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特許7358105アスペルギルス属糸状菌のピリチアミン耐性変異株
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  • 特許-アスペルギルス属糸状菌のピリチアミン耐性変異株 図1
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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2023-09-29
(45)【発行日】2023-10-10
(54)【発明の名称】アスペルギルス属糸状菌のピリチアミン耐性変異株
(51)【国際特許分類】
   C12N 1/15 20060101AFI20231002BHJP
   A23L 5/00 20160101ALI20231002BHJP
   A23L 31/00 20160101ALI20231002BHJP
   C12N 15/09 20060101ALI20231002BHJP
   C12N 15/31 20060101ALN20231002BHJP
   C12R 1/66 20060101ALN20231002BHJP
【FI】
C12N1/15 ZNA
A23L5/00 J
A23L31/00
C12N15/09 100
C12N15/31
C12R1:66
【請求項の数】 8
(21)【出願番号】P 2019139962
(22)【出願日】2019-07-30
(65)【公開番号】P2021019565
(43)【公開日】2021-02-18
【審査請求日】2022-05-06
(73)【特許権者】
【識別番号】000165251
【氏名又は名称】月桂冠株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】110000796
【氏名又は名称】弁理士法人三枝国際特許事務所
(72)【発明者】
【氏名】戸所 健彦
(72)【発明者】
【氏名】坂東 弘樹
(72)【発明者】
【氏名】小高 敦史
(72)【発明者】
【氏名】堤 浩子
(72)【発明者】
【氏名】秦 洋二
(72)【発明者】
【氏名】石田 博樹
【審査官】山▲崎▼ 真奈
(56)【参考文献】
【文献】特開2000-308491(JP,A)
【文献】Christian Vogl et al.,JOURNAL OF BIOLOGICAL CHEMISTRY,2008年,Vol.283, No.12,pp.7379-7389
【文献】Charles K. Singleton,Gene,1997年,Vol.199,pp.111-121
【文献】Accession No. A0A364M777,Database UniProt [online],2019年06月05日,[令和5年4月14日検索], インターネット<URL:https://rest.uniprot.org/unisave/A0A364M777?format=txt&versions=6>
【文献】Accession No. 0A401KFW3,Database UniProt [online],2019年05月08日,[令和5年4月14日検索], インターネット<URL:https://rest.uniprot.org/unisave/A0A401KFW3?format=txt&versions=1>
【文献】Accession No. Q5AQC4,Database UniProt [online],2019年06月05日,[令和5年4月14日検索], インターネット<URL:https://rest.uniprot.org/unisave/Q5AQC4?format=txt&versions=60>
【文献】Accession No. A0A319AND6,Database UniProt [online],2019年06月05日,[令和5年4月14日検索], インターネット<URL:https://rest.uniprot.org/unisave/A0A319AND6?format=txt&versions=6>
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C12N
JSTPlus/JMEDPlus/JST7580(JDreamIII)
CAplus/MEDLINE/EMBASE/BIOSIS(STN)
UniProt/GeneSeq
PubMed
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
以下の(a)又は(b)のタンパク質をコードする核酸が機能欠損している、アスペルギルス属糸状菌のピリチアミン耐性変異株:
(a) 配列番号1及び7~9のいずれかに記載されるアミノ酸配列からなるタンパク質
(b) 配列番号1及び7~9のいずれかに記載されるアミノ酸配列と90%以上の同一性を有するアミノ酸配列を含み、且つ当該アミノ酸配列をコードする遺伝子を欠損した時の表現型がピリチアミン耐性となるタンパク質。
【請求項2】
以下の自らがもともと持つ(c)又は(d)のタンパク質をコードする核酸が機能欠損している、アスペルギルス属糸状菌のピリチアミン耐性変異株:
(c) 配列番号1に記載されるアミノ酸配列からなるタンパク質
(d) 配列番号2~4に記載されるアミノ酸配列とそれぞれ90%以上の同一性を有するアミノ酸配列すべてを含み、且つ当該アミノ酸配列をコードする遺伝子を欠損した時の表現型がピリチアミン耐性となるタンパク質。
【請求項3】
請求項1又は2に記載のピリチアミン耐性変異株を含む飲食品。
【請求項4】
以下の(a)又は(b)のタンパク質をコードする第1の核酸と、該核酸以外の第2の核酸とを標的としてアスペルギルス属糸状菌をゲノム編集する工程、並びにピリチアミン耐性を指標にしてピリチアミン耐性変異株を選択する工程を含む、ゲノム編集されたアスペルギルス属糸状菌の製造方法:
(a) 配列番号1及び7~9のいずれかに記載されるアミノ酸配列からなるタンパク質
(b) 配列番号1及び7~9のいずれかに記載されるアミノ酸配列と90%以上の同一性を有するアミノ酸配列を含み、且つ当該アミノ酸配列をコードする遺伝子を欠損した時の表現型がピリチアミン耐性となるタンパク質。
【請求項5】
以下の自らがもともと持つ(c)又は(d)のタンパク質をコードする第1の核酸と、該核酸以外の第2の核酸とを標的としてアスペルギルス属糸状菌をゲノム編集する工程、並びにピリチアミン耐性を指標にしてピリチアミン耐性変異株を選択する工程を含む、ゲノム編集されたアスペルギルス属糸状菌の製造方法:
(c) 配列番号1に記載されるアミノ酸配列からなるタンパク質
(d) 配列番号2~4に記載されるアミノ酸配列とそれぞれ90%以上の同一性を有するアミノ酸配列すべてを含み、且つ当該アミノ酸配列をコードする遺伝子を欠損した時の表現型がピリチアミン耐性となるタンパク質。
【請求項6】
請求項4又は5に記載の方法で得られたゲノム編集されたアスペルギルス属糸状菌を用いる飲食品の製造方法。
