(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2023-01-30
(45)【発行日】2023-02-07
(54)【発明の名称】鋼材
(51)【国際特許分類】
C22C 38/00 20060101AFI20230131BHJP
C22C 38/60 20060101ALI20230131BHJP
C21D 8/02 20060101ALN20230131BHJP
【FI】
C22C38/00 301F
C22C38/60
C21D8/02 A
(21)【出願番号】P 2019064502
(22)【出願日】2019-03-28
【審査請求日】2021-11-04
(73)【特許権者】
【識別番号】000006655
【氏名又は名称】日本製鉄株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】110002044
【氏名又は名称】弁理士法人ブライタス
(72)【発明者】
【氏名】高畠 勇
(72)【発明者】
【氏名】鹿島 和幸
【審査官】鈴木 毅
(56)【参考文献】
【文献】国際公開第2016/167313(WO,A1)
【文献】特許第6428987(JP,B1)
【文献】国際公開第2013/047755(WO,A1)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C22C 38/00 - 38/60
C21D 8/00 - 8/04
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
化学組成が、質量%で、
C:0.01~0.20%、
Si:0.01~1.0%、
Mn:0.01~3.0%、
P:0.050%以下、
S:0.010%以下、
Sn:0.01~2.0%、
Al:0.10%以下、
Cu:0~1.0%、
Ni:0~1.0%、
Cr:0~1.0%、
Mo:0~1.0%、
W:0~1.0%、
Sb:0~0.20%、
Ti:0~0.20%、
Zr:0~0.20%、
Ca:0~0.010%、
Mg:0~0.010%、
Nb:0~0.10%、
V:0~0.50%、
B:0~0.010%、
REM:0~0.010%、
残部:Feおよび不純物であり、
表面から深さ方向に0μmを超えて20μm以下の範囲に脱炭層を有する、
鋼材。
【請求項2】
前記化学組成が、質量%で、
Cu:0.02~1.0%、
Ni:0.01~1.0%、
Cr:0.01~1.0%、
Mo:0.01~1.0%、
W:0.01~1.0%、
Sb:0.01~0.20%、
Ti:0.001~0.20%、
Zr:0.001~0.20%、
Ca:0.0002~0.010%、
Mg:0.0002~0.010%、
Nb:0.001~0.10%、
V:0.005~0.50%、
B:0.0003~0.010%、
REM:0.0002~0.010%、
から選択される1種以上を含有する、
請求項1に記載の鋼材。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、鋼材に関する。
【背景技術】
【0002】
鋼材の腐食を加速する因子として、塩化物の影響が極めて大きいことがよく知られている。特に、海岸地域にある橋梁等の構造物、港湾施設に使用される鋼矢板、鋼管杭、船舶外板、バラストタンク、海洋構造物、洋上風力発電設備などにおいては、直接海水の飛沫を受け、さらに乾湿繰り返し環境に曝されるため、極めて腐食が大きい。
【0003】
また、海水中においても、乾湿繰り返し環境ほどではないが腐食が大きい。海浜地域においては海水の飛沫はないものの、海塩粒子の飛来により腐食が促進される。内陸部においても、冬季には路面凍結を防ぐために塩化物を含む凍結防止剤を散布するなど、塩化物による腐食はいたる所で問題となっている。
【0004】
さらには、直接海水環境には曝されないが海水による洗浄等が行われる鉱石運搬船または原油タンカーのタンクなども洗浄後に残留する塩化物による腐食が問題となる。また、原油タンカー内においては高濃度塩化物溶液であるドレン水が存在する厳しい腐食環境となっている。その他、オイルサンドの掘削・輸送設備においても塩化物による腐食が問題となる。
【0005】
このような事情により、特に塩化物による腐食が問題となる環境では鋼材を塗装して用いられているが、塗膜の劣化により、また鋼材エッジなどの塗膜厚の薄い部分から腐食が発生・進行するため、構造物を長期使用する際にはメンテナンス(再塗装)が必須である。
【0006】
