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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2023-12-06
(45)【発行日】2023-12-14
(54)【発明の名称】淡水環境における魚類の生態調査方法
(51)【国際特許分類】
   C12Q 1/6888 20180101AFI20231207BHJP
   C12N 15/12 20060101ALN20231207BHJP
【FI】
C12Q1/6888 Z ZNA
C12N15/12
【請求項の数】 14
(21)【出願番号】P 2023036618
(22)【出願日】2023-03-09
(65)【公開番号】P2023133247
(43)【公開日】2023-09-22
【審査請求日】2023-06-02
(31)【優先権主張番号】P 2022036661
(32)【優先日】2022-03-09
(33)【優先権主張国・地域又は機関】JP
【早期審査対象出願】
(73)【特許権者】
【識別番号】000000918
【氏名又は名称】花王株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】110000084
【氏名又は名称】弁理士法人アルガ特許事務所
(72)【発明者】
【氏名】井上 泰彰
(72)【発明者】
【氏名】宮田 楓
(72)【発明者】
【氏名】本田 大士
【審査官】松井 一泰
(56)【参考文献】
【文献】特開2021-108593(JP,A)
【文献】MIYATA, Kaede et al.,Fish environmental RNA enables precise ecological surveys with high positive predictivity,Ecological Indicators,2021年09月,Vol. 128,p.107796,DOI: 10.1016/j.ecolind.2021.107796
【文献】NAKAGAWA, Hikaru et al.,Comparing local‐ and regional‐scale estimations of the diversity of stream fish using eDNA metabarcoding and conventional observation methods,Freshwater Biology,2018年02月27日,Vol. 63,No. 6,p.569-580,DOI: 10.1111/fwb.13094
【文献】FUJII, Kazuya et al.,Environmental DNA metabarcoding for fish community analysis in backwater lakes: A comparison of capture methods,PLOS ONE,2019年01月31日,Vol. 14,No. 1,p.e0210357,DOI: 10.1371/journal.pone.0210357
【文献】PUKK, Lilian et al.,eDNA metabarcoding in lakes to quantify influences of landscape features and human activity on aquatic invasive species prevalence and fish community diversity,Diversity and Distributions,2021年07月09日,Vol. 27,No. 10,p.2016-2031,DOI: 10.1111/ddi.13370
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C12Q 1/00- 3/00
C12N 15/00- 15/90
JSTPlus/JMEDPlus/JST7580(JDreamIII)
CAplus/MEDLINE/EMBASE/BIOSIS(STN)
PubMed
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
生活排水又は下水処理場流入水と、下水処理場放流水に含まれる環境DNA及び環境RNAの核酸量を用いた、淡水環境における該淡水環境の外部に由来する魚類の核酸の混入状態の推定方法。
【請求項2】
前記生活排水又は下水処理場流入水と、下水処理場放流水に含まれる環境DNA及び環境RNAの核酸量を定量することを含む、請求項1記載の方法。
【請求項3】
前記淡水環境に対する前記外部に由来する魚類の核酸の混入地点の情報、及び魚類の核酸の分解速度定数又は半減期を用いて、該淡水環境中の所与の地点における該外部に由来する魚類の核酸の混入状態を推定することを含む、請求項1又は2記載の方法。
【請求項4】
前記混入地点が、前記下水処理場放流水が前記淡水環境に放出される地点、又は前記生活排水が前記淡水環境に放出される地点である、請求項3記載の方法。
【請求項5】
前記淡水環境に混入した該淡水環境の外部に由来する魚類の核酸が由来する魚類の種組成を推定することを含む、請求項1~4のいずれか1項記載の方法。
【請求項6】
前記淡水環境に対する前記外部に由来する魚類の核酸の混入地点における、前記生活排水又は下水処理場流入水と、下水処理場放流水に含まれる核酸の量と組成の違い、下水処理場普及率、及び人口を用いて、該淡水環境中の所与の地点における該核酸の混入状態を推定することを含む、請求項1~5のいずれか1項記載の方法。
【請求項7】
請求項1~6のいずれか1項記載の方法を用いる、淡水環境における魚類の生態調査方法。
【請求項8】
請求項7記載の方法であって、以下:
前記淡水環境中の調査地点から採取したサンプルにおける魚種由来の核酸の量を網羅的に定量すること、
該サンプルにおける偽陽性の可能性のある魚種に由来する核酸量の推定値Mを、下記式(1)に基づいて算出すること、
M=M0-kt …(1)
ここで、
Mは、該調査地点における該偽陽性の可能性のある魚種に由来する核酸量の推定値であり、
0は、該偽陽性の可能性のある魚種に由来する核酸の、該淡水環境への混入地点での量であり、
kは分解速度定数であり、
tは、該偽陽性の可能性のある魚種に由来する核酸が該混入地点から該調査地点に到るまでの時間である、
該推定値Mに基づいて該定量の結果における偽陽性を低減すること、
を含む、方法。
【請求項9】
前記調査地点から採取したサンプルから測定された前記偽陽性の可能性のある魚種に由来する核酸の定量値から、前記推定値Mを減算することにより、該定量値に対する偽陽性の影響を低減することを含む、請求項8記載の方法。
【請求項10】
前記減算した値が一定値以上である場合に、前記偽陽性の可能性のある魚種を偽陽性ではないと推定することを含む、請求項9記載の方法。
【請求項11】
前記推定値Mが閾値以上である魚種を偽陽性と推定することを含む、請求項8~10のいずれか1項記載の方法。
【請求項12】
前記淡水環境中の調査地点から採取したサンプルにおける魚種由来の核酸が環境DNA及び環境RNAからなる群より選択される少なくとも1種である、請求項8~11のいずれか1項記載の方法。
【請求項13】
前記網羅的な定量が次世代シーケンシング解析、メタバーコーディング解析、又は定量メタバーコーディング解析による定量である、請求項8~12のいずれか1項記載の方法。
【請求項14】
前記淡水環境が河川である、請求項1~13のいずれか1項記載の方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、淡水環境における魚類の生態調査方法に関する。
【背景技術】
【0002】
淡水の生態系は、人間に重要な資源やサービスを提供している。しかし近年、淡水の生態系は、人間の活動によって生じる生活排水、工業排水、農業用水などの汚染源が河川や湖沼などの水環境に流入することにより、その持続可能性が脅かされている。
【0003】
淡水の生態系を保全するためには、該生態系の包括的なモニタリングが不可欠である。しかし、古典的な生態調査方法、即ち釣り、罠などで生物個体を直接捕獲する手法や、目視やカメラ撮影等の個体観察に依存した方法は、コストや網羅性、再現性の面で問題がある。こうした従来の生態調査方法の問題を克服するためのアプローチの1つは、環境DNA(eDNA)メタバーコーディング解析である(非特許文献1~3)。eDNAメタバーコーディング解析は、水棲生物の個体から水環境に放出されるeDNAを網羅的に解析することにより、該水環境に存在する生物種や生物量を推定できると考えられている。しかしながら、eDNAは安定で分解されにくいため偽陽性をもたらす可能性があり、これはeDNAメタバーコーディング解析の生態調査への応用における大きな問題の1つであると認識されている(非特許文献4、5)。
【0004】
前記eDNA解析における偽陽性を低減できる可能性のある方法として、環境RNA(eRNA)を用いたメタバーコーディング解析が注目されている。非特許文献6には、魚類のeRNAが河川に豊富に存在しており、eRNAメタバーコーディング解析による生態調査では、eDNAを用いる場合と比べて偽陽性を大幅に減少させること、eRNAが調査地点に生存する生物群を正しく検出したのに対し、eDNAは、調査地点に生存しない海水魚や汽水魚を検出することで偽陽性を生じたこと、eDNAメタバーコーディング解析で同定された海水魚と汽水魚のほとんどが食用魚であったことが報告されている。非特許文献7、8には、環境サンプル中のeDNA解析で検出されるリード数の多さ及びリードの種類の豊富さは、サンプルから検出される生物種の量の多さ及び種数の豊富さを反映することが記載されている。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0005】
【文献】Biol. Conserv., 2015, 183:4-18
【文献】Trends Ecol. Evol., 2014, 29(6):358-367
【文献】Mol. Ecol., 2017, 26(21):5872-5895
【文献】Annu. Rev. Ecol. Evol. Syst., 2018, 49(1):209-230
【文献】Mol. Ecol. Resour., 2016, 16(3):604-607
【文献】Ecol. Indic., 2021, 128, 107796
【文献】Pros One, 2012, 7(4):e35868
【文献】Environmental DNA, 2021, 3:105-120
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
eDNA/eRNAメタバーコーディング解析を用いて河川などの淡水環境の生態調査を正確に行うためには、偽陽性を推定し、その影響を低減するための対策を講じることが非常に重要である。
【課題を解決するための手段】
【0007】
本発明は、生活排水又は下水処理場流入水と、下水処理場放流水に含まれる環境DNA及び環境RNAの核酸量を用いた、淡水環境における該淡水環境の外部に由来する魚類の核酸の混入状態の推定方法を提供する。
また本発明は、前記方法を用いる、淡水環境における魚類の生態調査方法を提供する。
【発明の効果】
【0008】
本発明によれば、eDNA又はeRNAの網羅的解析による淡水環境の生態調査における、調査地点に混入した該淡水環境に実際に生存していない魚種(例えば生活排水等に含まれる食用魚など)の核酸に由来する偽陽性を推定し、その影響を低減することができる。
【図面の簡単な説明】
【0009】
図1】淡水環境中の偽陽性魚種由来核酸の量を推定するための手順の概要。
図2】生活排水(a)及び放流水(b)から検出された魚類由来eDNA及びeRNAの定量結果。
