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  • 特許-被覆切削工具 図1
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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2023-12-26
(45)【発行日】2024-01-10
(54)【発明の名称】被覆切削工具
(51)【国際特許分類】
   B23B 27/14 20060101AFI20231227BHJP
   C23C 14/06 20060101ALI20231227BHJP
   C23C 14/34 20060101ALI20231227BHJP
   B23B 51/00 20060101ALI20231227BHJP
   B23C 5/16 20060101ALI20231227BHJP
   B23P 15/28 20060101ALI20231227BHJP
【FI】
B23B27/14 A
C23C14/06 A
C23C14/34 A
B23B51/00 J
B23C5/16
B23P15/28 A
【請求項の数】 1
(21)【出願番号】P 2020007239
(22)【出願日】2020-01-21
(65)【公開番号】P2021112805
(43)【公開日】2021-08-05
【審査請求日】2022-10-18
(73)【特許権者】
【識別番号】000233066
【氏名又は名称】株式会社MOLDINO
(74)【代理人】
【識別番号】100149548
【弁理士】
【氏名又は名称】松沼 泰史
(74)【代理人】
【識別番号】100175802
【弁理士】
【氏名又は名称】寺本 光生
(74)【代理人】
【識別番号】100142424
【弁理士】
【氏名又は名称】細川 文広
(74)【代理人】
【識別番号】100140774
【弁理士】
【氏名又は名称】大浪 一徳
(72)【発明者】
【氏名】佐々木 智也
【審査官】増山 慎也
(56)【参考文献】
【文献】特開2005-344148(JP,A)
【文献】特開2016-032861(JP,A)
【文献】国際公開第2019/035219(WO,A1)
【文献】国際公開第2019/065397(WO,A1)
【文献】国際公開第2015/141743(WO,A1)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
B23B 27/14
B23B 51/00
B23C 5/16
B23P 15/28
C23C 14/06
C23C 14/34
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
基材の表面に硬質皮膜を有する被覆切削工具であって、
前記硬質皮膜はスパッタリング皮膜であり、
前記硬質皮膜は、金属元素の総量に対して、Alが50原子%以上、Crが30原子%以上のAlとCrの窒化物であり、金属元素と非金属元素の総量に対して、Arが0.003原子%以上0.02原子%以下であり、
金属元素、窒素、酸素、炭素およびArの合計を100原子%とした場合の前記硬質皮膜の金属元素の原子比率Aと窒素の原子比率Bとが1.02≦B/A≦1.10の関係を満たし、
X線回折または透過型電子顕微鏡を用いた制限視野回折パターンの強度プロファイルにおいて、面心立方格子構造の(111)面に起因する回折ピークが最大強度を示し、
前記硬質皮膜の断面観察において、円相当径が3μm以上のドロップレットが100μm当たり1個未満であり、
前記硬質皮膜の表面は、ISO25178で規定される山頂点の算術平均曲率Spc(1/mm)の値が5000以下である、被覆切削工具。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、基材の表面に硬質皮膜を有する被覆切削工具に関する。
