(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2023-04-17
(45)【発行日】2023-04-25
(54)【発明の名称】角層解析方法
(51)【国際特許分類】
G01N 21/3563 20140101AFI20230418BHJP
G01N 21/552 20140101ALI20230418BHJP
A61B 5/00 20060101ALI20230418BHJP
G01N 33/483 20060101ALI20230418BHJP
G01N 33/50 20060101ALI20230418BHJP
G01N 33/68 20060101ALI20230418BHJP
【FI】
G01N21/3563
G01N21/552
A61B5/00 M
G01N33/483 C
G01N33/50 Q
G01N33/68
(21)【出願番号】P 2019101477
(22)【出願日】2019-05-30
【審査請求日】2022-03-22
(73)【特許権者】
【識別番号】000000918
【氏名又は名称】花王株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】110000084
【氏名又は名称】弁理士法人アルガ特許事務所
(72)【発明者】
【氏名】清水 教男
(72)【発明者】
【氏名】内藤 智
(72)【発明者】
【氏名】吉田 健一郎
(72)【発明者】
【氏名】棚橋 昌則
【審査官】越柴 洋哉
(56)【参考文献】
【文献】特開2018-105783(JP,A)
【文献】特表2010-523970(JP,A)
【文献】特開2013-044525(JP,A)
【文献】特開2009-210567(JP,A)
【文献】特開2012-052957(JP,A)
【文献】米国特許出願公開第2018/0035941(US,A1)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
G01N 21/17 - G01N 21/61
G01N 33/48 - G01N 33/98
A61B 5/00 - A61B 5/01
JSTPlus/JMEDPlus/JST7580(JDreamIII)
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
シリコーン粘着層を有するテープの粘着面に角層を付着させ、該テープの粘着面をATR-IR測定して得られる赤外吸収スペクトルと、シリコーン粘着層を有する未使用のテープの粘着面をATR-IR測定して得られる赤外吸収スペクトルを取得し、両者の差スペクトルから角層のスペクトルを取得する角層の赤外吸収スペクトルの測定法であって、
角層の赤外吸収スペクトルにおける3000~4000cm
-1
の吸収帯のピークに対して下記式1で示される近似式を適用して係数q、rを算出し、該角層の赤外吸収スペクトル全波数域における水の信号の寄与分を見積り、
これを該角層の赤外吸収スペクトルより差し引くことによりスペクトルを取得する、方法。
S
SC
(ω)=qS
SC-Dry
(ω)+rS
Water
(ω) (式1)
〔式中、S
SC
(ω)は角層の赤外吸収スペクトル、S
SC-Dry
(ω)は完全に乾燥した角層の赤外吸収スペクトル、S
Water
(ω)は水の赤外吸収スペクトルを示し、q及びrは係数、ωは波数を示す。〕
【請求項2】
角層剥離テープの粘着面をATR-IR測定して得られる赤外吸収スペクトルと、シリコーン粘着層を有する未使用のテープの粘着面をATR-IR測定して得られる赤外吸収スペクトルの差スペクトルの作成が、シリコーン粘着層に由来する主要な吸収帯である、1260cm
-1付近の吸収帯または1000~1100cm
