(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2023-12-12
(45)【発行日】2023-12-20
(54)【発明の名称】鋼板、及び鋼板の製造方法
(51)【国際特許分類】
C22C 38/00 20060101AFI20231213BHJP
C22C 38/60 20060101ALI20231213BHJP
C21D 9/46 20060101ALI20231213BHJP
【FI】
C22C38/00 301S
C22C38/00 301T
C22C38/60
C21D9/46 G
C21D9/46 J
C21D9/46 T
C21D9/46 U
(21)【出願番号】P 2022553525
(86)(22)【出願日】2021-08-16
(86)【国際出願番号】 JP2021029952
(87)【国際公開番号】W WO2022070636
(87)【国際公開日】2022-04-07
【審査請求日】2022-11-09
(31)【優先権主張番号】P 2020165790
(32)【優先日】2020-09-30
(33)【優先権主張国・地域又は機関】JP
(73)【特許権者】
【識別番号】000006655
【氏名又は名称】日本製鉄株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】100149548
【氏名又は名称】松沼 泰史
(74)【代理人】
【識別番号】100140774
【氏名又は名称】大浪 一徳
(74)【代理人】
【識別番号】100134359
【氏名又は名称】勝俣 智夫
(74)【代理人】
【識別番号】100188592
【氏名又は名称】山口 洋
(74)【代理人】
【識別番号】100217249
【氏名又は名称】堀田 耕一郎
(74)【代理人】
【識別番号】100221279
【氏名又は名称】山口 健吾
(74)【代理人】
【識別番号】100207686
【氏名又は名称】飯田 恭宏
(74)【代理人】
【識別番号】100224812
【氏名又は名称】井口 翔太
(72)【発明者】
【氏名】池田 亜梨紗
(72)【発明者】
【氏名】竹田 健悟
【審査官】鈴木 毅
(56)【参考文献】
【文献】国際公開第2010/109702(WO,A1)
【文献】国際公開第2018/062381(WO,A1)
【文献】国際公開第2018/062380(WO,A1)
【文献】国際公開第2016/152163(WO,A1)
【文献】国際公開第2016/129550(WO,A1)
【文献】特開2018-003114(JP,A)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C22C 38/00 - 38/60
C21D 8/00 - 8/04
C21D 9/46 - 9/48
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
化学組成として、単位質量%で
C:0.20%以上、0.45%以下、
Si:0.01%以上、2.50%以下、
Mn:1.20%以上、3.50%以下、
P:0.040%以下、
S:0.010%以下、
Al:0.001%以上、0.100%以下、
N:0.0001%以上、0.0100%以下、
Ti:0.005%以上、0.100%以下、
B:0%以上、0.010%以下、
O:0.006%以下、
Mo:0%以上、0.50%以下、
Nb:0%以上、0.20%以下、
Cr:0%以上、0.50%以下
V:0%以上、0.50%以下、
Cu:0%以上、1.00%以下、
W:0%以上、0.100%以下、
Ta:0%以上、0.10%以下、
Ni:0%以上、1.00%以下、
Sn:0%以上、0.050%以下、
Co:0%以上、0.50%以下
Sb:0%以上、0.050%以下、
As:0%以上、0.050%以下、
Mg:0%以上、0.050%以下、
Ca:0%以上、0.040%以下、
Y:0%以上、0.050%以下、
Zr:0%以上、0.050%以下、
La:0%以上、0.050%以下、及び
Ce:0%以上、0.050%以下
を含み、残部がFe及び不純物からなり、
Ti含有量及びN含有量が下記式1を満たし、
板厚1/4位置において、金属組織が体積分率で90%以上のマルテンサイトを含み、
前記板厚1/4位置において、円換算直径1~500nmのTiCの個数密度が3.5×10
4個/mm
2以上であり、
前記板厚1/4位置において、Mn濃度の中央値+3σの値が5.00%以下であり、
前記板厚1/4位置で測定した硬さが、鋼板の表面から50μm深さの位置で測定した硬さの1.30倍以上であり、
引張強さが1310MPa以上である
鋼板。
Ti-3.5×N≧0.003 (式1)
ここで、前記式1に含まれる元素記号Ti及びNは、前記鋼板の前記Ti含有量及び前記N含有量を意味する。
【請求項2】
溶融亜鉛めっき、合金化溶融亜鉛めっき、電気めっき、又はアルミめっきを有する
ことを特徴とする請求項1に記載の鋼板。
【請求項3】
請求項1に記載の鋼板を製造する鋼板の製造方法であって、
請求項1に記載の化学成分を有する鋳片を、仕上圧延終了温度をAc3点以上として熱間圧延して鋼板を得る工程と、
前記鋼板を、巻取温度を500℃以下として巻き取る工程と、
前記鋼板を、圧下率を0~20%として冷間圧延する工程と、
前記鋼板を、700℃以上の温度域における酸素ポテンシャルを-1.2以上0以下として、Ac3点以上の温度域で焼鈍する工程と、
を備え、
前記焼鈍において前記鋼板をAc3点以上の前記温度域まで加熱する際に、前記鋼板を、500℃~700℃の温度範囲内に70~130秒滞留させ、
前記焼鈍において前記鋼板をAc3点以上の前記温度域から冷却する際に、前記鋼板を、700℃~500℃の温度範囲内に4~25秒滞留させる
鋼板の製造方法。
【請求項4】
焼鈍された前記鋼板を焼き戻す工程をさらに備えることを特徴とする請求項3に記載の鋼板の製造方法。
【請求項5】
焼鈍された前記鋼板に溶融亜鉛めっき、合金化溶融亜鉛めっき、電気めっき、又はアルミめっきする工程をさらに備えることを特徴とする請求項3又は4に記載の鋼板の製造方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、鋼板、及び鋼板の製造方法に関する。
本願は、2020年9月30日に、日本に出願された特願2020-165790号に基づき優先権を主張し、その内容をここに援用する。
【背景技術】
【0002】
自動車からの炭酸ガスの排出量を抑えるために、高強度鋼板を使用して、安全性を確保しながら自動車車体を軽量化する試みが進められている。しかし一般に、鋼板の強度を高めると、遅れ破壊が生じやすくなる。遅れ破壊とは、腐食などに起因して環境から鋼中に侵入する水素が、鋼の強度及び破壊特性を劣化させ、割れ及び破断を生じさせる現象である。鋼板の強度が高いほど、遅れ破壊への感受性が高い。機械部品の強度を一層高める観点から、これに適用される高強度鋼板には、優れた遅れ破壊特性が求められる。ここで「遅れ破壊特性」とは、遅れ破壊に対する抵抗力の指標である。遅れ破壊を生じさせにくい鋼板は、遅れ破壊特性が良好であると判断される。
また、機械部品に用いられる高強度鋼板には、機械部品の剛性及び製造の容易性の両方を確保するために、優れた強度延性バランスも求められる。ここで「強度延性バランス」とは、鋼板の引張強さTSと伸びELとを乗じた値によって評価される値である。
加えて、機械部品の長寿命化の観点から、これに適用される高強度鋼板には、優れた疲労特性も求められる。疲労特性は、例えば降伏比によって評価される値である。降伏比とは、降伏応力を引張強さで割った値である。
【0003】
高強度鋼板の先行技術として、例えば以下に挙げるものがある。
【0004】
特許文献1には、質量%でC:0.04%以上、0.15%以下、Si:0.01%以上、0.25%以下、Mn:0.1%以上、2.5%以下、P:0.1%以下、S:0.01%以下、Al:0.005%以上、0.05%以下、N:0.01%以下、Ti:0.01%以上、0.12%以下、B:0.0003%以上、0.0050%以下、残部:Feおよび不可避的不純物からなる化学成分組成を有し、組織の90%以上がマルテンサイトであり、TiC析出量が0.05%以下であり、JISG0202に規定するA系介在物の清浄度が0.010%以下であることを特徴とする外観に優れ、靭性と降伏強度の等方性に優れた高強度熱延鋼板が開示されている。
【0005】
