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特許7284384シルクフィブロイン溶液の製造方法およびそれから形成される成形体の製造方法
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  • 特許-シルクフィブロイン溶液の製造方法およびそれから形成される成形体の製造方法 図1
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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2023-05-23
(45)【発行日】2023-05-31
(54)【発明の名称】シルクフィブロイン溶液の製造方法およびそれから形成される成形体の製造方法
(51)【国際特許分類】
   C08J 3/11 20060101AFI20230524BHJP
   C08J 5/18 20060101ALI20230524BHJP
   D04H 1/4266 20120101ALI20230524BHJP
   D04H 1/728 20120101ALI20230524BHJP
   C07K 14/435 20060101ALI20230524BHJP
【FI】
C08J3/11 CFG
C08J5/18
D04H1/4266
D04H1/728
C07K14/435
【請求項の数】 8
(21)【出願番号】P 2019051614
(22)【出願日】2019-03-19
(65)【公開番号】P2019172985
(43)【公開日】2019-10-10
【審査請求日】2021-12-22
(31)【優先権主張番号】P 2018058153
(32)【優先日】2018-03-26
(33)【優先権主張国・地域又は機関】JP
(73)【特許権者】
【識別番号】000002200
【氏名又は名称】セントラル硝子株式会社
(72)【発明者】
【氏名】萩原 祐樹
(72)【発明者】
【氏名】魚山 大樹
(72)【発明者】
【氏名】河合 亘
(72)【発明者】
【氏名】関矢 雄貴
【審査官】加賀 直人
(56)【参考文献】
【文献】特開2014-15702(JP,A)
【文献】国際公開第2017/094722(WO,A1)
【文献】国際公開第2017/131196(WO,A1)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C08J 3/11
C08J 5/18
D04H 1/4266
D04H 1/728
C07K 14/435
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
ヘキサフルオロイソプロパノールを70質量%以上含む溶媒に、気密性および耐圧性を有する容器を用いて、58.6℃以上、180℃以下の溶解温度で、シルクフィブロインを溶解させる工程を含む、
シルクフィブロインのヘキサフルオロイソプロパノール溶液の製造方法。
【請求項2】
ヘキサフルオロイソプロパノールを70質量%以上含む溶媒に、シルクフィブロインを溶解させる溶解時間が0.5時間以上、24時間以内である、
請求項1に記載のシルクフィブロインのヘキサフルオロイソプロパノール溶液の製造方法。
【請求項3】
シルクフィブロインのヘキサフルオロイソプロパノール溶液中のシルクフィブロインの濃度が0.01質量%以上、10質量%以下である、請求項1または請求項2に記載のシルクフィブロインのヘキサフルオロイソプロパノール溶液の製造方法。
【請求項4】
溶解温度(Y)が58.6℃以上、180℃以下、溶解時間(X)が0.5時間以上、24時間以内において、
溶解温度(Y)の上限が、Y=-35/8X+185で表され、
溶解温度(Y)の下限が、Y=-13/3X+125で表される範囲内で、
ヘキサフルオロイソプロパノールを70質量%以上含む溶媒にシルクフィブロインを溶解させ、
シルクフィブロインの濃度が0.1質量%以上、3質量%以下である、シルクフィブロインのヘキサフルオロイソプロパノール溶液を得る、
請求項1乃至請求項3のいずれか1項に記載のシルクフィブロインのヘキサフルオロイソプロパノール溶液の製造方法。
【請求項5】
シルクフィブロインのヘキサフルオロイソプロパノール溶液中のシルクフィブロインの重量平均分子量(Mw)が、50,000以上、370,000以下である、請求項1乃至請求項4のいずれか1項に記載のシルクフィブロインのヘキサフルオロイソプロパノール溶液の製造方法。
【請求項6】
