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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2023-08-14
(45)【発行日】2023-08-22
(54)【発明の名称】歯車とその製造方法
(51)【国際特許分類】
   F16H 55/06 20060101AFI20230815BHJP
   F16H 55/12 20060101ALI20230815BHJP
   C21D 1/42 20060101ALI20230815BHJP
   C21D 9/32 20060101ALI20230815BHJP
   C22C 38/00 20060101ALN20230815BHJP
   C22C 38/60 20060101ALN20230815BHJP
   C21D 7/06 20060101ALN20230815BHJP
【FI】
F16H55/06
F16H55/12 Z
C21D1/42 B
C21D9/32 A
C21D1/42 J
C22C38/00 301Z
C22C38/60
C21D7/06 A
【請求項の数】 7
(21)【出願番号】P 2022562244
(86)(22)【出願日】2020-12-10
(86)【国際出願番号】 JP2020045984
(87)【国際公開番号】W WO2022123715
(87)【国際公開日】2022-06-16
【審査請求日】2022-10-11
【早期審査対象出願】
(73)【特許権者】
【識別番号】000173544
【氏名又は名称】公益財団法人応用科学研究所
(73)【特許権者】
【識別番号】390029089
【氏名又は名称】高周波熱錬株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】100130498
【弁理士】
【氏名又は名称】佐野 禎哉
(72)【発明者】
【氏名】久保 愛三
(72)【発明者】
【氏名】松岡 裕明
【審査官】鷲巣 直哉
(56)【参考文献】
【文献】特開2020-137972(JP,A)
【文献】特開2006-009118(JP,A)
【文献】特開2019-120332(JP,A)
【文献】特開2015-187479(JP,A)
【文献】特開2001-032036(JP,A)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
F16H 55/06
F16H 55/12
C21D 1/42
C21D 9/32
C22C 38/00
C22C 38/60
C21D 7/06
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
噛み合いにより歯面と歯面が接触し歯車軸を中心とした回転運動することにより駆動歯車から被動歯車に動力を伝達する歯車装置を構成する前記駆動歯車又は前記被動歯車のいずれか一方又は両方に適用される歯車であって、
各歯において焼戻し又は焼鈍しにより軟化させた状態の歯先エッジ部の硬さが、当該歯車の任意の歯の歯丈中央部における歯面の硬さよりも軟らかいことを特徴とする歯車。
【請求項5】
請求項1乃至4の何れかに記載の噛み合いにより歯面と歯面が接触し歯車軸を中心とした回転運動することにより駆動歯車から被動歯車に動力を伝達する歯車装置を構成する前記駆動歯車又は前記被動歯車のいずれか一方又は両方に適用される歯車の製造方法であって、
焼入れ後の歯車に対する各歯の歯先エッジ部を対象とした焼戻し又は焼鈍しによる歯先エッジ部軟化工程を経ることにより、歯先エッジ部の硬さが当該歯車の任意の歯の歯丈中央部における歯面の硬さよりも軟化させることを特徴とする歯車の製造方法。
【請求項7】
前記歯先エッジ部軟化工程は、各歯の歯先部を特異的な対象とした高周波焼戻し法又は高周波焼鈍し法によるものである請求項6に記載の歯車の製造方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、歯車同士の噛み合いによる損傷を飛躍的に避けることができ、歯車の品質と安全性を向上し、製造管理を容易にすることができる歯車とその製造方法に関するものである。
【背景技術】
【0002】
近年、歯車装置が高負荷運転されるようになってきており、それに伴い歯車の歯面の剥離損傷が多発するようになってきている。このような損傷は、歯車の稼働がそれ以上不可能となるものであり、重大事故にも繋がりかねない深刻な問題である。
【0003】
具体的に、大荷重で運転される通常の歯車では、駆動歯車の歯元歯面は相手歯車(被動歯車)の歯先エッジ部によって切り込まれる。この際、多くの摩擦屑が発生し、これらが歯面に噛み込まれて歯面を損傷させる。また、歯先の切り込みによって生成される歯元歯面の段差部に噛み込まれた摩耗屑が衝突し、歯面剥離の引き金となるマイクロ亀裂が生じる。一方、駆動歯車の歯先エッジ部は噛み合い外れ時に相手歯車の歯元歯面を強く擦り、その際に発生する摩擦発熱で被動歯車の歯元歯面材質を軟化させて、歯の折損の原因を作る。また、その際に発生する大きな接触応力と高熱のために、駆動歯車の歯先エッジ部の欠け(チッピング)が発生する。摩耗屑や剥離屑、チッピング屑は、小さいため、すぐに冷やされて硬い異物になる。すると、これらの異物や潤滑油中の細かい異物が噛み合う歯車の歯面や歯車装置のベアリング等の機構部品に噛み込まれる。その結果、装置全体の劣化や損傷が加速され、最終的には事故の発生に繋がることになる(非特許文献1参照)。図1に歯車に生じた損傷の実例を写真で示す。図1(a)は、歯面のフレーキング損傷に至った例を左右に二つ示したものであり、図1(b)は、歯の部分欠損例を示したものである。図1(c)は、はすば歯車の噛み合い始め部分のピッチング損傷とそこから始める歯面剥離例を示したものであり、図1(d)は、駆動歯車の歯先エッジ部のチッピング損傷例を示したものである。図1(e)は、はすば歯車の歯側端の崖崩落的チッピング部からの亀裂で歯が折損して飛んだ歯車の事故例、図1(f)は、同図(e)のはすば歯車の鋭角側歯側端のチッピングから起こった歯の折損を上から見た事故例を示したものである。同図(e)に矢印で示すように、チッピング部から歯の内部に亀裂が走り、その部分から歯が欠けて飛んでしまうことがあるが、壊れた後の歯車の歯の破断面を上から観察した状態は同図(f)のように、色々な規格等で定められている歯の曲げ強さ計算式が対象としている歯の折損、すなわち、歯を片持ち梁とみなし、その曲げ応力が過大になる箇所で歯が折損した写真と、どこが違うのか分からない状態に見えることが一般的であり、広い範囲に印象的に破壊面がみられる状況を、素直に教科書的に理解していたのでは、この歯の折損事故の本当の原因に辿りつけなってしまう。
【0004】
このような問題は、本技術分野において従来から認識されているところであり、非特許文献1には、「歯車装置の競争力強化に必要な事項と解決すべき課題」として、我が国の歯車装置が将来にわたり強い国際競争力を維持していくためには、1)耐久性・信頼性向上、2)運転時の振動・騒音性能向上、3)動力伝達効率の向上、4)トラブル未然防止、5)コスト低減、の全てにわたり歯車装置に関する技術革新を行って行く必要がある、と述べられている。そして、設計・製造技術全般を向上させ圧倒的な競争力を構築していく基盤は、『従来の方法で設計された歯車よりも高強度にする設計・製造技術』であるとされている。すなわち、歯車に関する上述したような剥離損傷対策としては、「従来設計手法で対処できない損傷の未然防止」が目的ではあるが、損傷現象が十分に解明されていない現状においては、的確な損傷防止策が構築されていない場合の現実的な対処策として、歯車の超高強度化が目指され鋭意研究・開発されているのが本技術分野の趨勢である。
【0005】
例えば、特許文献1では、歯車における歯面の高強度性と歯元の靭性というそれぞれの強度特性を両立させるべく、浸炭処理後の冷却や加熱等の処理によって歯面と歯元とで炭化物の分散析出率、窒素濃度分布、オーステナイト量分布に差を付ける、分散析出する炭化物を球状ないし擬球状とするなどして、歯面を歯元よりも高硬さとするとともに、歯面の耐ピッチング性と耐摩耗性、歯元の曲げ疲労強度と耐衝撃性を兼ね備えた高強度歯車を提供する、とされている。同文献に記載の技術は、上述したような歯車の高強度化を目指す取り組みの一例であるといえる。
【0006】
