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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B1)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2023-08-25
(45)【発行日】2023-09-04
(54)【発明の名称】摺動部材の表面処理方法及び摺動部材
(51)【国際特許分類】
   C23C 24/04 20060101AFI20230828BHJP
   B24C 1/10 20060101ALI20230828BHJP
   B24C 11/00 20060101ALI20230828BHJP
   F16C 33/10 20060101ALI20230828BHJP
   F16C 33/12 20060101ALI20230828BHJP
   F16C 33/14 20060101ALI20230828BHJP
【FI】
C23C24/04
B24C1/10 A
B24C1/10 G
B24C11/00 C
F16C33/10 Z
F16C33/12 Z
F16C33/14 Z
【請求項の数】 4
(21)【出願番号】P 2022210061
(22)【出願日】2022-12-27
【審査請求日】2023-03-07
(73)【特許権者】
【識別番号】000154082
【氏名又は名称】株式会社不二機販
(74)【代理人】
【識別番号】110002398
【氏名又は名称】弁理士法人小倉特許事務所
(72)【発明者】
【氏名】宮坂 四志男
【審査官】池ノ谷 秀行
(56)【参考文献】
【文献】特開平03-082774(JP,A)
【文献】中国特許出願公開第114645268(CN,A)
【文献】特開2005-016688(JP,A)
【文献】特許第5341971(JP,B2)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
F16C 33/10
F16C 33/12
F16C 33/14
B24C 11/00
C23C 24/04
B24C 1/10
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
潤滑油の存在下で他部材と接触させる摺動部材の金属製の摺動部に,粒度♯100~♯800のモリブデン,又はモリブデン合金から成る噴射粒体を,噴射圧力0.2MPa以上で噴射すると共に衝突させて前記噴射粒体中のモリブデンを拡散,浸透させることにより,前記摺動部の表面にモリブデン被膜を形成するモリブデン被膜形成処理を行った後の前記摺動部材の前記摺動部に二硫化モリブデンの粒体を噴射して衝突させる,後処理工程を含むことを特徴とする摺動部材の表面処理方法。
【請求項2】
前記モリブデン被膜形成処理を行う前に,前記摺動部材の前記摺動部に,該摺動部の硬度と同等以上の硬度を有し,且つ,略球状をなす粒度♯220~♯800のショットを噴射圧力0.2MPa以上で噴射すると共に衝突させることにより,前記摺動部の表面に円弧状の窪みを形成すると共に微細化された表面組織を得る,前処理工程を更に含むことを特徴とする請求項1記載の摺動部材の表面処理方法。
【請求項3】
潤滑油の存在下で他部材と接触させて使用する摺動部材の金属製の摺動部の表面にモリブデン被膜が形成され,かつ,前記モリブデン被膜に二硫化モリブデンを担持されたことを特徴とする摺動部材。
【請求項4】
ナノレベルに微細化された表面組織を有すると共に油溜りとなる円弧状の窪みが多数形成された前記摺動部の表面に,前記モリブデン被膜が形成されていることを特徴とする請求項記載の摺動部材。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は摺動部材の表面処理方法,及び摺動部材に関し,より詳細には,摺動部材の摺動部表面の摺動性を向上させることができる摺動部材の表面処理方法及び,前記表面処理方法により得られる表面構造を備えた摺動部材に関する。
【背景技術】
【0002】
摺動部材の表面処理方法の一つとして,加工硬化と圧縮残留応力の付与による表面強化を目的として行われる「ショットピーニング」がある。
【0003】
一例として後掲の特許文献1には,このようなショットピーニングによる表面処理方法として,金属成品の表面に対し該金属成品の母材硬度よりも高硬度の近似粒度3種以上のショットを混合して高い噴射密度で間欠的に衝突させることで金属成品表面の急速な加熱と急冷を瞬時に繰り返し行い,金属成品の表面付近に均一な微細組織を形成させると共に,金属製品の表面に油溜まりとなる微小径のディンプルを形成する瞬間熱処理方法が記載されていてる。
【0004】
また,摺動部材の潤滑方法として,黒鉛(C),二硫化モリブデン(MoS2),二硫化タングステン(WS2),及び,窒化ホウ素(BN)などの層状の結晶構造を有する層状構造物系の固体潤滑剤を使用した潤滑も知られている。
【0005】
このような層状構造物系の固体潤滑剤は,潤滑油やグリス等の流体潤滑剤に添加して使用される場合がある他,摺動部材の表面に固体潤滑剤の被膜を形成することで摺動性を向上させることも行われている。
【0006】
