(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2023-10-06
(45)【発行日】2023-10-17
(54)【発明の名称】修飾シルクフィブロインタンパク質、及びその利用
(51)【国際特許分類】
C07K 14/435 20060101AFI20231010BHJP
C12P 21/02 20060101ALI20231010BHJP
A61L 15/32 20060101ALI20231010BHJP
A61L 27/22 20060101ALI20231010BHJP
【FI】
C07K14/435
C12P21/02 Z
A61L15/32 100
A61L27/22
(21)【出願番号】P 2018228952
(22)【出願日】2018-12-06
【審査請求日】2021-11-19
【国等の委託研究の成果に係る記載事項】(出願人による申告)平成30年度、革新的研究開発推進プログラム(ImPACT)「超高機能構造タンパク質による素材産業革命」委託研究、産業技術力強化法第19条の適用を受ける特許出願
(73)【特許権者】
【識別番号】503359821
【氏名又は名称】国立研究開発法人理化学研究所
(74)【代理人】
【識別番号】110000338
【氏名又は名称】弁理士法人 HARAKENZO WORLD PATENT & TRADEMARK
(72)【発明者】
【氏名】沼田 圭司
(72)【発明者】
【氏名】曽川 洋光
【審査官】鈴木 崇之
(56)【参考文献】
【文献】特開昭63-028399(JP,A)
【文献】中国特許出願公開第104631119(CN,A)
【文献】中国特許出願公開第103421201(CN,A)
【文献】国際公開第2012/165477(WO,A1)
【文献】Biomacromolecules,2015年12月16日,Vol. 17, No. 1,pp. 237-245
【文献】東京都立産業技術研究所研究報告,2004年,第7号,pp. 63-66
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C07K 1/00-19/00
C12P 1/00-41/00
C12M 1/00- 3/10
JSTPlus/JMEDPlus/JST7580(JDreamIII)
CAplus/MEDLINE/EMBASE/BIOSIS(STN)
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
シルクフィブロインタンパク質に含まれるチロシン残基の一部がDOPA(3,4-ジヒドロキシフェニルアラニン)残基となっている、修飾シルクフィブロインタンパク質であって、
上記チロシン残基の
10%以上が上記DOPA残基となって
おり、
修飾シルクフィブロインタンパク質を構成する全アミノ酸残基に占めるDOPA残基の割合をモル%で示すとき、当該割合が、0.5モル%以上1.2モル%以下である、修飾シルクフィブロインタンパク質。
【請求項2】
分子量が10万以上で40万以下の範囲内である、
請求項1に記載の修飾シルクフィブロインタンパク質。
【請求項3】
請求項1又は2に記載の修飾シルクフィブロインタンパク質を含む、組成物。
【請求項4】
親水性の液体である、
請求項3に記載の組成物。
【請求項5】
さらに短繊維を含む、
請求項3又は4に記載の組成物。
【請求項6】
上記短繊維はフィブロイン由来であり、当該短繊維に上記修飾シルクフィブロインタンパク質が付されている、
請求項5に記載の組成物。
【請求項7】
請求項1又は2に記載の修飾シルクフィブロインタンパク質を、物品に保持させてなるか、物品間の界面に配してなる、構造体。
【請求項8】
物品の少なくとも一つは、繊維の集合体又は繊維である、
請求項7に記載の構造体。
【請求項9】
上記繊維の集合体又は繊維は、フィブロインを含んでいる、
請求項8に記載の構造体。
【請求項10】
請求項1又は2に記載の修飾シルクフィブロインタンパク質を含む、表面改質用又は接着用の組成物。
【請求項11】
請求項1又は2に記載の修飾シルクフィブロインタンパク質を製造する方法であって、
シルクフィブロインタンパク質をチロシナーゼで処理する工程を含み、この工程は、シルクフィブロインタンパク質を含んだ水溶液のpHを3.5以上で4.5以下とし、20℃以上で30℃未満の温度範囲内で行われ、
当該水溶液にはアスコルビン酸が添加されている、製造方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、チロシン残基が選択的に修飾されてなる、修飾シルクフィブロインタンパク質、及びその利用等に関する。
【背景技術】
【0002】
生物由来材料は、各材料に特有の性質を備えるとともに、環境に優しく、かつ生体適合性を有する等の優れた特性を有し、今後、ますます研究開発及び利用が進むことが期待されている。
【0003】
例えば、イガイ(Mytilus edulis)が有する生物由来の接着性タンパク質Mefp‐5は、濡れた表面に接着をするその接着能でも非常に注目を集めている。Mefp‐5は、主にグリシン残基、L-リシン残基、及びDOPA(3,4-ジヒドロキシフェニルアラニン)残基によって構成され、その接着能には、DOPA残基に由来するカテコール基が極めて重要な役割を果たしていることが明らかとされている。
【0004】