-1付近の吸収帯の、いずれか、または両方に由来するピーク強度が一致するように、いずれかの赤外吸収スペクトルを定数倍してから差し引いて行う、請求項1記載の方法。
【請求項3】
請求項1
又は2に記載の方法によって得られた角層の赤外吸収スペクトルの、各ピークの信号強度及びピーク形状から、角層を構成する成分、角層の性状、角層表面の付着物の量及び角層の化学状態の変化のいずれか1以上を評価する角層評価方法。
【請求項4】
アミドIに由来する吸収帯のピーク形状から、角層蛋白質の組成変化及び角層の性状を評価することを特徴とする、請求項
3記載の方法。
【請求項5】
アミドIに由来する吸収帯のピークからαヘリックスとランダムコイルが重畳したピーク及びβシートのピークを分割して両ピークの面積比(α/β値)を求める、請求項
4記載の方法。
【請求項6】
メチレン基の変角振動の吸収帯のピーク形状から、角層細胞間脂質のパッキンッグ性及び角層の性状を評価することを特徴とする、請求項
3記載の方法。
【請求項7】
アルキル鎖の伸縮振動の吸収帯のピーク位置から、角層細胞間脂質のパッキンッグ性及び角層の性状を評価することを特徴とする、請求項
3記載の方法。
【請求項8】
解離したカルボキシ基の吸収帯の信号強度から、角層中の天然保湿因子(NMF)量及び角層の性状を評価することを特徴とする、請求項
3記載の方法。
【請求項9】
角層付着物に特徴的な吸収帯のピーク面積から、角層表面の付着物の量を評価することを特徴とする、請求項
3記載の方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、角層の角化状態、角層蛋白質の組成変化、角層細胞間脂質の量、角層細胞間脂質のパッキング性、角層の天然保湿因子(NMF)の量、角層組成、角層付着物を評価する方法に関する。
【背景技術】
【0002】
皮膚の最表層を構成する組織を角層と呼ぶ。肌荒れや乾燥等の肌状態の違いによって、角層を構成する成分の量及び化学状態が異なることが知られている。また角層は多くのスキンケア剤や化粧料の主たる作用部位であるため、角層構成成分、角層付着物の量及び角層状態の変化を把握することは、肌状態の把握やスキンケア効果の検証等に有用である。
【0003】
皮膚上の角層表層における角層構成成分を解析する方法として、例えば皮膚にプローブを押しあて、全反射赤外吸収法(ATR-IR法)によって角層の赤外吸収スペクトルを測定し、得られたスペクトルのアミドI吸収帯のピーク形状の違いに基づいて、蛋白質の二次構造の違いを評価する方法が知られている(特許文献1)。しかしながら、斯かる方法では、アミドIの吸収帯には水のOH変角振動の吸収帯が重畳するため、アミドIのピーク形状の比較は水分量が同程度の皮膚同士で行う必要がある。
【0004】
また、シリコーン系粘着層を有する粘着テープで皮膚表面の角層細胞を剥離し、該粘着面の赤外吸収スペクトルを測定する方法も知られている(特許文献2)。この技術は、角層細胞剥離後の該粘着テープの粘着面の赤外吸収スペクトルより、角層細胞剥離前の該粘着テープの粘着面の赤外吸収スペクトルを、係数を乗じたのちに差し引き、剥離角層に相当するスペクトル成分(以下、「剥離角層赤外吸収スペクトル」とも称す。)を算出することで、角層表層における角層構成成分及び角層付着物に関する化学情報を取得するものである。この技術によれば、皮膚内部からの水の供給が無い状況で赤外吸収スペクトルを取得できるため、皮膚表面を直接ATR-IR測定する場合と比べて、生体由来の水分の変動の影響を受けずにアミドI吸収帯の変化、例えば、角層性状の指標となるαヘリックスとランダムコイルが重畳したピークとβシートのピークの面積比(α/β値)を取得できるという特長がある。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0005】
【文献】特許第5756370号公報
