(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2023-11-22
(45)【発行日】2023-12-01
(54)【発明の名称】スペクトル処理装置及び方法
(51)【国際特許分類】
G01N 24/00 20060101AFI20231124BHJP
G01N 21/27 20060101ALI20231124BHJP
【FI】
G01N24/00 530J
G01N21/27 F
(21)【出願番号】P 2020032724
(22)【出願日】2020-02-28
【審査請求日】2022-12-28
(73)【特許権者】
【識別番号】000004271
【氏名又は名称】日本電子株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】110001210
【氏名又は名称】弁理士法人YKI国際特許事務所
(72)【発明者】
【氏名】中尾 朋喜
【審査官】田中 洋介
(56)【参考文献】
【文献】特開2019-148519(JP,A)
【文献】特公平05-072989(JP,B2)
【文献】特開2019-124486(JP,A)
【文献】特開平04-364490(JP,A)
【文献】特開昭63-111847(JP,A)
【文献】特開2019-090747(JP,A)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
G01N 24/00-24/14
G01R 33/20-33/64
G01N 21/00-21/83
G01N 23/00-23/2276
G01N 27/62-27/70
G01J 3/00-3/52
JSTPlus/JST7580(JDreamIII)
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
ベースライン成分を含むスペクトルを受け入れる手段と、
複数の基底関数からなる基底関数列に対して複数の重みからなる重み列を作用させることにより、ベースラインモデルを生成する生成手段と、
前記スペクトル
と前記ベースラインモデルの比較により残差列を求め、前記残差列に基づいて、前記スペクトルにおける標本部分及び前記ベースラインモデルにおける標本部分を定める標本点列を決定する決定手段と、
前記スペクトルにおける標本部分に対して前記ベースラインモデルにおける標本部分をフィッティングさせるフィッティング条件が満たされるように、最適な重み列を探索する探索手段と、
前記スペクトルから、前記最適な重み列に基づいて生成される最適なベースラインモデルを減算する減算手段と、
を含
み、
前記最適な重み列を探索する過程で、前記決定手段による前記標本点列の決定が繰り返され、
前記最適な重み列を探索する過程で、前記標本点列及び前記ベースラインモデルが優良化される、
ことを特徴とするスペクトル処理装置。
【請求項2】
請求項1記載のスペクトル処理装置において、
前記探索手段は、前記フィッティング条件、及び、前記重み列のLpノルム(但しp≦1)を小さくするLpノルム条件が満たされるように、前記最適な重み列を探索する、
ことを特徴とするスペクトル処理装置。
【請求項3】
請求項2記載のスペクトル処理装置において、
前記最適な重み列の探索の過程で、前記重み列が徐々にスパース化する、
ことを特徴とするスペクトル処理装置。
【請求項4】
請求項
1記載のスペクトル処理装置において、
前記決定手段は、前記残差列の中で所定条件を満たす複数の残差に基づいて前記標本点列を決定する、
ことを特徴とするスペクトル処理装置。
【請求項5】
請求項
1記載のスペクトル処理装置において、
前記決定手段は、
前記残差列に基づいてヒストグラムを生成し、
前記ヒストグラムに基づいて前記標本点列を決定する、
ことを特徴とするスペクトル処理装置。
【請求項6】
ベースライン成分を含むスペクトルを受け入れる機能と、
複数の基底関数からなる基底関数列に対して複数の重みからなる重み列を作用させることにより、ベースラインモデルを生成する機能と、
前記スペクトル
と前記ベースラインモデルの比較により残差列を求め、前記残差列に基づいて、前記スペクトルにおける標本部分及び前記ベースラインモデルにおける標本部分を定める標本点列を決定する機能と、
前記スペクトルにおける標本部分に対して前記ベースラインモデルにおける標本部分をフィッティングさせるフィッティング条件、及び、前記重み列のLpノルム(但しp≦1)を小さくするLpノルム条件、が満たされるように、最適な重み列を探索する機能と、
前記スペクトルから、前記最適な重み列に基づいて生成される最適なベースラインモデルを減算する機能と、
を含
み、
前記最適な重み列を探索する過程で、前記標本点列の決定が繰り返され、
前記最適な重み列を探索する過程で、前記標本点列及び前記ベースラインモデルが優良化される、
ことを特徴とするプログラム。
【請求項7】
