(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2023-11-06
(45)【発行日】2023-11-14
(54)【発明の名称】石油重質留分の分析方法
(51)【国際特許分類】
G01N 27/62 20210101AFI20231107BHJP
【FI】
G01N27/62 V
(21)【出願番号】P 2020061569
(22)【出願日】2020-03-30
【審査請求日】2023-03-15
【新規性喪失の例外の表示】特許法第30条第2項適用 1.刊行物名 平成30年度 高効率な石油精製技術の基礎となる石油の構造分析・反応解析等に係る研究開発事業 事業報告書 2.発行日 平成31年3月29日 3.公開者 一般財団法人石油エネルギー技術センター 〔刊行物等〕 1.集会名 令和元年度第3回ペトロリオミクス技術セミナー 2.開催日 令和元年7月19日 3.公開者 片野恵太 〔刊行物等〕 1.集会名 The 20th International Conferenceon Petroleum Phase Behavior & Fouling(PetroPhase2019) 2.開催日 令和元年6月4日 3.公開者 片野恵太 〔刊行物等〕 1.集会名 石油学会山形大会(第49回石油・石油化学討論会) 2.開催日 令和元年11月1日 3.公開者 片野恵太 〔刊行物等〕 1.刊行物名 石油学会山形大会(招待講演、第49回石油・石油化学討論会)(講演要旨)88頁、石油学会 2.発行日 令和元年10月31日 3.公開者 片野恵太 〔刊行物等〕 1.掲載アドレス https://www.jstage.jst.go.jp/browse/sekiyu/-char/ja 2.掲載日 令和元年12月31日 3.公開者 片野恵太
【国等の委託研究の成果に係る記載事項】(出願人による申告)平成30年度、経済産業省、高効率な石油精製技術の基礎となる石油の構造分析・反応解析等に係る研究開発事業、産業技術力強化法第19条の適用を受ける特許出願
(73)【特許権者】
【識別番号】590000455
【氏名又は名称】一般財団法人石油エネルギー技術センター
(74)【代理人】
【識別番号】100091487
【氏名又は名称】中村 行孝
(74)【代理人】
【識別番号】100105153
【氏名又は名称】朝倉 悟
(74)【代理人】
【識別番号】100120617
【氏名又は名称】浅野 真理
(74)【代理人】
【識別番号】100126099
【氏名又は名称】反町 洋
(72)【発明者】
【氏名】片野 恵太
【審査官】清水 靖記
(56)【参考文献】
【文献】特表2014-500506(JP,A)
【文献】米国特許出願公開第2010/0230587(US,A1)
【文献】特開2019-132740(JP,A)
【文献】特開2018-169358(JP,A)
【文献】特表2014-503816(JP,A)
【文献】特表2016-503884(JP,A)
【文献】国際公開第2018/200521(WO,A2)
【文献】LI, Haidong,Quantitative Molecular Composition of Heavy Petroleum Fractions: A Case Study of Fluid Catalytic Cracking Decant Oil,energy & fuels,2020年02月07日,volume 34,pages 5307-5316,https://dx.doi.org/10.1021/acs.energyfuels.9b03425
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
G01N 27/60 - G01N 27/70
G01N 30/00 - G01N 30/96
H01J 40/00 - H01J 49/48
G01N 35/00 - G01N 35/10
G01N 37/00
G01N 1/00 - G01N 1/44
G01N 33/00 - G01N 33/46
JSTPlus/JMEDPlus/JST7580(JDreamIII)
Scopus
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
石油重質留分の分析方法であって、
(a)石油重質留分から分離された、三環以上の芳香族分画分および極性レジン画分を少なくとも含む複数の画分を準備するステップ、
(b)フーリエ変換イオンサイクロトロン共鳴質量分析(FT-ICR MS)において、各画分を構成する成分の分子イオンまたは擬分子イオンを形成するステップであって、
前記三環以上の芳香族分画分および極性レジン画分について、銀イオンの存在下でエレクトロスプレーイオン化法(ESI)法を適用し、かつ
前記三環以上の芳香族分画分および極性レジン画分以外の画分の一部または全部について、大気圧光イオン化(APPI)法を適用するステップ
(c)前記FT-ICR MSにより、前記分子イオンまたは擬分子イオンの構造および濃度を含む各画分組成情報を特定するステップ、および
(d)前記各画分組成情報に基づき、石油重質留分の組成を推定するステップ
を少なくとも含んでなる、方法。
【請求項2】
ステップ(a)が、飽和分画分、単環芳香族分画分、二環芳香族分画分、三環以上の芳香族分画分、極性レジン画分および多環レジン画分を準備するステップである、請求項1に記載の方法。
【請求項3】
ステップ(b)における前記銀イオンが、銀塩の形態で適用される、請求項1または2に記載の方法。
【請求項4】
ステップ(b)における前記銀塩が、銀トリフラートである、請求項3に記載の方法。
