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特許7178921こもり音抑制装置及びそれを備えた聴取機器
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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2022-11-17
(45)【発行日】2022-11-28
(54)【発明の名称】こもり音抑制装置及びそれを備えた聴取機器
(51)【国際特許分類】
   G10K 11/178 20060101AFI20221118BHJP
   H04R 1/10 20060101ALI20221118BHJP
   H04R 25/00 20060101ALI20221118BHJP
【FI】
G10K11/178 120
H04R1/10 104Z
H04R25/00 H
【請求項の数】 7
(21)【出願番号】P 2019019033
(22)【出願日】2019-02-05
(65)【公開番号】P2020126169
(43)【公開日】2020-08-20
【審査請求日】2022-01-11
(73)【特許権者】
【識別番号】000115636
【氏名又は名称】リオン株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】100110881
【弁理士】
【氏名又は名称】首藤 宏平
(72)【発明者】
【氏名】綿貫 敬介
(72)【発明者】
【氏名】伊達 宗宏
【審査官】西村 純
(56)【参考文献】
【文献】米国特許出願公開第2012/0076334(US,A1)
【文献】特許第6313517(JP,B1)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
H04R 1/00-31/00
G10K 11/178
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
第1の信号を音に変換して外耳道内の空間に出力するレシーバと、
前記外耳道内の空間の音を第2の信号に変換する外耳道用マイクロホンと、
前記第2の信号から前記第1の信号に至る負帰還経路を構成し、前記外耳道に発生するこもり音を抑制する信号を出力する抑制制御部を含む負帰還部と、
を備え、
前記抑制制御部は、使用者毎の個人差を反映した耳内伝達関数の統計的分布に基づいて代表伝達関数を予め設定し、前記代表伝達関数に対応するフィルタ係数を用いて前記こもり音を抑制する信号を出力することを特徴とするこもり音抑制装置。
【請求項2】
前記代表伝達関数は振幅特性及び位相特性を含み、当該振幅特性及び位相特性は、前記耳内伝達関数に含まれる振幅の周波数特性及び位相の周波数特性のそれぞれの前記統計的分布に基づき設定されることを特徴とする請求項1に記載のこもり音抑制装置。
【請求項3】
前記振幅特性は、複数の使用者の複数の耳内伝達関数の分布のうち、周波数毎の振幅の最大値に設定されることを特徴とする請求項2に記載のこもり音抑制装置。
【請求項4】
前記位相特性は、予め設定された第1の周波数及び当該第1の周波数より高い第2の周波数に関し、前記第1の周波数より低い周波数帯域では周波数毎の位相の最大値に設定され、前記第2の周波数より高い周波数帯域では周波数毎の位相の最小値に設定され、前記第1の周波数と前記第2の周波数との間の周波数帯域では前記第1の周波数における前記位相の最大値と前記第2の周波数における前記位相の最小値とを滑らかに接続するように設定されることを特徴とする請求項2に記載のこもり音抑制装置。
【請求項5】
外部空間から伝わる音を第3の信号に変換する外部マイクロホンを更に備えることを特徴とする請求項1から4のいずれか1項に記載のこもり音抑制装置。
【請求項6】
前記第3の信号に対して所定の信号処理を施す信号処理部を更に備え、
前記負帰還部は、前記信号処理部の出力信号に前記抑制制御部の出力信号を反転して合成し前記第1の信号を出力する合成部を含む、