図3】生活排水と放流水の魚類群集解析で検出された魚類種。
図4】生活排水と放流水からのeDNAとeRNAのリード数の関係。(a)生活排水から検出した魚種由来eDNA及びeRNAの間のリード数の相関性、(b)生活排水中のeDNA及びeRNAからの検出魚種数、(c)放流水から検出した魚種由来eDNA及びeRNA間のリード数の相関性、(d)放流水中のeDNA及びeRNAからの検出魚種数。
図5】4~34℃における試験水槽由来eDNA及びeRNAの分解挙動。
図6】外来核酸による全国の河川の汚染状況(左:外来eDNA、右:外来eRNA)。
図7】外来核酸による利根川水系の河川の汚染状況(左:外来eDNA、右:外来eRNA)。
図8】外来核酸による那珂川水系の河川の汚染状況(左:外来eDNA、右:外来eRNA)。
【発明を実施するための形態】
【0010】
前述の非特許文献6の報告からは、家庭等から廃棄された食用魚に由来する核酸が、eDNA/eRNAメタバーコーディング解析による生態調査における偽陽性(調査地点に実際に生存していない魚種の誤検出)を引き起こしている可能性が考えられる。本発明者は、生活排水や下水処理場の放流水に家庭等から廃棄された食用魚由来の核酸が含まれており、これらが偽陽性の原因となっている可能性を考えた。多くの場合、生活排水は下水処理場で処理されるが、下水処理人口普及率が低い地域では、生活排水が直接河川に放流される場合がある。
【0011】
後述の実施例に示すとおり、本発明者は、生活排水と下水処理場の放流水に含まれるeDNA及びeRNAの定量解析と魚類群集解析を行った。その結果、偽陽性の原因が生活排水等に含まれる食用魚由来の核酸であること、また生活排水そのものだけでなく下水処理場の放流水にも偽陽性の原因となる核酸が含まれていることを確定した(後述の試験1)。また、本発明者は、下水処理場を介さない生活排水においてはeDNA量がeRNA量よりも顕著に多く、したがって下水処理人口普及率の低い地域ではeDNAが偽陽性の主な原因になり得ることを見出した(試験1)。また本発明者は、eDNA及びRNAの安定性試験からeRNAの分解速度がeDNAの分解速度よりも高くなる条件を確認した(後述の試験2)。
【0012】
以上の知見からは、淡水環境における魚類の生態調査のための核酸の網羅的解析(例えばメタバーコーディング解析)において、生活排水等の外部環境に由来する魚類eDNA又はeRNAの混入の影響を考慮することで、該淡水環境における魚類の生態をより正確に評価することができると期待される。また、特に下水処理人口普及率の低い地域では、eDNAよりもeRNAを解析する方が、より偽陽性の少ない生態調査結果を得ることができると期待される。
【0013】
従来の核酸の網羅的解析を用いた淡水環境の生態調査では、偽陽性低減のために、外部から混入する核酸の影響が少ないと考えられる地点を調査地点として選択するなどの手段が取られることはあったが、外部から混入する核酸の量を推定したり、推定した結果に基づいて調査結果を補正又は評価したりすることで偽陽性を低減する試みは行われていない。
【0014】
本発明者は、淡水環境における核酸の網羅的解析による魚類の生態調査のために、調査対象の淡水環境における、該淡水環境の外部に由来する魚類eDNA又はeRNA(以下、外来eDNA又はeRNAともいう、これらは偽陽性の原因となる。)の混入状態を推定する予測モデルを構築した。当該推定された影響を実際の解析結果に反映させる(例えば影響を除外する)ことで、偽陽性の可能性が低減した調査結果を得ることができる。例えば、当該予測モデルにより、調査地点への外来eDNA又はeRNAの混入量又は混入確率を推定する。推定した混入量を実測したeDNA又はeRNA量から差し引くことで、偽陽性を低減させることができる。あるいは、推定した混入量又は混入確率を基準に、実測値に基づいて検出された魚種が偽陽性であるか否かを評価することができる。あるいは、当該予測モデルにより調査地点における外来eDNA及び外来eRNAの汚染リスクをそれぞれ予測することで、該調査地点での生態調査にとってeDNA又はeRNAどちらの測定が適しているかを判断することができる。
【0015】
一態様において、本発明は、淡水環境における、該淡水環境の外部に由来する魚類eDNA又はeRNA(外来eDNA又はeRNA)の混入状態の推定方法を提供する。例えば、本方法では、該淡水環境の任意の調査地点における外来eDNA又はeRNAの量(もしくは濃度)、又は混入確率を推定する。推定した結果は、核酸の網羅的解析を用いた淡水環境における魚類の生態調査の結果の精度向上(偽陽性の除外、偽陽性の可能性評価など)に役立てることができる。
【0016】
本発明の一実施形態は、生活排水又は下水処理場流入水と、下水処理場放流水に含まれるeDNA及びeRNAの核酸量を用いた、淡水環境における該淡水環境の外部に由来する魚類の核酸の混入状態の推定方法である。例えば、当該方法は、該淡水環境に対する該外部に由来する魚類の核酸の混入地点の情報、及び魚類の核酸の分解速度定数又は半減期を用いて、該淡水環境中の所与の地点における該外部に由来する魚類の核酸の混入状態を推定することを含む。また例えば、当該方法は、該淡水環境に混入した該淡水環境の外部に由来する魚類の核酸が由来する、魚類の種組成を推定することを含む。また例えば、当該方法は、該淡水環境に対する該外部に由来する魚類の核酸の混入地点における、生活排水又は下水処理場流入水と、下水処理場放流水に含まれる核酸の量と組成の違い、下水処理場普及率、及び人口を用いて、該淡水環境中の所与の地点における該核酸の混入状態を推定することを含む。
【0017】
したがって、本発明の一実施形態は、前記外来eDNA又はeRNAの混入状態の推定方法で得られる推定値を利用した、核酸の網羅的解析を用いた淡水環境における魚類の生態調査方法に関する。一実施形態において、当該生態調査方法は、淡水環境に生存する魚類種の検出方法である。別の一実施形態において、当該生態調査方法は、淡水環境に生存する魚類種の定量方法である。
本実施形態では、前記推定方法で得られる推定値に基づいて生態該調査の結果を補正するか、又は生態該調査の結果の精度を評価することができる。例えば、調査地点からの環境サンプルに含まれる核酸を網羅的に解析した結果から、該推定値を差し引く、又は、該結果を推定値と比較する、又は該結果を推定値に基づいて評価することで、魚類種の検出又は定量の結果を補正して該生態調査の精度を向上させたり(例えば偽陽性の低減)、該生態調査の精度(例えば偽陽性の有無)を評価したりすることが可能になる。
【0018】
代表的な一実施形態において、本発明は、前記外来eDNA又はeRNAの混入状態の推定方法で得られる推定値を利用した、核酸の網羅的解析による淡水環境の生態調査における偽陽性を推定し、その影響を低減する方法に関する。本発明では、生態調査の調査地点における外来eDNA又はeRNAの量を推定し、該推定された定量値を実際の解析で得られた該魚種由来の核酸の定量値から差し引くことで、解析結果に対する偽陽性の影響を低減することができる。また本発明では、外来eDNA又はeRNAの量を推定し、該推定された定量値に基づいて、該魚種が偽陽性であるか否かを評価することができる。
【0019】
本明細書において、「淡水環境」とは、河川、湖、池、沼などの海水域又は汽水域以外の水域をいう。淡水環境は、水及び水底(例えば川底)を含む。好ましくは、本発明で対象とする淡水環境は河川である。
【0020】
本明細書において、「環境DNA(eDNA)」及び「環境RNA(eRNA)」とは、それぞれ水、泥、岩肌、土壌などの環境サンプル中に含まれるDNA及びRNAをいう。好ましくは、本発明において淡水環境の生態調査に用いられる該環境サンプルは、淡水環境の水又は泥である。
【0021】
本明細書において、核酸の網羅的解析による淡水環境の生態調査における「偽陽性」とは、調査地点の淡水環境に実際に生存していない魚種を誤検出することを表す、又は、誤検出された魚種を表すこともある。誤検出された魚種は「偽陽性種」ということもある。
【0022】
本明細書において、「外来eDNA」及び「外来eRNA」(まとめて「外来核酸」ともいう)とは、核酸の網羅的解析による淡水環境の生態調査において、該淡水環境の外部(例えば、生活排水や、下水処理場の放流水)に由来する魚類eDNA又はeRNAをいう。外来eDNA又はeRNAが淡水環境に混入すると、該淡水環境の生態調査における偽陽性の原因となる。
【0023】
本明細書において、「偽陽性源」とは、偽陽性を引き起こし得る核酸をいう。好ましくは、該核酸はeDNA及びeRNAからなる群より選択される少なくとも1種であり、より好ましくはeRNAである。代表的には、偽陽性源は、偽陽性の可能性のある魚種に由来するeDNA又はeRNAである。したがって、偽陽性源は前記外来核酸に含まれ得る。偽陽性の可能性のある魚種の例としては、調査対象である淡水環境に存在しないはずの魚種、例えば本質的には海水又は汽水に生存する魚種、該淡水環境の水域にはほとんど生存しないはずの淡水魚、食用魚などが挙げられる。該水環境の水域に存在する淡水魚であるが、採捕されて食品として使用され生活排水として排出されるような場合も偽陽性となり得る。
【0024】
本明細書において、「生活排水」とは、炊事や洗濯など一般的な人間の生活に伴って生じ、排出される水をいう。下水処理人口普及率が高い地域では、生活排水は下水処理場に運ばれ、浄化された後に放流水として河川等の淡水環境に放出される。一方、下水処理人口普及率が低い地域では、生活排水は、下水処理場を介さずに直接淡水環境に放出される(地先排出)。後述の試験1に示すように、生活排水は、偽陽性源となり得る外来eDNA及び外来eRNAを含み、eDNAの含有量はeRNAと比べてかなり多いことが明らかとなった。よって、下水処理人口普及率が低い地域では外来eDNAの汚染が外来eRNAよりも深刻化することが示唆される。
【0025】
下水処理場は、生活排水を浄化する施設であり、一般に沈砂池、最初沈澱池、エアレーションタンク(反応タンク)、最終沈澱池及び消毒設備から成る。生活排水中の外来eDNA及び外来eRNAは、下水処理場を介することで大きく低減する。
本明細書において、「下水処理場流入水」(又は流入水)とは、下水処理場に流入する生活排水であり、複数の家庭等から運ばれて混ざり合った生活排水を含む。本明細書において、「下水処理場放流水」(又は放流水)とは、下水処理場で処理され、淡水環境に放出される水をいう。後述の試験1に示すように、放流水は、生活排水と比べて少量であるが、偽陽性源となり得る外来eDNA及び外来eRNAを含む。そのため、河川水量に占める処理場放流水量が多い都市河川においては、恒常的かつ広範囲に偽陽性種が検出され得ることを示している。
【0026】
本明細書において、「点源」及び「非点源」は、いずれも外来核酸を含む排水が淡水環境に混入する場所(以下、「混入地点」ともいう)を表す語である。混入地点が特定されている場合は「点源」と呼ばれる。より具体的には、下水処理場の放流口、下水処理場や周りに集落がない1軒屋からの排水口、複数の家屋からの排水が集められて排出される地点など、淡水環境への排水の混入地点が特定できる場合は、その混入地点は点源と呼ばれる。一方で、混入地点が特定されていない場合は「非点源」と呼ばれる。例えば、下水道が整備されていない地域などで淡水環境への排水の混入地点を絞り込めない場合、混入地点は非点源と呼ばれる。下水処理場を介さない地先排出が行われている地域の混入地点は、非点源の可能性が高い。したがって非点源は、点源と比べて、eDNA及びeRNAの排出量が多く、特にeDNA量がeRNA量よりも顕著に多いため、偽陽性を引き起こす可能性が高い。よって、本発明に基づく核酸の網羅的解析による淡水環境の生態調査においては、混入地点が非点源である場合、偽陽性をより低減させるためにはeRNAの解析を行うことが好ましい。
【0027】
以下、本発明の方法をより詳細に説明する。