【請求項7】
以下の(a)又は(b)のタンパク質をコードする核酸をアスペルギルス属糸状菌のピリチアミン耐性マーカー遺伝子として使用する方法:
(a) 配列番号1及び7~9のいずれかに記載されるアミノ酸配列からなるタンパク質
(b) 配列番号1及び7~9のいずれかに記載されるアミノ酸配列と90%以上の同一性を有するアミノ酸配列を含み、且つ当該アミノ酸配列をコードする遺伝子を欠損した時の表現型がピリチアミン耐性となるタンパク質。
【請求項8】
以下の自らがもともと持つ(c)又は(d)のタンパク質をコードする核酸をアスペルギルス属糸状菌のピリチアミン耐性マーカー遺伝子として使用する方法:
(c) 配列番号1に記載されるアミノ酸配列からなるタンパク質
(d) 配列番号2~4に記載されるアミノ酸配列とそれぞれ90%以上の同一性を有するアミノ酸配列すべてを含み、且つ当該アミノ酸配列をコードする遺伝子を欠損した時の表現型がピリチアミン耐性となるタンパク質。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、アスペルギルス属糸状菌のピリチアミン耐性変異株、及びゲノム編集されたアスペルギルス属糸状菌の製造方法に関する。
【背景技術】
【0002】
麹菌は産業上重要で、遺伝子組換え技術による基礎研究が多数行われている。また、ゲノム編集により取得された株の実用化も可能となってきている。
【0003】
麹菌には多数のセレクションマーカー遺伝子が知られている。ただ、その多くは外来生物由来の薬剤耐性遺伝子又は栄養要求性株に対する要求性相補であり、外来生物由来の薬剤耐性遺伝子は、遺伝子組換え扱いになるため応用が限られる。セルフクローニングといわれる、同一種の遺伝子を用いた組換えであっても、厚労省などの所轄官庁から安全性審査などを求められ、食品などへの応用はハードルが高い。また、栄養要求性の相補は、組換えホスト株を取得するのが非常に煩雑である。
【0004】
そのため、これらのデメリットのない内在性のポジティブセレクションマーカー遺伝子が最も便利であり、望まれる。このような麹菌で利用できる内在性ポジティブセレクションマーカー遺伝子はこれまで、niaD、sC、pyrG、thiA (ptrA)の4つしか知られていない。
【0005】
上記のniaD、sC、pyrG、thiA (ptrA)の欠損株は、それぞれ塩素酸(又はその塩)、セレン酸(又はその塩)、5-フルオロオロチン酸(5-FOA)、ピリチアミン(PT)を含む培地で選抜可能である。そして、選抜濃度は塩素酸カリウムで0.5M (=61 g/L)、セレン酸ナトリウムで0.1 mM (=19 mg/L)、5-FOAで2 g/L程度である。それらに対しピリチアミンは、例えば麹菌であれば0.1 mg/Lと1/20~1/600000程度の濃度で選抜可能である。上記の薬剤はいずれも劇物、毒物指定又は有害な重金属であるか、あるいは試薬として高価であるので、環境負荷と作業安全上、あるいはコスト上からピリチアミンが最も優れている。
【0006】
また、pyrG欠損株はウラシル要求性が残るため生育が遅くなる上(特許文献1の[0025]参照)、選抜に使用する試薬が高価であるという問題がある。また、niaD、sCの欠損株は、それぞれ硝酸塩、硫酸塩非資化性であるので、これらを培地で使用できなくなることや、表現型がリーキーなためバックグラウンドが出てくるという問題もある(非特許文献1参照)。
【0007】
既知のPT耐性遺伝子thiAはチアミン合成酵素である。thiA遺伝子によるPT耐性機構は変わっており、5'UTR領域の限られた領域に変異が入ることで機能する。この領域は本来細胞内のチアミン(又はPT)に反応してチアミン合成をストップする抑制機構に関与しており、この領域へ変異が入るとピリチアミン存在下でもチアミンを合成し続けることでPT耐性を取得する(特許文献2、非特許文献2参照)。
【0008】
CRISPR/Cas9システムを始めとするゲノム編集は近年その利用の拡大が目覚しい技術である。ゲノム内の特定の配列をターゲットに設定することで特異的にその領域を切断し、修復過程で機能欠損変異を導入したり、他の遺伝子を挿入したりする技術である。ヒトや植物など様々な生物種で遺伝子を切断する機能を有する酵素あるいは補助するタンパク質であるTALEN、Cas9、Cpf1、PPRなどを用いた研究がなされており、TALENやCas9をコードする遺伝子を生物内に導入する方法と、これらのタンパク質を直接導入する方法とに大別される。
【0009】
ゲノム編集では、切断できる配列に制限があり、なおかつその効率が配列に著しく左右されることが知られている。thiAの場合、限られた部分配列のみ(具体的にはプロモーター領域)に変異を導入しなければならないため、そもそも切断標的として利用できる可能性が低い。また、万一切断が可能であったとしても修復過程で欠損範囲が大きくなった場合、遺伝子自体が機能欠損するため、耐性は獲得できない。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0010】
【文献】特開2015-39349号公報
【文献】特開2000-308491号公報
【非特許文献】
【0011】
【文献】日本醸造協会誌、第95巻、第7号、494-502頁、2000年
【文献】生物工学会誌、第84巻、第3号、89-95頁、2006年
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0012】
本発明は、ゲノム編集により作製することができる、アスペルギルス属糸状菌のピリチアミン耐性変異株を提供することを目的とする。また、本発明は、ピリチアミン耐性変異株のゲノム編集による作製が可能となる、ゲノム編集されたアスペルギルス属糸状菌の製造方法を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0013】
本発明者は、上記目的を達成すべく鋭意研究を重ねた結果、アスペルギルス・オリゼにおいて新規のピリチアミン耐性マーカー遺伝子(thiI)を見出し、この遺伝子を標的にしてゲノム編集を行い機能的に欠損させることで簡便にピリチアミン耐性変異株を作製することができるという知見を得た。thiIはトランスポーターと推定されており、直接的あるいは間接的にthiAのピリチアミンリプレッサーなどの解除を担っていると考えられる。
【0014】
本発明は、これら知見に基づき、更に検討を重ねて完成されたものであり、次のアスペルギルス属糸状菌のピリチアミン耐性変異株、ゲノム編集されたアスペルギルス属糸状菌の製造方法等を提供するものである。
【0015】
(I)アスペルギルス属糸状菌のピリチアミン耐性変異株
(I-1) 以下の(a)又は(b)のタンパク質をコードする核酸が機能欠損している、アスペルギルス属糸状菌のピリチアミン耐性変異株:
(a) 配列番号1に記載されるアミノ酸配列からなるタンパク質
(b) 配列番号2~4に記載されるアミノ酸配列とそれぞれ90%以上の同一性を有するアミノ酸配列を含み、且つトランスポーター活性を有するタンパク質。