しかしながら、特許文献1においては、遅れ破壊について何ら検討されていない。また、特許文献1に記載の鋼板では、C含有量が0.15%以下であり、引張強さはおおむね1300MPa以下である。C含有量が0.20%以上の高強度鋼板において遅れ破壊特性を向上させるための方法を、特許文献1は示唆していない。
【0006】
特許文献2には、成分組成は、質量%で、C:0.20%以上0.45%未満、Si:0.50%以上2.50%以下、Mn:1.5%以上4.0%以下、P:0.050%以下、S:0.0050%以下、Al:0.01%以上0.10%以下、Ti:0.020%以上0.150%以下、N:0.0005%以上0.0070%以下、O:0.0050%以下を含有し、残部が鉄および不可避的不純物からなり、組織は、面積率で、フェライトとベイナイトの合計が30%以上70%以下、残留オーステナイトが15%以上、およびマルテンサイトが5%以上35%以下であり、かつ、前記残留オーステナイトの平均円相当直径が3.0μm以下であり、組織中に、長径が5nm以上100nm以下である、TiCとTiCを含む複合析出物の合計が1mm2当たり2×105個以上を有し、かつ、長径が250nm以上である、Tiを含む炭化物、窒化物、酸化物およびこれらを含む複合析出物の合計が1mm2当たり8×103個以下を有することを特徴とする高強度鋼板が開示されている。
【0007】
しかしながら、特許文献2に記載の鋼板において、鋼中に侵入した水素を無害化するための手段は、Mn量及びP量の制御のみとされている。そのため、特許文献2に記載の鋼板においても、遅れ破壊特性を一層向上させる余地がある。
【0008】
特許文献3には、耐摩耗鋼板であって、質量%で、C:0.20~0.45%、Si:0.01~1.0%、Mn:0.3~2.5%、P:0.020%以下、S:0.01%以下、Cr:0.01~2.0%、Ti:0.10~1.00%、B:0.0001~0.0100%、Al:0.1%以下、およびN:0.01%以下を含み、残部Fe及び不可避不純物からなる成分組成を有し、前記耐摩耗鋼板の表面から1mmの深さにおけるマルテンサイトの体積分率が90%以上であり、前記耐摩耗鋼板の板厚中心部における旧オーステナイト粒径が80μm以下である組織を有し、前記耐摩耗鋼板の表面から1mmの深さにおける、0.5μm以上の大きさを有するTiC析出物の個数密度が400個/mm2以上であり、板厚中心偏析部における、Mnの濃度[Mn](質量%)とPの濃度[P](質量%)とが、0.04[Mn]+[P]<0.50を満足する、耐摩耗鋼板が開示されている。
【0009】
しかしながら、特許文献3に記載の鋼板においては、耐摩耗性の向上のために粗大なTiCが用いられている。本発明者らの知見によれば、TiCの粗大化は、遅れ破壊特性を損なうと考えられる。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0010】
【文献】日本国特開2014-47414号公報
【文献】日本国特開2018-3114号公報
【文献】国際公開第2017/183057号
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0011】
本発明は、高強度を有し、強度延性バランスに優れ、遅れ破壊特性に優れ、さらに疲労特性に優れた鋼板、及びその製造方法を提供することを課題とする。
【課題を解決するための手段】
【0012】
本発明の要旨は以下の通りである。
(1)本発明の一態様に係る鋼板は、化学組成として、単位質量%でC:0.20%以上、0.45%以下、Si:0.01%以上、2.50%以下、Mn:1.20%以上、3.50%以下、P:0.040%以下、S:0.010%以下、Al:0.001%以上、0.100%以下、N:0.0001%以上、0.0100%以下、Ti:0.005%以上、0.100%以下、B:0%以上、0.010%以下、O:0.006%以下、Mo:0%以上、0.50%以下、Nb:0%以上、0.20%以下、Cr:0%以上、0.50%以下V:0%以上、0.50%以下、Cu:0%以上、1.00%以下、W:0%以上、0.100%以下、Ta:0%以上、0.10%以下、Ni:0%以上、1.00%以下、Sn:0%以上、0.050%以下、Co:0%以上、0.50%以下Sb:0%以上、0.050%以下、As:0%以上、0.050%以下、Mg:0%以上、0.050%以下、Ca:0%以上、0.040%以下、Y:0%以上、0.050%以下、Zr:0%以上、0.050%以下、La:0%以上、0.050%以下、及びCe:0%以上、0.050%以下を含み、残部がFe及び不純物からなり、Ti含有量及びN含有量が下記式1を満たし、板厚1/4位置において、金属組織が体積分率で90%以上のマルテンサイトを含み、前記板厚1/4位置において、円換算直径1~500nmのTiCの個数密度が3.5×104個/mm2以上であり、前記板厚1/4位置において、Mn濃度の中央値+3σの値が5.00%以下であり、前記板厚1/4位置で測定した硬さが、鋼板の表面から50μm深さの位置で測定した硬さの1.30倍以上であり、引張強さが1310MPa以上である。
Ti-3.5×N≧0.003 (式1)
ここで、前記式1に含まれる元素記号Ti及びNは、前記鋼板の前記Ti含有量及び前記N含有量を意味する。
(2)上記(1)に記載の鋼板は、溶融亜鉛めっき、合金化溶融亜鉛めっき、電気めっき、又はアルミめっきを有してもよい。
(3)(1)に記載の鋼板を製造する鋼板の製造方法であって、本発明の別の態様に係る鋼板の製造方法は、上記(1)に記載の化学成分を有する鋳片を、仕上圧延終了温度をAc3点以上として熱間圧延して鋼板を得る工程と、前記鋼板を、巻取温度を500℃以下として巻き取る工程と、前記鋼板を、圧下率を0~20%として冷間圧延する工程と、前記鋼板を、700℃以上の温度域における酸素ポテンシャルを-1.2以上0以下として、Ac3点以上の温度域で焼鈍する工程と、を備え、前記焼鈍において前記鋼板をAc3点以上の前記温度域まで加熱する際に、前記鋼板を、500℃~700℃の温度範囲内に70~130秒滞留させ、前記焼鈍において前記鋼板をAc3点以上の前記温度域から冷却する際に、前記鋼板を、700℃~500℃の温度範囲内に4~25秒滞留させる。
(4)上記(3)に記載の鋼板の製造方法は、焼鈍された前記鋼板を焼き戻す工程をさらに備えてもよい。
(5)上記(3)又は(4)に記載の鋼板の製造方法は、焼鈍された前記鋼板に溶融亜鉛めっき、合金化溶融亜鉛めっき、電気めっき、又はアルミめっきする工程をさらに備えてもよい。
【発明の効果】
【0013】
本発明によれば、高強度を有し、強度延性バランスに優れ、遅れ破壊特性に優れ、さらに疲労特性に優れた鋼板、及びその製造方法を提供することができる。
【発明を実施するための形態】
【0014】
本発明者らは、遅れ破壊特性を向上させるための手段として、TiCに着目した。TiCは、水素トラップサイトとして働くので、鋼中に侵入した水素を無害化することができる。
【0015】
しかしながら、円換算直径500nm超の粗大なTiCからは、上述の効果を十分に得ることができない。TiCを介した遅れ破壊特性の向上のためには、円換算直径1~500nmの微細なTiCを鋼板中に多量に分散させる必要がある。本発明者らは、TiCを微細分散させる手段について検討を重ねた。その結果、本発明者らは、以下の如く製造された鋼板を焼鈍することが、TiCの微細分散のために極めて有効であることを知見した。
(A)焼鈍前の鋼板の組織を、主にベイナイト及び/又はマルテンサイトから構成されるものとする。
(B)焼鈍前の鋼板に、Tiが固溶状態で含有されるようにする。
(C)焼鈍前の鋼板への、冷間圧延による転位の導入量を制御する。
(D)焼鈍のための加熱、及び焼鈍後の冷却の際に、鋼板の温度を500℃~700℃の温度範囲内に滞留させる。
【0016】
(A)まず、焼鈍前の鋼板の組織を、主にベイナイト及び/又はマルテンサイトから構成されるものとすることが好ましい。このような低温変態組織には、転位が多く含まれている。この転位をTiCの析出サイトとして活用することで、鋼板を焼鈍するために昇温する際に、鋼板にTiCを微細析出させることができる。
【0017】
また、この低温変態組織に含まれる転位と粒界により、鋼板の焼鈍中にMnの偏析を減少させて、鋼板の特性を一層向上させることができる。そのため、焼鈍前の鋼板の組織を主にベイナイト及び/又はマルテンサイトとすることには、Mn偏析を軽減する効果もある。また、焼鈍前の鋼板の組織は、焼鈍の際に一旦オーステナイト変態する。そのため、焼鈍後の鋼板の組織は、焼鈍前の鋼板の組織と必ずしも一致しないことに留意されたい。