ヘキサフルオロイソプロパノールを70質量%以上含む溶媒に、気密性および耐圧性を有する容器を用いて、58.6℃以上、180℃以下の温度で、シルクフィブロインを溶解させ、シルクフィブロインのヘキサフルオロイソプロパノール溶液を得る第1の工程と、
前記シルクフィブロインのヘキサフルオロイソプロパノール溶液から、ヘキサフルオロイソプロパノールを含む液を除去し、シルクフィブロイン成形体を得る第2の工程と、
を含むシルクフィブロイン成形体の製造方法。
【請求項7】
第2の工程が、電界紡糸法によりシルクフィブロイン不織布を得る工程である、請求項6に記載のシルクフィブロイン成形体の製造方法。
【請求項8】
第2の工程が、溶液キャスト法によりシルクフィブロインフィルムまたはシルクフィブロインシートを得る工程である、請求項6に記載のシルクフィブロイン成形体の製造方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、シルクフィブロイン溶液の製造方法およびそれから形成される成形体の製造方法に関する。シルクフィブロインは、不織布、フィルム、シートまたは糸等の所望の形状に成形され、化粧品あるいは生体適合材料として、医療用縫合糸、創傷被覆材、人工血管、軟骨支持材または角膜再生材等に使用される。
【背景技術】
【0002】
フィブロインおよびセリシンは、蚕や蜘蛛等の生物が産生するタンパク質である。蚕の幼虫が体内で産生するフィブロインは、一般的にシルクフィブロインと呼ばれる。本明細書において、繭タンパク質とはシルクフィブロインおよびセリシンを指す。蚕の幼虫が吐き出す繭糸は、シルクフィブロインのフィラメントを膠質のセリシンで被覆したものであり、一本の長い繭糸からセリシンを接着剤とし、幼虫が営繭したものは繭玉と呼ばれる。特許文献1に、繭糸中の繭タンパク質の存在比はフィブロインが70~80質量%、セリシンが20~30質量%であり、その他、脂肪分等の少量の夾雑物が含まれると記載されている。
【0003】
蚕の幼虫が営繭し、何ら処理していない状態の繭玉を、生繭と呼ぶ。生繭に対し、生繭内の蛹の発蛾による繭の穴あけ、および保存中の着色防止のため、生繭を加熱乾燥処理したものを乾繭と呼ぶ。特許文献1に、乾繭は、生繭を115~120℃に加熱した後、5~6時間かけて80℃程度の温度に徐々に下げる加熱乾燥処理が施されたものであることが記載されている。
【0004】
乾繭から繭糸を引き出す際は、上記加熱乾燥処理により硬く固化したセリシンを柔らかくするために煮繭を行う。特許文献1に、煮繭は、100~105℃の水蒸気または熱水に乾繭を10分間程さらす工程であることが記載されている。煮繭後、柔らかくなった繭玉から繭糸を引き出し、数本揃えて生糸とする。生糸からセリシンを適度に除き、シルクフィブロインを露出させることで、光沢や柔軟性を向上させた糸は絹糸と呼ばれる。セリシンがシルクフィブロインを被覆した状態である生糸から絹糸を得るためには、精練と呼ばれる作業を行う。精練は、一般的に、生糸をアルカリ性の溶液、例えば、石鹸液、灰汁またはソーダ液等に接触させることでセリシンを溶解させて除き、これらアルカリ性溶液に難溶なシルクフィブロインを得る作業である。本明細書において、精練によりセリシンおよび夾雑物が除去された後のシルクフィブロインを精練シルクフィブロインと呼ぶことがある。
【0005】
特許文献1、4には炭酸ナトリウム水溶液を用いた精練が記載され、特許文献2、3の実施例にはマルセル石鹸水を用いた精練が記載されている。
【0006】
一方、シルクフィブロインは、ヘキサフルオロイソプロパノール(1,1,1,3,3,3-ヘキサフルオロ-2-プロパノール、HC(CFOH、CAS番号920-66-1、以下、HFIPと呼ぶことがある)に溶解することが知られている。例えば、特許文献5には、シルクフィブロインは、HFIPに溶解することが開示されている。
【0007】
しかしながら、シルクフィブロインを含むHFIP溶液を得るには、精練シルクフィブロインのままではHFIPに溶解しないため、一旦精練シルクフィブロインを臭化リチウム等の金属塩水溶液に溶解させた後、そこから乾燥して得られるフィルムやスポンジ等のシルクフィブロイン成形体を用いてHFIPに溶解させる必要がある。特許文献5の実施例において、シルクフィブロインフィルムを、HFIPに添加し、時々激しく攪拌しつつ、8日間かけて、シルクフィブロインのHFIP溶液を製造したことが記載されている。
【0008】