その場合、構造物によっては足場を設置する必要があることなどからメンテナンス費が莫大なものとなること、また塗装により人体に有害とされているVOC(揮発性有機化合物)が大量に発生することなどが問題となる。こうしたことから、塗装をしなくても耐食性の良好な鋼材、または再塗装の間隔を延長可能な鋼材の開発が強く望まれてきた。
【0007】
このような塩化物環境下で耐食性に優れた鋼材として、例えば、特許文献1にはCr含有量を増加させた鋼材が開示されており、特許文献2にはNi含有量を増加させた鋼材等が開示されている。
【0008】
一方、CrまたはNiを増加させない鋼としては、例えば、特許文献3には、P、Ni、Moを必須元素とし、Sbおよび/またはSnを添加した鋼材が開示され、また、特許文献4には、P、Cu、Ni、Sbを必須添加した鋼材が開示されている。さらに、特許文献5には、Cuを必須元素とし、Sbおよび/またはSnを添加した鋼材が開示されており、特許文献6には、Snを必須元素とした鋼材が開示されている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0009】
【文献】特開平9-176790号公報
【文献】特開平5-51668号公報
【文献】特開平10-251797号公報
【文献】特開2002-53929号公報
【文献】特開平9-25536号公報
【文献】特開2012-255184号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0010】
CrおよびNiは、一般に鋼材の耐食性に寄与する元素である。しかし、特許文献1および2に開示される鋼材は、非常に厳しい塩化物環境においては、耐食性の面で改善の余地が残されている。加えて、CrおよびNiは高価な元素であるため、CrおよびNiの含有量の増加は、コストの面でも問題となる。
【0011】
また、特許文献3に開示される溶接構造物用鋼材は、溶接性を阻害するPを多量に含有することから、溶接性の面で問題がある。一方、特許文献4に開示される鋼材は、飛来塩分量0.8mddの環境において耐候性が良好であるとしているにすぎず、それを超えるような厳しい塩分飛来環境下においては、耐候性が十分でないという問題がある。
【0012】
さらに、特許文献5に開示される鋼材は、重油などを燃焼させたときに排出される燃焼排ガスに対する耐食性を有する鋼材であって、塩化物環境下とは大きく異なる環境下で使用する鋼材である。したがって、必ずしもこのような鋼材を塩化物環境下で適用することはできない。
【0013】
そして、特許文献6に開示される鋼材は、塩化物を含む乾湿繰り返し環境下で用いられる耐食性に優れた鋼材である。しかし、使用環境中で腐食を受けて鋼材中からSnがある程度溶出することによって耐食性が向上するため、初期の腐食を抑制する観点からは改善の余地が残されている。
【0014】
本発明は、上記の課題を解決し、塩化物を含む環境において優れた耐食性を発揮する鋼材を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0015】
本発明は、上記の課題を解決するためになされたものであり、下記の鋼材を要旨とする。
【0016】
(1)化学組成が、質量%で、
C:0.01~0.20%、
Si:0.01~1.0%、
Mn:0.01~3.0%、
P:0.050%以下、
S:0.010%以下、
Sn:0.01~2.0%、
Al:0.10%以下、
Cu:0~1.0%、
Ni:0~1.0%、
Cr:0~1.0%、
Mo:0~1.0%、
W:0~1.0%、
Sb:0~0.20%、
Ti:0~0.20%、
Zr:0~0.20%、
Ca:0~0.010%、
Mg:0~0.010%、
Nb:0~0.10%、
V:0~0.50%、
B:0~0.010%、
REM:0~0.010%、
残部:Feおよび不純物であり、
表面から深さ方向に0μmを超えて20μm以下の範囲に脱炭層を有する、
鋼材。
【0017】
(2)前記化学組成が、質量%で、
Cu:0.02~1.0%、
Ni:0.01~1.0%、
Cr:0.01~1.0%、
Mo:0.01~1.0%、
W:0.01~1.0%、
Sb:0.01~0.20%、
Ti:0.001~0.20%、
Zr:0.001~0.20%、
Ca:0.0002~0.010%、
Mg:0.0002~0.010%、
Nb:0.001~0.10%、
V:0.005~0.50%、
B:0.0003~0.010%、
REM:0.0002~0.010%、
から選択される1種以上を含有する、
上記(1)に記載の鋼材。
【発明の効果】
【0018】
