(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2023-06-05
(45)【発行日】2023-06-13
(54)【発明の名称】摺動部材、その製造方法及び被覆膜
(51)【国際特許分類】
C23C 14/06 20060101AFI20230606BHJP
C01B 32/05 20170101ALI20230606BHJP
F16J 9/26 20060101ALI20230606BHJP
【FI】
C23C14/06 F
C01B32/05
F16J9/26 C
(21)【出願番号】P 2021551409
(86)(22)【出願日】2020-09-30
(86)【国際出願番号】 JP2020037281
(87)【国際公開番号】W WO2021066058
(87)【国際公開日】2021-04-08
【審査請求日】2022-11-09
(31)【優先権主張番号】P 2019178891
(32)【優先日】2019-09-30
(33)【優先権主張国・地域又は機関】JP
【早期審査対象出願】
(73)【特許権者】
【識別番号】390022806
【氏名又は名称】日本ピストンリング株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】100117226
【氏名又は名称】吉村 俊一
(72)【発明者】
【氏名】岡崎 孝弘
(72)【発明者】
【氏名】杉浦 宏幸
【審査官】山本 一郎
(56)【参考文献】
【文献】国際公開第2017/104822(WO,A1)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C23C 14/06
C01B 32/05
F16J 9/26
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
基材上の摺動面に被覆膜を有する摺動部材であって、
前記被覆膜は、断面を明視野TEM像により観察したとき、相対的に黒で示される黒色の硬質炭素層と相対的に白で示される白色の硬質炭素層とを含む繰り返し単位が、厚さ方向に積層されて1μm~50μmの範囲内の合計厚さを有し、
隣り合う前記黒色の硬質炭素層と前記白色の硬質炭素層において、
ビッカース硬度は、前記黒色の硬質炭素層よりも前記白色の硬質炭素層が高く、[sp
2/(sp
2+sp
3)]比は、前記黒色の硬質炭素層よりも前記白色の硬質炭素層が大きい、ことを特徴とする摺動部材。
【請求項2】
前記黒色の硬質炭素層の厚さT1と前記白色の硬質炭素層の厚さT2の比(T1/T2)が、1/10~1.5/1の範囲内である、請求項1に記載の摺動部材。
【請求項3】
前記繰り返し単位の厚さが、0.2~2μmの範囲内である、請求項1又は2に記載の摺動部材。
【請求項4】
前記黒色の硬質炭素層のビッカース硬度が700~1600HVの範囲内であり、前記白色の硬質炭素層のビッカース硬度が隣り合う前記黒色の硬質炭素層のビッカース硬度よりも高く且つ1200~2200HVの範囲内である、請求項1~3のいずれか1項に記載の摺動部材。
【請求項5】
前記黒色の硬質炭素層の[sp
2/(sp
2+sp
3)]比が0.05~0.75の範囲内であり、前記白色の硬質炭素層の[sp
2/(sp
2+sp
3)]比が前記黒色の硬質炭素層の[sp
2/(sp
2+sp
3)]比よりも大きく且つ0.20~0.80の範囲内である、請求項1~4のいずれか1項に記載の摺動部材。
【請求項6】
断面を明視野TEM像により観察したとき、前記基材又は該基材上に設けられた下地膜と、前記被覆膜との間に、硬質炭素下地膜が設けられている、請求項1~5のいずれか1項に記載の摺動部材。
【請求項7】
断面を明視野TEM像により観察したとき、前記被覆膜の上に、硬質炭素表面膜が設けられている、請求項1~6のいずれか1項に記載の摺動部材。
【請求項8】
前記白色の硬質炭素層は、微細な縞模様を有する、請求項1~
7のいずれか1項に記載の摺動部材。
【請求項9】
前記黒色の硬質炭素層は、微細な縞模様を有する、請求項1~
8のいずれか1項に記載の摺動部材。
【請求項10】
前記黒色の硬質炭素層と前記白色の硬質炭素層は、それぞれの直下に、ボンバード処理によって形成されたカーボン層を有する、請求項1~
9のいずれか1項に記載の摺動部材。
【請求項11】
前記摺動部材がピストンリングである、請求項1~
10のいずれか1項に記載の摺動部材。
【請求項12】
基材上の摺動面に被覆膜を有する摺動部材の製造方法であって、
前記被覆膜は、断面を明視野TEM像により観察したとき、相対的に黒で示される黒色の硬質炭素層と相対的に白で示される白色の硬質炭素層とを含む繰り返し単位が、厚さ方向に積層されて1μm~50μmの範囲内の合計厚さを有し、
前記黒色の硬質炭素層は
バイアス電圧を-100~-300Vの範囲で印加して基材温度を100℃~300℃の範囲で成膜し、前記白色の硬質炭素層は
バイアス電圧を0V又は0V超~-50V以下の範囲で印加して前記基材温度を低下しながら成膜する、ことを特徴とする摺動部材の製造方法。
【請求項13】
断面を明視野TEM像により観察したとき、相対的に黒で示される黒色の硬質炭素層と相対的に白で示される白色の硬質炭素層とを含む繰り返し単位が、厚さ方向に積層されて1μm~50μmの範囲内の合計厚さを有し、隣り合う前記黒色の硬質炭素層と前記白色の硬質炭素層において、
ビッカース硬度は、前記黒色の硬質炭素層よりも前記白色の硬質炭素層が高く、[sp
2/(sp
2+sp
3)]比は、前記黒色の硬質炭素層よりも前記白色の硬質炭素層が大きい、ことを特徴とする被覆膜。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、摺動部材、その製造方法及び被覆膜に関する。さらに詳しくは、本発明は、一定で安定した耐チッピング性と耐摩耗性を示すとともに耐剥離性(密着性)に優れる摺動部材、その製造方法及び被覆膜に関する。
