(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2022-12-09
(45)【発行日】2022-12-19
(54)【発明の名称】前庭刺激装置、めまい治療装置、健康促進装置
(51)【国際特許分類】
A61F 11/00 20220101AFI20221212BHJP
【FI】
A61F11/00
(21)【出願番号】P 2020522624
(86)(22)【出願日】2019-05-31
(86)【国際出願番号】 JP2019021688
(87)【国際公開番号】W WO2019230941
(87)【国際公開日】2019-12-05
【審査請求日】2021-04-15
(31)【優先権主張番号】P 2018104637
(32)【優先日】2018-05-31
(33)【優先権主張国・地域又は機関】JP
【国等の委託研究の成果に係る記載事項】(出願人による申告)平成30年度、国立研究開発法人科学技術振興機構、未来社会創造事業ヒューメインなサービスインダストリーの創出「無意識下に健康を増進できる高付加価値空間の創造」委託研究開発、産業技術力強化法第17条の適用を受ける特許出願
(73)【特許権者】
【識別番号】504139662
【氏名又は名称】国立大学法人東海国立大学機構
(74)【代理人】
【識別番号】100105924
【氏名又は名称】森下 賢樹
(72)【発明者】
【氏名】加藤 昌志
(72)【発明者】
【氏名】大神 信孝
(72)【発明者】
【氏名】曾根 三千彦
(72)【発明者】
【氏名】杉本 賢文
(72)【発明者】
【氏名】加藤 正史
【審査官】木村 立人
(56)【参考文献】
【文献】米国特許出願公開第2016/0089298(US,A1)
【文献】中国特許出願公開第104799999(CN,A)
【文献】国際公開第2017/040747(WO,A1)
【文献】国際公開第2018/089994(WO,A1)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
A61F 11/00
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
音刺激を設定する設定部と、
設定された音刺激を発生する音発生部と、を備え、
前記設定部は、対象者の耳石を介して前庭機能を活性化させる音刺激として、音圧レベルを70から85デシベルの間の値、周波数を
50から140ヘルツの間の値とする音刺激を設定する、
ことを特徴とする前庭刺激装置。
【請求項2】
対象者の前庭機能に関する情報を取得する情報取得部をさらに備え、
前記設定部は、取得した前庭機能に関する情報に応じて、音刺激の音圧レベルまたは周波数の少なくとも一方を設定する、
ことを特徴とする請求項1に記載の前庭刺激装置。
【請求項3】
前記情報取得部は、現在の前庭機能の状態を表現する状態情報を取得する、
ことを特徴とする請求項2に記載の前庭刺激装置。
【請求項4】
前記情報取得部は、対象者の座位姿勢継続時間を取得する、
ことを特徴とする請求項2または3に記載の前庭刺激装置。
【請求項5】
前記情報取得部は、対象者の頭部の動きに関する情報を取得する、
ことを特徴とする請求項2から4のいずれかに記載の前庭刺激装置。
【請求項6】
運動機能の改善、平衡機能の改善またはアンチエイジング効果の向上のための音刺激を選択する操作を受け付ける受付部を備え、
前記受付部が前記操作を受け付けると、前記設定部が、運動機能の改善、平衡機能の改善またはアンチエイジング効果の向上のための音刺激を設定する、
ことを特徴とする請求項1から5のいずれかに記載の前庭刺激装置。
【請求項7】
前記設定部が、動揺病の防止または抑制のための音刺激を設定する、
ことを特徴とする請求項1から5のいずれかに記載の前庭刺激装置。
【請求項8】
前記音発生部に対する対象者の位置を特定する位置特定部をさらに備え、
前記設定部は、対象者の位置に応じて、前記音発生部から出力する音圧レベルを決定する、
ことを特徴とする請求項1から7のいずれかに記載の前庭刺激装置。
【請求項9】
前記設定部は、対象者が存在する位置における音圧レベルが70から85デシベルの間の値となるように、前記音発生部から出力する音圧レベルを決定する、
ことを特徴とする請求項1から8のいずれかに記載の前庭刺激装置。
【請求項10】
前記設定部は、対象者の左右の耳石を刺激する音圧レベルが略同一となるように、前記音発生部の出力を制御する、
ことを特徴とする請求項1から9のいずれかに記載の前庭刺激装置。
【請求項11】
前記音発生部は、対象者の一方の耳に向けて音刺激を発生する第1音発生部と、対象者の他方の耳に向けて音刺激を発生する第2音発生部とを有し、
前記設定部は、前記第1音発生部の出力と前記第2音発生部の出力とを独立して制御する、
ことを特徴とする請求項1から10のいずれかに記載の前庭刺激装置。
【請求項12】
請求項1から5のいずれかに記載の前庭刺激装置を備えた、めまい治療装置。
【請求項13】
請求項1から5のいずれかに記載の前庭刺激装置と、
対象者を収容するチャンバと、
を備えた、健康促進装置。
【請求項14】
コンピュータに、
対象者の耳石を介して前庭機能を活性化させる音刺激として、音圧レベルを70から85デシベルの間の値、周波数を
50から140ヘルツの間の値とする音刺激を設定する機能と、
設定された音刺激を発生する機能と、
を実現させるためのプログラム。
【請求項15】
対象者の前庭機能に関する情報を取得する機能を、さらにコンピュータに実現させるためのプログラムであって、
音刺激を設定する機能は、取得した前庭機能に関する情報に応じて、音刺激の音圧レベルまたは周波数の少なくとも一方を設定する機能を含む、
ことを特徴とする請求項14に記載のプログラム。
【請求項16】
情報を取得する機能は、現在の前庭機能の状態を表現する状態情報を取得する機能を含む、
ことを特徴とする請求項15に記載のプログラム。
【請求項17】
音刺激を発生する機能は、所定期間における音の発生時間を、所定時間以内に制限する機能を含む、
ことを特徴とする請求項14から16のいずれかに記載のプログラム。
【請求項18】
音刺激を発生する機能は、音楽データの再生中に、設定された音刺激を発生する機能を含む、
ことを特徴とする請求項14から17のいずれかに記載のプログラム。
【請求項19】
音刺激を設定する機能は、複数種類のモードに応じた音刺激を設定可能とする機能を含む、
ことを特徴とする請求項14から18のいずれかに記載のプログラム。
【請求項20】
複数種類のモードの1つを選択する操作を受け付ける機能を、さらにコンピュータに実現させるためのプログラムであって、
音刺激を設定する機能は、受け付けたモード選択操作に応じた音刺激を設定する機能を含む、
ことを特徴とする請求項19に記載のプログラム。
【発明の詳細な説明】
【関連出願の相互参照】
【0001】
本出願は、2018年5月31日に出願された日本国特許出願2018-104637号に基づくものであって、その優先権の利益を主張するものであり、その特許出願の全ての内容が、参照により本明細書に組み込まれる。
【技術分野】
【0002】
本開示は、音刺激により人の平衡機能や運動機能などを改善する技術及び装置に関する。
【背景技術】
【0003】
内耳の主な役割は、振動を電気信号に変換して神経や脳に伝えることであり、内耳に含まれる三半規管と前庭は、身体のバランスを保つ機能(平衡機能)に関係することが知られている。前庭には球形嚢と卵形嚢があり、それぞれに耳石および耳石膜が乗っている有毛細胞が存在する。身体の傾きとともに耳石が重力の方向へ傾くことで、人は身体の傾きを感知する。
【0004】
非特許文献1は、前庭の有毛細胞の機能を評価するために、マウスの内耳に蛍光プローブ(FM1-43)を含んだ溶液を加えて、発生する蛍光シグナルを観察した結果を開示する。FM1-43は、細胞内に取り込まれると蛍光シグナルを発するものであり、有毛細胞に取り込まれることで、強力な蛍光が観察される。この観察により、機械刺激感受性イオンチャンネルであるTMC(Transmembrane channle-like)1遺伝子およびTMC2遺伝子が、内耳有毛細胞の機械的シグナル伝達に必要不可欠であり、機械刺激感受性イオンチャンネルの活性が上がることで、平衡機能が良好になることが示される。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0005】
【文献】Kawashima Y, Geleoc GS, Kurima K, et al.: Mechanotransduction in mouse inner ear hair cells requires transmembrane channel-like genes. J Clin Invest 121:4796─4809, 2011.