(I-2) (I-1)に記載のピリチアミン耐性変異株を含む飲食品。
(I-3) (I-1)に記載のピリチアミン耐性変異株を用いる飲食品の製造方法。
【0016】
(II)ゲノム編集されたアスペルギルス属糸状菌の製造方法
(II-1) 以下の(a)又は(b)のタンパク質をコードする第1の核酸と、該核酸以外の第2の核酸とを標的としてアスペルギルス属糸状菌をゲノム編集する工程、並びにピリチアミン耐性を指標にしてピリチアミン耐性変異株を選択する工程を含む、ゲノム編集されたアスペルギルス属糸状菌の製造方法:
(a) 配列番号1に記載されるアミノ酸配列からなるタンパク質
(b) 配列番号2~4に記載されるアミノ酸配列とそれぞれ90%以上の同一性を有するアミノ酸配列を含み、且つトランスポーター活性を有するタンパク質。
(II-2) (II-1)に記載の方法で得られたゲノム編集されたアスペルギルス属糸状菌を用いる飲食品の製造方法。
【0017】
(III)ピリチアミン耐性マーカー遺伝子として使用する方法
(III-1) 以下の(a)又は(b)のタンパク質をコードする核酸をアスペルギルス属糸状菌のピリチアミン耐性マーカー遺伝子として使用する方法:
(a) 配列番号1に記載されるアミノ酸配列からなるタンパク質
(b) 配列番号2~4に記載されるアミノ酸配列とそれぞれ90%以上の同一性を有するアミノ酸配列を含み、且つトランスポーター活性を有するタンパク質。
【発明の効果】
【0018】
本発明で新たに見出したピリチアミン耐性マーカー遺伝子(thiI)は、thiI配列中又はプロモーター領域いずれの変異であってもPT耐性を獲得可能なため、thiAと異なりPT耐性を獲得するためにゲノム編集を利用可能である。
【0019】
また、thiIの欠損は、niaD、sC、pyrGと異なり、栄養要求性を示すことがなく、硝酸塩、硫酸塩を培地中で使用できなくなることもない上、低濃度でポジティブセレクション可能であり安全かつ環境にやさしい。さらに、塩素酸耐性を示す株は、そもそも硝酸資化経路変異に変異が入っていない擬陽性が取得されたり、他の硝酸資化経路の遺伝子(例えば、nirA)に変異が入った株も取得されたりし、目的のniaD欠損株を取得するのに多大な労力を要する。セレン酸耐性を示すsC欠損株についても同様なことが知られている。他方、pyrGは極めて多量の高額な薬剤を要し、また低栄養素の培地ではウリジン/ウラシルなどの高価な栄養源を、常に補填する必要がある。
【0020】
このように、thiIはゲノム編集にも利用でき、より安全で簡便かつ安価な選抜が可能で、欠損による要求性が生じない、有用なセレクションマーカー遺伝子である。
【0021】
そのため、本発明によれば、アスペルギルス属糸状菌のピリチアミン耐性変異株をゲノム編集を利用して作製することが可能となる。
【図面の簡単な説明】
【0022】
図1】試験例2におけるWT、thiA恒常発現株、thiI欠損株を各培地で培養した結果を示す写真である。
図2】試験例3における2つの遺伝子に対するゲノム編集の結果を示す写真である。
【発明を実施するための形態】
【0023】
以下、本発明の実施の形態について詳細に説明する。
【0024】
なお、本明細書において「含む(comprise)」とは、「本質的にからなる(essentially consist of)」という意味と、「のみからなる(consist of)」という意味をも包含する。
【0025】
本発明において「遺伝子」とは、特に言及しない限り、2本鎖DNA、1本鎖DNA(センス鎖又はアンチセンス鎖)、及びそれらの断片が含まれる。また、本発明において「遺伝子」とは、特に言及しない限り、調節領域、コード領域、エクソン、及びイントロンを区別することなく示すものとする。
【0026】
本明細書において、各URLは出願日前日付けで検索したものであり、各法律は出願日前日にて日本国で施行されているものを指す。
【0027】
また、本発明において、「核酸」、「ヌクレオチド」及び「ポリヌクレオチド」は同義であって、これらはDNA及びRNAの両方を含み、2本鎖であっても1本鎖であってもよい。
【0028】
本発明が対象とするアスペルギルス属糸状菌としては、特に制限されず、アスペルギルス・オリゼ(Aspergillus oryzae)、アスペルギルス・ニガー(Aspergillus niger)、アスペルギルス・カワチ(Aspergillus kawachii)、アスペルギルス・ルチュエンシス(Aspergillus luchuensis、旧名:Aspergillus awamori)、アスペルギルス・サイトイ(Aspergillus saitoi)、アスペルギルス・ソーヤ(Aspergillus sojae)、アスペルギルス・タマリ(Aspergillus tamarii)、アスペルギルス・グラウカス(Aspergillus glaucus)、アスペルギルス・フミガタス(Aspergillus fumigatus)、アスペルギルス・フラバス(Aspergillus flavus)、アスペルギルス・テレウス(Aspergillus terreus)、アスペルギルス・ニデュランス(Aspergillus nidulans (Emericella nidulans))などを挙げることができる。なかでも、長年清酒、醤油、味噌、みりんなどの醸造食品に利用されてきた安全な微生物であり、わが国の産業において利用頻度の高い宿主である点で、アスペルギルス・ルチュエンシス、アスペルギルス・ソーヤ、アスペルギルス・オリゼ、及びモデル微生物であるアスペルギルス・ニデュランスやタンパク生産宿主でもあるアスペルギルス・ニガーが好ましいが、麹菌アスペルギルス・オリゼが更に好ましい。
【0029】
また、本発明における宿主であるアスペルギルス属糸状菌は、自らがもともと持つthiIのみを有していることが望ましい。例えば、アスペルギルス・オリゼを宿主とした場合、アスペルギルス・オリゼのthiI遺伝子がアスペルギルス・ニガーのものに置換又は別途導入されているものは、宿主として除かれることが望ましい。本発明における宿主であるアスペルギルス属糸状菌としては、全ゲノム解析結果(塩基配列)が公開された宿主、あるいは公開されていなくても、その宿主と極めて類似性の高い宿主であることが望ましい。
【0030】
(1)ピリチアミン耐性マーカー遺伝子
本発明のピリチアミン耐性マーカー遺伝子は、以下の(a)、(b)又は(c)のタンパク質をコードする核酸を含む。
(a) 配列番号1に記載されるアミノ酸配列からなるタンパク質
(b) 配列番号2~4に記載されるアミノ酸配列とそれぞれ90%以上の同一性を有するアミノ酸配列を含み、且つトランスポーター活性を有するタンパク質
(c) 配列番号1に記載されるアミノ酸配列と90%以上の同一性を有し、且つトランスポーター活性を有するタンパク質。
【0031】
麹菌由来のピリチアミン耐性マーカー遺伝子(thiI)は配列番号5(イントロンを含まない)、配列番号6(イントロンを含む)に記載される塩基配列を有し、当該塩基配列は配列番号1に記載されるアミノ酸配列からなるタンパク質をコードしている。thiIはトランスポーターと推定される遺伝子であり、欠損することにより何らかの形でピリチアミン耐性を宿主株に付与すると考えられる。