このような層状構造物系の固体潤滑剤の被膜を形成する方法に関し,後掲の特許文献2では,層状構造物系の固体潤滑剤の粒体を噴射粒体として噴射することにより摺動部材の摺動部に直接,層状構造物系の固体潤滑剤被膜を形成する方法についての検証がされている(特許文献2の段落[0007]-[0014])。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0007】
【文献】特許第5341971号公報
【文献】特許第3993204号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
地球環境の保全,及び気候変動対策として脱炭素化は全世界的な要求となっており,一例として自動車業界では,自動車の動力源がガソリンエンジンやディーゼルエンジン等の内燃機関から電気モータへ移行されつつあるという100年に一度の大変革期を迎えている。
【0009】
自動車用の電気モータのコアを構成するロータとステータは,いずれも所定形状に打ち抜かれた0.15~0.5mmの電磁鋼板を多数枚積層することにより形成されることから,電気自動車の基幹部品である電気モータの生産性を向上させ,電気モータ,ひいてはこれを搭載する電気自動車の価格の低下を図るべく,電磁鋼板の打ち抜き速度の向上に対する高い要望が存在する。
【0010】
このような要望から電磁鋼板の打ち抜きを行うプレス機では200spm (Shots Per Minute)以上の高速での打ち抜きが行われ,今後,この打ち抜き速度はさらなる高速化が求められることとなる。
【0011】
その結果,このような高速での打ち抜きに使用されるプレス機に設けられているクランクシャフト等の摺動部材は,カム等の他部材に対し高速での摺接に耐え得るものであることが必要となる。
【0012】
また,自動車の駆動源が内燃機関から電気モータへの早急な移行は,電気モータの主要材料である電磁鋼板の供給不足と価格上昇を引き起こすことが懸念される。
【0013】
そのため,自動車各社は使用材料の減少により電磁鋼板の供給不足と価格上昇に対応すると共に,併せてモータの軽量化を図るべく,自動車用の電気モータの小型化を推進する。
【0014】
その一方で,既存の内燃機関と同程度の最高出力を発揮させることができるよう,電気モータの小型化に伴うトルクの低下を回転速度の上昇によって補うべく,自動車用の電気モータの高回転速度化の研究,開発も同時に進められている。
【0015】
その結果,自動車用の電気モータの最高回転速度は現時点において13,000rpm程度,高回転型のもので20,000rpm程度あるが,数年内には50,000rpmにも達するとの予測もあり,自動車用の内燃機関の最高回転速度(6000~7000rpm程度)に比較して大幅に高い回転速度での使用が予定されている。
【0016】
そのため,このような高回転型の電気モータとインバータ,ギヤボックス等を一体化した自動車用の電動駆動モジュールである「電動アクスル」に設けられている軸受や,シャフト,ギヤ,その他の摺動部材もこのような高速での摺動に耐え得るものである必要があり,既存技術をそのまま転用して必要な摺動性を得ることが困難となりつつある。
【0017】
更に,脱炭素化の要求は自動車用の各種部品の製造にも及び,使用材料の削減等を目的として自動車部品の加工が切削加工から削り代が不要で材料に無駄がでない転造や圧造等の塑性加工による製造に移行されており,材料の大きな変形を必要とする複雑な形状の部品についても塑性加工により製造することが求められるようになっている。
【0018】
一方,このような塑性加工自体も省エネルギーで行われることが求められ,材料を加熱しない点で省エネルギーであると共に,熱による寸法変化が少なく寸法調整のための二次加工等が不要となる冷間での塑性加工が要望される。
【0019】
その結果,転造や圧造等に使用するダイ等の塑性加工用金型の成型面に対し,きわめて高い面圧で材料が摺接されるようになっており,これらの金型の使用条件も年々過酷さを増している。
【0020】
このように,一例として自動車関連の技術を見ただけでも摺動部材の摺動部に対する摺動条件の過酷さは年々増加の一途をたどるものとなっており,この傾向は,自動車関連の技術に限定されず,他分野の技術においても同様に求められるものとなっており,摺動部材の摺動部に対し既存の表面処理や潤滑油による潤滑を行うのみでは十分な摺動性能を得ることができなくなりつつある。
【0021】
一例として,前掲の特許文献1に記載の表面処理(瞬間熱処理)のように,ショットピーニングによる表面組織の微細化等により強化すると共に,微小径のディンプルを形成することで潤滑油の保持性を向上させたとしても,前述した高速,又は高い面圧で他部材と摺接する摺動部材では,潤滑油は温度が高くなり過ぎて粘性を失い,油膜切れが生じる結果,摺動部に焼き付きが生じることが本発明者による試験の結果,確認されている。
【0022】
このように,過酷な条件で他部材と摺接される摺動部材の摺動部にあっては,前述したショットピーニングによる表面強化や油溜まりとなるディンプル形成を行ったとしても,潤滑油による潤滑だけでは十分な摺動性を得ることができなくなってきていることに鑑み,本発明の発明者は,潤滑油による潤滑だけでなく,前述した固体潤滑剤についても併用した複合的な潤滑を試みた。
【0023】
しかしながら,ショットピーニングにより表面強化と油溜りとなるディンプルの形成に加えて,添加剤として二硫化モリブデンが添加されている潤滑油を使用しても,前述した過酷な摺動条件で摺動する摺動部の焼き付きを防止することはできなかった。
【0024】