【請求項5】
ステップ(b)が、FT-ICR MSにおいて、前記三環以上の芳香族分画分および極性レジン画分について、APPI法を適用するステップをさらに含んでなる、請求項1~4のいずれか一項に記載の方法。
【請求項6】
ステップ(b)が、前記各画分に対して衝突誘起解離を実施するステップを含んでなる、請求項1~5に記載の方法。
【請求項7】
(e)石油重質留分の元素分析情報を補正因子として用いて、石油重質留分の組成の推定値を調整するステップをさらに含んでなる、請求項1~6のいずれか一項に記載の方法。
【請求項8】
石油重質留分の分析装置であって、
(a)石油重質留分から分離された、三環以上の芳香族分画分および極性レジン画分を少なくとも含む複数の画分を準備する画分提供部、
(b)フーリエ変換イオンサイクロトロン共鳴質量分析(FT-ICR MS)において、各画分を構成する成分の分子イオンまたは擬分子イオンを形成するイオン化部であって、
前記三環以上の芳香族分画分および極性レジン画分について、銀イオンの存在下でエレクトロスプレーイオン化法(ESI)法を適用し、かつ
前記三環以上の芳香族分画分および極性レジン画分以外の画分の一部または全部について、大気圧光イオン化(APPI)法を適用する、分析部、
(c)前記FT-ICR MSにより、前記分子イオンまたは擬分子イオンの構造および濃度を含む各画分組成情報を特定する各画分組成情報分析部、および
(d)前記各画分組成情報に基づき、石油重質留分の組成を推定する組成推定部
を備えた、分析装置。
【請求項9】
(e)石油重質留分の元素分析情報を補正因子として用いて、石油重質留分の組成の推定値を調整する全組成補正部をさらに備えた、請求項8に記載の分析装置。
【請求項10】
石油重質留分の分析システムであって、
(a)石油重質留分から分離された、三環以上の芳香族分画分および極性レジン画分を少なくとも含む複数の画分を準備する画分提供部、
(b)フーリエ変換イオンサイクロトロン共鳴質量分析(FT-ICR MS)において、各画分を構成する成分の分子イオンまたは擬分子イオンを形成するイオン化部であって、
前記三環以上の芳香族分画分および極性レジン画分について、銀イオンの存在下でエレクトロスプレーイオン化法(ESI)法を適用し、かつ
前記三環以上の芳香族分画分および極性レジン画分以外の画分の一部または全部について、大気圧光イオン化(APPI)法を適用する、イオン化部、
(c)前記FT-ICR MSにより、前記分子イオンまたは擬分子イオンの構造および濃度を含む各画分組成情報を特定する各画分組成情報分析部、および
(d)前記各画分組成情報に基づき、石油重質留分の組成を推定する組成推定部
を備えた、分析システム。
【請求項11】
(e))石油重質留分の元素分析情報を補正因子として用いて、石油重質留分の組成の推定値を調整する全組成補正部をさらに備えた、請求項10に記載の分析システム。
【請求項12】
請求項1~7のいずれか一項に記載の方法、請求項8もしくは9に記載の装置、または請求項10もしくは11に記載のシステムを実行させるためのコンピュータプログラム。
【請求項13】
請求項12に記載のコンピュータプログラムを記録した記録媒体。
【請求項14】
請求項12に記載のコンピュータプログラムを内部記憶装置に記憶したコンピュータ。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、石油重質留分の分析方法に関し、より詳細には、FT-ICR MSを使用する石油重質留分の試料の組成分析において、APPI法と、銀イオンの存在下でのESI法とを組合せて適用する石油重質留分の分析方法、それに使用される装置、システム、コンピュータおよびそれを使用する方法、並びに装置をコンピュータに実行させるコンピュータプログラムおよびその記録媒体に関する。
【背景技術】
【0002】
近年、石油処理の多様化を図る観点から、複雑な多様な成分を含有する非在来型原油や重質留分の生産が注目されている。中でも、硫黄成分は、原油成分には一般に必ずといってよいほど含まれている。その量は原油の産地によって異なるが、0.1~4重量%程度である。したがって、原油から蒸留により分離された各留分にも硫黄成分は存在し、重質留分ほど多いのが一般的である。石油中に含まれている硫黄成分は硫化水素、メルカプタン、硫化物、二硫化物、チオフェン類などであり、これら以外に構造不明の化合物が相当含まれていて、沸点が高くなるほど複雑な構造となっている。石油中に硫黄成分が存在すると、悪臭の発生、触媒被毒などの要因になるばかりでなく、硫黄成分の燃焼生成物である亜硫酸ガスが大気汚染物質の一つであるため、脱硫、すなわち、原料、製品に含まれている有害作用を持つ硫黄分を含む石油組成を正確に分析することは、石油精製業の大きな使命となっている。
【0003】
一方で、石油重質留分には芳香族分子が主成分として含まれている。このため、飽和分を除いた画分で質量分析計を用いた包括的な成分分析を行う場合、芳香族成分を効率的にイオン化できることが重要な技術的事項となる。現行のイオン化方法でこの目的に最も沿っているのが、APPI法(Atmospheric Pressure PhotoIonization:大気圧光イオン化法)であり、APPI法はフーリエ変換イオンサイクロトロン共鳴質量分析装置(FT-ICR MS)が石油の成分分析に導入されて以来、多くの重質油キャラクタリゼーションへ貢献してきた(非特許文献1)。APPI法は検体が溶解したトルエン溶液をヒーターへ噴霧し、気化したものが後段のKrランプで紫外線を照射されてイオン化が行われる。
【0004】