【背景技術】
【0002】
近年、各種産業分野、特に自動車分野において、エンジン基材やその他機械基材等の摺動性が必要とされる摺動部材では、その表面への被覆膜として、硬質炭素層についての検討が盛んに行われている。硬質炭素層は、一般的にダイヤモンドライクカーボン(DLC)層、無定形炭素層、i-カーボン層、ダイヤモンド状炭素層等、様々な名称で呼ばれている。そうした硬質炭素層、構造的には非晶質に分類される。
【0003】
硬質炭素層は、ダイヤモンド結晶に見られるような単結合とグラファイト結晶に見られるような二重結合とが混在していると考えられている。その硬質炭素層は、ダイヤモンド結晶のような高硬度、高耐摩耗性及び優れた化学的安定性等に加えて、グラファイト結晶のような低硬度、高潤滑性及び優れた相手なじみ性等を備えている。また、その硬質炭素層は、非晶質であるために、平坦性に優れ、相手材料との直接接触における低摩擦性(すなわち小さな摩擦係数)や優れた相手なじみ性も備えている。
【0004】
摺動部材の摺動面では、耐チッピング性(耐欠損性)と耐摩耗性が重要な特性である。しかし、その耐チッピング性(耐欠損性)と耐摩耗性とは互いにトレードオフの関係にあるため、これらを満たす被覆膜を設けることは難しい。そのための手段として、低硬度化した硬質炭素層を設けたり、低硬度の硬質炭素と高硬度の硬質炭素の混在層を設けたりして、耐チッピング性と耐摩耗性とを両立させることが検討されている。
【0005】
しかしながら、耐チッピング性と耐摩耗性を両立させることについては、未だ十分とは言えないのが現状である。特にピストンリング等の高負荷が加わる摺動部材に設ける被覆膜には、耐チッピング性や耐摩耗性に加えて低摩擦性や耐剥離性が要求されるにもかかわらず、これらの特性の改善も未だ十分とは言えない。こうした課題に対し、近年、種々の技術が提案されている。
【0006】
例えば特許文献1には、PVD法でありながら耐久性に優れた厚膜の硬質炭素層を成膜することができると共に、成膜された硬質炭素層の耐チッピング性と耐摩耗性とを両立させると共に、低摩擦性と耐剥離性を改善させることができる技術が提案されている。この技術は、基材の表面に被覆される被覆膜であって、断面を明視野TEM像により観察したとき、相対的に白で示される白色の硬質炭素層と、黒で示される黒色の硬質炭素層とが厚み方向に交互に積層されて1μmを超え、50μm以下の総膜厚を有しており、前記白色の硬質炭素層は、厚み方向に扇状に成長した領域を有しているというものである。
【0007】
また、特許文献2には、一定で安定した耐チッピング性と耐摩耗性を示すとともに耐剥離性(密着性)に優れる被覆膜を有する摺動部材、及びその被覆膜が提案されている。この技術は、摺動面に硬質炭素層からなる被覆膜を有する摺動部材であって、前記被覆膜は、断面を明視野TEM像により観察したとき、相対的に黒で示される黒色の硬質炭素層と相対的に白で示される白色の硬質炭素層とを含む繰り返し単位が厚さ方向に積層されて1μm~50μmの範囲内の厚さを有し、前記被覆膜は、基材側に設けられて、前記繰り返し単位のうち前記白色の硬質炭素層の厚さが厚さ方向に徐々に大きくなる傾斜領域と、表面側に設けられて、前記繰り返し単位のうち前記白色の硬質炭素層の厚さが厚さ方向で同じ又は略同じ均質領域とを有し、前記傾斜領域は、厚さ方向にV字状又は放射状に成長した形態を有し、前記均質領域は、厚さ方向にV字状又は放射状に成長した形態を有しないというものである。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0008】
【文献】WO2017/104822A1
【文献】WO2018/235750A1
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0009】
本発明の目的は、一定で安定した耐チッピング性と耐摩耗性を示すとともに耐剥離性(密着性)に優れる新しい摺動部材、その製造方法及び被覆膜を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0010】
(1)本発明に係る摺動部材は、基材上の摺動面に被覆膜を有する摺動部材であって、前記被覆膜は、断面を明視野TEM像により観察したとき、相対的に黒で示される黒色の硬質炭素層と相対的に白で示される白色の硬質炭素層とを含む繰り返し単位が、厚さ方向に積層されて1μm~50μmの範囲内の合計厚さを有し、隣り合う前記黒色の硬質炭素層と前記白色の硬質炭素層において、硬度は、前記黒色の硬質炭素層よりも前記白色の硬質炭素層が高く、[sp2/(sp2+sp3)]比は、前記黒色の硬質炭素層よりも前記白色の硬質炭素層が大きい、ことを特徴とする。
【0011】
従来の技術と同様、相対的に黒色の硬質炭素層は、高密度で[sp2/(sp2+sp3)]比が小さく、強度に優れている。相対的に白色の硬質炭素層は、低密度で[sp2/(sp2+sp3)]比が大きく、低摩擦性と耐チッピング性に優れている。しかし、本発明は、従来の技術とは異なり、隣り合う黒色の硬質炭素層と白色の硬質炭素層において、硬度は、黒色の硬質炭素層よりも白色の硬質炭素層が高く、[sp2/(sp2+sp3)]比は、黒色の硬質炭素層よりも白色の硬質炭素層が大きくなっている。これら硬質炭素層の積層体である被覆膜を摺動面に設けることにより、性質の異なる硬質炭素層の積層効果に基づき、耐チッピング性と耐摩耗性と耐剥離性(密着性)に優れた摺動部材とすることができる。
【0012】
本発明に係る摺動部材において、前記黒色の硬質炭素層の厚さT1と前記白色の硬質炭素層の厚さT2の比(T1/T2)が、1/10~1.5/1の範囲内である。この発明によれば、繰り返し単位の厚さ比(T1/T2)は、任意に制御して被覆膜の厚さ方向で一定としたり変化させたりすることができる。