非特許文献1には、Mefp‐5を模した接着性ポリペプチドを合成することを目的として、パパインを用いてL-チロシンとL-リシンとのコポリペプチドを作製し、次いで、このコポリペプチドに含まれるL-チロシン残基を、チロシナーゼを用いてDOPA残基に変換したポリペプチドを作製したことが記載されている。非特許文献1には、得られたポリペプチドは、25%がリシン残基で、75%がL-チロシン残基(50%又は30%)とDOPA残基(25%又は45%)との合計であり、優れた接着能を示したことが記載されている。
【0005】
非特許文献2には、シルクフィブロインタンパク質に対して、1)セリン残基のOH基をカルボキシル基に変換して、当該タンパク質が有するカルボキシル基を富化すること、2)チロシン残基、リシン残基、及びヒスチジン残基を標的にしてポリエチレングリコール(PEG)を結合すること、並びに、3)カルボキシル基(セリン残基、グルタミン酸残基、及び、アスパラギン酸残基に由来)にDopamine hydrochlorideを反応させて、当該タンパク質にカテコール基を付すること、によって得られた修飾シルクフィブロインタンパク質が記載されている。非特許文献2には、得られた修飾シルクフィブロインタンパク質に関する接着能の評価が記載されている。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0006】
【文献】Biomacromolecules 2014, 15, 3206-3212
【文献】Biomacromolecules 2016, 17, 237-245
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
しかしながら、非特許文献1では、より多くのカテコール基を導入可能とするため、特定のアミノ酸(チロシン)を非常に多く含む、天然に存在するものとは異質なポリペプチドを合成するステップを必要とする。
【0008】
一方、非特許文献2では、原料として生物由来材料(シルクフィブロインタンパク質)を用いており、当該材料の有する特性を利用しつつ新たな機能性を導入する発想に基づくものである。しかしながら、より多くのカテコール基を導入可能とするために、カルボキシル基を富化するステップを設ける必要があるうえに、シルクフィブロインタンパク質にPEGを導入している。したがって、結果として、シルクフィブロインタンパク質は大きく修飾されることとなっている。
【0009】
本願発明は、これらの課題を解決するためになされたものであり、カテコール基が導入された新規な修飾シルクフィブロインタンパク質、及び、その容易な製造方法を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0010】
上記の課題を解決するために、本発明は、例えば、以下のような態様を包含している。
1) シルクフィブロインタンパク質に含まれるチロシン残基の少なくとも一部がDOPA(3,4-ジヒドロキシフェニルアラニン)残基となっている、修飾シルクフィブロインタンパク質。
2) シルクフィブロインタンパク質に含まれるチロシン残基の10%以上がDOPA残基となっている、1)に記載の修飾シルクフィブロインタンパク質。
3) 分子量が10万以上で40万以下の範囲内である、1)又は2)に記載の修飾シルクフィブロインタンパク質。
4) 上記1)~3)の何れかに記載の修飾シルクフィブロインタンパク質を含む、組成物。
5) 親水性の液体である、4)に記載の組成物。
6) さらに短繊維を含む、4)又は5)に記載の組成物。
7) 上記短繊維はフィブロイン由来であり、当該短繊維に上記修飾シルクフィブロインタンパク質が付されている、6)に記載の組成物。
8) 上記1)~3)の何れかに記載の修飾シルクフィブロインタンパク質を、物品に保持させてなるか、物品間の界面に配してなる、構造体。
9) 物品の少なくとも一つは、繊維の集合体又は繊維である、8)に記載の構造体。
10) 上記繊維の集合体又は繊維は、フィブロインを含んでいる、9)に記載の構造体。
11) 上記1)から3)の何れかに記載の修飾シルクフィブロインタンパク質を含む、表面改質用又は接着用の組成物。
12) 上記1)から3)の何れかに記載の修飾シルクフィブロインタンパク質を製造する方法であって、シルクフィブロインタンパク質をチロシナーゼで処理する工程を含む、製造方法。
【発明の効果】
【0011】
本発明の一態様によれば、カテコール基が導入された新規な修飾シルクフィブロインタンパク質、及び、その容易な製造方法等を提供することができる。
【図面の簡単な説明】
【0012】
【
図1】(a)異なる濃度における、SF(シルクフィブロイン)からDOPA-SFへのチロシナーゼ触媒変性を示す写真に基づく図である。(b)変性後のDOPA-SF中のDOPA量を示すグラフである。
【
図2】HPLCによるアミノ酸分析データを示すグラフである。(a)は1.0g/LのSF、(b)は1.0g/LのDOPA-SF、(c)は1.5g/LのDOPA-SF、(d)は2.0g/LのDOPA-SF、(e)は2.5g/LのDOPA-SF、(f)はDOPA(コントロール)の分析結果を示す。
【
図3】(a)マイカシートの試料調製を示す写真に基づく図である。(b)引張試験を示す写真に基づく図である。太線で囲まれた面積は被覆面積であり、1.5×10
2mm
2(幅10mm×長さ15mm)である。
【
図4】シルクフィルムの試料調製を示す模式図(a)と写真に基づく図(b)、及び引張試験を示す写真に基づく図(c)である。
【
