(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2022-12-19
(45)【発行日】2022-12-27
(54)【発明の名称】メチルメルカプタン臭抑制剤の評価及び/又は選択方法
(51)【国際特許分類】
C12Q 1/02 20060101AFI20221220BHJP
C12Q 1/6897 20180101ALI20221220BHJP
C12N 15/12 20060101ALN20221220BHJP
【FI】
C12Q1/02
C12Q1/6897 Z
C12N15/12
(21)【出願番号】P 2018134182
(22)【出願日】2018-07-17
【審査請求日】2021-06-24
(73)【特許権者】
【識別番号】000000918
【氏名又は名称】花王株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】110000084
【氏名又は名称】特許業務法人アルガ特許事務所
(72)【発明者】
【氏名】吉川 敬一
(72)【発明者】
【氏名】上原 千紗貴
(72)【発明者】
【氏名】山川 健
【審査官】幸田 俊希
(56)【参考文献】
【文献】特開2017-176134(JP,A)
【文献】特開2017-006122(JP,A)
【文献】特開2016-224039(JP,A)
【文献】特開2017-153444(JP,A)
【文献】特開2015-211667(JP,A)
【文献】国際公開第2003/020306(WO,A1)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C12Q 1/00
JSTPlus/JMEDPlus/JST7580(JDreamIII)
CAplus/MEDLINE/EMBASE/BIOSIS(STN)
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
試験物質添加後の、配列番号2で示されるアミノ酸配列からなるポリペプチド、及び当該アミノ酸配列と少なくとも90%の同一性を有するアミノ酸配列からなり且つ銅イオン存在下でメチルメルカプタンに応答性を有するポリペプチドからなる群より選択される少なくとも1種の嗅覚受容体ポリペプチドの応答を、銅イオン存在下で測定することを含む、メチルメルカプタン臭抑制剤の評価及び/又は選択方法。
【請求項2】
前記嗅覚受容体ポリペプチドに試験物質を添加すること、及び
該試験物質に対する該嗅覚受容体ポリペプチドの応答を測定すること、
を含む、請求項1記載の方法。
【請求項3】
前記試験物質に対する前記嗅覚受容体ポリペプチドの応答を増強する試験物質をメチルメルカプタン臭の抑制剤として選択することをさらに含む、請求項2記載の方法。
【請求項4】
対照群における前記嗅覚受容体ポリペプチドの応答を測定することをさらに含む、請求項2記載の方法。
【請求項5】
前記試験物質に対する前記嗅覚受容体ポリペプチドの応答を前記対照群と比べて増強する試験物質をメチルメルカプタン臭の抑制剤として選択することをさらに含む、請求項4記載の方法。
【請求項6】
前記嗅覚受容体ポリペプチドに試験物質及び該嗅覚受容体ポリペプチドのアゴニストを添加すること、及び
該アゴニストに対する該嗅覚受容体ポリペプチドの応答を測定すること、
を含む、請求項
1記載の方法。
【請求項7】
前記アゴニストに対する前記嗅覚受容体ポリペプチドの応答を抑制する試験物質をメチルメルカプタン臭の抑制剤として選択することをさらに含む、請求項6記載の方法。
【請求項8】
対照群における前記アゴニストに対する前記嗅覚受容体ポリペプチドの応答を測定することをさらに含む、請求項6記載の方法。
【請求項9】
前記アゴニストに対する前記嗅覚受容体ポリペプチドの応答を前記対照群と比べて抑制する試験物質をメチルメルカプタン臭の抑制剤として選択することをさらに含む、請求項8記載の方法。
【請求項10】
前記嗅覚受容体ポリペプチドが、該嗅覚受容体ポリペプチドを発現するように遺伝的に操作された組換え細胞上に発現されている、請求項1~9のいずれか1項記載の方法。
【請求項11】
前記嗅覚受容体ポリペプチドの応答の測定が、ELISAもしくはレポータージーンアッセイによる細胞内cAMP量測定、又はカルシウムイメージングによって行われる、請求項1~10のいずれか1項記載の方法。
【請求項12】
前記試験物質を官能試験により評価することをさらに含む、請求項1~11のいずれか1項記載の方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明はメチルメルカプタン臭抑制剤を評価及び/又は選択する方法に関する。
【背景技術】
【0002】
ヒトの鼻腔には、約400個の嗅覚受容体が存在することが報告されている。各々の嗅覚受容体は、それぞれ特定のにおい物質をアゴニストとして認識することで活性化し、嗅神経を興奮させることでにおいの情報を脳に伝える。におい物質を認識する嗅覚受容体の活性化を抑えることで、そのにおいを抑えることができる。例えば、悪臭受容体アンタゴニストは、該悪臭の抑制剤として用いることができる。特許文献1には、嗅覚受容体OR4S2がジメチルジスルフィド、ジメチルトリスルフィド等の特定の構造のスルフィド化合物に応答すること、OR4S2のアンタゴニストが該スルフィド化合物臭を抑制することが記載されている。
【0003】
