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特許7320281培養基材、培養基材の製造方法、幹細胞の培養方法及び培養装置
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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2023-07-26
(45)【発行日】2023-08-03
(54)【発明の名称】培養基材、培養基材の製造方法、幹細胞の培養方法及び培養装置
(51)【国際特許分類】
   C12M 3/00 20060101AFI20230727BHJP
   C12M 1/00 20060101ALI20230727BHJP
   C12N 5/0735 20100101ALI20230727BHJP
   C12N 5/074 20100101ALI20230727BHJP
   C12N 5/0775 20100101ALI20230727BHJP
   C12N 5/0789 20100101ALI20230727BHJP
   C12N 5/0797 20100101ALI20230727BHJP
   C12N 5/095 20100101ALI20230727BHJP
   C12N 5/10 20060101ALI20230727BHJP
【FI】
C12M3/00 A
C12M1/00 A
C12N5/0735
C12N5/074
C12N5/0775
C12N5/0789
C12N5/0797
C12N5/095
C12N5/10
【請求項の数】 17
(21)【出願番号】P 2020506515
(86)(22)【出願日】2019-03-11
(86)【国際出願番号】 JP2019009747
(87)【国際公開番号】W WO2019176867
(87)【国際公開日】2019-09-19
【審査請求日】2022-02-28
(31)【優先権主張番号】P 2018044437
(32)【優先日】2018-03-12
(33)【優先権主張国・地域又は機関】JP
【国等の委託研究の成果に係る記載事項】(出願人による申告)平成29年度、国立研究開発法人日本医療研究開発機構「革新的先端研究開発支援事業 ユニットタイプ」「幹細胞の品質保持培養のためのメカノバイオマテリアルの開発」委託研究開発、産業技術力強化法第19条の適用を受ける特許出願
(73)【特許権者】
【識別番号】504145342
【氏名又は名称】国立大学法人九州大学
(74)【代理人】
【識別番号】100088155
【弁理士】
【氏名又は名称】長谷川 芳樹
(74)【代理人】
【識別番号】100145012
【弁理士】
【氏名又は名称】石坂 泰紀
(74)【代理人】
【識別番号】100182914
【弁理士】
【氏名又は名称】佐々木 善紀
(72)【発明者】
【氏名】木戸秋 悟
(72)【発明者】
【氏名】森山 幸祐
(72)【発明者】
【氏名】江端 宏之
【審査官】藤澤 雅樹
(56)【参考文献】
【文献】特開2015-163052(JP,A)
【文献】特開2017-055761(JP,A)
【文献】米国特許出願公開第2011/0189719(US,A1)
【文献】特開2017-046592(JP,A)
【文献】国際公開第2017/006942(WO,A1)
【文献】KIDOAKI S et al.,PLOS ONE,2013年,Vol.8, No.10 e78067,p.1-10
【文献】UEKI A et al.,Biomaterials,2015年,Vol.41,p.45-52
【文献】木戸秋悟,生物物理,2017年03月23日,Vol.57, No.3,p.135-139
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C12M 1/00-3/10
C12N 1/00-7/08
JSTPlus/JMEDPlus/JST7580(JDreamIII)
CAplus/MEDLINE/EMBASE/BIOSIS(STN)
PubMed
Google/Google Scholar
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
幹細胞を培養する培養基材であって、
互いに交差する複数の方向に沿って並んで延在する軟質領域と、
前記軟質領域によって区画された複数の硬質領域と、を有する表面部分を備え、
前記表面部分において、前記硬質領域は前記軟質領域に向かって突出する鋭角部を有し、
前記複数の硬質領域の少なくとも一つが三角形状であり、
前記幹細胞は、前記硬質領域の領域内に収容される形状に変形可能である、培養基材。
【請求項2】
前記硬質領域は前記軟質領域よりも高い圧縮弾性率を有する、請求項1に記載の培養基材。
【請求項3】
前記鋭角部は面取り形状を呈しており、その曲率半径が50μm以下である、請求項1又は2に記載の培養基材。
【請求項4】
前記硬質領域のそれぞれの面積が、5000~13000μmである、請求項1~のいずれか一項に記載の培養基材。
【請求項5】
前記硬質領域の圧縮弾性率が、前記軟質領域の圧縮弾性率の10倍以上である、請求項1~のいずれか一項に記載の培養基材。
【請求項6】
前記硬質領域の圧縮弾性率が30kPa以上である、請求項1~のいずれか一項に記載の培養基材。
【請求項7】
前記軟質領域が光重合性化合物を含む、請求項1~のいずれか一項に記載の培養基材。
【請求項8】
前記光重合性化合物が光硬化性スチレン化ゼラチンを含む、請求項に記載の培養基材。
【請求項9】
前記硬質領域は前記軟質領域よりも高い粘性率を有する、請求項1に記載の培養基材。
【請求項10】
前記鋭角部は面取り形状を呈しており、その曲率半径が50μm以下である、請求項に記載の培養基材。
【請求項11】
前記硬質領域のそれぞれの面積が、5000~13000μmである、請求項9又は10に記載の培養基材。
【請求項12】
支持体に、光重合性化合物と、光重合開始剤とを含む組成物層を形成する工程と、
前記組成物層にパターン状に光を照射して、請求項1~のいずれか一項に記載の培養基材を得る工程と、を有する、培養基材の製造方法。
【請求項13】
前記光重合性化合物が光硬化性スチレン化ゼラチンを含む、請求項12に記載の培養基材の製造方法。
【請求項14】
請求項1~11のいずれか一項に記載の培養基材上で幹細胞を培養する工程を含む、幹細胞の培養方法。
【請求項15】
幹細胞と、幹細胞を培養する培養基材とを有する培養装置であって、
前記培養基材は、
互いに交差する複数の方向に沿って並んで延在する軟質領域と、
前記軟質領域によって区画された複数の硬質領域と、を有する表面部分を備え、
前記表面部分において、前記硬質領域は前記軟質領域に向かって突出する鋭角部を有し、
前記幹細胞は、前記硬質領域の領域内に収容される形状に変形可能である、培養装置。
【請求項16】
前記硬質領域は前記軟質領域よりも高い圧縮弾性率を有する、請求項15に記載の培養装置。
【請求項17】
前記硬質領域は前記軟質領域よりも高い粘性率を有する、請求項15に記載の培養装置。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本開示は、培養基材、培養基材の製造方法、幹細胞の培養方法及び培養装置に関する。
【背景技術】
【0002】
幹細胞の分化系統の決定プロセスは、種々の要因によって影響を受ける。例えば、培養中における基材上での幹細胞の広がりが分化系統の決定に影響すること(例えば、非特許文献1)、培養中に幹細胞が受ける外部刺激(培養基材表面の化学特性及び力学特性等の違いによって細胞が受ける刺激)によって影響を受けること等が知られている。シャーレ上で幹細胞を培養する場合、幹細胞はシャーレからの一定の抗力を受け続けるため、その刺激の強さに応じて分化系統が決定されていくことがある。
【0003】
近年、幹細胞を未分化のまま培養するための基材及び培養方法が検討されている。例えば、特許文献1には、弾性可変ゲルの表面に細胞接着タンパク質を固定させてなる細胞培養基材を使用する人工多能性幹細胞の培養方法であって、弾性可変ゲルが1kPa超100MPa未満の弾性率を有することを特徴とする、培養方法が開示されている。
【0004】
また、硬質領域と軟質領域とを有するストライプパターンを設けた培養基材上で幹細胞を培養する方法が検討されている。基材上で硬質領域と軟質領域とを縦断するように幹細胞が自走することで、幹細胞が基材から受ける刺激を変動させ、分化系統の決定を阻害することが期待されている(例えば、非特許文献2等)。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0005】
【文献】特開2015-163052号公報
【非特許文献】
【0006】
【文献】Rowena McBeath,et al.,“Cell Shape, Cytoskeletal Tension, and RhoA Regulate Stem Cell Lineage Commitment,”Development Cell,2004,6,p.483-495
