(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2023-03-20
(45)【発行日】2023-03-29
(54)【発明の名称】分子モデルの安定構造の作成方法
(51)【国際特許分類】
G16Z 99/00 20190101AFI20230322BHJP
G16C 10/00 20190101ALI20230322BHJP
【FI】
G16Z99/00
G16C10/00
(21)【出願番号】P 2019073702
(22)【出願日】2019-04-08
【審査請求日】2022-02-15
(73)【特許権者】
【識別番号】000183233
【氏名又は名称】住友ゴム工業株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】100104134
【氏名又は名称】住友 慎太郎
(74)【代理人】
【識別番号】100156225
【氏名又は名称】浦 重剛
(74)【代理人】
【識別番号】100168549
【氏名又は名称】苗村 潤
(74)【代理人】
【識別番号】100200403
【氏名又は名称】石原 幸信
(74)【代理人】
【識別番号】100206586
【氏名又は名称】市田 哲
(72)【発明者】
【氏名】尾藤 容正
(72)【発明者】
【氏名】皆川 康久
【審査官】宮地 匡人
(56)【参考文献】
【文献】特開2017-097841(JP,A)
【文献】特開2018-032077(JP,A)
【文献】高橋 英明,[2] QM/MM 法と溶液の理論の融合による凝縮系の化学過程の自由エネルギー計算 (11) 凝縮系の第一原理計算の方法論について,分子シミュレーション研究会会誌 ” アンサンブル”,2010年10月,Vol.12 No.4,pp.8-11
【文献】志賀 基之,[6]電子状態理論の初歩VI,分子シミュレーション研究会会誌 ” アンサンブル”,2013年07月,Vol.15 No.3,pp.207-212
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
G16Z 99/00
G16C 10/00
JSTPlus(JDreamIII)
JST7580(JDreamIII)
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
分子動力学法とONIOM法とを組み合わせて、分子鎖の切断を伴うシミュレーションを行う際に、高分子材料の分子鎖モデルからその一部を取り出して、前記ONIOM法に基づくQM計算に用いられる分子モデルの安定構造を、コンピュータを用いて作成するための方法であって、
前記分子鎖モデルは、隣接する第1原子モデルと第2原子モデルとが結合されており、
前記分子モデルは、前記分子鎖モデルの前記第1原子モデルと前記第2原子モデルとの間で区切られ、かつ、少なくとも前記第1原子モデルを含むように取り出されるものであり、
前記方法は、量子力学計算に基づいて、前記第1原子モデルと前記第2原子モデルとの間の第1結合距離、及び、前記第1原子モデルと水素原子モデルとの間の第2結合距離を求める工程と、
前記第1結合距離及び前記第2結合距離で特定される前記水素原子モデルの位置情報に基づいて、前記水素原子モデルと前記第1原子モデルとを結合した前記安定構造を作成する工程とを含む、
分子モデルの安定構造の作成方法。
【請求項2】
前記位置情報は、下記式(1)で特定される前記水素原子モデルの位置ベクトルr
3で定義される請求項1記載の分子モデルの安定構造の作成方法。
【数1】
ここで、
r
1:第1原子モデルの位置ベクトル
r
2:第2原子モデルの位置ベクトル
r
3:水素原子モデルの位置ベクトル
g:距離パラメータ
L
1:第1原子モデルと第2原子モデルとの間の第1結合距離
L
2:第1原子モデルと水素原子モデルとの間の第2結合距離
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、分子動力学法とONIOM法とを組み合わせて、分子鎖の切断を伴うシミュレーションを行う際に、高分子材料の分子鎖モデルからその一部を取り出して、ONIOM法に基づくQM計算(MODEL:High)に用いられる分子モデルの安定構造を作成するための方法に関する。
【背景技術】
【0002】
近年、計算コストの低いMM計算(分子力学計算)、及び、計算精度の高いQM計算(量子力学計算)を組み合わせて最適解を得るONIOM法が提案されている。このONIOM法を高分子材料に適用する場合、例えば、化学反応に関与しない領域の分子鎖モデルに対してはMM計算(Real:Law)のみが実施される。一方、化学反応に関与する領域(例えば、材料設計上で重要な領域)については、分子鎖モデルからその領域を取り出して、MM計算(MODEL:High)と、QM計算(MODEL:High)とが実施される。そして、これらの計算結果を組み合わせて、分子鎖モデルに反映させることで、計算精度を高めている。
【0003】
ここで、「MM計算(Real:Low)」とは、ONIOM法において、全領域を対象とするMM計算(分子力学計算)を意味している。「MM計算(MODEL:High)」とは、ONIOM法において、全領域から切り出したモデルを対象とするMM計算を意味している。「QM計算(MODEL:High)」とは、ONIOM法において、切り出したモデルを対象とするQM計算(量子力学計算)を意味している。
【0004】
QM計算(MODEL:High)が実施されるのに先立ち、QM計算(MODEL:High)の対象として取り出された分子モデルは、水素原子でキャップされる。キャップとは、QM計算(MODEL:High)の対象の分子モデルの末端に配置されている原子の原子価や混成軌道に応じて、その末端の原子に少なくとも一つの原子を結合することを意味している。このようなキャップにより、取り出された分子モデルを、化学的に安定させることができる。下記非特許文献1は、例えば、隣接する原子Aと原子Bとが結合された分子モデルにおいて、原子Aと原子Bとの間で区切られ、かつ、原子Aを含むように取り出されたQM計算(MODEL:High)の対象に、水素原子を結合するための方法を提案している。
