(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2023-12-27
(45)【発行日】2024-01-11
(54)【発明の名称】目的物質の香り、味又は体性感覚を再現する、複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせの配合を決定するための方法
(51)【国際特許分類】
C12Q 1/02 20060101AFI20231228BHJP
G01N 21/75 20060101ALI20231228BHJP
C12N 5/10 20060101ALN20231228BHJP
C12N 15/12 20060101ALN20231228BHJP
C07K 14/705 20060101ALN20231228BHJP
【FI】
C12Q1/02 ZNA
G01N21/75 Z
C12N5/10
C12N15/12
C07K14/705
(21)【出願番号】P 2022524550
(86)(22)【出願日】2021-05-21
(86)【国際出願番号】 JP2021019359
(87)【国際公開番号】W WO2021235544
(87)【国際公開日】2021-11-25
【審査請求日】2022-11-21
(31)【優先権主張番号】P 2020089819
(32)【優先日】2020-05-22
(33)【優先権主張国・地域又は機関】JP
(73)【特許権者】
【識別番号】000004569
【氏名又は名称】日本たばこ産業株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】100118902
【氏名又は名称】山本 修
(74)【代理人】
【識別番号】100106208
【氏名又は名称】宮前 徹
(74)【代理人】
【識別番号】100196508
【氏名又は名称】松尾 淳一
(74)【代理人】
【識別番号】100107386
【氏名又は名称】泉谷 玲子
(72)【発明者】
【氏名】下村 一平
(72)【発明者】
【氏名】御園生 洋祐
【審査官】小林 薫
(56)【参考文献】
【文献】特表2016-530610(JP,A)
【文献】特開2003-279459(JP,A)
【文献】特開2005-43072(JP,A)
【文献】特開2018-109099(JP,A)
【文献】特開2008-308649(JP,A)
【文献】国際公開第2018/190118(WO,A1)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C12Q 1/00- 3/00
C12N 15/00-15/90
C11B 1/00-15/00;C11C 1/00- 5/02
G01N 21/75-21/83
G01N 33/00-33/46
G01N 33/48-33/98
JSTPlus/JMEDPlus/JST7580(JDreamIII)
CAplus/MEDLINE/EMBASE/BIOSIS(STN)
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
目的物質の香り、味又は体性感覚を再現する、複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせの配合の決定方法であって、
所望の1又は複数の嗅覚、味覚又は体性感覚の受容体について、目的物質に対する当該受容体の用量応答曲線と、複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせに対する前記受容体の用量応答曲線とが近似するように、前記複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の混合比率を決定する、
ことを含み、
ここにおいて、目的物質は単一の化合物又は複数の化合物の混合物である、
前記配合の決定方法。
【請求項2】
目的物質の香り、味又は体性感覚を再現する、複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせの配合の決定方法であって、
(i)所望の1又は複数の嗅覚、味覚又は体性感覚の受容体について、目的物質に対する前記受容体の応答強度を示す函数f
iTを設定する工程1;
(ii)複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせに対する、前記受容体の応答強度を示し、前記候補物質のそれぞれの濃度によって特徴付けられる函数f
iRを設定する工程2;
(iii)前記各受容体について函数f
iTと函数f
iRの誤差を特徴付ける誤差函数
g
i
を設定する工程であって、ここで前記誤差函数は函数f