一方で、アゴニストが受容体を抑制する場合がある。すなわち、受容体がアゴニストに刺激され続けた結果、後から曝露されたアゴニストに対して応答しなくなることがある。このプロセスは、アゴニストに対する受容体の脱感作と言われ、感覚の面では、刺激に対する順応を引き起こす。例えば、悪臭に対する嗅覚受容体の脱感作は、悪臭順応現象を引き起こし、悪臭を感じなくさせる。さらに、交差順応と呼ばれる嗅覚メカニズム(非特許文献1)では、ある一つのにおいに順応することで、異なるにおいに対しても順応が起こる。特許文献2には、標的のにおいに応答する嗅覚受容体を、該標的のにおいとは異なるアゴニストに順応させることにより、交差順応に基づいて該標的のにおいを抑制することができることが記載されている。交差順応によれば、悪臭ではないにおいに順応させることで、悪臭に対しても順応が生じてその知覚が抑制される。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0004】
【文献】国際公開公報第2016/204211号
【文献】国際公開公報第2016/194788号
【非特許文献】
【0005】
【文献】川崎通昭・堀内哲嗣郎「嗅覚とにおい物質」p71-72、社団法人におい・かおり環境協会、1998年
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
本発明はメチルメルカプタン臭抑制剤を評価及び/又は選択する方法に関する。
【課題を解決するための手段】
【0007】
嗅覚受容体の応答はにおい物質に選択的である。したがって、アンタゴニストによる嗅覚受容体抑制又はアゴニストによる交差順応に基づく悪臭抑制のためには、最初に標的の悪臭に選択性を有する嗅覚受容体を見つけ出すことが肝要である。本発明者は、メチルメルカプタンに選択的に応答する嗅覚受容体を新たに同定することに成功した。また本発明者は、当該嗅覚受容体又はそれと同様の応答選択性を有するポリペプチドの応答を指標とすることにより、メチルメルカプタン臭を抑制する物質を効率よく探索することができることを見出した。
【0008】
したがって、本発明は、試験物質添加後のOR4S2及びこれと同等の機能を有するポリペプチドからなる群より選択される少なくとも1種の嗅覚受容体ポリペプチドの応答を金属イオン存在下で測定することを含む、メチルメルカプタン臭抑制剤の評価及び/又は選択方法を提供する。
【発明の効果】
【0009】
本発明によれば、メチルメルカプタン臭を選択的に抑制することができる物質を効率よく評価又は選択することができる。
【図面の簡単な説明】
【0010】
【
図1】メチルメルカプタンに対する嗅覚受容体の応答。横軸は被験対象とした405種の各嗅覚受容体、縦軸は受容体の相対応答強度を表す。上図:300μMの銅イオン存在下での応答、下図:銅イオン非存在下での応答。
【
図2】種々の濃度のメチルメルカプタンに対するOR4S2(4S2)、OR2T11(2T11)、OR2W1(2W1)、OR2T1(2T1)及びOR13C2(13C2)発現細胞の応答。上図:300μMの銅イオン存在下での応答、下図:銅イオン非存在下での応答。エラーバー=±SE、n=3。
【
図3】OR4S2発現細胞の各種試験物質に対する応答。エラーバー=±SE、n=3。
【
図5】OR4S2アゴニストのメチルメルカプタン臭抑制効果についての官能評価結果(平均値、n=3)。試験サンプル適用前のメチルメルカプタン臭強度(スコア3)に対する、試験サンプル適用後のメチルメルカプタン臭の相対強度。
【発明を実施するための形態】
【0011】
本明細書において「アゴニスト」とは、受容体に結合し、活性化させる物質をいう。一方、本明細書において「アンタゴニスト」とは、受容体に結合するが、受容体を活性化しないか、又はアゴニストに対する受容体の応答を抑制する物質をいう。
【0012】
本明細書において、「嗅覚受容体アゴニズム」とは、受容体に結合して、その受容体を活性化することをいう。
【0013】
本明細書において、標的においに関する「においの交差順応(又は嗅覚の交差順応)」とは、当該標的においの原因物質とは別の物質のにおいを予め受容し、そのにおいに慣れることによって、該標的においの原因物質に対する嗅覚感受性が低下又は変化する現象を指す。本発明者らは、以前、「においの交差順応」が、嗅覚受容体アゴニズムに基づく現象であることを明らかにした(特許文献2)。すなわち、「においの交差順応」においては、標的においの原因物質に対する嗅覚受容体が、該標的においの原因物質への応答に先だって異なるにおいの原因物質に応答し、次いで脱感作することにより、後から該標的においの原因物質に曝されても低い応答しかできず、その結果、個体に認識される標的においの強度の低下又は変質が生じる。こうした嗅覚受容体の挙動により引き起こされるにおいの交差順応の仕組みを、本明細書において「嗅覚受容体アゴニズムによるにおいの交差順応」とも呼ぶ。
【0014】
本明細書において、標的においの「嗅覚受容体アンタゴニズムによる抑制」とは、標的においを有する物質に対する嗅覚受容体の応答を、アンタゴニストにより抑制し、結果的に個体に認識される標的においを抑制することをいう。
【0015】
本明細書において、「嗅覚受容体ポリペプチド」とは、嗅覚受容体又はそれと同等の機能を有するポリペプチドをいい、「嗅覚受容体と同等の機能を有するポリペプチド」とは、嗅覚受容体と同様に、細胞膜上に発現することができ、におい分子の結合によって活性化し、かつ活性化されると、細胞内のGαs若しくはGαolfと共役してアデニル酸シクラーゼを活性化することで細胞内cAMP量を増加させる機能を有するポリペプチドをいう。
【0016】
本明細書において、ヌクレオチド配列及びアミノ酸配列の同一性は、リップマン-パーソン法(Lipman-Pearson法;Science,1985,227:1435-41)によって計算される。具体的には、遺伝情報処理ソフトウェアGenetyx-Win(Ver.5.1.1;ソフトウェア開発)のホモロジー解析(Search homology)プログラムを用いて、Unit size to compare(ktup)を2として解析を行うことにより算出される。
【0017】
