:6.0~10.0%、
Mn:0.1%以上3.5%以下、
Cu:0.005%以上4.0%以下、
Mo:0.005%以上3.0%以下を含み、
残部Feおよび不純物からなる成分組成を有するオーステナイト系ステンレス鋼の表面に、真空浸炭処理またはガス浸炭処理により炭素を拡散させる第1の工程と、
酸素を含有する雰囲気下で650~950℃で0.1時間以上加熱する第2の工程と、を順次行うことを特徴とする請求項1に記載のオーステナイト系ステンレス鋼の製造方法。
[3] 質量%で、
C:0.10%以下、
N:0.10%以下、
Si:1.00%以下、
P:0.060%以下、
S:0.010%以下、
Cr:10.00~24.00%、
Ni:6.0~10.0%、
Mn:0.1%以上3.5%以下、
Cu:0.005%以上4.0%以下、
Mo:0.005%以上3.0%以下を含み、
残部Feおよび不純物からなる成分組成を有し、
少なくとも摺動部表面に、Feを含み、Fe の構成元素であるFeとOの合計割合が95原子%以上である平均厚さ1~20μmの上層と、(Fe,Cr)を含み、(Fe,Cr) の構成元素であるFeとCrとOの合計割合が90原子%以上である平均厚さ0.1μm以上10μm以下の下層とが形成されていることを特徴とする摺動部品。
【発明の効果】
【0009】
本発明によれば、低荷重かつ高温での摺動性に優れるオーステナイト系ステンレス鋼および当該オーステナイト系ステンレス鋼からなる摺動部品を提供できる。また、本発明によれば、低荷重かつ高温での摺動性に優れるオーステナイト系ステンレス鋼を工業的に安定して生産可能なオーステナイト系ステンレス鋼の製造方法を提供できる。
【図面の簡単な説明】
【0010】
図1図1は、発明例2c、比較例4bの表面近傍の断面の光学顕微鏡写真である。
図2図2は、発明例2c、比較例4bの表面から厚さ方向の組成分布(GD-OES分析)を示す図であって、図2(a)は発明例2cであり、図2(b)は比較例4bである。
【発明を実施するための形態】
【0011】
本発明者らが鋭意検討したところ、所定の成分からなる素材の表面に平均厚さ1~20μmのFeを含む上層と、平均厚さ10μm以下の(Fe,Cr)を含む下層とが形成されたオーステナイト系ステンレス鋼及び摺動部品は、低荷重かつ高温での摺動性に優れたものになることを見出した。また、本発明者らは、これらの上層及び下層を備えたオーステナイト系ステンレス鋼及び摺動部品が、鋼の表面に炭素を拡散させ、更に酸素を含有する雰囲気下で加熱することで、安定して製造できることを見出した。
【0012】
本実施形態のオーステナイト系ステンレス鋼は、質量%で、C:0.10%以下、N:0.10%以下、Si:1.00%以下、P:0.060%以下、S:0.010%以下、Cr:10.00~24.00%、Ni:6.0~10.0%、Mn:3.5%以下、Cu:4.0%以下、Mo:3.0%以下を含み、残部Feおよび不純物からなる成分組成を有し、表面に平均厚さ1~20μmのFeを含む上層と、平均厚さ10μm以下の(Fe,Cr)を含む下層とが形成されているステンレス鋼である。
以下、本実施形態のオーステナイト系ステンレス鋼の成分組成、表面の上層及び下層並びに好ましい製造方法について説明する。なお、以下の説明にて、各元素の含有量を表す「%」は、特に断りがない限り「質量%」を意味する。
【0013】
<C:0.10%以下>
Cは、有効なオーステナイト安定化元素でもあり、所定量を含有する。ただし、有効な侵入型固溶強化元素でもあり、0.10%を越えた場合、硬化により打抜き等の加工負荷が高くなり、特性に依存するが相手材を摩耗させる可能性も高くなる。また、鋭敏化によりステンレス鋼として必要な耐食性を得られず、耐酸化性の低下も招く。このため、0.10%以下とする。好ましくは、0.09%以下、更に好ましくは0.08%以下である。なお、Cの化学成分値は、炭素を拡散させる第1の工程により、板厚方向での濃度の変化(分布)が形成されることから、全板厚における平均値とする。
【0014】
<Si:1.00%以下>
Siは、脱酸剤として添加するとともに、耐酸化性、スケール剥離の防止に効果がある。ただし、過度に含有した場合、本発明の高温摺動性向上の主因であるFe相の形成を阻害する。このため、上限を1.00%以下とする。好ましくは、0.90%以下、更に好ましくは、0.80%以下である。