【0018】
(B)次に、焼鈍前の鋼板に、Tiが固溶状態で含有されるようにすることが好ましい。通常、Tiを含有する高強度鋼板では、Tiは窒素固定元素として用いられる。Nは、Bと結びついてBNを形成し、Bによる焼入れ性向上効果を損なう元素である。一方、NはTiと結びついてTiNを形成する。そのため、鋼板にTiを含有させ、これを用いてTiNを生成することで、鋼板の焼入れ性を高め、鋼板の強度を高めることができる。
【0019】
しかし、本実施形態に係る鋼板の製造方法においては、焼鈍前の段階で、Tiを固溶状態で鋼中に存在させることが好ましい。焼鈍前の段階でTiNとして存在するTiは、焼鈍過程においてTiCを形成しないからである。焼鈍前の鋼板においてTiをマトリックスに固溶させておくと、焼鈍のための昇温の際に、固溶TiがTiCを形成する。
【0020】
(C)さらに、焼鈍前の鋼板への転位の導入を制御する。上述のように、焼鈍前の鋼板に含まれる転位は、焼鈍中にMn偏析を軽減する効果を有する。一方、過剰な量の転位を有する鋼板を焼鈍すると、昇温の際に転位が鋼板の組織の再結晶を促し、昇温中の鋼板の結晶粒径を増大させるからである。
【0021】
焼鈍のための昇温中の鋼板の結晶粒界は、TiCの析出サイトとして働く。昇温中の鋼板の結晶粒径が微細であるほど、TiCの析出サイトである結晶粒界が多くなり、TiCの個数密度が増大する。換言すると、焼鈍前の鋼板の転位量が過剰であると、焼鈍のための昇温の際に、TiCが粗大化し、その個数密度が不十分となる。
焼鈍前の鋼板の組織を、主にベイナイト及び/又はマルテンサイトから構成されるものとした場合、既に低温変態組織に由来する転位が鋼板に少なからず含まれる。そのため、冷間圧延における圧下率を低減するか、又は冷間圧延を省略する(換言すると、冷間圧下率を0%とする)ことにより、転位の量が過剰になることを防止することが好ましい。
【0022】
(D)加えて、焼鈍のための加熱、及び焼鈍後の冷却の際に、鋼板の温度を500℃~700℃の温度範囲内に滞留させる。
TiCは、500℃~700℃の温度範囲において析出する。焼鈍のための加熱の際に、鋼板の温度を500℃~700℃の温度範囲で一定時間保持することにより、固溶状態で鋼中に存在するTiを、円換算直径1~500nmの微細なTiCとして析出させることができる。
ただし、加熱の際に析出したTiCの一部は、鋼板の温度がAc3点以上の温度範囲内で保持される際に溶解する。そのため、焼鈍後の冷却の際にも、鋼板の温度を500℃~700℃の温度範囲で一定時間保持することにより、TiCを再析出させる必要がある。
【0023】
上述の要素(A)~(D)の相乗効果により、鋼板のTiCを著しく微細化し、その個数密度を増大させられることを本発明者らは知見した。加えて、本発明者らは、円換算直径1~500nmの微細なTiCを含有する鋼板の表面に、脱炭等の手段によって形成された軟質層を形成することにより、遅れ破壊特性が一層向上することも知見した。さらに、微細分散したTiCは、遅れ破壊特性のみならず、鋼板の疲労強度も向上させる働きがあることを本発明者らは知見した。
【0024】
これらの知見に基づいて得られた、本実施形態に係る鋼板について、以下に詳細に説明する。
【0025】
まず、本実施形態に係る鋼板の化学成分について説明する。ここで、合金元素の含有量の単位「%」は、質量%を意味する。なお上述のように、本実施形態に係る鋼板はその表層に軟質層を有するが、以下に説明する化学成分は、軟質層以外の箇所の化学成分である。従って、鋼板の化学成分を測定する際は、その表層から十分に離れた箇所(例えば板厚中心部)を測定領域とする必要がある。
【0026】
(C:0.20%以上、0.45%以下)
Cは、鋼板の強度を向上させる元素である。十分な引張強さを得るためには、C含有量を0.20%以上とすることが必要である。C含有量を0.200%以上、0.22%以上、0.25%以上、又は0.30%以上としてもよい。
【0027】
一方、C含有量が過剰であると、遅れ破壊特性の劣化を招いたり、溶接性が著しく低下したりする。従って、C含有量を0.45%以下とする。C含有量を0.450%以下、0.42%以下、0.40%以下、又は0.35%以下としてもよい。
【0028】
(Si:0.01%以上、2.50%以下)
Siは鋼板に固溶強化を生じさせ、さらにマルテンサイトの焼戻し軟化を抑制することにより、鋼板の強度を向上させる元素である。これらの効果を得るために、Si含有量を0.01%以上とする。Si含有量を0.10%以上、0.20%以上、又は0.50%以上としてもよい。
【0029】
一方、Si含有量が過剰であると、鋼板の延性が損なわれ、機械部品の材料として用いることが難しくなる恐れがある。また、Si含有量が過剰であると、めっき性が低下し、不めっきが発生しやすくなる。従って、Si含有量を2.50%以下とする。Si含有量を2.00%以下、1.50%以下、又は1.00%以下としてもよい。
【0030】
(Mn:1.20%以上、3.50%以下)
Mnは、鋼板の焼入れ性を向上させ、鋼板の強度を向上させる元素である。これらの効果を得るために、Mn含有量を1.2%以上又は1.20%以上とする。Mn含有量を1.5%以上、1.50%以上、1.8%以上、1.80%以上、2.0%以上、又は2.00%以上としてもよい。
【0031】
一方、Mn含有量が過剰であると、めっき性、加工性、及び溶接性が低下する恐れがある。従って、Mn含有量を3.5%以下又は3.50%以下とする。Mn含有量を3.2%以下、3.20%以下、3.0%以下、3.00%以下、2.5%以下、又は2.50%以下としてもよい。
【0032】
(P:0.040%以下)
Pは、結晶粒界に偏析して、鋼板を脆化させる元素であり、少ないほど好ましい。従ってP含有量は0%でもよい。一方、P含有量を過剰に低減すると、精錬コストが高騰する。0.040%以下のPであれば、本実施形態に係る鋼板において許容される。P含有量を0.001%以上、0.005%以上、又は0.010%以上としてもよい。P含有量を0.0400%以下、0.035%以下、0.030%以下、又は0.020%以下としてもよい。
【0033】
(S:0.010%以下)
Sは熱間脆性を生じさせ、また、溶接性及び耐食性を損なう元素であるので、少ないほど好ましい。従ってS含有量は0%でもよい。一方、S含有量を過剰に低減すると、精錬コストが高騰する。0.010%以下のSであれば、本実施形態に係る鋼板において許容される。S含有量を0.001%以上、0.003%以上、又は0.005%以上としてもよい。S含有量を0.0100%以下、0.009%以下、0.008%以下、又は0.007%以下としてもよい。
【0034】
(Al:0.001%以上、0.100%以下)
Alは脱酸効果を有する元素である。また、Alは鉄系炭化物の生成を抑制し、鋼板の強度を向上させる元素である。これらの効果を得るために、Al含有量を0.001%以上とする。Al含有量を0.005%以上、0.010%以上、又は0.020%以上としてもよい。
【0035】
一方、Al含有量が過剰であると、フェライト分率が上昇して、鋼板の強度が損なわれる恐れがある。そのため、Al含有量を0.100%以下とする。Al含有量を0.080%以下、0.050%以下、又は0.030%以下としてもよい。
【0036】
(N:0.0001%以上、0.0100%以下)
NはTiと結びついてTiNを形成し、これによりTiCの生成量を減少させる元素であり、少ないほど好ましい。従って、本実施形態に係る鋼板の特性を確保する観点からは、N含有量は0%でもよい。一方、N含有量を過剰に低減すると、精錬コストが高騰するので、N含有量の下限値を0.0001%とする。0.0100%以下のNであれば、本実施形態に係る鋼板において許容される。N含有量を0.0001%以上、0.0002%以上、又は0.0005%以上としてもよい。N含有量を0.0090%以下、0.0085%以下、又は0.0080%以下としてもよい。
【0037】
(Ti:0.005%以上、0.100%以下)
TiはCと結びついてTiCを形成する元素である。TiCは水素トラップサイトとして働くことにより、遅れ破壊特性を向上させる。また、TiCはピン止め効果によって旧オーステナイト粒を微細化し、粒界破壊割れを抑制することによっても、遅れ破壊特性を向上させる。これらの効果を得るために、Ti含有量を0.005%以上とする。Ti含有量を0.010%以上、0.020%以上、又は0.030%以上としてもよい。