本明細書において、アミノ酸配列及びヌクレオチド配列に関する「少なくとも80%の同一性」とは、80%以上、好ましくは85%以上、より好ましくは90%以上、さらに好ましくは95%以上、さらにより好ましくは98%以上、なお好ましくは99%以上の同一性をいう。
【0018】
本発明により抑制される「メチルメルカプタン臭」とは、メチルメルカプタンにより生じるにおいであり、例えば、パーマネント剤から発せられる悪臭、糞便臭、体臭、口臭、わきが、加齢臭、老人臭などに含まれる。
【0019】
本発明者は、多くの嗅覚受容体の中から、メチルメルカプタンに対して選択的に応答する嗅覚受容体としてOR4S2を同定した。OR4S2は、ジメチルジスルフィド、ジメチルトリスルフィド等の特定の種類のスルフィド化合物のにおいの認識に関わる嗅覚受容体として知られていたが、メチルメルカプタンに応答することは知られていなかった(特許文献1)。しかし、本発明者の研究により、OR4S2が、銅イオン等の金属イオン存在下では、メチルメルカプタンに対して濃度依存的に応答すること、すなわちメチルメルカプタン受容体として働くことが見出された。したがって、嗅覚受容体アゴニストには、金属イオン存在下で作用するタイプと、金属イオンの有無にかかわらず作用するタイプとがあることが示された。また、動物の嗅粘液には金属イオンが含まれていることから、生きた動物の嗅上皮に存在するOR4S2は、メチルメルカプタン臭の認識に関与することが明らかにされた。
【0020】
したがって、金属イオン存在下でOR4S2又はこれと同様の機能を有するポリペプチドの応答を抑制する物質は、動物における該受容体のメチルメルカプタン臭応答に変化を生じさせ、結果として、嗅覚受容体アンタゴニズムに基づいてメチルメルカプタン臭を選択的に抑制することができる。一方、金属イオン存在下でOR4S2又はこれと同様の機能を有するポリペプチドの応答を増強する物質は、動物における該受容体のメチルメルカプタン臭応答に変化を生じさせ、結果として、嗅覚受容体アゴニズムによるにおいの交差順応に基づいてメチルメルカプタン臭を選択的に抑制することができる。これらの物質によれば、従来の消臭剤または芳香剤を用いる消臭方法において生じていた芳香剤の強いにおいに基づく不快感等や、他のにおいをも抑えてしまうという問題を生じることがなく、メチルメルカプタン臭を消臭することができる。
【0021】
したがって、本発明は、メチルメルカプタン臭抑制剤の評価及び/又は選択方法を提供する。当該方法は、試験物質添加後のOR4S2及びこれと同等の機能を有するポリペプチドからなる群より選択される少なくとも1種の嗅覚受容体ポリペプチドの応答を金属イオン存在下で測定することを含む。測定された応答に基づいて、該嗅覚受容体ポリペプチドの応答を増強又は抑制する試験物質が検出される。検出された試験物質は、メチルメルカプタン臭の抑制剤として選択される。すなわち、該嗅覚受容体ポリペプチドの応答を増強する試験物質は、嗅覚受容体アゴニズムによるにおいの交差順応に基づくメチルメルカプタン臭の抑制剤として選択され、該嗅覚受容体ポリペプチドの応答を抑制する試験物質は、嗅覚受容体アンタゴニズムに基づくメチルメルカプタン臭の抑制剤として選択される。
【0022】
上記本発明の方法は、in vitro又はex vivoで行われ得る。
【0023】
本発明の方法に使用される試験物質は、メチルメルカプタン臭の抑制剤として使用することを所望する物質であれば、特に制限されない。該試験物質は、天然に存在する物質であっても、化学的若しくは生物学的方法等で人工的に合成した物質であってもよく、又は化合物であっても、組成物若しくは混合物であってもよい。ただし、該試験物質は、メチルメルカプタン臭とは別のにおいを有する物質である。好ましくは、該試験物質は揮発性物質である。
【0024】
本発明の方法に使用される嗅覚受容体ポリペプチドは、OR4S2及びこれと同等の機能を有するポリペプチドからなる群より選択される少なくとも1種の嗅覚受容体ポリペプチドである。OR4S2は、ヒト嗅細胞で発現している嗅覚受容体であり、GenBankにGI:116517324として登録されている。OR4S2は、配列番号1で示されるヌクレオチド配列を有する遺伝子にコードされる、配列番号2で示されるアミノ酸配列からなるポリペプチドである。OR4S2と同等の機能を有するポリペプチドの例としては、配列番号2で示されるアミノ酸配列と少なくとも80%の同一性を有するアミノ酸配列からなり、かつメチルメルカプタンに応答性を有するポリペプチドが挙げられる。OR4S2と同等の機能を有するポリペプチドの別の例としては、OR4S2と相同な、他の動物由来の嗅覚受容体が挙げられる。OR4S2と相同な嗅覚受容体の例としては、配列番号3で示されるアミノ酸配列からなるマウスの嗅覚受容体Olfr1193(GenBank:GI:289629250)、および配列番号4で示されるアミノ酸配列からなるラットの嗅覚受容体Olr649(GenBank:GI:47577644)、及びそれらと少なくとも80%配列同一で、かつメチルメルカプタンに対する応答性を有するポリペプチドが挙げられる。Olfr1193は、配列番号2で示されるアミノ酸配列と88%の同一性を有するアミノ酸配列からなり、かつメチルメルカプタンに対する応答性を有する。Olr649は、配列番号2で示されるアミノ酸配列と89%の同一性を有するアミノ酸配列からなり、かつメチルメルカプタンに対する応答性を有する。本発明の方法において使用される嗅覚受容体ポリペプチドは、上述した嗅覚受容体ポリペプチドから選択される少なくとも1種であればよいが、いずれか2種以上の組み合わせであってもよい。好ましくは、OR4S2が使用される。
【0025】