【0005】
下記非特許文献1では、先ず、原子Aと原子Bとの間の標準的な結合長、及び、原子Aと水素原子との間の標準的な結合長に基づいて、水素原子の位置情報が特定されている。そして、下記非特許文献1では、水素原子の位置情報に基づいて、原子Aと水素原子とを結合している。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0006】
【文献】Stefan Dapprich、外4名、"A new ONIOM implementation in Gaussian98. Part I. The calculation of energies, gradients, vibrational frequencies and electric field derivatives"、Journal of Molecular Structure(Theochem)、461-462、1999、p1-21
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
しかしながら、上記非特許文献1に基づいて、例えば、標準的な原子間距離にMM計算やMD計算で使用した力場パラメータ(Dreiding力場のgeometric valence parameter)を用いて、水素原子でキャップした場合、炭素原子(例えば、sp2炭素原子)と水素原子との間の結合安定距離(平衡距離)が、QM計算での結合安定距離と大きく異なる(例えば、10%程度)という問題があった。この結果、QM計算とMM計算とで得られる力の差が大きくなり、ONIOM法を、適切に実行できない場合があった。
【0008】
さらに、上述の標準的な原子間距離が、QM計算(MODEL:High)での結合安定距離より小さくなる場合、QM計算(MODEL:High)において急進な反発力が作用するという問題があった。このような急進な反発力は、水素原子の異常な運動や、分子モデルの崩壊を招く。従って、QM計算(MODEL:High)に使用する分子モデル構造の作成には、さらなる改善の余地があった。
【0009】
本発明は、以上のような実状に鑑み案出されたもので、分子モデルの安定構造を確実に作成することができる方法を提供することを主たる目的としている。
【課題を解決するための手段】
【0010】
本発明は、分子動力学法とONIOM法とを組み合わせて、分子鎖の切断を伴うシミュレーションを行う際に、高分子材料の分子鎖モデルからその一部を取り出して、前記ONIOM法に基づくQM計算に用いられる分子モデルの安定構造を、コンピュータを用いて作成するための方法であって、前記分子鎖モデルは、隣接する第1原子モデルと第2原子モデルとが結合されており、前記分子モデルは、前記分子鎖モデルの前記第1原子モデルと前記第2原子モデルとの間で区切られ、かつ、少なくとも前記第1原子モデルを含むように取り出されるものであり、前記方法は、量子力学計算に基づいて、前記第1原子モデルと前記第2原子モデルとの間の第1結合距離、及び、前記第1原子モデルと水素原子モデルとの間の第2結合距離を求める工程と、前記第1結合距離及び前記第2結合距離で特定される前記水素原子モデルの位置情報に基づいて、前記水素原子モデルと前記第1原子モデルとを結合した前記安定構造を作成する工程とを含むことを特徴とする。
【0011】
本発明に係る前記分子モデルの安定構造の作成方法において、前記位置情報は、下記式(1)で特定される前記水素原子モデルの位置ベクトルr
3で定義されてもよい。
【数1】
ここで、
r
1:第1原子モデルの位置ベクトル
r
2:第2原子モデルの位置ベクトル
r
3:水素原子モデルの位置ベクトル
g:距離パラメータ
L
1:第1原子モデルと第2原子モデルとの間の第1結合距離
L
2:第1原子モデルと水素原子モデルとの間の第2結合距離
【発明の効果】
【0012】
本発明の分子モデルの安定構造の作成方法は、前記第1原子モデルと前記第2原子モデルとの間の第1結合距離、及び、前記第1原子モデルと水素原子モデルとの間の第2結合距離を、ONIOM法に基づくQM計算で同様に行われる量子力学計算によって求められている。このため、前記水素原子モデルと前記第1原子モデルとの間の結合距離が、前記QM計算でのポテンシャルの結合安定距離よりも小さくなるのを防ぐことができる。これにより、本発明の分子モデルの安定構造の作成方法は、前記水素原子モデルと前記第1原子モデルとの間に、急進な反発力が作用することを防ぐことができるため、分子モデルの安定構造を確実に作成することができる。
【図面の簡単な説明】
【0013】
【
図1】本発明の分子モデルの安定構造の作成方法を実行するコンピュータの一例を示す斜視図である。
【
図3】セルに配置された分子鎖モデルの一例を示す概念図である。
【
図5】モース型関数のポテンシャル曲線の一例を示すグラフである。
【
図6】MM計算後の各分子鎖モデルの部分拡大図である。
【
図7】QM計算対象として取り出された分子モデルの一例を示す図である。
【
図8】(a)は、第2原子モデルの位置ベクトルr
2を説明する図、(b)は、水素原子モデルの位置ベクトルr
3を説明する図である。
【
図9】分子モデルの安定構造の作成方法の処理手順の一例を示すフローチャートである。
【
図10】結合距離計算工程の処理手順の一例を示すフローチャートである。
【
図12】炭素原子モデルと硫黄原子モデルとを結合した原子モデル対を代表して示している。
【発明を実施するための形態】
【0014】
以下、本発明の実施の一形態が図面に基づき説明される。