【文献】Satoru Kidoaki,Shuhei Jinnouchi,“Frustrated Differentiation of Mesenchymal Stem Cell Cultured on Microelastically-Patterned Photocurable Gelatinous Gels,”Biophysical Journal,2012,102,p.716a
【文献】Satoru Kidoaki,et al.,“Measurement of the Interaction Forces between Proteins and Iniferter-Based Graft-Polymerized Surfaces with an Atomic Force Microscope in Aqueous Media,”Langmuir 2001,17,p.1080-1087
【文献】Alimjan Idiris,Satoru Kidoaki,et al.,“Force Measurement for Antigen-Antibody Interaction by Atomic Force Microscopy Using a Photograft-Polymer Spacer,”Biomacromolecules,2005,6,p.2776-2784
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
しかしながら、上述のようなストライプパターンを設けた培養基材上で幹細胞を培養した場合であっても、幹細胞が基材上で硬質領域又は軟質領域の一方の領域上を移動するなど、幹細胞の運動に偏りが生じる。この運動の偏りによって、幹細胞の未分化状態を十分に維持したまま培養することが難しい場合がある。培養中の幹細胞が異なる領域間の移動を繰り返すように細胞が等方的に基材上を移動する培養基材があれば、有用であると考えられる。
【0008】
本開示は、幹細胞の基材表面における運動方向を等方的なものにすることが可能な培養基材、培養基材の製造方法及び幹細胞の培養方法を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0009】
本開示の一側面は、幹細胞を培養する培養基材であって、互いに交差する複数の方向に沿って並んで延在する軟質領域と、上記軟質領域によって区画された複数の硬質領域と、を有する表面部分を備え、上記表面部分において、上記硬質領域は上記軟質領域に向かって突出する鋭角部を有し、上記幹細胞は、上記硬質領域の領域内に収容される形状に変形可能である、培養基材を提供する。
【0010】
発明者らの検討によって、基材の表面上に硬質領域と軟質領域との2種類の領域がストライプ状に形成されているような従来の培養基材を用いた場合、培養の最中で、幹細胞が硬質領域に沿って移動する割合が多いことが判明した。これは、細胞は硬質領域上を好んで移動するという細胞走性(正のDurotaxis)を有していることと関係していると推測される。すなわち、従来の培養基材を用いた場合、幹細胞が、軟質領域上と硬質領域上とを行き来するような移動が少なく、幹細胞が受ける外部刺激が単一なものになりやすい傾向にあることが、新たに見いだされた。
【0011】
上記培養基材は、表面に軟質領域と硬質領域とを有し、上記硬質領域が上記軟質領域によって区画されていることで、培養の際中で幹細胞が硬質領域のみを選んで移動することを抑制することができる。また、培養基材の表面上で、硬質領域が軟質領域に向かって突出する鋭角部を有することによって、当該部分において、細胞が硬質領域から軟質領域へ移動する負のDurotaxisを引き出すことができる。これらの作用によって、培養基材の表面上における幹細胞の移動の偏り(硬質領域上を好んで幹細胞が移動すること)を抑制することが可能となる。硬質領域及び軟質領域の上を移動させることで、幹細胞が感じる機械的な刺激を培養期間に亘って高い頻度で変動させることができる。
【0012】
本開示は一側面において、幹細胞を培養する培養基材であって、互いに交差する複数の方向に沿って並んで延在する軟質領域と、上記軟質領域によって区画された、上記軟質領域よりも高い圧縮弾性率を有する複数の硬質領域と、を有する表面部分を備え、上記表面部分において、上記硬質領域は上記軟質領域に向かって突出する鋭角部を有し、上記幹細胞は、上記硬質領域の領域内に収容される形状に変形可能である、培養基材を提供する。
【0013】
上記培養基材は、圧縮弾性率の異なる領域を有する表面を備え、且つ圧縮弾性率の高い硬質領域が軟質領域によって区画されているため、培養される細胞が硬質領域のみを選んで移動することを抑制することができる。また、培養基材の表面上で、硬質領域が軟質領域に向かって突出する鋭角部を有することによって、当該部分において、細胞が硬質領域から軟質領域へ移動する負のDurotaxisを引き出すことができる。これらの作用によって、培養基材の表面上における幹細胞の移動の偏り(硬質領域上を好んで幹細胞が移動すること)を抑制することが可能となり、硬質領域及び軟質領域の上を移動させることで、幹細胞が感じる機械的な刺激を培養期間に亘って高い頻度で変動させることができる。したがって、上記培養基材を用いて幹細胞を培養することによって、培養履歴が幹細胞に蓄積されることを抑制でき、未分化状態を十分に維持したまま幹細胞を培養し得る。
【0014】
上記鋭角部は面取り形状を呈しており、その曲率半径が50μm以下であってよい。鋭角部の曲率半径が上記範囲内となることによって、幹細胞の硬質領域から軟質領域への移動をより促進することができ、培養基材上での幹細胞の移動をより一層等方的なものにすることができる。
【0015】
上記複数の硬質領域の少なくとも一つは三角形状であってもよい。硬質領域の少なくとも一つが三角形状であることによって、硬質領域が有する鋭角部(三角形の頂点付近に相当)における幹細胞の硬質領域から軟質領域への移動の頻度と、硬質領域の平坦部(三角形の辺付近に相当)における幹細胞の軟質領域から硬質領域への移動の頻度とを同等なものにできる。
【0016】
上記硬質領域のそれぞれの面積が、5000~13000μmであってもよい。硬質領域の面積を上記範囲内とすることで、各種幹細胞のサイズに対応した培養基材を調製することができる。硬質領域の面積を上記範囲内とすることで、硬質領域上における幹細胞の運動割合と、軟質領域上における幹細胞の運動割合との偏りをより一層低減することができる。
【0017】
上記硬質領域の圧縮弾性率が、上記軟質領域の圧縮弾性率の10倍以上であってよい。硬質領域の圧縮弾性率を上記範囲内とすることで、硬質領域からの刺激と軟質領域からの刺激との差を幹細胞が認識しやすくなり、分化系統の決定(以下、分化偏向という場合もある)をより阻害することが可能な培養基材とすることができる。
【0018】
上記硬質領域の圧縮弾性率が30kPa以上であってよい。幹細胞の分化系統の決定に関与する転写共役因子の細胞核内への移行が、幹細胞が受ける基材からの刺激によって引き起こされる場合がある。硬質領域の圧縮弾性率が上記範囲であることによって、硬質領域上で、種々の転写共役因子の細胞核内への一時的な移行をより促進することができる。軟質領域上では上記転写共役因子の細胞核内への移行を促進することがないため、上記硬質領域上と上記軟質領域上とでは、幹細胞内での反応、すなわち、転写共役因子によって促進される核内遺伝子代謝反応が、質及び量的に異なる。硬質領域の圧縮弾性率を上記範囲とすることによって、硬質領域及び軟質領域それぞれからの幹細胞への刺激を調整することができ、当該刺激に伴う細胞内の生物学的反応を、明確に異なる性質のものとすることができる。すなわち、硬質領域の圧縮弾性率を上記範囲とすることによって、特定の方向への幹細胞の分化偏向をより十分に阻止し得る。
【0019】
上記軟質領域が光重合性化合物を含んでもよく、また、上記光重合性化合物が光硬化性スチレン化ゼラチンを含んでもよい。
【0020】
本開示は一側面において、幹細胞を培養する培養基材であって、互いに交差する複数の方向に沿って並んで延在する軟質領域と、上記軟質領域によって区画された、上記軟質領域よりも高い粘性率を有する複数の硬質領域と、を有する表面部分を備え、上記表面部分において、上記硬質領域は上記軟質領域に向かって突出する鋭角部を有し、上記幹細胞は、上記硬質領域の領域内に収容される形状に変形可能である、培養基材を提供する。
【0021】
上記培養基材は、粘性率の異なる領域を有する表面を備え、且つ粘性率の高い硬質領域が軟質領域によって区画されているため、培養される細胞が硬質領域のみを選んで移動することを抑制することができる。また、培養基材の表面上で、硬質領域が軟質領域に向かって突出する鋭角部を有することによって、当該部分において、細胞が硬質領域から軟質領域へ移動する負のDurotaxisを引き出すことができる。これらの作用によって、培養基材の表面上における幹細胞の移動の偏り(硬質領域上を好んで幹細胞が移動すること)を抑制することが可能となり、硬質領域及び軟質領域の上を移動させることで、幹細胞が感じる機械的な刺激を培養期間に亘って高い頻度で変動させることができる。したがって、上記培養基材を用いて幹細胞を培養することによって、培養履歴が幹細胞に蓄積されることを抑制でき、未分化状態を十分に維持したまま幹細胞を培養し得る。
