(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2023-10-10
(45)【発行日】2023-10-18
(54)【発明の名称】腎障害の予防又は治療用の医薬組成物
(51)【国際特許分類】
A61K 31/198 20060101AFI20231011BHJP
A61P 13/12 20060101ALI20231011BHJP
A61P 9/10 20060101ALI20231011BHJP
A61P 29/00 20060101ALI20231011BHJP
A61P 43/00 20060101ALI20231011BHJP
A23L 33/175 20160101ALI20231011BHJP
C12Q 1/686 20180101ALN20231011BHJP
C12Q 1/6876 20180101ALN20231011BHJP
C12Q 1/6851 20180101ALN20231011BHJP
【FI】
A61K31/198
A61P13/12
A61P9/10
A61P29/00
A61P43/00 107
A23L33/175
C12Q1/686 Z ZNA
C12Q1/6876 Z
C12Q1/6851 Z
(21)【出願番号】P 2019106220
(22)【出願日】2019-06-06
【審査請求日】2022-05-10
(31)【優先権主張番号】P 2018109740
(32)【優先日】2018-06-07
(33)【優先権主張国・地域又は機関】JP
(73)【特許権者】
【識別番号】504160781
【氏名又は名称】国立大学法人金沢大学
(73)【特許権者】
【識別番号】320003264
【氏名又は名称】KAGAMI株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】100099759
【氏名又は名称】青木 篤
(74)【代理人】
【識別番号】100123582
【氏名又は名称】三橋 真二
(74)【代理人】
【識別番号】100117019
【氏名又は名称】渡辺 陽一
(74)【代理人】
【識別番号】100141977
【氏名又は名称】中島 勝
(74)【代理人】
【識別番号】100150810
【氏名又は名称】武居 良太郎
(74)【代理人】
【識別番号】100197169
【氏名又は名称】柴田 潤二
(72)【発明者】
【氏名】和田 隆志
(72)【発明者】
【氏名】古市 賢吾
(72)【発明者】
【氏名】坂井 宣彦
(72)【発明者】
【氏名】岩田 恭宜
(72)【発明者】
【氏名】原 章規
(72)【発明者】
【氏名】中出 祐介
(72)【発明者】
【氏名】浜瀬 健司
(72)【発明者】
【氏名】三田 真史
【審査官】田澤 俊樹
(56)【参考文献】
【文献】特表2012-502026(JP,A)
【文献】国際公開第2014/003154(WO,A1)
【文献】国際公開第2014/112641(WO,A1)
【文献】国際公開第2017/106690(WO,A1)
【文献】特表2011-509286(JP,A)
【文献】KALTENBACH, JOHN P. et al.,Compounds Protective against Renal Tubular Necrosis Induced by D-Serine and D-2,3-Diaminopropionic Acid in the Rat,EXPERIMENTAL AND MOLECULAR PATHOLOGY,1982年,Vol.37,pp.225-234,ISSN:014-4800, 特に、アブストラクト、表I
【文献】高山淳二 ほか,ラットおよびマウスにおける腎機能低下モデルの簡便な作製方法-急性および慢性腎不全モデル-,日薬理誌(Folia Pharmacol. Jpn.),2008年,Vol.131,pp.37-42,ISSN:0015-5691, 特に第39頁右欄第6~12行
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
A61K 31/00-33/44
A61P 1/00-43/00
A23L 33/175
C12Q 1/686