本発明の方法において、該嗅覚受容体ポリペプチドは、メチルメルカプタンに対する応答性を失わない限り、任意の形態で使用され得る。例えば、該嗅覚受容体ポリペプチドは、生体から単離された嗅覚受容器若しくは嗅細胞等の、該嗅覚受容体ポリペプチドを天然に発現する組織や細胞、又はそれらの培養物;該嗅覚受容体ポリペプチドを担持した嗅細胞の膜;該嗅覚受容体ポリペプチドを発現するように遺伝的に操作された組換え細胞又はその培養物;該嗅覚受容体ポリペプチドを有する該組換え細胞の膜;該嗅覚受容体ポリペプチドを有する人工脂質二重膜、などの形態で使用され得る。これらの形態は全て、本発明で使用される嗅覚受容体ポリペプチドの範囲に含まれる。
【0026】
好ましい態様において、該嗅覚受容体ポリペプチドは、哺乳動物の嗅細胞等の該嗅覚受容体ポリペプチドを天然に発現する細胞、又は該嗅覚受容体ポリペプチドを発現するように遺伝的に操作された組換え細胞、あるいはそれらの培養物であり得る。好ましい例としては、該嗅覚受容体ポリペプチドを発現するように遺伝的に操作された組換えヒト細胞が挙げられる。該組換え細胞は、該嗅覚受容体ポリペプチドをコードする遺伝子を組み込んだベクターを用いて細胞を形質転換することで作製することができる。
【0027】
好適には、該嗅覚受容体ポリペプチドの細胞膜発現を促進するために、該嗅覚受容体ポリペプチドをコードする遺伝子とともに、RTP(receptor-transporting protein)をコードする遺伝子を細胞に導入する。好ましくは、RTP1Sをコードする遺伝子を、該嗅覚受容体ポリペプチドをコードする遺伝子とともに細胞に導入する。RTP1Sの例としては、ヒトRTP1Sが挙げられる。ヒトRTP1Sは、GenBankにGI:50234917として登録されているタンパク質である。
【0028】
該嗅覚受容体ポリペプチドに試験物質を添加する方法としては、該嗅覚受容体ポリペプチドを発現する細胞を培養する培地に試験物質を添加する方法、該嗅覚受容体ポリペプチド又はそれを含む細胞や組織に試験物質を直接滴下、散布もしくは噴霧する方法などが挙げられるが、特に限定されない。
【0029】
本発明の方法においては、該嗅覚受容体ポリペプチドへの試験物質の添加に続いて、該嗅覚受容体ポリペプチドの応答が測定される。測定は、嗅覚受容体の応答を測定する方法として当該分野で知られている任意の方法、例えば、細胞内cAMP量測定等によって行えばよい。嗅覚受容体は、におい分子によって活性化されると、細胞内のGαsと共役してアデニル酸シクラーゼを活性化することで、細胞内cAMP量を増加させることが知られている(Nat.Neurosci.,2004,5:263-278)。したがって、細胞内cAMP量を指標にすることで、該嗅覚受容体ポリペプチドの応答を測定することができる。cAMP量を測定する方法としては、例えば、ELISA法やレポータージーンアッセイ等が挙げられる。該嗅覚受容体ポリペプチドの応答を測定する他の方法の例としては、カルシウムイメージング法が挙げられる。さらに別の方法としては、電気生理学的手法による測定が挙げられる。電気生理学的測定では、例えば、該嗅覚受容体ポリペプチドを他のイオンチャネルとともに共発現させた細胞(アフリカツメガエル卵母細胞等)を作製し、該細胞上のイオンチャネルの活動をパッチクランプ法や二電極膜電位固定法などで測定することにより、該嗅覚受容体ポリペプチドの応答を測定する。
【0030】
本発明の方法においては、該嗅覚受容体ポリペプチドへの試験物質の添加、及び該嗅覚受容体ポリペプチドの応答の測定は、金属イオンの存在下で行われる。好ましくは、金属イオンを含む液中で該嗅覚受容体ポリペプチドへの試験物質の添加、及び該嗅覚受容体ポリペプチドの応答の測定が行われる。金属イオンを含む液中に嗅覚受容体ポリペプチドを保持する方法としては、例えば、該嗅覚受容体ポリペプチド又はそれを含む膜、細胞又は組織を金属イオンを含む液に漬ける方法、該嗅覚受容体ポリペプチドを含む細胞又は組織を培養する培地に金属イオンを添加する方法、該嗅覚受容体ポリペプチドを含む細胞又は組織を培養する培地に、試験物質と金属イオンとを含有する液体を添加する方法、該嗅覚受容体ポリペプチドとして嗅粘液を有する組織(例えば嗅上皮又は嗅粘膜)を用いる方法、などが挙げられる。金属イオンとしては、銅イオン、銀イオンなどが挙げられるが、銅イオンが好ましい。該金属イオンを含む液中における金属イオンの濃度は、3~3000μMであればよいが、好ましくは30~1000μMである。
【0031】
本発明の第一の実施形態において、本発明によるメチルメルカプタン臭抑制剤の評価及び/又は選択方法は、上述した嗅覚受容体ポリペプチドに試験物質を添加すること;及び、該試験物質に対する該嗅覚受容体ポリペプチドの応答を測定すること、を含む。当該物質の添加及び応答の測定は、金属イオンの存在下で行われる。次いで、測定した応答に基づいて、該嗅覚受容体ポリペプチドの応答を増強する試験物質を検出する。検出された試験物質は、メチルメルカプタン臭の抑制剤として選択される。
【0032】
該嗅覚受容体ポリペプチドの応答を増強する試験物質は、先に嗅覚受容体の応答を増強させておくことで、後でメチルメルカプタンに曝露されたときの該嗅覚受容体の応答を弱めることができる。結果、におい交差順応に基づいて、個体によるメチルメルカプタン臭の認識を抑制することができる。したがって、該第一の実施形態では、嗅覚受容体アゴニズムによるにおいの交差順応に基づくメチルメルカプタン臭の抑制剤が選択される。
【0033】
