(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2023-07-07
(45)【発行日】2023-07-18
(54)【発明の名称】質量分析方法、質量分析装置およびプログラム
(51)【国際特許分類】
G01N 27/62 20210101AFI20230710BHJP
G01N 30/72 20060101ALI20230710BHJP
H01J 49/00 20060101ALI20230710BHJP
H01J 49/26 20060101ALI20230710BHJP
【FI】
G01N27/62 V ZNA
G01N27/62 X
G01N27/62 D
G01N30/72 C
H01J49/00 360
H01J49/00 310
H01J49/26
(21)【出願番号】P 2021533919
(86)(22)【出願日】2020-07-06
(86)【国際出願番号】 JP2020026486
(87)【国際公開番号】W WO2021014958
(87)【国際公開日】2021-01-28
【審査請求日】2021-12-22
(31)【優先権主張番号】P 2019135344
(32)【優先日】2019-07-23
(33)【優先権主張国・地域又は機関】JP
(73)【特許権者】
【識別番号】000001993
【氏名又は名称】株式会社島津製作所
(73)【特許権者】
【識別番号】509111744
【氏名又は名称】地方独立行政法人東京都健康長寿医療センター
(74)【代理人】
【識別番号】110001069
【氏名又は名称】弁理士法人京都国際特許事務所
(72)【発明者】
【氏名】西風 隆司
(72)【発明者】
【氏名】津元 裕樹
【審査官】吉田 将志
(56)【参考文献】
【文献】特開2014-066704(JP,A)
【文献】国際公開第2015/159096(WO,A1)
【文献】特許第6135710(JP,B2)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
G01N 27/60 - G01N 27/70
G01N 27/92
G01N 30/72
H01J 49/00 - H01J 49/48
JSTPlus/JMEDPlus/JST7580(JDreamIII)
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
シアル酸を有する糖鎖を含む試料を用意することと、
前記糖鎖に含まれる、それぞれ異なる結合様式の複数のシアル酸を結合様式特異的に修飾することと、
修飾された前記複数のシアル酸を有する前記糖鎖を含む前記試料の第1質量分析において、前記複数のシアル酸のそれぞれに由来する複数のオキソニウムイオンの検出を行うことと、
前記検出で得られたデータに基づいて、前記複数のオキソニウムイオンの強度の相対値を算出することとを備え
、
α2,3-シアル酸、α2,8-シアル酸またはα2,9-シアル酸と、α2,6-シアル酸とにそれぞれ異なる修飾がされる、質量分析方法。
【請求項2】
シアル酸を有する糖鎖を含む試料を用意することと、
前記糖鎖に含まれる、それぞれ異なる結合様式の複数のシアル酸を結合様式特異的に修飾することと、
修飾された前記複数のシアル酸を有する前記糖鎖を含む前記試料の第1質量分析において、前記複数のシアル酸のそれぞれに由来する複数のオキソニウムイオンの検出を行うことと、
前記検出で得られたデータに基づいて、前記複数のオキソニウムイオンの強度の相対値を算出することと
、
前記相対値に基づいて、前記試料に含まれる糖鎖における、結合様式の異なる複数のシアル酸の数の比を算出することとを備える質量分析方法。
【請求項3】
請求項1
または2に記載の質量分析方法において、
前記複数のシアル酸は、アミド修飾される、質量分析方法。
【請求項4】
請求項1
~3までのいずれか一項に記載の質量分析方法において、
前記第1質量分析は、2段階以上のタンデム質量分析により行われる、質量分析方法。
【請求項5】
請求項
2に記載の質量分析方法において、
α2,3-シアル酸、α2,8-シアル酸またはα2,9-シアル酸と、α2,6-シアル酸とにそれぞれ異なる修飾がされる、質量分析方法。
【請求項6】
請求項
1に記載の質量分析方法において、
前記相対値に基づいて、前記試料に含まれる糖鎖における、結合様式の異なる複数のシアル酸の数の比を算出する、質量分析方法。
【請求項7】
請求項1
または2に記載の質量分析方法において、
前記第1質量分析の前に前記試料のクロマトグラフィーを行うことを備える、質量分析方法。
【請求項8】
請求項7に記載の質量分析方法において、
前記複数のオキソニウムイオンの少なくとも一つに対応するピークを含む抽出イオンクロマトグラムを出力することを備える質量分析方法。
【請求項9】
請求項7または8に記載の質量分析方法において、
走査させたm/zに基づいて前記試料のイオン化により生成されたイオンの質量分離を行い、質量分離された前記イオンの解離を行い、前記解離により生成されたイオンからオキソニウムイオンを検出する第2質量分析を行うことと、
前記第2質量分析の結果に基づいて、検出された前記オキソニウムイオンが由来する糖鎖を含む分子が前記クロマトグラフィーにおいて溶出される時間および前記分子の質量の少なくとも一つを得ることとを備える質量分析方法。
【請求項10】
シアル酸を有する糖鎖を含む試料であって、前記糖鎖が有する、それぞれ異なる結合様式の複数のシアル酸が結合様式特異的に修飾されている試料の第1質量分析において、前記複数のシアル酸にそれぞれ由来する複数のオキソニウムイオンを検出して得られたデータを取得するデータ取得部と、
前記データに基づいて、前記複数のオキソニウムイオンの強度の相対値を算出する算出部と
を備え
、
前記試料に含まれる糖鎖が有する前記複数のシアル酸のうち、α2,3-シアル酸、α2,8-シアル酸またはα2,9-シアル酸と、α2,6-シアル酸とにそれぞれ異なる修飾がされている質量分析装置。
【請求項11】
シアル酸を有する糖鎖を含む試料であって、前記糖鎖が有する、それぞれ異なる結合様式の複数のシアル酸が結合様式特異的に修飾されている試料の第1質量分析において、前記複数のシアル酸にそれぞれ由来する複数のオキソニウムイオンを検出して得られたデータを取得するデータ取得部と、
前記データに基づいて、前記複数のオキソニウムイオンの強度の相対値を算出
し、該相対値に基づいて、前記試料に含まれる糖鎖における、結合様式の異なる複数のシアル酸の数の比を算出する算出部と
を備える質量分析装置。
【請求項12】
シアル酸を有する糖鎖を含む試料であって、前記糖鎖が有する、それぞれ異なる結合様式の複数のシアル酸が結合様式特異的に修飾されており、前記複数のシアル酸のうち、α2,3-シアル酸、α2,8-シアル酸またはα2,9-シアル酸と、α2,6-シアル酸とにそれぞれ異なる修飾がされている試料の第1質量分析において、前記複数のシアル酸にそれぞれ由来する複数のオキソニウムイオンを検出して得られたデータを取得するデータ取得処理と、
前記データに基づいて、前記複数のオキソニウムイオンの強度の相対値を算出する算出処理とを処理装置に行わせるためのプログラム。
【請求項13】
シアル酸を有する糖鎖を含む試料であって、前記糖鎖が有する、それぞれ異なる結合様式の複数のシアル酸が結合様式特異的に修飾されている試料の第1質量分析において、前記複数のシアル酸にそれぞれ由来する複数のオキソニウムイオンを検出して得られたデータを取得するデータ取得処理と、
前記データに基づいて、前記複数のオキソニウムイオンの強度の相対値を算出
し、該相対値に基づいて、前記試料に含まれる糖鎖における、結合様式の異なる複数のシアル酸の数の比を算出する算出処理とを処理装置に行わせるためのプログラム。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、質量分析方法、質量分析装置およびプログラムに関する。
【背景技術】
【0002】
糖鎖または糖ペプチド等を質量分析により分析することが行われている。糖鎖を含む試料は、様々な分子を含むことが多いため、液体クロマトグラフィー/質量分析(LC/MS)等により多段階で分離され得る。このような質量分析におけるデータ解析は複雑になる。特に試料が糖タンパク質または糖ペプチドを含む場合には、酵素等により消化されて得られた試料がペプチドおよび糖ペプチドの混合物を含み、データ解析は一層難しくなる。この際、タンデム質量分析により得られたマススペクトルから、糖鎖に特異的なフラグメントイオンを検出し、当該検出に基づいて糖鎖に対応するピークを同定することが行われている。
【0003】
糖鎖または糖ペプチドの解離等では、糖鎖に含まれる単糖、二糖または三糖等を含んで構成されるオキソニウムイオンが生成され得る。特許文献1では、衝突誘起解離(collision-induced dissociation;CID)の際のエネルギーを変化させてオキソニウムイオンを測定し、糖鎖構造の解析を行っている。
【0004】
糖鎖は、生体内に数多く存在する糖であるシアル酸を含むことがある。シアル酸は、生体内においてタンパク質と結合された糖鎖にも含まれ、糖鎖の非還元末端に存在することが多い。従って、シアル酸は、このような糖タンパク質分子において分子の外側に配置され他の分子から直接認識されるため、重要な役割を担っている。
【0005】
シアル酸は、隣接する糖との間の結合様式(linkage type)が異なる場合がある。例えば、ヒトのN-結合型糖鎖(N型糖鎖)では主にα2,3-およびα2,6-の結合様式、O-結合型糖鎖(O型糖鎖)およびスフィンゴ糖脂質ではこれらに加えてα2,8-およびα2,9-の結合様式が知られている。このような結合様式の違いにより、シアル酸は異なる分子から認識され、異なる役割を有し得る。
【0006】
シアル酸を含有する糖鎖に対する質量分析等においては、前処理としてシアル酸の修飾が行われている。これは、負電荷を有するシアル酸のカルボキシ基をエステル化またはアミド化等により中性化することで、イオン化の抑制およびシアル酸の脱離等のデメリットを解消するものである。シアル酸は糖鎖分子内でラクトン化しやすいが、結合様式により生成されるラクトンの安定性が異なるため、この安定性の違いを利用して結合様式特異的にシアル酸の修飾および解析を行うことができる。ここで、ラクトンはきわめて不安定であり、水中でも容易に加水分解され、酸性または塩基性条件でさらに迅速に加水分解される。従って、前処理における修飾により生成されたラクトンを、アミド化により安定化させることが報告されている(特許文献2、非特許文献1および非特許文献2参照)。
【0007】
非特許文献3では、α2,3-シアル酸をエチレンジアミンによりアミド化し、α2,6-シアル酸をエチルエステル化する修飾を行い、2段階のタンデム質量分析(MS/MS)によりオキソニウムイオンを検出することが報告されている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0008】
【文献】日本国特開2014-66704号公報
【文献】日本国特許第6135710号
【非特許文献】
【0009】
【文献】Nishikaze T, Tsumoto H, Sekiya S, Iwamoto S, Miura Y, Tanaka K. "Differentiation of Sialyl Linkage Isomers by One-Pot Sialic Acid Derivatization for Mass Spectrometry-Based Glycan Profiling" Analytical Chemistry,(米国), ACS Publications, 2017年2月21日、Volume 89, Issue 4, pp.2353-2360
【文献】Hanamatsu H, Nishikaze T, Miura N, Piao J, Okada K, Sekiya S, Iwamoto S, Sakamoto N, Tanaka K, Furukawa JI. "Sialic Acid Linkage Specific Derivatization of Glycosphingolipid Glycans by Ring-Opening Aminolysis of Lactones" Analytical Chemistry,(米国), ACS Publications, 2018年10月29日、Volume 90, Issue 22, pp.13193-13199
【文献】Yang S, Wu WW, Shen RF, Bern M, Cipollo J. "Identification of Sialic Acid Linkages on Intact Glycopeptides via Differential Chemical Modification Using IntactGIG-HILIC" Journal of the American Society for Mass Spectrometry,(米国), Springer, 2018年4月12日、Volume 29, Issue 6, pp. 1273-1283.