【背景技術】
【0002】
AlとCrの窒化物は耐摩耗性と耐熱性に優れる膜種であり被覆切削工具に広く適用されている。一般的に、被覆切削工具に適用するAlとCrの窒化物は物理蒸着法の中でも基材との密着性に優れるアークイオンプレーティング法を用いて被覆されている。但し、アークイオンプレーティング法ではターゲット成分をアーク放電によって蒸発させて被覆するため、硬質皮膜は不可避的に数マイクロメートルのドロップレットを多く含有する。工具径が3mm以下、更には1mm以下の小径工具へ被覆した場合、工具径に対して硬質皮膜の表面に存在するドロップレットの影響が大きくなるため、加工精度および工具寿命が十分でない場合がある。また、工具への負荷が大きい使用環境下においては、硬質皮膜の内部に存在するドロップレットが起点となり、硬質皮膜の破壊が発生する場合がある。
【0003】
一方、物理蒸着法の中でもターゲット成分をアルゴンガスでスパッタリングして被覆するスパッタリング法ではドロップレットが発生し難いため平滑な硬質皮膜が得られる。但し、スパッタリング法は、アークイオンプレーティング法に比べてターゲットのイオン化率が低い。そのため、スパッタリング法は、硬質皮膜の内部に空隙が形成され易く、硬質皮膜と基材との密着性にも乏しい傾向にある。スパッタリング法において、ターゲットのイオン化率を高める手段として、磁場バランスを意図的に崩して磁力線の一部を基材側まで延伸させたアンバランスドマグネトロンスパッタリング法が知られている。例えば、特許文献1はアンバランスドマグネトロンスパッタリング法によりAlとCrの窒化物を被覆することを開示している。
【0004】
また、近年では、ターゲットに印加する電力を瞬間的に高くした高出力スパッタリング法でAlとCrの窒化物を被覆した被覆切削工具も提案されている。例えば、特許文献2に開示される成膜方法では、まず、スパッタリング法で、Tiターゲットに投入する最大電力を0.1~0.2MWとして基材の表面に微細なTiの化合物からなる中間皮膜を形成する。次いで、スパッタリング法で、ターゲットに印加する電力を4kWとして中間皮膜の上のAlとCrの窒化物を被覆する。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0005】
【文献】特開2005-344148号公報
【文献】特開2012-092433号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
特許文献1、2に記載のように、スパッタリング法で被覆することで硬質皮膜の内部に粗大なドロップレットを含有しないAlとCrの窒化物を得ることができる。但し、スパッタリング法で被覆した硬質皮膜はアークイオンプレーティング法で被覆した硬質皮膜に比べて緻密化が十分でなく、また不可避的にArを多く含有し易い。そのため、従来から提案されている、スパッタリング法のAlとCrの窒化物を被覆した被覆切削工具は、アークイオンプレーティング法のAlとCrの窒化物を被覆した被覆切削工具に比べて工具損傷が大きく、耐久性が劣る傾向にあり、改善の余地があった。
【0007】
本発明は上記の事情に鑑み、スパッタリング法で被覆されるAlとCrの窒化物の耐久性を高め、耐久性に優れた被覆切削工具を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0008】
本発明の一様態によれば、基材の表面に硬質皮膜を有する被覆切削工具であって、
前記硬質皮膜はスパッタリング皮膜であり、
前記硬質皮膜は、金属元素の総量に対して、Alが50原子%以上、Crが30原子%以上のAlとCrの窒化物であり、金属元素と非金属元素の総量に対して、Arが0.003原子%以上0.02原子%以下であり、
金属元素、窒素、酸素、炭素およびArの合計を100原子%とした場合の前記硬質皮膜の金属元素の原子比率Aと窒素の原子比率Bとが1.02≦B/A≦1.10の関係を満たし、
