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特許7359775循環器障害または血栓形成の進行またはそのリスクの予測
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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2023-10-02
(45)【発行日】2023-10-11
(54)【発明の名称】循環器障害または血栓形成の進行またはそのリスクの予測
(51)【国際特許分類】
   C12Q 1/6851 20180101AFI20231003BHJP
   C12Q 1/02 20060101ALI20231003BHJP
   G01N 33/53 20060101ALI20231003BHJP
【FI】
C12Q1/6851 Z ZNA
C12Q1/02
G01N33/53 M
G01N33/53 D
【請求項の数】 4
(21)【出願番号】P 2020546244
(86)(22)【出願日】2019-09-17
(86)【国際出願番号】 JP2019036399
(87)【国際公開番号】W WO2020054877
(87)【国際公開日】2020-03-19
【審査請求日】2022-06-15
(31)【優先権主張番号】P 2018172733
(32)【優先日】2018-09-14
(33)【優先権主張国・地域又は機関】JP
(73)【特許権者】
【識別番号】000109543
【氏名又は名称】テルモ株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】110000671
【氏名又は名称】IBC一番町弁理士法人
(72)【発明者】
【氏名】森 雄平
(72)【発明者】
【氏名】小松 智哉
(72)【発明者】
【氏名】平原 一郎
【審査官】坂崎 恵美子
(56)【参考文献】
【文献】国際公開第2005/062054(WO,A1)
【文献】国際公開第2017/119498(WO,A1)
【文献】特表2012-510817(JP,A)
【文献】International Society on Thrombosis and Haemostasis,2013年,Vol.11, Suppl.3,p.31, CFBS38
【文献】Journal of the National Cancer Institute,2012年,Vol.104, No.12,p.906-922
【文献】Journal of the National Cancer Institute,2012年,Vol.104, No.12,p.887-888
【文献】血栓止血誌,2008年,Vol.19, No.6,p.814-821
【文献】生化学,2017年,Vol.89, No.3,p.343-350
【文献】Clinica Chimica Acta,2016年,Vol.463,p.109-118
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C12Q 1/68
C12Q 1/02
G01N 33/53
JSTPlus/JMEDPlus/JST7580(JDreamIII)
CAplus/MEDLINE/EMBASE/BIOSIS(STN)
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
血管内留置用具、PTCAバルーン、人工血管、体外式膜型人工肺(Extracorporeal membrane oxygenation;ECMO)、および遠心ポンプ型人工心臓からなる群から選択される医療用具が生体において循環器障害または血栓形成を惹起するリスクを評価する方法であって、
記医療用具の存在下および非存在下において、細胞に対してメカニカルストレスを負荷しながら前記細胞を培養することを含み、前記医療用具の存在下で前記細胞を培養した後の培養液または細胞における、ADAM28もしくはADAMTS13の発現量もしくは濃度、vWFに対するADAM28の発現量もしくは濃度の比率(ADAM28/vWF比)、またはvWFに対するADAMTS13の発現量もしくは濃度の比率(ADAMTS13/vWF比)が、前記医療用具の非存在下で前記細胞を培養した後の培養液または細胞における値よりも低下している場合に、前記医療用具は生体において循環器障害または血栓形成を惹起するリスクがあると評価する、方法。
【請求項2】
前記細胞が血管内皮細胞である、請求項に記載の方法。
【請求項3】
前記医療器具が、前記血管内留置用具である、請求項1または2に記載の方法。
【請求項4】
前記血管内留置用具が、ステント、カバードステント、ステントグラフト、人工弁、弁クリップおよび補助循環用ポンプカテーテルからなる群から選択される、請求項に記載の方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、循環器障害または血栓形成の進行またはそのリスクの有無を予測するためのデータを提供する方法に関する。また、本発明は、薬剤または医療用具が生体において循環器障害または血栓形成を惹起するリスクを評価する方法にも関する。
【背景技術】
【0002】
血管内皮機能の低下や、動脈硬化の進展によりプラークが破綻すると、血栓が形成され、血管内腔の狭窄や閉塞が起こる。その結果として、心筋梗塞や脳梗塞、終動脈閉塞などの循環器障害による臓器不全などが発症し、生命予後に大きな影響を与えることが問題となっている。さらに物質や薬剤の投与、血管内への治療や診断のための医療機器の挿入または留置などの医療介入により血管内皮が障害されると、血栓形成のリスクが高まり、血管内腔が狭窄したり、さらには閉塞をきたして循環器障害を引き起こしたりすることが知られている。治療や診断の目的で医療機器を挿入または留置する医療介入の一例として、バルーンなどの血管内治療、ステントやカバードステント・ステントグラフトなどの血管への留置、人工血管の移植などが挙げられる。これらの医療行為による血管内皮細胞の傷害は、通常は自然に治癒していくものの、医療機器の生体適合性や薬剤徐放期間の影響によって、血管内皮細胞が傷害されたままになり、遅発性血栓症などの長期臨床成績の悪化をもたらすことが課題となっている。