【0022】
上記鋭角部は面取り形状を呈しており、その曲率半径が50μm以下であってよい。鋭角部の曲率半径が上記範囲内となることによって、幹細胞の硬質領域から軟質領域への移動をより促進することができ、培養基材上での幹細胞の移動をより一層等方的なものにすることができる。
【0023】
上記複数の硬質領域の少なくとも一つは三角形状であってもよい。硬質領域の少なくとも一つが三角形状であることによって、硬質領域が有する鋭角部(三角形の頂点付近に相当)における幹細胞の硬質領域から軟質領域への移動の頻度と、硬質領域の平坦部(三角形の辺付近に相当)における幹細胞の軟質領域から硬質領域への移動の頻度とを同等なものにできる。
【0024】
上記硬質領域のそれぞれの面積が、5000~13000μmであってもよい。硬質領域の面積を上記範囲内とすることで、各種幹細胞のサイズに対応した培養基材を調製することができる。硬質領域の面積を上記範囲内とすることで、硬質領域上における幹細胞の運動割合と、軟質領域上における幹細胞の運動割合との偏りをより一層低減することができる。
【0025】
本開示は一側面において、支持体に、光重合性化合物と、光重合開始剤とを含む組成物層を形成する工程と、上記組成物層にパターン状に光を照射して、上述の培養基材を得る工程と、を有する、培養基材の製造方法を提供する。
【0026】
上記培養基材の製造方法は、組成物層にパターン状に光を照射することによって、培養基材の表面に圧縮弾性率の異なる領域を形成する。この際、圧縮弾性率の高い硬質領域が軟質領域によって区画されるように、且つ、培養基材の表面上で、硬質領域が軟質領域に向かって突出する鋭角部を有するように、光照射領域を制御することで、上述の培養基材を製造することができる。製造される培養基材は、上述の培養基材の特徴を備え、その作用によって、培養基材の表面上で幹細胞の移動の偏り(硬質領域上を好んで幹細胞が移動すること)を抑制することが可能である。したがって、上記培養基材の製造方法は、幹細胞に培養履歴が蓄積されることを抑制し、未分化の状態を十分に維持したまま幹細胞を培養し得る基材を提供することができる。
【0027】
上記光重合性化合物は光硬化性スチレン化ゼラチンを含んでもよい。
【0028】
本開示は一側面において、上述の培養基材上で幹細胞を培養する工程を含む、幹細胞の培養方法を提供する。
【0029】
上記幹細胞の培養方法は、上述の培養基材を使用することによって、動物血清等から調製され、供給される未知・未定義の分化抑制因子を使用せずとも、未分化の状態を十分に維持したまま幹細胞を培養し得る。間葉系幹細胞の場合、分化を効果的に抑制する分化抑制因子、並びに、未分化性及び多能性の維持に関わる分化増殖因子が確立されていない。従来、通常の細胞培養皿と標準的な培地を用いた幹細胞の培養においては、幹細胞の保守に効果的と考えられる因子を、培養の度に選択して添加することが行われている。上記幹細胞の培養方法においては、動物血清等に由来する成分を選択して使用する必要もなく、さらには基材からの刺激が培養中の幹細胞に蓄積されていくことを回避することも可能である。このため、得られる増殖された幹細胞の品質、及び安全性等を向上させることができる。本実施形態に係る幹細胞の培養方法によって培養された幹細胞は、未分化状態を維持しつつ、品質の安定したものとなり得るため、研究用、及び再生医療用の幹細胞として有用となり得る。
【0030】
本開示の一側面は、幹細胞と、幹細胞を培養する培養基材とを有する培養装置であって、上記培養基材は、互いに交差する複数の方向に沿って並んで延在する軟質領域と、上記軟質領域によって区画された複数の硬質領域と、を有する表面部分を備え、上記表面部分において、上記硬質領域は上記軟質領域に向かって突出する鋭角部を有し、上記幹細胞は、上記硬質領域の領域内に収容される形状に変形可能である、培養装置を提供する。
【0031】
上記培養基材は、表面に軟質領域と硬質領域とを有し、上記硬質領域が上記軟質領域によって区画されていることで、培養の際中で幹細胞が硬質領域のみを選んで移動することを抑制することができる。また、培養基材の表面上で、硬質領域が軟質領域に向かって突出する鋭角部を有することによって、当該部分において、細胞が硬質領域から軟質領域へ移動する負のDurotaxisを引き出すことができる。これらの作用によって、培養基材の表面上における幹細胞の移動の偏り(硬質領域上を好んで幹細胞が移動すること)を抑制することが可能となる。硬質領域及び軟質領域の上を移動させることで、幹細胞が感じる機械的な刺激を培養期間に亘って高い頻度で変動させることができる。
【0032】
上記硬質領域は上記軟質領域よりも高い圧縮弾性率を有してもよい。硬質領域と軟質領域とで圧縮弾性率を上記のような関係とすることによって、硬質領域からの刺激と軟質領域からの刺激との差を幹細胞がより認識しやすいものとなり得る。
【0033】
上記硬質領域は上記軟質領域よりも高い粘性率を有してもよい。硬質領域と軟質領域とで粘性率を上記のような関係とすることによって、硬質領域からの刺激と軟質領域からの刺激との差を幹細胞がより認識しやすいものとなり得る。
【発明の効果】
【0034】
本開示によれば、幹細胞の基材表面における運動方向を等方的なものにすることが可能な培養基材、培養基材の製造方法及び幹細胞の培養方法を提供することができる。
【0035】
従来の基材では、表面に軟質領域と硬質領域とを有する(非一様な軟硬質区画を有する、ともいう)場合、培養される幹細胞の運動の方向に偏りを生じさせていた。これに対して、本開示によれば、非一様な軟硬質区画を有し、当該表面上で培養される幹細胞の運動を等方的なものとすることが可能な培養基材、培養基材の製造方法及び幹細胞の培養方法を提供することができる。
【図面の簡単な説明】
【0036】
図1図1は、培養基材の一実施形態の一部分を示す模式図である。
図2図2は、実施例1で用いたフォトマスクの模式図である。
図3図3は、実施例1における培養性能の評価状況の一部を示す図である。
図4図4は、培養中の幹細胞の運動傾向を示すグラフである。
図5図5は、培養中に幹細胞が硬質領域及び軟質領域上に滞在した時間を示すグラフである。
図6図6は、培養中に幹細胞が硬質領域及び軟質領域上に滞在した平均時間を示すグラフである。
図7図7は、比較例1で用いたフォトマスクの模式図である。
図8図8は、培養中の幹細胞の運動傾向を示すグラフである。
図9図9は、培養中に幹細胞が硬質領域及び軟質領域上に滞在した時間を示すグラフである。
図10図10は、培養中に幹細胞が硬質領域及び軟質領域上に滞在した平均時間を示すグラフである。
図11図11は、培養基材上の幹細胞内部におけるYAPの局在を示す蛍光顕微鏡写真を示す図である。
図12図12は、培養基材上の幹細胞内部におけるYAPの局在を評価した結果を示すグラフである。
図13図13は、培養基材上における幹細胞に対して分化誘導をかけた結果を示す図である。
図14図14は、培養後に回収された幹細胞に対して分化誘導をかけた結果を示す図である。
図15図15は、培養後に回収された幹細胞に対して分化誘導をかけた結果を示すグラフである。
図16図16は、培養後に回収された幹細胞において活性化された遺伝子の位置を示す図である。
図17図17は、培養時間と培養基材上における幹細胞の細胞密度との関係を示す図である。
図18図18は、培養時間と培養基材上における幹細胞の細胞密度との関係を示すグラフである。
図19図19は、培養中の幹細胞の運動速度の分布を示すグラフである。
【発明を実施するための形態】
【0037】
以下、場合によって図面を参照して、本開示の実施形態について説明する。ただし、以下の実施形態は、本開示を説明するための例示であり、本開示を以下の内容に限定する趣旨ではない。上下左右等の位置関係は、特に断らない限り、図面に示す位置関係に基づくものとする。各要素の寸法比率は図面に図示された比率に限られるものではない。
【0038】
<培養基材>
培養基材の一実施形態は、幹細胞を培養する培養基材であって、互いに交差する複数の方向に沿って並んで延在する軟質領域と、上記軟質領域によって区画された複数の硬質領域と、を有する表面部分を備える。上記表面部分において、上記硬質領域は上記軟質領域に向かって突出する鋭角部を有し、上記幹細胞は、上記硬質領域の領域内に収容される形状に変形可能である。
【0039】
図1は、培養基材の一実施形態の一部分を示す模式図である。図1に示す培養基材100は、互いに交差する複数の方向に沿って並んで延在する軟質領域10と、軟質領域10によって区画された複数の硬質領域20と、を有する表面50を備える。表面50において、硬質領域20は軟質領域10に向かって突出する鋭角部22を有している。図1においては、幹細胞Cが硬質領域20の領域内に収容されている状態を示している。すなわち、硬質領域20の面積が、幹細胞Cを収容できるような面積であることを示している。
【0040】