【0015】
<P:0.060%以下>
Pは、原料中に不純物として含まれる元素である。熱間加工性に対しては有害な元素であるため、0.060%以下とする。更に好ましくは、0.030%以下である。
【0016】
<S:0.010%以下>
Sは、本発明の再結晶抑制に必要となる有効Sc量を減少する。また、介在物を形成し、鋼材の熱間加工性、耐酸化性を劣化させる。このため、上限は0.010%以下とする。好ましくは、0.008%以下である。
【0017】
<Cr:10.00%以上、24.00%以下>
Crは、ステンレス鋼としての耐食性を維持するために必要不可避な元素である。高温摺動性に関しても、Crを主体とする極薄い層を下地とすることで、本発明の主因であるFe相からなる表層組織が形成、維持されると考える。このため、10.00%以上を含有する。しかし、過度の含有によりフェライト安定化元素として作用し、目的とするオーステナイト組織が得られなくなる。また、本発明の主因であるFe相の形成が阻害される可能性がある。これらのため、上限を24.00%以下とする。好ましくは、10.50%以上、23.00%以下、更に好ましくは、12.00%以上、22.00%以下である。
【0018】
<Ni:6.0%以上、10.0%以下>
Niは、高温強度、高温摺動性の向上に有効な安定オーステナイト組織を得るため、ステンレス鋼に必要不可欠な合金元素である。このため、6.0%以上を含有する。ただし、稀少かつ高価な元素であり、過度の含有は素材を高価とし、工業的な安定供給を阻害する。このため、10.0%以下とする。好ましくは、7.5%以上、9.5%以下、更に好ましくは、7.0%以上、9.0%以下である。
【0019】
<N:0.10%以下>
Nは、Cと同様に有効なオーステナイト安定化元素でもあり、所定量を含有する。そのためNは0.005%以上含有するとよい。ただし、有効な侵入型固溶強化元素でもあり、0.10%を越えると、硬化により打抜き等の加工負荷が高くなり、特性に依存するが相手材を摩耗する可能性も高くなる。このため、0.10%以下を含有する。好ましくは、0.09%以下、更に好ましくは0.08%以下である。
【0020】
<Mn:3.5%以下>
Mnは、脱酸剤として含有するとともに、高価なNiを代替するオーステナイト安定化元素である。また、侵入型固溶元素の固溶限を拡大し、高温強度に寄与する。そのためにMnは0.1%以上含有するとよい。ただし、過度の含有は耐酸化性を低下する。このため、上限を3.5%以下とする、好ましくは、2.8%以下、更に好ましくは、2.5%以下である。
【0021】
<Cu:4.0%以下>
Cuは、オーステナイト安定化元素であり、高価なNiを代替する相対的に安価な合金元素である。更に、隙間腐食や孔食の抑制に効果があり、耐食性を向上する。そのため、Cuは0.005%以上含有するとよい。また、上限を4.0%以下とするとよい。好ましくは、2.8%以下、更に好ましくは、2.5%以下である。
【0022】
<Mo:3.0%以下>
Moは、SiやCrとともに、表面保護性のスケール形成に有効であり、耐酸化性に効果を有する。そのため、Moは0.005%以上含有するとよい。他方、Moは高価であり、また、フェライト安定化元素であるため、過度に含有した場合、コストが上昇し、また、オーステナイト安定度を低下させて特性を劣化させる。このため、上限を3.0%以下とする。好ましくは、2.8%以下、更に好ましくは、2.5%以下である。
【0023】
本発明は、本質的には、上記を主成分とすることで優れた高温摺動性を発現するものであり、残部はFeおよび不純物からなる。ここで、不純物とは本発明の作用効果を阻害しない範囲のその他の元素の含有を意図している。例えば、他の特性改善を目的とした添加元素、少なくとも、一般的なJIS規格に記載されるNb、V、Ti、Al等の元素を含有しても構わない。また、溶製等で不可避的に含有される元素を含有しても構わない。
【0024】
<平均厚さ1~20μmのFeを含む上層>
相手材と接する上層により優れた高温摺動性が達成される。後述する図2に示す発明例(実施態様)での実績から明らかなように、高温でも比較的硬質なFe相を平均厚さ1μm以上で形成することにより優れた高温摺動性を達成できる。よって、上層の平均厚さを1~20μmとする。好ましくは、1.2μm以上、更に好ましくは、1.5μm以上、10μm以下である。平均厚さ10μm以上では、摺動性の向上が飽和傾向を示すと考える。また、組成に関して、上層に含まれるFeの構成元素であるFeとOの合計割合は、95原子%以上とする。好ましくは、97原子%以上、更に好ましくは、98原子%以上である。