【0003】
循環器障害を引き起こす血管閉塞性の疾患の主原因である動脈硬化病変には、血管機能不全およびプラーク形成の2つの側面がある(血管機能の非侵襲的評価法に関するガイドライン、JCS 2013)。プラークの検出に関しては、画像診断の進歩によって正確な評価ができるようになりつつある。しかしながら、プラークは必ずしも破綻して循環器障害を引き起こすわけではなく、プラーク破綻の多くは高度狭窄を有さない病変部位で生じる。このため、一般的に行われている血管造影ではプラークの破綻による循環器障害を予測することは困難である。そこで、破綻しやすいプラーク(すなわち、不安定プラーク)を検出する方法の開発が行われてきた。血管内超音波法(IVUS)や光干渉断層撮影(OCT)、血管内視鏡などを用いて不安定プラークを検出する方法が検討されているが、現在ではその破綻や血栓形成、およびそれらによって生じる循環器障害を予測するまでには至っていない。一方、血管機能不全を評価する血管機能検査には、血管内皮機能検査(プレチスモグラフィ、flow-mediated dilatation:FMD、reactive hyperemia peripheral arterial tonometry:RH-PAT)、脈波伝播速度(PWV)、心臓足首血管指数(CAVI)、stiffness parameter、中心血圧、増大係数(augmentation index:AI)、second derivative of photoplethysmogram(SDPTG)、足関節上腕血圧比(ankle brachial index:ABI)、足趾上腕血圧比(toe brachial index:TBI)などがあり、その一部は臨床でも使用されているが、これについても循環器障害を予測するまでには至っていない。
【0004】
ところで、一次血栓は、内皮細胞上のフォン・ヴィレブランド因子(vWF)または血管障害部位に露出したコラーゲンにvWFが結合することがトリガーとなり、このvWFにGP1b/V/IXを介して血小板が結合し、さらにGPIIb/IIIaを介して血小板にフィブリンが結合することにより形成され、この一次血栓が成長して血管閉塞・狭窄に至る。すなわち、血管狭窄・閉塞をもたらす血栓の形成には、vWFが血管壁に存在することが重要である。一方、生体内においては、血栓が血管内腔に対して著しく増長して血管内腔を閉塞するような状況では、血栓による血管狭窄や閉塞を防ぐため、血栓(超高分子量vWFマルチマー)に高いシェアストレスがかかり、vWFの立体構造が変化して、ADAMTS13がvWFを分解することで血栓による閉塞を防止していることが知られている。しかしながら、ADAMTS13は通常の血流下でネイティブな立体構造を有するvWFを分解できず、かつADAMTS13の遺伝子をノックアウトしたマウスでは、健常状態では見かけ上は何も生じない(Motto DG et al., J Clin Invest. 2005; 115 (10): 2752-61およびBanno F et al., Blood. 2009; 113 (21): 5323-9を参照)。これらのことから、ADAMTS13は過剰に増大した血栓を分解して血管の狭窄・閉塞を防止しているものと考えられるが、生理的にvWFを分解して一次血栓を制御しているのは別の因子であると考えられる。なお、近年、ADAM28ががん細胞においてvWFを分解することが報告された(Mochizuki S et al., J Natl Cancer Inst. 2012; 104 (12): 906-22を参照)が、ADAM28が血栓形成に関与しているとの報告はない。
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
血管機能検査法が心血管疾患管理におけるバイオマーカーとなるためには、(1)血管機能不全の進展程度がわかる、(2)心血管疾患の発病リスクまたは予後の推定ができる、(3)介入による効果が評価できる、(4)結果が改善すれば予後の改善につながる、などの条件を満たすことが必要とされる(上記ガイドライン)。そして、このような血管機能検査法が臨床応用されるためには、(1)非侵襲的で簡便に計測できる、(2)低コストで普遍化が可能である、(3)精度および再現性が高い、(4)計測法の標準化が可能である、などの指標が重要である。一方、血管機能検査法に関しては、測定方法、結果の解釈、臨床的意義、臨床応用などについて、依然として一定の見解が定まっていないという問題がある。
【0006】
血管機能検査によれば、無症候の段階で非侵襲的に動脈機能障害を把握することができ、将来の循環器障害の発症リスクをより的確に評価し、積極的な介入によりイベントの予防へと結びつけられる可能性がある。しかしながら、現時点での有用性に関してはコンセンサスが得られておらず、今後、治療介入により血管機能検査が改善し、その改善が循環器障害リスクの低下のサロゲートマーカーとして機能することを確認する必要がある。また、従来の血管機能検査には専用の検査機器が必要である。このため、専用の検査機器を用いることなく血管の狭窄・閉塞を予測することを目的として、血中のバイオマーカーの探索も行われており、高感度CRP、Lp-PLA2、ペントラキシン3(PTX3)などがマーカーとして機能しうる可能性が報告されている。しかしながら、これらのマーカーは必ずしも内皮傷害を特異的に反映しているわけではない。このように、血管の閉塞または狭窄などによる循環器障害を高精度に予測することは難しいのが現状であり、このために治療介入が遅れて予後不良になることがしばしば起きている。したがって、簡便な手法により、血栓形成の進行や血管の狭窄・閉塞、ひいては循環器障害を高精度に予測する方法が求められている。
【0007】
そこで本発明は、簡便な手法により、血栓形成の進行や血管の狭窄・閉塞、ひいては循環器障害を高精度に予測することを可能としうる手段を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0008】
本発明者らは、上記課題を解決すべく鋭意検討を行った。その結果、驚くべきことに、内皮機能が低下した状態では、内皮細胞におけるvWF因子の発現量が上昇するとともに、ADAM28の発現量が低下することを初めて明らかにした。そしてこの知見に基づき、本発明を完成させるに至った。