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0010】
非特許文献3の方法では、修飾されたシアル酸を含む糖ペプチドをCIDしているにも関わらず、そのMS/MSスペクトルには修飾されていないシアル酸が検出されている等、定量性に問題がある。糖鎖に含まれるシアル酸の組成を精度よく解析することが望ましい。
【課題を解決するための手段】
【0011】
本発明の第1の態様は、それぞれ異なる修飾がされた複数のシアル酸を有する糖鎖を含む試料の第1質量分析において、前記複数のシアル酸のそれぞれに由来する複数のオキソニウムイオンの検出を行うことと、前記検出で得られたデータに基づいて、前記複数のオキソニウムイオンの強度の比を算出することとを備える質量分析方法に関する。
本発明の第2の態様は、それぞれ異なる修飾がされた複数のシアル酸を有する糖鎖を含む試料の第1質量分析において、前記複数のシアル酸にそれぞれ由来する複数のオキソニウムイオンを検出して得られたデータを取得するデータ取得部と、前記データに基づいて、前記複数のオキソニウムイオンの強度の比を算出する算出部とを備える質量分析装置に関する。
本発明の第3の態様は、それぞれ異なる修飾がされた複数のシアル酸を有する糖鎖を含む試料の第1質量分析において、前記複数のシアル酸にそれぞれ由来する複数のオキソニウムイオンを検出して得られたデータを取得するデータ取得処理と、前記データに基づいて、前記複数のオキソニウムイオンの強度の比を算出する算出処理とを処理装置に行わせるためのプログラムに関する。
【発明の効果】
【0012】
本発明によれば、糖鎖に含まれるシアル酸の組成を結合様式の違いも含めて精度よく解析することができる。
【図面の簡単な説明】
【0013】
【
図1】
図1は、一実施形態の質量分析方法の流れを示すフローチャートである。
【
図2】
図2は、一実施形態に係る質量分析装置の概略構成を示す概念図である。
【
図3】
図3は、データ解析の流れを示すフローチャートである。
【
図4】
図4は、プログラムの提供を説明するための概念図である。
【
図5】
図5は、実施例1で検出した糖ペプチドの構造を示す概念図である。
【
図6】
図6は、実施例1において、糖ペプチドA(上段)、糖ペプチドB(中段)および糖ペプチドC(下段)について得られた抽出イオンクロマトグラムである。
【
図7】
図7は、実施例1における、糖ペプチドA(上段)、糖ペプチドB(中段)および糖ペプチドC(下段)が溶出する保持時間のマススペクトルである。
【
図8】
図8は、実施例1における、糖ペプチドA(上段)、糖ペプチドB(中段)および糖ペプチドC(下段)のフラグメントイオンのマススペクトル(m/z 250~4000)である。
【
図9】
図9は、実施例1における、糖ペプチドA(上段)、糖ペプチドB(中段)および糖ペプチドC(下段)のフラグメントイオンのマススペクトル(m/z 250~400)である。
【
図10】
図10は、実施例2で検出した糖ペプチドの構造を示す概念図である。
【
図11】
図11は、実施例2における、ベースピーククロマトグラム(上段)、ならびに、修飾されたα2,3-シアル酸のオキソニウムイオン(中段)、および脱水オキソニウムイオン(下段)について得られた抽出イオンクロマトグラムである。
【
図12】
図12は、実施例2において、修飾されたα2,6-シアル酸の非脱水オキソニウムイオン(上段)、および脱水オキソニウムイオン(下段)について得られた抽出イオンクロマトグラムである。
【
図13】
図13は、実施例2における、糖ペプチドD(上段)、および糖ペプチドE(下段)の溶出する保持時間におけるマススペクトルである。
【
図14】
図14は、実施例2における、糖ペプチドD(上段)、および糖ペプチドE(下段)のフラグメントイオンのマススペクトル(m/z 200~3000)である。
【
図15】
図15は、実施例2における、糖ペプチドD(上段)、および糖ペプチドE(下段)のフラグメントイオンのマススペクトル(m/z 200~400)である。
【
図16】
図16は、実施例3で検出した糖鎖の構造を示す概念図である。
【
図17】
図17は、実施例3における、ベースピーククロマトグラムである。
【
図18】
図18は、実施例3において、糖鎖A(上段)、糖鎖B(中段)および糖鎖C(下段)について得られた抽出イオンクロマトグラムである。
【
図19】
図19は、実施例3における、糖鎖A(上段)、糖鎖B(中段)、および糖鎖C(下段)の溶出する保持時間におけるマススペクトルである。
【
図20】
図20は、実施例3における、糖鎖A(上段)、糖鎖(中段)、Bおよび糖鎖C(下段)のフラグメントイオンのマススペクトル(m/z 200~3200)である。
【
図21】
図21は、実施例3における、糖鎖A(上段)、糖鎖B(中段)、および糖鎖C(下段)のフラグメントイオンのマススペクトル(m/z 280~340)である。
【
図22】
図22は、実施例3において、試料に含まれる糖鎖の組成の候補を示す表である。
【
図23】
図23は、実施例3において、試料に含まれる糖鎖の組成の候補を示す表である。
【
図24】
図24は、実施例3において、試料に含まれる糖鎖の組成の候補を示す表である。
【発明を実施するための形態】
【0014】
以下、図を参照して本発明を実施するための形態について説明する。
【0015】
-第1実施形態-
本実施形態の質量分析方法では、修飾されたシアル酸を含む試料の質量分析が行われ、シアル酸のオキソニウムイオンが検出される。オキソニウムイオンの検出により得られたデータに基づいて、糖鎖に含まれる糖の組成または糖鎖の構造等の解析が行われる。
【0016】
図1は、本実施形態の質量分析方法の流れを示すフローチャートである。ステップS1001において、糖鎖を含む試料が用意される。
【0017】
(試料について)
糖鎖を含む試料は、特に限定されず、遊離糖鎖、糖ペプチドおよび糖タンパク質、ならびに糖脂質からなる群から選択される少なくとも一つの分子を含むことができる。特に、試料が、糖ペプチドまたは糖タンパク質を含む場合は上述のようにデータ解析が難しくなるため、本実施形態の方法により糖鎖の構造等を導きやすくすることが有用である。試料中の糖鎖は、N-結合型糖鎖、O-結合型糖鎖、または糖脂質型糖鎖等、末端にシアル酸を有する可能性がある糖鎖を含むことが好ましい。また、試料中の糖鎖は、α2,3-シアル酸、α2,8-シアル酸およびα2,9-シアル酸の少なくとも一つを含むか、含む可能性があることがより好ましく、これに加えてα2,6-シアル酸を含むか、含む可能性があることがさらに好ましい。
【0018】
試料が遊離糖鎖を含む場合は、糖タンパク質、糖ペプチドまたは糖脂質から遊離させた糖鎖を用いることができる。当該遊離の方法としては、N‐グリコシダーゼ、O‐グリコシダーゼ、またはエンドグリコセラミダーゼなどを用いた酵素処理、ヒドラジン分解、アルカリ処理によるβ脱離等の化学的切断方法を用いることができる。糖ペプチドおよび糖タンパク質のペプチド鎖からN‐結合型糖鎖を遊離させる場合は、ペプチド‐N‐グリコシダーゼF(PNGase F)、ペプチド‐N‐グリコシダーゼA(PNGase A)、またはエンド-β-N-アセチルグルコサミニダーゼ(Endo M)等による酵素処理が好適に用いられる。また、糖鎖の還元末端のピリジルアミノ化(PA化)等の修飾を適宜行うことができる。酵素処理の前に、後述する糖ペプチドまたは糖タンパク質のペプチド鎖の切断を行ってもよい。
【0019】
糖ペプチドまたは糖タンパク質のペプチド鎖のアミノ酸の残基数が多いものは、酵素的切断等により、ペプチド鎖を切断して用いることが好ましい。例えば、質量分析用の試料を調製する場合、ペプチド鎖のアミノ酸残基数は30以下が好ましく、20以下がより好ましく、15以下がさらに好ましい。一方、糖鎖が結合しているペプチドの由来を明確とすることが求められる場合には、ペプチド鎖のアミノ酸残基数は2以上が好ましく、3以上がより好ましい。
【0020】
糖ペプチドまたは糖タンパク質のペプチド鎖を切断する場合の消化酵素としては、トリプシン、リジルエンドペプチダーゼ、アルギニンエンドペプチダーゼ、キモトリプシン、ペプシン、サーモリシン、プロテイナーゼK、またはプロナーゼE等が用いられる。これらの消化酵素の2種以上を組み合わせて用いてもよい。ペプチド鎖の切断の際の条件は特に限定されず、使用する消化酵素に応じた適宜のプロトコールが採用される。この切断の前に、試料中のタンパク質およびペプチドの変性処理またはアルキル化処理が行われてもよい。変性処理またはアルキル化処理の条件は特に限定されない。また、酵素的切断では無く、化学的切断等によりペプチド鎖を切断してもよい。
ステップS1001が終了したら、ステップS1003に進む。
【0021】
(分析用試料の調製)
ステップS1003において、シアル酸の修飾が行われ、分析用試料が調製される。シアル酸の修飾の方法は特に限定されない。例えば、上述の特許文献2および非特許文献1に記載された方法を用いることができる。この方法では、第一反応においてα2,3-シアル酸、α2,8-シアル酸またはα2,9-シアル酸をラクトン化し、α2,6-シアル酸をアミド化またはエステル化する。第二反応では、ラクトン化された上記シアル酸を、α2,6-シアル酸の上記修飾とは異なる修飾体を形成するように、アミド化またはエステル化等により修飾する。あるいは、非特許文献2に記載された方法を用いてもよい。この方法では、上述の第二反応において、ラクトンを直接アミド化する開環アミノリシスにより、迅速なアミド化が行われる。以下では、この迅速なアミド化を行う例を説明する。上述の第一反応および第二反応では、共にアミド化を行うことが好ましい。これにより、エステル化等に比べより安定的に修飾を行うことができ、精度の高い糖鎖の解析を行うことができる。
【0022】
ステップS1003において、ステップS1001で用意された試料を、ラクトン化のための反応溶液(以下、ラクトン化反応溶液と呼ぶ)と接触させ、糖鎖に含まれるシアル酸の少なくとも一部をラクトン化するラクトン化反応を行う(以下、ラクトン化反応と記載した場合、特に言及が無い限り、ステップS1003のラクトン化反応を指す)。ラクトン化反応では、結合様式特異的に、シアル酸の一部をラクトン化し、シアル酸の他の一部をラクトン化とは異なる修飾をする。ラクトン化反応において、α2,3-シアル酸、α2,8-シアル酸およびα2,9-シアル酸が好適にラクトン化される。
【0023】
ラクトン化反応溶液は、脱水縮合剤と、アルコール、アミンまたはこれらの塩を含む第1反応剤とを含む。第1反応剤は、その少なくとも一部がシアル酸に結合することにより、エステル化またはアミド化による修飾を行うための反応剤である。シアル酸の結合様式により生成されるラクトンの安定性が異なるため、この点に基づいて選択的に脱水反応またはエステル化またはアミド化による修飾反応を起こすように、脱水縮合剤ならびに第1反応剤の種類および濃度が調整される。詳細は、特許文献2を参照されたい。
【0024】
(ラクトン化反応における脱水縮合剤)
脱水縮合剤は、カルボジイミドを含むことが好ましい。カルボジイミドを用いると、脱水縮合剤としてホスホニウム系脱水縮合剤(いわゆるBOP試薬)やウロニウム系脱水縮合剤を用いた場合に比べて、立体障害が大きい部位に存在するカルボキシ基がアミド化されにくいからである。カルボジイミドの例としては、N,N’‐ジシクロへキシルカルボジイミド(DCC)、N‐(3‐ジメチルアミノプロピル)‐N’‐エチルカルボジイミド(EDC)、またはこれらの塩等、上述の特許文献2に記載されたカルボジイミドが挙げられる。