そこで,本発明の発明者は,特許文献1のようにショットピーニングによる表面強化と微細なディンプルを形成する処理と,二硫化モリブデン被膜の形成という,2つの処理を複合的に行うことを考えた。
【0025】
しかしながら,特許文献2において既に検証されているように,二硫化モリブデンは層状の結晶構造を有する極めて脆い物質であるため,これを噴射粒体として高い噴射圧力で噴射して処理対象の表面に衝突させる方法で二硫化モリブデンの被膜を形成すると,一回の噴射で噴射粒体が粉々に破砕してしまい,一度使用した固体潤滑剤の粒体を循環させて再使用すると,加工条件が変化してしまうだけでなく,破砕の進行により噴射粒体が微細化するに従い摺動部材の表面には固体潤滑剤の被膜が形成され難くなる(特許文献2[0012])。
【0026】
このような被膜が形成され難くなる現象は,図3(A),(B)に示すように,処理対象の表面に向けて圧縮気体と共に噴射粒体を噴射すると,処理対象の表面には処理対象と衝突して反転した圧縮気体によって圧縮気体の層が形成されることに起因するものと考えられる。
【0027】
すなわち,このような圧縮気体の層の形成によっても,噴射粒体である二硫化モリブデンの粒体が破砕されていない,比較的大きな粒径を保っている状態(質量が大きい状態)では,図3(A)に示すように二硫化モリブデンの粒体は慣性によりこの圧縮気体の層を通過して処理対象の表面に到達することができる。
【0028】
しかしながら二硫化モリブデンの粒体が微細に破砕されて個々の粒体の質量が減少してしまうと,図3(B)に示すように二硫化モリブデンの粒体は処理対象の表面に形成された圧縮気体の層によってはじき返されると共に,圧縮気体と共に処理対象の表面に沿う方向に向きを変えられてしまうことで表面に到達できる粒体が少なくなることで二硫化モリブデンの被膜を形成でき難くなるものと考えられる。
【0029】
その結果,二硫化モリブデンの粒体を噴射して摺動部材の摺動部に直接,二硫化モリブデンの被膜を形成しようとすれば,噴射粒体として噴射する二硫化モリブデン粒体を循環して使用することができず,一回又は数回の噴射で入れ替えることが必要となり,二硫化モリブデン被膜の形成には多大なるコストが必要となる。
【0030】
また,二硫化モリブデンの粒体を噴射粒体として噴射することにより摺動部材の摺動部に二硫化モリブデン被膜を形成したところ,この方法により形成される二硫化モリブデン被膜は付着強度が比較的弱く,前述したような過酷な摺動条件で使用される摺動部材の摺動部に形成すると剥離が生じ得る。
【0031】
このような付着強度が弱い原因は,二硫化モリブデンが比較的低密度(密度:5.06g/cm3)で軽量であるため,二硫化モリブデンの粒体を摺動部の表面に衝突させた際の衝突エネルギーが比較的低いことで,摺動部材の表面に対する二硫化モリブデンの拡散,浸透が生じ難く浸透深さも浅くなることにあると考えられる。
【0032】
このような問題点に対し,前掲の特許文献2では,二硫化モリブデン等の層状構造物系の固体潤滑剤の粒体を単独で噴射するのではなく,表面を酸化させた軟質金属系固体潤滑剤の粒体と混合して噴射することを提案する(特許文献2の請求項1他)。
【0033】
しかしながら,異なる材質の噴射粒体を混合して使用すると,使用済みの噴射粒体や,粉塵等と共に回収された破砕等した噴射粒体の廃棄等に際して再度,材料毎に分別する必要が生じる等,事後の処理が煩雑となる。
【0034】
そこで本発明は,上記従来技術における欠点を解消するために成されたものであり,比較的簡単な方法により摺動部材の表面に付着強度が高く,かつ,高い潤滑性を発揮する固体潤滑剤被膜を低コストで形成し得る,摺動部材の表面処理方法を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0035】
以下に,課題を解決するための手段を,発明を実施するための形態で使用する符号と共に記載する。この符号は,特許請求の範囲の記載と,発明を実施するための形態の記載との対応を明らかにするためのものであり,言うまでもなく,本発明の技術的範囲の解釈に制限的に用いられるものではない。
【0036】
上記目的を達成するために,本発明の摺動部材の表面処理方法は,
潤滑油の存在下で他部材と接触させる摺動部材10の金属製の摺動部11に,粒度♯100~♯800のモリブデン,又はモリブデン合金から成る噴射粒体22を,噴射圧力0.2MPa以上で噴射すると共に衝突させて前記噴射粒体22中のモリブデンを拡散,浸透させることにより,前記摺動部11の表面にモリブデン被膜30を固体潤滑剤被膜の前駆体として形成するモリブデン被膜形成処理を行った後の前記摺動部材10の前記摺動部11に二硫化モリブデン23の粒体を噴射して衝突させる,後処理工程を含むことを特徴とする〔請求項1:図1(B)〕。
【0037】
前記モリブデン被膜形成処理を行う前に,前記摺動部材10の前記摺動部11に,該摺動部11の硬度と同等以上の硬度を有し,且つ,略球状をなす粒度♯220~♯800のショット21を噴射圧力0.2MPa以上で噴射すると共に衝突させることにより,前記摺動部の表面に円弧状の窪み12を形成すると共に微細化された表面組織13を得る,前処理工程を更に含めることができる〔請求項2:図1(A)〕。
【0039】
また,本発明の摺動部材10は,
潤滑油の存在下で他部材と接触させて使用する摺動部材10の金属製の摺動部11の表面に,固体潤滑剤被膜の前駆体を成すモリブデン被膜30が形成され,かつ,前記モリブデン被膜30には二硫化モリブデン23を担持されたことを特徴とする(請求項)。
