(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2023-05-15
(45)【発行日】2023-05-23
(54)【発明の名称】重水素化リン脂質およびその製造方法
(51)【国際特許分類】
C07F 9/10 20060101AFI20230516BHJP
A61K 31/685 20060101ALI20230516BHJP
A61P 3/00 20060101ALI20230516BHJP
A61P 3/06 20060101ALI20230516BHJP
A61P 3/04 20060101ALI20230516BHJP
A61P 3/10 20060101ALI20230516BHJP
A61P 19/02 20060101ALI20230516BHJP
A61P 35/00 20060101ALI20230516BHJP
A61P 29/00 20060101ALI20230516BHJP
A61P 9/10 20060101ALI20230516BHJP
A61P 25/28 20060101ALI20230516BHJP
A61P 31/04 20060101ALI20230516BHJP
C12N 9/20 20060101ALI20230516BHJP
【FI】
C07F9/10 B
A61K31/685
A61P3/00
A61P3/06
A61P3/04
A61P3/10
A61P19/02
A61P35/00
A61P29/00
A61P9/10 101
A61P25/28
A61P31/04
C12N9/20
(21)【出願番号】P 2019563973
(86)(22)【出願日】2018-12-27
(86)【国際出願番号】 JP2018048187
(87)【国際公開番号】W WO2019135386
(87)【国際公開日】2019-07-11
【審査請求日】2021-10-29
(31)【優先権主張番号】P 2018000178
(32)【優先日】2018-01-04
(33)【優先権主張国・地域又は機関】JP
(73)【特許権者】
【識別番号】391007356
【氏名又は名称】備前化成株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】100078282
【氏名又は名称】山本 秀策
(74)【代理人】
【識別番号】100113413
【氏名又は名称】森下 夏樹
(72)【発明者】
【氏名】馬場 直道
(72)【発明者】
【氏名】三澤 嘉久
(72)【発明者】
【氏名】対馬 忠広
【審査官】奥谷 暢子
(56)【参考文献】
【文献】特開2007-143479(JP,A)
【文献】特開昭61-129191(JP,A)
【文献】国際公開第2017/210097(WO,A1)
【文献】CABOT,M.C. et al.,Vasopressin, phorbol diesters and serum elicit choline glycerophospholipid hydrolysis and diacylglyc,Biochimica et Biophysica Acta, Lipids and Lipid Metabolism,1988年,Vol.959, No.1,p.46-57
【文献】AYANOGLU,E. et al.,Mass spectrometry of phospholipids. Some applications of desorption chemical ionization and fast at,Journal of the American Chemical Society,1984年,Vol.106, No.18,p.5246-51
【文献】LIN,S. et al.,Syntheses of 1,2-di-O-palmitoyl-sn-glycero-3-phosphocholine (DPPC) and analogs with 13C- and 2H-labe,Chemistry and Physics of Lipids,1997年,Vol.86, No.2,p.171-181
【文献】BABA,N. et al.,A regioselective, stereoselective synthesis of a diacylglycerophosphocholine hydroperoxide by use of,Journal of the Chemical Society, Chemical Communications,1990年,No.18,p.1281-2
【文献】BABA,N. et al.,Chemoenzymic synthesis of phospholipid hydroperoxides,Okayama Daigaku Nogakubu Gakujutsu Hokoku,2010年,Vol.99,p.71-84
【文献】ARNOLD,D. et al.,Syntheses of choline phosphatides. III. Synthesis of lysolecithins and their ether analogs,Justus Liebigs Annalen der Chemie,1967年,Vol.709,p.234-9
【文献】ADACHI J. et al,Determination of phosphatidylcholine monohydroperoxides using quadrupole time-of-flight mass spectrometry,Journal of Chromatography B,2004年,806,41-46
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C07F
A61K
A61P
C12N
CAplus/REGISTRY(STN)
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
以下の式Iの構造を有する化合物またはその塩の製造方法であって、
【化24】
(式中、
R
1
およびR
2
は、それぞれ独立に-Hまたは-C(=O)Rであり、
Rは、直鎖または分岐状の飽和または不飽和炭化水素基であり、
ここで、該炭化水素基は8~36個の炭素原子を含み、
該炭化水素基は0~8個の二重結合を含み、
該炭化水素基上の炭素のうち少なくとも1つは、=O、-OHおよび-OOHからなる群から選択される置換基で置換されていてもよく、
該炭化水素基上の隣接する2つの炭素の組のうち少なくとも1つは、Oで置換されることでエポキシ基
を形成していてもよく、
各R
A
は、それぞれ独立に水素、重水素または三重水素から選択される)
工程1)トリジュウテリオメチル基導入試薬
【化26】
を調製する工程、
工程2)以下の構造
【化27】
から選択される重水素化メチル基を含むコリンを合成する工程、
工程3)グリセロールの1-ヒドロキシ基および3-ヒドロキシ基を保護する工程、
工程4)グリセロールの2-ヒドロキシ基を保護する工程、
工程5)グリセロールの1-ヒドロキシ基および3-ヒドロキシ基を脱保護する工程、
工程6)グリセロールの1-ヒドロキシ基にR
1-OHの構造の脂肪酸を導入する工程、工程7)グリセロールの3-ヒドロキシ基にリン酸基および工程2の重水素化メチル基を含むコリンを導入する工程、
工程8)グリセロールの2-ヒドロキシ基を脱保護する工程、
工程9)グリセロールの2-ヒドロキシ基にR
2-OHの構造の脂肪酸を導入する工程
の工程のうちの少なくとも1つを含み、任意選択でさらに以下の工程、
工程10)工程7で導入された重水素化メチル基を含むコリンをアミノエタノールに変換する工程、および
工程11)アミノエタノールに重水素化メチル基を導入する工程
を含む、製造方法。
【請求項2】
同じ炭素原子上の全てのR
A
が、水素、重水素または三重水素から選択される同じ水素原子である、請求項1に記載の製造方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、重水素化リン脂質、その製造方法およびその利用に関する。
【背景技術】
【0002】
細胞膜構成成分あるいは生体情報伝達物質として不可欠なリン脂質群には構造の異なる多数の分子種が存在する。グリセロリン脂質の基本構造はグリセロール骨格の2個の水酸基にそれぞれ同じまたは異なる脂肪酸、例えばパルミチン酸、ステアリン酸、イコサペンタエン酸、ドコサペンタエン酸、ドコサヘキサエン酸等の脂肪酸が結合し、3番目の水酸基にはホスホコリン、ホスホセリン、ホスホエタノールアミン等の極性基が結合する。そのため、それらの組み合わせの数から膨大な種類のリン脂質分子種が生体組織に存在する。またそれらの分子種はそれぞれ異なる生体機能を示す。個々のリン脂質と病態との関連性も古くから研究され、近年では液体クロマトグラフィーと質量分析技術を組み合わせたリピドミクス手法を用いて解析が行われている。
【0003】
しかし、このような分析技術を用いてもリン脂質の機能研究が困難な場合がある。例えば、ある特定のリン脂質分子種が代謝を受けて化学変換する過程を分子レベルで追跡することは極めて難しい。この問題を解決する手段として、コリンの極性基の窒素原子に結合する3個のメチル基の一つを安定同位体である重水素で置換したホスファチジルコリンが馬場等によって合成された(冨永等、非特許文献H.Tominaga,T.Ishihara,A.K.M.Azad Shah,R.Shimizu,A.N.Onyango,H.Ito,T.Suzuki,Y.Kondo,H.Koaze,K.Takahashi,Naomichi Baba,American Journal of Analytical Chemistry,2013,4,16-26)。
【0004】
このリン脂質は、エレクトロスプレーイオン化質量分析(ESI-MS)のプロダクトイオンモードで検出する事によって極めて高い選択性で検出される事が明らかにされた。生体組織に存在するあらゆる種類のリン脂質が共存していても重水素置換されたリン脂質及びそのアシル部分における代謝物類が極めて特異的かつ鋭敏に検出され得る。この方法により、リノール酸から合成されたリン脂質過酸化物の血液内における代謝過程が明らかにされた。(非特許文献2)
リン脂質中で結合している脂肪酸は異なる機能を持つ。例えばアラキドン酸は幼児の成長や生殖機能に必須であり、EPAは心疾患病等を制御する血液の恒常性に寄与し、DHAは脳機能の恒常性に深く関わる事が知られている。そしてこれらのオメガ3脂肪酸は、生体内では通常、トリグリセリドやリン脂質に結合しており、必要に応じて代謝酵素によって切り出され、それらの役割を果たす。例えば炎症が起こるとその部位においてホスホリパーゼA2が発現し、周辺の細胞膜に結合するEPA、DPAやDHAがリン脂質から遊離し、これらがリポキシゲナーゼ(LOX)やシクロオキシゲナーゼ(COX)によって代謝を受けて、レゾルビン、プロテクチンやマーセリンを代表とするSPM(specialized proresolving mediator)と呼ばれる代謝物が生産され、炎症の抑制に携わる。また、このような代謝物が結合した重要なリン脂質も発見されている。しかし、リン脂質中で結合しているオメガ3脂肪酸が上記の酵素の直接的作用によりリン脂質型代謝物が生成する可能性があり、詳細は判っていない。なお、大豆リポキシゲナーゼはリン脂質中で結合しているオメガ3脂肪酸に作用し、ヒドロペルオキシ基を導入する事が公知である。(非特許文献1)
また、炎症によって活性化される好中球、ナチュラルキラー細胞、マクロファージが生産する種々の活性酸素、例えば過酸化水素やオゾンは炎症部位の細菌等を攻撃するが、化学的に極めて反応性が高いこれらの活性酸素は周辺に存在するオメガ3脂肪酸やリン脂質中で結合しているオメガ3脂肪酸を非酵素的に酸化し、構造変化を受けた別のリン脂質が生産され、何らかの生体機能を示す可能性があるが、このような機構はほとんど明らかになっていない。本発明が提供する重水素化リン脂質は、これらの未知の機構を解明する上で重要なツールとなり得る。
