(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2023-05-10
(45)【発行日】2023-05-18
(54)【発明の名称】有用物質比生産速度促進剤、並びに細胞における生存率低下抑制剤
(51)【国際特許分類】
C12N 1/38 20060101AFI20230511BHJP
C12N 5/10 20060101ALI20230511BHJP
C12P 21/08 20060101ALI20230511BHJP
【FI】
C12N1/38
C12N5/10
C12P21/08
(21)【出願番号】P 2019050543
(22)【出願日】2019-03-19
【審査請求日】2021-12-06
(31)【優先権主張番号】P 2018066775
(32)【優先日】2018-03-30
(33)【優先権主張国・地域又は機関】JP
【国等の委託研究の成果に係る記載事項】(出願人による申告)「平成29年度、国立研究開発法人日本医療研究開発機構、「次世代治療・診断実現のための創薬基盤技術開発事業」「国際基準に適合した次世代抗体医薬等の製造技術」委託研究開発、産業技術力強化法第19条の丁起用を受ける特許出願」
(73)【特許権者】
【識別番号】000108993
【氏名又は名称】株式会社大阪ソーダ
(72)【発明者】
【氏名】城戸 優英
(72)【発明者】
【氏名】西川 孝治
【審査官】小田 浩代
(56)【参考文献】
【文献】特開平04-027397(JP,A)
【文献】米国特許出願公開第2005/0142621(US,A1)
【文献】特開2017-132743(JP,A)
【文献】Melo P S. et al.,Violacein cytotoxicity and induction of apoptosis in V79 cells,In Vitro Cell Dev Biol Anim,2000年,Vol. 36,pp. 539-543
【文献】Grandmaison P A. et al.,Externalization of phosphatidylserine during apoptosis does not specifically require either isoform of phosphatidylserine synthase,Biochim Biophys Acta,2004年,Vol. 1636,pp. 1-11
【文献】Mulvey C S. et al.,Wavelength-dependent backscattering measurements for quantitative real-time monitoring of apoptosis in living cells,J Biomed Opt,2009年,Vol. 14(6):064013
【文献】キナーゼ阻害剤とホスファターゼ阻害剤,Merck Millipore Corporation[online],2016年09月06日,URL: https://web.archive.org/web/20160906164917/https://www.merckmillipore.com/JP/ja/life-science-research/inhibitors-biochemicals/calbiochem-inhibitors/kinases-phosphatases/RrWb.qB._AwAAAFBlCQzkA36,nav,[retrieved on 11.18.2022]
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C12N 5/00- 5/28
JSTPlus/JMEDPlus/JST7580(JDreamIII)
CAplus/MEDLINE/EMBASE/BIOSIS(STN)
PubMed
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
セリン・スレオニンプロテインキナーゼ阻害活性を有する成分を含む、細胞における有用物質比生産速度促進剤であって、
培地容量に対するセリン・スレオニンプロテインキナーゼ阻害活性を有する成分の添加量が、0.5μM~1.5μMのヴィオラセイン、または0.1nM~10nMのスタウロスポリンである。
【請求項2】
セリン・スレオニンプロテインキナーゼ阻害活性を有する成分
を含む、細胞における生存率低下抑制剤であって、
培地容量に対するセリン・スレオニンプロテインキナーゼ阻害活性を有する成分の添加量が、0.5μM~1.5μMのヴィオラセイン、または0.1nM~10nMのスタウロスポリンである。
【請求項3】
有用物質がIgG抗体である、請求項1または2のいずれかに記載の剤。