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
めまいは平衡機能の障害により発症する。本開示者は音刺激の生物学的効果に注目し、音刺激と、運動機能および平衡機能との相関について様々な試験や検査を行い、運動機能および平衡機能の改善に適した音刺激を探し出す研究を行った。
【0007】
本開示はこうした状況に鑑みてなされており、その目的とするところの1つは、人の平衡機能の改善に適した音刺激を利用した技術を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0008】
上記課題を解決するために、本開示のある態様の前庭刺激装置は、音刺激を設定する設定部と、設定された音刺激を発生する音発生部とを備える。設定部は、対象者の耳石を介して前庭機能を活性化させる音刺激として、音量レベルを70から85デシベルの間の値、周波数を20から140ヘルツの間の値とする音刺激を設定する。なお本開示で「耳石」は、耳石および耳石膜を含む用語として用いる。
【0009】
本開示の別の態様は、コンピュータに、対象者の耳石を介して前庭機能を活性化させる音刺激として、音量レベルを70から85デシベルの間の値、周波数を20から140ヘルツの間の値とする音刺激を設定する機能と、設定された音刺激を発生する機能とを実現させるためのプログラムである。
【0010】
なお、以上の構成要素の任意の組合せ、本開示の表現を方法、装置、システム、記録媒体、コンピュータプログラムなどの間で変換したものもまた、本開示の態様として有効である。
【図面の簡単な説明】
【0011】
【
図1】実施例の前庭刺激装置の構成を示す図である。
【
図3】蛍光プローブ取り込み試験の結果を示す図である。
【
図4】蛍光プローブ取り込み試験の結果を示す図である。
【
図5】音刺激により耳石が直接刺激されることを示す図である。
【
図6】音刺激の感知に耳石が不可欠であることを示す図である。
【
図7】複数の周波数で連続音刺激を与えた後の卵形嚢における有毛細胞の活性を蛍光レベルとして示す図である。
【
図10】重心動揺試験の手法を説明するための図である。
【
図12】軌跡長ロンベルク係数の比を示す図である。
【
図13】外周面積ロンベルク係数の比を示す図である。
【
図14】回転刺激前の重心軌跡と、回転刺激後の重心軌跡を示す図である。
【
図15】回転刺激前の重心軌跡と、回転刺激後の重心軌跡を示す図である。
【
図16】平衡機能が改善された被検者の周波数ごとの割合を示す図である。
【
図17】座位姿勢を継続したときの重心動揺変動率の変化を示す図である。
【
図18】座位姿勢を継続したときの重心動揺変動率の変化を示す図である。
【
図19】めまい症患者のVEMPの変化を示す図である。
【
図20】前庭刺激装置に設けられた画面の表示例を示す図である。
【
図21】実施例の車載前庭刺激装置の構成を示す図である。
【発明を実施するための形態】
【0012】
図1は、実施例の前庭刺激装置1の構成を示す。前庭刺激装置1は、人の前庭機能を活性化させる周波数および音量の刺激パターンで音を発生して出力する音発生装置である。以下、設定された周波数および音量の刺激パターンで発生する音自体や音信号を「音刺激」と呼ぶこともある。前庭刺激装置1は、音刺激を選択する操作を受け付ける操作受付部2と、選択操作に応じて音刺激を設定する設定部3と、設定された音刺激を発生して出力する音発生部4と、対象者の前庭機能に関する情報を取得する情報取得部5と、音発生部4に対する対象者の位置を特定する位置特定部6とを備える。実施例の音発生部4は、特定の周波数をもつ純音を対象者に対して時間的に連続して出力する機能をもつが、他の周波数成分が同時に出力されてもよい。音発生部4はスピーカの機能を有して、前庭刺激装置1から音を外部に出力してよいが、前庭刺激装置1に接続されるヘッドホンやイヤホンから音を出力するものであってもよい。
【0013】
図1において、さまざまな処理を行う機能ブロックとして記載される各要素は、ハードウェア的には、回路ブロック、メモリ、その他のLSIで構成することができ、ソフトウェア的には、メモリにロードされたプログラムなどによって実現される。したがって、これらの機能ブロックがハードウェアのみ、ソフトウェアのみ、またはそれらの組合せによっていろいろな形で実現できることは当業者には理解されるところであり、いずれかに限定されるものではない。
【0014】
後に詳述するが、実施例の前庭刺激装置1は、対象者の運動機能の改善、平衡機能の改善またはアンチエイジング効果の向上のために、音量レベルを70から85デシベル(dB)の間の値、周波数を20から140ヘルツ(Hz)の間の値とする音刺激を出力する。この音量レベルは、対象者が存在する位置における音量レベルを意味する。音刺激は時間的に連続して出力される連続音であることが好ましく、少なくとも1秒間以上、より好ましくは30秒間以上連続する連続音であることが好ましい。連続音による音刺激では、対象者の位置で効果を示す周波数・大きさの音が連続して与えられる。
【0015】
前庭刺激装置1は、めまい治療装置に組み込まれて、病院などの医療施設に設置されてよい。このめまい治療装置は、めまい症患者に、耳石(以下「耳石」は耳石と耳石膜を含む)を介して前庭機能を活性化させる音刺激を出力することで、めまい症状を改善させることができる。なお前庭刺激装置1は、耳石を刺激する音刺激を出力するため、耳石刺激装置と呼んでもよい。医師は患者の症状や前庭機能に関する情報に応じて、音量レベルを70から85dBの範囲内、周波数を20から140Hzの範囲内で、任意に設定できてよい。
【0016】
70から85dBの間の音量および20から140Hzの間の周波数をもつ音刺激は、音量および周波数の成分として日常的に曝露されうる音であり、また環境基準値以下の音であるため、安全性が高い。そのため前庭刺激装置1を備えるめまい治療装置は、医師の管理下での在宅療法として使用されることも可能である。
【0017】