歯車そのものを超高強度化するという研究開発の方向性自体は、歯車の損傷を防止し性能を高める方策の一つではあるものの、結局のところ、駆動歯車と被動歯車の双方の歯先エッジ部の強い接触によって歯面損傷並びにそれが進展した結果としての歯の部分欠損等を生じてしまう現象の根本解決に至るものとは言い難い。このような損傷を避けるための一策として、歯のエッジを滑らかに丸めるという方法が考えられる。しかしながら、歯車の全歯のエッジの空間的な存在の仕方は単純ではないため、滑らかに丸めるための加工は容易ではなく、航空機用や競争自動車駆動用といった加工に要する費用よりも歯車の絶対性能を追求する必要がある特殊な用途にのみ適用できるものであって、低コストでの製造が求められる歯車全般にまで用いることができる技術であるとはいえない。
【0007】
本発明者は、非特許文献1において「現状では損傷現象が十分に解明されていない」とされていた歯車における損傷剥離の発生メカニズムを次の通り仔細に研究し、これまで本技術分野では検討されてこなかったアプローチにより、製造コストを殆ど上昇させることなく稼働中の損傷を著しく低減させることができる歯車とその製造方法について発明し、特許出願しているところである(特許文献4)。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0008】
【文献】特開2000-18369
【文献】特開2015-187479
【文献】特開2008-87124
【文献】特開2019-120332
【非特許文献】
【0009】
【文献】永村和照、「第2章 歯車の超高強度化技術に関する調査研究 まえがき、2.3 歯面性状改善による超高強度化」、林田泰、第4章 歯車装置の運転性能の評価と改善技術の高度化に関する調査研究 「4.2.3 歯面修整形状設計技術 b.歯面修整形状改善事例」、一般社団法人日本機械学会 イノベーションセンター研究協力事業委員会 RC261 歯車装置の設計・製造・評価における技術の高度化に関する調査研究分科会 研究報告書、一般社団法人日本機械学会、2015年4月20日発行、p.11、p.21-27、p.123-127
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0010】
特許文献4に伴う研究において本発明者は、歯車の剥離損傷メカニズムを追究し、歯車の損傷は、硬い歯先エッジ部がそれよりも軟らかい相手歯車の歯元歯面を攻撃するために発生するものであることを見出している。その結果、歯車装置を構成する歯車において、焼戻しにより軟化させた状態の歯先エッジ部の硬さが、相手歯車の歯元歯面の硬さよりも軟らかいことを特徴とする歯車とその製法について特許文献4に係る発明を完成するに至っている。
【0011】
ここで、本発明と共通する部分として、特許文献4で言及した歯車の剥離損傷メカニズムと、特許文献4における発明の理論について、インボリュート平歯車を例にとって概説する。まず、図2は、インボリュート曲線の歯形の接触が起こる駆動・被動歯車の基礎円の共通内接線(作用線という)を示したものである。機構学上の歯車の幾何理論(歯の噛み合い理論)では、同図中の線分ABの中ほどの位置に既に接触している歯の対があり、その接触点が歯車の回転運動によりこの線上を上の方(Aの方向)に動いていき、それにつれて次の歯面がB点に来てそこで新たな歯が噛み合い状態に入る、と教えている。しかしながら、図中の上側にある既に噛み合っている歯の対が負荷により大きな撓みを生じていると、当然ながらその撓みの分、被動歯車は駆動歯車に対して回転遅れを生じる。その結果、新たに噛み合いに入る歯は、歯車の噛み合い理論で教える噛み合い開始点であるB点よりも以前のC点で接触を始めることになる。この現象は、歯車軸直角断面において、現実のインボリュート歯形の理論的正規位置に対する位相差が原因であり、歯に歯筋クラウニング、片当たり、ピッチ誤差等が存在する場合にも生じるものである。
【0012】
C点で新たに噛み合いに入る歯同士の接触が始まる直前の状態では、既に噛み合っている歯が全荷重を受け持っているために、その分撓んでおり、駆動歯車に対する被動歯車の回転遅れが生じている。C点で新しく噛み合いに入った被動歯車の歯は、歯先のエッジが接触する状態であるので、この接触部分が分担する力は、既に噛み合っている歯が受け持っている力に比べて極めて小さい。歯の接触がC点からB点に至るまでの間、すなわち、駆動歯車に対する被動歯車の回転遅れが原因で歯先の角が相手歯元に強く接触する状態(トロコイド干渉)では、この干渉を起こしている歯の受ける反力は、既に歯面が噛み合っている歯の対の受けている力に比べて十分に小さく、また、その状態の持続する時間或いは歯車回転角の進みは僅かであるので、トロコイド干渉中のC点からB点までの接触点の移動は、駆動歯車に対する被動歯車の回転遅れ量が殆ど変化しないほぼ変位強制の状態で進行する。このような状態を、相手歯車の歯先エッジ部による歯元歯面の攻撃の様子の模式図として図3(a)の上段に示す。
【0013】
同図に示すように、歯車の回転の進行に伴い、相手歯先は歯元歯面に対してトロコイド曲線を描いて近付く。ここでは便宜上、歯車同士の噛み合い始めの状態について限定して説明するが、噛み合い終わりでも図3(a)上段と同様の状態が発生し、噛み合い始めの状態に対して接触点の移動方向が逆になり、以下の説明中の用語「噛み合い始め」を「噛み合い終わり」に読み替えることで、噛み合い終わりの状態を噛み合い始めの状態と同様に説明することができる。さて、このトロコイド曲線が歯元歯面に食い込む状態になれば、歯先エッジ部が歯元歯面に強く接触するトロコイド干渉の状態になる。歯車の歯には、若干のアライメントの狂いが発生しても、全歯幅に亘り歯面をうまく当てるため、歯幅中央で歯形曲線をわずかに前方に、歯の両側端では後方に位置するようにクラウニング(歯筋クラウニング)と称するマイクロ歯面形状修整加工が施される。図3(a)上段では、駆動歯車の歯形を3本の線で示しており、図中右側に隣接する歯に繋がった中央の線が基準となる正面歯形、外側の線が歯幅中央部の歯形、内側の線が歯の両側端における歯形をそれぞれ示している。そしてこの場合、歯幅中央部でトロコイド干渉が大きくなる。図3(a)の下段に示す写真ではその状態で歯幅の中央部の歯元歯面が相手歯車の歯先エッジ部により強く攻撃されている状態を示している。このように、歯筋クラウニングが与えられた歯車において、歯幅の中央部で大きなトロコイド干渉が起きる結果、歯元歯面には歯筋クラウニングの形状に対応して噛み合う相手歯先の攻撃を受け、歯元歯面が強く損傷し始めている状態が認められる。その一方で、歯の両側端ではトロコイド干渉が起こっていないことが分かる。このような状況は、歯車の歯の噛み合いの進行につれて常に起こっている。図3(b)の写真では、トロコイド干渉部から歯面剥離が生じている状態が示されている。図3(a)及び(b)の写真を比較すると、歯元歯面におけるトロコイド干渉領域が損傷し始めてから歯面剥離が生じるメカニズムが一目瞭然である。
【0014】
このような接触状態の駆動歯車の歯面における接触応力の変化の様子を、図4に模式的に示す。同図には、歯先と歯元に大きな接触応力が発生し、その接触箇所の歯面の相対滑りも大きいために発熱し、また、表面に働く剪断力が大きいために、損傷が極めて発生しやすくなるという状態が描かれている。具体的には、同図中の歯面接触のヘルツ応力の状態を模式的に示す曲線の通り、新しく相手歯面との接触を開始するC点からB点までのトロコイド干渉領域ではエッジと面との接触のため接触応力が急激に大きくなり(図中、太い一点鎖線で示す)、B点から歯先方向にかけては、相手歯面との面と面との接触になるため接触面積が大きいことから、接触応力が小さくなるが、歯先に到達すると自由端である歯先エッジ部が相手歯面と噛み合う状態となり、接触楕円の面積の減少に対応して接触応力が大きくなる。このような状態により、図1に示したような歯車の損傷が発生しているのである。一方、本技術分野において世界の全ての国々で現在使われている歯面耐久力評価法では、歯面と歯面の接触がその理論的根拠であり、トロコロイド干渉が全く考慮されていないため、実質的には歯元のC点から歯先に至る手前までの図中太矢印で示した領域が有効範囲となっている。すなわち、C点からB点までの間の歯元と歯先についてはその有効範囲外である。すなわち、多くの実用歯車で経験される破壊的な剥離損傷は、歯面耐久力評価法の有効範囲外、つまり歯先エッジ部と歯元歯面の接触から起こることが多く、従来の歯面耐久力評価法の想定外の接触応力が歯元と歯先に発生することが原因で、その引き金(トリガー損傷)が生じていることが、近年の研究により明らかとなってきた。
【0015】