1/6876
1/6851
CAplus/REGISTRY/MEDLINE/EMBASE/BIOSIS(STN)
JSTPlus/JMEDPlus/JST7580(JDreamIII)
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
D-セリン
を有効成分として含む、腎臓病の予防又は治療用の医薬組成物。
【請求項2】
前記予防又は治療用の医薬組成物が、腎臓の保護又は腎機能の回復に用いられる、請求項1に記載の医薬組成物。
【請求項3】
前記腎臓病が、急性腎障害、及び慢性腎臓病を含む、請求項1又は2に記載の医薬組成物。
【請求項4】
前記腎臓病が、虚血による腎障害である、請求項1又は2に記載の医薬組成物。
【請求項5】
局所投与、経腸投与又は非経口投与に用いられる、請求項1~4のいずれか一項に記載の医薬組成物。
【請求項6】
血中D-セリン濃度を1nmol/mL~1μmol/mLに調整するD-セリン用量を含む、請求項1~5のいずれか一項に記載の医薬組成物。
【請求項7】
D-セリン
を有効成分として含む、腎臓における炎症抑制剤。
【請求項8】
D-セリン
を有効成分として含む、腎臓における炎症性細胞死抑制剤。
【請求項9】
D-セリン
を有効成分として含む、腎臓病の予防用又は改善用食品。
【請求項10】
腎臓病の予防又は治療用の医薬組成物の製造のための、
有効成分としてのD-セリン
の使用。
【請求項11】
腎臓の保護又は腎機能の回復に用いられる、請求項
10に記載の使用。
【請求項12】
前記腎臓病が、急性腎障害、及び慢性腎臓病を含む、請求項
10又は
11に記載の使用。
【請求項13】
前記腎臓病が、虚血誘導性又は炎症誘導性の腎障害である、請求項
10~
12のいずれか一項に記載の使用。
【請求項14】
局所投与、経腸投与又は非経口投与に用いられる、請求項
10~
13のいずれか一項に記載の使用。
【請求項15】
血中D-セリン濃度を1nmol/mL~1μmol/mLに調整するD-セリン用量を含む、請求項
10~
14のいずれか一項に記載の使用。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、腎障害の予防又は治療用の医薬組成物、並びに腎臓における炎症抑制剤、炎症性細胞死抑制剤、腎障害の予防用又は改善用食品、及び腎臓の保護剤に関する。
【背景技術】
【0002】
腎臓は、血液中の老廃物や余分な水分を濾過し、尿として排出することで、体液の恒常性を維持することに加え、内分泌機能により血圧、造血、骨代謝等を役割とする臓器である。腎臓は、免疫系の異常や薬剤、高血圧、糖尿病、出血や急激な血圧低下、感染症、熱傷に伴う脱水等の要因により障害を受け、機能が低下する。その状態を腎臓病といい、特に糖尿病を原因とするものは糖尿病性腎臓病という。
【0003】
急性腎障害(Acute Kidney Injury:AKI)は、発症までの期間として数時間から数週間である腎障害をいう。急性腎障害は、虚血、薬剤、エンドトキシンショック等の原因によって腎機能が急激に低下した状態であり、体内代謝産物である尿素窒素やクレアチニンの血中濃度上昇、電解質代謝の異常及びアシドーシス等の症状が認められ、一般に血中クレアチニンの値の急上昇により診断される。
【0004】
慢性腎臓病(Chronic Kidney Disease:CKD)は、各種腎障害により、糸球体濾過量で表される腎機能の低下があるか、もしくは腎臓の障害を示唆する所見が慢性的(3カ月以上)に持続する状態をいう。慢性腎臓病は、日本国の成人人口の約13%に相当する1,330万人が罹患する疾患で、末期腎不全(ESKD)に至るリスクが高く、国民の健康を脅かしている。慢性腎臓病に有効な治療法はなく、病状が進行して腎機能が低下すると尿毒症の症状を呈し、最終的には人工透析や腎移植等の腎代替療法が必要となるため、医療経済上も大きな負担となっている(非特許文献1)。慢性腎臓病は、腎機能が著名に低下しないと自覚症状がないため、早期発見、進行抑制に有用なバイオマーカーの開発が望まれている。
【0005】