前庭刺激装置1は健康機器として市販されて、健常者の運動機能や平衡機能向上、もしくはアンチエイジング効果の向上の目的で利用されてもよい。前庭刺激装置1は、持ち運べるようにコンパクトに形成されることが好ましく、たとえばスポーツ選手が試合前に、前庭刺激装置1から出力される音刺激をヘッドホンを介して聞くような利用シーンも想定される。近年では、ロコモティブ症候群の予防が提唱されているが、前庭刺激装置1が健康機器として流通することで、平衡機能の改善に伴うロコモティブ症候群の予防や改善が期待できる。さらに乗り物酔いを含む動揺病や、重力変化により前庭機能が障害される宇宙酔いに対しても予防や改善が期待できる。また宇宙滞在から帰還した後の機能回復訓練での利用も期待される。
【0018】
前庭刺激装置1は、音発生アプリケーションをスマートフォンやタブレットなどの携帯型端末装置にインストールすることで実現されてもよい。70から85dBの範囲、20から140Hzの範囲の音は、通常の人にとっては聞こえにくい音であり、その意味では聞こえていても邪魔にならない音とも言える。そのため携帯型端末装置のユーザが音楽再生アプリケーションで音楽を聞いているときに、音発生アプリケーションで発生する連続音を、再生される音楽音に混合してもよい。平衡機能を改善する連続音は、低音量で且つ音楽音よりも相対的に低い周波数であるため、ユーザは、混合された連続音を意識することなく、音楽を聞くことができる。このように音発生アプリケーションが発生する連続音信号が、再生される音楽音響信号にミックスされることで、ユーザは、音楽を聞きながら、平衡機能を改善できるようになる。なお音発生アプリケーションは、音楽再生アプリケーションの一機能として組み込まれてもよく、また音楽再生アプリケーションに限らず、動画アプリケーションなど音声を出力する他の種類のアプリケーションに組み込まれてもよい。
【0019】
また前庭刺激装置1は、対象者を収容するチャンバに取り付けられて、健康促進装置として利用されてもよい。ユーザがチャンバに入っている間、前庭刺激装置1が、ユーザの平衡機能を改善する音刺激をチャンバ内に出力することで、ユーザの平衡機能が改善される。この健康促進装置はスポーツジムなどに設置されてよい。
【0020】
本開示者は、音量レベルを70から85dBの間の値、周波数を20から140Hzの間の値とする連続音が、対象者の耳石に作用し、耳石を介して前庭機能を活性化することを突き止めた。前庭機能の活性化は、運動機能や平衡機能を改善し、アンチエイジング効果を向上させる。以下、本開示者が行った試験および検査について説明する。
【0021】
図2(a)は、マウスのロータロッド試験の結果を示す。ロータロッド試験は、回転する棒の上にマウスをのせて徐々に速度を上げ、マウスが落下するまでの時間を測定する試験である。運動機能および平衡機能が良好であれば、棒から落下するまでの時間は長くなり、運動機能および平衡機能が劣化していれば、棒から落下するまでの時間は短くなる。
【0022】
このロータロッド試験において、ラインt1は、音刺激付与の前後における落下までの時間の測定結果を示す。この試験では、75dB、100Hzの音刺激を1時間与えた。ラインt1では、音刺激を与える前、与えた直後、与えた1日後における落下までの時間変化を示す。各タイミングにおけるプロット値は、測定した複数匹のマウスの落下までの時間の中央値を示している。
【0023】
ラインt2は、ラインt1との比較のために、音刺激を与えていないマウスの落下までの時間の測定結果を示す。ラインt2に示す実験では、音刺激を与えたマウスと同じタイミング(同じ時間間隔)で、音刺激を与えていないマウスの落下までの時間を測定している。各タイミングにおけるプロット値は、測定した複数匹のマウスの落下までの時間の中央値を示している。
【0024】
このロータロッド試験によれば、音刺激を受けたマウスの落下までの時間が、音刺激を受けていないマウスの落下までの時間よりも、大幅に長くなっていることが示される。なおラインt2で示される時間が、ロータロッド試験を行うごとに長くなっているのは、マウスがロータロッドの運動に慣れたことが原因と考えられる。ラインt1とラインt2を比較すると、適切な音量および周波数の音刺激を受けることで、マウスの運動機能および平衡機能が改善されている。
【0025】
図2(b)は、マウスの平均台試験の結果を示す。
図2(b)に示す平均台試験では、平均台をマウスが渡るまでの間に足を滑らせた回数を測定している。運動機能および平衡機能が良好であれば、足を滑らせる回数は少なく、運動機能および平衡機能が劣化していれば、足を滑らせる回数は多くなる。
【0026】
この平均台試験では、音量レベルと運動機能や平衡機能との関係を調べることを目的として、マウスを、音刺激を与えないグループ、98dBの音刺激(100Hz)を与えるグループ、80dBの音刺激(100Hz)を与えるグループの3つに分け、それぞれのグループについて、足を滑らせた回数の平均値を測定した。この実験により、音刺激を与えないグループに対して、98dBの音刺激を与えたグループの成績は悪く、一方で、80dBの音刺激を与えたグループの成績は良かった。このことは、音量レベルが80dBである場合には、マウスの運動機能および平衡機能が向上し、一方で音量レベルが98dBである場合には、マウスの運動機能および平衡機能が悪化したことを意味する。つまり98dBの音量レベルは、マウスの運動機能および平衡機能の異常を誘発させることが分かった。なお
図2には示していないが、85dBの音量レベルによる同様の試験により、85dBの音量レベルは、運動機能および平衡機能の異常を誘発しないことも分かった。
【0027】
本開示者は、音刺激の平衡機能を担う前庭への直接的な効果およびメカニズムを評価する目的で、有毛細胞に発現する機械刺激感受性イオンチャンネル(TMC1/TMC2)の「蛍光プローブ(FM1-43)」の取り込み試験(非特許文献1参照)を、マウスの内耳前庭の器官培養系を用いて行った。非特許文献1では、前庭の有毛細胞がFM1-43を取り込むと、TMC1/2のイオンチャンネルの活性が高まり、平衡機能つまりは前庭機能が良好になることが開示されている。本開示者は、複数のパターンの音刺激をマウスの卵形嚢に与えて、イオンチャンネルの活性変化を蛍光プローブの取り込みによる蛍光強度の変化によって観察した。
【0028】
図3(a)は、音刺激がない状態の卵形嚢における蛍光を示す。
図3(b)は、100Hz、85dBの連続音を5分間与えた後の卵形嚢における蛍光を示す。