【0038】
一方、Ti含有量が過剰であると、その効果が飽和し、製造コストが増大する。さらに、Ti含有量が過剰であると、TiCが多量に析出し、固溶C量が減少するため、引張強さが損なわれる場合もある。そのため、Ti含有量を0.100%以下とする。Ti含有量を0.080%以下、0.060%以下、又は0.050%以下としてもよい。
【0039】
(B:0%以上、0.010%以下)
Bは本実施形態に係る鋼板の課題を解決する上で必須ではない。そのため、B含有量の下限値は0%である。一方、Bは鋼板の焼入れ性を向上させることができる。この効果を得るために、B含有量を0.001%以上、0.002%以上、又は0.005%以上としてもよい。ただし、B含有量が過剰である場合、その効果が飽和し、製造コストが増大する。そのため、B含有量を0.010%以下、0.0100%以下、0.009%以下、又は0.008%以下としてもよい。
【0040】
(O:0.006%以下)
Oは種々の酸化物を形成し、鋼板の機械特性に悪影響を及ぼす元素であり、少ないほど好ましい。従ってO含有量は0%でもよい。一方、O含有量を過剰に低減すると、精錬コストが高騰する。0.006%以下のOであれば、本実施形態に係る鋼板において許容される。O含有量を0.001%以上、0.002%以上、又は0.003%以上としてもよい。O含有量を0.005%以下、0.004%以下、又は0.003%以下としてもよい。
【0041】
(Mo:0%以上、0.50%以下)
Moは本実施形態に係る鋼板の課題を解決する上で必須ではない。そのため、Mo含有量の下限値は0%である。一方、Moは鋼板の焼入れ性を向上させることができる。この効果を得るために、Mo含有量を0.001%以上、0.005%以上、又は0.010%以上としてもよい。ただし、Mo含有量が過剰である場合、鋼板の酸洗性や溶接性、熱間加工性等が劣化する場合がある。そのため、Mo含有量を0.50%以下、0.500%以下、0.30%以下、又は0.20%以下としてもよい。
【0042】
(Nb:0%以上、0.20%以下)
Nbは本実施形態に係る鋼板の課題を解決する上で必須ではない。そのため、Nb含有量の下限値は0%である。一方、Nbは鋼板の結晶粒径を小さくし、その靭性を一層高めることができる。この効果を得るために、Nb含有量を0.001%以上、0.005%以上、又は0.010%以上としてもよい。ただし、Nb含有量が過剰である場合、その効果が飽和し、製造コストが増大する。そのため、Nb含有量を0.20%以下、0.200%以下、0.10%以下、又は0.050%以下としてもよい。
【0043】
(Cr:0%以上、0.50%以下)
Crは本実施形態に係る鋼板の課題を解決する上で必須ではない。そのため、Cr含有量の下限値は0%である。一方、Crは鋼板の焼入れ性を向上させることができる。この効果を得るために、Cr含有量を0.001%以上、0.002%以上、又は0.005%以上としてもよい。ただし、Cr含有量が過剰である場合、鋼板の延性が低下する恐れがある。そのため、Cr含有量を0.50%以下、0.500%以下、0.30%以下、又は0.10%以下としてもよい。
【0044】
(V:0%以上、0.50%以下)
Vは本実施形態に係る鋼板の課題を解決する上で必須ではない。そのため、V含有量の下限値は0%である。一方、Vは炭化物を形成して組織を微細化し、鋼板の靭性を向上させることができる。この効果を得るために、V含有量を0.01%以上、0.05%以上、又は0.10%以上としてもよい。ただし、V含有量が過剰である場合、鋼板の成形性が低下する恐れがある。そのため、V含有量を0.50%以下、0.500%以下、0.40%以下、又は0.30%以下としてもよい。
【0045】
(Cu:0%以上、1.00%以下)
Cuは本実施形態に係る鋼板の課題を解決する上で必須ではない。そのため、Cu含有量の下限値は0%である。一方、Cuは鋼板の強度の向上に寄与する元素である。この効果を得るために、Cu含有量を0.01%以上、0.05%以上、又は0.10%以上としてもよい。ただし、Cu含有量が過剰である場合、鋼板の酸洗性や溶接性、熱間加工性等が劣化する場合がある。そのため、Cu含有量を1.00%以下、1.000%以下、0.80%以下、又は0.30%以下としてもよい。
【0046】
(W:0%以上、0.100%以下)
Wは本実施形態に係る鋼板の課題を解決する上で必須ではない。そのため、W含有量の下限値は0%である。一方、Wを含有する析出物および晶出物は水素トラップサイトとなる。この効果を得るために、W含有量を0.01%以上、0.02%以上、又は0.03%以上としてもよい。ただし、W含有量が過剰である場合、粗大なW析出物あるいは晶出物の生成を招き、この粗大なW析出物あるいは晶出物では割れが生じやすく、低い負荷応力で鋼材内をこの亀裂が伝播するため、遅れ破壊特性(耐水素脆性)は劣化する場合がある。そのため、W含有量を0.09%以下、0.090%以下、0.08%以下、0.080%以下、又は0.030%以下としてもよい。
【0047】
(Ta:0%以上、0.10%以下)
Taは本実施形態に係る鋼板の課題を解決する上で必須ではない。そのため、Ta含有量の下限値は0%である。一方、Taは炭化物を形成して組織を微細化し、鋼板の靭性を向上させることができる。この効果を得るために、Ta含有量を0.01%以上、0.02%以上、又は0.03%以上としてもよい。ただし、Ta含有量が過剰である場合、鋼板の成形性が低下する恐れがある。そのため、Ta含有量を0.10%以下、0.100%以下、0.09%以下、0.08%以下、又は0.03%以下としてもよい。
【0048】
(Ni:0%以上、1.00%以下)
Niは本実施形態に係る鋼板の課題を解決する上で必須ではない。そのため、Ni含有量の下限値は0%である。一方、Niは鋼板の強度の向上に寄与する元素である。この効果を得るために、Ni含有量を0.01%以上、0.05%以上、又は0.10%以上としてもよい。ただし、Ni含有量が過剰である場合、製造時及び製造時の製造性に悪影響を及ぼすか、遅れ破壊特性を低下させる恐れがある。そのため、Ni含有量を1.00%以下、1.000%以下、0.80%以下、又は0.30%以下としてもよい。
【0049】
(Co:0%以上、0.50%以下)
Coは本実施形態に係る鋼板の課題を解決する上で必須ではない。そのため、Co含有量の下限値は0%である。一方、Coは鋼板の強度の向上に寄与する元素である。この効果を得るために、Co含有量を0.01%以上、0.05%以上、又は0.10%以上としてもよい。ただし、Co含有量が過剰である場合、粗大なCo炭化物の析出を招き、この粗大なCo炭化物を起点として割れが生成するため、遅れ破壊特性が劣化する恐れがある。そのため、Co含有量を0.50%以下、0.500%以下、0.30%以下、又は0.20%以下としてもよい。
【0050】
(Mg:0%以上、0.050%以下)
Mgは本実施形態に係る鋼板の課題を解決する上で必須ではない。そのため、Mg含有量の下限値は0%である。一方、Mgは硫化物及び酸化物の形態を制御し、鋼板の曲げ成形性の向上に寄与する。この効果を得るために、Mg含有量を0.001%以上、0.005%以上、又は0.010%以上としてもよい。ただし、Mg含有量が過剰である場合、粗大な介在物の形成により遅れ破壊特性の低下を引き起こす恐れがある。そのため、Mg含有量を0.050%以下、0.040%以下、又は0.020%以下としてもよい。
【0051】
(Ca:0%以上、0.040%以下)
Caは本実施形態に係る鋼板の課題を解決する上で必須ではない。そのため、Ca含有量の下限値は0%である。一方、Caは硫化物及び酸化物の形態を制御し、鋼板の曲げ成形性の向上に寄与する。この効果を得るために、Ca含有量を0.001%以上、0.005%以上、又は0.010%以上としてもよい。ただし、Ca含有量が過剰である場合、粗大な介在物の形成により遅れ破壊特性の低下を引き起こす恐れがある。そのため、Ca含有量を0.040%以下、0.030%以下、又は0.020%以下としてもよい。
【0052】
(Y:0%以上、0.050%以下)