【0025】
<平均厚さ10μm以下の(Fe,Cr)を含む下層>
下層は、(Fe,Cr)を含む層である、(Fe,Cr)は、Fe、CrおよびFeCrOの混合物である。下層は、本発明の主因である上層の維持に不可避の存在と推定される。下層の存在により、上層の鋼内部への更なる成長が妨げられ、剥離も抑制されると考える。また、上層にFeが供給されると仮定した場合、下層はFeの拡散を阻害する傾向も小さいと考えられる。すなわち、その場合、形成にも寄与すると考えられる。後述する図2に示す発明例(実施態様)の実績より、平均厚さは10μm以下とする。10μmを超える場合、Feの供給が阻害される等の問題が懸念される。好ましくは、9.5μm以下、更に好ましくは、9.0μm以下である。平均厚さの下限値は下層の存在により上層が維持されることから、0μm超とする。好ましくは、0.1μm以上である。また、組成に関して、下層に含まれる(Fe,Cr)の構成元素であるFe、CrおよびOの合計割合は、90原子%以上とする。好ましくは、95原子%以上、更に好ましくは、97原子%以上である。
【0026】
なお、後述する図2に示す発明例(実施態様)において、上層の更に表面側に確認されるFe-O相は、製造時に使用される油の残存、測定試験片の取り扱い時に付着した皮脂等の油脂の付着に起因するコンタミネーションと考えられる。
【0027】
上層及び下層の厚みは、グロー発光分光分析法(GD-OES)により測定する。表面から深さ方向にアルゴンでスパッタしつつ、グロー発光分析により、深さ方向の元素濃度のプロファイルを測定する。検出された元素のうちFe、Cr、Si、O及びCの合計量を100質量%としたとき、酸素が5質量%以上の領域の深さ方向の厚みを上層と下層の合計厚みとする。その領域のうち、Crが10質量%以下の領域を上層とし、残りの領域を下層とする。それぞれの領域の深さ方向の厚みをそれぞれの層の厚みとする。上層及び下層の厚みの測定は5箇所において行い、その平均を平均厚さとする。
【0028】
また、薄膜X線回折法により、上層及び下層の結晶構造を確認できる。測定で現れた回折ピークは、化合物としてFe、CrおよびFeCrOのピークに対応することが確認できる。なお、これらの化合物は格子定数が若干異なるものの結晶構造が同じであるため、近接した回折角度でピークが出現する。一方、上記グロー発光分光分析法では、組成分布の結果に基づいて、上層にはFeとOの共存、下層にはFe、CrおよびOの共存を確認できるから、上層の化合物はFe、下層の化合物は、Fe、CrおよびFeCrOが存在しているものと判断する。以降は、Fe、CrおよびFeCrOを総称して(Fe,Cr)と表記する。
【0029】
次に、本実施形態のオーステナイト系ステンレス鋼の製造方法の限定理由を説明する。
本実施形態のオーステナイト系ステンレス鋼の製造方法では、上記の化学組成を有するオーステナイト系ステンレス鋼に、下記の第1の工程と第2の工程を順次行う。素材となるオーステナイト系ステンレス鋼は、熱延板、冷延板、棒線、鋼管のいずれの形態でもよい。また、摺動部品の部品形状に加工した素形材でもよい。
【0030】
<表面に炭素を拡散させる第1の工程>
第1の工程では、オーステナイトステンレス鋼の表面に炭素を拡散させる。炭素は、Crとの親和性が強く、(Fe,Cr)相からなる下層を安定化すると考える。言い換えると、本発明の主因である上層の維持、形成に間接的に寄与すると考える。拡散後の鋼表面の炭素量および拡散深さは、好ましくは、表面での炭素含有量を0.2%以上とし、炭素含有量0.2%以上の領域が表面から10μm以上の深さまで存在することが好ましい。更に好ましくは、表面での炭素含有量を0.5%以上とし、炭素含有量0.5%以上の領域が表面から20μm以上の深さまで存在するとよい。このような炭素量及び拡散深さを実現可能であれば、第1の工程は特に限定するものではないが、例えば、第1の工程として真空浸炭処理またはガス浸炭処理を挙げることができる。なお、ここでの炭素含有量は、グロー発光分光分析法(GD-OES)により測定した炭素濃度であり、Fe、Cr、Si、O及びCの合計量を100質量%としたときの炭素濃度である。