【文献】特開2018-105783号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
本発明は、角層細胞剥離後の粘着テープから角層の赤外吸収スペクトルを安定して再現性良く取得する方法を提供することに関する。
【課題を解決するための手段】
【0007】
本発明者らは、角層細胞剥離後の粘着テープの粘着面の赤外吸収スペクトルから、角層状態をより正確に分析するための方法を検討する過程で、環境湿度に応じて測定値が変動することを発見した。具体的には、アミドI吸収帯のピークから求められるα/β値が測定環境湿度と負に相関し(
図4参照)、これを用いた角層状態の評価が測定環境湿度の影響を受ける可能性があることを見出した。そして、剥離角層赤外吸収スペクトルの3000~4000cm
-1の領域のスペクトル形状に基づいて、当該赤外吸収スペクトル全波数域のスペクトルにおける水由来の信号成分を見積り、当該角層赤外吸収スペクトルより水の信号の寄与成分を取り除くことによって、完全に乾燥させた状態に補正することにより、剥離角層赤外吸収スペクトルを正確に取得することができ、これを用いて角層状態を安定して再現性良く評価することに成功した。
【0008】
すなわち、本発明は、以下の1)~2)に係るものである。
1)シリコーン粘着層を有するテープの粘着面に角層を付着させ、該テープの粘着面をATR-IR測定して得られる赤外吸収スペクトルと、シリコーン粘着層を有する未使用のテープの粘着面をATR-IR測定して得られる赤外吸収スペクトルを取得し、両者の差スペクトルから角層のスペクトルを取得する角層の赤外吸収スペクトルの測定法であって、角層の赤外吸収スペクトルの3000~4000cm-1の領域における水の信号の推定寄与分より、角層の赤外吸収スペクトル全波数域における水の信号の推定寄与分を算出し、該角層の赤外吸収スペクトルより差し引くことによりスペクトルを取得する、方法。
2)1)の方法によって得られた角層の赤外吸収スペクトルの、各ピークの信号強度及びピーク形状から、角層を構成する成分、角層の性状、角層表面の付着物の量及び角層の化学状態の変化のいずれか1以上を評価する角層評価方法。
【発明の効果】
【0009】
本発明によれば、測定環境中の湿度の影響を考慮すること無く、すなわち大掛かりな空調設備を要せず、また角層剥離テープを環境湿度に平衡化させる等の操作を要せずに、再現性良く角層の赤外吸収スペクトルを取得することができる。したがって、従来法に比べて、より簡便に、且つ正確に角層の角化状態、角層蛋白質の組成変化、角層細胞間脂質の量、角層細胞間脂質のパッキング性、角層の天然保湿因子(NMF)の量、角層組成、角層付着物を評価できる。
【図面の簡単な説明】
【0010】
【
図1a】ヒト角層シートと水の赤外吸収スペクトル。
【
図1b】ヒト角層シートと水の赤外吸収スペクトル(アミドI近傍域)。
【
図1c】ヒト角層シートと水の赤外吸収スペクトル(高波数域)。
【
図2】テープ信号補正後の乾燥角層の赤外吸収スペクトルと水の赤外吸収スペクトル。
【
図3a】73%R.H.における角層の赤外吸収スペクトル。
【
図3b】73%R.H.における角層の赤外吸収スペクトル(
図3aのアミドI近傍域の拡大図)。
【
図4】α/β値と測定環境湿度との関係(水の信号補正なし)。
【
図5】α/β値と測定環境湿度との関係(水の信号補正あり)。
【
図6】α/β値の湿度による影響(水の信号補正なし)。a1:前腕(右)、a2:前腕(左)、c1:頬(右)、c2:頬(左)。
【
図7】α/β値の湿度による影響(水の信号補正あり)。a1:前腕(右)、a2:前腕(左)、c1:頬(右)、c2:頬(左)。
【発明を実施するための形態】
【0011】