【0013】
本発明に係る摺動部材において、前記繰り返し単位の厚さが、0.2~2μmの範囲内である。この発明によれば、個々の繰り返し単位の厚さが任意に制御されて上記範囲内とすることができる。
【0014】
本発明に係る摺動部材において、前記黒色の硬質炭素層のビッカース硬度が700~1600HVの範囲内であり、前記白色の硬質炭素層のビッカース硬度が隣り合う前記黒色の硬質炭素層のビッカース硬度よりも高く且つ1200~2200HVの範囲内である。
【0015】
本発明に係る摺動部材において、前記黒色の硬質炭素層の[sp2/(sp2+sp3)]比が0.05~0.75の範囲内であり、前記白色の硬質炭素層の[sp2/(sp2+sp3)]比が前記黒色の硬質炭素層の[sp2/(sp2+sp3)]比よりも大きく且つ0.20~0.80の範囲内である。
【0016】
本発明に係る摺動部材において、断面を明視野TEM像により観察したとき、前記基材又は該基材上に設けられた下地膜と、前記被覆膜との間に、硬質炭素下地膜が設けられていてもよい。
【0017】
本発明に係る摺動部材において、断面を明視野TEM像により観察したとき、前記被覆膜の上に、硬質炭素表面膜が設けられていてもよい。
【0018】
本発明に係る摺動部材において、前記黒色の硬質炭素層の[sp2/(sp2+sp3)]比は、前記被覆膜の厚さ方向において、前記基材側から表面位置に向かうにしたがって増加している。
【0019】
本発明に係る摺動部材において、前記白色の硬質炭素層は、微細な縞模様を有する。
【0020】
本発明に係る摺動部材において、前記黒色の硬質炭素層は、微細な縞模様を有する。
【0021】
本発明に係る摺動部材において、前記黒色の硬質炭素層と前記白色の硬質炭素層は、それぞれの直下に、ボンバード処理によって形成されたカーボン層を有する。
【0022】
本発明に係る摺動部材において、前記摺動部材がピストンリングである。
【0023】
(2)本発明に係る摺動部材の製造方法は、基材上の摺動面に被覆膜を有する摺動部材の製造方法であって、前記被覆膜は、断面を明視野TEM像により観察したとき、相対的に黒で示される黒色の硬質炭素層と相対的に白で示される白色の硬質炭素層とを含む繰り返し単位が、厚さ方向に積層されて1μm~50μmの範囲内の合計厚さを有し、前記黒色の硬質炭素層は温度上昇を起こすバイアス電圧で成膜し、前記白色の硬質炭素層は温度上昇を起こさないバイアス電圧で成膜する、ことを特徴とする。
【0024】
(3)本発明に係る被覆膜は、断面を明視野TEM像により観察したとき、相対的に黒で示される黒色の硬質炭素層と相対的に白で示される白色の硬質炭素層とを含む繰り返し単位が、厚さ方向に積層されて1μm~50μmの範囲内の合計厚さを有し、隣り合う前記黒色の硬質炭素層と前記白色の硬質炭素層において、硬度は、前記黒色の硬質炭素層よりも前記白色の硬質炭素層が高く、[sp2/(sp2+sp3)]比は、前記黒色の硬質炭素層よりも前記白色の硬質炭素層が大きい、ことを特徴とする。
【発明の効果】
【0025】
本発明によれば、特にピストンリング等の高負荷が加わる摺動部材及び被覆膜として、一定で安定した耐チッピング性と耐摩耗性を示すとともに耐剥離性(密着性)に優れる被覆膜を有する新しい摺動部材、その製造方法及び被覆膜を提供することができる。
【図面の簡単な説明】
【0026】
【
図1】本発明に係る摺動部材に設けられた被覆膜の一例を示す模式的な断面図である。
【
図2】被覆膜の説明図であり、(A)は黒色の硬質炭素層Bが成膜され、その上に白色の硬質炭素層Wが成膜された繰り返し単位が積層された例であり、(B)は白色の硬質炭素層Wが成膜され、その上に黒色の硬質炭素層Bが成膜された繰り返し単位が積層された例である。
【
図3】被覆膜の一例を示す断面の明視野TEM像である。
【
図4】被覆膜の他の一例を示す断面の明視野TEM像である。
【
図5】被覆膜を有するピストンリングの一例を示す模式的な断面図である。
【
図6】SRV試験機による摩擦摩耗試験方法の模式図である。
【
図7】被覆膜の他の一例を示す断面の明視野TEM像である。
【発明を実施するための形態】
【0027】
本発明に係る摺動部材、その製造方法及び被覆膜について、図面を参照しつつ詳しく説明する。なお、本発明は以下の説明及び図面にのみ限定されるものではなく、その要旨の範囲内での変形例も包含する。
【0028】
[摺動部材]
本発明に係る摺動部材10は、例えば
図5のピストンリングの例に示すように、摺動面16に被覆膜1を有する摺動部材10である。その被覆膜1は、断面を明視野TEM像により観察したとき、相対的に黒で示される黒色の硬質炭素層Bと相対的に白で示される白色の硬質炭素層Wとを含む繰り返し単位(
図2中、符号*で表す。)が、厚さ方向Yに積層されて1μm~50μmの範囲内の合計厚さを有している。そして、隣り合う黒色の硬質炭素層Bと白色の硬質炭素層Wにおいて、硬度は、黒色の硬質炭素層Bよりも白色の硬質炭素層Wが高く、[sp
2/(sp
2+sp
3)]比は、黒色の硬質炭素層Bよりも白色の硬質炭素層Wが大きい、ことに特徴がある。なお、以下において、[sp
2/(sp
2+sp
3)]比を簡略化して「sp
2/sp
3比」と表すことがある。
【0029】
こうした摺動部材10を構成する被覆膜1は、従来の技術と同様、相対的に黒色の硬質炭素層Bは高密度でsp2/sp3比が小さく強度に優れており、相対的に白色の硬質炭素層は低密度でsp2/sp3比が大きく低摩擦性と耐チッピング性に優れている。しかし、この被覆膜1は、従来の技術とは異なり、隣り合う黒色の硬質炭素層Bと白色の硬質炭素層Wにおいて、硬度は、黒色の硬質炭素層Bよりも白色の硬質炭素層Wが高く、sp2/sp3比は、黒色の硬質炭素層Bよりも白色の硬質炭素層Wが大きくなっている。これら硬質炭素層B,Wの積層体である被覆膜1を摺動面16に設けることにより、性質の異なる硬質炭素層の積層効果に基づき、耐チッピング性と耐摩耗性と耐剥離性(密着性)に優れた摺動部材10とすることができる。
