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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2023-07-25
(45)【発行日】2023-08-02
(54)【発明の名称】オーステナイト系ステンレス鋼材
(51)【国際特許分類】
   C22C 38/00 20060101AFI20230726BHJP
   C22C 38/58 20060101ALI20230726BHJP
   C21D 8/02 20060101ALN20230726BHJP
   C21D 9/46 20060101ALN20230726BHJP
【FI】
C22C38/00 302Z
C22C38/58
C21D8/02 D
C21D9/46 Q
【請求項の数】 3
(21)【出願番号】P 2019085622
(22)【出願日】2019-04-26
(65)【公開番号】P2019194357
(43)【公開日】2019-11-07
【審査請求日】2021-12-06
(31)【優先権主張番号】P 2018084875
(32)【優先日】2018-04-26
(33)【優先権主張国・地域又は機関】JP
(73)【特許権者】
【識別番号】000006655
【氏名又は名称】日本製鉄株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】110001553
【氏名又は名称】アセンド弁理士法人
(72)【発明者】
【氏名】山村 実早保
(72)【発明者】
【氏名】中村 潤
【審査官】小川 進
(56)【参考文献】
【文献】国際公開第2004/111285(WO,A1)
【文献】国際公開第2015/159554(WO,A1)
【文献】特開平10-036946(JP,A)
【文献】特開平04-276042(JP,A)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C22C 38/00-38/60
C21D 8/00- 8/12
C21D 9/46
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
オーステナイト系ステンレス鋼材であって、
化学組成が、質量%で、
C:0.100%以下、
Si:1.00%以下、
Mn:5.00%以下、
Cr:15.00~22.00%、
Ni:10.00~21.00%、
Mo:1.20~4.50%、
P:0.050%以下、
S:0.050%以下、
Al:0.100%以下、
N:0.100%以下、及び、
残部がFe及び不純物、からなり、
ASTM E112に準拠したオーステナイト結晶粒度番号が8.0以上であり、
前記オーステナイト系ステンレス鋼材の長手方向に垂直な断面において、転位セル組織率が80%以上である、
オーステナイト系ステンレス鋼材。
【請求項2】
請求項1に記載のオーステナイト系ステンレス鋼材であって、
前記オーステナイト結晶粒度番号は8.4以上である、
オーステナイト系ステンレス鋼材。
【請求項3】
請求項1又は請求項2に記載のオーステナイト系ステンレス鋼材であって、
前記転位セル組織率は83%以上である、
オーステナイト系ステンレス鋼材。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本開示は、オーステナイト系ステンレス鋼材に関する。
【背景技術】
【0002】
近年、水素を燃料として走行する燃料電池自動車の開発、及び、燃料電池自動車に水素を供給する水素ステーションの実用化研究が進められている。ステンレス鋼材はこれらの用途に用いられる候補材料の一つである。しかしながら、高圧水素ガス環境では、ステンレス鋼材であっても水素ガスによる脆化(水素脆性)を起こす場合がある。高圧ガス保安法に定められている自動車用圧縮水素容器基準では、耐水素脆性に優れたステンレス鋼材として、SUS316Lの使用が認められている。
【0003】
しかしながら、最近では、燃料電池自動車の軽量化、水素ステーションのコンパクト化及び水素ステーションの高圧操業の必要性が求められている。そこで、容器や継手、配管に用いられるステンレス鋼材では、高圧水素ガス環境で耐水素脆性に優れ、既存のSUS316Lと同等以上の強度を有することが望まれている。
【0004】
国際公開第2016/068009号(特許文献1)では、耐水素脆性に優れ、かつ、高強度を有するオーステナイトステンレス鋼を提案する。
【0005】
特許文献1に開示されたオーステナイトステンレス鋼は、化学組成が、質量%で、C:0.10%以下、Si:1.0%以下、Mn:3.0%以上7.0%未満、Cr:15~30%、Ni:12.0%以上17.0%未満、Al:0.10%以下、N:0.10~0.50%、P:0.050%以下、S:0.050%以下、V:0.01~1.0%及びNb:0.01~0.50%の少なくとも一種、Mo:0~3.0%、W:0~6.0%、Ti:0~0.5%、Zr:0~0.5%、Hf:0~0.3%、Ta:0~0.6%、B:0~0.020%、Cu:0~5.0%、Co:0~10.0%、Mg:0~0.0050%、Ca:0~0.0050%、La:0~0.20%、Ce:0~0.20%、Y:0~0.40%、Sm:0~0.40%、Pr:0~0.40%、Nd:0~0.50%、残部:Fe及び不純物であり、オーステナイト結晶粒の長径に対する短径の比が0.1よりも大きく、オーステナイト結晶粒の結晶粒度番号が8.0以上であり、引張強度が1000MPa以上である。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0006】
【文献】国際公開第2016/068009号
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
特許文献1に開示されたオーステナイトステンレス鋼では、Ni含有量を12.0%以上とすることにより、耐水素脆性を高める。さらに、炭窒化物を微細析出することにより、ピンニング効果により、結晶粒の変形を抑制し、微細化する。これにより、耐水素脆性に優れ、かつ、高い強度が得られる。
【0008】
ところで、高圧水素ガス環境用途の容器や継手、配管に用いられる部材は、使用中において、機械的な振動や、高圧水素ガスの圧力の変動に伴う振動を受ける。そのため、高圧水素ガス環境用途の部材に用いられる鋼材は、優れた耐水素脆性とともに、高い疲労強度を有することが要求される。
【0009】
本開示の目的は、優れた耐水素脆性を有し、さらに、高い疲労強度を有するオーステナイト系ステンレス鋼材を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0010】
本開示によるオーステナイト系ステンレス鋼材は、
化学組成が、質量%で、
C:0.100%以下、
Si:1.00%以下、
Mn:5.00%以下、
Cr:15.00~22.00%、
Ni:10.00~21.00%、
Mo:1.20~4.50%、
P:0.050%以下、
S:0.050%以下、
Al:0.100%以下、
N:0.100%以下、及び、
残部がFe及び不純物、からなり、
ASTM E112に準拠したオーステナイト結晶粒度番号が8.0以上であり、
前記オーステナイト系ステンレス鋼材の長手方向に垂直な断面において、転位セル組織率が80%以上である。
【発明の効果】
【0011】
本開示によるオーステナイト系ステンレス鋼材は、優れた耐水素脆性を有し、さらに、高い疲労強度を有する。
【図面の簡単な説明】
【0012】