ここで、歯車の歯元と歯先における想定外の接触応力の発生による損傷の例を示す。図5(a)は、はすば歯車を重荷重で耐久運転し、未だ歯車寿命には達していない中間段階での歯面状態を示す写真である。このはすば歯車には、歯筋にクラウニングを与えていたため、歯先エッジ部との接触のために相手歯車の歯幅中央部の歯元でトロコイド干渉が発生し、激しい凝着摩耗が起こって歯車の損傷が進行中である状態が示されている。図5(b)は、乗用車駆動用歯車を耐久運転した例において、未だ歯車寿命には達していない中間段階での歯面状態を、アセチルセルローズに転写するレプリカによって観察した写真である。はすば歯車の歯先エッジ部と歯元の噛み合い開始部分の歯面が白くなっているが、これは相手歯車の歯先エッジ部との接触のために表面粗さが潰されて滑らかになった状態が示されている。この噛み合い開始点を拡大したものを図5(c)に示す。相手歯車の歯先エッジ部との高圧・高滑りの接触の結果、その接触箇所の応力状態が材料の耐力を超え、微細なピットとクラックが発生し始めているのが認められる。これらのトリガー損傷はその後、図1(c)に示したような損傷に発展するが、図5(c)はその前段階である。図5(d)は、相手歯先の攻撃により大きく発熱し、凝着摩耗を起こしている駆動歯車の歯元歯面を示す写真である。凝着摩耗を起こしている部分は写真では白く見えている。その下の歯面は、相手歯と接触しないにもかかわらず高温になったため、潤滑油がスラッジ化して付着している。凝着摩耗を起こした歯面は高温のために焼き戻されて硬さが低下し、損傷を極めて起こしやすくなり、歯車損傷のポジティブフィードバック系の挙動が進展している状況にある。図5(e)は、図1(a)左図に示したフレーキング損傷を生じた歯面のレプリカ画像であり、損傷が相手歯車の歯先エッジ部との噛み合い部から発生したことが明確に確認できる。
【0016】
以上に示したような歯車の損傷は、硬い歯先エッジ部がそれよりも軟らかい相手歯車の歯元歯面を攻撃するために発生するものである。従来、歯車の強度を高めるためには歯面硬さを高くすることのみが目指されてきた。歯車の強度を高めるために採用される最も一般的な浸炭焼入れ法は、歯の表面から炭素を拡散させ、その硬さを上げるものであり、この方向に沿った歯車熱処理方法である。この処理時において、歯のエッジは歯面に比べて多方面に表面を有し、その全ての面から炭素が浸入するため、一方の面からしか炭素が侵入しない歯面よりもどうしても硬く、且つ脆くなる傾向が避けられない。したがって、その硬いエッジが相手歯車の歯面を攻撃したため、上述したような損傷が発生しやすくなっていたと考えられる。すなわち、一定の均質な硬さの歯面が得られるつもりで製造した歯車であっても、各部を微視的に捉えると、歯先エッジ部の方が歯元歯面よりも硬いという硬さ差が存在し、その傾向はモジュールの大きい大型歯車の場合には特に顕著であり、大型歯車の製造時に歯元歯面の硬さが歯先は面の硬さの70%以上なければ検収不可とする企業もある状況である。
【0017】
一方、このような損傷発生の状態から論理的に考えると、歯先エッジ部の硬さがそれと噛み合う相手歯車の歯元歯面よりも低くなれば、このような損傷は大幅に少なくなることが予想される。歯先エッジ部の硬さを低くするような歯車の製造方法の一つとしては、例えば特許文献2に記載されているような、歯面に母材よりも硬さが低い材料でコーティングを施すという方法が考えられる。しかし、同文献に記載された技術の目的は、表面の硬さが母材の硬さよりも低いコーティング層と母材との密着性を向上させることで、歯面に圧縮残留応力を付与するためにショットピーニングを行っても母材とコーティング層とが容易に剥離せず、歯面に圧縮残留応力を付与する、というものであり、歯車の歯元と歯先における想定外の接触応力の発生による損傷を防止することについては同文献には示唆されていない。そして、歯面の耐久力を向上させる目的を達するために、歯面中央部(歯面の歯先側と歯元側の中間部位)に母材よりも硬さが低い材料で被覆したコーティング層を形成し、このコーティング層においては外面側から母材側に向けて硬さが母材に近くなるように硬さに傾斜(変化)を持たせ、この歯面中央部のコーティング層の厚さと表面厚さを均等にするために、歯先側と歯元側には均質な低硬さの(母材よりも軟質な)コーティング層を形成している。しかしながら、このような歯車を製造することは容易ではなく、また、その製造費用は極めて高額となる。また、単に歯先エッジ部の硬さを歯元歯面の硬さよりも低くする目的で、歯先側の歯面にのみ母材よりも軟質なコーティング層を形成した場合を想定すると、このような歯車を噛み合わせて稼働させた場合、歯先エッジ部においてはコーティング層が容易に剥離してしまい、硬さの高い母材が露出し、歯車の損傷を引き起こす結果に繋がることになる。
【0018】
他にも、特許文献3には、歯に対する機械研磨後に化学研磨を施した歯車において、噛み合い時に相手歯車の歯と接触する歯末部(歯先部)の歯面と相手歯車の歯と接触しない歯元部の歯面とで化学研磨処理方法を異ならせることによって、歯先部を歯元部よりも柔らかくすることを目的とした歯車が開示されている。具体的に、特許文献3の技術では、化学研磨時に歯元歯面に保護部材を塗布するなどしておいて、研磨溶液による研磨がなされないようにマスキング処理を施す方法が開示されている。しかしながら、このような方法は、化学研磨により歯形という歯の幾何学形状を変化させて歯車の性能向上を図る趣旨で採用されたものであり、この分野の技術としては、実際には化学研磨による歯面の硬さは殆ど変化がないと考えられているところである。このことは、「歯の表面から深さ方向に硬さがどのように変化するかを実測する方法として世界中で行われているのが、表面を電解研磨(化学研磨の当該箇所に電位差を与えて化学研磨の速度を上昇させる技術)により掘り下げながら、順次その新生表面の硬さを測定してゆく」という方法が認められていることからも明らかなことである。
【0019】
以上の問題に鑑みて、特許文献4において本発明者は、噛み合い状態にある歯車同士の歯先エッジ部と歯元歯面における損傷の原因を根本的に解決すべく、そのような損傷を大幅に減少させることができる新しい着想に基づく歯車として、歯車装置を構成する歯車において、各歯において軟化させた状態の歯先エッジ部の硬さが、相手歯車の歯元歯面の硬さよりも軟らかい歯車を発明し、斯かる歯車を殆どコスト上昇させることなく製造することができる製法として、焼入れ後の歯車に対する各歯の歯先エッジ部を対象に、焼戻しによる歯先エッジ部軟化処理工程を経ることにより、歯先エッジ部の硬さが相手歯車の歯元歯面の硬さよりも軟らかい歯車の製造方法を発明している。このような特許文献4における発明の理論と効果は、現時点でも有効なものである。
【0020】
ところで、従来の浸炭焼入れ法による歯車熱処理方法では、歯車の歯面硬さの歯先から歯元方向への変化は、大モジュールの大型歯車では各歯の歯先エッジ部、歯丈中央部の歯面、歯元歯面の順に高くなる。小モジュールの歯車では、このような硬さの変化は殆ど目立たないものの、中、小モジュールの歯車でも若干はそのような硬さ変化の傾向がある。また、通常は、歯面耐久力評価法における強度計算は、このうち歯丈中央部の歯面で計測されており、歯先エッジ部や歯元歯面は強度計算においては着目されていないが、歯先エッジ部の硬さは歯元歯面の硬さと比べて大きいのが一般的である。特に大型歯車ではこの傾向が著しい。先述したとおり、浸炭焼入れ法では、歯面よりもエッジの方が硬くなるという傾向があるため、歯車装置の故障の原因となり得る。
【0021】
特許文献4の出願以後の研究の結果から、歯車同士の噛み合いにより歯車に生じる歯元歯面の損傷は、トロコイド干渉領域の歯面剥離に加えて、歯先と歯元との連続的な強い接触応力下のすべりにより接触部の温度が極めて上昇し、材料の耐力が下がってクラックが生じる結果として、歯が折れるという現象も生じていることが判明してきた。そこで、本発明では、特許文献4における発想を発展させ、歯車の製造上の品質管理、安全管理を行いやすくするような歯車とその製造方法に着目することとした。つまり、通常の歯車よりも歯先エッジ部を軟らかいものとする技術的思想の下で、歯先エッジ部の硬さを、同じ歯車における歯丈中央部、さらには歯元部の歯面の硬さより低下させることがより理想的であるという考えに至ったものである。
【0022】
また、特許文献4においては、歯車装置を構成する噛み合い状態にある歯車の一方の歯先エッジ部と他方の歯元歯面の硬さを比較し、或いは同じ歯車で同じ歯の歯先エッジ部と歯元歯面の硬さを比較しており、各歯車の損傷防止と歯車装置の故障の原因低減を目指しているが、個々の歯車の製造上の管理等について考慮すると、さらなる改善の余地があることが、本発明者の研究により明らかになってきた。
【0023】