また、精練シルクフィブロインを特定の金属塩溶液に溶解させてシルクフィブロイン溶液を得る方法として、特許文献1には、シルクフィブロインは、塩化カルシウム、臭化リチウム、チオシアン酸リチウムまたはチオシアン酸ナトリウム等の特定の金属塩の水溶液に溶解することが記載されている。しかし、これらシルクフィブロインの塩溶液は、加水分解によりシルクフィブロインの分子量が低下するなどの問題があった。特許文献6には、家蚕シルクフィブロインを溶解する際に臭化リチウム等の中性塩や、銅エチレンジアミン等の錯塩水溶液などの溶液中に長時間置くと、シルクフィブロイン分子鎖が分解し、再生絹糸(再生フィブロインと呼ぶことがある)が得られたとしても力学物性は極めて低いなどの欠点があると記載されている。いずれの方法も、得られるシルクフィブロイン溶液は水溶液であるため、シルクフィブロインのHFIP溶液を得るには、乾燥工程を経て、シルクフィブロイン成形体を取り出す必要がある。
【0009】
さらに、前述の金属塩水溶液に溶解した溶液から得られるシルクフィブロイン成形体を生体適合材料等として使用するには、金属塩を透析等の工程により除去する必要がある。そのため、シルクフィブロインのHFIP溶液を得る製造方法としては、煩雑な操作が多く、生産性の低い方法であった。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0010】
【文献】特開2001-163899号公報
【文献】特開2002-302499号公報
【文献】特開2004-68161号公報
【文献】特開2010-270426号公報
【文献】特表平7-503288号公報
【文献】特開2009-221401号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0011】
本発明は、上記課題を解決するものであり、シルクフィブロインの分子量を低下させることなく、短時間で簡便にシルクフィブロインのHFIP溶液を製造する方法を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0012】
本発明者らは、室温(25℃)で、精練シルクフィブロインのHFIPへの溶解を試みたが、精練シルクフィブロインはHFIPに極めて難溶であり、攪拌しつつ丸1日(24時間)経過しても溶解しなかった(比較例1参照)。
【0013】
一方、高分子を溶解させる際、加熱し液温を上げることで溶解が促進されることは周知の事実である。しかしながら、一般的にタンパク質溶液を60℃以上の高温に曝すと変性、凝集によるタンパク質の不溶化、および加水分解による分子量の低下が生じるおそれがある。
【0014】
本発明者らが鋭意検討したところ、密閉された加圧容器中で、HFIPの大気圧(1013.25 hPa)での沸点(58.6℃)以上、180℃以下の温度で、精練シルクフィブロインの加熱溶解を行ったところ、シルクフィブロインの分子量の低下が起きることなく、短時間でシルクフィブロインのHFIP溶液を製造することが可能であることを見出し、本発明を完成するに至った。なお、本明細書において短時間とは、24時間以内のことであり、分子量の低下とは、シルクフィブロインの重量平均分子量(Mw)が初期の70%未満まで低下することをいう。
【0015】
特に、シルクフィブロインのHFIP溶液中のシルクフィブロインの濃度が0.1質量%以上、3質量%以下となるように、シルクフィブロインのHFIP溶液を、溶解温度、58.6℃以上、180℃以下、溶解時間、0.5時間以上、24時間以内において調製した際の、本明細書の実施例の表1に示す結果から、
縦軸を溶解温度(Y)とし、横軸を溶解時間(X)とする、図1に示すグラフにおいて、
溶解温度(Y)の上限が、Y=-35/8X+185で表され、
溶解温度(Y)の下限が、Y=-13/3X+125で表される、
範囲内で、シルクフィブロインは易溶(80%以上溶解)であり、
得られたHFIP溶液において、シルクフィブロインの分子量の低下は起きなかった。
【0016】
本発明は、以下の発明1~8を含む。
【0017】
[発明1]
ヘキサフルオロイソプロパノールを70質量%以上含む溶媒に、58.6℃以上、180℃以下の溶解温度で、シルクフィブロインを溶解させる工程を含む、
シルクフィブロインのヘキサフルオロイソプロパノール溶液の製造方法。
【0018】
[発明2]
ヘキサフルオロイソプロパノールを70質量%以上含む溶媒に、シルクフィブロインを溶解させる溶解時間が0.5時間以上、24時間以内である、
発明1のシルクフィブロインのヘキサフルオロイソプロパノール溶液の製造方法。
【0019】
[発明3]
シルクフィブロインのヘキサフルオロイソプロパノール溶液中のシルクフィブロインの濃度が0.01質量%以上、10質量%以下である、発明1または発明2のシルクフィブロインのヘキサフルオロイソプロパノール溶液の製造方法。