【0025】
(ラクトン化反応における添加剤)
脱水縮合剤による脱水縮合を促進させ、かつ副反応を抑制するために、カルボジイミドに加えて、求核性の高い添加剤を用いることが好ましい。求核性の高い添加剤としては、1‐ヒドロキシベンゾトリアゾール(HOBt)等、上述の特許文献2に記載されたもの等が好ましく用いられる。
【0026】
(ラクトン化反応における反応剤(第1反応剤))
第1反応剤として用いられるアミンは、炭素原子を2個以上含む第一級または第二級のアルキルアミンを含むことが好ましい。第一級のアルキルアミンは、エチルアミン、プロピルアミン、イソプロピルアミン、ブチルアミン、sec‐ブチルアミン、tert‐ブチルアミン等が好ましい。第二級アルキルアミンは、ジメチルアミン、エチルメチルアミン、ジエチルアミン、プロピルメチルアミン、イソプロピルメチルアミン等が好ましい。α2,3-シアル酸のカルボキシ基のように立体障害が大きい部位に存在するカルボキシ基がアミド化されにくいようにする観点から、イソプロピルアミンのような分枝アルキル基を有するアミンを用いることが好ましい。ラクトン化反応溶液の第1反応剤にアミンを用いた場合、シアル酸の結合様式に基づいて、α2,6-シアル酸等の一部のシアル酸のカルボキシ基がアミド化される。
【0027】
第1反応剤として用いられるアルコールは、特に限定されず、例えばメタノールまたはエタノール等を用いることができる。ラクトン化反応溶液の反応剤にアルコールを用いた場合、シアル酸の結合様式に基づいて、α2,6-シアル酸等の一部のシアル酸のカルボキシ基がエステル化される。
なお、第1反応剤は、上述のアミンおよびアルコールの塩を含んでもよい。
【0028】
(脱水縮合剤およびアミンの濃度について)
ラクトン化反応溶液の脱水縮合剤および添加剤の濃度は、例えば、1mM~5M(以下では、Mはmol/Lを示す)等とすることができる。ラクトン化反応溶液のアミンの濃度は、0.01~20M等とすることができる。ラクトン化反応の際の反応温度は、-20℃~100℃程度等とすることができる。
【0029】
(ラクトン化反応を行う相)
ラクトン化反応は、液相でも固相でも行うことができる。試料とラクトン化反応溶液とを接触させることができれば、ラクトン化反応を起こす際の試料の状態は特に限定されない。
【0030】
固相で反応を行う場合、固相担体としては、糖鎖、糖ペプチド、または糖タンパク質等を固定可能なものであれば、特に制限なく用いることができる。例えば、糖ペプチドまたは糖タンパク質を固定するためには、エポキシ基、トシル基、カルボキシ基、アミノ基等をリガンドとして有する固相担体を用いることができる。また、糖鎖を固定するためには、ヒドラジド基やアミノオキシ基等をリガンドとして有する固相担体を用いることができる。また、糖鎖を親水性相互作用クロマトグラフィー(Hydrophilic Interaction Chromatography; HILIC)用の担体に吸着させてもよい。
【0031】
ラクトン化反応後の試料は、必要に応じて、公知の方法等により固相担体からの遊離、精製、脱塩、可溶化等の処理が行われてもよい。後述するアミド化反応の前後においても同様である。
【0032】
(アミド化反応)
ラクトン化反応の次に行われる修飾反応として、試料を、反応溶液(以下、アミド化反応溶液と呼ぶ)と接触させ、ステップS1003でラクトン化されたシアル酸をアミド化するアミド化反応が行われ、分析用試料が取得される。従来は、加水分解によりラクトンを開環してからカルボキシ基を脱水縮合剤によりアミド化する手法が主であったが、ラクトンを迅速に直接アミド化する方法を用いてもよい。以下では、アンモニア、アミンまたはこれらの塩によるラクトンの開環およびアミド化をアミノリシスと呼ぶ。このアミノリシス反応は実質的に脱水縮合剤を必要としないので、ラクトンが形成されていない通常のシアル酸には影響を及ぼすことなく、ラクトン化しているシアル酸のみを選択的にアミド化することが可能である。
【0033】
アミド化反応溶液は、アンモニア、アミンまたはこれらの塩を含む反応剤(以下、第2反応剤と呼ぶ)が含まれる。第2反応剤は、その少なくとも一部がシアル酸に結合することにより、アミド化による修飾を行うためのアミド化反応剤である。好ましくは、アミド化反応は、試料をアミド化反応溶液と接触させることのみにより行われ、簡便な操作でラクトンが安定化される。
なお、アミド化反応には脱水縮合剤は必要ではないが、アミド化反応溶液に脱水縮合剤が含まれていてもよい。例えば、ステップS1003で試料に加えたラクトン化反応溶液を除去しないで、アンモニア、アミンまたはこれらの塩を加えることにより、アミド化反応溶液を調製してもよい。
【0034】
ラクトン化反応溶液が上記第1反応剤を含む場合、アミド化反応溶液に含まれる第2反応剤は、第1反応剤とは異なる。第1反応剤と第2反応剤は質量が異なるように選択される。質量分析の質量分解能に応じて、得られた2種類の修飾体に対し精度よく質量分離が行われるように第1反応剤および第2反応剤が選択される。第1反応剤と第2反応剤とは異なる置換基を有することがクロマトグラフィーで互いに分離しやすくするために好ましいが、特にこれに限定されない。
【0035】
(アミド化反応におけるアミン)
以下の実施形態では、「アミン」の語は、ヒドラジン、ヒドラジン誘導体およびヒドロキシアミンを含み、アンモニアおよびアンモニアの塩を含まないものとする。アミド化反応においてアミンを用いる場合、第2反応剤に含まれるアミンは、アミノ基に結合した炭素原子に1以下の炭素原子が直接結合している第一級アミン、ヒドラジン、ヒドラジン誘導体およびヒドロキシアミンならびにこれらの塩から選択される少なくとも一つの化合物である。上述のように、第一級アミンの場合、炭素鎖に分枝を有していても、アミノ基から離れた位置に分枝があればアミド化反応の効率の低下が抑えられるため好ましい。
【0036】
第2反応剤は、直鎖炭化水素基を有する第一級アミンがより好ましく、直鎖アルキル基を有する第一級アミンがさらに好ましい。第2反応剤は、直鎖アルキル基を有する第一級アミンとしては、炭素数が10以下の第一級アミンが好ましく、炭素数が6以下の第一級アミン、すなわち、メチルアミン、エチルアミン、プロピルアミン、ブチルアミン、ペンチルアミンおよびヘキシルアミンがさらに好ましく、メチルアミンが最も好ましい。アミド化反応溶液に含まれるアミンが分枝(以下、「分枝」は炭化水素鎖の分枝を示す)を有しない直鎖状の構造を有していたり、炭素数が少ない方が、より効率的にラクトンがアミド化されるため好ましい。また、ジアミン等のポリアミンを用いることもできるが、アミノ基が修飾体に残り、オキソニウムイオンの生成効率が変化し定量性を低下させるため、ポリアミンではない方が好ましい。
【0037】
第2反応剤に含まれるヒドラジン誘導体は、特に限定されない。以下の実施形態では、アセトヒドラジド、酢酸ヒドラジド、ベンゾヒドラジドおよび安息香酸ヒドラジド等のヒドラジドもヒドラジン誘導体に含まれ、第2反応剤として用いることができる。第2反応剤に含まれるヒドラジン誘導体は、メチルヒドラジン、エチルヒドラジン、プロピルヒドラジン、ブチルヒドラジン、フェニルヒドラジンおよびベンジルヒドラジン、ならびに、アセトヒドラジド、酢酸ヒドラジド、ベンゾヒドラジドおよび安息香酸ヒドラジドからなる群から選択される少なくとも一つの化合物とすることができる。第2反応剤としてのヒドラジンまたはその誘導体は、アミド化反応の効率を高めるまたは維持する観点から、ヒドラジンまたはメチルヒドラジンが好ましい。
【0038】
第2反応剤のアミンはアリル基またはヒドロキシ基等、アルキル基以外の様々な官能基を含んでもよい。糖鎖がアミド化反応の結果このような官能基を含むように修飾されることにより、当該修飾を受けた糖鎖を、質量分析だけではなく、クロマトグラフィー等によってもより分離しやすくなる。
【0039】
第2反応剤は、アンモニア、および第2反応剤として上述したアミンの塩とすることができる。
【0040】
(アミド化反応溶液の濃度)
アミド化反応溶液における第2反応剤の濃度は、特に限定されないが、0.1M以上が好ましく、0.3M以上がより好ましく、0.5M以上がさらに好ましく、1.0M以上がさらに好ましく、3.0M以上が最も好ましい。アミド化反応溶液における第2反応剤の濃度が高いほど、より確実にラクトンのアミド化を行うことができる。
【0041】
(アミド化反応溶液の溶媒)
アミド化反応溶液の溶媒は、アミド化を確実に起こす観点から水系溶媒または水系溶媒と有機溶媒の混合溶媒が好ましい。アミド化反応溶液の溶媒は、例えば、水、メタノール、エタノール、ジメチルスルホキシド(DMSO)またはアセトニトリル水溶液とすることができる。
【0042】
(アミド化反応溶液のpH)
アミド化反応溶液のpHは、7.7以上である。アミド化反応溶液のpHは、8.0以上が好ましく、8.8以上がより好ましく、10.3以上がさらに好ましい。アミド化反応溶液のpHが高くなると、加水分解等の副反応が抑制されたり、様々な第2反応剤を用いてより確実にラクトンがアミド化されるため好ましい。
【0043】
(アミド化反応を起こすための時間)
アミド化反応は、数秒~数分以内に完了する。従って、アミド化反応によりラクトンをアミド化するために、試料をアミド化反応溶液と接触させる時間(以下、反応時間と呼ぶ)は、1時間未満が好ましく、30分未満がより好ましく、15分未満がさらに好ましく、5分未満がさらに好ましく、1分未満が最も好ましい。好適には、試料をアミド化反応溶液で洗浄したり、担体等に保持されている試料に対して一時的に通液するだけでもよい。試料とアミド化反応溶液とが接触する時間は、特に限定されないが、反応を十分完了させる等の観点から適宜0.1秒以上または1秒以上等とすることができる。また、試料とアミド化反応溶液を混合し、そのまま反応時間を設けずに乾固してもよい。このように、アミド化反応は短時間に完了するため、不安定なラクトンが分解し糖鎖の解析における定量性が損なわれることを抑制することができる。また、アミド化反応の反応時間を短く設定することで、より効率的に試料の解析を行うことができる。
【0044】
(アミド化反応を行う相)
試料とアミド化反応溶液とを接触させることができれば、アミド化反応を起こす際の試料の状態は特に限定されず、固相でも液相でもよい。
【0045】
固相でアミド化反応を行う場合、固相担体としては、ラクトン化反応に関して上述したものと同様のものを使用できる。固相担体への試料の固定については、ラクトン化反応に関して上述した条件を用いることができる。アミド化反応を固相で行う場合、固相担体に固定された試料に、アミド化反応溶液を作用させてアミド化を行った後は、化学的手法または酵素反応等により、担体から試料を遊離させて回収すればよい。例えば、ヒドラジド基を有する固相担体に結合している糖鎖を、弱酸性溶液により遊離させて回収してもよい。HILICでは、アセトニトリル等を溶媒としたアミド化反応溶液によりアミド化反応を行い、水等の水系溶液により試料を溶出することができる。
【0046】
(糖ペプチドおよび糖タンパク質の副反応の抑制について)