本発明によれば、塩化物を含む環境において優れた耐食性を発揮する鋼材が得られる。
【発明を実施するための形態】
【0019】
塩化物の多い環境においては、FeCl3溶液の乾湿繰り返しが生じ、Fe3+の加水分解により腐食界面のpHが低下した状態で、かつFe3+が酸化剤として作用することによって腐食を加速する。
【0020】
このときの腐食反応は、以下に示すとおりである。
カソード反応:Fe3++e-→Fe2+(Fe3+の還元反応)
アノード反応:Fe→Fe2++2e-(Feの溶解反応)
【0021】
したがって、腐食の総括反応は、下記(i)式のとおりである。
2Fe3++Fe→3Fe2+ ・・・(i)
【0022】
上記(i)式の反応により生成したFe2+は、空気酸化によりFe3+に酸化され、生成したFe3+は再び酸化剤として腐食を加速する。この際、Fe2+の空気酸化の反応速度は低pH環境では一般に遅いが、濃厚塩化物溶液中では加速され、Fe3+が生成されやすくなる。このようなサイクリックな反応のため、飛来塩分量の非常に多い環境において鋼の耐食性が著しく劣化する。
【0023】
また、塩化物が非常に多い環境においてはさび層の保護性は期待できないので、鋼自身のアノード溶解反応を遅くすることが耐食性改善に有用である。すなわち、塩化物が非常に多い環境では低pH塩化物溶液中におけるアノード溶解反応を抑制することが重要となる。
【0024】
さらに、低pH環境では以下に示す水素イオンの還元反応が進行し、Fe溶解のアノード反応が促進される。
2H++2e-→H2
【0025】
Sn表面における上記反応の進行速度は、Fe表面と比較して小さいことが知られている。すなわち、鋼表面にSn層を形成することで水素発生反応を抑制し、結果として鋼のアノード溶解反応をすることができる。
【0026】
本発明者等は、このような塩分環境における腐食のメカニズムを基に、耐食性を向上する方法について検討した結果、下記の(a)~(e)に示す知見を得た。
【0027】
(a)Snは、腐食環境において陽イオンSn2+となって溶解し、酸性塩化物溶液中でのインヒビター作用により腐食を抑制する作用を有する。また、Fe3+を速やかに還元させ、酸化剤としてのFe3+濃度を低減する作用を有することにより、Fe3+の腐食促進作用を抑制する。さらに、Snには鋼のアノード溶解反応を抑制し耐食性を向上させる作用がある。
【0028】
(b)しかし、前述のように、使用環境中で腐食を受けて鋼材中からSnがある程度溶出しないと、腐食促進作用を抑制する効果が得られないという問題がある。
【0029】
(c)そこで、本発明者らが初期の腐食を抑制する方法についてさらに検討したところ、Snを含む層を鋼材の表面に形成しておくことが有効であることを見出した。ただし、Snめっきを形成するといった方法では、コストが大幅に上昇するため、好ましくない。加えて、構造材料用の鋼板の場合には、大きさおよび形状の問題でめっきが困難であり、現実的でない。
【0030】
(d)ここで、本発明者らは、Snを含む鋼材を、Snのアンダーポテンシャル析出(UPD)が生じる条件で水溶液に曝すことで、鋼材の表面に極めて薄い金属Sn層を形成することができることを見出した。
【0031】
(e)形成された金属Sn層は、大気中の酸素と反応し、速やかに酸化Sn層となるが、酸化SnであってもFe3+の腐食促進作用を抑制する効果を発揮する。
【0032】
また、本発明者等は、さらに、上記の金属Sn層を形成するのに好適な素材について検討を重ねた結果、下記の(f)~(h)に示す知見を得た。
【0033】
(f)上述したSnのUPDは、金属Fe上にSnが析出する現象であり、鋼材表面に存在する炭化物上ではUPDは起こらない。そのため、炭化物の溶解反応は抑制されず、鋼材表面に存在する炭化物が腐食反応の起点になり得る。
【0034】
(g)脱炭によって鋼材表面の炭素量を減少させ、表面に露出する炭化物の量を低減することにより、SnのUPDによる腐食抑制効果を高めることができる。
【0035】
(h)ただし、鋼材表面に厚い脱炭層を形成すると、疲労強度が著しく低下するため、その厚さは最小限とする必要がある。
【0036】
本発明は上記の知見に基づいてなされたものである。以下、本発明の各要件について詳しく説明する。
【0037】
(A)化学組成
各元素の限定理由は下記のとおりである。なお、以下の説明において含有量についての「%」は、「質量%」を意味する。
【0038】
C:0.01~0.20%