硬質領域20は軟質領域10よりも高い圧縮弾性率を有してもよい。培養基材100の表面50が圧縮弾性率の異なる複数の領域を備えることによって、培養される細胞が上記複数の領域を移動する際に受ける刺激を変化させることが可能である。すなわち、培養基材100上で培養される細胞が感じる機械的な刺激を培養期間に亘って高い頻度で変動させることができる。硬質領域20の圧縮弾性率は、軟質領域10の圧縮弾性率の10倍以上、12倍以上、又は15倍以上であってよい。硬質領域20の圧縮弾性率は、軟質領域10の圧縮弾性率の30倍以下、又は20倍以下であってよい。硬質領域20の圧縮弾性率を上記範囲内とすることで、硬質領域20からの刺激と軟質領域10からの刺激との差を幹細胞がより認識しやすいものとなり得る。幹細胞が受ける刺激を培養期間に亘って高い頻度で変動させることで、幹細胞の未分化状態をより十分に維持し得る。
【0041】
硬質領域20及び軟質領域10の圧縮弾性率は、例えば、以下のように決定することができる。例えば、ヒト間葉系幹細胞(hMSC)の培養を想定して説明する。hMSCの場合、hMSCが基材から受ける刺激によってYAPの細胞核への移行が影響を受けることを利用して、硬質領域20及び軟質領域10それぞれの適切な圧縮弾性率を決定してもよい。すなわち、hMSCを培養するための培養基材における硬質領域20及び軟質領域10それぞれの適切な圧縮弾性率は、hMSCの分化系統の決定に関与することが知られている転写活性化補助因子YAPの細胞内挙動を観測することで決定できる。まず、圧縮弾性率が異なる培養基材を複数用意し、それぞれの培養基材上でhMSCの培養を行い、細胞内でYAPが局在している箇所を特定する。このような観測を行うことで、YAPが細胞核に移行するか、細胞質内にとどまるかに関する、基材の圧縮弾性率の閾値を決定する。そして、決定された閾値を跨ぐように、硬質領域20の圧縮弾性率及び軟質領域10の圧縮弾性率を決定することができる。上記の例では、YAPの細胞内挙動を根拠として硬質領域20及び軟質領域10の圧縮弾性率を決定しているが、対象とする幹細胞等によって、他の因子に着目してもよい。他の因子としては、細胞核への移行が基材の硬さに応じた影響を受けると知られているタンパク質等を採用することができ、例えば、TAZ、及びRUNX2等を挙げることができる。
【0042】
硬質領域20の圧縮弾性率は、培養対象となる幹細胞の種類、及び分化のステージ等によって調整することができる。硬質領域20の圧縮弾性率は、例えば、30kPa以上、40kPa以上、又は50kPa以上であってよく、100kPa以下であってよい。軟質領域10の圧縮弾性率は、例えば、30kPa未満、20kPa以下、又は10kPa以下であってよく、5kPa以上であってよい。本明細書において、圧縮弾性率は、原子間力顕微鏡(AFM)を用いて測定される基材表面の圧縮弾性率を意味し、AFMのカンチレバーを基材表面に押込み、基材が圧縮された際に測定される圧縮弾性率である。
【0043】
硬質領域20は、培養基材100の表面50上で軟質領域10によって複数の領域に区画されている。硬質領域20は、軟質領域10に向かって突出する鋭角部22を有している。硬質領域20の鋭角部22は面取り形状を呈していてもよい。面取り形状を呈する鋭角部22における曲率半径は、例えば、50μm以下、45μm以下、又は40μm以下であってよい。硬質領域20の形状は、例えば、三角形、平行四辺形、ひし形及び星形等であってよく、複数に区画された硬質領域20の少なくとも一つは三角形状であってよい。
【0044】
硬質領域20の一辺の長さは、例えば、100μm以上、130μm以上、又は150μm以上であってよく、300μm以下、又は250μm以下であってよい。隣り合う硬質領域20において、鋭角部22同士の間の距離(例えば、三角形状の場合、対向する2つの三角形状領域の頂点間の距離)は、例えば、200μm以下、150μm以下、又は120μm以下であってよく、80μm以上、又は100μm以上であってよい。
【0045】
幹細胞Cの形状は一定でなく変形可能である。幹細胞が、例えば、硬質領域の領域内に収容されず、複数の硬質領域及び軟質領域にまたがるような形状である場合、基材の硬質領域及び軟質領域からの幹細胞が受ける刺激は平均化され、一定の刺激を受けることと同様になる。そのため、幹細胞が硬質領域の領域内に収容される形状に変形可能でない場合には、幹細胞が受ける刺激を培養期間に亘って高い頻度で変動させることが難しい。上記培養基材100は、硬質領域20の領域内に収容可能な大きさになるように変形可能な幹細胞の培養に用いられる。換言すれば、上記培養基材100における硬質領域20の面積は、培養する対象となる幹細胞Cのサイズに応じて調整してよく、幹細胞Cが変形した際の少なくとも一態様が硬質領域20の面積内に収まるように調整してもよい。幹細胞Cの形状(面積)は、例えば、13000μm以下の範囲内であり、光学顕微鏡観察等を用いた観察によって確認することができる。
【0046】
硬質領域20の面積は、5000~13000μmであってもよく、5000~10000μmであってもよい。硬質領域20の面積を上記範囲内とすることで、各種幹細胞のサイズに対応した培養基材を調製することができる。硬質領域20の面積は、光学顕微鏡観察等を用いた観察によって確認することができる。
【0047】
培養基材100の表面50は、例えば、高分子化合物を含有する組成物又はその加工物(例えば、硬化物)を含んでもよく、高分子化合物又はその加工物を含んでもよい。高分子化合物としては、例えば、天然由来の高分子、及び合成高分子等が挙げられる。高分子化合物は、複数の高分子を組み合わせて用いてもよい。高分子化合物又はその加工物の形態としては、高分子ゲル、高分子濃厚溶液ゾル、エラストマー、ナノマイクロファイバー、及び不織布等が挙げられる。培養基材100の表面50は、複数の形態の高分子化合物等を組み合わせて用いてもよい。また、培養基材100は、上述の高分子化合物を含有する組成物又はその加工物(例えば、硬化物)で構成されていてもよい。
【0048】
天然由来の高分子としては、例えば、コラーゲン、ゼラチン、キチン、キトサン、アルギン酸、及びヒアルロン酸等の生物由来の生体高分子などが挙げられる。合成高分子は、単独重合体であってよく、共重合体であってもよい。共重合体としては、例えば、ランダム共重合体、交互共重合体、ブロック共重合体及びグラフト共重合体等が挙げられる。合成高分子としては、具体的には、ポリアクリルアミド、ポリエチレングルコールジアクリレート、ポリジメチルシロキサン、セグメント化ポリウレタン、含フッ素セグメント化ポリウレタン、ポリジメチルシロキサン、ポリジメチルシロキサン-ポリカーボネートブロックコポリマー、完全ケン化ポリビニルアルコール性含水ゴム、イソプレンゴム、ブタジエンゴム、エチレン-プロピレンゴム、スチレン-ブタジエンゴム、アクリロニトリル-ブタジエンゴム、及びスチレン-ブタジエン-スチレンブロック共重合体等の合成高分子などが挙げられる。高分子化合物としては、例えば、上記天然由来の高分子及び合成高分子に、架橋性官能基(例えば、光重合性官能基)を更に導入した変性体であってもよい。架橋性官能基を有する変性体を用いることによって、架橋密度を制御して圧縮弾性率をより容易に調整することができる。合成高分子がグラフト共重合体である場合、グラフト部の構造、及び分子量等を調整することによって、培養基材表面の粘性率をより容易に調整することができる。上述の高分子は、1種を単独で用いてもよく、2種以上を組み合わせて用いてもよい。
【0049】
培養基材の一例として、互いに交差する複数の方向に沿って並んで延在する軟質領域と、軟質領域によって区画された、軟質領域よりも高い圧縮弾性率を有する複数の硬質領域と、を有する表面部分を備え、表面において培養する細胞が、硬質領域と軟質領域との間を等方的に移動するように硬質領域と軟質領域が配置されていることを特徴とする、培養基材を挙げることができる。
【0050】
<培養基材の製造方法>
培養基材の製造方法の一実施形態は、支持体に、光重合性化合物と、光重合開始剤とを含む組成物層を形成する工程と、上記組成物層にパターン状に光を照射して、上述の培養基材を得る工程と、を有する。本製造方法においては、必要に応じて、支持体をはく離する工程を有していてもよい。
【0051】
上記製造方法において、上記組成物層にパターン状に光を照射する際に、培養基材の表面に圧縮弾性率の異なる領域を形成する。この際、圧縮弾性率の高い硬質領域が軟質領域によって区画されるように、且つ、培養基材の表面上で、硬質領域が軟質領域に向かって突出する鋭角部を有するように、光照射領域を制御することで、上述の培養基材100を製造することができる。
【0052】
上述の製造方法では、まず、支持体上に組成物層を形成する。組成物層の形成方法としては、例えば、光重合性化合物及び光重合開始剤を含む組成物を塗布する方法等が挙げられる。上記組成物を溶媒(例えば、水等)に溶解させて溶液(例えば、水溶液等)又は分散液を調製し、この溶液等を支持体上に塗布することで組成物層を形成してもよく、その後、必要に応じて、さらに溶媒を除去することで組成物層を形成してもよい。組成物層の厚みは、例えば、10~50μmであってよい。
【0053】
支持体としては、例えば、ガラス基材、及びプラスチック基材等を使用することができる。上記支持体は、例えば、離形処理、及びコーティング処理等の表面処理が施されたものであってもよい。コーティング処理は、例えば、温度応答性高分子からなるコーティングを支持体上に設ける処理等が挙げられる。温度応答性高分子としては、例えば、ポリ(N-イソプロピルアクリルアミド)(pNIPAAm)等が挙げられる。温度応答性高分子をコーティングすることで、形成された培養基材から支持体をはく離することが容易となる。