【0020】
[発明4]
溶解温度(Y)が58.6℃以上、180℃以下、溶解時間(X)が0.5時間以上、24時間以内において、
溶解温度(Y)の上限が、Y=-35/8X+185で表され、
溶解温度(Y)の下限が、Y=-13/3X+125で表される範囲内で、
ヘキサフルオロイソプロパノールを70%以上含む溶媒にシルクフィブロインを溶解させ、
シルクフィブロインの濃度が0.1質量%以上、3質量%以下である、シルクフィブロインのヘキサフルオロイソプロパノール溶液を得る、
発明1~3のシルクフィブロインのヘキサフルオロイソプロパノール溶液の製造方法。
【0021】
[発明5]
シルクフィブロインのヘキサフルオロイソプロパノール溶液中のシルクフィブロインの重量平均分子量(Mw)が、50,000以上、370,000以下である、発明1~4のシルクフィブロインのヘキサフルオロイソプロパノール溶液の製造方法。
【0022】
[発明6]
ヘキサフルオロイソプロパノールを70質量%以上含む溶媒に、58.6℃以上、180℃以下の温度で、シルクフィブロインを溶解させ、シルクフィブロインのヘキサフルオロイソプロパノール溶液を得る第1の工程と、
前記シルクフィブロインのヘキサフルオロイソプロパノール溶液から、ヘキサフルオロイソプロパノールを含む溶媒を除去し、シルクフィブロイン成形体を得る第2の工程と、
を含むシルクフィブロイン成形体の製造方法。
【0023】
[発明7]
第2の工程が、電界紡糸法によりシルクフィブロイン不織布を得る工程である、発明6のシルクフィブロイン成形体の製造方法。
【0024】
[発明8]
第2の工程が、溶液キャスト法によりシルクフィブロインフィルムまたはシルクフィブロインシートを得る工程である、発明6のシルクフィブロイン成形体の製造方法。
【発明の効果】
【0025】
本発明によれば、シルクフィブロインをHFIPに溶解させる際、精練シルクフィブロインからシルクフィブロイン成形体を得るまでの工程が必要ないため、短時間で簡便に、かつ、シルクフィブロインの分子量を低下させることなく、シルクフィブロインのHFIP溶液を製造することができる。
【図面の簡単な説明】
【0026】
図1図1は、シルクフィブロインがHFIPに易溶(80%以上溶解)であり、且つ分子量が低下することのない、溶解温度および溶解時間の範囲を表すための、縦軸を溶解温度(Y)、横軸を溶解時間(X)とするグラフである。
【発明を実施するための形態】
【0027】
以下、本発明について、さらに詳しく説明するが、本発明は以下に限定されるものではない。
【0028】
1.シルクフィブロインのHFIP溶液の製造方法
本発明のシルクフィブロインのHFIP溶液の製造方法は、HFIPを70質量%以上含む溶媒に、HFIPの大気圧(1013.25 hPa)での沸点である58.6℃以上、180℃以下で、シルクフィブロインを溶解させる工程を含む。
【0029】
[容器]
本発明のシルクフィブロインのHFIP溶液の製造方法において、シルクフィブロインをHFIPに溶解させる際に用いる容器は、気密性および耐圧性を有する容器であれば特に制限はない。例えば、ガラス製やステンレス鋼製、またはこれらを樹脂でライニングした密閉耐圧容器を用いることができる。
【0030】
[シルクフィブロイン]
本発明のシルクフィブロインのHFIP溶液の製造方法において、シルクフィブロインを産生する蚕種は特に制限されない。例えば、エリ蚕、柞蚕、天蚕等の野蚕、または家蚕を挙げることができる。
【0031】
本発明のシルクフィブロインのHFIP溶液の製造方法において、HFIPを含む溶媒に溶解させるシルクフィブロインは、繭(繭玉もしくは繭糸)または生糸から、セリシンおよびその他脂肪分等を除去する精練を経て得られた精練シルクフィブロインを用いることができる。精練シルクフィブロインは、絹糸、絹織物、健康食品等として市販されているものを使用してもよい。また、繭玉に含まれるシルクフィブロインであってもよく、生糸に含まれるシルクフィブロインであってもよく、シルクフィブロインとセリシンの混合物である繭タンパク質に含まれるシルクフィブロインであってもよい。これらシルクフィブロインを含む、繭玉、繭糸、生糸、絹糸または繭タンパク質を、HFIPを含む溶媒に溶解させることも本発明の範疇である。
【0032】