ことを特徴とする請求項5に記載のこもり音抑制装置。
【請求項7】
請求項1から6のいずれか1項に記載のこもり音抑制装置を備えることを特徴とする聴取機器。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、外耳道の密閉により生じるこもり音を抑制するこもり音抑制装置と、このこもり音抑制装置を備えた聴取機器に関する。
【背景技術】
【0002】
一般に、外耳道を密閉した状態で装着される耳あな型補聴器やオーディオ用イヤホン等の聴取機器は、音が外耳道から外部の空間に放射されない構造であるため、使用者にとって自声の響き音や咀嚼音などが不快なこもり音となることが問題となる。従来から、この種の聴取機器のこもり音に対する対策として、聴取機器に設けた耳内マイクの信号を利用するフィードバック型のANC(Active Noise Control)が提案されている。例えば、特許文献1、2には、こもり音を抑制するために、外耳道内に設けたレシーバから耳内マイクに至る伝達関数(以下、「耳内伝達関数」と呼ぶ)を適応的に推定する手法が開示されている。また例えば、特許文献3には、こもり音の周波数成分を低減させる負帰還部を設けるとともに、負帰還経路における発振を防止可能なバイパス部を設けた構成が開示されている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0003】
【文献】特開2014-230045号公報
【文献】特開2014-168200号公報
【文献】特開2014-216799号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0004】
上述のフィードバック型のANCを適切に動作させるには、聴取機器の使用者の正確な耳内伝達関数を用いることが重要である。しかし、耳内伝達関数は、外耳道の構造や容積に応じた個人差が大きいため、十分なこもり音の抑制性能を確保するためには、個々の使用者毎に耳内伝達関数を測定し、測定結果に対応する制御回路を構成する必要がある。このような手法を採用すれば、個々の使用者に応じて、こもり音の適切な抑制量を調整可能であるが、個々の使用者に対するフィッティング現場において耳内伝達関数の測定等を含む煩雑な調整作業が必要となることが問題である。
【0005】
本発明は上記の課題を解決するためになされたものであり、使用者毎の煩雑な調整作業を行うことなく、耳内伝達関数の個人差を想定した適切かつ安定な抑制量を用いて、こもり音を十分に抑制可能なこもり音抑制装置等を提供するものである。
【課題を解決するための手段】
【0006】
上記課題を解決するために、本発明のこもり音抑制装置は、第1の信号(S1)を音に変換して外耳道(20)内の空間(S)に出力するレシーバ(12)と、前記外耳道内の空間を伝搬する音を第2の信号(S2)に変換する外耳道用マイクロホン(13)と、前記第2の信号から前記第1の信号に至る負帰還経路を構成し、前記外耳道に発生するこもり音を抑制する信号を出力する抑制制御部(15)を含む負帰還部とを備え、前記抑制制御部は、使用者毎の個人差を反映した耳内伝達関数(P(s))の統計的分布に基づいて代表伝達関数(Pr(s))を予め設定し、前記代表伝達関数に対応するフィルタ係数を用いて前記こもり音を抑制する信号を出力することを特徴としている。
【0007】
本発明のこもり音抑制装置によれば、外耳道内の密閉により生じるこもり音への対策のため、外耳道用マイクロホンから、抑制制御部を含む負帰還部を経由して、レシーバから再び外耳道内に至る負帰還経路を構成し、抑制制御部に対して使用者毎の個人差を反映して設定される代表伝達関数に対応するこもり音を抑制する信号を出力することで、こもり音を効果的に抑制する。よって、多数の使用者に関して個別に耳内伝達関数を測定するなどの煩雑な調整作業を不要としつつ、耳内伝達関数のバラツキに起因する発振等の不具合を効果的に防止し、安定な抑制量を用いてこもり音を十分に抑制することができる。