糖ペプチドまたは糖タンパク質にラクトン化反応溶液およびアミド化反応溶液を加え、上述のようにシアル酸を修飾した場合、糖ペプチドまたは糖タンパク質に含まれるアミノ酸の側鎖、主鎖の末端にあるアミノ基およびカルボキシ基の間で分子内脱水縮合等の副反応が起こる場合がある。この場合、シアル酸修飾の前にアミノ基を化学修飾などで先にブロックしておくことで、シアル酸修飾時にペプチド部分の副反応を抑制出来る。詳細は、以下の文献を参照されたい:Takashi Nishikaze, Sadanori Sekiya, Shinichi Iwamoto, Koichi Tanaka. “A Universal Approach to linkage-Specific Derivatization for Sialic Acids on Glycopeptides,” Journal of The American Society for Mass Spectrometry, 2017年6月, Volume 28, Issue 1 Supplement, ポスター番号MP091。例えば、糖ペプチドまたは糖タンパク質に対してジメチルアミド化またはグアニジル化などのアミノ基をブロックする反応を行い、その後、ラクトン化反応およびアミド化反応を行うことができる。
【0047】
上述した調製方法により得られた分析用試料では、α2,6-シアル酸等のラクトン化されにくい結合様式のシアル酸はラクトン化反応において第1反応剤により修飾される。α2,3-、α2,8-およびα2,9-シアル酸等のラクトン化されやすい結合様式のシアル酸はラクトン化反応においてラクトン化され、アミド化反応において第2反応剤により修飾される。
ステップS1003が終了したら、ステップS1005が開始される。
【0048】
ステップS1005において、液体クロマトグラフィー/質量分析(Liquid Chromatography/Mass Spectrometry;LC/MS)が行われ、得られたデータの解析が行われる。ステップS1005で調製された分析用試料が液体クロマトグラフに導入され、液体クロマトグラフィおよび質量分析に供される。
【0049】
図2は、本実施形態の質量分析方法に係る質量分析装置の構成を示す概念図である。質量分析装置1は、試料を分離して検出する測定部100と、情報処理部40とを備える。測定部100は、液体クロマトグラフ(Liquid Chromatograph;LC)10と、質量分析計 (Mass Spectrometer;MS)20とを備える。情報処理部40は、入力部41と、通信部42と、記憶部43と、出力部44と、制御部50とを備える。制御部50は、装置制御部51と、解析部52と、出力制御部53とを備える。解析部52は、データ取得部521と、クロマトグラム作成部522と、マススペクトル作成部523と、算出部524とを備える。
【0050】
液体クロマトグラフ(LC)10は、不図示の分析カラムを備え、移動相と分析カラムの固定相とに対する分子の親和性の違いを利用して、分析用試料の各成分を分離し異なる保持時間で溶出させる。LC10は、質量分析計(MS)20により、後述する解析部52の解析ができる程度に分析用試料の各成分を分離することができれば特にその種類は限定されない。また、糖鎖を含む分子を同時並行して検出できることが、糖鎖とオキソニウムイオンとを対応付けて解析できるため好ましい。LC10として、ナノLC、マイクロLC、高速液体クロマトグラフ(HPLC)および超高速液体クロマトグラフ(UPLC)等を用いることができる。
【0051】
液体クロマトグラフィーの移動相を構成する溶液は、後述する解析部52の解析ができる程度に分析用試料の各成分を分離することができれば特にその種類は限定されない。例えば、第1の移動相は溶媒として水、第2の移動相は溶媒としてアセトニトリルを含み、これらの移動相に適宜ギ酸等の添加剤を加えてもよい。第1および第2の移動相は、記憶部43等に記憶されたグラディエントプログラムに基づいて混合され分析カラムに導入される。
【0052】
液体クロマトグラフィーの分析カラムの種類は、後述する解析部52の解析ができる程度に分析用試料の各成分を分離することができれば特に限定されない。分析カラムは、例えば、逆相カラムが取扱いの容易さまたは質量分析でのイオン化の容易さの観点から好ましい。分析カラムの固定相は、例えばシリカゲル等の担体に担持された、C18等の直鎖炭化水素が結合されたシランが好ましい。
【0053】
LC10の分析カラムから溶出された試料は、質量分析計20に導入される。LC10から溶出された試料は、質量分析装置1のユーザー(以下、単に「ユーザー」と呼ぶ)による分注等の操作を必要とせず、オンライン制御により質量分析計20に入力されることが好ましい。
【0054】
(質量分析について)
質量分析計20は、LC10から導入された試料に対して質量分析を行い、試料に含まれる糖鎖のシアル酸に由来するオキソニウムイオンを検出する。質量分析の方法は、糖鎖に含まれる異なる修飾がされた複数のシアル酸にそれぞれ由来する複数のオキソニウムイオンを所望の精度で検出することができれば特に限定されない。
【0055】
質量分析は、2段階の質量分離を行うタンデム質量分析(MS/MS)の他、3段階以上の質量分離を行うタンデム質量分析(MSn)を行ってもよい。あるいは、インソース分解を用いて1段階の質量分離を行うシングル質量分析を行ってもよい。質量分析の種類は、オキソニウムイオンの質量分離において低質量カットオフ(Low Mass Cut Off)が起こらなければ特に限定されない。糖鎖または糖ペプチド等の試料と比べ、検出されるオキソニウムイオンは質量が小さい。従って、低質量カットオフが起こる一部のイオントラップ型質量分析計では、オキソニウムイオンの検出が難しい場合があるためである。低質量カットオフが起こらない質量分析であれば、四重極型、飛行時間型またはイオントラップ型等の任意の種類の質量分析を1以上組み合わせて行うことができる。質量分析計20は、これらの質量分析に対応する質量分析器を1以上組み合わせて含むことができる。オービトラップと呼ばれる電場形フーリエ変換質量分析計を用いてもよい。
【0056】
タンデム質量分析を行う場合、プロダクトイオンスキャンまたは選択反応モニタリング(Selected Reaction Monitoring; SRM)によりオキソニウムイオンを検出することが好ましい。これらの方法では、糖鎖または糖ペプチド等の糖鎖を含む分子がイオン化された後、生成されたイオンの一部がプリカーサイオンとして質量分離される。プリカーサイオンが解離に供され、フラグメントイオン(プロダクトイオンとも呼ぶ)が生成される。ステップS1003において修飾されたシアル酸を含む糖鎖に由来するフラグメントイオンは、シアル酸に由来するオキソニウムイオンを含む。生成されたフラグメントイオンは、質量分離に供された後、イオン検出器により検出される。フラグメントイオンの質量分離の際、プロダクトイオンスキャンではm/z(質量電荷比に対応)が走査され、SRMでは、走査をせずにオキソニウムイオンのm/zにより質量分離される。
【0057】
質量分析におけるイオンの検出により得られたデータを測定データと呼ぶ。プロダクトイオンスキャンでは、測定データから得られるフラグメントイオンのマススペクトルにおいて、異なる修飾がされた複数のシアル酸にそれぞれ由来する複数のオキソニウムイオンに対応するピークが同一のマススペクトル上に示されるため、複数のオキソニウムイオンのピークをわかりやすく表示できる。SRMでは定量性の高い強度の算出が可能である。これら以外でも、上記複数のオキソニウムイオンを定量的に検出することができれば任意の方法を行うことができる。タンデム質量分析以外の質量分析でも、糖鎖を含む分子の解離等により、シアル酸に由来するオキソニウムイオンを含むフラグメントイオンが生成され、当該オキソニウムイオンが質量分離されて検出されることになる。
【0058】
質量分析におけるイオン化の方法は、所望の精度でオキソニウムイオンを検出できる程度に、糖鎖を含む分子がイオン化されれば特に限定されない。液体クロマトグラフィー/タンデム質量分析(LC/MS/MS)を行う場合には、エレクトロスプレー(ESI)法、ナノエレクトロスプレーイオン化(nano-ESI)法等を用いることができる。イオン化は、正イオンモード等により行うことができる。
【0059】
質量分析における解離の方法は、シアル酸に由来するオキソニウムイオンが生成されれば特に限定されず、例えば、衝突誘起解離(CID)等を行うことができる。CIDを行う場合、質量分析計20に設置された衝突セル等により行うことができる。
【0060】
「シアル酸に由来するオキソニウムイオン」は、糖鎖に含まれていたシアル酸の少なくとも一部を含むオキソニウムイオンを指す。特に、「シアル酸に由来するオキソニウムイオン」は、単糖としてのシアル酸に対応するオキソニウムイオンの他、シアル酸を少なくとも一つ含み、糖鎖において互いに結合していた複数の糖に対応するオキソニウムイオンも含んで指す。「シアル酸に由来するオキソニウムイオン」は、単糖、二糖または三糖等に対応するオキソニウムイオンを含む。さらに、「シアル酸に由来するオキソニウムイオン」は、単糖、二糖または三糖等に対応するオキソニウムイオンから1以上の水分子の脱水により得られたイオン(以下、脱水オキソニウムイオンと呼ぶ)を含む。適宜、脱水がされていない単糖、二糖または三糖等に対応するオキソニウムイオンを非脱水オキソニウムイオンと呼んで区別する。
【0061】
質量分析において検出されるオキソニウムイオンは、ステップS1003でのシアル酸の修飾の修飾体の少なくとも一部を含む。これにより、修飾により想定される質量変化に基づいて、糖鎖の解析を行いやすくすることができる。非限定的な例としては、シアル酸をメチルアミド化した場合には、シアル酸に対応する、m/z 305の非脱水オキソニウムイオンまたは当該非脱水オキソニウムイオンからの脱水により得られたm/z 287の脱水オキソニウムイオンを検出することができる(ともにm/z小数点以下は省略、以下同じ)。また、シアル酸をイソプロピルアミド化した場合には、シアル酸に対応する、m/z 333の非脱水オキソニウムイオンまたは当該非脱水オキソニウムイオンからの脱水により得られたm/z 315の脱水オキソニウムイオンを検出することができる。これらのオキソニウムイオンの検出では、質量分析の精度を考慮し、例えば、0.1%以下、または1%以下等のm/zの誤差の許容範囲(トレランス)が設定される。
【0062】
具体的には、以下のように質量分析を行うことができる。まず、LCから溶出された試料に対し、m/zを走査し一度の質量分離を行って糖鎖を含む分子を検出するフルスキャンが行われる。フルスキャンで得られた測定データから、マススペクトル(以下、MS1スペクトルと呼ぶ)に対応するデータが作成される。このMS1スペクトルにおけるピークについて、タンデム質量分析が行われる。このタンデム質量分析により、ピークに対応するイオンの解離により生成したフラグメントイオンを検出して得られたマススペクトル(以下、MS/MSスペクトルと呼ぶ)が得られる。このタンデム質量分析が、上記のオキソニウムイオンの検出を行う質量分析に対応する。MS1スペクトルにおける上記ピークの選択は、分析者が行ってもよいし、データ依存質量分析(ddMS)と呼ばれるように質量分析装置1により自動的に行ってもよい。分析対象のシアル酸を含む糖鎖について、予め得られている情報が少なければ、幅広い保持時間およびm/zの範囲に対して網羅的に各ピークのタンデム質量分析を行う。予め得られている情報があれば、例えば保持時間またはm/z等の当該情報を用いて、タンデム質量分析を行うピークの存在する範囲を狭くすることができる。