腎臓病のバイオマーカーとして、尿へと排出される老廃物であるクレアチニンや尿素窒素(BUN)、炎症細胞により発現されるNGALや、損傷を受けた近位尿細管上皮細胞により発現されるKIM-1が用いられているが、これらのマーカーでは早期のバイオマーカーとして満足できるものではなかった。近年、血中又は尿中のD-アミノ酸が測定できるようになったことにより、D-アミノ酸の腎臓病バイオマーカーとしてのポテンシャルが示されている(特許文献1)。
【0006】
腎臓病における、血中又は尿中のD-アミノ酸の変動は、腸内細菌の代謝の影響を受けることが報告されている。また、近年のメタボロミクス研究では腸内細菌由来の短鎖脂肪酸の抑制性T細胞増殖作用等、代謝産物が恒常性維持や臓器保護において重要な役割を担うことが分かってきている。しかしながら、腸内細菌由来のD-アミノ酸が、臓器の障害や保護に影響していることについては何ら記載も示唆もされていない。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0007】
【非特許文献】
【0008】
【文献】KDIGO 2012 Clinical Practice Guideline for the Evaluation and Management of Chronic Kidney Disease, Kidney International Supplements 1 (2013)
【文献】Alexander W. K., Am J Physiol Renal Physiol 2007, 293, F382-F390
【文献】M. Maekawa et al., Chem. Res. Toxicol. 2005, 18, 1678-1682
【文献】M. Orozco-Ibarra et al., Toxicology 229 (2007) 123-135
【文献】R.E. Williams et al., Toxicology 207 (2005) 179-190
【文献】R.E. Williams, E.A. Lock, Toxicology 201 (2004) 231-238
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0009】
腎臓病の治療又は予防、又は腎臓の保護作用を有する薬剤の開発が望まれている。
【課題を解決するための手段】
【0010】
本発明者らが、腎臓病の患者の体内において病態と関連した変動を示すD-セリンについて、その生理作用を鋭意検討した結果、D-セリンに腎臓の保護作用、腎臓病に対する治療・予防作用を有することを見出し、本発明に至った。
【0011】
そこで具体的に、本発明は下記の発明に関する:
[1] D-セリン、又はその誘導体を含む、腎臓病の予防又は治療用の医薬組成物。
[2] 前記予防又は治療用の医薬組成物が、腎臓の保護又は腎機能の回復に用いられる、項目1に記載の医薬組成物。
[3] 前記腎臓病が、急性腎障害、及び慢性腎臓病を含む、項目1又は2に記載の医薬組成物。
[4] 前記腎臓病が、虚血による腎障害である、項目1又は2に記載の医薬組成物。
[5] 局所投与、経腸投与又は非経口投与に用いられる、項目1~4のいずれか一項に記載の医薬組成物。
[6] 血中D-セリン濃度を1nmol/mL~1μmol/mLに調整するD-セリン用量を含む、項目1~5のいずれか一項に記載の医薬組成物。
[7] 前記誘導体が、投与後にD-セリンに変化する化合物である、項目1~6のいずれか一項に記載の医薬組成物。
[8] D-セリン、又はその誘導体を含む、腎臓における炎症抑制剤。
[9] D-セリン、又はその誘導体を含む、腎臓における炎症性細胞死抑制剤。
[10] D-セリン、又はその誘導体を含む、腎臓病の予防用又は改善用食品。
[11] 前記誘導体が、投与後にD-セリンに変化する化合物である、項目10に記載の腎臓病の予防用又は改善用食品。
[12] D-セリン、又はその誘導体を投与することを含む、腎臓病の予防又は治療方法。
[13] 腎臓病の予防又は治療において使用するためのD-セリン、又はその誘導体。
[14] 腎臓病の予防又は治療用の医薬組成物の製造のための、D-セリン、又はその誘導体の使用。
[15]腎臓の保護又は腎機能の回復に用いられる、項目12~14のいずれか一項に記載の方法、D-セリン又はその誘導体、或いは使用。