X線回折または透過型電子顕微鏡を用いた制限視野回折パターンの強度プロファイルにおいて、面心立方格子構造の(111)面に起因する回折ピークが最大強度を示し、
前記硬質皮膜の断面観察において、円相当径が3μm以上のドロップレットが100μm当たり1個未満であり、
前記硬質皮膜の表面は、ISO25178で規定される山頂点の算術平均曲率Spc(1/mm)の値が5000以下である被覆切削工具が提供される。
【発明の効果】
【0009】
本発明によれば、被覆切削工具の耐久性を高めることができる。
【図面の簡単な説明】
【0010】
図1】実施例1の電子顕微鏡による断面観察写真(×30000倍)である。
図2】実施例1の電子顕微鏡による工具付近の表面観察写真(×400倍)である。
【発明を実施するための形態】
【0011】
本発明者は、スパッタリング法のAlとCrの窒化物について、窒素の含有比率を高め、かつ、アルゴンの含有比率を低くするとともに、硬質皮膜の表面の“尖り”をより小さくすることで、耐久性に優れる被覆切削工具になることを確認して本発明に到達した。
【0012】
以下、本発明の実施形態の詳細について説明をする。
本実施形態の被覆切削工具は、基材となる工具の表面にAlとCrの窒化物からなる硬質皮膜を有する被覆切削工具である。基材としては、切削工具用のWC基超硬合金基材が用いられる。基材は、ヘッドとシャンクが一体のソリッド工具であってもよく、ヘッド交換式工具のヘッドであってもよく、ホルダに装着される切削インサートであってもよい。
【0013】
本実施形態の被覆切削工具を構成する硬質皮膜の成分組成、組織、特性、および、その製造方法等の詳細について説明をする。
【0014】
<成分組成 アルミニウム(Al)、クロム(Cr)>
本実施形態に係る硬質皮膜は、金属元素の総量に対して、Alが50原子%以上、Crが30原子%以上のAlとCrの窒化物である。
AlとCrの窒化物は耐摩耗性と耐熱性のバランスに優れる膜種であり、基材との密着性にも優れる。AlとCrの窒化物は、特にAlの含有比率を大きくすることで硬質皮膜の耐熱性がより向上する。また、Alの含有比率を大きくすることで、工具表面に酸化保護皮膜が形成され易くなるとともに、皮膜組織が微細になるため、溶着による硬質皮膜の摩耗が抑制され易くなる。更に、Alの含有比率を大きくすることで、切削抵抗が低下する傾向にある。上述したAlの添加効果を十分に発揮するには、本実施形態に係る硬質皮膜は、金属元素全体を100原子%とした場合、Alの含有比率を50原子%以上とする。更には、Alの含有比率を55原子%以上とすることが好ましい。一方、Alの含有比率が大きくなり過ぎると硬質皮膜の結晶構造が六方最密充填構造(hcp構造)となり易く、脆弱となる。そのため、本実施形態に係る硬質皮膜は、金属元素全体を100原子%とした場合、Alの含有比率を65原子%以下とすることが好ましい。更には、Alの含有比率を60原子%以下とすることが好ましい。
【0015】
本実施形態に係る硬質皮膜は、金属元素全体を100原子%とした場合、Crの含有比率を30原子%以上とする。これにより、硬質皮膜に優れた耐摩耗性を付与することができる。更には、Crの含有比率を35原子%以上とすることが好ましい。一方、硬質皮膜に含有されるCrの含有比率が大きくなり過ぎると、上述したAlの含有比率を大きくする効果が得られ難い。そのため、本実施形態に係る硬質皮膜は、金属元素全体を100原子%とした場合、Crの含有比率を48原子%以下とすることが好ましい。更には、Crの含有比率を45原子%以下とすることが好ましい。
【0016】
本実施形態に係る硬質皮膜の金属元素の含有比率は、鏡面加工した硬質皮膜について、電子プローブマイクロアナライザー装置(EPMA)を用いて測定することができる。この場合、例えば、硬質皮膜表面の鏡面加工後、直径が約1μmの分析範囲を5点分析し、最大値と最小値を除いた3点の平均から求めることができる。