【0009】
すなわち、本発明の一形態によれば、被験体から採取した血液サンプルにおけるADAM28の発現量もしくは濃度、または、vWFに対するADAM28の発現量もしくは濃度の比率(ADAM28/vWF比)をマーカーとして、循環器障害または血栓形成の進行またはそのリスクの有無を予測するためのデータを提供する方法であって、前記マーカーの値が基準値よりも低下している場合に循環器障害または血栓形成の進行またはそのリスクがあると予測される方法が提供される。
【0010】
また、本発明の他の形態によれば、薬剤または医療用具が生体において循環器障害または血栓形成を惹起するリスクを評価する方法であって、前記薬剤または医療用具の存在下および非存在下において、細胞に対してメカニカルストレスを負荷しながら前記細胞を培養することを含み、前記薬剤または医療用具の存在下で前記細胞を培養した後の培養液または細胞における、ADAM28もしくはADAMTS13の発現量もしくは濃度、vWFに対するADAM28の発現量もしくは濃度の比率(ADAM28/vWF比)、またはvWFに対するADAMTS13の発現量もしくは濃度の比率(ADAMTS13/vWF比)が、前記薬剤または医療用具の非存在下で前記細胞を培養した後の培養液または細胞における値よりも低下している場合に、前記薬剤または医療用具は生体において循環器障害または血栓形成を惹起するリスクがあると評価する方法もまた、提供される。
【図面の簡単な説明】
【0011】
図1】本発明の一形態に係る薬剤または医療用具が生体において循環器障害または血栓形成を惹起するリスクを評価する方法において用いられるメカニカルストレス負荷培養装置を説明するための説明図である。
図2図1に示すメカニカルストレス負荷培養装置における細胞培養ユニットが湾曲した状態で接続された状態を説明するための写真である。
【発明を実施するための形態】
【0012】
以下、添付した図面を参照しながら、本発明の実施形態を説明する。
【0013】
≪循環器障害または血栓形成の進行またはそのリスクの有無の予測≫
本発明の一形態は、循環器障害または血栓形成の進行またはそのリスクの有無を予測するか、または、その有無を予測するためのデータを提供する方法に関する。より詳細に、当該方法は、被験体から採取した血液サンプルにおけるADAM28の発現量もしくは濃度、または、vWFに対するADAM28の発現量もしくは濃度の比率(ADAM28/vWF比)をマーカーとして、循環器障害または血栓形成の進行またはそのリスクの有無を予測するか、または、その有無を予測するためのデータを提供する方法である。ここで、当該方法においては、前記マーカーの値が基準値よりも低下している場合に、循環器障害または血栓形成の進行またはそのリスクがあると予測される。本形態に係る方法によれば、簡便な手法により、血栓形成の進行や血管の狭窄・閉塞、ひいては循環器障害を高精度に予測することが可能となる。
【0014】
上述したように、本発明者らは、簡便な手法により、血栓形成の進行や血管の狭窄・閉塞、ひいては循環器障害を高精度に予測することを可能としうる手段を開発することを目的として、鋭意検討を行った。その過程で、本発明者らは、まず、血管内皮細胞に対してメカニカルストレスが負荷されない条件下(血管内を血流が流れていない状態に相当)では、メカニカルストレスが負荷されている条件下(血管内を血流が流れている状態に相当)と比較して、内皮機能のマーカーであるeNOS(血管内皮細胞におけるNO合成酵素)の発現量が低下し、内皮機能が低下することを確認した。そして、eNOSの発現量の低下を伴うほど内皮機能が低下した状態では、内皮細胞におけるvWFの発現量が上昇する一方で、ADAM28の発現量が低下するという事実を初めて明らかにした。ここで、従来、vWFの生理的な分解酵素であると考えられてきたADAMTS13には可溶型のみが存在し、しかも上述したように通常の血流下でネイティブな立体構造を有するvWFを分解することはできない。これに対し、ADAM28には可溶型に加えて膜結合型も存在し、しかもネイティブな立体構造を有するvWFをも分解可能である。これらのことから、vWFの分解を生理的に制御している酵素は、従来考えられていたADAMTS13ではなくADAM28であり、特に膜結合型のADAM28が同じ細胞膜上に存在するvWFを効率よく分解することで一次血栓の形成を防止しているものと推察される。また、vWFの血管壁への結合は血栓形成の第一ステップであることから、ADAM28は血栓形成のゲートキーパーとして重要な役割を担っており、健常状態において血栓形成を抑制することで、血管の閉塞・狭窄を防止していると考えられる。さらに、メカニカルストレスの減少などに起因してひとたび内皮機能が低下すると、一次血栓形成のトリガーであるvWFの発現が上昇するとともに、それを分解するADAM28の発現が低下し、血栓形成が促進されて血管の閉塞・狭窄が生じるものと考えられる。
【0015】
以上のことから、被験体から採取した血液サンプルにおけるADAM28の発現量(もしくは濃度)、またはvWFに対するADAM28の発現量(もしくは濃度)の比率(ADAM28/vWF比)をマーカーとして用いることで、循環器障害または血栓形成の進行またはそのリスクがあると予測することが可能であると考えられる。本発明の上述した一形態によれば、上記のパラメータをマーカーとして用い、当該マーカーの値が基準値よりも低下している場合に、循環器障害または血栓形成の進行またはそのリスクがあると予測される。このように、上記マーカーの値が基準値よりも低下している場合には、患者の血管内腔面において一次血栓形成のトリガーであるvWFが蓄積し、その結果として、血管内で血栓が発達し、ひいては血管が閉塞または狭窄して循環器障害が引き起こされる可能性が高まる。一方、上記マーカーの値が基準値と比較して変化せず、または上昇している場合には、血管内腔面のvWFがADAM28により分解されるため、血栓が形成されずに血管の閉塞や狭窄が生じる可能性は低いものと考えられる。
【0016】
以下では、上述した本発明の一形態に係る方法について、詳細に説明する。
【0017】