【0054】
上記組成物層は、光重合性化合物と、光重合開始剤とを含む組成物から形成される。光重合性化合物は、光重合性の官能基を有する化合物であり、例えば、コラーゲン、ゼラチン、キチン、キトサン、アルギン酸、及びヒアルロン酸等の生物由来の生体高分子に光重合性官能基を導入した化合物、アクリルアミド、及びエチレングルコールジアクリレート等のアクリル系モノマー、エチレン、プロピレン、ブタジエン、イソプレン、スチレン、酢酸ビニル等のビニル系モノマー、並びに、ジメチルシロキサン等のシラン化合物などを挙げることができる。上記のアクリル系モノマー、ビニル系モノマー及びシラン化合物は、光重合性の官能基を有していれば、その重合体を光重合性化合物として用いてもよい。上述の光重合性化合物は、1種を単独で用いてもよく、2種以上を組み合わせて用いてもよい。
【0055】
生体高分子に導入する光重合性官能基としては、例えば、ビニル基、アリル基、スチリル基、及び(メタ)アクリロイル基等のエチレン性不飽和基等が挙げられる。生体高分子に導入する光重合性官能基は、複数であってよく、また1種に限らず、複数種の官能基であってもよい。光重合性官能基の導入率は、例えば、生体高分子が有する反応性官能基(例えば、ゼラチンの場合はアミノ基等)全量に対して、80~100%であってよい。光重合性官能基の導入率が上記範囲内であることによって、培養基材の圧縮弾性率の制御がより容易なものにできる。
【0056】
光重合性化合物は、好ましくは光重合性官能基を導入したゼラチン(光硬化性ゼラチン)を含む。光硬化性ゼラチンは、例えば、ゼラチンが有する種々のアミノ酸残基の官能基に対して、光重合性官能基を導入したもの等が挙げられる。このような光硬化性ゼラチンとしては、例えば、スチリル基を導入したゼラチン(光硬化性スチレン化ゼラチンともいう)等が挙げられる。
【0057】
上記光硬化性ゼラチンは、縮合剤であるカルボジイミド類の存在下で、ゼラチンと、光重合性官能基を有する化合物(例えば、4-ビニル安息香酸等)とを反応させることによって調製することができる。ゼラチンと光重合性官能基を有する化合物との反応には、縮合剤を用いてもよい。縮合剤としては、例えば、カルボジイミド類を用いることができる。カルボジイミド類としては、例えば、ジシクロヘキシルカルボジイミド(DCC)、ジエチルカルボジイミド、ジイソプロピルカルボジイミド(DIC)、エチルシクロヘキシルカルボジイミド、ジフェニルカルボジイミド、1-エチル-3-(3-ジメチルアミノプロピル)カルボジイミド塩酸塩(EDC)、及び1-シクロヘキシル-3-(3-ジメチルアミノプロピル)カルボジイミド塩酸塩等を挙げることができる。上述の縮合剤は、1種を単独で用いてもよく、2種以上を組み合わせて用いてもよい
【0058】
光重合性化合物が上記生体高分子又は重合体である場合、光重合性化合物の重量平均分子量は、例えば、95,000~105,000であってよい。光重合性化合物の重量平均分子量が、上記範囲内であることによって、培養基材の圧縮弾性率の制御をより容易なものにできる。なお、本明細書において重量平均分子量は、ゲルパーミエーションクロマトグラフィーにより測定される値であり、ポリスチレン換算値で示す。
【0059】
光重合開始剤としては、例えば、カンファーキノン、アセトフェノン、ベンゾフェノン、ジメトキシフェニルアセトフェノン等のカルボニル化合物及びそれらの誘導体;ジチオカルバメート、キサントゲン酸塩、チオフェノール等の硫黄化合物及びそれらの誘導体;過酸化ベンゾイル、ブチルペルオキシド等の過酸化物及びそれらの誘導体;アゾビスイソブチロニトリル、アゾビスイソ酪酸エステル等のアゾビス化合物及びそれらの誘導体;ブロモプロパン、クロロメチルナフタレン等のハロゲン化合物及びそれらの誘導体;フェニルアジド等のアジド化合物及びそれらの誘導体;ローダミン、エリトロン、フルオレセイン、エオシン等のキサンテン系色素及びそれらの誘導体;リボフラビン及びそれらの誘導体等が挙げられる。光重合開始剤は1種を単独で用いてもよく、又は2種以上を組み合わせて用いてもよい。これらの光重合開始剤は、生体安全性に優れる観点から、好ましくはカンファーキノンを含み、より好ましくはスルホニルカンファーキノンを含む。光重合開始剤は、光重合性化合物の総質量を基準として、例えば、0.01~10質量%、又は0.1~3質量%であってよい。
【0060】
上記光重合性化合物及び光重合開始剤は、水溶液に溶解させて用いてもよい。水溶液としては、幹細胞が生存し得る水溶液を使用することができ、例えば、リンガー溶液、ロック溶液等の生理的塩類溶液、リン酸緩衝溶液、タイロート液、ハンクス液、アール液、ヘペス液等の平衡塩類溶液等が挙げられる。水溶液を使用する場合、光重合性化合物の濃度は、水溶液の総質量を基準として、20~50質量%、又は25~30質量%であってよい。
【0061】
上記水溶液には、培養する幹細胞が増殖するために必要な栄養成分を添加していてもよい。栄養成分としては、例えば、ナトリウム(Na)、カリウム(K)、カルシウム(Ca)、マグネシウム(Mg)、リン(P)及び塩素(Cl)等のミネラル、アミノ酸、ビタミン、糖、脂肪、並びに成長因子等が挙げられる。これらの栄養成分は幹細胞の種類等に応じて適宜選択及び組み合わせて用いることができる。
【0062】
次に、上記組成物層にパターン状に光を照射して、上述の培養基材を得る。上記組成物層に光を照射することによって、例えば、光照射を受けた部分の上記組成物層が硬化し、圧縮弾性率の高い硬質領域が形成される。光が照射されなかった部分の上記組成物層では硬化反応が進行せず、圧縮弾性率の低い軟質領域となる。組成物層への光照射は、ネガマスクパターン又はポジマスクパターンを通して行い、これによってパターン状に組成物層へ光を照射することが可能となる。マスクパターンの選択によって、基材表面の軟質領域及び硬質領域の形状を調整することができる。
【0063】
上記培養基材の製造方法においては、高分子化合物の種類等によって、光照射を複数回に分けて行うこともできる。例えば、上記組成物層の全面に光を照射する第一の光照射工程と、第一の光照射工程で光照射を受けた上記組成物層に、パターン状に光照射して、上述の培養基材を得る第二の光照射工程とを行ってもよい。上記組成物層に第一段階として全面に一様な光を短時間照射して基底ゲル層を構築したのち、第二段階としてパターン状に光を照射して、上述の培養基材を得る。上記組成物層にこの二段階目の光照射を施すことによって、二段階目の光照射を受けた部分において上記組成物層が、二段階目の光照射を受けない部分(未照射部分)に比べて硬化がより進行して、圧縮弾性率の高い硬質領域が形成される。二段階目の光照射がされなかった部分の上記組成物層では、追加の硬化反応が進行せず、圧縮弾性率の低い軟質領域となる。
【0064】
光照射に用いる光源としては、例えば、ハロゲンランプ、キセノンランプ、白熱ランプ、水銀ランプ、エキシマレーザー、及びアルゴンイオンレーザー等が挙げられる。照射光の波長は、例えば、300~800nmであってよい。光照射の露光量は、例えば、10~300mW/cm、又は10~100mW/cmであってよい。光照射の時間は、例えば、0.5~10分間程度であってよい。光の波長、露光量、及び照射時間等の条件は、光重合性化合物及び光重合開始剤の種類、並びに硬質領域の圧縮弾性率の設定値等によって、適宜調整することができる。
【0065】
溶液(例えば、水溶液)又は分散液の塗膜として組成物層を形成した場合には、組成物層の硬化の進行に伴って形成される高分子の網目構造に周囲の溶媒が取り込まれ膨潤することによってゲルが形成される。上記光硬化性ゼラチンは、硬化の進行に伴って、ゼラチンの架橋密度が増加するとともに、形成されるゲルの膨潤度が減少する。これによって、形成される硬質領域の圧縮弾性率が上昇する。
【0066】
培養基材の別の実施形態は、幹細胞を培養する培養基材であって、互いに交差する複数の方向に沿って並んで延在する軟質領域と、上記軟質領域によって区画された、上記軟質領域よりも高い粘性率を有する複数の硬質領域と、を有する表面部分を備える。上記表面部分において、上記硬質領域は上記軟質領域に向かって突出する鋭角部を有し、上記幹細胞は、上記硬質領域の領域内に収容される形状に変形可能である。
【0067】
本願明細書における「粘性率」とは、粘弾性体に対して一般的に定義される粘性係数を意味し、任意の平板を用いて当該粘弾性体に水平方向に剪断流を負荷した場合に得られる剪断応力を剪断速度勾配で除した数値である。本明細書における「粘性率」は、培養基材に設けられた表面部分を構成する物質層に対する原子間力顕微鏡(AFM)を用いた水平摩擦力測定法によって測定することができる。AFMのカンチレバーを上記物質層に対して水平に走査し、カンチレバーの水平方向のねじれから物質層が示す剪断応力としての摩擦力を測定する。その後、カンチレバーの走査速度、すなわち剪断速度は設定値として、得られる剪断応力と剪断速度勾配から粘性率を算出できる。
【0068】