本実施形態の分子モデルの安定構造の作成方法(以下、単に「作成方法」ということがある。)では、分子動力学法とONIOM法とを組み合わせて、分子鎖の切断を伴うシミュレーションを行う際に、高分子材料の分子鎖モデルからその一部を取り出して、ONIOM法に基づくQM計算(MODEL:High)に用いられる分子モデルの安定構造が、コンピュータを用いて作成される。
【0015】
図1は、本発明の分子モデルの安定構造の作成方法を実行するコンピュータの一例を示す斜視図である。コンピュータ1は、本体1a、キーボード1b、マウス1c及びディスプレイ装置1dを含んで構成されている。この本体1aには、例えば、演算処理装置(CPU)、ROM、作業用メモリ、磁気ディスクなどの記憶装置、及び、ディスクドライブ装置1a1、1a2が設けられている。また、記憶装置には、本実施形態の作成方法を実行するための処理手順(プログラム)が予め記憶されている。
【0016】
高分子材料としては、例えば、ゴム、樹脂又はエラストマー等が含まれる。本実施形態の高分子材料は、cis-1,4ポリイソプレン(以下、単に「ポリイソプレン」ということがある。)である場合が例示される。
図2は、ポリイソプレンの構造式である。
【0017】
ポリイソプレンを構成する分子鎖2は、メチン基等(例えば、-CH=、>C=)、メチレン基(-CH2-)、及び、メチル基(-CH3)によって構成されるイソプレンのモノマー(イソプレン分子)3が、重合度nで連結されて構成されている。なお、高分子材料には、ポリイソプレン以外の高分子材料が用いられてもよい。
【0018】
ONIOM法に基づくシミュレーションでは、例えば、高分子材料に基づいて設定された数値計算用の高分子材料モデルが用いられる。高分子材料モデルは、高分子材料の一部に対応する仮想空間であるセルに、分子鎖2(
図2に示す)をモデル化した分子鎖モデルが配置される。
図3は、セル4に配置された分子鎖モデル5の一例を示す概念図である。
図4は、分子鎖モデル5の一例を示す概念図である。
【0019】
図3に示されるように、セル4は、少なくとも互いに向き合う一対の面8、8、本実施形態では、互いに向き合う三対の面8、8を有しており、直方体又は立方体(本実施形態では、立方体)として定義されている。各面8、8には、周期境界条件が定義されている。これにより、セル4は、一方側の面8aと、他方側の面8bとが連続している(繋がっている)ものとして取り扱うことができる。セル4の一辺の各長さL
1は、例えば、分子鎖モデル5の拡がりを示す量である慣性半径(図示省略)の3倍以上に設定されるのが望ましい。また、セル4の大きさは、例えば1気圧で安定な体積に設定される。これにより、セル4は、解析対象の高分子材料の少なくとも一部の体積を定義することができる。
【0020】
図4に示されるように、分子鎖モデル5は、全原子モデルとして構成されている。分子鎖モデル5は、
図3に示したセル4の内部において、少なくとも一つ(例えば、10個~1,000,000個)配置される。分子鎖モデル5は、一つの硫黄原子が架橋されたポリイソプレンとして設定されている。分子鎖モデル5は、複数の原子モデル6と、原子モデル6、6間を結合するボンドモデル7とを含んで構成されている。
【0021】
原子モデル6及びボンドモデル7は、
図2に示した分子鎖2のモノマー3をなす単位構造に基づいて連結される。これにより、モノマーモデル9が設定される。このモノマーモデル9は、分子量(重合度)Mnに基づいて連結される。これにより、分子鎖モデル5が設定される。
【0022】
原子モデル6は、MM計算(分子力学計算)及びQM計算(量子力学計算)に用いられ、原子名(又は、原子番号)、質量、直径、電荷、又は、初期座標などのパラメータが定義される。本実施形態の原子モデル6は、
図2に示した分子鎖2の炭素原子をモデル化した炭素原子モデル6C、水素原子をモデル化した水素原子モデル6H、及び、硫黄原子をモデル化した硫黄原子モデル6Sを含んでいる。
【0023】
ボンドモデル7は、原子モデル6、6間を拘束するものである。本実施形態のボンドモデル7は、主鎖7aと側鎖7bとを含んでいる。主鎖7aは、炭素原子モデル6C、6Cを連結するものである。側鎖7bは、炭素原子モデル6Cと水素原子モデル6Hとの間、炭素原子モデル6Cと硫黄原子モデル6Sとの間、及び、硫黄原子モデル6Sと水素原子モデル6Hとの間を連結するものである。さらに、ボンドモデル7には、一対の原子間の一重結合を定義した一重結合ボンドモデル7Aと、一対の原子間の二重結合を定義した二重結合ボンドモデル7Bとを含んでいる。
【0024】
ボンドモデル7は、隣り合う2つの原子モデル6、6間に、相互作用(斥力及び引力を含む)が生じさせるボンドポテンシャルP1によって定義される。ボンドポテンシャルP1は、例えば、下記式(2)で定義されるモース型関数を用いて定義される。
図5は、モース型関数のポテンシャル曲線10の一例を示すグラフである。
【0025】
【数2】
ここで、各定数及び変数は、次のとおりである。
E:ポテンシャルエネルギー
ForceC、Dlim:フィッティングパラメータ
R:2つの原子モデルの間の距離
R
M:2つの原子モデルの間の平衡距離
なお、上記式(2)の距離R、及び、平衡距離R
Mは、原子モデル6、6の中心6c、6c(
図4に示す)間の距離として定義される。
【0026】
図5のグラフにおいて、モース型関数のポテンシャルエネルギーEは、2つの原子モデル6、6(
図4に示す)の間の距離Rが、平衡距離R
Mよりも小さくなるほど、原子モデル6、6間の斥力(反発力)に起因して大きくなる。また、ポテンシャルエネルギーEは、距離Rが平衡距離R
Mになるときに最小となり、原子モデル6、6間に斥力や引力は作用しない。さらに、ポテンシャルエネルギーEは、距離Rが平衡距離R
Mよりも大きくなると、原子モデル6、6間の引力に起因して大きくなる。このように、モース型関数のポテンシャル曲線10は、距離Rに応じて、原子モデル6、6間の斥力及び引力を定義することができる。本明細書において、「ポテンシャルエネルギーE」は、平衡距離R
Mでの全エネルギーをゼロとした相対エネルギーである。
【0027】