【0017】
<アルゴン(Ar)含有量>
本実施形態に係る硬質皮膜は、金属元素と非金属元素の総量に対して、アルゴン(Ar)が0.02原子%以下である。硬質皮膜の欠陥となる粗大なドロップレットは、スパッタリング法を適用することで発生頻度を低減させることができる。一方、スパッタリング法ではアルゴンイオンを用いてターゲット成分をスパッタリングするため、スパッタリング法で被覆した硬質皮膜はアルゴンを含有し得る。とりわけ、アルゴンは結晶粒界に濃化し易く、結晶粒径が微粒になるとアルゴンの含有比率が大きくなる傾向になる。但し、アルゴンの含有比率が大きくなると、結晶粒界において粒子同士の結合力が低下する。本実施形態に係る硬質皮膜のように、AlCrの窒化物についても、過多に含まれるアルゴンは欠陥となるため、その含有比率を一定以下にすることが有効である。具体的には、本実施形態に係る硬質皮膜は、金属元素と非金属元素の総量に対して、アルゴンが0.02原子%以下である。本実施形態に係る硬質皮膜は、金属元素と非金属元素の総量に対して、アルゴンが0.01原子%以下であることが好ましい。なお、硬質皮膜のアルゴンの含有比率が0.02原子%以下あるいは0.01原子%以下である範囲には、測定装置の検出限界により値を正確に評価することが難しい範囲が含まれる。このような微量な含有量は、アルゴンを用いていないアークイオンプレーティング法で被覆した硬質皮膜と同レベルである。本実施形態に係る硬質皮膜は、金属元素と非金属元素の総量に対して、アルゴンが0.003原子%以上となり得る。
【0018】
本実施形態に係る硬質皮膜のアルゴンの含有比率は、上述した金属元素の含有比率の測定と同様に、鏡面加工した硬質皮膜について、電子プローブマイクロアナライザー装置(EPMA)を用いて測定することができる。上述した金属元素の含有比率の測定と同様に、鏡面加工後、直径が約1μmの分析範囲を5点分析し、最大値と最小値を除いた3点の平均から求めることができる。
本実施形態に係る硬質皮膜においては、非金属元素としては窒素以外に微量のアルゴン、酸素、炭素が含まれうる。硬質皮膜におけるアルゴンの含有比率は、金属元素と窒素、酸素、炭素、アルゴンの含有比率を100原子%として求めることができる。
【0019】
<金属元素の原子比率Aと窒素の原子比率B>
本実施形態に係る硬質皮膜は、金属元素と窒素、酸素、炭素、アルゴンの含有比率を100原子%とした場合の前記硬質皮膜の金属元素の原子比率Aと窒素の原子比率Bとが1.02≦B/A≦1.10の関係を満たす。原子比率A、Bの値は、上記した測定方法によるEPMAの測定値を用いる。硬質皮膜に微量に含まれ得る酸素、炭素、アルゴンを考慮した上で、窒素の含有比率を高めることで、硬質皮膜の耐熱性がより向上して被覆切削工具の耐久性を高めることができる。
B/Aの値が1.02未満であると完全な窒化物が十分に形成され難いため、硬質皮膜のミクロ組織および組成が不均一になり易く、被覆切削工具の耐久性が低下する傾向になる。また、B/Aの値が1.10よりも大きくなると残留圧縮応力が高くなり硬質皮膜が自己破壊を起こし易くなる。
B/Aのより好ましい範囲は、1.03≦B/A≦1.08である。
【0020】
<成分組成 酸素(O)、炭素(C)>
本実施形態に係る硬質皮膜は窒化物であるが、微量の酸素と炭素を含有しうる。これらの元素は窒化物の中に微量な酸化物や炭化物を形成するため、硬質皮膜の靭性を低下させうる。硬質皮膜に不可避的に含有される酸素と炭素を低減することができれば、AlとCrの窒化物の靭性を高めることができる。
本実施形態に係る硬質皮膜では、硬質皮膜に含有される微細な酸化物を極力少なくするため、酸素の含有比率を1.5原子%以下とすることが好ましい。更には、酸素の含有比率を1.0原子%以下とすることが好ましい。また、硬質皮膜に含有される微細な炭化物を極力少なくするため、炭素の含有比率を1.5原子%以下とすることが好ましい。更には、炭素の含有比率を1.0原子%以下とすることが好ましい。
