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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2023-03-06
(45)【発行日】2023-03-14
(54)【発明の名称】疲労進行度評価方法
(51)【国際特許分類】
   G01M 13/04 20190101AFI20230307BHJP
   G01N 17/00 20060101ALI20230307BHJP
   F16C 19/52 20060101ALI20230307BHJP
【FI】
G01M13/04
G01N17/00
F16C19/52
【請求項の数】 4
(21)【出願番号】P 2019114566
(22)【出願日】2019-06-20
(65)【公開番号】P2021001761
(43)【公開日】2021-01-07
【審査請求日】2022-03-03
(73)【特許権者】
【識別番号】000004204
【氏名又は名称】日本精工株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】100103850
【弁理士】
【氏名又は名称】田中 秀▲てつ▼
(74)【代理人】
【識別番号】100105854
【弁理士】
【氏名又は名称】廣瀬 一
(74)【代理人】
【識別番号】100066980
【弁理士】
【氏名又は名称】森 哲也
(72)【発明者】
【氏名】今井 敦
(72)【発明者】
【氏名】山田 紘樹
(72)【発明者】
【氏名】宇山 英幸
【審査官】森口 正治
(56)【参考文献】
【文献】特開2004-3595(JP,A)
【文献】特開2003-226919(JP,A)
【文献】特開2014-85153(JP,A)
【文献】特開2003-342686(JP,A)
【文献】特開2017-187441(JP,A)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
G01M 13/00-99/00
G01N 17/00
F16C 19/52
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
相互に転がり接触する2つの転動部材を備え、前記2つの転動部材の少なくとも一方が鋼製転動部材である転動装置の疲労進行度を評価する方法であって、
前記疲労進行度は、前記鋼製転動部材に生じた白色組織剥離による前記転動装置の疲労の進行度合いであり、
前記鋼製転動部材のうち前記転がり接触により転動疲労した部位である転動疲労部位は、白色組織及び黒色組織を有するが、前記転動疲労部位が有する白色組織に含有される常温非拡散性水素の量に基づいて、前記転動装置の疲労進行度を評価する疲労進行度評価方法。
【請求項2】
疲労進行度を評価すべき転動装置と同種の転動装置をデータベース作成用転動装置として用意して、
未運転の前記データベース作成用転動装置の鋼製転動部材に含有される常温非拡散性水素の総量と黒色組織の量とを測定するとともに、
転がり接触により鋼製転動部材の転動疲労部位に作用する応力の大きさ、運転時間、運転時の温度、及び、運転時の前記データベース作成用転動装置の水素環境のうち少なくとも一つが異なる複数の運転条件それぞれにおいて前記データベース作成用転動装置を運転し、運転後の前記データベース作成用転動装置の鋼製転動部材の転動疲労部位に含有される常温非拡散性水素の総量と黒色組織の量とを測定し、
未運転の前記データベース作成用転動装置についての測定結果と、運転後の前記データベース作成用転動装置についての測定結果とから、運転前後における前記転動疲労部位に含有される常温非拡散性水素の総量の変化量ΔNDH及び前記転動疲労部位が有する黒色組織の量の変化量ΔDECを算出し、
運転時の温度及び運転時の前記データベース作成用転動装置の水素環境が同一で且つ前記転動疲労部位に作用する応力の大きさ及び運転時間の少なくとも一方が異なる運転条件で運転された複数の前記データベース作成用転動装置を、重回帰分析用転動装置群とし、1つの重回帰分析用転動装置群に含まれる前記データベース作成用転動装置についての前記常温非拡散性水素の総量の変化量ΔNDH及び前記黒色組織の量の変化量ΔDECを抽出し、
抽出した前記常温非拡散性水素の総量の変化量ΔNDH及び前記黒色組織の量の変化量ΔDECと、前記データベース作成用転動装置のL10寿命に対する前記運転時間Tの比で定義される疲労進行度T/L10とを、重回帰分析を用いて定式化して、A、B、Cを定数とする下記の重回帰式を導出し、
T/L10=A×ΔNDH+B×ΔDEC+C