該嗅覚受容体ポリペプチドに対する試験物質の作用は、例えば、試験物質を添加した該嗅覚受容体ポリペプチド(試験群)の応答を、対照群における応答と比較することによって評価することができる。対照群の例としては、試験物質を添加していない該嗅覚受容体ポリペプチド、対照物質を添加した該嗅覚受容体ポリペプチド、より低濃度の試験物質を添加した該嗅覚受容体ポリペプチド、試験物質を添加する前の該嗅覚受容体ポリペプチド、該嗅覚受容体ポリペプチドが発現していない細胞、などを挙げることができる。好ましくは、該第一の実施形態における本発明の方法は、試験物質の存在下および非存在下での該嗅覚受容体ポリペプチドの活性を測定することを含む。また好ましくは、該第一の実施形態における本発明の方法は、試験物質の存在下で、該嗅覚受容体ポリペプチドが発現した細胞及び未発現の細胞の該アゴニストに対する応答を測定することを含む。
【0034】
例えば、該第一の実施形態においては、試験群における応答が対照群と比べて増強されていた場合、該試験物質を、メチルメルカプタンに対する該嗅覚受容体ポリペプチドの応答を抑制する物質として選択することができる。例えば、試験群における該嗅覚受容体ポリペプチドの応答が、対照群と比較して、好ましくは120%以上、より好ましくは150%以上、さらに好ましくは200%に増強されていれば、該試験物質を、メチルメルカプタンに対する該嗅覚受容体ポリペプチドの応答を抑制する物質として選択することができる。あるいは、試験群における該嗅覚受容体ポリペプチドの応答が、対照群と比較して統計学的に有意に増強されていれば、該試験物質を、メチルメルカプタンに対する該嗅覚受容体ポリペプチドの応答を抑制する物質として選択することができる。
【0035】
該第一の実施形態に従って選択されたメチルメルカプタン臭の抑制剤の使用についての一実施形態は、以下のとおりである:まず、メチルメルカプタン臭の抑制を所望する対象者に、該対象者が該臭気に曝露される前に、該抑制剤のにおいを嗅がせておく。あるいは、該対象者に対し、メチルメルカプタン臭よりも強いにおいとなるように該抑制剤を適用する。その結果、該対象者は、メチルメルカプタン臭に曝露されても、該臭気に対する嗅覚感受性が低下しているため、該臭気を弱いと感じるか、又は感じなくなる。
【0036】
本発明の第二の実施形態において、本発明によるメチルメルカプタン臭抑制剤の評価及び/又は選択方法は、上述した嗅覚受容体ポリペプチドに、試験物質及び該嗅覚受容体ポリペプチドのアゴニストを添加すること;及び、該アゴニストに対する該嗅覚受容体ポリペプチドの応答を測定すること、を含む。当該物質の添加及び応答の測定は、金属イオンの存在下で行われる。該アゴニストとしては、限定されないが、好ましくはメチルメルカプタンが使用される。次いで、測定した応答に基づいて、該アゴニストに対する該嗅覚受容体ポリペプチドの応答を抑制する試験物質を検出する。検出された試験物質は、メチルメルカプタン臭の抑制剤として選択される。
【0037】
該第二の実施形態においては、該嗅覚受容体ポリペプチドのアゴニストに対する該嗅覚受容体ポリペプチドの応答を抑制する試験物質は、嗅覚受容体アンタゴニズムに基づくメチルメルカプタン臭の抑制剤として選択される。該嗅覚受容体ポリペプチドの該アゴニストへの応答に対して該試験物質が及ぼす作用は、例えば、試験物質を添加した該嗅覚受容体ポリペプチド(試験群)の該アゴニストに対する応答を、対照群における該アゴニストに対する応答と比較することによって行うことができる。対照群の例としては、上述したものが挙げられる。好ましくは、該第二の実施形態における本発明の方法は、試験物質の存在下及び非存在下で、該アゴニストに対する該嗅覚受容体ポリペプチドの活性を測定することを含む。
【0038】
例えば、試験群における応答が、対照群よりも抑制されていた場合、該試験物質を、メチルメルカプタンに対する該嗅覚受容体ポリペプチドの応答を抑制する物質として同定することができる。例えば、試験群における該嗅覚受容体ポリペプチドの応答が、対照群と比較して好ましくは60%以下、より好ましくは50%以下、さらに好ましくは25%以下に抑制されていれば、該試験物質を、メチルメルカプタンに対する該嗅覚受容体ポリペプチドの応答を抑制する物質として同定することができる。あるいは、試験群における該嗅覚受容体ポリペプチドの応答が、対照群と比較して統計学的に有意に抑制されていれば、該試験物質を、メチルメルカプタンに対する該嗅覚受容体ポリペプチドの応答を抑制する物質として同定することができる。
【0039】
該第二の実施形態に従って選択されたメチルメルカプタン臭の抑制剤の使用についての一実施形態は、以下のとおりである:まず、メチルメルカプタン臭の抑制を所望する対象者に、該対象者が該臭気に曝露される前から又は同時に、該抑制剤のにおいを嗅がせておく。その結果、該対象者は、メチルメルカプタン臭に曝露されても、該臭気に対する嗅覚感受性が低下しているため、該臭気を弱いと感じるか、又は感じなくなる。
【0040】
以上の手順で、メチルメルカプタン臭応答性を有する嗅覚受容体ポリペプチドの応答活性に基づいて、メチルメルカプタン臭抑制剤を取得することができる。必要に応じて、上記で選択された試験物質のメチルメルカプタン臭抑制能を、官能試験によりさらに評価してもよい。すなわち、本発明の方法の一実施形態においては、上記手順で選択された試験物質を、メチルメルカプタン臭抑制剤の候補物質として取得する。次いで、該候補物質のメチルメルカプタン臭抑制作用を官能試験により評価する。官能試験でより良い評価が得られた候補物質は、メチルメルカプタン臭抑制剤として選択される。
【0041】
該候補物質の官能試験は、当該分野で通常行われる消臭剤の評価手順に準じて行われ得る。該候補物質がにおいの交差順応の誘導物質である場合は、評価者に対する該候補物質と標的のにおいの原因物質の適用順序が調整され得る。例えば、上述した第一の実施形態で選択された試験物質を候補物質として官能試験する場合、評価者は、最初に該候補物質のにおいを嗅ぎ、そのにおいに順応しておく。次いで該評価者は、標的のにおい(好ましくはメチルメルカプタン臭)を嗅ぎ、その強度を評価する。得られた評価結果は、該候補物質に順応させなかった場合の標的のにおいの強度と比較される。また例えば、上述した第二の実施形態で選択された試験物質を候補物質として官能試験する場合、評価者は、該候補物質のにおいと同時に標的のにおい(好ましくはメチルメルカプタン臭)を嗅ぎ、該標的のにおいの強度を評価する。得られた評価結果は、標的のにおい単独でのにおいの強度と比較される。官能試験の結果、標的のにおいの強度を低下させたと評価された候補物質は、メチルメルカプタン臭抑制剤として選択される。