ADAMタンパク質(ADAMs:a disintegrin and metalloproteinases)は、膜貫通タンパク質の外部ドメインシェディング、細胞接着および浸潤に関わる多機能タンパク質である(Edwards DR et al., Mol Aspects Med. 2008; 29 (5): 258-89;Murphy G, Semin Cell Dev Biol. 2009; 20 (2): 138-45)。ヒトゲノムには、4種の偽遺伝子を含む25種のADAMsが含まれており、21種のADAMsは、タンパク質分解活性を示す13種のタンパク質分解性ADAMsと8種の非タンパク質分解性ADAMsからなる(Edwards DR et al., Mol Aspects Med. 2008; 29 (5): 258-89;Shiomi T et al., Pathol Int. 2010; 60 (7): 477-96)。タンパク質分解性ADAMsは、マトリックスメタロプロテイナーゼ(MMPs)のメタロプロテイナーゼドメインを共有し、典型的なタンパク質分解性ADAMsは、プロペプチド、メタロプロテイナーゼ、ディスインテグリン様、システインリッチ、上皮増殖因子様、膜貫通および細胞内ドメインを含み、ADAM8、ADAM9、ADAM12、ADAM15、ADAM17、ADAM19およびADAM28を含む多くのタンパク質分解性ADAMsは、ヒト癌において過剰発現しており、癌の増殖および進行と関係していることが知られている。
【0018】
このように、ADAM28は公知のタンパク質であり、そのアミノ酸配列やcDNA配列も公知である。ADAM28には、膜型(ADAM28m)と、分泌型(ADAM28s)の2種類が存在する。ヒト膜型ADAM28(およびその成熟型)の代表的なアミノ酸配列およびcDNA配列、並びにヒト分泌型ADAM28(およびその成熟型)の代表的なアミノ酸配列およびcDNA配列は、国際公開第2016/143702号パンフレットに開示されている。なお、「ヒト膜型ADAM28」とは、膜型ADAM28のアミノ酸配列またはヌクレオチド配列が、ヒトにおいて天然に発現している膜型ADAM28のアミノ酸配列またはヌクレオチド配列と同一または実質的に同一のアミノ酸配列またはヌクレオチド配列を有することを意味する。「実質的に同一」とは、着目したアミノ酸配列またはヌクレオチド配列が、ヒトにおいて天然に発現している膜型ADAM28のアミノ酸配列またはヌクレオチド配列と70%以上(好ましくは80%以上、より好ましくは90%以上、さらに好ましくは95%以上、最も好ましくは99%以上)の同一性を有しており、かつ、ヒト膜型ADAM28の機能を有することを意味する。ヒト以外の生物種や、膜型ADAM28以外のタンパク質、遺伝子、それらの断片についても同様に解釈する。
【0019】
一方、vWFは、血液凝固において重要な役割を果たす血漿タンパク質である。vWFは主に血管内皮で合成され、高分子多量体の形態で血中に放出される。野生型ヒトvWFは、そのシグナルペプチドおよびプロ領域を含めて全部で2813個のアミノ酸からなるポリペプチドである。野生型ヒトvWFのアミノ酸配列と、野生型ヒト成熟vWFサブユニットのアミノ酸配列は、国際公開第2004/035778号パンフレットに開示されている。
【0020】
本形態に係る方法においては、被験体から採取した血液サンプルにおけるADAM28の発現量もしくは濃度、または、vWFに対するADAM28の発現量もしくは濃度の比率(ADAM28/vWF比)を、マーカーとして使用するために測定する。
【0021】
本明細書において、「被験体」とは、循環器障害または血栓形成の進行を生じる可能性のある被験体であり、好ましくはヒト被験体である。他の好ましい実施形態において、被験体は、循環器障害または血栓形成が関与する疾患に罹患していると診断された患者であり、より好ましくは当該診断を受けた後にその治療を受けた患者である。ここで、循環器障害または血栓形成が関与する疾患としては、冠動脈の狭窄、心臓性突然死、致死性および非致死性心筋梗塞、不安定狭心症等の冠動脈の狭窄および閉塞といった冠動脈イベント、脳梗塞、癌、糖尿病、旅行者血栓症(エコノミークラス症候群)、末梢動脈塞栓疾患、血栓性微小血管障害症(血栓性血小板減少性紫斑病、溶血性尿毒症症候群など)、静脈血栓症(肺血栓塞栓症、深部静脈血栓症、門脈血栓症、腎静脈血栓症、肝静脈血栓症、頚静脈血栓症、腋窩-鎖骨下静脈血栓症、脳静脈洞血栓症など)等が挙げられる。
【0022】
本明細書において、「血液サンプル」とは、上記の測定が実施可能な血液由来のサンプルであればよい。したがって、その具体的な形態について特に制限はなく、通常は全血サンプルが用いられる。この全血サンプルとしては、被検体から採取された血液(全血)をそのまま用いてもよいし、凝固防止等を目的としてEDTAカリウム塩やヘパリン等の添加剤が添加されてもよい。被検体から血液サンプルを採取するために採血するタイミングは、特に制限されない。
【0023】
本形態に係る方法で使用する血液サンプルは、被験体から採取直後のものを測定に用いることが好ましいが、保存したものを用いてもよい。血液サンプルの保存方法としては、サンプル中の上記マーカーの値が変化しない条件であれば特に制限はなく、例えば0~10℃の凍結しない程度の低温条件、暗所条件および無振動条件下が好ましい。
【0024】
本形態に係る方法において、上記マーカーの値の測定は、従来公知の手法を用いて行うことができる。
【0025】
本明細書において、あるタンパク質の「発現量」とは、当該タンパク質をコードする遺伝子と相補的なRNA(転写産物)の発現、および当該タンパク質(翻訳産物)自体の発現の双方を含めるものとする。したがって、本明細書において、あるタンパク質の発現量とは、転写産物または翻訳産物の発現量または発現強度をいう。発現量は通常、転写産物の産生量、またはその翻訳産物の産生量、活性等により解析することができる。また、あるタンパク質の「濃度」とは、血液サンプルの単位体積あたりにおける対象タンパク質の存在量(発現量)を意味し、本形態に係る方法においては、この「濃度」をマーカーとしてもよい。
【0026】
タンパク質の発現量の測定は、当該タンパク質をコードする遺伝子の転写産物、すなわちmRNAの測定により行ってもよいし、当該遺伝子の翻訳産物、すなわちタンパク質自体の測定により行ってもよい。好ましくは、当該遺伝子の転写産物の測定により行う。なお、遺伝子の転写産物には、mRNAから逆転写されて得られたcDNAも含まれるものとする。