【0030】
なお、明視野TEM像は、FIB(Focused Ion Beam)を用いて薄膜化した被覆膜1を、TEM(透過型電子顕微鏡:Transmission Electron Microscope)により、例えば加速電圧300kVで観察して得ることができる。厚さ方向Yとは、基材11上に被覆膜1が順次積層する方向の意味である。
【0031】
以下、摺動部材の構成要素を詳しく説明する。なお、以下では、摺動部材としてピストンリングを例にして説明する箇所が多いが、本発明に係る摺動部材はピストンリングに限定されるものではない。
【0032】
(基材)
基材11は、
図1及び
図2に示すように、被覆膜1が設けられる対象部材である。基材11としては、特に限定されず、鉄系金属、非鉄系金属、セラミックス、硬質複合材料等を挙げることができる。例えば、炭素鋼、合金鋼、焼入れ鋼、高速度工具鋼、鋳鉄、アルミニウム合金、マグネシウム合金、超硬合金等を挙げることができる。なお、被覆膜1の成膜温度を考慮すれば、200℃を超える温度で特性が大きく劣化しない基材であることが好ましい。
【0033】
被覆膜1をピストンリング10に適用した場合におけるピストンリング基材11としては、ピストンリング10の基材として用いられている各種のものを挙げることができ、特に限定されない。例えば、各種の鋼材、ステンレス鋼材、鋳物材、鋳鋼材等を適用することができる。これらのうち、マルテンサイト系ステンレス鋼、クロムマンガン鋼(SUP9材)、クロムバナジウム鋼(SUP10材)、シリコンクロム鋼(SWOSC-V材)等を挙げることができる。この基材11は、
図1に示す下地層11aを必要に応じて有するものであってもよい。そうした下地層11aとしては、後述する中間層12との密着性を高めるもの等を挙げることができ、特に限定されない。
【0034】
ピストンリング基材11には、Cr、Ti、Si、Al等の少なくとも1種の窒化物、炭窒化物又は炭化物等の層が下地層11aとして予め設けられていてもよい。このような化合物層としては、例えばCrN、TiN、CrAlN、TiC、TiCN、TiAlSiN等を挙げることができる。これらのうち、好ましくは、窒化処理を施して形成された窒化層(図示しない)や、Cr-N系、Cr-B-N系、Ti-N系等の耐摩耗性皮膜(図示しない)を挙げることができる。なかでも、Cr-N系、Cr-B-N系、Ti-N系等の耐摩耗性皮膜を形成することが好ましい。なお、ピストンリング10は、こうした窒化処理やCr系又はTi系の耐摩耗性皮膜を設けなくても優れた耐摩耗性を示すので、窒化処理やCr系又はTi系の耐摩耗性皮膜の形成は必須の構成ではない。
【0035】
ピストンリング基材11には、必要に応じて前処理を行ってもよい。前処理としては、表面研磨して表面粗さを調整することが好ましい。表面粗さの調整は、例えばピストンリング基材11の表面をダイヤモンド砥粒でラッピング加工して表面研磨する方法等で行うことが好ましい。こうしたピストンリング基材11は、後述する中間層12等を形成する前の前処理として、又は、その中間層12等を形成する前に予め設ける下地層11a等の前処理として、好ましく適用することができる。
【0036】
(中間層)
中間層12は、
図1及び
図2に示すように、基材11と被覆膜1との間に必要に応じて設けられていることが好ましい。この中間層12により、基材11と被覆膜1との間の密着性をより向上させることができる。
【0037】
中間層12としては、Cr、Ti、Si、W、B等の元素の少なくとも1種又は2以上を有する層を挙げることができる。なお、中間層12の下層(基材11と中間層12との間)には、Cr、Ti、Si、Al等の少なくとも1種又は2種以上の元素を含む窒化物、炭窒化物、炭化物等の化合物からなる下地層11aを設けてもよい。そうした化合物としては、例えば、CrN、TiN、CrAlN、TiC、TiCN、TiAlSiN等を挙げることができる。なお、中間層12が必要に応じて設けられる下地層11aの形成は、例えば、基材11をチャンバー内にセットし、チャンバー内を真空にした後、予熱やイオンクリーニング等を施して不活性ガスや窒素ガス等を導入し、真空蒸着法やイオンプレーティング法等の手段によって行うことができる。
【0038】
被覆膜1をピストンリング10に適用した場合における中間層12としては、チタン膜又はクロム膜等を挙げることができる。この場合の中間層12も必ずしも設けられていなくてもよく、その形成は任意である。チタン膜又はクロム膜等の中間層12は、真空蒸着法、スパッタリング法、イオンプレーティング法等の各種の成膜手段で形成することができる。例えば、ピストンリング基材11をチャンバー内にセットし、チャンバー内を真空にした後、予熱やイオンクリーニング等を施して不活性ガスを導入して行うことができる。中間層12の厚さは特に限定されないが、0.05μm以上、2μm以下の範囲内であることが好ましい。なお、中間層12は、ピストンリング10がシリンダライナー(図示しない)に接触して摺動する外周摺動面16に少なくとも形成されることが好ましいが、その他の面、例えばピストンリング10の上面、下面、内周面に形成されていてもよい。
【0039】
この中間層12は、ピストンリング基材11上に直接形成されていてもよいし、上述した窒化処理後の表面や耐摩耗性皮膜からなる下地層11a上に形成されていてもよい。その中間層12は、ピストンリング基材11と被覆膜1との密着性を向上させることができる。なお、中間層12と被覆膜1との間にも、それらの密着性等をより向上させるため、必要に応じて他の層を設けてもよい。例えば、後述する被覆膜1の成分と同じ又はほぼ同じ膜を硬質炭素下地膜として形成してもよい。