図3(c)は、音刺激がない状態の蛍光強度を基準とする蛍光強度変化の割合を示す。この取り込み試験では、連続音刺激を与えた後、蛍光強度が約100%上昇したことが示された。連続音刺激を与えたことにより蛍光強度が上昇したことは、蛍光プローブの取り込みが多かったこと、すなわちTMC1/2のイオンチャンネルの活性が高まったことを意味する。
【0029】
図4(a)は、音刺激がない状態の卵形嚢における蛍光を示す。
図4(b)は、100Hz、85dBの不連続音を5分間与えた後の卵形嚢における蛍光を示す。なお不連続音は、時間的に音が連続して発せられない音であり、時間的に音の発生が断続的となる音を意味する。この試験で与えた不連続音は、100Hz、85dBの音を出力する音出力期間と、音を出力しない不出力期間とを交互に繰り返す音刺激であり、音出力期間を10m秒、不出力期間を600m秒として、音出力期間より不出力期間を長くしている。
図4(c)は、音刺激がない状態の蛍光強度を基準とする蛍光強度変化の割合を示す。この取り込み試験では、不連続音刺激を与えた後、蛍光強度が約70%下がったことが示された。不連続音刺激を与えたことにより蛍光強度が下降したことは、TMC1/2のイオンチャンネルの活性が低下したことを意味する。
【0030】
図3および
図4に関する蛍光プローブの取り込み試験の結果から、連続音を用いると、前庭機能(平衡機能)が活性化され、一方で不連続音を用いると、前庭機能が悪化することが示された。
【0031】
本開示者は、耳石に音刺激を与えた場合と与えてない場合におけるヒートショックプロテイン70の発現を比較する実験を行った。
図5(a)は、耳石に音刺激を与えてないときの蛍光状態を示す。音刺激のない状態では、ヒートショックプロテイン70は耳石には発現しない。
図5(b)は、耳石に音刺激を与えたときの蛍光状態を示す。音刺激を与えると、ヒートショックプロテイン70が耳石に発現して、緑蛍光が強発現した。このことから音刺激は耳石に直接作用することが確認された。
【0032】
図5(c)および(d)は、
図5(a)および(b)に示す音刺激を与えてない状態と音刺激を与えた状態を模式化したものである。
図5(c)は、前庭における耳石と有毛細胞の位置関係を模式的に示す。耳石は有毛細胞の上に層をなし、傾斜方向の動きが加わると、有毛細胞が耳石のずれを検知して前庭神経に伝える。これにより人は身体の傾きを感知する。
図5(d)は、音刺激により耳石が刺激されることを示した模式図である。
【0033】
本開示者は、前庭機能に対する耳石の役割に注目し、耳石がある状態と、耳石がない状態とで、音刺激に対して前庭有毛細胞が活性されるか否かを評価する実験を行った。
図6(a)は、耳石がある状態で音刺激を与えていないときの卵形嚢における蛍光を示す。音刺激を与えていないため、前庭有毛細胞は活性化されていない。
図6(b)は、耳石がある状態で音刺激を与えたときの卵形嚢における蛍光を示す。この実験では、
図3(b)に示した実験と同じく、100Hz、85dBの連続音を5分間与えており、連続音刺激により、蛍光強度が約100%上昇した。このことは、TMC1/2のイオンチャンネルの活性が高まったこと、つまりは前庭機能が活性化されたことを意味する。
【0034】
図6(c)は、耳石を除去した状態で音刺激を与えていないときの卵形嚢における蛍光を示す。音刺激を与えていないため、前庭有毛細胞は活性化されていない。
図6(d)は、耳石を除去した状態で音刺激を与えたときの卵形嚢における蛍光を示す。この実験では、100Hz、85dBの連続音を5分間与えたにもかかわらず、蛍光強度は上昇していない。つまり耳石を除去した状態では、音刺激を与えても、前庭有毛細胞は活性化されないことが確認された。
【0035】
図6(d)に示す実験結果から、本開示者は、100Hz、85dBの連続音刺激は有毛細胞に直接作用するものでなく、かかる音刺激は耳石に作用し、その結果、耳石を介して前庭有毛細胞が活性化されることを突き止めた。
【0036】
図7は、複数の周波数で85dBの連続音刺激を与えた後の卵形嚢における有毛細胞の活性を蛍光レベルとして示す。
図7(a)は、各周波数での蛍光状態を示し、
図7(b)は、音刺激がない状態の蛍光強度を基準とする蛍光強度変化の割合を示す。この取り込み試験により、200Hz以上の周波数において、前庭機能を活性化する効果は認められず、200Hzより小さい周波数において、耳石を介して前庭機能を活性化する効果が確認された。
【0037】
以上のマウスを利用した試験により得られた知見をもとに、本開示者は、VEMP(vestibular evoked myogenic potential:前庭誘発筋電位)検査による人の平衡機能の評価と、重心動揺試験による人の平衡機能の評価を行った。なおVEMPは耳石機能を含む前庭機能の指標となり、VEMPの改善(電位増加)は耳石機能を含む前庭機能の改善の指標となる(將積日出夫. Equilibrium Res Vol. 69(3) 168-175,2010)。耳石が老化スイッチであることは公知であるため(http://www9.nhk.or.jp/gatten/articles/20161116/index.html)、耳石機能を含む前庭機能の改善は、平衡機能の改善だけではなく、アンチエイジング効果を示すものといえる。
【0038】
図8は、健常者のVEMPの変化を示す。
図8の左側に音刺激前の検査結果を、右側に音刺激後の検査結果を示す。音刺激は、音量レベルを85dB、周波数を100Hzとする5分間の連続音である。VEMP検査における電位差(L2-L1)の振幅拡大は、耳石機能を含む前庭機能の改善を示し、ひいては平衡機能の改善、アンチエイジング効果の向上を示す。
【0039】
図9(a)は、VEMP検査における比較用の振幅比を示す。「前」として左側に示す振幅比(=100)は、音刺激を与えないときの電位差(L2-L1)を表現する。「後」として右側に示す振幅比は、1回目の電位差に対する2回目の電位差の比を示す。
図9(a)に示すVEMP検査では、2回目に音刺激を与えていないため、1回目とほぼ同じ電位差が測定されている。
【0040】
図9(b)は、VEMP検査において音刺激を与えたときの振幅比を示す。「前」として左側に示す振幅比(=100)は、音刺激を与えないときの電位差(L2-L1)を表現する。「後」として右側に示す振幅比は、1回目の電位差に対する2回目の電位差の比を示す。