【0040】
前記摺動部材10は,ナノレベルに微細化された表面組織13を有すると共に油溜りとなる円弧状の窪み12が多数形成された前記摺動部11の表面に,前記モリブデン被膜30が形成されたものとすることができる(請求項5)。
【発明の効果】
【0042】
本発明の方法で採用する「モリブデン被膜形成工程」によって摺動部材10の摺動部11に形成されるモリブデン被膜30は,その後の化学反応によって固体潤滑剤被膜となるものであり,固体潤滑剤被膜となる前段階の物質(本発明において『前駆体』と表現する)であって,それ自体が固体潤滑剤被膜となるものではなく,本発明の表面処理方法を実行しただけでは,摺動部材の摺動部に固体潤滑剤被膜は形成されない。
【0043】
しかしながら,鉱物油系の潤滑油には不可避的に硫黄分が含まれていることから,本発明の方法でモリブデン被膜30が形成された摺動部材10の摺動部11を,鉱物油系の潤滑油を介して他部材と摺接させると,摺接に伴う潤滑油の温度上昇によって潤滑油に含まれる硫黄分がモリブデン被膜30と化学反応して固体潤滑剤被膜である二硫化モリブデン被膜が生成される。
【0044】
また,合成油系の潤滑油を使用する場合であっても,潤滑油中に添加剤として二硫化モリブデンや二硫化タングステン等の硫化物が添加されている場合や,接触の相手方部材が硫黄分を含んでいる場合には,摺接時における潤滑油の温度上昇によってこれらの硫黄分がモリブデン被膜30と化学反応して固体潤滑剤被膜である二硫化モリブデン被膜が形成される。
【0045】
仮に,潤滑油と相手方部材がいずれも硫黄分を含んでいなかったとしても,摺接時に潤滑油の温度が上昇すると,モリブデン被膜30が酸素と化学反応して固体潤滑剤被膜である酸化モリブデン被膜が形成される。
【0046】
このように,本発明の表面処理方法によって摺動部材10の摺動部11にモリブデン被膜30を形成しておくことで,該摺動部材10が使用された際にはこのモリブデン被膜30を前駆体として必然的に二硫化モリブデン又は酸化モリブデンから成る固体潤滑剤被膜が生成されることで,摺動部の摺動性を向上させることができる。
【0047】
しかも,層状構造物であるため非常に脆い材料である二硫化モリブデンとは異なり,モリブデン(体心立方構造)及びモリブデン合金製の噴射粒体22は二硫化モリブデンに比較して堅く,繰り返しの使用が可能であることから,固体潤滑剤被膜の前駆体となる前述のモリブデン被膜30を経済的に形成することができる。
【0048】
硫化モリブデンの密度(5.06g/cm3)に比較してモリブデンやモリブデン合金の密度(モリブデンで10.28g/cm3)は高く,モリブデンやモリブデン合金製の噴射粒体22は衝突時に摺動部材10の表面に与える衝撃力も大きいことから,摺動部材10の表面の比較的深部にまでモリブデンを拡散浸透させることができ,付着強度の高いモリブデン被膜30を形成することができる。
【0049】
その結果,このような付着強度の高いモリブデン被膜30を前駆体として形成される二硫化モリブデン又は酸化モリブデンの固体潤滑剤被膜の付着強度も高く,高速での摺動や高い面圧を受けながらの摺動等,過酷な条件で使用される摺動部材10の摺動部11への使用に耐え得るものとすることができる。
【0050】
モリブデン被膜形成処理を行う前に,摺動部材10の摺動部11に,該摺動部11の硬度と同等以上の硬度を有し,且つ,略球状をなす粒度♯220~♯800のショット21を噴射圧力0.2MPa以上で噴射すると共に衝突させるショットピーニングにより,前記摺動部11の表面に円弧状の窪み12を形成すると共に,微細化された表面組織13を得るための前処理工程を行う構成では,ショットピーニングによる摺動部表面に対する結晶粒の微細化,加工硬化,及び圧縮残留応力の付与等に伴う機械的強度の向上や,円弧状の窪み12が油溜まりとなることによる潤滑性の向上が得られるだけでなく,表面組織13の微細化によって結晶粒界が増大することで,その後に行われるモリブデン被膜形成処理におけるモリブデンの拡散,浸透(粒界拡散)を生じさせ易くすることができた。
【0051】
その結果,モリブデン被膜30の付着強度,従って,モリブデン被膜30を前駆体として形成される固体潤滑剤被膜の付着強度の更なる向上を得ることができた。
【0052】
また,モリブデン被膜形成処理を行った後の前記摺動部材10の前記摺動部11に,二硫化モリブデン23の粒体を噴射する後処理工程を行うことにより,モリブデン被膜30に担持させた二硫化モリブデン23によって摺動部材10の使用開始初期における潤滑性が向上すると共に,担持された二硫化モリブデン23が硫黄の供給源となることで,潤滑油や接触の相手方部材が硫黄分を含まない場合においてもモリブデン被膜30を前駆体として二硫化モリブデンから成る固体潤滑剤被膜を形成させることが可能である。
【図面の簡単な説明】
【0053】
図1】本発明の摺動部材の表面処理方法を説明した模式図であり,(A)は前処理工程,(B)はモリブデン被膜形成工程,(C)は後処理工程の模式図。
図2】実施例1,比較例2-2の説明図であり,(A)は前処理後の表面状態の説明図,(B)は実施例1で行う硬質ビーズ(モリブデンビーズ)処理の説明図,(C)は比較例2-2で行う弾性研磨材による研磨の説明図。
図3】二硫化モリブデン粒体を噴射して行う固体潤滑剤被膜(二硫化モリブデン被膜)の形成時における問題点の説明図であり,(A)は二硫化モリブデン粒体が破砕される前,(B)は破砕された後の状態。