[16] 前記腎臓病が、急性腎障害、及び慢性腎臓病を含む、項目12~15のいずれか一項に記載の方法、D-セリン又はその誘導体、或いは使用。
[17] 前記腎臓病が、虚血誘導性又は炎症誘導性の腎障害である、項目12~16のいずれか一項に記載の方法、D-セリン又はその誘導体、或いは使用。
[18] 局所投与、経腸投与又は非経口投与に用いられる、項目12~17のいずれか一項に記載の方法、D-セリン又はその誘導体、或いは使用。
[19] 血中D-セリン濃度を1nmol/mL~1μmol/mLに調整するD-セリン用量を含む、項目12~18のいずれか一項に記載の方法、D-セリン又はその誘導体、或いは使用。
[20] 前記誘導体が、投与後にD-セリンに変化する化合物である、項目12~19のいずれか一項に記載の方法、D-セリン又はその誘導体、或いは使用。
【発明の効果】
【0012】
血中においてD-セリンは、腎臓の保護作用・炎症抑制作用、及び炎症性細胞死抑制作用による腎臓病の治療効果、腎機能の回復効果のうちの少なくとも1の作用・効果が発揮される。
【図面の簡単な説明】
【0013】
【
図1】
図1(A)は、虚血再還流後、0日目、2日目及び10日目の腎臓組織切片のPAS染色画像を示す。水摂取群で10日目において、染色強度があがり、好中球や好酸球等の炎症性細胞の蓄積が見られる一方で、D-セリン摂取群ではそのような染色強度の変化が見られない。
図1(B)は、20mMのD-セリン自由飲水後の血中D-セリン濃度を示す。
【
図2】
図2は、虚血再還流後、0日目、2日目、5日目、7日目及び10日目の腎臓組織切片における、(A)壊死(Necrosis)、(B)腔内デブリス(Intraluminal debris)、及び(C)ブラッシュ境界領域(Brush border region)のグレードをそれぞれ示す。水摂取群と比較して、D-セリン摂取群において、数値が改善していることがわかる。
【
図3】
図3(A)は、虚血再還流後、0日目及び5日目の腎臓組織切片のF4/80染色の結果を示す。水摂取群で5日目において、染色強度があがり、マクロファージや単球等の炎症性細胞の蓄積が見られる一方で、D-セリン摂取群ではそのような染色強度の変化は少ない。
図3(B)は、F4/80の染色領域を、数値化して示した図である。
【
図4】
図4(A)は、尿細管上皮細胞(TEC)に対し、低酸素ストレスをかけて培養した際のD-セリン添加のタイムスケジュールを示す。
図4(B)は、D-セリンの用量に応じた、KIM-1発現の変化を示す。
【発明を実施するための形態】
【0014】
本発明の1の態様は、D-セリン、又はその誘導体を含む、腎障害の予防又は治療用の医薬組成物に関する。
【0015】
D-セリンは、タンパク質を構成するアミノ酸の一種であるL-セリンの光学異性体である。本発明において、D-セリンは、その酸性塩、塩基性塩、両性塩のいずれの形態であってもよく、例えば塩酸塩、硫酸塩、硝酸塩、ナトリウム塩、カリウム塩、カルシウム塩、アンモニウム塩等、生理的に許容できる塩であれば任意の塩を用いることができる。
【0016】
D-セリンの誘導体は、疎水性や静電特性を変化させるものや、投与後に血中や組織中のD-セリン濃度を調整できるものをいう。血中や組織中のD-セリン濃度を1nmol/mL~1μmol/mLに調整できるものであれば任意のD-セリン誘導体を用いることができる。D-セリン誘導体の一例として、D-セリンのカルボキシ基、アミノ基、又は水酸基が、保護・置換された化合物が挙げられる。カルボキシ基は、例えばエステル化、アミド化等されうる。アミノ基は、アミド化されうる。水酸基はエーテル化、エステル化されうる。誘導体の一例としては、D-セリンメチルエステル、D-セリンエチルエステルや、D-セリンを含むペプチド、例えばジペプチド、トリペプチド、オリゴペプチド、ポリペプチド等が挙げられる。
【0017】
ペプチドが用いられる場合、セリンのみで構成されていてもよいし、セリンに加えて、その他のアミノ酸、例えばアラニン、グリシン、バリン、ロイシン、イソロイシン、スレオニン、システイン、メチオニン、アスパラギン酸、グルタミン酸、アスパラギン、グルタミン、リジン、アルギニン、フェニルアラニン、チロシン、トリプトファン、ヒスチジン等で構成されていてもよい。これらのD-セリン以外のアミノ酸は、L体であってもD体であってもよい。D-セリン残基や分解して生成するD-セリンが、生理活性、例えば腎臓保護効果をもたらしてもよい。