【0005】
食事によって取り込まれたオメガ3脂肪酸はトリグリセリドやリン脂質として血液中に存在し、必要に応じて各組織に移行する。例えば、DHAは肝臓でリゾリン脂質結合型となり、血液の流れとともに脳関門を通り脳内に移行する事が最近明らかにされた。また脳内に移行したDPAは一旦C24(5n-3)に変換された後、不飽和化酵素により6n-3になり、それが再び炭素2個分の減少を伴い、DHAになる事も知られているが、その機構は明らかではない。リン脂質中で結合しているアラキドン酸は代謝過程において種々の複雑な酸化反応を受け、その結果、酸化的分解を受けた各種脂肪酸が結合したリン脂質が同定されている。そして興味深い事に、これらの分子種は炎症性であったり、或いは抗炎症作用を示す事が報告されている。(非特許文献3)
しかし、この研究ではアラキドン酸が結合したリン脂質から生成する各種リン脂質酸化代謝物の混合物が用いられている。従ってどの分子種が炎症作用を示し、あるいは抗炎症作用を示すかは明らかではない。また、本研究はアラキドン酸に限られているので、EPA、DPA、DHAが結合したリン脂質の各酸化生成物がどのような作用を示すのかは明らかでない。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0006】
【文献】S.C.Dyall,Long-chain omega-3 fatty acids and the brain: a review of the independent and shared effects of EPA,DPA and DHA,Frontiers in Aging Neuroscience,2015,7,1-16
【文献】H.Tominaga,T.Ishihara,A.K.M.Azad Shah,R.Shimizu,A.N.Onyango,H.Ito,T.Suzuki,Y.Kondo,H.Koaze,K.Takahashi,Naomichi Baba,American Journal of Analytical Chemistry,2013,4,16-26
【文献】V.N.Bochkov,Inflammatory profile of oxidized phospholipids, Thromb Haemost 2007;97:348-354
【発明の概要】
【課題を解決するための手段】
【0007】
上記のようにリン脂質の機能はまだ十分に明らかにされておらず、その解析のための新規なツールが望まれている。本発明が提供する合成重水素化リン脂質は、このような分野における問題解決に応用できる。また、抗リン脂質抗体症候群には、抗リン脂質抗体の多様性から、その検出の標準化が困難と言われている臨床上の問題点があり、本発明は、このような検出を容易にし得る診断薬も提供する。
【0008】
したがって、本発明は以下を提供する。
(項目1)
以下の式I
【0009】
【0010】
(式中、
R1およびR2は、それぞれ独立に-Hまたは-C(=O)Rであり、
Rは、直鎖または分岐状の飽和または不飽和炭化水素基であり、
ここで、該炭化水素基は8~36個の炭素原子を含み、
該炭化水素基は0~8個の二重結合を含み、
該炭化水素基上の炭素のうち少なくとも1つは、=O、-OHおよび-OOHからなる群から選択される置換基で置換されていてもよく、
該炭化水素基上の隣接する2つの炭素の組のうち少なくとも1つは、Oで置換されることでエポキシ基
【0011】
【0012】
を形成していてもよく、
各RAは、それぞれ独立に水素、重水素または三重水素から選択される)
の構造を有する化合物またはその塩。
(項目2)
同じ炭素原子上の全てのRAが、水素、重水素または三重水素から選択される同じ水素原子である、項目1に記載の化合物またはその塩。
(項目3)
項目1に記載の化合物またはその塩の製造方法であって、
工程1)トリジュウテリオメチル基導入試薬
【0013】
【0014】
を調製する工程、
工程2)以下の構造
【0015】
【0016】
から選択される重水素化メチル基を含むコリンを合成する工程、
工程3)グリセロールの1-ヒドロキシ基および3-ヒドロキシ基を保護する工程、
工程4)グリセロールの2-ヒドロキシ基を保護する工程、
工程5)グリセロールの1-ヒドロキシ基および3-ヒドロキシ基を脱保護する工程、
工程6)グリセロールの1-ヒドロキシ基にR1-OHの構造の脂肪酸を導入する工程、工程7)グリセロールの3-ヒドロキシ基にリン酸基および工程2の重水素化メチル基を含むコリンを導入する工程、
工程8)グリセロールの2-ヒドロキシ基を脱保護する工程、
工程9)グリセロールの2-ヒドロキシ基にR2-OHの構造の脂肪酸を導入する工程
のうちの少なくとも1つを含み、任意選択でさらに以下の工程
工程10)工程7で導入された重水素化メチル基を含むコリンをアミノエタノールに変換する工程、および
工程11)アミノエタノールに重水素化メチル基を導入する工程
を含む、製造方法。
(項目4)
項目1または2に記載の化合物またはその塩を含む組成物。
(項目5)
リン脂質代謝異常の測定のための、項目4に記載の組成物。
(項目6)
疾患または状態の診断のための、項目4に記載の組成物。
(項目7)
前記疾患または状態が、脂質代謝に異常を生じる疾患である、項目6に記載の組成物。
(項目8)
前記疾患または状態が、肥満、高脂血症、インスリン非依存性糖尿病、および、変形性膝関節症からなる群から選択される、項目6に記載の組成物。
(項目9)
前記疾患または状態が、がん、炎症、動脈硬化、アルツハイマー病、敗血症、および、抗リン脂質抗体症候群からなる群から選択される、項目6に記載の組成物。
(項目10)
不飽和脂肪酸でパルミトイル化されたパルミトイルグリセロールの製造方法であって、(i)式(A)、式(B)、および、式(C)からなる群から選択される化合物
【0017】
【0018】
(式中、R1~R11は独立に、Hまたは炭素数1~12のアルキル基である)、ならびに、
(ii)不飽和脂肪酸、
を基質としたリパーゼ酵素反応を行う工程を包含する、方法。
(なお、R1~R11は独立に、Hまたは炭素数1~12のアルキル基、Hまたは炭素数1~11のアルキル基、Hまたは炭素数1~10のアルキル基、Hまたは炭素数1~9のアルキル基、Hまたは炭素数1~8のアルキル基、Hまたは炭素数1~7のアルキル基、Hまたは炭素数1~6のアルキル基、Hまたは炭素数1~5のアルキル基、Hまたは炭素数1~4のアルキル基、あるいは、Hまたは炭素数1~3のアルキル基である)
(項目11)
項目10に記載の方法であって、前記不飽和脂肪酸が、8~36個の炭素原子を含み、かつ、1~8個の二重結合を含む、方法。
(項目12)
項目10に記載の方法であって、前記不飽和脂肪酸上の炭素のうち少なくとも1つは、=O、-OHおよび-OOHからなる群から選択される置換基で置換されていてもよく、該炭化水素基上の隣接する2つの炭素の組のうち少なくとも1つは、Oで置換されることでエポキシ基
【0019】
【0020】
を形成していてもよい、方法。
(項目13)
項目10に記載の方法であって、前記リパーゼ酵素反応が-20℃~50℃の温度で0.5時間~24時間行われる、方法。
(項目14)
さらにアシル化剤を用いる、項目10に記載の方法。
(項目15)
さらに溶媒を用いる、項目10に記載の方法。
【0021】
本発明において、上記の1つまたは複数の特徴は、明示された組み合わせに加え、さらに組み合わせて提供され得ることが意図される。本発明のさらなる実施形態および利点は、必要に応じて以下の詳細な説明を読んで理解すれば、当業者に認識される。
【発明の効果】
【0022】
本発明は、リン脂質の機能研究に貢献し得る。また、本発明は、リン脂質に関連した疾患のための新たな診断薬を提供し得る。
【発明を実施するための形態】
【0023】
以下、本発明を説明する。本明細書の全体にわたり、単数形の表現は、特に言及しない限り、その複数形の概念をも含むことが理解されるべきである。また、本明細書において使用される用語は、特に言及しない限り、当該分野で通常用いられる意味で用いられることが理解されるべきである。したがって、他に定義されない限り、本明細書中で使用される全ての専門用語および科学技術用語は、本発明の属する分野の当業者によって一般的に理解されるのと同じ意味を有する。矛盾する場合、本明細書(定義を含めて)が優先する。また、本明細書において「wt%」は、「質量パーセント濃度」と互換可能に使用される。「%」は、特に明記されない場合、「wt%」または「w/w%」または「質量パーセント濃度」を意味する。
【0024】
本明細書において「または」は、文章中に列挙されている事項の「少なくとも1つ以上」を採用できるときに使用される。「もしくは」も同様である。本明細書において「2つの値」の「範囲内」と明記した場合、その範囲には2つの値自体も含む。
【0025】
本明細書において引用された、科学文献、特許、特許出願などの参考文献は、その全体が、各々具体的に記載されたのと同じ程度に本明細書において参考として援用される。
【0026】
(定義)
以下に本明細書において特に使用される用語の定義および/または基本的技術内容を適宜説明する。
【0027】
本明細書において使用される用語「不飽和脂肪酸」とは、1つ以上の不飽和の炭素結合を持つ脂肪酸をいう。不飽和炭素結合とは炭素分子鎖における炭素同士の不飽和結合、すなわち炭素二重結合または三重結合のことである。天然に見られる不飽和脂肪酸は1つ以上の二重結合を有しており、脂肪酸中の飽和脂肪酸と置き換わることで、融点や流動性など脂肪の特性に変化を与えている。
【0028】
本明細書において使用される用語「ω3脂肪酸」とは、メチル末端から3番目の炭素(ω3位)から二重結合が存在する不飽和脂肪酸をいい、代表的には、α-リノレン酸、ステアリドン酸、エイコサテトラエン酸、エイコサペンタエン酸(EPA)、ドコサペンタエン酸(DPAn-3)、ドコサヘキサエン酸(DHA)、テトラコサペンタエン酸、および、テトラコサヘキサエン酸が挙げられるがこれらに限定されない。本明細書において使用される用語「ω3脂肪酸の修飾物」とは、ω3脂肪酸を修飾した物質であり、ω3脂肪酸の酸化物(例えば、酸化代謝物)を包含し、代表的には、13-ヒドロキシ-α-リノレン酸、13-ヒドロキシステアリドン酸、15-ヒドロキシエイコサテトラエン酸、15-ヒドロキシEPA、17-ヒドロキシDPAn-3、17-ヒドロキシDHA、19-ヒドロキシテトラコサペンタエン酸、および、19-ヒドロキシテトラコサヘキサエン酸が挙げられるがこれらに限定されない。
【0029】
本明細書において使用される用語「ドコサヘキサエン酸」とは、「DHA」と互換可能に使用され、そして、遊離脂肪酸の形態と、エタノール、グリセリン、リン脂質にエステル結合した形態のいずれも包含する。
【0030】
本明細書において使用される用語「エイコサペンタエン酸」とは、「EPA」と互換可能に使用され、そして、遊離脂肪酸の形態と、エタノール、グリセリン、リン脂質にエステル結合した形態とのいずれも包含する。
【0031】
本明細書において使用される用語「ドコサペンタエン酸」とは、「DPA」と互換可能に使用され、そして、遊離脂肪酸の形態と、エタノール、グリセリンにエステル結合した形態のいずれも包含する。また、「n-3」あるいは「n-6」のいずれかであると特定しない「DPA」は、「n-3 DPA」(すなわち、all-cis-7,10,13,16,19-ドコサペンタエン酸である)を意味する。「n-3 DPA」は「ω-3
DPA」と互換可能に使用される。
【0032】