酸素と炭素の含有比率は、炭素、窒素、酸素、アルゴン、金属元素の合計の含有比率を100原子%として求めればよい。
【0021】
<結晶構造>
本実施形態に係る硬質皮膜は、X線回折または透過型電子顕微鏡を用いた制限視野回折パターンの強度プロファイルにおいて、面心立方格子構造(fcc構造)の(111)面に起因する回折ピークが最大強度を示す。つまり、本実施形態に係る硬質皮膜は、fcc構造が主体の結晶構造である。(111)面に起因する回折ピークが最大強度を示すAlとCrを主体とする窒化物を適用することで、被覆切削工具の耐久性が優れる傾向にある。
本実施形態に係る硬質皮膜は、回折パターンの強度プロファイルにおいて、fcc構造の(111)面以外に、fcc構造の(200)面、fcc構造の(220)面のピーク強度を有する。なお、本実施形態に係る硬質皮膜は、X線回折においては六方最密充填構造(hcp構造)の回折ピークは確認されないが、透過型電子顕微鏡を用いた制限視野回折パターンの強度プロファイルにおいては、一部にhcp構造の回折ピークを有する場合がある。
【0022】
<ドロップレット>
本実施形態に係る硬質皮膜は、断面観察において円相当径が3μm以上のドロップレットが100μm当たり1個未満である。本実施形態では、硬質皮膜に含まれるArの含有比率を低くした上で、硬質皮膜の内部に含まれるドロップレットを低減する。物理蒸着法で被覆する硬質皮膜では、ドロップレットが主な物理的な欠陥となりうる。とりわけ、工具径が3mm以下、更には1mm以下の小径工具になると、工具性能に及ぼすドロップレットの影響度が大きくなるため、粗大なドロップレットの発生頻度を低減することで、被覆切削工具の耐久性を高めることができる。特に、極めて大きなドロップレットは硬質皮膜の内部に僅かに存在しても大きな破壊の起点となりうる。そのため、本実施形態においては、硬質皮膜の断面観察において、円相当径が3μm以上のドロップレットが100μm当たり1個未満とする。更には、断面観察において、円相当径が5μm以上のドロップレットが無いことが好ましい。
本実施形態においては、硬質皮膜の断面観察において、円相当径が1μm以上のドロップレットを100μm当たり5個以下とすることが好ましい。更には、断面観察において、円相当径が1μm以上のドロップレットが100μm当たり3個以下であることが好ましい。
なお、円相当径とは、断面観察において、ドロップレットの面積と同じ面積を有する真円の直径である。
【0023】
硬質皮膜の断面観察においてドロップレットを評価するには、硬質皮膜を鏡面加工した後、収束イオンビーム法で加工して観察試料を作成する。その後、電子顕微鏡を用いて、観察試料の鏡面加工された面を5,000~10,000倍で複数の視野を観察すればよい。
【0024】
本実施形態に係る被覆切削工具の表面は、ISO25178で規定される算術平均高さSaを0.1μm以下、最大高さSzを2.0μm以下とした上で、山頂点の算術平均曲率Spc(1/mm)の値を5000以下とする。
本発明者は、一般的な線評価での表面粗さである算術平均粗さRaや、最大高さ粗さRzを平滑にするだけでは工具性能のばらつきが大きくなる場合があり、より広い面評価において表面粗さを制御することが重要であることを知見した。そして、本発明者は、面評価であるISO25178で規定される算術平均高さSaと最大高さSzに加えて、山頂点の算術平均曲率Spcを制御することが有効であることを見出した。ここで、山頂点の算術平均曲率Spcとは、山の頂点が尖っている度合いの指標である。山頂点の算術平均曲率Spcの値が小さいと、他の物体と接触する山の頂点が丸みを帯びている状態を示す。山頂点の算術平均曲率Spcの値が大きいと、他の物体と接触する山の頂点が尖っている状態を示す。