モース型関数のポテンシャル曲線10は、原子モデル6、6間の距離Rが平衡距離RMよりも大きい領域において、ポテンシャルエネルギーの増分が小さくなる変曲点13を有している。変曲点13は、変曲点13よりも距離Rが大きいと予想される領域Ta、及び、変曲点13よりも距離Rが小さいと予想される領域Tbにおいて、ポテンシャル曲線10に近似する一対の直線14a、14bの交点で特定することができる。
【0028】
変曲点13よりも距離Rが小さい領域Tbでは、変曲点13よりも距離Rが大きい領域Taに比べて、モース型関数のポテンシャルエネルギーの増分が大きい。これは、変曲点13よりも距離Rが小さい領域Tbにおいて、
図4に示した原子モデル6、6間の結合が強固に維持されることを示している。一方、変曲点13よりも距離Rが大きい領域Taでは、原子モデル6、6間で切断、又は、結合次数の減少が生じており、ポテンシャルエネルギーの増分が小さくなっている。従って、変曲点13は、原子モデル6、6間の結合と解離との境界点と考えることができる。
【0029】
上記式(2)のフィッティングパラメータForceCは、モース型関数のポテンシャル曲線10において、平衡距離RM近傍の曲率に相当する。また、上記式(2)のフィッティングパラメータDlimは、モース型関数のポテンシャル曲線10において、原子モデル6、6間の結合と解離との境界でのポテンシャルエネルギー(即ち、結合解離エネルギー)に相当する。これらのフィッティングパラメータForceC、Dlimが特定されることにより、ボンドポテンシャルP1を定義することができる。
【0030】
本実施形態では、
図4に示した炭素原子モデル6C、6C間、炭素原子モデル6Cと水素原子モデル6Hとの間、炭素原子モデル6Cと硫黄原子モデル6Sとの間、及び、硫黄原子モデル6Sと水素原子モデル6Hとの間に、それぞれ異なるボンドポテンシャルP1(即ち、それぞれ異なるフィッティングパラメータForceC、Dlim)がそれぞれ定義される。なお、フィッティングパラメータForceC、Dlimは、従来の方法に基づいて、適宜設定することができる。
【0031】
図3に示されるように、隣接する分子鎖モデル5において、ボンドモデル7を介さずに隣り合う原子モデル6、6間には、ポテンシャルP2が定義される。本実施形態のポテンシャルP2は、下記式(3)で定義されるLJポテンシャルU
LJ(r
ij)である。
【0032】
【数3】
ここで、各定数及び変数は、Lennard-Jones ポテンシャルのパラメータであり、次のとおりである。
r
ij:原子モデル間の距離
ε:原子モデル間に定義されるLJポテンシャルの強度
σ:原子モデルの直径に相当
なお、距離r
ijは、各原子モデル6、6の中心6c、6c(
図4に示す)間の距離として定義される。
【0033】
本実施形態では、炭素原子モデル6C、6C(
図4に示す)間、硫黄原子モデル6S、6S(
図4に示す)間、炭素原子モデル6Cと硫黄原子モデル6Sとの間、炭素原子モデル6Cと水素原子モデル6Hとの間、及び、硫黄原子モデル6Sと水素原子モデル6Hとの間に、それぞれ異なるポテンシャルP2が設定されている。各ポテンシャルP2は、上記式(3)の定数がそれぞれ異なっている。なお、各定数は、例えば、論文(S. L. Mayo, B. D. Olafson & W. A. Goddard III 著、「DREIDING: A Generic Force Field for Molecular Simulations」、J. Phys. Chem. 1990, 94, 8897)に基づいて、適宜設定することができる。
【0034】
このような分子鎖モデル5が配置されたセル4について、分子力学計算(MM計算)や分子動力学計算に基づく構造緩和が計算されることにより、高分子材料モデル16が設定される。分子動力学計算では、例えば、セル4について所定の時間、分子鎖モデル5が古典力学に従うものとして、ニュートンの運動方程式が適用される。そして、各時刻での原子モデル6の動きが、単位時間ステップ毎に追跡される。このような構造緩和の計算は、例えばソフトマテリアル総合シミュレーター(OCTA)に含まれるCOGNACを用いて処理することができる。
【0035】
例えば、分子動力学計算では、セル4において、圧力及び温度が一定、又は体積及び温度が一定に保たれる。また、分子動力学計算では、分子鎖モデル5の人為的な初期配置が十分に排除されたとみなせるまで行われる。これにより、実際の高分子材料の分子運動に近似させて、分子鎖モデル5の初期配置を精度よく緩和することができる。
【0036】
本実施形態の分子動力学法とONIOM法とを組み合わせたシミュレーションでは、高分子材料モデル16を一軸方向(例えば、Z軸方向)に伸長させて、分子鎖モデル5の切断を計算する伸長シミュレーションが実施される。伸長シミュレーションでは、ONIOM法に基づくMM計算(MODEL:High)及びQM計算(MODEL:High)の有無にかかわらず、シミュレーションの単位時間ステップ毎に、高分子材料モデル16の伸長と、MM計算(Real:Low)に基づく時間発展(MD計算)が計算される。
【0037】
MM計算(Real:Low)では、高分子材料モデル16の全体領域を対象として、上述のボンドポテンシャルP1(
図4に示す)及びポテンシャルP2(
図3に示す)を用いた分子力学計算が実施される。MM計算(Real:Low)は、分子動力学計算と同様の上記ソフトウェアによって計算されうる。
【0038】
QM計算(MODEL:High)及びMM計算(MODEL:High)では、分子鎖モデル5のうち、原子モデル6、6間で切断しそうな部分(即ち、計算の重要度が高い部分)のみが取り出されたQM計算対象の分子モデルに対して実施される。原子モデル6、6間で切断しそうな部分としては、例えば、ボンドモデル7を介して隣り合う原子モデル6、6間の距離R(
図4に示す)が、予め定められた第1距離Raよりも大きい部分として定義される。第1距離Raは、