【0027】
転写産物の発現量の測定は、例えばmRNAの塩基配列の全部または一部を含むヌクレオチドをプローブまたはプライマーとして用いてサンプル中の遺伝子発現の程度を測定すればよく、例えばマイクロアレイ(マイクロチップ)を用いた方法、ノーザンブロット法、定量的PCR法等で測定することが可能である。定量的PCR法としては、アガロースゲル電気泳動法、ポリアクリルアミドゲル電気泳動法、蛍光プローブ法、RT-PCR法、リアルタイムPCR法、ATAC-PCR法、Taqman PCR法(SYBR(登録商標)グリーン法)、Body Map法、Serial analysis of gene expression(SAGE)法、Micro-analysis of Gene Expression(MAGE)法等が知られており、これらを適宜使用することができる。また次世代シークエンサーを用いて評価してもよい。これらの方法を用いて、mRNAの量を、当該mRNAにハイブリダイズするヌクレオチドプローブまたはプライマーの使用により測定することができる。測定に用いるプローブまたはプライマーの塩基長は、好ましくは10~50bpであり、より好ましくは15~25bpである。
【0028】
複数の遺伝子の発現、特に多種類の遺伝子の発現を同時に測定する場合には、DNAマイクロアレイを用いることが好適である。DNAマイクロアレイは、遺伝子の塩基配列からなるヌクレオチドまたはその一部配列を含むヌクレオチドを適当な基板上に固定化することにより作製することができる。固定基板としては、ガラス板、石英板、シリコンウェハーなどが挙げられる。基板の大きさとしては、例えば3.5mm×5.5mm、18mm×18mm、22mm×75mmなどが挙げられるが、これは基板上のプローブのスポット数やそのスポットの大きさなどに応じて様々に設定することができる。ポリヌクレオチドまたはその断片の固定化方法としては、ヌクレオチドの荷電を利用して、ポリリジン、ポリエチレンイミン、ポリアルキルアミンなどのポリ陽イオンで表面処理した固相担体に静電結合させたり、アミノ基、アルデヒド基、エポキシ基などの官能基を導入した固相表面に、アミノ基、アルデヒド基、チオール基、ビオチンなどの官能基を導入したヌクレオチドを共有結合により結合させることもできる。固定化は、アレイ機を用いて行えばよい。少なくとも1個の遺伝子またはその断片を基板に固相化してDNAマイクロアレイを作製し、当該DNAマイクロアレイと蛍光物質で標識した被験体由来のmRNAまたはcDNAを接触させてハイブリダイズさせ、DNAマイクロアレイ上の蛍光強度を測定することにより、mRNAの種類と量を決定することができる。
【0029】
翻訳産物の発現量の測定は、翻訳されたタンパク質を定量するか、またはタンパク質の活性を測定することによって行うことができる。あるいはまた、タンパク質の定量は、タンパク質に対して特異的な抗体を用いて行うことができる。
【0030】
抗体は公知の方法により、作製することができる。あるいはまた、抗体は、例えばInvitrogen社、Santa Cruz Biotechnology社、Sigma-Aldrich社等から提供されており、これらを適宜入手して使用することができる。検出のための抗体は、ポリクローナル抗体であってもモノクローナル抗体であってもよい。
【0031】
抗体を用いたタンパク質の検出は、限定するものではないが、例えばイムノクロマトグラフィー法、ウエスタンブロッティング法、EIA法、ELISA法、RIA法、フローサイトメトリー法等によって行うことができる。抗体は、蛍光標識、放射性標識、酵素、ビオチン等による標識をすることができ、また、そのように標識された検出のための二次抗体を使用することもできる。なお、現在臨床では、血液サンプルからイムノクロマトグラフィー法により心筋トロポニンTを検出することで心筋傷害の存在を評価している(トロップ T センシティブ、ロシュ・ダイアグノスティックス社)。したがって、本形態に係る方法においてもこれと同様に、ADAM28やvWFといったマーカーをイムノクロマトグラフィー法により測定することで、臨床において低侵襲で簡便に計測でき、低コストで普遍化が可能であって、精度および再現性が高く、計測法の標準化などが可能な血管内腔の閉塞・狭窄を予測する評価法を構築することが期待される。そしてその結果、血管の閉塞・狭窄を未然に防止することができ、適切な治療を施すことが可能になる。なお、イムノクロマトグラフィー法により上記測定を行う場合には、イムノクロマト試験紙を用いることが好ましい。イムノクロマト試験紙は、血液サンプルを受容するサンプルパッド領域、ADAM28やvWFといった指標物質と結合可能な標識化抗体を含有するコンジュゲートパッド領域、検体を展開するメンブレン本体、および当該メンブレン本体上で前記指標物質と結合可能な抗体が固定化され前記コンジュゲートパッド領域において前記標識化抗体と結合した前記指標物質と結合可能なテストラインを有するものであることが好ましい。さらに、上記テストラインにおいて結合された標識の量を判別可能とするコントロールラインとを有するイムノクロマト試験紙がより好ましい。なお、前記標識は濃度依存的に発色が強くなるものであることがさらに好ましい。
【0032】
本形態に係る方法においては、上述した手法によって測定された値をマーカーとして、循環器障害または血栓形成の進行またはそのリスクの有無を予測することができる。すなわち、本明細書では、循環器障害または血栓形成の進行またはそのリスクの有無を予測する方法を開示する。また、本明細書では、循環器障害または血栓形成の進行またはそのリスクの有無を予測するためのデータを提供する方法をも開示する。この際、上述したように、上記マーカーの値が基準値よりも低下している場合には、循環器障害または血栓形成の進行またはそのリスクがあると予測される。なお、本明細書において、「基準値」とは、本形態に係る方法において発現量または濃度の上昇または低下を判定するための基準となり得る数値である。基準値の一例として、例えば、上述したような疾患に罹患していると診断されていない者(例えば、健常人)から採取した血液サンプルにおけるADAM28の発現量(もしくは濃度)、またはvWFに対するADAM28の発現量(もしくは濃度)の比率(ADAM28/vWF比)の測定値が挙げられる。また、同じ被験体において過去に測定された上記マーカーの値を基準値としてもよい。