【0040】
(被覆膜)
被覆膜1は、
図2~
図4に示すように、その断面の明視野TEM像を観察したとき、相対的に白黒2色で示される2種類の硬質炭素層(W,B)を有している。その黒色の硬質炭素層Bと白色の硬質炭素層Wとは積層されて繰り返し単位(
図2中、符号*で表す。)となり、その繰り返し単位が厚さ方向Yに積層されて、合計厚さが1μm~50μmの範囲内の被覆膜1となっている。なお、「相対的」とは、断面を明視野TEM像により観察したときの色合いの相対関係の意味であり、黒色に見える層が「黒色の硬質炭素層B」であり、白色に見える層が「白色の硬質炭素層W」である。
【0041】
被覆膜1をピストンリング10に適用した場合においては、被覆膜1は、
図5に示すように、ピストンリング10がシリンダライナー(図示しない)に接触して摺動する外周摺動面16に少なくとも形成される。なお、その他の面、例えばピストンリング10の上面、下面、内周面にも任意に形成されていてもよい。黒色の硬質炭素層Bと白色の硬質炭素層Wとの積層順は特に限定されない。
図2の例では、黒色の硬質炭素層Bが成膜され、その上に白色の硬質炭素層Wが成膜された繰り返し単位が積層されているが、白色の硬質炭素層Wが成膜され、その上に黒色の硬質炭素層Bが成膜された繰り返し単位が積層されていてもよい。繰り返し単位は、
図2に示すいずれの形態であってもよく、繰り返し単位を構成する黒色の硬質炭素層Bと白色の硬質炭素層Wとは隣り合った態様で成膜されている。なお、最上部の硬質炭素層は、初期なじみ性の観点から硬度の低い黒色の硬質炭素層Bで構成されていることが望ましい。
【0042】
相対的に黒色の硬質炭素層Bは、従来の技術と同様、高密度でsp2/sp3比が小さく強度に優れており、相対的に白色の硬質炭素層は低密度でsp2/sp3比が大きく低摩擦性と耐チッピング性に優れている。しかし、本発明での被覆膜1は、従来の技術とは硬度の高低が異なり、隣り合う黒色の硬質炭素層Bと白色の硬質炭素層Wにおいては、黒色の硬質炭素層Bよりも白色の硬質炭素層Wの方が高い硬度になっている。すなわち、黒色の硬質炭素層Bは、隣り合う白色の硬質炭素層Wに比べて、硬度が低く、sp2/sp3比が小さく、密度が大きい。逆に言えば、白色の硬質炭素層Wは、隣り合う黒色の硬質炭素層Bに比べて、硬度が高く、sp2/sp3比が大きく、密度が小さい。こうした黒色の硬質炭素層Bと白色の硬質炭素層Wとの繰り返し単位の積層体からなる被覆膜1は、実施例の結果に示すように、性質の異なる硬質炭素層B,Wの積層効果に基づき、耐チッピング性と耐摩耗性と耐剥離性(密着性)に優れた摺動部材10とすることができる。
【0043】
黒色の硬質炭素層Bのsp2/sp3比は、後述の実施例2で示すように、被覆膜1の厚さ方向において、基材11側から表面位置に向かうにしたがって増加している態様であってもよい。なお、sp2/sp3比は、[sp2/(sp2+sp3)]比を簡略化して表したものであり、後述した「sp2/sp3比」の説明欄で説明する方法で測定されたものである。
【0044】
硬度について、黒色の硬質炭素層Bのビッカース硬度は、700~1600HVの範囲内であることが好ましく、750~1200HVの範囲内であることがさらに好ましい。白色の硬質炭素層Wのビッカース硬度は、隣り合う黒色の硬質炭素層Bのビッカース硬度よりも高く且つ1200~2200HVの範囲内であることが好ましく、1250~1900HVの範囲内であることがさらに好ましい。
【0045】
sp2/sp3比について、黒色の硬質炭素層Bのsp2/sp3比は、0.05~0.75の範囲内であることが好ましい。白色の硬質炭素層Wのsp2/sp3比は、黒色の硬質炭素層Bのsp2/sp3比よりも大きく且つ0.20~0.80の範囲内であることが好ましい。sp2/sp3比が小さい黒色の硬質炭素層Bは、ダイヤモンドに代表される炭素結合(sp3結合)が相対的に多いので、密度が高く、それゆえ硬度が高いものであったが、本発明では、密度は高いが、硬度は低い。一方、sp2/sp3比が大きい白色の硬質炭素層Wは、グラファイトに代表される炭素結合(sp2結合)が相対的に多いので、密度が低く、それゆえ硬度が低いものであったが、本発明では、密度は高いが、硬度は高い。この原因は、後述する成膜プロセスによるものと考えられる。なお、sp2/とsp3は、透過型電子顕微鏡(TEM)に電子エネルギー損失分光法(EELS)を組み合わせたTEM-EELSによる測定することができる。なお、ここでの「高い」、「低い」、「大きい」、「小さい」は、黒色の硬質炭素層Bと白色の硬質炭素層Wとの間の相対的な高低や大小を意味している。
【0046】
厚さ比(T1/T2)について、黒色の硬質炭素層Bの厚さT1と白色の硬質炭素層Wの厚さT2との比(T1/T2)は、1/10~1.5/1の範囲内であることが好ましい。繰り返し単位の厚さ比(T1/T2)が上記範囲内であるので、この厚さ比は、任意に制御して被覆膜1の厚さ方向Yで一定としたり変化させたりすることができる。厚さ比の変化は、徐々に大きくしたり小さくしたりしてもよいし、成膜開始時や成膜終了時を他の部分と異なる厚さ比としてもよい。
【0047】
例えば、黒色の硬質炭素層Bと白色の硬質炭素層Wの厚さの比(T1/T2)を被覆膜1の厚さ方向Yで同じ又はほぼ同じにした場合は、各繰り返し単位での低摩擦性や耐チッピング性が同程度になるので、被覆膜1の摩耗が徐々に進行した場合でも耐チッピング性や耐摩耗性を安定した一定の状態で示すことができる。また、例えば、黒色の硬質炭素層Bと白色の硬質炭素層Wの厚さの比(T1/T2)を被覆膜1の厚さ方向Yで徐々に変化させる場合は、摺動初期における繰り返し単位の低摩擦性や耐チッピング性と、初期以後における繰り返し単位の低摩擦性や耐チッピング性とを意図的に作用させることができるので、被覆膜1の摩耗が徐々に進行した場合の耐チッピング性や耐摩耗性をコントロールすることができる。