Yは本実施形態に係る鋼板の課題を解決する上で必須ではない。そのため、Y含有量の下限値は0%である。一方、Yは硫化物及び酸化物の形態を制御し、鋼板の曲げ成形性の向上に寄与する。この効果を得るために、Y含有量を0.001%以上、0.005%以上、又は0.010%以上としてもよい。ただし、Y含有量が過剰である場合、粗大な介在物の形成により遅れ破壊特性の低下を引き起こす恐れがある。そのため、Y含有量を0.050%以下、0.040%以下、又は0.020%以下としてもよい。
【0053】
(Zr:0%以上、0.050%以下)
Zrは本実施形態に係る鋼板の課題を解決する上で必須ではない。そのため、Zr含有量の下限値は0%である。一方、Zrは硫化物及び酸化物の形態を制御し、鋼板の曲げ成形性の向上に寄与する。この効果を得るために、Zr含有量を0.001%以上、0.005%以上、又は0.010%以上としてもよい。ただし、Zr含有量が過剰である場合、粗大な介在物の形成により遅れ破壊特性の低下を引き起こす恐れがある。そのため、Zr含有量を0.050%以下、0.040%以下、又は0.020%以下としてもよい。
【0054】
(La:0%以上、0.050%以下)
Laは本実施形態に係る鋼板の課題を解決する上で必須ではない。そのため、La含有量の下限値は0%である。一方、Laは硫化物及び酸化物の形態を制御し、鋼板の曲げ成形性の向上に寄与する。この効果を得るために、La含有量を0.001%以上、0.005%以上、又は0.010%以上としてもよい。ただし、La含有量が過剰である場合、粗大な介在物の形成により遅れ破壊特性の低下を引き起こす恐れがある。そのため、La含有量を0.050%以下、0.040%以下、又は0.020%以下としてもよい。
【0055】
(Ce:0%以上、0.050%以下)
Ceは本実施形態に係る鋼板の課題を解決する上で必須ではない。そのため、Ce含有量の下限値は0%である。一方、Ceは硫化物及び酸化物の形態を制御し、鋼板の曲げ成形性の向上に寄与する。この効果を得るために、Ce含有量を0.001%以上、0.005%以上、又は0.010%以上としてもよい。ただし、Ce含有量が過剰である場合、粗大な介在物の形成により遅れ破壊特性の低下を引き起こす恐れがある。そのため、Ce含有量を0.050%以下、0.040%以下、又は0.020%以下としてもよい。
【0056】
本実施形態に係る鋼板の化学組成の残部は、Fe及び不純物を含む。不純物とは、例えば鋼材を工業的に製造する際に、鉱石若しくはスクラップ等のような原料、又は製造工程の種々の要因によって混入する成分であって、本実施形態に係る鋼板に悪影響を与えない範囲で許容されるものを意味する。不純物の例として、Sn、Sb、及びAsを挙げることができる。ただし、Sn、Sb、及びAsは不純物の一例にすぎない。
【0057】
(Sn:0%以上、0.050%以下)
Snは、鋼板の原料としてスクラップを用いた場合に、鋼板に含有され得る元素である。また、Snは、鋼板の冷間成形性の低下を引き起こす恐れがある。このため、Snの含有量は少ないほど好ましい。従ってSn含有量は0%でもよい。一方、Sn含有量を過剰に低減し、0.001%未満にすると、精錬コストが高騰する。従って、Sn含有量を0.001%以上、0.002%以上、又は0.003%以上としてもよい。また、0.050%以下のSnであれば、本実施形態に係る鋼板において許容される。Sn含有量を0.040%以下、0.030%以下、又は0.020%以下としてもよい。
【0058】
(Sb:0%以上、0.050%以下)
Sbは、鋼板の原料としてスクラップを用いた場合に、鋼板に含有され得る元素である。また、Sbは、粒界に偏析して粒界の脆化及び延性の低下を引き起こしたり、冷間成形性の低下を招いたりする恐れがある。このため、Sbの含有量は少ないほど好ましい。従ってSb含有量は0%でもよい。一方、Sb含有量を過剰に低減し、0.001%未満にすると、精錬コストが高騰する。従って、Sb含有量を0.001%以上、0.002%以上、又は0.003%以上としてもよい。また、0.050%以下のSbであれば、本実施形態に係る鋼板において許容される。Sb含有量を0.040%以下、0.030%以下、又は0.020%以下としてもよい。
【0059】
(As:0%以上、0.050%以下)
Asは、鋼板の原料としてスクラップを用いた場合に、鋼板に含有され得る元素である。また、Asは、粒界に偏析して粒界の脆化及び延性の低下を引き起こしたり、冷間成形性の低下を招いたりする恐れがある。このため、Asの含有量は少ないほど好ましい。従ってAs含有量は0%でもよい。一方、As含有量を過剰に低減し、0.001%未満にすると、精錬コストが高騰する。従って、As含有量を0.001%以上、0.002%以上、又は0.003%以上としてもよい。一方、0.050%以下のAsであれば、本実施形態に係る鋼板において許容される。As含有量を0.040%以下、0.030%以下、又は0.020%以下としてもよい。
【0060】
(Ti含有量及びN含有量の関係)
本実施形態に係る鋼板では、遅れ破壊特性の向上のためにTiCを用いる。TiCを多量かつ微細に分散させるためには、上述のように、Tiが固溶状態で含まれた鋼板を焼鈍することが好ましい。しかしながら、鋼中に含まれるNは、Tiと結びついてTiNを生成し、固溶状態で鋼中に含まれるTi(固溶Ti)の量を減少させる。
【0061】
焼鈍前の鋼板において十分な量の固溶Tiを確保するために、本実施形態に係る鋼板においては、Ti含有量及びN含有量が下記式1を満たすことが必要である。
Ti-3.5×N≧0.003 (式1)
ここで、式1に含まれる元素記号Ti及びNは、鋼板のTi含有量及びN含有量を意味する。「Ti-3.5×N」は、鋼板に含まれるNが全てTiと結びついたと仮定した場合の、TiNを形成しないTiの量を意味する。焼鈍等の手段によってTiCを析出させる前の鋼板において「Ti-3.5×N」は、おおむね、固溶Ti量と一致すると推定される。従って、化学成分が式1を満たす鋼板においては、固溶Ti量が約0.003質量%以上であると推定される。式1を満たすように鋼板の化学成分を制御することにより、TiCの材料となる固溶Tiを、焼鈍前の鋼板において十分に確保することができる。「Ti-3.5×N」を、0.005以上、0.010以上、0.015以上、又は0.020以上としてもよい。
なお、Ti-3.5×Nの上限値は特に限定されない。Ti含有量が上述の範囲内で最大値であり、且つN含有量が上述の範囲内で最小値であるときのTi-3.5×Nの値「0.0965」が、Ti-3.5×Nの実質的な上限値である。また、Ti-3.5×Nを0.095以下、0.092以下、0.090以下、0.080以下、又は0.060以下としてもよい。
【0062】
次に、本実施形態に係る鋼板の金属組織、Mn偏析状態、及び介在物について説明する。また、これらの評価方法についても、併せて説明する。なお、金属組織、Mn偏析状態、及び介在物は、全て板厚1/4位置において評価される。板厚1/4位置とは、鋼板の表面から、鋼板の厚さの約1/4の深さの位置のことである。板厚1/4位置は、熱処理時に最も温度が変動しやすい鋼板の表面と、最も温度が変動し難い鋼板の板厚方向中心、即ち板厚1/2位置との中間点にある。そのため、板厚1/4位置における組織は、鋼板全体の組織を代表する組織であるとみなすことができる。
【0063】
(板厚1/4位置における金属組織:体積分率で90%以上のマルテンサイト、及び残部組織)
本実施形態に係る鋼板では、板厚1/4位置における金属組織が、体積分率で90%以上のマルテンサイトを含む。これにより、鋼板に優れた強度(例えば引張強さ1310~1760MPa)を付与することができる。板厚1/4位置におけるマルテンサイトの体積分率が、92%以上、95%以上、98%以上、又は100%であってもよい。
【0064】
板厚1/4位置における金属組織の残部は特に限定されない。例えば合計で10%以下の残留オーステナイト、フェライト、パーライト、およびベイナイトなどが、板厚1/4位置の金属組織に含まれていてもよい。また、本実施形態における「マルテンサイト」とは、焼戻しマルテンサイト、及びフレッシュマルテンサイト(焼き戻しされていないマルテンサイト)の両方を含む概念である。従って、マルテンサイトの体積分率とは、フレッシュマルテンサイト及び焼戻しマルテンサイトの体積分率の合計値である。
【0065】
(板厚1/4位置において、円換算直径1~500nmのTiCの個数密度が3.5×104個/mm2以上)