歯車の歯先エッジ部の軟化処理を行うと、通常、その処理の影響を受け、歯丈中央部ならびに歯元部も若干、硬さが低下する。その程度は処理条件により変わってくるが、歯先部の硬さはできるだけ下がり、歯丈中央部ならびに歯元歯面の硬さは無視できる程度にしか低下しないことが必要である。なぜならば、歯車に求められる本来機能である動力伝達の大半は、歯丈中央部の歯面においてなされ、また、接触歯面の負荷能力はその硬さによって決まってくるため、歯丈中央部の歯面硬さは設計時に意図された適正な値を保っていなくてはならないためである。特許文献4による方法で歯先エッジ部を軟化させる処理も不適切な条件で行うと、歯先部のみならず歯丈中央部の硬さも低下させ、歯車の動力伝達性能を低下させる。したがって、歯面損傷の大きな発生原因を除去する目的の歯先の硬さを低下させる処理も、歯丈中央部の硬さは下げない処理技術であることが不可欠である。歯先エッジ部の軟化処理を行うと、歯先エッジ部、歯丈中央部、歯元部の順に硬さ低下の程度が減少する。したがって、歯丈中央部の硬さを処理前に比べて、あるいは設計指示された値に比べて、例えばHV80以下の低下に抑えねばならず、歯先エッジ部の硬さはそれよりもHV100程度以上は低下していることが望ましい。そうすると、歯元部と歯先エッジ部の硬さの差はそれ以上に大きくなり、歯元の安全性へのマージンはより大きくなる。
【0024】
駆動歯車と被動歯車は、通常、まったく別個に製造されるため、歯車製造時において、駆動歯車の歯元の硬さと被動歯車の歯先部の硬さを比較することは現実の生産現場においては難しい。歯車の製造管理の観点からは、駆動歯車、被動歯車おのおのについて、製造管理処理が独立して可能であることが望ましい。歯先エッジ部の軟化処理により、被動歯車の歯先硬さが未処理の場合に比べて例えば0.8倍に低下したとすると、駆動歯車の歯元の強さを決める指標である駆動歯車の歯元部に対する被動歯車の歯先部の硬さの比率も、未処理の場合に比べて0.8倍となり、歯面の耐力は歯面硬さに比例的であることを考えると、駆動歯車の歯元は未処理の場合に比べて1/0.8=1.25倍安全になる。すなわち、歯丈中央部や歯元歯面の硬さを殆ど低下させず、歯先の硬さのみを低下させれば、相手歯車とかみ合わせて場合においても損傷発生確率の少ない歯車を、歯車の製造管理上の問題を生じさせずに製造することができる。
【0025】
こうした観点から、本発明は、個々の歯車の製造管理や品質管理をシンプルで簡易なものとしつつ、歯車自体の損傷低減と歯車装置の故障低減を実現でき、品質管理、安全性向上に大きく寄与し、製造時に歯形の変形加工を伴うこともない歯車とその製造方法を提供しようとするものである。
【課題を解決するための手段】
【0026】
本発明は、今までの製造工程では作ることができなかった歯車、すなわち、噛み合いにより歯面と歯面が接触し歯車軸を中心とした回転運動することにより駆動歯車から被動歯車に動力を伝達する歯車装置を構成する前記駆動歯車又は前記被動歯車のいずれか一方又は両方に適用される歯車であって、焼戻し又は焼鈍しにより軟化させた状態の各歯の歯先エッジ部の硬さが、歯丈中央部の歯面の硬さよりも軟らかいことを特徴とする歯車である。本発明の歯車では、焼戻し又は焼鈍し処理により、歯面中央部並びに歯元部の硬さ低下がないか、或いは硬さ低下が極く僅かであることが特徴となる。各歯の歯先エッジ部の硬さと比較する対象は、同じ歯車の任意の歯の歯丈中央部の歯面とすることができるが、同じ歯の歯丈中央部の歯面とすることもできる。
【0027】
本発明における歯先エッジ部の軟化処理によって、軟化が歯先エッジ部のみならず歯丈中央部、歯元部に及んだ場合において、歯元部より歯丈中央部の硬さ低下が著しい。最も硬さ低下が著しいのは歯先エッジ部である。したがって、本発明の歯車を適用した歯車装置では、歯車同士の噛み合い時において、駆動歯車の歯元部の歯面にそれよりも軟らかい被動歯車の歯先エッジ部が接触した際に、相対的に硬さが低い被動歯車の歯先エッジ部が自然に潰れて(塑性変形して)丸められるため、駆動歯車の歯元部の歯面の損傷を容易に予防することができることになる。本発明の技術を用いることで、歯車強度化のための従来の傾向であった硬さ上昇手法とは逆に、動力伝達に直接関わることがない歯先エッジ部を焼戻し又は焼鈍し処理によって積極的に軟らかいものとすることで、損傷の確率やその程度を低下させることができる。このような技術によれば、特許文献3の発明と同様に、歯車寿命を長くし、歯車装置を組み込んだ装置の故障原因も減少させることができる。なお、駆動歯車及び被動歯車の歯先エッジ部及びその極く近くの歯先面は、歯車装置における動力伝達には殆ど関与しないため、相手歯車の歯元歯面との接触により丸められるなどの変形が生じても、歯車装置の稼働には影響を及ぼすことがなく、本発明により歯元部の損傷を防止できること、ならびに軟化された歯先エッジ部は欠損(チッピング)を生じ難く、歯車装置の延命に大いに寄与するものである。
【0028】
このように、従来であれば最も硬い領域となるはずの歯先エッジ部を軟化させ、その歯先エッジ部の硬さと、歯丈中央部の歯面の硬さを比較することによって、単独の歯車における各部硬さの分布が設計通りに歯先エッジ部の方が歯丈中央部の歯面よりも軟らかくなっているかどうかのテストが容易になり、歯車の製造管理、品質管理の仕方を極めてシンプルで簡便なものとすることが可能となる。すなわち、本発明の歯車を適用した歯車装置では、歯車同士の噛み合いに起因する故障発生を低減することができ、安全管理についてもシンプルで簡易なものとすることができ、歯車及び歯車装置の品質管理と安全性を飛躍的に向上させることが可能となる。
【0029】
なお、本発明の対象となる歯車には、平歯車、はすば歯車、傘歯車、ねじ歯車、ハイポイド歯車、内歯歯車、ラック・ピニオン、ウォーム・ウォームホイール等、あらゆる種類の歯車が該当し、駆動歯車と被動歯車の両方が含まれる。本発明において歯先エッジ部は、各歯の歯先エッジを含んで歯末歯面から歯形方向の歯面にかけての限局された一定の領域(特に歯形方向へは歯先エッジから約0.2m以内の範囲。「m」は歯直角モジュール)を指しているものとする。また、歯丈中央部とは、歯車の各歯における歯丈の全長の約半分の部位(ピッチ円が通過する部位の近傍)を指していうものとする。なお、歯車における各部の硬さ(硬度)は、測定ポイントごとにバラツキがあるため、歯先エッジ部と歯丈中央部の歯面における硬さ(又は軟らかさ)とは、それらに含まれる領域の複数ポイントで測定された硬さの平均値によって評価することとし、以下に述べる各発明の説明においても同様とする。
【0030】
単独の歯車において、上述した通り、歯先エッジ部が歯丈中央部の歯面よりも軟らかい状態であることを前提として、歯先エッジ部と歯元歯面の硬さを比較する場合、歯先エッジ部が歯元歯面よりも軟らかければ、歯先エッジ部が歯車稼働開始直後から相手歯車の歯元歯面の硬さに負けて自動的に丸められるようにすることで、トロコイド干渉に伴う損傷を抑制することができるため、歯元歯面の剥離損傷を大幅に減少させることができるようになる。しかしながら、歯先エッジ部と歯元歯面が同程度の硬さである歯車も、本発明の基本的な考え方を逸脱するものではない。
【0031】
歯先エッジ部の硬さは、歯丈中央部の歯面よりも軟らかく、また歯元歯面の硬さよりも軟らかいことが望ましい。具体的には、後述する実験の結果から、歯先エッジ部の硬さが、歯丈中央部の歯面よりもHV120以上軟らかいこと、また歯元歯面よりもHV170以上軟らかいことが望ましい。歯先エッジ部の硬さが小さいほど、相手歯車と同種の歯車を組み合わせて歯車装置とした場合に、歯先エッジ部が相手歯車の歯丈中央部の歯面や歯元歯面との接触により容易に丸められやすくなるため、歯元歯面の損傷の発生確率や損傷の程度を低減することができる。
【0032】