【0063】
質量分析におけるデータ解析では、質量分析で得られたデータに基づいて、ステップS1003において異なる修飾体を形成するように修飾された複数のシアル酸のそれぞれに対応する複数のオキソニウムイオンの強度の比が算出される。ここで、オキソニウムイオンの強度とは、オキソニウムイオンの検出信号の大きさを示す値である。例えば、この値は、マススペクトルまたはクロマトグラムにおける、オキソニウムイオンに対応するピークの面積(ピーク面積)またはピークにおける最大強度(ピーク強度)として算出される。上述のように結合様式特異的なシアル酸の修飾が行われた場合、シアル酸の結合様式に応じて異なる修飾がされた複数のシアル酸のそれぞれに対応する複数のオキソニウムイオンの強度の相対値が算出される。ここで、「相対値」は、複数のシアル酸の相対的な量が示されればどのような形式で表現してもよい。例えば、A:Bのような比の形式で表現してもよく、一方のシアル酸の強度に対する他のシアル酸の強度の比率を算出してもよい。
【0064】
上記複数のオキソニウムイオンの強度の相対値は、糖鎖の分子内の、異なる修飾がされたシアル酸の数の比を反映したものとなっている。従って、質量分析におけるデータ解析では、上記比に基づいて、分析対象の糖鎖に含まれる、結合様式の異なるシアル酸の数の比を算出することができる。さらに、糖鎖のm/zの情報、または、検出された糖鎖のフラグメントイオンのマススペクトルの情報に基づいて、所定のアルゴリズムにより糖鎖の構造を推定することができる。このようなアルゴリズムでは、例えば、糖鎖を構成し得る各糖の質量に基づいて、検出された糖鎖のm/z等の条件を満たす複数の糖鎖構造の候補が検索される。これらの候補から、上記比を満たすものを選択することにより、糖鎖を構成する糖の組成または糖鎖に含まれる各結合様式のシアル酸の数を算出することができる。
【0065】
上述したデータ解析を行う際、修飾されたシアル酸を含む糖鎖がLC10から溶出する保持時間がわからず、当該糖鎖に対応するピークが推定できない場合がある。この場合、修飾されたシアル酸に由来するオキソニウムイオンの抽出イオンクロマトグラム(eXtracted Ion Chromatogram;XIC)を作成し、このXICに基づいて上記保持時間についての情報を取得することができる。
【0066】
XICに対応するデータの作成では、上述したように保持時間およびm/zの一定の範囲における各ピークに対応するMS/MSスペクトルにおいて、オキソニウムイオンのm/zから質量分析の精度に基づく誤差範囲内にあるピークが抽出され、保持時間と当該保持時間における抽出されたピークの強度とが対応付けられる。抽出されたピークに対応する保持時間が、シアル酸を有する糖鎖または糖ペプチド等が溶出する保持時間(以下、糖鎖溶出時間と呼ぶ)として取得され、記憶部43等に記憶される。
【0067】
(情報処理部40の動作)
上記質量分析におけるデータ解析は、質量分析装置1から通信等を介して測定データを取得した不図示の情報処理装置により行ってもよいが、以下では、情報処理部40により行う例を説明する。
【0068】
情報処理部40は、電子計算機等の情報処理装置を備え、適宜ユーザーとのインターフェースとなる他、様々なデータに関する通信、記憶、演算等の処理を行う。さらに、情報処理部40は、LC10および質量分析計20の制御や、解析、表示の処理を行う。
なお、情報処理部40は、LC10または質量分析計20と一体になった一つの装置として構成してもよい。また、本実施形態の質量分析方法に用いるデータの一部は遠隔のサーバ等に保存してもよい。
【0069】
情報処理部40の入力部41は、マウス、キーボード、各種ボタンまたはタッチパネル等の入力装置を含んで構成される。入力部41は、制御部50が行う処理に必要な情報等を、ユーザーから受け付ける。情報処理部40の通信部42は、インターネット等のネットワークを介して無線または有線の接続により通信可能な通信装置を含んで構成される。通信部42は、測定部100の測定に必要なデータを受信したり、制御部50が処理したデータを送信したり、適宜必要なデータを送受信する。
【0070】
情報処理部40の記憶部43は、不揮発性の記憶媒体を備える。記憶部43は、測定部100から出力された測定データ、および制御部50が処理を実行するためのプログラム等を記憶する。情報処理部40の出力部44は、出力制御部53により制御され、液晶モニタ等の表示装置またはプリンターを含んで構成され、測定部100の測定に関する情報および、解析部52の処理により得られたデータ等を、表示装置に表示したり印刷媒体に印刷して出力する。
【0071】
情報処理部40の制御部50は、CPU等のプロセッサを含んで構成される。制御部50は、測定部100の制御または、測定部100から出力された測定データを解析する等、記憶部43に記憶されたプログラムを実行することにより各種処理を行う。
【0072】
制御部50の装置制御部51は、入力部41を介した入力等に応じて設定された分析条件等に基づいて、測定部100の液体クロマトグラフィーおよび質量分析等の測定動作を制御する。
【0073】
解析部52は、測定データに基づいて上述のデータ解析を行う。
【0074】
解析部52のデータ取得部521は、測定データを取得する。データ取得部521は、質量分析計20のイオン検出器から出力された測定データを取得し、制御部50のCPUから参照可能にメモリまたは記憶部43等に記憶させる。
【0075】
解析部52のクロマトグラム作成部522は、測定データから、クロマトグラムに対応するデータ(以下、クロマトグラムデータと呼ぶ)を作成する。クロマトグラムデータでは、検出されたイオンの保持時間と検出強度とが対応付けられている。クロマトグラム作成部522は、作成したクロマトグラムデータを、記憶部43等に記憶させる。
【0076】
クロマトグラム作成部522は、フルスキャンで得られた測定データから、ベースピーククロマトグラム等の、解離されていない、糖鎖を含む分子に対応するピークが示されるクロマトグラムに対応するデータを作成することができる。ここで、ベースピーククロマトグラムとは、各保持時間についてフルスキャンを行った際に、最もピーク強度の高いピークを抽出し、保持時間に当該ピーク強度を対応付けて示すクロマトグラムである。
【0077】
XICが作成される場合、クロマトグラム作成部522は、第2質量分析で得られた測定データから、XICに対応するデータ(XICデータ)を作成する。クロマトグラム作成部522は、行うデータ解析の目的等に応じて、適宜様々なクロマトグラムに対応するデータを作成することができる。
【0078】
解析部52のマススペクトル作成部523は、測定データから、マススペクトルに対応するデータ(以下、マススペクトルデータと呼ぶ)を作成する。マススペクトルデータでは、検出されたイオンのm/zと検出強度が対応付けられている。マススペクトル作成部522は、作成したマススペクトルデータを、記憶部43等に記憶させる。
【0079】
マススペクトル作成部523は、フルスキャンで得られた測定データから、各溶出時間におけるマススペクトルに対応するデータを作成する。また、タンデム質量分析により得られた測定データから、フラグメントイオンのマススペクトル(MS/MSスペクトル)に対応するデータを作成する。マススペクトル作成部523は、行うデータ解析の目的等に応じて、適宜様々なマススペクトルに対応するデータを作成することができる。
【0080】
解析部52の算出部524は、異なる修飾体が形成された複数のシアル酸のそれぞれに由来する複数のオキソニウムイオンの強度の相対値を算出する。算出部524は、記憶部43等に記憶されていた当該複数のオキソニウムイオンのm/zを参照する。算出部524は、上記MS/MSスぺクトルにおける、参照したm/zに対応するピークをそれぞれオキソニウムイオンに対応するピークとして同定する。この際、XICにより糖鎖溶出時間が得られているときは、当該糖鎖溶出時間におけるMS/MSスペクトルからオキソニウムイオンに対応するピークを同定することができる。算出部524は、ピーク強度またはピーク面積によりこれらのオキソニウムイオンの強度を算出する。算出部524は、得られた強度の比等の相対値を算出する。
【0081】
例えば、α2,3-シアル酸、α2,8-シアル酸およびα2,9-シアル酸を第1の修飾体が形成されるように修飾し、α2,6-シアル酸を第1の修飾体とは異なる第2の修飾体が形成されるように修飾したとする。この場合、算出部524は、第1の修飾体が形成されたシアル酸に基づくオキソニウムイオンの強度と、第2の修飾体が形成されたオキソニウムイオンの強度の比を算出する。算出された比に基づいて、シアル酸を含む糖鎖の組成におけるα2,3-シアル酸、α2,8-シアル酸およびα2,9-シアル酸の数と、α2,6-シアル酸の数との比を推定することができる。修飾の方法等によって検出されるオキソニウムイオンの感度は異なり得るが、例えば、予めα2,3-シアル酸とα2,6-シアル酸が一つずつ含まれる糖鎖または糖ペプチドのオキソニウムイオンの強度の比を取得し、記憶部43に記憶させておき、この比に基づいて補正することが可能である。また、算出部524は、シアル酸を含む糖鎖の質量または糖鎖の一般的な構造に関する情報等にさらに基づいて、シアル酸を含む糖鎖の組成におけるα2,3-シアル酸、α2,8-シアル酸およびα2,9-シアル酸の数と、α2,6-シアル酸の数を推定することができる。算出部524は、同様に、シアル酸を含む糖鎖における糖の組成を推定することができる。算出部524は、算出した上記相対値等の情報を記憶部43等に記憶させる。
【0082】
出力制御部53は、上述したクロマトグラム若しくはマススペクトル、または、算出部524の処理により得られた情報等を含む出力画像を作成し、出力部44に出力させる。
【0083】
図3は、本実施形態の質量分析方法におけるデータ解析の流れを示すフローチャートである。
図3のフローチャートでは、XICの作成を行う場合の例を示したが、糖鎖溶出時間はXIC以外の方法により得てもよい。ステップS2001において、データ取得部521は、オキソニウムイオンの検出により得られた、質量分析における測定データを取得する。ステップS2001が終了したら、ステップS2003が開始される。ステップS2003において、クロマトグラム作成部522は、抽出イオンクロマトグラムに対応するデータを作成する。オキソニウムイオンの抽出イオンクロマトグラムから、糖鎖溶出時間が取得される。ステップS2003が終了したら、ステップS2005が開始される。
【0084】
ステップS2005において、マススペクトル作成部523は、MS/MSスペクトルに対応するデータを作成する。質量分析の測定データから、オキソニウムイオンに対応するピークを含むMS/MSスペクトルが作成される。ステップS2005が終了したら、ステップS2007が開始される。
【0085】
ステップS2007において、算出部524は、異なる複数のオキソニウムイオンの強度の相対値を算出する。ステップS2007が終了したら、ステップS2009が開始される。ステップS2009において、出力制御部53は、データ解析で得られた情報を出力する。ステップS2009が終了したら、処理が終了される。
【0086】
次のような変形も本発明の範囲内であり、上述の実施形態と組み合わせることが可能である。以下の変形例において、上述の実施形態と同様の構造、機能を示す部位等に関しては、同一の符号で参照し、適宜説明を省略する。