複数の前記重回帰分析用転動装置群それぞれについて前記重回帰式を導出して、それら重回帰式を運転条件毎に分類して格納したデータベースを予め作成しておき、
前記疲労進行度を評価すべき転動装置について、未運転の転動装置の鋼製転動部材に含有される常温非拡散性水素の総量と黒色組織の量とを測定するとともに、前記疲労進行度を評価すべき転動装置を運転し、運転後の前記疲労進行度を評価すべき転動装置の鋼製転動部材の転動疲労部位に含有される常温非拡散性水素の総量と黒色組織の量とを測定し、
未運転の前記疲労進行度を評価すべき転動装置についての測定結果と、運転後の前記疲労進行度を評価すべき転動装置についての測定結果とから、運転前後における前記転動疲労部位に含有される常温非拡散性水素の総量の変化量ΔNDH及び前記転動疲労部位が有する黒色組織の量の変化量ΔDECを算出し、
運転時の温度及び運転時の水素環境が、前記疲労進行度を評価すべき転動装置の運転条件と全て同一である場合の前記重回帰式を、前記データベースから取得し、
前記疲労進行度を評価すべき転動装置についての前記常温非拡散性水素の総量の変化量ΔNDH及び前記黒色組織の量の変化量ΔDECを、前記データベースから取得した前記重回帰式に代入して、前記疲労進行度を評価すべき転動装置の疲労進行度T/L10を算出する請求項1に記載の疲労進行度評価方法。
【請求項3】
前記黒色組織の量は、X線分析による黒色組織の検出ピークの半価幅により算出する請求項2に記載の疲労進行度評価方法。
【請求項4】
前記データベース作成用転動装置及び前記疲労進行度を評価すべき転動装置の少なくとも一方において、未運転時の前記鋼製転動部材及び運転後の前記転動疲労部位のそれぞれについて、昇温しながら加熱することにより水素を放出させ、放出させた水素を検出器で検出することにより複数の小ピークが重複してなる水素放出曲線を取得し、該水素放出曲線を統計的処理によって前記複数の小ピークに分離し、
未運転時の前記鋼製転動部材と運転後の前記転動疲労部位とで、対応する小ピークをそれぞれ対比し、検出された水素の量が最も増加した前記小ピークを、前記常温非拡散性水素の総量を検出した小ピークとし、該小ピークから前記常温非拡散性水素の総量の変化量ΔNDHを算出する請求項2又は請求項3に記載の疲労進行度評価方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は疲労進行度評価方法に関する。
【背景技術】
【0002】
転動装置の転動部材を形成する鋼中に水素が侵入すると、転がり接触によって鋼の内部に作用する剪断応力と水素との相互作用により、鋼の金属組織に変化が生じる場合がある。この金属組織の変化は、鋼の基地組織であるマルテンサイトが微細なフェライト粒に変化する現象である。エッチングを行って組織変化部を観察すると白く見えることから、水素の侵入により変化した金属組織は「白色組織」と呼ばれる。鋼に白色組織が発生すると、組織変化部と正常部(組織非変化部)の界面から疲労亀裂が生じて剥離するため、転動部材の転動疲労寿命が著しく低下するおそれがある。以下、上記のような白色組織への組織変化を伴った剥離を、「白色組織剥離」と記すこともある。また、白色組織に起因する破損(白色組織剥離を含む)を「白色組織破損」と記すこともある。
転動装置の運転時に転動部材に侵入した水素のうち常温拡散性水素の量を定量することにより、転動装置の白色組織剥離による疲労の進行度(以下「疲労進行度」と記す)を評価したり、白色組織剥離による寿命を予測したりすることができる(例えば特許文献1を参照)。
【0003】
しかしながら、実機(例えば自動車用オルタネータ)に使用された転動装置の場合は、転動部材に含有されている常温拡散性水素の量を定量しようとしても、測定する前に常温拡散性水素が転動部材から放出される場合があるため、常温拡散性水素量の正確な定量は困難であった。したがって、実機で使用された転動装置の白色組織剥離による疲労進行度を評価したり、白色組織剥離による寿命を予測したりすることは、困難であった。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0004】
【文献】特許第6072504号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
本発明は、転動装置の白色組織剥離による疲労進行度を評価する方法を提供することを課題とする。
【課題を解決するための手段】
【0006】