図5】糊付けしたマイカ試料の応力ひずみ曲線を示すグラフである。シルク濃度を(a)1.0g/L、(b)1.5g/L、(c)2.0g/L、(d)2.5g/Lでそれぞれ試験を行った。伸長速度は10mm/分で行った。
【
図6】DOPA-SFの接着性を示すグラフである。異なるシルク濃度及びpHにおける、マイカ基板に対するDOPA-SFの(a)破断ひずみ、(b)接着強度、(c)接着破壊エネルギー、及び(d)ヤング率の測定結果を示すグラフである。*はp<0.06において両群間に有意差があること、**はp<0.01において両群間に有意差があることを示す。
【
図7】(a)紙、(b)PP、(c)木材、(d)シルクフィルムの糊付けした試料の応力ひずみ曲線を示すグラフである。シルク濃度及び伸長速度をそれぞれ、1.5g/L及び10mm/分に設定した。
【
図8】異なるpHにおける、マイカ、紙、PP、木材、及びシルクフィルムに対する、DOPA-SFの(a)破断ひずみ、(b)接着強度、(c)接着破壊エネルギー、及び(d)ヤング率の測定結果を示すグラフである。*はp<0.06において両群間に有意差があること、**はp<0.01において両群間に有意差があることを示す。
【
図9】(a)マイカ、(b)紙、(c)PP、(d)木材、及び(e)シルクフィルム上の、異なるpHにおける、SF及びDOPA-SFのATR-FT-IRスペクトルを示すグラフである。破線は、ランダムコイル構造のアミドI(1650cm
-1)及びアミドII(1540cm
-1)吸収を示す。点線は、βシート構造のアミドI(1625cm
-1)吸収を示す。
【発明を実施するための形態】
【0013】
以下、本発明の実施の形態について、詳細に説明する。
【0014】
〔1.修飾シルクフィブロインタンパク質〕
本発明の一実施形態に係る修飾シルクフィブロインタンパク質は、シルクフィブロインタンパク質に含まれるチロシン残基の少なくとも一部がDOPA(3,4-ジヒドロキシフェニルアラニン)残基となっているものである。
【0015】
本明細書において、単に「シルクフィブロインタンパク質」又は「修飾前のシルクフィブロインタンパク質」と称する場合、カイコ(家蚕(Bombyx Mori))の繭糸から精製可能なフィブロインタンパク質であって、そのH鎖(Heavy chain)の一部又は全体を少なくとも含むものか、その同等物を指す。シルクフィブロインタンパク質のL鎖(Light chain)の一部又は全体は、任意の成分として含まれていてもよい。その同等物とは、例えば、遺伝子工学的手法等を用いて作製される、少なくとも一次構造が同等(60%以上、70%以上、80%以上、90%以上、又は95%以上の配列同一性)なタンパク質を指す。すなわち、単に「シルクフィブロインタンパク質」等と称する場合は、そのチロシン残基をDOPA残基にする修飾がなされる前の状態を指している。
【0016】
なお、シルクフィブロインタンパク質のH鎖は、「グリシン‐アラニン-グリシン-アラニン-グリシン-セリン(又はチロシン)」の6アミノ酸残基からなる繰り返し配列を含んで構成される複数の結晶性領域(βシート構造をとる)と、結晶性領域間をつなぐ非晶性領域と、を含んで構成されているという、構造上の特徴を有していることが知られている。
【0017】
本発明の一実施形態に係る修飾シルクフィブロインタンパク質では、シルクフィブロインタンパク質に含まれるチロシン残基の1%以上、5%以上、好ましくは10%以上がDOPA残基となっている。修飾シルクフィブロインタンパク質では、より好ましくは、シルクフィブロインタンパク質に含まれるチロシン残基の15%以上、16%以上、17%以上、18%以上、19%以上、又は20%以上がDOPA残基となっている。修飾シルクフィブロインタンパク質では、シルクフィブロインタンパク質に含まれるチロシン残基の25%以上、30%以上、35%以上、40%以上、45%以上、50%以上、55%以上、60%以上、65%以上、70%以上、75%以上、80%以上、85%以上、90%以上、95%以上、又は100%(全て)がDOPA残基となっていてもよい。
【0018】
本発明の一実施形態に係る修飾シルクフィブロインタンパク質において、当該タンパク質を構成する全アミノ酸残基に占めるDOPA残基の割合をモル%で示すとき、当該割合は特に限定されないが、一例では0.5モル%以上、0.6モル%以上、0.7モル%以上、0.8モル%以上、0.9モル%以上、1モル%以上、又は1.5モル%以上である。当該割合の上限も特に限定されないが、一例では10モル%以下、9モル%以下、8モル%以下、7モル%以下、6モル%以下、5モル%以下、又は4.5モル%以下である。
【0019】
本発明の一実施形態に係る修飾シルクフィブロインタンパク質は、シルクフィブロインタンパク質に含まれるチロシン残基が、トリヒドロキシフェニルアラニン(TOPA)残基又はドーパキノン残基となっている割合が好ましくは1%未満であり、より好ましくは0.5%未満であり、さらに好ましくは0%である。
【0020】
また、シルクフィブロインタンパク質が有する性質を維持する観点では、本発明の一実施形態に係る修飾シルクフィブロインタンパク質は、チロシン残基以外のアミノ酸残基は、修飾を受けていないことが好ましい場合がある。
【0021】
本発明の一実施形態に係る修飾シルクフィブロインタンパク質では、その分子量が例えば10万以上で40万以下の範囲内であってもよく、20万以上で40万以下の範囲内であってもよく、30万以上で40万以下の範囲内であってもよく、35万以上で40万以下の範囲内であってもよい。なお、シルクフィブロインタンパク質のH鎖の全体は、分子量が凡そ35万~38万程度の範囲内である。