Cは材料としての強度を確保するために必要な元素である。しかし、過剰に含有させると溶接性が著しく低下する。また、C含有量の増大とともに、pHが低下する環境でカソードとなって腐食を促進するセメンタイトの生成量が増大するため、耐食性が低下する。そのため、C含有量は0.01~0.20%とする。C含有量は0.02%以上であるのが好ましく、0.03%以上であるのがより好ましい。また、C含有量は0.18%以下であるのが好ましく、0.16%以下であるのがより好ましい。
【0039】
Si:0.01~1.0%
Siは脱酸に必要な元素である。しかし、過剰に含有させると母材および溶接継手部の靱性が損なわれる。そのため、Si含有量は0.01~1.0%とする。Si含有量は0.03%以上であるのが好ましく、0.05%以上であるのがより好ましい。また、Si含有量は0.80%以下であるのが好ましく、0.60%以下であるのがより好ましい。
【0040】
Mn:0.01~3.0%
Mnは低コストで鋼の強度を高める作用を有する元素である。しかし、過剰に含有させると溶接性が劣化するとともに継手靱性も劣化する。そのため、Mn含有量は0.01~3.0%とする。Mn含有量は0.20%以上であるのが好ましく、0.40%以上であるのがより好ましい。また、Mn含有量は2.5%以下であるのが好ましく、2.0%以下であるのがより好ましい。
【0041】
P:0.050%以下
Pは鋼材中に不純物として存在する元素である。Pは耐酸性を低下させる元素であり、腐食界面のpHが低下する塩化物腐食環境においては耐食性を低下させる。さらには溶接性および溶接熱影響部の靱性を低下させることから、含有量は少なければ少ないほどよい。そのため、P含有量は0.050%以下に制限する。P含有量は0.030%以下であるのが好ましく、0.010%未満であるのがより好ましい。
【0042】
S:0.010%以下
Sは鋼材中に不純物として存在する元素である。Sは鋼中に腐食の起点となるMnSを形成し、その含有量が過剰であると、耐食性の低下が顕著になる。そのため、S含有量は0.010%以下に制限する。S含有量は0.008%以下であるのが好ましく、0.006%以下であるのがより好ましい。
【0043】
Sn:0.01~2.0%
Snは鋼の耐食性を向上させる作用を有する元素である。加えて、上述のように、鋼材中にSnが含まれることにより、事前に鋼材の表面に酸化Sn層を形成することが可能となる。酸化Sn層を有することにより、低pH塩化物環境において鋼のアノード溶解反応および水素発生反応を著しく抑制するため、塩化物腐食環境における耐食性を大幅に向上させる作用を有する。
【0044】
しかし、過剰に含有させても前記の効果は飽和するばかりでなく、母材および大入熱溶接継手の靱性が劣化する。そのため、Sn含有量は0.01~2.0%とする。Sn含有量は0.10%以上であるのが好ましく、0.15%以上であるのがより好ましい。また、Sn含有量は1.0%以下であるのが好ましく、0.50%以下であるのがより好ましい。
【0045】
Al:0.10%以下
Alは鋼の脱酸に有効な元素である。本発明では鋼中に脱酸効果を有するSiを含有させるので、Alで脱酸処理することは必ずしも必要でない。しかし、Siに加えて、さらにAlを含有させて複合脱酸することもできる。ただし、Alの含有量が0.1%を超えると、低pH環境における耐食性が低下するため塩化物腐食環境における耐食性が低下するばかりでなく、窒化物が粗大化するために靱性の低下を引き起こす。したがって、Alを含有させる場合の含有量の上限を0.10%以下とする。Al含有量は0.060%以下であるのが好ましい。なお、Alによる脱酸効果を安定的に得るためには、Al含有量を0.010%以上とすることが好ましく、0.030%以上とすることがより好ましい。
【0046】
Cu:0~1.0%
Cuは低pH環境における鋼のアノード溶解を抑制することにより耐食性を向上させる作用を有するので、必要に応じて含有させることができる。ただし、過剰に含有させると効果が飽和するだけでなく、脆化を起こす原因となる。したがって、その含有量は1.0%以下とする。上記効果を安定的に得るためには、Cu含有量を0.02%以上とすることが好ましく、0.03%以上とすることがより好ましい。
【0047】
なお、鋼中にCuを含有させた場合には、CuとSnとが共存することになるため、製造方法によっては圧延割れが生じることもある。圧延割れを抑制するためには、Cu含有量を少なくした上で、Sn含有量に対するCuの含有量の比、Cu/Snを小さくすることが重要となる。よって、Cuを含有させる場合には、Cuの含有量を0.20%未満とし、Cu/Snを1.0以下とすることが好ましい。Cu含有量は0.10%未満とすることがより好ましい。
【0048】
Ni:0~1.0%