図5に示したモース型関数のポテンシャル曲線10において、平衡距離R
Mよりも大、かつ、変曲点13での距離Rpよりも小に設定されている。上述したように、変曲点13は、原子モデル6、6間の結合と解離との境界点と考えることができる。従って、第1距離Raよりも大きく離間した原子モデル6、6間において、切断する可能性が高いと考えることができる。
【0039】
QM計算(MODEL:High)は、分子鎖モデル5(分子モデル20)について、原子モデル6の電子状態が計算される。QM計算(MODEL:High)では、QM計算に使用する理論に基づいて、分子鎖モデル5の原子モデル6、6間に、基底関数を定義した上で計算する。本実施形態で定義される理論としては、例えば、密度汎関数法(汎関数:B3LYP)が定義される。また、本実施形態の基底関数としては、例えば、基底関数(6-31G(d))が定義される。QM計算は、Gaussian社製の量子化学計算プログラムGaussian03、又は、Gaussian09を用いて処理することができる。
【0040】
MM計算(Real:Low)と、QM計算(MODEL:High)及びMM計算(MODEL:High)との結果から、ONIOM法に基づいて、原子モデル6に作用する力が計算される。この原子モデル6に作用する力を用いて、原子モデル6に作用する加速度が求められる。これにより、単位時間ステップ後の原子モデル6の座標を計算することができる。次に、この計算結果に、伸長による移動量を加算した値が、分子鎖モデルに反映される(MD計算)。そして、ボンドモデル7を介して隣り合う原子モデル6、6間の距離R(
図4に示す)が、予め定められた第2距離Rbよりも大きい部分で切断が定義される。第2距離Rbは、
図5に示したモース型関数のポテンシャル曲線10において、第1距離Raよりも大、かつ、変曲点(原子モデル6、6間の結合と解離との境界点)13での距離Rp以上に設定されている。このようなONIOM法に基づくシミュレーションは、高分子材料モデル16の全体領域を対象にQM計算を実施する場合に比べて、計算時間を大幅に短縮することができる。このようなMM計算(Real:Low)、QM計算(MODEL:High)及びMD計算(MODEL:High)に基づく計算が、単位時間ステップ毎に繰り返し行われることで、予め定められた長さ(上限値)まで伸長した高分子材料モデル16が計算される。
【0041】
図6は、MM計算(Real:Low)後の各分子鎖モデル5の一例を示す部分拡大図である。
図7は、QM計算(MODEL:High)対象として取り出された分子モデル20の一例を示す図である。なお、
図7では、複数の分子モデル20が取り出された例を示している。
図6に示されるように、本実施形態の作成方法では、MM計算(Real:Low)後の各分子鎖モデル5において、第1原子モデル11と、第1原子モデル11に隣接して結合されている第2原子モデル12との間で区切られ(一点鎖線で示す)、かつ、少なくとも第1原子モデル11、11を含むように、QM計算(MODEL:High)対象としての分子モデル20が取り出される。そして、本実施形態の作成方法ではQM計算(MODEL:High)及びMM計算(MODEL:High)が実施されるのに先立ち、
図7に示されるように、分子モデル20の第1原子モデル11に、水素原子モデル6Hでキャップして、分子モデル20の安定構造(ラジカルを中和した構造)を作成している。
【0042】
本実施形態において、第1原子モデル11は、
図6に示されるように、ボンドモデル7を介して隣り合う切断しそうな(即ち、距離Rが第1距離Ra(
図5に示す)よりも大きい)一対の原子モデル6、6である場合が例示される。また、第2原子モデル12は、ボンドモデル7の主鎖7aを介して、第1原子モデル11に結合されている原子モデル6である。
【0043】
上述したように、キャップとは、
図7に示されるように、QM計算(MODEL:High)対象として取り出された分子モデル20の末端に配置されている原子モデル6(第1原子モデル11)の原子価や混成軌道に応じて、その末端の原子モデル6に少なくとも一つの水素原子モデル6Hを結合することを意味している。このような水素原子モデル6Hの結合には、セル4での水素原子モデル6Hの位置情報(位置ベクトル)が予め特定されている必要がある。水素原子モデルの位置情報(位置ベクトルr
3)は、上記非特許文献1に記載されているように、下記式(1)で定義される。
図8(a)は、第2原子モデル12の位置ベクトルr
2を説明する図である。
図8(b)は、水素原子モデルの位置ベクトルr
3を説明する図である。
【0044】
【数1】
ここで、
r
1:第1原子モデルの位置ベクトル
r
2:第2原子モデルの位置ベクトル
r
3:水素原子モデルの位置ベクトル
g:距離パラメータ
L
1:第1原子モデルと第2原子モデルとの間の第1結合距離
L
2:第1原子モデルと水素原子モデルとの間の第2結合距離
【0045】
図8(a)に示されるように、第2原子モデル12の位置ベクトルr
2は、例えば、原点Poを基準として、第1原子モデル11の位置ベクトルr
1に、第2原子モデルの第1原子モデル11に対する相対ベクトル(r
2-r
1)を加えることで定義することができる(即ち、r
2=r
1+(r
2-r
1))。
図8(b)に示されるように、上記式(1)では、相対ベクトル(r
2-r
1)に、距離パラメータgを乗じることで、第2原子モデル12の位置ベクトルr
2(
図8(a)に示す)を、水素原子モデル6Hの位置ベクトルr
3に変換している。従って、距離パラメータgは、水素原子モデル6Hの位置ベクトルr
3に大きく影響する。
【0046】