複数の基底関数からなる基底関数列に対して複数の重みからなる重み列を作用させることにより、ベースラインモデルを生成し、
スペクトル
と前記ベースラインモデルの比較により残差列を求め、前記残差列に基づいて、前記スペクトルにおける標本部分及び前記ベースラインモデルにおける標本部分を定める標本点列を決定し、
前記スペクトルにおける標本部分に対して前記ベースラインモデルにおける標本部分をフィッティングさせるフィッティング条件、及び、前記重み列のLpノルム(但しp≦1)を小さくするLpノルム条件、が満たされるように、最適な重み列を探索し、
前記最適な重み列に基づいて、前記スペクトルに含まれるベースライン成分を最適なベースラインモデルとして推定する、
スペクトル処理方法であって、
前記最適な重み列を探索する過程で、前記標本点列の決定が繰り返され、
前記最適な重み列を探索する過程で、前記標本点列及び前記ベースラインモデルが優良化される、
ことを特徴とするスペクトル処理方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、スペクトル処理装置及び方法に関し、特に、スペクトルに含まれる特定の成分の推定及び除去に関する。
【背景技術】
【0002】
スペクトル解析の対象となるスペクトルとして、NMR(Nuclear Magnetic Resonance)スペクトル、X線スペクトル、分光スペクトル、マススペクトル等が挙げられる。一般に、スペクトルには、注目波形成分及びベースライン成分が含まれる。注目波形成分は、典型的には、1又は複数のピークを含む部分であり、それが本来的な解析対象である。一方、ベースライン成分は、本来的な解析対象ではない成分であって、周波数空間(周波数領域)において広い範囲にわたって存在する成分である。
【0003】
例えば、NMRスペクトルの観測においては、測定段階で生じるリンキングノイズ、デジタルフィルタ処理後のデータ欠損、分子構造由来の信号成分等がベースライン成分を生じさせる。NMRスペクトル中の底辺に相当する、大きな周期をもった変動、湾曲、傾斜等がベースライン成分であり、あるいは、そのような底辺それ自体がベースライン成分である。
【0004】
なお、特許文献1には、NMRスペクトルを補正する技術が開示されている。特許文献1には、ベースライン成分の推定、特に、ベースラインモデルに基づくベースライン成分の推定、については記載されていない。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0005】
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
スペクトル中の注目波形成分の解析精度を高めるため、スペクトル解析に先立って又はスペクトル解析と同時進行で、スペクトル中のベースライン成分が推定され、スペクトルからベースライン成分が除去される。ベースライン成分の推定に際しては、ベースライン成分を数学的なモデルでフィッティングすることが行われている。そのモデルを定義する関数として、N次多項式、余弦関数、正弦関数、スプライン関数、区分直線関数、等が知られている。
【0007】
しかし、モデルを定義する関数を適切に選択した上で、その関数に対して適切なパラメータを与える作業は、通常、ユーザーにとって大きな負担となるものであり、それを適切に行うには経験を要する。そのような作業が適切に行われない場合、ベースライン成分の推定精度が低下し、ひいては、スペクトル解析精度が低下してしまう。なお、上記以外の必要性からベースライン成分が推定されることもある。
【0008】
ベースライン成分の推定に際しては、スペクトルにおいて、注目波形成分が支配的な部分以外の部分、すなわち、ベースライン成分が支配的な部分、を特定する必要がある。その特定をユーザーが行う場合、ユーザーの負担が増大し、また客観性が低下してしまう。
【0009】
本発明の目的は、スペクトルに含まれるベースライン成分を精度良く推定することにある。あるいは、本発明の目的は、ユーザーに大きな負担を生じさせることなく、ベースライン成分を推定し、それをスペクトルから除去することにある。
【課題を解決するための手段】
【0010】
本発明に係るスペクトル処理装置は、ベースライン成分を含むスペクトルを受け入れる手段と、複数の基底関数からなる基底関数列に対して複数の重みからなる重み列を作用させることにより、ベースラインモデルを生成する生成手段と、少なくとも前記スペクトルに基づいて、前記スペクトルにおける標本部分及び前記ベースラインモデルにおける標本部分を定める標本点列を決定する決定手段と、前記スペクトルにおける標本部分に対して前記ベースラインモデルにおける標本部分をフィッティングさせるフィッティング条件が満たされるように、最適な重み列を探索する探索手段と、前記スペクトルから、前記最適な重み列に基づいて生成される最適なベースラインモデルを減算する減算手段と、を含むことを特徴とする。
【0011】