iTと函数f
iRが一致するときに最小となる、工程3;
(iv)工程3で得られた前記各受容体に係るすべての誤差函数g
iを引数とする汎函数Fを設定する工程であって、ここで前記汎函数Fは、すべての受容体において前記誤差函数が最小となるときに最小となる、工程4;
(v)前記汎函数Fについて最適化を行い、汎函数Fが最適値をとるときの前記各候補物質の各々の濃度を、目的とする香り、味又は体性感覚を再現する濃度として決定する工程5
を含み、
ここにおいて、目的物質は単一の化合物又は複数の化合物の混合物である、
前記方法。
【請求項3】
前記1又は複数の嗅覚、味覚又は体性感覚の受容体が、前記目的物質がリガンドとなる受容体を含む、請求項1又は2に記載の方法。
【請求項4】
前記1又は複数の嗅覚、味覚又は体性感覚の受容体が、前記目的物質がリガンドとなる受容体を全て含む、請求項1又は2に記載の方法。
【請求項5】
前記1又は複数の嗅覚、味覚又は体性感覚の受容体が、前記香り、味又は体性感覚の候補物質のうち少なくとも1種類がリガンドとなる受容体を含む、請求項1-4のいずれか1項に記載の方法。
【請求項6】
複数の香り、味又は体性感覚の候補物質のうち少なくとも1種類が、前記目的物質がリガンドとなる受容体のリガンドである、請求項1-5のいずれか1項に記載の方法。
【請求項7】
前記受容体が、複数の嗅覚、味覚又は体性感覚の受容体である、請求項1-6のいずれか1項に記載の方法。
【請求項8】
函数f
iTが、対象となる1又は複数の嗅覚、味覚又は体性感覚の受容体に対する目的物質の最大応答強度αとEC50(最低値からの最大応答の50%を示す濃度)をパラメーターとして含む、請求項2-7のいずれか1項に記載の方法。
【請求項9】
函数f
iRが、対象となる1又は複数の嗅覚、味覚又は体性感覚の受容体に対する複数の候補物質の組み合わせの最大応答強度αとEC50をパラメーターとして含む、請求項2-8のいずれか1項に記載の方法。
【請求項10】
(vi)工程5で得られた香り、味又は体性感覚を再現する濃度について、ヒトによる官能試験により調整したものを最終的な香り、味又は体性感覚を再現する濃度とする工程6、
をさらに含む、請求項2-9のいずれか1項に記載の方法。
【請求項11】
複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせについて、目的物質が有する香り、味又は体性感覚を再現する混合物を得る方法であって、
(i)所望の1又は複数の嗅覚、味覚又は体性感覚の受容体について、目的物質に対する前記受容体の応答強度を示す函数f
iTを設定する工程1;
(ii)複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせに対する、前記受容体の応答強度を示し、前記候補物質のそれぞれの濃度によって特徴付けられる函数f
iRを設定する工程2;
(iii)前記各受容体について函数f
iTと函数f
iRの誤差を特徴付ける誤差函数
g
i
を設定する工程であって、ここで前記誤差函数は函数f
iTと函数f
iRが一致するときに最小となる、工程3;
(iv)工程3で得られた前記各受容体に係るすべての誤差函数g
iを引数とする汎函数Fを設定する工程であって、ここで前記汎函数Fは、すべての受容体において前記誤差函数が最小となるときに最小となる、工程4;
(v)前記汎函数Fについて最適化を行い、汎函数Fが最適値をとるときの前記各候補物質の各々の濃度を、目的とする香り、味又は体性感覚を再現する濃度として決定する工程5;
(vi)前記各候補物質を工程5で決定された濃度で混合して、混合物を得る工程6、
を含み、
ここにおいて、目的物質は単一の化合物又は複数の化合物の混合物である、
前記方法。
【請求項12】
目的物質の香り、味又は体性感覚を再現する、複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせの配合の決定プログラムであって、該プログラムは、コンピュータに、
所望の1又は複数の嗅覚、味覚又は体性感覚の受容体について、目的物質に対する当該受容体の用量応答曲線と、複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせに対する前記受容体の用量応答曲線とが近似するように、前記複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の混合比率を決定するステップと
を実行させ、
ここにおいて、目的物質は単一の化合物又は複数の化合物の混合物である、
前記配合の決定プログラム。
【請求項13】
目的物質の香り、味又は体性感覚を再現する、複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせの配合の決定プログラムであって、該プログラムは、コンピュータに、