【0033】
本発明のさらに他の形態によれば、上述した本発明の一形態に係る方法に使用するための検出試薬、および、当該検出試薬を含む、循環器障害または血栓形成の進行またはそのリスクの有無を予測するために使用されるキットもまた、提供される。当該検出試薬は、上述した血液サンプルにおける、ADAM28、または、ADAM28およびvWFの発現量または濃度の検出を可能とするものである。このような検出試薬としては、例えば、サンプル中のmRNAとのハイブリダイゼーションのためのDNAもしくはRNA、または、サンプル中のタンパク質との特異的結合のための抗体が挙げられる。このようなDNAまたはRNAは、ハイブリダイゼーションを蛍光標識等で検出しうるプローブであってもよい。また、当該DNAまたはRNAは、mRNAの増幅に使用可能なプライマーであってもよい。キットは、上述した検出試薬に加えて、検出のために必要な他の試薬、例えば緩衝剤、各種ヌクレオチド、ハイブリダイゼーションまたは抗体結合のために必要な他の試薬を含むことができる。
【0034】
≪薬剤または医療用具が生体において循環器障害または血栓形成を惹起するリスクの評価≫
また、本発明の他の形態は、薬剤または医療用具が生体において循環器障害または血栓形成を惹起するリスクを評価する方法に関する。この方法は、評価対象である薬剤または医療用具の存在下および非存在下において、細胞に対してメカニカルストレスを負荷しながら細胞を培養することを含む。そして、当該薬剤または医療用具の存在下で上記細胞を培養した後の培養液または細胞における、ADAM28もしくはADAMTS13の発現量もしくは濃度、vWFに対するADAM28の発現量もしくは濃度の比率(ADAM28/vWF比)、またはvWFに対するADAMTS13の発現量もしくは濃度の比率(ADAMTS13/vWF比)が、上記薬剤または医療用具の非存在下で上記細胞を培養した後の培養液または細胞における値よりも低下している場合に、上記薬剤または医療用具は生体において循環器障害または血栓形成を惹起するリスクがあると評価するものである。このように、ADAM28もしくはADAMTS13の発現量(もしくは濃度)またはそのvWFに対する比の値を指標としてモニタリングすることで、薬剤または医療用具の存在下においてこれらの値が低下した場合、当該薬剤または医療用具は生体において循環器障害または血栓形成を惹起するリスクがあると評価することが可能である。すなわち、薬剤や医療用具の開発段階において本形態に係る評価方法を組み込むことで、血管の狭窄や閉塞を生じにくい薬剤の開発や医療用具の設計が可能となる。このように、薬剤または医療用具の存在下において、非存在下の場合と比較して上記マーカーの値が低下する場合には、患者の血管内腔面において一次血栓形成のトリガーであるvWFが蓄積し、その結果として、血管内で血栓が発達し、ひいては血管が閉塞または狭窄する可能性が高いと判定することができる。一方、薬剤または医療用具の存在下においても、非存在下の場合と比較して上記マーカーの値が変化せず、または上昇している場合には、血管内腔面のvWFがADAM28またはADAMTS13により分解されるため、血栓が形成されずに血管の閉塞や狭窄が生じる可能性は低いと判定することができる。
【0035】
なお、ADAMTS13も公知のタンパク質であり、そのアミノ酸配列やcDNA配列も公知である。ADAMTS13は、ADAMTSファミリーに属する亜鉛系メタロプロテアーゼであり、vWFのTyr1605とMet1606との結合を特異的に切断することによって、vWFのマルチマーサイズを減少させ、vWFの機能を制御すると考えられている。ヒトADAMTS13に関する構造の詳細および配列情報は、Zheng X et al., J Biol Chem. 2001; 276 (44): 41059-63に開示されている。
【0036】
本形態に係る方法は、細胞を培養することを含む。当該方法において用いられる細胞は特に制限されないが、内皮細胞であることが好ましく、血管内皮細胞であることがより好ましい。また、細胞の生物種は特に限定されない。培養液(培地)についても、評価期間中にすべての培養細胞が死滅しないものであれば特に限定されない。一例として、評価に内皮細胞を使用する場合には、例えばPorcine Endothelial Cell Growth Medium(アプリケーションズ インコーポレイテッド社)、Endothelial Cell Growth Medium 2 Kit(タカラバイオ社)、Endothelial Cell Growth Medium MV 2 Kit(タカラバイオ社)などが適する。
【0037】
本形態に係る方法においては、ある薬剤または医療用具が生体において循環器障害または血栓形成を惹起するリスクがあるか否かを判定する方法である。このため、当該薬剤または医療用具の存在下および非存在下において同様に細胞の培養を行い、存在下および非存在下のそれぞれにおける特定の遺伝子またはタンパク質の発現量または特定の遺伝子またはタンパク質の発現量の比の値の変化を指標として、上記判定を行うものである。
【0038】
この際、評価の対象となる薬剤や医療用具の具体的な種類について特に制限はなく、任意のものが評価の対象として採用されうる。薬剤としては、例えば、核酸、ペプチド、タンパク質、有機化合物、無機化合物などが挙げられる。また、医療用具としては、例えば、血管内留置用具、PTCAバルーン、人工血管、体外式膜型人工肺(Extracorporeal membrane oxygenation;ECMO)、および遠心ポンプ型人工心臓からなる群から選択されるものが挙げられる。なかでも、医療用具は血管内留置用具であることが好ましく、その一例としては、ステント、カバードステント、ステントグラフト、人工弁、弁クリップおよび補助循環用ポンプカテーテルからなる群から選択されるものが挙げられる。
【0039】
本形態に係る評価方法を実施するための装置の具体的な形態について特に制限はなく、培養すべき細胞を保持および培養することができる装置であればよい。細胞を保持および培養する部位の材質は、シリコーンゴムなどの拡張・伸縮性を有し、屈曲可能で、細胞を保持することができ、評価期間中細胞活性を少なからず有することができるものであると好適である。ただし、細胞活性を維持可能なものに限定されるわけではない。また、細胞の種類によっては、培養部位の表面をコラーゲンやゼラチン、フィブロネクチンなどでコートしてもよい。