被覆切削工具の表面において、山頂点の算術平均曲率Spcの値をより小さくすることで、逃げ面の表面の“尖り”がより小さくなり、摩耗がより抑制され易くなる。さらに、本実施形態に係る被覆切削工具の表面について、算術平均高さSaを0.1μm以下、最大高さSzを2.0μm以下とすることで、表面は平滑な表面状態となる。さらに、本実施形態に係る被覆切削工具の表面について、山頂点の算術平均曲率Spc(1/mm)の値を5000以下とすることで、逃げ面の表面の“尖り”がより少なくなり、摩耗が抑制され易くなる。更には、山頂点の算術平均曲率Spc(1/mm)の値を3000以下とすることが好ましい。最大高さSzは2.0μm以下であることが好ましい。
このような表面状態を達成するには、スパッタリング法により、工具に硬質皮膜を被覆した後に、さらに、ウエットブラスト処理や研磨剤等を噴射して刃先処理を行うことが好ましい。
【0025】
さらに、本実施形態に係る被覆切削工具では、ISO25178で規定されるスキューネス(Ssk)の値が-1.5以上0以下であることが好ましい。スキューネス(Ssk)とは、高さ分布の相対性を表す指標である。硬質皮膜にドロップレットが多いと凸部が多くなり、スキューネス(Ssk)の値が0よりも大きくなる。一方、硬質皮膜に凹部が多いと、スキューネス(Ssk)の値が0よりも小さくなる。ドロップレットを多く有する硬質皮膜を研磨すると凸部が研磨されて、スキューネス(Ssk)の値は0よりも小さくなるが、ドロップレットが除去されることにより大きな凹部が形成されて、スキューネス(Ssk)の値がマイナス側に大きくなる。スキューネス(Ssk)の値を-1.5以上0以下とすることで、表面が凹凸のより少ないより平滑な表面状態になり好ましい。また、スキューネス(Ssk)の値を-1.0以上0以下とすることがより好ましい。このような表面状態を達成するには、スパッタリング法により、工具に硬質皮膜を被覆した後に、さらに、ウエットブラスト処理や研磨剤等を噴射して刃先処理を行うことが好ましい。
なお、これらの被覆切削工具の逃げ面の粗さは、逃げ面に形成された硬質皮膜の表面に関するものである。
【0026】
本実施形態に係る被覆切削工具の表面粗さは、株式会社キーエンス製の形状解析レーザ顕微鏡(VK-X250)を用いて、カットオフ値0.25mm、倍率50倍で観察して、60μm×100μmの領域を3カ所測定し、得られた測定値の平均から求めることができる。
【0027】
<中間皮膜>
本実施形態の被覆切削工具は、硬質皮膜の密着性をより向上させるため、必要に応じて、工具の基材と硬質皮膜との間に中間皮膜を設けてもよい。例えば、金属、窒化物、炭窒化物、炭化物のいずれかからなる層を工具の基材と硬質皮膜との間に設けてもよい。また、中間皮膜を設けずに基材の直上に硬質皮膜を設けてもよい。
【0028】
本実施形態に係る硬質皮膜の被覆では、3個以上のAlCr合金ターゲットを用いて、ターゲットに順次電力を印加して、電力が印加されるターゲットが切り替わる際に、電力の印加が終了するターゲットと電力の印加を開始するターゲットの両方のターゲットに同時に電力が印加されている時間を設けるスパッタリング法を適用する。このようなスパッタリング法はターゲットのイオン化率が高い状態が被覆中に維持されて、ミクロレベルで緻密な硬質皮膜が得られるとともに、不可避的に含有されるアルゴン、酸素および炭素が少なく、窒素の含有比率が高まる傾向にある。そして、スパッタリング装置の炉内温度を400℃以上500℃以下として予備放電を実施し、炉内に導入する窒素ガスの流量を60sccm以上、アルゴンガスの流量を70sccm以上200sccm以下とすることが好ましい。また、炉内圧力を0.5Pa~0.8Paとすることが好ましい。AlCr合金ターゲットは、印加する電力の1周期当りの放電時間が長くなると、アーキングのリスクが高くなり成膜が安定し難い傾向にある。そのため、AlCr合金ターゲットに印加する電力の1周期当りの放電時間は1.0ミリ秒以下とすることが好ましい。
【0029】