本発明の赤外吸収スペクトルの取得に用いられるATR-IR分光装置としては、通常のFT-IRと、それに接続できるATRユニットを用いればよい。またATRユニットは光ファイバー型プローブでも良い。またATRユニットとFTIRが一体化したシステムを用いても良い。また内部反射エレメントにも特に制限はないが、例えばゲルマニウム、ダイヤモンド、ZnSe、Si,PIR(塩化銀製)を用いることができる。反射回数や入射角についても、全反射条件が維持できる限り、特に制限は無い。波数分解能は0.5~32cm-1の範囲で測定することが必要だが、感度とS/Nが両立できる2~8cm-1の範囲にて測定することが好ましい。
【0012】
角層剥離テープは、粘着層にシリコーン系粘着剤が使われていれば良い。ベースフィルムの素材には特に制限はない。シリコーン粘着層を有するテープは、一般には耐熱性や耐薬品性が求められる用途に市販されているため、ベースフィルムにテフロン(登録商標)やアルミが使用されているテープが入手し易い。これらのベースフィルムは強度もあるため、皮膚への貼り付け・取り外しが容易であり、本発明に適している。しかしテフロン(登録商標)やアルミ以外のベースフィルムでも問題は無い。
具体的には、シリコーン系粘着層を有するテープは実施例に記載のアズワン株式会社ほか、3M社、日東電工株式会社、株式会社オカド、株式会社寺岡製作所等々より購入することができる。また、東レ・ダウコーニング株式会社、信越化学工業株式会社、株式会社レヂテックス等々より市販のシリコーン系粘着剤を各種フィルムや不織布等に塗工することにより、シリコーン系粘着層を有するテープを調製することができる。
【0013】
本発明においては、シリコーン粘着層を有するテープの粘着面に角層を付着させ、該テープの粘着面をATR-IR測定して得られる赤外吸収スペクトル(吸収スペクトルA)と、シリコーン粘着層を有する未使用のテープの粘着面をATR-IR測定して得られる赤外吸収スペクトル(吸収スペクトルB)を取得し、両者の差スペクトルから角層のスペクトルが取得されるが、その際に、角層の赤外吸収スペクトルの3000~4000cm-1の領域における水の信号の推定寄与分より、角層の赤外吸収スペクトル全波数域における水の信号の推定寄与分を算出し、該角層の赤外吸収スペクトルより差し引くことが行われる。
シリコーン粘着面への角層の付着方法としては、該シリコーン粘着面を皮膚表面に直接押し付けて角層を付着させてもよいし、粘着層を有す別のテープを皮膚表面に押し付けて採取した角層を、該シリコーン粘着面に転写させてもよい。
以下に、本発明の角層の赤外吸収スペクトルの測定手順について説明する。
【0014】
先ず、テープの赤外吸収スペクトル(吸収スペクトルB)が、以下の1)~3)の工程により取得される。
1)ATR-IR分光装置の内部反射エレメント部に、空気が接触している状態で、空気のパワースペクトルを測定する。
2)ATR-IR分光装置の内部反射エレメント部に、シリコーン粘着層を有する未使用のテープの粘着面を接触させ、テープのパワースペクトルを測定する。
3)テープのパワースペクトルを空気のパワースペクトルで割り、透過率を吸光度に変換することによって、テープの吸収スペクトル(吸光度表示)を取得する。
【0015】
次いで、角層細胞が付着したテープの粘着面の吸収スペクトル(吸収スペクトルA)が、以下の4)~6)の工程により取得される。
4)シリコーン粘着層を有するテープの粘着面を皮膚に接触後、テープを剥離し、テープ粘着面に角層細胞を付着させる。
5)角層細胞が付着した上記テープの粘着面を、ATR-IR分光装置の内部反射エレメント部に貼り付け、[角層+テープ]のパワースペクトルを測定する。
6)[角層+テープ]のパワースペクトルを空気のパワースペクトルで割り、透過率を吸光度に変換することによって、[角層+テープ]の吸収スペクトル(吸光度表示)を取得する。
【0016】