(i)所望の1又は複数の嗅覚、味覚又は体性感覚の受容体について、目的物質に対する前記受容体の応答強度を示す函数f
iTを設定するステップと;
(ii)複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせに対する、前記受容体の応答強度を示し、前記候補物質のそれぞれの濃度によって特徴付けられる函数f
iRを設定するステップと;
(iii)汎函数Fについて最適化を行い、汎函数Fが最適値をとるときの前記各候補物質の各々の濃度を、目的とする香り、味又は体性感覚を再現する濃度として決定するステップであって、前記汎函数Fは、前記各受容体に係るすべての誤差函数g
iを引数とし、すべての受容体において前記誤差函数が最小となるときに最小となるものであり、前記各受容体に係る誤差函数g
iは、前記各受容体についてf
iTとf
iRの誤差を特徴付け、f
iTとf
iRが一致するときに最小となるものである、ステップと
をコンピュータに実行させ、
ここにおいて、目的物質は単一の化合物又は複数の化合物の混合物である、
前記プログラム。
【請求項14】
目的物質の香り、味又は体性感覚を再現する、複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせの配合の決定システムであって、
所望の1又は複数の嗅覚、味覚又は体性感覚の受容体について、対象物質に対する当該受容体の用量応答曲線と、複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせに対する前記受容体の用量応答曲線とが近似するように、前記複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の混合比率を決定する
ように構成され、
ここにおいて、対象物質は単一の化合物又は複数の化合物の混合物である、
前記システム。
【請求項15】
複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせについて、目的物質が有する香り、味又は体性感覚を再現する混合物を得るシステムであって、
(i)所望の1又は複数の嗅覚、味覚又は体性感覚の受容体について、対象物質に対する前記受容体の応答強度を示す函数f
iTを設定し、
(ii)複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせに対する、前記受容体の応答強度を示し、前記候補物質のそれぞれの濃度を変数とする函数f
iRを設定し、
(iii)汎函数Fについて最適化を行い、汎函数Fが最適値をとるときの前記各候補物質の各々の濃度を、目的とする香り、味又は体性感覚のレシピの濃度として決定し、前記汎函数Fは、前記各受容体に係るすべての誤差函数g
iを引数とし、すべての受容体において前記誤差函数が最小となるときに最小となるものであり、前記各受容体に係る誤差函数g
iは、前記各受容体についてf
iTとf
iRの誤差を特徴付け、f
iTとf
iRが一致するときに最小となるものである
ように構成され、
ここにおいて、目的物質は単一の化合物又は複数の化合物の混合物である、
前記システム。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、目的物質の香り、味又は体性感覚を再現する、複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせの配合を決定するための方法、プログラム及びシステム、並びに、複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせについて、目的物質が有する香り、味又は体性感覚を再現する混合物を得る方法に関する。
【背景技術】
【0002】
目的物質の香り、味又は体性感覚を、目的物質以外の物質により再現する試みがされている。例えば、目的物質の取り扱いが困難である、入手しにくい、高価である、などの事情がある場合、目的物質以外の物質を用いることにより同様の香りや味を再現できることが望ましい。
【0003】
特開2003-279459(特許文献1)は、匂いレシピ決定方法について記載している。当該文献の方法は、種類の異なる複数の要素臭の中から、対象臭に近似する要素臭の組み合わせを複数個の匂いセンサ応答パターンに基づいて決定することを特徴とするものである。
【0004】