【請求項4】
細胞が、形質転換細胞である、請求項1~3のいずれかに記載の剤。
【請求項5】
細胞が、CHO細胞である、請求項1~4のいずれかに記載の剤。
【請求項6】
請求項1~5のいずれかに記載の剤を用いて細胞を培養する工程を含む、有用物質の製造方法。
【請求項7】
有用物質がIgG抗体である、及び/または細胞が、形質転換細胞である、請求項6に記載の方法。
【請求項8】
細胞が、CHO細胞である、請求項6または7に記載の方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、プロテインキナーゼ阻害活性を有する成分を含む、細胞における有用物質の比生産速度促進剤;プロテインキナーゼ阻害活性を有する成分を含む、細胞における生存率低下抑制剤;当該比生産速度促進剤または生存率低下抑制剤を含む有用物質生産に用いる細胞培養用培地;当該比生産速度促進剤または生存率低下抑制剤を含む細胞培養用培地を用いて細胞を培養する工程を含む有用物質の製造方法等を提供する。
【背景技術】
【0002】
遺伝子組換え技術を利用して、タンパク質、ペプチドが人為的に生産されている。とりわけ医薬分野においては、医薬に有用なタンパク質(例えば、ヒト化抗体、エリスロポエチン等)が培養細胞を利用して製造されている。
有用物質の生産量の向上を目的として様々な試みが行われており、例えば、特許文献1では、細胞の培養に用いられる培地に、米糠抽出物を細胞増殖促進剤として添加し、細胞数を増大させることにより、産生されるタンパク質量を増大できることが開示されている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0003】
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0004】
抗体等の有用物質の生産量の向上には、特許文献1に記載の方法等の細胞密度を高くする手法が広く知られている。しかしながら、本願発明者が鋭意検討した結果、過度に細胞密度を高くすると、細胞断片等の有用物質以外の不純物も増加するため、精製工程の負荷が増大する場合があることが判明した。また、細胞密度が高くなると培地に用いる栄養成分もその分多く必要である。このように、細胞密度を高くする手法では有用物質の生産に関するトータルコストの低減には繋がらないことが判明した。
そこで、本願発明者は、細胞増殖性と1細胞あたりの有用物質の生産速度(比生産速度)がトレードオフとなる傾向があることに着目し、細胞増殖性を抑制して細胞密度を低くする一方、1細胞あたりの有用物質の生産速度(すなわち、比生産速度)を向上させるという、特許文献1に記載の細胞密度を高くするとの思想とは全く反対の思想に想到した。
また通常、細胞培養後期では栄養素枯渇、有害代謝物蓄積、その他の様々な要因によって細胞内で増殖抑制シグナルやアポトーシス誘導シグナルの伝達が起きる。その結果、細胞培養後期では細胞死が起こり、細胞生存率が低下する。細胞死による細胞生存率低下は、最終的な有用物質生産量を低下させる負の要因である。また、細胞死が進むと細胞内から漏出するプロテアーゼによって有用物質が部分的な分解を受け、構造変化が生じてしまう可能性がある。また、細胞死が起こりつつある細胞では細胞内糖鎖修飾機能が十分に働かなくなる場合がある。それにより、有用物質に対しての糖鎖付加が起こらなくなるか、または不完全な糖鎖付加が起きる。目的物質の生産量および品質に関する理由により、培養後期の細胞生存率低下を防止する手法の開発が求められている。
本発明は、プロテインキナーゼ阻害活性を有する成分を含む、細胞における有用物質の比生産速度促進剤;プロテインキナーゼ阻害活性を有する成分を含む、細胞における生存率低下抑制剤;当該比生産速度促進剤または生存率低下抑制剤を含む有用物質生産に用いる細胞培養用培地;当該比生産速度促進剤または生存率低下抑制剤を含む細胞培養用培地を用いて細胞を培養する工程を含む有用物質の製造方法等を提供する。
【課題を解決するための手段】
【0005】
本願発明者は、上記思想に基づいて鋭意検討した結果、プロテインキナーゼ阻害活性を有する成分が、細胞増殖性を一定の割合で抑制して細胞密度を低減できると共に、細胞においてタンパク質等の有用物質の1細胞あたりの生産速度(比生産速度)を向上させることができることを見出し、これに基づき本発明を完成させた。
また、プロテインキナーゼ阻害活性を有する成分が、細胞培養後期における細胞生存率の低下を抑制し、有用物質の総生産量を向上させること、細胞培養後期における有用物質の生産速度(比生産速度)の低下を抑制することを見出し、本発明を完成させた。
本発明は、プロテインキナーゼ阻害活性を有する成分を含む、細胞における有用物質比生産速度促進剤を提供する。