NiもCuと同様に、低pH環境における鋼のアノード溶解を抑制することにより耐食性を向上させる作用を有するので、必要に応じて含有させることができる。ただし、過剰に含有させると効果が飽和するだけでなく、コストの著しい上昇につながる。したがって、その含有量は1.0%以下とする。Ni含有量は0.80%以下であるのが好ましい。上記効果を安定的に得るためには、Ni含有量を0.01%以上とすることが好ましく、0.02%とすることがより好ましい。
【0049】
Cr:0~1.0%
Crは耐食性を向上させる作用を有するので、必要に応じて含有させることができる。ただし、過剰に含有させると耐酸性が低下することから、塩化物が多い環境においては耐食性が低下する場合がある。一方、1.0%以下の含有量であれば耐酸性の低下は見られないことから、Cr含有量は1.0%以下とする。Cr含有量は0.80%以下であるのが好ましい。耐食性向上効果を安定的に得るためには、Cr含有量を0.01%以上とすることが好ましく、0.02%以上とすることがより好ましい。
【0050】
Mo:0~1.0%
Moは溶解して酸素酸イオンMoO4
2-の形でさびに吸着し、さび層中の塩化物イオンの透過を抑制する作用効果を有する元素であるので、必要に応じて含有させることができる。ただし、過剰に含有させると効果が飽和するだけでなく、鋼材のコストが大幅に上昇する。したがって、Mo含有量は1.0%以下とする。Mo含有量は0.70%以下であるのが好ましい。上記効果を安定的に得るためには、Mo含有量を0.01%以上とすることが好ましく、0.02%以上とすることがより好ましい。
【0051】
W:0~1.0%
WはMoと同様に、溶解して酸素酸イオンWO4
2-の形で存在し、さび層中の塩化物イオンの透過を抑制する作用効果を有する元素であるので、必要に応じて含有させることができる。ただし、過剰に含有させると効果が飽和するだけでなく、鋼材のコストが大幅に上昇する。したがって、W含有量は1.0%以下とする。W含有量は0.70%以下であるのが好ましい。上記効果を安定的に得るためには、W含有量を0.01%以上とすることが好ましく、0.02%以上とすることがより好ましい。
【0052】
Sb:0~0.20%
Sbは耐酸性を向上させる作用を有する元素であり、低pH環境において鋼のアノード溶解反応を抑制するとともに、水素ガス発生反応およびFe3+の還元反応を抑制することで塩化物環境における耐食性を向上させるので、必要に応じて含有させることができる。ただし、過剰に含有させると靱性が著しく劣化する。したがって、Sb含有量は0.20%以下とする。Sb含有量は0.15%以下であるのが好ましい。上記効果を安定的に得るためには、Sb含有量を0.01%以上とすることが好ましく、0.02%以上とすることがより好ましい。
【0053】
Ti:0~0.20%
Tiは硫化物の形成により腐食の起点となるMnSの形成を抑える作用効果を有する元素であるので、必要に応じて含有させることができる。ただし、過剰に含有させると効果が飽和するだけでなく鋼材のコストが上昇する。したがって、Ti含有量は0.20%以下とする。Ti含有量は0.15%以下であるのが好ましい。上記効果を安定的に得るためには、Ti含有量を0.001%以上とすることが好ましく、0.005%以上とすることがより好ましい。
【0054】
Zr:0~0.20%
ZrはTiと同様に、硫化物を形成することにより腐食の起点となるMnSの形成を抑える作用効果を有しているので、必要に応じて含有させることができる。ただし、過剰に含有させると効果が飽和するだけでなく鋼材のコストが上昇する。したがって、Zr含有量は0.20%以下とする。Zr含有量は0.15%以下であるのが好ましい。上記効果を安定的に得るためには、Zr含有量を0.001%以上とすることが好ましく、0.005%以上とすることがより好ましい。
【0055】
Ca:0~0.010%
Caは鋼中に酸化物の形で存在し、腐食反応部における界面のpHの低下を抑制して、腐食の促進を抑える作用を有しているので、必要に応じて含有させることができる。ただし、過剰に含有させると効果が飽和する。したがって、Ca含有量は0.010%以下とする。Ca含有量は0.0050%以下であるのが好ましい。上記効果を安定的に得るためには、Ca含有量を0.0002%以上とすることが好ましく、0.0005%以上とすることがより好ましい。
【0056】
Mg:0~0.010%