【0022】
〔2.修飾シルクフィブロインタンパク質を含む組成物〕
本発明の一実施形態に係る修飾シルクフィブロインタンパク質は、他の任意の成分と組み合わせられることによって、組成物を構成していてもよい。組成物の形態は、例えば、液状、ゲル状、不定形固体状、又は定形固体状等が挙げられ、特に限定されない。
【0023】
(1)液状の組成物
組成物の一例として、本発明の一実施形態に係る修飾シルクフィブロンタンパク質を含む、親水性の液体が挙げられる。親水性の液体の一例は、上述の修飾シルクフィブロンタンパク質を含む水溶液である。水溶液とは、1)水のみを溶媒として含む溶液の他、2)水を主溶媒として含み、さらに、水ではない親水性の溶媒(一例では、メタノール、エタノール、プロパノール等の水溶性の有機溶媒)を含む溶液が挙げられる。ここで、主溶媒とは、水溶液を構成する全溶媒の中で最大の体積を占める溶媒を指し、主溶媒としての水は、例えば、全溶媒の50%以上、60%以上、70%以上、80%以上、90%以上、95%以上の体積を占めている。
【0024】
上述の液状の組成物(典型的には水溶液)における、修飾シルクフィブロンタンパク質の濃度は、用途等に応じて適宜設定すればよく特に限定されない。液状の組成物における、修飾シルクフィブロンタンパク質の濃度は、例えば、0.1g/L以上であり、1g/L以上であり、1.1g/L以上であり、1.2g/L以上であり、1.3g/L以上であり、1.4g/L以上である。修飾シルクフィブロンタンパク質の濃度の上限は、例えば、3g/L以下であり、2g/L以下であり、1.9g/L以下であり、1.8g/L以下であり、1.7g/L以下であり、1.6g/L以下である。この組成物の用途の一例は、接着用の組成物としての用途である。
【0025】
液状の組成物は、さらに塩類、pH調整剤、安定剤、又は、各種添加剤などを含んでいてもよい。なお、液状の組成物(典型的には水溶液)のpHは、用途等に応じて適宜設定すればよく特に限定されない。液状の組成物のpHは、酸性又は中性である場合もあるが、アルカリ性が好ましい場合もあり、当該pHは8以上、9以上、10以上、11以上、又は12以上であってもよい。この組成物の用途の一例は、接着用の組成物としての用途である。
【0026】
また、液状の組成物は、上記の修飾シルクフィブロインタンパク質が付される対象物をさらに含んでいてもよい。一例において、上記の対象物は、修飾シルクフィブロインタンパク質がその表面に付されることによって表面改質される。対象物の種類は特に限定されないが、一例では短繊維であり、好ましくはフィブロイン由来の短繊維(後述する)である。この組成物は、そのまま、又は、必要に応じて溶媒を除去した上で、後述する樹脂組成物の製造に用いることも出来る。
【0027】
(2)固体状の組成物
組成物の一例として、本発明の一実施形態に係る修飾シルクフィブロンタンパク質を含む、不定形又は定形の固体状の組成物が挙げられる。この組成物の一例は、その表面に修飾シルクフィブロインタンパク質が付された短繊維を含む、樹脂組成物である。短繊維の表面に修飾シルクフィブロインタンパク質が付されることで、樹脂組成物を構成する短繊維と樹脂との馴染みを向上させる。なお、樹脂組成物とは、成形後のもの(樹脂製品)も、成形前のものも含む概念である。
【0028】
樹脂組成物を構成する樹脂の種類は特に限定されず、繊維強化樹脂(FRP)を構成する樹脂を広く利用可能である。樹脂としては、例えば、ポリエステル系樹脂、ビニルエステル系樹脂、エポキシ系樹脂、フェノール系樹脂、及び、各種の熱可塑性樹脂等が挙げられる。
【0029】
樹脂組成物を構成する短繊維の種類も特に限定されないが、好ましくはフィブロイン由来の短繊維である。本明細書において「フィブロイン」とは、昆虫又はクモ類の繭糸から精製可能なフィブロインタンパク質であって、そのH鎖の一部又は全体を少なくとも含むものか、その同等物か、これらに基づき作製された改変フィブロインタンパク質を指す。その同等物とは、例えば、遺伝子工学的手法等を用いて作製される、少なくとも一次構造が同等(60%以上、70%以上、80%以上、90%以上、又は95%以上の配列同一性)なタンパク質を指す。昆虫としては、例えば、カイコ(家蚕(Bombyx Mori))やクワコ(Bombyx Mandarina)を含むカイコガ科や、ヤママユガ科等のチョウ目の昆虫;スズメバチ等のハチ目の昆虫;等のうち繭糸を産生するものが挙げられるが、特にこれらに限定されない。クモ類としては、ニワオニグモ、ナガコガネグモ、アメリカジョロウグモ、及びダーウィンダークスパイダー等が挙げられるが、特にこれらに限定されない。改変フィブロインタンパク質とは、天然のフィブロインタンパク質の一次構造を改変して得られた、人造のフィブロインタンパク質を指す。例えば、国際公開公報WO2018/034111、WO2017/131196、WO2017/131195に記載された改変フィブロインタンパク質等が挙げられる。さらに、改変フィブロイン由来タンパク質の例としては、国際公開公報WO2012/165477、WO2013/065651、WO2017/047504、WO2017/198655、WO2017/090665、WO2017/188430、WO2017/188434、及び/又はWO2017/222034、に記載のアミノ酸配列を有する改変されたフィブロイン由来タンパク質等が挙げられる。また、これらの公報に記載されたアミノ酸配列と、80%以上、90%以上、95%以上、配列同一性を有するアミノ酸配列も含まれる。