【0028】
1)核酸の網羅的解析による魚種の生態調査
淡水環境に含まれる核酸の調製は、常法に従って行えばよい。好ましくは、該核酸はeDNA及びeRNAからなる群より選択される少なくとも1種であり、より好ましくはeRNAである。淡水環境のサンプルは、河川、湖、池、沼などの表層や深部の水を採取したり、それらの底部の泥を採取したりすることによって得ることができる。得られた該サンプルからDNA又はRNAを抽出すればよい。サンプルからのDNA及びRNAの抽出は、常法に従って行うことができる。例えば、サンプルを必要に応じてろ過した後、ろ液に含まれるRNA又はDNAを、核酸吸着フィルター等により濃縮後、フェノール/クロロホルム法、AGPC(acid guanidinium thiocyanate-phenol-chloroform extraction)法、又は市販のDNA又はRNA抽出試薬等を用いて抽出すればよい。抽出されたDNA及びRNAは、直ちに解析に使用してもよいが、常法に従って保存(例えば-20℃下又は-80℃下で冷凍保存)されてもよい。
【0029】
抽出されたサンプル由来のeRNAは、RNAの形態のまま各種解析に使用されてもよいが、DNAに変換されてもよい。好ましくは、該サンプル由来のeRNAは、逆転写によりcDNAに変換されたのち、解析に使用される。RNAの逆転写には、一般的な逆転写酵素または逆転写試薬を使用することが出来る。市販の逆転写試薬の例としては、PrimeScript(登録商標)Reverse Transcriptaseシリーズ(タカラバイオ社)、SuperScript(登録商標)Reverse Transcriptaseシリーズ(Thermo Scientific社)等が挙げられる。
【0030】
抽出されたeDNA又はeRNAの網羅的解析により、該eDNA又はeRNAがどの魚種に由来するものかを調べて、淡水環境に生存している魚種を検出することができる。あるいは、該eDNA又はeRNAの網羅的定量解析により、淡水環境に生存している魚種のバイオマス量を定量することができる。
【0031】
eDNAの網羅的解析法としては、DNA次世代シーケンシング、DNAメタバーコーディング、DNA定量メタバーコーディングなどが挙げられる。DNAメタバーコーディングは、サンプルから抽出したeDNAから、各種魚種の判定に有用なマーカーDNAを選択的に増幅してライブラリを作製し、該ライブラリをシーケンシングし、決定された配列を各種魚種のゲノム配列と照合させる方法である。該マーカーDNAとしては、例えば12S rRNA、16S rRNAなどの種の判定に有用なマーカーRNAをコードするDNAが挙げられる。該マーカーDNAの選択的な増幅は、魚類用ユニバーサルプライマー、例えば、MiFish(Miya et al., Royal Society Open Science, 2015, 2(7):150088, doi: 10.1098/rsos.150088)などを用いたPCRによって行うことができる。シーケンシング結果と照合させる魚種のゲノム配列はBLAST(blast.ncbi.nlm.nih.gov/Blast.cgi)などのツールを用いて取得することができる。
【0032】
eRNAの網羅的解析法としては、RNA次世代シーケンシング、RNAメタバーコーディング、RNA定量メタバーコーディング、などが挙げられる。好ましくは、eRNAの網羅的解析には、抽出したeRNAから合成したcDNAを用いる。eRNAの網羅的解析は、前述したDNAの網羅的解析と同様の手順に従って行うことができる。
【0033】
eDNA及びeRNAの網羅的定量解析は、前記網羅的解析で検出された魚種のうちの一部のeDNAに対して行うこともできるが、該検出された魚種の全てに対して行うことが好ましい。該定量解析により、前記網羅的解析で検出された各魚種についてeDNA又はeRNAの量を調べ、淡水環境に生存している該魚種のバイオマス量を定量する。定量解析は、例えば、前述の次世代シーケンシングやメタバーコーディングにおけるシーケンシングで得られたシーケンスリードの数を基準にして行うことができる。リード数の多さ及びリードの種類の豊富さは、サンプルに含まれるeDNA又はeRNAで検出された種、つまり淡水環境に存在する魚種の量の多さ及び種数の豊富さを反映する(非特許文献7、8を参照)。したがって、所定の魚種に由来するeDNA又はeRNAの定量値(例えば定量PCRのコピー数やシーケンシングで得られたシーケンスリードの数)と、実際のフィールド調査で観測された該魚種のバイオマス量との相関関係を予め算出しておくことによって、eDNA又はeRNAの量から該魚種のバイオマス量の推定が可能になると考えられる。
【0034】
2)外来核酸の混入状態の推定のための予測モデル
河川等の淡水環境には、生活排水又は下水処理場からの放流水(以下、単に「放流水」ともいう)が流れ込んでいる。以下の本明細書において、生活排水と放流水を合わせて「排水」と呼ぶ。排水には、食用魚由来の核酸(eDNA及びeRNA)が含まれる。該排水中の食用魚由来の核酸は、核酸の網羅的解析による淡水環境における魚種の生態調査において、偽陽性を引き起こし得る(後述の試験1)。
【0035】
本発明では、該淡水環境中における外来核酸の混入状態(例えば、外来核酸の存在量、濃度、存在確率)を推定するための予測モデルを提供する。以下、予測モデルについて説明する。
【0036】
2.1)指数関数的減衰モデル
一実施形態においては、本発明による予測モデルは、生態調査の調査地点(以下、単に「調査地点」ともいう)における外来核酸の混入状態を推定する。このモデルでは、混入地点から調査地点に到達するまでの間のeDNA及びeRNAの動態、具体的には、該eDNA及びeRNAの、淡水環境中での安定性、淡水環境中での希釈率、混入地点から調査地点までの移動時間などを考慮して、調査地点における外来核酸の混入状態(例えば、外来核酸の存在量、濃度)を推定する。
【0037】
2.1.1)モデルの概要
混入地点における、外来核酸の量(例えばリード数又はコピー数、以下同じ)を算出し、これを外来核酸の初期量M0と規定する。なお、外来核酸の量は、淡水環境中の核酸の量と同様の方法で算出することができる。外来核酸が混入地点から調査地点に到るまでの時間(放出後の経過時間)tを求める。例えば、混入地点と調査地点の距離を求め、それを河川の流速で除することで、時間tを求めることができる。
淡水環境中での核酸は指数関数的減衰的に分解されると仮定する。調査地点における外来核酸の量を、下記式(1)で表される予測モデルに従って算出する。
M=M0-kt …(1)
ここで、
M:調査地点における外来核酸量の推定値
0:外来核酸の、淡水環境への混入地点での量
k:分解速度定数
t:外来核酸が混入地点から調査地点に到るまでの時間
分解速度定数kは、後述の2.1.2.4)に記載の手順に従って予め決定する。
式(1)に従って調査地点における外来核酸の量を表すMを推定することができる(図1)。なお推定するMがeDNA量である場合はM0もeDNA量であり、推定するMがeRNA量である場合はM0もeRNA量である。
【0038】
調査地点における外来核酸の量の推定値Mを、前記1)で説明した核酸の網羅的解析により定量した、調査地点における該核酸の量の実測値から差し引くことで、該網羅的解析での定量結果に対する偽陽性の影響を低減することができる。あるいは、各種魚種について推定値Mの閾値を設定し、Mが閾値より大きい魚種を偽陽性の可能性が高い種とみなすことができる。
【0039】
後述の試験1に示す生活排水中のeDNA量及びeRNA量比から、生活排水に含まれるeDNAの量はeRNAの約4倍である。一方、放流水に含まれるeDNAの量はeRNAと同様であることが判明した(図2)。したがって、下水処理人口普及率の低い地域では、外来eDNAの影響は、外来eRNAと比べて約4倍大きいと推定される。したがって、点源に主に混入する排水が生活排水か放流水かを考慮して、推定値MにeDNAを採用するかeRNAを採用するかを決定したり、又は推定値Mの閾値の高さを決定したりすることが好ましい。
【0040】
2.1.2)予測モデルの構築
以下、式(1)の予測モデルについて詳細に説明する。なお予測モデルの単純化及び説明の簡略化のため、以下特に説明がない場合、混入地点は点源であり、淡水環境は河川であり、該淡水環境から採取するサンプルは水であるものとする。
【0041】
2.1.2.1)初期量M0
初期量M0は、淡水環境における点源での核酸量を直接定量することによって求めることができる。あるいは、初期量M0は、排水そのもの(例えば河川に放出される前の生活排水や放流水)から測定した核酸の定量値を、点源における該排水の(河川水による)希釈率で除することによって算出することができる。
【0042】
点源又は排水の核酸量は、該点源又は排水から採取したサンプルでの核酸の定量解析により求める。好ましくは、該核酸は、前記1)で説明した網羅的解析で定量した核酸と同じ種類のものである。すなわち、前記1)の手順で定量する核酸がeDNAであれば、点源又は排水のeDNA量が求められ、前記1)の手順で定量する核酸がeRNAであれば、点源又は排水のeRNA量が求められる。より好ましくは、該核酸はeRNAである。点源又は排水のeDNA又はeRNAの定量解析は、次世代シーケンシング解析、メタバーコーディング解析、定量メタバーコーディング解析、定量PCR、デジタルPCRなどにより行うことができる。定量値は、解析対象DNA又はRNAについての、メタバーコーディング解析で測定されたシーケンシングリード数、定量PCRで測定されたコピー数などとして測定することができる。好ましくは、eRNAはcDNAに変換された後で該定量解析に供される。該定量解析により、外来核酸の初期量M0が決定される。排水希釈率は、後述の手順で求めることができる。
【0043】
2.1.2.2)排水希釈率
排水の河川水による希釈率(排水量/河川流量、「排水希釈率」ともいう)は、河川に放出される排水の量を河川流量で除することによって算出することができる。
河川流量は、実測することができ、例えば流速計等を用いた流速測定、流量計算、水位流量曲線作成等の過程を経て算出することができる。生態調査日近傍での流量を用いることが望ましいが、統計的に蓄積した過去の流量データを使用することもできる。
あるいは、河川流量はシミュレーションにより算出可能である。例えば、降水量や標高、土地利用率等を用いて河川流量を推定する、地域地理情報に基づく分布型流出モデルHydro-BEAM(Hydrological river Basin Environment Assessment Model)を用いた方法が利用できる。Hydro-BEAMは、後述するAIST-SHANEL Ver.3.0に内蔵されている。そのため、AIST-SHANEL Ver.3.0を用いて河川流量を計算することが可能である。例えば、AIST-SHANELで推定した点源付近の1kmメッシュにおける河川流量を用いることができる。
【0044】
河川に放出される排水の量は、人口1人当たりの水使用量の統計値、地域人口、下水処理人口普及率を基に推計することができる。点源に生活排水と放流水が混在する場合、それらの割合は、後述するAIST-SHANELを用いて、下水処理場に流入する生活排水の割合を計算することで求めることができる。
排水における生活排水と放流水の割合は、人口と下水処理人口普及率から推計することができる。例えば、AIST-SHANELにより、人口と下水処理人口普及率の情報に基づいて生活排水と放流水の量を推定することができる。
【0045】