【発明を実施するための形態】
【0054】
以下に,本発明の摺動部材の表面処理方法につき説明する。
【0055】
〔処理対象〕
本発明は,潤滑油の存在下で他部材と摺接される金属製の摺動部11を備えた摺動部材10であれば,その用途や材質等に拘わらず,各種の摺動部材10を処理対象とすることができ,各種機械や装置に設けられている軸受,歯車,シャフト,クランク等の他,成型用ダイス等の金型の成型面等,他部材と摺接される各種部材を処理対象とすることができる。
【0056】
特に,高速での摺接,高い面圧を受けながらの摺接等,過酷な条件下で他部材と摺接される摺動部材10を処理対象とするに適しており,一例として,自動車の電気モータのコアに使用する電磁鋼板の高速での打ち抜きに使用されるプレス機のクランクシャフト,自動車用の電動駆動モジュールである電動アクスルで使用される軸受や,ギヤ,シャフト,高い面圧での転造や圧造に使用されるダイス等,いずれも本発明の処理対象とすることができる。
【0057】
これらの摺動部材10を使用する際に摺動部11に介在させる潤滑油については特に限定されず,鉱物油系,合成油系のいずれも使用可能であるが,後述するモリブデン被膜を前駆体として形成される固体潤滑剤被膜として二硫化モリブデン被膜が得られるよう,好ましくは硫黄分を含む潤滑油の使用が好ましい。
【0058】
このような硫黄分は,鉱物油系の潤滑油のように不可避的に含まれるものであっても良く,又は,潤滑油に添加剤として添加された二硫化モリブデンや二硫化タングステン等のような硫化物の形態で含まれるものであっても良い。
【0059】
〔前処理工程〕
以上で説明した処理対象である摺動部材10の摺動部11に対しては,図1(A)に示すように前処理工程としてショットピーニングを実施する。この前処理工程は,本発明において必須の工程ではなく,摺動部材10の用途等によっては摺動部材10の摺動部11に対し直接,後述するモリブデン被膜形成工程を行うものとしても良い。
【0060】
もっとも,高速での摺動や,高い面圧での摺動等の過酷な条件下で使用される摺動部材10に対しては,後述するモリブデン被膜形成工程の前処理として本工程を行うことが望ましい。
【0061】
本工程(前処理工程)で使用する噴射粒体は,処理対象とする摺動部材10の金属製の摺動部11と同等以上の硬度を有し,且つ,略球状をなす粒度♯220~♯800のショット21を使用する。
【0062】
ここで,本発明において「球状」とは,厳密に「球」である必要はなく,回転楕円体形状のものや俵型等,角のない丸みを帯びた形状のものを広く含む。
【0063】
使用するショット21は,処理対象とする摺動部材10の摺動部11の硬度と同等以上の硬度を有するものであれば各種の材質の中から選択可能であり,スチールビーズ,ステンレスビーズ,ハイスビーズ等の金属製のショット21の他,ガラスビーズやセラミックスビーズ等の非金属製のショット21,サーメットなどの金属とセラミックスの混合体からなるショット21等の各種のショット21が使用可能である。
【0064】
ショット21の粒径は,JIS R 6001で規定する粒度分布における♯220~♯800の範囲より選択可能である。以下の表1及び表2に,JIS R 6001に基づく粒度分布を示す。
【0065】
下表のうち,表1は粗粒の粒度を,表2は拡大写真試験法による微粉の粒度分布をそれぞれ示したものである。
【0066】
【表1】
【0067】
【表2】
【0068】
以上で説明したショット21を,噴射圧力0.2MPa以上で噴射して,摺動部材10の摺動部11に衝突させる。
【0069】
ショット21の噴射は,圧縮空気等の圧縮気体と共に噴射粒体を乾式噴射する既知の各種のブラスト装置を使用して行うことができ,一例としてショット21が投入されたタンク内に圧縮気体を供給し,該圧縮気体により搬送されたショット21を別途与えられた圧縮気体の流れに乗せて噴射ノズル5より噴射する直圧式のブラスト装置,タンクから落下したショット21を圧縮気体に乗せて噴射する重力式のブラスト装置,圧縮気体の噴射により生じた負圧によりショット21を吸引して圧縮空気と共に噴射するサクション式のブラスト装置等,噴射粒体を噴射圧力0.2MPa以上で乾式噴射することができる既知のエア式のブラスト装置はいずれも本発明における前処理工程におけるショット21の噴射に使用可能である。
【0070】
以上の条件でショット21を摺動部材10の摺動部11の表面に噴射して衝突させることで,ショット21との衝突部分における摺動部11の表面には,ショット21との衝突により生じた塑性変形によって微細な円弧状の窪み12が形成される。
【0071】
このような円弧状の窪み12は,潤滑油の存在下で他部材との摺接を行う際に潤滑油を保持する油溜りとして機能することで油膜切れを生じさせ難くする効果がある。
【0072】
また,ショット21との衝突部分に生じた塑性変形と,衝突エネルギーを吸収した衝突部分の摺動部11表面に生じた局所的かつ瞬間的な発熱と急冷により表面層の結晶組織13がナノサイズまで均一に微細化されることにより,更には,摺動部11の表面に対する圧縮残留応力が付与されることにより,摺動部11表面の機械的強度も向上する。
【0073】
更に,摺動部11の表面組織13の微細化により多くの結晶粒界が形成されることで,その後に行われる後述の「モリブデン被膜形成処理」において摺動部11の表面に対するモリブデンの拡散浸透(特に粒界拡散)が生じ易い状態とすることができる。