円換算直径1~500nmのTiCは、鋼中に侵入した水素をトラップして無害化する働きを有する。円換算直径1~500nmのTiCの個数密度が大きいほど、TiCによる水素トラップ能が高められ、鋼板の遅れ破壊特性が改善される。また、円換算直径1~500nmのTiCは、鋼板内部の転位の移動を抑制する働きも有する。従って、円換算直径1~500nmのTiCの個数密度を高めることで、鋼板の疲労強度も向上させることができる。
【0066】
これらの効果を得るために、本実施形態に係る鋼板では、板厚1/4位置において、円換算直径1~500nmのTiCの個数密度が3.5×104個/mm2以上とされる。板厚1/4位置における円換算直径1~500nmのTiCの個数密度を4.5×104個/mm2以上、5.5×104個/mm2以上、6.5×104個/mm2以上、7.5×104個/mm2以上、又は8.5×104個/mm2以上としてもよい。
【0067】
板厚1/4位置における円換算直径1~500nmのTiCの個数密度は大きいほど好ましく、その上限値は特に限定されないが、例えばその上限値を8.5×104個/mm2としてもよい。また、円換算直径3~300nmのTiCが、鋼板の特性向上のために最も有効であると考えられる。従って、円換算直径1~500nmのTiCの個数密度を限定することに代えて、またはこの限定に加えて、円換算直径3~300nmのTiCの個数密度の下限値を3.5×104個/mm2、4.5×104個/mm2、5.5×104個/mm2、6.5×104個/mm2、7.5×104個/mm2、又は8.0×104個/mm2としてもよいし、円換算直径3~300nmのTiCの個数密度の上限値を8.5×104個/mm2としてもよい。
【0068】
なお、円換算直径1nm未満のTiCの個数密度、及び円換算直径500nm超のTiCの個数密度は特に限定されない。円換算直径1nm未満のTiC、及び円換算直径500nm超のTiCは、水素トラップ能が小さく、鋼板の遅れ破壊特性の改善に寄与しないと推定されるからである。また、Ti含有量、N含有量、及び円換算直径1~500nmのTiCの個数密度が上述の範囲内とされた場合、焼鈍前の鋼板に含まれる固溶Tiの大半が円換算直径1~500nmのTiCを形成することとなり、円換算直径1nm未満のTiC、及び円換算直径500nm超のTiCの個数は自ずと、本実施形態に係る鋼板の特性に悪影響を与えない範囲に限られることとなる。以上の理由により、円換算直径1nm未満のTiCの個数密度、及び円換算直径500nm超のTiCの個数密度は特に限定されない。
【0069】
(板厚1/4位置において、Mn濃度の中央値+3σの値が5.00%以下)
本実施形態に係る鋼板では、板厚1/4位置におけるMn濃度の中央値+3σの値を5.00%以下にする。ここで、板厚1/4位置におけるMn濃度の中央値+3σとは、板厚1/4位置において測定されたMn濃度を母集団として算出される値であり、測定値の99.7%がこの範囲内であることを示す。
【0070】
Mn濃度の中央値+3σの値が小さいほど、板厚1/4位置において測定されたMn濃度のばらつきが小さく、従って、Mnの偏析の度合いが小さい。Mn偏析を低減することで、水素による粒界割れが生じにくくなり、水素脆化感受性の低減が可能となる。なお、Mn濃度の中央値+3σの値の下限値は特に規定する必要がないが、例えば3.20%以上、3.40%以上、又は3.60%以上としてもよい。
【0071】
(鋼板の板厚1/4位置で測定した硬さ:鋼板の表面から50μm深さの位置で測定した硬さの1.30倍以上)
次に、本実施形態に係る鋼板の硬さについて説明する。本実施形態に係る鋼板においては、鋼板の板厚1/4位置で測定した硬さが、鋼板の表面から50μm深さの位置で測定した硬さの1.30倍以上とされる。この場合、鋼板の表層には、脱炭などの手段によって形成された軟質層が設けられている。遅れ破壊は、鋼板を曲げ加工した際に生じやすい。軟質層は、鋼板の曲げ性を向上させる。そのため、軟質層を鋼板の表層に設けることにより、遅れ破壊を一層効果的に抑制することができる。また、軟質層は、水素の侵入を抑制する効果も有する。ただし、板厚1/4位置で測定した硬さが、鋼板の表面から50μm深さの位置で測定した硬さの1.30倍未満である場合、鋼板の表層の軟質化が十分ではなく、遅れ破壊特性の向上効果が得られないと考えられる。そのため、板厚1/4位置で測定した硬さが、鋼板の表面から50μm深さの位置で測定した硬さの1.30倍以上とされる。板厚1/4位置で測定した硬さが、鋼板の表面から50μm深さの位置で測定した硬さの1.40倍以上、1.50倍以上、又は1.60倍以上であってもよい。なお、鋼板の表面から50μm深さの位置で測定した硬さを板厚1/4位置で測定した硬さで割った値の上限値は特に規定する必要がないが、例えば1.70倍以下、1.80倍以下、又は1.90倍以下としてもよい。
【0072】
本実施形態に係る鋼板の金属組織、TiCの個数密度、Mnの偏析度、及び硬さの評価方法は以下の通りである。
板厚1/4位置におけるマルテンサイト及び焼戻しマルテンサイトの体積分率は、電界放出型走査電子顕微鏡(FE-SEM:Field Emission-Scanning Electron Microscope)を用いた電子チャンネリングコントラスト像により、板厚の1/4位置を中心とする1/8~3/8厚の範囲を観察することにより、求める。これらの組織はフェライトよりもエッチングされにくいため、組織観察面上では凸部として存在する。なお、焼戻しマルテンサイトは、ラス状の結晶粒の集合であり、内部に長径20nm以上の鉄系炭化物を含み、その炭化物が複数のバリアント、即ち、異なる方向に伸長した複数の鉄系炭化物群に属するものである。また、残留オーステナイトも組織観察面上では凸部で存在する。このため、上記の手順で求めた凸部の面積率を、マルテンサイト、焼戻しマルテンサイト、及び残留オーステナイトの体積分率の合計値とみなし、この体積分率の合計値から、後述の手順で測定する残留オーステナイトの体積分率を引くことにより、マルテンサイト及び焼戻しマルテンサイトの合計の体積分率を正しく測定することが可能となる。
なお、残留オーステナイトの体積分率は、X線を用いた測定により算出することができる。試料の板面から板厚方向に深さ1/4位置までを機械研磨及び化学研磨により除去し、研磨後の試料に対して特性X線としてMoKα線を用いて得られた、bcc相の(200)、(211)及びfcc相の(200)、(220)、(311)の回折ピークの積分強度比から、残留オーステナイトの組織分率を算出し、これを、残留オーステナイトの体積分率とする。
板厚1/4位置における円換算直径1~500nmのTiCの個数密度は、以下に説明する方法によって測定した。まず、圧延方向に沿うように、鋼板の表面に対して垂直に、鋼板を切断する。次に、板厚1/4位置から、FIB加工により10μm×10μmの領域を観察できるサンプルを採取し、厚さ100nm以上300nm以下の薄膜試料を作成する。その後、板厚1/4位置の試料を電界透過型電子顕微鏡にて20000倍の撮影を10視野行った。視野内の析出物をEDS(エネルギー分散型X線分析)にて分析後、超微電子回折法(NBD:Nano Beam electron Diffraction)により、結晶構造解析を行い、TiCであることを確認した。円換算直径が1~500nmのTiCを計数し、この個数を観察面積で割ることで、板厚1/4位置でのTiCの個数密度を求めることができる。なお、TiCの円換算直径とは、上述の断面において観察されるTiCの断面積と同一面積を有する円の直径のことである。
板厚1/4位置におけるMn濃度の中央値+3σは、EPMA(電子線マイクロアナライザ)を用いて測定した結果を用いて定義する。前述のSEMによる組織観察と同じく、板厚の1/4位置を中心とする1/8~3/8厚の範囲において、35μm×25μmの領域における元素濃度マップを測定間隔0.1μmで取得する。8視野分の元素濃度マップのデータをもとに、Mn濃度のヒストグラムを求め、この実験で得たMn濃度のヒストグラムを正規分布で近似し、中央値、標準偏差σを算出する。なお、ヒストグラムを求める場合は、Mn濃度の区間を0.1%に設定する。
板厚1/4位置での硬さの測定方法、及び鋼板の表面から50μm深さでの硬さの測定方法は、以下の通りである。まず、鋼板の圧延方向に垂直な切断面を形成し、これを研磨する。鋼板の圧延方向は、金属組織の延伸方向などに基づき、容易に推定することができる。次いで、切断面においてビッカース硬さ測定を行う。測定箇所は、鋼板の表面から、鋼板の厚さの1/4の深さの位置、即ち板厚1/4位置、及び、鋼板の表面から50μm深さの位置である。板厚1/4位置及び50μm深さ位置それぞれにおいて4回の硬さ測定を行う。ビッカース硬さ測定における荷重は2kgfとする。板厚1/4位置及び50μm深さ位置それぞれにおける硬さ測定値の平均値を、板厚1/4位置の硬さ、及び50μm深さ位置の硬さとみなす。