本発明のシルクフィブロインのHFIP溶液の製造方法に用いるシルクフィブロインのMwは、50,000以上、370,000以下である。好ましくは、Mwが100,000以上、370,000以下であり、特に好ましくは、Mwが150,000以上、370,000以下である。Mwが50,000より低いと、シルクフィブロイン溶液から形成した成形体の強度が低くなる。なお、上記Mwは、ゲル浸透クロマトグラフィー(Gel Permeation Chromatography、以下、GPCと呼ぶことがある)で測定し、ポリメチルメタクリレートで換算した値である。なお、家蚕の絹糸腺から産生されるシルクフィブロインの文献値は370,000である(非特許文献 Tashiro Yutaka and Otsuki Eiichi, Journal of Cell Biology, Vol.46, P1(1970)、非特許文献Prog.Polym.Sci.2007;32(8‐9):991‐1007に記載)。
【0033】
[溶媒]
本発明のシルクフィブロインのHFIP溶液の製造方法に使用する溶媒としては、HFIPを単独で用いてもよく、また、30質量%を上限とし、好ましくは20質量%以下の範囲でHFIP以外の他の溶媒を1種類または2種類以上用いてもよい。しかしながら、溶解速度が低下するおそれがあるため、HFIPを単独で用いることが特に好ましい。他の溶媒としては、シルクフィブロインの変質および分子量の低下を起こすことなく溶解を妨げない溶媒であればよい。このような溶媒としては、N-メチルモルホリンN-オキシド、2,2,2-トリフルオロエタノール、メタノール、アセトン、テトラヒドロフラン、N,N-ジメチルアセトアミド、トルエンまたはジクロロメタンを例示することができる。
【0034】
HFIP溶液中のシルクフィブロインの濃度は、HFIP溶液全体に対して、0.01質量%以上、10質量%以下である。好ましくは、0.05質量%以上、5質量%以下であり、特に好ましくは、0.1質量%以上、3質量%以下である。シルクフィブロインの濃度が0.01質量%より薄くても、シルクフィブロインはHFIPに溶解するが、生産性が低く好ましくない。シルクフィブロインの濃度が10質量%より濃いと、シルクフィブロインの溶解時間が長くなり、分子量が低下するおそれがある。
【0035】
[溶解]
以下、HFIP溶媒へのシルクフィブロインの溶解条件について記載する。
【0036】
<溶解温度>
本発明のシルクフィブロインのHFIP溶液の製造方法において、HFIPを70質量%以上含む溶媒にシルクフィブロインを溶解させる際の溶解温度は、HFIPの沸点である58.6℃以上、180℃以下である。HFIPの沸点である58.6℃より低い温度では、シルクフィブロインの溶解速度が遅く、不溶分の回収量が増加する。好ましくは、60℃以上である。180℃より高い温度では、シルクフィブロインの加水分解または変質による溶液の着色が生じることがある。好ましくは140℃以下であり、特に好ましくは120℃以下である。
【0037】
<溶解時間>
本発明のシルクフィブロインのHFIP溶液の製造方法において、シルクフィブロインのHFIPを含む溶媒への溶解時間は、0.5時間以上、24時間以内である。溶解時間が0.5時間より短いと、シルクフィブロインの溶解が不十分となり、不溶分の回収量が増加する。溶解時間が24時間より長いと生産性が低く実用的でない。また、シルクフィブロインが加水分解し分子量の低下を起こし、シルクフィブロインのHFIP溶液が着色するおそれがある。好ましくは、12時間以内であり、特に好ましくは6時間以内である。不要な加熱を避けるため溶解の進行を適宜確認し、溶解が完了した後は速やかに冷却し、溶解作業を終了することが好ましい。この際、溶解時間を短縮する目的で攪拌を行ってもよい。
【0038】
<最適な溶解条件>
Mwが50,000以上、370,000以下であるシルクフィブロインを使用し、シルクフィブロインのHFIP溶液中のシルクフィブロインの濃度が0.1質量%以上、3質量%以下である。シルクフィブロインのHFIP溶液を調製する際に、溶解温度、58.6℃以上、180℃以下、溶解時間、0.5時間以上、24時間以内において、
縦軸を溶解温度(Y)とし、横軸を溶解時間(X)とする、図1に示すグラフにおいて、溶解温度(Y)の上限が、Y=-35/8X+185で表され、
溶解温度(Y)の下限が、Y=-13/3X+125で表される範囲内で、
シルクフィブロインはHFIPに易溶(80%以上溶解)であり、得られたHFIP溶液において、シルクフィブロインの分子量の低下は起こらない。
【0039】
[溶解雰囲気]
本発明のシルクフィブロインのHFIP溶液の製造方法は、窒素もしくはヘリウム等の不活性ガス雰囲気、および空気雰囲気のいずれでも行なうことができるが、不活性ガス雰囲気下で行うことが好ましい。空気雰囲気は、加水分解や溶液の着色を促進する原因となることがある。
【0040】
