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  • 特許-軟窒化鋼部材の製造方法 図1
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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2023-11-14
(45)【発行日】2023-11-22
(54)【発明の名称】軟窒化鋼部材の製造方法
(51)【国際特許分類】
   C23C 8/32 20060101AFI20231115BHJP
   C21D 1/06 20060101ALI20231115BHJP
   C21D 1/76 20060101ALI20231115BHJP
   C23C 8/26 20060101ALI20231115BHJP
   C23C 8/34 20060101ALI20231115BHJP
【FI】
C23C8/32
C21D1/06 A
C21D1/76 R
C23C8/26
C23C8/34
【請求項の数】 6
(21)【出願番号】P 2019211494
(22)【出願日】2019-11-22
(65)【公開番号】P2021080551
(43)【公開日】2021-05-27
【審査請求日】2022-09-02
(73)【特許権者】
【識別番号】000000974
【氏名又は名称】川崎重工業株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】110000556
【氏名又は名称】弁理士法人有古特許事務所
(72)【発明者】
【氏名】行徳 裕也
(72)【発明者】
【氏名】小鯛 亜紀
【審査官】菅原 愛
(56)【参考文献】
【文献】特開2018-059195(JP,A)
【文献】特開2007-056368(JP,A)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C23C 8/00
C21D 1/06
C21D 1/76
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
鋼部材を、軟窒化雰囲気中において、500℃以上600℃以下の一段目処理温度で、90分以上300分以下の一段目処理時間だけ保持することにより、前記鋼部材に一段目窒化処理を施すステップ、及び、
前記一段目窒化処理された前記鋼部材を、窒化雰囲気中において、前記一段目処理温度よりも低い二段目処理温度で、30分以上120分以下の二段目処理時間だけ保持することにより、前記鋼部材に二段目窒化処理を施すステップ、を含み、
前記軟窒化雰囲気の窒化ポテンシャルは、前記一段目処理温度において前記鋼部材の表面にε相の鉄窒化化合物層が生成する第1窒化ポテンシャルであり、
前記窒化雰囲気の窒化ポテンシャルは、前記二段目処理温度において前記鉄窒化化合物層がε相からγ’相に構造相転移する第2窒化ポテンシャルである、
軟窒化鋼部材の製造方法。
【請求項2】
前記第1窒化ポテンシャルが1.0以上10以下である、
請求項1に記載の軟窒化鋼部材の製造方法。
【請求項3】
前記第2窒化ポテンシャルが0.3以上0.5以下である、
請求項1又は2に記載の軟窒化鋼部材の製造方法。
【請求項4】
前記二段目処理温度は、450℃以上570℃未満である、
請求項1~3のいずれか一項に記載の軟窒化鋼部材の製造方法。
【請求項5】
前記二段目処理温度は、前記二段目処理時間に亘って一定である、又は、前記二段目処理時間をかけて漸次減少する、
請求項1~4のいずれか一項に記載の軟窒化鋼部材の製造方法。
【請求項6】
前記軟窒化雰囲気が、NHガス及びCOガスから成り、
前記窒化雰囲気が、NHガス及び雰囲気調整ガスからなる、