次に、吸収スペクトルAと吸収スペクトルBの差スペクトルが作成される。具体的には、シリコーン粘着層に由来する主要な吸収帯である、1260cm-1付近の吸収帯または1000~1100cm-1付近の吸収帯の、いずれか、または両方に由来するピーク強度が一致するように、吸収スペクトルAまたは吸収スペクトルBを定数倍してから差し引くことにより行われる。
すなわち、差スペクトルの作成は、以下の7)~8)の工程により行われる(後記参考例参照)。
7)[角層+テープ]の吸収スペクトル(吸光度表示)中に出現する、シリコーン粘着層に由来する主要な吸収帯である、1260cm-1付近の吸収帯または1000~1100cm-1付近の吸収帯の、いずれか、または両方に由来するピークに対して、それらに対応するテープの吸収スペクトル(吸光度表示)のピーク強度が一致するように、テープの吸収スペクトル(吸光度表示)を定数倍する係数pを決める。
8)[角層+テープ]の吸収スペクトル(吸光度表示)から、テープの吸収スペクトル(吸光度表示)をp倍したスペクトルを差し引いて、角層の吸収スペクトル(剥離角層赤外吸収スペクトル)を算出する。
【0017】
次いで、剥離角層の赤外吸収スペクトルの3000~4000cm-1の領域における水の信号の推定寄与分より、角層の赤外吸収スペクトル全波数域における水の信号の推定寄与分を算出し、該角層の赤外吸収スペクトルより差し引くことが行われる。
角層の赤外吸収スペクトルSSC(ω)は、完全に乾燥した角層の赤外吸収スペクトルSSC-Dry(ω)と、水の赤外吸収スペクトルSWater(ω)との重ね合わせで、下記式1のように近似的に表現することができる。式中、qとrは係数、ωは波数である。
SSC(ω)=qSSC-Dry(ω)+rSWater(ω) (式1)
【0018】
3000~4000cm-1の吸収帯のピークに対して上記式を適用して係数q、rを算出し、水の信号の寄与分を見積る。式1を最も良く再現する係数q、rの算出には、最小二乗法や最尤法を用いることができる。
そして、下記式2に示すように、スペクトル全波数域において斯かる水の信号の推定寄与分を差し引くことにより、仮想的な乾燥角層の赤外吸収スペクトルSSC-Dry-cal(ω)を算出することができる。
SSC-Dry-cal(ω)=SSC(ω)-rSWater(ω) (式2)
【0019】
斯くして取得された乾燥角層の赤外吸収スペクトルを用いて、アミドIに由来する吸収帯のピーク形状解析に基づく角層蛋白質の組成変化や角層の性状の評価、メチル基及びメチレン基の変角振動に基づく吸収帯のピーク強度及びピーク形状の解析に基づく角層細胞間脂質の量及びパッキング性、角層の性状の評価、アルキル鎖の伸縮振動に基づく吸収帯のピーク強度及びピーク形状の解析に基づく角層細胞間脂質の量及びパッキング性、角層の性状の評価、解離したカルボキシ基に基づく吸収帯のピーク強度の解析に基づく角層中の天然保湿因子(NMF)の量、角層の性状の評価は、例えば以下の手法により行うことができる。
【0020】
アミドIのピークには、1668cm-1付近にターン構造、1649cm-1付近にαへリックス構造とランダムコイル構造、1629cm-1付近にβシート構造の信号が重畳していることが知られている。アミドIのピーク形状を解析することで、これらの構造の割合を推定し、角層蛋白質の組成や構造の変化を評価することができる。例えば、アミドI吸収帯のピークからαヘリックスとランダムコイルが重畳したピーク及びβシートのピークを分割して、両ピークの面積比(α/β値)を求めることにより角層性状の評価が可能である。
【0021】
メチレンの変角振動のピークには、1463cm-1付近と1473cm-1付近に細胞間脂質のオルソロンビック構造の信号、1468cm-1付近には細胞間脂質のヘキサゴナル構造の信号が重畳していることが知られている。メチレンの変角振動のピーク形状を解析し、これらの構造の割合を推定することで、細胞間脂質のパッキング構造の変化を評価することができる。オルソロンビック構造が多いほど、角層のバリア能が高いと考えられているため、本解析法は角層バリアの指標として活用することができる。