図9(b)に示すVEMP検査では、2回目に音量レベルを85dB、周波数を100Hzとする連続音を5分間与えており、振幅は1回目の測定値よりも大きくなっている。
【0041】
図9に示すVEMP検査結果により、対象者の耳石を介して前庭機能を活性化させる音刺激を与えたことで、対象者において、平行機能の改善があったことが確認される。
【0042】
図10は、重心動揺試験の手法を説明するための図である。重心動揺試験は、平衡感覚機能だけでなく運動機能の検査にも利用される。
図10(a)は、開眼時の重心軌跡を示し、
図10(b)は、閉眼時の重心軌跡を示す。重心動揺試験の一つであるロンベルク試験は、両足をそろえて直立し、開眼時60秒の重心軌跡と、閉眼時60秒の重心軌跡を測定する。ロンベルク試験では、(閉眼時軌跡長/開眼時軌跡長)で示される軌跡長のロンベルク係数と、(閉眼時軌跡領域の面積/開眼時軌跡領域の面積)で示される外周面積のロンベルク係数とが評価指標として用いられる。
【0043】
図11(a)および(b)は、健常者に対して音刺激を与える前の開眼時および閉眼時の重心軌跡を示す。
図11(c)および(d)は、健常者に対して音刺激を与えた後の開眼時および閉眼時の重心軌跡を示す。音刺激は、音量レベルを85dB、周波数を100Hzとする5分間の連続音である。
図11(b)および(d)に示す閉眼時重心軌跡を参照すると、音刺激前よりも、音刺激後の方が、重心動揺が小さいことが測定されている。
【0044】
図12(a)は、健常者に対する重心動揺検査における比較用の軌跡長ロンベルク係数の比を示す。「前」として左側に示す軌跡長比(=100)は、音刺激を与えないときの軌跡長ロンベルク係数を表現する。「後」として右側に示す軌跡長比は、1回目の軌跡長ロンベルク係数に対する2回目の軌跡長ロンベルク係数の比を示す。
図12(a)に示すロンベルク試験では、2回目に音刺激を与えていないため、1回目とほぼ同じ軌跡長ロンベルク係数が算出されている。
【0045】
図12(b)は、健常者に対する重心動揺検査において音刺激を与えたときの軌跡長ロンベルク係数の比を示す。「前」として左側に示す軌跡長比(=100)は、音刺激を与えないときの軌跡長ロンベルク係数を表現する。「後」として右側に示す軌跡長比は、1回目の軌跡長ロンベルク係数に対する2回目の軌跡長ロンベルク係数の比を示す。
図12(b)に示すロンベルク試験では、2回目に音量レベルを85dB、周波数を100Hzとする連続音を5分間与えており、軌跡長ロンベルク係数は、1回目よりも小さくなっている。この結果により、健常者に適切なパターンの音刺激を与えることで、健常者の運動機能や平衡機能が改善されることが確認される。
【0046】
図13(a)は、健常者に対する重心動揺検査における比較用の外周面積ロンベルク係数の比を示す。「前」として左側に示す外周面積比(=100)は、音刺激を与えないときの外周面積ロンベルク係数を表現する。「後」として右側に示す外周面積比は、1回目の外周面積ロンベルク係数に対する2回目の外周面積ロンベルク係数の比を示す。
図13(a)に示すロンベルク試験では、2回目に音刺激を与えていないため、1回目とほぼ同じ外周面積ロンベルク係数が算出されている。
【0047】
図13(b)は、健常者に対する重心動揺検査において音刺激を与えたときの外周面積ロンベルク係数の比を示す。「前」として左側に示す外周面積比(=100)は、音刺激を与えないときの外周面積ロンベルク係数を表現する。「後」として右側に示す外周面積比は、1回目の外周面積ロンベルク係数に対する2回目の外周面積ロンベルク係数の比を示す。
図13(b)に示すロンベルク試験では、2回目に音量レベルを85dB、周波数を100Hzとする連続音を5分間与えており、外周面積ロンベルク係数は、1回目よりも小さくなっている。この結果により、健常者に適切な音刺激を与えたことで、健常者の運動機能や平衡機能が改善されたことが確認される。
【0048】
図11~13は、開眼時および閉眼時の重心軌跡を利用した重心動揺検査の結果を示したが、
図14~16に示す検査では、動揺病に対する音刺激の前庭機能に及ぼす効果について確認する。この検査では、最初に対象者の重心軌跡を測定し、次に同じ対象者を椅子に座らせて椅子を1分間で12回転した後の対象者の重心軌跡を測定した。
【0049】
図14は、回転刺激前の重心軌跡と、回転刺激後の重心軌跡を示す。
図14に示す検査では、対象者に音刺激を与えていない。このとき(回転刺激後の軌跡領域の面積/回転刺激前の軌跡領域の面積)で表現される重心動揺変動率は、16.0となった。
【0050】
次に、椅子回転中に対象者に音刺激を与えたときの検査結果を示す。
図15(a)は、回転刺激前の重心軌跡と、回転刺激後の重心軌跡を示す。
図15(a)に示す検査では、椅子の回転中に、対象者に70dB、100Hzの音刺激を1分間与えた。このときの重心動揺変動率は3.1であり、
図14に示す音刺激を与えない場合の変動率と比較すると、前庭機能が活性化されて、平衡機能が大きく改善されていることが確認された。
【0051】
図15(b)は、回転刺激前の重心軌跡と、回転刺激後の重心軌跡を示す。
図15(b)に示す検査では、椅子の回転中に、対象者に85dB、100Hzの音刺激を1分間与えた。このときの重心動揺変動率は1.3であり、
図14に示す音刺激を与えない場合の変動率と比較すると、前庭機能が活性化されて、平衡機能が大きく改善されていることが確認された。
【0052】
以上の検査結果をふまえ、本開示者は、異なる周波数で複数の被検者に対して椅子を用いた重心動揺検査を実施し、被検者の平衡機能の改善度合いを測定した。
図16は、平衡機能が改善された被検者の周波数ごとの割合を示す。この検査では椅子回転中に与える音刺激の音量レベルを85dBに固定し、20Hzから150Hzの間の複数の周波数で、平衡機能が改善された被検者の割合を測定した。この結果、20Hzでは67%、50~120Hzでは100%、130Hzでは67%、140Hzでは75%の被検者に、平衡機能の改善効果が確認された。一方で、150Hzでは、平衡機能の改善効果が確認できなかった。
【0053】