【0042】
本発明で得られたメチルメルカプタン臭抑制剤は、メチルメルカプタン臭の抑制のための有効成分として使用され得る。例えば、該抑制剤は、メチルメルカプタン臭を抑制するための組成物又は物品に、メチルメルカプタン臭を抑制するための有効成分として含有され得る。あるいは、該抑制剤は、メチルメルカプタン臭を抑制するための組成物又は物品の製造のために使用することができる。本発明で得られたメチルメルカプタン臭抑制剤の適用例としては、トイレの前又は中への該剤の載置や噴霧;病棟又は介護施設などで排泄の処置に関わる者に、該剤を携行させたり、該処置の前に該剤に曝露したりする方法;該剤を含んだ紙おむつ又は生理用品;パーマネント剤を用いる美容室等への該剤の載置や噴霧;該剤を含んだパーマネント剤;該剤を含んだ肌着、下着、リネン類等の服飾類、布製品、又は織物;該剤を含んだ洗濯用洗剤又は柔軟剤;該剤を含んだ香粧品、洗浄剤、デオドラント等の外用剤、医薬品、食品、等;メチルメルカプタン臭を有する製品の製造ラインもしくはメチルメルカプタン臭を発生する環境への適用、などが挙げられるが、これらに限定されるものではない。
【0043】
本発明の例示的実施形態として、さらに以下の物質、製造方法、用途、方法等を本明細書に開示する。ただし、本発明はこれらの実施形態に限定されない。
【0044】
〔1〕試験物質添加後のOR4S2及びこれと同等の機能を有するポリペプチドからなる群より選択される少なくとも1種の嗅覚受容体ポリペプチドの応答を金属イオン存在下で測定することを含む、メチルメルカプタン臭抑制剤の評価及び/又は選択方法。
〔2〕好ましくは、前記OR4S2が配列番号2で示されるアミノ酸配列からなるタンパク質である、〔1〕記載の方法。
〔3〕好ましくは、前記OR4S2と同等の機能を有するポリペプチドが、配列番号2で示されるアミノ酸配列と少なくとも80%の同一性を有するアミノ酸配列からなり、かつメチルメルカプタンに応答性を有するポリペプチドである、〔1〕又は〔2〕記載の方法。
〔4〕好ましくは、前記OR4S2と同等の機能を有するポリペプチドが、配列番号3もしくは4で示されるアミノ酸配列、又はこれと少なくとも80%の同一性を有するアミノ酸配列からなり、かつメチルメルカプタンに応答性を有するポリペプチドである、〔1〕又は〔2〕記載の方法。
〔5〕好ましくは、前記同一性が90%以上である、〔3〕又は〔4〕記載の方法。
〔6〕前記金属イオンが、
好ましくは、銅イオン又は銀イオンであり、
より好ましくは銅イオンである、〔1〕~〔5〕のいずれか1項記載の方法。
〔7〕好ましくは、以下:
前記嗅覚受容体ポリペプチドに試験物質を添加すること、及び
該試験物質に対する該嗅覚受容体ポリペプチドの応答を測定すること、
を含む、〔1〕~〔6〕のいずれか1項記載の方法。
〔8〕好ましくは、前記試験物質に対する前記嗅覚受容体ポリペプチドの応答を増強する試験物質をメチルメルカプタン臭の抑制剤として選択することをさらに含む、〔7〕記載の方法。
〔9〕好ましくは、対照群における前記嗅覚受容体ポリペプチドの応答を測定することをさらに含む、〔7〕記載の方法。
〔10〕好ましくは、前記試験物質に対する前記嗅覚受容体ポリペプチドの応答を前記対照群と比べて増強する試験物質をメチルメルカプタン臭の抑制剤として選択することをさらに含み、
より好ましくは、前記試験物質に対する前記嗅覚受容体ポリペプチドの応答を前記対照群と比較して120%以上に増強する試験物質をメチルメルカプタン臭の抑制剤として選択するか、又は、前記試験物質に対する前記嗅覚受容体ポリペプチドの応答を前記対照群と比較して統計学的に有意に増強する試験物質をメチルメルカプタン臭の抑制剤として選択することをさらに含む、〔9〕記載の方法。
〔11〕好ましくは、以下:
前記嗅覚受容体ポリペプチドに試験物質及び該嗅覚受容体ポリペプチドのアゴニストを添加すること、及び
該アゴニストに対する該嗅覚受容体ポリペプチドの応答を測定すること、
を含む、〔1〕~〔6〕のいずれか1項記載の方法。
〔12〕好ましくは、前記アゴニストに対する前記嗅覚受容体ポリペプチドの応答を抑制する試験物質をメチルメルカプタン臭の抑制剤として選択することをさらに含む、〔11〕記載の方法。
〔13〕好ましくは、対照群における前記アゴニストに対する前記嗅覚受容体ポリペプチドの応答を測定することをさらに含む、〔11〕記載の方法。
〔14〕好ましくは、前記アゴニストに対する前記嗅覚受容体ポリペプチドの応答を前記対照群と比べて抑制する試験物質をメチルメルカプタン臭の抑制剤として選択することをさらに含み、
より好ましくは、前記アゴニストに対する前記嗅覚受容体ポリペプチドの応答を前記対照群と比較して60%以下に抑制する試験物質をメチルメルカプタン臭の抑制剤として選択するか、又は、前記アゴニストに対する前記嗅覚受容体ポリペプチドの応答を前記対照群と比較して統計学的に有意に抑制する試験物質をメチルメルカプタン臭の抑制剤として選択することをさらに含む、
〔13〕記載の方法。
〔15〕好ましくは、前記嗅覚受容体ポリペプチドが、該嗅覚受容体ポリペプチドを発現するように遺伝的に操作された組換え細胞上に発現されている、〔1〕~〔14〕のいずれか1項記載の方法。
〔16〕好ましくは、前記嗅覚受容体ポリペプチドの応答の測定が、ELISAもしくはレポータージーンアッセイによる細胞内cAMP量測定、又はカルシウムイメージングによって行われる、〔1〕~〔15〕のいずれか1項記載の方法。