請求項1~5のいずれか一項に記載の軟窒化鋼部材の製造方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、表面に鉄窒化化合物層が形成された軟窒化鋼部材及びその製造方法に関する。
【背景技術】
【0002】
従来から、鋼部材の表面硬化処理法の一つとして、ガス軟窒化処理が知られている。ガス軟窒化処理は、一般に、アンモニア及び浸炭性ガスを含む処理雰囲気の炉内で鋼部材を500~600℃の温度域で保持することにより、鋼部材の表面に窒素と炭素とを同時に侵入・拡散させるものである。拡散した窒素は鉄窒化物から成る高硬度な鉄窒化化合物層(以下、単に「化合物層」と称する)と、化合物層より母材内側において窒素が侵入・拡散した窒素拡散層を形成し、鋼部材の疲労強度、耐摩耗特性を向上させる。
【0003】
化合物層を形成する鉄窒化物は、ε相(Fe2-3N)及びγ’相(FeN)を含む。γ'相の結晶構造はFCC(面心立方格子)であり、12個のすべり系を有するため、結晶構造自体が靭性に富む。更に、γ’相は微細な等軸晶組織を形成するため、疲労強度に優れる。一方、ε相の結晶構造はHCP(六方最密格子)であり、底面すべりが優先されるため、結晶構造自体に変形しにくく硬くて脆いという性質がある。更に、ε相は粗大な柱状晶組織を形成するため、γ’相と比較して疲労強度に劣る。
【0004】
通常、処理雰囲気が制御されないガス軟窒化処理において、鋼部材の表面に形成される化合物層は、ε相を主体としたポーラス層と、その下に形成された緻密層から成る。ε相主体のポーラス層は脆くて剥離しやすく、ピッチング(最表層の化合物層が剥離する問題)などの疲労破壊の起点となることがあった。そこで、特許文献1では、軟窒化処理により鋼材の表面に形成された化合物層の最表層部(即ち、ポーラス層)を研磨により除去することにより、耐ピッチング性に優れた摺動部材を製造する方法が提案されている。
【0005】
近年のガス軟窒化処理では、化合物層に生成する相を目的に合わせたものとするために、処理雰囲気の窒化ポテンシャルKの制御(K制御)が行われることがある。窒化ポテンシャルKと生成相との関係を把握するために、Lehrer図が利用される。Lehrer図は、温度と窒化ポテンシャルKとを軸とした平衡状態図であって、この図からα相、γ'相、ε相のいずれかの相が鉄表面で安定となるかを判定できる。なお、窒化ポテンシャルKは、NHガスの分圧PNH3と、Hガスの分圧PH2との比率により、周知の式(1)で表される。
=PNH3/(PH21.5 ・・・(1)
【0006】
特許文献2では、所定の組成の鋼部材(母材)を用いるとともに、ガス窒化処理の処理雰囲気をγ’相主体の化合物層が生成する条件とすることにより、ε相主体の化合物層と比較して疲労強度に優れるγ’相主体の化合物層を母材表面に生成させることが提案されている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0007】
【文献】特開2002-97563号公報
【文献】国際公開WO2013/157579号パンフレット
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
特許文献1のように、化合物層のポーラス層部分が除去されても、ε相主体の緻密層は硬くて脆く、また、残存するポーラスが疲労破壊の起点となる蓋然性を否定できない。
【0009】
一方で、ポーラス層は、摺動部材等においては潤滑油溜まりとして機能することから、ポーラス層を残存したいという要望もある。ポーラスは鋼中に侵入した窒素がガス化したもので、Kが高いほどポーラスが生成しやすい。特許文献2のようにKを低く制御してγ'相を主体とする化合物層を生成する処理条件では、ε相の発生が抑制されるがポーラスも生じにくいと考えられる。
【0010】