【0032】
(a)のタンパク質をコードする核酸(以下、「(a)の核酸」と称する)は、例えばショットガンクローニングにより麹菌からクローニングすることができる。また、(a)の核酸は、その他、配列番号5、6の塩基配列に基づき設計したプライマーを用いて麹菌ゲノムライブラリーを鋳型としてPCRを行うことにより取得できる。配列番号5、6の塩基配列に基づき設計したプローブを用いてハイブリダイゼーションにより麹菌ゲノムライブラリーをスクリーニングすることによっても取得できる。さらに化学合成によっても取得できる。
【0033】
(b)のタンパク質をコードする核酸には、これに対応する麹菌以外の生物種の核酸や、天然又は非天然のアレル変異体などが含まれる。また、配列番号2~4に記載されるアミノ酸配列とそれぞれ90%以上の同一性を有するアミノ酸配列を含み、且つトランスポーター活性を有するタンパク質としては、当該アミノ酸配列における同一性が91%以上、92%以上、93%以上、94%以上、95%以上、96%以上、97%以上、98%以上、又は99%以上のものが挙げられる。後述する実施例で示すように、配列番号1に記載されるアミノ酸配列の中で、配列番号2~4に記載されるアミノ酸配列はアスペルギルス属糸状菌で高く保存されている領域である。さらには、タンパク質が配列番号1に記載されるアミノ酸配列と75%以上の同一性を有することが好ましく、当該アミノ酸配列における同一性としては、例えば76%以上、77%以上、78%以上、79%以上、80%以上、81%以上、82%以上、83%以上、84%以上、及び85%以上が挙げられる。
【0034】
(c)のタンパク質をコードする核酸には、これに対応する麹菌以外の生物種の核酸や、天然又は非天然のアレル変異体などが含まれる。また、配列番号1に記載されるアミノ酸配列と90%以上の同一性を有し、且つトランスポーター活性を有するタンパク質としては、当該アミノ酸配列における同一性が91%以上、92%以上、93%以上、94%以上、95%以上、96%以上、97%以上、98%以上、又は99%以上のものが挙げられる。
【0035】
上記の(a)と(c)には、配列番号1に記載されるアミノ酸配列以外にも、配列番号7、8及び9に記載されるいずれかのアミノ酸配列をも追加することができる。
【0036】
アミノ酸配列の同一性(%)は、当該分野で慣用のプログラム(例えば、BLAST、FASTA等)を初期設定で用いて決定することができる。ここで、トランスポーター活性とは、より具体的には当該タンパク質をコードする遺伝子を欠損した時の表現型がピリチアミン耐性となるものを指す。このような改変されたピリチアミン耐性マーカー遺伝子の製造は、常法に従って行うことができる。
【0037】
上記のピリチアミン耐性マーカー遺伝子は、機能的に欠損させることでピリチアミン耐性変異株を作製することができる。前記機能的欠損に特に限定はなく、例えば、タンパク質をコードする遺伝子領域の欠損やプロモーター領域又は転写開始点(の直前領域を含む)の欠損が挙げられ、あるいは成熟型mRNAを不安定化させること(例えば、polyA付加サイトの欠損)により、結果的にトランスポーター活性を低減させて宿主にピリチアミン耐性を付与することができる。好ましくはタンパク質をコードする遺伝子領域の欠損である。
【0038】
本発明のピリチアミン耐性マーカー遺伝子(thiI)は、thiI配列中又はプロモーター領域いずれの変異であってもPT耐性を獲得可能なため、thiAと異なりPT耐性を獲得するためにゲノム編集を利用可能であるという利点がある。また、thiIの欠損は、他のポジティブセレクションマーカー遺伝子である、niaD、sC、pyrGと異なり、栄養要求性を示すことがなく、硝酸塩、硫酸塩を培地中で使用できなくなることもない上、低濃度でポジティブセレクション可能であり安全かつ安価で環境にやさしいという利点もある。さらに、表現型が明確であり選抜が容易である。
【0039】
このように、thiIはゲノム編集にも利用でき、より安全な選抜が可能で、欠損による要求性が生じない、有用なセレクションマーカー遺伝子である。
【0040】
(2)アスペルギルス属糸状菌のピリチアミン耐性変異株
本発明のアスペルギルス属糸状菌のピリチアミン耐性変異株は、上記の(a)、(b)又は(c)のタンパク質をコードする核酸が機能欠損していることを特徴とする。
【0041】
この変異体は、プレート培養の場合、例えば、ツァペックドックス培地中に通常0.1 mg/L以上のピリチアミンが含まれていても生育可能なものである。
【0042】
ここで、当該核酸を機能欠損させる部位は、配列中又はプロモーター領域いずれであってもよく、当該核酸にコードされるタンパク質の機能(トランスポーター活性)を欠損させることができる限り特に限定されない。ここでの機能欠損とは、タンパク質の機能が完全に失われることだけでなく、ピリチアミン耐性が得られる程度にタンパク質の機能が低下することも包含する。また、機能欠損には、当該核酸にコードされるタンパク質が完全に発現しなくなるだけでなく、ピリチアミン耐性が得られる程度にタンパク質の発現が低下することも包含する。
【0043】
ゲノム編集の対象となる染色体上の上記の(a)、(b)又は(c)のタンパク質のコード領域には何ら制限はないが、開始コドンからストップコドンまでの領域が好ましく、そのうちでもスプライシングされる領域以外のコーディング領域が更に好ましい。また、開始コドンからストップコドンまでの距離を100% (2261 bp)とした場合、開始コドンから80% (1809bp)の領域(例えば1-1809 bp)、好ましくは60% (1357 bp)、40% (904 bp)、20% (452 bp)、0% (開始コドンを含む1bp)の領域以内でもよいし、またそれぞれの間(20-80%など)の領域でもよい。ただし、%で示されるbpは、四捨五入として計算する。
【0044】
核酸を機能欠損させる方法としては、例えば、ゲノム編集、相同組換えなどが挙げられ、好ましくはゲノム編集である。より具体的に遺伝子を欠損させる方法は、コード領域にストップコドンを挿入する方法、フレームシフト起こして違うタンパク質に翻訳させる方法あるいは結果的にストップコドンを入れる方法である。相同組換えは常法に従って行うことができ、ゲノム編集は後述する方法に従って実施することができる。核酸を機能欠損させた後にピリチアミン耐性を指標にしてピリチアミン耐性変異株を選択することにより、ピリチアミン耐性変異株を単離することができる。
【0045】
また、本発明のアスペルギルス属糸状菌のピリチアミン耐性変異株としては、自己が元々保有するタンパク質をコードする核酸(thiI遺伝子)が機能欠損しているものであってもよい。
【0046】