[シルクフィブロインのHFIP溶液の濃縮]
以下、シルクフィブロインのHFIP溶液の濃縮について記載する。
希薄なシルクフィブロインのHFIP溶液を調製した後、溶液中のHFIPの一部を留去することにより濃縮し、高濃度のシルクフィブロインのHFIP溶液を得ることができる。例えば、濃度1質量%のシルクフィブロインのHFIP溶液を調製した後、エバポレーターを用いて、濃度10質量%以上のシルクフィブロインのHFIP溶液を得ることができる。HFIPの使用量は増えるが、溶解時間が短縮される効果を奏する。
【0041】
[シルクフィブロインのHFIP中での溶解について]
以下、シルクフィブロインのHFIPへの溶解機構について説明する。
【0042】
タンパク質の二次構造には、アミノ基とカルボキシル基が水素結合した右巻き螺旋のαヘリックス構造と、隣り合ったペプチド鎖の間で一方の主鎖の N-H が隣接する主鎖の C=O と水素結合した、結晶性の高い平面構造を形成しているβシート構造がある。
【0043】
繊維形状のシルクフィブロインはHFIPに対する溶解性に極めて乏しい。これはシルクフィブロインの二次構造として、結晶性の高いβシート構造が多く存在していることによると推察される。
【0044】
そのため、シルクフィブロインをHFIPに溶解させる際は、一旦、臭化リチウム等の金属塩の水溶液に溶かし、透析によって溶液から金属塩を除去し、次いで乾燥して得られたシルクフィブロイン成形体を溶解させる方法が一般的である。金属塩の水溶液中において、フィブロイン分子同士の相互作用が緩和された結果、βシート構造からαヘリックス構造への二次構造の転移が起こるものと推察される。水溶液中のαヘリックス構造は、乾燥後の成形体においても保持されており、βシート構造を多く含む繊維形状のシルクフィブロインよりも結晶性が低下しているため、HFIPに溶解し易くなるものと考えられる。
【0045】
HFIPは、分子内で高度に分極していることから、配位性が高い溶媒である。本発明において、結晶性の高いβシート構造を多く含む、精練シルクフィブロインをHFIP中で加熱したことで、フィブロイン分子間の相互作用を緩和するに十分なエネルギーが与えられ、αヘリックス構造への転移が進行した、すなわち、HFIPが金属塩様の性質を示したため、精練シルクフィブロインが溶解したものと考察している。また、HFIPによるシルクフィブロインのαヘリックス構造への誘起効果は、シルクフィブロインの加熱による変性、凝集による不溶化を抑制する効果があるものと推測される。
【0046】
2.シルクフィブロイン成形体の製造方法
本発明のシルクフィブロインのHFIP溶液の製造方法により得られた、シルクフィブロインのHFIP溶液から得られるシルクフィブロイン成形体の形態に制限はない。例えば、不織布状、フィルム状、シート状、糸状、粉末状、スポンジ状(多孔質状)等の形態を挙げることができる。シルクフィブロイン溶液を用いて不織布を得る方法としては、例えば、電界紡糸法を挙げることができる。また、フィルムおよびシートを得る方法としては、例えば、溶液キャスト法を挙げることができる。
【0047】
[電界紡糸法]
電界紡糸法は、ノズル(ニードル)と電極(コレクター)の間に、高い電圧を印加した状態で、高分子溶液を噴射し、紡糸する方法である。
【0048】
具体的には、高分子溶液をシリンジに入れ、シリンジ先端のニードルと、コレクター間に1~100kV程度の電圧をかけながら、高分子溶液をニードルからコレクターへ向けて噴射させる。この際、電圧がしきい値を超えると、電荷の反発力が高分子溶液の液滴の表面張力に打ち勝って、電荷を帯びた噴流が発生する。電場内で噴流が伸長しながら溶媒が蒸発し、細いファイバーを形成し、コレクター上にファイバーが集積されることで不織布が得られる。なお、日本工業規格(JIS)では、不織布とは、「繊維が一方向またはランダムに配向しており、交絡、融着、接着によって繊維間が結合されたもの」と定義されている。
【0049】
電界紡糸を行う際のシルクフィブロインのHFIP溶液の濃度は、0.1質量%以上、30質量%以下である。好ましくは、0.5質量%以上、20質量%以下である。特に好ましくは、1質量%以上、10質量%以下である。シルクフィブロインのHFIP溶液の濃度が0.1質量%より低いと、シルクフィブロインが粒子状となり不織布にならない。シルクフィブロインのHFIP溶液の濃度が30質量%より高いと、ニードル内でシルクフィブロインが固まり、それが原因で詰まりを起こし、噴射できなくなることがある。
【0050】