図1図1は、本実施形態の化学組成のオーステナイト系ステンレス鋼材において、透過型電子顕微鏡観察により得られた、転位セル組織が形成された観察視野の明視野像(TEM画像)の一例を示す図である。
図2図2は、本実施形態の化学組成のオーステナイト系ステンレス鋼材において、転位セル組織が形成されていないTEM画像の一例を示す図である。
図3図3は、図2と異なる、本実施形態の化学組成のオーステナイト系ステンレス鋼材において、転位セル組織が形成されていないTEM画像の一例を示す図である。
図4図4は、図1の明視野像を、画素値のヒストグラムの中央値をしきい値として2値化した画像である。
図5図5は、図4の2値化画像に基づいて、0.20μm2以上の面積を有する低密度転位領域(転位セル)の外延を描画して抽出した図である。
図6図6は、本実施形態のオーステナイト系ステンレス鋼材が鋼管である場合の、サンプル採取位置を説明するための模式図である。
図7図7は、本実施形態のオーステナイト系ステンレス鋼材が棒鋼である場合の、サンプル採取位置を説明するための模式図である。
図8図8は、本実施形態のオーステナイト系ステンレス鋼材が鋼板である場合の、サンプル採取位置を説明するための模式図である。
【発明を実施するための形態】
【0013】
本発明者らは、優れた耐水素脆性が得られ、かつ、高い疲労強度を有するオーステナイト系ステンレス鋼材について検討を行った。耐水素脆性を高めるには、Cr、Ni及びMoの含有が極めて有効である。そこで、本発明者らは耐水素脆性に優れたオーステナイト系ステンレス鋼材の化学組成について検討を行った。その結果、化学組成が、質量%で、C:0.100%以下、Si:1.00%以下、Mn:5.00%以下、Cr:15.00~22.00%、Ni:10.00~21.00%、Mo:1.20~4.50%、P:0.050%以下、S:0.050%以下、Al:0.100%以下、N:0.100%以下、及び、残部がFe及び不純物からなるオーステナイト系ステンレス鋼材であれば、十分な耐水素脆性が得られると考えた。
【0014】
そこで、本発明者らは上記化学組成を有するオーステナイト系ステンレス鋼材の疲労強度についてさらに検討を行った。特許文献1に記載のとおり、炭窒化物等の微細な析出物を生成し、微細析出物のピンニング効果により結晶粒を微細化すれば、強度が高まると考えられる。しかしながら、析出物は、冷間加工を実施する場合に水素割れの起点となり、耐水素脆性を低下する可能性がある。
【0015】
そこで、本発明者らは、析出物によるピンニング効果による強度を高める方法を採用せず、あえて、析出物のピンニング効果とは異なる方法により、強度を高める方法について検討を行った。その結果、本発明者らは、上述の化学組成のオーステナイト系ステンレス鋼材において、析出物のピンニング効果の利用に代えて、転位セル組織を形成することにより、高い疲労強度が得られることを初めて知見した。
【0016】
図1は、上述の化学組成のオーステナイト系ステンレス鋼材において、透過型電子顕微鏡(TEM:Transmission Electron Microscope)を用いた組織観察により得られた、転位セル組織が形成された視野(4.2μm×4.2μm)の明視野像(以下、TEM画像ともいう)を示す図である。図2及び図3は、上述の化学組成のオーステナイト系ステンレス鋼材において、転位セル組織が形成されていないTEM画像の一例を示す図である
【0017】
図1図3はいずれも、上述の化学組成を有するオーステナイト系ステンレス鋼材である。図2及び図3では、短い転位105がまばらに存在しているが、転位105がセルを形成していない。
【0018】
これに対して、図1に示すTEM画像では、図2及び図3と比較して、転位の状態が異なる。具体的には、図1では、転位密度が高いセル壁領域101と、セル壁領域101に囲まれ、転位密度が低い領域である低密度転位領域102とが存在している。そして、図1では、セル壁領域101が網目状に形成されている。本明細書において、セル壁領域101と低密度転位領域102とが存在する組織を、「転位セル組織」という。
【0019】
本発明者らは、上述の化学組成を有するオーステナイト系ステンレス鋼材において、オーステナイト結晶粒をASTM E112に準拠した結晶粒度番号で8.0以上とし、かつ、転位セル組織を形成することにより、高い疲労強度が得られることを知見した。より具体的には、次の方法により定義される、転位セル組織率が80%以上であれば、耐水素脆性に優れ、かつ、高い疲労強度も得られることを知見した。
【0020】
ここで、転位セル組織率は、次の方法により定義する。
【0021】
オーステナイト系ステンレス鋼材の長手方向に垂直な断面において、各視野のサイズが4.2μm×4.2μmの任意の15視野を選定する。選定された各視野において、透過型電子顕微鏡(TEM)による写真画像(明視野像)を生成し、生成した写真画像(TEM画像)において、転位密度が高いセル壁領域101と、転位密度が低い低密度転位領域102とを特定する。各視野において、特定された複数の低密度転位領域102のうち、0.20μm2以上の面積を有する低密度転位領域102が9個以上存在する視野を、転位セル組織が形成されている視野と認定する。すべての視野数(15視野)に対する、転位セル組織が形成されている視野数の割合を、転位セル組織率(%)と定義する。
【0022】
より具体的には、転位セル組織率を次の方法で特定する。オーステナイト系ステンレス鋼材の長手方向に垂直な断面において、3つのサンプルを採取する。各サンプルの被検面は、オーステナイト系ステンレス鋼材の長手方向に垂直な断面とする。各サンプルの厚さが30μmになるまで湿式研磨を行う。湿式研磨後、過塩素酸(10vol.%)とエタノール(90vol.%)との混合液を用いて、サンプルに対して電解研磨を実施して、薄膜サンプルを作製する。各薄膜サンプルの被検面に対して、TEMを用いた組織観察を実施する。各サンプルの被検面において、任意の5視野でTEM観察を実施する。各視野のサイズは4.2μm×4.2μmの矩形とする。TEM観察時の加速電圧は200kVとする。<110>の入射電子線により観察可能な結晶粒を観察対象とする。各視野において明視野像を取得する。
【0023】
各視野の明視野像を用いて、各視野が転位セル組織か否かを、次の方法で判定する。以下の説明では、図1に示す明視野像を例として、転位セル組織の判定方法を説明する。明視野像において、画素値(0~255)の頻度を示すヒストグラムを生成し、ヒストグラムの中央値を求める。なお、各視野の明視野像の画素数は特に限定されないが、たとえば、10万画素以上15万画素以下とする。中央値をしきい値として、明視野像を2値化する。図4は、図1の明視野像を、画素値のヒストグラムの中央値をしきい値として2値化した画像である。2値化した画像において、黒色の領域が、転位密度が高い領域である。そこで、黒色の領域をセル壁領域101と認定する。一方、白色の領域は、転位密度が低い領域である。そこで、セル壁領域101で囲まれた白色の閉領域を、低密度転位領域102と認定する。
【0024】
白色の閉領域(低密度転位領域102)の外延を画定し、各低密度転位領域102の面積を求める。そして、面積が0.20μm2以上の低密度転位領域102を、「転位セル」と認定する。
【0025】
図5は、図4の2値化画像に基づいて、0.20μm2以上の面積を有する低密度転位領域102(転位セル)の外延を描画して抽出した図である。図5において、低密度転位領域102の外延が互いに接触している場合、それらの低密度転位領域102は、1つの低密度転位領域102として面積を算出する。図1の視野の場合、低密度転位領域102は、13個である。
【0026】
なお、上述の方法により、図2及び図3についても同様の方法により、低密度領域102の個数を求めた場合、図2では0個、図3では1個となる。