このように人を対象とした検査を行った結果、音量レベルが85dB、周波数が20Hzから140Hzの範囲の音刺激が、対象者の耳石を介して前庭機能を活性化する効果を得られることが確認された。なお音量レベルを70dBに設定した場合においても、85dBの場合と同様の改善効果が確認された。また
図14~
図16に示す結果から、上記範囲内の音刺激が、半規管も刺激している可能性が確認された。
【0054】
最近、長時間座っている姿勢により耳石が刺激されないことが、老化のリスクになっていることが報告されている。実際に、オーストラリアの学校だけでなく日本の一部の会社でも、定期的(例えば、1時間ごと)な机の上昇により座位姿勢から立位姿勢になることで耳石に刺激を与え、老化を予防する取り組みが行われている。
【0055】
図17、18に示す検査では、座位姿勢が継続したときの音刺激の前庭機能に及ぼす効果について確認する。この検査では、最初に対象者の閉眼時と開眼時の重心動揺変動率(=閉眼時軌跡領域の面積/開眼時軌跡領域の面積)を測定し、次に対象者を1時間椅子に座らせた後の閉眼時と開眼時の重心動揺変動率を測定した。対象者は1時間の間、座位姿勢で静止した状態を維持した。
【0056】
図17は、座位姿勢を継続したときの重心動揺変動率の変化を示す。
図17に示す検査では、座位姿勢をとる対象者に対して音刺激を与えていない。座位姿勢をとる前の重心動揺変動率は1.7であり、1時間の座位姿勢をとった後の重心動揺変動率は3.2となった。この検査では、対象者が1時間椅子に静止して座っていたことにより耳石が刺激されず、その結果、平衡機能に障害が生じることが確認された。
【0057】
図18は、座位姿勢を継続したときの重心動揺変動率の変化を示す。
図18に示す検査では、1時間の座位姿勢をとる対象者に対して、座位開始直後から5分間、25分後から5分間、55分後から5分間の3回に分けて、85dB、100Hzの連続音刺激を与えた。図示されるように、座位姿勢をとる前の重心動揺変動率は1.8であり、1時間の座位姿勢をとった後の重心動揺変動率も1.8であった。この検査では、対象者が1時間椅子に座っていた間に、3回にわたる5分間の連続音刺激によって耳石が刺激された結果、平衡機能に障害が発生しないことが確認された。
【0058】
以上の検査により、座位姿勢が継続すると平衡機能が悪化すること、また座位姿勢の継続中に連続音刺激を与えると、平衡機能の悪化が改善されることが確認された。
【0059】
図19(a)および(b)は、めまい症患者のVEMPの変化を示す。ここで
図19(a)は、80代の重症めまい症患者のVEMPの変化を、
図19(b)は、50代の軽症めまい症患者のVEMPの変化を示す。
図19(a)および(b)の左側に音刺激前の検査結果を、右側に音刺激後の検査結果を示す。音刺激は、音量レベルを70dB、周波数を100Hzとする5分間の連続音である。VEMP試験における電位差(L2-L1)の振幅は拡大しており、この振幅拡大は、めまい症患者の年齢および症状の重症度にかかわらず、めまい症患者の前庭機能の改善があったことを示す。
【0060】
図8に示すVEMP検査では、健常者に音量レベルを85dB、周波数を100Hzとする5分間の連続音刺激を与え、
図19に示すVEMP検査では、めまい症患者に、音量レベルを70dB、周波数を100Hzとする5分間の連続音刺激を与え、いずれの場合も、平衡機能が改善する結果を得られた。以上は客観的な評価結果であるが、実際に、連続音刺激後に、多くのめまい症患者から、症状が軽減されたことを伝える声が届けられた。
【0061】
以上の検査等から、本開示者は、音量レベルを70から85dBの間の値、周波数を20から140Hzの間の値とする連続音が、対象者の耳石を刺激し、耳石を介して前庭機能を活性化させて平衡機能を改善ないしは向上するために有効な音刺激であることを確認した。
【0062】
図1に戻り、前庭刺激装置1において設定部3は、音量レベルを70から85dBの間の値、周波数を20から140Hzの間の値とする音刺激を設定し、音発生部4は、対象者に対して設定された音刺激を発生して出力する。
【0063】
音刺激の出力に際し、情報取得部5は、対象者の前庭機能に関する情報を取得する。前庭機能に関する情報は、現在の対象者の前庭機能の状態を表現する状態情報を含む。この状態情報は、現在の前庭機能が良好であるか、または悪化しているかを推定するための情報であってよい。上記したように、対象者の座位姿勢が長時間継続すると、平衡機能が悪化することが検査により確認されており、したがって情報取得部5は、対象者の座位姿勢継続時間を、前庭機能に関する情報として取得してよい。情報取得部5は、たとえば対象者を撮影するカメラ画像を取得して、画像解析することで座位姿勢継続時間を取得してよく、また椅子の座面に設けた荷重センサの検出値から、対象者の座位姿勢継続時間を取得してもよい。たとえばデスクワーク中の対象者の平衡機能改善を目的とする場合、カメラは予めデスクに向けて設置され、情報取得部5が、カメラから画像を供給されてよい。なお座位姿勢継続時間は、別の機器によって測定されて、情報取得部5に提供されてもよい。
【0064】
設定部3は、情報取得部5が取得した前庭機能に関する情報に応じて、音刺激の音量レベルまたは周波数の少なくとも一方を設定する。たとえば情報取得部5から、対象者の座位姿勢継続時間を提供されると、設定部3は、座位姿勢継続時間が所定時間(たとえば30分)以内であれば音刺激を発生させず、所定時間を超えると音量レベルを70~85dBの範囲で設定して音刺激を発生してよい。なお設定部3は、座位姿勢継続時間に応じて、音刺激の音量レベルまたは周波数の少なくとも一方を設定してもよい。このように設定部3は、対象者の前庭機能に関する情報に応じて、対象者の前庭機能の状態に適した音刺激を設定することが好ましい。
【0065】
別の例として、情報取得部5は、対象者の頭部の動きに関する情報を、前庭機能に関する情報として取得してよい。情報取得部5は、たとえば対象者を撮影するカメラ画像を取得して、画像解析することで頭部の動きの程度を取得する。なお情報取得部5は、別の機器が測定した頭部の動きに関する情報を、当該別の機器から取得してもよい。頭部が静止していると耳石が刺激されないことで、平衡機能は悪化しやすくなる。そこで情報取得部5は、頭部の動きに関する情報を取得して、現在の前庭機能に関する情報として設定部3に提供してよい。設定部3は、対象者の頭部の動きに関する情報に応じて音刺激の音量レベルまたは周波数の少なくとも一方を設定し、たとえば頭部の動き量が相対的に多ければ、音刺激の音量レベルを70~85dBの範囲内で小さくし、頭部の動き量が相対的に少なければ、音刺激の音量レベルを70~85dBの範囲内で大きくしてよい。なお頭部の動きを、モーションセンサまたは加速度センサ等により取得してもよい。また情報取得部5は、対象者の座位での重心移動を、前庭機能に関する情報として取得してよい。