【0008】
本発明における代表伝達関数は、振幅特性及び位相特性を含めて構成し、その振幅特性及び位相特性は、耳内伝達関数に含まれる振幅の周波数特性及び位相の周波数特性のそれぞれの統計的分布に基づき設定することができる。これにより、耳内伝達関数の振幅と位相のそれぞれの統計的分布から最適な振幅特性及び位相特性を容易に導くことができ、こもり音の抑制性能を高めることができる。
【0009】
代表伝達関数の振幅特性は、例えば、複数の使用者の複数の耳内伝達関数の分布のうち、周波数毎の振幅の最大値に設定することができる。また、代表伝達関数の位相特性は、例えば、予め設定された第1の周波数及びこの第1の周波数より高い第2の周波数に関し、第1の周波数より低い周波数帯域では周波数毎の位相の最大値に設定し、第2の周波数より高い周波数帯域では周波数毎の位相の最小値に設定され、第1の周波数と第2の周波数との間の周波数帯域では第1の周波数における位相の最大値と第2の周波数における位相の最小値とを滑らかに接続するように設定することができる。このように振幅特性及び位相特性を設定することにより、耳内伝達関数の振幅及び位相のバラツキのうち最悪条件を適切に回避でき、発振を確実に防止しつつ良好な抑制性能を確保することができる。
【0010】
本発明において、外部空間から伝わる音を第3の信号に変換する外部マイクロホンを更に備えて構成することができる。この場合、第3の信号に対して所定の信号処理を施す信号処理部を更に備えて構成し、負帰還部を、信号処理部の出力信号に抑制制御部の出力信号を反転させ合成して第1の信号を出力する合成部を含めて構成してもよい。このような構成は、例えば、外部音を収集する外部マイクロホンを具備する補聴器等に適用することができる。
【0011】
また、上記課題を解決するために、本発明の聴取機器は、上述のこもり音低抑制置を備えて構成される。本発明を適用可能な聴取機器としては、多様な機器を挙げることができ、例えば、前述の補聴器に加えて、外部マイクロホンに代えて音響信号を第3の信号として入力する入力端子を備えるオーディオ用イヤホン、外部マイクロホンや入力端子を備えない耳せんなどが含まれる。これらの聴取機器を用いる際、こもり音抑制装置により、不快なこもり音を抑制することにより、使用者にとって利便性が高く快適な聴取機器を実現することができる。
【発明の効果】
【0012】
以上説明したように、本発明によれば、外耳道用マイクロホンからレシーバに至る負帰還経路に設けた抑制制御部に対し、使用者毎の個人差を反映して設定される代表伝達関数に対応する適切なフィルタ係数を付与することで、外耳道内のこもり音を安定的に抑制することができる。また、多数の使用者の耳内伝達関数の測定などの煩雑な調整作業が不要となるので、生産性と利便性の向上が可能となる。
【図面の簡単な説明】
【0013】
図1】本発明を適用した補聴器の一実施形態における概略の構成を示すブロック図である。
図2】耳内伝達関数P(s)の周波数特性について、複数の使用者の測定結果を重ねて示した図である。
図3】外耳道20をモデル化した等価回路を示す図である。
図4】耳内伝達関数P(s)の振幅及び位相に関し、外耳道20の残存容積を変化させたときの周波数特性をシミュレーションにより検証した結果を示す図である。
図5】(2)~(5)式に基づき設定された振幅特性Gr(ω)及び位相特性Φr(ω)の例を模式的に示す図である。
図6】本実施形態の抑制制御部15の構成例を示す図である。
図7】こもり音の抑制量のシミュレーションによる検証結果を示す図である。
【発明を実施するための形態】
【0014】
以下、本発明の実施形態について添付図面を参照しながら説明する。以下の実施形態は、使用者の外耳道内に装着可能な聴取機器の一例としての補聴器に関し、本発明に係るこもり音抑制装置を適用した例を示している。
【0015】