本明細書において使用される用語「n-6 DPA」は「all-cis-4,7,10,13,16-ドコサペンタエン酸」または「ω6 DPA」と互換可能に使用され、そして、遊離脂肪酸の形態と、エタノール、グリセリンにエステル結合した形態のいずれも包含する。
【0033】
本明細書において使用される用語「ステアリドン酸」とは、「SDA」と互換可能に使用され、そして、遊離脂肪酸の形態と、エタノール、グリセリンにエステル結合した形態のいずれも包含する。
【0034】
本明細書において使用される用語「α-リノレン酸」とは、「ALA」と互換可能に使用され、そして、遊離脂肪酸の形態と、エタノール、グリセリンにエステル結合した形態のいずれも包含する。
【0035】
本明細書において使用される用語「エイコサテトラエン酸」とは、「ETA」と互換可能に使用され、そして、遊離脂肪酸の形態と、エタノール、グリセリンにエステル結合した形態のいずれも包含する。
【0036】
本明細書において使用される用語「水素」とは、水素原子の同位体のうちの1Hのものを指し、Hとも表記される。天然に存在する化合物に含まれる水素原子には、ある程度の割合で重水素および三重水素などの同位体が含まれるが、本明細書において水素またはHを使用する場合、厳密に化合物に含まれる全ての水素原子が1Hであることを意味するのではなく、通常含まれる程度において重水素および三重水素などの水素の同位体が含まれることを排除しない。
【0037】
本明細書において使用される用語「重水素」とは、水素原子の同位体のうちの2Hのものを指し、Dまたはdとも表記される。
【0038】
本明細書において使用される用語「三重水素」とは、水素原子の同位体のうちの3Hのものを指し、Tまたはtとも表記される。
【0039】
本明細書において使用される用語「水素種」とは、水素原子の同位体(1H、2Hおよび3H)を区別することなく記載する場合に使用され、水素原子が1H、2Hおよび3Hのうちのいずれかであることを示す。
【0040】
本明細書において使用される用語「リン脂質」とは、分子内に長鎖アルキル基から構成される疎水性基とリン酸基を含む親水性基とを有する両親媒性物質を指す。リン脂質の例として、ホスファチジルコリン(=レシチン)、ホスファチジルグリセロール、ホスファチジルエタノールアミン、ホスファチジルセリン、ホスファチジルイノシトール、ホスファチジン酸、スフィンゴリン脂質、ジホスファチジル系リン脂質、パルミトイルオレオイルホスファチジルコリン、リゾホスファチジルコリン、リゾホスファチジルエタノールアミン、ジミリストイルホスファチジルコリン(DMPC)、ジミリストイルホスファチジルグリセロール(DMPG)、ジパルミトイルホスファチジルコリン(DPPC)、ジパルミトイルホスファチジルグリセロール(DPPG)、ジオレオイルホスファチジルコリン(DOPC)、ジステアロイルホスファチジルコリン(DSPC)、ジステアロイルホスファチジルグリセロール(DSPG)、ジオレイルホスファチジルエタノールアミン(DOPE)、パルミトイルステアロイルホスファチジルコリン(PSPC)、パルミトイルステアロイルホスファチジルグリセロール(PSPG)、ジリノレオイルホスファチジルコリン、などが挙げられるがこれらに限定されない。
【0041】
本明細書において使用される用語「ホスファチジルコリン」または「レシチン」とは、交換可能に用いられ、PCとも表記される化合物であり、グリセリン(プロパン-1,2,3-トリオール、グリセロールとも称する)のsn-1位およびsn-2位にアシル基が結合し、sn-3位に結合したリン酸にコリンが結合しているものをいう。
【0042】
本明細書において使用される用語「リゾホスファチジルコリン」とは、リゾ-PCとも表記される化合物であり、グリセリンのsn-1位またはsn-2位のいずれか一方にアシル基が結合し、sn-3位に結合したリン酸にコリンが結合しているものをいう。
【0043】
本明細書において使用される用語「sn-」は、Stereospecifically Numberedの略で、グリセリン誘導体の炭素原子を立体特異的番号付けで表記したときに用いる。グリセリン誘導体がラセミ体のときはrac-をつけ、立体化学が不明のときはX-をつける。リン脂質は、そのアシル基の結合位置の相違により、sn-1-リン脂質あるいはsn-2-リン脂質の2種類が存在する。実際の表示については、アシル基の位置をそのまま使用し、1-アシル-ホスファチジルコリン、2-アシル-ホスファチジルコリンのように使用する。本明細書においてsnに関する情報がない場合は、特に区別しないで説明するか総称(上位概念)として用いる場合である。
【0044】
本明細書において使用される用語「アシル(基)」とは、当該分野において通常の意味で使用され、有機酸(カルボン酸;脂肪酸)からヒドロキシル基が除去されてつくられる基をいう。広義には、ホルミル基HCO-,アセチル基CH3CO-,マロニル基-COCH2CO-,ベンゾイル基C6H5CO-,シンナモイル基C6H5CH=CHCO-などが含まれ、ケトン誘導体なども挙げられる。ホスファチジルイノシトールリン酸およびリゾホスファチジルイノシトールリン酸類に含まれるアシル基は、好ましい実施形態では、脂肪酸を形成することから脂肪酸基とも称される。本明細書では、脂肪酸は、その炭素数と二重結合の数で表すことができ、例えば、アラキドン酸は(20:4)と表され得る。二重結合の位置をさらに特定する場合は、cisやtransの表示、またはEまたはZの表示について、すべての位置を特定するか、またはオメガ(ω)3系、オメガ6系等の系統で表示することができる。
【0045】
本明細書では一般に以下の脂肪酸およびそれに基づくアシル基が使用されるが、これらに限定されず、任意の鎖長、任意の二重結合を有する脂肪酸を使用することができることが理解される。例えば、炭素数について言えば、1以上、代表的には1~30、通常は4~30の範囲のものが挙げられ、1個、2個、3個、4個、5個、6個、7個、8個、9個、10個、11個、12個、13個、14個、15個、16個、17個、18個、19個、20個、21個、22個、23個、24個、25個、26個、27個、28個、29個、30個等を挙げることができるが、これらに限定されない。また二重結合の個数は0個、1個、2個、3個、4個、5個、6個、7個等炭素数に応じて許容し得る任意の数を採用することができる。二重結合の位置は、オメガ3系、オメガ6系、オメガ9系等が代表的であり、このほか、オメガ1系、オメガ4系、オメガ5系や、オメガ7系なども確認されており、これらの任意の入手可能なものを利用することができる。脂肪酸には三重結合が含まれていてもよく、その個数は0個、1個、2個、3個、4個、5個、6個、7個等炭素数に応じて許容し得る任意の数を採用することができる。
【0046】
【0047】
本明細書において使用される用語「診断」とは、被験体における疾患、障害、状態(例えば、脂質メディエーターに起因する疾患、障害、状態等)などに関連する種々のパラメータを同定し、そのような疾患、障害、状態の現状または未来を判定することをいう。本発明の方法、装置、システムを用いることによって、体内の状態を調べることができ、そのような情報を用いて、被験体における疾患、障害、状態、投与すべき処置または予防のための処方物または方法などの種々のパラメータを選定することができる。本明細書において、狭義には、「診断」は、現状を診断することをいうが、広義には「早期診断」、「予測診断」、「事前診断」等を含む。本発明の診断方法は、原則として、身体から出たものを利用することができ、医師などの医療従事者の手を離れて実施することができることから、産業上有用である。本明細書において、医師などの医療従事者の手を離れて実施することができることを明確にするために、特に「予測診断、事前診断もしくは診断」を「支援」すると称することがある。本発明の技術は、このような診断技術に応用可能である。本発明の技術を用いて重水素化リン脂質の存在を特定して、このような各種診断に応用することができる。
【0048】
本明細書において使用される用語「予後」という用語は、がん等の障害、脂質メディエーターに起因する疾患、障害などに起因する死亡または進行が起こる可能性を予測することを意味する。予後因子とは疾患の自然経過に関する変数のことであり、これらは、いったん疾患を発症した患者の再発率等に影響を及ぼす。予後の悪化に関連した臨床的指標には、例えば、本発明で使用される任意の細胞指標が含まれる。予後因子は、しばしば、患者を異なった病態をもつサブグループに分類するために用いられる。本発明の技術を用いて重水素化リン脂質の存在を特定できると、特定の疾患状態と関連づけられ得ることから予後因子を提供する技術として有用であり得る。
【0049】
本明細書において使用される用語「診断薬(剤)」とは、広義には、目的の状態(例えば、がん、脂質メディエーターに関連する疾患や障害など)を診断できるあらゆる薬剤をいう。
【0050】
本明細書において使用される用語「がん」とは、ワクチンまたは医薬で治療または予防可能な任意のがんをいい、例えば、肝細胞がん、食道扁平上皮がん、乳がん、膵がん、頭頸部の扁平細胞がんまたは腺がん、結腸直腸がん、腎がん、脳がん(腫瘍)、前立腺がん、小細胞および非小細胞肺がん、膀胱がん、骨または関節がん、子宮がん、子宮頸がん、多発性骨髄腫、造血器悪性腫瘍、リンパ腫、ホジキン病、非ホジキンリンパ腫、皮膚がん、メラノーマ、扁平細胞がん、白血病、肺がん、卵巣がん、胃がん、カポジ肉腫、喉頭がん、内分泌がん、甲状腺がん、副甲状腺がん、下垂体がん、副腎がん、胆管細胞がん、子宮内膜症、食道がん、肝がん、NSCLC、骨肉腫、膵がん、SCLC、軟部組織腫瘍、AML、およびCMLが含まれるが、これらに限定されない。
【0051】
本明細書において使用される用語「脂質代謝疾患」とは、脂質または脂肪酸の代謝の異常を原因の少なくとも一つとする疾患である。脂質代謝疾患としては、例えば、肥満、高脂血症、インスリン非依存性糖尿病が挙げられるがこれらに限定されない。
【0052】
本明細書において「炎症」とは、検出可能な任意の炎症をいい、マクロファージ等炎症に関連する血液細胞の活性化(炎症細胞の走化性、活性酸素産生、貪食、酵素分泌反応など)を伴い得る。例示的な炎症として、例えば、関節炎、腱炎、滑液包炎、乾癬、嚢胞性線維症、シェーグレン症候群、巨細胞性動脈炎、進行性全身性硬化症(強皮症)、脊椎炎、多発性筋炎、皮膚筋炎、天疱瘡、類天疱瘡、橋本甲状腺炎、胆管炎、炎症性腸疾患(IBD、例えばクローン病、潰瘍性大腸炎)、大腸炎、炎症性皮膚疾患、肺炎、石綿肺、珪肺、気管支拡張症、滑石肺、塵肺、サルコイドーシス、遅延型過敏反応(例えば、ツタウルシ皮膚炎)、気道の炎症、成人呼吸窮迫症候群(ARDS)、脳炎、即時型過敏反応、喘息、花粉症、アレルギー、急性アナフィラキシー、再灌流傷害、関節リウマチ、糸球体腎炎、腎盂腎炎、蜂巣炎、膀胱炎、胆嚢炎、同種移植片拒絶反応、宿主対移植片拒絶、虫垂炎、動脈炎、眼瞼炎、細気管支炎、気管支炎、子宮頸管炎、胆管炎、絨毛羊膜炎、結膜炎、涙腺炎、皮膚筋炎、心内膜炎、子宮内膜炎、腸炎、全腸炎、上顆炎、精巣上体炎、筋膜炎、結合組織炎、胃炎、胃腸炎、歯肉炎、回腸炎、虹彩炎、喉頭炎、脊髄炎、心筋炎、腎炎、臍炎、卵巣炎、精巣炎、骨炎、中耳炎、膵炎、耳下腺炎、心膜炎、咽頭炎、胸膜炎、静脈炎、肺炎、直腸炎、前立腺炎、鼻炎、卵管炎、副鼻腔炎、口内炎、滑膜炎、睾丸炎、扁桃炎、尿道炎、膀胱炎、ブドウ膜炎、膣炎、血管炎、外陰炎、外陰膣炎、血管炎、骨髄炎、視神経炎、脊髄炎、および筋膜炎などの、急性または慢性の炎症を伴う疾患または障害が含まれるが、これらに限定されない。
【0053】