本発明は、プロテインキナーゼ阻害活性を有する成分を含む、細胞における生存率低下抑制剤を提供する。
本発明は、一つの側面として、プロテインキナーゼ阻害活性を有する成分を含む、有用物質産生に用いる細胞培養用培地を提供する。
本発明は、一つの側面として、プロテインキナーゼ阻害活性を有する成分を含む比生産速度促進剤または生存率低下抑制剤を含有する細胞培養用培地を用いて細胞を培養する工程を含む、有用物質の製造方法を提供する。
【発明の効果】
【0006】
本発明によれば、細胞においてタンパク質等の有用物質の比生産速度を向上させることが可能な、プロテインキナーゼ阻害活性を有する成分を有効成分とする動物細胞用培地を提供することができる。本発明の、プロテインキナーゼ阻害活性を有する成分を含む、細胞培養用培地は、細胞の形態や種類、形質転換の有無等に限定されず有用物質の比生産速度を向上させる。また、細胞培養後期における細胞生存率の低下を抑制させる。即ち、本発明が提供する有用物質比生産速度促進剤、及び生存率低下抑制剤、当該比生産速度促進剤または生存率低下抑制剤を含んだ細胞培養用培地、及び当該培地を用いた有用物質の製造方法は、細胞における有用物質の比生産速度を向上させることができる。また、細胞培養後期における細胞の生存率低下を抑制することができ、臨床診断薬製造、バイオ医薬生産、再生医療、細胞治療等の分野での応用が可能である。
【図面の簡単な説明】
【0007】
【
図1】実施例1および2におけるプロテインキナーゼ阻害活性を有する成分を含む、培地における1細胞当たりの抗体生産速度(比生産速度)を示す図である。
【
図2】実施例3から6におけるプロテインキナーゼ阻害活性を有する成分を含む、培地における1細胞当たりの抗体生産速度(比生産速度)を示す図である。
【
図3】実施例7におけるプロテインキナーゼ阻害活性を有する成分を含む、培地における培養中の細胞生存率を示す図である。
【
図4】実施例7におけるプロテインキナーゼ阻害活性を有する成分を含む、培地における抗体濃度(培養16日目)を示す図である。
【
図5】実施例8および9におけるプロテインキナーゼ阻害活性を有する成分を含む、培地における培養中の細胞生存率を示す図である。
【
図6】実施例8および9におけるプロテインキナーゼ阻害活性を有する成分を含む、培地における抗体濃度(培養16日目)を示す図である。
【発明を実施するための形態】
【0008】
本発明は、プロテインキナーゼ阻害活性を有する成分を含む、細胞における有用物質の比生産速度促進剤;プロテインキナーゼ阻害活性を有する成分を含む、細胞における生存率低下抑制剤;当該比生産速度促進剤または生存率低下抑制剤を含む有用物質生産に用いる細胞培養用培地;当該比生産速度促進剤または生存率低下抑制剤を含む細胞培養用培地を用いて細胞を培養する工程を含む有用物質の製造方法等を提供する。
【0009】
本発明では、プロテインキナーゼ阻害活性を有する成分により、一定の割合で細胞増殖性を抑制して細胞密度を低減できると共に、細胞においてタンパク質等の有用物質の1細胞あたりの生産速度を向上させることができる。これにより、培養バッチあたりの有用物質生産量を維持(または増加)したまま、その有用物質生産量を得るために要する細胞数を低減できる。細胞密度低減に伴い、細胞断片等の有用物質以外の不純物を低減でき、有用物質の精製工程の負荷を低減できる。また、培地に用いる栄養成分量も低減できる。これらの結果、有用物質の生産に関するトータルコストの低減を図ることが可能である。
【0010】
また、本発明では、プロテインキナーゼ阻害活性を有する成分により、細胞培養後期における細胞の死滅を抑制し、細胞生存率の低下を抑制することができる。これにより、細胞培養後期における有用物質の生産速度(比生産速度)の低下を防ぎ、得られる有用物質の総生産量を向上することができる。また、得られる有用物質の品質低下を抑制できる。より具体的には、細胞培養後期における細胞内の糖鎖修飾機能の低下を抑制する。その結果、不完全な糖鎖修飾を抑制することができる。
【0011】
本発明では、プロテインキナーゼ阻害活性を有する成分が使用される。本発明において、プロテインキナーゼ阻害活性を有する成分であれば、特に制限なく用いることができる。プロテインキナーゼ阻害活性を有する成分は、市販品を購入して用いてもよく、適宜合成したものや天然物から抽出したものを用いてもよい。また、複数のプロテインキナーゼ阻害活性を有する成分を2種以上組み合わせて用いることも可能である。
【0012】