【0048】
厚さTについて、繰り返し単位の厚さTは、0.2~2μmの範囲内であることが好ましい。個々の繰り返し単位の厚さTは、任意に制御されて上記範囲内とすることができる。
【0049】
黒色の硬質炭素層Bの白色の硬質炭素層Wの側の界面には、僅かに、網目状、うろこ状、樹枝状又は層状と形容できる三次元的な成長形態を有していてもよい。こうした成長形態では、黒色の硬質炭素層Bに白色の硬質炭素が含まれていることもある。また、黒色の硬質炭素層Bの三角波状の形態を、膜の成長方向に対し、V字状(扇の要(かなめ)の位置から末広がりに拡大する形態)又は放射状とも見ることができる。
図3,
図4及び
図7より、個々の黒色の硬質炭素層Bでは、厚くなるほど網目が生じやすくなって全体としてやや白っぽく変化した黒色層になっていることがわかる。
【0050】
図3,
図4及び
図7に示すように、白色の硬質炭素層Wは、微細な縞模様を有することを視認でき、同様に、黒色の硬質炭素層Bも、微細な縞模様を有するように視認できる。こうした縞模様が繰り返す個々の各層(白色の硬質炭素層W、黒色の硬質炭素層B)で視認される明確な理由は現時点では明らかではないが、リング状のピストンリングの摺動面に被覆膜1を成膜する場合のように、自転させて成膜させる際にターゲットに対する距離が連続的に変化することに基づいていると考えられる。
【0051】
被覆膜1は、1μm~50μmの範囲内の合計厚さで形成されることが好ましい。黒色の硬質炭素層Bと白色の硬質炭素層Wが積層した上記範囲の厚い被覆膜1の形成は、PVD法での成膜温度(基板温度)として、一例として、例えば200℃以下での成膜と200℃超での成膜とを交互に行うことによって実現できる。200℃以下での成膜は、sp2/sp3比がやや大きい白色の硬質炭素層Wとなる。一方、200℃超での成膜は、sp2/sp3比が小さい黒色の硬質炭素層Bとなる。被覆膜1は、これらの膜を交互に積層することにより、上記範囲の厚さの膜を形成することができる。
【0052】
なお、被覆膜1の一部には、積層された少なくとも2層以上の層間に跨るような隆起形状(図示しない)が現れていてもよい。この隆起形状は、あたかも地層が隆起したような形態に見える部分であり、粒子状にも見えるし、風船状にも見える部分である。隆起形状が存在した場合の積層状態は、厚さ方向Yに整列した態様で一様に積層されておらず、主に上半分に現れやすく、乱れた形態となっているように見えるが、耐摩耗性や耐チッピング性等の特性にはあまり影響しない。隆起形状の形成メカニズムは現時点では明らかではないが、おそらく成膜時のマクロパーティクルが起点になっていると考えられる。
【0053】
被覆膜1を構成する黒色の硬質炭素層B及び白色の硬質炭素層Wには、その成膜条件に基づき、水素はほとんど含まれていない。水素含有量をあえて示すとすれば、0.01原子%以上、5原子%未満ということができる。水素含有量は、HFS(Hydrogen Forward Scattering)分析により測定でき、残部は、実質的に炭素のみからなり、N、B、Siその他の不可避不純物以外は含まれていないことが好ましい。
【0054】
(被覆膜の成膜)
被覆膜1の成膜は、アーク式PVD法、スパッタPVD法等のPVD法を適用できる。なかでも、カーボンターゲットを用い、成膜原料に水素原子を含まないアークイオンプレーティング法で形成することが好ましい。被覆膜1を例えばアークイオンプレーティング法で形成する場合、バイアス電圧のON/OFF、バイアス電圧値の制御、アーク電流の調整、ヒーターによる基材の加熱制御、基材をセットする治具(ホルダー)に冷却機構を導入した基材の強制冷却、等を成膜条件とすることができる。特に本発明では、上記被覆膜1を成膜するため、黒色の硬質炭素層Bはバイアス電圧を印加して成膜し、白色の硬質炭素層Wはバイアス電圧を0V又は小さい範囲(例えば0V超~-50V以下)で印加して成膜している。
【0055】
sp2/sp3比が0.05~0.75の黒色の硬質炭素層Bは、温度上昇を起こすバイアス電圧で成膜される。バイアス電圧としては、例えば-100~-300Vの範囲とすることができ、その際のアーク電流は40~120Aの範囲であり、基材温度は100℃~300℃の範囲で成膜される。一方、sp2/sp3比が0.20~0.80の白色の硬質炭素層Wは、温度上昇を起こさないバイアス電圧で成膜される。バイアス電圧としては、0V、又は例えば0V超~-50V以下の範囲とすることができ、その際のアーク電流は40~120Aの範囲であり、基材温度は温度上昇せずに徐々に低下しながら成膜される。なお、基材温度は、アーク電流、ヒーター温度、炉内圧力等バイアス電圧の調整以外でも調整可能である。また、炉内圧力は、10-4~5×10-1Paの真空雰囲気とした場合、水素ガスや窒素ガスを導入した場合に比べて低摩擦で高耐摩耗性の硬質炭素層を得ることができるため好ましい。
【0056】
(sp2/sp3比)
硬質炭素層は、グラファイトに代表される炭素結合sp2結合と、ダイヤモンドに代表される炭素結合sp3結合とが混在する膜である。ここでは、EELS分析(Electron Energy-Loss Spectroscopy:電子エネルギー損失分光法)により、1s→π*強度と1s→σ*強度を測定し、1s→π*強度をsp2強度、1s→σ*強度をsp3強度と見立てて、その比である1s→π*強度と1s→σ*強度の比を[sp2/(sp2+sp3)]比(「sp2/sp3比」と略すことがある。)として算出した。したがって、本発明でいうsp2/sp3比とは、正確にはπ/σ強度比のことを指す。具体的には、STEM(走査型TEM)モードでのスペクトルイメージング法を適用し、加速電圧200kV、試料吸収電流10-9A、ビームスポットサイズ径が1nmの条件で、1nmのピッチで得たEELSを積算し、約10nm領域からの平均情報としてC-K吸収スペクトルを抽出し、sp2/sp3比を算出する。