本発明は以上の事情に鑑みてなされたものであり、その目的は、ポーラス状組織部分を残存しつつ疲労強度(耐ピッチング性)に優れた鉄窒化化合物層が形成された軟窒化鋼部材及びその製造方法を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0011】
本発明の一態様に係る軟窒化鋼部材の製造方法は、
鋼部材を、軟窒化雰囲気中において、500℃以上600℃以下の一段目処理温度で、90分以上300分以下の一段目処理時間だけ保持することにより、前記鋼部材に一段目窒化処理を施すステップ、及び、
前記一段目窒化処理された前記鋼部材を、窒化雰囲気中において、前記一段目処理温度よりも低い二段目処理温度で、30分以上120分以下の二段目処理時間だけ保持することにより、前記鋼部材に二段目窒化処理を施すステップ、を含み、
前記軟窒化雰囲気の窒化ポテンシャルは、前記一段目処理温度において前記鋼部材の表面にε相の鉄窒化化合物層が生成する第1窒化ポテンシャルであり、
前記窒化雰囲気の窒化ポテンシャルは、前記二段目処理温度において前記鉄窒化化合物層がε相からγ’相に構造相転移する第2窒化ポテンシャルであることを特徴としている。
【0012】
上記軟窒化鋼部材の製造方法によれば、一段目窒化処理で、鋼部材の表面にε相の鉄窒化化合物層を生成させ、二段目窒化処理で鉄窒化化合物層の表層部分をγ'相に構造相転移させることにより、化合物層厚さが十分であり且つ表面が靭性に優れた鉄窒化化合物層を鋼部材の表面に比較的短い処理時間で生成させることができる。
【発明の効果】
【0015】
本発明によれば、最表層のポーラス状組織部分を残存しつつ疲労強度に優れた鉄窒化化合物層が形成された軟窒化鋼部材及びその製造方法を提供することができる。
【図面の簡単な説明】
【0016】
図1図1は、本発明に係る軟窒化鋼部材の表面部分のフェーズマップである。
図2図2は、処理炉の構成を示す図である。
【発明を実施するための形態】
【0017】
次に、図面を参照して本発明の実施の形態を説明する。
【0018】
〔軟窒化鋼部材10の構造〕
図1は本発明に係る軟窒化鋼部材10の表面部分のフェーズマップである。図1に示すように、軟窒化鋼部材10は、鋼からなる母材表面に鉄窒化化合物層(以下、単に「化合物層30」と称する)が形成されたものである。化合物層30は、最表層部31aを形成するポーラス状組織部分を含む表層31と、表層31よりも深層部を形成する緻密層32とを含む。ポーラス状組織部分は、脆く微細な空隙が鎖状に連結した構造を有する。
【0019】
上記「鉄窒化化合物」とは、ガス軟窒化処理によって母材表面に形成されるγ’相-FeNやε相-Fe2-3Nに代表される鉄の窒化化合物をいう。本発明に係る軟窒化鋼部材10では、母材表面にγ’相及びε相からなる化合物層30が形成されている。化合物層30の直下の母材は、母材中に窒素が侵入・拡散した窒素拡散層40となっており、母材芯部と比べて硬度が高い。
【0020】
(鋼部材20)
軟窒化鋼部材10の母材となる鋼部材20は、JIS B 6915「鉄鋼の窒化及び軟窒化加工」の「加工材料」に規定される鋼材を使用することができる。
【0021】
(化合物層30)
軟窒化鋼部材10の化合物層30の表面からの厚さ(以下、「化合物層厚さCL」と称する)は、3.0μm以上25.0μm以下であり、好ましくは、10.0μm以上20.0μm以下である。化合物層厚さCLの下限値は、最表層部31aにポーラス状組織部分を有するうえで十分な耐摩耗性を備えるために、3.0μm以上が望ましい。化合物層厚さCLの値は、窒化処理時間の長さに応じて大きくなる。化合物層厚さCLが厚いと疲労(ピッチング)に対する感受性が強くなり、薄い方が有利である。この観点から、化合物層厚さCLの上限値は、25.0μm以下が好ましい。
【0022】