また、特許文献1には、FT-ICR MSを使用する石油の残油の試料の組成モデルを決定するに際して、APPI法と、他の石油成分のイオン化法とを組合せて使用することが報告されている。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0005】
【文献】Jeremiah M. Purcell et al., Energy Fuels,2010,24,2257-2265
【特許文献】
【0006】
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
しかしながら、石油重質留分の試料をAPPI法で測定した結果、硫黄含有量が依然として過小評価されることが本出願人の検討により判明した。そこで、本出願人は、さらに検討を行った結果、FT-ICR MSを使用する石油重質留分の試料の組成分析において、APPI法と、銀イオンの存在下でのESI法(electrospray ionization:エレクトロスプレーイオン化法)とを組合せて適用すると、硫黄量をはじめとする石油重質留分の組成を高精度で分析しうることを見出した。
【0008】
本発明は、硫黄を含む石油重質留分の組成を高精度で分析する新たな技術的手段を提供することをその目的としている。
【課題を解決するための手段】
【0009】
上記の目的を達成するため、本発明者らは、以下の本発明を創出した。即ち、本発明の要旨は以下のとおりである。
本発明の石油重質留分の分析方法であって、
(a)石油重質留分から分離された、三環以上の芳香族分画分および極性レジン画分を少なくとも含む複数の画分を準備するステップ、
(b)フーリエ変換イオンサイクロトロン共鳴質量分析(FT-ICR MS)において、各画分を構成する成分の分子イオンまたは擬分子イオンを形成するステップであって、
三環以上の芳香族分画分および極性レジン画分について、銀イオンの存在下でエレクトロスプレーイオン化法(ESI)法を適用し、かつ
三環以上の芳香族分画分および極性レジン画分以外の画分の一部または全部について、大気圧光イオン化(APPI)法を適用するステップ
(c)FT-ICR MSにより、前記分子イオンまたは擬分子イオンの構造および濃度を含む各画分組成情報を特定するステップ、および
(d)各画分組成情報に基づき、石油重質留分の組成を推定するステップ
を少なくとも含んでなることを特徴とするものである。
【0010】
また、本発明の別の実施態様においては、対象石油における脱硫率の推算装置、システムおよびそれらの運転方法や、それらを実行させるコンピュータプログラム、その記録媒体およびそれを記憶したコンピュータも提供される。
【発明の効果】
【0011】
本発明によれば、硫黄を含む石油重質留分の組成を高精度で分析することができる。
【図面の簡単な説明】
【0012】
【
図1】本発明の一実施形態における石油重質留分の分析方法のフローチャートである。
【
図2】本発明の一実施形態における石油重質留分の分析装置のブロック図である。
【
図3】APPI法とAg-ESI法で観測した超重質原油の常圧残渣(AR)_三環以上の芳香族分(3A+)のヘテロクラス分布を示すグラフである。
【
図4】APPI法とAg-ESI法で観測した超重質原油AR_極性レジン(Po)のヘテロクラス分布を示すグラフである。
【
図5】
図5Aは、APPI法で観測した超重質原油AR_3A+のDBEプロットである。
図5Bは、Ag-ESI法で観測した超重質原油AR_3A+のDBEプロットである。
図5Cは、APPI法とAg-ESI法結果を統合した超重質原油AR_3A+のDBEプロットである。
【
図6】統合データのヘテロクラスを補正対象として各カテゴリーに分類することを示すグラフである。
【
図7】補正因子として使用しうるヘテロクラスの候補を示すグラフである。
【発明を実施するための形態】
【0013】
<石油重質留分の分析方法>
本発明の一実施形態によれば、石油重質留分の分析方法は、
(a)石油重質留分から分離された、三環以上の芳香族分画分および極性レジン画分を少なくとも含む複数の画分を準備するステップ、
(b)フーリエ変換イオンサイクロトロン共鳴質量分析(FT-ICR MS)において、各画分を構成する成分の分子イオンまたは擬分子イオンを形成するステップであって、
三環以上の芳香族分画分および極性レジン画分について、銀イオンの存在下でエレクトロスプレーイオン化法(ESI)法を適用し、かつ
三環以上の芳香族分画分および極性レジン画分以外の画分の一部または全部について、大気圧光イオン化(APPI)法を適用するステップ
(c)FT-ICR MSにより、前記分子イオンまたは擬分子イオンの構造および濃度を含む各画分組成情報を特定するステップ、および
(d)各画分組成情報に基づき、石油重質留分の組成を推定するステップ
(e)所望により、石油重質留分の元素分析情報を補正因子として用いて、石油重質留分の組成の推定値を調整するステップ
を含んでなることを特徴とするものである。
以下、
図1のフローチャートに従い、本発明の一実施形態をステップ毎に説明する。
【0014】
ステップ(a):三環以上の芳香族分画分および極性レジン画分を含む複数の画分の分離(図1のS1)
本発明の一実施形態によれば、まず、重質石油留分から分離された、三環以上の芳香族分画分および極性レジン画分を少なくとも含む複数の画分を準備する。
【0015】