【0030】
なお、由来によらず天然のフィブロインのH鎖は、グリシン残基、アラニン残基、セリン残基及びチロシン残基がリッチであり、複数の結晶性領域と、結晶性領域間をつなぐ非晶性領域と、を含んで構成されているという、構造上の特徴を共有している。
【0031】
(3)用途の観点からとらえた組成物
本発明の一実施形態に係る組成物の用途は特に限定されないが、上述した通り、修飾シルクフィブロインタンパク質を含む、表面改質用又は接着用の組成物と捉えることもできる。より具体的な用途の一例は、表面改質用の組成物や、接着用の組成物である。
【0032】
〔3.構造体〕
本発明の一実施形態に係る構造体は、1)本発明に係る修飾シルクフィブロインタンパク質を物品に保持させてなるものであるか、2)本発明に係る修飾シルクフィブロインタンパク質を物品間の界面に配してなるものである。
【0033】
ここで、物品の種類は特に限定されないが、好ましい一例は繊維の集合体又は繊維であり、より好ましい一例は、フィブロインを含んでいる繊維の集合体又は繊維である。ここで、フィブロインを含んでいる繊維とは、実質的にフィブロインのみからなる繊維であってもよい。なお、修飾シルクフィブロインタンパク質を物品間の界面に配してなる構造体の場合は、物品の少なくとも一つが繊維の集合体であることが好ましいが、他の物品は繊維の集合体でなくともよい。他の物品は、例えば、パルプ、プラスチック、鉱物及び金属、並びにこれら2種以上の混合物等からなるフィルム、シート、成形体等である。一例において、物品の少なくとも一つと、他の物品とは、修飾シルクフィブロインタンパク質を介して互いに接着されている。
【0034】
繊維の集合体の形態は特に限定されず、例えば、不織布、織布、及び、紡糸等が挙げられる。繊維の形態は特に限定されず、例えば、短繊維等が含まれる。
【0035】
修飾シルクフィブロインタンパク質を物品に保持させる方法や、物品間の界面に配する方法は特に限定されず、対象となる物品にとって適した方法を適宜採用すればよい。例えば、物品の表面にスプレーする、塗布する、又は物品に含浸する等の方法が挙げられる。
【0036】
得られた構造体の用途は特に限定されないが、例えば、細胞の培養用の資材、医療用の資材(例えば、患部(傷口)の縫合用や被覆用の資材;移植用の細胞や組織の足場;薬剤を保持した担体;等)等を挙げることができる。
【0037】
〔4.修飾シルクフィブロインタンパク質を製造する方法〕
本発明の一実施形態に係る修飾シルクフィブロインタンパク質を製造する方法は、シルクフィブロインタンパク質をチロシナーゼで処理する工程を含んでいる。チロシナーゼで処理をすることによって、シルクフィブロインタンパク質に含まれるチロシン残基の少なくとも一部がDOPA(3,4-ジヒドロキシフェニルアラニン)残基に変換される。
【0038】
一例では、チロシナーゼを用いた処理は、シルクフィブロインタンパク質を含んだ水溶液中で行われる。この水溶液の調製は、公知の方法に従って行うことができる(実施例も参照のこと)。
【0039】
チロシナーゼを用いた処理(チロシン残基の酸化である)は、シルクフィブロインタンパク質に含まれるチロシン残基が、トリヒドロキシフェニルアラニン(TOPA)残基又はドーパキノン残基となることを抑制可能な緩和な条件下で行われることが好ましい。緩和な条件としては、1)比較的低温下で酵素反応を行うこと、2)酸性条件で酵素反応を行うこと、及び、3)空気を酸素の供給源とし、比較的大気圧に近い条件で酵素反応を行うこと、から選択される少なくとも一つ、好ましくは全ての条件を満たす条件が挙げられる。
【0040】
上記1)の比較的低温下で酵素反応を行うとは、例えば、15℃以上で30℃未満の温度範囲内で酵素反応を行う事を指し、20℃以上で30℃未満の温度範囲内がより好ましく、22℃又は23℃以上で27℃又は28℃以下の温度範囲内がさらに好ましい。
【0041】
上記2)の酸性条件で酵素反応を行うとは、例えば、シルクフィブロインタンパク質を含んだ水溶液のpHを、例えば、6以下として酵素反応を行う事を指し、5以下がより好ましく、4.5以下がさらに好ましい。なお、当該水溶液のpHは3.5以上が好ましい場合があり、4以上がより好ましい場合がある。
【0042】
上記3)の空気を酸素の供給源とし、比較的大気圧に近い条件で酵素反応を行うとは、例えば、大気圧×0.8以上で大気圧×1.5以下の範囲内の気圧を示す空気が、シルクフィブロインタンパク質を含んだ水溶液の液面に接した状態で、酵素反応を行うことを指す。ここで空気の気圧は、大気圧×0.8以上で大気圧×1.2以下の範囲内であることがより好ましく、大気圧×0.9以上で大気圧×1.1以下の範囲内であることがさらに好ましい。シルクフィブロインタンパク質を含んだ水溶液中に、酸素源を添加すること(空気(酸素)をバブリングすることも含む)なく、酵素反応を行うことが好ましい場合がある。
【0043】
なお、シルクフィブロインタンパク質は非常な高分子であるため、チロシン残基の酸化は、上述のような緩和な条件下では首尾よく進行しないと予想をしていた。従って、本願発明は、いわゆる当業者には予期しえない結果に基づき完成されたものである。
【0044】