化合物層30の結晶相分布は、EBSD(Electron BackScatter Diffraction)によって生成されるフェーズマップ(図1、参照)によって知ることができる。このフェーズマップは、試験品の被検面が研磨され、この被検面がEBSD装置で撮像及び解析されることによって作成される。図1に示すフェーズマップでは、被検面のSEM写真上に、結晶相分布の解析結果が色付けにより表されている。フェーズマップに含まれる被検面のSEM写真から、化合物層30の表面からの厚さを測定することができる。軟窒化鋼部材10において化合物層30と窒素拡散層40との境界は、ε相とα相との境界でもあり、フェーズマップ上で容易に判別することができる。フェーズマップの視野内の化合物層30の表面からの厚さの平均値を化合物層厚さCLとする。但し、化合物層厚さCLの測定方法は上記に限定されず、JIS G 0562「附属書 化合物層深さ及び拡散層深さ測定方法」の「金属組織試験による測定方法」に従って化合物層厚さCLが測定されてもよい。
【0023】
(γ’相とε相の体積割合)
化合物層30において、γ'相の体積割合をVγ'とし、ε相の体積割合をVεとしたときに、γ’体積分率はVγ'/(Vγ'+Vε)で表される。EBSDによって、化合物層30の厚さ方向断面のγ’相とε相の相分布解析を、幅100μm×3視野で行って、VεとVγ'とを得て、これらからγ’体積分率を求めることができる。
【0024】
(表層31)
化合物層30において、表層31と緻密層32との境界に明確な定義はないが、ここでは、フェーズマップ(図1、参照)に示されるように、γ'相が急激に減少する領域を表層31と緻密層32との境界とする。
【0025】
表層31は、γ’体積分率が0.9以上の最表層部31aを有する。化合物層30の表面から0.5μmまで(望ましくは、3.0μmまで)の厚さの範囲を、最表層部31aとしてよい。最表層部31aのγ’体積分率は、0.9以上1以下であり、1に近いほど望ましい。つまり、化合物層30は、最表層部31aにほぼγ相から成るポーラス状組織を有する。
【0026】
表層31の全体のγ’体積分率は、0.6以上であり、1に近いほど望ましい。つまり、化合物層30は、γ’相を主体とした表層31を有する。表層31のγ’体積分率の下限値は、最表層部31aがポーラス状であることを踏まえて十分な疲労強度を備える観点から規定される。
【0027】
(緻密層32)
緻密層32のγ’体積分率は、0.5未満である。つまり、化合物層30は、ε相を主体とした緻密層32を有する。ε相は、γ’相と比較して結晶構造的に耐剥離性に劣るものの、γ’相よりも硬質なため耐摩耗性に優れる。仮に、表層31が摩耗しても、その下に耐摩耗性に優れた緻密層32が存在することで、化合物層30全体としての耐摩耗性も確保することができる。
【0028】
〔軟窒化鋼部材の製造方法〕
上記構成の軟窒化鋼部材10の製造方法は、昇温工程、一段目窒化工程、移行工程、二段目窒化工程、及び、冷却工程を含む。ここでは、軟窒化鋼部材10の製造工程の各工程がピット式の1つの処理炉5で行われる。但し、軟窒化鋼部材10の製造は、バッチ式又は連続式の処理炉で行われてもよい。また、移行行程が省略されてもよい。また、一段目窒化工程と二段目窒化工程は連続的に行われなくてもよい。
【0029】
図2は、軟窒化鋼部材10の製造に用いられる処理炉5の一例の概略構成図である。図2に示す処理炉5は、内部に処理室50を有する。この処理室50内で鋼部材20に対し窒化処理が施される。処理炉5は、ヒータ51と、処理対象物である鋼部材20の近傍の雰囲気の温度を検出する温度センサ55と、温度制御器56とを備える。温度調整器56は、温度センサ55で検出された温度に基づいて、所望の温度となるようにヒータ51の出力を制御する。
【0030】