石油重質留分は、単に重質油ともいい、重くて粘り気のある原油および原油からの残渣油または石油留分などであれば、とくに限定されない。ステップ(a)で用いられる石油重質留分には、例えば、API度25以下、好ましくはAPI度20以下の原油から得られる常圧蒸留残渣油(AR)、減圧蒸留残渣油(VR)、ならびに接触分解残油、ビスブレーキング油およびビチューメンなどの密度の高い石油留分などが挙げられる。これらの重質油は、通常アスファルテンが1質量%以上含まれており、これらの石油重質留分から抽出したアスファルテンも、石油重質留分として用いることができる。これらは、単独で用いてもよく、二種以上を組み合わせて用いてもよい。なお、API度とは、米国石油協会(American Petroleum Institute)が定めた原油製品の比重を示す単位である。
また、コーカー油、合成原油、ナフサカット原油、重質軽油、減圧軽油、LCO、GTL(Gas To Liquid)油、およびワックスなどを常圧蒸留残渣油などと混合して、石油重質留分として用いることもできる。
なお、上記アスファルテンとは、重質油中のn-ヘプタンに不溶な部分を意味する。重質油中のアスファルテンの含有量が1質量%以上であれば、アスファルテン凝集緩和剤によるアスファルテンの凝集緩和効果を十分に発揮させることができる。
【0016】
石油重質留分から分離される複数の画分は、上述の通り、三環以上の芳香族分画分および極性レジン画分を少なくとも含むものである。複数の画分は、好ましくは3個以上の画分であり、より好ましくは7画分である。かかる画分として、アスファルテン(As)、飽和分(Sa)、1環芳香族分(1A)、2環芳香族分(2A)、3環以上の芳香族分(3A+)、極性レジン(Po)および多環芳香族レジン(PA)が挙げられる。
【0017】
各画分を分離するにあたって、画分の境目とする基準または分画するための方法は特に問わないが、重質油の場合、「タイプ別分離前処理」を行うことが好ましい。「タイプ別分離前処理」の方法としては、特に限定はされず、任意の基準に従っていくつかの成分に分離させればよく、カラムクロマト分画方法、ソックスレー抽出法や高速溶媒抽出法等の溶媒抽出法等の公知の方法を用いることができる。重質油の場合は、例えば、特開2011-133363号公報に記載の方法のように、カラムクロマト分画方法を用いるのが好ましい。いくつの成分に分画するかは、目的に応じて、適宜選択すればよい。
重質石油留分からの各画分の分離は、具体的には、次の第1~第4ステップを含む方法により実施することができる。
【0018】
(第1ステップ)
重質油を、ソックスレー抽出により、アスファルテン(As)と、n-パラフィンに可溶なマルテン分(Ma)とそれ以外の不溶分に分離する。
(第2ステップ)
上記(第1ステップ)で分離したマルテン分をカラムクロマトグラフィーを用いて飽和分(Sa)、1環芳香族分(1A)、2環芳香族分(2A)、3環以上の芳香族分(3A+)、極性レジン(Po)および多環芳香族レジン(PA)の各画分に分離する。
(第3ステップ)
さらに好ましくは、前記第2ステップで得られた3環以上の芳香族分画分(3A+)を、分取液体クロマトグラフィーを用いて、さらにPeri型4環芳香族分画分とCata型4環芳香族分画分および場合によっては5環以上の芳香族分画分(5A+)に分離してもよい。
(第4ステップ)
また、上記(第1ステップ)で分離した不溶分をトルエンに可溶なトルエン可溶分(アスファルテン(As))、それ以外のトルエン不溶分に分離し、さらに、トルエン不溶分を、THFに可溶なTHF可溶分と、それ以外のTHF不溶分に分離する。
【0019】
ステップ(b-1):FT-ICR MSにおける三環以上の芳香族分画分および極性レジン画分についての、銀イオン存在下でのESI法の実施(図1のS2)
本発明の一実施形態によれば、三環以上の芳香族分画分(3A+)および極性レジン画分(Po)については、FT-ICR MSにおいて、銀イオン添加剤存在下でエレクトロスプレーイオン化法(ESI)法を少なくとも適用して、分子イオンまたは擬分子イオンを形成する。
【0020】
3A+およびPoに対して銀イオン存在下でエレクトロスプレーイオン化法(以下、Ag-ESI法ともいう。)を適用することは、硫黄成分を比較的高濃度で含有する3A+およびPoにおける、硫黄と銀イオンとの錯体形成を利用して、広範な硫黄成分を高精度で検出する上で有利である。
【0021】
銀イオンは、好ましくは3A+およびPoに対して銀塩の形態で適用することが好ましい。銀塩の好ましい例としては、銀トリフラートが挙げられる。
【0022】
Ag-ESI法はイオン化の過程で加熱を含まない非常にソフトなイオン化方法のため、硫黄成分のみならず、極性レジンのようにヘテロ元素を多く含む画分であっても石油分子が会合した分布を高分子量側で観測することができる。Ag-ESI法の具体的な手法としては、例えば、3A+およびPoを含むメタノール/トルエン混合溶媒にAgトリフラートを添加して試料とし、2013 American Chimical Society, dx.doi/10.1021ef401897p, Energy Fuels, 2014, 28, 557-452に記載の手順に従い実施することができる。
【0023】
本発明の一実施形態においては、試料から得られるイオン分子または擬イオン分子は、FT-ICR MS(フーリエ変換イオンサイクロトロン共鳴方式による質量分析)により測定される。FT-ICR MSにより得られたスペクトルを「FT-ICR 質量分析スペクトル」ともいう。FT-ICR MSにおいては、m/zの値を小数点第4位まで決定することができる。そのため、原子の同位体の存在をも考慮した精密な質量の数合わせを行うことにより、そのピークに帰属する分子の分子式を決定することができる。
【0024】