なお、チロシナーゼを用いた処理の処理時間は、どれほどのチロシン残基をDOPA残基とするか等に応じて適宜設定すればよい。処理時間が長くなる程、チロシン残基をDOPA残基となる割合が高くなる。処理時間の一例は、1時間以上で120時間以下の範囲内であり、他の例では10時間以上で72時間以下の範囲内であり、さらに他の例では15時間以上で48時間以下の範囲内である。
【0045】
用いるチロシナーゼの種類や量も特に限定されない。チロシナーゼの由来としては、植物、微生物、動物由来等、特に限定されるものではないが、例えば、マッシュルームを含むキノコ由来のチロシナーゼ等が好適なものとして挙げられる。
【実施例】
【0046】
〔材料及び方法〕
<材料>
シルクフィブロイン(SF)は、カイコBombyx moriの繭から得、それぞれ異なる濃度の水溶液(1.0、1.5、2.0及び2.5g/L)を調製した。SFの調製は、Rockwood, D. N.; Preda, R. C.; Yucel, T.; Wang, X.; Lovett, M. L. Kaplan, D. L. Materials Fabrication from Bombyx mori Silk Fibroin. Nat. Protoc. 2011, 6, 1612-1631、及びTsuchiya, K.; Masunaga, H.; Numata, K. Tensile Reinforcement of Silk Films by the Addition of Telechelic-Type Polyalanine. Biomacromolecules 2017, 18, 1002-1009に記載のプロトコルによって調製した。マッシュルーム由来のチロシナーゼはシルマアルドリッチ社から購入した。ポリプロピレン(PP)樹脂は、アーテック社から購入した。シルクフィルムは、Numata, K.; Ifuku, N.; Masunaga, H.; Hikima, T.; Sakai, T. Silk Resin with Hydrated Dual Chemical-Physical Cross-Links Achieves High Strength and Toughness. Biomacromolecules 2017, 18, 1937-1946に記載の方法に従って、SF水溶液から調製した。他の試料は、注記がない限り、精製することなく入手したまま使用した。
【0047】
<SF中のチロシン単位のDOPAへの酵素的変性>
SF水溶液(1.0mL)に対して、変性リン酸緩衝液(1.0mL;40mMボロン酸、0.3M NaCl、0.2Mアスコルビン酸、0.2Mリン酸緩衝液、pH4.2)及びチロシナーゼ(最終濃度:1300U/mL)を添加した。得られた溶液を、大気下において25℃で24時間撹拌し、DOPA-SF溶液(pH4.2)を得た。反応中、ガラス試料ボトルのキャップは開放した。DOPA量は、アミノ酸組成分析、すなわちニンヒドリン法によって評価した。簡潔に説明すると、アミノ酸組成分析は、高速アミノ酸分析器L-8900及びL8500A(日立ハイテクノロジーズ社)を用いて、加水分解したアミノ酸について行った。天然アミノ酸に加え、DOPA(シグマアルドリッチ社)を使用して分析器を較正し、
図2に示すピークをDOPAのピークとした。
【0048】
<接着強度の評価>
上記で調製したDOPA-SF溶液はさらなる精製を行わずに、接着テストに使用した。5.0M NaOH溶液をDOPA-SF溶液に加えることによって、異なるpH(7.0、8.0、10及び12)を有するDOPA-SF溶液を作製した。
【0049】
試料調製の写真に基づく図と引張試験を
図3及び4に示す。
図3の(a)の上図に示すように、これらのDOPA-SF溶液の20μLを、劈開してすぐのマイカシート(mica sheet)に塗布した。もう1枚のマイカシートを被覆した後、接触を強化するため、
図3の(a)の下図に示すように、糊付けしたシート(pasted sheet)をダブルクリップで留めて、室温で24時間放置した。被覆体の幅は10mm、長さは15mmであり、全体の被覆面積は1.5×10
2mm
2であった。試料の接着機能は、10mm/分の伸長速度で、引張試験装置(EZ-Test、島津製作所社)によって評価した。
図3の(b)に示すように、グリップ間の初期距離は、25mmに設定した。測定は、相対湿度が約40%および25℃下で行った。破断ひずみ、接着強度、接着破壊エネルギー及びヤング率を、調製した試料の応力ひずみ曲線に基づいて分析した。実験は、各条件で5回実施した。紙、PP樹脂及び木材との接着機能に関するテストもまた、同条件で行った。
【0050】
シルクフィルムの試料調製は以下のとおりに変化を持たせた。その理由は、試料を他と同一条件で作製し、糊付けした試料について引張試験を行うと、被覆点以外で破断してしまったためである。
図4の(a)に示すように、シルクフィルムの試料調製はまず、幅が10mm、長さが10mmのシルクフィルムを、平坦な木材シート(幅10mm×長さ40mm)の上に、強力瞬間接着剤によって糊付けした。そして、20μLのDOPA-SF溶液をシルクフィルム表面に添加した。
図4の(b)に示すように、硬化条件は他のものと同一とした。但し、被覆は幅10mm×長さ5mm(全体の被覆面積:0.5×10
2mm
2)に変更した。また、
図4の(c)に示すように、グリップ間の初期距離は35mmに変更した。伸長速度は、10mm/分に維持した。
【0051】
<ATR-FT-IR測定>