【0057】
なお、黒色の硬質炭素層Bの形成前や白色の硬質炭素膜層Wの形成前には、カーボンターゲットを用いたボンバード処理を行なってもよい。このボンバード処理は、黒色及び白色の全ての硬質炭素膜層B,Wの形成前にそれぞれ行ってもよいし、黒色の硬質炭素層Bの形成前だけ行ってもよいし、白色の硬質炭素層Wの形成前だけ行ってもよいし、これらに限らず任意の硬質炭素層の形成前に行ってもよい。なお、
図7に示す例では、黒色の硬質炭素層Bの直下だけに、ボンバード処理によって形成されたカーボン層を有することが視認できる。
【実施例】
【0058】
以下に、本発明に係る被覆膜及び摺動部材について、実施例と参考例を挙げてさらに詳しく説明する。
【0059】
[実施例1]
摺動部材10としてピストンリングを適用した。C:0.65質量%、Si:0.38質量%、Mn:0.35質量%、Cr:13.5質量%、Mo:0.3質量%、P:0.02質量%、S:0.02質量%、残部:鉄及び不可避不純物からなるピストンリング基材11(直径88mm、リング径方向幅2.9mm、リング軸方向幅1.2mm)を用いた、このピストンリング基材11上に、窒化処理により40μmの窒化層を形成し、中間層12として、厚さ0.2μmの金属クロム層をイオンプレーティング法にて形成した。次に、中間層12の上に、カーボンターゲットを使用したアークイオンプレーティング装置を用いて、黒色の硬質炭素層Bと白色の硬質炭素層Wとの繰り返し単位を成膜して被覆膜1を得た。
【0060】
黒色の硬質炭素層Bは、バイアス電圧-150V、アーク電流40Aで8分間アーク放電を行い、厚さT1が0.14μmの黒色の硬質炭素層Bを成膜した。その上に成膜する白色の硬質炭素層Wは、バイアス電圧0Vで22分間アーク放電(アーク電流40A)を行い、厚さT2が0.41μmの白色の硬質炭素層Wを成膜した。繰り返し単位の厚さTは0.55μmであり、この繰り返し単位の成膜を20回行い、合計厚さが11μmの被覆膜1を得た。
【0061】
[評価]
成膜された被覆膜1について、その断面の明視野TEM像を撮影した。
図3及び
図4に示すように、被覆膜1は、相対的に黒で示される黒色の硬質炭素層Bと、相対的に白で示される白色の硬質炭素層Wとが厚さ方向に交互に積層されているのが確認できた。また、sp
2/sp
3比は、黒色の硬質炭素層Bの各部で0.25~0.75の範囲内であり、白色の硬質炭素層Wの各部で0.4~0.80の範囲内であった。
【0062】
[構造形態の観察]
上記した被覆膜1の断面写真は、被覆膜1の断面を加速電圧200kVの明視野TEMで撮像して得た。また、被覆膜1の総厚さ、黒色の硬質炭素層Bや白色の硬質炭素層Wの厚さは、明視野TEM像から求めた。厚さの測定には、用いたアークイオンプレーティング装置のコーティング有効範囲の中央付近で被覆膜1を成膜したピストンリングと、上端及び下端付近で被覆膜1を成膜したピストンリングとを測定試料として用いた。得られた黒色の硬質炭素層Bの厚さT1と白色の硬質炭素層Wの厚さT2との比(T1/T2)を計算した。
【0063】
[耐摩耗性、耐チッピング性、低摩擦性、耐剥離性]
成膜された被覆膜1の各種の特性は、自動車用摺動部材の評価で一般的に行われているSRV(Schwingungs Reihungund und Verschleiss)試験機120による摩擦摩耗試験方法により得た。具体的には、
図6に示すように、摩擦摩耗試験試料20の摺動面を摺動対象物21であるSUJ2材に当接させた状態で、潤滑油に5W-30(Mo-DTCなし)を用いて、1000Nの荷重をかけながら、それぞれの荷重で10分間及び60分間往復摺動させ、摩擦摩耗試験試料20の摺動面を顕微鏡で観察した。
図6において、符号12は中間層であり、符号1は被覆膜である。
【0064】
得られた被覆膜1は、剥離もチッピングも発生しておらず、一定で安定した耐チッピング性と耐摩耗性を示すとともに耐剥離性(密着性)に優れる被覆膜を有することを確認した。
【0065】
この実験で得られた被覆膜1は、耐チッピング性と耐摩耗性がよく、相手材に対する攻撃性もよいので、被覆膜1と相手材の両方に対して安定した摺動特性となっている。こうした特徴は、特にピストンリング等の高負荷が加わる摺動部材及び被覆膜に対して望ましく、この特徴を有しない摺動部材に比べて、一定で安定した耐チッピング性と耐摩耗性を示すとともに耐剥離性(密着性)に優れた摺動部材とすることができる。
【0066】
[実施例2]
この実施例2も摺動部材10としてピストンリングを適用し、実施例1と同じピストンリング基材11を用いた、窒化層と中間層12も実施例1と同様に形成した。黒色の硬質炭素層Bと白色の硬質炭素層Wとの繰り返し単位についても実施例1と同様、中間層12の上に、カーボンターゲットを使用したアークイオンプレーティング装置を用いて成膜して被覆膜1を得た。なお、この実施例では、黒色の硬質炭素層Bと白色の硬質炭素層Wとを繰り返し成膜する場合において、黒色の硬質炭素層Bの形成前には、ボンバード処理(バイアス電圧:-500V~-2000Vの任意の電圧、具体的には-1000V)によってカーボン層(
図7の薄い白色層を参照)を形成している。
【0067】
この実施例2での成膜条件として、黒色の硬質炭素層Bは、バイアス電圧-150V、アーク電流40Aで10分間アーク放電を行い、厚さT1が0.18μmの黒色の硬質炭素層Bを成膜した。その上に成膜する白色の硬質炭素層Wは、バイアス電圧-30Vで20分間アーク放電(アーク電流40A)を行い、厚さT2が0.35μmの白色の硬質炭素層Wを成膜した。繰り返し単位の厚さTは0.53μmであり、この繰り返し単位の成膜を20回行い、合計厚さが10.6μmの被覆膜1を得た。