図1は、本発明を適用した補聴器の一実施形態において、概略の構成を示すブロック図である。図1に示す補聴器1は、使用者の耳に挿入可能な形状を有する筐体としてのケース10の内部に、外部マイクロホン11と、レシーバ12と、外耳道用マイクロホン13と、信号処理部14と、抑制制御部15と、減算部16とを含んで構成される。外耳道20内に挿入された状態のケース10には、奥の鼓膜21との間の空間Sに面した部分に、レシーバ12及び外耳道用マイクロホン13が音口などを介して取り付けられている。レシーバ12及び外耳道用マイクロホン13は一体的に構成してもよく、それぞれに対して共通の音口あるいは独立した音口のいずれであってもよい。
【0016】
図1の構成において、外部マイクロホン11は、外部空間から伝わる音を収集して電気信号に変換する。外耳道20に面するレシーバ12は、後述の信号S1(本発明の第1の信号)を音に変換し、上記の空間Sに出力する。また、レシーバ12の近傍の外耳道用マイクロホン13は、外耳道20内の空間Sから伝わる音を収集して信号S2(本発明の第2の信号)に変換する。信号処理部14は、外部マイクロホン11から出力される電気信号に対して所定の信号処理を施す。ここで、信号処理部14における処理を伝達関数H(s)で表す。例えば、信号処理部14で実行される処理は、補聴器1の使用者の聴力特性や使用環境に応じて個別に設定される補聴処理を含んでいてもよい。
【0017】
抑制制御部15は、信号S2を入力し、外耳道20内で生じるこもり音の抑制量を制御するための後述の演算を実行する。ここで、抑制制御部15における処理を伝達関数C(s)で表す。抑制制御部15は、伝達関数C(s)の演算を実現可能な後述のフィルタ回路で構成することができる。減算部16は、信号処理部14の出力信号から抑制制御部15の出力信号を減算する。減算部16による減算結果は前述の信号S1として出力され、レシーバ12を介して音に変換される。上記の構成において、外耳道用マイクロホン13から、抑制制御部15、減算部16を経由して、レシーバ12に至る負帰還経路が形成され、抑制制御部15は減算部16とともに本発明の負帰還部として機能する。
【0018】
図1に示すように、レシーバ12から外耳道用マイクロホン13に至る外耳道20の耳内伝達関数P(s)を想定する。このとき、こもり音の抑制制御を実行する際の空間S内の音圧変化量W(s)は、前述の抑制制御部15の伝達関数C(s)を用いて、次の(1)式で表すことができる。なお、(1)式では、外部マイクロホン11の影響は考慮しないものとする。
【数1】
【0019】
本実施形態の補聴器1において、(1)式の音圧変化量W(s)が1より大きくなると、正帰還となって、こもり音が増幅される。こもり音を抑制するためには、音圧変化量W(s)を1未満に小さくする必要がある。そのためには、少なくとも(1)式の右辺の分母の絶対値が1より大きくなるように制御すればよい。なお、(1)式の右辺の分母の絶対値が0になると、W(s)=∞となり、負帰還経路で発振が生じることになる。以上の観点から、耳内伝達関数P(s)を測定した上で、それに応じて(1)式に基づき、伝達関数C(s)を適切に制御することにより、こもり音の抑制が可能となる。
【0020】
以下、本実施形態のこもり音抑制に必要となる耳内伝達関数P(s)について説明する。一般に、使用者により外耳道20の構造が異なるため、耳内伝達関数P(s)は個人差が大きい。図2は、耳内伝達関数P(s)の周波数特性について、複数の使用者の測定結果を重ねて示した図である。ここでは、被験者13名(26耳)に対し、耳内伝達関数P(s)のうち振幅及び位相のそれぞれを測定した。図2に示されるように、耳内伝達関数P(s)は周波数20Hz~5kHzの範囲内で個人差が認められる。本実施形態では、このような耳内伝達関数P(s)の個人差を踏まえつつ、後述の手法により、最適な耳内伝達関数P(s)の振幅データ及び位相データを設定する点が特徴的である。
【0021】