本発明に係るスペクトル処理方法は、複数の基底関数からなる基底関数列に対して複数の重みからなる重み列を作用させることによりベースラインモデルを生成し、少なくともスペクトルに基づいて前記スペクトルにおける標本部分及び前記ベースラインモデルにおける標本部分を定める標本点列を決定し、前記スペクトルにおける標本部分に対して前記ベースラインモデルにおける標本部分をフィッティングさせるフィッティング条件、及び、前記重み列のLpノルム(但しp≦1)を小さくするLpノルム条件、が満たされるように最適な重み列を探索し、前記最適な重み列に基づいて前記スペクトルに含まれるベースライン成分を最適なベースラインモデルとして推定する、ことを特徴とする。
【発明の効果】
【0012】
本発明によれば、スペクトルに含まれるベースライン成分を精度良く推定できる。あるいは、本発明によれば、ユーザーに大きな負担を生じさせることなく、ベースライン成分を推定し、それをスペクトルから除去できる。
【図面の簡単な説明】
【0013】
【
図1】実施形態に係るスペクトル処理方法を示す概念図である。
【
図2】実施形態に係るスペクトル処理装置を示すブロック図である。
【
図3】第1実施例に係るスペクトル処理方法を示すフローチャートである。
【
図4】第1実施例に係るスペクトル処理方法の効果を示す図である。
【
図5】第2実施例に係るスペクトル処理方法を示すフローチャートである。
【
図6】第2実施例に係るスペクトル処理方法の効果を示す図である。
【
図7】第3実施例に係るスペクトル処理方法を示すフローチャートである。
【
図8】第3実施例に係る標本点列決定方法を示すフローチャートである。
【
図9】第3実施例に係る標本点列決定方法の効果を示す図である。
【
図10】第3実施例に係るスペクトル処理方法の効果を示す図である。
【発明を実施するための形態】
【0014】
以下、実施形態を図面に基づいて説明する。
【0015】
(1)実施形態の詳細
実施形態に係るスペクトル処理装置は、受け入れ手段、生成手段、決定手段、探索手段、及び、減算手段を有する。受け入れ手段は、ベースライン成分を含むスペクトルを受け入れる手段である。決定手段は、複数の基底関数からなる基底関数列に対して複数の重みからなる重み列を作用させることにより、ベースラインモデルを生成する。決定手段は、少なくともスペクトルに基づいて、スペクトルにおける標本部分及びベースラインモデルにおける標本部分を定める標本点列を決定する。探索手段は、スペクトルにおける標本部分に対してベースラインモデルにおける標本部分をフィッティングさせるフィッティング条件が満たされるように、最適な重み列を探索する。減算手段は、スペクトルから、最適な重み列に基づいて生成される最適なベースラインモデルを減算する。
【0016】
上記構成によれば、最適なベースラインモデルを定義する最適な重み列が自動的に探索され、その探索の過程で標本点列が自動的に優良化される。よって、ユーザーの負担を軽減でき、また、ベースライン成分を客観的に推定することが可能となる。
【0017】
標本点列の決定に際して、スペクトルとベースラインモデルが比較されてもよい。その比較によれば、注目波形成分が支配的な部分を避けつつベースライン成分が支配的な部分を特定できる可能性を高められる。あるいは、スペクトルにおいて注目波形成分が存在する部分を特定し、当該部分以外の部分に基づいて標本点列が決定されてもよい。あるいは、スペクトルにおける平坦な部分を特定することにより、標本点列が決定されてもよい。
【0018】
最適な重み列の探索に際しては、フィッティング条件のみが考慮されてもよいが、フィッティング条件及び他の条件が考慮されてもよい。他の条件として、後述するLpノルム条件が挙げられる。スペクトルは、例えば、NMRスペクトルである。他のスペクトルに対して上記処理が適用されてもよい。上記複数の手段は、実施形態において、プロセッサが発揮する複数の機能に相当する。
【0019】
実施形態において、探索手段は、フィッティング条件、及び、重み列のLpノルム(但しp≦1)を小さくするLpノルム条件が満たされるように、最適な重み列を探索する。これにより、最適な重み列の探索の過程で、重み列が徐々にスパース化する。すなわち、重み列中において0の重み又は0に近い重みの割合が増大する。これにより、基底関数列中で、ベースラインモデルを構成する基底関数の個数が徐々に少なくなる。その結果、広帯域成分としてのベースライン成分の基本的な性質を表す少数の基底関数によってベースラインモデルが構成され易くなる。
【0020】
フィッティング条件だけに基づいて最適な重み列の探索を行うと、基底関数列を構成する複数の基底関数に対して、広くまんべんなく重みが与えられ易くなり、その結果、場合によっては、行き過ぎたフィッティングが生じ易くなる。これに対して、フィッティング条件に加えてLpノルム条件(具体的にはLpノルム最小化条件)を導入することにより、行き過ぎたフィッティングという問題が生じ難くなる。
【0021】