【0018】
腎臓病は、タンパク尿や、糸球体濾過量(GFR)の低下により決定される。慢性腎臓病は、以下の:
(1)尿検査、画像診断、血液検査、病理等で腎障害の存在が明らかであり、特に0.15g/gCr以上のタンパク尿(30mg/gCr以上のアルブミン尿)がある
(2)糸球体濾過量が、60mL/min/1.73m2未満である
のうちのいずれか、又は両方が、3ヶ月以上持続することにより、慢性腎臓病と診断される。糸球体濾過量は、血清クレアチニン値、年齢、性別から推算糸球体濾過量を算出することでも決定される。
【0019】
慢性腎臓病は、様々な原因により引き起こされうる。腎臓病のリスクを有する対象としては、糖尿病、高血圧、腎炎、多発性嚢胞腎、腎移植、脂質異常症、肥満を患っている対象が挙げられる。したがって、本発明において、D-セリン又はその誘導体はこのような腎臓病のリスクを有する対象に対して投与することができる。このような対象としては、健康診断により腎機能が低下していると判定された対象が挙げられる。健康診断では、一例として、尿タンパク、尿鮮血、BUN、クレアチニン、eGFR等に基づき、腎機能の検査が行われており、これらのうち少なくとも1の検査において、軽度異常が見つかった対象、経過観察等が必要となった対象が、腎臓病のリスクを有する対象としてもよい。また、腎臓病を患っている患者において、腎機能の回復、悪化の防止を期待して、D-セリン又はその誘導体が投与されてもよい。
【0020】
腎臓病バイオマーカーとしても用いられるKIM-1(Kidney injury molecule-1)は、障害を受けて修復再生中の近位尿細管上皮細胞において発現誘導される全長104kDaの1回膜貫通型タンパク質である。KIM-1はアポトーシスを起こした細胞の表面に表出されるeat-meシグナルに対する受容体として作用し、KIM-1を介して死細胞を除去することに役立つと考えられている。
【0021】
急性腎障害は、数時間~数日の間に急激に腎機能が低下する疾患であり、おもに虚血による障害と腎毒性物質による障害とに分けることができる。出血等によるショックで腎臓に十分な血液が供給されなくなると、腎臓の尿細管やネフロン等に炎症が生じ、機能が失われる。腎毒性物質は、農薬や医薬、造影剤、抗生剤等が挙げられ、これらの物質によりネフロンが傷害されることで腎機能が失われる。また、傷害される部位に応じて腎前性、腎性、腎後性の腎臓病と分類することができる。腎前性の腎臓病とは、全身疾患のために、腎臓への血流が低下すること等により生じる腎臓病をいい、例えば、脱水症、ショック、熱傷、大量出血、鬱血性心不全、肝硬変、腎動脈狭窄症等がその原因となる。腎性の腎臓病とは、腎臓自体に原因がある場合の腎臓病をいい、例えば、腎臓での血流障害、糸球体障害、及び尿細管・間質障害等がその原因として挙げられる。腎後性の腎臓病とは、腎臓より下部の尿路に問題がある場合の腎臓病をいう。急性腎障害は、早めの対処により、腎機能の回復をみこむことができるが、適切な処置がなされないとそのまま慢性腎臓病に移行することもある。したがって、本発明においてD-セリン又はその誘導体は急性腎障害を患っている対象、又はそのリスクを有する対象に対して、投与することができる。
【0022】
腎機能は、血中のクレアチニン量、血中総タンパク量、血中尿素窒素(BUN)、及び糸球体濾過量を測定することで、判定することができる。クレアチニン量、血中総タンパク量、血中尿素窒素(BUN)、及び推算糸球体濾過量は、健康診断においても汎用されており、その数値が基準を下回るか、又は悪化傾向を示す対象に、本発明のD-セリン又はその誘導体を投与してもよい。
【0023】
腎臓病は、腎臓の炎症を伴うこともあり、このような障害を抑制することで、腎機能を回復しうる。腎臓病には、糸球体や間質等に炎症が生じる糸球体腎炎や間質性腎炎等も含まれる。さらに糸球体腎炎には、急性糸球体腎炎(急性腎炎)、慢性糸球体腎炎(慢性腎炎)等がある。
【0024】