電界紡糸を行う際の印加電圧は、1kV以上、100kV以下である。好ましくは、5kV以上、50kV以下である。特に好ましくは、10kV以上、30kV以下である。印加電圧が1kVより低いと、ニードルからシルクフィブロインのHFIP溶液を噴射したとしても、電荷を帯びた噴流が発生せず、液垂れが生じる。印加電圧が100kVより高い条件では、噴流の速度および形状を制御できない。
【0051】
電界紡糸を行う際のニードルとコレクター間の距離は、5cm以上、50cm以下である。好ましくは、7.5cm以上、40cm以下である。特に好ましくは、10cm以上、30cm以下である。ニードルとコレクター間の距離が5cmよりも小さいと溶媒が十分に蒸発せず、液垂れが生じて不織布を得ることができない。ニードルとコレクター間の距離が50cmより大きいと噴流が発生せず、不織布を得ることができない。
【0052】
シルクフィブロインのHFIP溶液から電界紡糸法で得ることのできる不織布の厚みは、1μm以上、200μm以下である。好ましくは、5μm以上、150μm以下である。特に好ましくは、10μm以上、100μm以下である。厚みが1μmより小さいと、材料として用いる上で十分な強度が得られない。200μmより厚い不織布を電界紡糸法で得ることは困難である。
【0053】
シルクフィブロインのHFIP溶液から電界紡糸法で得ることのできる不織布を構成する繊維の太さ(円断面であれば直径)は、10nm以上、10μm以下である。好ましくは、20nm以上、5μm以下である。特に好ましくは、30nm以上、1μm以下である。10nmより細い、あるいは、10μmより太い繊維は、電界紡糸法で得ることは困難である。
【0054】
[溶液キャスト法]
溶液キャスト法とは、溶媒に高分子を溶解させた溶液を基板上に展開した後、溶媒を除去し、残った高分子体を基材から剥ぎ取る方法である。
【0055】
シルクフィブロインフィルムまたはシルクフィブロインシートは、シルクフィブロインのHFIP溶液を基材上に展開した後、溶媒であるHFIPを除去し、残ったシルクフィブロインを基材から剥ぎ取ることで得ることができる。
【0056】
基材上に展開したシルクフィブロインのHFIP溶液から、溶媒であるHFIPを除去する際の温度および圧力に特に制限はない。室温(約25℃)で風乾させてもよく、減圧下、加熱乾燥してもよい。好ましくは、風乾である。
【0057】
溶液キャスト法を行う際のシルクフィブロインのHFIP溶液の濃度は、0.1質量%以上、30質量%以下である。好ましくは、0.5質量%以上、20質量%以下である。特に好ましくは、1質量%以上、10質量%以下である。シルクフィブロインのHFIP溶液の濃度が0.1質量%より低いと、シルクフィブロインフィルムまたはシルクフィブロインシートを得るために使用する溶液の量が多くなり、生産性が低下する。シルクフィブロインのHFIP溶液の濃度が30質量%より高いと、溶液の粘度が極端に高くなり、扱い難い。
【0058】
シルクフィブロインのHFIP溶液から溶液キャスト法で得ることのできるシルクフィブロインフィルムまたはシルクフィブロインシートの厚みは、1μm以上、1mm以下である。好ましくは、5μm以上、750μm以下である。特に好ましくは、10μm以上、500μm以下である。厚みが1μmより小さいと、材料として用いる上で十分な強度が得られない。厚みが500μmより大きいものを得ようとすると、使用する溶液の量が多くなり、生産性が低下する。
【0059】
なお、日本工業規格(JIS)の包装用語規格では、フィルムとは「厚さが250μm未満のプラスチックの膜状のもの」、シートとは「厚さが250μm以上のプラスチックの薄い板状のもの」と定義されている。
【実施例
【0060】
以下、本発明を実施例によりさらに具体的に説明するが、本発明はその要旨を超えない限り、以下の実施例に限定されるものではない。
【0061】
[精練シルクフィブロインの作製(繭玉の精練)]
500mLのガラス製セパラブルフラスコに、濃度が0.2質量%となるように調製した炭酸ナトリウム水溶液500mL、および繭玉(品種、錦秋×鐘和)10.0gを入れ、100℃に昇温し煮沸した。煮沸を2時間行った後で静置し、40℃まで冷却した後、内容物を濾過器で吸引濾過し繭玉を取り出した。次いで、取り出した繭玉をセパラブルフラスコに戻しフラスコ内にイオン交換水500mLを加えた後、100℃に昇温し煮沸を30分間行った後、40℃まで冷却し、その後、吸引濾過を行い洗浄した。この洗浄操作を再度繰り返した後、繭玉を減圧乾燥器に入れ、温度60℃、圧力10hPaで6時間減圧乾燥し、精練シルクフィブロイン6.90gを得た。GPCにより、下記の手順で重量平均分子量(Mw)を測定したところ、170,000であった。得られた精練シルクフィブロインを以下、実施例、および比較例1、2に使用した。