【0040】
培養装置の一例として、図1に示すようなメカニカルストレス負荷培養装置が例示される。本明細書において、培養時に細胞に対して負荷される「メカニカルストレス」とは、培養に用いられる培地が培養される細胞に対して相対的に移動したり、当該培地と当該細胞との界面における圧力が変化したりすることによって当該細胞に対して負荷される力(応力)を意味する。このメカニカルストレスとして具体的には、血流を模した培地の流れ現象(流動)に起因して細胞に負荷されるずり応力(シェアストレス)が挙げられる。また、細胞がチューブ内腔において培養されている場合などにおいて、培地の流量の増加に起因して増大する細胞に負荷される圧力もまた、メカニカルストレスに含まれるものとする。なお、後者の培地の流量の増加は血管の拍動(血圧の上昇)を模したものであり、生体においては血管径の増大に伴って内皮細胞に対して生じる伸展刺激に相当する。
【0041】
図1に示すメカニカルストレス負荷培養装置は、主な構成要素として、ポンプ、リザーバー、細胞を保持または培養する細胞培養ユニット、コンプライアンスタンク、バルブ(抵抗用バルブ、流量調整バルブ)およびそれらを接続するチューブから構成されている。このメカニカルストレス負荷培養装置によれば、ポンプを駆動させることにより、細胞培養ユニット内の培地を流動(循環)させて、細胞にシェアストレスを負荷させることも可能である。この際、生体における脈拍数や血液粘性、脈拍数などに相当する流動条件に設定することで、生体での血液の流れによるシェアストレスを再現することができる(生体内において内皮細胞に対して負荷されるシェアストレスの再現)。また、細胞培養ユニットをシリコーンゴムチューブから構成するとともにコンプライアンスを血管と合わせることで、生体における拍動に応じた血管径変化を再現することができる(生体内において内皮細胞に対して生じる伸展刺激の再現)。
【0042】
例えば、上記で準備したメカニカルストレス負荷培養装置(図1)を用いて本形態に係る評価方法を実施する場合には、評価対象である薬剤を培地に添加して培養を行うことで、「薬剤の存在下」での培養を行うことができる。同様に、評価対象である医療用具を培地(好ましくは、培地および細胞)と接触するように設置して培養を行うことで、「医療用具の存在下」での培養を行うことができる。このようにして評価対象の存在下における培養を行い、当該評価対象が存在しない場合(非存在下の場合)との間での上記マーカーの変動を指標として、評価対象である薬剤または医療用具が生体において循環器障害または血栓形成を惹起するリスクがあるか否かを判定することができる。
【0043】
本形態に係る評価方法においては、指標(マーカー)として、以下のいずれかのものを採用する点に特徴がある:
ADAM28の発現量もしくは濃度
ADAMTS13の発現量もしくは濃度
vWFに対するADAM28の発現量もしくは濃度の比率(ADAM28/vWF比)
vWFに対するADAMTS13の発現量もしくは濃度の比率(ADAMTS13/vWF比)。
【0044】
ここで、本形態に係る評価方法における「発現量」および「濃度」の値としては、培養終了後における培地中に含まれるタンパク質の量および濃度または活性を採用してもよいし、培養終了後における細胞中に含まれるタンパク質の量、濃度もしくは活性、またはこれをコードする遺伝子(mRNAまたはこれから調製したcDNA)の量を採用してもよい。
【0045】
本形態に係る評価方法においては、細胞に対してメカニカルストレスを負荷しながら培養を行う点に特徴がある。ここで、細胞に対してメカニカルストレスを負荷しながら培養を行う手段としては、例えば図1に示すようなメカニカルストレス負荷培養装置を用い、この際、図2に示すように細胞培養ユニットを湾曲させて接続した状態で培地を循環させながら、さらには拍動させながら培養を実施する手法が挙げられる。このように細胞に対してメカニカルストレスを負荷しながら培養を行うことで、生体内の血液循環や血流の拍動を模擬できるため、生体の循環環境に近い状態で評価できるという利点が得られる。本形態に係る発明は、後述する実施例において示されているように、メカニカルストレスを負荷しながら細胞を培養した系(循環培養)においてはeNOS、ADAM28およびADAMTS13の発現が誘導されていたのに対し、メカニカルストレスが付加されない系(静置培養)においてはこれらの発現が低下することが観察されたことに基づきなされたものである。すなわち、ADAM28やADAMTS13は、健常な血管中の血流のように細胞に対してメカニカルストレスが負荷された状態でのみ発現が亢進される一方で、病変部位のように血流が低下したり滞留したりすることで細胞に対してメカニカルストレスが付加されない状態ではADAM28やADAMTS13の発現が低下することから、これらの発現は生体を反映して変化すると考えられる。このことから、静置培養において評価対象である薬剤や医療器具の存在下・非存在下でのこれらの発現を比較した場合には、いずれの系においてもこれらの発現は低下したままであると考えられるため、評価を行うことはできないものと考えられる。これに対し、本形態に係る評価方法のように細胞に対してメカニカルストレスを負荷しながら培養を行うことで、ADAM28やADAMTS13の発現が亢進されることから、評価対象である薬剤や医療器具の存在下・非存在下でのこれらの発現を比較することにより、評価対象物が生体において循環器障害または血栓形成を惹起するリスクがあるか否かを評価することが可能になるのである。
【実施例
【0046】
本発明の効果を、以下の実施例および比較例を用いて説明する。ただし、本発明の技術的範囲が以下の実施例のみに制限されるわけではない。
【0047】
[血管内皮細胞の培養]
まず、血管を模すための培養容器として、シリコーンゴムチューブを準備した。そして、以下の手法によりシリコーンゴムチューブ内腔にコラーゲンコートを行った。すなわち、まず、コラーゲン(5mg/mL;1mM HCl溶液、AteloCell Native collagen Bovine Dermis、高研)を希塩酸(pH3.0、10-3M)で10倍希釈し、チューブに充填した。次いで、4℃にて3日間インキュベートしてコーティングを実施した。そして、希釈コラーゲン溶液を廃棄した後、チューブをハンクス緩衝液で洗浄して、その後の試験に用いた。