【0068】
[実施例2の評価]
実施例2の被覆膜1について、その断面の明視野TEM像を撮影し、
図7に示した。
図7に示すように、被覆膜1は、相対的に黒で示される黒色の硬質炭素層Bと、相対的に白で示される白色の硬質炭素層Wとが厚さ方向に交互に積層されているのが確認できた。また、
図7に示すように、白色の硬質炭素層Wには微細な縞模様が見られ、黒色の硬質炭素層Bにも微細な縞模様が見られた。この被覆膜1のsp
2/sp
3比は、黒色の硬質炭素層Bの各部で0.05~0.55の範囲内であり、白色の硬質炭素層Wの各部で0.20~0.70の範囲内であった。また、ビッカース硬度は、黒色の硬質炭素層Bのビッカース硬度は700~1100HVの範囲内であり、白色の硬質炭素層Wのビッカース硬度は隣り合う黒色の硬質炭素層Bのビッカース硬度よりも高く且つ1200~1900HVの範囲内であった。
【0069】
ビッカース硬度の測定について、この実施例2の繰り返し単位の厚さT(=T1+T2)は0.53μmであり、黒色の硬質炭素層Bの厚さT1は0.18μm、白色の硬質炭素層Wの厚さT2は0.35μmと薄いため、断面での黒色の硬質炭素層B及び白色の硬質炭素層Wそれぞれの単層の硬さの測定は現在の最高レベルの測定技術でもほとんど不可能である。また、表面から測定しようとしても、厚さが薄いため、下層の硬さの影響を受けてしまい、現在の最高レベルの測定技術でも困難である。そこで、ここでのビッカース硬度は、黒色の硬質炭素層B及び白色の硬質炭素層Wそれぞれの層のみを厚く成膜して測定した結果で評価した。
【0070】
具体的には、硬さは成膜温度に左右されるため、実施例2において、温度上昇を伴う黒色の硬質炭素層Bの成膜終了時の基材温度をTBとし、温度低下を伴う白色の硬質炭素層Wの成膜終了時の基材温度をTWとすると、TB>TWである。黒色の硬質炭素層Bの単層を成膜する場合は、黒色の硬質炭素層Bを0.18μm成膜したのち、基材温度がTWに低下するまで冷却し、TWに到達した時点で黒色の硬質炭素層Bの成膜を開始し、0.18μm成膜する。その後、基材温度がTWに低下するまでの冷却と黒色の硬質炭素層Bの成膜を繰り返すことにより、実施例2の黒色の硬質炭素層Bのみを成膜した単層皮膜を得た。一方、白色の硬質炭素層Wの単層を成膜する場合は、白色の硬質炭素層Wを0.35μm成膜したのち、基材温度がTBに上昇するまでヒーター加熱を行い、TBに到達した時点で白色の硬質炭素層Wの成膜を開始し、0.35μm成膜する。その後、基材温度がTBに上昇するまでの加熱と白色の硬質炭素層Wの成膜を繰り返すことにより、実施例2の白色の硬質炭素層Wのみを成膜した単層皮膜を得た。こうして、表面からの硬さの測定において、基材の影響を受けない膜厚(6μm以上)に成膜した黒色の硬質炭素層B及び白色の硬質炭素層Wの単層皮膜を、表面粗さRa0.05程度に整えて、表層からビッカース硬度計にて荷重100gfでビッカース硬度を測定した。この実施例では、この方法で測定したビッカース硬度で評価した。
【0071】
[実施例3]
この実施例3も摺動部材10としてピストンリングを適用し、実施例1と同じピストンリング基材11を用いた、窒化層と中間層12も実施例1と同様に形成した。黒色の硬質炭素層Bと白色の硬質炭素層Wとの繰り返し単位についても実施例1と同様、中間層12の上に、カーボンターゲットを使用したアークイオンプレーティング装置を用いて成膜して被覆膜1を得た。なお、この実施例でも、実施例2と同様、黒色の硬質炭素層Bの形成前にはボンバード処理によってカーボン層を形成している。
【0072】
この実施例3での成膜条件として、黒色の硬質炭素層Bは、バイアス電圧-130V、アーク電流40Aで8分間アーク放電を行い、厚さT1が0.13μmの黒色の硬質炭素層Bを成膜した。その上に成膜する白色の硬質炭素層Wは、バイアス電圧-50Vで22分間アーク放電(アーク電流40A)を行い、厚さT2が0.39μmの白色の硬質炭素層Wを成膜した。繰り返し単位の厚さTは0.52μmであり、この繰り返し単位の成膜を20回行い、合計厚さが10.4μmの被覆膜1を得た。
【0073】
[実施例3の評価]
実施例3の被覆膜1についても、その断面の明視野TEM像は
図7と同様の形態を示していた。この被覆膜1のsp
2/sp
3比は、黒色の硬質炭素層Bの各部で0.05~0.35の範囲内であり、白色の硬質炭素層Wの各部で0.20~0.50の範囲内であった。黒色の硬質炭素層Bのビッカース硬度は1050~1600HVの範囲内であり、白色の硬質炭素層Wのビッカース硬度は隣り合う黒色の硬質炭素層Bのビッカース硬度よりも高く且つ1650~2200HVの範囲内であった。実施例3のビッカース硬度も実施例2と同様の方法で測定した。
【0074】
実施例1~3の結果を整理すると、sp2/sp3比は、黒色の硬質炭素層Bの各部で0.05~0.75の範囲内であり、白色の硬質炭素層Wの各部で0.20~0.80の範囲内であるということができる。ビッカース硬度は、黒色の硬質炭素層Bは700~1600HVの範囲内であり、白色の硬質炭素層Wは隣り合う黒色の硬質炭素層Bのビッカース硬度よりも高く且つ1200~2200HVの範囲内であるこということができる。
【0075】
以上、本発明を実施の形態に基づき説明したが、本発明は上記の実施の形態に限定されるものではない。本発明と同一及び均等の範囲内において、上記の実施の形態に対して種々の変更を加えることが可能である。
【符号の説明】
【0076】
1 被覆膜
11 基材(ピストンリング基材)
11a 下地層
12 中間層
16 摺動面
20 摩擦摩耗試験試料
21 摺動対象物
120 SRV試験機
B 黒色の硬質炭素層
W 白色の硬質炭素層
Y 厚さ方向