本発明のアスペルギルス属糸状菌のピリチアミン耐性変異株を用いることで飲食品、特に発酵飲食品を製造することができる。そのような飲食品としては、例えば、清酒(副産物である酒粕を含む)、どぶろく、五穀米・雑穀などの穀物を原料とした発酵物(麹の形態、更にはアルコール発酵の形態も含む)、醤油、味噌、みりん、食酢、焼酎、泡盛(あるいはそれらの原料となる穀物の麹(醤油や味噌では、例えば味噌麹・小麦麹)を含む)、米麹などを含む甘酒・飲食品(麹を含有する菓子類、スイーツ類をも含む)、(塩)麹などを含む漬物、鰹節、熟成肉(畜肉だけでなく魚肉を含む)、その他麹菌を培養したものを含有する形態の食品(サプリメント、栄養補助食品なども含む)などを挙げることができる。本発明の飲食品としては、本発明のアスペルギルス属糸状菌のピリチアミン耐性変異株を含む飲食品を挙げることができる。このような飲食品の製造は、常法に従って行うことができる。
【0047】
(3)ゲノム編集されたアスペルギルス属糸状菌の製造方法
本発明においてゲノム編集とは、「特定のゲノムDNA領域を(切断し、)編集する技術」であれば何ら制限を受けず、「遺伝子組換え生物等の使用等の規制による生物の多様性の確保に関する法律」で定める「遺伝子組換え生物」に該当しない宿主の遺伝子の欠損、置換及び挿入方法を意味し、さらに外来の遺伝子を宿主に含めない遺伝子改変であればよい。また、特定の条件、例えば「細胞外で合成されたDNA/RNAを、編集されたその生物が含まないと、立証すること」の要件を満たしうるもの、あるいは満たしうる可能性があるもの(例えば、全ゲノム解析で対象生物に含まないことを容易に立証できるもの)であれば、ゲノム編集によって作製された「遺伝子組換え生物」に該当しないゲノム編集された生物と定義できる。また、宿主と同一の分類学上の種に属する生物の核酸のみを用いた遺伝子組換えである「セルフクローニング」(遺伝子組換え生物等の使用等の規制による生物の多様性の確保に関する法律施行規則)や、化学処理やUV処理などを含む自然変異(ナチュラルオカレンス)で生じたものは除かれる。遺伝子組換え生物の簡易な定義については、例えば、文部科学省などのWEBサイト(https://www.lifescience.mext.go.jp/bioethics/anzen_faq/#1-4)を参照できる。遺伝子を欠損させる方法、つまり、後述するTALEN、ZFN、CRISPR/Cas法のみならず、これらを改変したものあるいは新しい方法であっても「遺伝子組換え生物に該当しない生物の遺伝子を改変する方法」であれば本発明のゲノム編集に含まれ、なんら利用に制限はない。例えばCasX (Nature 566, 218-223 (2019))のようなものを用いてもよい。ゲノム編集による宿主の遺伝子の欠損、置換及び挿入に制限はないものの、欠損が好ましい。
【0048】
本発明のゲノム編集されたアスペルギルス属糸状菌の製造方法は、上記の(a)、(b)又は(c)のタンパク質をコードする第1の核酸と、該核酸以外の第2の核酸とを標的としてアスペルギルス属糸状菌をゲノム編集する工程、並びにピリチアミン耐性を指標にしてピリチアミン耐性変異株を選択する工程を含むことを特徴とする。
【0049】
ゲノム編集は、アスペルギルス属糸状菌に、ゲノムの任意の部位に作用するヌクレアーゼを用いることで実施することができる。前記ヌクレアーゼとしては、TALENタンパク質、ZFNタンパク質、Cas9タンパク質とガイドRNAとの複合体、ニッカーゼ改変型Cas9タンパク質と一対のガイドRNAそれぞれとの複合体、Cpf1タンパク質とガイドRNAとの複合体、デアミナーゼと連結されたニッカーゼ改変型又はヌル変異型Cas9タンパク質とガイドRNAとの複合体、PPR-DNA切断ドメイン融合タンパク質など、ヌクレアーゼ活性を持つ部位(又は酵素)とそのヌクレアーゼを任意のゲノム配列(塩基配列)に作用させるよう補助する(塩基配列と結合するなど)部位(以下、「補助部位」と称する)から構成されていればよく、一体であってもそれぞれが分離していてもよく、これらの組成物(以下、「ゲノム編集用組成物」と称する)を導入することによりゲノム編集を行うことができる。
【0050】
ゲノム編集は、例えば次の1~4の工程からなる。1)対象となるゲノム編集する領域を決定し、補助部位となる例えばガイドRNAを設計・製造する工程、2)標的細胞へのガイドRNAとヌクレアーゼ活性を持つ部位とを導入する工程、3)薬剤耐性などによる選抜工程、4)表現型あるいはシーケンス解析によるゲノム編集の確認工程。
【0051】
1)の工程では、例えば、ヌクレアーゼの特性に合わせて、公知のアルゴリズム/設計補助ソフト(CRISPR design tool、CRISPRdirect、CHOPCHOP、GGGenomeなど)を用いて設計することもできるし、手動で設計することもできる。CRISPRdirectを例に挙げれば、ターゲットの宿主を“Aspergillus oryzae RIB40 genome”とし、ターゲットの遺伝子(例えば、配列番号5)を入力すれば、オフターゲットがないものを複数提示してくれる。また、sgRNAは、標的DNAからNGGに相当する部分を除き、以降にCloning vector pCnCas9 (GenBank: MH220818)で示されるような付随配列である“GUUUUAGAGCUAGAAAUAGCAAGUUAAAAUAAGGCUAGUCCGUUAUCAACUUGAAAAAGUGGCACCGAGUCGGUGCUUUU”(配列番号10)を付随させることにより設計できる。すなわち、宿主とターゲットの遺伝子配列(特に本願においてはORF領域)さえわかれば、自動で最適なsgRNAを設計することができる。
【0052】
2)の工程では、例えば、酵素及び補助部位をコードする遺伝子の発現カセットをプラスミドの形やウィルスの形で標的細胞へ導入する方法、mRNAを直接標的細胞へ導入する方法、酵素及び補助部位の複合体を形成させてから標的細胞へ導入する方法などがある。オフターゲット作用と類似配列を切断する副作用を考慮すると、前記複合体を導入するなど、オフターゲットが減少した方法で導入することが好ましい。
【0053】
3)の工程では、薬剤を含む培地でシングルコロニーアイソレーションを行う工程などを含んでいてもよい。
【0054】
4)の工程では、例えば、色などの表現型と薬剤耐性であることを確認する工程のみでもよいが、PCR法で欠損を確認する工程、シーケンサーで具体的に欠損した配列を特定する工程を含んでいてもよい。
【0055】
ZFN (zinc-finger nuclease)は、標的配列を特異的に認識して結合するジンクフィンガーリピートに、制限酵素のヌクレアーゼドメイン等に由来するDNA切断ドメインを連結した人工ヌクレアーゼである。ゲノム編集タンパク質分子自体がゲノム上の標的配列を認識する例のひとつである。ZFNによるゲノム編集技術自体は第一世代のゲノム編集方法として広く知られている。3塩基を認識する1単位のジンクフィンガーリピートを3個程度連結し、18塩基前後の標的配列を認識するように設計するのが一般的であり、また、DNA切断ドメインとしては、制限酵素FokIのヌクレアーゼドメインを利用するのが最も一般的である。通常、ジンクフィンガードメインのC末端とDNA切断ドメインのN末端を連結する。
【0056】