図3は、耳内伝達関数P(s)の個人差の要因を検証するために、外耳道20をモデル化した等価回路を示している。図3においては、全体の伝達関数を、電圧Viが印加されるレシーバ12の伝達関数Zeと、振動膜の変位である電圧Voを出力する外耳道用マイクロホン13の伝達関数Zmと、耳せん部(例えば、補聴器1のケース10)と耳との隙間の伝達関数Zvと、外耳道20の空間S(残存容積)の伝達関数Zcと、鼓膜21の伝達関数Zdとに区分して示している。なお、外耳道用マイクロホン13の伝達関数Zmと鼓膜21の伝達関数Zdはそれぞれインピーダンス、容量、インダクタンスを含む電気回路で表現される。
【0022】
図3において、前述の電圧Vi、Voに対し、伝達関数Pa(s)を、Pa(s)=Vo/Viと置くと、この伝達関数Pa(s)が(1)式における耳内伝達関数P(s)に相当する。図3の等価回路では、2つの伝達関数Ze、Zmは補聴器1の設計に依存するパラメータであるのに対し、3つの伝達関数Zv、Zc、Zdは個人毎に異なるパラメータである。このうち、前述の耳内伝達関数P(s)に対しては、外耳道20の残存容積の伝達関数Zcが支配的であることが確認された。よって、以下では主に外耳道20の残存容積に着目して、耳内伝達関数P(s)を検証する。
【0023】
図4は、伝達関数Pa(s)の振幅及び位相に関し、外耳道20の残存容積を変化させたときの周波数特性をシミュレーションにより検証した結果を示している。残存容積が大きい場合(1000mm)に比べて、残存容積が小さくなると(250mm)、全体的に振幅値が上昇する一方、高周波領域で位相が遅れる傾向が確認された。よって、残存容積の変化は、耳内伝達関数P(s)の個人差の大きな要因であると推認される。
【0024】
次に、上述したような耳内伝達関数P(s)の個人差を踏まえて、図1の抑制制御部15の構成及び機能について説明する。本実施形態では、抑制制御部15のフィルタ係数を決定するために、振幅データ及び位相データからなる伝達関数データを設定する必要がある。この伝達関数データとして、以下に説明するように、バラツキを有する耳内伝達関数P(s)の統計的分布に基づき1つの代表伝達関数Pr(s)を設定する。代表伝達関数Pr(s)は、前述の振幅データ及び位相データとして、各々の周波数f(ω=2πf、s=jω)に応じた振幅特性Gr(ω)及び位相特性Φr(ω)を含む。まず、振幅特性Gr(ω)は、次の(2)式に基づき設定される。
【数2】
ただし、Gmax(ω):各周波数での振幅の最大値
【0025】
一方、位相特性Φr(ω)は、こもり音の所定の周波数範囲を、下限の周波数f1(ω1=2πf1)と上限の周波数f2(ω2=2πf2)とにより表したとき、次の(3)、(4)、(5)式に基づき設定される
【数3】
ただし、Φmax(ω):各周波数での位相の最大値
Φmin(ω):各周波数での位相の最小値
【0026】
ここで、図5は、上述の(2)~(5)式に基づき設定された振幅特性Gr(ω)及び位相特性Φr(ω)の例を模式的に示す図である。図5においては、図2の複数の使用者の耳内伝達関数P(s)の測定結果について、振幅及び位相のそれぞれの分布を示すとともに、(2)~(5)式を適用して得られた振幅特性Gr(ω)及び位相特性Φr(ω)を重ねて示している。振幅特性Gr(ω)については、最大値Gmax(ω)と最小値Gmin(ω)との分布内で、全体の周波数範囲にわたって、Gr(ω)=Gmax(ω)となるように設定される。
【0027】
また、位相特性Φr(ω)については、最大値Φmax(ω)と最小値Φmin(ω)との分布内で、低周波側のω<ω1の範囲内では(3)式に基づき、Φr(ω)=Φmax(ω)に設定され、高周波側のω>ω2の範囲内では(5)式に基づき、Φr(ω)=Φmin(ω)に設定される。さらに、ω1≦ω≦ω2の範囲内では(4)式に基づき、位相特性Φr(ω)がΦmax(ω1)とΦmix(ω2)との2点を接続するように設定されている。
【0028】
以上のように、本実施形態では、振幅特性Gr(ω)及び位相特性Φr(ω)からなる代表伝達関数Pr(s)を設定することにより、こもり音の抑制性能の安定性を高めることができる。例えば、仮に振幅特性Gr(ω)として、図2の分布の範囲内の最小値Gmin(ω)あるいは平均値を設定することを想定すると、実際の使用者の耳内伝達関数P(s)の振幅が相対的に大きくなったときには、負帰還経路で発振が生じる恐れがある。