本発明の一態様に係る疲労進行度評価方法は、相互に転がり接触する2つの転動部材を備え、2つの転動部材の少なくとも一方が鋼製転動部材である転動装置の疲労進行度を評価する方法であって、疲労進行度は、鋼製転動部材に生じた白色組織剥離による転動装置の疲労の進行度合いであり、鋼製転動部材のうち転がり接触により転動疲労した部位である転動疲労部位は、白色組織及び黒色組織を有するが、転動疲労部位が有する白色組織に含有される常温非拡散性水素の量に基づいて、転動装置の疲労進行度を評価することを要旨とする。
【発明の効果】
【0007】
本発明によれば、転動装置の白色組織剥離による疲労進行度を評価することができる。
【図面の簡単な説明】
【0008】
図1】本発明の一実施形態に係る疲労進行度評価方法を説明するグラフの一例である。
図2】ガウス分布を用いた統計的処理によって水素放出曲線を分離した小ピークを示すチャートである。
図3】運転終了後の軌道輪の溝底直下部の断面の顕微鏡写真である。
図4図3を説明する模式的説明図である。
【発明を実施するための形態】
【0009】
まず、本明細書において用いられる文言の定義について、まとめて説明する。
「白色組織剥離」とは、前述したように、白色組織への組織変化を伴って転動装置の鋼製転動部材に生じる剥離を意味する。
「白色組織破損」とは、前述したように、白色組織に起因して転動装置の鋼製転動部材に生じる破損を意味し、白色組織剥離を包含する。
【0010】
「水素環境」とは、転動装置が運転時に置かれる各種環境(例えば、鋼製転動部材に作用する応力の大きさ(面圧)、鋼製転動部材に作用する応力の繰り返し数(転動装置の運転時間)、転動装置の雰囲気、温度)のうち水素に関する環境を意味する。例えば、転動装置が運転時に置かれる雰囲気や転動装置に使用される潤滑油等の潤滑剤が、「水素環境」に包含される。潤滑油等の潤滑剤は、転動装置の運転時に分解して水素を発生させるため、「水素環境」に包含される。
【0011】
「疲労進行度」とは、鋼製転動部材に生じた白色組織剥離による転動装置の疲労の進行度合いを意味し、本発明においては、転動装置の計算寿命L10に対する転動装置の運転時間Tの比T/L10と定義する。
「常温拡散性水素」とは、鋼中に比較的弱くトラップされており、鋼製転動部材中を比較的自由に移動し得る水素を意味する。この常温拡散性水素は、常温において時間と共に鋼製転動部材から外部に放出され得る。
【0012】
「常温非拡散性水素」とは、鋼中に比較的強くトラップされており、鋼製転動部材中を自由に移動することができない水素を意味する。この常温非拡散性水素は、常温においては鋼製転動部材から外部に放出されない。
「常温」とは、JIS Z8703に規定された温度であり、具体的には5℃以上35℃以下の範囲内の温度である。
【0013】
「転動装置」とは、相互に転がり接触する2つの転動部材を備える装置を意味し、例えば、転がり軸受、ボールねじ、直動案内装置(リニアガイド装置)、直動ベアリング等が包含される。
「転動部材」とは、転動装置を構成する部品であり、相互に転がり接触する部材を意味する。具体的には、転動装置が転がり軸受である場合は内輪、外輪、転動体、同じくボールねじである場合はねじ軸、ナット、転動体、同じく直動案内装置である場合は案内レール、スライダ、転動体、同じく直動ベアリングである場合は軸、外筒、転動体をそれぞれ意味する。
【0014】
次に、本発明の一実施形態について説明する。本発明者らが鋭意検討した結果、鋼と水素と転動疲労に関して新たな知見が見出されたので、以下に詳細に説明する。
未運転の白色組織剥離が生じていない転動装置と運転後の白色組織剥離が生じた転動装置とを比較すると、後者の方が、含有される常温非拡散性水素の量が多い。この理由は、弱くトラップされている常温拡散性水素が、転動疲労により生成したトラップサイトに強くトラップされることにより、常温非拡散性水素に変わるためと考えられる。
【0015】
このことから、転動装置の運転による常温非拡散性水素の増加量は、転動疲労による組織変化の度合いを示していることが分かった。したがって、転動装置の種類、運転時の温度、運転時の転動装置の水素環境等の運転条件毎に、転動装置の運転による常温非拡散性水素の増加量と、転動装置の疲労進行度や寿命との相関関係をデータベースとして保有しておき、このデータベースに格納されたデータと、運転後の転動装置についての常温非拡散性水素の増加量の実測データとを比較することによって、運転後の転動装置の疲労進行度の評価や寿命の予測を行うことができる。
【0016】