本発明の歯車において、歯丈中央部の歯面よりも軟らかい歯先エッジ部としては、焼戻し又は焼鈍しされた状態の歯先エッジ部であることが望ましい。なお、歯車の製造工程において、歯車全体を焼入れ・焼戻しされることが通常であるが、その工程の後に、歯先エッジ部のみを限定的な対象として更に焼戻しすること又は焼鈍しすることで、焼戻し又は焼鈍しされた状態の歯先エッジ部が得られる。焼戻しは、焼入れによってマルテンサイト化して硬く脆くなった鋼組織を再加熱することで硬さを調整し、軟らかくさせながら組織に粘りや強靱性を与える工程として常用されているが、通常は部品全体(本発明であれば歯車)に対して、あるいは軸物であればその部品の一部に対して施される熱処理であり、歯先のエッジといった部品の極く一部(局所)のみを焼戻すということは通常行われることはない。また、焼鈍しは、加工工程で発生する加工硬化や残留応力などの内部の歪みを取り除き、組織を軟化する熱処理工程であるが、やはり歯先のエッジといった部品の極く一部(局所)のみを焼戻し又は焼鈍しするということは通常行われることはない。本発明では、歯先エッジ部のみを焼戻し又は焼鈍しされた状態とすることで、歯先エッジ部のみを選択的に軟らかく、粘りと強靱さを持った性質とすることで、歯元歯面に対して軟らかい歯先エッジ部を備えた歯車とすることができる。歯先エッジ部の加熱された局所の温度状態の絶対値を管理することは実際には難しく、特に局所的な短時間の加熱の場合は焼戻しあるいは焼鈍しのどちらの現象が起こっているのか判別することができないことが一般的であると考えられるが、加熱温度が変態点を超えない焼戻しでも温度が高くなればなるほど加熱箇所の硬さが低下することは、焼鈍しと同様である。但し、熱処理シミュレーションを行う場合は、最高温度が明確に表示されるため、最高温度が727℃を超えている場合には焼鈍しが起こっており、727℃を超えていない場合には焼戻しが起こっていると解釈すればよい。
【0033】
噛み合いにより歯面と歯面が接触し歯車軸を中心とした回転運動することにより駆動歯車から被動歯車に動力を伝達する歯車装置を構成する前記駆動歯車又は前記被動歯車のいずれか一方又は両方に適用される本発明の歯車の製造方法としては、焼入れ後の歯車に対する各歯の歯先エッジ部を対象に、焼戻し又は焼鈍しによる歯先エッジ部軟化処理工程を経ることにより、歯先エッジ部の硬さが歯丈中央部の歯面の硬さよりも軟らかい歯車を製造する方法が適している。
【0034】
歯先エッジ部軟化処理工程では、各歯の歯先部を特異的な対象とした熱処理を行うことが好適であり、それに適した焼戻し方法又は焼鈍し方法の1つとしては、歯先エッジ部に対する高周波誘導加熱による焼戻し法又は焼鈍し法を挙げることができる。この場合、歯車の歯先の近傍に高周波誘導加熱コイルを配置し、このコイルに歯車の材質に応じた温度及び時間条件下で通電することで歯先エッジ部を加熱した後、自然冷却することにより歯先エッジ部を特異的且つ選択的に焼戻し又は焼鈍して軟化させる方法を採用することができる。
【発明の効果】
【0035】
本発明の歯車は、焼戻し又は焼鈍し処理によって歯先エッジ部を、その歯車の歯丈中央部の歯面よりも軟らかくするものであるため、歯車装置を構成する相手歯車との硬さを比較するよりも、はるかに簡単に製造や品質管理を行うことができ、安全上の管理工数やコストを低減することができる。その結果、歯車装置を稼働させた場合に、歯先エッジ部が相手歯車の歯の歯元歯面と接触して塑性変形を起こし丸められることになるため、相手歯車の歯面に対して及ぼす損傷の発生確率や損傷の程度を下げることにつながる。同時に、比較的軟らかい歯先エッジ部の脆性的破損も防止できる結果、歯車寿命を大幅に延ばし、歯車装置やそれを組み込んだ装置の故障も防止することができる。また、高周波焼鈍し法(高周波誘導加熱法による焼鈍し方)等を利用して歯先エッジ部を局所的に加熱して軟化させる工程を経ることで、本発明の歯先エッジ部のみを軟化させた歯車を低コストで製造することができる。
【図面の簡単な説明】
【0036】
図1】従来の歯車で生じている歯の損傷例、事故例を写真で示す図。
図2】従来の歯車の噛み合い理論にのらない歯先エッジの接触状態を示す説明図。
図3】従来の相手歯車の歯先エッジによる歯元歯面への攻撃状態を示す模式図及び歯筋クラウニングにより攻撃された歯元歯面の状態を写真で示す図。
図4】従来の歯車における歯元及び歯先エッジ部の接触による想定外接触応力の発生状態を示す模式図。
図5】従来の歯車において歯先エッジ部により歯元歯面が攻撃されてできた損傷例を写真で示す図。
図6】本発明の一実施形態の噛み合い状態にある歯車対を示す図。
図7】同実施形態の歯車の焼入れ直後における正面歯形(a)及びその歯先部分(c)及び運転後における正面歯形(b)及びその歯先部分(d)の拡大図。
図8】同実施形態の歯車の製造方法を示す図。
図9】同実施形態の歯車の製造方法中、歯先エッジ部軟化工程の例を示す図。
図10】同実施形態の歯車の製造方法中、歯先エッジ部軟化工程の例を示す図。
図11】浸炭焼入れ歯車の歯先部に対する局所的加熱シミュレーションにおける(a)歯車を示す模式図、(b)歯車の諸元表、(c)加熱条件を示す図。
図12】同シミュレーションの解析モデルにおける(a)歯車の歯と加熱コイルの配置態様を示す図、(b)歯車を流れる渦電流を示す模式図、(c)歯先軟化領域を示す模式図。
図13】同シミュレーションの解析モデルにおける(a)換算硬さの算出方法を示す図、(b)焼戻しパラメータを示す図。
図14】同シミュレーションの解析結果として、(a)加熱終了時の温度分布と換算硬さの分布を示す図、(b)歯先の換算硬さを示す図、(c)歯先軟化境界の換算硬さを示す図。
図15】サンプル歯車の化学組成と諸元、焼戻し処理前の歯の拡大写真を示す図。
図16】7番~17番の各歯に焼鈍し処理を行った後のサンプル歯車の状態を写真で示す図。
図17】サンプル歯車に対する焼戻し処理条件を示す図。
図18】サンプル歯車の各歯に対する硬さ分布の調査領域と、22番の基準歯の硬さ分布の測定結果グラフを示す図。
図19】サンプル歯車に焼戻し処理を行った後の7番~17番の各歯の状態を拡大写真で示す図。
図20】サンプル歯車の7番~12番の各歯の硬さ分布の測定結果グラフを示す図。
図21】サンプル歯車の13番~17番の各歯の硬さ分布の測定結果グラフを示す図。
図22】サンプル歯車の各歯の焼戻し処理による各部の硬さの低下の程度、各部の硬さの差を一覧表として示した図。
【発明を実施するための形態】
【0037】
以下、本発明の一実施形態を、図面を参照して説明する。
本実施形態では、本発明の歯車1を適用した駆動歯車11及び被動歯車12からなる歯車対Sの一例と、その歯車1の製造方法の数例を説明することとする。ここでは説明を簡略化するため、歯車対Sとして一対の歯車1(説明を簡単にするため、駆動歯車11及び被動歯車12は共に同じ平歯車であるとする。しかし、この説明は、異なる種類の歯車である駆動歯車11及び被動歯車12を用いて歯車対Sを構成した場合にも有効なものである。)を例に挙げ、その噛み合い部分を拡大した断面図として図6に示している。
【0038】
図7(a)に焼入れ直後の歯車の一部の歯の正面歯形を部分的に拡大し、図7(c)にその歯先エッジ部10Xを誇張し拡大して示す。この歯車に歯先エッジ部の軟化処理を施した歯車1(駆動歯車11及び被動歯車12)もその歯の形状は変わらない。しかし、この歯車1は、各歯10の歯先エッジ部10Xが歯丈中央部の歯面10Yよりも軟らかく製造されたものである。同図では歯車1の一部の歯10のみを示しているが、歯先エッジ部10Xと歯丈中央部の歯面10Yの硬さの関係は、全ての歯10について実質的に同じである。ここで、本実施形態において歯先エッジ部10Xとは、各歯10の歯先エッジ101を含んで歯先面102から歯形方向の歯面103にかけての限局された一定の領域であると定義しており、特に歯形方向へは歯先エッジ101から一定の範囲(約0.2m以内の範囲)を指すものとする。この歯先エッジ部10Xは、通常利用されている歯面耐久力評価法の歯先側の有効範囲外である。歯丈中央部は、各歯10の全歯丈(歯元から歯先までの全長)の1/2前後の長さの部位のことである。通常は、この歯丈中央部の歯面10Yにおいて、歯の硬さや強度等が設計・評価されている。
【0039】
中小形歯車では焼入れ処理後の歯車の歯丈中央部と歯元部の硬さはほとんど変わらないのが、従来から機械工業で多用されている歯車焼入れ処理での経験である。図18に示す実験結果(後述)においてもそれが認められている。いま、図6において、歯先エッジ部の軟化処理により、被動歯車12の歯先エッジ部10X12の硬さH10X12が未処理の場合の硬さH 10X12に比べて例えば0.8倍に低下したとする(H10X12=0.8*H 10X12)。この時、歯元部の硬さも歯先エッジ部10X12の軟化処理の影響を受けてなにがしかは低下する傾向にあるが、その程度は極くわずかである。歯元部の硬さまで低下するような処理だと、歯丈中央部の硬さはより大きく低下し、歯車の動力伝達性能が極端に劣化するのでこの歯先エッジ部の軟化処理は不可である。すなわち、歯先エッジ部10X12の軟化処理は歯丈中央部(歯面10Y)ならびに歯元部(歯面10Z)の硬さが殆ど変化しない状況で行われねばならない。したがって、歯先エッジ部10Xの軟化処理の効果を検討する際には、処理前後で歯元部10Z12の硬さは変化しないと考えて良い。被動歯車12のみに歯先エッジ部10X12の軟化処理が施されている場合、駆動歯車11の歯元の強さを決める指標である駆動歯車11の歯元部の歯面10Z11の硬さH 10Z11に対する被動歯車12の歯先部の硬さH10X12の比率H 0X12/H 10Z11は、未処理の場合のそれH 10X12/H 10Z11に比べて0.8倍となり、駆動歯車11の歯元は未処理の場合に比べて1/0.8=1.25倍安全になる。駆動歯車11にも被動歯車12と同様の歯先エッジ部10X11の軟化処理が施され、歯先エッジ部10X11の硬さがH 10X11からH10X11に低下していても、歯元部10Z11の硬さH10Z11は未処理の場合の硬さH 10Z11に比べて低下していないので、同様の説明が成り立つ。すなわち、各々の歯車1単独で、歯元部10Zの硬さや歯丈中央部10Yの硬さに対して歯先エッジ部10Xの硬さのみを低下させても、歯車1の損傷発生の危険度を下げることができる。