【0031】
<酸素を含有する雰囲気下で650~950℃に0.1時間以上加熱する第2の工程>
本発明の主因である上層とその維持に不可避と考える下層を形成、維持するために、温度650~950℃で0.1時間以上加熱する。更に言えば、その前工程として前述の炭素を拡散させる第1の工程を行うことにより、上・下層が分離、形成されると推定中である。後述する図2の発明例実績より、同条件において、親和性の強い炭素が下層の内部に分布し、下層にCrが濃化、上層でFe相が形成、維持されると考える。実用環境を想定し、第2の工程は、摺動部品へ加工後の加熱で兼用することもできる。加熱雰囲気は、酸素を含有する雰囲気がよく、具体的には大気雰囲気でもよい。加熱温度は、好ましくは670℃以上、930℃以下であり、更に好ましくは680℃以上、920℃以下である。また、保持時間は、酸素濃度等に影響されるが、好ましくは大気中にて0.5時間以上、更に好ましくは1時間以上である。
【0032】
摺動部品の部品形状に加工した素形材に対して上記の第1の工程及び第2の工程を実施する際は、素形材の表面の全面に対して第1の工程及び第2の工程を実施してもよく、素形材のうち、摺動部となる表面に対して第1の工程及び第2の工程を実施してもよい。
これにより、本実施形態の摺動部品は、少なくとも、摺動部表面に上層及び下層が形成されたものとなる。
【0033】
本実施形態の摺動部品は、特に、高温環境下で使用される摺動部品に適用される。より具体的には、本実施形態の摺動部品は、高温下で比較的小さな応力で作動させる部品に好適に適用でき、例えば、内燃機関の部品として使用される排気ガス調整弁やその固定部品等に用いることができる。
【0034】
なお、低荷重、高温にて摩擦係数、摩耗量が小さく、摺動性に優れるとは、100N以下の荷重で、温度700℃以上の条件での摩擦係数、摩耗量及びこれらの総合評価が優れることをいうものとする。
【実施例
【0035】
以下、本発明を実施例により詳細に説明する。
供試鋼は、成分調整した鋳塊より製造した。供試鋼の化学組成を表1に示す。各鋳塊は、1250℃加熱での熱間圧延により10mm前後まで減厚し、1100℃×30分焼鈍した。その後、切削加工により測定面を1200番のエメリー研磨仕上げの厚さ5mmのディスクとした。
【0036】
ピンの素材は、一般の工業規格で定められた市販品であって、鋳造ままの耐熱鋳鋼を用いた。この耐熱鋳鋼は室温でのビッカース硬さが220~280(圧子の荷重:1kg)であって、これをピンの形状に切削加工した後、ディスクと接触する先端部を1200番のエメリー研磨仕上げとした直径10mmの球頭形状とした。
【0037】
次いで、供試鋼製ディスクの一部のみ、表面における炭素濃度0.2%以上、濃度0.2%の領域の深さが表面から10μm以上になるような条件にて浸炭処理(第1の工程)を実施した。具体的には、Cを含むガス雰囲気中にて1000℃以上にて4時間の加熱保持を行った。
次いで、第2の工程として、供試鋼製ディスクの全部について、大気雰囲気下で、表2に記載した条件で加熱処理を行った。その後、室温まで冷却した。なお、上層、下層の熱膨張差による剥離を考慮して、10℃/s以下の冷却速度とした。このようにして、試験No.1a~4bの供試鋼製ディスクを製造した。
【0038】
摺動試験は、Pin on Disk方式の摺動試験機を用いて、表2に記載の試験温度まで加熱し、荷重100N以下を付与したまま、摺動半径10mm、速度約3mm/sで20mまで1s間隔にて摩擦係数を測定し、それらの平均値を算出した。摩擦係数は0.500以下を合格とした。
【0039】
また、同摺動後試験片について、GD-OESにより、Fe相からなる上層の平均厚さ、(Fe,Cr)相からなる下層の平均厚さを測定した。なお、摺動試験の測定中も上層及び下層は加熱され続けたが、測定前後での上層及び下層の組成及び厚みに明らかな変化はなかった。
更に、接触式粗さ計を用いて、90゜間隔で四点の摺動方向と垂直に摺動部形状を測定し、摩耗量を算出した。摩耗量は10μm以下を合格とした。
また、評価は、摩擦係数が0.500以下であるととともに摩耗量が10μm以下を「○」(合格)と評価し、それ以外を「×」(不合格)と評価した。
結果を表2に示す。