また、本発明の好ましい実施形態によれば、FT-ICR MSにおいて、3A+およびPoについて、ESI法に加えて、大気圧光イオン化(APPI)法をさらに適用し、分子イオンまたは擬分子イオンを形成して、APPI法およびAg-ESI法により得られる情報を統合してもよい。APPI法が極性の低い芳香族成分を中心にイオン化をする一方、ESI法はイオン化可能な成分が芳香族分子に限らない。したがって、両者の検出に適する化合物の範囲は異なり、両データを統合することは、高精度の分析を行う上で有利である。したがって、本発明のより好ましい態様によれば、APPI法およびESI法に基づき特定される三環以上の芳香族分画分および極性レジン画分に関する分子イオンまたは擬分子イオンの情報を統合する。
【0025】
APPI法では、例えば、試料をトルエン溶液に溶解させ、スプレーされた液体試料を300~400℃程度で加熱気化させ、FT-ICR MSに適用する。APPI法は、非特許文献1に記載の方法に準じて実施してもよい。APPI法は、無極性の芳香族分子をイオン化する上で有利に利用することができる。
【0026】
また、本発明の一実施形態によれば、APPI法を併用する場合、測定対象に衝突誘起解離(Collision Induced Dissociation, CID)を適用することが好ましい。CIDを適用することは、測定対象中の会合分子ほぐし、単分子の分子量分布を観測することが好ましい。CIDを組み合わせて使用することは、会合分子を直接観測し、その組成の組み合わせを調べることにより、どのようなヘテロクラスが会合に関与するかの情報を取得し、より精度の高い分析結果を取得する上で有利に利用することができる。
【0027】
ステップ(b-2):FT-ICR MSにおける三環以上の芳香族分画分および極性レジン画分以外の画分についての、APPI法の実施(図1のS3)
また、本発明の一実施形態によれば、三環以上の芳香族分画分および極性レジン画分以外の各画分の一部または全部についてAPPI法を適用し、前記各画分を構成する成分の分子イオンまたは擬分子イオンを形成する。
【0028】
APPI法が適用される三環以上の芳香族分(3A+)および極性レジン(Po)以外画分としては、例えば、飽和分(Sa)、アスファルテン(As)、1環芳香族分(1A)、2環芳香族分(2A)、多環芳香族レジン(PA)等が挙げられるが、好ましくは1環芳香族分(1A)、2環芳香族分(2A)である。APPI法は、1A、2A等において高濃度で存在する無極性の芳香族分子を高精度で検出する上で有利である。
【0029】
なお、上述のS2ステップで説明した通り、APPI法とESI法を併用する場合には、APPI法は3A+およびPoにも適用してよく、本発明にはかかる態様も包含される。
【0030】
また、本発明の好ましい態様によれば、飽和分(Sa)、アスファルテン(As)、多環芳香族レジン(PA)については、マトリックス支援レーザー脱離イオン化(Matrix-AssistedLaser Desoprtion Ionization:MALDI)法、直接レーザーイオン化(LDI:Laser Desoprtion Ionization:LDI)法を適用し、分子イオンまたは擬分子イオンを得ることができるが、LDI法を適用することがより好ましい。LDIは、高分子量および高沸点の分子(例えば、704℃+)をイオン化する上で有利に利用することができる。
【0031】
また、本発明のより好ましい態様によれば、効率的なイオン化の観点から、飽和分(Sa)については、Ag-LDI法を適用し、分子イオンまたは擬分子イオンを得ることが好ましい。
【0032】
LDI法およびAg-LDI法は、例えば、Energy Fuel 2013、27,7348-7383の記載に準じて実施することができる。
【0033】
ステップ(c):FT-ICR MSよる分子イオンまたは擬分子イオンに対応する構造および濃度の特定(図1のS4)
FT-ICR MSにより、S3において得られる分子イオンまたは擬分子イオンに対応する構造および濃度を含む各画分組成情報を特定する。
【0034】
本発明の一実施形態によれば、FT-ICR MSは石油系に対する3つの化学情報レイヤーを通常提供することができる。第1のレベルは、ヘテロ原子クラス(または化合物クラス)、例えば、炭化水素(HC)、一硫黄分子(1S)、一窒素分子(1N)、二酸素分子(2O)、一窒素一酸素分子(1N1O)などである。第2のレベルは、Z数分布(または同族列分布)である。Zは、一般化学式CcH2c+ZNnSsOoの場合の水素欠損として定義される。Z数がより負になるほど、分子はより不飽和になる。他の一般に用いられる用語は、二重結合等価数(double bond equivalent)(DBE)と呼ばれる。典型的な石油系では、DBE=1-(Z-n)/2〔式中、nは、窒素原子の数である〕である。情報の第3のレベルは、各同族体の全炭素数分布または分子量分布である。化合物核構造が既知であれば、核の炭素数を引き算することにより、全アルキル側鎖情報を導出することが可能である。このような情報に基づき、FT-ICR MSによれば、測定試料から得られるイオンおよび擬イオン分子の構造および濃度を含む各画分組成情報を特定することが可能である。
【0035】
FT-ICR MSにおける分子イオンまたは擬分子イオンに対応する構造および濃度等の特定の詳細は、本出願人による特開2014-218643号公報および特表2020-502495号公報に基づいて実施することが可能である。
【0036】
ステップ(d):石油重質留分の組成を推定(図1のS5)
本発明の一実施形態によれば、ステップ(c)で得られた各画分組成情報に基づき、石油重質留分の組成を推定する。本ステップ、各画分組成情報を統合して、公知の演算プログラムを使用して石油重質留分の全組成の推算値を算出することができる。
【0037】