プロテインキナーゼ阻害活性を有する成分によって、有用物質の比生産速度が向上する機構の詳細は不明であるが、例えば、プロテインキナーゼ阻害によって細胞周期の移行が停止、または抑制された可能性が考えられる。この場合、細胞周期のうち、G1期又はG2期で細胞周期が停止し、細胞増殖が抑制される一方、細胞内でのタンパク合成能が向上するためであると推測される。また、その他の機構によって、遺伝子転写やタンパク質の細胞外分泌が促進された可能性も考えられる。
【0013】
また、プロテインキナーゼ阻害活性を有する成分によって、細胞における生存率低下を抑制する機構の詳細は不明である。想定されうる理由の一つとして、培養中の細胞群集組成の変化が考えられる。スタウロスポリンやヴィオラセイン等は、ある濃度範囲ではアポトーシス誘導により細胞死を引き起こすことが知られている。有用物質生産に用いる細胞は、通常はクローニングと呼ばれる操作によって、単一の遺伝子を有した状態にして使用する。しかし、多くの細胞は培養の繰り返しにより、種々の遺伝子変異が生じることが知られている。この遺伝子変異は、クローニング後のセルバンク製造や継代および拡大培養時にも生じうる。この結果、有用物質生産のための培養の際には望まずとも多少のばらつきをもった細胞群集となっている場合がある。この状態でスタウロスポリンやヴィオラセイン等を、顕著な細胞死が起きない程度の低濃度で添加することにより、アポトーシスが誘導されにくい細胞が優占的に生存し、培養液中で増殖した可能性があり(細胞群集組成の変化)、培養後半の生存率低下に寄与した可能性がある。
【0014】
なお、本発明において、「細胞増殖を抑制する」とは、細胞の増殖速度(生育速度)自体を低下させる効果と、細胞の最大到達細胞密度の値を低下させる効果を意味する。本発明の効果は、いずれの細胞増殖の抑制の効果に起因してもよい。
比生産速度とは、細胞あたりの物質生産速度を示す指標である。比生産速度は細胞培養分野または微生物培養分野で用いられる計算方法により算出される。一例として、積算細胞数を横軸、物質濃度を縦軸として散布図を作成し、その傾きから比生産速度を算出する方法が挙げられる。より具体的には、「実践 有用微生物培養のイロハ 試験管から工業スケールまで;株式会社エヌ・ティー・エス」、「Dutton RL, Scharer JM, Moo-Young M. Cytotechnology. 1999 Jan.29(1)、p1-10」に記載の方法等を参考にすることができる。
本発明における比生産速度の算出方法として、1細胞あたりの物質生産速度を示すものであれば、上記で例示した算出方法以外の方法で算出しても良く。また、1細胞あたりの物質生産速度ではなく、例えば、「10の6乗の細胞あたりの物質生産速度」というように、ある一定数の細胞あたりの物質生産速度として算出することも可能である。
【0015】
また、本発明において、「細胞の生存率低下を抑制する」とは、プロテインキナーゼ阻害活性を有する成分を含む培地における細胞生存率が、プロテインキナーゼ阻害活性を有する成分の無添加の培地における細胞生存率より、培養後期または培養終了時に10%以上、好ましくは15%以上高いことを意味する。
生存率とは、培養液中の生細胞数/総細胞数によって、求めることができる。培養液中の細胞数の測定方法は、種々の方法により測定することが可能である。例えば、トリパンブルーで細胞を染色した後に、血球計算盤を用いることによって培養液中の生細胞数と総細胞数を測定することができる。
【0016】
プロテインキナーゼ阻害活性を有する成分として、セリン・スレオニンプロテインキナーゼ阻害活性等を有する成分が好ましく、プロテインキナーゼA阻害活性を有する成分、またはプロテインキナーゼC阻害活性を有する成分がより好ましい。
【0017】
プロテインキナーゼ阻害活性を有する成分としては、例えば、ヴィオラセイン、スタウロスポリン、エルロチニブ、イマチニブ、スニチニブ、ラパチニブ、ゲフィチニブ、ソラフェニブ、ニロチニブ、トセラニブ、ボスチニブ、ネラチニブ、バタラニブ、レゴラフェニブ、カボザンチニブ、イマチニブメシラート、ダサチニブ、カネルテニブ、エンザスタウリン、ミドスタウリン、サフィンゴール、ペリホシン、バンデタニブ、レセンチン、パゾパニブ、アキシチニブ、レスタウルチニブ、セマキシニブ、SU-14813、フラボピリドール、セリシクリブ、BMS-387032、AT-7519、R-547、AG-024322、P-276-00、ZK-304709、PD-0325901またはARRY-142886等を例示することができる。
【0018】
セリン・スレオニンプロテインキナーゼ阻害活性を有する成分としては、ベムラフェニブ、ヘスペラジン、MK0457、ZM447439、スタウロスポリン、ヴィオラセイン等を例示することができる。