当該方法は、要するに、「複数個の匂いセンサ応答パターン」を利用し、「対象臭に近似する要素臭の組み合わせ」を決定するというものである。当該方法について、特許文献1は、「かかる匂いレシピ決定方法は、要素臭の組合せによって対象臭を近似するものである。すなわち、要素臭の一つ一つについてその濃度を探索するのではなく、要素臭の有無によって対象臭を近似するものである。多くの要素臭で匂いを調合する場合には、その調合臭の質は、要素臭の有無に大きく影響され、それぞれの要素臭の濃度(含有量)にはあまり影響されない。したがって、各要素臭の有無のみに着目しても対象臭を近似することが可能で、さらに、検索範囲が限定されるので匂いのレシピの決定が容易になる」(特許文献1[0012])、と述べている。
【0005】
特開2005-043072(特許文献2)は、匂いの記録再生方法を記載している。当該文献の方法は、対象臭と複数の要素臭を調合した調合臭をセンサアレイで検出し、両者の応答パターンを近似させる、という工程を含むものである。
【0006】
特開2008-308649(特許文献3)は、ターゲット臭物質の合成レシピを作成してコーディングする匂いコーディングシステムを記載している。当該文献の匂いコーディングシステムは、
複数の匂い物質の分子構造情報に対応して分子情報パラメーターを格納する分子情報データベースと、
複数の要素臭物質について多変量解析結果を格納する要素臭データベースと、
前記ターゲット臭物質の分子情報に基づいて、前記分子情報データベースから対応する分子情報パラメーターを取得する分子情報検索部と、
前記分子情報検索部によって得られた分子情報を用いて、前記ターゲット臭物質の多変量解析を実行し、多変量解析結果を取得する多変量解析部と、
前記ターゲット臭物質の多変量解析結果に基づいて、前記要素臭データベースから前記ターゲット臭物質を合成するための要素臭物質に関する情報を取得する要素臭決定部と、
前記要素臭物質に関する情報をコード化して出力する匂いコード出力部と、
を備えることを特徴とする。
【0007】
当該システムは要するに、ターゲット臭物質の分子情報に基づいてターゲット臭物質の多変量解析を実行し、多変量解析結果を取得する多変量解析部と、そして、当該解析結果に基づいて、ターゲット臭物質を合成するための要素臭物質に関する情報を取得する要素臭決定部、とを含むものである。
【0008】
特開2018-109099(特許文献4)は、香料組成構築システムを記載している。当該文献のシステムは、「ヒトの嗅覚に関わる感覚指標を用い、香りの観測場面をモデル化したシミュレーションにより、所望の香りを表現するための複数のパーツノートの組合せ及び比率を決定する」というものである。
【0009】
国際公開WO2018/190118(特許文献5)は、被験化合物の中からアンバーグリスノートを呈する候補化合物をスクリーニングする方法を記載している。当該文献に記載の方法は、アンバーグリスノートを呈する香料に対して応答性を示す嗅覚受容体を用いて、被験化合物の中からアンバーグリスノートを呈する候補化合物をスクリーニングする方法であって、
(i)OR7A17、OR7C1、及び(特許文献5の)配列番号2又は4で示されるアミノ酸配列と80%以上の同一性を有するアミノ酸配列を含み、かつアンバーグリスノートを呈する香料に対して応答性を示すタンパク質からなる群より選択される嗅覚受容体と被験化合物を接触させ、被験化合物に対する嗅覚受容体の応答を測定する工程と、
(ii)被験化合物の非存在下で、工程(i)で用いた嗅覚受容体の応答を測定する工程と、
(iii)工程(i)及び(ii)における測定結果を比較して、応答性が変化した被験化合物を、アンバーグリスノートを呈する候補化合物として選択する工程とを含む。
【0010】
本発明前のいずれの方法、システムも、ある一点の濃度において目的物質と候補物質の味又香りを一致させ、再現させることを目的とするものである。しかしながら、生体内における味や香りの受容体の応答強度を決めるのは、口腔中や嗅粘液中の味や香りを生じる物質の濃度である。従来技術の方法は、目的物質及び/又は候補物質の濃度が変化した場合も、目的物質の香り、味又は体性感覚が再現できるか、ということについて検討をしていない。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0011】
【文献】特開2003-279459
【文献】特開2005-043072
【文献】特開2008-308649
【文献】特開2018-109099
【文献】国際公開WO2018/190118
【非特許文献】
【0012】
【文献】Joel D. Mainland, et al.,Nat Neurosci. 2014; 17(1):p.114-120
【文献】Howard GJ et al.,J.Theor.Biol. 2009 Aug 7; 259(3):469-477
【文献】Saito H,et al.,Sci Signal,2009;2(60):ra9.