【0073】
本実施形態に係る鋼板の引張強さは1310MPa以上である。これにより、本実施形態に係る鋼板を、高強度が要求される様々な機械部品に適用することができる。鋼板の引張強さを1350MPa以上、1400MPa以上、又は1450MPa以上としてもよい。鋼板の引張強さの上限値は特に規定されないが、例えば1760MPa以下、1700MPa以下、又は1650MPa以下としてもよい。
本実施形態に係る鋼板は、公知の表面処理層を有してもよい。表面処理層とは、例えばめっき、化成処理層、及び塗装などである。めっきとは、例えば溶融亜鉛めっき、合金化溶融亜鉛めっき、電気めっき、又はアルミめっきなどである。表面処理層は、鋼板の一方の表面に配されても、両方の面に配されてもよい。
【0074】
次に、本実施形態に係る鋼板の製造方法について説明する。ただし、本実施形態に係る鋼板の製造方法は特に限定されない。上述の要件を満たす鋼板は、その製造方法に関わらず、本実施形態に係る鋼板とみなされる。以下に説明する製造方法は好適な一例にすぎず、本実施形態に係る鋼板を限定するものではない。
【0075】
本実施形態に係る鋼板の製造方法は、上述した本実施形態に係る鋼板の化学成分を有する鋳片を、仕上圧延終了温度をAc3点以上として熱間圧延して鋼板を得る工程と、鋼板を、巻取温度を500℃以下として巻き取る工程と、鋼板を、圧下率を0~20%として冷間圧延する工程と、鋼板を、700℃以上の温度域における酸素ポテンシャルを-1.2以上0以下として、Ac3点以上の温度域で焼鈍する工程と、を有する。焼鈍の際には、500℃~700℃の温度範囲内での滞留時間を所定範囲内とする必要がある。
【0076】
(熱間圧延)
まず、上述した本実施形態に係る鋼板の化学成分を有する鋳片を熱間圧延して、鋼板(熱延鋼板)を得る。熱間圧延の仕上圧延終了温度、即ち鋼板が熱間圧延機の最終パスから出たときの鋼板の表面温度は、Ac3点以上とする。これにより、焼鈍前の鋼板にフェライト及びパーライトが生じることを防ぐ。焼鈍前の鋼板にフェライト及び/又はパーライトが含まれると、焼鈍後の鋼板においてMnの偏析が十分に解消されない恐れがある。
【0077】
なお、Ac3点(℃)は、鋼板の化学成分に応じて定まる値であり、合金元素の含有量を以下の式に代入することによって算出される。
910-(203×C1/2)+44.7×Si-30×Mn+700×P-20×Cu-15.2×Ni-11×Cr+31.5×Mo+400×Ti+104×V+120×Al
ここで、式に含まれる元素記号は、鋼板に含まれる元素の、単位質量%での含有量を意味する。
【0078】
仕上圧延終了温度以外の熱間圧延条件、例えば熱延開始温度、及び圧下率などは、特に限定されない。ただし、後述するように、本実施形態に係る鋼板の製造にあたっては、冷間圧延の際の圧下率を通常よりも低くするか、又は冷間圧延を省略する必要がある。そのため、熱間圧延の際の圧下率を、通常よりも高くする必要が生じうる。また、熱延鋼板におけるフェライト及びパーライトの生成を抑制する観点から、熱間圧延後の冷却速度は、巻き取りが完了するまで常に5℃/秒以上、10℃/秒以上、又は20℃/秒以上とすることが好ましい。
【0079】
(鋼板の巻き取り)
次に、熱間圧延された鋼板を巻き取る。熱間圧延直後の鋼板の温度は、鋼板が外気に晒されることにより急速に低下するが、鋼板を巻き取ると、鋼板が外気と触れる面積が小さくなり、鋼板の冷却速度が大きく低下する。本実施形態に係る鋼板の製造方法では、巻取温度は通常よりも低い500℃以下とする。これは、焼鈍前の鋼板の金属組織を主にベイナイト及び/又はマルテンサイトからなるものとするためである。焼鈍前の鋼板にフェライト及び/又はパーライトが含まれると、焼鈍後の鋼板においてMnの偏析が十分に解消されない恐れがある。
【0080】
(鋼板の冷間圧延)
次に、巻き取られた鋼板を冷間圧延して冷延鋼板を得てもよい。ただし、冷間圧延における圧下率は20%以下とする。これは、焼鈍前の鋼板への転位の導入を抑制するためである。転位は、鋼板のMn偏析を軽減する一方で、鋼板の組織の再結晶を促す。焼鈍前の鋼板の転位密度を過剰に高くすると、焼鈍のために鋼板を加熱する際に、結晶粒が粗大化し、TiCの析出サイトとして働く粒界の面積が減少し、TiCの個数が減少する。TiCの個数を確保する観点から、冷間圧延の際の圧下率は小さいほど好ましく、0%であってもよい。即ち、冷間圧延を実施しなくともよい。
【0081】
(鋼板の加熱、温度保持、及び冷却による、鋼板の焼鈍)
そして、鋼板(冷延鋼板、又は熱延鋼板)を焼鈍する。焼鈍は、Ac3点以上の温度域(オーステナイト温度域)への鋼板の加熱、Ac3点以上の温度域での鋼板の温度保持、及び鋼板の冷却から構成される熱処理である。鋼板の保持温度がAc3点未満である場合、焼き入れが不十分となり、マルテンサイト量が不足したり鋼板の強度が損なわれたりする恐れがある。
【0082】
また、焼鈍の際には、少なくとも700℃以上の温度域における酸素ポテンシャルを-1.2以上0以下とする。これにより、鋼板の表層を脱炭し、軟質層を形成することができる。酸素ポテンシャルが-1.2未満となった場合、外部酸化が生じ、脱炭が不十分となる。そのため、表層の軟化が不十分となり、遅れ破壊特性が損なわれる。一方、酸素ポテンシャルが0超となった場合、表層の脱炭が過剰に進行し、鋼板の引張強さが損なわれる。
なお、鋼板の焼鈍の際の酸素ポテンシャルとは、鋼板を焼鈍する雰囲気におけるlog(PH2O/PH2)のことである。PH2Oとは、鋼板を焼鈍する雰囲気における水蒸気の分圧であり、PH2とは、鋼板を焼鈍する雰囲気における水素の分圧である。また、logは常用対数である。
【0083】
さらに、焼鈍において鋼板をAc3点以上の温度域まで加熱する際に、鋼板を、500℃~700℃の温度範囲内に70~130秒滞留させる必要がある。換言すると、加熱の際に、鋼板の温度が500℃に達した時点から、鋼板の温度が700℃に達した時点までの時間である滞留時間を70~130秒の範囲内とする必要がある。500℃~700℃の温度範囲は、TiCが析出する温度範囲である。加熱の際に、この温度範囲における滞留時間が70秒未満であると、TiCの析出量が不足することにより、円換算直径1~500nmのTiCの個数密度が不足する。また、加熱の際に、この温度範囲における滞留時間が130秒超であると、TiCが粗大化することにより、円換算直径1~500nmのTiCの個数密度が不足する。
加えて、焼鈍において鋼板をAc3点以上の上記温度域から冷却する際においても、鋼板を、700℃~500℃の温度範囲内に4~25秒滞留させる必要がある。換言すると、冷却の際に、鋼板の温度が700℃に達した時点から、鋼板の温度が500℃に達した時点までの時間である滞留時間を4~25秒の範囲内とする必要がある。鋼板中の固溶Tiは、焼鈍のための加熱中に析出したTiCの一部は、Ac3点以上の温度域において分解する。従って、Ac3点以上の温度域で鋼板を焼鈍した後でも、700℃~500℃の温度範囲内に鋼板を滞留させて、再度、TiCを析出させる必要がある。冷却の際に、この温度範囲における滞留時間が4秒未満であると、TiCの析出量が不足することにより、円換算直径1~500nmのTiCの個数密度が不足する。また、冷却の際に、この温度範囲における滞留時間が25秒超であると、TiCが粗大化することにより、円換算直径1~500nmのTiCの個数密度が不足する。
上述の条件が満たされる限り、焼鈍条件は、高強度鋼板の焼鈍における通常の条件を適宜採用することができる。例えば、焼鈍時間は5~10秒とすることが好ましいが、これに限定されない。また、鋼板の冷却速度も特に限定されず、求められる特性に応じて適宜選択することができる。
【0084】
本実施形態に係る鋼板の製造方法が、別の工程を含んでもよい。例えば、本実施形態に係る鋼板の製造方法が、さらに、焼鈍された鋼板を焼き戻す工程を有してもよい。これにより、鋼板の延性を一層高めることができる。焼戻し条件は特に限定されないが、例えば焼戻し温度を170℃~420℃の範囲内とし、焼戻し時間を10~8000秒の範囲内とすることが好ましい。また、本実施形態に係る鋼板の製造方法が、さらに、焼鈍された鋼板に溶融亜鉛めっき、合金化溶融亜鉛めっき、電気めっき、又はアルミめっきする工程を有してもよい。これにより、鋼板の耐食性を一層高めることができる。なお、鋼板にめっき及び焼戻しの両方を行う場合、焼鈍された鋼板へのめっきは、焼戻しの前に行われても、焼戻しの後に行われてもよい。