一般に、基底関数列を構成する基底関数の個数を増大させると、解の収束が遅くなる等の問題が生じる。上記構成によれば、基底関数列を多数の基底関数で構成しても、有意な重みが与えられるのは実際には少数の基底関数となるので、解の収束が早まることを期待できる。逆に言えば、上記構成によれば、基底関数列をより多くの基底関数により構成し得る。その場合、特殊な形態を有するベースライン成分に対しても良好なフィッティング結果を得ることが可能となる。
【0022】
なお、各基底関数は、ベースラインモデルを構成する要素に相当するものである。各基底関数の寄与度を規定するものが重みである。最適解は、厳密な意味での最適解である必要はなく、演算上において最適解とみなされるものであればよい。例えば、探索終了条件を満たした時点での解が最適解となる。
【0023】
Lpノルムに関し、ノルム計算対象のスパース性を高める働きは、pが1以下の場合に認められ、一般に、pが小さくなればなるほどその働きが大きくなる。よって、ベースライン成分の内容等に応じて、pの値を変更するようにしてもよい。Pは0以上1.0以下の値として定められるが、pが0の場合(つまりL0ノルムを利用する場合)、状況次第では解が不安定となるので、pを0よりも大きな値とするのが望ましい。
【0024】
実施形態において、決定手段は、スペクトル及びベースラインモデルに基づいて、標本点列を決定する。最適な重み列の探索の過程で、標本点列及びベースラインモデルが優良化していく。
【0025】
実施形態において、決定手段は、スペクトルとベースラインモデルの比較により残差列を求め、残差列に基づいて標本点列を決定する。残差列は後述する残差スペクトルに相当する。実施形態において、決定手段は、残差列の中で所定条件を満たす複数の残差に基づいて標本点列を決定する。その場合、例えば、0以下の残差が特定されてもよいし、閾値以内の残差絶対値が特定されてもよい。実施形態において、決定手段は、残差列に基づいてヒストグラムを生成し、ヒストグラムに基づいて標本点列を決定する。ヒストグラムは標本部分の統計的な特徴を示すものである。スペクトルにおいてベースライン成分が支配的な部分においてはそれに対応するヒストグラムが一定の分布になる、という仮定に基づいて、一定の分布から外れる残差が特定され、その特定に基づいて標本点候補が絞り込まれてもよい。
【0026】
実施形態に係るプログラムは、受け入れ機能、生成機能、決定機能、探索機能、及び、減算機能を有する。受け入れ機能は、ベースライン成分を含むスペクトルを受け入れる機能である。生成機能は、複数の基底関数からなる基底関数列に対して複数の重みからなる重み列を作用させることにより、ベースラインモデルを生成する機能である。決定機能は、少なくともスペクトルに基づいて、スペクトルにおける標本部分及びベースラインモデルにおける標本部分を定める標本点列を決定する機能である。探索機能は、スペクトルにおける標本部分に対してベースラインモデルにおける標本部分をフィッティングさせるフィッティング条件、及び、重み列のLpノルム(但しp≦1)を小さくするLpノルム条件、が満たされるように、最適な重み列を探索する機能である。減算機能は、スペクトルから、最適な重み列に基づいて生成される最適なベースラインモデルを減算する機能である。プログラムは、可搬型記憶媒体を介して又はネットワークを介して、情報処理装置へインストールされる。情報処理装置の概念には、コンピュータ、スペクトル生成装置、スペクトル測定装置、等が含まれる。
【0027】
実施形態に係るスペクトル処理方法は、生成工程、決定工程、及び、探索工程を有する。生成工程は、複数の基底関数からなる基底関数列に対して複数の重みからなる重み列を作用させることにより、ベースラインモデルを生成する工程である。決定工程は、少なくともスペクトルに基づいて、スペクトルにおける標本部分及びベースラインモデルにおける標本部分を定める標本点列を決定する工程である。探索工程は、スペクトルにおける標本部分に対してベースラインモデルにおける標本部分をフィッティングさせるフィッティング条件、及び、重み列のLpノルム(但しp≦1)を小さくするLpノルム条件、が満たされるように、最適な重み列を探索する工程である。最適な重み列に基づいてスペクトルに含まれるベースライン成分が最適なベースラインモデルとして推定される。
【0028】
(2)実施形態の詳細
図1には、実施形態に係るスペクトル処理方法が示されている。具体的には、プロセッサにより実行されるスペクトル処理アルゴリズムが示されている。符号100は、受け入れ工程を示しており、それは受け入れ手段に相当する。符号102は生成工程を示しており、それは生成手段に相当する。符号104は決定工程を示しており、それは決定手段に相当する。符号106は探索工程を示しており、それは探索手段に相当する。符号108は減算工程を示しており、それは減算手段に相当する。
【0029】