処理室50内には処理ガスが供給される。処理室50には、Nガス、NHガス、Hガス、及びCOガスの供給源が接続されている。各ガスの供給路には、流量調整弁63が設けられており、各ガスの供給流量を個別に調整することができる。処理ガスは、Nガス、NHガス、Hガス、及びCOガスのうち少なくとも一つを含む。処理ガスの構成は、工程に応じて決定されている。
【0031】
処理室50内の窒化ポテンシャルKを制御するために、H2センサ61、及び、K制御器62が設けられている。H2センサ61では、処理室50内で分解されたNHガスから発生するHガスの濃度が検出される。K制御器62は、検出されたHガスの濃度に基づいて、狙いの窒化ポテンシャルKとなるように処理ガスとして供給されるガス種類及びガス流量を決定し、各流量調整弁63を動作させる。
【0032】
処理室50の天井には攪拌翼53が設けられている。攪拌翼53によって、処理室50内の処理ガスが攪拌されることによって鋼部材20の加熱温度が均一化され、また、鋼部材20にあたる処理ガスの風速が制御される。
【0033】
表1には、軟窒化鋼部材の各製造工程の、処理時間、処理室温度(目標温度)、窒化ポテンシャルK、及び、処理ガスの構成が示されている。なお、空欄は「特定なし」を表す。
【0034】
【表1】
【0035】
(昇温工程)
昇温工程では、処理室50内が一段目処理温度まで昇温される。昇温工程が始まる前に処理室50に鋼部材20が導入され、昇温工程が開始されると、NHガス及びNガスからなる処理ガスが処理室50内へ供給され、ヒータ51で加熱される。一段目処理温度T1は、500℃以上600℃以下である。一段目処理温度T1が500℃に満たないと、次の一段目窒化工程における化合物層30の形成速度が遅くなり、化合物層30が所望の厚さとなるまでの処理時間が長くなって経済的ではない。また、一段目処理温度が600℃を超える温度で軟窒化処理を行うと組織がオーステナイト化するので望ましくない。なお、鋼部材20は処理室50に導入される前に、汚れや油を除去するための洗浄(前処理)が行われることが好ましい。洗浄としては、炭化水素系の洗浄液で油などを溶解置換させ、蒸発させることで脱脂乾燥させる真空洗浄、アルカリ系の洗浄液で脱脂処理するアルカリ洗浄などが例示される。
【0036】
(一段目窒化工程)
一段目窒化工程では、鋼部材20に一段目窒化処理であるガス軟窒化処理が施される。ここで、鋼部材20は、軟窒化雰囲気中において、一段目処理温度T1で、一段目処理時間t1だけ保持される。
【0037】
軟窒化雰囲気の窒化ポテンシャルKは、第1窒化ポテンシャルK1とされる。第1窒化ポテンシャルKN1は、一段目処理温度T1において鋼部材20の表面にε相の鉄窒化化合物層が生成する範囲の窒化ポテンシャルKである。第1窒化ポテンシャルK1を決定するために、Lehrer図が利用される。なお、Lehrer図は、鉄に含まれる炭素の量によって様相が異なることが知られているが、近似的に純鉄のLehrer図が利用されてもよい。純鉄のLehrer図においてγ’-ε線、及び、γ―ε線よりも窒化ポテンシャルKの高い領域がε相の窒化化合物生成領域である。第1窒化ポテンシャルK1は、一段目処理温度T1と対応してε相の窒化化合物生成領域に含まれる窒化ポテンシャル値から決定される。一段目処理温度T1において、ε相の鉄窒化化合物は、γ’相の鉄窒化化合物と比較して、窒素の組成幅が大きいため、成長速度が大きいという特徴がある。そこで、一段目窒化処理では、化合物層30を短い時間で厚く成長させるために、ε相の成長速度を利用する。一段目処理温度T1は500℃以上600℃以下であるから、第1窒化ポテンシャルK1は概ね1.0以上10以下であってよい。
【0038】
軟窒化処理ガスとして、NHガス及びCOガスが処理室50へ供給される。一段目窒化工程では、窒化ポテンシャルKが特定の値ではなく、ε相の窒化化合物生成領域に維持されていればよい。そのため、KN調整器62による窒化ポテンシャル制御を行わずに、NHガス及びCOガスが一定の供給量で供給されてもよい。