【0029】
位相特性Φr(ω)については、周波数に応じて最悪条件が変化するので、(3)~(5)式の設定が必要となる。具体的には、位相特性Φr(ω)の場合、低周波帯域(ω<ω1)では、位相が進んでいる最大値Φmax(ω)が最悪条件となるが、高周波帯域(ω>ω2)では、位相回転に起因して、位相が遅れている最小値Φmin(ω)が最悪条件となる。また、両者の中間領域であるω1≦ω≦ω2の範囲では、低周波側と高周波側で位相特性Φr(ω)を滑らかに推移するように設定する必要がある。よって、(2)式の設定により、抑制性能の観点から各周波数で一律に最悪条件となる最大値Gmax(ω)を振幅特性Gr(ω)に設定し、(3)から(5)式の設定により、位相特性Φr(ω)を設定することで、十分な抑制量を確保しつつ、発振等の不具合を防止することができる。
【0030】
なお、図5の説明に関し、位相特性Φ(ω)の条件を区切る2つの周波数f1(ω1=2πf1)、f2(ω2=2πf2)は、こもり音の所定の周波数範囲に一致させるのが通常であるが、これら2つの周波数f1、f2をこもり音の周波数範囲より広い帯域に設定してもよい。
【0031】
図6は、本実施形態の抑制制御部15の構成例を示している。本実施形態の抑制制御部15は、上記の代表伝達関数Pr(s)に基づきこもり音を抑制する抑制量を決定する伝達関数C(s)を実現するため、例えば、図6に示すように、N個のバイクワッドフィルタ30を縦続接続して構成することができる。図6の構成例において、初段のバイクワッドフィルタ30(1)は、外耳道用マイクロホン13(図1)を介して信号S(0)を入力し、フィルタ演算後の信号S(1)を出力する。その後、2段目以降のバイクワッドフィルタ30を順次経由して、最終段のバイクワッドフィルタ30(N)から伝達関数C(s)を反映したフィルタ演算後の信号S(N)が出力される。N個のバイクワッドフィルタは、例えば、伝達関数C(s)の波形に応じて、それぞれ所定数のピーキングフィルタ、ローパスフィルタ、ハイパスフィルタなどを含めて構成することができる。
【0032】
N個のバイクワッドフィルタ30の各々は、いずれも2次のIIRフィルタとして構成されており、4つの加算器30aと、5つの乗算器30bと、2つの遅延器30cとを備えている。このうちN個のバイクワッドフィルタ30に対し、それぞれの5つの乗算器30bの各係数を適切に設定することにより、抑制制御部15の全体の演算に基づいて代表伝達関数Pr(s)の特性を反映した伝達関数C(s)の演算を実現することができる。
【0033】
ここで、伝達関数C(s)に対応して抑制制御部15の最適なフィルタ係数を決定するために、多様な手法を採用することができる。例えば、図5に示すような振幅特性Gr及び位相特性Φr(ω)からなる代表伝達関数Pr(s)を設定した後、周波数毎の必要な抑制量を周波数毎に規定すればよい。この場合、例えば、いわゆる遺伝的アルゴリズムを用いることで、周波数毎の抑制量に応じた伝達関数C(s)を実現するフィルタ係数を決定することができる。すなわち、伝達関数データに基づき複数の参照データを含む母集団を生成し、母集団からランダムに選択した参照データを更新し、更新された参照データの評価を行う手順を繰り返すことにより、フィルタ係数の最適化を行うものである。ただし、抑制制御部15のフィルタ係数の決定に際しては、遺伝的アルゴリズムに限らず、他のアルゴリズム(例えば、DQN:Deep Q-Network)を採用してもよい。
【0034】
以下、本実施形態の上述の構成及び方法により、こもり音を抑制する場合の効果について検証する。図7は、図2に示す被験者13名(26耳)の耳内伝達関数P(s)の測定結果を用いて、こもり音の抑制量のシミュレーションによる検証結果を示している。ここでは、まず、前述の被験者13名(26耳)の耳内伝達関数P(s)から、(2)~(5)式に基づき代表伝達関数Pr(s)を算出し、算出結果に応じて抑制量の目標値と上限値を設定した。具体的には、抑制量の目標値としては、図7の所定の周波数(100、200、300、400Hz)のそれぞれに対応して黒丸で示す値(-20、-20、-10、-5dB)を設定した。また、正帰還による抑制量の上限値としては、負帰還経路の発振の防止の観点から、+5dBを設定した。