DNA二本鎖切断がアスペルギルス属糸状菌ゲノム上に生じると、二本鎖切断部位で非相同末端連結(NHEJ)による修復が行われるが、その際に高い頻度で1個以上の塩基の欠失や付加が生じる結果、フレームシフトや停止コドンの発生等の変異が生じ、標的遺伝子が破壊される等のゲノム改変が生じる。DNA二本鎖切断部に二本鎖のDNA断片を共存させることで、切断部位にDNA断片をノックインすることも可能である。
【0057】
TALEN (Transcription activator-like effector nuclease)は、植物病原細菌Xanthomonas属のTALエフェクタータンパク質をDNA結合ドメインとして採用し、制限酵素FokI等に由来するヌクレアーゼドメインと連結した、第二世代のゲノム編集ツールである。TALエフェクタータンパク質は、34アミノ酸を1単位とする繰り返し配列を有し、1単位の配列が1塩基を認識する。繰り返し単位数が標的配列の鎖長に相当する。TALENのDNA結合ドメインとしては、18塩基程度の標的配列を認識するように設計するのが一般的である。TALENのDNA結合ドメインの設計方法は周知であり、設計ツールも知られている。
【0058】
Cas9タンパク質とガイドRNAの複合体は、DNA切断活性を有するタンパク質分子と、該タンパク質分子をゲノム上の標的配列部分に動員するガイド核酸分子との複合体であり、標的配列内の特定の部位においてDNA二本鎖切断を生じさせる。Cas9タンパク質とガイドRNAを利用したゲノム編集技術は、CRISPR/Casシステムとして知られる第三世代のゲノム編集技術である。本技術もそれ自体は周知であり、各種のキットや設計ツール等が知られている。
【0059】
Cas (CRISPR-AssociatedProteins)タンパク質は、いかなる細菌に由来するものを使用してもよい。公知のCRISPR/Cas (Clustered Regularly Interspaced Short Palindromic Repeats(CRISPR)/CRISPR-AssociatedProteins)システムで一般的に用いられているのは、Streptococcus属由来のCas9であり、中でもS. pyogenes、S. solfataricus、S. solfataricus属由来のCas9が好ましい。Cas9タンパク質は、公知の各種のCas9発現ベクターから適当な宿主培養細胞を用いて発現、回収して得ることができるし、市販品のCas9タンパク質を使用することもできる。
【0060】
ガイドRNAとしては、ゲノム上の標的配列と同一の配列(ただしTはUとする)の3'側に短鎖CRISPR RNA (crRNA)及びトランス活性化crRNA(tracrRNA)のキメラ配列が連結された構造の一本鎖RNAを用いることができる。そのような一本鎖RNAは、常法の化学合成により調製することができる。キメラ配列は、公知のCRISPR/Casシステムで用いられているものを使用することができる。
【0061】
ガイドRNAに採用する標的配列としては、ゲノム編集対象のアスペルギルス属糸状菌のゲノム配列のうち、適当なPAM (プロトスペーサー隣接モチーフ)配列の上流側に隣接する17~25塩基程度、例えば、19~22塩基程度、特に19~20塩基程度の配列を利用すればよい。PAM配列は、使用するCas9が由来する細菌の種や型によって異なり、公知のCRISPR/Casシステムで一般的に用いられているStreptococcus pyogenes II型由来のCas9の場合、PAM配列は5'-NGG (NはA, T, G又はC)である。
【0062】
Cas9タンパク質とガイドRNAの複合体を直接導入したアスペルギルス属糸状菌細胞のゲノムでは、PAM配列の上流の3番目と4番目の塩基の間で標的配列の二本鎖切断が生じる。ガイドRNAの標的配列の設定では、まず編集したい標的遺伝子又は標的領域の配列中で適当なPAM配列を検索し、その上流隣接配列を候補の標的配列として選定した上で、編集対象のアスペルギルス属糸状菌のゲノム配列上に類似の配列が少ないものを最終的な標的配列として選択すればよい。
【0063】
ニッカーゼ改変型Cas9タンパク質と一対のガイドRNAそれぞれとの複合体とは、2種類のガイドRNAのいずれかとニッカーゼ改変Cas9タンパク質とを会合させた、2種類の(一対の)複合体のことである。ニッカーゼ改変型Cas9タンパク質は、Cas9タンパク質が本来有する2つの切断ドメインのうちの1つが不活化された改変型のタンパク質であり、標的部位においてDNA二本鎖のうちの片方のみを切断する。そのため、DNAの両鎖を切断するためには、DNAの一方の鎖上にある標的配列と他方の鎖上にある別の標的配列とをそれぞれ認識する2種類の(一対の)ガイドRNAを、ニッカーゼ改変Cas9と組み合わせて用いる必要がある。ニッカーゼ改変型Cas9タンパク質を用いたダブルニッキング法を用いることでオフターゲット切断の低減が期待される。
【0064】
ニッカーゼ改変型Cas9自体は公知であり、一般的なニッカーゼ改変型Cas9として、RuvC1ヌクレアーゼドメインにD10A変異(第10番アスパラギン酸がアラニンに置換)を導入したCas9変異体、HNHヌクレアーゼドメインにH840A変異(第840番ヒスチジンがアラニンに置換)を導入したCas9変異体が知られている。本発明では、いずれのニッカーゼ改変型Cas9も使用することができる。
【0065】
デアミナーゼと連結されたニッカーゼ改変型又はヌル変異型Cas9タンパク質とガイドRNAとの複合体は、塩基変換活性を有するタンパク質分子と、該タンパク質分子をゲノム上の標的配列部分に動員するガイド核酸分子との複合体の一例である。ヌル変異型Cas9タンパク質とは、野生型のCas9タンパク質が有する2つの切断ドメインの両方が不活化された変異体であり、例えば、上記のD10A変異とH840A変異の両方を導入して調製できる。
【0066】
細胞内で形成されたデアミナーゼ-変異型Cas9とガイドRNAの複合体は、標的配列の相補鎖にガイドRNAがハイブリダイズし、DNA二本鎖のいずれかでデアミナーゼの活性により塩基の書き換えが行われ、DNA二本鎖内でミスマッチが生じる。このミスマッチの修復過程で、書き換えられた塩基を保持するように他方の塩基が変更されたり、ミスマッチ部分で更に別の塩基に変換されたり、1以上の塩基の欠失又は挿入が生じることによって、種々の変異がゲノム上に導入される。
【0067】
DNA二本鎖切断を発生させない当該技術では、使用するCas9タンパク質変異体の種類や標的配列のサイズ等によって編集部位(変異を生じさせる部位)を制御できることが知られている。デアミナーゼとしては、例えば、活性化誘導シチジンデアミナーゼ(シトシンをウラシルに変換)、アデノシンデアミナーゼ(アデニンをヒポキサンチンに変換)、グアノシンデアミナーゼ(グアニンをキサンチンに変換)等を挙げることができる。
【0068】