受け入れられたNMRスペクトル(以下、単に「スペクトル」という。)yが処理対象である。横軸fは周波数軸であり、縦軸は強度軸である。スペクトルyは、周波数軸上に並ぶN(Nは2以上の整数で、例えば数百又は数千)個の強度からなり、それは、演算処理上、ベクトルとして取り扱われる。
【0030】
スペクトルyは、注目波形成分aとベースライン成分bとを含む。注目波形成分aは、図示の例において、複数のピークからなる。ベースライン成分bは、注目波形成分a以外の成分であって、広帯域成分であり、スペクトルyにおける底辺に相当するものである。スペクトルyの解析に先立って、そこに含まれるベースライン成分bを事前に除去しておくことが求められる。スペクトル処理アルゴリズムは、スペクトルyからベースライン成分bを除去するものである。
【0031】
生成工程102では、基底関数列Aに対して重み列xを作用させることにより、具体的には、基底関数列Aに対する重み列xの乗算により、ベースラインモデルAxが生成される。基底関数列Aは、K(Kは2以上の整数で、例えば数個~数十個)個の基底関数からなる。通常、基底関数(モデル要素)として、様々な次数をもった様々な種類の関数が用意されている。例えば、1次から10次のN次多項式、1次から20次の余弦関数、1次から20次の正弦関数、等が用意されている。基底関数列Aには、指数関数、対数関数、スプライン関数、区分直線関数、等が含まれ得る。N個の基底関数は、図示の例において、n軸方向に並んでおり、個々の基底関数は周波数軸上において波形である。個々の基底関数は、演算処理上、ベクトルとして取り扱われる。
【0032】
重み列xは、n軸方向に並ぶK個の重みにより構成される。個々の重みは、それに対応する関数に対して乗算される係数である。重みが0であれば、それに対応する関数は、ベースラインモデルの構成要素から事実上、除外される。重み列xは、演算処理上、ベクトルとして取り扱われる。ベースライン成分bに近似する最適なベースラインモデルの探索に当たって、後述する評価値Jが最小化するように、重み列xが繰り返し更新される。探索終了条件を満たした時点での重み列xが最適な重み列となり、その時点でのベースラインモデルAxが最適なベースラインモデルとなる。
【0033】
決定工程104では、標本点列Iが決定される。標本点列Iは、周波数軸方向に並ぶM(Mは2以上の整数で、例えば、Nの数%~100%)個の標本点からなる。それは演算処理上、ベクトルとして取り扱われる。個々の標本点は、全観測点の中から選択されるサンプリング点である。標本点列Iからベクトル演算で必要となる標本行列SIが定義される。標本行列SIにより、スペクトルyにおける標本部分SIy、及び、ベースラインモデルAxにおける標本部分SIAxが定められる。注目波形成分aが支配的な部分ではなく、ベースライン成分bが支配的な部分に、標本点列Iが集中するように、標本点列Iを構成する複数の標本点が徐々に選別される。
【0034】
より詳しくは、決定工程104では、スペクトルyとベースラインモデルAxとが比較され、両者の差分に相当する残差スペクトル(残差列)が演算される。残差スペクトルを構成するN個の残差を個別的に評価することにより、標本点列Iを構成するM個の標本点が選別される。後に説明する実施例では、通常、Mの値は徐々に小さくなる。
【0035】
なお、スペクトルyにおいて注目波形成分aが支配的な部分を特定し、その部分以外の部分に基づいて標本点列Iが決定されてもよい。スペクトルyにおける平坦部分を特定し、当該平坦部分に基づいて標本点列Iが決定されてもよい。それら以外の方法により標本点列Iが決定されてもよい。実施形態においては、スペクトルyとベースラインモデルAxを比較するので、ベースラインモデルAxの優良化に伴って、標本点列Iが自然に優良化される。
【0036】
実施形態において、初期決定時に決定工程104が実行される。その後においては、以下に説明するように、重み列xを繰り返し更新していく過程で、評価値Jが最小化し、且つ、探索終了条件が満たされない場合に、決定工程104が実行される。なお、評価値Jの計算回数が一定値C(Cは2以上の整数)に到達する都度、決定工程104が実行されてもよい。あるいは、評価値Jの計算の都度、決定工程104が実行されてもよい。
【0037】
探索工程106(特に符号106Aを参照)では、評価値Jが最小化されるように、重み列xが徐々に優良化される。評価値Jは、以下の(1)式により定義される。
【数1】
なお、yはN×1ベクトルであり、S
IはM×N行列であり、AはN×K行列であり、Lpノルムは以下の(2)式で定義される。
【数2】
上記(1)式において、第1項は、標本部分間の残差スペクトルのL2ノルムを最小化する条件を規定しており、すなわち、フィッティング条件を規定している。残差スペクトルは、スペクトルyにおける標本部分S
IyからベースラインモデルAxにおける標本部分S
IAxを減算することにより求められる。2つの標本部分S
Iy及びS
IAxが相互に完全に一致した場合、L2ノルムは0となる。
【0038】