プロテインキナーゼA阻害活性を有する成分としては、cAMP-Rp、KT5720、(N-[2-((p-ブロモシンナミル)アミノ)エチル]-5-イソキノリンスルホンアミド、ヴィオラセイン等を例示することができる。
プロテインキナーゼC阻害活性を有する成分としては、ビスインドリルマレイミド、スタウロスポリン、スフィンゴシン、フロレチン、フロリジン、ガングリオシド、パルミトイルカルニチン、クエルセチン、ポリミキシンB、トリフルオペラジン、ヴィオラセイン等を例示することができる。
【0019】
上述したプロテインキナーゼ阻害活性を有する成分の中でも、ヴィオラセインまたはスタウロスポリンが好ましい。
【0020】
上述したプロテインキナーゼ阻害活性を有する成分は、細胞での有用物質の比生産速度の向上に使用することができる。好ましくは、in vitroで細胞を用いた有用物質生産をする際の比生産速度の向上のため、プロテインキナーゼ阻害活性を有する成分の使用が提供される。プロテインキナーゼ阻害活性を有する成分は、そのメカニズムに関係なく、有用物質の1細胞あたりの生産速度(比生産速度)を向上すればよい。
【0021】
上述したプロテインキナーゼ阻害活性を有する成分は、細胞培養後期における細胞生存率低下の抑制に使用することができる。好ましくは、in vitroで細胞を用いた有用物質生産をする際の細胞の生存率低下の抑制のため、プロテインキナーゼ阻害活性を有する成分の使用が提供される。プロテインキナーゼ阻害活性を有する成分は、そのメカニズムに関係なく、細胞培養後期において、細胞の生存率の低下を抑制すればよい。
【0022】
プロテインキナーゼ阻害活性を有する成分は、細胞培養用培地に添加することにより有用物質の比生産速度向上に使用することができる。また、細培養用培地に添加することにより、細胞培養後期において、細胞の生存率低下の抑制に使用することができる。好ましい実施態様において、プロテインキナーゼ阻害活性を有する成分を細胞培養用培地に添加することにより、有用物質の比生産速度を向上させ、細胞培養後期における細胞の生存率低下を抑制できる。よって、プロテインキナーゼ阻害活性を有する成分は、単独で培地添加因子である有用物質比生産速度促進剤または細胞における生存率低下抑制剤として使用できる。また、他の有用物質の産生促進に寄与する物質(例えば、トランスフェリン、インスリン等のタンパク質)及び/または低分子化合物(例えば、グルコース、リン酸塩、亜セレン酸)とともに使用することもできる。すなわち、有用物質比生産速度促進剤は、プロテインキナーゼ阻害活性を有する成分を含む限り、特に限定されず、他の物質を含んでもよいし、含まなくてもよい。
【0023】
本発明が提供する促進剤(例えば、有用物質の比生産速度促進剤)または細胞における生存率低下抑制剤は、培地容量に対するプロテインキナーゼ阻害活性を有する成分の添加量(培地中におけるプロテインキナーゼ阻害活性を有する成分の濃度)は、0.01nM以上であればよく、0.05nM以上が好ましく、0.1nM以上がより好ましい。また、2.0μM以下であればよく、1.5μM以下であることが好ましく、1.2μM以下であることがより好ましい。
【0024】
培地へのプロテインキナーゼ阻害活性を有する成分の添加量として、比増殖速度低下率が5~75%の範囲である添加量であればよく、25~70%の範囲である添加量が好ましい。比増殖速度低下率は、次の計算式により算出できる。プロテインキナーゼ阻害活性を有する成分を含まない状態の比増殖速度をA、プロテインキナーゼ阻害活性を有する成分を含む状態の比増殖速度をBとした場合、比増殖速度低下率(%)=(1-B/A)×100。
【0025】
比増殖速度は、ある一定時間における細胞数の変化を示す指標である。比増殖速度は細胞培養分野または微生物培養分野で用いられる計算方法により算出される。例えば、対数増殖期中の異なる2点(時期)の細胞濃度を計測することで、次の式により算出することができる。ある培養時間(t1)の細胞濃度を(m1)、別の培養時間(t2)の細胞濃度を(m2)、t2>t1とした場合、比増殖速度={ln(m2/m1)}/(t2-t1)。また、培養時間の単位は、秒、分、時間、日等、時間を表す単位であればいずれを用いても良く、細胞濃度の単位は、cells/mL、cells/L、mg/mL、g/L等、細胞濃度を表す単位であればいずれを用いても良い。なお、比増殖速度は、ある一定時間における細胞数の変化を示すものであれば、上記算出方法以外の方法を用いて求めることも可能である。
【0026】