【0074】
〔モリブデン被膜形成工程〕
処理対象とする摺動部材10の摺動部11に対しては,直接,又は,必要に応じて前述した前処理工程を行った後に,以下に説明する「モリブデン被膜形成工程」を実行する。
【0075】
このモリブデン被膜形成工程では,図1(B)に示すように粒度♯100~♯800のモリブデン,又はモリブデン合金から成る噴射粒体22を,噴射圧力0.2MPa以上で噴射すると共に衝突させて前記噴射粒体22中のモリブデンを摺動部11の表面に拡散,浸透させることにより,摺動部11の表面にモリブデン被膜30を形成する。
【0076】
このモリブデン被膜30の形成に使用する噴射粒体22は,前述したようにモリブデンの粒体,及びモリブデン合金の粒体がいずれも使用可能であり,両者を混合して使用するものとしても良い。
【0077】
このうちのモリブデン合金は,主材であるモリブデンに一種又は複数種の合金成分を添加したもので,合金成分の例として,チタン,ジルコニウム,ハフニウム,タングステン及び希土類元素等を挙げることができ,一例として,Mo-Ti-Zr-C,Mo-Hf-Zr-C,Mo-W-Hf-C,Mo-W-Hf-Zr-C等のモリブデン合金はいずれも本発明におけるモリブデン被膜形成工程に使用する噴射粒体22の材質として採用可能であるが,使用可能なモリブデン合金はこれらに限定されない。
【0078】
モリブデン被膜形成工程で使用する噴射粒体22の粒径は,JIS R 6001で規定する粒度分布における♯100~♯800の範囲より選択可能であり,JIS R 6001に基づく粒度分布は,先に表1及び表2に示した通りである。
【0079】
モリブデン被膜形成工程で使用する噴射粒体22の形状は特に限定されず,略球状のものの他,角を有する形状のもののいずれ共に使用可能であると共に,これらを混在させて使用するものとしても良い。
【0080】
以上で説明した,モリブデン又はモリブデン合金から成る噴射粒体22は,圧縮気体と共に噴射粒体22を乾式噴射する既知のエア式のブラスト装置を使用して0.2MPa以上の噴射圧力で処理対象とする摺動部材10の摺動部11に対し乾式噴射する。
【0081】
このような噴射に使用するブラスト装置としては,噴射粒体22を0.2MPa以上の噴射圧力で乾式噴射できるものであれば既知の各種のブラスト装置を使用でき,前処理工程で使用可能なブラスト装置として挙げた,直圧式,重力式,サクション式の各ブラスト装置は,いずれもモリブデン被膜形成工程においても使用可能である。
【0082】
以上のようにして,摺動部材10の摺動部11にモリブデン又はモリブデン合金から成る噴射粒体22を高速で噴射すると,噴射粒体22の衝突に伴う衝撃を吸収して衝突部分の摺動部11の表面が変形すると共に,局部的に発熱する。
【0083】
このときに噴射粒体22中のモリブデンが摺動部11の表面に拡散,浸透する。特に,前処理工程を実行することで表面組織13がナノレベルに微細化された摺動部材10の摺動部11に対しモリブデンやモリブデン合金の噴射粒体22を噴射,衝突させる場合には,摺動部11の表面は微細化によって結晶粒界の数が増大しているため,モリブデンの粒界拡散が生じ易くなっていることで,モリブデンの拡散,浸透が促進されると共に,摺動部11表面の比較的深部にまでモリブデンの拡散が行われることで,形成されるモリブデン被膜30の付着強度を高めることができる。
【0084】
このように,モリブデン被膜形成工程で摺動部材10の摺動部11に形成される被膜は,あくまでも「モリブデン」の被膜であって,固体潤滑剤として知られる「二硫化モリブデン」や「酸化モリブデン」の被膜がこの工程において直接,形成されるものではない。
【0085】
しかしながら,鉱物油系の潤滑剤には不可避的に硫黄分が含まれており,他部材との摺接によって潤滑油の温度が上昇すると,この潤滑油に含まれる硫黄分がモリブデン被膜30と反応して,固体潤滑剤被膜である二硫化モリブデン被膜が形成される。
【0086】
また,潤滑油に添加剤として二硫化モリブデンや二硫化タングステンなどの硫化物系の固体潤滑剤が添加されている場合や,接触の相手方となる部材が硫黄分を含むものである場合,摺接による温度上昇によってこれらの硫黄分がモリブデン被膜30と反応して,固体潤滑剤被膜である二硫化モリブデン被膜が形成される。
【0087】
更に,潤滑油が硫黄分を含まず,また,摺接の相手方部材も硫黄分を含まない場合であっても,摺接による温度上昇によってモリブデン被膜30が酸素と反応することで固体潤滑剤被膜である酸化モリブデン被膜が形成される。
【0088】
このように,モリブデン被膜形成工程で得られるモリブデン被膜30それ自体は固体潤滑剤被膜を成すものではないが,その後,摺動部材10を使用することで,このモリブデン被膜30を前駆体として必然的に固体潤滑剤被膜が形成されることで,摺動部材の摺動部に高い潤滑性を付与することができるものとなっている。
【0089】
一方,先に検証したように,二硫化モリブデンの噴射粒体を噴射して摺動部の表面に直接,二硫化モリブデン被膜(固体潤滑剤被膜)を形成する方法では,層状構造物であるために極めて脆い二硫化モリブデン製の噴射粒体は摺動部材との衝突によって細かく破砕されてしまうために繰り返しの使用ができず,一回,又は数回の噴射毎に噴射粒体の入れ替えが必要で固体潤滑剤被膜の形成コストが嵩むものとなるが,モリブデン又はモリブデン合金製の噴射粒体を使用する本発明の方法では,噴射粒体の繰り返しの使用が可能であり,経済的にモリブデン被膜を形成することが可能である。