また、排水希釈率は、化学物質の暴露解析(河川水中濃度分布解析)により推計された河川地点ごとの排水希釈率の統計値を用いることができる。化学物質の河川水中濃度分布はAIST-SHANELを用いて計算できる。例えば、「化審法における優先評価化学物質に関するリスク評価の技術ガイダンス VI.暴露評価 ~用途等に応じた暴露シナリオ~Ver.1.0」(平成26年6月 厚生労働省・経済産業省・環境省)[www.meti.go.jp/policy/chemical_management/kasinhou/files/information/ra/06_tech_guidance_vi_youtonioujita_v_1_0_140626.pdf](以下、「化審法ガイダンス」と呼ぶ)に記載された、AIST-SHANELで算出された1kmメッシュにおける地先排水の希釈率は96倍である。したがって、地先排水の希釈率を96倍と仮定して、混入地点の外来核酸量を予測する方法が考えられる。また、化審法ガイダンスに記載されたAIST-SHANELで算出された1kmメッシュにおける下水処理場放流水の希釈率は7倍である。したがって、下水処理場放流水の希釈率を7倍(最も希釈されなかった場合に相当)と仮定して、混入地点の外来核酸量を予測する方法が考えられる。
【0046】
あるいは、排水希釈率は、放流水中の所与の外来核酸の濃度と、流出先の河川における同じ外来核酸の濃度の比を希釈率として算出できる。この場合、河川水量の推定や計測は省略することができる。
【0047】
2.1.2.3)時間t
点源と調査地点との距離を求め、河川流量(流速)で除することで、点源に放出された外来核酸が点源から調査地点に到るまでの時間tを求める。
【0048】
2.1.2.4)分解速度定数k
A.魚の飼育水から算出
具体的な手順は後述の試験2に述べる。魚(メダカなどの一般的に実験に使用される魚種でよい)を飼育水(脱塩素水、河川水など)が入った水槽で一定期間飼育して魚のeDNA及びeRNAを飼育水に溶出させる。魚を取り除いた後、経時的に飼育水を回収し、回収した飼育水中のeDNA及びeRNAを定量する。定量には次世代シーケンシング解析、メタバーコーディング、定量メタバーコーディング、定量PCR、デジタルPCRにより定量などを用いることができる。
定量結果から、以下を求める。
0:時間0(飼育水から飼育魚を取り除いた直後)での飼育水中における飼育魚由来のeDNA又はeRNA濃度。
C(m):時間mでの飼育水中における飼育魚由来のeDNA又はeRNA濃度。
mは、時間0から、飼育水中における飼育魚由来のeDNA及びeRNAを定量するまでの時間を表す。
下記式(2)で表される指数関数的減衰モデルを用いたフィッティングにより、分解速度定数kを算出することができる。
C(m)=C0-km …(2)
(C(m)、C0、mは上述のとおり。)
C(m)が飼育水の温度、pH等の条件に応じて変化するため、分解速度定数kは温度又はpHに依存して変化する。調査する河川の水温、pH等の条件に対応する温度、pH等の条件での分解速度定数kを予め算出しておくことができる。
【0049】
B.初期量M0と調査地点の外来核酸量から算出
点源における偽陽性魚種(例えば、海水種であるイワシやマグロ)由来の外来核酸量(C0)を測定する。該偽陽性魚種についての、調査地点での核酸量(実測値C(m))を測定する。ここでmは偽陽性魚種由来の核酸が点源から調査地点に移動するまでの時間であり、点源付近から調査地点までの距離と河川の流速から求めることができる。
点源から調査地点の間で、核酸量が前記式(2)の指数関数的減衰モデルC(m)=C0-kmに従って減少したと仮定する。このとき分解速度定数kは、下記式(3)として算出できる。
k=lnC0-lnC(m)/t …(3)
(C(m)、C0、mは本段落で規定したとおり。)
本手法では、魚種ごとに特有のkを推定することができる。ただし本手法で推定した特定の魚種に特有のkは、他の魚種にも適用することが可能である。あるいは、複数の魚種についてそれぞれkを推定し、それらの平均値や中央値等を代表的な分解速度定数kとして扱うことができる。
【0050】
2.1.3)式(1)を用いた調査地点での外来核酸量の推定
前述のとおり求めた初期量M0、分解速度定数k、及び時間tを前記式(1)にあてはめることによって、後述の実施例1に示すように、調査地点における偽陽性魚種由来の核酸量の推定値Mを算出する。
【0051】
2.2)メタ解析で導かれた移流距離情報の活用
河川に混入した外来核酸の移流距離は、魚種や採水状況、河川流量に依存する可能性がある。したがって、河川流量と核酸移流距離との関係性に基づき、河川流量から移流距離を推定する方法や、様々な研究で実施されたeDNA又はeRNAの移流距離の平均移流距離を求めることによって、点源からの外来核酸の移流距離を推定する方法が考えられる(Jo et al; DOI:10.22541/au.163490255.53353112/v1、及びJo et al; DOI:10.1111/1755-0998.13354)。推定した移流距離に基づき、調査地点における外来核酸の混入状態を推定することができる。本法は、前記指数関数的減衰モデルをさらに簡便にしたものである。つまり、調査地点の流量において移流される距離Dが報告されていた場合、点源からDメートルの距離においては点源及び点源付近で排出された外来核酸が検出される可能性があると定性的に判断することができる。
【0052】
2.3)暴露解析モデルによる予測
前記指数関数的減衰モデルやメタ解析で導かれた移流距離情報の活用は、淡水環境中の任意の地点における単一の点源に由来する外来核酸の混入状態を推定することを可能にする。しかし、河川には複数の点源が存在し得、それらの点源から放出される外来核酸の分布は重なり得る。さらに下水処理人口普及率の低い地域では、地先排出による非点源が存在する場合があり、かつ地先排出からの多量の外来核酸の混入の影響を無視できない。また下水処理を行っていない施設からの点源排出や、非点源排出においては、eRNAよりもeDNAの汚染が深刻化する可能性が高い。したがって、複数の点源排出や非点源排出による多量の外来核酸の混入や、河川に混入するeRNA及びeDNA量の割合が、推定値Mの算出の過程に悪影響を与え得る。これらの課題を解決する方法として、後述するAIST-SHANELのような暴露解析モデルを活用する方法が考えられる。
【0053】
したがって別の一実施形態においては、本発明による予測モデルは、点源排出と非点源排出を考慮して、調査地点を含む河川全域における外来核酸の濃度分布を推計する。本モデルでは、3次メッシュ別流域属性(人口、土地利用、工業統計、下水処理人口普及率、標高等)、気象情報(降水量、気温等)、化学物質の物理化学的性状(蒸気圧、分子量、水溶解度、有機炭素補正土壌吸着係数(Koc)、河川水中半減期、下水処理場除去率)などから、淡水環境における外来核酸の存在量もしくは濃度、又は存在確率の分布を推定することができる。本モデルによる外来核酸の分布の推定は、「産総研-水系暴露解析モデル(AIST-SHANEL)」(Ver.3.0、国立研究開発法人産業技術総合研究所 安全科学研究部門[riss.aist.go.jp/shanel/]から入手可能)により実施することができる。AIST-SHANELは、公開されたソフトウェアであり、化学物質の河川汚染状況のシミュレーションなどにも利用されている(Journal of Japan Society on Water Environment,2012,35(4):65-72)。当業者であれば、AIST-SHANELを入手し、調査で得られたパラメータ(生活排水及び放流水に含まれるeDNA量及びeRNAの量、下水処理場の流入水と放流水に含まれるeDNA及びeRNAの量的な差、外来核酸の下水処理場除去率、及びeDNA及びeRNAの半減期など)を入力する、または実施例2に示すように試験1、2で得られたパラメータをデフォルト値として入力することにより、外来核酸の分布推定に応用することが可能である。
本モデルでは、外来核酸の混入地点が明確に特定できない場合(例えば混入地点が非点源の場合、又は点源と非点源とが混在する場合)であっても、外来核酸の混入状態を推定することができる。
【0054】
2.3.1)モデルの概要
AIST-SHANELは、日本における河川流域の化学物質の暴露評価と対策評価のためのモデルであり、河川流量の推定、化学物質排出量の推計、化学物質の河川水中濃度の推定を行う機能を備えている。AIST-SHANELには、3次メッシュ別流域属性(人口、土地利用、工業統計、下水処理人口普及率、標高等)のデータに加え、気象情報(降水量、気温等)の情報を扱うことができる。AIST-SHANELによる化学物質の河川水中濃度の推定では、3次メッシュ別流域属性と気象情報より、1kmメッシュの月平均河川流量を、地域地理情報に基づく分布型流出モデルHydro-BEAM(Hydrological river Basin Environment Assessment Model;AIST-SHANEL Ver.3.0に内蔵されている)を用いて計算し、また3次メッシュ別流域属性より化学物質の排出量の推計を行う。さらに、流量解析と排出量の情報をもとに、河川水中の化学物質の濃度を算出する。濃度の計算に関連する化学物質側のパラメータとしては、蒸気圧、分子量、水溶解度、有機炭素補正土壌吸着係数(Koc)、河川水中半減期下水処理場除去率があり、モデルを用いた化学物質濃度推計に影響を及ぼす主たるパラメータとしては、水路底泥の負荷流出係数(掃流係数)が知られている(水環境学会誌、2018年41巻5号129-139頁)。
【0055】
AIST-SHANELは、日本における河川流域の化学物質の暴露評価と対策評価のためのモデルであるが、外来核酸の濃度分布の推計に活用できる利点を有している。
第一に、AIST-SHANELは、3次メッシュ別流域属性(人口、土地利用、下水処理人口普及率、標高等)のデータに加え、気象情報(降水量、気温等)の情報から、前述のHydro-BEAMを用いて1kmメッシュの月平均河川流量を正確に求められる。この河川流量は前述のとおり、排水の希釈率を求めるのに有用である。また、下水処理場と周辺人口の情報を利用して、排水中の外来eDNA量及び外来eRNA量に、推定される排水量(周辺人口×水使用量)を乗じることにより、下水処理場に流れ込む生活排水中の外来eDNA及びeRNA量を推定できる。
第二に、AIST-SHANELには、下水処理場の位置情報が内蔵されており、下水処理場から点源排出されて移流する混入物の挙動の解析に有用であることから、複数の点源に由来する河川水中の外来核酸濃度分布の重複を考慮した外来核酸の混入状態の推定を実現できる。つまり、前述2.1)の指数関数的減衰モデルでは、特定の地点での外来核酸の混入状態の推定を行ったが、本モデルでは実際の下水処理場の数と位置を考慮して、河川全域に対して外来核酸の混入状態の推定を実施できる。
第三に、AIST-SHANELは、3次メッシュ別流域属性(人口、下水処理人口普及率)の情報を用いて、非点源で排出される排水量(周辺人口×水使用量×(1-下水処理人口普及率))を算出できる。eDNA及びeRNAを用いた調査において非点源排出に由来する外来核酸の混入状態を評価しようとした事例は確認できない。したがって、本アプローチは、生活排水の非点源排出によって生じる偽陽性種の検出可能性について、eDNA及びeRNAのそれぞれでのシミュレーションを可能にする。下水処理場で処理されない生活排水においてはeDNA量がeRNA量よりも顕著に多いため、下水処理人口普及率の低い地域ではeDNAの汚染がより深刻になる可能性がある。調査地点での推定されるeDNA及びeRNAの汚染度を頼りにして、どちらの解析が有用かといった調査設計に係る情報を事前に得ることができる。
第四に、AIST-SHANELには、核酸の物理化学的性質を考慮した河川水中の核酸濃度分布を推計できる利点がある。化学物質側のパラメータとしては、蒸気圧、分子量、水溶解度、有機炭素補正土壌吸着係数(Koc)、河川水中半減期、下水処理場除去率があるが、特にeDNA及びeRNAの差異として河川水中半減期を考慮し、水中での消失と移流による分布を推計できることにメリットがある。