さらに、本発明者らの検討の結果、以下の新たな知見が見出されたので列挙する。水素が関与せずに生じた一般的な疲労組織である黒色組織と水素が関与して生じた疲労組織である白色組織との両方が、常温非拡散性水素をトラップしている。加えて、転動時の荷重(転がり接触により鋼製転動部材の転動疲労部位に作用する応力の大きさ)が大きいほど組織変化量が大きくなるため、黒色組織の生成量が多くなり、逆に転動時の荷重が小さいほど黒色組織の生成量が少なくなる。よって、転動時の荷重が大きいほど、黒色組織にトラップされる常温非拡散性水素の量は多くなり、黒色組織にトラップされる常温非拡散性水素の量は、転動時の荷重の大きさと相関性がある。一方、白色組織にトラップされる常温非拡散性水素の量は、転動時の荷重の大きさと相関性がない。
【0017】
黒色組織内には白色組織は生成せず、両者は完全に独立した水素のトラップサイトである。黒色組織は常温非拡散性水素を強くトラップしているが、黒色組織にトラップされた常温非拡散性水素は白色組織剥離による寿命には無害な常温非拡散性水素であるのに対して、白色組織にトラップされた常温非拡散性水素は、白色組織剥離の起点となる亀裂が発生する場所に存在する常温非拡散性水素であるので、白色組織剥離による寿命に有害な常温非拡散性水素である。
【0018】
転動装置が有する常温非拡散性水素の量を測定すると、白色組織にトラップされた常温非拡散性水素の量と黒色組織にトラップされた常温非拡散性水素の量との合計量(以下、「常温非拡散性水素の総量」と記すこともある)が得られてしまうので、この測定結果のみから転動装置の白色組織剥離による疲労進行度の評価や寿命の予測を行うことはできない。転動装置の白色組織剥離による疲労進行度の評価や寿命の予測を行うためには、白色組織にトラップされた常温非拡散性水素と黒色組織にトラップされた常温非拡散性水素とを分離して、白色組織にトラップされた常温非拡散性水素の量を求める必要がある。
【0019】
しかしながら、白色組織にトラップされた常温非拡散性水素の量や、黒色組織にトラップされた常温非拡散性水素の量を直接的に測定することは困難である。そこで、本発明者らは、黒色組織の量を測定して、その測定値から、黒色組織にトラップされた常温非拡散性水素の量を評価する方法を見出した。黒色組織の量は、例えば、X線分析、後方散乱電子回折、組織の画像解析によって測定することができる。X線分析の場合であれば、X線分析による黒色組織の検出ピークの半価幅によって、黒色組織の量を算出することができる。転動装置の運転前後における半価幅の変化量が大きい場合は、黒色組織が増加したことを意味し、転動装置の運転前後における半価幅の変化量が小さい場合は、白色組織が増加したことを意味する(白色組織は局所的な疲労であるため)。
【0020】
ただし、常温非拡散性水素の量から黒色組織の量を直接的に差し引く計算を行うことはできないので、常温非拡散性水素の総量と黒色組織の量と転動装置の疲労進行度とを重回帰分析を用いて定式化して、重回帰式を導出する。導出された重回帰式を用いれば、常温非拡散性水素の量と黒色組織の量から転動装置の疲労進行度を算出することができる。
【0021】
このようにして、本発明者らは、相互に転がり接触する2つの転動部材を備え、2つの転動部材の少なくとも一方が鋼製転動部材である転動装置の疲労進行度を評価する方法を見出した。すなわち、本実施形態の疲労進行度評価方法は、鋼製転動部材のうち転がり接触により転動疲労した部位である転動疲労部位が有する白色組織及び黒色組織のうち、白色組織に含有される常温非拡散性水素の量に基づいて、転動装置の疲労進行度を評価する評価工程を有する。なお、この疲労進行度とは、鋼製転動部材に生じた白色組織剥離による転動装置の疲労の進行度合いである。
【0022】
ただし、前述したように、転動疲労部位が有する白色組織に含有される常温非拡散性水素の量を直接的に求めることは困難であるため、転動疲労部位に含有される常温非拡散性水素の総量及び転動疲労部位が有する黒色組織の量から転動疲労部位が有する白色組織に含有される常温非拡散性水素の量を推定し、推定した常温非拡散性水素の量から転動装置の疲労進行度を評価する方法を見出した。その方法を、以下に詳細に説明する。
【0023】
まず、疲労進行度を評価すべき転動装置と同種(形式、形状、寸法、材質(鋼製転動部材を形成する鋼の種類)等が全て同一)の転動装置をデータベース作成用転動装置として用意する。そして、未運転のデータベース作成用転動装置の鋼製転動部材(例えば、鋼製転動部材のうち運転によって転動疲労部位となる部分)に含有される常温非拡散性水素の総量と黒色組織の量とを測定する。なお、未運転のデータベース作成用転動装置の鋼製転動部材に含有される常温非拡散性水素の総量と黒色組織の量とを測定する代わりに、運転後のデータベース作成用転動装置の鋼製転動部材の非転動疲労部位に含有される常温非拡散性水素の総量と黒色組織の量とを測定してもよい。
【0024】