距離パラメータgは、上記式(1)に示されるように、第1原子モデル11と水素原子モデル6Hとの間の第2結合距離L2(図示省略)を、第1原子モデル11と第2原子モデル12との間の第1結合距離L1(図示省略)で除することで求められる。上記非特許文献1において、第1結合距離L1は、第1原子モデル11と第2原子モデル12との間の標準的な結合長に基づいて求められている。また、第2結合距離L2は、第1原子モデル11と水素原子モデル6Hとの間の標準的な結合長に基づいて求められている。ここで、標準的な結合長は、結合に関与する原子と、その結合の種類とを揃えて、実験的に求められた結合長の平均値として扱うことができる。これは、化学結合に関与する原子と、その結合の種類が同じであれば、分子構造が異なっていても、結合長は近似することに基づいている。
【0047】
発明者らは、鋭意研究を重ねた結果、標準的な結合長にMM計算やMD計算で使用した力場パラメータの値を使用し、この標準的な結合長から求められた第1結合距離L
1及び第2結合距離L
2を用いて、水素原子モデル6Hの位置情報(位置ベクトルr
3)が特定されると、
図7に示した第1原子モデル11と水素原子モデル6Hとの間の結合距離(距離R)が、QM計算(MODEL:High)で定義される第1原子モデル11と水素原子モデル6Hとの間のポテンシャルの結合安定距離(平衡距離)よりも小さくなる場合があることを知見した。このような場合、QM計算(MODEL:High)では、第1原子モデル11と水素原子モデル6Hとの間に急進な反発力が作用し、水素原子の異常な運動や、分子モデルの崩壊を招くという問題がある。
【0048】
本実施形態の作成方法では、量子力学計算(ONIOM法に基づくQM計算(MODEL:High)とは独立したQM計算)で求められる第1結合距離L
1及び第2結合距離L
2を用いて、水素原子モデル6Hの位置情報(位置ベクトルr
3(
図8(b)に示す))を特定している。
図9は、作成方法の処理手順の一例を示すフローチャートである。
【0049】
本実施形態の作成方法では、先ず、コンピュータ1が、
図6に示されるように、MM計算(Real:Low)後の高分子材料モデル16の各分子鎖モデル5から、QM計算(Model:High)対象としての分子モデル20を取り出す(工程S1)。本実施形態の工程S1では、先ず、MM計算(Real:Low)後の高分子材料モデル16の各分子鎖モデル5において、ボンドモデル7を介して隣り合う原子モデル6、6間の距離Rが、第1距離Ra(
図5に示す)よりも大きい原子モデル6、6が、第1原子モデル11、11として特定される。
【0050】
次に、工程S1では、各第1原子モデル11、11について、第1原子モデル11と隣接して結合されている第2原子モデル12が特定される。そして、工程S1では、第1原子モデル11と第2原子モデル12との間で区切られ、かつ、少なくとも第1原子モデル11、11(本実施形態では、第1原子モデル11、11)を含むように、QM計算(Model:High)対象としての分子モデル20が取り出される。分子モデル20は、コンピュータ1に記憶される。
【0051】
次に、本実施形態の作成方法では、コンピュータ1が、第1原子モデル11と第2原子モデル12との間の第1結合距離L
1、及び、第1原子モデル11と水素原子モデル6Hとの間の第2結合距離L
2を求める(結合距離計算工程S2)。本実施形態の結合距離計算工程S2は、量子力学計算(QM計算)に基づいて、第1結合距離L
1及び第2結合距離L
2が求められる。
図10は、結合距離計算工程S2の処理手順の一例を示すフローチャートである。
【0052】
本実施形態の結合距離計算工程S2では、先ず、量子力学計算(QM計算)に基づいて、第1原子モデル11と第2原子モデル12との間の第1結合距離L
1が求められる(工程S21)。本実施形態の工程S21では、作成方法の実施に先立ち、量子力学計算(QM計算)で予め求められた第1結合距離群が用いられる。
図11は、第1結合距離群25の一例を示す図である。
【0053】
第1結合距離群25は、分子鎖モデル5を構成する原子モデル6のうち、第1原子モデル11及び第2原子モデル12となる可能性がある一対の原子モデル6、6(以下、単に、「原子モデル対」ということがある。)毎に計算された結合距離によって構成されている。本実施形態の結合距離は、量子力学計算(QM計算)によって求められる一対の原子モデル6、6間の平衡距離(結合安定距離)である。また、本実施形態の第1結合距離群25を構成する原子モデル対は、水素原子モデル6Hを除く全ての原子モデル(本実施形態では、炭素原子モデル6C及び硫黄原子モデル6S)の組み合わせによって定義されている。
【0054】
本実施形態の第1結合距離群25には、一対の炭素原子モデル6C、6Cを結合した原子モデル対、及び、炭素原子モデル6Cと硫黄原子モデル6Sとを結合した原子モデル対が含まれる。
【0055】
一対の炭素原子モデル6C、6Cの原子モデル対には、一重結合(即ち、sp
3混成軌道)の炭素原子モデル6C、6C同士を結合した原子モデル対(
図11において、Csp
3-Csp
3)、一重結合の炭素原子モデル6Cと、二重結合(即ち、sp
2混成軌道)の炭素原子モデル6Cとを結合した原子モデル対(
図11において、Csp
3-Csp
2)、及び、二重結合の炭素原子モデル6C、6C同士を結合した原子モデル対(
図11において、Csp
2-Csp
2)が含まれる。
【0056】
炭素原子モデル6C及び硫黄原子モデル6Sの原子モデル対には、一重結合(即ち、sp
3混成結合)の炭素原子モデル6Cと、一重結合の硫黄原子モデル6Sとを結合した原子モデル対(
図11において、Csp
3-Ssp
3)が含まれる。
図12は、炭素原子モデル6Cと硫黄原子モデル6Sとを結合した原子モデル対17を代表して示している。
【0057】
図12に示されるように、各原子モデル6には、原子モデル6でモデル化された原子の原子価(例えば、硫黄原子の場合:2)から、原子モデル6の結合数(本実施形態では、1)を減じた数の水素原子モデル6H(例えば、1個)が、ボンドモデル7を介して連結される。これにより、
図12に示した原子モデル対17は、メタンチオールとして設定される。このような原子モデル対17は、量子力学計算(QM計算)において、安定した構造(ラジカルが中和した構造)を維持することができる。