硬質領域は軟質領域よりも高い粘性率を有してもよい。培養基材の表面が粘性率の異なる複数の領域を備えることによって、培養される細胞が上記複数の領域を移動する際に、細胞が基材表面から受ける刺激を変化させることが可能である。すなわち、培養基材上で培養される細胞が感じる機械的な刺激を培養期間に亘って高い頻度で変動させることができる。硬質領域の粘性率は、軟質領域の粘性率の10倍以上、100倍以上、又は1000倍以上であってよい。軟質領域の粘性率は、硬質領域の粘性率の10000倍以下、又は5000倍以下であってよい。硬質領域の粘性率を上記範囲内とすることで、硬質領域からの刺激と軟質領域からの刺激との差を幹細胞がより認識しやすいものとなり得る。幹細胞が受ける刺激を培養期間に亘って高い頻度で変動させることで、幹細胞の未分化状態をより十分に維持し得る。
【0069】
硬質領域の粘性率は、培養対象となる幹細胞の種類、及び分化のステージ等によって調整することができる。
【0070】
硬質領域及び軟質領域の粘性率は、例えば、以下のように決定することができる。例えば、ヒト間葉系幹細胞(hMSC)の培養を想定して説明する。hMSCの場合、hMSCが基材から受ける刺激によってYAPの細胞核への移行が影響を受けることを利用して、硬質領域及び軟質領域それぞれの適切な粘性率を決定してもよい。すなわち、hMSCを培養するための培養基材における硬質領域及び軟質領域それぞれの適切な粘性率は、hMSCの分化系統の決定に関与することが知られている転写活性化補助因子YAPの細胞内挙動を観測することで決定できる。まず、粘性率が異なる培養基材を複数用意し、それぞれの培養基材上でhMSCの培養を行い、細胞内でYAPが局在している箇所を特定する。このような観測を行うことで、YAPが細胞核に移行するか、細胞質内にとどまるかに関する、基材の粘性率の閾値を決定する。そして、決定された閾値を跨ぐように、硬質領域の粘性率及び軟質領域の粘性率を決定することができる。上記の例では、YAPの細胞内挙動を根拠として硬質領域及び軟質領域の粘性率を決定しているが、対象とする幹細胞等によって、他の因子に着目してもよい。他の因子としては、細胞核への移行が基材からの刺激に応じた影響を受けると知られているタンパク質等を採用することができ、例えば、TAZ、及びRUNX2等を挙げることができる。
【0071】
<培養基材の製造方法>
培養基材の製造方法の一実施形態は、支持体に光反応性ラジカル重合開始剤を表面固定する工程と、上記支持体上に光重合性官能基を有する化合物を含有する層を設け、上記層にパターン状に光照射する工程と、を有する。上記層は、例えば、ビニル基を有する化合物を含有する溶液を含む層であってよい。光照射する工程は、例えば、フォトマスクを介した光照射によって、光照射部における上記光重合成官能基を有する化合物を、上記光反応性ラジカル重合開始剤を始点としてグラフト重合し、グラフト重合層を得る工程であってよい。上記光照射する工程によって、例えば、支持体表面にグラフト重合体が形成された部分(光重合層形成部)と、支持体表面の部分(非光重合形成部)とを形成することができ、硬質領域と軟質領域とを形成することができる。光照射は、複数回に分けて行ってもよい。このような場合、まず一回目の光照射によって支持体表面上にグラフト重合体を一様に形成し、その後、二回目の光照射を、フォトマスクを介した光照射とすることで、グラフト鎖の長さの異なる部分を形成することができる。すなわち、複数回の光照射を用いることで、グラフト層の厚みの異なる複数の領域を有するグラフト重合層を形成することができる。
【0072】
上述の製造方法においては、硬質領域、軟質領域を非一様にパターニングするために、フォトリソグラフィーの方式にならった表面光グラフト重合法を用いることができる。例えば、光イニファーターを用いることで、グラフト重合層のパターニングが可能である(例えば、上述の非特許文献3,4等)。光イニファーターを用いた表面グラフト重合では、光照射の時間、及び光照射時の光強度に依存してグラフト重合体の分子鎖長がほぼ線形的に成長する。このため、フォトマスクを用いて光照射する際の光照射時間及び光強度を調整することで、グラフト重合層の厚みの異なる区画をパターニングすることができる。なお、表面グラフト重合によく用いられる表面開始原子移動ラジカル重合法では、本開示における硬質領域、軟質領域を有する非一様パターニング表面修飾は行えない。
【0073】
光イニファーター重合に用い得る表面固定が可能な重合開始剤としては、例えば、N,N-ジエチルジチオカルバメート三塩酸塩、及びN-ジチオカルボキシサルコシン等が挙げられる。光重合性官能基を有する化合物としては、例えば、ビニルモノマー等が挙げられる。ビニルモノマーとしては、例えば、N-イソプロピルアクリルアミド、及びジメチルアクリアルアミド等が挙げられる。光重合性官能基を有する化合物を含有する層を設けるためには、上述の光重合性官能基を有する化合物を適切な溶媒に溶かした溶液を用いることができる。
【0074】
グラフト重合層の厚さを調節することによって、その表面部分の粘性率を調整することができる。表面の粘性率は、幹細胞の接着伸展面積に顕著な影響を与え、分化系統偏向に関与しうる。そこで、光照射時間及び光強度の調節し、グラフト重合層の厚さを調節することによって、硬質領域、及び軟質領域の粘性率を適切な値に調製することができる。
【0075】
<培養装置>
培養装置の一実施形態は、幹細胞と、幹細胞を培養する培養基材とを有する培養装置であって、上記培養基材は、互いに交差する複数の方向に沿って並んで延在する軟質領域と、上記軟質領域によって区画された、上記軟質領域よりも高い圧縮弾性率を有する複数の硬質領域と、を有する表面部分を備える。上記表面部分において、上記硬質領域は上記軟質領域に向かって突出する鋭角部を有し、上記幹細胞は、上記硬質領域の領域内に収容される形状に変形可能である。
【0076】
培養装置の別の実施形態は、幹細胞と、幹細胞を培養する培養基材とを有する培養装置であって、上記培養基材は、互いに交差する複数の方向に沿って並んで延在する軟質領域と、上記軟質領域によって区画された、上記軟質領域よりも高い粘性率を有する複数の硬質領域と、を有する表面部分を備える。上記表面部分において、上記硬質領域は上記軟質領域に向かって突出する鋭角部を有し、上記幹細胞は、上記硬質領域の領域内に収容される形状に変形可能である。
【0077】
<培養方法>
幹細胞の培養方法の一実施形態は、上述の培養基材上で幹細胞を培養する工程を含む。上記幹細胞の培養方法は、上述の培養基材と幹細胞とを接触させた状態で、上記幹細胞を培養する工程を含む態様であってもよい。上述の培養基材を幹細胞の培養基材として用いることによって、幹細胞の分化を抑制しつつ、増殖させることができる。換言すれば、本実施形態に係る幹細胞の培養方法は、多量の未分化細胞の製造方法を提供するといえる。
【0078】
上記幹細胞の培養方法は、上述の培養基材を使用することによって、動物血清等から調製され、供給される未知・未定義の分化抑制因子を使用せずとも、未分化の状態を十分に維持したまま幹細胞を培養し得る。間葉系幹細胞の場合、分化を効果的に抑制する分化抑制因子、並びに、未分化性及び多能性の維持に関わる分化増殖因子が確立されていない。従来、通常の細胞培養皿と標準的な培地を用いた幹細胞の培養においては、幹細胞の保守に効果的と考えられる因子を、培養の度に選択して添加することが行われている。上記幹細胞の培養方法においては、動物血清等に由来する成分を選択して使用する必要もなく、さらには基材からの刺激が培養中の幹細胞に蓄積されていくことを回避することも可能である。このため、得られる増殖された幹細胞の品質、及び安全性等をより向上させることができる。本実施形態に係る幹細胞の培養方法によって培養された幹細胞は、未分化状態を維持しつつ、品質の安定したものとなり得るため、研究用、及び再生医療用の幹細胞として有用となり得る。
【0079】
上記の幹細胞の培養方法は、上述の培養基材を使用しており、上述の培養基材及び培養基材の製造方法についての説明内容を適用することができる。また逆に、本実施形態に係る幹細胞の培養方法の説明を、上述の培養基材及び培養基材の製造方法に適用することができる。
【0080】
幹細胞は、分化していない細胞であり、多能性及び自己複製能を有する細胞を意味する。幹細胞としては、例えば、誘導多能性幹細胞(iPS細胞)、及び胚性幹細胞(ES細胞)等が挙げられる。iPS細胞及びES細胞は、外胚葉、中胚葉及び内胚葉の三胚葉、並びに三胚葉が分化して生み出されるすべての種類の細胞に分化する能力を有する多能性幹細胞である。上記幹細胞の培養方法は、多能性幹細胞が、数段階分化した、体性幹細胞の培養にも使用できる。
【0081】
体性幹細胞としては、造血幹細胞、神経幹細胞、肝幹細胞、血管内皮幹細胞、及び間葉系幹細胞(MSC)等が挙げられる。間葉系幹細胞は、例えば、中胚葉由来の間質細胞(骨髄)、骨芽細胞(骨細胞)、軟骨芽細胞(軟骨細胞)、脂肪細胞、筋細胞、繊維芽細胞(腱、靭帯)、及び血管内皮細胞等に分化する幹細胞である。
【0082】
幹細胞の培養条件は、培養する細胞種に応じた条件を選択することができ、従来のマトリゲル(BD MatrigelTM Basement Membrane Matrix:BD 354234)等の培地上で行われる継代培養において使用される培養条件を適用することができる。