上記(1)式において、第2項は、重み列xのLpノルム(但しp≦1)を最小化するLpノルム条件を規定している。重み列xのLpノルムが小さくなるに従って、重み列xのスパース化が促進する。すなわち、重み列xを構成するK個の重みの中において、0の値をもつ又は0に近い値をもつ重みが増大していく。スパース化の促進により、ベースラインモデルを実質的に規定する基底関数の数が徐々に少なくなる。典型的には、ベースライン成分bにおける主要成分を表す少数の規定関数のみが残り、それ以外が除外されていく。この結果、過剰なフィッティングが防止又は軽減される。なお、λは第1項の作用と第2項の作用を調整する係数である。
【0039】
上記のように、0≦p≦1であり、解の安定性を求める場合には0<p≦1である。pが1以下の場合、Lpノルムを用いた解の探索過程において解のスパース性が増大する。実施形態においては、その性質が重み列xの最適解の探索で効果的に利用されている。一般に、pは1であるが、重み列のスパース性が高いと予測される場合、pを例えば0.75又は0.5とするようにしてもよい。
【0040】
評価値Jにより、第1条件としてのフィッティング条件及び第2条件としてのLpノルム条件を同時に考慮することが可能となる。もっとも、スペクトルyにおける標本部分SIyに対してベースラインモデルAxにおける標本部分SIAxをフィッティングできる限りにおいて、他の計算式を用いてもよい。
【0041】
上記(1)式に基づいて、勾配法等の公知の最適解探索法を適用することにより、重み列xが徐々に更新され(符号106Bを参照)、重み列xが徐々に優良化される。その過程で、標本点列Iも段階的に優良化されていく。探索終了条件が満たされた時点での重み列xが最適な重み列xとされ、その時点でのベースラインモデルAxが最適なベースラインモデルAxとされる。評価値Jが一定値以下になった場合、評価値Jの演算回数が一定値に到達した場合、等において、最適解の探索を終了させてもよい。
【0042】
減算工程108では、探索終了条件が満たされた時点で(符号106Cを参照)、スペクトルyから、最適なベースラインモデルAxが減算される。この減算により、ベースライン成分bが除去されたスペクトルycが生成される。そのスペクトルycが解析対象となる。その減算は以下の(3)式で表現される。
【数3】
【0043】
図2には、NMR測定システムが示されている。NMR測定システムは、図示の構成例では、NMR測定装置30とスペクトル処理装置32とにより構成される。NMR測定装置30からスペクトル処理装置32へスペクトルデータが転送される。その転送は、例えば、ネットワークを介して又は記憶媒体を介して行われる。
【0044】
NMR測定装置30は、
図2においてはその詳細が示されていないものの、分光計及び測定部により構成される。測定部は、静磁場発生器、プローブ等により構成される。静磁場発生器は、垂直貫通孔としてのボアを有し、そのボアの内部にプローブの挿入部が挿入される。挿入部のヘッド内にはサンプルからのNMR信号を検出する検出回路が設けられている。分光計は、制御部、送信部、受信部等により構成される。送信部は、送信パルスシーケンスに従って送信信号を生成し、その送信信号がプローブに送られる。これにより、サンプルに対して電磁波が照射される。その後、プローブにおいて、サンプルからのNMR信号が検出される。その検出により生じた受信信号が受信部へ送られる。受信部においては、受信信号に対するFFT演算によりNMRスペクトルが生成される。そのNMRスペクトルが、必要に応じて、スペクトル処理装置32へ送られる。スペクトル処理装置32をNMR測定装置30内に組み込むようにしてもよい。
【0045】
情報処理装置としてのスペクトル処理装置32は、CPU50、メモリ56、入力器52、表示器54等を有する。メモリ56上には、スペクトル処理プログラム58、及び、スペクトル解析プログラム60が格納されている。スペクトル処理プログラム58は、
図1に示したスペクトル処理アルゴリズムを実行するプログラムである。スペクトル解析プログラム60は、前処理後のスペクトルを解析するためのプログラムである。それらのプログラム58,60は、CPU50において実行される。
【0046】
CPU50は、受け入れ手段、生成手段、決定手段、探索手段、及び、減算手段として機能する。入力器52は、キーボード、ポインティングデバイス等によって構成され、入力器を利用して、pに代入する値、係数λ、終了条件、等が指定される。例えば、解の変化量が0.1%以下となった場合に繰り返し処理を終了させてもよい。表示器54は、例えば、LCDによって構成され、そこにはスペクトルが表示される。
【0047】
以下、第1実施例~第3実施例を説明する。第1実施例~第3実施例においては、それぞれ異なる方法により、標本点列Iが決定される。それ以外の部分は、基本的に、いずれの実施例においても共通である。
【0048】