全反射減衰(Attenuated total reflection、ATR)-FT-IRは、Geプリズムを使用するMIRacleA単反射ATRユニットを備える、IRPrestigae-21フーリエ変換赤外分光光度計(島津製作所社)を用いて測定した。50μLのDOPA-SF溶液(1.5g/L)であってそれぞれ異なるpH(4.2、7.0、8.0、10、12)の溶液を、試料調製のため、各表面に滴下し、16時間室温で乾燥させた。測定は、600~3800cm-1で行った。同条件で得られたバックグランドスペクトルは、各試料のスキャンから差し引いた。
【0052】
<統計解析>
機械的特性に関する実験における有意差は、両側分布である、対応のある関連2群のt検定または対応のない独立2群t検定によって決定した。p<0.06(*)およびp<0.01(**)において、統計的に有意差があるとした。
【0053】
<検討例1:チロシナーゼによるSFの酵素的変性>
表面とDOPAのカテコール相関作用が接着機能において重要である。したがって、DOPAから2,4,5-トリヒドロキシフェニルアラニン(TOPA)及びドーパキノンへの酸化は、その接着性を最大化することへの妨げになる。これまでに、本発明者らは、チロシナーゼ触媒酸化において、さらなる酸化を行わずに、ポリペプチドのチロシン残基からDOPAに変換する、効率的かつ適切な条件を見出している(Numata, K.; Baker, P. J. Synthesis of Adhesive Peptides Similar to Those Found in Blue Mussel (Mytilus edulis) Using Papain and Tyrosinase. Biomacromolecules 2014, 15, 3206-3212)。したがって、本発明者らによって見出された穏やかな酸化条件を本実験のSF変性に適用することにした。
【0054】
25℃で24時間、SF溶液をチロシナーゼで処理した。その結果を
図1に示す。
図1の(a)の上の写真に基づく図はチロシナーゼ処理前の溶液、下の写真に基づく図はチロシナーゼ処理後の容器を示す。均一なSF溶液は、
図1の(a)に示す通り、若干濁った。
【0055】
反応後のDOPA量は、アミノ酸組成分析(
図2)によって特定した。
図1の(b)はDOPA-SF中のDOPA量を示すグラフである。縦軸はDOPA量(mol%)、横軸はシルク濃度(g/L)である。
図1の(b)に示すように、約1.0mol%のDOPAがDOPA-SFに含まれると算出され、シルク濃度を変化させても、DOPA量はほぼ一定していた。また、変性反応における変換率は、SF中のチロシン単位に基づいて、約19%と算出された。
【0056】
<検討例2:DOPA-SFの接着機能の評価>
接着機能は引張試験によって評価した。試料は2つのマイカ表面間に、DOPA-変性SF溶液(DOPA-SF)を塗布することで調製し、引張試験機を用いて測定した(
図3)。応力ひずみ曲線(
図5)に基づく、異なるシルク濃度及びpHについての、破断ひずみ、接着強度、接着破壊エネルギー、およびヤング率といった接着性の概略を
図6に示す。SFの機械的特性は湿度及び温度によって左右されるため、測定条件を、相対湿度が約40%および25℃下で維持して行った。
【0057】
図6の各図の縦軸は、(a)が破断ひずみ(%)、(b)が接着強度(MPa)、(c)が接着破壊エネルギー(KJ/m
3)、(d)がヤング率(MPa)を示す。横軸は各図ともシルク濃度(g/L)を示す。各濃度の6本の棒は、左から、SF、pH4.2のDOPA-SF、pH7.0のDOPA-SF、pH8.0のDOPA-SF、pH10のDOPA-SF、pH12のDOPA-SFを塗布したときの結果を示す。
【0058】
図6の(b)および(c)に示すように、いずれのシルク濃度及びpHにおいても、接着強度及び破壊エネルギーの両方とも、DOPAの導入によって明らかに改善された。一方、最大値(それぞれ0.97MPaおよび19.1KJ/m
3)は、1.5g/LのDOPA-SFであってpH10で得られた。また、
図6の(d)に示すように、変性前のSFのヤング率と比較して、DOPA-SFのヤング率の増加も観察された。これは、マイカの界面およびシルクがより強く相互作用することによって、シルクの元々の優れた特性が、DOPA-SFにも発現し始めたことによると考えられる。これらの結果は、SFの接着機能がDOPA変性によって改善したことを示唆する。
【0059】
さらに詳細には、より高いpHであると、より高い接着性を示すように思われた。例えば、
図6の(b)に示すように、DOPA-SF(1.5g/L)のpH10における接着強度は、pH4.2における接着強度と比べて1.4倍大きかった。Mefp-5(Mytilus edulis foot protein 5)等の海洋接着タンパク質(Marine adhesive proteins)は、DOPAのみならず、リシンについても豊富であることが知られ、DOPAのカテコールとリシンのアミノ基とともにネットワークを形成する。量は多くないが(0.2mol%)、SFは元々リシン単位を含む。よって、高pHにおいて水素脱離リシン及びDOPAの双方が存在することは、Mefp-5と類似の方法で、DOPA相互作用から生じる接着性を強化した。さらに、接着機能は、DOPA-SFの濃度が1.5g/Lを超えると、低下した。この傾向は、人工接着ポリペプチド中の過剰量のDOPAが、その接着強度に有意に寄与しないという報告と一致する。非変性SFの濃度と接着強度との間の直線的相関関係が確認された。このことは、シルク自体が、カテコール部位がなくても、マイカ基板に結合可能であることを示していることは特筆すべきことである。Kaplanらは、SFをチタンまたはアルミニウムシートに塗布したときに類似の特徴が得られたことを報告している。また、Kaplanらは、SFとシャミ革との接着性についても検討している。Kaplanらの報告ではSF自体が高い接着性を有する可能性を示唆しているが、DOPA変性は、接着機能を改善するだけでなく、適用可能な表面の種類を広げるという観点から重要である。