ステップ(e):石油重質留分の組成を推定(図1のS6)
本発明の一実施形態によれば、石油重質留分の元素分析情報を補正因子として用いて、石油重質留分の組成の推定値を調整する。
【0038】
各画分の元素組成は、ステップ(d)の石油重質留分の組成の推定値を最適化する際に、高精度で石油重質留分の全組成を推算するうえで補正因子として特に有利に利用することができる。補正因子として使用される元素組成は、好ましくは硫黄、窒素および酸素の組成である。また、補正因子は、より精度の高い推算値の補正の観点からは、硫黄原子を含み窒素原子を含まない複数の成分の量であることが好ましい。元素分析結果に基づき、補正因子を設けて石油重質留分の組成の推定値を最適化することは、例えば、後述する実施例で使用する公知の探索アルゴリズム(MATLAB等)に基づき実施することができる。
【0039】
<石油重質留分の分析装置およびシステム>
次に、
図2を参照して、本発明の石油重質留分の分析装置の一実施形態を説明する。
図2は、実施形態の石油の脱硫率の推算装置の機能ブロック図である。
なお、
図2では、情報の入力および出力を行うインタフェースの図示を省略している。
【0040】
本分析装置1は、画分提供部10と、フーリエ変換イオンサイクロトロン共鳴質量分析(FT-ICR MS)20と、組成推定部30と、組成補正部40とを有している。
【0041】
I.画分提供部
画分提供部10では、石油重質留分から、三環以上の芳香族分画分および極性レジン画分を少なくとも含む複数の画分を分離する。画分提供部は、各画分の性質に応じて分離を実施しうるHPLC等の公知のカラムクロマトグラフィー装置により構成することができる。
【0042】
II.FT-ICR MS
FT-ICR MS20は、イオン化部21と、各画分組成情報分析部22とから構成することができる。イオン化部21は、APPI法、Ag-ESI法、LDI法、およびAg-LDI法等の種類を選択できるように単数または複数のイオン化装置を備えていてもよく、イオン化装置は、シリンジ、ネブライザー(Nebulizer)、ベイポライザー(Vaporizer)、ランプ(UVランプ等)を備え、キャピラリー等によりFT-ICR MS21の本体部分の質量分析計に接続していてもよい。
【0043】
また、各画分組成情報分析部22は、フーリエ変換イオンサイクロトロン共鳴質量分析計と、石油成分についての情報がデータベースとして格納された記憶部と、演算部とから構成することができ、質量分析計により取得された各成分の情報と、記憶部に格納された情報とに基づき、演算部において各成分の各分組成情報分析することがである。演算部および記憶部には、例えば、本出願人による特開2014-218643号公報および特表2020-502495号公報に記載のデータベースおよびプログラム(多成分凝集モデル(Multi-Component Aggregation Model:MCAM)、JACD (ジャックディー)(Juxtaposed Attributes for Chemical-structure Description)等)が記憶され、各画分の組成情報の分析が実施される。
【0044】
III.組成推定部
全組成推定部30では、各画分組成情報分析部22から取得される各画分組成情報に基づき、石油重質留分の全組成を推定する。組成推定部は、公知の演算装置によって構成することができる。
【0045】
IV.組成推定部
組成推定部40では、全組成推定部30で取得した石油重質留分の全組成の推定値を、石油重質留分の元素分析情報を補正因子として用いて最適化する。組成推定部40は、元素分析情報を記憶する記憶部を有していてもよく、公知の演算装置によって構成することができる。全組成推定部と組成補正部とは、一つの演算装置により一体的に構成してもよい。
【0046】
また、本発明の一実施形態によれば石油重質留分の分析装置の各部は、一体的に構成していてよいが、各部を所望により別体として構成してもよい。このような独立した各部により石油重質留分の分析を実施する場合、分析装置は、石油重質留分の全組成を推算するシステムとして提供することができる。本明細書において、システムとは、複数の装置の論理的集合構成であり、各構成の装置が同一筐体内にあるものに限定されるものではない。
【0047】
したがって、本発明の別の態様によれば、石油重質留分の分析システムであって、
(a)石油重質留分から分離された、三環以上の芳香族分画分および極性レジン画分を少なくとも含む複数の画分を準備する画分提供部、
(b)フーリエ変換イオンサイクロトロン共鳴質量分析(FT-ICR MS)において、各画分を構成する成分の分子イオンまたは擬分子イオンを形成するイオン化部であって、
三環以上の芳香族分画分および極性レジン画分について、銀イオンの存在下でエレクトロスプレーイオン化法(ESI)法を適用し、かつ
三環以上の芳香族分画分および極性レジン画分以外の画分の一部または全部について、大気圧光イオン化(APPI)法を適用する、イオン化部、
(c)FT-ICR MSにより、分子イオンまたは擬分子イオンの構造および濃度を含む各画分組成情報を特定する各画分組成情報分析部、および
(d)各画分組成情報に基づき、石油重質留分の組成を推定する組成推定部
を備えた、分析システムが提供される。
【0048】
<脱流率の推算コンピュータプログラム等>
本発明において、石油重質留分の分析システムの一連の処理は、ハードウェアまたはソフトウェア、またはこれらを複合した構成によって実行することができる。ソフトウェアによる処理を実行する場合には、処理シーケンスを記録したプログラムを、専用のハードウェアに組み込まれたコンピュータ内のメモリにインストールして実行させるか、各種処理が実行可能な汎用コンピュータにプログラムをインストールして実行させることができる。