【0027】
以上の解析手法により、各視野中(4.2μm×4.2μm)における、転位セル(0.20μm2以上の面積を有する低密度転位領域102)の個数を求める。そして、各視野において、転位セルが9個以上存在する場合、その視野のミクロ組織は、転位セル組織であると認定する。なお、各視野において、視野(4.2μm×4.2μmの矩形の明視野像)の向かい合った2つの辺(対辺)の両方と交差する直線が3以上存在する場合、その視野はプラナー構造であると認定し、転位セル組織と認定しない。観察した15視野のうち、転位セル組織の視野の個数を求める。そして、次式により、転位セル組織率(%)を定義する。
転位セル組織率=転位セル組織と認定された視野の個数/視野の総個数×100
【0028】
上述のTEM画像の画素値のヒストグラムの中央値の算出、TEM画像の2値化処理、及び、低密度転位領域102の外延の特定、及び、低密度転位領域102の面積の算出は、いずれも、周知の画像処理ソフトウェアを利用することで解析可能である。周知の画像処理ソフトウェアはたとえば、ImageJ(商品名)である。なお、ImageJ以外の画像処理ソフトウェアでも同様の解析が可能であることは当業者に周知である。
【0029】
上記化学組成を有し、かつ、上述の定義に基づく転位セル組織率が80%以上であれば、オーステナイト系ステンレス鋼材において、高い疲労強度が得られる。その理由は定かではないが、次の理由が考えられる。転位セル組織のうち、高密度転位領域であるセル壁領域101では、転位が密集して互いに絡み合っている。そのため、セル壁領域101を構成する転位は移動しにくく、固定されている。その結果、オーステナイト系ステンレス鋼材の疲労強度が高まると考えられる。
【0030】
以上の知見に基づいて完成した本実施形態のオーステナイト系ステンレス鋼材は、次の構成を有する。
【0031】
[1]のオーステナイト系ステンレス鋼材は、
化学組成が、質量%で、
C:0.100%以下、
Si:1.00%以下、
Mn:5.00%以下、
Cr:15.00~22.00%、
Ni:10.00~21.00%、
Mo:1.20~4.50%、
P:0.050%以下、
S:0.050%以下、
Al:0.100%以下、
N:0.100%以下、及び、
残部がFe及び不純物、からなり、
ASTM E112に準拠したオーステナイト結晶粒度番号が8.0以上であり、
前記オーステナイト系ステンレス鋼材の長手方向に垂直な断面において、転位セル組織率が80%以上である。
【0032】
[2]のオーステナイト系ステンレス鋼材は、[1]に記載のオーステナイト系ステンレス鋼材であって、
前記オーステナイト結晶粒度番号は8.4以上である。
【0033】
[3]のオーステナイト系ステンレス鋼材は、[1]又は[2]に記載のオーステナイト系ステンレス鋼材であって、
前記転位セル組織率は83%以上である。
【0034】
以下、本実施形態のオーステナイト系ステンレス鋼材について詳述する。元素に関する
「%」は、特に断りがない限り、質量%を意味する。
【0035】
[化学組成]
本実施形態のオーステナイト系ステンレス鋼材の化学組成は、次の元素を含有する。
【0036】
C:0.100%以下
炭素(C)は不可避の不純物である。つまり、C含有量は0%超である。Cはオーステナイト結晶粒界に炭化物を生成して、鋼材の耐水素脆性を低下する。C含有量が0.100%を超えれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、鋼材の耐水素脆性が低下する。したがって、C含有量は0.100%以下である。C含有量の好ましい上限は0.080%であり、さらに好ましくは0.060%であり、さらに好ましくは0.040%であり、さらに好ましくは0.030%である。C含有量はなるべく低い方が好ましい。しかしながら、C含有量を過剰に低減すれば、製造コストが高くなる。したがって、通常の工業生産を考慮すれば、C含有量の好ましい下限は0.001%であり、さらに好ましくは0.002%であり、さらに好ましくは0.005%である。
【0037】
Si:1.00%以下
シリコン(Si)は不可避に含有される。つまり、Si含有量は0%超である。Siは、鋼を脱酸する。Siが少しでも含有されれば、この効果がある程度得られる。しかしながら、Si含有量が高すぎれば、SiがNi及びCr等と結合してシグマ(σ)相の形成を助長する。Si含有量が1.00%を超えれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、σ相の生成により、鋼材の熱間加工性及び靭性が低下する。したがって、Si含有量は1.00%以下である。Si含有量の好ましい上限は0.90%であり、さらに好ましくは0.70%であり、さらに好ましくは0.50%である。Si含有量を過剰に低減すれば、製造コストが高くなる。したがって、通常の工業生産を考慮すれば、Si含有量の好ましい下限は0.01%であり、さらに好ましくは0.02%である。鋼の脱酸作用をより有効に高めるためのSi含有量の好ましい下限は0.10%であり、さらに好ましくは0.20%である。
【0038】
Mn:5.00%以下
マンガン(Mn)は不可避に含有される。つまり、Mn含有量は0%超である。Mnは、オーステナイトを安定化させる。しかしながら、Mn含有量が高すぎれば、δフェライトの生成が促進される。Mn含有量が5.00%を超えれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、δフェライトが生成して、鋼材の耐水素脆性が低下する。したがって、Mn含有量は5.00%以下である。Mn含有量の好ましい下限は0.30%であり、さらに好ましくは0.50%であり、さらに好ましくは1.00%であり、さらに好ましくは1.50%である。Mn含有量の好ましい上限は4.80%であり、さらに好ましくは4.30%であり、さらに好ましくは3.80%であり、さらに好ましくは3.30%であり、さらに好ましくは2.95%である。
【0039】
Cr:15.00~22.00%
クロム(Cr)は、鋼材の耐水素脆性を高める。Crはさらに、転位セル組織の生成を促進する。Cr含有量が15.00%未満であれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、これらの効果が十分に得られない。一方、Cr含有量が22.00%を超えれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、粗大なM236等の炭化物が生成して、鋼材の加工性及び靭性を低下したり、耐水素脆性を低下したりする。したがって、Cr含有量は15.00~22.00%である。Cr含有量の好ましい下限は15.50%であり、さらに好ましくは16.00%であり、さらに好ましくは16.50%である。Cr含有量の好ましい上限は21.50%であり、さらに好ましくは21.00%であり、さらに好ましくは20.50%である。
【0040】
Ni:10.00~21.00%
ニッケル(Ni)は、オーステナイトを安定化させて、加工誘起マルテンサイトの生成を抑制し、鋼材の耐水素脆性を高める。Ni含有量が10.00%未満であれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、上記効果が十分に得られない。一方、Ni含有量が21.00%を超えれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、上記効果が飽和して、製造コストが高くなるだけである。したがって、Ni含有量は10.00~21.00%である。Ni含有量の好ましい下限は10.50%であり、さらに好ましくは11.00%であり、さらに好ましくは11.50%であり、さらに好ましくは12.00%であり、さらに好ましくは13.20%である。Ni含有量の好ましい上限は17.50%であり、さらに好ましくは17.00%であり、さらに好ましくは16.50%である。