次に、転がり接触により鋼製転動部材の転動疲労部位に作用する応力の大きさ、運転時間、運転時の温度、及び、運転時のデータベース作成用転動装置の水素環境のうち少なくとも一つが異なる複数の運転条件それぞれにおいてデータベース作成用転動装置を運転し、運転後のデータベース作成用転動装置の鋼製転動部材の転動疲労部位に含有される常温非拡散性水素の総量と黒色組織の量とを測定する。
【0025】
これにより、未運転のデータベース作成用転動装置についての測定結果と、運転後のデータベース作成用転動装置についての測定結果が得られるので、これらの測定結果から、運転前後における転動疲労部位に含有される常温非拡散性水素の総量の変化量ΔNDH及び転動疲労部位が有する黒色組織の量の変化量ΔDECを算出する。
【0026】
ここで、運転時の温度及び運転時のデータベース作成用転動装置の水素環境が同一で且つ転動疲労部位に作用する応力の大きさ及び運転時間の少なくとも一方が異なる運転条件で運転された複数のデータベース作成用転動装置を、重回帰分析用転動装置群とする。複数の重回帰分析用転動装置群についての常温非拡散性水素の総量の変化量ΔNDH及び黒色組織の量の変化量ΔDECが得られるが、その中の1つの重回帰分析用転動装置群に含まれるデータベース作成用転動装置についての常温非拡散性水素の総量の変化量ΔNDH及び黒色組織の量の変化量ΔDECを抽出する。
【0027】
そして、抽出した常温非拡散性水素の総量の変化量ΔNDH及び黒色組織の量の変化量ΔDECと、そのデータベース作成用転動装置のL10寿命に対する運転時間Tの比で定義される疲労進行度T/L10とを、重回帰分析を用いて定式化して、A、B、Cを定数とする下記の重回帰式を導出する。このとき、定数Bは負数となる。これは、常温非拡散性水素の総量の変化量ΔNDHから黒色組織にトラップされた常温非拡散性水素の量に相当するΔDECを差し引くことで、白色組織にトラップされた水素の量を求めていることを意味している。
T/L10=A×ΔNDH+B×ΔDEC+C
【0028】
複数の重回帰分析用転動装置群それぞれについて重回帰式を導出して、それら重回帰式を運転条件毎に(すなわち重回帰分析用転動装置群毎に)分類して格納したデータベースを予め作成しておく。このデータベースには、可能な限り多くの重回帰式が格納されていることが好ましいので、一種の転動装置について多くの運転条件で運転して多くの重回帰式を得ることは勿論のこと、できるだけ多種の転動装置について重回帰式を得て、データベースを作成することが好ましい。すなわち、形式、形状、寸法、材質(鋼製転動部材を形成する鋼の種類)のうち少なくとも一つが異なる多種の転動装置について多くの運転条件で運転を行って、多くの重回帰式を得て、その重回帰式をこれらの条件毎に分類して格納したデータベースを作成することが好ましい。
【0029】
このようにして作成したデータベースを用いて、疲労進行度を評価すべき転動装置の疲労進行度T/L10を算出する。その方法を以下に説明する。
疲労進行度を評価すべき転動装置についても、データベース作成用転動装置と同様に、未運転の転動装置の鋼製転動部材に含有される常温非拡散性水素の総量と黒色組織の量とを測定する。さらに、疲労進行度を評価すべき転動装置を所定の運転条件で運転し、運転後の疲労進行度を評価すべき転動装置の鋼製転動部材の転動疲労部位に含有される常温非拡散性水素の総量と黒色組織の量とを測定する。なお、未運転の疲労進行度を評価すべき転動装置の鋼製転動部材に含有される常温非拡散性水素の総量と黒色組織の量とを測定する代わりに、運転後の疲労進行度を評価すべき転動装置の鋼製転動部材の非転動疲労部位に含有される常温非拡散性水素の総量と黒色組織の量とを測定してもよい。
【0030】
これにより、未運転の疲労進行度を評価すべき転動装置についての測定結果と、運転後の疲労進行度を評価すべき転動装置についての測定結果が得られるので、これらの測定結果から、運転前後における転動疲労部位に含有される常温非拡散性水素の総量の変化量ΔNDH及び転動疲労部位が有する黒色組織の量の変化量ΔDECを算出する。
【0031】
ここで、予め作成しておいたデータベースを検索して、運転時の温度及び運転時の水素環境が、疲労進行度を評価すべき転動装置の運転条件と全て同一である場合の重回帰式を、データベースから取得する。データベースを検索した結果、「運転条件が全て同一である場合の重回帰式」が存在しなかった場合には、データベースから任意の複数の重回帰式を抽出して、それら抽出した複数の重回帰式から線形補間等の手法によって、上記「運転条件が全て同一である場合の重回帰式」を推定する。すなわち、抽出した複数の重回帰式の各定数から、線形補間等の手法によって、上記「運転条件が全て同一である場合の重回帰式」の各定数を推定する。