Cpf1タンパク質とガイドRNAとの複合体とは、DNA切断活性を有するタンパク質分子と、該タンパク質分子をゲノム上の標的配列部分に動員するガイド核酸分子との複合体の一例であり、標的配列内の特定の部位においてDNA二本鎖切断を生じさせるものである。ガイドRNAは、公知のCRISPR/Casシステムで用いられているものと同様に、crRNA及びtracrRNAのキメラ配列を標的配列の3'側に連結した構造の一本鎖RNAを使用することができる。Cas9タンパク質とは異なり、Cpf1タンパク質による切断部は突出末端となるが、CRISPR/Casシステムのように1種類のCpf1-ガイドRNA複合体で二本鎖DNAの両方の鎖を切断することができる。
【0069】
PPR (pentatricopeptide repeat)タンパク質とは、植物で発見された核酸結合タンパク質である。PPRタンパク質は、35アミノ酸のPPRモチーフが十数個連続した構造を有し、1つのモチーフが塩基と1対1で対応する。PPRの核酸認識コードの解析が進み、所望の核酸配列に特異的に結合するタンパク質の設計が可能となっている。PPRタンパク質に制限酵素FokIのヌクレアーゼドメイン等のDNA切断ドメインを連結したPPR-DNA切断ドメイン融合タンパク質も、ゲノム編集に使用することができる。
【0070】
アスペルギルス属糸状菌細胞へのゲノム編集用組成物の導入は、例えば、アスペルギルス属糸状菌細胞をプロトプラスト化し、プロトプラスト溶液中にゲノム編集用組成物を添加して、プロトプラスト内にゲノム編集用組成物を取り込ませることにより行うことができる。プロトプラスト溶液は、ヤタラーゼ等のアスペルギルス属糸状菌細胞壁溶解酵素を用いて常法により調製できる。
【0071】
ゲノム編集用組成物を導入する際のアスペルギルス属糸状菌プロトプラスト密度やゲノム編集用組成物の使用濃度は、使用するアスペルギルス属糸状菌、ゲノム編集用組成物の種類などに応じて適宜設定することができる。CRISPR/Casシステムを応用したゲノム編集用組成物を用いる場合は、106個前後の糸状菌プロトプラストに対し10μg程度以上のCas9タンパク質を使用することにより、効率よくゲノム編集をすることができる。
【0072】
本発明では、2つの標的遺伝子を共編集するため、二対のゲノム編集用組成物を使用することが望ましい。そして、本発明では、標的遺伝子のうちの1つがピリチアミン耐性マーカー遺伝子(第1の核酸)であるので、編集株(破壊株)のポジティブセレクションが可能となる。そして、もう一方の標的遺伝子(第2の核酸)の編集結果がポジティブセレクションできないものであったり、表現型が明確ではないものであったとしても、ピリチアミン耐性を指標としてスクリーニングすることにより、第2の核酸が編集された候補株を取得することができる。候補株を取得した後、第2の核酸の編集標的部位近傍のシークエンシングを行ない、第2の核酸の改変を確認することができる。
【0073】
本発明では、ピリチアミン耐性マーカー遺伝子(第1の核酸)に対するゲノム編集により、DNA二本鎖切断又は塩基変換による標的遺伝子の破壊を行う。また、第2の核酸に対してもゲノム編集により、核酸二本鎖切断又は塩基変換による標的遺伝子の破壊を行うことが望ましい。
【0074】
本発明では、ゲノム編集によりノックインを行うこともできる。ノックインさせる核酸断片としては特に限定されない。ノックインさせる核酸断片には、必要に応じプロモーター配列も含めることができる。何らかの遺伝子領域内の転写開始点よりも下流に核酸断片をノックインする場合には、プロモーター配列を省略することができる。また、動物細胞や植物細胞でノックインゲノム編集を行う場合、標的部位の上流領域及び下流領域と同じ配列を有する5'相同領域及び3'相同領域をノックインDNA断片の両端に持たせ、相同組換えによりDNA二本鎖切断部にDNA断片を挿入する必要がある。また、アスペルギルス属糸状菌細胞では非相同組換えの活性が高いため、そのような相同領域をDNA断片に持たせる必要はない。
【0075】
ゲノム編集により得られたピリチアミン耐性変異株の選択は、プレート培養を利用する場合は、例えば、0.1 mg/L以上のピリチアミンを含むツァペックドックス培地を用いて行うことができる。
【0076】
さらに、本発明の方法で得られたゲノム編集されたアスペルギルス属糸状菌を用いることで飲食品を製造することができる。そのような飲食品としては、例えば、上で記載した清酒などの飲食品を挙げることができる。
【実施例
【0077】
以下、本発明を更に詳しく説明するため実施例を挙げる。しかし、本発明はこれら実施例等になんら限定されるものではない。
【0078】
試験例1
麹菌(A. oryzae)のthiIを破壊し、PT耐性が得られるか確認した。
【0079】
<ガイドRNA (sgRNA)の設計>
ターゲット配列のDNA配列は公知の作製補助サイトを利用し、以下のターゲット配列を選択し、公知の方法によりsgRNAを設計した。
ターゲット配列:
5’- GGCGAAGACGAGACGCGAGG-3’(配列番号11)、
sgRNA:
GUACGGCGAAGACGAGACGCGGUUUUAGAGCUAGAAAUAGCAAGUUAAAAUAAGGCUAGUCCGUUAUCAACUUGAAAAAGUGGCACCGAGUCGGUGCUUUU (配列番号12)
【0080】
<宿主のthiI遺伝子の破壊方法>
・プロトプラスト形成
菌株は、RIB40 (= NBRC 100959)を用いた。
【0081】
形質転換で一般的に用いられる、プロトプラスト-PEG法(例えば、タカラバイオ社、pPTR II DNA (製品コード 3622)のマニュアル、URL: http://catalog.takara-bio.co.jp/com/tech_info_detail.php?mode=2&masterid=M100003051&unitid=U100003806)を用いてゲノム編集を行った。
【0082】
具体的には、プロトプラスト-PEG法においてプラスミドDNAを加える代わりに、以下のものを添加して試験を行った。
・市販のcas9溶液(S. pyogenes由来・リコンビナント・C末端に核局在シグナルが付加されたもの)と上述の合成したsgRNAとを混和・静置しCas9-sgRNA複合体(Cas9ガイドRNA複合体)を形成させたもの
【0083】
ゲノム編集後に、マニュアル記載のピリチアミン含有CD選択培地で選択した。
【0084】
<結果>
50個以上のコロニーが見られた。一部についてPCRで断片を増幅してシーケンスを行ったところ、目的遺伝子thiIの変異麹菌が確認された。thiI遺伝子の一部が欠損し、フレームシフトなどが起きていた。
【0085】
試験例2
試験例1で得られたthiI欠損株1株の表現型について確認した。
【0086】
<方法>
・培地 PDA培地(ポテトデキストロース寒天培)
Czapek-dox寒天培地(組成は、上述マニュアル参照)
Czapek-dox寒天培地+0.1 ppm PT
・菌株 WT (RIB40)、thiA恒常発現株(RIB40で、ptrA (遺伝子)と同一部分に変異を持つもの)及び試験例1で得られたthiI欠損株(105胞子スポット植菌)を用いた。なお、上記thiA恒常発現株は、自然変異でPT含有培地に生育してきたPT耐性株の中から選抜したものである。
・培養 30℃静置3日間
【0087】