本明細書において使用される用語「マーカー」とは、ある状態(例えば、機能性、形質転換状態、疾患状態、障害状態、あるいは増殖能、分化状態のレベル、有無等)にあるかまたはその危険性があるかどうかを追跡する指標となる物質をいう。本発明において、ある状態(例えば、疾患状態、健康状態、細胞または組織の分化障害などの疾患)についての検出、診断、予備的検出、予測または事前診断は、本発明が提供する検出方法の他、マーカーに特異的な薬剤、剤、因子または手段、あるいはそれらを含む組成物、キットまたはシステム等を用いて実現することができる。
【0054】
本明細書において使用される用語「がんマーカー」とは、腫瘍マーカーとも称され、がんの診断や治療後の経過観察、再発や転移の発見に有効な生体物質または生体において見出される物質をいう。代表的には血中の物質を測定することで、がんの診断等を行うことができることができる。この場合その血中の物質ががんマーカーに該当する。
【0055】
(重水素化リン脂質)
1つの局面において、本発明は、以下の式I
【0056】
(式中、
R1およびR2は、それぞれ独立に-Hまたは-C(=O)Rであり、
Rは、直鎖または分岐状の飽和または不飽和炭化水素基であり、
ここで、該炭化水素基は8~36個の炭素原子を含み、
該炭化水素基は0~8個の二重結合を含み、
該炭化水素基上の炭素のうち少なくとも1つは、=O、-OHおよび-OOHからなる群から選択される置換基で置換されていてもよく、
該炭化水素基上の隣接する2つの炭素の組のうち少なくとも1つは、Oで置換されることでエポキシ基
【0057】
【0058】
形成していてもよく、
各RAは、それぞれ独立に水素、重水素または三重水素から選択される)
の構造を有する化合物またはその塩を提供する。
【0059】
また、上記のRを含む脂肪酸は、例えば、以下の部分が挙げられるがこれらに限定されない:
1) 飽和脂肪酸・・・炭素鎖がC8~C36までの飽和脂肪酸。
2) 不飽和脂肪酸・・・炭素がC8~C36かつ、2重結合を1~8箇所含んだ脂肪酸。
3) 水酸基結合型脂肪酸・・・水酸基が結合した脂肪酸。付加する水酸基は脂肪酸あたり1~3個。
4) エポキシ型脂肪酸・・・2)の不飽和脂肪酸の2重結合をエポキシ化した脂肪酸。エポキシ基は脂肪酸あたり1~2個。
5) オキソ型脂肪酸・・・脂肪酸のカルボキシル基のカルボニル基の他に脂肪酸中にカルボニル基またはアルデヒド基を有するものもオキソ型脂肪酸と呼ばれる。カルボニル基は脂肪酸当たり1~3個。
6) ヒドロペルオキシ型脂肪酸・・・・ヒドロペルオキシ基が結合した脂肪酸。ヒドロペルオキシ基は脂肪酸あたり1~3個。
7) 上記2)~6)に示す官能基が脂肪酸に複合的に結合した脂肪酸
8) 水酸基やヒドロペルオキシ基とともにカルボニル基やエポキシ構造が結合する脂肪酸の場合、水酸基とヒドロペルオキシ基のみを保護すればよい。
【0060】
また、sn-2の水酸基への脂肪酸結合試薬として、クロロホルム中、DCCとDMAPを用いているが、一般的には1-ヒドロキシベンゾトリアゾールやジフェニルリン酸アジド等その他多くの試薬が使用可能である。
【0061】
1つの実施形態において、Rは、直鎖状の飽和または不飽和炭化水素基である。1つの実施形態において、Rは、直鎖状の飽和炭化水素基である。1つの実施形態において、Rは、直鎖状の不飽和炭化水素基である。1つの実施形態において、炭化水素基は0、1、2、3、4、5、6、7または8個の二重結合を含む。1つの実施形態において、炭化水素基は、オメガ1、オメガ3、オメガ4、オメガ5、オメガ6、オメガ7、またはオメガ9から選択される位置の少なくとも1つに二重結合を含む。1つの実施形態において、R1は、ラウリル基、ミリストイル基、パルミトイル基、ステアリル基、9,12-オクタデカンジエノイル基、9,12,15-オクタデカントリエノイル基、5,8,11,14-エイコサテトラエノイル基、4,7,10,13,16-ドコサペンタエノイル基、7,10,13,16,19-ドコサペンタエノイル基、4,7,10,13,16,19-ドコサヘキサエノイル基からなる群から選択される。1つの実施形態において、R1は、選択される8~36個の炭素原子を含む直鎖または分岐状の飽和炭化水素基を含むアシル基であり、例えば、ラウリル基、ミリストイル基、パルミトイル基、ステアリル基などである。1つの実施形態において、R2は、ラウリル基、ミリストイル基、パルミトイル基、ステアリル基、9,12-オクタデカンジエノイル基、9,12,15-オクタデカントリエノイル基、5,8,11,14-エイコサテトラエノイル基、4,7,10,13,16-ドコサペンタエノイル基、7,10,13,16,19-ドコサペンタエノイル基、4,7,10,13,16,19-ドコサヘキサエノイル基およびからなる群から選択される。
【0062】
1つの実施形態において、同じ炭素原子上の全てのRAは、水素、重水素または三重水素から選択される同じ水素種である。1つの実施形態において、RAのうちNに結合した3つのメチル基のうち1つに存在するRAだけが重水素または三重水素であり、その他のメチル基上に存在する全てのRAは水素である。1つの実施形態において、RAのうちNに結合した3つのメチル基のうち1つに存在するRAだけが水素であり、その他のメチル基上に存在する全てのRAは重水素または三重水素である。1つの実施形態において、RAのうちNに結合した3つのメチル基上に存在する全てのRAが重水素または三重水素である。1つの実施形態において、リン酸基に直接結合した炭素上の2つのRAは重水素または三重水素である。1つの実施形態において、リン酸基に直接結合した炭素上の2つのRAは重水素または三重水素である。1つの実施形態において、Nに直接結合した炭素のうちRAが2つ結合した炭素上の2つのRAは重水素または三重水素である。
【0063】
1つの実施形態において、本発明の化合物は、天然に存在する化合物中の水素を重水素または三重水素に置き換えた化合物である。1つの実施形態において、本発明の化合物は、食品中に存在することが公知である化合物中の水素を重水素または三重水素に置き換えた化合物である。1つの実施形態において、本発明の化合物は、哺乳動物中に存在する化合物中の水素を重水素または三重水素に置き換えた化合物である。1つの実施形態において、本発明の化合物は、ヒトに存在することが公知の化合物中の水素を重水素または三重水素に置き換えた化合物である。
【0064】
(重水素化リン脂質の製造)
一つの局面では、本発明は、本発明の化合物の製造方法を提供する。
【0065】
以下に本発明の化合物の製造方法における各工程について記載する。なお、以下の製造例では、重水素を用いて例示しているが、重水素の代わりに三重水素を用いても同様の反応を行うことができる。
【0066】
合成スキーム1
【0067】
【0068】
(工程1:トリジュウテリオメチル基導入試薬の調製)
【0069】
【0070】
p-トルエンスルホニルクロリドとテトラジュウテリオメタノールとを反応させてトリジュウテリオメチル p-トルエンスルホネートが得られる。この反応は、例えば、混合物に-5~0℃にて35%苛性ソーダ水溶液をゆっくりと滴下することで進行させることができる。なお、ジジュウテリオメチル基またはモノジュウテリオメチル基を結合するリン脂質も利用可能である。p-トルエンスルホニルクロリドの代わりに、2,4,6-トリイソプロピルベンゼンスルホニルクロリドなど別の試薬、あるいは、各種アリール及びアルキルスルホン酸ハロゲン化も適宜使用することができる。
【0071】
(工程2:重水素化メチル基を含むコリンの合成)
【0072】
【0073】
N,N-ジメチルエタノールアミンと、上記で得られたトリジュウテリオメチルp-トルエンスルホネートとを反応させることで重水素が導入されたコリンが得られる。ここで、N,N-ジメチルアミノエタノールの代わりにその重水素置換体を使用することもできる。このようにして得られる重水素置換コリンとして、例えば、
【0074】
【0075】
の構造のものが挙げられるが、これらに限定されない。化合物(5)の代わりにこれらのコリンの重水素置換体を使用することで、最終生成物としてこれらの重水素置換体を含む化合物が得られる。
【0076】
ホスファチジン酸に3個のメチル基が重水素化されたコリンを、2,4,6-triisopropylbenzesulphonyl chlorideを縮合剤として、9個重水素化されたリン脂質(18)を得る事も可能である。
【0077】
(工程3:グリセロールの1-および3-ヒドロキシ基の保護)
【0078】
【0079】
グリセロールとベンズアルデヒドとを酸性条件下で反応させてグリセロールの1-および3-ヒドロキシ基を保護する。ベンズアルデヒドの代わりに、必要に応じてグリセロールの1-および3-ヒドロキシ基を保護する別の適当な保護基を与える化合物を使用してもよい。
【0080】
(工程4:グリセロールの2-ヒドロキシ基の保護)
【0081】
【0082】
グリセロールの2-ヒドロキシ基に保護基を導入する。例えば、塩基性条件下でベンジルクロリドを添加することで、-OR’としてベンジル基を導入することができる。-OR’は、任意の好適な置換基であり、グリセロールの1-および3-ヒドロキシ基の保護基を除去する条件で除去されないように選択することが好ましい。一つの実施形態において、-OR’は、容易に脱離反応が起こるような置換基が選択され得る。一つの実施形態において、-OR’は、ベンジル基、メトキシ基、エトキシ基、イソプロピルオキシ基などであり得る。
【0083】
(工程5:グリセロールの1-および3-ヒドロキシ基の脱保護)
【0084】
【0085】
グリセロールの1-および3-ヒドロキシ基の保護基を除去する。例えば、ベンズアルデヒドによって保護を行った場合、酸性条件下で加水分解することで脱保護することができる。このときの反応条件は、-OR’が除去されない条件を使用することが好ましい。
【0086】
(工程6:グリセロールの1-ヒドロキシ基への脂肪酸の導入)
【0087】
【0088】
グリセロールの1-ヒドロキシ基に脂肪酸を導入する。R1は、-C(=O)Rであり、Rは直鎖または分岐状の飽和または不飽和炭化水素基であり、ここで、該炭化水素基は8~36個の炭素原子を含み、該炭化水素基は0~8個の二重結合を含み、該炭化水素基上の炭素のうち少なくとも1つは、=O、-OHおよび-OOHからなる群から選択される置換基で置換されていてもよい。リパーゼによって酵素的に導入してもよいし、公知の化学的エステル化法によって導入してもよい。リパーゼによってこの反応を行う場合、R’は、例えば、ベンジル基、メトキシ基、エトキシ基、イソプロピルオキシ基などのリパーゼによって認識され基質となるような置換基が選択され、リパーゼの種類および反応条件(温度、溶媒、濃度など)が適当に制御される。リパーゼによってこの反応を行う場合、光学純度の高い生成物が取得され得る。化学的エステル化法によってこの反応を行う場合、生成物はラセミ体として取得され得る。
【0089】