(変形例1)
上述の実施形態において、LC10から溶出された試料にプリカーサイオンスキャンを行うことにより、糖鎖溶出時間とプリカーサである糖鎖または糖ペプチド等の質量の値等を含む情報の少なくとも一つを得てもよい。この場合、フルスキャンは行わなくともよい。プリカーサイオンスキャンは、トリプル四重極型の質量分析計により好適に行われる。
【0087】
プリカーサイオンスキャンでは、第1段階の質量分離において、質量分離するプリカーサイオンのm/zが走査される。質量分離されたプリカーサイオンは、CID等による解離に供され、フラグメントイオンが生成される。生成されたフラグメントイオンから、第2段階の質量分離において、修飾されたシアル酸に由来するオキソニウムイオンが、設定されたそのm/zに基づき質量分離されて検出される。例えば、第2段階では、上述の質量分析における非限定的な例で列挙した非脱水オキソニウムイオンまたは脱水オキソニウムイオンを質量分離して検出することができる。
【0088】
プリカーサイオンスキャンにおけるデータ解析では、検出する各オキソニウムイオンのm/zについて、検出されたイオンの保持時間と検出強度を対応させたクロマトグラムが作成される。クロマトグラムのピークに対応する保持時間は、糖鎖溶出時間となる。また、第2段階でオキソニウムイオンが検出された際の第1段階で抽出したm/zの値が、当該オキソニウムイオンを含む糖鎖または糖ペプチド等のm/zとなる。得られた糖鎖溶出時間および上記m/z等の情報は、適宜記憶部43等に記憶される。
(変形例2)
上述の実施形態では、LC/MSにより試料を分析したが、液体クロマトグラフィーを行わなくてもよい。例えば、ステップS1003で調製された分析用試料をマトリックス支援レーザー脱離イオン化(MALDI)等によりイオン化し、解離によりオキソニウムイオンを生成し検出してもよい。特に、試料に含まれる糖鎖の構造について情報を得ているときまたは試料に含まれる分子の種類が少ないとき等は、液体クロマトグラフィーを行わなくても糖鎖の構造の解析を行うことができる。
【0089】
(変形例3)
質量分析装置1の情報処理機能を実現するためのプログラムをコンピュータ読み取り可能な記録媒体に記録して、この記録媒体に記録された、上述した解析部52の処理およびそれに関連する処理の制御に関するプログラムをコンピュータシステムに読み込ませ、実行させてもよい。なお、ここでいう「コンピュータシステム」とは、OS(Operating System)や周辺機器のハードウェアを含むものとする。また、「コンピュータ読み取り可能な記録媒体」とは、フレキシブルディスク、光磁気ディスク、光ディスク、メモリカード等の可搬型記録媒体、コンピュータシステムに内蔵されるハードディスク等の記憶装置のことをいう。さらに「コンピュータ読み取り可能な記録媒体」とは、インターネット等のネットワークや電話回線等の通信回線を介してプログラムを送信する場合の通信線のように、短時間の間、動的にプログラムを保持するもの、その場合のサーバやクライアントとなるコンピュータシステム内部の揮発性メモリのように、一定時間プログラムを保持するものを含んでもよい。また上記のプログラムは、前述した機能の一部を実現するためのものであってもよく、さらに前述した機能をコンピュータシステムにすでに記録されているプログラムとの組み合わせにより実現するものであってもよい。
【0090】
また、パーソナルコンピュータ(以下、PCと記載)等に適用する場合、上述した制御に関するプログラムは、CD-ROM、DVD-ROM等の記録媒体やインターネット等のデータ信号を通じて提供することができる。
図4はその様子を示す図である。PC950は、CD-ROM953を介してプログラムの提供を受ける。また、PC950は通信回線951との接続機能を有する。コンピュータ952は上記プログラムを提供するサーバーコンピュータであり、ハードディスク等の記録媒体にプログラムを格納する。通信回線951は、インターネット、パソコン通信などの通信回線、あるいは専用通信回線などである。コンピュータ952はハードディスクを使用してプログラムを読み出し、通信回線951を介してプログラムをPC950に送信する。すなわち、プログラムをデータ信号として搬送波により搬送して、通信回線951を介して送信する。このように、プログラムは、記録媒体や搬送波などの種々の形態のコンピュータ読み込み可能なコンピュータプログラム製品として供給できる。
【0091】
(態様)
上述した複数の例示的な実施形態またはその変形は、以下の態様の具体例であることが当業者により理解される。
【0092】
(第1項)一態様に係る質量分析方法は、それぞれ異なる修飾がされた複数のシアル酸を有する糖鎖を含む試料の第1質量分析において、前記複数のシアル酸のそれぞれに由来する複数のオキソニウムイオンの検出を行うことと、前記検出で得られたデータに基づいて、前記複数のオキソニウムイオンの強度の相対値を算出することとを備える。これにより、糖鎖に含まれるシアル酸の組成を精度よく解析することができる。
【0093】
(第2項)他の一態様に係る質量分析方法では、第1項に記載の質量分析方法において、前記複数のシアル酸は、アミド修飾される。これにより、糖鎖に含まれるシアル酸の組成をさらに精度よく解析することができる。
【0094】
(第3項)他の一態様に係る質量分析方法では、第1項または第2項に記載の質量分析方法において、前記第1質量分析は、2段階以上のタンデム質量分析により行われる。これにより、インソース分解を行わなくても、オキソニウムイオンを生成することができる。
【0095】
(第4項)他の一態様に係る質量分析方法では、第1項から第3項までのいずれかに記載の質量分析方法において、シアル酸を有する糖鎖を含む試料を用意することと、前記糖鎖に含まれる、それぞれ異なる結合様式の複数のシアル酸を結合様式特異的に修飾することとを備え、修飾された前記複数のシアル酸を有する前記糖鎖を含む前記試料の前記第1質量分析が行われる。これにより、糖鎖に含まれるシアル酸の結合様式を精度よく解析することができる。
【0096】
(第5項)他の一態様に係る質量分析方法では、第4項に記載の質量分析方法において、α2,3-シアル酸、α2,8-シアル酸またはα2,9-シアル酸と、α2,6-シアル酸とにそれぞれ異なる修飾がされる。これにより、糖鎖に含まれるこれらの結合様式のシアル酸を精度よく解析することができる。
【0097】
(第6項)他の一態様に係る質量分析方法では、第4項または第5項に記載の質量分析方法において、前記相対値に基づいて、前記試料に含まれる糖鎖における、結合様式の異なる複数のシアル酸の数の比を算出する。これにより、糖鎖に含まれる各結合様式のシアル酸の数の比を精度よく得ることができる。
【0098】
(第7項)他の一態様に係る質量分析方法では、第1項から第6項までのいずれかに記載の質量分析方法において、前記第1質量分析の前に前記試料のクロマトグラフィーを行うことを備える。これにより、クロマトグラフィーによる分離により、糖鎖に含まれるシアル酸の組成をさらに精度よく解析することができる。
【0099】
(第8項)他の一態様に係る質量分析方法では、第7項に記載の質量分析方法において、前記複数のオキソニウムイオンの少なくとも一つに対応するピークを含む抽出イオンクロマトグラムを出力することを備える。これにより、シアル酸を含む糖鎖が溶出する時間をわかりやすく示すことができる。
【0100】
(第9項)他の一態様に係る質量分析方法では、第7項または第8項に記載の質量分析方法において、走査させたm/zに基づいて前記試料のイオン化により生成されたイオンの質量分離を行い、質量分離された前記イオンの解離を行い、前記解離により生成されたイオンからオキソニウムイオンを検出する第2質量分析を行うことと、前記第2質量分析の結果に基づいて、検出された前記オキソニウムイオンが由来する糖鎖を含む分子が前記クロマトグラフィーにおいて溶出される時間および前記分子の質量の少なくとも一つを得ることとを備える。これにより、より容易にシアル酸を含む糖鎖に対応するピークを同定することができる。
【0101】
(第10項)一態様に係る質量分析装置は、それぞれ異なる修飾がされた複数のシアル酸を有する糖鎖を含む試料の第1質量分析において、前記複数のシアル酸にそれぞれ由来する複数のオキソニウムイオンを検出して得られたデータを取得するデータ取得部と、前記データに基づいて、前記複数のオキソニウムイオンの強度の相対値を算出する算出部とを備える。これにより、糖鎖に含まれるシアル酸の組成を精度よく解析することができる。
【0102】
(第11項)一態様に係るプログラムは、それぞれ異なる修飾がされた複数のシアル酸を有する糖鎖を含む試料の第1質量分析において、前記複数のシアル酸にそれぞれ由来する複数のオキソニウムイオンを検出して得られたデータを取得するデータ取得処理(
図3のフローチャートのステップS2005に対応)と、前記データに基づいて、前記複数のオキソニウムイオンの強度の相対値を算出する算出処理(ステップS2009に対応)とを処理装置に行わせるためのものである。これにより、糖鎖に含まれるシアル酸の組成を精度よく解析することができる。
【0103】
本発明は上記実施形態の内容に限定されるものではない。本発明の技術的思想の範囲内で考えられるその他の態様も本発明の範囲内に含まれる。
【実施例】
【0104】
以下の実施例では、糖ペプチドまたは糖鎖に含まれるシアル酸の結合様式特異的修飾を行った後、質量分析によりオキソニウムイオンを検出する例を説明する。以下の結合様式特異的修飾では、α2,3-シアル酸をラクトン化した後メチルアミド化し、α2,6-シアル酸をイソプロピルアミド化した。以下の各実施例において、クロマトグラムの横軸は保持時間を示し、縦軸は検出したイオンの強度を相対的な値で示した相対量を示す。また、マススペクトルの横軸はm/z、縦軸は上記相対量を示す。
なお、本発明は、以下の実施例に示されたアミド修飾の態様、数値または条件等に限定されない。
【0105】
実施例1および2では、糖タンパク質を消化して糖ペプチドを得た後、糖ペプチドを精製して得られた試料をLC/MSに供した。前処理およびLC/MSの条件は以下の通りである。
【0106】
<糖タンパク質の消化>
購入した市販の糖タンパク質を、6M(Mはmol/Lを示す) 尿素、50mM 重炭酸アンモニウム、および5mM トリス(2‐カルボキシエチル)ホスフィン塩酸塩(TCEP)の存在下、室温で45分反応させ、変性および還元を行った。次いで、反応後の糖タンパク質を、10mM ヨードアセトアミド(IAA)の存在下、室温遮光条件下で45分反応させアルキル化を行った後、10mM ジチオスレイトール(DTT)存在下、室温遮光条件で45分反応させ、余剰のIAAを不活性化した。その後、反応後の糖タンパク質にトリプシンを加え、37℃で一夜反応させ、プロテアーゼ消化を行った。プロテアーゼ消化後、得られた消化物を含む試料を、脱塩用担体を用いて脱塩し、SpeedVac(Thermo Fisher Scientific)で乾固した。
【0107】
<アミノ基のジメチル化>