<結果>
結果を図1に示す。thiI破壊株は通常のPDAやCz-doxではWTと変わらなかった。また、PT耐性についてはthiA恒常発現株と変わらなかった。
【0088】
試験例3
thiIのゲノム編集によりピリチアミン耐性が付与できることが確認できたので、この特性を利用し、co-transformation (共ゲノム編集)に応用できるかを検討した。標的遺伝子はwA (NCBI Reference Sequence:XM_001822648/AO090102000545類似遺伝子)(配列番号13)とし、胞子の色で確認することにした。
【0089】
<方法>
wAゲノム編集用(遺伝子欠損用)sgRNAを設計及び合成し、試験例1と同様にCas9と混合してCas9-sgRNA複合体を形成させた後、試験例1と同じthiIゲノム編集用のCas9-sgRNA複合体と同時に添加した点を除いては試験例1と同様に行った。
【0090】
<結果>
結果を図2に示す。得られた株を確認すると、分生子の一部が白色化しており、wA欠損の表現型が確認された。
【0091】
試験例4
wA以外の遺伝子に対しても本発明のゲノム編集が利用できるかを検討した。
【0092】
<1>
(方法)菌株と標的遺伝子を以下のとおり変更した以外は、試験例3と同様に行った。
菌株 アスペルギルス・オリゼ清酒用実用麹菌株OSI1013(受託番号FERM P-16528)
標的遺伝子 グルコアミラーゼglaB (GenBank:AB007825類似遺伝子)(配列番号14)
(結果)多数のPT耐性株が得られたうち12株を選んでシーケンスした。うち1株で目的遺伝子glaBの欠損した株が取得できた。
【0093】
<2>
(方法)菌株と標的遺伝子を以下のとおり変更した以外は、試験例3と同様に行った。
菌株 アスペルギルス・オリゼ フェリクリシン高生産株F16
標的遺伝子 フェリクリシン合成の転写因子sreA (NCBI Reference Sequence:NC_036437/AO090026000719類似遺伝子)(配列番号15)
(結果)PT耐性株の中に、複数のフェリクリシン高生産株が確認された。wAと同程度の頻度で、黄色いフェリクリシン着色が確認できた。
【0094】
試験例5
アスペルギルス・オリゼ以外の種にもthiIのホモログが存在し、マーカーとして利用できるかを検討した。
【0095】
<方法>
アスペルギルス・オリゼのthiIのホモログを他のアスペルギルス属で検索した。そして、ホモログと思われる遺伝子を、試験例1と同様の方法で破壊した。
【0096】
菌株/ターゲット遺伝子番号/推定タンパク質番号
・アスペルギルス・ニデュランス/NBRC 33017株/NW_101456 REGION: complement(745..2761)(配列番号16)/タンパク質XP_868888 (配列番号7)(1380番目のCを除去した塩基配列を再アノテーションすることで得られるアミノ酸配列は配列番号8に記載のものとなる)
・アスペルギルス・ニガーNBRC 33023株/NT_166519 REGION: complement(2422142..2425115)(配列番号17)/タンパク質XP_001400106 (配列番号9)
・アスペルギルス・ソーエOSI2020 (月桂冠社保存株)、実施例1の麹菌と同じ遺伝子、タンパク質、sgRNAを用いた。
【0097】
<結果>
アスペルギルス・オリゼのthiI類似遺伝子をコードするアスペルギルス・ニデュランスの遺伝子、アスペルギルス・ニガーの遺伝子、アスペルギルス・ソーエの遺伝子をそれぞれ、試験例1と同様にゲノム編集した。これら類似遺伝子を破壊したところ、アスペルギルス・オリゼと同様にPT培地で破壊株が選抜できた。
【0098】
これらのアスペルギルス属糸状菌のthiIのアミノ酸配列について解析したところ、アスペルギルス・オリゼのthiIの以下の下線部分の領域が高く保存されていた。
MAPAQQQADLLVDQDAHPIVNEEVRSQTESQDDAALLRTMGYKPVLHRTYTLFENFATTFAALYFVGGVRVTFSTGIAAGGNLAYWTSYLVTMVFTYITAAVIAEVCSASPSAGSIYLWAAEAGGPRFGRLLGFIVAWWSTTAWTTFCASNTQAAVNYMLSELTVFNVDFPTDTSSVKFRAVQWICTEILLALAAILNFMPPKYFRYVFWFSSMVVLLDFILNIIWLPIGAHNTWGFRTAEEAFMSTYNGTGAPPGWNWCLSYLATAGILIGFDASGHVAEETKNASITAARGIFWSTVVSGIGGLATIILFLFCAPDPDTLFSFGSPQPFVPLYAVVLGRGGHIFMNVICIVALWLNTAIAIVAASRLVFAVARDGVLPFSSWVSKVHNGQPRNAVIVVWAVAALVTCTLLPSDVAFTSLVSAAGVPSAAAYGLICLARLICTPKRFPKPQWSLGKWSKPFQFIGVFWNGWVVAVLFSPYAFPVTGANLNYAPIIMAGVTIFALISYFAMPEEAWLPRNRISHFIDSKGAQATVEEVERPSGEDQGTSTPRL(配列番号1)
下線部分は順に保存領域1(配列番号2)、保存領域2(配列番号3)、保存領域3(配列番号4)とする。また、配列番号2-4と同一性の高いアミノ酸配列を相同検索した。
【0099】
アスペルギルス・オリゼと他のアスペルギルス属との間のthiIのアミノ酸配列の同一性の値を以下の表に示す。また、全体のアミノ酸同一性はおよそ80%以上であり、この条件を満たす各アミノ酸配列、それをコードする遺伝子は各宿主につき1遺伝子であることが明らかとなった。
【0100】
【表1】
【0101】
試験例6(参考)
thiAの恒常発現はthiA遺伝子のRegionAの欠損が関与している。そして、そのような変異はRegionAの13bp以内のみにとどまる必要がある。一方、CRISPR/Casシステムではターゲット配列(20bp)はPAM配列と呼ばれる3塩基(NGG)と隣接する必要がある。つまり、RegionA内に変異を誘発させるためのターゲット設計は以下1通りに限定される。
TCTGGATAATACCAGCGAAA AGG (AGGはPAM配列、ターゲット配列中RegionBを下線で示し、RegionAはそれ以外である。)
【0102】
そのため、実質的に変異は4bp以内に生じる必要がある。一方で、CRISPR/Casシステムによる変異はアスペルギルス属の場合10bp以上の変異が頻繁に生じており、4bp以内にのみ変異を生じる可能性は高くない。実際に、thiA (ptrA)の5'UTRリボスイッチ領域をターゲットとしたゲノム編集が可能か検討した。
【0103】
<方法>
ターゲット配列を以下のとおり変更した以外は、試験例1と同様に行った。
TCTGGATAATACCAGCGAAA (配列番号18)
【0104】
<結果>
PT耐性株は取得できなかった。
図1
図2
【配列表】
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