本発明のリパーゼとしては、トリグリセリド等の脂質を基質とする任意のリパーゼが利用可能である。本発明で使用するリパーゼは、好ましくは、トリグリセリドの1位および/または3位を選択的に加水分解するリパーゼ(脂質分解酵素)である。リパーゼは、天然の酵素であっても、組換え酵素であってもよい。また、本発明において使用される「リパーゼ」は、溶液の形態であっても、固定化された形態であってもよい。微生物由来のリパーゼとしては、例えば、Candida cylindoracea由来のリパーゼOF(商品名、名糖産業(株)製)、Alcaligenes sp.由来のリパーゼQLM、リパーゼQLC、リパーゼPL(いずれも商品名、名糖産業(株)製)、Burkholderia cepacia由来のリパーゼPS(商品名、天野エンザイム(株)製)、Pseudomonas fluorescens由来のリパーゼAK(商品名、天野エンザイム(株)製)などが挙げられるがこれらに限定されない。好ましくは、本発明において使用するリパーゼは、トリグリセリドの1位及び3位を選択的に加水分解する微生物由来リパーゼである。本発明においては、固定化リパーゼ、例えば、Thermomyces lanuginosa由来の固定化リパーゼ、リポザイムTLIM(商品名、ノボザイム社製)を用いることができるがこれに限定されない。本発明において特に好ましいリパーゼは、リパーゼAmanoPSである。リパーゼ酵素タンパク質は、好ましくは、物理的・生化学的など一般的な安定性を有し、さらに好ましくは、化学的には有機溶剤に安定である事が望まれる。当業者は、溶媒・アシル化剤・温度・濃度などを適宜選択し添加することによって、所望の立体選択性を得ることができる。リパーゼ反応時の好ましい溶媒は、ジクロロメタンである。リパーゼ反応時の好ましい温度は、-20℃~50℃、より好ましくは-10℃~30℃、さらにより好ましくは-5℃~20℃、最も好ましくは-2℃~10℃、例えば、10℃である。リパーゼ反応の好ましい反応時間は、0.5時間~24時間、より好ましくは1時間~10時間、さらにより好ましくは2時間~7時間、最も好ましくは3時間~6時間、例えば、6時間である。アシル化剤としては、パルミチン酸ビニルエステルだけではなく、パルミチン酸イソプロペニルエステル、パルミチン酸トリフルオロエチルエステル、パルミチン酸無水物、2-O-ベンジルグリセリド、あるいは、その他の飽和脂肪酸のビニルエステルも利用可能である。本発明によって達成される鏡像異性体過剰率は、80%以上、85%以上、90%以上、92%以上、94%以上、96%以上、98%以上、99%以上、または、99.5%以上である。
【0090】
リパーゼを触媒とするアシル化反応における立体選択性が高いか低いかどうか、つまり高光学純度の生成物を与えるかどうかは、一般にリパーゼの種類、基質の種類、アシル化剤の種類、溶媒の種類、酵素濃度、アシル化剤の濃度、基質の濃度、温度など多数の要因の影響を受ける。また、高い立体選択性を得るための幾つかの理論的・経験的条件が知られている。その一方で、例えば温度は低い程、立体選択性は高いが、反応温度が低い場合、反応収率が低下するという問題がある。このような現状を踏まえ、本願では2-O-Benzylglycerolというエナンチオトッピックな基質の水酸基に立体選択的にパルミトイル基を結合させ、高光学純度の2-O-benzyl-1-palmitoylglycerol(9)を得るための条件検討を行った。その結果、2-O-ベンジルグリセロール(8)(0.494g,2.5mmol)及びビニルパルミテート(1.41g,5.0mmol)のジクロロメタン(5.2mL)溶液を10℃に冷却し、撹拌下、Lipase PS-IM-Amano(100mg)(天野エンザイム株式会社)を加えて、6時間撹拌する事により、光学純度(98%以上)の2-O-benzyl-1-palmitoylglycerol(9)が得られる事を始めて明らかにした。なお、こうして得られた高光学純度の2-O-benzyl-1-palmitoylglycerol(9)は様々な光学活性グリセロリン脂質合成の共通中間体として極めて重要な化合物である。更にこのような条件が確定すれば、その反応スケールを拡大する事は、当業者にとって極めて容易である。それに比べてキラルカラムの場合は高光学純度の2-O-benzyl-1-palmitoylglycerol(9)を得る事は可能であるが、高価な光学活性カラムによる基質処理量が非常に少なく、処理量を増やすためにカラムサイズを大きくするとコスト的に非常に高くなるばかりでなく、カラムから排出する不要な溶媒処理も必要となる。
【0091】
リパーゼの酵素反応は、有機溶剤(クロロホルム、n-ヘキサン、イソプロピルエーテル等)中で実施してもよい。ジクロロメタン中で反応を行うと、比較的容易に光学活性なリン脂質(光学純度の高い生成物)が取得され得る。
【0092】
この反応について、例えば、以下の文献を適宜参照することで適切な改変が行われ得る。M.Murata et al.,Efficient lipase-catalyzed synthesis of chiral glycerol derivatives.Chem.Pharm.Bull.,1989,37,2670-2672、O.Ghisalva et al.,Enzymatic preparation of acylglycerols of high optical purity.Recl.Trav.Chim.Pay-Bas.1991,110,263-64、村田正和ら、有機溶媒中での酵素触媒不斉反応の設計と光学活性医薬品合成への応用.有機合成化学、1991,49,1127-1141、およびS.Hazarika,P.Goswami,and N.N.Dutta,Lipase catalyzed transesterification of 2-o-benzylglycerol with vinyl acetate: solvent effect. Chemical Engineering Journal,2003,94,1-10。
【0093】
(保護基)
本発明において、保護基を使用し、リパーゼあるいはそれ以外の方法でグリセロールをパルミトイル化して高光学純度中間体であるパルミトイルグリセロールを合成する方法を行う場合、使用する保護基は、2-O-ベンジルグリセロールに限定されるものではない。
【0094】
使用する保護基における最初の必要条件は、グリセロール骨格の2位に結合する置換基が、水素化分解で除去できる必要がある事である。本願では最も単純な例として、Benzyl基(以下の化学式の構造Aにおいて、R1-R7=H)。を使用しているが、以下の化学式の構造式BまたはCの化合物を用いても本発明の方法の実施が可能である。なお、この水素化分解脱保護により、リパーゼでエステル結合させたパルミトイル基は切断されない。
【0095】
【0096】
構造式A、BまたはCのいずれかを有する化合物を使用する場合、好ましくは、R1=R2である。R1≠R2の場合、それらが結合する炭素、C★が不斉中心となり、構造式Dのラセミ型が得られる。ラセミ型が得られた場合、グリセロール骨格に残るOH基を利用して、これらのラセミ体を光学分割することも可能である。しかし、R1、R2が結合する不斉中心と残る水酸基が遠く離れすぎているため、リパーゼによるOH基の光学分割では、高い立体選択性は期待できない。それゆえ、本発明において、好ましくは、R1=R2である。
【0097】
さらに、構造式A、BまたはCのいずれかの化合物を使用する場合、R1~R11のいずれかが独立して、メチル基、エチル基、プロピル基、および/またはイソプロピル基他で置換されていて十分にリパーゼの基質となり、高い立体選択性を与え得る。
【0098】
本発明にしたがいリパーゼを用いてパルミトイルグリセロールをする方法は、例えば、上記の構造式A、BまたはCのいずれかを有する化合物および脂肪酸を基質としてリパーゼ酵素反応をする工程を包含する。上記の構造式A、BまたはCのいずれかを有する化合物において、R1~R11は独立に、H、炭素数1~6のアルキル基、炭素数1~5のアルキル基、炭素数1~4のアルキル基、または、炭素数1~3のアルキル基である。ならびに/あるいは、記の構造式A、BまたはCのいずれかを有する化合物において、好ましくは、R1=R2である。
【0099】
(工程7:グリセロールの3-ヒドロキシ基へのリン酸基およびコリンの導入)
【0100】
【0101】
塩化ホスホリルおよび工程2で合成した重水素化コリンのp-トルエンスルホン酸塩(化合物5)と反応させることでグリセロールの3-ヒドロキシ基にリン酸基およびコリンを導入する。反応は、例えば、塩化ホスホリルに、0~5℃、窒素雰囲気で、撹拌しながら、乾燥トリエチルアミンおよび工程6の生成物の乾燥クロロホルム溶液をゆっくりと滴下し、その後、乾燥ピリジンおよび重水素化コリンのp-トルエンスルホン酸塩を添加して室温で反応させることで進行させることができる。
【0102】
(工程8:グリセロールの2-ヒドロキシ基の脱保護)
【0103】
【0104】
グリセロールの2-ヒドロキシ基に導入した保護基を取り除く。この反応は、例えば、保護基R’としてベンジル基を導入した場合、工程7の生成物(化合物10)をメタノールと水の混合溶媒に溶解し、炭素担持水酸化パラジウムおよび水素ガスによって処理することで進行させることができる。
【0105】
(工程9:グリセロールの2-ヒドロキシ基への脂肪酸の導入)
【0106】
【0107】
重水素化リゾホスファチジルコリンと、脂肪酸とを反応させることでグリセロールの2-ヒドロキシ基に第二の脂肪酸を導入する。反応は、例えば、工程8(化合物11)で調製した重水素化リゾホスファチジルコリンと、導入する脂肪酸R2-COOHを、エタノールを含まない乾燥クロロホルムに溶解し、これにジシクロヘキシルカルボジイミド(DCC)とジメチルアミノピリジン(DMAP)および極少量のブチル化ヒドロキシトルエンを加えて窒素雰囲気下で撹拌することで進行させることができる。上記の例においてDCCおよびDMAPが使用されているが、この反応において、これらの試薬に限定されず、当業者であれば、1-ヒドロキシベンゾトリアゾールおよびジフェニルリン酸アジドなどの他の公知の試薬も適宜選択することができる。
【0108】
一つの実施形態において、R2は、C8~C36の飽和または不飽和炭化水素基であり得、ここで、該炭化水素基は、2重結合を0~8個含み、水酸基(-OH)を0~3個含み、エポキシ基を0~2個含み、カルボニル基を0~2個含み、ヒドロペルオキシ基(-OOH)を0~3個含む。一つの実施形態において、R2は、C8~C36の飽和炭化水素基であり得る。一つの実施形態において、R2は、2重結合を1~8個含むC8~C36の不飽和炭化水素基であり得る。一つの実施形態において、R2は、水酸基(-OH)を1~3個含むC8~C36の飽和炭化水素基であり得る。R2が、水酸基を含む炭化水素基である場合、この水酸基をエステルまたはシリルエーテルとして保護した脂肪酸を、重水素化リゾホスファチジルコリンと反応させた後に、水酸基の脱保護を行うことで、水酸基を含むR2を導入することができる。一つの実施形態において、R2は、エポキシ基を1~2個含むC8~C36の飽和炭化水素基であり得る。一つの実施形態において、R2は、カルボニル基を1~2個含むC8~C36の飽和炭化水素基であり得る。一つの実施形態において、R2は、ヒドロペルオキシ基(-OOH)を1~3個含むC8~C36の飽和炭化水素基であり得る。R2が、ヒドロペルオキシ基を含む炭化水素基である場合、このヒドロペルオキシ基をパーアセタールとして保護した脂肪酸を、重水素化リゾホスファチジルコリンと反応させた後に、ヒドロペルオキシ基の脱保護を行うことで、ヒドロペルオキシ基を含むR2を導入することができる。R2が、2重結合、水酸基(-OH)、エポキシ基、カルボニル基、およびヒドロペルオキシ基(-OOH)のうちの複数を含む場合、水酸基および/またはヒドロペルオキシ基のみを保護し、他の官能基を保護しなくても目的のR2が導入され得る。
【0109】
さらに、任意選択で以下の工程10および工程11によって、コリンを重水素置換コリンへと変換することもできる。これらの工程については、例えば、H-U.Gally,W.Niederberger,and J.Seeling,Conformation and motion of the choline head group in bilayers of dipalmitoyl-3-sn-phosphatidylcholine. Biochemistry,*1975*,14,3674-3652、G.S.Harbison and R.G.Grifin,Improved method for the synthesis of phosphatidylcholines.Journal of Lipid Research,*1984*,25,1141-1144.、およびK.M.Patel,J.D.Morrisett,and J.T.Sparrow,The conversion of phosphatidylethanolamine into phosphatidylcholine labeled in the choline group using methyl iodide, 18-crown-6 and potassium carbonate. Lipids,*1979*,14,596-597),S.Sunder et al.,Infrared and Raman spectra of specifically deuterated 1,2-dipalmitoyl-sn-glycero-3-phosphocholines,Chemistry and Physics of Lipids,1981,28,137-148.などを参照のこと。