【0056】
後述の試験1に示すように、生活排水中のeDNA量はeRNA量よりも顕著に高いことが判明した。生活排水に由来するeDNA量は、eRNA量の約4倍であった(図2)。よって、生活排水の地先排出で淡水環境に混入する偽陽性魚種由来のeDNA量は、eRNA量の約4倍多いと推定される。したがって、他の水域や他の下水処理場においても、生活排水や流入水及び放流水中のeDNA及びeRNAの比を測定することで、近傍水域における下水処理場を介した点源排出と、地先からの非点源排出の影響を調査できる。具体的には、AIST-SHANELによるシミュレーションにおいて、後述の実施例2で行った予測モデルを用いた偽陽性評価の例に示すように、生活排水中のeDNA量がeRNA量より推定した倍数(例えば4倍)分大きい値をとるように外来eDNA及び外来eRNAについて任意の初期濃度を設定することや、又は、核酸濃度の推計に係る各種パラメータ(AIST-SHANELを用いた解析においては、水路底泥の負荷流出係数(掃流係数)等)のキャリブレーションを行うことができる。
【0057】
また、本発明者らは、人口比に基づいて、全国の任意の下水処理場から放出される核酸(eDNA又はeRNA)の量を予測することができることを見出した。すなわち、以下の式に従って、目的の下水処理場から放出される核酸の量を予測することができる。
ある下水処理場の処理人口:当該下水処理場放流水中の核酸量
=目的の下水処理場の処理人口:当該目的の下水処理場からの放流水中の核酸量
所与の下水処理場の処理人口の情報は、AIST-SHANELから入手することができる。また、所与の下水処理場放流水中の核酸量は、前述のように排水から採取したサンプルでの核酸の定量解析、又はAIST-SHANELを用いた解析により前述のとおり推定することができる。
【0058】
さらに、本発明者らの研究から、以下のとおり、eRNAの下水処理場除去率は約68%、eDNAの下水処理場除去率は約96%と算出された。
・eRNAの下水処理場除去率
=1-(放流水中の魚類由来eRNA量/流入水中の魚類由来eRNA量)×100
=1-(83955.6(copies/500mL放流水)/265779(copies/500mL流入水))×100
=68%
・eDNAの下水処理場除去率
=1-(放流水中の魚類由来eDNA量/流入水中の魚類由来eDNA量)×100
=1-(47111.1(copies/500mL放流水)/1114074(copies/500mL流入水))×100
=96%
これらのeDNA又はeRNAの下水処理場除去率を用いることによって、全国の河川のすべての点源から放出されるeDNA量及びeRNA量を考慮した時空間的な濃度分布解析を実現できる。
例えば、所与の地点について、近傍の下水処理場からの放流水中と地先排出による生活排水中でのeDNA量及びeRNA量、前記で定義したeDNA又はeRNAの下水処理場除去率、及び水中半減期をAIST-SHANELに入力することにより、各地点における外来核酸量の推定値Mを算出することができる。
【0059】
地域ごとに多く食される魚は異なるため、各地域で点源でのeDNA又はeRNA定量解析を行うことによって、魚種ごとの偽陽性源の混入量のより詳細な予測が実現できる。一方、非点源の排出においてもAIST-SHANELの解析によって、非点源に割り振られた地先排出を考慮した濃度分布の推定が実施できる。推定された濃度分布は、キャリブレーションやスケールファクターの考慮によって、精度を高めることができる。
【0060】
2.4)その他の予測モデル
以上記載した方法に加え、eDNAの動態研究で従来用いられている各種モデリング手法を活用したメタデータを用いて予測モデルを構築することができる。代表的な事例を概説する。
【0061】
2.4.1)階層ベイズモデル
【0062】
複数のボックスが接続されたモデルを想定し、eDNA又はeRNAの流下、減衰及び観測を階層ベイズモデルで表現することで、調査地点における偽陽性種の分布やその検出確率を算出する予測モデルが考えられる。このようなモデルは、既にeDNAでは報告されている(環境DNA学会2021、環境DNA学会第4回大会、2021年11月20~21日、発表番号PP053、伊藤青葉ら)。このモデルに従うと、調査地点における核酸(eDNA又はeRNA)の量の変化は、(上流からの核酸流下量)+(下調査地点に混入する核酸量)-(下流への核酸流下量)-(調査地点における核酸分解量)と定義できる。なお、核酸量はeDNA又はeRNAの分析結果(メタバーコーディング解析であれば、リード数/m3)と河川流量(m3)を乗じたものと定義できる。なお、AIST-SHANELを用いることで、調査地点に混入する核酸量には、点源又は非点源の排出量をインプットすることができ、河川流量も前述のように解析できる。その他、観測間隔、減衰率をパラメータとして扱い、事前分布を用いて階層ベイズモデルを構築する。次に、パラメータをモデルにインプットする。多種多地点観測データ(eDNA又はeRNAのメタバーコーディング解析の結果)と河川の基礎的な物理データ(河口から採水地点までの距離等)から、生物分布と核酸の減衰速度を同時に推定する方法が考えられる。核酸の減衰速度は分解速度定数kの参考情報として利用でき、生物分布情報はメタバーコーディング解析により検出し得る偽陽性種を推定するのに役立てられる。
【0063】
2.4.2)サイト占有モデル
複数地点で複数測定したeDNA又はeRNAに基づく調査結果をもとに、種の検出誤差を考慮した階層モデリングを利用する方法も考えられる。種のサイト占有確率と、種ごとの配列補足確率、配列の相対的優先度を考慮し、モデルはMCMCを用いたベイズ推測によって当てはめられる(Methods in Ecology and Evolution, 2022, 13(1):183-193)。解析にはR package occumb(rdrr.io/github/fukayak/occumb/f/)を使用して解析ができる。パラメータとしては、メタバーコーディング解析結果、調査地点数、採水反復回数をインプットする。アウトプットは、種別核酸別のサイト占有確率、種ごとの配列補足確率、配列の相対的優先度の事前確率と、その確率に基づく事後標本である。
本方法を偽陽性種の解析に適用するため、メタバーコーディング解析に供する核酸の種類(eDNA又はeRNA)及び、事前に調査水域の近傍の点源のeDNA及びeRNA解析を行うことで得られる偽陽性種の可能性があるか否かの情報を、共変量として入力することで、これら共変量の種別核酸別のサイト占有確率、配列補足確率、配列の相対的優先度に及ぼす影響を解析できる。偽陽性種の可能性があるか否かの情報を共変量として加えない場合には、メタバーコーディング解析の結果から、偽陽性種のみを抜粋してR package occumbに供することで、調査水域における偽陽性種の検出確率について詳細な予測が可能となる。また、ベイズ決定分析によって、反復回数や調査点数、メタバーコーディング解析に供する核酸の種類ごとに事後標本を得ることによって、非偽陽性種の検出確率を最大化し(偽陰性の低減)、偽陽性種の検出確率を最小化するための採水地点数、採水反復数、及びメタバーコーディングに供する核酸タイプを事前に探索可能である。
以上、本方法の適用は、偽陽性種に由来する核酸の検出確率を地点や種ごとに導出できるので、偽陽性種の考察に有用と考えられる。前述のAIST-SHANELを用いた解析では、点源及び非点源排出に由来する偽陽性種の核酸濃度を時空間的に河川全域に対して解析できるのに対し、本方法は濃度を推定できず、メタバーコーディング解析を実施した水域内にしか適用できない。しかし、各種の検出確率の観点から偽陽性リスクを評価することができるため、採水条件や地点数等の解析条件の最適化に有用である。
【0064】
2.4.3)生態系モデル
河川生態系モデルとしては、1次元物質動態シミュレーション(River flow model,Heat balance model, Material Transport modelより構成される)と、2次元物質動態シミュレーション(1次元計算に加えてSpatial distribution prediction model,biological growth modelを利用する)が知られている(土木学会論文集B1(水工学),2018,74(5):I_409-I_414を参照)。本モデルでは、河川水量や気温等の情報を用いてシミュレーションを行う。本モデルにより、eDNA又はeRNAの移流や拡散、沈降の過程を考慮して、移流距離を推定することができ、測定地点に生じ得る偽陽性種の検出可能性について事前に予測できると考えられる。核酸の沈降に関連するパラメータとしては、沈降速度、粒子径、粒子密度、流体密度、重力加速度、流体粘度がある。1次元物質動態シミュレーションのパラメータとしては、流水断面積、流量、河床高、重力加速度、水深、エネルギー勾配、流れ方向の単位長さあたりの取水量、各断面の核酸濃度、沈降速度、分散係数、水位等があり、これらのパラメータを用いて計算が実施される。偽陽性種の核酸の平均粒径等や量に基づき動態シミュレーションを適用することで、点源に由来する偽陽性種の核酸の移流距離について、半減期と流速のみを用いた推定よりも精度の高い情報が得られる可能性がある。
【0065】
2.5)推定値Mを用いた偽陽性の低減
以上の予測モデルにより求めた外来核酸の量の推定値Mを、実測した定量結果から差し引くことで、該定量結果に対する偽陽性の影響を低減することができる。より具体的には、前記1)で説明した核酸の網羅的解析により得られた、調査地点における偽陽性の可能性のある魚種に由来する核酸の定量値から、該偽陽性の可能性のある魚種についての推定値Mを減算することにより、該定量値に対する偽陽性の影響を低減する。推定値MがeDNA量である場合、実測値もeDNA量であり、推定値MがeRNA量である場合、実測値もeRNA量である。また、推定値Mがメタバーコーディング解析で得られるリード数である場合、実測値はメタバーコーディング解析で得られるリード数であり、推定値Mが定量PCR又はデジタルPCRなどで得られるコピー数である場合、実測値は定量PCR又はデジタルPCRなどで得られるコピー数である。
【0066】
2.6)偽陽性魚種の推定
定性的な解析として、点源で検出されたeDNA又はeRNA量をもとにして、調査地点に潜在的に検出され得る偽陽性種を推定できる。前述のメタ解析や指数関数的減衰モデル等で導かれた移流距離を用いて、点源のメタバーコーディング解析で得られたeDNA又はeRNAがその距離だけ移動すると仮定することで、調査地点で検出した魚種が偽陽性である可能性を簡便に評価することができる。言い換えれば、調査地点のeDNA又はeRNAの解析によって検出された種が、推定移流距離内の排水のeDNA又はeRNAで検出された場合には、偽陽性である可能性を考察することができる。さらに、点源のeDNA量又はeRNA量を定量しない場合においては、近傍の下水処理場の流入水、放流水、及び生活排水の解析結果を代わりに使用できると考えられる。後述の実施例2に示すように発明者は下水処理場の処理工程の前後で排水中の偽陽性源の由来する魚種の組成が大きく異なることを明らかにした。
実施例2のように生活排水におけるeDNA又はeRNAの汚染地域をマッピングしたとき、検出される偽陽性魚種には、都市部の放流水比率の多い地域では、放流水中の偽陽性源が由来する魚種が、下水処理場が近傍になく地先の非点源排出によって汚染されていると考えられる地域では、生活排水中の偽陽性源が由来する魚種が混入していると考えられる。AIST-SHANELでは、点源排出と非点源排出をそれぞれ分けて解析可能なため、点源と非点源のそれぞれからの偽陽性源の混入量の見極めから、調査地点に混入する偽陽性を推定できる。特に、本方法による非点源に由来する偽陽性の推定は、生活排水又は流入水のeDNA/eRNAメタバーコーディング解析による周辺水域の食習慣を考慮した推定を行う点で新規性が高いと考えられる。