【0022】
メチレンの伸縮振動のピークには、2850cm-1付近と2920cm-1付近に出現する。これらのピーク位置はアルキル鎖のパッキングが緩むことによって高波数シフトすることが知られている。従って、これらのピーク位置を読み取ることで、細胞間脂質のパッキング構造の変化を評価することができる。
【0023】
角層の赤外吸収スペクトル中の各ピークの解析法に特に制限は無い。例えば特許文献3に記載されているように、既知のピーク位置にガウス関数等の特定の関数をあてはめ、これらの関数の重ね合わせで角層の赤外吸収スペクトルを表現すると、各ピークの面積(信号強度)や幅(形状)を算出することができる。
【0024】
アミドIのピークの形状から蛋白質の組成変化を解析するには、一次微分スペクトル及び二次微分スペクトルを算出し、一次微分スペクトルまたは二次微分スペクトル内における、特定の波数での強度比を指標として用いることもできる。
【0025】
メチル基の変角振動のピークの形状から細胞間脂質のパッキング状態を解析するには、二次微分スペクトルを算出し、二次微分スペクトルでの強度比を指標として用いることもできる。
メチレン基の伸縮振動のピークの形状から細胞間脂質のパッキング状態を解析するには、角層の赤外吸収スペクトル中の当該のピークのピークトップ位置を読み取っても良い。このとき一次微分スペクトルを算出し、微分係数がゼロになる波数位置を読み取っても良い。この指標も角層バリアの指標として活用することができる。
【0026】
天然保湿因子(NMF)の量は、1400~1800cm-1の領域のスペクトル形状を、ガウス関数等の複数の関数の重ね合わせで近似したのちに、1602cm-1や1574cm-1付近に出現する解離型カルボキシ基に対応する関数の信号強度(ピーク面積、ピーク高さ)を見積もることで評価することができる。
【0027】
角層付着物の量については、その物質に特徴的なピークの信号強度(ピーク面積、ピーク高さ)から評価することができる。具体的には例えば石鹸カスに相当する脂肪酸スカム(脂肪酸金属塩)の量を見積もるのであれば、1575cm-1付近のピークの信号強度(ピーク面積、ピーク高さ)を見積もればよい。
【0028】
以上の各種構造の変化または各種指標と、各種肌性状(正常肌、荒れ肌、乾燥肌、各種皮膚炎等)との相関より、該各種構造の変化及び指標に基づく肌性状の評価が可能となる。
【実施例】
【0029】
参考例
(1)テープ剥離角層の赤外吸収スペクトルからのα/β値の算出
特開2018‐105783号公報に準じて、テープ剥離角層の赤外吸収スペクトルより、肌性状と相関するα/β値(αヘリックスとランダムコイルが重畳したピークの面積とβシートのピークの面積の比)の算出を行った。この手順は以下のとおりである。
1)シリコーン系粘着層を有すテープ(アズフロン(R)テープ、アズワン株式会社)を用いて、ヒト頬より角層を採取する。
2)上記角層剥離後のテープの粘着面を、FT-IR装置(Nicole iS5、Thermo Fisher Scientific社)に取り付けたATRユニット(iD5 ATR)の測定面に貼り付け、ATR-IR測定を行う。この赤外吸収スペクトルを、Stape+SC(ω)とする。ここでωは波数に相当する。
3)2)と同様に、角層剥離前のブランクテープ粘着面のATR-IR測定を行う。この赤外吸収スペクトルをStape(ω)とする。
4)以下の式3に基づいて、シリコーン粘着層に特徴的な1260cm-1付近のピークが最もよく消失する係数pを最小二乗法により算出し、角層のみの赤外吸収スペクトルSSC(ω)を算出する。
SSC(ω)=Stape+SC(ω)-pStape(ω) (式3)