【0110】
また(14)は重水素化されていないリン脂質である(12)から、2-アミノエタノールと反応させて(13)を得て、これに重水素化ヨウ化メチルと反応させることでも合成が可能である(後段での重水素化)。
【0111】
また2個の重水素が置換された2-アミノエタノールを(12)と反応させて(13)を得る。これに重水素化ヨウ化メチルと反応させ、11個重水素化されたリン脂質(14)を得ることが可能である。
【0112】
(工程10:コリンのアミノエタノールへの変換)
【0113】
【0114】
工程10は、工程9の生成物(化合物12)を、ホスホリパーゼDの存在下で2-アミノエタノールと反応させることで、コリンを2-アミノエタノールで置き換える。2-アミノエタノールは、必要に応じて、その重水素置換体を使用してもよく、このような重水素置換体として、例えば、2,2-ジジューテリオ-2-アミノエタノール、1,1-ジジューテリオ-2-アミノエタノールおよび1,1,2,2-テトラジューテリオ-2-アミノエタノールなどを使用することができ、これらの重水素置換体を使用した場合には最終生成物としてより多くの重水素を含む化合物が得られる。
【0115】
(工程11:アミノエタノールへの重水素化メチル基の導入)
【0116】
【0117】
工程11は、工程10の生成物(化合物13)に重水素化メチル基を導入する。この反応は、例えば、工程10の生成物を水酸化カリウムなどの塩基性条件下で重水素化ヨウ化メチル(CD2I)と混合することで進行し得る。
【0118】
一つの局面では、上記の合成経路以外でも以下のような合成法を使用することができる。
5) 別法;
一つの実施形態では、例えば、J.Xia and Y-Z.Hui,Synthesis of a small library of mixed-acid phospholipids from D-Mannitol as a homochiral starting material.Chem.Pharm.Bull.,1999,47,1659-1663.などを参照して、光学活性マンニトールの立体配置を変えないでホスファチジルコリン(PC)に変換する方法を利用することができ、この方法において重水素化N,N-ジメチルエタノールアミン(化合物4)を導入することで化合物12が得られ得る。
【0119】
一つの実施形態では、例えば、R.Rosseto et al.,A new approach to the synthesis of lysophospholipids: preparation of lysophosphatidic acid and lysophosphatidylcholine from p-nitrophenyl glycerate.Tetrahedron Letters,2004,45, 7371-7373などを参照して、p-ニトロフェニルグリセレートからホスファチジルコリンに変換する方法を利用することができ、光学活性なグリセリド骨格を持ったp-ニトロフェニルグリセレートに上記の重水素化コリンを導入することで化合物12が得られ得る。
【0120】
一つの実施形態では、例えば、J.Lindberg et al.,Efficient synthesis of phospholipids from glycidyl phosphates.J.Org.Chem.,2002,67,194-199などを参照して、市販の光学活性グリシドールからホスファチジルコリンに変換する方法を利用することができ、光学活性なグリセリド骨格を持ったグリシドールに上記の重水素化コリンを導入することで化合物12が得られ得る。
【0121】
一つの実施形態では、例えば、P.D’Arrigo and S. Servi, Synthesis of Lysophospholipids.Journal of Organic Chemistry,*2002*,67,194-199.などを参照して、光学活性グリシドールにコリントシレート(化合物5)を作用させてリゾリン脂質を合成し、これに不飽和脂肪酸を結合させること(工程9)によって化合物12を合成することもできる。
【0122】
(重水素化リン脂質の使用)
EPA、DPAおよびDHAなどの脂肪酸を含むリン脂質の生体機能における重要性について、多くの論文が発表されている。しかし、血液など生体組織では、化学構造が類似する様々なリン脂質分子種が混在し、それらの分布は組織間でも異なり、化学構造も代謝過程で刻々変化する。そのため、ある特定のリン脂質分子種の構造変化を、時間を追って追跡する事は極めて難しい。近年、質量分析計によるリピドミクス解析が行われているが、上記のような解析は十分に実施されていない。他方、本発明の重水素化リン脂質を使用すれば、リン脂質の特異的代謝に伴う構造変化が追跡可能となり得る。
【0123】
1つの局面において、本発明は、本発明のリン脂質を含む組成物を提供する。重水素化されたリン脂質は、重水素化されていない対応するリン脂質と同様の物理化学的性質を示し、生体内で同様の吸収、分布、代謝、または排出を示すと考えられる。しかし、重水素化されたリン脂質は、重水素化されていない対応するリン脂質と質量が異なるため、重水素化されたリン脂質またはその代謝物は質量分析計による解析によって容易に区別することができる。そのため、特に代謝に伴うリン脂質の構造変化の追跡に有用に利用され得る。
【0124】
一つの実施形態において、本発明の組成物は、リン脂質の吸収、代謝、分布、または排出を検出または測定するために使用される。
【0125】
一つの実施形態において、本発明の組成物は、対象に投与される。一つの実施形態において、対象は、哺乳動物であり得、例えば、ヒト、マウス、ラット、イヌ、サル、ウサギなどであるが、これらに限定されない。いずれの適当な投与方法が使用されてもよいが、例えば、経口投与、注射などが使用される。
【0126】
一つの実施形態において、本発明の組成物は、インビトロで試料と接触させられる。一つの実施形態において、試料は、生体試料であり、例えば、組織、血液、尿、唾液、涙などであるがこれらに限定されない。
【0127】
一つの実施形態において、本発明の組成物は、食品の品質評価のために使用され得る。EPA、DHAおよびDPAなどの脂肪酸を含むリン脂質は海産物やそれらの加工食品に多く含まれ、これらのリン脂質は食品の劣化によって酵素的・化学的に変化し得るので、本発明の組成物を使用してこの変化を分析することができる。例えば、本発明の組成物を、食品にあらかじめ添加し、その後の変化を追跡する事によって食品の劣化測定が可能であり得る。
【0128】
(リン脂質代謝異常の測定)
一つの実施形態において、本発明の組成物は、リン脂質代謝異常の測定のために使用され得る。例えば、患者と健常者より採取した組織、血液、血清または血漿に添加し、そこで起こる化学変化を検出する事(例えば、生成される同位体標識された化合物の種類と量を測定する事)により、健常者と比較して患者のリン脂質代謝が異常か否かを決定することが可能となる。
【0129】
(疾患または状態の診断のための使用)
一つの実施形態において、本発明の組成物は、疾患の診断のために使用され得る。疾患は、リン脂質が関連する任意の疾患であり得、例えば、脂質代謝に異常を生じる疾患(例えば、肥満、高脂血症、インスリン非依存性糖尿病、および、変形性膝関節症が挙げられるがこれらに限定されない)、がん、炎症、動脈硬化、アルツハイマー病、敗血症、抗リン脂質抗体症候群(加齢性黄斑変性症、全身性エリテマトーデスなど)などであり得るが、これらに限定されない。例えば、本願発明の組成物を、生体より採取した組織、血液、血清または血漿に添加し、そこで起こる化学変化を検出する事(例えば、生成される同位体標識された化合物の種類と量を測定する事)により、病態や進行度などの診断が可能となり得る。
【0130】
(1)アルツハイマー病の診断
アルツハイマー病の診断にはもっぱら病理学的手法が取られているが、バイオマーカーによる診断法には、まだ多くの問題が残されている。この点に関してGonzalez-Dominguezらが2016年に発表した論文(Current Alzheime
r Research,2016,13,641-653)は、血清中のリン脂質の化学変化がアルツハイマー病や軽度認知症の病態と密接に関係している事を述べており、下記のような重要な内容が指摘されている。
「アルツハイマー病研究における血液の使用は、これまで顧みられなかった。その理由は、血液をベースにした測定と脳におけるプロセスの間の関係が難しいと考えられていたからである。しかし、血清におけるメタボローム的代謝異常と脳試料との間には密接な関係がある事が形質転換したアルツハイマー病モデルを用いて最近証明された。更にアルツハイマー病は全身性疾患だという証拠が増加しつつある。この事はアルツハイマー病に関係する病理学的メカニズムの研究においては末梢血の利用が重要である事を証明している。アルツハイマー病はリン脂質とスフィンゴ脂質の代謝傷害と関係していて、それらに結合するアシル鎖の長さと不飽和度が決定的役割を担っている。アルツハイマー病は、かつてはホスホリパーゼ類による脳リン脂質の過剰分解と関係づけられていた。それは細胞膜の破壊につながる。また、神経組織に高濃度に存在するDHAやアラキドン酸のような不飽和脂肪酸の酸化ストレスによる消失は細胞膜の損傷を引き起こし、これがアルツハイマー病の病理に関わってくる。この合理性が飽和脂肪酸結合ホスファチジルコリンとホスファチジルエタノールアミンが増加し、同時にリノール酸、アラキドン酸やDHAなどの不飽和脂肪酸結合ホスファチジルコリンが有意に減少するという事実によって確証された。」このような背景より、以下に述べるように、本発明のリン脂質は、優れた診断薬を提供し得る。
【0131】
血漿中のリン脂質の種類・量とアルツハイマー病との関連性についてはこれまで幾つかの報告がある。例えば認知症を伴うアルツハイマー病患者の血漿からsn-1位にパルミチン酸が結合し、sn-2位にEPAまたはDHAを結合するホスファチジルコリン(PC16:0/20:5, PC16:0/22:6)およびsn-1位にステアリン酸が結合し、sn-2位にDHAを結合するホスファチジルコリン(PC18:0/22:6)の3種類の分子種が減少するという結果が2013年に発表された。これらの結果からアルツハイマー病の病理に特定のホスファチジルコリンが関与していると著者らは述べている。(Luke Whiley et al, Evidence of altered phosphatidylcholine metabolism in Alzheimer’s disease,Neurobiology of Aging,35,2014,1~8)