【0083】
本開示の培養基材を用いた幹細胞の培養において、培養中の幹細胞は分化が抑制されている。例えば、本開示の培養基材を用いた幹細胞の培養においては、幹細胞の骨分化を誘導する成長因子等を含む培養液(例えば、R&D Systems社製、商品名:Osteogenic Supplement等)中で培養を行なう場合には分化に対する抵抗がみられ、かつ、その後に通常の培養基材に戻して同様の分化誘導を行なった場合には正常に骨分化能を示す。すなわち、本開示の培養基材を用いた培養中において、幹細胞は分化刺激応答性を発現せず、分化の偏りを回避した状態のままで正常な分化能を維持しており、高い未分化性を保持することができる。したがって、本開示の培養基材を用いた幹細胞の培養方法、及び培養装置は、未分化状態の幹細胞の培養に有用である。
【0084】
本開示の培養基材を用いて培養された幹細胞は、従来の培養基材を用いて培養された幹細胞よりも優れた分化能を発揮し得る。本発明者らは、本開示の培養基材を用いた培養では、培養の対象となる幹細胞が本来有している幹細胞性を回復していると推定する。例えば、もともと骨分化誘導効率があまり高くない幹細胞集団を本開示の培養基材を用いて培養することで、終末分化効率を示すカルシウム産生量を増加させることができる。したがって、本開示の培養基材を用いた幹細胞の培養方法、及び培養装置は、幹細胞の培養に好適である。また、本開示の培養基材を用いた幹細胞の培養方法、及び培養装置は、幹細胞の品質を見定める基準となるような幹細胞群の調製にも有用であると考えられる。
【0085】
本開示の培養基材を用いて培養された幹細胞は、従来の培養基材を用いて培養された幹細胞よりも増殖性に優れるものとなり得る。例えば、生体内に移植して用いる幹細胞を調製する場合、所定の数量の幹細胞を、より速く調製できることで患者への投与を開始する期間を短縮可能である。したがって、本開示の培養基材を用いた幹細胞の培養方法、及び培養装置は有用である。
【0086】
本開示の培養基材を用いて培養された幹細胞は、従来の培養基材を用いて培養された幹細胞よりも運動性に優れるものとなり得る。例えば、生体内に移植して用いる場合、幹細胞が上述のように優れた運動性を有すことで、当該細胞が所望の部位(例えば、疾病部位等)に到達しやすいと考えられる。したがって、本開示の培養基材を用いた幹細胞の培養方法、及び培養装置は有用である。
【0087】
本開示の培養基材を用いて培養された幹細胞では、染色体のバンド境界領域における遺伝子の発現強度が向上し得る。遺伝子の発現強度は、上記幹細胞に対する網羅的遺伝子解析の結果及び遺伝子データベース(例えば、UNIVERSITY of CALIFORNIA, SANTA CRUZ, Genomics Institute等)から取得できる染色体マップとから確認することができる。上述のような効果が得られる理由は定かではないが、本発明者らは、幹細胞が培養基材表面から受ける機械的刺激の高い頻度での変動が幹細胞の核にも伝搬するためであり、この機械的刺激の変動が染色体バンドの境界で応力集中が発生するためであると推定する。染色体バンドの境界位置は、その前後で、染色体の剛直性が切り替わる部分でもあるため上記のような応力集中が起こり得ると考えられる。応力集中の起こる染色体バンド領域は、その高次構造のゆらぎの増大に起因して、そこに位置する遺伝子群が各種転写因子、転写調節因子との相互作用を亢進し得る。したがって、本開示の培養基材を用いた幹細胞の培養方法、及び培養装置は、染色体バンドの境界近傍における遺伝子の発現強度を向上させるための方法としても応用できる。
【0088】
以上、本開示の幾つかの実施形態について説明したが、本開示は上記実施形態に何ら限定されるものではない。また、上述した実施形態についての説明内容は、互いに適用することができる。
【実施例
【0089】
以下、実施例及び比較例を参照して本開示の内容をより詳細に説明する。ただし、本開示は、下記の実施例に限定されるものではない。
【0090】
(実施例1)
<培養基材の製造>
スチレン化ゼラチン(StG)水溶液と、光重合開始剤としてスルホニルカンファーキノン(Sulfonyl Camphorquinone:SCQ)の水溶液を混合することで溶液Aを調製した(StG終濃度:30質量%、SCQ終濃度:1.5質量%)。次に、直径が1.8cmの丸ガラスを2枚[犠牲層としてポリ(N-イソプロピルアクリルアミド)(pNIPAAm)からなる表面コートを備える丸ガラス(直径:1.8cm)と、ビニル基修飾された丸ガラス(直径:1.8cm)との2枚]を用意し、20μLの溶液Aを、上記2枚の丸ガラスで挟み込み、約60mW/cmの連続光を、300秒間、照射すること(第一の光照射)によって低圧縮弾性率のベースゲル(基底ゲル層)を作製した。
【0091】
次に、約200mW/cmの光を、フォトマスクを介してパターン状に、90秒間、上記で得られたベースゲルに対して照射(第二の光照射)し、その後一晩、リン酸緩衝生理食塩水(PBS)内で振とうして洗浄することで、パターニングされた培養基材(パターニングゲル基材)を調製した。ここで、フォトマスクは、図2に示すフォトマスク200を使用した。フォトマスク200は、遮光部202と、一辺が150μmとなるように形成された複数の三角形状の開口部204とを有する。フォトマスク200において、各三角形状の開口部204の頂点206間距離が120μmであった。得られたパターニングゲル基材に対して原子間力顕微鏡(AFM、JPK社製)を用いて、圧縮弾性率を測定した。圧縮弾性率の測定は100μm×100μmの領域内において16×16点測定を行い、その平均値を算出することによって行った。パターニングゲル基材において、硬質領域の圧縮弾性率は30kPaであり、軟質領域の圧縮弾性率は2kPaであった。
【0092】
<培養性能の評価>
ヒト間葉系幹細胞(hMSC)を用いて、上記で得られたパターニングゲル基材上での培養を行うことで、培養性能の評価を行った。なお、ヒト間葉系幹細胞のサイズは、1000~13000μmであった。実施例1における培養性能の評価状況の一部を図3に示す。上記で得られたパターニングゲル基材に対してエタノールによる減菌処理及び洗浄を行った。洗浄後のパターニングゲル基材上に、1500cells/cmとなるようにhMSCを播種して、ダルベッコ改変イーグル培地(DMEM培地、ウシ胎児血清(FBS)を10%含む)を加えたうえで、基材への細胞の接着を促すため、一晩の間、5%COに環境調整されたインキュベーター内で培養した。その後、蛍光顕微鏡(株式会社キーエンス製、BZ-X-700)を用いて、15分間ごとにタイムラプス観察を行った。得られたタイムラプスデータから20個の細胞をランダムに抽出して、Image J ソフトウエアを用いて24時間分の運動軌跡を解析した。結果を図4図6に示す。
【0093】
図4は、培養中の幹細胞の運動傾向を示すグラフであり、上記20個の細胞それぞれの運動軌跡の始点を原点として、20個の細胞の運動軌跡をまとめたものである。図5は、培養中に幹細胞が硬質領域及び軟質領域上に滞在した時間を示すグラフである。図6は、培養中に幹細胞が硬質領域及び軟質領域上に滞在した平均時間を示すグラフである。図4に示す結果から、幹細胞の基材表面上を一方向に偏向することなく移動していることが確認された。また、図5及び図6に示す結果から、幹細胞が、硬質領域上と軟質領域上とを同程度の時間で滞在しており、図4に示す結果と合わせて、幹細胞が受ける刺激が培養期間に亘って高い頻度で変動させることができることを確認できた。
【0094】
(比較例1)
<培養基材の製造>
実施例1で使用したマスクパターンに変えて、図7に示すようなフォトマスク300を使用した以外は実施例1と同様にして、培養基材を調製し、培養性能の評価を行った。なお、得られた培養基材において、硬質領域の圧縮弾性率は30kPaであり、軟質領域の圧縮弾性率は2kPaであった。図7に示すフォトマスク300は、遮光部302と、複数のジグザグ形状の開口部304とを有する。ジグザグ形状の開口部304は、一辺の長さが150μmであり、150μm毎に90°の角度で折り返すパターンとなっている。また線幅は100μmとした。評価結果を図8図10に示す。
【0095】
図8は、培養中の幹細胞の運動傾向を示すグラフである。図9は、培養中に幹細胞が硬質領域及び軟質領域上に滞在した時間を記載したグラフである。図10は、培養中に幹細胞が硬質領域及び軟質領域上に滞在した平均時間を示すグラフである。図8に示す結果から、幹細胞の運動軌跡が、培養基材上の硬質領域又は軟質領域の延在方向に偏っていることが確認された。また図9及び10に示す結果から、幹細胞は硬質領域上により多くの時間滞在することが確認された。この結果から培養中に幹細胞は硬質領域から受ける刺激の蓄積によって、分化決定プロセスが影響される可能性があることが確認された。
【0096】
(比較例2)
フォトマスクを使用せず、低圧縮弾性率のベースゲルの全面に光照射をした他は、実施例1と同様にして培養基材を調製した。得られた培養基材はパターンを有さず、且つ培養基材の圧縮弾性率は30kPaであった。
【0097】
(比較例3)