【0039】
化合物層30の厚さは処理時間の長さに影響を受けることから、一段目処理時間t1の下限値は、化合物層厚さCLが所定の大きさとなるために必要な時間として決定される。また、一段目処理時間t1の上限値は、特に制限されないが、化合物層厚さCLが所定の大きさとなるために十分な時間であれば足り、それより長い処理時間は経済的ではないばかりか、窒素拡散層40に形成される圧縮残留応力や硬さの低下を招く。このような観点から、一段目処理時間t1は90分以上300分以下であってよい。
【0040】
(移行工程)
移行行程では、処理室50へのNHガス及びCOガスの供給を停止し、Hガス及びNガスを供給することにより、処理室50内の雰囲気を、軟窒化雰囲気から、二段目窒化処理の窒化雰囲気へ移行させる。移行行程は必須ではない。
【0041】
窒化雰囲気の窒化ポテンシャルKは、第2窒化ポテンシャルK2である。移行行程では、処理室50内の窒化雰囲気の窒化ポテンシャルKが、第2窒化ポテンシャルK2に制御される。また、ヒータ51により、処理室50内の温度が二段目窒化工程開始時の温度(二段目処理温度T2)に制御される。
【0042】
第2窒化ポテンシャルK2は、二段目処理温度T2において鋼部材20の表面の鉄窒化化合物層がε相からγ’相に構造相転移する範囲の窒化ポテンシャルである。第2窒化ポテンシャルK2を決定するために、Lehrer図が利用される。純鉄のLehrer図が近似的に利用されてもよい。純鉄のLehrer図においては、γ’-ε線、γ’-α線、及び、γ’-γ線で囲まれた領域がγ’相の窒化化合物生成領域である。第2窒化ポテンシャルK2は、二段目処理温度T2と対応してγ’相の窒化化合物生成領域に含まれる窒化ポテンシャル値から決定される。
【0043】
二段目処理温度T2は、450℃以上、且つ、一段目処理温度T1未満である。二段目処理温度T2が450℃に満たないと、二段目窒化工程においてε相からγ'相への構造相転移の速度が遅くなるか、十分に生じない。一方、二段目処理温度T2が一段目処理温度T1以上であると、高温領域で優勢なε相が生成されやすくなる。純鉄のLehrer図から明らかなように、γ’相の窒化化合物生成領域は右下がりとなっており、高温領域でγ’相を生成するためには第2窒化ポテンシャルK2を更に低下させる必要があるが、窒化ポテンシャルKが低くなるに従って移行時間が長くなり、不経済となる。二段目処理温度T2は、二段目処理時間t2に亘って一定であってもよいし、二段目処理時間t2をかけて所定の値まで漸次減少してもよい。
【0044】
上記の二段目処理温度T2に対応してγ’相の窒化化合物生成領域となる窒化ポテンシャルKは概ね0.25~0.80であるが、第2窒化ポテンシャルK2は、0.30以上0.50以下、更には、0.30以上0.35以下が望ましい。第2窒化ポテンシャルK2が0.30より小さいと、α相が生じやすくなる。第2窒化ポテンシャルK2が0.50より大きいと、ε相からγ'相への構造相転移が進みにくくなる。
【0045】
(二段目窒化工程)
二段目窒化工程では、ε相主体の化合物層30が表面に形成された鋼部材20に対し二段目窒化処理が施される。ここで、鋼部材20は、窒化雰囲気中において、二段目処理温度T2で、二段目処理時間t2だけ保持される。この二段目窒化処理によって、化合物層30は、処理ガスと接触している表面から雰囲気の窒化ポテンシャルKと平衡するように、ε相が保たれる又はγ'相へ構造相転移する。
【0046】
二段目窒化工程では、Hガス及びNガスの供給が停止され、窒化処理ガスとしてNHガス及び雰囲気調整ガスが供給される。窒化雰囲気の窒化ポテンシャルKは、第2窒化ポテンシャルK2に制御される。雰囲気調整ガスは、H及びNのうち少なくとも一方であってよい。また、雰囲気調整ガスが不要な場合もある。
【0047】