プロテインキナーゼ阻害活性を有する成分の具体的な添加量として、例えば、ヴィオラセインを用いる場合、0.5μM~1.5μMの範囲であればよく、0.6μM~1.4μMの範囲が好ましく、0.7μM~1.3μMの範囲がより好ましく、0.8μM~1.2μMの範囲が特に好ましい。また、スタウロスポリンを用いる場合、0.1nM~10nMの範囲であればよく、0.1nM~7nMの範囲が好ましく、2nM~5nMの範囲がより好ましい。なお、上記濃度範囲はあくまでも例示であり、培地に添加するプロテインキナーゼ阻害活性を有する成分に応じて、適宜調整することが可能である。比生産速度促進剤または生存率低下抑制剤は室温で液体でも固体でもよい。例えば、リン酸緩衝生理食塩水、リン酸緩衝液、酢酸緩衝液、クエン酸緩衝液、トリス緩衝液、HEPES緩衝液、MOPS緩衝液等の緩衝液やジメチルスルホキシド(DMSO)等の溶媒にプロテインキナーゼ阻害活性を有する成分を溶解及び/又は懸濁させて、本発明が提供する比生産速度または生存率低下抑制剤として、培地中でのプロテインキナーゼ阻害活性を有する成分を上記範囲内で調整することができる。
【0027】
プロテインキナーゼ阻害活性を有する成分を添加する培地は、例えば、MEM、DMEM、HamF12、RPMI1640、Fisher‘s medium、またはそれらの混合物であってもよい。これらの基礎培地に上記で説明したプロテインキナーゼ阻害活性を有する成分を添加することにより、有用物質の製造に有用な培地を調製できる。また、増殖因子や血清代替物質を添加することにより血清非含有で使用することを前提とした無血清培地、無タンパク培地またはケミカリー・ディファインド培地に添加して用いることもできる。これらの培地の例としてはSAFC Biosciences社製のEX-CELL 302, EX-CELL 325-PF、EX-CELL CD CHO等、Life Technologies社製のSFM II、CHO-III-PFM、CD CHO等、また、Irvine Scientific社製のIS-CHO CD、BalanCD Growth A Medium等が挙げられるがこれらに限定されるものではない。また、このような無血清培地、無タンパク培地、またはケミカリー・ディファインド培地を任意の比率で2種以上を混合した混合培地に対しても同様に用いることができる。
【0028】
プロテインキナーゼ阻害活性を有する成分を含む培地は、前記プロテインキナーゼ阻害活性を有する成分に加えて、例えば、無機塩類(例えば、ナトリウム塩、カリウム塩、カルシウム塩)、炭水化物(例えば、グルコース等の糖)、アミノ酸(例えば、グルタミンやイソロイシン)、ビタミン(例えば、リボフラビン、チアミン)、脂肪酸・脂質(例えば、コレステロール等のステロイド)、タンパク質・ペプチド(例えば、アルブミン、トランスフェリン、L-アラニル‐L-グルタミン等のジペプチド)、微量元素(例えば、マグネシウム、銅、鉄)及びそれらの組み合わせから選択される物質を含んでもよい。一つの実施態様において、プロテインキナーゼ阻害活性を有する成分を含む液体培地は、前記プロテインキナーゼ阻害活性を有する成分に加え、0.1~5g/Lのグルコース、0.1~0.5g/LのCaCl2、1~10g/LのNaCl、0.001~0.3g/LのL-アルギニン・HCl、0.001~0.3g/LのL-システイン・2HCl、0.001~0.3g/LのL-ヒスチジン・HCl・H2O、0.001~0.3g/LのL-イソロイシン、0.001~0.3g/LのL-ロイシン、0.001~0.3g/LのL-リジン・HCl、0.001~0.3g/LのL-メチオニン、0.001~0.3g/LのL-フェニルアラニン、0.001~0.3g/LのL-トレオニン、0.001~0.3g/LのL-トリプトファン、0.001~0.3g/LのL-チロシン・2Na・2H2O、及び0.001~0.3g/LのL-バリンを含む。また、一つの実施態様として、水に溶解したときに上記の組成になるような粉末状態の培地であってもよい。このような上記で説明したプロテインキナーゼ阻害活性を有する成分を含有する培地は、有用物質の製造に使用することができる。なお、上述した成分(例えば、グルコース等)を培養中の培地に添加してもよい。
【0029】
具体的には、有用物質を産生する細胞を、プロテインキナーゼ阻害活性を有する成分を含む培地で培養する培養工程、及び細胞から産生された有用物質を単離精製する精製工程を含む方法により有用物質を製造できる。例えば、有用物質として抗体を製造する場合には、抗体産生細胞を、プロテインキナーゼ阻害活性を有する成分を含む培地で培養し、抗体を精製する工程を含む方法により抗体を製造できる。抗体の精製工程は、例えば、アフィニティーカラムクロマトグラフィーを用いた方法等が含まれる。なお、上記培養工程においては、培養中に培地成分を追加する、いわゆるフェドバッチ培養(流加培養)を行ってもよい。この場合、追加される培地はプロテインキナーゼ阻害活性を有する成分を含んでいてもよく、含んでいなくてもよい。