〔17〕好ましくは、前記試験物質を官能試験により評価することをさらに含む、〔1〕~〔16〕のいずれか1項記載の方法。
【実施例】
【0045】
以下、実施例を示し、本発明をより具体的に説明する。
【0046】
参考例1 ヒト嗅覚受容体発現細胞の調製
1)嗅覚受容体発現細胞の作製
GenBankに登録されている配列情報を基に、表1~2に記載のヒト嗅覚受容体をコードする遺伝子をクローニングした。各遺伝子は、human genomic DNA female(G1521:Promega)を鋳型としたPCR法によりクローニングした。PCR法により増幅した各遺伝子をpENTRベクター(Invitrogen)にマニュアルに従って組み込み、pENTRベクター上に存在するNotI、AscIサイトを利用して、pME18Sベクター上のFlag-Rhoタグ配列の下流に作製したNotI、AscIサイトへと組換えた。
【0047】
【0048】
【0049】
2)pME18S-ヒトRTP1Sベクターの作製
ヒトRTP1Sをコードする遺伝子をpME18SベクターのEcoRI、XhoIサイトへ組み込んだ。
【0050】
3)嗅覚受容体発現細胞の作製
実施例1の1)では、ヒト嗅覚受容体405種をそれぞれ発現させたHEK293細胞を作製した。表3に示す組成の反応液を調製しクリーンベンチ内で15分静置した後、384ウェルプレート(BioCoat)の各ウェルに4.4μLずつ添加した。次いで、HEK293細胞(20×104細胞/cm2)を40μLずつ各ウェルに播種し、37℃、5%CO2を保持したインキュベータ内で24時間培養した。
【0051】
【0052】
実施例1の2)及び実施例2、3では、実施例1の1)で見出されたメチルメルカプタン応答性を有する嗅覚受容体を発現させたHEK293細胞を作製した。表4に示す組成の反応液を調製しクリーンベンチ内で15分静置した後、96ウェルプレート(BioCoat)の各ウェルに10μLずつ添加した。次いで、HEK293細胞(3×105細胞/cm2)を90μLずつ各ウェルに播種し、37℃、5%CO2を保持したインキュベータ内で24時間培養した。対照区として用いるために、嗅覚受容体を発現させない条件の細胞(Mock)も用意し、同様に実験に用いた。
【0053】
【0054】
参考例2 ルシフェラーゼアッセイ
HEK293細胞に発現させた嗅覚受容体は、細胞内在性のGαsと共役しアデニル酸シクラーゼを活性化することで、細胞内cAMP量を増加させる。本研究でのにおい応答測定には、細胞内cAMP量の増加をホタルルシフェラーゼ遺伝子(fluc2P-CRE-hygro)由来の発光値としてモニターするルシフェラーゼレポータージーンアッセイを用いた。また、CMVプロモータ下流にウミシイタケルシフェラーゼ遺伝子を融合させたもの(hRluc-CMV)を同時に遺伝子導入し、遺伝子導入効率又は細胞数の誤差を補正する内部標準として用いた。ルシフェラーゼの活性測定には、Dual-GloTMluciferase assay system(Promega)を用い、製品の操作マニュアルに従って測定を行った。各種刺激条件について、ホタルルシフェラーゼ由来の発光値をウミシイタケルシフェラーゼ由来の発光値で除した値fluc/hRlucを算出した。におい物質刺激により誘導されたfluc/hRlucを、におい物質刺激を行わない細胞でのfluc/hRlucで割った値をfold increaseとして算出し、応答強度の指標とした。
【0055】
参考例3 におい物質
におい物質としては、以下を使用した。
メチルメルカプタンナトリウム(約15%水溶液)(東京化成工業株式会社)、
Acetophenone(Sigma-Aldrich)、
p-Menthene-8-thiol(1%Alc)(高砂香料工業)、
p-Menthane-8-thiol-3-one(東京化成工業)、
Furfuryl mercaptan(Sigma-Aldrich)
【0056】
実施例1 におい物質に対する嗅覚受容体応答
1)メチルメルカプタンに応答する嗅覚受容体の同定
参考例1に従って作製した嗅覚受容体発現細胞の培養物から培地を取り除き、メチルメルカプタンナトリウムを含む300μM CuCl2添加DMEM培地(10mM HEPESでpH6.5に調整)を、該培養物を含む384ウェルプレートの各ウェルに30μLずつ添加した(最終濃度:メチルメルカプタン 3mM)。細胞をCO2インキュベータ内で2.5~3時間培養し、ルシフェラーゼ遺伝子を細胞内で十分に発現させた後、参考例2の手法でルシフェラーゼアッセイを行い、メチルメルカプタンに対する嗅覚受容体の応答強度(fold increase)を測定した。同様の手順で、CuCl2非添加培地中で培養した細胞での嗅覚受容体の応答強度を測定した。
【0057】
結果を
図1に示す。図は、銅イオン存在下(上図)及び非存在下(下図)での、各受容体発現細胞における、におい刺激なしの条件での応答強度を1としたときの、におい刺激に対する相対応答強度を表す。405種類の嗅覚受容体それぞれを発現させた細胞について、銅イオン存在下でメチルメルカプタンに対する応答を測定した結果、メチルメルカプタンに対して最も高い応答性をもたらした受容体としてOR4S2が同定された。また、メチルメルカプタンに対して応答性をもたらした受容体として、他にOR2T11、OR2W1、OR2T1及びOR13C1が同定された。一方、銅イオン非存在下では、いずれの受容体もメチルメルカプタンに応答しなかった。
【0058】
2)嗅覚受容体応答のにおい物質濃度依存性
参考例1、2記載の方法に従って、異なる濃度のメチルメルカプタンに対するOR4S2、OR2T11、OR2W1、OR2T1及びOR13C1の応答を測定した。その結果、OR4S2、OR2T11及びOR2W1はメチルメルカプタン濃度依存的な応答を示し、メチルメルカプタン受容体であることが確認された(