腎障害の予防用又は改善用食品とは、腎障害を患う対象又は腎障害を患うリスクを有する対象に摂取されることが表示された食品をいう。そのような食品としては、機能性食品、保健用食品、サプリメント等が挙げられる。D-セリン又はその誘導体、及びこれらを含有する原料は任意の食品に対して配合することができる。D-セリン又はその誘導体、及びこれらを含有する原料を含有する食品は、D-セリン又はその誘導体、及びこれらを含有する原料を腎臓保護作用又は抗炎症作用を発揮する観点から、任意の用量を設定することができる。
【0025】
治療とは、腎機能の回復又は腎障害を緩和することをいう。一般に慢性腎臓病では腎障害の完全回復は期待できないものの、悪化を抑制する目的で、本発明の治療用の組成物を投与しうる。急性腎障害では、腎機能の回復を目的として、本発明の治療用の組成物を投与することができる。本発明において、予防とは、腎機能障害を患うか、又は患うリスクのある対象に対して、腎障害の発生及び進行を抑制、又は回復することをいう。
【0026】
本発明のD-セリンは、作用部位の濃度を適正に調整することが可能ならば、任意の投与経路で投与することができる。投与経路としては、局所投与(皮膚上、吸入、注腸、点眼、点耳、経鼻、膣内等)、経腸投与(経口、経管、経注等)、非経口投与(経静脈、経動脈、経皮、筋肉注等)が挙げられる。
【0027】
D-セリンは、ラットに対する腹腔内投与により、腎毒性が生じることが報告されている(非特許文献2:Alexander W. K., Am J Physiol Renal Physiol 2007, 293, F382-F390; 非特許文献3:M. Maekawa et al., Chem. Res. Toxicol. 2005, 18, 1678-1682;非特許文献4:M. Orozco-Ibarra et al., Toxicology 229 (2007) 123-135; 非特許文献5:R.E.Williams et al., Toxicology 207 (2005) 179-190;非特許文献6:R.E. Williams, E.A. Lock, Toxicology 201 (2004) 231-238)。これらの文献では、250mg/kgを超えた用量、例えば800mg/kg(非特許文献3)、400mg/kg(非特許文献4)、250mg/kg(非特許文献5及び6)で投与した場合に、酸化刺激やDAOの作用により、腎毒性が誘発されることが開示されている。具体的には、近位尿細管のD-アミノ酸オキシダーゼ(DAO)の作用により、D-セリンが代謝され、その反応に伴い生じる活性酸素種が、細胞損傷を引き起こしネクローシスに至ると考えられている。
【0028】
非特許文献2のラットにおける研究では、0.25、0.76、2.54、及び7.6mmol/kgのD-セリンの腹腔内投与が腎臓に与える影響が調べられている。ここで、D-セリンの分子量が105であることから、26mg/kg、80mg/kg、267mg/kg、及び800mg/kgに換算される。かかる濃度のD-セリンが腹腔内投与されたところ、26mg/kg及び80mg/kgでは、2時間後のアミノ酸排出に影響がなく、毒性が発揮されていない一方で、267mg/kg及び800mg/kgではアミノ酸排出が有意に増加し、D-セリンの腎臓への毒性が発揮される。また4時間後のアミノ酸排出を検討したところ、26mg/kgでは毒性は発揮されなかったものの、80mg/kgでかなり弱い毒性が発揮された。そうすると、ラットにおける無毒性量(NOAEL)を、25、30、40、又は50mg/kgと設定することができる。したがって、D-セリン用量を、NOAELの量に設定してもよいし、種差の違いを考慮し、安全係数を10と設定し、2.5~5.0mg/kg/日を用量の上限値として設定することができる。安全係数は、任意に設定することができる。好ましくは、用量の上限値は、5.0mg/kg/日であり、より好ましくは4.0mg/kg/日であり、さらにより好ましくは3.0mg/kg/日であり、特に好ましくは2.5mg/kgである。
【0029】