【0030】
本発明では、プロテインキナーゼ阻害活性を有する成分の培地への添加時期は特に限定されず、培養開始前にプロテインキナーゼ阻害活性を有する成分を予め培地に添加しておいてもよく、培養途中にプロテインキナーゼ阻害活性を有する成分を培地に添加してもよい。
【0031】
本明細書において、有用物質とは、医薬、農薬、食品、その他化学工業に有用な物質であれば特に制限はない。好ましくは、抗体、酵素(ウロキナーゼ等)、ホルモン(インスリン等)、サイトカイン(インターフェロン、インターロイキン、エリスロポエチン、G-CSF、GM-CSF等)等の生理活性タンパク質、ペプチド等が例として挙げられる。抗体は、例えば、マウスモノクローナル抗体、ヒト化モノクローナル抗体またはヒトモノクローナル抗体である。また、免疫グロブリンのクラスは特に限定されないが、例えば、IgG(例えば、IgG1、IgG2)である。有用物質は、外来遺伝子の発現産物である組み換えタンパク質であり得る。
【0032】
本明細書において、細胞については組換えタンパク等の有用物質生産に使用可能な細胞であれば特に限定されず、CHO細胞、BHK細胞、HepG2細胞、rodent myeloma細胞(例えば、SP2/O細胞、NSO細胞等のマウス骨髄腫細胞)等の哺乳類動物細胞、カイコ細胞、ショウジョウバエ細胞等の昆虫細胞等の動物細胞;シロイヌナズナ細胞等の植物細胞;及びそれらの細胞に外来遺伝子を導入した形質転換細胞が例として挙げられる。有用物質として抗体を産生させる場合は、CHO細胞、SP2/O細胞またはNSO細胞等の動物細胞(好ましくは哺乳類動物細胞)を細胞融合することによって得られるハイブリドーマ等を抗体産生細胞として採用することができる。なかでも、動物細胞が好ましく、哺乳類動物細胞がより好ましく、CHO細胞が更に好ましい。
【0033】
以下、実施例により本発明をさらに説明するが、本発明はこれらに限定されるものではない。
【0034】
プロテインキナーゼ阻害活性を有する成分の効果の確認(実施例1、実施例2)
IgG遺伝子が導入されIgG抗体を分泌産生するCHO細胞株(ATCC CRL-12445)を用い、BalanCD Growth A Medium(Irvine Scientific社製)に馴化、及び浮遊化させた細胞を実験に用いた。125mlの三角フラスコにBalanCD Growth A Mediumを30ml添加し、上記浮遊化細胞を1.0×10
6cells/mlとなるように播種し、37℃、5%CO
2環境下、120rpmで振盪をしながら14日間培養した。
培養開始時に、培地にプロテインキナーゼ阻害活性を有する成分(ヴィオラセイン:シグマアルドリッチ社製)を0.9μM(実施例1)、または1.0μM(実施例2)の濃度になるように添加した。一方、コントロール(ヴィオラセイン無添加)として培養開始時に培地にDMSOを添加したものを用いた。
培養0、2、4、7、9、11、14日目の培養液をサンプリングし、培養液中の生細胞数とIgG抗体濃度を測定し、CHO細胞における抗体比生産速度を求めた。結果を
図1に示す。また、コントロール(ヴィオラセイン無添加)の比増殖速度をA、ヴィオラセイン添加の比増殖速度をBとした場合、次の計算により算出した比増殖速度低下率(%)を表1に示す。比増殖速度低下率(%)=(1-B/A)×100。
【0035】
プロテインキナーゼ阻害活性を有する成分の効果の確認(実施例3~6)
IgG遺伝子が導入されIgG抗体を分泌産生するCHO細胞株(ATCC CRL-12445)を用い、BalanCD Growth A Medium(Irvine Scientific社製)に馴化、及び浮遊化させた細胞を実験に用いた。125mlの三角フラスコにBalanCD Growth A Mediumを35ml添加し、上記浮遊化細胞を1.0×10
6cells/mlとなるように播種し、37℃、5%CO
2環境下、120rpmで振盪をしながら12日間培養した。なお、培地中のグルコースが枯渇しないようするため、培養7日目と10日目に、45%(w/v)グルコース溶液を用いて、培地中のグルコース濃度が5.0g/lになるよう添加した。 培養開始時に、培地にプロテインキナーゼ阻害活性を有する成分(スタウロスポリン:シグマアルドリッチ社製)を、2nM(実施例3)、3nM(実施例4)、4nM(実施例5)、5nM(実施例6)の濃度となるように添加した。一方、コントロール(スタウロスポリン無添加)として培養開始時に培地にDMSOを添加したものを用いた。 培養0、4、7、9、12日目の培養液をサンプリングし、培養液中の生細胞数とIgG抗体濃度を測定し、CHO細胞における抗体比生産速度を求めた。結果を