図2)。このうち、OR4S2が最も応答性が高くメチルメルカプタンに特に高感度な受容体であることが分かった。
【0059】
実施例2 嗅覚受容体応答に基づくメチルメルカプタン臭抑制剤の探索
実施例1で特に高いメチルメルカプタン応答性を示したOR4S2の応答を抑制することにより、メチルメルカプタン臭を抑制することができると考えられた。本実施例では、OR4S2アゴニストを探索し、それらのメチルメルカプタン臭抑制作用を調べた。
【0060】
1)OR4S2アゴニストの探索
(1)嗅覚受容体応答の測定
参考例1に従って作製したOR4S2発現細胞の培養物から、培地を取り除き、300μM CuCl2添加DMEM培地に試験物質(培地中最終濃度:60ppm又は200ppm)を含む溶液を75μL添加した。細胞をCO2インキュベータ内で3~4時間培養し、ルフェラーゼ遺伝子を細胞内で十分に発現させた後、参考例2の手法でルシフェラーゼアッセイを行い、試験物質に対する嗅覚受容体の応答強度(Fold increase)を測定した。試験物質として126種のにおい物質を用いた。
【0061】
(2)結果
その結果、OR4S2の応答を活性化させる物質として、Acetophenone、p-Menthene-8-thiol、p-Menthane-8-thiol-3-one及びFurfuryl mercaptanが見出された。これらの物質に対するOR4S2の応答をさらに調べた。結果を
図3に示す。なお、
図3における試験物質の濃度は、p-Menthene-8-thiol及びp-Menthane-8-thiol-3-oneは30μM、Furfuryl mercaptan及びAcetophenoneは300μMである(p-Menthene-8-thiol及びp-Menthane-8-thiol-3-oneは300μMで細胞毒性を有するため、30μMで刺激した)。これらの試験物質に対する応答は、OR4S2を発現させない細胞(Mock)では認められなかったことから、OR4S2に依存したものであった。したがって、これらの物質は、OR4S2アゴニストであり、嗅覚受容体アゴニズムによるにおいの交差順応に基づくメチルメルカプタン臭抑制剤として機能すると考えられた。すなわち、これらの物質を嗅ぎ続けることで、鼻でOR4S2の脱感作が引き起こされ、メチルメルカプタンを認識できない状況が生じると期待された。
【0062】
2)OR4S2アゴニストのメチルメルカプタン臭抑制効果の評価
(1)方法
1)で見出されたOR4S2アゴニストによるメチルメルカプタン臭抑制効果を、官能試験により評価した。官能試験では、該アゴニストの交差順応によるにおい抑制作用を評価した。
(メチルメルカプタンサンプルの調製)
メチルメルカプタンナトリウム(15%水溶液)と10%クエン酸水溶液を等量混ぜた混合液を調製した。該混合液30μLを直径約14mmの綿球(アズワン株式会社、No.14)に染み込ませ、テルモシリンジSS-50ESZ(東京硝子器械株式会社)に封入し、1.5時間放置した。シリンジ内の気体25mL分を横にシリンジの先が刺さる程度の穴を開けたミニカップ500(株式会社ビッグ、500mL)に注入し、メチルメルカプタンサンプルを調製した。
(試験サンプルの調製)
床から91cm-139cmの位置に窓(縦48cm×横43.5cm)が付いた密閉空間(縦×横×高さ=110cm×110cm×225cm)を用意した。噴霧器(ノズル:マイクロフォグMINI MF0005(ノズルネットワーク株式会社)、ポンプ:ミニエアポンプ(SITO MOTOR社))を用いて、におい物質を該密閉空間内にその窓から噴霧し、窓を閉め、1分間放置して該密閉空間内ににおい物質を充満させた。これを試験サンプルとした。におい物質は次のいずれかを用いた:10%Acetophenoneを含むエタノール溶液を100μL、0.2%p-Menthene-8-thiolを含むエタノール溶液を50μL、0.1%p-Menthane-8-thiol-3-oneを含むエタノール溶液を50μL、及び、0.01%Furfuryl mercaptanを含むエタノール溶液を50μL。
【0063】
(官能試験)
官能試験はパネラー3名で行った。試験では、試験サンプル適用前後でのメチルメルカプタン臭の強度の変化を評価した。詳細には、パネラーは、まずメチルメルカプタンサンプルを呈示され、そのにおい強度を評価した。次に、該密閉空間に充満させた試験サンプルを窓から2分間嗅いだ。その後、改めてメチルメルカプタンサンプルを呈示され、そのにおい強度を評価した(
図4参照)。以上の手順を1セットとして試験を行った。各セット間には少なくとも3分間以上の休憩を設けた。
【0064】
メチルメルカプタン臭の強度については、次の5段階の基準「対象の悪臭が、1:やっと感知できる(検知閾値付近)、2:わずかににおう(認知閾値付近)、3:はっきりにおう、4:強くにおう、5:非常に強くにおう」を設定した。試験サンプル適用前のメチルメルカプタン臭の強度を3としたときの試験サンプル適用後のメチルメルカプタン臭の強度を、1.0から0.5刻みで5.0までの9段階で評価した。
【0065】
(2)結果
官能試験の結果を
図5に示す。試験されたOR4S2アゴニストは、いずれも、嗅覚受容体アゴニズムによるにおいの交差順応に基づくメチルメルカプタン臭抑制効果を示した。
【0066】
本実施例では、順応による嗅覚受容体OR4S2の応答の低下によりメチルメルカプタン臭が抑制されることが示された。これらの結果から、OR4S2の応答を抑制する物質、例えばOR4S2のアンタゴニスト、及びOR4S2の応答の順応をもたらすアゴニストが、メチルメルカプタン臭の抑制に有効であることが示された。
【配列表】