【0058】
各原子モデル対17の結合距離を、量子力学計算(QM計算)を用いた構造最適化で求めるために、使用する理論に基づいて、各原子モデル対17の原子モデル6、6に基底関数が定義される。理論及び基底関数については、上述のとおりである。そして、各原子モデル対17について、量子力学計算が実施される。
【0059】
量子力学計算(QM計算)を用いた構造最適化では、上記理論及び基底関数に基づいて求めた電子状態から原子に作用する力を求め、その力がゼロとなる構造を探索する。その結果、原子核と電子とに基づく相互作用のバランスによって、原子モデル対17毎に、一対の原子モデル6、6間の平衡距離(結合安定距離)r
0が求められる。これらの平衡距離r
0は、
図11に示した各原子モデル対の結合距離として求められ、第1結合距離群25が求められる。第1結合距離群25は、コンピュータ1に記憶される。
【0060】
本実施形態の工程S21では、先ず、
図6に示されるように、工程S1で特定された全ての第1原子モデル11及び第2原子モデル12について、
図11に示した第1結合距離群25の複数の原子モデル対17のうち、第1原子モデル11及び第2原子モデル12と一致する原子モデル対17の結合距離(本例では、Csp
3-Csp
2の「1.5046Å」)が特定される。そして、工程S21では、特定された原子モデル対17の結合距離を、第1原子モデル11と第2原子モデル12との間の第1結合距離L
1としてそれぞれ特定される。第1結合距離L
1は、コンピュータ1に記憶される。
【0061】
次に、本実施形態の結合距離計算工程S2では、量子力学計算(QM計算)を用いた構造最適化に基づいて、第1原子モデル11と水素原子モデル6Hとの間の第2結合距離L
2が求められる(工程S22)。本実施形態の工程S22では、作成方法の実施に先立ち、量子力学計算(QM計算)を用いた構造最適化で予め求められた第2結合距離群が用いられる。
図13は、第2結合距離群26の一例を示す図である。
【0062】
第1結合距離群25は、分子鎖モデル5を構成する原子モデル6のうち、第1原子モデル11となりうる全ての原子モデル(本実施形態では、炭素原子モデル6C及び硫黄原子モデル6S)と、水素原子モデル6Hとを組み合わせた一対の原子モデル6、6(原子モデル対)毎に計算された結合距離によって構成されている。また、本実施形態の第2結合距離L2は、量子力学計算(QM計算)を用いた構造最適化によって求められる第1原子モデル11及び水素原子モデル6Hの間の平衡距離(結合安定距離)である。
【0063】
本実施形態の第2結合距離群26には、炭素原子モデル6Cと水素原子モデル6Hとを結合した原子モデル対、及び、硫黄原子モデル6Sと水素原子モデル6Hとを結合した原子モデル対が含まれる。
【0064】
炭素原子モデル6C及び水素原子モデル6Hの原子モデル対には、一重結合(即ち、sp
3混成軌道)の炭素原子モデル6Cと水素原子モデル6Hとを結合した原子モデル対(
図13において、Csp
3-H)、及び、二重結合(即ち、sp
2混成軌道)の炭素原子モデル6Cと水素原子モデル6Hとを結合した原子モデル対(
図13において、Csp
2-H)が含まれる。一方、硫黄原子モデル6S及び水素原子モデル6Hの原子モデル対には、一重結合(即ち、sp
3混成軌道)の炭素原子モデル6Cと水素原子モデル6Hとを結合した原子モデル対(
図13において、Ssp
3-H)が含まれる。
【0065】
各原子モデル6には、工程S21と同様に、原子価(混成軌道)に応じて、
図12に示した水素原子モデル6Hがボンドモデル7を介して連結される。さらに、各原子モデル対17の原子モデル6、6間には、工程S21と同様に、量子力学計算(QM計算)に使用する理論及び基底関数が定義される。そして、各原子モデル対17ついて、量子力学計算(QM計算)が実施されることにより、一対の原子モデル6、6間の平衡距離(結合安定距離)r
0が求められる。これらの平衡距離r
0は、
図13に示した各原子モデル対の結合距離として求められ、第2結合距離群26が求められる。第2結合距離群26は、コンピュータ1に記憶される。
【0066】
工程S22では、先ず、
図6に示されるように、工程S1で特定された全ての第1原子モデル11について、
図13に示した第2結合距離群26の複数の原子モデル対17のうち、第1原子モデル11及び水素原子モデル6Hと一致する原子モデル対17の結合距離(本例では、Csp
3-Hの「1.0942Å」)が特定される。そして、工程S22では、特定された原子モデル対17の結合距離を、第1原子モデル11と水素原子モデル6Hとの間の第2結合距離L
2として特定される。第2結合距離L
2は、コンピュータ1に記憶される。
【0067】
このように、本実施形態の結合距離計算工程S2では、予め求められた第1結合距離群25(
図11に示す)及び第2結合距離群26(
図13に示す)を用いて、第1原子モデル11と第2原子モデル12との間の第1結合距離L
1、及び、第1原子モデル11と水素原子モデル6Hとの間の第2結合距離L
2が求められる。このため、結合距離計算工程S2では、MM計算(Model:High)及びQM計算(Model:High)が行われるシミュレーションの単位時間ステップ毎に、第1結合距離L
1及び第2結合距離L
2を求めるための量子力学計算(QM計算)を行う必要がない。従って、本実施形態の作成方法は、計算時間を短縮することができる。なお、第1結合距離L
1及び第2結合距離L
2は、単位時間ステップ毎に求められても良いのは、言うまでもない。
【0068】
次に、本実施形態の作成方法では、コンピュータ1が、第1結合距離L1及び第2結合距離L2で特定される水素原子モデル6Hの位置情報に基づいて、水素原子モデルと第1原子モデルとを結合した分子モデル20の安定構造を作成する(工程S3)。
【0069】
工程S3では、先ず、上記式(1)、結合距離計算工程S2で求められた第1結合距離L