電力パルスの最大電力密度は、0.5kW/cm以上とすることが好ましい。但し、ターゲットに印加する電力密度が大きくなり過ぎると成膜が安定し難い。また、電力密度が大きくなり過ぎると、スパッタリング法であってもドロップレットの発生頻度が高くなる傾向にある。そのため、電力パルスの最大電力密度は、3.0kW/cm以下とすることが好ましく、更には、電力パルスの最大電力密度は、2.0kW/cm以下とすることが好ましい。また、電力の印加が終了する合金ターゲットと電力の印加を開始する合金ターゲットの両方の合金ターゲットに同時に電力が印加されている時間は5マイクロ秒以上20マイクロ秒以下とすることが、硬質皮膜の基本的な特性を高めてドロップレットを低減させるのに好ましい。
【実施例1】
【0030】
<工具>
工具として、組成がWC(bal.)-Co(8質量%)-V(0.3質量%)-Cr(0.4質量%)、硬度94.0HRA(ロックウェル硬さ、JIS G 0202に準じて測定した値)からなる超硬合金製の刃先交換式工具(三菱日立ツール株式会社製)を準備した。
【0031】
本実施例1、比較例1は、スパッタ蒸発源を6機搭載できるスパッタリング装置を使用した。これらの蒸着源のうち、AlCr合金ターゲット3個を蒸着源として装置内に設置した。なお、寸法がΦ16cm、厚み12mmのターゲットを用いた。
工具をスパッタリング装置内のサンプルホルダーに固定し、工具にバイアス電源を接続した。なお、バイアス電源は、ターゲットとは独立して工具に負のバイアス電圧を印加する構造となっている。工具は、毎分2回転で自転しかつ、固定治具とサンプルホルダーを介して公転する。工具とターゲット表面との間の距離は100mmとした。
導入ガスは、Ar、およびNを用い、スパッタリング装置に設けられたガス供給ポートから導入した。
【0032】
<ボンバード処理>
まず工具に硬質皮膜を被覆する前に、以下の手順で工具にボンバード処理を行った。スパッタリング装置内のヒーターにより炉内温度が450℃になった状態で30分間の加熱を行った。その後、スパッタリング装置の炉内を真空排気し、炉内圧力を5.0×10-3Pa以下とした。そして、Arガスをスパッタリング装置の炉内に導入し、炉内圧力を0.8Paに調整した。そして、工具に-200Vの直流バイアス電圧を印加して、Arイオンによる工具のクリーニング(ボンバード処理)を実施した。
【0033】
<硬質皮膜の被覆>
次いで、以下の手順でAlCrの窒化物を工具上に被覆した。
炉内温度を450℃に保持したまま、そして、スパッタリング装置の炉内にArガスを160sccmで導入し、その後、Nガスを190sccmで導入して炉内圧力を0.7Paとした。工具に-40Vの直流バイアス電圧を印加して、そして、AlCr合金ターゲットに印加される電力の1周期当りの放電時間を0.5ミリ秒、電力が印加される合金ターゲットが切り替わる際に、電力の印加が終了する合金ターゲットと電力の印加を開始する合金ターゲットの両方の合金ターゲットに同時に電力が印加されている時間を10マイクロ秒として、3個のAlCr合金ターゲットに連続的に電力を印加して、工具の表面に約2.0μmの硬質皮膜を被覆した。このとき、電力パルスの最大電力密度は、1.0kW/cm、平均電力密度は0.2kW/cmとした。
本実施例1は硬質皮膜を被覆後に研磨剤を約60秒間噴射して刃先処理を行った。
比較例1は硬質皮膜を被覆後に刃先処理を行わなかった。
【0034】
比較例2はアークイオンプレーティング装置を使用した。AlCr合金ターゲットを蒸着源として装置内に設置した。なお、寸法がΦ105mm、厚み16mmのターゲットを用いた。本実施例1と同様に、Arイオンによる工具のクリーニング(ボンバード処理)を実施した。次いで、アークイオンプレーティング装置の炉内圧力を5.0×10-3Pa以下に真空排気して、炉内温度を500℃とし、炉内圧力が5.0PaになるようにNガスを導入した。次いで、工具に-150Vの直流バイアス電圧を印加して、AlCr合金ターゲットに150Aの電流を印可して、工具の表面に約2.0μmの硬質皮膜を被覆した。