【0066】
なお情報取得部5は、現在の前庭機能の状態を表現する状態情報として、対象者の目の動きであったり、顔の表情の変化などを取得してよい。また情報取得部5は、対象者の年齢や性別、BMIなどの属性情報を取得して設定部3に提供し、設定部3は、これらの属性情報を、設定する音量レベルおよび周波数に対する補正係数として利用してよい。
【0067】
位置特定部6は、音発生部4に対する対象者の位置を特定し、設定部3は、対象者の位置に応じて、音発生部4から出力する音量レベルを決定する。具体的に設定部3は、対象者が存在する位置における音量レベルが70から85デシベルの間の値となるように、音発生部4から出力する音量レベルを決定する。位置特定部6は、たとえば対象者を撮影するカメラ画像から、対象者の位置を特定してよい。設定部3は、音発生部4と対象者の間の距離を導出して、音の距離減衰を加味した音量レベルで、音発生部4から出力する音量レベルを決定する。たとえば対象者に対する音量レベルを75dBと設定した場合、音発生部4からの出力レベルは、75dBに距離減衰分を加算した音量レベルに決定されてよい。
【0068】
なお本開示者は、対象者に対して音刺激を右側、左側および後側から与えたときの回転刺激前後の重心動揺変動率を測定したところ、後側から音刺激を与えたときの重心動揺変動率が最も小さくなる結果を得た。本開示者は、この結果から、音刺激を左右の耳石に均等に与えることが、平衡機能の改善に最も効果があることを知見として得た。この知見を利用して、設定部3は、対象者の左右の耳石を刺激する音量レベルが略同一となるように、音発生部4の出力を制御することが好ましい。たとえば音発生部4は、対象者の一方の耳に向けて音刺激を発生する第1音発生部と、対象者の他方の耳に向けて音刺激を発生する第2音発生部とを有し、設定部3は、対象者の左右の耳石を刺激する音量レベルが略同一となるように、第1音発生部の出力と第2音発生部の出力とを独立して制御してよい。たとえばデスクワーク中の対象者の平衡機能改善を目的とする場合、第1音発生部と第2音発生部は、椅子に座った対象者を、左と右から挟み込む位置に配置され、設定部3は、対象者の左右の耳石を刺激する音量レベルが略同一となるように、第1音発生部の出力レベルと第2音発生部の出力レベルとを設定してよい。
【0069】
設定部3の音刺激の設定に際して、操作受付部2は、運動機能の改善、平衡機能の改善またはアンチエイジング効果の向上のための音刺激を選択する操作を受け付けてよい。
図20は、前庭刺激装置1に設けられた画面の表示例を示す。たとえば前庭刺激装置1は、音発生アプリケーションをインストールされたスマートフォンなどの携帯型端末装置であってよい。音発生アプリケーションは、音刺激の設定に際して、複数種類のモードを用意する。この例では、めまい症患者向けの「めまい改善モード」と、健常者向けの「平衡機能向上モード」とが選択可能に表示されているが、これ以外のモードが用意されてもよい。
【0070】
「めまい改善モード」は、「平衡機能向上モード」よりも、音量レベルを小さく設定されることが好ましい。たとえば「めまい改善モード」では、音量レベルを70dB、周波数を100Hzとする5分間の連続音が音刺激として登録されており、「平衡機能向上モード」では、音量レベルを85dB、周波数を100Hzとする5分間の連続音が音刺激として登録されている。設定部3は、複数種類のモードに応じた音刺激を設定可能とする機能を有する。
【0071】
具体的に、ユーザが、複数種類のモードの1つを選択すると、操作受付部2は、ユーザによるモード選択操作を受け付け、設定部3は、受け付けたモード選択操作に応じた音刺激を設定する。ユーザは、音量レベルや周波数などのパラメータをそれぞれ設定する必要なく、モードボタンを操作するだけで音刺激を指定できることで、前庭刺激装置1の使いやすさを向上できる。
【0072】
なおユーザの安全に配慮して、音発生部4は、所定期間における音の発生時間を、所定時間以内に制限する機能を含んでよい。たとえば音発生部4は、24時間以内にユーザが音を聞く時間を30分以内に制限する。そのため前庭刺激装置1は、たとえば生体認証などによりユーザを特定する機能を有し、音発生部4が、ユーザごとに、所定期間内の音発生時間をカウントして、所定時間を超える音の発生を禁止してもよい。
【0073】
なお携帯端末装置が音楽データの再生機能を有している場合に、音発生部4は、音楽データの再生中に、設定された音刺激を発生してもよい。これによりユーザは音楽を聞きながら、平衡機能を向上する効果を得られることになる。
【0074】
また前庭刺激装置1を、自動車、トラック、船舶、飛行機、ロケット、宇宙船を含む種々の乗り物に搭載し、音量レベルを70から85デシベルの間の値、周波数を20から140ヘルツの間の値とする連続音の音刺激を発生させることで、健常者および高齢者の平衡機能の改善、平衡機能の改善による交通事故の軽減、動揺病および宇宙酔いの軽減が期待できる。さらに、前庭刺激装置1を、住宅や工場などに設置することにより、平衡機能の改善、平衡機能の改善による転倒・転落事故の軽減、アンチエイジング効果の向上による健康住宅(スマートハウス)および健康職場(スマート工場)の創出が期待できる。
【0075】
また上記したように情報取得部5が、対象者の座位姿勢継続時間や、頭部の動きに関する情報を取得し、設定部3が、取得した情報に応じて音刺激の音量レベルまたは周波数の少なくとも一方を設定することで、対象者の状況に応じて、平衡機能の悪化を適切に抑制される。たとえばカメラを学校や住居、職場などの対象者が座位姿勢をとる場所を撮影できる位置に設置し、情報取得部5が、現在の前庭機能の状態を表現する状態情報を取得できるようにすることで、耳石刺激によるアンチエイジング効果も期待できる。
【0076】
図21は、実施例の車載用前庭刺激装置1aの構成を示す。車載用前庭刺激装置1aは、