【0041】
Mo:1.20~4.50%
モリブデン(Mo)は鋼材の耐水素脆性及び強度を高める。Moはさらに、結晶粒を微細化し、転位セル組織を生成しやすくする。Mo含有量が1.20%未満であれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、この効果が得られない。一方、Mo含有量が4.50%を超えれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、その効果は飽和し、製造コストが高くなるだけである。したがって、Mo含有量は1.20~4.50%である。Mo含有量の好ましい下限は1.30%であり、さらに好ましくは1.40%であり、さらに好ましくは1.60%である。Mo含有量の好ましい上限は3.50%であり、さらに好ましくは3.00%であり、さらに好ましくは2.50%である。
【0042】
P:0.050%以下
燐(P)は不可避に含有される不純物である。つまり、P含有量は0%超である。P含有量が0.050%を超えれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、鋼材の熱間加工性及び靭性が低下する。したがって、P含有量は0.050%以下である。P含有量の好ましい上限は0.030%であり、さらに好ましくは0.025%である。P含有量はなるべく低い方が好ましい。しかしながら、P含有量の過剰な低減は、製造コストを増大する。したがって、通常の工業生産を考慮すれば、P含有量の好ましい下限は0.001%であり、さらに好ましくは0.005%である。
【0043】
S:0.050%以下
硫黄(S)は不可避に含有される不純物である。つまり、S含有量は0%超である。S含有量が0.050%を超えれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、鋼材の熱間加工性及び靭性が低下する。したがって、S含有量は0.050%以下である。S含有量の好ましい上限は0.030%であり、さらに好ましくは0.025%である。S含有量はなるべく低い方が好ましい。しかしながら、S含有量の過剰な低減は、製造コストを増大する。したがって、通常の工業生産を考慮すれば、S含有量の好ましい下限は0.001%であり、さらに好ましくは0.002%である。
【0044】
Al:0.100%以下
アルミニウム(Al)は不可避に含有される。つまり、Al含有量は0%超である。Alは鋼を脱酸する。Alが少しでも含有されれば、この効果がある程度得られる。しかしながら、Al含有量が0.100%を超えれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、鋼材中に酸化物及び金属間化合物が生成しやすくなり、鋼材の靱性が低下する。したがって、Al含有量は0.100%以下である。鋼材をより有効に脱酸するためのAl含有量の好ましい下限は0.001%であり、さらに好ましくは0.002%である。Al含有量の好ましい上限は0.050%であり、さらに好ましくは0.040%である。本明細書において、Al含有量はsol.Al(酸可溶Al)の含有量を意味する。
【0045】
N:0.100%以下
窒素(N)は不可避に含有される。つまり、N含有量は0%超である。Nは鋼材の強度を高める。Nが少しでも含有されれば、上記効果がある程度得られる。しかしながら、N含有量が0.100%を超えれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、粗大な窒化物が生成しやすくなる。したがって、N含有量は0.100%以下である。N含有量の好ましい下限は0.001%であり、さらに好ましくは0.005%であり、さらに好ましくは0.010%である。N含有量の好ましい上限は0.090%であり、さらに好ましくは0.080%であり、さらに好ましくは0.070%である。
【0046】
本実施形態によるオーステナイト系ステンレス鋼材の化学組成の残部は、Fe及び不純物からなる。ここで、不純物とは、本実施形態のオーステナイト系ステンレス鋼材を工業的に製造する際に、原料としての鉱石、スクラップ、又は、製造環境などから混入されるものであって、本実施形態のオーステナイト系ステンレス鋼材に悪影響を与えない範囲で許容されるものを意味する。
【0047】
[オーステナイト結晶粒度番号]
本実施形態のオーステナイト系ステンレス鋼材において、ASTM E112に準拠したオーステナイト結晶粒度番号は8.0以上である。ここで、ASTMはアメリカ材料試験協会(American Society for Testing and Material)の略称である。
【0048】
オーステナイト結晶粒度番号が8.0未満であれば、後述の転位セル組織率が80%以上になりにくい。転位セル組織率が80%以上とならない場合、上述の化学組成を有するオーステナイト系ステンレス鋼材において、高い疲労強度が十分に得られない場合がある。
【0049】
オーステナイト結晶粒度番号が8.0以上であれば、上述の化学組成を有するオーステナイト系ステンレス鋼材において、転位セル組織が形成されやすい。具体的には、オーステナイト結晶粒度番号が8.0以上であれば、結晶粒が微細になる。そのため、結晶粒内に形成される転位が短い。短い転位は移動しやすいため、互いに絡まりやすく、その結果、転位セル組織が形成されやすくなる。
【0050】
上述の化学組成を有する鋼材において、オーステナイト結晶粒度番号が8.0以上であり、かつ、ミクロ組織において、転位セル組織率が80%以上であれば、優れた耐水素脆性が得られるだけでなく、結晶粒の微細化及び転位セル組織の相乗効果による高い疲労強度が得られる。好ましい結晶粒度番号の下限は8.2であり、さらに好ましくは8.3であり、さらに好ましくは8.4である。
【0051】
なお、オーステナイト結晶粒度番号の上限は特に限定されない。しかしながら、後述の製造方法によりオーステナイト系ステンレス鋼材を製造する場合、オーステナイト結晶粒度番号は12.0未満となる。したがって、本実施形態において、オーステナイト系ステンレス鋼材の結晶粒度番号の上限はたとえば、12.0未満である。オーステナイト系ステンレス鋼材の結晶粒度番号の好ましい上限は11.0であり、さらに好ましくは10.0であり、さらに好ましくは9.5である。
【0052】
オーステナイト結晶粒度番号は次の方法で求める。オーステナイト系ステンレス鋼材を長手方向に垂直に切断する。オーステナイト系ステンレス鋼材が鋼管である場合、図6に示すとおり、オーステナイト系ステンレス鋼材の長手方向に垂直な断面(以下、被検面ともいう)において、肉厚をt(mm)と定義する。外面から肉厚方向にt/2位置を採取位置P1と定義する。外面から肉厚方向にt/4位置を採取位置P2と定義する。内面から肉厚方向にt/4位置を採取位置P3と定義する。採取位置P1から採取したサンプルを、サンプルP1という。採取位置P2から採取したサンプルを、サンプルP2という。採取位置P3から採取したサンプルを、サンプルP3という。サンプルP1は、被検面の中心位置がほぼt/2位置に相当するように採取される。サンプルP2は、被検面の中心位置がほぼt/4位置に相当するように採取される。サンプルP3は、被検面の中心位置がほぼt/4位置に相当するように採取される。
【0053】