【0032】
データベースから抽出する複数の重回帰式は、例えば、運転時の温度及び運転時の水素環境が、疲労進行度を評価すべき転動装置の運転条件と一部が同一で他部が異なる場合の重回帰式や、疲労進行度を評価すべき転動装置の運転条件に全て近い場合の重回帰式とすることができる。
そして、疲労進行度を評価すべき転動装置についての常温非拡散性水素の総量の変化量ΔNDH及び黒色組織の量の変化量ΔDECを、データベースから取得又は推定した重回帰式に代入すると、疲労進行度を評価すべき転動装置の疲労進行度T/L10が算出される。
【0033】
以上のように、転動装置の運転前後に、鋼製転動部材の転動疲労部位に含有される常温非拡散性水素の総量と黒色組織の量とを測定し、転動装置の運転における常温非拡散性水素の総量の変化量ΔNDHと黒色組織の量の変化量ΔDECとを取得する。そして、これらの変化量を重回帰式に代入することにより、転動装置の疲労進行度を評価することができる。また、通常は評価が難しい実機に使用された転動装置についても、疲労進行度を評価することができる。さらに、鋼製転動部材に白色組織剥離等の白色組織破損が発生していない段階であっても、疲労進行度を評価することができる。
【0034】
このような本実施形態の疲労進行度評価方法では、黒色組織の量は、前述したように、X線分析による黒色組織の検出ピークの半価幅により算出してもよい。
また、本実施形態の疲労進行度評価方法では、データベース作成用転動装置及び疲労進行度を評価すべき転動装置の少なくとも一方において、常温非拡散性水素の総量の変化量ΔNDHは、以下のようにして算出してもよい。まず、未運転時の鋼製転動部材及び運転後の転動疲労部位のそれぞれについて、昇温しながら加熱することにより水素を放出させ、放出させた水素を検出器で検出することにより、複数の小ピークが重複してなる水素放出曲線を取得する。そして、統計的処理によって、該水素放出曲線を複数の小ピークに分離する。
【0035】
次に、未運転時の鋼製転動部材と運転後の転動疲労部位とで、対応する小ピークをそれぞれ対比し、検出された水素の量が最も増加した小ピークを、常温非拡散性水素の総量を検出した小ピークとして、この小ピークから常温非拡散性水素の総量の変化量ΔNDHを算出する。
統計的処理によって水素放出曲線を複数の小ピークに分離し、白色組織剥離による寿命に有害な常温非拡散性水素のみを抽出することにより、疲労進行度の評価や寿命の予測を高精度で行うことができる。統計的処理の種類は特に限定されるものではないが、例えばガウス分布を用いた統計的処理が挙げられる。
【0036】
昇温しながら加熱することにより水素を放出させ水素放出曲線を取得する前に、100℃以下の温度に保持することによって鋼製転動部材から常温拡散性水素を放出させてもよい。そうすれば、常温拡散性水素が鋼製転動部材から確実に放出された状態となるので、常温非拡散性水素の量をより正確に測定することができる。
鋼製転動部材を保持する温度は100℃以下であれば特に限定されるものではないが、常温非拡散性水素の放出を抑制して常温非拡散性水素の量をより正確に測定するためには、80℃以下であることがより好ましい。また、鋼製転動部材を保持する温度は常温よりも高温であれば特に限定されるものではないが、常温拡散性水素を確実に放出させて常温非拡散性水素の量をより正確に測定するためには、35℃以上であることがより好ましい。
【0037】
なお、以上説明した実施形態は本発明の一例を示したものであって、本発明は本実施形態に限定されるものではない。また、本実施形態には種々の変更又は改良を加えることが可能であり、そのような変更又は改良を加えた形態も本発明に含まれ得る。さらに、本発明は、転動装置の疲労進行度を評価する方法であるが、転動装置に限らず、相互に転がり接触する2つの転動部材に対して適用可能である。
【実施例
【0038】
以下に実施例を示して、本発明をより具体的に説明する。まず、以下の手順(1)~(12)に沿ってデータベースを作成する。
〔I〕データベースの作成
(1)疲労進行度を評価すべき転がり軸受と同種(形式、形状、寸法、材質(軌道輪を形成する鋼の種類)等が全て同一)のデータベース作成用転がり軸受を用意する。そして、未運転のデータベース作成用転がり軸受の軌道輪の軌道溝の溝底直下部を切り出し、後述の方法(〔II〕常温非拡散性水素の測定方法を参照)により常温非拡散水素の量を測定する。
【0039】