図3には、第1実施例に係るスペクトル処理方法が示されている。S10では、重み列xが初期設定される。例えば、重み列xを構成するK個の重みにランダム値が与えられる。S12Aでは、標本点列Iが初期設定される。具体的には、スペクトルyからベースラインモデルAxを減算することにより残差スペクトル(残差列)が求められ、残差スペクトルに基づいて0以下の残差を生じさせた観測点が特定される。0以下の残差を生じさせた観測点が標本点列Iとして決定される。もっとも、S12Aにおいて、N個の観測点からなる全観測点を標本点列Iとして決定してもよい。
【0049】
S16では、評価値Jが演算される。S18では、現在の標本点列Iの下で、評価値Jが最小(又は最小とみなせる値)になったか否かが判断される。評価値Jが最小になっていないと判断された場合、S20において、重み列xが更新される。その後、S16で評価値Jが再び演算される。評価値Jの変化が一定値以下になった場合に、評価値Jの最小化を判断してもよい。
【0050】
S18で、評価値Jが最小になったと判断された場合、S22で、探索終了条件が満たされたか否か判断される。例えば、評価値Jが閾値以下の値になった場合、評価値Jの変化が一定値以下になった場合、評価値Jの演算回数が一定回数に達した場合、等において、探索終了条件が満たされたと判断される。
【0051】
探索終了条件が満たされないと判断された場合、S24Aで標本点列Iが更新される。具体的には、上記同様に、残差スペクトルが演算され、その中で、0以下の残差が特定される。0以下の残差を生じさせた観測点が標本点列Iとして決定される。その後、S16以降の工程が実行される。
図3の内容から明らかなように、探索終了条件が満たされるまで標本点列Iの決定が繰り返されることになる。S22において、探索終了条件が満たされたと判断された場合,S28において、スペクトルから最適なベースラインモデルAx(つまり、推定されたベースライン成分)が減算される。
【0052】
図4には、第1実施例の効果が示されている。第1段のA10は、入力されたスペクトルを示している。第2段には、1回目の最小化処理(重み列を最小化する処理)が示され、第3段には、2回目の最小化処理が示され、第4段には、3回目の最小化処理が示され、第5段には、6回目の最小化処理が示されている。
【0053】
各段において、左側には、標本点列が複数の観測点の連なりとして示されている(A20,A30,A40,A50を参照)。各段において、中央には、推定されたベースラインモデルが示されている(A22,A32,A42,A52を参照)。各段において、右側には、減算により生成された残差スペクトルが示されている(A24,A34,A44,A54を参照)。推定処理の繰り返しにより、ベースラインモデルが優良化されている。最終的に、スペクトルに含まれるベースライン成分が効果的に除去されている。
【0054】
第1実施例によると、スペクトルの底に相当する部分が標本部分になり易くなる。その結果、標本点数が非常に少なくなる傾向が認められる。よって、第1実施例はメタボロミクスデータなどに対して有効に働くものと考えられる。
【0055】
図5には、第2実施例に係るスペクトル処理方法が示されている。
図5において、
図3に示した工程と同一の工程には同一の符号を付しその説明を省略する。
【0056】
S12Bでは、標本点列Iが初期設定される。具体的には、スペクトルyからベースラインモデルAxを減算することにより残差スペクトル(残差列)が求められ、残差スペクトルに基づいて閾値以内の残差の絶対値(残差絶対値)を生じさせた観測点が特定される。閾値以内の残差絶対値を生じさせた観測点が標本点列Iとして決定される。もっとも、S12Bにおいて、N個の観測点からなる全観測点を標本点列Iとして決定してもよい。
【0057】
S24Bでは、標本点列Iが更新される。具体的には、上記同様に、残差スペクトルが演算され、残差スペクトルに基づいて閾値以内の残差絶対値が特定される。閾値以内の残差絶対値を生じさせた観測点が標本点列Iとして決定される。第2実施例では、正負の符号を問わず、小さい残差を生じさせた部分が標本部分とされ、大きな残差を生じさせた部分が非標本部分とされる。例えば、スペクトルの最大値の絶対値を基準値とし、その基準値の0.1%を上記閾値として定めてもよい。
【0058】
図6には、第2実施例の効果が示されている。第1段のB10は、入力されたスペクトルを示している。第2段には、1回目の最小化処理が示され、第3段には、2回目の最小化処理が示され、第4段には、3回目の最小化処理が示され、第5段には、9回目の最小化処理が示されている。
【0059】
各段において、左側には、標本点列が複数の観測点の連なりとして示されている(B20,B30,B40,B50を参照)。各段において、中央には、推定されたベースラインモデルが示されている(B22,B32,B42,B52を参照)。各段において、右側には、減算により生成された残差スペクトルが示されている(B24,B34,B44,B54を参照)。標本点列Iの更新を伴う最小化処理の繰り返しにより、ベースラインモデルが優良化されている。最終的に、スペクトルに含まれるベースライン成分が効果的に除去されている。