【0040】
なお、歯先エッジ部10Xの軟化処理を施した歯車1を運転して行くと、軟化された歯先エッジ部10Xは塑性変形や摩耗を起こし、その形状は図7(a)及び(c)から図7(b)及び(d)のように自然に丸められてゆく(図7(b)は同図(a)に対応する正面歯形の部分的拡大図、図7(d)は同図(c)に対応するその歯先エッジ部10Xを誇張した拡大図である)。この丸められた歯先形状は、従来、設計図面で指示された機械加工を行い、多くの手数をかけて歯先形状修整を行って歯車1の運転性能を上げる状況を、運転中に自然に発生させるものである。すなわち歯先エッジ部10Xの軟化処理を施した歯車1は、運転に伴い自動的に運転性能を上げる効果をもたらすようになるものである。このような歯車1の損傷可能性の低減は、本実施形態の歯車1であれば、その製造時に評価することができる。すなわち、製造された歯車1において、歯先エッジ部10Xの硬さが、同じ歯10の歯丈中央部の歯面10Y、又は同じ歯車1の任意の歯10の歯丈中央部の歯面10Yの硬さと比較して軟らかければ、同じ性状の歯車1を相手歯車として組み合わせて歯車装置Sを構成するため、駆動時に一方の歯車1の歯先エッジ部10Xが相手歯車1の歯元歯面10Zを損傷する可能性が低いことが予め分かることから、個々の歯車1の製造管理、品質管理を容易に行うことができ、歯車装置Sの故障の低減を事前に保証することができるようになる。
【0041】
また、単一の歯車1において、歯先エッジ部10Xが歯丈中央部の歯面10Yよりも軟らかいものの、歯元歯面10Zと同程度の硬さである場合や、歯元歯面10Zよりも硬い場合であっても、その硬さが従来の未処理の場合に比べて低下しているため、少なくとも歯元歯面10Zの損傷は低減することができ、その歯車1自体の製造管理や品質管理における効率性は担保することができる。また、異なる性状の歯車1同士を組み合わせて歯車対Sを構成した場合であっても、相手歯車1への損傷の可能性や歯車対Sの故障の可能性は従来よりも低減されることが期待することができる。
【0042】
次に、本実施形態の歯車1の製造方法について説明する。歯車1は、本実施形態の場合、切削加工され、研削等の仕上加工される歯車を想定している。図8は概略的な製造工程を例示したものである。一般的な製造工程では、鋼材から切断処理を経た切断品が、旋盤等により切削等により歯車素材(ギヤブランク)を作成するブランク加工工程S1、その歯車素材を歯切りする歯切工程S2、歯切り後の素材に対して浸炭焼入れ、焼準し(やきならし)等の熱処理を施す熱処理工程S3、次いで多くの場合、歯車精度を上げるために歯面研削仕上等の仕上工程S4が行われる。但し、歯車によっては仕上げ工程S4が施されないものもあるが、その場合にも本発明は有効である。従来は、この状態で製品歯車として使用されるか、或いはショットピーニングやコーティング等を施す表面処理工程S6を経て歯車製品S7となるが、仕上工程S4と表面処理工程S6の間に、歯先エッジ部10Xに対する局所焼戻し処理又は局所焼鈍し処理工程(以下、「歯先エッジ部軟化工程S5」という)を加入している。本実施形態では、本発明において特徴的な歯先エッジ部10Xのみを軟らかくするための歯先エッジ部軟化工程S5を行っている。以降にこの処理の数種について説明する。なお、歯先エッジ部軟化工程S5は、歯面の最終仕上加工の前あるいは後に行われる場合もある。本実施形態で説明する歯先エッジ部軟化工程S5では、一般的な高周波焼戻し法又は高周波焼鈍し法と同様に高周波電源を利用して対象物を誘導加熱し、焼戻し処理又は焼鈍し処理を行うが、通常の高周波焼入れ法や高周波焼戻し法、高周波焼鈍し法と顕著に異なる点は、処理対象である歯車1の歯10の全体を加熱するのではなく、歯先エッジ部10Xのみを従来よりも高周波の電源を用い、高周波のスキンエフェクトを利用して局所加熱する点である。
【0043】
まず一例目として、円形コイル20によって歯車1の各歯10における歯先エッジ部10Xのみを軟化させる歯先エッジ部軟化工程S5について説明する。図9(a)に断面図として示すように、処理対象である歯車1の歯先面102の外側近傍に、歯先円10cよりも僅かに直径の大きい円形コイル20を、歯車軸1zと略同心となるように配置する。円形コイル20は、図示しない高周波電源に接続されており、円形コイル20に通電することで、歯先を対象として加熱する。その際、各歯10の歯先に対する電磁誘導加熱の状態ができるだけ平均化させるために、歯車軸1zを中心として歯車1を回転(図中矢印方向)させながら円形コイル20への通電を実行することが望ましい。この場合、高周波周波数、印加電圧・電流のほか、歯車1の回転に伴う歯先円10cと円形コイル20の内周20aとのギャップ差の関数として、歯先エッジ部10Xには略正弦波状の高周波変動磁界が働き、時間経緯で加熱されてゆくこととなる。若干の時間経過後、歯先エッジ部10X付近の温度分布が適切になった時点で通電を止めると、歯先は雰囲気中への放熱と歯車1の内部への熱伝導により自然冷却され、歯先エッジ部10Xが焼鈍しされて軟化することとなり、歯先エッジ部軟化工程S5が終了する。
【0044】
この例では、歯車1として平歯車に対する歯先エッジ部軟化工程S5について説明したが、歯幅が広い歯車1の場合や、円形コイル20で歯車1の全体を同時且つ一斉に加熱できないときには、円形コイル20を歯車軸1zと平行に移動させながら加熱したり、この操作を複数回繰り返すようにしてもよい。また、円形コイル20に代えて、コイルを断面真円形状からズレた形状としたり、多角形状とすることも可能であり、その場合には歯車1を回転させながら加熱することが好適である。さらに、円形コイル20は切れ目のない断面円形状とすることができるが、歯車1に対する円形コイル20の設置を容易にするために、一部を切り欠いた円形コイルや、一部に切れ目やヒンジを設けて開閉できるようにした円形コイルを利用することも可能である。
【0045】
歯先エッジ部軟化工程S5の二例目は、板状コイルを用いて歯車1の歯先に対する焼戻し処理又は焼鈍し処理を行う例である。この例では、図9(b)に示すように、高周波電源に接続した1つの板状コイル21を用いており、一例目の円形コイル20と同様に、板状コイル21を歯車1の歯先面102の外側近傍に、歯先円10cから僅かに離すようにしている。この状態で歯車1を回転(図中矢印方向)させながら板状コイル21に高周波通電すると、板状コイル21が発生する磁界近傍を歯先が通過する際に歯先エッジ部10Xが加熱され、すぐに自然冷却されるという略パルス状に温度変化する状態が繰り返される。この例の場合、歯車1の回転速度を変化させると加熱時間を調整することが可能であり、最適の歯先エッジ部10Xの焼戻し条件又は焼鈍し条件を設定することが容易となる。そして、所定の回転数又は回転時間の経過後、歯先エッジ部10X付近の温度分布が適切になった時点で通電を止めると、歯先は雰囲気中への放熱と歯車1の内部への熱伝導により自然冷却され、歯先エッジ部10Xが焼鈍しされて軟化することとなり、歯先エッジ部軟化工程S5が終了する。この例の歯先エッジ部軟化工程S5の利点は、大型歯車に対しても容易にコイルを製作できること、板状コイル対21に対する歯車1の設置が極めて容易であること、大きさの異なる歯車に対しても1つのコイル21で対応することができることが挙げられる。
【0046】