MgはCaと同様に、腐食反応部における界面のpHの低下を抑制するので、必要に応じて含有させることができる。ただし、過剰に含有させると効果が飽和する。したがって、Mg含有量は0.010%以下とする。Mg含有量は0.0050%以下であるのが好ましい。上記効果を安定的に得るためには、Mg含有量を0.0002%以上とすることが好ましく、0.0005%以上とすることがより好ましい。
【0057】
Nb:0~0.10%
Nbは鋼材の強度を上昇させる元素であるので、必要に応じて含有させることができる。ただし、過剰に含有させると効果が飽和するため、Nb含有量は0.10%以下とする。Nb含有量は0.050%以下であるのが好ましい。上記効果を安定的に得るためには、Nb含有量を0.001%以上とすることが好ましく、0.003%以上とすることがより好ましい。
【0058】
V:0~0.50%
VはNbと同様に鋼材の強度を上昇させる元素であり、また、MoおよびWと同様に、溶解して酸素酸イオンの形で存在しさび層中の塩化物イオンの透過を抑制する作用も有するので、必要に応じて含有させることができる。ただし、過剰に含有させると効果が飽和するばかりでなくコストが著しく上昇する。したがって、V含有量は0.50%以下とする。V含有量は0.30%以下であるのが好ましい。上記効果を安定的に得るためには、V含有量を0.005%以上とすることが好ましく、0.010%以上とすることがより好ましい。
【0059】
B:0~0.010%
Bは焼入性を向上させて強度を高める元素であるので、必要に応じて含有させることができる。ただし、過剰に含有させると強度を高める効果が飽和し、また、母材、HAZともに靱性劣化の傾向が著しくなる。したがって、B含有量は0.010%以下とする。上記効果を安定的に得るためには、B含有量を0.0003%以上とすることが好ましい。
【0060】
REM:0~0.010%
REM(希土類元素)は鋼の溶接性を向上させる作用を有するので、必要に応じて含有させることができる。ただし、過剰に含有させると効果が飽和するため、REM含有量は0.010%以下とする。REM含有量は0.0050%以下であるのが好ましい。上記効果を安定的に得るためには、REM含有量を0.0002%以上とすることが好ましく、0.0005%以上とすることがより好ましい。
【0061】
ここで、REMとは、ランタノイドの15元素にYおよびScをあわせた17元素の総称であり、これらの元素のうちの1種または2種以上を含有させることができる。なお、REMの含有量はこれら元素の合計含有量を意味する。
【0062】
本発明に係る鋼材は、上記の化学組成を有し、残部がFeおよび不純物からなる。ここで、不純物とは、鋼材を工業的に製造する際に鉱石やスクラップ等のような原料をはじめとして製造工程の種々の要因によって混入する成分であって、本発明に悪影響を与えない範囲で許容されるものを意味する。
【0063】
(B)脱炭層
本発明に係る鋼材は、表面から深さ方向に0μmを超えて20μm以下の範囲に脱炭層を有する。上述のように、脱炭層を有することによって、鋼材表面に露出する炭化物の量を低減し、UPDを活用した腐食抑制効果を効率的に得ることが可能となる。
【0064】
脱炭層の厚さが20μmを超えると、鋼材表面の硬さが低下するとともに、引張残留応力が発生し、鋼材の疲労強度が低下する。一方、鋼板表面に露出する炭化物の量を低減することが目的であるため、脱炭層は存在すればよく厚さの下限を設ける必要はない。
【0065】
なお、本発明において、脱炭層とは、C含有量が母材のC含有量に対して2/3以下である領域を指すものとする。また、C含有量の測定は、グロー放電発光分光分析法(GDS)を用いた深さ方向分析により行うものとする。
【0066】
(C)酸化Sn層
本発明に係る鋼材には、上述の脱炭層が形成されているため、表面に露出する炭化物の量を低減することができる。その結果、SnのUPDにより、腐食反応の起点になり得る表面局部の少ない連続した酸化Sn層を形成することが可能となる。
【0067】
UPDにより形成される酸化Sn層の厚さは、例えば0.5~6.0nmである。上述のように、酸化Sn層を事前に形成しておくことによって、使用環境中での初期の腐食を抑制することが可能となる。
【0068】
なお、Snが単原子層を形成していても効果が得られることから、本来、Sn原子の直径である0.28nm程度が実質的な下限である。しかしながら、本発明に係る鋼材にはSnが含まれるため、酸化Sn層を形成しない場合であっても鋼材表面を分析した際にSnが検出され、酸化Sn層と区別するのが困難である。そのため、0.5nmという厚さは分析精度も考慮した下限である。
【0069】