5)SSC(ω)に対して、以下の式で表現される23個のガウス関数をあてはめ、SSC(ω)を最も良く再現する係数k(N)の組み合わせを最小二乗法により求め、角層の近似スペクトルSSC-cal(ω)を算出する。この時の各ガウス関数のパラメータと帰属を表1に示す。
【0030】
【0031】
【0032】
ここで1649cm-1のガウス関数のピーク面積を、1629cm-1のガウス関数のピーク面積で除したものをα/β値と定義する。
【0033】
実施例1 水分補正法の検討
角層の赤外吸収スペクトルに対する水の寄与を見積もるために、水、ヒト角層シート、調湿環境下(0%R.H.、73%R.H.)でのテープ剥離角層の赤外吸収スペクトルを測定した。本測定に用いた、装置、測定条件、試料の調製方法、測定結果、及びその結果に基づく水の信号の補正法を以下に記す。
【0034】
(1)FT-IR装置
Frontier(Perkin-Elmer社、TGS検出器)に、ユニバーサルATRユニット(ダイアモンド、45°)またはNicole iS5(Thermo Fisher Scientific社)にATRユニット(iD5 ATR)を取り付けたものを用いた。
【0035】
(2)測定条件
波数分解能4cm-1、積算4回
【0036】
(3)試料の調製及び測定方法
1)水:ミリQ水をATR-IR測定に供した。
2)ヒト角層シート:
市販ヒト切除皮膚(Transkin(R)、BIOPREDIC International社)より調製した。実験室環境下で、ATR-IR測定に供した。
3)テープ剥離角層:
ヒト前腕内側部にシリコーン系粘着層を有すテープ(アズフロン(R)テープ、アズワン株式会社)を貼り付け、剥がすことにより角層を採取した。このテープ剥離角層を以下の2条件を用いて調湿し、ATR-IR測定に供した。
i)0%R.H.条件:窒素ガスをフローさせたサンプル瓶内に1時間放置。
ii)73%R.H.条件:NaCl飽和塩溶液で調湿したデシケータ内(実測25℃、73%RH)に一晩放置。
【0037】
(4)測定結果
ヒト角層シート及び水の赤外吸収スペクトルを
図1a(全域)、
図1b(アミドI近傍域)
図1c(高波数域)、に示す。
図1bより、水は角層のアミドIと重畳する領域に吸収を持つため、水の存在はアミドIのピーク形状に影響を及ぼすことがわかる。また
図1cより、高波数域(2600~4000cm
-1)のピーク形状も角層中の含水量によって変化することがわかる。
図2には、上記参考例の式3より算出した、テープ信号補正後の窒素フロー乾燥した角層の赤外吸収スペクトルと、水の赤外吸収スペクトルを示す。何れも1000~4000cm
-1の領域で、吸光度を0~1に規格化して表示している。
図1aと
図2の3000~4000cm
-1の領域を比較することより、実験室環境下で測定された角層シートには、一定の水分が含まれることがわかる。
【0038】
(5)水の信号の補正法
ここでテープ剥離角層の赤外吸収スペクトルよりテープの信号を除くことによって得た、角層の赤外吸収スペクトルS
SC(ω)は、完全に乾燥した角層の赤外吸収スペクトルS
SC-Dry(ω)と、水の赤外吸収スペクトルS
Water(ω)との重ね合わせで、式1のように近似的に表現することができる。
S
SC(ω)=qS
SC-Dry(ω)+rS
Water(ω) (式1)
ここで、qとrは係数、ωは波数である。水の信号の寄与分を見積もるために、3000~4000cm
-1の領域に対して式1を適用し、最小二乗法によって係数q、rを算出した。次に式1における水の信号を差し引いて、仮想的な乾燥角層の赤外吸収スペクトルS
SC-Dry-cal(ω)を算出することとした。
S
SC-Dry-cal(ω)=S
SC(ω)-rS
Water(ω) (式2)