【0067】
AIST-SHANELを用いて、eDNA及びeRNAの汚染度を河川全域で評価することで、魚種を検出し得る地点を推定し、検出した魚種が偽陽性である可能性をより正確に評価できる。AIST-SHANELによる解析では、排水源が処理場経由か地先排出かによってeDNAとeRNAの混入量が異なる点を考慮し、eDNAとeRNAの相対的な混入割合に関する情報を得ることができる。調査地点に混入する偽陽性種のeDNAとeRNAの比が1:1から大きく外れると予想される予測地点においては、eDNAとeRNAの両方のメタバーコーディング解析を実施することにより信憑性の高い偽陽性の推定が可能になる。例えば、調査地点におけるeDNAとeRNAの比が5:1と予想される場合、調査地点におけるeDNAとeRNAの両方のメタバーコーディング解析で得られたリード数の比が5:1になる魚種は偽陽性である可能性があると判断できる。
【0068】
あるいは、各種魚種について偽陽性判定のための閾値を予め設定しておく。ある魚種について核酸量(例えば定量メタバーコーディング解析でのリード数)の実測値から推定値Mを差し引いた値が閾値(例えば、シーケンシングでエラーと判定される基準である10リード)より大きければ、該魚種が淡水環境に存在する(偽陽性魚種ではない)と推定することができる。該閾値としては、核酸の定量手法での検出下限濃度を設定することができる。
あるいは、段階的に希釈したサンプルを用いて定量PCR及びデジタルPCRなどを用いた定量解析を行い、サンプル中の核酸の検出下限濃度を決定する。各種魚種の推定値Mが該検出下限濃度を上回るか否かで、該魚種の検出可能性を判断する。
【0069】
本発明の例示的実施形態として、以下の物質、製造方法、用途、方法等をさらに本明細書に開示する。但し、本発明はこれらの実施形態に限定されない。
【0070】
〔1〕生活排水又は下水処理場流入水と、下水処理場放流水に含まれる環境DNA及び環境RNAの核酸量を用いた、淡水環境における該淡水環境の外部に由来する魚類の核酸の混入状態の推定方法。
〔2〕好ましくは、前記生活排水又は下水処理場流入水と、下水処理場放流水に含まれる環境DNA及び環境RNAの核酸量を定量することを含む、〔1〕記載の方法。
〔3〕好ましくは、前記淡水環境に対する前記外部に由来する魚類の核酸の混入地点の情報、及び魚類の核酸の分解速度定数又は半減期を用いて、該淡水環境中の所与の地点における該外部に由来する魚類の核酸の混入状態を推定することを含む、〔1〕又は〔2〕記載の方法。
〔4〕好ましくは、前記混入地点が、前記下水処理場放流水が前記淡水環境に放出される地点、又は生活排水が前記淡水環境に放出される地点である〔3〕記載の方法。
〔5〕好ましくは、前記淡水環境に混入した該淡水環境の外部に由来する魚類の核酸が由来する魚類の種組成を推定することを含む、〔1〕~〔4〕のいずれか1項記載の方法。
〔6〕好ましくは、前記淡水環境に対する前記外部に由来する魚類の核酸の混入地点における、前記生活排水又は下水処理場流入水と、下水処理場放流水に含まれる核酸の量と組成の違い、下水処理場普及率、及び人口を用いて、該淡水環境中の所与の地点における該核酸の混入状態を推定することを含む、〔1〕~〔5〕のいずれか1項記載の方法。
〔7〕前記〔1〕~〔6〕のいずれか1項記載の方法を用いる、淡水環境における魚類の生態調査方法。
〔8〕前記〔7〕記載の方法であって、好ましくは以下:
前記淡水環境中の調査地点から採取したサンプルにおける魚種由来の核酸の量を網羅的に定量すること、
該サンプルにおける偽陽性の可能性のある魚種に由来する核酸量の推定値Mを、下記式(1)に基づいて算出すること、
M=M0-kt …(1)
ここで、
Mは、該調査地点における該偽陽性の可能性のある魚種に由来する核酸量の推定値であり、
0は、該偽陽性の可能性のある魚種に由来する核酸の、該淡水環境への混入地点での量であり、
kは分解速度定数であり、
tは、該偽陽性の可能性のある魚種に由来する核酸が該混入地点から該調査地点に到るまでの時間である、
該推定値Mに基づいて該定量の結果における偽陽性を低減すること、
を含む、方法。
〔9〕好ましくは、前記調査地点から採取したサンプルから測定された前記偽陽性の可能性のある魚種に由来する核酸の定量値から、前記推定値Mを減算することにより、該定量値に対する偽陽性の影響を低減することを含む、〔8〕記載の方法。
〔10〕好ましくは、前記減算した値が一定値以上である場合に、前記偽陽性の可能性のある魚種を偽陽性ではないと推定することを含む、〔9〕記載の方法。
〔11〕好ましくは、前記推定値Mが閾値以上である魚種を偽陽性と推定することを含む、〔8〕~〔10〕のいずれか1項記載の方法。
〔12〕好ましくは、前記核酸が環境DNA及び環境RNAからなる群より選択される少なくとも1種である、〔8〕~〔11〕のいずれか1項記載の方法。
〔13〕好ましくは、前記網羅的な定量が次世代シーケンシング解析、メタバーコーディング解析、又は定量メタバーコーディング解析による定量である、〔8〕~〔12〕のいずれか1項記載の方法。
〔14〕好ましくは、前記淡水環境が河川である、〔1〕~〔13〕のいずれか1項記載の方法。
【実施例
【0071】
以下、実施例に基づき本発明をさらに詳細に説明するが、本発明はこれに限定されるものではない。
【0072】
試験1.生活排水及び放流水に含まれる魚類由来eDNA及びeRNAの定量
1.1)生活排水と放流水のサンプリング
試験に供した生活排水と放流水は2020年7月から2020年11月にかけて、日本の栃木県の下水処理場から採取した(3期にかけて各期3サンプルずつ、計9サンプル)。採取した排水サンプルは氷浴下で実験室まで輸送した。排水サンプルは固形分を含むため、ガラスフィルター(ポアサイズ1.0μm)を用いた吸引ろ過により固形分とろ液に分けた。
【0073】
1.2)核酸抽出とcDNA合成
得られた固形分とろ液からDNAとRNAをそれぞれ抽出し、固形分とろ液から抽出したDNA又はRNAを混合してDNA抽出液及びRNA抽出液を得た。具体的には、固形分をフィルターから剥離させ、RNeasy PowerSoil Total RNA Kit及びRNeasy PowerSoil DNA Elution Kit(Qiagen)を用いて推奨プロトコールに従ってRNAとDNAをそれぞれ抽出した。ろ液をSterivexTMフィルター(ポアサイズ0.45μm:ミリポア)に通し核酸を吸着させた後、SterivexTMフィルターに溶出バッファー(PowerBead Solution(1.25mL)とSolution SR1(0.25mL)の混合液(RNeasy PowerSoil Total RNA Kit、QIAGEN))を加え、Miyaらの方法(J Vis Exp, 2016, doi:10.3791/54741)に従って核酸を溶出した。溶出液をPowerBead Tubeに移し、PowerBead Solution(1.25mL)とSolution IRS(0.8mL)、phenol/chloroform/isoamyl alcohol(3.5mL)を加えた後、ボルテックスを用いて15分撹拌し、RNeasy PowerSoil Total RNA KitとRNeasy PowerSoil DNA Elution Kit(Qiagen)の推奨プロトコールに従ってRNAとDNAをそれぞれ抽出した。サンプルごとに固形分及びろ液から抽出したRNAとDNAを混合して、各排水サンプルについてのRNA抽出液及びDNA抽出液を得た。
【0074】
RNA抽出液は、rDNase Set(MACHEREY-NAGEL)とNucleoSpin RNA Clean-up XS(MACHEREY-NAGEL)の推奨プロトコールを2回繰り返すことにより残存するゲノムDNAと夾雑物を除去した。DNA抽出液は、夾雑物を除去するため、NucleoSpin gDNA Clean-up XS(MACHEREY-NAGEL)の推奨プロトコールに従って精製した。
【0075】
得られたRNA抽出液を鋳型とし、PrimeScript II 1st strand cDNA Synthesis Kit(Takara Bio Inc.)を用いて推奨プロトコールに従ってcDNAを合成した。DNA及びRNA抽出、ならびにcDNA合成中のクロスコンタミネーションの有無を確認するために、コントロールとして脱イオン水を用いて同様の手順でcDNA合成を行った。
【0076】
1.3)サンプル中の魚類由来eDNA及びeRNAの定量
1.3.1)定量解析
各排水サンプルに含まれる魚類由来eDNA及びeRNAを、QX200 AutoDG Droplet Digital PCR System(Bio-Rad Laboratories)を用いて定量した。プライマーには、12S rRNA遺伝子を対象とする魚類ユニバーサルプライマーMiFish-U及び-E33を使用した。Droplet Digital(dd)PCR反応液は、10μMのForward及びReverseプライマー、QX200 ddPCR EvaGreen Supermix、及び精製水を混合して調製した。96wellプレート上で、鋳型DNA(前記1.2)で調製したDNA抽出液又はcDNA)と、ddPCR反応液を混合した後、Automated droplet generatorを用いてddPCR反応用ドロップレットを調製した。これらをPCRプレートに移し、C1000 Touch サーマルサイクラーでPCRを行った。PCRでは、最初の熱変性を95℃5分間、94℃30秒間→61℃1分間を40サイクル、酵素失活を98℃10分間行った後、4℃で保持した。その後、QX200 Droplet Readerを用いて核酸量を定量した。各ddPCRプレートには、ネガティブコントロール(RNA/DNA free water)とポジティブコントロール(メダカから抽出したゲノムDNA)を設定した。測定結果の解析にはQuantaSoft Version 1.7.4(Bio-Rad)を用いた。陽性ドロップレットを決定するための閾値は、QuantaSoftの説明書に従って決定した。F検定を用いて定量値の分散の均質性を決定したところ、等分散を示したため、Paired samples t-testを用いて生活排水中のDNA量とRNA量が有意に異なるかどうかを判断した。以下の実施例において、全ての統計分析はOrigin Prо 2021b(OriginLab)を使用し、p値<0.05は統計的に有意とみなした。
【0077】
1.3.2)結果
定量解析の結果、排水サンプルからeRNAが検出された。安定性の観点から排水サンプル中にはeRNA存在しないと予想されていたため、これは驚くべき結果であった。生活排水からは、放流水と比べて多量の核酸が検出され、またeRNAと比較してeDNAの方が統計学的有意に多く検出された(図2(a))。したがって、下水道が整備されておらず、生活排水が河川に直接排水される地域ではeDNAがeRNAと比べて有意に多く河川に放出されると考えられた。一方、放流水中の核酸量は生活排水と比べて大きく減少しており、またeDNAとeRNAの量は同等であり、下水処理場が偽陽性の低減に大きく寄与していること示された(図2(b))。しかしながら、放流水でも核酸が完全に除去されているわけではなく、少量ではあるものの排水由来のeDNA及びeRNAが含まれていることが明らかになった。
【0078】
1.4)生活排水及び放流水に含まれる魚類DNA及びRNAの調査(魚類群集解析)
1.4.1)アンプリコンライブラリの作成とMiSeqシーケンシング