オーステナイト系ステンレス鋼材が棒鋼である場合、図7に示すとおり、オーステナイト系ステンレス鋼材の長手方向に垂直な断面(被検面)において、半径をR(mm)と定義する。表面から径方向にR位置、つまり、棒鋼の断面(被検面)の中心位置を、採取位置P1と定義する。被検面の中心位置を含む直径において、直径の一端の表面から径方向にR/2位置を、採取位置P2と定義する。直径の他端の表面から径方向にR/2位置を、採取位置P3と定義する。採取位置P1~P3から、サンプルP1~P3を採取する。サンプルP1は、被検面の中心位置がほぼ鋼材(棒鋼)の横断面の中心位置に相当するように採取される。サンプルP2は、被検面の中心位置がほぼR/2位置に相当するように採取される。サンプルP3は、被検面の中心位置がほぼR/2位置に相当するように採取される。
【0054】
オーステナイト系ステンレス鋼材が鋼板である場合、図8に示すとおり、オーステナイト系ステンレス鋼材の長手方向に垂直な断面(被検面)において、板厚をt(mm)と定義する。上面から板厚方向にt/2位置を、採取位置P1と定義する。上面から板厚方向にt/4位置を、採取位置P2と定義する。下面から板厚方向にt/4位置を、採取位置P3と定義する。採取位置P1~P3から、サンプルP1~P3を採取する。サンプルP1は、被検面の中心位置がほぼt/2位置に相当するように採取される。サンプルP2は、被検面の中心位置がほぼt/4位置に相当するように採取される。サンプルP3は、被検面の中心位置がほぼt/4位置に相当するように採取される。
【0055】
各サンプルP1~P3の被検面を鏡面研磨する。鏡面研磨された被検面に対して、混酸(塩酸:硝酸=1:1で混合した溶液)を用いた腐食を実施して、オーステナイト結晶粒界を現出させる。各サンプルP1~P3の被検面に対して、光学顕微鏡を用いて組織観察を行う。組織観察での光学顕微鏡の倍率を100倍とする。各サンプルP1~P3の被検面において、任意の3視野を選定する。各視野のサイズを1000μm×1000μmとする。各視野において、ASTM E112に準拠して、オーステナイト結晶粒度番号を測定する。9個の視野(各サンプルP1~P3で3つの視野)で得られたオーステナイト結晶粒度番号の算術平均値を、オーステナイト系ステンレス鋼材のオーステナイト結晶粒度番号と定義する。
【0056】
[転位セル組織]
本実施形態のオーステナイト系ステンレス鋼材はさらに、ミクロ組織において、転位セル組織率が80%以上である。ここで、転位セル組織率は、次の方法で定義される。
【0057】
[転位セル組織率の定義]
本実施形態のオーステナイト系ステンレス鋼材の長手方向に垂直な断面において、各視野のサイズが4.2μm×4.2μmの任意の15視野を選定する。選定された各視野において、TEM画像(明視野像)を生成する。生成したTEM画像において、転位密度が高いセル壁領域101と、転位密度が低い低密度転位領域102とを特定する。各視野において、特定された複数の低密度転位領域102のうち、0.20μm2以上の低密度転位領域102が9個以上存在する視野を、転位セル組織が形成されている視野と認定する。すべての視野数(15視野)に対する、転位セル組織が形成されている視野数の割合を、転位セル組織率(%)と定義する。
【0058】
より具体的には、転位セル組織率は次の方法で特定する。
【0059】
[転位セル組織率の測定方法]
オーステナイト系ステンレス鋼材の長手方向に垂直な断面において、上述のサンプル採取位置P1~P3から転位セル組織観察用のサンプルP1~P3を採取する。各サンプルP1~P3の被検面は、オーステナイト系ステンレス鋼材の長手方向に垂直な断面とする。サンプルP1~P3の厚さが30μmになるまで湿式研磨を行う。湿式研磨後、過塩素酸(10vol.%)とエタノール(90vol.%)との混合液を用いて、各サンプルP1~P3に対して電解研磨を実施して、薄膜サンプルP1~P3とする。各薄膜サンプルP1~P3の被検面に対して、透過型電子顕微鏡(Transmission Electron Microscope:TEM)を用いた組織観察を実施する。具体的には、各サンプルの被検面のうち、任意の5視野でTEM観察を実施する。各視野のサイズは4.2μm×4.2μmの矩形とする。TEM観察時の加速電圧は200kVとする。<110>の入射電子線により観察可能な結晶粒を観察対象とする。各視野において明視野像を生成する。
【0060】
各視野の明視野像を用いて、各視野が転位セル組織か否かを、次の方法で判定する。各明視野像において、画素値(0~255)の頻度を示すヒストグラムを生成し、ヒストグラムの中央値を求める。なお、各視野の明視野像の画素数は特に限定されないが、たとえば、10万画素以上15万画素以下とする。中央値をしきい値として、明視野像を2値化する。2値化画像の一例である図4では、黒色の領域が、転位密度が高い領域である。そこで、黒色の領域をセル壁領域101と認定する。一方、白色の領域は、転位密度が低い領域である。そこで、セル壁領域101で囲まれた白色の閉領域を、低密度転位領域102と認定する。白色の閉領域(低密度転位領域102)の外延を画定し、各低密度転位領域102の面積を求める。そして、面積が0.20μm2以上の低密度転位領域102を、「転位セル」と認定する。
【0061】
各視野中(4.2μm×4.2μm)における、転位セル(0.20μm2以上の面積を有する低密度転位領域102)の個数を求める。そして、各視野において、転位セルが9個以上存在する場合、その視野のミクロ組織は、転位セル組織であると認定する。なお、各視野において、視野(4.2μm×4.2μmの矩形の明視野像)の向かい合った2つの辺(対辺)の両方と交差する直線が3本以上存在する場合、その視野はプラナー構造であると認定し、転位セル組織と認定しない。観察した15視野のうち、転位セル組織の視野の個数を求める。そして、次式により、転位セル組織率(%)を定義する。
転位セル組織率=転位セル組織と認定された視野の個数/視野の総個数×100
【0062】
本実施形態によるオーステナイト系ステンレス鋼材では、上述の定義により求めた転位セル組織率が80%以上である。そのため、本実施形態によるオーステナイト系ステンレス鋼材は、耐水素脆性に優れるだけでなく、高い疲労強度が得られる。セル壁領域101では、転位が密集して互いに絡み合っている。そのため、転位セル組織を構成する転位は移動しにくい。その結果、オーステナイト系ステンレス鋼材の疲労強度が高まると考えられる。
【0063】
転位セル組織率の上限は特に限定されず、転位セル組織率は高い方が好ましい。しかしながら、転位セル組織率が80%以上であれば、耐水素脆性に優れ、かつ、十分に高い疲労強度が得られる。転位セル組織率の好ましい下限は83%であり、さらに好ましくは85%であり、さらに好ましくは86%であり、さらに好ましくは87%である。転位セル組織率の上限は100%であってもよいし、95%であってもよい。
【0064】
以上のとおり、本実施形態のオーステナイト系ステンレス鋼材は、化学組成中の各元素が上述の範囲内であり、ASTM E112に準拠したオーステナイト結晶粒度番号が8.0以上であり、転位セル組織率が80%以上である。そのため、本実施形態のオーステナイト系ステンレス鋼材では、優れた耐水素脆性が得られるだけでなく、高い疲労強度も得られる。
【0065】
[本実施形態のオーステナイト系ステンレス鋼材の形状]
本実施形態のオーステナイト系ステンレス鋼材の形状は特に限定されない。本実施形態のオーステナイト系ステンレス鋼材は鋼管であってもよい。本実施形態のオーステナイト系ステンレス鋼材は棒鋼であってもよい。本実施形態のオーステナイト系ステンレス鋼材は鋼板であってもよい。本実施形態のオーステナイト系ステンレス鋼材は、鋼管、棒鋼、鋼板以外の他の形状であってもよい。