比較例2は硬質皮膜を被覆後に研磨剤を約60秒間噴射して刃先処理を行った。
【0035】
<皮膜組成>
硬質皮膜の皮膜組成は、電子プローブマイクロアナライザー装置(株式会社日本電子製 JXA-8500F)を用いて、付属の波長分散型電子プローブ微小分析(WDS-EPMA)で硬質皮膜の皮膜組成を測定した。物性評価用のボールエンドミルを鏡面加工して、加速電圧10kV、照射電流5×10-8A、取り込み時間10秒とし、分析領域が直径1μmの範囲を5点測定し、最大値と最小値を除いた3点の平均値から硬質皮膜の組成を求めた。
【0036】
<結晶構造・結晶粒径>
硬質皮膜の結晶構造は、X線回折装置(株式会社PaNalytical製 EMPYREA)を用い、管電圧45kV、管電流40mA、X線源Cukα(λ=0.15405nm)、2θが20度~80度の測定条件で確認を行った。また、硬質皮膜の最大の回折ピーク強度から半価幅を測定した。また、硬質皮膜の(200)面の回折ピーク強度をI(200)、硬質皮膜の(111)面の回折ピーク強度をI(111)とした場合、I(111)/I(200)を算出した。
【0037】
<表面粗さ>
逃げ面を被覆する硬質皮膜における算術平均高さSa、最大高さSz、スキューネス(Ssk)および山頂点の算術平均曲率Spc(1/mm)は、ISO25178に規定に準拠して、株式会社キーエンス製の形状解析レーザ顕微鏡(VK-X250)を用いて、カットオフ値0.25mm、倍率50倍で観察して、60μm×100μmの領域を3カ所測定し、得られた測定値の平均から求めた。
【0038】
<切削試験>
作製した被覆切削工具を用いて切削試験を行った。表1に分析結果および切削試験結果を示す。切削条件は以下の通りである。
<切削試験>
(条件)乾式加工
・工具:2枚刃超硬ボールエンドミル
・型番:EPDBE2010-6、工具半径0.5mm
・切削方法:底面切削
・被削材:STAVAX(52HRC)(Bohler Uddeholm株式会社製)
・切り込み:軸方向0.04mm、径方向0.04mm
・切削速度:75.4m/min
・一刃送り量:0.018mm/刃
・切削距離:15m
・評価方法:切削加工後、走査電子顕微鏡を用いて観察倍率1000倍で観察し、工具と被削材が擦過した幅を測定し、そのうちの擦過幅が最も大きかった部分を最大摩耗幅とした。各試料について、皮膜特性および皮膜組織を観察した。皮膜特性および切削評価の結果を表1に示す。
【0039】
【表1】
【0040】
本実施例1、比較例1はスパッタリング法で被覆しているが、アークイオンプレーティング法で被覆した比較例2と同様に、硬質皮膜はアルゴンを殆ど含有していなかった。また、図1に示すように、本実施例1は硬質皮膜に含まれる円相当径が1μm以上の粗大なドロップレットは殆ど観察されなかった。実施例1では、硬質皮膜に含まれる円相当径が3μm以上のドロップレットは、100μm当たり1個未満であった。比較例1についても、硬質皮膜内に粗大なドロップレットは殆ど観察されなかった。
図2に示すように、本実施例1の加工後の損傷状態は、比較例1、2に比べて最大摩耗幅が小さくなり、かつ、工具摩耗の偏りもより少ない安定した工具損傷状態であった。本実施例1はドロップレットが発生しにくいスパッタリング法で被覆後に、研磨剤を噴霧して平滑化したことで、算術平均曲率Spc(1/mm)の値が小さく、これにより工具損傷状態が安定したと推定される。
比較例2は、アークイオンプレーティング法で被覆したため、硬質皮膜の表面に粗大なドロップレットが多くあった。そのため、本実施例1と同様に研磨剤を噴霧して平滑化しても、本実施例1に比べて算術平均曲率Spc(1/mm)の値が大きくなった。これにより本実施例1に比べて最大摩耗幅が大きくなったと推定される。
図1
図2