上述した副反応を抑制するため、糖ペプチドまたは糖タンパク質のアミノ基を化学修飾で先にブロックしておくことを行った。乾固した糖タンパク質の消化物に、20μLの100mM 重炭酸トリエチルアンモニウム(TEAB)緩衝溶液(pH 8.5)を加えた。上記消化物をボルテックスミキサーを用いて溶解させた後、溶液に1.6μLの2% ホルムアルデヒド水溶液を加え、ボルテックスミキサーを用いて軽く混合してスピンダウンした。スピンダウンした後の溶液に、1.6μLの300mM シアノ水素化ホウ素ナトリウム水溶液を加え、室温でボルテックスミキサーを用いて軽く混合しながら1時間反応させた。反応後の溶液に、3.2μLの1%アンモニア水を加えてクエンチし、ボルテックスミキサーを用いて軽く混合してスピンダウンした。スピンダウンした後の溶液に1.6μLのギ酸を加え、ボルテックスミキサーを用いて軽く混合してスピンダウンした後、72μLの水を加え、脱塩用担体を用いて脱塩精製および余剰試薬の除去を行った。
【0108】
<シアル酸の結合様式特異的修飾>
ジメチル化した糖タンパク質の消化物にシアル酸結合様式特異的アミド化反応溶液(2M イソプロピルアミン塩酸塩(iPA-HCl), 500mM N-(3-ジメチルアミノプロピル)-N'-エチルカルボジイミド塩酸塩(EDC-HCl), 500mM 1-ヒドロキシベンゾトリアゾール(HOBt),溶媒:ジメチルスルホキシド(DMSO))を20μL加え、2000rpmで攪拌しながら常温で1時間反応させた。反応後の溶液に、アミド化反応溶液として10% メチルアミン水溶液を20μL加えてボルテックスミキサーにより攪拌した。反応後の溶液に2.5% トリフルオロ酢酸(TFA)を含むアセトニトリル(ACN)溶液を160μL加え、合計で200μLにした後、アミド精製に供した。
【0109】
<アミド精製>
アミドチップ(ジーエルサイエンス)に100μLのH2Oを加えた後、遠心により排出した。その後、90% ACNを用い、同様の操作を順に行った。その後、ACNにより希釈された上記反応溶液をアミドチップに加え、遠心により溶液を排出した。さらにアミドチップに90% ACN 150μLを加えた後、遠心により排出することを2回繰り返し、洗浄を行った。最後に、アミドチップに20μLのH2Oを加え、遠心により排出することを2回繰り返し、糖ペプチドを溶出させた。2回分の溶出液を合わせて、SpeedVacにより溶媒を除き乾固させた。過剰試薬の除去とともに、糖ペプチドの濃縮が行われた。
【0110】
<LC/MS>
アミド精製により得られた試料を液体に溶解させてLC/MSに供した。LC/MSの条件は以下の通りであった。
【0111】
液体クロマトグラフィーの条件
分析用試料を、以下の条件で液体クロマトグラフィーで分離した。
システム:Ultimate 3000 RSLCnano(Thermo Fisher Scientific)
トラップカラム: C18 PepMap 100(内径0.3mm、長さ5mm、粒径5μm、 Thermo Fisher Scientific)
分析カラム: NTCC-360/75-3-125(Nikkyo Technos)
カラム温度: 35.0℃
移動相:
(A)0.1% ギ酸(水に溶解)
(B)0.1% ギ酸(アセトニトリルに溶解)
流速: 300nL/min
グラディエントプログラム:
時間(分) 移動相Bの濃度(%)
0 2.0
3.0 2.0
18.0 40.0
20.0 95.0
30.0 95.0
32.0 2.0
45.0 2.0
【0112】
質量分析の条件
上記液体クロマトグラフィーにおいて溶出された溶出試料を、四重極-電場形フーリエ変換質量分析計により検出した。
システム:Q Exactive(Thermo Fisher Scientific)
イオン化の方法: ナノエレクトロスプレー法、正イオンモード
質量分析は、データ依存(data-dependent)MS(dd MS)により行われた。dd MSでは、フルスキャンによりイオン化された溶出試料のマススペクトル(MS1スペクトル)を得た。その後、MS1スペクトルで強度が高かったピークに対応するm/zを用いてプリカーサイオンを選択してプロダクトイオンスキャンを行い、フラグメントイオンのマススペクトル(以下、MS2スペクトルと呼ぶ)を得た。実施例1では想定される糖ペプチドのm/zについて、フルスキャンで得られた測定データから抽出イオンクロマトグラムを作成した。実施例2では、フルスキャンで得られたデータからベースピーククロマトグラムを作成した。また、実施例2では、データ依存で自動的に取得されたMS2スペクトル内に現れる修飾されたシアル酸に由来するオキソニウムイオンのm/zに基づいて抽出イオンクロマトグラムを作成した。
【0113】
(実施例1)
実施例1では、糖タンパク質としてα1-酸性タンパク質(α1-acid glycoprotein (AGP)) を試料として、上述のように糖タンパク質の消化等の前処理を行い、得られた糖ペプチドの中から以下の糖ペプチドA,BおよびCをLC/MSにより検出した。
【0114】
図5は、本実施例で解析した糖ペプチドA,BおよびCに共通する構造を示す概念図である。糖ペプチドA,BおよびCは、ペプチド部分の配列が1文字表記でNEEYNK(配列番号1)となっており、アスパラギンに三本鎖トリシアリル糖鎖が結合している。この糖鎖は、N-アセチル-D-グルコサミン(GlcNAc)およびマンノース(Man)からなる基本型の構造と、3つの側鎖とを備える。3つの側鎖にはそれぞれGlcNAc、ガラクトース(Gal)およびシアル酸(Neu5Ac)が結合されている。糖ペプチドAは3つのα2,6-シアル酸を含む。糖ペプチドBは1つのα2,3-シアル酸と2つのα2,6-シアル酸とを含む。糖ペプチドCは2つのα2,3-シアル酸と
1つのα2,6-シアル酸とを含む。
【0115】
図6は、本実施例で得られた、糖ペプチドA(上段)、糖ペプチドB(中段)および糖ペプチドC(下段)の抽出イオンクロマトグラムを示す図である。
図7は、それぞれ
図6の矢印A61、A62およびA63で示される保持時間における、糖ペプチドA(上段)、糖ペプチドB(中段)および糖ペプチドC(下段)のMS1スペクトルである。
図8は、それぞれ
図7の矢印A71、A72およびA73で示されるピークに対応するイオンをプリカーサイオンとした、糖ペプチドA(上段)、糖ペプチドB(中段)および糖ペプチドC(下段)のMS2スペクトルである。
図9は、糖ペプチドA(上段)、糖ペプチドB(中段)および糖ペプチドC(下段)について、
図8のMS2スペクトルの低質量領域(m/z250~400)を拡大したMS2スペクトルである。
図9のOiはイソプロピルアミド化されたシアル酸に由来する非脱水オキソニウムイオン、Diはイソプロピルアミド化されたシアル酸に由来する脱水オキソニウムイオン、Omはメチルアミド化されたシアル酸に由来する非脱水オキソニウムイオンおよび、Dmはメチルアミド化されたシアル酸に由来する脱水オキソニウムイオンに対応するピークをそれぞれ示し、以下の図でも同様である。
【0116】
異なる保持時間に一価換算で28Da差の各糖ペプチドに対応するピークが観測された(
図6)。28Daの差はα2,3とα2,6の違いが結合様式特異的修飾によってシアル酸の質量差に変換されたものに相当する。これらのピークにおけるMS2スペクトル(
図8)を比較すると、シアル酸を含まないフラグメントイオンのm/z及びそのパターンは似かよっており、シアル酸の結合様式のみが異なっていることが分かる。
【0117】
低m/z領域を拡大して示したMS2スペクトル(
図9)では、結合様式特異的修飾によってメチルアミド化されたα2,3-シアル酸に由来する非脱水オキソニウムイオン(m/z 305)および脱水オキソニウムイオン(m/z 287)、ならびに、イソプロピルアミド化されたα2,6-シアル酸に由来する非脱水オキソニウムイオン(m/z 333)および脱水オキソニウムイオン(m/z 315)が観測された。α2,6-シアル酸しか含まない糖ペプチドAからは上記m/z 333とm/z 315のピークOi,Diに対応するイオンが、α2,3-シアル酸とα2,6-シアル酸の両方を含む糖ペプチドBおよびCからはそれらに加えて上記m/z 305とm/z 287のピークOm,Dmに対応するイオンも観測された。このことから、シアル酸の結合様式に応じて異なったオキソニウムイオンが生じていることが分かる。さらに、α2,3-シアル酸に由来するオキソニウムイオンとα2,6-シアル酸に由来するオキソニウムイオンの比は、そのプリカーサイオンに含まれるα2,3-/α2,6-比
をおおよそ反映している。
【0118】
本実施例で得られた糖鎖の構造情報を使うことで、糖ペプチドの同定がより確実なものになる。これまではアミド化修飾されたシアル酸からどのようなオキソニウムイオンが生じるかが明確ではなかった。しかし、このアミド化されたシアル酸のオキソニウムイオンの検出で得られた情報を構造情報として用いることで、糖ペプチドの候補としてシアル酸を含まない分子または、オキソニウムイオンの質量から示唆される結合様式のシアル酸を含まないような分子は排除することが出来る。さらには、糖鎖にα2,3-シアル酸とα2,6-シアル酸が両方含まれる場合であっても、そのα2,3-シアル酸とα2,6-シアル酸の含有比がそのオキソニウムイオンの強度比からかけ離れているものは排除することが出来る。結果として、糖ペプチドの構造の解析を従来より容易にすることが出来る。
【0119】
(実施例2)
実施例2では、糖タンパク質としてハプトグロビン(HPT) を試料として、上述のように糖タンパク質の消化等の前処理を行い、得られた糖ペプチドの中から以下の糖ペプチドDおよびEをLC/MSにより検出した。
【0120】
図10は、本実施例で解析した糖ペプチドDおよびEに共通する構造を示す概念図である。糖ペプチドDおよびEは、ペプチド部分の配列が1文字表記でVVLHPNYSQVDIGLIK(配列番号2)となっており、アスパラギンに糖鎖が結合している。この糖鎖は、GlcNAcおよびManからなる基本型の構造と、2つの側鎖とを備える。2つの側鎖にはそれぞれGlcNAc、Galおよびシアル酸(Neu5Ac)が結合されている。糖ペプチドDは1つのα2,3-シアル酸と1つのα2,6-シアル酸とを含む。糖ペプチドEは2つのα2,6-シアル酸を含む。
【0121】
図11は、本実施例で得られたベースピーククロマトグラム(上段)、ならびに、メチルアミド化されたシアル酸に由来する非脱水オキソニウムイオン(中段)、およびメチルアミド化されたシアル酸に由来する脱水オキソニウムイオン(下段)の抽出イオンクロマトグラムを示す図である。
図12は、本実施例で得られた、イソプロピルアミド化されたシアル酸に由来する非脱水オキソニウムイオン(上段)、およびイソプロピルアミド化されたシアル酸に由来する脱水オキソニウムイオン(下段)の抽出イオンクロマトグラムを示す図である。
図13は、それぞれ
図11の矢印A111および
図12の矢印A121で示される保持時間における、糖ペプチドD(上段)および糖ペプチドE(下段)のMS1スペクトルである。
図14は、それぞれ
図13のピークP1およびP2に対応するイオンをプリカーサイオンとした、糖ペプチドD(上段)および糖ペプチドE(下段)のMS2スペクトルである。
図15は、糖ペプチドD(上段)および糖ペプチドE(下段)について、
図14のMS2スペクトルの低質量領域(m/z 200~400)を拡大したMS2スペクトルである。
【0122】
図11(中段および下段)および
図12に示されているように、特定のフラグメントイオンで抽出イオンクロマトグラム(XIC)を描かせることで、ベースピーククロマトグラム(