【0049】
例えば、プログラムは、記録媒体としてのハードディスクやROMに予め記録しておくことができる。また、プログラムは、フレキシブルディスク、CD-ROM、MOディスク、DVD、磁気ディスク、半導体メモリなどのリムーバブル記録媒体に、一時的または永続的に格納(記録)しておくことができる。
【0050】
なお、プログラムは、上述したようなリムーバブル記録媒体からコンピュータにインストールする他に、ダウンロードサイトから、コンピュータに無線転送したり、LAN、インターネットといったネットワークを介して、コンピュータに有線で転送したりでき、コンピュータでは、そのようにして転送されてくるプログラムを受信し、内蔵するハードディスクなどの記録媒体にインストールすることができる。
【0051】
本発明の方法は、上記コンピュータプログラムを内部記憶装置に記憶したコンピュータで好適に実施することができる。
【0052】
また、本明細書に記載された各種の処理は、記載に従って時系列に実行されるだけではなく、処理を実行する装置の処理能力や必要に応じて並列的にまたは個別に実行されてもよい。
【実施例】
【0053】
以下、本発明を実施例により説明するが、本発明はこれら実施例に限定されない。
【0054】
試料および試薬
Ag-ESI測定
超重質原油(AR)を7画分(Sa、1A、2A、3A+、Po、PA、As)に分画して得た3A+、Poを対象試料として選択した。メタノールとトルエンは市販品(いずれも富士フィルム和光純薬株式会社製HPLCグレード)を使用した。銀トリフラートは市販品(AgOTf、純度99%以上、シグマ・アルドリッチ・ジャパン合同会社製)を使用した。重質原油ARの画分サンプル(3A+、Po)はトルエン/メタノール混合溶媒(体積比1:1)に溶解させ、最終濃度を500μg/mLとし、AgOTfを50μg/mLの濃度で加えて測定溶媒とした。
APPI法
APPI測定でも超重質原油ARの3A+、Poを対象試料とし、トルエン(HPLCグレード)に溶解させて最終濃度を100μg/mLとした。
【0055】
装置
調製した試料は12テスラの超電導マグネットを備えたFT-ICR MS(solariX 12T、ブルカージャパン株式会社製)に付属のAPPIソースとESIソースを組み合わせて測定した。測定した質量電荷比(m/z)の範囲は200~3000であり、4MWordの時間領域データを100~400回の範囲で積算してS/Nを向上させた。APPIとESIの測定はいずれも正イオンモードで実施した。また、いずれの場合も外部標準試薬(APCI、ESI Low Concentration Tuning Mix、アジレント・テクノロジー株式会社製)を用いたキャリブレーションを測定前に行った。試料溶液はシリンジポンプで送液し、送液速度はESIで180μL/h、APPIで400μL/hとした。なお、ESI測定は石油分子の二量体分布が観測されるほどソフトなイオン化方法のため、観測される多量体分布が消失する程度のエネルギーで衝突誘起解離を用いた測定も実施し、その結果を単量体の分布とした。
【0056】
データ解析
ピーク検出、リキャリブレーションはComposer(Sierra Analytics社製)を用いて行った。試料はN、O、Sの3元素に関して元素分析を実施し、FT-ICR MSで検出される量との比較を行った。さらに、各ヘテロ原子クラスに関してDBE vs 炭素数のアバンダンス等高線図を作成するため、各元素組成(CnHhNnOoSs)に関してヘテロクラス(NnOoSs)やタイプ(DBE)、炭素数を集計した。
【0057】
例1:APPI法とAg-ESI法の比較
FT-ICR MSにおいて、APPI法またはAg-ESI法を用いた場合の検出感度の比較を実施した。
【0058】
APPI法とAg-ESI法で観測した超重質原油の常圧残渣(AR)の3A+(芳香族3環以上)のヘテロクラス分布を以下の表1に従い比較した。
【0059】
【0060】
結果は、
図3に示される通りであった。
APPI法では1価のラジカルカチオンが主として観測される他、プロトン付加([H])によって1価正イオンとなったものが少量観測された。
一方で、Ag-ESI法ではAg+が付加した成分のみをデータ解析の対象とした。Ag-ESI法ではヘテロクラス(S原子を含みN原子を含まないクラス)の量が格段に増加している様子が確認された。
【0061】
ヘテロクラスの内訳をAPPI法とAg-ESI法で比較すると、APPI法ではS原子を単独で含んだクラス(S、S2)が主として観測されている一方、Ag-ESI法ではこれらの他にO原子とS原子の両方を含んだクラス(OS、OS2)が高いアバンダンスで含まれていた。このことから、Ag-ESI法はAPPI法がアクセス困難なO原子とS原子を両方含む成分に関する情報を補うものとが考えられる。
【0062】
APPI法とAg-ESI法で観測したARのPo(極性レジン)のヘテロクラス分布を比較した。結果は、
図4に示される通りであった。
図4に示される通り、Ag-ESI法がO原子とS原子の両方を含むクラスを効率的にイオン化できる様子は極性成分を多く含むPoでさらに顕著であった。
【0063】
検出されるS化合物の範囲を分子の炭素数や不飽和度(Double bond equivalent, DBE)の観点で確認するため、
図3で主成分に分類されたヘテロクラスのDBEプロットを作成し比較を行った。結果は、
図5に示される通りであった。
図5Aは、APPI法で観測した超重質原油AR_3A+のDBEプロットである。