【0035】
そして、上述のように得られた代表伝達関数Pr(s)と各目標値及び上限値とを用いて、遺伝的アルゴリズムを適用することにより、抑制制御部15の伝達関数C(s)を算出した。続いて、算出した伝達関数C(s)と、上記の耳内伝達関数P(s)の各測定結果とから、(1)式に基づき音圧変化量W(s)を算出した。その結果、図7に示すような波形が得られ、この波形の分布から前述の個人差に応じた抑制量の変化を把握することができる。図7において、周波数毎の分布の下限が目標値と概ね一致し、全範囲の分布の上限が6.1dBとなって設定した上限値を若干上回ったが概ね逸脱していないと判断できる。このように、代表伝達関数Pr(s)に基づき抑制制御部15の伝達関数C(s)を算出し、それに対応するフィルタ係数を設定することが効果的であることが確認された。
【0036】
本実施形態の構成及び手法を採用することにより、こもり音の抑制性能の安定化を図ることができるとともに、耳内伝達関数P(s)の個人差を踏まえて1つの代表伝達関数Pr(s)に基づき抑制制御部15を設定可能となるため、多数の使用者に対しての煩雑な調整作業を不要とすることできる。例えば、補聴器1のフィッティング現場において、作業の簡素化が可能となり、生産性及び利便性をともに向上させることができる。
【0037】
本実施形態では、抑制制御部15による制御の前提となる代表伝達関数Pr(s)を決定するために、複数の使用者に対し耳内伝達関数P(s)を測定し、測定データの分布の最大値や最小値に基づき伝達関数データを設定していたが、最大値や最小値には限らず、複数の耳内伝達関数P(s)から統計的な手法に基づき導出される伝達関数データを設定してもよい。例えば、多数の耳内伝達関数P(s)の正規分布を判別し、前述の最大値や最小値に代え、正規分布における上下の±2σや±3σ等の値に基づき伝達関数データを設定してもよい。
【0038】
また、抑制制御部15の伝達関数データは、複数の使用者の測定データを収集することに代えて、人間の耳を模擬した治具を用いて決定することができる。このような治具は、所定の材料で作成した容器であって、人間の耳内伝達関数P(s)と同様、振幅特性Gr(ω)が大きく、位相特性Φr(ω)は低周波帯域で位相が進み、かつ高周波帯域で位相が遅れる特性を有するように設計される。
【0039】
また、抑制制御部15の伝達関数データは、複数の使用者の測定データを収集することに代えて、図3の等価回路を用いて決定することができる。このような等価回路の伝達関数は、振幅特性が大きく、位相特性が低周波帯域で大きく(位相が進み)かつ高周波帯域で小さく(位相が遅れ)なるように設計するものとする。
【0040】
以上の実施形態では、本発明を補聴器1に適用する例を説明したが、本発明は、補聴器1に限らず、外耳道に装着して用い、同様の機能を実現可能な他の聴取機器に対して広く適用することができる。例えば、外耳道に装着するオーディオ用イヤホンに対して本発明を適用可能である。この場合は、図1の信号処理部14をオーディオ用イヤホンの機能を有する回路で置き換えればよい。また、外耳道に装着する耳せんに対して本発明を適用可能である。この場合は、図1の外部マイクロホン11や信号処理部14を設けない構成を採用してもよい。さらに、これらの聴取機器には限られず、本発明のこもり音抑制装置を搭載可能な多様な機器やシステムに対して広く本発明を適用することができる。
【符号の説明】
【0041】
1…補聴器
10…ケース
11…外部マイクロホン
12…レシーバ
13…外耳道用マイクロホン
14…信号処理部
15…抑制制御部
16…減算部
20…外耳道
21…鼓膜
30…バイクワッドフィルタ
図1
図2
図3
図4
図5
図6
図7