1及び第2結合距離L
2を用いて、
図8(b)に示されるように、水素原子モデル6Hの位置情報(位置ベクトルr
3)が特定される。位置ベクトルr
3は、
図7に示した各第1原子モデル11について、キャップされる水素原子モデル6H毎に求められる。なお、一つの第1原子モデル11にキャップされる水素原子モデル6Hが複数存在する場合も同様に、上記式(1)、結合距離計算工程S2で求められた第1結合距離L
1及び第2結合距離L
2をそれぞれ用いて、各水素原子モデル6Hの位置ベクトルr
3がそれぞれ求められる。
【0070】
次に、工程S3では、水素原子モデル6Hの位置情報(位置ベクトルr3)に基づいて、水素原子モデル6Hがそれぞれ配置される。そして、工程S3では、水素原子モデル6Hと、分子モデル20の第1原子モデル11とをボンドモデル7を介して結合して、分子モデル20の安定構造が求められる。分子モデル20の安定構造は、コンピュータ1に記憶される。この分子モデル20の安定構造は、ONIOM法に基づくQM計算(Model:High)及びMM計算(Model:High)に用いられる。
【0071】
上述したように、上記式(1)に代入される第1結合距離L1及び第2結合距離L2は、QM計算(Model:High)と同一の理論、及び、基底関数で求められている。しかも、本実施形態の第1結合距離L1及び第2結合距離L2は、同様の量子力学計算(QM計算)を用いた構造最適化によって求められる平衡距離(結合安定距離)r0である。このような第1結合距離L1及び第2結合距離L2は、分子動力学法(MD)の力場パラメータに基づいて求められる場合に比べて、QM計算(Model:High)での平衡距離(結合安定距離)に近似しうる。これにより、水素原子モデル6Hと第1原子モデル11との間の結合距離が、QM計算でのポテンシャルの結合安定距離(図示省略)よりも小さくなるのを防ぐことができる。従って、本実施形態の作成方法は、QM計算において、水素原子モデル6Hと第1原子モデル11との間に、急進な反発力が作用することを防ぐことができる。これにより、本実施形態の作成方法は、適切な分子モデル20の安定構造を確実に作成することができ、ONIOM法と分子動力学法(MD)を組み合わせた安定したシミュレーションが可能となるため、高分子材料の解析、開発及び製造に役立つ。
【0072】
これまでの実施形態では、
図6に示されるように、第1原子モデル11が、ボンドモデル7を介して隣り合う切断しそうな(即ち、距離Rが第1距離Ra(
図5に示す)よりも大きい)一対の原子モデル6、6である場合が例示されたが、このような態様に限定されない。
図14は、分子鎖モデル5の一部を示す概念図である。なお、この実施形態において、前実施形態と同一の構成については、同一の符号を付し、説明を省略することがある。
【0073】
図2に示した分子鎖2は、切断される原子(切断で生じるラジカル)の近傍に二重結合を有する場合、二重結合と共鳴安定化することで、結合解離エネルギーが低下することが知られている。このようなラジカルの共鳴安定構造を考慮するために、
図14に示されるように、切断しそうな(即ち、距離Rが第1距離Ra(
図5に示す)よりも大きい)一対の原子モデル6、6(以下、単に「切断対象原子モデル21、21」ということがある。)と、ボンドモデル7を介して隣り合う原子モデル6が含まれるように、第1原子モデル11が特定されてもよい。これにより、QM計算(Model:High)対象として取り出された分子モデル20には、切断対象原子モデル21、21だけでなく、切断対象原子モデル21に隣接する他の原子モデル6が含まれる。このような分子モデル20を用いたQM計算(Model:High)では、切断対象原子モデル21、21だけでなく、他の原子モデル6の影響を考慮した精度の高い計算を実施することができる。
【0074】
以上、本発明の特に好ましい実施形態について詳述したが、本発明は図示の実施形態に限定されることなく、種々の態様に変形して実施しうる。
【実施例】
【0075】
図9に示した処理手順に基づいて、MM計算(Real:Low)後の高分子材料の分子鎖モデルから、ONIOM法に基づくQM計算(Model:High)対象として取り出した分子モデルの安定構造が作成された(実施例、及び、比較例)。
【0076】
実施例の結合距離計算工程では、
図10に示されるように、量子力学計算(QM計算)に基づいて、第1原子モデルと第2原子モデルとの間の第1結合距離、及び、第1原子モデルと原子モデルとの間の第2結合距離が求められた。一方、比較例の結合距離計算工程では、力場パラメータに基づいて、第1原子モデルと第2原子モデルとの間の第1結合距離、及び、第1原子モデルと水素原子モデルとの間の第2結合距離が求められた。
【0077】
実施例及び比較例で作成された分子モデルの安定構造を用いて、ONIOM法に基づくQM計算が実施された。共通仕様は、次のとおりである。
コンピュータ:SGI社製のワークステーション
CPU:12コア
メモリ:64GB
高分子材料モデル:
セルの1辺の長さL1:2.3nm
分子鎖モデルの個数:1個
分子鎖モデル:
ポリイソプレン(イソプレン分子:100重合)に硫黄(1原子)を架橋
粒子モデル(原子)の個数:1301個
変曲点での距離Rp:3.09Å
第1距離Ra:2.69Å
第2距離Rb:3.35Å
伸長シミュレーション:
伸長方向:一軸方向(Z軸方向)
伸長速度Va:250m/sec
セルの変形率の上限:1100%
【0078】
テストの結果、比較例は、10回のシミュレーションのうち、5回のシミュレーションにおいて、第1原子モデルと水素原子モデルとの間に急進な反発力が作用して、計算が異常終了した。一方、実施例では、10回のシミュレーションの全てにおいて、計算が正常終了した。従って、実施例は、比較例に比べて、分子モデルの安定構造を確実に作成することができた。
【符号の説明】
【0079】
S2 第1結合距離及び第2結合距離を求める工程
S3 安定構造を作成する工程