図2に示す。また、コントロール(スタウロスポリン無添加)の比増殖速度をA、スタウロスポリン添加の比増殖速度をBとした場合、次の計算により算出した比増殖速度低下率(%)を表1に示す。比増殖速度低下率(%)=(1-B/A)×100。
【0036】
IgG濃度の測定方法
Pall ForteBio社製のBLItzを用い、添付の取扱説明書記載の方法で細胞培養液中のIgG濃度を測定した。
【0037】
生細胞数の測定方法
Life technologies社製のCountess Automated Cell Counterを用いて、取扱説明書記載の方法で生細胞数を測定した。
【0038】
【0039】
表1及び
図1及び2より、プロテインキナーゼ阻害活性を有する成分(ヴィオラセイン、スタウロスポリン)を培地に添加することにより、細胞増殖性を抑制すると共に、細胞においてタンパク質等の有用物質の比生産速度を向上させることができることがわかった。
【0040】
流加培養におけるプロテインキナーゼ阻害活性を有する成分の効果の確認(実施例7)
IgG遺伝子が導入されIgG抗体を分泌産生するCHO細胞株(ATCC CRL-12445)を用い、BalanCD Growth A Medium(Irvine Scientific社製)に馴化、及び浮遊化させた細胞を実験に用いた。BalanCD Growth A Mediumで上記浮遊化細胞を1.0×10
6cells/mlとなるように濃度調製した細胞液を、250mlの三角フラスコに50ml添加し、37℃、5%CO
2環境下、120rpmで振盪をしながら16日間培養した。
培養開始時に、培地にプロテインキナーゼ阻害活性を有する成分(ヴィオラセイン:シグマアルドリッチ社製)を0.9μM(実施例7)の濃度になるように添加した。一方、コントロール(ヴィオラセイン無添加)として培養開始時に培地にDMSOを添加したものを用いた。
なお、培養4、6、7、8、10、12、14日目に、BalanCD Feed I Medium(Irvine Scientific社製)を培養液の5%(v/v)量添加した。また、BalanCD Feed I Mediumには、あらかじめヴィオラセインを0.9μMで添加しておき、BalanCD Feed I Mediumの添加によって培養液中のヴィオラセインが希釈されないようにした。
培養0、2、4、6、7、8、10、12、14、16日目の培養液をサンプリングし、培養液中の生細胞数、細胞生存率、およびIgG抗体濃度を測定した。培養中の細胞生存率の推移を
図3、培養16日目のIgG抗体濃度を
図4に示す。
【0041】
流加培養におけるプロテインキナーゼ阻害活性を有する成分の効果の確認(実施例8、9)
IgG遺伝子が導入されIgG抗体を分泌産生するCHO細胞株(ATCC CRL-12445)を用い、BalanCD Growth A Medium(Irvine Scientific社製)に馴化、及び浮遊化させた細胞を実験に用いた。
BalanCD Growth A Mediumで上記浮遊化細胞を1.0×10
6cells/mlとなるように濃度調製した細胞液を、125mlの三角フラスコに30ml添加し、37℃、5%CO
2環境下、120rpmで振盪をしながら16日間培養した。
培養開始時に、培地にプロテインキナーゼ阻害活性を有する成分(スタウロスポリン:シグマアルドリッチ社製)を、2nM(実施例8)、3nM(実施例9)になるように添加した。一方、コントロール(スタウロスポリン無添加)として培養開始時に培地にDMSOを添加したものを用いた。
なお、培養4、5、7、9、11、14日目に、BalanCD Feed I Mediumを培養液の5%(v/v)量添加した。また、BalanCD Feed I Mediumには、あらかじめスタウロスポリンを2nMまたは3nMで添加しておき、BalanCD Feed I Mediumの添加によって培養液中のヴィオラセインが希釈されないようにした。
培養0、2、4、5、7、9、11、14、16日目の培養液をサンプリングし、培養液中の生細胞数、細胞生存率およびIgG抗体濃度を測定した。培養中の細胞の生存率の推移を
図5、培養16日目のIgG抗体濃度を
図6に示す。
【0042】
図3~6の結果より、プロテインキナーゼ阻害活性を有する成分(ヴィオラセイン、スタウロスポリン)を培地に添加することにより、培養後期における細胞の生存率の低下を抑制すると共に、細胞においてタンパク質等の有用物質の総生産量を向上させることができることがわかった。
【産業上の利用可能性】
【0043】
本発明が提供する促進剤、培地及び製造方法は、細胞における有用物質の比生産速度を向上させることができ、抗体を利用した臨床診断薬製造、抗体医薬生産、再生医療、細胞治療等の分野で応用が可能である。