【0090】
しかも,二硫化モリブデン(密度5.06g/cm3)に比較して,モリブデン及びモリブデン合金の密度(モリブデンで10.28g/cm3)は高く,摺動部に衝突した際の衝撃力が大きいことから,摺動部に対するモリブデンの拡散浸透をより促進させることができると共に,表面のより深部まで拡散させることで,形成されるモリブデン被膜30の付着強度,従って,このモリブデン被膜30を前駆体として形成される二硫化モリブデンや酸化モリブデンから成る固体潤滑剤被膜の付着強度を高めることができる。
【0091】
その結果,過酷な条件下での摺動に使用される摺動部材に摺動部に高い摺動性を付与することができるものとなっている。
【0092】
〔後処理工程〕
以上で説明したモリブデン被膜形成工程を行った後の摺動部材10の摺動部11に対しては,更に図1(C)に示すように必要に応じて二硫化モリブデン23の粒体を噴射する,後処理工程を実行する。
【0093】
この後処理工程では,モリブデン被膜30が形成された摺動部材10の摺動部11に対し二硫化モリブデン23を担持させることができるものであれば粒体の粒径や噴射圧力などの処理条件は特に制約されないが,一例として,二硫化モリブデン23の粒体(3~4μmの二硫化モリブデンの粉体が20μm程度に凝集したもの)を,噴射圧力0.7MPa以上で噴射することにより後処理工程を行うことができる。
【0094】
この後処理工程で行う二硫化モリブデン23の噴射にも,前述した乾式のエア式のブラスト加工装置(直圧式,重力式,サクション式)がいずれも使用可能である。
【0095】
このように,後処理工程として二硫化モリブデン23の噴射を行うことで,噴射された二硫化モリブデン23を摺動部11に形成されたモリブデン被膜30に担持させることができる。
【0096】
その結果,摺動部材の使用開始初期においても,モリブデン被膜30に担持された二硫化モリブデン23によって摺動性が発揮されることで,使用開始初期における摺動性能を大幅に改善させることができる。
【0097】
しかも,モリブデン被膜30に二硫化モリブデン23を担持させることにより,潤滑油や摺動の相手方部材が硫黄分を含まない場合であっても,この二硫化モリブデン23が硫黄の供給源となることでモリブデン被膜30を前駆体として二硫化モリブデンから成る固体潤滑剤被膜を形成することが可能である。
【実施例
【0098】
次に,本発明の方法で摺接面の表面処理を行った摺動部材の性能評価試験を行った結果を以下に示す。
【0099】
〔試験例1〕:プレス機のクランクシャフト
(1)試験方法
(1-1) 処理対象
高速プレス機のクランクシャフトの摺動部(SCM440鋼の焼入れ焼戻し品:硬度HRC58:φ110mm×L130mm)を処理対象とした。
【0100】
(1-2) 処理条件
上記の処理対象に対し,それぞれ下記の処理を行った。
実施例1:下記の表3に示す「前処理工程」と「モリブデン被膜形成工程」の双方を行った。
比較例1-1:下記の表3に示す「前処理工程」のみを行った。
【0101】
【表3】
【0102】
(1-3) 性能評価方法
実施例1及び比較例1-1の処理を行ったクランクシャフトのそれぞれを高速プレス機に装着し,クランクシャフトの摺動部と,カムに設けた青銅製すべり軸受とを潤滑油を介在させた状態で接触させた。
【0103】
この高速プレス機を3000cpmの打ち抜き速度で作動させ,クランクシャフトの摺動部とカムの青銅製すべり軸受間における焼き付きの有無を観察した。
【0104】
(2)試験結果
比較例1-1の前処理のみを行ったクランクシャフトでは,短時間で潤滑油の温度が上昇し,クランクシャフトの摺動部とカムの青銅製すべり軸受との間に焼き付きが生じた。
【0105】
なお,図2(A)に示すように,前処理工程においてショット21の衝突部分に塑性変形によって円弧状の窪み12が形成されると,形成された窪み12の周縁にはショット21との衝突によって押し出された材料によって先鋭な凸部14が形成され,摺動の初期においてこの凸部14がカムの青銅製すべり軸受に食い込むことで摺動性が低下していることが考えられる。
【0106】
そこで,実施例では前処理工程に続いてモリブデンビーズ#400(硬質ビーズ)24の噴射を行うことで,摺動部11表面の更なる表面強化を図ると共に,図2(B)に示すように窪み12ディンプルの周縁に生じた凸部14の先端をモリブデンビーズ#400(硬質ビーズ)24で押し潰して面粗さの調整を行うことで,クランクシャフトの摺接部と青銅製すべり軸受の初期馴染みの改善を図ると共に、モリブデン被膜30を形成した。
【0107】
本発明の表面処理方法で処理を行った実施例1のクランクシャフトでは,1分間に3000rpmの高速でプレス機を作動させた場合においても焼き付きは発生しなかった。
【0108】
〔試験例2〕:電気自動車の電動アクスル用ギヤ
(1)試験方法
(1-1) 処理対象
電気自動車の電動アクスル用のギヤ(SNCM616鋼の浸炭焼入れ焼戻し品:硬度HRC56:φ50mm×W60mm)を処理対象とした。
【0109】
(1-2) 処理条件
上記の処理対象に対し,それぞれ下記の処理を行った。
実施例2:下記の表4に示す「前処理工程」と「モリブデン被膜形成工程」の双方を行った。
比較例2-1:下記の表4に示す「前処理工程」のみを行った。
比較例2-2:下記の表4に示す「前処理工程」の後,弾性研磨材(直径1mmの弾性核体に平均粒径1μmのダイヤモンド砥粒を担持させたもの)を噴射圧力0.2MPaで斜め方向より噴射して摺動部上を滑動させて表面を研磨した。