12S rRNA遺伝子のアンプリコンライブラリは、魚類のユニバーサルプライマーであるMiFish-U及び-E33を用いてTwo step tailed PCR法により調製した。ライブラリ調製手順において、1st PCRはTaKaRa Ex Taq Hot Start Version(Takara Bio Inc.)の推奨プロトコールに従って行った。鋳型として前記1.2)で調製したDNA抽出液又はcDNAを用い、Forward及びReverseプライマーの濃度は0.5μMに設定した。PCR条件は、最初の熱変性を94℃2分間、94℃20秒間→65℃で15秒間→72℃20秒間を35サイクルとし、最後の1サイクルの伸長は72℃5分間とした。1st PCRは各サンプルに対して8回行い、得られた8回分のPCR産物を1つにまとめて2nd PCRに供した。2nd PCRは、MiSeqアダプタシーケンス及び8bpインデックス配列を含む0.5μMプライマーペアを用いて、アンプリコンの末端に連結させた。2nd PCRの条件は、最初の熱変性を94℃2分間、94℃30秒間→60℃30秒間→72℃30秒間を12サイクルとし、最後の1サイクルの伸長は72℃5分間とした。得られたライブラリをIllumina MiSeq Reagent Kit v3(600Cycle)for 2×300bp PE(Illumina)に供し、シーケンシングした。
【0079】
1.4.2)クオリティーコントロールとアセンブリング
Fastxtoolkit(ver.0.0.14)([hannonlab.cshl.edu/fastx_toolkit/];ハノン研究所、ケンブリッジ大学)のfastq_barcode_spliltterを用いて、得られたリード配列の読み始めが使用したプライマー配列と完全に一致するリード配列を抽出した。プライマーにN-mix(Nを含む配列)を含む場合、Nの数(フォワード側6種類×リバース側6種類=36種類)を考慮して、この操作を繰り返した。Qiime2(ver.2020.8)のdada2プラグインでプライマー配列と3’末端の120bp、キメラ配列、ノイズ配列を抽出したリード配列から除去した後、代表配列とASV表を出力した。得られた代表配列は、魚類ミトコンドリアゲノムデータベースMitoFish(ver.3.53)とMiFish用参照配列(Miya et al.,Reference data for MiFish metabarcoding analysis.)に対してBLASTN(ver.2.9.0)を行うことにより系統推定した。その他のパラメータは標準の条件で行った。
【0080】
1.4.3)データ分析
生活排水中のeDNAとeRNAのリード数の関係を分析した。eDNAとeRNAの両方でリード長が<10bpであった種を除外し、対数スケールで描画するため全てのリード数に1を加えた。F検定を用いて各排水サンプル由来のeDNAとeRNAのそれぞれについて検出種数の分散の均質性を決定した。サンプルごとにeDNAとeRNAの検出種数を比較した。分散が均一であり、分布が非パラメトリック分布を示さなかった場合、Paired samples t-testを行い、不均一の場合、Wilcoxon Signed Ranks Testを実施した。
【0081】
1.4.4)結果
生活排水と放流水の魚類群集解析の結果、123種の魚が検出された(図3)。生活排水からは121種検出され、その内109種が海水又は汽水魚、117種が食用魚であった。これは海水魚を主食とする日本人の食習慣に一致し、生活排水中の魚類由来eDNA及びeRNAが食品に由来することが考えられた。一方、放流水からは22種の魚種が検出され、うち20種が海水又は汽水魚で、いずれも食用魚であった。また、放流水から検出された魚種の種組成は生活排水から検出された魚種の種組成と大きく異なっていた。したがって、生活排水や放流水には食用魚の核酸が含まれており、これらは、メタバーコーディング解析による生態調査を行う場合に、偽陽性の原因になると考えられた。
【0082】
次に、生活排水と放流水について、検出した魚種由来のeDNAとeRNAの間でリード数の相関解析を行った。生活排水では、eDNAのみ検出された魚は65種、eRNAのみ検出された魚は9種、両方検出された魚は47種であり、検出された種数はeRNAと比較してeDNAの方が統計学的有意に多かった(図4(a)及び(b))。一般に、RNAはDNAより分解しやすいため、食品の加工や保存、ヒトによる消化と排泄、又は下水道内での移動の過程でRNAが分解されたことにより、eRNAでの検出種数がeDNAと比べて有意に減少したと推察された。一方、放流水においては、eDNA及びeRNA共に生活排水と比較して検出種数が大きく減少した(図4(c)及び(d))。この結果は、下水処理場の微生物処理や塩素処理の過程で生活排水に含まれる核酸のほとんどが分解されたためであると推察された。これらの結果から、排水に含まれるeDNAは安定で、eDNAからの検出種数はeRNAより多い傾向があること、そのためeDNAは調査地点に流れ込んだ際には偽陽性の原因になり得ることが示された。一方、eRNAはより不安定でeRNAからの検出種数はより少ない傾向があり、生態調査における偽陽性の原因になりにくいと考えられた。
【0083】
試験2.試験水槽中のeDNA及びeRNAの分解挙動
試験1で示したとおり食用魚由来のRNAは河川に流れ込んでいるにもかかわらず、非特許文献6で報告されたように、eRNAのメタバーコーディング解析ではeDNAと比べて偽陽性を低減できる。その理由はこれまで解明されていない。この現象を解明するためには、混入地点から調査地点に到達するまでの間のeRNAの動態について更なる研究が必要である。しかし魚類由来のeRNAの安定性などの動態情報はこれまで報告されていない。そこで、本実験では、水槽中の魚類由来のeDNAとeRNAの動態及び安定性を調べた。
【0084】
2.1)水サンプルの採取
試験水槽を5Lの飼育水(脱塩素水)で満たした後、24℃に維持した。24時間餌を与えていないメダカを用意した。試験水槽でメダカ(NIES_R)を1時間飼育した後、メダカを取り除き、試験水槽を4℃、14℃、24℃、34℃の恒温槽にそれぞれ3つずつ設置した。実験中のコンタミネーションを確認するために、メダカを飼育していない試験水槽を各温度区に1つずつ設置し、ネガティブコントロールとした。試験水槽にはガラス管を用いて通気し、溶存酸素を維持した。各水槽はプラスチックラップで覆い、コンタミネーションと試験水の蒸発を防いだ。メダカを取り除いた直後(0時間)と、取り除いてから3、6、12、24、36、48、72、及び96時間後に試験水槽から0.5Lの水サンプルを採取した。
【0085】
2.2)DNA及びRNA抽出とcDNA合成
採取した水サンプルを直ちにSterivexTMフィルター(ポアサイズ0.45μm:ミリポア)に通して核酸を濃縮した。コントロールとして、各サンプリング時点に蒸留水0.5mLを同様に処理した。SterivexTMフィルターは4℃に保管され、できるだけ早くDNAとRNAを抽出した。通水したSterivexTMフィルターを6時間以上保管する場合は-20℃で保管した。SterivexTMフィルターにAll Prep DNA/RNA Mini KitのBuffer RLT Plus(1mL)を加えた後、Miyaらの方法(J Vis Exp, 2016, doi:10.3791/54741)に従ってSterivexTMフィルターからDNAとRNAを溶出させた。その後、All Prep DNA/RNA Mini Kitの推奨プロトコールに従ってDNAとRNAをそれぞれ抽出した。RNA抽出液は、rDNase Set(MACHEREY-NAGEL)の推奨プロトコールを2回繰り返して残存ゲノムDNA及び夾雑物を除去された後、NucleoSpin RNA Clean-up XS(MACHEREY-NAGEL)で精製された。精製されたRNAから、PrimeScript II 1st strand cDNA Synthesis Kit(Takara Bio Inc.)を用いて推奨プロトコールに従ってcDNAを合成した。DNA及びRNA抽出、ならびにcDNA合成中のクロスコンタミネーションの有無を確認するために、コントロールとして脱イオン水を用いて同様の手順でDNA及びRNAを抽出した。
【0086】
2.3)サンプル中のメダカ(NIES_R)由来eDNA及びeRNAの定量
サンプル中のNIES_RのDNA及びRNAを、前記1.3)と同様の手順でddPCRにより定量した。プライマーとプローブには、NIES_Rのチトクロムb遺伝子を対象としたプライマー(Forward primer:5’-TTTGCCTACGCCATTCTACG-3’(配列番号1)、Reverse primer:5’-GGCTTCGTTGTTTAGAGGTGTG-3’(配列番号2))とプローブ(5’-TTAGCCTCTATTCTAGTACTATTC-3’(配列番号3))を用いた。PCR条件は、最初の熱変性を95℃10分間、94℃30秒間→54℃1分間を40サイクル、酵素失活を98℃10分間とした。測定結果の解析はQuantaSoft Version 1.7.4(Bio-Rad)を用いた。陽性ドロップレットを決定するための閾値は、QuantaSoftの説明書に従って決定した。
【0087】
2.4)データ分析
eDNA及びeRNAの経時的な定量値から、分解速度定数kを算出した。分解速度定数(k)は指数関数的減衰モデルC=C0-ktにフィッティングすることにより算出した。ここで、時間tは試験水槽からメダカを取り出してからの経過時間、Cは時間tでのサンプル中におけるメダカのeDNA又はeRNA濃度、Cは時間0(試験水槽からメダカを取り出した直後)でのサンプル中におけるメダカのeDNA又はeRNA濃度である。F検定を用いて各サンプルから算出した分解速定数kの分散の均質性を決定した後、分散が均一であり、分布が非パラメトリック分布を示さなかった場合、Paired samples t-testを行い、不均一の場合、Wilcoxon Signed Ranks Testを実施してeDNA及びeRNA間で分解速度定数が有意に異なるかどうかを判断した。
【0088】
2.5)試験水槽中のeDNA及びeRNAの安定性
試験水槽中のeDNA及びeRNAの量を経時的に定量した結果、全ての温度区においてeDNA及びeRNAは時間経過に伴い減少し、eRNAの分解速度定数kはeDNAと比較して大きい傾向があった(図5)。分解速度定数kは温度が上昇するほど大きくなり、24℃と34℃におけるeRNAの分解速度定数kはeDNAと比較して統計学的に有意に大きかった(表1)。本実験では、eRNAはeDNAより不安定であるというこれまでの推定を証明するデータが得られ、このeRNAとeDNAの安定性の違いがeRNAのメタバーコーディング解析でeDNAと比べて偽陽性を低減できる要因なのではないかと考えられた。
【0089】
【表1】
【0090】
試験1、2のまとめ
eDNA/eRNAメタバーコーディング解析による生態調査における偽陽性の考えられる原因の1つとして生活排水と放流水に着目した。偽陽性の原因究明を目的として、生活排水と放流水についての魚類由来eDNA及びeRNAの定量解析と魚類群集解析を行った。生活排水と放流水には主に食用魚由来のeDNA及びeRNAが含まれ、これらが調査地点に流れ込むと偽陽性の原因になると考えられた(試験1)。また、eDNA及びeRNAの安定性を調べた結果、eRNAはeDNAより分解されやすいことが明らかになった(試験2)。非特許文献6での報告のようにeRNA解析で偽陽性を低減できる要因の1つが、eRNAが不安定であると考えられるため、生活排水や放流水の放流地点から調査地点までの間で分解されることに起因している可能性がある。
【0091】
実施例1 式(1)の予測モデルを用いた下水処理場下流地点における偽陽性魚種リード数の推定
2020年7月に栃木県の下水処理場から採取した放流水のメタバーコーディング解析を行い、魚種と、それらの魚種に由来するシーケンシングリードの数の情報を得た(表2)。
【0092】