【0066】
[本実施形態のオーステナイト系ステンレス鋼材の用途]
本実施形態のオーステナイト系ステンレス鋼材は、耐水素脆性及び疲労強度が求められる用途に広く適用可能である。本実施形態のオーステナイト系ステンレス鋼材は特に、高圧水素ガス環境用途の部材に利用可能である。高圧水素ガス環境用途とはたとえば、燃料電池自動車に搭載される高圧水素容器に利用される部材や、燃料電池自動車に水素を供給する水素ステーションに設置される高圧水素容器に利用される部材等である。ただし、本実施形態のオーステナイト系ステンレス鋼材は、高圧水素ガス環境用途に限定されない。上述のとおり、本実施形態のオーステナイト系ステンレス鋼材は、耐水素脆性及び疲労強度が要求される用途に広く適用可能である。
【0067】
[製造方法]
本実施形態のオーステナイト系ステンレス鋼材の製造方法の一例を説明する。本実施形態のオーステナイト系ステンレス鋼材の製造方法の一例は、準備工程と、第1熱処理工程と、第1冷間加工工程と、第2熱処理工程と、第2冷間加工工程とを含む。以下、各工程について詳述する。
【0068】
[準備工程]
準備工程では、上述の化学組成を有する鋼材を準備する。上述の化学組成を有する鋼材は、第三者から購入したものを利用してもよい。また、製造したものを利用してもよい。鋼材を製造する場合、たとえば、次の方法で製造する。
【0069】
上述の化学組成を有する溶鋼を周知の方法で製造する。製造された溶鋼を用いて、周知の鋳造法により素材を製造する。たとえば、造塊法によりインゴットを製造する。連続鋳造法により鋳片(スラブ、ブルーム、ビレット等)を製造してもよい。インゴットに対して分塊圧延や熱間鍛造等の熱間加工を実施して、スラブ、ブルーム、ビレットを製造してもよい。以上の工程により、素材を製造する。
【0070】
準備された素材に対して熱間加工を実施する(熱間加工工程)。熱間加工はたとえば、熱間鍛造、熱間押出、熱間圧延等である。熱間鍛造はたとえば、鍛伸鍛造である。熱間圧延はたとえば、一列に並んだ複数の圧延スタンド(各圧延スタンドは一対のワークロールを有する)を含むタンデム圧延機を用いてタンデム圧延を実施して、複数回パスの圧延を実施してもよいし、一対のワークロールを有するリバース圧延機等によるリバース圧延を実施して、複数回パスの圧延を実施してもよい。熱間押出はたとえば、ユジーン・セジュルネ法による熱間押出である。以上の製造工程により、鋼材を製造してもよい。熱間加工前の好ましい加熱温度は、950~1250℃である。熱間加工における好ましい減面率は30%以上である。ここで、減面率(%)は以下の式で定義される。
減面率=(1-熱間加工後の鋼材の長手方向に垂直な断面積/熱間加工前の素材の長手方向に垂直な断面積)×100
【0071】
減面率の好ましい下限は35%であり、さらに好ましくは38%であり、さらに好ましくは40%である。減面率の上限は特に限定されない。設備負荷を考慮した場合、減面率の好ましい上限はたとえば90%である。
【0072】
[第1熱処理工程]
第1熱処理工程では、上述の化学組成を有する鋼材に対して、950~1200℃の範囲内であって、かつ、式(1)を満たす熱処理温度T1で熱処理を実施する。第1熱処理工程にはたとえば、熱処理炉が利用される。
【0073】
熱処理温度T1が950℃未満であれば、合金元素が十分に固溶せず、未固溶元素として鋼中に残存する。この場合、鋼材の冷間加工性が低下する。一方、熱処理温度T1が1200℃を超えれば、オーステナイト結晶粒が粗大化してしまい、製造されたオーステナイト系ステンレス鋼材のオーステナイト結晶粒度番号が8.0未満となる。したがって、熱処理温度T1は950~1200℃である。熱処理温度T1の好ましい下限は980℃であり、さらに好ましくは1100℃である。熱処理温度T1の好ましい上限は1180℃である。
【0074】
なお、熱処理温度T1はさらに、式(1)を満たす必要がある。式(1)については
後述する。
【0075】
熱処理温度T1での保持時間は特に限定されない。保持時間はたとえば5~30分である。上記熱処理温度T1で所定時間保持した後の鋼材を急冷する。これにより、熱処理により固溶した合金元素が冷却中に析出するのを抑制する。急冷方法はたとえば水冷である。水冷方法としては、鋼材を水槽に浸漬して冷却してもよいし、シャワー水冷又はミスト冷却により鋼材を急冷してもよい。
【0076】
鋼材を熱間加工により製造する場合、第1熱処理工程は、熱間加工完了直後の鋼材に対して実施してもよい。たとえば、熱間加工完了直後の鋼材温度(仕上げ温度)を950~1200℃とし、熱間加工完了直後の鋼材に対して急冷を実施してもよい。この場合、上述の熱処理炉を用いた熱処理と同等の効果が得られる。熱間加工完了直後の鋼材を急冷する場合、第1熱処理工程の熱処理温度T1は、熱間加工直後の鋼材の温度(℃)に相当する。
【0077】
[第1冷間加工工程]
第1冷間加工工程では、第1熱処理工程後の鋼材に対して冷間加工を実施する。冷間加工はたとえば、冷間抽伸、冷間鍛造、冷間圧延等である。たとえば、鋼材が鋼管又は棒鋼である場合、冷間抽伸を実施する。鋼材が鋼板である場合、冷間圧延を実施する。
【0078】
第1冷間加工工程での断面減少率RR1は30.0%以上とする。第1冷間加工工程における断面減少率RR1(%)は次の式で定義される。
断面減少率RR1=(1-(第1冷間加工工程での冷間加工完了後の鋼材の断面積/第1冷間加工工程前の鋼材の断面積))×100
ここで、鋼材の断面積とは、鋼材の長手方向(軸方向)に垂直な断面の面積(mm2
を意味する。
【0079】
第1冷間加工工程での断面減少率RR1が30.0%未満である場合、上述の化学組成を有するオーステナイト系ステンレス鋼材のオーステナイト結晶粒度番号が8.0未満となる。この場合、結晶粒微細化効果が得られず、疲労強度が得られない。したがって、第1冷間加工工程での断面減少率RR1は30.0%以上である。断面減少率RR1の好ましい下限は35.0%であり、さらに好ましくは38.0%である。
【0080】
断面減少率RR1の上限は特に限定されない。しかしながら、冷間加工設備の設備能力を考慮すれば、断面減少率RR1の好ましい上限は90.0%であり、さらに好ましくは85.0%である。
【0081】
なお、断面減少率RR1はさらに、式(1)を満たす必要がある。式(1)については後述する。
【0082】
[第2熱処理工程]
第1冷間加工工程後の鋼材に対して、第2熱処理工程を実施する。第2熱処理工程では、オーステナイト結晶粒を微細化する。これにより、鋼材の強度を高くすることができ、かつ、次工程の第2冷間加工工程で転位セル組織を現出させることができる。
【0083】
具体的には、第2熱処理工程では、900~1100℃の範囲内であって、式(1)を満たす熱処理温度T2で熱処理を実施する。第2熱処理工程では、熱処理炉が利用される。
【0084】
熱処理温度T2が900℃未満であれば、鋼材の冷間加工性が低下する。一方、熱処理温度T2が1100℃を超えれば、オーステナイト結晶粒が粗大化してしまい、最終製品においてオーステナイト結晶粒度番号が8.0未満となる。したがって、熱処理温度T2は900~1100℃である。第2熱処理工程での熱処理温度T2の好ましい下限は920℃であり、さらに好ましくは930℃である。第2熱処理工程での熱処理温度T2の好ましい上限は1050℃であり、さらに好ましくは1000℃である。熱処理温度T2での保持時間は特に限定されない。保持時間はたとえば5~15分である。
【0085】
なお、熱処理温度T2はさらに、式(1)を満たす必要があるが、式(1)については後述する。
【0086】