【0048】
一方、ブタ冠状動脈内皮細胞を、内皮細胞培養培地(Porcine Endothelial Cell Growth Medium、APPLICATIONS INC)を含む培養フラスコ内で、37℃、5%COの条件下で培養し、細胞数を十分に増やした。このブタ冠状動脈内皮細胞を、上記でコラーゲンコートしたシリコーンゴムチューブの内腔に播種し、チューブを中心軸に沿って回転させながら、チューブ内面に細胞を均一に接着させた。そして、37℃、5%COの条件下で、コンフルエントになるまで一晩程度培養した。このようにして、内腔が血管内皮細胞で被覆されたシリコーンゴムチューブを作製した。
【0049】
続いて、図1に示すメカニカルストレス負荷培養装置を準備した。図1に示すメカニカルストレス負荷培養装置は、主な構成要素として、ポンプ、リザーバー、細胞を保持または培養する細胞培養ユニット、コンプライアンスタンク、バルブ(抵抗用バルブ、流量調整バルブ)およびそれらを接続するチューブから構成されている。このメカニカルストレス負荷培養装置によれば、ポンプを駆動させることにより、細胞培養ユニット内の培地を流動(循環)させたり拍動させたりすることができる。
【0050】
上記で準備したメカニカルストレス負荷培養装置(図1)の細胞培養ユニット部分に、上記で作製した血管内皮細胞被覆シリコーンゴムチューブを、図2に示すように湾曲させた状態で接続した。その後、37℃、5%COの条件下で、培地を15dyn/cm(1.5×10-4N/cm)の圧力で循環させて、1日程度培養した。この培養では、シリコーンゴムチューブが湾曲した状態で細胞培養ユニットに接続されていることから、培地を循環させて培養を実施することで、シリコーンゴムチューブの内面に接着している血管内皮細胞に対してはメカニカルストレス(せん断応力)が負荷されることになる。なお、同様の培養条件下で、培地を循環させない静置培養も行った。
【0051】
[血管内皮細胞における遺伝子発現の解析]
上記の培養が終了した後、シリコーンゴムチューブから血管内皮細胞を回収し、RNeasy miniキット(キアゲン社)を用いて常法によりTotal RNAを調製および精製した。このようにして得られたTotal RNAを鋳型として、逆転写酵素(SuperScript IV VILO、サーモフィッシャー・サイエンティフィック社)を用いて常法によりcDNAを合成した。得られたcDNAを用いたリアルタイムPCR法により、eNOS遺伝子、ADAM28遺伝子、ADAMTS13遺伝子およびvWF遺伝子の発現量を解析した。なお、内部標準としてはGlyceraldehyde-3-phosphate dehydrogenase(GAPDH)遺伝子を用いた。この際、PCR装置としては、7500 First Real-Time PCR System(アプライド・バイオシステムズ社)を用いた。なお、PCRプライマーは、Primer3(v.0.4.0) Pick primers from a DNA sequenceプログラムを用いて設計し、DNASIS Mac プログラム(日立ソフトウェアエンジニアリング社)によりin silicoでセルフアニーリングやミスアニーリングのリスクが低いことを確認した。遺伝子の発現量の解析に用いた各種プライマーの塩基配列を以下に示す。
【0052】
【化1】
【0053】
このようにして行った遺伝子発現の解析の結果を下記の表1~5に示す。なお、表1~5に示す結果はいずれも、静置培養を行った場合における遺伝子発現量(またはその比)を1とした場合の相対値である。
【0054】
【表1】
【0055】
【表2】
【0056】
【表3】
【0057】
【表4】
【0058】
【表5】
【0059】
(血管内皮細胞の機能評価)
上記で解析を行ったeNOS遺伝子の発現は、血管内皮細胞の機能の指標として一般的に用いられているものである。表1に示す結果から明らかなように、血管内皮細胞に対してメカニカルストレスが負荷される循環培養を行った系と比較して、メカニカルストレスが負荷されない静置培養においては、eNOS遺伝子の発現量が低下した。このことから、静置培養の系においては、生体内で血管の狭窄が進展して血流が低下した病変部のように、メカニカルストレスの低下によって、血管内皮細胞の機能が低下することが確認された。
【0060】
(血栓形成制御の評価)
また、表2に示す結果から明らかなように、血管内皮細胞に対してメカニカルストレスが負荷される循環培養を行った系と比較して、メカニカルストレスが負荷されない静置培養においては、ADAM28遺伝子の発現量も顕著に低下した。ここで、生体における血管の狭窄・閉塞部位の下流などではメカニカルストレスが低下するが、上述したように静置培養では血管内皮細胞の機能低下が生じていることから、ADAM28は血管内皮細胞の機能低下および血管の狭窄・閉塞の指標(バイオマーカー)となりうるものと考えられる。
【0061】
一方、一次血栓形成のトリガーであるvWF遺伝子の発現量は、循環培養の系と比較して、静置培養の系においてより高い値を示した。上述したように、ADAM28は循環培養の系においてより高い値を示したことから、vWFの発現量に対するADAM28の発現量の比率(ADAM28/vWF比)を算出することで、生体での血管狭窄・閉塞をより正確に予測できるものと考えられる。すなわち、ADAM28の発現量(もしくはその濃度)またはADAM28/vWF比が低下した場合には、一次血栓形成のトリガーであるvWFが血管内腔において十分に分解されずに蓄積し、その結果、血管内で血栓が発達して、血管が閉塞もしくは狭窄する可能性が高まっていると判定することができる。一方、ADAM28の発現量(もしくは濃度)またはADAM28/vWF比が変化しなかったり上昇したりした場合には、血管内腔面のvWFがADAM28により分解される結果、血栓が形成されずに血管の閉塞や狭窄は生じないと予測することができる。
【0062】
本出願は、2018年9月14日に出願された日本特許出願第2018-172733号に基づいており、その開示内容は、参照により全体として組み入れられている。
図1
図2