図3aに、73%で調湿したテープ剥離角層の赤外吸収スペクトル(実線、テープ信号除去後)と、式1より算出した水の信号の寄与分の赤外吸収スペクトル(破線)と、式2により算出した水の信号の差し引き後の赤外吸収スペクトル(点線)を示す。
図3aのアミドI近傍域を拡大表示したものを
図3bに示す。
図3bより、水の信号の寄与分を推定し差し引くことで、アミドIのピーク形状がわずかに変化することがわかる。このように補正した赤外吸収スペクトルを、式2で示した赤外吸収スペクトル解析法に適用し、α/β値を算出することとした。
【0039】
試験例1 異なる季節に測定した角層のアミドI吸収帯の解析
1月から12月の期間に、のべ1113名を対象に、一般的な空調設備を有する部屋において、顔面頬部より粘着テープで角層を採取し、該テープのATR-IR測定を行った。測定は、赤外分光装置iS5(Thermo Fisher SCIENTIFIC社)にATRユニット(iD5 ATR)を取り付けたものを用い、分解能:4cm-1、スキャン回数:4の条件で行った。取得した赤外吸収スペクトルは粘着テープの信号を除去後、実施例1による赤外吸収スペクトルの補正の有無において、アミドI吸収帯の1649cm-1と1629cm-1の信号成分の比率(α/β)を算出し、実施例1による赤外吸収スペクトルの補正の効果を検証した。
【0040】
スペクトル補正を行わない場合では、α/β値は測定環境湿度と負に相関し、その値が湿度の影響を受ける可能性が見られた(
図4)。一方、実施例1により水の信号補正を行ったスペクトルの解析では、α/β値は環境湿度への依存性が限りなく小さくなり(
図5)、本発明の赤外吸収スペクトルの補正の適用により、湿度の影響を取り除いたアミドI吸収帯の評価が可能となることが分かった。
【0041】
試験例2 異なる馴化湿度条件で測定した角層のアミドI吸収帯の解析
男性1名の左右の頬及び左右の前腕内側部からそれぞれ1か所ずつ計4か所から角層を粘着テープで採取し、該テープのATR-IR測定を行った(前腕(右):a1、前腕(左):a2、頬(右):c1、頬(左):c2)。測定は、赤外分光装置iS5(Thermo Fisher SCIENTIFIC社)にATRユニット(iD5 ATR)を取り付けたものを用い、分解能:4cm-1、スキャン回数:4、環境は室温26℃、湿度50%RHの付近の条件で行った。
【0042】
測定は以下の手順で実施した。まず、被験部位を洗浄、室温(26℃、50%RH付近)で馴化後に剥離した角層をATR-IRで測定し、室温に馴化された角層の赤外吸収スペクトルを得た。次に、それらの角層を乾燥デシケータ(実測25℃、14%RH)に移して1時間程度保管した後、デシケータから取り出して速やかにATR-IR測定を行い、乾燥環境に馴化された角層の赤外吸収スペクトルを得た。その後、同一角層を塩化ナトリウム飽和塩溶液で調湿されたデシケータ(実測25℃、73%RH)に移し、一晩保管後、デシケータから取り出して速やかにATR-IR測定を行い、湿潤環境に馴化された角層の赤外吸収スペクトルを得た。各サンプルは近傍5回の繰り返し測定を行い、繰り返し測定で得られる解析値の平均値を求めた。
【0043】
取得した赤外吸収スペクトルは粘着テープの信号を除去後、実施例1による赤外吸収スペクトルの補正の有無において、アミドI吸収帯の1649cm-1と1629cm-1の信号成分の比率(α/β)を算出し、実施例1による赤外吸収スペクトルの補正の効果を検証した。
【0044】
スペクトル補正を行わない場合では、α/β値は馴化条件間で変化している傾向が見られ(
図6)、α/β値が湿度の影響を受けることが示唆された。一方、実施例1による水の信号補正を行ったスペクトルの解析では、α/β値は馴化条件間の値の差が小さくなり(
図7)、本発明の方法により、湿度の影響を取り除いたアミドI吸収帯の評価が可能となることが分かった。