上記熱処理温度T2で所定時間保持した後の鋼材を急冷する。これにより、熱処理で固溶した合金元素が冷却中に析出するのを抑制する。急冷はたとえば水冷である。水冷方法としては、鋼材を水槽に浸漬して冷却してもよいし、シャワー水冷又はミスト冷却により鋼材を急冷してもよい。
【0087】
[式(1)について]
本実施形態ではさらに、第1熱処理工程の熱処理温度T1と、第1冷間加工工程の断面減少率RR1と、第2熱処理工程の熱処理温度T2とが、式(1)を満たすように、熱処理温度T1、断面減少率RR1、及び、熱処理温度T2を設定する。
RR1/(T1+T2)≧1.80×10-2 (1)
【0088】
第2冷間加工工程により現出する転位セル組織は、第2冷間加工工程前の工程である第1熱処理工程、第1冷間加工工程、及び、第2熱処理工程の条件に影響を受ける。具体的には、第1熱処理工程の熱処理温度T1及び第2熱処理工程の熱処理温度T2が、第1冷間加工工程での断面減少率RR1に対して高すぎれば、適切な条件で第2冷間加工工程を実施しても、適切な転位セル組織が形成されない。
【0089】
F1=RR1/(T1+T2)と定義する。F1が1.80×10-2未満である場合、熱処理温度T1及び熱処理温度T2が、断面減少率RR1に対して高すぎる。そのため、適切な条件で第2冷間加工工程を実施しても、転位セル組織率が80%未満になる。一方、F1が1.80×10-2以上であれば、適切な条件で第2冷間加工工程を実施することにより、適切な結晶粒度番号の組織が得られ、かつ、転位セル組織率が80%以上になる。したがって、F1≧1.80×10-2である。F1の好ましい下限は1.82×10-2であり、さらに好ましくは、1.84×10-2である。
【0090】
[第2冷間加工工程]
第2冷間加工工程では、第2熱処理工程後の鋼材に対して冷間加工を実施する。冷間加工はたとえば、冷間抽伸、冷間鍛造、冷間圧延等である。たとえば、鋼材が鋼管又は棒鋼である場合、冷間抽伸を実施する。鋼材が鋼板である場合、冷間鍛造又は冷間圧延を実施する。
【0091】
第2冷間加工工程での断面減少率RR2は15.0%以上とする。ここで、第2冷間加工工程における断面減少率RR2(%)は次の式で定義される。
断面減少率RR2=(1-(第2冷間加工工程での冷間加工完了後の鋼材の断面積/第2冷間加工工程前の鋼材の断面積))×100
ここで、鋼材の断面積とは、鋼材の長手方向(軸方向)に垂直な断面の面積(mm2)を意味する。
【0092】
第2冷間加工工程での断面減少率RR2が15.0%未満である場合、第1熱処理工程、第1冷間加工工程、第2熱処理工程の諸条件が適切であり、かつ、F1が式(1)を満たしても、適切な転位セル組織が形成されない。第2冷間加工工程での断面減少率RR2が15.0%以上であれば、第1熱処理工程、第1冷間加工工程、第2熱処理工程の諸条件が適切であり、かつ、F1が式(1)を満たすことを条件として、鋼材中に適切なオーステナイト結晶粒度番号(8.0以上)の組織が得られ、かつ、転位セル組織率が80%以上となる。その結果、優れた疲労強度が得られる。
【0093】
断面減少率RR2の上限は特に限定されない。しかしながら、冷間加工設備の設備能力を考慮すれば、断面減少率RR2の好ましい上限は90.0%であり、さらに好ましくは85.0%であり、さらに好ましくは70.0%である。
【0094】
以上の製造工程により、上述の化学組成を有し、ASTM E112に準拠したオーステナイト結晶粒度番号が8.0以上であり、かつ、転位セル組織率が80%以上であるオーステナイト系ステンレス鋼材を製造することができる。
【0095】
なお、上述の製造方法は、本実施形態のオーステナイト系ステンレス鋼材を製造する方法の一例である。したがって、本実施形態のオーステナイト系ステンレス鋼材は、上述の化学組成を有し、ASTM E112に準拠したオーステナイト結晶粒度番号が8.0以上であり、転位セル組織率が80%以上であれば、他の製造方法により製造されてもよい。上述の製造方法は、本実施形態のオーステナイト系ステンレス鋼材を製造する好適な一例である。
【実施例
【0096】
実施例により本実施形態のオーステナイト系ステンレス鋼材の効果をさらに具体的に説明する。以下の実施例での条件は、本実施形態のオーステナイト系ステンレス鋼材の実施可能性及び効果を確認するために採用した一条件例である。したがって、本実施形態のオーステナイト系ステンレス鋼材はこの一条件例に限定されない。
【0097】
表1に示す化学組成を有するオーステナイト系ステンレス鋼を180kg真空溶解して、インゴットを製造した。インゴットに対して熱間鍛造及び熱間圧延を実施して、幅200mm×厚さ20mmの鋼材を製造した。なお、いずれの試験番号(表2参照)においても、熱間鍛造時の加熱温度は950~1100℃であり、熱間鍛造時における減面率はいずれも40%であった。
【0098】
【表1】
【0099】
製造された各試験番号の鋼板に対して、第1熱処理工程を実施した。第1熱処理工程での熱処理温度T1(℃)は表2に示すとおりであった。熱処理温度T1での保持時間は15分であった。保持時間経過後の鋼板を熱処理炉から抽出直後に水冷した。
【0100】
【表2】
【0101】
第1熱処理工程後の鋼板に対して、第1冷間加工工程を実施した。第1冷間加工工程として、冷間圧延を実施して鋼板とした。第1冷間加工工程での断面減少率RR1(%)は、表2に示すとおりであった。なお、試験番号では、第1冷間加工工程を実施しなかった。そのため、試験番号の第1冷間加工工程での断面減少率RR1は0%であった。
【0102】
第1冷間加工工程後の鋼板に対して、第2熱処理工程を実施した。具体的には、鋼板を熱処理炉に装入して、熱処理を実施した。第2熱処理工程での熱処理温度T2(℃)は表2に示すとおりであった。熱処理温度T2での保持時間は5~15分であった。保持時間経過後の鋼板を熱処理炉から抽出直後に水冷した
【0103】
第2熱処理工程後の鋼板に対して、第2冷間加工工程を実施した。本実施例では、第2冷間加工工程として、冷間圧延を実施した。第2冷間加工工程での断面減少率RR2(%)は、表2に示すとおりであった。なお、試験番号では、第2冷間加工工程を実施しなかった。そのため、試験番号の第2冷間加工工程での断面減少率RR2は0%であった。以上の製造工程により、オーステナイト系ステンレス鋼材(鋼板)を製造した。
【0104】
[評価試験]
[結晶粒度番号測定試験]
図8に示すとおり、オーステナイト系ステンレス鋼材の長手方向に垂直な断面(被検面)において板厚をt(mm)として、上面から板厚方向にt/2位置からサンプルP1を採取し、上面から板厚方向にt/4位置からサンプルP2を採取し、下面から板厚方向にt/4位置からサンプルP3を採取した。サンプルP1は、被検面の中心位置がほぼt/2位置に相当するように採取し、サンプルP2は、被検面の中心位置がほぼt/4位置に相当するように採取し、サンプルP3は、被検面の中心位置がほぼt/4位置に相当するように採取した。
【0105】
各サンプルP1~P3の被検面を鏡面研磨した。鏡面研磨された被検面に対して、混酸(塩酸:硝酸=1:1で混合した溶液)を用いた腐食を実施して、オーステナイト結晶粒界を現出させた。各サンプルP1~P3の被検面に対して、光学顕微鏡を用いて組織観察を行った。組織観察での光学顕微鏡の倍率は100倍とした。各サンプルP1~P3の被検面において、任意の3視野を選定した。各視野のサイズは1000μm×1000μmとした。各視野において、ASTM E112に準拠して、オーステナイト結晶粒度番号を測定した。9個の視野(各サンプルP1~P3で3つの視野)で得られたオーステナイト結晶粒度番号の算術平均値を、オーステナイト結晶粒度番号と定義した。得られたオーステナイト結晶粒度番号を表2に示す。
【0106】