一方、UPDで酸化Sn層を形成する場合には、形成可能な厚さの上限が6.0nmとなる。酸化Sn層の厚さは1.0nm以上であるのが好ましい。また、酸化Sn層の厚さは5.0nm以下であるのが好ましく、4.0nm以下であるのがより好ましい。
【0070】
なお、酸化Sn層の厚さの測定は、例えば、光電子分光器を用いたXPS深さ分析法により行うことができる。X線源にはAl Kα(hν=1486.6eV)を用い、X線径は直径約200μm、検出器取込角度は45°とする。また、スパッタ条件としては、イオン種:Ar+、加速電圧1kV、スキャン領域:3mm×3mm、スパッタ速度:0.5~1.0nm/min(SiO2換算)とする。
【0071】
(D)防食被膜
上記に説明した本発明の鋼材は、そのまま使用しても良好な耐食性を示す。しかし、その表面に防食処理を施した場合、具体的には有機樹脂または金属からなる防食被膜で表面を被覆した場合には、従来の鋼材に比べ防食被膜の耐久性が向上し、耐食性が一段と向上する。なお、防食被膜は鋼材の表面に直接形成してもよいし、上述の酸化Sn層を形成した上にさらに形成してもよい。
【0072】
ここで、有機樹脂からなる防食被膜としては、ビニルブチラール系、エポキシ系、ウレタン系、フタル酸系等の樹脂被膜などが挙げられる。また、金属からなる防食被膜としては、Zn、Al、Zn-Al等のメッキ被膜またはZn、Al、Al-Mgなどの溶射被膜などを挙げることができる。
【0073】
防食被膜の耐久性が向上するのは、下地である本発明鋼材の腐食が著しく抑制される結果として、防食被膜欠陥部からの下地鋼材腐食に起因する防食被膜のふくれまたは剥離が抑制されるためであると考えられる。
【0074】
(E)製造方法
本発明に係る鋼材の製造方法については特に制限はない。例えば、上述した化学組成を有するインゴットに対して、熱間圧延を施した後に、脱炭焼鈍を行うことで製造することができる。熱間圧延を行うに際しての加熱条件については特に制限はなく、通常の条件を採用すればよい。加熱温度は、例えば、950~1250℃の範囲とすることができる。
【0075】
脱炭はオーステナイト相における炭素の拡散速度に律速されるので、脱炭焼鈍においてはA1変態点以上のα-γ二相温度域の温度まで加熱した後、直ちにA1変態点より低い温度へと冷却し、脱炭が必要以上に進行しないようにする。この際、α-γ二相温度域における滞在時間を30s以内とすることで、脱炭層の厚さを20μm以下に制限することができる。これらの処理は、通常の脱炭焼鈍と同様に0~21%の酸素を含む大気環境中で行う。
【0076】
A1変態点以上の温度域で表層のγ相より脱炭を行うと、A1変態点より低い温度域において相変態する際に、鋼材表面に析出する炭化物が減少するため、表面に露出した炭化物の面積率が減少する。この際、本発明で規定する化学組成を有する鋼材の表面において、脱炭層を有しない場合、炭化物の面積率は0.3~0.8%程度となるが、脱炭層を形成することにより、その面積率を0.1%以下に低減することができる。
【0077】
本発明に係る鋼材は、鋼中にSnを含有する母材を、SnのUPDが生じる条件で水溶液に曝すことで、母材の表面に、厚さが4.5nm以下の金属Sn層を形成することができる。形成された金属Sn層は、大気中の酸素と反応し、速やかに酸化Sn層となる。表面に露出する炭化物の量を低減した鋼材上に形成する酸化Sn層は、炭化物の量を低減しない鋼材上に形成したものよりも表面被覆率が高くて欠陥が少なく、より高い腐食抑制効果を示す。以下、SnのUPDが生じる条件について具体的に説明する。
【0078】
母材の表面に金属Sn層を形成するためには、母材から溶出したSnがイオン(Sn2+)として水溶液中に安定して存在する必要がある。金属Sn層の形成に用いる水溶液のpHが高いと、Sn2+は水溶液中に安定して存在することが困難となり、UPDが生じなくなる。したがって、水溶液のpHは3.0以下とする。Sn2+をより安定した状態で存在させるためには、pHを1.0以下にすることが好ましい。
【0079】
水溶液の種類については特に限定されないが、例えば、過塩素酸水溶液を用いることができる。その他にも、塩酸、硫酸、硝酸などの無機酸であってもよい。ただし、硫酸中の硫酸イオン、硝酸中の硝酸イオンは鋼材表面に吸着し、SnのUPDに影響を与える可能性がある。この場合、電極電位がSnのUPD電位域に保持されるように硫酸イオンまたは硝酸イオンの濃度を調整する必要がある。
【0080】
また、SnのUPDが起こる電位域はEeq(Sn2+/Sn)に依存するが、Sn2+が水溶液中の塩化物イオンとの間で錯体を形成するとEeq(Sn2+/Sn)はシフトするため、Sn-塩化物錯体の形成に伴い、UPD電位域もシフトする。したがって、自然浸漬状態で鋼材の表面電位をUPD電位域に保持するためには、水溶液中の塩化物イオン濃度は0.1~2.0mol/Lであることが望ましい。