【0110】
【表4】
【0111】
(1-3) 性能評価方法
実施例2及び比較例2-1,2-2の処理を行ったギヤを電動アクスルに装着し,電動アクスルに設けられている電気モータを30,000rpm の回転速度で回転させた。
【0112】
この際に潤滑油の給油下で接触するギヤ間における焼き付きの発生の有無を観察した。
【0113】
(2)試験結果
比較例2-1の前処理のみを行ったギヤでは,短時間で潤滑油の温度が上昇し,焼き付きが発生した。
【0114】
比較例2-2では,前処理工程を行った後,更に,前処理工程で円弧状の窪み12の周縁に生じた凸部14の先端〔図2(A)参照〕を除去して初期なじみを向上させる目的で,図2(C)に示すように摺動部11の表面に沿って弾性研磨材25を滑動させて表面研磨を行ったが,この比較例2-2のギヤにおいても焼き付きの発生を抑制することはできなかった。
【0115】
なお,ギヤ間に注油した潤滑油として,二硫化モリブデンが添加剤として添加されている潤滑剤を使用したが,比較例2-1,2-2の処理と,二硫化モリブデンが添加されている潤滑油の併用だけではギヤでは焼き付きの発生を防止することができなかった。
【0116】
これに対し,本発明の表面処理方法で処理を行った実施例2のギヤでは,30,000rpmという高回転速度でモータを駆動した場合であっても焼き付きが発生しないだけでなく,潤滑油の温度を100℃以下に抑えることができており,摺動部に対し高い潤滑性が付与されていることが確認できた。
【0117】
〔試験例3〕:圧造用ダイス
(1)試験方法
(1-1) 処理対象
圧造用ダイス(YXR33鋼の焼入れ焼戻し品:硬度HRC54:25mm×230mm歯形形成用)を処理対象とした。
【0118】
(1-2) 処理条件
上記の処理対象に対し,それぞれ下記の処理を行った。
実施例3-1:下記の表5に示す「前処理工程」と「モリブデン被膜形成工程」の双方を行った。
実施例3-2:下記の表5に示す「前処理工程」と「モリブデン被膜形成工程」の双方を行った後,二硫化モリブデンの粒体(平均粒径3~4μmの二硫化モリブデンの粉体が粒径20μm程度に凝集したもの)を噴射圧力0.7MPaで全体に噴射する「後処理工程」を実行した。
比較例3-1:処理を行っていない(未処理品)。
比較例3-2:下記の表5に示す「前処理工程」のみを行った。
【0119】
【表5】
【0120】
(1-3) 性能評価方法
実施例3及び比較例3-1,3-2の処理を行ったダイスを使用して,給油下でマンガン鋼(SMn433)の冷間圧造を行い,ダイスが寿命を迎えるまでのショット数をカウントした。
【0121】
(2)試験結果
比較例3-1の未処理のダイスでは,100ショットの圧造によって寿命となったのに対し,比較例3-1の前処理を行ったダイスでは,150ショットの圧造で寿命となり,前処理工程のみを行った比較例3-2のダイスでも寿命の延長が確認できたものの,50%の寿命の延長しか得ることができなかった。
【0122】
冷間金型工具鋼であるYXR33鋼製のダイスでは,素材的にも上記ショット数での加工が限界であるものと思われ,素材の変更によって更にショット数を伸ばすためにはダイスの材質を超硬へと変更することが必要であると考えられるが,超硬の使用ではコスト的に見合わない。
【0123】
一方,表5の前処理工程とモリブデン被膜形成工程の双方を行った実施例3-1のダイスでは,200ショットまで寿命を延ばすことができた。
【0124】
なお,本試験例では二硫化モリブデンが添加されていない合成油系の潤滑油を使用したことから,摺動部にはモリブデン被膜を前駆体として,酸化モリブデンから成る固体潤滑剤被膜が形成されたものと考えられる。
【0125】
そこで,実施例3-2に示したように,表5に示した前処理工程とモリブデン被膜形成工程の双方を行ったダイスに対し,更に,二硫化モリブデンの噴射粒体を噴射する後処理工程を実行したところ,ダイスの寿命を更に100ショット増加させて,300ショットまで延ばすことができた。
【0126】
このように,潤滑油や接触の相手方部材に硫黄分が含まれていない場合,モリブデン被膜形成処理後に更に後処理工程として二硫化モリブデンの粒体を噴射することの有効性が確認された。
【符号の説明】
【0127】
5 噴射ノズル
10 摺動部材
11 摺動部
12 円弧状の窪み
13 表面組織(微細化された)
14 凸部
21 ショット(前処理工程用)
22 噴射粒体(モリブデン又はモリブデン合金製)
23 二硫化モリブデン(の粒体)
24 硬質ビーズ
25 弾性研磨材
30 モリブデン被膜(固体潤滑剤被膜の前駆体)

【要約】
【課題】摺動部材の摺動部表面に付着強度の高い固体潤滑剤被膜材を低コストで形成する。
【解決手段】摺動部材10の摺動部11に,粒度♯100~♯800のモリブデン,又はモリブデン合金から成る噴射粒体22を,噴射圧力0.2MPa以上で噴射すると共に衝突させて前記噴射粒体22中のモリブデンを拡散,浸透させることにより,前記摺動部11の表面にモリブデン被膜30を形成する。摺動部材10の使用により摺動部11を,潤滑油を介して相手方部材と摺接させることにより生じた発熱により,潤滑油や相手方部材に含まれる硫黄分や酸素と反応して,モリブデン被膜30を前駆体として二硫化モリブデンや酸化モリブデンから成る固体潤滑剤被膜が生成される。
【選択図】図1

図1
図2
図3