また、アルツハイマー病を含む多くの病態では、リン脂質を基質とする血漿中のホスホリパーゼA2活性が変化する事もよく知られている。(J.R Sundaram,E.S Chan,C.P Poore,T.K Pareek,W.F Cheong G Shui,N Tang C.M Low,M.R Wenk,and S Kesavapany.(2012)Cdk5/p25-Induced cytosolic PLA2-mediated lysophosphatidylcholine production regulates neuroinflammation and triggers neurodegeneration.The Journal of Neuroscience,32,2012,1020~1034)
従ってアルツハイマー病の病態に対応するリン脂質の種類および量的変化はホスホリパーゼA2が深く関与している。リン脂質に本酵素が作用するとリゾリン脂質と脂肪酸が生成する。また、アルツハイマー病患者の血液と脳ではDHA量が減少しているというという事実にも矛盾しない(Javier Orazaran,et al.,A blood-based,7-metabolite signature for the early diagnosis of Alzheimer’s disease,Journal of Alzheimer’s disease,45,2015,1157-1173)。
【0132】
これらの事実に基づいて、アルツハイマー病の診断が可能と報告されている。しかし、生体リン脂質、脂肪酸やリゾリン脂質の種類は極めて多様であり、それらの分析を同時に高い信頼性で行う事は、リピドミクス手法を用いても容易ではない。
【0133】
本発明で合成した重水素化リン脂質をESI MASS分析する際に、プロダクトイオンをm/z187と入力する(m/z187と入力する事によって重水素化リン脂質以外のリン脂質は一切検出されない。)事によって、重水素化リン脂質とその構造変化を受けたものを全て同時に極めて高い選択性で検出する事ができる。
【0134】
従って、例えば重水素化リン脂質(PC16:0/20:5, PC16:0/22:6,PC18:0/22:6)を血液に添加し、一定時間インキュベートした後に回収される試料のESI MASSスペクトルから、残存する重水素化リン脂質および、それらから生成するリゾホスファチジルコリンの変動を同時分析する事によってアルツハイマー病の診断が可能である。
【0135】
例えば血液ではないが脳脊髄液中のリゾホスファチジルコリンとホスファチジルコリンの比率はアルツハイマー病と関係している事が報告されている。(C.J.J.Mulder et al.,Decreased lysophosphatidylcholine/phosphatidylcholine ratio in cerebrospinal fluid in alzheimer’s disease, journal of Neural Transmission 110,2003,949-55)
なお、上記のLuke Whiley et alに報告されている3種類分子種はいずれも、本発明で合成した重水素化ホスファチジルコリンの重水素をもとの水素原子に置き換えたものに他ならない。
【0136】
また、不飽和脂肪酸やリン脂質に結合する不飽和脂肪酸は生体で酸化ストレスを受けてそれらの過酸化物類が生成し、これらは炎症を含む様々な病態と関係している事は古くから知られている。アルツハイマー病患者の組織においても多数報告されている(Elic Tonnies et al., Oxidative stress, synaptic dysfunction, and Alzheimer’s disease,Journal of Alzheimer’s Disease,57,2017,1105-1121)。
【0137】
本発明で合成した重水素化リン脂質に結合するEPA、DPAまたはDHAは生体で重要な役割を担っている一方、酸化ストレスや炎症等が原因で極めて酸化されやすい。しかもその酸化生成物の組成は単純ではなく様々な分子種を含む。プロダクトイオンをm/z187と入力し、ESI MASSを測定する事によって、重水素化リン脂質のほとんど全ての酸化生成物分子種を同時に分析する事ができる(Hiroko Tominaga et al.,Molecular proves in tandem electrospray ionization mass spectrometry:application to tracing chemical changes of specific phospholipid molecular species,American Journal of Analytical Chemistry,4,2013,16~26)
この分析によってアルツハイマー病などの病態とESI MASSにおけるリン脂質酸化物パターンとの相関性が確認できれば診断に応用できる。ただ、上記いずれの方法も、単独では特定の病気の選択的診断は難しい。
【0138】
このような場合に、m/z187を用いるESI MASS測定において、重水素化リン脂質そのものの量的変化、リゾホスファチジルコリンの生成、および過酸化物分子種のパターンの同時解析とアルツハイマー病を含む病態との関連性をより高い精度で診断に応用できる。
【0139】
上記の従来技術に基づくと、健常人はアルツハイマー病患者よりもホスホリパーゼA2酵素の発現量が高く、あるいは酵素活性が上昇する。更にオメガ3脂肪酸であり抗炎症性に深く関わるEPA、DHAまたはDPAを結合するホスファチジルコリンD3およびオメガ6脂肪酸である炎症性アラキドン酸が結合するホスファチジルコリンD3はホスホリパーゼA2の作用により、それぞれのリゾホスファチジルコリンD3を生成する。そして、それぞれの酵素反応におけるPCD3/Lyso-PCD3の比率は病態の有無・種類によって異なることが予想される。なお、病態の根底にある炎症に伴い活性化されたホスホリパーゼA2は膜リン脂質に結合するアラキドン酸を遊離させ、これがアラキドン酸カスケードを通して各種炎症性物質を生成する事は古くから知られている。したがって、本発明の同位体標識された化合物は、脳におけるアルツハイマー病に起因する炎症状態の指標として利用可能であると考えられ、それゆえ、アルツハイマー病の診断およびアルツハイマー病の疾患状態の診断に利用可能であることが予測される。以上の理解に基づき、本発明を利用することによって、アルツハイマー病の診断が可能である。例えば、診断対象の体液(例えば、血液、唾液、尿または脳脊髄液などの体液)と同位体標識した本発明のリン脂質を混合し、反応混合物中の標識リン脂質の種類および量を決定することによって、アルツハイマー病の診断を行うことが可能である。例えば、同位体標識したリン脂質として、EPA、DHA、DPAまたはAA(アラキドン酸)を結合するホスファチジルコリンD3を体液に投与し、一定時間インキュベートした後にリン脂質D3を含む脂質試料を抽出し、ESI MASSによって分析し、PCD3/Lyso-PCD3比率を測定することによって、アルツハイマー病の診断をすることが可能である。
【0140】
(2)変形性膝関節症
変形性膝関節症の進行度と血漿中のリゾホスファチジルコリン/ホスファチジルコリン比が関係し、診断に使えるという研究が報告された。(Weidong Zhang et al.,Lysophosphatidylcholines to phosphatidylcholines ratio predicts advanced knee osteoarthritis,Rheumatology,55,2016,1566~1574)この方法の効率化・精度向上にも本特許で合成した重水素化リン脂質が応用しうると考えられる。
【0141】
また、本方法は血漿の他に唾液などにも応用可能である。(Arkasubhra Ghosh and Krishnatej Nishtala,Biofluid lipidome:a source for potential diagnostic biomarkers,Critical and Translational Medicine,6,2017,1~10)よって変形性膝関節症についてもアルツハイマー病診断と同じくEPA、DHA、DPAまたはAAを結合するホスファチジルコリンD3と、それらから生成する各リゾホスファチジルコリンD3の生成量比より診断を可能とする。その理由を、以下に述べる。
【0142】
上記の従来技術に基づくと、健常人は変形性膝関節症患者よりもホスホリパーゼA2酵素の発現量が高く、あるいは酵素活性が上昇する。更にオメガ3脂肪酸であり抗炎症性に深く関わるEPA、DHAまたはDPAを結合するホスファチジルコリンD3およびオメガ6脂肪酸である炎症性アラキドン酸が結合するホスファチジルコリンD3はホスホリパーゼA2の作用により、それぞれのリゾホスファチジルコリンD3を生成する。そして、それぞれの酵素反応におけるPCD3/Lyso-PCD3の比率は病態の有無・種類によって異なると予想される。なお、病態の根底にある炎症に伴い活性化されたホスホリパーゼA2は膜リン脂質に結合するアラキドン酸を遊離させ、これがアラキドン酸カスケードを通して各種炎症性物質を生成する事は古くから知られている。したがって、本発明の同位体標識された化合物は、各種組織の炎症状態の指標として利用可能であると考えられ、それゆえ、変形性膝関節症の診断および変形性膝関節症の疾患状態の診断に利用可能であることが予測される。以上の理解に基づき、本発明を利用することによって、変形性膝関節症の診断が可能である。例えば、診断対象の体液(例えば、血液、唾液、尿または脳脊髄液などの体液)と同位体標識した本発明のリン脂質を混合し、反応混合物中の標識リン脂質の種類および量を決定することによって、変形性膝関節症の診断を行うことが可能である。例えば、同位体標識したリン脂質として、EPA、DHA、DPAまたはAA(アラキドン酸)を結合するホスファチジルコリンD3を体液に投与し、一定時間インキュベートした後にリン脂質D3を含む脂質試料を抽出し、ESI MASSによって分析し、PCD3/Lyso-PCD3比率を測定することによって、変形性膝関節症の診断をすることが可能である。
【0143】
またそれ以外の症例についても同様に各PCD3/Lyso-PCD3比率による診断に応用する事ができる。例えば採取した各組織及び各体液の数値やその他バイオマーカーの値を組み合わせることで、種々の病態の診断に可能性がある。
【0144】
(本発明の特徴)
生体リン脂質の大部分を占める代表的なホスファチジルコリンは、グリセロール骨格の2位の炭素が不斉中心となっているため、光学活性となっている。この不斉中心は非常に高い鏡像体過剰率を持っているため、そのような不斉中心を有するグリセロール骨格を化学的に構築するのは容易ではない。このような事情から、自然界に存在する光学活性グリセロリン脂質を、不斉中心を残しつつ、部分的に分解し、目的とするリン脂質に再構築するという方法が取られてきた。しかし、この方法では、不斉中心を含む断片構造のコリン部分に重水素を導入する事は殆ど不可能である。他にもマンニトール等の光学活性天然物を用いる方法があるが、何れも操作が煩雑である。本願ではこの問題を解決するため、微生物由来の酵素リパーゼ用いてパルミトイル基を立体選択的にグリセロール骨格に結合させる事によって光学活性なグリセロール中間体を合成し、これに予め合成しておいた重水素化コリンを結合し、脱保護の後、最後にEPA、DPAまたはDHAを結合するという方法を実施した。
【0145】
なお、過去の報告例から、リパーゼによるパルミトイル基の導入は必ずしも高い立体選択性を与えるとは限らないので、本願では、H.Hazarika等の文献(Chemical Engineering Journal,*2003*,94,1-10)を参考に、パルミチン酸ビニルエステルをアシル化剤として使用し、リパーゼPS(Amano)IMを触媒とし、ジクロロメタン中、10℃で反応を行う事によって非常に高い鏡像異性体過剰率を持つ中間体を合成する事ができた。アシル化剤としては、パルミチン酸ビニルエステルだけではなく、パルミチン酸イソプロペニルエステル、パルミチン酸トリフルオロエチルエステル、またはパルミチン酸無水物、あるいは、その他の飽和脂肪酸のビニルエステルも利用可能である。本発明によって達成される鏡像異性体過剰率は、80%以上、85%以上、90%以上、92%以上、94%以上、96%以上、98%以上、99%以上、または、99.5%以上である。