【0081】
さらに、酸性水溶液に曝す時間が短すぎると母材中のSnの溶出が十分ではなく、金属Sn層が母材表面を十分に覆うことができない場合がある。したがって、水溶液に曝す時間は1分間以上であるのが好ましい。また、時間が長すぎると処理に時間がかかってしまうため、水溶液に曝す時間の上限は60分間であることが望ましい。
【0082】
また、Eeq(Sn2+/Sn)は温度に依存したパラメータであるため、水溶液の温度によってUPD電位域はシフトする。このとき、温度が低すぎると溶存酸素量が多くなり、酸素の還元反応によって電極電位がシフトしてしまう。よって、温度の下限は20℃であることが望ましい。また、酸性水溶液の温度が高すぎると塩酸が揮発するおそれがある。よって、温度の上限は40℃であることが望ましい。
【0083】
鋼材を酸性溶液に曝す方法としては、母材を水溶液中に浸漬することができる。その他にも、例えば、刷毛による塗布またはスプレーノズルを用いた噴霧であってもよい。ただし、刷毛またはスプレーノズルを用いる際は、ムラなく鋼材全面に溶液が付着するように注意する必要がある。
【0084】
また、上述した防食被膜で覆う処理は通常の方法で行えばよい。また、必ずしも鋼材の全面に防食被膜を施す必要はなく、腐食環境に曝される面としての鋼材の片面、鋼管であれば外面または内面だけ、すなわち鋼材表面の少なくとも一部を防食処理するだけでもよい。
【0085】
以下、実施例によって本発明をより具体的に説明するが、本発明はこれらの実施例に限定されるものではない。
【実施例】
【0086】
表1に示す化学組成を有する鋼を溶製し、50kgのインゴットとした後、熱間鍛造して、厚さが60mmのブロックを作製した。次いで、上記ブロックを、1120℃で1時間加熱してから熱間圧延し、850℃で厚さ20mmに仕上げ、その後室温まで大気中で放冷して鋼板とした。さらに、この鋼板を800℃まで加熱した後に室温まで冷却し、鋼板の表面に脱炭層を形成した。この際、加熱速度および冷却速度を変化させることで、α-γ二相温度域における滞在時間を調節した。
【0087】
【0088】
上記の方法で製造された鋼板のうち、鋼No.2および21から表2に示す各条件で製造された鋼板を代表として用い、以下に説明する評価試験に供した。
【0089】
【0090】
各鋼板の表面を含む領域から、幅が20mm、長さが20mm、厚さが3mmの試験片を採取し、GDSを用いて脱炭層の厚さを測定した。前述のように鋼材表面より炭素濃度を深さ方向に測定し、母材の炭素濃度に対して2/3の炭素濃度になる位置を脱炭深さとした。
【0091】
鋼材表面における炭化物の面積率は、光学顕微鏡観察によって行った。上記試験片の表面を、ナイタール液を用いてエッチングし、顕微鏡視野において炭化物を含む介在物が占める面積割合を求め、面積率とした。
【0092】
鋼材の疲労特性は、JIS Z 2275に記載の方法に従い、鋼材の表層より疲労試験片を採取し、平面曲げ疲労試験によって評価した。応力振幅400MPaとなるような応力条件で両振りの平面曲げ疲労試験を行い、破断繰り返し数を求めた。
【0093】
それらの結果を表2に併せて示す。なお、試験No.1および4では熱間圧延による脱炭層が形成されるが、その厚さは上記のGDSにより測定できないほど薄いため「-」とした。
【0094】
表2の結果から明らかなように、比較例である試験No.1および4では脱炭焼鈍を行っていないため、表面介在物の面積率が0.1%を超えている。また、試験No.3および6ではα-γ二相温度域における滞在時間が長すぎるため、脱炭層の厚さが20μmを超えており、破断繰り返し数が低下する結果となった。
【0095】
それに対して、本発明例である試験No.2および5では、α-γ二相温度域における滞在時間が30s以下であり、脱炭層の厚さが本発明の規定を満足するため、表面介在物の面積率が0.1%以下であり、破断繰り返し数の低下も軽微であり、疲労強度に優れる結果となった。なお、鋼No.2および21以外の鋼から製造された鋼板に関しても、適切な条件で脱炭層を形成した場合には、表面介在物の面積率が低減するとともに、優れた疲労強度が得られた。
【産業上の利用可能性】
【0096】
本発明に係る鋼材は、良好な耐食性を有する耐食鋼として利用可能である、また、本発明に係る鋼材を素材として、表面にUPDを活用した酸化Sn層を形成した場合には、塩化物を含む環境においてより優れた耐食性を有し、初期の腐食を防止することが可能となる。