【0040】
上層及び下層の厚みは、グロー発光分光分析法(GD-OES)により測定した。表面から深さ方向にアルゴンでスパッタしつつ、グロー発光分析により、深さ方向の元素濃度のプロファイルを測定した。検出された元素のうちFe、Cr、Si、O及びCの合計量を100質量%としたとき、酸素が5質量%以上の領域の深さ方向の厚みを上層と下層の合計厚みとした。その領域のうち、Crが10質量%以下の領域を上層とし、残りの領域を下層とした。そして、それぞれの領域の深さ方向の厚みをそれぞれの層の厚みとした。厚さの測定は5箇所で行い、厚さの算術平均を平均厚さとした。
【0041】
また、薄膜X線回折法により、化合物の結晶構造も確認した。回折ピークは、化合物としてFe、CrおよびFeCrOのピークに対応することを確認した。一方、上記グロー発光分光分析法の組成分布の結果(例えば図2)から、上層にはFeとOの共存、下層にはFe、CrおよびOの共存を確認したことに基づき、上層の化合物はFe、下層の化合物は、(Fe,Cr)が存在しているものと判断した。
【0042】
表2の発明例に示すように、本発明の範囲にある試験例は、低荷重かつ700℃以上の高温にて、摩擦係数、摩耗量ともに小さく、かじり等の作動不良を起こす確率も低い。すなわち、発明例は、Fe相からなる上層と(Fe,Cr)相からなる下層とが形成され、低い応力での安定した稼動が長期間可能である。
【0043】
他方、比較例1f、1g、2gのように炭素の拡散処理を施さない場合、あるいは、1h、2hのように表面処理後に650℃以上に加熱しない場合は、上層、下層とも形成されず、摩擦係数、摩耗量ともに大きく、優れた摺動性を発現しない。
【0044】
また、比較例3a、3b、4a、4bのように、1%を超えるSiを含有する素材の場合も、優れた摺動性を発現しない。これは、一般的に報告されるようにSiがスケールに影響を及ぼすことから、上層および下層の形成が阻害されるためと考えらえる。また、過度のCrの含有も、オーステナイト相を不安定化する等を一因とすると考えられ、高温摺動性を低下させたものと考える。
【0045】
次に、図1及び図2を参照して、発明例2cと比較例4bについて詳細に説明する。これらの発明例2c、比較例4cでは、表面から炭素を拡散させた(浸炭処理)後、Pin on Disk方式の摺動試験機を用いて、800℃加熱にて摺動性を調査している。図1には、同試験片について、摺動部と未摺動部の断面を研磨した後、光学顕微鏡で観察した結果を示している。図1に示すように、発明例2cは、表面に平均厚さで10μm前後の灰色の層が形成され、摺動部形状が未摺動部と大差を示さず、摩耗量も小さい。また、表2に示すように、摩擦係数も小さい。
【0046】
これに対して、比較例4bには灰色の層が形成されず、摺動部に明瞭な摩耗痕(凹部)が形成される。また、表2のように摩擦係数も大きい。
【0047】
両試験例の室温での硬さは、発明例2cが204HV1、比較例4bが354HV1であった。すなわち、摺動部の違いは、素材の硬さには対応せず、灰色の層の有無に起因している。
【0048】
発明例2c、4bの未摺動部の厚さ方向の組成分布(GD-OES分析)を図2に示す。図2(a)は発明例2cであり、図2(b)は比較例4bである。なお、同面の調査は、X線回折による構造解析も併せて実施した。
【0049】
発明例2cは、板表面より平均厚さ6μm前後のFe相からなる上層と、その内部に平均厚さ4μm前後の(Fe,Cr)相からなる下層とが確認される。また、下層の更に内部では、Cの高い領域(浸炭された基材)が存在する。これらより、相手材と直接接するFe相からなる上層が優れた摺動性を有し、Crの濃化した(Fe,Cr)相からなる下層、更に内部に存在する親和力の強いCの濃化がCrの拡散を抑制し、上・下層が形成、維持されると考えられる。
【0050】
他方、比較例4bでは、Crの高い領域の直下に更にSiの高い領域が存在する。両例の差は、このSiの高い領域に起因し、Siを過度に含有した場合、摺動性向上に必要不可避な上・下層の形成が阻害されると考えられる。
【0051】
【表1】
【0052】
【表2】
【産業上の利用可能性】
【0053】
本発明により、低荷重かつ高温での摺動性に優れるオーステナイト系ステンレス鋼、同鋼製部品を工業的に安定して提供することが可能となる。
図1
図2