【実施例】
【0085】
実施例により本発明の一態様の効果を更に具体的に説明する。ただし、実施例での条件は、本発明の実施可能性及び効果を確認するために採用した一条件例に過ぎない。本発明は、この一条件例に限定されない。本発明は、本発明の要旨を逸脱せず、本発明の目的を達成する限り、種々の条件を採用し得る。
【0086】
表1~表3に記載の化学成分を有する種々の鋳片を、熱間圧延し、巻き取り、冷間圧延し、焼鈍することにより、鋼板を製造した。これら鋼板の化学成分の残部は鉄及び不純物であった。表1~表3において、意図的に添加されていない元素の含有量は、空欄として表記した。仕上圧延終了温度、巻取温度、及び冷間圧下率、並びに焼鈍の際の加熱温度(焼鈍温度)、焼戻し温度、加熱時の滞留時間、冷却時の滞留時間、及び700℃以上の温度域における酸素ポテンシャルは、表4-1及び表4-2に記載の通りとした。また、表4-1及び表4-2において冷間圧下率が0%と記載された鋼板に関しては、冷間圧延を省略した。一部の鋼板に対しては、焼鈍後に焼戻しを実施し、焼戻し条件を表4-1及び表4-2に記載した。
【0087】
上述の製造方法によって得られた種々の鋼板の、板厚1/4位置におけるマルテンサイトの体積分率、板厚1/4位置における円換算直径1~500nmのTiCの個数密度、板厚1/4位置におけるMn濃度の中央値+3σの値、鋼板の板厚1/4位置での硬さ、及び鋼板の表面から50μm深さの位置での硬さを測定し、表5-1及び表5-2に記載した。これらの値の測定方法は、上述の通りとした。また、板厚1/4位置で測定した硬さと、鋼板の表面から50μm深さの位置で測定した硬さとの比率を算出し、これも表5-1及び表5-2に記載した。
【0088】
加えて、鋼板の遅れ破壊特性を、以下に説明する方法によって評価して、表6-1及び表6-2に記載した。本実施形態に係る鋼板の製造方法を用いて製造した鋼板について、まてりあ(日本金属学会会報),第44巻,第3号(2005)pp.254-256に記載の方法に従って遅れ破壊特性を評価した。具体的には、鋼板をクリアランス10%で剪断後、10RにてU曲げ試験を行った。得られた試験片の中央に歪ゲージを貼り、試験片両端をボルトで締め付けることにより応力を付与した。付与した応力は、モニタリングした歪ゲージの歪より算出した。負荷応力は、引張強さ(TS)の0.8倍に対応する応力を付与した。これは、成形時に導入される残留応力が鋼板のTSと対応があると考えられるためである。得られたU曲げ試験片を、液温25℃でpH3のHCl水溶液に浸漬し、950~1070hPaの気圧下で48hr保持して、割れの有無を調べた。
【0089】
鋼板の強度である引張強さの合否基準は、1310MPa以上とした。この合否基準を満たす鋼板は、高強度を有する鋼板であると判断した。
鋼板の強度延性バランスの合否基準は、引張強さ(TS)×伸び(EL)が15000MPa%以上とした。この合否基準を満たす鋼板は、強度が優れた鋼板であると判断した。
鋼板の遅れ破壊特性の合否基準は、U曲げ試験片に3mmを超える長さの割れが認められた場合をC、端面に長さ3mm未満の微割れが認められた場合をB、割れが認められなかった場合をAと評価し、評価がAの場合を合格とし、B及びCの場合を不合格とした。この合否基準を満たす鋼板は、遅れ破壊特性に優れた鋼板であると判断した。
鋼板の疲労特性の合否基準は、降伏比0.65以上とした。この合否基準を満たす鋼板は、疲労特性に優れた鋼板であると判断した。
【0090】
【0091】
【0092】
【0093】
【0094】
【0095】
【0096】
【0097】
【0098】
【0099】
本発明の要件をすべて満たす実施例は、高強度を有し、強度延性バランスに優れ、遅れ破壊特性に優れ、さらに疲労特性に優れた鋼板であった。一方、本発明の要件のうち1つ以上を欠く比較例は、上述した評価基準のうち1つ以上が不合格であった。なお、表において、発明範囲外の数値、又は合否基準に満たない数値には下線を付した。
【0100】
鋼板36は、C含有量が不足していた。この鋼板36では、引張強さ、及びTS×ELが確保できなかった。
鋼板37は、C含有量が過剰であった。この鋼板37では、強度が過剰となることにより、降伏比及びTS×ELが不足し、さらに遅れ破壊特性が確保できなかった。
鋼板38は、Mnが不足していた。この鋼板38では、板厚1/4位置におけるMn濃度の中央値+3σの値が過剰となった。これは、熱延後にフェライトが出たため、その後の冷延で鋼板へのひずみの入り方が均一ではなくなったためであると考えられる。そのため、この鋼板38では、遅れ破壊特性が確保できなかった。
鋼板39は、N含有量が過剰であった。この鋼板39では、鋼板の脆化が生じ、降伏比、引張強さ、及びTS×ELが確保できなかった。
鋼板40は、Ti含有量が不足しており、板厚1/4位置における円換算直径1~500nmのTiCの個数密度が不足した。そのため、鋼板40では、遅れ破壊特性が確保できなかった。
鋼板41は、その化学成分がTiとNの関係式を満たさなかったものである。この鋼板41では、板厚1/4位置における円換算直径1~500nmのTiCの個数密度が不足した。そのため、鋼板41では、遅れ破壊特性が確保できなかった。
鋼板42は、板厚1/4位置におけるMn濃度の中央値+3σの値が過剰となった。これは、鋼板42の仕上圧延終了温度がAc3点を下回り、熱延終了後にフェライトが出たため、その後の冷延で鋼板へのひずみの入り方が均一ではなくなったためであると考えられる。そのため、鋼板42では、遅れ破壊特性が確保できなかった。
鋼板43は、板厚1/4位置におけるMn濃度の中央値+3σの値が過剰となった。これは、鋼板43の巻取温度が高く、フェライトが出たため、その後の冷延で鋼板へのひずみの入り方が均一ではなくなったためであると考えられる。そのため、鋼板43では、遅れ破壊特性が確保できなかった。
鋼板44は、板厚1/4位置におけるMn濃度の中央値+3σの値が過剰となり、さらに、板厚1/4位置における円換算直径1~500nmのTiCの個数密度が不足した。これは、鋼板44の冷間圧下率が高すぎたからであると考えられる。そのため、鋼板44では、降伏比及び遅れ破壊特性が確保できなかった。
鋼板45は、板厚1/4位置におけるマルテンサイトの体積分率が不足した。これは、鋼板45の焼鈍時の加熱温度が不足したからであると考えられる。そのため、鋼板45では、引張強さが不足した。
鋼板46は、鋼板の表面から50μm深さの位置で測定した硬さが、板厚1/4位置で測定した硬さに対して過剰であった。これは、鋼板46の焼鈍雰囲気が不適切であったからであると考えられる。そのため、鋼板46では、遅れ破壊特性が確保できなかった。
鋼板47は、Ti含有量が過剰であった。そのため、鋼板47では、TiCが多量に析出し、固溶C量が減少したため、引張強さが確保できなかった。
鋼板48は、板厚1/4位置における円換算直径1~500nmのTiCの個数密度が不足した。これは、鋼板48の焼鈍において、鋼板をAc3点以上の温度域まで加熱する際に、500~700℃での滞留時間が不足したからであると考えられる。そのため、鋼板48では、降伏比及び遅れ破壊特性が確保できなかった。
鋼板49は、板厚1/4位置における円換算直径1~500nmのTiCの個数密度が不足した。これは、鋼板49の焼鈍において、鋼板をAc3点以上の温度域まで加熱する際に、500~700℃での滞留時間が長すぎたからであると考えられる。そのため、鋼板49では、降伏比及び遅れ破壊特性が確保できなかった。
鋼板50は、板厚1/4位置における円換算直径1~500nmのTiCの個数密度が不足した。これは、鋼板50の焼鈍において、鋼板をAc3点以上の温度域から冷却する際に、700~500℃での滞留時間が不足したからであると考えられる。そのため、鋼板50では、降伏比及び遅れ破壊特性が確保できなかった。
鋼板51は、板厚1/4位置における円換算直径1~500nmのTiCの個数密度が不足した。これは、鋼板51の焼鈍において、鋼板をAc3点以上の温度域から冷却する際に、700~500℃での滞留時間が長すぎたからであると考えられる。そのため、鋼板51では、降伏比及び遅れ破壊特性が確保できなかった。