図5Bは、Ag-ESI法で観測した超重質原油AR_3A+のDBEプロットである。
図5Cは、APPI法とAg-ESI法結果を統合した超重質原油AR_3A+のDBEプロットである。
【0064】
DBEプロットは観測された全成分の総和でのカラーバーを基準にしてS含有クラスの分布を表示した。
図5からわかるように、APPI法では炭素数が15~75程度、Ag-ESI法では15~70弱程度の範囲であり、両者の分子量範囲はほぼ同等であった。DBEの範囲を比較すると、APPI法ではDBEが4を下回る成分がほとんど検出できないが、Ag-ESI法ではこれらの成分が高い感度で検出できていることがわかる。APPI法はKrランプから照射される紫外線が10eVのため、芳香族1環(DBE=4)よりも低い不飽和度の分子をイオン化するのが原理的に困難となる。Ag-ESI法ではそのような制約が無く、低不飽和度のS化合物に関してもアクセス可能となっている。低不飽和度のS化合物の形態としては、原料油の場合はシクロアルカンにS原子がスルフィドの化学形態で含まれていることが考えられる。このことから、Ag-ESI法はスルフィドの形態を含んだS化合物に関する情報を補うことが考えられる。Ag-ESI法はDBE範囲の分布中心がDBE=8付近であるのに対し、APPI法はDBE=14付近となっており、DBE範囲の上限も5程度高い。APPI法はDBEの高い芳香族成分をAg-ESI法よりも効率的に観測している。このように、APPI法とAg-ESI法はそれぞれ互いを補う成分を含んでおり、両者のデータを統合することでS化合物検出範囲が拡大されると考えられる。
図5Cには両者のデータを1つに統合して作成したS含有クラスのDBEプロットを示す。これにより、3A+とPoにおいてS化合物の検出範囲を広げ、検出感度を格段に向上した。
【0065】
APPI法とAg-ESI法、統合データからそれぞれ算出されるヘテロ原子の含有量を元素分析結果と比較したものを表2および表3に示す。これを見ると、APPI法におけるS元素量の過小評価は3A+よりもPoで顕著である。Ag-ESI法はPoにおいても元素分析結果を上回る感度でS化合物を検出している。N元素量を見ると、いずれのイオン化方法においても元素分析結果とほぼ一致している。O原子は元素分析結果では3A+で0.80wt%、Poでは3.00wt%も含まれているが、APPI法はこれを過小評価する結果となっている。このため、APPI法でS元素量が過小評価される一因として、O原子とS原子の両方を含む化合物を効率的にイオン化できていないことが考えられる。一方、Ag-ESI法はイオン化がS原子部分へのAg+付加で起こるため、O原子の有無にかかわらずS化合物が高い感度で検出できたものと推測される。
【0066】
【0067】
【0068】
APPI法とAg-ESI法のデータを1つに統合したままでは、ヘテロクラスのアバンダンスは元素分析結果と整合のとれるものとはならない。特に、S量は感度が高く、O量は過小評価されている傾向がある。これらのヘテロクラスの補正因子を調節し、より整合のとれる結果へ近付けるために補正の検討を行った。具体的には次のように最適化計算を実施した。統合データのヘテロクラスを補正対象として
図6のように各カテゴリーへ分類した。それらに補正因子を設けて元素分析結果との差異が最小となるような探索アルゴリズムをMATLABプログラム(MathWorks社)で作成した。
【0069】
その際、少ない観測量が極端な拡大説明に用いられるような数値的偶然性を排除するため、補正因子の調節範囲は0.5~2とし、調節対象は各カテゴリーのアバンダンスで上位3つまでとした。以上が今回の最適化計算に適用した制約条件である。補正因子として使用しうるヘテロクラスの候補を示すグラフを
図7に示す。また、超重質原油AR_3A+、Poで実施した最適化後の各元素量を比較したものを表4に示す。表4では、特に、3A+では、最適化後の結果が良い一致を示した。Poにおいても最適化の結果がより一致する傾向が確認された。
【0070】
【0071】
上記と全く同様の最適化計算の比較を、超重質原油ARの脱硫生成油から得た3A+、Poで比較したものを表5に示す。生成油の場合も一致の程度は原料と同様の傾向を示しており、上記のような補正であってもヘテロクラスのアバンダンスが元素分析で観測される量とある程度整合のとれる量へ調節できることが示された。
【0072】
【0073】
上記イオン化方法の検討では、APPI法とAg-ESI法を組み合わせることにより包括的なS化合物の検出範囲を実現し、さらにヘテロクラスの補正因子を補正することによりバルクの元素分析結果へより整合する結果を算出した。APPI法はS原子とO原子の両方を過小評価していることが分かったが、APPI法で測定すると脱硫生成油ではS原子を単独で含むクラス(SやS2)が減少する一方、S原子とO原子の両方を含んだクラスはこれらに比べて難脱のため生成油中に残り、さらにAPPI法でのアクセスが困難だったためS量(とO量)の過小評価が起こったことが推察される。Ag-ESI法はこれらのヘテロクラスを補うことのできるイオン化方法であることが分かった。
【0074】
以上の結果から、3環以上の芳香族分や極性レジンの画分においてS化合物の検出感度が向上し、さらに芳香環を持たない低不飽和度のS化合物(スルフィド)にも本法がアクセス可能であることが判明した。また、APPI法が効率的に検出のできないO原子とS原子を両方含んだ化合物も高い感度で検出可能であることが確認された。APPI法とAg-ESI法の結果を組み合わせて従来よりもS化合物の検出範囲を広げ、その上でヘテロクラスの補正因子を最適化することにより、バルクの元素分析結果と整合のとれる補正が可能であることが判明した。