【0060】
第2実施例によると、多くの標本点を採用し易くなる。よって、演算結果の安定性を得られ易くなる。但し、上記閾値の設定を適切に行う必要がある。
【0061】
図7には、第3実施例に係るスペクトル処理方法が示されている。
図7において、
図3に示した工程と同一の工程には同一の符号を付しその説明を省略する。
【0062】
S12Cでは、標本点列Iが初期決定される。その場合、以下に詳述するヒストグラムが所定の分布(正規分布)に近付くように(ヒストグラムが正規化されるように)、標本点(観測点)が選別される。但し、S12Cにおいて、全観測点を標本点列Iとして初期決定してもよい。
【0063】
S24Cでも、S12Cと同様に、ヒストグラムが所定の分布(正規分布)に近付くように(ヒストグラムが正規化されるように)、標本点(観測点)が選別される。
【0064】
以下、
図8に基づいて、第3実施例における標本点列決定方法について説明する。S30では、全観測点が標本点候補として仮決定される。S32では、スペクトルからベースラインモデルが減算され、これにより残差スペクトルが求められる。続いて、残差スペクトルからヒストグラムが生成される。すなわち、残差の大きさごとに、個数(頻度)が計数され、その結果から、ヒストグラム(残差ヒストグラム)が生成される。S34では、ヒストグラムに対して、公知のカイ(χ)二乗検定が適用される。その検定により、ヒストグラムが一定の分布(カイ二乗分布)に従っているか否かが判定される。
【0065】
S36で、ヒストグラムが一定の分布に従っていないと判断された場合、すなわち、偽が判定された場合、S38において、ヒストグラム中において除外条件を満たすビン(ヒストグラム要素としての棒)が除外される。具体的には、ヒストグラム中心から最も離れているビンが除外される。これは1又は複数の観測点(つまり1又は複数の標本点候補)の除外に相当する。S38の工程は、ヒストグラムを修正する工程、特にヒストグラムを正規分布に近付ける工程、である。
【0066】
上記検定の結果、S36で、ヒストグラムが一定の分布に従っていると判断された場合、つまり真が判断された場合、S40において、その時点での標本点候補が標本点列となる。
【0067】
図9には、第3実施例に係る標本点決定方法の効果が示されている。第1段のC10は、スペクトルそれ全体に対応する全標本点候補を示している。第2段は、1回目のヒストグラム修正結果を示しており、第3段は、2回目ヒストグラム修正結果を示しており、第4段は、6回目のヒストグラム修正結果を示している。各段において、左側には、決定された標本点列が示されており(C20,C30,C40を参照)、右側には、修正されたヒストグラムが示されている(C22,C32,C42を参照)。なお、3つの横軸のスケールは相違している。ヒストグラム修正の繰り返し数の増大に伴って標本点列が優良化している。
【0068】
図10には、第3実施例に係るスペクトル処理方法の効果が示されている。第1段のD10は、入力されたスペクトルを示している。第2段には、1回目の最小化処理が示され、第3段には、2回目の最小化処理が示され、第4段には、3回目の最小化処理が示され、第5段には、9回目の最小化処理が示されている。各段において、左側には、標本点列が複数の標本点の連なりとして示されている(D20,D30,D40,D50を参照)。各段において、中央には、推定されたベースラインモデルが示されている(D22,D32,D42,D52を参照)。各段において、右側には、減算により生成された残差スペクトルが示されている(D24,D34,D44,D54を参照)。推定処理の繰り返しにより、ベースラインモデルが優良化されている。最終的に、スペクトルに含まれるベースライン成分が効果的に除去されている。
【0069】
スペクトルの性質やスペクトルの解析方法に応じて、採用する実施例を選択してもよい。例えば,ブロードな信号成分をベースライン成分とみなして、その信号成分を取り除く場合は、第1実施例を採用してもよい。重み列の推定精度を十分に確保できる場合には、第2実施例又は第3実施例を採用してもよい。
【0070】
第3実施例は、スペクトルにおいてベースライン成分のヒストグラムは、正規分布に従うという仮定を前提とするものである。上記のように、処理の繰り返しに伴って、標本点数が減っていき,ヒストグラムが正規分布に近づいていく。第3実施例によれば、第2実施例と同様、最適解を安定的に導出できる。第3実施例では、閾値の設定が不要であるため、第2実施例に比べて、状況又は環境にあまり依存せずに、比較的に良好な解を得られ易いという利点を指摘できる。
【符号の説明】
【0071】
100 受け入れ工程(受け入れ手段)、102 生成工程(生成手段)、104 決定工程(決定手段)、106 探索工程(探索手段)、108 減算工程(減算手段)。