実施例1に示した培養基材の製造の途中で得られた低圧縮弾性率のベースゲル(基底ゲル層)を調製し、これを比較例3の培養基材とした。得られた培養基材はパターンを有さず、培養基材の圧縮弾性率は、2kPaであった。
【0098】
(参考例)
参考のため、市販の細胞培養用プラスチックシャーレ(TPP社製 Tissue Culture Polystyrene Dish)を用意した。
【0099】
<培養性能の評価:YAPの細胞内挙動の観察>
実施例1、比較例2及び比較例3で得られた培養基材を用いて、幹細胞培養中の転写活性化補助因子YAPの細胞内挙動を評価した。YAPの細胞内挙動の評価は、YAPを蛍光免疫染色した後、蛍光顕微鏡で観察することによって行った。結果を図11及び図12に示す。
【0100】
図11は、培養基材上の幹細胞内部におけるYAPの局在を示す蛍光顕微鏡写真を示す図である。図12は、培養基材上の幹細胞内部におけるYAPの局在を評価した結果を示すグラフである。図12に示すグラフは、図11に示す蛍光顕微鏡画像から、YAPの局在位置を観測して、YAPが主に核に存在する群(図12では「Nuclear」で示す)、YAPが主に核外の細胞質に存在する群(図12では「Cytoplasma」で示す)、及びYAPが細胞内に広がり局在していない群(図12では「Nuclear+Cytoplasma」で示す)の3つの群に幹細胞を分類して、その割合を示したものである。
【0101】
図11及び図12に示す結果から、比較例2の培養基材(硬質の基材)を使用した場合は、YAPが核内へ移行した群に属する幹細胞が全体の70%以上を占めており、比較例3の培養基材(軟質の基材)を使用した場合は、YAPが細胞質に局在している群に属する幹細胞が全体の70%以上を占めていることが確認された。また、実施例1のパターニングゲル基材を使用した場合には、YAPが核内に局在している群、YAPが細胞質に局在している群、及びYAPに局在が見られない群のそれぞれに属する幹細胞が観察され、その存在量も互いに近いものとなっていることが確認された。実施例1のパターニングゲル基材上で培養される幹細胞は、硬質領域と軟質領域との間を移動することによって、基材から受ける刺激が高い頻度で変動し、これに伴って、幹細胞が上記の3つの群の間を移行しているものと推測される。この結果から、実施例1のような培養基材を使用することによって、幹細胞への分化偏向刺激が回避されていることが確認された。
【0102】
<培養中及び培養後の幹細胞の分化能の評価>
実施例1、比較例2及び比較例3で得られた培養基材及び参考例の細胞培養用プラスチックシャーレを用いて、ヒト間葉系幹細胞(hMSC)の培養を行い、培養中及び培養後のhMSCに対する骨分化誘導挙動を評価した。hMSCの骨分化誘導は、骨分化を誘導する成長因子等を含む培養液(R&D Systems社製、商品名:Osteogenic Supplement)中で、hMSCを2週間から3週間培養することで行なった。結果を図13図14、及び図15に示す。
【0103】
<各種培養基材を用いた培養中の幹細胞の分化能の評価>
図13は、培養基材上における幹細胞に対して骨分化誘導をかけた結果を示す図である。終末骨分化能を評価するためにアリザリンレッドSを用いた染色を行なった。図13に示すように、比較例2及び比較例3の培養基材上で培養中のhMSCに比べて、実施例1のパターニングゲル基材(培養基材)上で培養中のhMSCは、アリザリン染色強度が低く、ほとんど染色されていないことが確認できる。このことから、実施例1の培養基材上で培養中のhMSCは、終末骨分化されていないことが確認できた。一方、参考例の細胞培養用プラスチックシャーレ上で培養中のhMSCは、アリザリン染色強度が高く、強く染色されていることが確認できる。このことから、参考例の細胞培養プラスチックシャーレ上で培養中のhMSCは、正常な骨分化誘導が起きたことが確認された。以上のとおり、実施例1の培養基材を用いた培養中においては、確かにhMSCの分化が抑制されることが確認された。
【0104】
<各種培養基材を用いた培養後の幹細胞の分化能の評価>
図14は、培養後に回収された幹細胞に対して分化誘導をかけた結果を示す図である。図15は、培養後に回収された幹細胞に対して分化誘導をかけた結果を示すグラフである。なお、図14及び図15中、培養に用いたhMSCに対して骨分化誘導を行なったものを「対象+」で示し、培養に用いたhMSC(骨分化誘導を行なっていないhMSC)そのものを「対象-」と示した。図15は、図14に示したサンプルを対象として、アリザリン染色強度(骨分化誘導強度に相当)を測定し、作成したグラフである。図14及び図15に示すように、実施例1のパターニングゲル基材上で培養し回収されたhMSCが、最も骨分化誘導に対して、分化能を強く発現することが確認された。上述のように、実施例1のパターニングゲル基材上でのhMSCの培養においては、hMSCが、培養期間中は分化誘導に対する抵抗性を示し、培養後、回収された後は、強い分化能を発揮することが確認された。
【0105】
<各種培養基材を用いた培養後の幹細胞の遺伝子発現の特徴>
実施例1で得られたパターニングゲル基材を用いて、ヒト間葉系幹細胞(hMSC)を培養し、培養後に回収されたhMSCを対象として網羅的遺伝子発現解析を行った。hMSCを上記パターニングゲル基材上で4日間培養した後、mRNA発現をAffymetrix GeneChip Human Genome U133 Plus 2.0 Arrayにて網羅的に測定した。その結果から発現の亢進した遺伝子のうち、最も発現が亢進した遺伝子から数えて発現の更新の程度が20番目となる遺伝子までの20個の遺伝子について、遺伝子データベース(UNIVERSITY of CALIFORNIA、SANTA CRUZ、Genomics Institute)を用いて、上記20個の各々の遺伝子の染色体上における位置を調べた。結果を図16に示す。
【0106】
図16は、培養後に回収された幹細胞において活性化された遺伝子の位置を示す図である。図16は、網羅的遺伝子発現解析の結果において、培養前のhMSCに比べて、発現が強化されている遺伝子を特定し、当該遺伝子が遺伝子マップ上のどの位置に存在するかを、縦線を入れて示したものである。遺伝子マップは、遺伝子データベースから取得した。図16において、特に丸印を付して示したように、網羅的遺伝子解析の結果、発現が亢進していると確認された遺伝子の多くは、染色体バンドの境界の近傍にあることが確認された。
【0107】
<培養性能の評価:幹細胞密度の観察>
実施例1、比較例2及び比較例3で得られた培養基材及び参考例の細胞培養用プラスチックシャーレを用いて、hMSCの培養を行い、培養時間と、培養基材上における幹細胞の細胞密度との関係を評価した。培養基材又は細胞培養用プラスチックシャーレ上にhMSCを播種し、播種後1日間経過後の細胞密度:3000cells/cmを基準として、2日間後、3日間後、4日間後、及び5日間後の細胞密度を測定し、増加割合を算出した。幹細胞の細胞密度は、光学顕微鏡で観察することによって行った。結果を図17及び図18に示す。
【0108】
図17は、培養時間と培養基材上における幹細胞の細胞密度との関係を示す図である。図17は、観察中の培養基材の一部領域を光学顕微鏡で撮影したものである。図17の実施例1の結果を示す写真では、初期には、培養基材上に形成されたパターン(三角形状の硬質領域)を視認することができる。
【0109】
図18は、培養時間と培養基材上における幹細胞の細胞密度との関係を示すグラフである。図18に示すように、実施例1のパターニングゲル基材を使用した培養におけるhMSCの増加率が、比較例2及び比較例3で得られた培養基材、並びに参考例の細胞培養用プラスチックシャーレを用いた培養におけるhMSCの増加率に比べて、大きいことが確認された。
【0110】
<培養中の細胞の運動性評価>
実施例1、比較例2及び比較例3で得られた培養基材を用いて、hMSCを培養し、培養基材上におけるhMSCの運動性を評価した。それぞれの培養中の細胞集団を、位相差顕微鏡を用いて15分間隔で経時的に撮影を行った。撮影は、24時間続けた。得られた写真から個々のhMSCの座標を追跡し、移動距離を計測することで運動速度を算出した。結果を図19に示す。
【0111】
図19は、培養中の幹細胞の運動速度の分布を示すグラフである。グラフ上の各ドットは、測定対象としたhMSCに対応する速度であり、グラフはその分布を示している。また散布図中の直線は、分布の平均を示す。基材表面の圧縮弾性率に変化のない比較例2及び3の培養基材上におけるhMSCの運動速度に比べて、実施例1のパターニングゲル基材上におけるhMSCの運動速度が速くなっていることが確認された。
【産業上の利用可能性】
【0112】
本開示によれば、幹細胞の基材表面における運動方向を等方的なものにすることが可能な培養基材、培養基材の製造方法及び幹細胞の培養方法を提供することができる。
【符号の説明】
【0113】
10…軟質領域、20…硬質領域、22…鋭角部、50…表面、100…培養基材、200,300…フォトマスク、202,302…遮光部、204,304…開口部、206…頂点。
図1
図2
図3
図4
図5
図6
図7
図8
図9
図10
図11
図12
図13
図14
図15
図16
図17
図18
図19