図11上段)で表示されているように膨大な数のプリカーサイオンの中から、特定のフラグメントを有するプリカーサイオンを抽出して視覚的に表示させることが出来る。メチルアミド化されたシアル酸に由来する非脱水オキソニウムイオンおよび脱水オキソニウムイオンにそれぞれ対応するm/z 305 および287でXICを描かせた場合は、α2,3-シアル酸を持つ糖ペプチドの溶出位置が示された。イソプロピルアミド化されたシアル酸に由来する非脱水オキソニウムイオンおよび脱水オキソニウムイオンにそれぞれ対応するm/z 333 および315でXICを描かせた場合はα2,6-シアル酸を持つ糖ペプチドの溶出位置が示された。シアル酸修飾をしない、またはシアル酸に対して結合様式非特異的に修飾を行った状態でシアル酸に由来するオキソニウムイオンのXICを表示させても、それはシアル酸を有する糖ペプチドまたは糖鎖の溶出位置を表示するに過ぎないが、今回のようにシアル酸に対して結合様式特異的に修飾を行ってから当該修飾に基づくオキソニウムイオンの質量についてXICを描くことで、特定の結合様式を持ったシアル酸を有するプリカーサイオンを区別して視覚的に表示させることが出来る。
【0123】
図10に示された糖ペプチドDと糖ペプチドEの検出されているモノアイソトピック質量(Mm)は一価換算でMm 4191.0641(糖ペプチドD)とMm 4219.0965(糖ペプチドE)であり(
図13:
図13の「Z=4」はイオンの価数を示す)、質量差28Daはイソプロピルアミド化シアル酸とメチルアミド化シアル酸の質量差に相当する。糖ペプチドDおよび糖ペプチドEのMS2スペクトル(
図14)では、シアル酸を含まないフラグメントイオンの質量とそのパターンはほぼ同じであり、シアル酸結合様式のみが異なる糖ペプチド同士であることが確認できた。この糖ペプチドはシアル酸を二つ含むが、糖ペプチドDおよび糖ペプチドEのMS2スペクトルの低m/z領域には修飾されたシアル酸のオキソニウムイオンが観測されており、糖ペプチドDはα2,3-シアル酸とα2,6-シアル酸の両方を一つずつ含み、糖ペプチドEはα2,6-シアル酸のみ含むことが分かる。なお、
図9および
図15から分かるように、イソプロピルアミンで修飾されたα2,6-シアル酸のオキソニウムイオンの方がメチルアミンで修飾されたα2,3-シアル酸のオキソニウムイオンと比べて強いピークになりやすい傾向が観察された。
【0124】
(実施例3)
実施例3では、糖タンパク質から遊離させた糖鎖を含む試料から、以下の糖鎖A,BおよびCをLC/MSにより検出し、解析を行った。
【0125】
<血清由来糖タンパク質からのN型糖鎖の遊離>
血清4μL中に含まれる糖タンパク質をSDSとDTT存在下で変性および還元し、NP-40を加えたあとPNGaseFを加え、37℃で一夜インキュベーションすることでN型糖鎖を遊離させた。
【0126】
<ヒドラジドビーズ上でのシアル酸修飾>
血清から遊離させたN型糖鎖を含む試料を、ヒドラジドビーズ(BlotGlyco, 住友ベークライト社製)に結合させた。結合の方法は、BlotGlycoの標準プロトコルに準じた。糖鎖の結合後、標準プロトコルに準じてビーズ上の余剰ヒドラジド基を無水酢酸によりキャッピングした。その後、ビーズをDMSO 200μLで三回洗浄し、そこにシアル酸結合様式特異的アミド化反応溶液(2M iPA-HCl, 500mM EDC-HCl, 500mM HOBt, 溶媒: DMSO)を100μL加え、800rpmで軽く攪拌しながら常温で1時間反応させ、遠心により反応溶液を除いた。その後、ビーズをメタノール(MeOH) 200μLで三回洗浄した。洗浄後、アミド化反応溶液として10% メチルアミン水溶液を100μL加えて軽く撹拌し、遠心することで反応溶液を除いた。水200μLで三回洗浄後、20μLの水と2% 酢酸/アセトニトリルを180μL加え、ヒートブロック上で75℃、90分加熱することで糖鎖をビーズから遊離した。遊離した糖鎖は50μLの水で洗うことで回収し、これを三回繰り返したものを溶出液として合わせて遠心減圧乾固した。
【0127】
<糖鎖の2-アミノ安息香酸(2AA)ラベル化>
乾固したN型糖鎖に2AA化反応溶液(5mg 2AA, 6mg シアノ水素化ホウ素ナトリウム を含む30% 酢酸/DMSO 100μL)を5μL加え、よく再溶解させたのち、65℃のヒートブロック上で2時間反応させた。反応後、反応溶液を95μLのアセトニトリルで希釈し、上記のアミドチップ(ジーエルサイエンス社製)を用いて余剰試薬を除いた。
【0128】
<LC/MS>
得られた試料に対し、LC/MSを行った。LC/MSの条件は実施例1,2の分析条件と同様である。但し、本実施例では想定される糖鎖のm/zに基づいて抽出イオンクロマトグラムを作成した。
【0129】
<結果>
図16は、本実施例で解析した糖鎖A,BおよびCに共通する構造を示す概念図である。糖鎖A,BおよびCは、実施例1で用いた糖ペプチドの糖鎖部分と同様の構造を備えるが、還元末端は2AA化されている点が異なる。糖鎖Aは3つのα2,6-シアル酸を含む。糖鎖Bは1つのα2,3-シアル酸と2つのα2,6-シアル酸とを含む。糖鎖Cは2つのα2,3-シアル酸と
1つのα2,6-シアル酸とを含む。
【0130】
図17は、本実施例で得られたベースピーククロマトグラムを示す図である。
図18は、糖鎖A(上段)、糖鎖B(中段)および糖鎖C(下段)の抽出イオンクロマトグラムを示す図である。
図19は、糖鎖A(上段)、糖鎖B(中段)および糖鎖C(下段)のMS1スペクトルである。
図20は、それぞれ
図19の矢印A191、A192およびA193で示されるピークに対応するイオンをプリカーサイオンとした、糖鎖A(上段)、糖鎖B(中段)および糖鎖C(下段)のMS2スペクトルである。
図21は、糖鎖A(上段)、糖鎖B(中段)および糖鎖C(下段)について、
図20のMS2スペクトルの低質量領域(m/z 280~340)を拡大したMS2スペクトルである。
【0131】
図17に示されたベースピーククロマトグラムの中から、
図16の三本鎖糖鎖に相当するイオンは糖鎖A,BおよびCの三種類検出されており、MS1スペクトル(
図19)を参照すると[M+3H]+の三価で検出されていることがわかる。糖鎖A,BおよびCそれぞれのMS2スペクトル(
図20)は類似したパターンを示した。しかし、低m/z領域のMS2スペクトル(
図21)にはイソプロピルアミド化されたシアル酸のオキソニウムイオンOi、Diおよびメチルアミド化されたシアル酸のオキソニウムイオンOm、Dmが検出されており、これらの有無と強度比から、糖鎖に含まれるシアル酸の結合様式とα2,3-シアル酸/α2,6-シアル酸の比率が推測できる。
【0132】
<糖鎖の構造の解析>
糖鎖Aの構造を解析する例を以下に説明する。検出された糖鎖のm/z 1023.4057 (3価)に対して、考えられる糖鎖組成の候補を出願人作成のソフトウェアで算出した。このソフトウェアは、各単糖の個数と種類を設定することで、これらの単糖の組み合わせを総当たり方式で機械的に算出し、検出されたm/zからソフトウェア上でユーザーが設定するトレランスの範囲内に収まる単糖の組み合わせを表示する。糖鎖組成の候補の検索条件は、数字を単糖の数として、ヘキソース(Hex) 3~10, N-アセチルヘキソサミン(HexNAc) 2~10, デオキシヘキソース(dHex) 0~3, N-アセチルノイラミン酸(NeuAc) 0~4, N-グリコリルノイラミン酸(NeuGc) 0~4, 硫酸化修飾(Sulfation) 0~1とした。検出された糖鎖のm/zに対するトレランスは0.2Da, シアル酸修飾として本実施例の修飾法による質量変化を加味した。
【0133】
図22は、糖鎖Aのm/zに基づいて、上記ソフトウェアにより得られた糖鎖組成の候補を示す表(表A)である。「ID」は、各組成と対応付けた番号である。「組成」は、検索により得られた候補の組成である。「算出されたm/z」は、各組成から理論的に算出されるm/zの値である(以下の
図23および24でも同様)。
図22に示した15種類の候補から、本実施例のLC/MSで得られたオキソニウムイオンの情報を用いて、以下のように候補を絞ることができる。まず本実施例でシアル酸に対応するオキソニウムイオンが検出されたことから、シアル酸を含まない候補(ID1,2)が除外できる。さらに、シアル酸のオキソニウムイオンがm/z 287および304、ならびにm/z 315および333に検出されていることから、NeuGcではなくNeuAcであることがわかり、Neu5Gcを含む候補9種(矩形R1に含まれる候補)をさらに除外できる。残りの四種類の候補(ID3,6,11および15)のうち、各オキソニウムイオンの強度比からα2,6-シアル酸の数とα2,3-のシアル酸の数の比が1:2であることを加味すると、二つにまで絞り込むことができる(ID3,11)。これらに加え、MS2マススペクトル全体を解析すると、正しい組成はID11であることがわかる。
【0134】
糖鎖BおよびCについても、糖鎖Aと同様に上記ソフトウェアを用いて同様の検索を行った。糖鎖Bのm/zは1032.7504、糖鎖Cのm/zはm/z 1042.0926とした。
【0135】
図23は、糖鎖Bのm/zに基づいて、上記ソフトウェアにより得られた糖鎖組成の候補を示す表(表B)である。
図23に示されたように、糖鎖Bの組成の候補は18種(ID101~118)ヒットするが、NeuGcを含む候補(矩形R2で囲まれた候補)を除外すると3種(ID103,111,117)にまで絞り込めた。さらに各オキソニウムイオンの強度比からα2,6-シアル酸の数とα2,3-シアル酸の数の比が2:1であることを加味すると、2種類(ID103,117)まで絞り込めた。
【0136】
図24は、糖鎖Cのm/zに基づいて、上記ソフトウェアにより得られた糖鎖組成の候補を示す表(表C)である。
図24に示されたように、糖鎖Cの組成の候補は25種(ID201~225)ヒットするが、Neu5Gcを含む組成(矩形R3で囲まれた候補)を除外すると5種(ID203,206,210,221および225)にまで絞り込めた。さらに各オキソニウムイオンの強度比からα2,6-シアル酸のみ含むことを加味すると、2種類(ID210,225)まで絞り込めた。
【0137】
このように、修飾されたシアル酸から生じるオキソニウムイオンをうまく活用することで、数多くのピークが検出されるLC/MSのクロマトグラムまたはマススペクトルから、特定の結合様式を有する酸性糖鎖または酸性糖ペプチドのピークのみを視覚的に表示できる。同時に、糖鎖の構造解析においては修飾されたシアル酸のオキソニウムイオンの強度の比を活用することで糖鎖構造の候補を絞り込むことが可能となる。
【0138】
次の優先権基礎出願の開示内容は引用文としてここに組み込まれる。
日本国特願2019-135344号(2019年7月23日出願)
【符号の説明】
【0139】
1…質量分析装置、10…液体クロマトグラフ、20…質量分析計、40…情報処理部、50…制御部、51…装置制御部、52…解析部、53…出力制御部、100…測定部、521…データ取得部、522…クロマトグラム作成部、523…マススペクトル作成部、524…算出部、Di…イソプロピルアミド化されたシアル酸に由来する脱水オキソニウムイオンのピーク、Dm…メチルアミド化されたシアル酸に由来する脱水オキソニウムイオンのピーク、Oi…イソプロピルアミド化されたシアル酸に由来する非脱水オキソニウムイオンのピーク、Om…メチルアミド化されたシアル酸に由来する非脱水オキソニウムイオンのピーク。
【配列表】