図1に示す前庭刺激装置1を車両用として機能させるために、前庭刺激装置1の構成に、ノイズキャンセル部7の構成を追加したものである。車載用前庭刺激装置1aは自動車等の車両に搭載されて、乗員の乗り物酔いを防止または抑制する機能をもつが、他の乗り物、たとえば船舶、飛行機、ロケット、宇宙船に搭載されてもよい。
【0077】
車載用前庭刺激装置1aにおける位置特定部6は、車室内の乗員の有無を検出する。位置特定部6は、たとえば車室内を撮影するカメラの画像を取得して、撮影画像を画像解析することで、乗員の有無を検出してよい。なお乗員がいることを検出した場合、位置特定部6は、車室内における乗員の位置を特定する。
【0078】
車載用前庭刺激装置1aにおいて、設定部3は、音量レベルを70から85デシベルの間の値、周波数を20から140ヘルツの間の値とする連続音の音刺激であって、乗り物酔いを含む動揺病の防止または抑制のための音刺激を設定し、音発生部4は、設定された音刺激を発生して車室内に出力する。このとき音発生部4は指向性スピーカを有して、位置特定部6により特定された乗員の位置に向かって、音刺激を出力することが好ましい。乗員に向かって音刺激を出力することで、当該乗員の乗り物酔いを効果的に防止できる。
【0079】
操作受付部2が乗員から音刺激を発生させるオン操作を受け付けたときに、音発生部4が、設定部3により設定された音刺激を発生してよい。なお音発生部4は車両の走行状況に応じて、具体的には車両の揺れが大きく、乗り物酔いを生じさせやすい走行状況にあるときに、音刺激を自動的に発生してもよい。乗り物酔いを生じさせやすい走行状況であるか否かは、車載の加速度センサの検出値にもとづいて情報取得部5が判断してよい。
【0080】
飲酒運転や高齢者の蛇行運転を考慮すれば分かるように、平衡機能は運転技術に直結する。音発生部4が運転者に向けて音刺激を出力する場合、運転者の平衡機能を向上することで、運転技術の向上が期待できる。一方、同乗者に向けて出力された場合には、車酔いの軽減が期待できる。
【0081】
ノイズキャンセル部7は、車室内のノイズをキャンセルする役割をもつ。ノイズキャンセル部7は、車室内で発生するノイズを検出し、当該ノイズと逆位相の音を生成して、ノイズをキャンセルする。ノイズをキャンセルすることで、音発生部4により出力される音刺激の効果を高めることができる。なお車室内に防音材や消音装置を設けて、ノイズがキャンセルされてもよい。
【0082】
以上、本開示を実施例をもとに説明した。この実施例は例示であり、それらの各構成要素や各処理プロセスの組合せにいろいろな変形例が可能なこと、またそうした変形例も本開示の範囲にあることは当業者に理解されるところである。
【0083】
本開示の態様の概要は、次の通りである。本開示のある態様の前庭刺激装置は、音刺激を設定する設定部と、設定された音刺激を発生する音発生部と、を備える。設定部は、対象者の耳石を介して前庭機能を活性化させる音刺激として、音量レベルを70から85デシベルの間の値、周波数を20から140ヘルツの間の値とする音刺激を設定する。
【0084】
前庭刺激装置は、対象者の前庭機能に関する情報を取得する情報取得部をさらに備えてもよい。設定部は、取得した前庭機能に関する情報に応じて、音刺激の音量レベルまたは周波数の少なくとも一方を設定してもよい。情報取得部は、現在の前庭機能の状態を表現する状態情報を取得してもよい。情報取得部は、対象者の座位姿勢継続時間を取得してもよく、対象者の頭部の動きに関する情報を取得してもよい。
【0085】
前庭刺激装置は、運動機能の改善、平衡機能の改善またはアンチエイジング効果の向上のための音刺激を選択する操作を受け付ける受付部を備えてもよい。受付部が操作を受け付けると、設定部が、運動機能の改善、平衡機能の改善またはアンチエイジング効果の向上のための音刺激を設定してもよい。設定部が、乗り物酔いを含む動揺病の防止または抑制のための音刺激を設定してもよい。
【0086】
前庭刺激装置は、音発生部に対する対象者の位置を特定する位置特定部をさらに備えてもよい。設定部は、対象者の位置に応じて、音発生部から出力する音量レベルを決定してもよい。設定部は、対象者が存在する位置における音量レベルが70から85デシベルの間の値となるように、音発生部から出力する音量レベルを決定してもよい。設定部は、対象者の左右の耳石を刺激する音量レベルが略同一となるように、音発生部の出力を制御してもよい。音発生部は、対象者の一方の耳に向けて音刺激を発生する第1音発生部と、対象者の他方の耳に向けて音刺激を発生する第2音発生部とを有してもよい。設定部は、第1音発生部の出力と第2音発生部の出力とを独立して制御してもよい。
【0087】
本開示の別の態様は、コンピュータに、対象者の耳石を介して前庭機能を活性化させる音刺激として、音量レベルを70から85デシベルの間の値、周波数を20から140ヘルツの間の値とする音刺激を設定する機能と、設定された音刺激を発生する機能と、を実現させるためのプログラムである。
【0088】
プログラムは、対象者の前庭機能に関する情報を取得する機能をさらにコンピュータに実現させてよい。音刺激を設定する機能は、取得した前庭機能に関する情報に応じて、音刺激の音量レベルまたは周波数の少なくとも一方を設定する機能を含んでもよい。情報を取得する機能は、現在の前庭機能の状態を表現する状態情報を取得する機能を含んでもよい。
【0089】
音発生機能は、所定期間における音の発生時間を、所定時間以内に制限する機能を含んでよい。また音発生機能は、音楽データの再生中に、設定された音刺激を発生する機能を含んでよい。音刺激設定機能は、複数種類のモードに応じた音刺激を設定可能とする機能を含んでよい。プログラムは、複数種類のモードの1つを選択する操作を受け付ける機能を、さらにコンピュータに実現させるものであって、音刺激設定機能は、受け付けたモード選択操作に応じた音刺激を設定する機能を含んでよい。
【産業上の利用可能性】
【0090】
本開示は、音刺激により人の平衡機能や運動機能などを改善する技術に関する。
【符号の説明】
【0091】
1・・・前庭刺激装置、1a・・・車載用前庭刺激装置、2・・・操作受付部、3・・・設定部、4・・・音発生部、5・・・情報取得部、6・・・位置特定部、7・・・ノイズキャンセル部。