化合物層30においてε相からγ'相へ構造相転移する部分の厚さは処理時間の長さに影響を受ける。二段目処理時間t2の下限値は、ほぼγ’相からなる最表層部31aの厚さを確保するために必要な時間に基づいて決定される。また、二段目処理時間t2の上限値は、一段目処理時間t1より短ければ特に制限されないが、長い処理時間は経済的ではないばかりか、窒素拡散層40に形成される圧縮残留応力や硬さの低下を招く。以上から、二段目処理温度T2は、30分以上120分以下が望ましい。但し、表層31の厚さを更に大きくするために、二段目処理温度T2は120分を超えてもよい。
【0048】
(冷却工程)
冷却工程では、NHガスの供給が停止され、処理ガスとしてNガスが供給されることにより、処理雰囲気がNガスに置き換えられる。処理室50内は、100℃以下まで冷却される。冷却時は、ヒータ51が停止され、攪拌翼53の稼働により処理室50が攪拌される。但し、二段目窒化処理を終えた鋼部材の冷却方式は上記に限定されず、油冷、水冷、空冷などの公知の冷却方法が採用されてよい。
【実施例
【0049】
以下、本発明を実施例及び比較例に基づいて具体的に説明するが、本発明はこれらの実施例に限定されるものではない。
【0050】
実施例及び比較例で用いた鋼部材20は、SCM435からなる。SCM435は、炭素量0.33~0.38%程度のクロムモリブデン鋼である。SCM435の参考組成を表2に示す。なお、残部は鉄(Fe)である。
【0051】
【表2】
【0052】
(実施例及び比較例の試験片の作製方法)
表2に示した鋼材成分の鋼部材(25mm×5mmの板状試験片)に対し、前処理として真空洗浄してから、一段目窒化処理と二段目窒化処理を施して、実施例及び比較例の試験片を得た。実施例1~6及び比較例1~6の処理条件を表3に示す。
【0053】
(1)昇温工程においては、処理室内にNHガスを供給して、一段目処理温度まで昇温した。
(2)一段目窒化処理工程では、表3に示す処理条件(一段目処理温度T1、一段目処理時間t1、及び、第1窒化ポテンシャルK1)で、NHガスとCOガスの炉内へのそれぞれの供給ガス流量を調整した。なお、一段目窒化処理工程では、処理雰囲気の窒化ポテンシャルKは制御されなくてもよい(即ち、成り行きであってもよい)。一段目窒化処理時の炉内の全圧は大気圧であり、軟窒化処理ガスをファンの回転数を上げて強攪拌することにより試験片に接触する炉内ガスのガス流速を調整した。
(3)移行工程では、処理室内にHガスとN2ガスとを供給して、処理雰囲気を軟窒化処理雰囲気から窒化処理雰囲気とし、窒化ポテンシャルKを第2窒化ポテンシャルK2に制御した。
(4)二段目窒化処理工程では、表3に示す処理条件(二段目処理温度T2、二段目処理時間t2、及び、第2窒化ポテンシャルK2)で、NHガスを供給するとともに雰囲気調整ガスの供給ガス流量を調整することにより、処理雰囲気の窒化ポテンシャルKを制御した。二段目処理温度T2は、経時的に低下させた。
(5)冷却工程では、処理室内にN2ガスを供給して、試験片を常温まで冷却した。
【0054】
実施例1~6の処理条件は、本発明に係る軟窒化鋼部材の製造方法の処理条件を満たしていた。即ち、実施例1~6では、一段目処理温度が500℃以上600℃以下であり、一段目処理時間が90分以上300分以下であり、第1窒化ポテンシャルK1は1.0以上10以下の範囲内にあった。また、実施例1~6では、二段目処理温度が記一段目処理温度よりも低く且つ450℃以上570℃未満の範囲にあり、二段目処理時間が30分以上120分以下であり、第2窒化ポテンシャルK2は0.3以上0.5以下の範囲内に制御された。
【0055】