本実施例では、マウスに20mMのD-セリンを含有する水の自由飲水させることにより、100nmol/mLの血中D-セリン濃度を達成することができ、この濃度にてD-セリンの腎臓保護作用を発揮することができた。種の違い等の考慮も必要ではあるが、理論に限定されず、D-セリンの血中濃度が1nmol/mL~1μmol/mLであれば本発明の効果、すなわち腎障害の治療効果、保護効果、腎機能の回復効果、腎臓における炎症抑制効果、及び炎症性細胞死抑制効果を発揮しうる。D-セリンの血中濃度は、5nmol/mL以上であることが好ましく、10nmol/mL以上であることがさらに好ましく、50nmol/mL以上であることがさらにより好ましい。一方で、D-セリンの血中濃度は、1μmol/mL以下が好ましく、0.5μmol/mL以下がより好ましく、さらに好ましくは0.1μmol/mL以下が好ましい。
【0030】
本発明の医薬組成物は、D-セリン又はその誘導体の他に、薬理学的に許容され得る担体、希釈剤もしくは賦形剤を含んでいてもよい。本発明の医薬組成物は、D-セリン又はその誘導体に加えて、さらなる抗炎症性薬剤や腎機能改善剤等を含んでもよい。このような医薬組成物は、局所投与(皮膚上、吸入、注腸、点眼、点耳、経鼻、膣内等)、経腸投与(経口、経管、経注等)、非経口投与(経静脈、経動脈、経皮、筋肉注等)に適する剤形として提供されうるが、投与経路はこれらに限られるものではない。
【0031】
本発明の治療剤又は医薬組成物は、その投与経路に適した剤形を選択し製剤化することができる。経口投与に用いる場合、錠剤、カプセル剤、液剤、粉末剤、顆粒剤、咀嚼剤等、非経口投与の場合、注射剤、粉末剤、輸液製剤等の剤形が設計されうる。また、これらの製剤は医薬用に用いられる種々の補助剤、即ち、担体や他の助剤、例えば、安定化剤、防腐剤、無痛化剤、味剤、矯味剤、香料、乳化剤、充填剤、pH調整剤等が含まれてもよく、本発明の組成物の効果を損なわない範囲で配合することができる。
【0032】
本明細書において言及される全ての文献はその全体が引用により本明細書に取り込まれる。以下に説明する本発明の実施例は例示のみを目的とし、本発明の技術的範囲を限定するものではない。本発明の技術的範囲は特許請求の範囲の記載によってのみ限定される。本発明の趣旨を逸脱しないことを条件として、本発明の変更、例えば、本発明の構成要件の追加、削除及び置換を行うことができる。
【実施例】
【0033】
実施例1:虚血再かん流による腎障害の誘導
1.材料及び方法
(1)研究倫理
全ての実験は施設のガイドラインに従い、該施設の動物実験委員会の承認を得て実施された。
【0034】
(2)材料
アミノ酸のエナンチオマー及びHPLC級のアセトニトリルはナカライテスク(京都)から購入された。HPLC級のメタノール、トリフルオロ酢酸、ホウ酸等は和光純薬(大阪)から購入された。水はMilli-QグラジエントA10システムを用いて精製された。
【0035】
(3)動物
動物はSPF環境、12時間ずつの明暗サイクルの条件下で、自由に水及び飼料を摂取できるようにして飼育された。C57BL/6Jマウスは日本クレア(大阪)から購入された。
【0036】
(4)腎虚血再灌流処理
12-16週齢のオスマウスを腎虚血再灌流(以下、「I/R」ともいう。)処理に供した。ペントバルビタール麻酔下で、Non-traumatic clip (Natsume Seisakusho. Tokyo)をもちい腎茎をクランプし、虚血を誘発した。40分後にクリップを開放した。処置中は対応を37℃に保持した。
【0037】
IR処理後14日前より、マウスが、水(対照)と20mMのD-セリン含有水を、自由に摂取できるようにして、飼育した。IR処理後、0日目、2日目、5日目、7日目、及び10日目において腎臓組織を採取した。
【0038】
(5)D-セリンの血中濃度