【0062】
[GPCによるタンパク質の重量平均分子量(Mw)の測定]
精練シルクフィブロインの重量平均分子量(Mw)はGPCを用いて測定した。GPC装置には、東ソー株式会社製、製品名、HLC-8320GPCを用い、カラムには、東ソー株式会社製、製品名、TSK gel Super HM-Hを2個連結して用いた。カラム中には溶離液として、5×10-3モル濃度のトリフルオロ酢酸ナトリウムを含むHFIPを流した。ポリメチルメタクリレートを基準物質として検量線を作成して、Mwを算出した。
【0063】
GPC測定試料は、ヘキサフルオロアセトン3水和物1mLの入った試験管中に精練シルクフィブロイン10mgを量り入れ、室温(25℃)で溶解させた後、マイクロシリンジで採取した溶液5μLを、上記溶離液2mLと混合し、調製した。
【0064】
[不溶分回収率]
実施例および比較例において溶解操作が終わった際に精練シルクフィブロインのHFIP溶液に不溶分が確認された場合、濾過により不溶分を回収し、減圧オーブン中で乾燥後に質量を測定した。回収率は以下の式により算出した。
式:不溶分回収率(%)=(不溶分の回収量(g)/精練シルクフィブロインの仕込量(g))×100
【0065】
[シルクフィブロインHFIP溶液の作製]
実施例1
温度計および攪拌子を備えた100mLのステンレス鋼製耐圧容器内に、室温(25℃)にて、精練シルクフィブロイン0.200gを量り入れ、HFIP19.8gを添加した。次いで、耐圧容器底部をオイルバスに漬け、容器内部を120℃まで昇温後、3時間攪拌した。攪拌後、精練シルクフィブロインはすべて溶解し、不溶分は得られなかった(不溶分回収率0%)。また、得られたシルクフィブロイン溶液の重量平均分子量(Mw)は170,000であった。
【0066】
実施例2
表1に記載の各温度、各時間を変更した以外は、実施例1と同様の操作を行い、その結果を示した。
【0067】
表1において、前述の精練シルクフィブロインの不溶分を回収した結果、重量平均分子量(Mw)が初期の70%以上、かつ、不溶分回収率が20%未満であるものを[A]、重量平均分子量(Mw)が初期の70%以上、かつ、不溶分回収率が20%以上、80%未満であるものを[B]、重量平均分子量(Mw)が初期の70%未満となったものを[C]、不溶分回収率が80%以上であるものを[D]とした。
【0068】
【表1】
【0069】
比較例1
攪拌子を備えた100mLのガラス製ナスフラスコ内に、室温(25℃)にて、0.200gの精練シルクフィブロインを量り入れ、19.8gのHFIPを添加した。そのまま、室温にて24時間攪拌を行った後、不溶分を回収したところ、回収量は0.164g(不溶分回収率82%)であった。比較例1の条件では、精練シルクフィブロインは、HFIPに不溶であった。
【0070】
比較例2
攪拌子および冷却器を備えた100mLのガラス製ナスフラスコ内に、室温(25℃)にて、0.200gの精練シルクフィブロインを量り入れ、19.8gのHFIPを添加した。次いで、ナスフラスコ底部をオイルバスに漬け、フラスコ内液を50℃まで昇温後、24時間攪拌した。攪拌後、不溶分を回収したところ、回収量は0.119g(不溶分回収率60%)であった。また、得られたシルクフィブロイン溶液の重量平均分子量(Mw)は170,000であった。比較例2の条件では、精練シルクフィブロインの分子量の低下はなかったが、HFIPへの溶解が不十分であった。
【0071】
[電界紡糸法によるシルクフィブロイン不織布の作製]
実施例1で得られた1質量%シルクフィブロインのHFIP溶液20mLから、エバポレーターを用いて、HFIP、15mLを減圧留去し、濃度4質量%のシルクフィブロインのHFIP溶液5mLを得た。次いで、前述の溶液をシリンジ内に充填し、電界紡糸装置に取り付けた後、装置内温度25℃、装置内湿度50%RH、印加電圧25kV、電極間距離150mm、吐出速度1mL/hの条件にて紡糸を行うことで、シルクフィブロインの不織布を得た。シルクフィブロインの不織布のサイズは20cm×30cm、膜厚は約30μm、繊維径は約200nmであった。
【0072】
[溶液キャスト法によるシルクフィブロインフィルムの作製]
実施例1で得られた濃度1質量%のシルクフィブロインのHFIP溶液20mLを、ポリスチレン製シャーレ(内径88mm)上に展開し、蓋を被せた。次いで、室温(25℃)で静置し、48時間乾燥させることで、シルクフィブロインフィルムを得た。シルクフィブロインフィルムの膜厚は約50μmであった。

図1