比較例1は、処理ガスがCOガスを含まず、一段目処理温度と二段目処理温度とが同一であり、第2窒化ポテンシャルK2が0.3未満である点で、本発明に係る軟窒化鋼部材の製造方法から外れていた。比較例2は、処理ガスがCOガスに代えてCガスを含み、一段目処理温度と二段目処理温度とが同一であり、第2窒化ポテンシャルK2が0.3未満である点で、本発明に係る軟窒化鋼部材の製造方法から外れていた。比較例3は、第2窒化ポテンシャルK2が0.3未満である点で、本発明に係る軟窒化鋼部材の製造方法から外れていた。比較例4,5は、第1窒化ポテンシャルK1が1.0未満である点で、本発明に係る軟窒化鋼部材の製造方法から外れていた。比較例6は、二段目処理時間が300分より長く、第2窒化ポテンシャルK2が0.5を上回る点で、本発明に係る軟窒化鋼部材の製造方法から外れていた。
【0056】
【表3】
【0057】
(化合物層厚さCLの測定)
実施例及び比較例の試験片の各々を、化合物層の厚さ方向と直交する断面が現れるように切断して、断面を機械的に鏡面研磨した後、走査型電子顕微鏡(日立ハイテクノロジーズ(株)製、SU5000)に装着された後方散乱電子回折(EBSD)装置(AMETEK製、Pegasusシステム)を用いて、断面の撮像と結晶相分布の解析とを行った。断面の撮像画像から、化合物層厚さCLを測定した。
【0058】
(EBSDによる結晶相分布の解析)
EBSD解析結果として得られるフェーズマップは、実測された電子回折図形と候補となる相の電子回折図形をマッチングして判定した相を色分けしたものである。図1に、実施例1の化合物層の厚さ方向と直交する断面のフェーズマップが示されている。化合物層の厚さ方向断面は、ほぼ同一の相分布であると仮定し、化合物層の厚さ方向と直交する断面のフェーズマップを用いてVγ’及びVεを推定し、γ’体積分率を求めた。表4に、実施例及び比較例について、化合物層30の厚さ、表層31の厚さ、γ’体積分率、及び最表層部31aのγ’体積分率、並びに、緻密層32の厚さ及びγ’体積分率を示す。
【0059】
【表4】
【0060】
(疲労強度の評価)
実施例及び比較例の試験片の疲労強度(耐剥離強度)を評価するために、ピッチング試験を行った。
【0061】
ピッチング試験では、ピン・オン・ディスク型摩擦摩耗試験機(高千穂精機(株)製)を用いて、回転するディスクの表面に試験片を試験面圧で押し付けて摺動摩擦させ、10サイクル繰り返した後に剥離が生じているか否かを観察した。剥離が生じていなければ十分なピッチング強度があると評価し、剥離が生じていればピッチング強度が不十分であると評価した。表4にピン・オン・ディスク試験の結果を示す。
【0062】
実施例1~6の試験片の化合物層30は、化合物層厚さCLが2.5μm以上25.0μm以下であり、最表層部31aのポーラス層を含む表層31と、表層31より深層部緻密層32とが形成されていた。実施例1~6の試験片では、表層31のγ’体積分率は0.6以上であるとともに、最表層部31aのγ’体積分率は0.9以上であった。実施例1~6の試験片では、γ’体積分率が0.5未満であった。以上の通り、実施例1~6の試験片は、本発明に係る軟窒化鋼部材の要件を満たしており、十分なピッチング強度を備えていた。
【0063】
比較例1の試験片は、化合物層が生成されなかった。比較例2の試験片は、化合物層の全体がε相で構成されていた。比較例3の試験片は、αFe相が生成していた。比較例4,5の試験片は、表層31のγ’体積分率は0.6未満であり、最表層部31aのγ’体積分率は0.9未満であった。以上の通り、実施例1~6の試験片は、本発明に係る軟窒化鋼部材の要件を満たしておらず、ピッチング強度が不十分であった。比較例6は、本発明に係る軟窒化鋼部材の要件を満たしているものの、第2窒化ポテンシャルK2が0.5を上回る結果、二段目処理時間が長くなっており、生産性、経済性に乏しい。
【符号の説明】
【0064】
10 :軟窒化鋼部材
20 :鋼部材
30 :化合物層
31 :表層
31a :最表層部
32 :緻密層
図1
図2