(2)ガウス分布を用いた統計的処理(後述の〔III〕統計的処理による小ピークの分離方法を参照)によって、(1)で得られた水素放出曲線を複数の小ピークに分離した後、分離した複数の小ピークの中から、常温非拡散性水素の総量を検出した小ピークである評価ピークを抽出する。この評価ピークは、黒色組織にトラップされた常温非拡散性水素及び白色組織にトラップされた常温非拡散性水素の両方が検出されたピークである。
【0040】
(3)未運転のデータベース作成用転がり軸受の軌道輪の軌道溝の溝底直下部についてX線分析を行い、X線分析による黒色組織の検出ピークの半価幅を測定する。
(4)上記未運転のデータベース作成用転がり軸受を所定の運転条件で運転し、転がり試験を行う。運転時間は、データベース作成用転がり軸受のL10寿命以下とする。
【0041】
(5)運転が終了したデータベース作成用転がり軸受の軌道輪の軌道溝の溝底直下部を切り出し、後述の方法(〔II〕常温非拡散性水素の測定方法を参照)により常温非拡散水素の量を測定する。この溝底直下部は軌道輪の負荷圏であり、黒色組織と白色組織の混合部である。図3に、運転終了後の軌道輪の溝底直下部の断面の顕微鏡写真を示し、図4に、図3を説明する模式的説明図を示す。溝底直下部を切り出す際は、転動体の走行跡の領域のみを切断することが好ましい。
【0042】
(6)上記(2)と同様にして、(5)で得られた水素放出曲線を複数の小ピークに分離した後、分離した複数の小ピークの中から、常温非拡散性水素の総量を検出した小ピークである評価ピークを抽出する。
(7)運転が終了したデータベース作成用転がり軸受の軌道輪の軌道溝の溝底直下部についてX線分析を行い、X線分析による黒色組織の検出ピークの半価幅を測定する。
【0043】
(8)未運転のデータベース作成用転がり軸受についての測定結果と、運転が終了したデータベース作成用転がり軸受についての測定結果とを比較する。そして、評価ピークの大きさの差から、運転前後における溝底直下部(転動疲労部位)に含有される常温非拡散性水素の総量の変化量ΔNDHを算出し、半価幅の大きさの差から、運転前後における溝底直下部が有する黒色組織の量の変化量ΔDECを算出する。
【0044】
(9)運転時の温度及び運転時のデータベース作成用転がり軸受の水素環境は上記の運転条件から変更せず、荷重(転がり接触により軌道輪の転動疲労部位に作用する応力の大きさ)及び運転時間は種々変更して、複数の転がり試験を行う。そして、上記(4)~(8)の手順により、運転前後における溝底直下部に含有される常温非拡散性水素の総量の変化量ΔNDH、及び、溝底直下部が有する黒色組織の量の変化量ΔDECのデータを複数蓄積する。
【0045】
(10)得られた常温非拡散性水素の総量の変化量ΔNDH及び黒色組織の量の変化量ΔDECと、データベース作成用転がり軸受のL10寿命に対する運転時間Tの比で定義される疲労進行度T/L10とを、重回帰分析を用いて定式化して、A、B、Cを定数とする重回帰式T/L10=A×ΔNDH+B×ΔDEC+Cを導出する。ここで、A×ΔNDH+B×ΔDEC+Cを、水素損傷度と定義する。
【0046】
(11)X軸を水素損傷度、Y軸を疲労進行度としたグラフを作成する。
(12)得られた常温非拡散性水素の総量の変化量ΔNDH及び黒色組織の量の変化量ΔDECから水素損傷度を算出し、X軸を水素損傷度、Y軸を疲労進行度とした(11)のグラフにプロットするとともに、(10)で導出した重回帰式を示す直線を(11)のグラフに描画する。図1にグラフの一例を示す。
図1に示したグラフは、データベース作成用転がり軸受として呼び番号6206の深溝玉軸受を用いた場合の例である。この深溝玉軸受の内輪及び外輪はSUJ2製であり、転動体は浸炭窒化処理を施したSUJ2製である。また、深溝玉軸受の運転条件は、動等価荷重P/基本動定格荷重Cが0.21~0.60であり、回転速度が3000min-1であり、温度が110℃であり、使用した潤滑油がISO-VG32相当の油である。
【0047】
〔II〕常温非拡散性水素の測定方法
(1)転がり軸受の軌道輪を切断し、軌道溝の溝底直下部を切り出す。転動疲労した転がり軸受の軌道輪の軌道溝の溝底直下部を切り出す際は、転動体の走行跡の領域のみを切断することが好ましい。
【0048】
(2)切り出した溝底直下部を真空中又はアルゴン等の不活性ガス中で昇温しながら加熱し、鋼中にトラップされている常温非拡散性水素を放出させる。放出された水素を検出器で検出して、複数の小ピークが重複してなる水素放出曲線を取得する。昇温速度は、統計的処理によるピーク分離を行いやすくするため、50℃/h~600℃/hが好ましい。昇温は、昇温脱離分析装置を用いて行ってもよい。また、検出器としては、四重極質量分析計やガスクロマトグラフィを用いることができる。