[転位セル組織率算定試験]
図8に示すとおり、オーステナイト系ステンレス鋼材の長手方向に垂直な断面(被検面)において板厚をt(mm)として、上面から板厚方向にt/2位置である採取位置P1、上面から板厚方向にt/4位置である採取位置P2、下面から板厚方向にt/4位置である採取位置P3から、転位セル組織観察用のサンプルP1~P3を採取した。各サンプルP1~P3の被検面は、オーステナイト系ステンレス鋼材の長手方向に垂直な断面とした。サンプルの厚さが30μmになるまで湿式研磨を行った。湿式研磨後、過塩素酸(10vol.%)とエタノール(90vol.%)との混合液を用いて、各サンプルP1~P3に対して電解研磨を実施して、薄膜サンプルP1~P3を作製した。各薄膜サンプルP1~P3の被検面に対して、TEMを用いた組織観察を実施した。具体的には、各薄膜サンプルP1~P3の被検面のうち、任意の5視野(薄膜サンプルP1で5視野、薄膜サンプルP2で5視野、薄膜サンプルP3で5視野)でTEM観察を実施した。各視野のサイズは4.2μm×4.2μmとした。TEM観察時の加速電圧は200kVとした。<110>の入射電子線により観察可能な結晶粒を観察対象とした。各視野において明視野像を生成した。
【0107】
各視野の明視野像を用いて、各視野が転位セル組織か否かを、次の方法で判定した。得られた明視野像において、画素値(0~255)の頻度を示すヒストグラムを生成し、ヒストグラムの中央値を求めた。なお、各視野の明視野像の画素数は117306ピクセルであった。中央値をしきい値として、明視野像を2値化した。2値化した画像において、白色の領域である低密度転位領域102を特定した。低密度転位領域102の外延を画定し、各低密度転位領域102の面積を求めた。そして、面積が0.20μm2以上の低密度転位領域102を、「転位セル」と認定した。各視野中(4.2μm×4.2μm)における、転位セル(0.20μm2以上の面積を有する低密度転位領域102)の個数を求めた。そして、各視野において、転位セルが9個以上存在する場合、その視野のミクロ組織は、転位セル組織であると認定した。観察した15視野のうち、転位セル組織の視野の個数を求めた。そして、次式により、転位セル組織率(%)を定義した。
転位セル組織率=転位セル組織と認定された視野の個数/視野の総個数×100
得られた転位セル組織率を表2に示す。
【0108】
[低ひずみ速度引張試験]
各試験番号の鋼板に対して、低ひずみ速度引張試験(Slow Strain Rate Test:SSRT)を実施した。具体的には、鋼板の板厚中央位置から、丸棒引張試験片を複数作製した。丸棒引張試験片の平行部の直径は3.0mmであり、平行部は鋼板の長手方向(圧延方向に相当)に平行であった。平行部の中心軸は、鋼板の板厚中央位置とほぼ一致した。丸棒引張試験片の平行部の表面は、♯150、♯400、及び、♯600のエミリー紙の順に研磨した後、アセトンで脱脂した。得られた丸棒試験片を用いて、常温大気中にて、ひずみ速度3.0×10-5/秒で引張試験を実施して、破断絞り(破断伸び、単位は%)を得た。
【0109】
さらに、別の丸棒引張試験片を用いて、90MPaの水素ガス中において、ひずみ速度3.0×10-5/秒で引張試験を常温で実施して、破断絞り(破断伸び、単位は%)を得た。次式を用いて、各試験番号の相対破断絞り(%)を求めた。
相対破断絞り=90MPaの水素ガス中での破断絞り/室温大気中での破断絞り×100
【0110】
得られた相対破断絞りが90.0%以上であれば、耐水素脆性に優れると判断した(表2中の「相対破断絞り評価」欄で「○」)。一方、得られた相対破断絞りが90.0%未満であれば、耐水素脆性が低いと判断した(表2中の「相対破断絞り評価」欄で「×」)。
【0111】
[疲労試験]
各試験番号の鋼板に対して、疲労試験を実施した。具体的には、鋼板の板厚中央位置から丸棒平滑疲労試験片を作製した。丸棒平滑疲労試験片の平行部の直径は8.0mmであり、平行部は鋼板の長手方向(圧延方向に相当)に平行であった。平行部の中心軸は、鋼板の板厚中央位置とほぼ一致した。疲労試験前に、丸棒平滑疲労試験片の表面を電解研磨した。
【0112】
疲労試験での試験条件は、応力比R=-1の引張圧縮疲労試験とした。ここで、応力比とは、試験時における最大応力に対する最小応力の比を意味し、応力比Rが「-1」の場合、両振りの条件であることを意味する。引張圧縮疲労試験では、打ち切り繰り返し数(試験終了までの繰り返し数)を107サイクルとした。試験中において、試験片の発熱を抑制するために、試験片に冷風を当てながら試験を実施して、試験中の試験片の表面温度が35℃を超えないように、周波数を調整した。試験中の周波数は1~6Hzの範囲内であった。打ち切り繰り返し数までに破断しなかった応力の最大値を、疲労強度(MPa)と定義した。
【0113】
[試験結果]
表2に試験結果を示す。試験番号1、29、10、12及び14の化学組成は適切であり、第1熱処理工程での熱処理温度T1、第1冷間加工工程での断面減少率RR1、第2熱処理工程での熱処理温度T2、及び、第2冷間加工工程での断面減少率RR2が適切であり、かつ、F1が式1を満たした。そのため、製造されたオーステナイト系ステンレス鋼材のASTM E112に準拠したオーステナイト結晶粒度番号が8.0以上であり、かつ、転位セル組織率が80%以上であった。その結果、疲労強度が300MPaを超えた。さらに、相対破断絞りが90.0%以上であり、優れた耐水素脆性を示した。
【0114】
一方、試験番号では、化学組成は適切であったものの、第1熱処理工程での熱処理温度T1が高すぎた。そのため、オーステナイト結晶粒度番号が8.0未満と低かった。さらに、転位セル組織率が80%未満と低かった。その結果、疲労強度が300MPa以下と低かった。
【0115】
試験番号では、第1冷間加工工程を実施せず、試験番号では、第1冷間加工工程での断面減少率RR1が低すぎた。そのため、F1が式(1)を満たさなかった。その結果、オーステナイト結晶粒度番号が8.0未満であり、転位セル組織率が80%未満と低かった。そのため、疲労強度が300MPa以下と低かった。
【0116】
試験番号では、第2熱処理工程での熱処理温度T2が高すぎた。そのため、結晶粒度番号が8.0未満と低く、転位セル組織率が80%未満と低かった。疲労強度が300MPa以下と低かった。
【0117】
試験番号では、第2冷間加工工程を実施せず、試験番号では、第2冷間加工工程での断面減少率RR2が低すぎた。その結果、転位セル組織率が80%未満と低かった。そのため、疲労強度が300MPa以下と低かった。
【0119】
試験番号11では、Cr含有量が高すぎた。そのため、相対破断絞りが90.0%未満であり、耐水素脆性が低かった。Cr炭化物が過剰に生成して、水素割れの起点となったためと考えられる。
【0120】
試験番号13では、Mo含有量が低すぎ、転位セル組織率が80%未満と低かった。そのため、疲労強度が300MPa以下と低かった。さらに、相対破断絞りが90.0%未満であり、耐水素脆性が低かった。
【0122】
試験番号15では、F1が1.80×10-2未満であった。そのため、結晶粒度番号が8.0未満と低く、さらに、転位セル組織率が80%以下であった。その結果、疲労強度が300MPa以下と低かった。
【0123】
以上、本発明の実施の形態を説明した。しかしながら、上述した実施の形態は本発明を実施するための例示に過ぎない。したがって、本発明は上述した実施の形態に限定されることなく、その趣旨を逸脱しない範囲内で上述した実施の形態を適宜変更して実施することができる。
【符号の説明】
【0124】
101 セル壁領域
102 低密度転位領域
図1
図2
図3
図4
図5
図6
図7
図8