歯先エッジ部軟化工程S5の三例目は、2枚の板状コイルを用いて歯車1の歯先に対する焼戻し処理又は焼鈍し処理を行う例である。この例では、図10(a)に示すように、それぞれ高周波電源に接続した2つの板状コイル22a,22aからなる一組の板状コイル対22を用いており、各板状コイル22aを歯車1の例えば直径方向に対向配置し、一例目や二例目の場合と同様に、各板状コイル22aを歯車1の歯先面102の外側近傍に、歯先円10cから僅かに離すようにしている。この状態で歯車1を回転(図中矢印方向)させながら各板状コイル21aに高周波通電すると、各板状コイル22aが発生する磁界近傍を歯先が通過する際に歯先エッジ部10Xが加熱され、すぐに自然冷却されるという略パルス状に温度変化する状態が繰り返される。この例で、2つの板状コイル22a,22aを被処理歯車(歯車1)の直径の180度対応位置に配置することにより、歯車1の偏心等が当該歯車1の各歯10の加熱状態を不均一にする影響をなくすることができる。また、各板状コイル22aに、異なる周波数の高周波電源を接続することができる。それにより、板状コイル22a、22aごとに通電時の電圧と電流の周波数を変えることによって、歯先部の材料中(歯車1の内部)の渦電流熱源の深さや、発熱の歯先エッジ部10Xへの集中程度等を変化させ、歯先エッジ部10X付近の温度分布をより適切に調整することが可能である。一方、歯車1の直径の両側位置に配置される2つの板状コイル22a、22aが発生する磁界が等しくなるよう、両板状コイル22a,22aに同じ電圧で等しい周波数の等しい高周波電源が用いることもできる(両板状コイル22a,22aを共通の高周波電源に接続するとよい)。これにより、各板状コイル22aと歯車1の歯先円1cとの間の距離の変動が歯先部の発熱に及ぼす影響がキャンセルされ、歯車1の偏心や、歯車1の設置位置の不正確さに関わらず、全ての歯先が均等に加熱される状況を作ることができる。この例の場合、歯車1の回転速度を変化させると加熱時間を調整することが可能であり、最適の歯先エッジ部10Xの焼戻し条件又は焼鈍し条件を設定することが容易となる。そして、所定の回転数又は回転時間の経過後、歯先エッジ部10X付近の温度分布が適切になった時点で通電を止めると、歯先は雰囲気中への放熱と歯車1の内部への熱伝導により自然冷却され、歯先エッジ部10Xが焼鈍されて軟化することとなり、歯先エッジ部軟化工程S5が終了する。この例の歯先エッジ部軟化工程の利点は、コイルの製作が容易なことと、板状コイル対21に対する歯車1の設置が極めて容易であることが挙げられる。
【0047】
第二例目と第三例目のように、板状コイルを利用する歯先エッジ部軟化工程S5では、板状コイルの数を1つ以上で実施できることから、任意の複数個の板状コイルを適用することができる。その例として歯先エッジ部軟化工程の四例目も、板状コイルを用いて歯車1の歯先に対する焼戻し処理又は焼鈍し処理を行う例であるが、この例では、図10(b)に示すように、それぞれ高周波電源に接続した二組の板状コイル対23,24を用いている点で、上述した三例目と異なる。この四例目では、板状コイル対23を構成する一対の板状コイル23a,23aと、板状コイル対24を構成する一対の板状コイル24a,24aを、それぞれ歯車1の直径方向に90度の角度位相を変えて対向配置し、一例目から三例目までと同様に、各板状コイル23a,24aを歯車1の歯先面102の外側近傍に、歯先円10cから僅かに離すようにしている。この場合、板状コイル対23と板状コイル対24とで通電時の電圧と電流の周波数を変えることによって、歯先部の材料中(歯車1の内部)の渦電流熱源の深さや、発熱の歯先エッジ部10Xへの集中程度等を変化させ、歯先エッジ部10X付近の温度分布をより適切に調整することが可能である。この例と同様に、一対の板状コイルからなるコイル対をさらに増加させることもできる。
【0048】
以上のような歯先エッジ部軟化工程S5では、次に実施例で説明するように、ごく短時間の加熱によって歯先エッジ部を焼鈍しすることができ、その方法も簡便であることから、通常の歯車1の製造工程に歯先エッジ部軟化工程を加えるだけであり、大きなコストアップを招来することなく、損傷の少ない歯車1を効率的に製造することができる。なお、以上に説明した歯先エッジ部軟化工程では、平歯車を対象とした歯先エッジ部10Xの軟化処理について説明したが、これらの例では周方向に沿って歯が形成された歯車全般について適用することができる。また、傘歯車やハイポイドギヤなどについても、加熱用コイルの形状と前掲の説明と同様に歯先頂部より僅かに離れた状態に設置できるよう設計することにより、同様の歯先エッジ部の軟化処理が可能である。また、内歯歯車の場合には、歯が形成されている歯車の内周側に配置したコイルで加熱したり、ラックの場合には板状コイルで加熱するなど、種々の高周波焼鈍しによる方法で歯先エッジ部軟化工程を実施することができる。さらに高周波焼鈍し法以外にも、歯車の歯先エッジ部のみをターゲットとしてレーザー照射することにより加熱し、その後自然冷却させることで、局所的な歯先エッジ部軟化工程S5を実施することも可能である。いずれの方法による歯先エッジ部軟化工程S5であっても、歯車の材質に応じて、通電する時間や電圧や周波数、加熱温度等を適宜設定すればよい。
【0049】
ここで、浸炭焼入れ歯車の歯先部のみを表面硬さが400~500HVに低減する手法として、高周波焼き戻し法を採用するにあたって、加熱コイルの形状と加熱条件の検討を行うため、歯幅方向に沿って渦電流を発生させ、歯先エッジ部にスキンエフェクトで渦電流の局所集中が起こる加熱コイル形状でワーク(歯車100)を回転させない場合と、前述した図9及び図10のように回転させた場合につき、歯の硬さ変化の様子を解析するシミュレーションを行った。
【0050】
解析モデルには、ワークとして図11(a)に示すような歯車100の2歯モデルに適用した。具体的な歯車100の諸元は図11(b)に、加熱条件は図11(c)にそれぞれ示した通りである。解析モデルは、図12(a)に示すように、歯車100と加熱コイル200(ポリアイアンからなるコア210を備えている)の2歯3次元モデルとし、歯車100の上下部には、歯底への磁束の広がりを抑えるための治具300(S45C材)を配置した。図12(b)に、歯車100を流れる渦電流(比較的太い矢印で示す)の模式図を示す。この解析モデルにおいて、歯車100の各歯110における歯先部の軟化を目標とする領域(歯先軟化狙い領域)を図12(c)に示すように、歯先エッジ部110Xを含む幅0.5mmの領域を歯先軟化領域110Xaとし、この歯先軟化領域110Xaから歯面に沿って0.9mm以内の領域を硬さ遷移領域110Xbと設定し、その歯丈中央部側の境界線を歯先軟化境界110Xcと設定した。歯100の歯先部に対する周波数200kHz、0.4秒、750℃の局所加熱シミュレーションの解析結果で得られた温度履歴から、図13(a)に示す算出方法により、図13(b)に示した焼戻しパラメータを用いて換算硬さを算出した。なお、このシミュレーションでは、歯車100の浸炭焼入れ材であるSCr420Hに関する焼戻しパラメータが入手できなかったため、解析に用いた焼戻しパラメータには、SK5材の焼戻しパラメータを代用したが、換算硬さの傾向を見る目的としては問題ないものと考えられる。
【0051】
以上のようなシミュレーションにおいて、局所加熱時に歯車100を回転させない場合(回転なし)と、歯車100を回転させた場合(回転あり)の加熱終了時における解析結果として、温度分布と換算硬さ分布の様子を図14(a)に示す。また、歯先の換算硬さの解析値を図14(b)に示し、歯先軟化境界の換算硬さの解析値を図14(c)に示す。これらの解析結果から、歯幅方向に沿って渦電流を発生させる加熱コイル形状にて歯車100を回転させて加熱した場合、回転させない場合と比べて、歯先上下端角部では21~90℃の範囲で温度が高くなる傾向であった。また、歯車100を回転させて加熱した場合、解析結果の温度履歴から算出した歯先の換算硬さは、431~490HVとなり、歯先表面の狙い硬さである400~500HVを満足する結果であった。しかしながら、歯先軟化境界110Xcの換算硬さが681~714HVとなり、歯車100を回転させない場合と比べて、42~93HV低下する傾向であった。以上のシミュレーションにおける解析結果から、歯車100を回転させた場合、加熱コイルが歯車100の歯底側を通過する際に歯面側に電流が流れるため、歯車100を回転させない場合と比べて歯面側が昇温しやすくなり、換算硬さが低下する傾向になったと考えられる。
【実施例
【0052】
ここでは、上述した歯車の製造方法により得られたサンプル歯車を用い、歯先エッジ部、歯丈中央部の歯面、歯元歯面のそれぞれの硬さがどのように変化したかを実際に試験した例を示す。ただし、サンプル歯車として複数のものを用いると、硬さの数値にバラツキが生じる可能性が高くなるため、単一の歯車をサンプル歯車として用い、その製造工程中、歯先エッジ部軟化工程S5、すなわち本実施例では焼戻し処理の条件を各歯ごとに変化させて、各部の硬さ分布を調べている。サンプル歯車は、SCr40H棒鋼を材料としており、歯車材料の化学組成を、日本工業規格(JIS G0321)と比較して図15(a)に示す。サンプル歯車の諸元は図15(b)に示した通りであり、歯数26の平歯車である。