マウスを、水(対照)と20mMのD-セリン含有水を、自由に摂取できる環境下で飼育し、血中のD-セリン濃度を測定した。血中のD-セリン濃度は、財津らが開発したD、L-アミノ酸一斉高感度分析システム(特許第4291628号)によるアミノ酸光学異性体の全分析により決定された。各アミノ酸の分析条件の詳細は、MiyoshiY.、ら、J.Chromatogr.B, 879:3184(2011)及びSasabe,J.ら、Proc.Natl.Acad.Sci.U.S.A.、109:627(2012)に説明される。簡潔には、血清及び尿中のアミノ酸は、NBD-F(4-フルオロ-7-ニトロ-2,1,3-ベンゾオキサジアゾール、東京化成工業株式会社)で蛍光誘導体化し、HPLCシステム(NANOSPACE SI-2シリーズ、株式会社資生堂)に供された。簡潔には自社製のオクタデシル基を固定相とする逆相カラムとアミノ酸誘導体を固定相とするキラルカラムを用いて二次元分離されたNBD-アミノ酸は、励起波長470nm、検出波長530nmで検出後に定量解析された。20mMのD-セリン含有水で飼育されたマウスでは、血中のD-セリン濃度が、100nmol/mLに達した(
図1B)。
【0039】
染色
0日目、2日目、10日目で採取された腎臓を、10%中性緩衝ホルマリンで固定し、パラフィン包埋し、periodic acid‐Schiff (PAS染色)(過ヨウ素酸シッフ染色)で染めた。染色した切片を明視野顕微鏡で撮影した(
図1)。PASで染まったデブリス(皮髄境界部) 又はブラッシュボーダー (皮髄境界部と皮質領域) は、最低異なる10箇所で定量評価した。尿細管壊死(A)、腔内デブリス(B)、及びブラッシュボーダー領域(C)をATN scoreで評価し(0, none; 1, mild; 2, moderate; and 3, severe)、
図2(A)~(C)に示した。サンプルの評価は、ブラインドで行った。
【0040】
0日目、5日目で採取された腎臓組織を、10%中性緩衝ホルマリンで固定し、F4/80抗体(invitrogen, catalog#: MF48000)を用いて免疫染色に供した。F4/80はマクロファージで特異的に発現するタンパク質であり、腎臓組織内へのマクロファージを可視化することができる。水投与の対照群では、腎組織にF4/80で染色された細胞の蓄積がみられた(5日目)一方で、D-セリン投与群では、そのような細胞の蓄積は少なかった(
図3(A))。0日目、5日目、及び7日目で採取された腎臓組織について、F4/80での染色領域を測定して示した(
図3(B))。
【0041】
実施例2:尿細管上皮細胞(TEC)に対する低酸素ストレス付加
マウス尿細管上皮細胞であるmProx24cellはSugaya (St. Marianna University School of Medicine, Tokyo)から提供された。この細胞を5%ウシ胎仔血清(FBS)及び1%ペニシリン及びストレプトマイシン添加DMEM培地で培養した。培養された細胞を、1%FBS添加DMEM培地を用いて1.0 × 10
6cell/ウェルで播種し、37℃、5%CO
2及び20%O
2加湿雰囲気下で24時間培養した。低酸素ストレス付加群では、24時間培養後に、5%FBS添加DMEM培地に5%CO
2及び5%O
2加湿雰囲気下でさらに20時間培養し、低酸素ストレス未付加群では、5%FBS添加DMEM培地に5%CO
2及び20%O
2加湿雰囲気下でさらに20時間培養した(
図4(A))。これらのDMEM培地には、試験薬剤として1μM、10μM、及び100μMのD-セリンを添加し、対照ではD-セリンを含めなかった。
【0042】
KIM-1の遺伝子発現の測定
培養後細胞を回収し、the High Pure RNA Isolation Kit (Roche Diagnostics, Tokyo)を用いてTotal RNAを抽出した。SYBR Green fluorescence (Bio-Rad, Tokyo)を用いた定量的リアルタイムPCRは、Villa 7 Real-Time PCR System (Thermo Fisher Scientific, Tokyo)で行い、下記のプライマーを用いた。データはdelta-delta Ct 法で解析した(
図4(B))。
MCP-1 Forward: 5’-cttcctccaccaccatgca-3’ (配列番号1)
MCP-1 Reverse: 5’-ccagccggcaactgtga-3’ (配列番号2)
KIM-1 Forward: 5’-aggaagacccacggctattt-3’ (配列番号3)
KIM-1 Reverse: 5’-tgtcacagtgccattccagt-3’ (配列番号4)
【配列表】