【0060】
次に、異なる表面に対するDOPA-SFの接着性を評価した。異なるpHのDOPA-SF溶液(1.5g/L)を、紙、PP樹脂、木材およびシルクフィルムといった基板に塗布した。
図7はこれら4種類の基板に糊付けした試料の応力ひずみ曲線を示す。
図8は、これら4種類の基板に対する、破断ひずみ(a)、接着強度(b)、接着破壊エネルギー(c)、およびヤング率(d)といった接着性の概略を示す。
【0061】
図8において、横軸は各図とも、左から、マイカ、紙、PP、木材、シルクフィルムの結果を示す。また、各基板の6本の棒は、左から、SF、pH4.2のDOPA-SF、pH7.0のDOPA-SF、pH8.0のDOPA-SF、pH10のDOPA-SF、pH12のDOPA-SFを塗布したときの結果を示す。但し、シルクフィルムの場合は、左から、pH8.0のDOPA-SF、pH10のDOPA-SF、pH12のDOPA-SFを塗布したときの結果を示す。
【0062】
図3および4に示すように、シルクフィルムの被覆面積(0.5×10
2mm
2)は、他の基板(1.5×10
2mm
2)と比較して1/3にした。その理由は、試料を他の基板の条件で調製すると、引張試験において、試料の破裂が、接着点ではないところで生じてしまったからである。試料調製に失敗したため、SF、pH4.2のDOPA-SF及びpH7.0のDOPA-SFについて、シルクフィルムを基板として用いた引張試験は実行できなかった。
【0063】
図8に示すように、DOPA-SF溶液は、マイカのみならず、他のいずれの基板に対しても、SFと比較して、高い接着機能を示した。特に、高いpHにおいて、DOPA-SF溶液は高い接着機能を示した。
図8の(b)に示すように、シルクフィルムの被覆面積は他の基板と比較して小さかったにもかかわらず、シルクフィルムが最も接着強度が高かった。
【0064】
一方、
図8の(d)に示すように、紙、PPおよび木材において測定したヤング率は、マイカと比較して、SFおよびSF-DOPAにおいてほぼ一定していた。この結果は、DOPA-SFがこれらの基板の表面に比較的弱く接着し、マイカと比較して、シルク自体のヤング率が発現する前に表面の開裂が起こったことによる。しかしながら、この結果は重要ではない。逆に、シルクフィルムにおいて測定したヤング率は約200MPaであり、この値は各基板の中で最も高かった。
【0065】
上述のとおり、様々な基板の表面に対してDOPA-SFは機能を発揮し、シルクフィルムを基板として用いたときに最も強く相互作用を示した。そして、DOPA-SFは、顕著な接着性を発揮することが分かった。
【0066】
<検討例3:表面上のDOPA-SFの二次構造の評価>
材料表面上のDOPA-SFの二次構造に関する情報を得るために、ATR-FT-IR測定を行った(
図9)。試料は、SF及びDOPA-SF溶液(1.5g/L、50μL)を表面に塗布し、室温で16時間乾燥させることで調製した。
図9に示すように、すべての試験表面上のSFは、主にはランダムコイル配置をとっていた。これは、アミドIおよびアミドIIの吸収ピークである1650及び1540cm
-1のブロードなピークが根拠となっている。一方、DOPA溶液のpHを変化させたところ、2つの異なる傾向が観察された。1つ目の傾向は、ピークトップが、紙、PP及び木材のいずれに対してもpH変化に応じては変化しなかった。2つ目の傾向は、1650cm
-1のピークは、マイカ及びシルクフィルムでは、pHの上昇に従って、低周波数側に若干シフトした。これらの結果は、βシート構造の形成が、マイカ及びシルクフィルムでは、高いpHでより強められたことを示唆する。これらの表面において優れた接着性が観察されたので、DOPA-SFの接着機能は、シルク骨格構造の物理的相互作用によって増強されたと結論づけた。また、チロシン部位のDOPA変性はβシート構造を形成するSFの能力には影響しなかった。
【0067】
<まとめ>
カイコ由来SFのチロシナーゼ触媒変性によって、DOPA変性SFを作製するのに成功した。アミノ酸組成分析によって、SF中のチロシン残基の19%がDOPAに変換されたことが示され、DOPA部位が約1mol%であるDOPA-SF溶液が得られた。DOPAの量は多くはないが、マイカ表面に対するDOPA-SFの接着機能が有意に改善されたことは、引張試験で確認された。pHが高くなるほど、より高い接着機能を示した。DOPA-SFは、マイカのみならず、紙、PP、木材およびシルクフィルムといった種々の種類の基板に対しても、優れた接着性を示した。さらに、接着機能が、DOPA-SFのβシート構造の形成によってさらに増強されることがATR-FT-IR測定によって確認された。この簡便でありながら強力なアプローチは、環境的に無害な天然接着材料を製造するための新たな視点を提供する。
【産業上の利用可能性】
【0068】
本発明は、例えば、表面改質用又は接着用の組成物等として工業用材料用途等に利用することができる。