【0146】
なお、本発明で目的とする重水素化リン脂質の内、特にDPAを結合するものについては、合成に必要な高純度DPAの入手が容易でなかった点が問題の一つであった。しかし、本発明では、EPAから高純度DPAを化学的に短経路で合成する新規方法を開発した事により、それが可能となった。
【0147】
(本発明の効果)
生体組織にはEPA、DPAおよび/またはDHAを含む様々な脂肪酸を結合する多数のリン脂質分子種が存在し、それぞれの役割を担っている。また、これら分子種の役割と代謝は生体の恒常性や病態と深く関わっているが、リン脂質分子種の多様性に加え、これらの病態との関連性は極めて複雑である。従って、健康に対して極めて重要な栄養素として近年注目されているEPA、DPAまたはDHAを結合する特定のリン脂質を、仮にそれらと同じ化学構造を持つ天然・合成標準物質(公知物質)が有ったとしても、複雑な生体リン脂質の中からそれらを選択的に検出する事は容易ではない。この問題に対して、現在、最も有力な方法はメタボローム解析であるが、この方法では質量分析に先立って生体試料中のリン脂質成分を高速液体クロマトグラフィーで分離しなければならない。他方、本願で合成したEPA、DPAまたはDHAを結合する重水素置換した合成リン脂質は、生体組織に加えられた場合、その中での化学変化を、液体クロマトグラフィーによる分離操作を必要とせず、質量分析法でプレカーサーイオン検出によって極めて特異的に追跡する事ができる。このような点から、本願で合成したEPA、DPAまたはDHAを結合する新規重水素置換リン脂質は公知物質と比較して極めて優れた効果を奏し、今後、リン脂質代謝に関する基礎研究のみならず診断薬への応用が期待される。
【0148】
以上、本発明を、理解の容易のために好ましい実施形態を示して説明してきた。以下に、実施例に基づいて本発明を説明するが、上述の説明および以下の実施例は、例示の目的のみに提供され、本発明を限定する目的で提供したのではない。従って、本発明の範囲は、本明細書に具体的に記載された実施形態にも実施例にも限定されず、特許請求の範囲によってのみ限定される。
【実施例】
【0149】
以下に実施例を記載する。
【0150】
(実施例1)
2-O-ドコサペンタエノイル-1-O-パルミトイル-グリセロホスホコリンD3(13)の合成
合成スキーム
【0151】
【0152】
上記合成スキームは、DPAが結合した重水素化ホスファチジルコリンの合成経路を示すが、EPAやDHAの場合も同様に合成可能である。以前に報告されたリン脂質過酸化物の合成方法(Naomichi Baba,Kenji Yoneda,Shoichi
Tahara,Junkichi Iwasa,Takao Kaneko,Mitsuyoshi Matsuo,J.Chem.Soc.,Chem.Commun.,1990,1281-1282)等を参照して適切な改変を行うことができる。
【0153】
工程1:スルホン酸(2)の合成:
市販のp-トルエンスルホニルクロリド(8.03g,42.0mmol)とテトラジュウテリオメタノール(8.88g,24.6mmol)の混合物に-5~0℃にて35%苛性ソーダ水溶液(5.3g)をゆっくりと滴下した。反応終了後、ジエチルエーテル(100mL)を用いて反応液を分液ロートに移した。これを飽和重曹水で2回洗浄した後、無水硫酸ナトリウムで乾燥した。エーテルを減圧溜去した後、残渣を減圧蒸留して7.00gの生成物を得た(収率88.1%)。
【0154】
工程2:N-トリジュウテリオメチル-N,N-ジメチルアミノエタノール p-トルエンスルホン酸塩(3)の合成:
乳鉢にトリジュウテリオメチルp-トルエンスルホネート(7.0g,0.037mol)とN,N-ジメチルアミノエタノール(3.30g,0.037mol)を加え、スパチュラで撹拌するとただちに発熱反応が起こり、固化した。20分後にこの固形物を粉砕し過剰の乾燥アセトンに懸濁して素早く減圧ろ過した。ろ紙上の結晶を乾燥アセトンで2回洗浄し、素早くデシケーターに入れて五酸化リンとともに減圧乾燥して6.90gの生成物を得た(収率67.0%)。
【0155】
工程3:グリセロールの1.3位の保護:
グリセロール(370.8g、4.03mol)とベンズアルデヒド(316.6g、2.99mol)とを酸性条件下で反応させて、(6)の化合物を173.1g(33.2%)得た。
【0156】
工程4:グリセロールの2位の保護:
(6)の化合物(48.4g,0.27mol)とベンジルクロリド(427.3g,3.37mol)とを粉末KOH(96.5g、1.6mol)とともに反応させて、(7)の化合物を54.5g(71.0%)得た。
【0157】
工程5:グリセロールの1、3位の脱保護:
(7)の化合物(12.6g,0.047mol)を酸性溶液中で加水分解して、(8)の化合物を2.83g(33.3%)得た。
【0158】
工程6:2-O-ベンジル-1-O-パルミトイルグリセロール(9)の合成:
2-O-ベンジルグリセロール(8)(0.494g,2.5mmol)及びビニルパルミテート(1.41g,5.0mmol)のジクロロメタン(5.2mL)を10℃に冷却し、撹拌下、Lipase PS-IM-Amano(100mg)(天野エンザイム株式会社、愛知県)を加えて撹拌し6時間反応させた。その酵素をろ過除去した後、ろ液を減圧濃縮して、残渣をシリカゲルカラムで精製して0.90gの生成物を得た(収率82.6%)。
【0159】
工程7:2-O-ベンジル-1-O-パルミトイルホスファチジルコリンD3(10)の合成:
側管付き反応フラスコに塩化ホスホリル(0.19mL,2.0mmol)と撹拌子を入れ、滴下ロートと温度計を付し、窒素雰囲気にして0-5℃に冷却した。撹拌しつつこの温度以上にならないように、乾燥トリエチルアミン(0.38mL,2.5mmol)と2-O-ベンジル-1-O-パルミトイルグリセロール(9)(0.74g,1.7mmol)の乾燥クロロホルム(19mL)溶液をゆっくりと滴下した。滴下後、この温度で1時間撹拌し、更に室温で1時間撹拌した。この溶液に乾燥ピリジン(0.64mL,8.0mmol)およびN-トリジュウテリオメチル-N,N-ジメチルアミノエタノールp-トルエンスルホン酸(3)(0.66g,2.4mmol)を加え室温で48時間撹拌した。水(8.6mL)を加えて30分撹拌した後、分液ロートに移し、1N-塩酸とメタノールを適当量加えて振盪した後、目的物をクロロホルムで3回抽出した。この溶液を1N-塩酸で洗浄後、無水硫酸ナトリウムで乾燥した。減圧濃縮後、残渣をシリカゲルカラムで精製して0.57gの生成物を得た(収率55.8%)。
【0160】
工程8:リゾ-PCD3(11)の合成:
2-O-ベンジル-1-O-パルミトイルホスファチジルコリンD3(10)(2.62g,44.5mmol)をメタノール(30mL)と水(3mL)の混合溶媒に溶解し、炭素担持水酸化パラジウム(1.50g)を加え、水素ガスを含む風船を付して3日間撹拌した。反応終了後、ろ紙を用いてろ過し、ろ液を濃縮した。残存する水を除去するため、イソプロパノールとの共沸減圧蒸留を行った結果、粉末状のリゾ-PCD3(11)1.89gを得た(収率85.2%)。
【0161】
工程9:2-O-ドコサペンタエノイル-1-O-パルミトイル-グリセロホスホコリンD3(13)の合成:
リゾ-PCD3(11)(0.30g,0.60mmol)とドコサヘキサエン酸(0.5g,1.50mmol)をエタノールを含まない乾燥クロロホルム(5.0mL)に溶解し、これにジシクロヘキシルカルボジイミド(0.44g,2.0mmol)とジメチルアミノピリジン(26mg,0.2mmol)および抗酸化剤として極少量のブチル化ヒドロキシトルエンを加えて窒素雰囲気下2日間撹拌した。反応終了後、濃縮し、残渣をシリカゲルカラムで精製して0.36gの生成物を得た(収率74.0%)。
【0162】
1H NMR(600MHz;CD3OD):δ 0.88(3H,t,j=7.8,パルミトイル基の末端CH3),0.97(3H,t,j=7.8,ドコササペンタエノイル基の末端CH3),1.28(26H,m,CH2x13),1.38(2H,m,C=C-C-CH2-C),1.61(2H,m,CH3-CH2-C=C),2.08(2H,m,COCH2CH2),2.3(4H,m,それぞれの脂肪酸鎖のOCOCH2),2.85(8H,m,C=C-CH2-C=Cx4),3.22(6H,s,N[CH3]2),3.64(2H,m,CH2N),4.00-4.45(m,5H,グリセロール骨格上のプロトン),4.28(2H,br,P-O-CH2),5.24-5.40(m,10H,オレフィンのプロトン)
ESI MS 観測m/z=811.6006、[C47H83D3NO8P+H]+の計算値=811.6039。
【0163】
(実施例2)
2-O-エイコサペンタエノイル-1-O-パルミトイル-グリセロホスホコリンD3の合成
実施例1と同様にEPA-PCd3を合成した。0.40g(84.7%)
1H NMR(600MHz;CD3OD):δ 0.80(3H,t,j=7.8,パルミトイル基の末端CH3),0.86(3H,t,j=7.8,エイコサペンタエノイル基の末端CH3),1.19(26H,m,CH2x13),1.59(2H,m,CH3-CH2-C=C),2.00(2H,m,COCH2CH2),2.25(4H,m,それぞれの脂肪酸鎖のOCOCH2),2.75(8H,m,C=C-CH2-C=Cx4),3.12(6H,s,N[CH3]2),3.54(2H,m,CH2N),3.86-4.35(m,5H,グリセロール骨格上のプロトン),4.32(2H,br,P-O-CH2),5.18-5.33(m,10H,オレフィンのプロトン).
ESI MS 観測m/z=783.57349、[C44H75D3NO8P+H]+の計算値=783.57382
(実施例3)
2-O-ドコサヘキサエノイル-1-O-パルミトイル-グリセロホスホコリンD3の合成
実施例1と同様にDHA-PCd3を合成した。0.20g(28.4%)
1H NMR(600MHz;CD3OD):δ 0.91(3H,t,j=7.8,パルミトイル基の末端CH3),0.97(3H,t,j=7.8,ドコサヘキサエノイル基の末端CH3),1.28(26H,m,CH2x13),1.59(2H,m,CH3-CH2-C=C),2.19(2H,m,COCH2CH2),2.30 - 2.42(4H,m,それぞれの脂肪酸鎖のOCOCH2),2.81-2.90(10H,m,C=C-CH2-C=Cx5),3.30(6H,s,N[CH3]2),3.64(2H,m,CH2N),4.00-4.43(m,5H,グリセロール骨格上のプロトン),4.27(2H,br,P-O-CH2),5.23-5.40(m,10H,オレフィンのプロトン).
ESI MS 観測m/z=809.5837、[C47H81D3NO8P+H]+の計算値=809.5883
(注記)
以上のように、本発明の好ましい実施形態を用いて本発明を例示してきたが、本発明は、特許請求の範囲によってのみその範囲が解釈されるべきであることが理解される。本明細書において引用した特許、特許出願および文献は、その内容自体が具体的に本明細書に記載されているのと同様にその内容が本明細書に対する参考として援用されるべきであることが理解される。
【産業上の利用可能性】
【0164】
本発明は、リン脂質が関与する疾患に関する研究の試料、診断薬、およびリン脂質を含む食品の品質・劣化の評価のための試薬など、医薬・食品分野において広く利用可能である。