【0053】
熱処理条件は、900℃で130分間の炉加熱で浸炭処理の後、850℃で空冷し、続いて油中で140℃まで冷却して焼入れを施し、続いて160℃で120分間の焼戻し処理を行い、組織を調整したものである。図15(c)にサンプル歯車の部分拡大写真を示す。
【0054】
本試験例では、焼戻し処理後のサンプル歯車において、図16に示すように、26個の歯に1~26の番号を付し、そのうち7番~17番の各歯に対してそれぞれの歯に対して異なる条件で焼戻し処理による歯先エッジ部軟化工程を施している。これらの局所焼戻し処理の熱的影響を受けにくい22番の歯を未処理の基準歯として、局所焼戻し処理を行った歯の硬さ分布を調査した。22番の基準歯の実際の様子は、図15(c)に示した拡大写真のものと同様である。ここで、サンプル歯車に対する焼戻し処理の条件を図17に示す。焼戻し処理には、7番~13番の歯については周波数200kHzで出力50kWの高周波発振器、14番~17番の歯については周波数150kHzで出力100kWの高周波発振器を用いて各歯先エッジ部を同図に示した条件で高周波誘導加熱し、自然空冷焼戻しを実施した。
【0055】
硬さ分布は、サンプル歯車の側面全体(歯側面を含む)を研磨後、精密手仕上げで鏡面に仕上げを施し、50grf(グラム重)の低荷重でビッカース硬さとそのバラツキが正しく測れるようにした。図18(a)に示すように、試験対象及び基準歯について、歯面沿いに歯先から歯元に向かって、歯先エッジから1.5mmの範囲である歯先エッジ部近傍を第一領域R1(第一領域R1の始点近傍がちょうど歯先エッジ部に相当する)、第一領域R1の終点から1.5mmの範囲である歯丈中央部近傍を第二領域R2(第二領域R2の終点近傍がちょうど歯丈中央部の歯面に相当する)、第二領域R2の終点から1.5mmの範囲である歯元近傍を第三領域R3(第三領域R3の終点近傍がちょうど歯元歯面に相当する)として、各経路の始点側から終点側に向けての複数箇所で計測したビッカース硬さをプロットした。第一領域R1、第二領域R2、第三領域R3を連続して見る事により、歯先エッジ部近傍から歯元部近くまでの歯形に沿う歯面の硬さ分布を見ることができる。図18(b)に、基準歯である22番の歯の硬さ分布図を示す。歯先エッジ部に対する限局的な焼戻し処理を行っていない22番の歯では、それぞれ多少のバラツキがあるものの、第一領域では概ね800~1000HV、第二領域では概ね900~1000HV、第三領域では概ね900~1000HVの硬さ分布を示した。特に第一領域R1の始点近傍である歯先エッジ部と、第二領域R2の終点近傍である歯丈中央部の歯面、並びに第三領域R3の終点近傍である歯元歯面の硬さは、何れもおよそ900HVであり、モジュールの小さいこのサンプル歯車では硬さに殆ど差がないことが分かる。
【0056】
歯先エッジ部軟化工程S5としての焼戻し処理後の7番~17番の各歯の状態は、図19に示した拡大写真の通りである。各歯の歯先から歯丈中央部にかけての黒っぽく見える部分が、歯先エッジ部に対する焼戻し処理により表面に酸化膜が付着したところである。この領域の大半が軟化した部分となる。硬さ測定の結果として、7番~12番の歯の硬さ分布図を図20に示し、13番~17番の歯の硬さ分布図を図21に示す。7番~12番の何れの歯についても、第一領域R1、第二領域R2、第三領域R3の順に硬さが高くなってゆき、歯先側から歯元側に向けて次第に硬くなっている状態が示されている。特に、第一領域R1における歯先エッジ部の硬さは、約550HV(17番の歯)~約750HV(7番の歯)の範囲まで焼戻し処理条件の違いにより軟化していることが示されている。第二領域R2における歯丈中央部の歯面の硬さは、約750HV(9番、17番の歯)~約900HV(7番、10番、12番、14番の歯)の範囲であり、22番の基準歯と比較すると、焼鈍し処理による軟化の影響が少し及んでいることが示されている。第三領域R3における歯元歯面の硬さは、約800HV(16番の歯)~約950HV(7番、8番、14番の歯)の範囲であり、22番の基準歯と比較すると、過度に歯先エッジ部を焼戻ししたものではやや軟化して処理前の硬さが維持されていないことが示され、実用される歯車の処理として適切でない状態である。図20において、左図の第一領域R1の左端の硬さ、中央図の第二領域R2の真中(1.1mm)付近の硬さ、右図の第三領域R3の右端の硬さを比較して、歯先エッジ部の焼戻し技術の効果を評価する。適正な条件で歯先エッジ部が局所焼戻しが施されたと考えられる7番の歯では、歯先エッジ部の硬さがHV700程度にまで落ちているが、歯丈中央付近でHV900、歯元近くではHV950と硬さは全く落ちていない。9番の歯では各部の硬さは、歯先エッジ部でHV550、歯丈中央部でHV720、歯元近くでHV900である。
【0057】
図22は、図20及び図21の結果をまとめ、歯先エッジ部を含む歯先、歯丈中央部、歯元部(歯元よりも少し上の部分にて測定)の硬さが、歯先エッジ部の焼戻し処理によりどの程度低下したのか、歯先エッジ部と歯丈中央部及び歯元部でどの程度の硬さの差が生じたかを表にまとめた結果である。図中、「処理前」で示した硬さの値は、22番の基準歯における各部の硬さを示している。いま、第0039段落にて言及した通り、ここに開発した本発明の技術は、歯丈中央部並びに歯元部の硬さを低下させることなく歯先エッジ部のみが軟化されなければならない。このことを念頭に置き、従来の歯車運用の経験を参考にして、この処理により目的とする歯車損傷防止に効果があるのであろうかという評価基準を、例えば、(1)歯先(歯先エッジ部を含む。以下、同じ)と歯丈中央部との硬さの差がHV150以上で、(2)歯先と歯元部との硬さの差がHV200以上、(3)歯丈中央部の硬さ低下がHV100以下、(4)歯元部の硬さ低下がHV50以下と置くと、7番、10番、12番の各歯の条件でこの焼戻し処理をした歯車が合格品(図中、評価“OK”と示す)となる。なお、ここに例として挙げた硬さHVの閾値(HV150以上、HV200以上、HV100以下、HV50以下)は、向後、このエッジ処理技術の工業界での運用の経験により修正されてゆくべきものである。
【0058】
図20図21並びに図22では、適切な条件と適切でない条件で歯先エッジ部が局所焼戻しされた結果が混ざって示されているが、適切な条件で焼戻しされたのに近い7番、10番、12番の各歯の酸化膜の状態(図19参照)を見ると、焼戻し処理の加熱時にできた酸化膜の色の濃くなった領域が歯先部に留まり、歯丈の中程から歯元にかけては、処理中に温度が上がっていなかったことが認められる。
【0059】
なお、歯先エッジ部軟化工程における焼戻し処理の条件は、高周波焼入れコイルの設計、対象歯車に対するコイルの設置状態、歯車の材質や種類、歯の形状や大きさ、焼戻し処理を行う前の製造工程上の条件等、様々な要因によって変動するため、一意に定められるものではなく、個々の歯車に対して最適な条件を定めることが望ましいといえる。また、本発明における歯先エッジ部軟化工程S5としては、上述した実施例においては焼戻し処理に代えて、焼鈍し処理を採用しても同様の結果が得られる。
【0060】
歯面の硬さを本処理と歯車耐久性能の判断の基準に採用する場合、その硬さ測定値の信頼性を考慮しなくてはならない。日本歯車工業会規格JGMA9901-01:2020「歯車用鋼材のマイクロビッカース硬さ分布の多点観測法とその評価」のAnnex A「マイクロビッカース圧痕と硬さのバラツキ」によると、マイクロビッカース硬さHVの信頼性はHV30程度であり、また市販されている硬さ評価試験片の硬さばらつきも同程度であるという風評がある。本規格においてHVを定量的に論じる際には、このHV信頼性の幅も考慮しておく必要がある。
【産業上の利用可能性】
【0061】
本発明は、歯車装置の稼働時に歯丈中央部の歯面の損傷や歯元歯面のトロコロイド干渉による剥離損傷、歯先エッジ部の破損を防止することができる歯車を提供するに際し、その歯車自体の製造管理、品質管理、安全管理の容易さを飛躍的に向上することができるようになる歯車とその製造方法を提供するものであることから、歯車が適用される製品分野において極めて有益なものとなり得る。
【符号の説明】
【0062】
1,100…歯車
10,110…歯
10X,110X…歯先エッジ部
10Y…歯丈中央部の歯面
10Z…歯元歯面
S5…歯先エッジ部軟化工程
図1
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