【表2】
【0093】
式(1)の予測モデルを用いて、下水処理場の下流10、50、250kmの各地点における放流水に由来する偽陽性の可能性のある魚種のリード数の推定値Mを算出した。
M=M0-kt …(1)
ここで、
M:推定値
0:初期量
k:分解速度定数
t:時間
0、k、tについては以下に説明する。
【0094】
・初期量M0
初期量M0は、放流水から測定した核酸のリード数を、点源における放流水の(河川水による)希釈率で除することによって算出した。放流水の希釈率は、化審法ガイダンスに記載されている7倍を使用した。以下の数式から、初期量M0は表3のように算出された。
初期量M0=放流水中の魚類リード数÷希釈率(7倍)
【0095】
【表3】
【0096】
・分解速度定数(k)
分解速度定数は魚の飼育水から算出した。本実施例では試験2で算出された分解速度定数のうち、24℃におけるeDNAとeRNAの分解速度定数を使用した。
【0097】
・時間t
点源と調査地点との距離から河川流量(流速)で除することで、点源に放出された外来核酸が点源から調査地点に到るまでの時間tを求める。本実施例では、点源(下水処理場)から10、50、250km地点に至るまでの時間tを以下のように算出した。流速は放流水を採取した栃木県の下水処理場が放流水を放流する河川の近傍の一級河川(小貝川)の平均流速を用いた。該河川の流速は国土交通省が実施している河川水辺の国勢調査で測定されている(河川環境データベース:www.nilim.go.jp/lab/fbg/ksnkankyo/)。本実施例では1995年から2019年に測定された流速の平均値を使用した。
点源(下水処理場)から調査地点(Akm地点)に至るまでの時間t(h)
=点源(下水処理場)から調査地点までの距離(Akm)÷流速(km/h)
・点源(下水処理場)から調査地点(10km地点)に至るまでの時間t
=10(km)÷1.8(km/h)
=5.5(h)
・点源(下水処理場)から調査地点(50km地点)に至るまでの時間t
=50(km)÷1.8(km/h)
=27.8(h)
・点源(下水処理場)から調査地点(250km地点)に至るまでの時間t
=250(km)÷1.8(km/h)
=138.9(h)
【0098】
・式(1)を用いた調査地点での外来核酸量の推定
前述のとおり求めた初期量M0、分解速度定数k、及び時間tを前記式(1)にあてはめることによって、調査地点における偽陽性魚種由来の核酸量の推定値Mを算出した(表4、表5、表6)。
【0099】
【表4】
【0100】
【表5】
【0101】
【表6】
【0102】
推定値Mに基づき、放流水から検出された魚種が上記各地点において偽陽性として検出される可能性があるか判断した。偽陽性の判定にはシーケンシングでエラーと判定される基準である10リードを閾値として設定した。上記各地点において、放流水から検出された魚種のリード数が10より大きい場合、偽陽性として検出される可能性があると判断した。
【0103】
・推定結果の解釈
2020年7月に栃木県の下水処理場から採取した放流水をメタバーコーディング解析に供した結果、9種の魚種が検出された。そのうち、eDNAのみで検出された種は3種、eRNAのみで検出された種は5種、eDNAとeRNA両方で検出された種は1種であった(表2)。河川水による希釈率を考慮した後、下水処理場から10km地点において、リード数が10より大きい魚種は7種であり、そのうちeDNAのみで検出された種は3種、eRNAのみで検出された種は3種、eDNAとeRNA両方で検出された種は1種であった(表4)。従って、10km地点におけるメタバーコーディング解析を用いた生態調査では、eDNAとeRNAの両方で放流水に由来する偽陽性魚種が検出される可能性がある。また、下水処理場から50km地点において、リード数が10より大きい魚種は4種であり、そのうちeDNAのみで検出された種が4種であった(表5)。従って、eDNAメタバーコーディング解析を用いた生態調査では放流水に由来する偽陽性魚種が検出される可能性があるが、eRNAメタバーコーディング解析を用いた調査では放流水に由来する偽陽性魚種が検出される可能性が低いと判断でき、50km地点における生態調査にはeRNAメタバーコーディング解析を用いることが推奨されると考えられた。一方、下水処理場から250km地点において、リード数が10より大きい魚種は0種であり(表5)、放流水に由来する偽陽性魚種が検出される可能性が低いと判断できる。従って、250km地点における生態調査にはeDNAとeRNAのメタバーコーディング解析を用いた生態調査の両方が使用できると考えられた。
【0104】
実施例2. 暴露解析モデルAIST-SHANELを用いた偽陽性由来核酸汚染地域の推定
暴露解析モデルAIST-SHANELを用いて偽陽性由来核酸の汚染地域の定性的な推定を行った。AIST-SHANELは流量解析、排出量解析、濃度解析の3つのサブモデルから構成され、外来由来核酸の排出量(全生活排水に含まれる核酸量)や外来由来核酸の半減期、下水処理場除去率などの物性を入力することにより、3次メッシュ毎に外来由来核酸の河川水中濃度を推定できる。
【0105】
AIST-SHANELには、日本全国109の1級水系の標高((財)日本地図センター(1997)数値地図250mメッシュ(標高))、人口((財)統計情報研究開発センター(2005)地域統計メッシュ)、工業統計(経済統計情報センター(2003)工業統計メッシュデータ)、土地利用(国土交通省国土計画局(1997)国土数値情報、土地利用3次メッシュデータ)、下水処理場((社)日本下水道協会(2005)下水道統計)などのメッシュデータが内蔵されている。これらの情報に加えて、外来核酸の排出量(全生活排水に含まれる核酸量)や外来核酸の半減期、下水処理場除去率などを入力することにより、全国における外来核酸による定性的な汚染状況を推定した。
【0106】
各パラメータの設定
・外来核酸の排出量
前述の試験1に示すように、生活排水中のeDNA量はeRNA量よりも約4倍多いことが判明した(図2)。この結果から、本実施例では各家庭から排出される外来eDNAは外来eRNAより4倍多いと仮定し、外来eDNAの排出量を400t、外来eRNAの排出量を100tと入力した。
・外来eDNA及び外来eRNAの半減期
前述の試験2に示すように、eDNAとeRNAは指数関数的減衰モデルC=C0-ktに従って減少した。指数関数的減衰モデルC=C0-ktに従う場合、分解速度定数kと半減期には分解度速度定数(1/h)=ln2/半減期(h)の関係がある。この関係から以下のように24℃におけるeDNAとeRNAの半減期を算出した。
24℃におけるeDNAの半減期
=ln2/分解速度定数(1/h)
=ln2/0.0363
=19.1(h)=0.80(日)
24℃におけるeRNAの半減期
=ln2/分解速度定数(1/h)
=ln2/0.0911
=7.61(h)=0.32(日)
・外来eDNA及び外来eRNAの下水処理場除去率
前述の試験1に示すように本発明者らの検討から、以下のとおり、eRNAの下水処理場除去率は約68%、eDNAの下水処理場除去率は約96%と算出された。
RNAの下水処理場除去率
=1-(放流水中の魚類由来eRNA量/流入水中の魚類由来eRNA量)×100
=1-(83955.6(copies/500mL放流水)/265779(copies/500mL流入水))×100
=68%
DNAの下水処理場除去率
=1-(放流水中の魚類由来eDNA量/流入水中の魚類由来eDNA量)×100
=1-(47111.1(copies/500mL放流水)/1114074(copies/500mL流入水))×100
=96%
・その他のパラメータ
その他のパラメータは表7の値を入力した。
【0107】
【表7】
【0108】
推定結果のマッピング
全国の外来核酸による汚染状況を可視化するために地理情報分析支援システムMANDARA10(ktgis.net/mandara/)を使用した。MANDARA10は無料でタウンロードできるソフトウェアであり、地図の作図において優れている。さらに付属のデータ(統計データ及び地図データ)を利用すれば地図作成をより簡単に行うことができる。AIST-SHANELによって推定された各メッシュの濃度情報(ファイル名:trg_main+sub_cr.csv)と内蔵されている全国のメッシュ情報(ファイル名:Mesh+Japan.mpf)をMANDARA10で動作させることにより、全国(図6)、利根川水系(図7)及び那珂川水系(図8)の外来核酸による汚染状況をマッピングした。
【0109】
推定結果の解釈
外来eDNA及び外来eRNAは東京都や大阪府などの人口が多い地域では高濃度に分布する傾向が得られた(図6)。周辺人口が多い都市河川は河川流量に占める下水処理場放流水の割合が高くなるため、放流水に由来する外来核酸量が少量であっても汚染されていると考えられた。それでも、外来eDNAが外来eRNAよりも汚染が広がっている理由は、少量の地先排水やeDNAとeRNAの半減期の違いによる影響を受けているためと考えられた。また、下水処理人口普及率が低い地域(徳島県:18.6%、和歌山県:28.5%;公益財団法人日本下水道協会 令和2年度、www.jswa.jp/sewage/qa/rate/を参照)においても、外来eDNA及び外来eRNAの濃度が高い傾向があり、特に外来eDNAの濃度が高かった。下水処理人口普及率が低い地域では生活排水が直接河川に放流されていると考えられた。我々の検討結果(試験1)から、生活排水に含まれるeDNAはeRNAよりも多いことが明らかになっているため、下水処理人口普及率が低い地域周辺の河川は生活排水に含まれる外来eDNA及びeRNAで汚染されており、特に外来eDNAによる汚染が進行していることが示唆された。
【0110】
利根川水系に着目すると、該水系の河川は外来eDNAによって広範囲に汚染されていることがわかった(図7)。また、外来eRNAによる汚染範囲は外来eDNAに比べて小さいことがわかった。eDNAとeRNAの両方で汚染されている地域では、メタバーコーディング解析を用いた調査を行う場合、外来核酸による汚染を考慮することが必須であると考えられた。例えば、調査地点におけるメタバーコーディング解析に加え、近傍の下水処理場の放流水のメタバーコーディング解析も実施し、調査地点の検出結果から生活排水や放流水に由来する外来核酸量を差し引くことや、調査地点の検出種から生活排水や放流水の検出種を差し引くことが必要であると考えられた。外来eDNAのみで汚染されている地域では、メタバーコーディング解析を用いた調査を行う場合、eRNAを選択するべきと考えられた。あるいは、eDNAとeRNAの両方を用いてメタバーコーディング解析を実施し、eDNAメタバーコーディング解析の精度をeRNAメタバーコーディング解析で確認することが必要と考えられた。実際に、外来eDNA及び外来eRNAで汚染され、特に外来eDNAの汚染が進行していた地点(栃木県那須郡那珂川町新那珂橋周辺;非特許文献6)の汚染状況を推定した結果、外来eDNA濃度が外来eRNA濃度より高いと推定された。この結果から、本実施例によるシミュレーションが正確であることを示された(図8)。外来核酸で汚染されていない地域では、eDNA及びeRNAの両方でメタバーコーディング解析を実施でき、両解析結果の信頼性は高いと考えられた。
【0111】
以上の結果から、AIST-SHANELの暴露解析モデルにeDNA及びeRNAの半減期、下水処理場除去率を入力することにより、各地点の外来核酸による汚染状況を可視化することができる。本実施例は、調査地点の選定や調査方法(eDNAまたはeRNAメタバーコーディング解析)の選択に役立つと考えられる。
図1
図2
図3
図4
図5
図6
図7
図8
【配列表】
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