【0049】
〔III〕統計的処理による小ピークの分離方法
(1)鋼中には転位、粒界、空孔、空孔クラスター、析出物等の水素のトラップサイトがあり、それぞれトラップエネルギーが異なる。よって、切り出した溝底直下部を昇温しながら加熱して水素を放出させると、トラップサイトによって水素が放出される温度が異なるため、複数の小ピークが重複してなる水素放出曲線が得られる。
【0050】
(2)ガウス分布を用いた統計的処理で解析すれば、水素放出曲線を複数の小ピークに分離することができる。
図2に一例を示す。図2のチャートには、昇温脱離分析装置を用いた測定により得られた水素放出曲線と、ガウス分布を用いた統計的処理によって分離した5つの小ピークが描かれている。
(3)未運転の転がり軸受と運転が終了した転がり軸受とで、対応する小ピークをそれぞれ対比し、検出された水素の量が最も増加した小ピークを、常温非拡散性水素の総量を検出した小ピークである評価ピークとする。そして、この評価ピークから常温非拡散性水素の総量の変化量ΔNDHを算出して、疲労進行度の評価及び寿命の予測に用いる。
【0051】
次に、作成したデータベースを用いて、疲労進行度を評価すべき転がり軸受の疲労進行度を評価する。
〔IV〕実機に使用された転がり軸受の疲労進行度の評価
(1)疲労進行度を評価すべき転がり軸受として、市場で実機に使用された転がり軸受(以下「実機軸受」と記す)を用いる。実機軸受の運転条件、すなわち運転時の温度及び運転時の実機軸受の水素環境は、〔I〕で重回帰式を導出したデータベース作成用転がり軸受の運転条件と同一であってもよいし、同一でなくてもよい。
この実機軸受の軌道輪のうち、転動疲労していない部位である肩部を切り出し、前述の方法(〔II〕常温非拡散性水素の測定方法を参照)により常温非拡散水素の量を測定する。なお、軌道輪の肩部の代わりに、軌道輪の軌道溝のうち非負荷圏の部分の溝底直下部を切り出してもよい。
【0052】
(2)ガウス分布を用いた統計的処理(〔III〕統計的処理による小ピークの分離方法を参照)によって、(1)で得られた水素放出曲線を複数の小ピークに分離した後、分離した複数の小ピークの中から、常温非拡散性水素の総量を検出した小ピークである評価ピークを抽出する。
【0053】
(3)実機軸受の軌道輪の肩部(表面から深さ100μmの位置の部分)についてX線分析を行い、X線分析による黒色組織の検出ピークの半価幅を測定する。
(4)実機軸受の軌道輪の軌道溝のうち負荷圏の部分の溝底直下部を切り出し、前述の方法(〔II〕常温非拡散性水素の測定方法を参照)により常温非拡散水素の量を測定する。溝底直下部を切り出す際は、転動体の走行跡の領域のみを切断することが好ましい。
【0054】
(5)上記(2)と同様にして、(4)で得られた水素放出曲線を複数の小ピークに分離した後、分離した複数の小ピークの中から、常温非拡散性水素の総量を検出した小ピークである評価ピークを抽出する。
(6)実機軸受の軌道輪の軌道溝の溝底直下部についてX線分析を行い、X線分析による黒色組織の検出ピークの半価幅を測定する。
【0055】
(7)実機軸受の肩部についての測定結果と溝底直下部についての測定結果とを比較する。そして、評価ピークの大きさの差から、疲労の有無における軌道輪に含有される常温非拡散性水素の総量の変化量ΔNDHを算出し、半価幅の大きさの差から、疲労の有無における軌道輪が有する黒色組織の量の変化量ΔDECを算出する。
(8)〔I〕で導出した重回帰式に、(7)で算出した常温非拡散性水素の総量の変化量ΔNDH及び黒色組織の量の変化量ΔDECを代入して、水素損傷度及び疲労進行度T/L10を算出する。
【0056】
算出された疲労進行度T/L10の数値により、実機軸受の疲労進行度を、L10寿命に対する比率という形で評価することができる。例えば、算出された疲労進行度T/L10の数値が0.3であった場合は、「L10寿命の30%に相当する疲労進行度である」と評価することができる。そして、例えば、疲労進行度T/L10の数値が0.1~0.3であれば白色組織なし、0.4~0.6であれば白色組織の量は少量、0.7~1.0であれば白色組織の量は多量と評価できる。
【0057】
また、算出された疲労進行度T/L10の数値により、実機軸受の残りの寿命を予測することができる。例えば、算出された疲労進行度T/L10の数値が0.3であった場合は、「実機軸受の残りの寿命は、L10寿命の70%である」と予測することができる。さらに、算出された疲労進行度T/L10の数値に実機軸受のL10寿命を掛け合わせれば(乗算)、実機軸受が実際に運転された時間を推算することができる。
図1
図2
図3
図4