【文献】Joel D. Mainland, et al.,2015;Scientific Data,2:150002
【文献】Amrita Samanta, et al.,Subcell Biochem. 2018;87:141-165
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0013】
本発明者らは、上記課題を解決するために、目的物質及び候補物質が、多少の濃度変化が生じたとしても目的物質の香り、味又は体性感覚を再現するためには、目的物質と用量応答曲線が近似する候補物質の組み合わせを設計することが重要である、ことを見出し、本願発明を想到した。具体的には、「目的物質の香り、味又は体性感覚を生じる目的物質の濃度と受容体の応答強度との関係(目的物質の用量応答曲線)」と「候補物質の組み合わせの濃度と受容体の応答強度との関係(候補物質の組み合わせの用量応答曲線)」とを、各候補物質の混合比率を調整することによって、両者を近似させることにより、目的物質の香り、味又は体性感覚の再現が可能になった。
【0014】
本発明は、目的物質の香り、味又は体性感覚を再現する、複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせの配合を決定するための方法、プログラム及びシステム、並びに、複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせについて、目的物質が有する香り、味又は体性感覚を再現する混合物を得る方法を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0015】
所望の1又は複数の嗅覚、味覚又は体性感覚の受容体について、目的物質に対する当該受容体の用量応答曲線と、複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせに対する前記受容体の用量応答曲線とが近似するように、前記複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の混合比率を決定する、
ことを含み、
ここにおいて、目的物質は単一の化合物又は複数の化合物の混合物である、
前記配合の決定方法。
[態様2]
目的物質の香り、味又は体性感覚を再現する、複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせの配合の決定方法であって、
(i)所望の1又は複数の嗅覚、味覚又は体性感覚の受容体について、目的物質に対する前記受容体の応答強度を示す函数fiTを設定する工程1;
(ii)複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせに対する、前記受容体の応答強度を示し、前記候補物質のそれぞれの濃度によって特徴付けられる函数fiRを設定する工程2;
(iii)前記各受容体について函数fiTと函数fiRの誤差を特徴付ける誤差函数g
i
を設定する工程であって、ここで前記誤差函数は函数fiTと函数fiRが一致するときに最小となる、工程3;
(iv)工程3で得られた前記各受容体に係るすべての誤差函数giを引数とする汎函数Fを設定する工程であって、ここで前記汎函数Fは、すべての受容体において前記誤差函数が最小となるときに最小となる、工程4;
(v)前記汎函数Fについて最適化を行い、汎函数Fが最適値をとるときの前記各候補物質の各々の濃度を、目的とする香り、味又は体性感覚を再現する濃度として決定する工程5
を含み、
ここにおいて、目的物質は単一の化合物又は複数の化合物の混合物である、
前記方法。
[態様3]
前記1又は複数の嗅覚、味覚又は体性感覚の受容体が、前記目的物質がリガンドとなる受容体を含む、態様1又は2に記載の方法。
[態様4]
前記1又は複数の嗅覚、味覚又は体性感覚の受容体が、前記目的物質がリガンドとなる受容体を全て含む、態様1又は2に記載の方法。
[態様5]
前記1又は複数の嗅覚、味覚又は体性感覚の受容体が、前記香り、味又は体性感覚の候補物質のうち少なくとも1種類がリガンドとなる受容体を含む、態様1-4のいずれか1項に記載の方法。
[態様6]
複数の香り、味又は体性感覚の候補物質のうち少なくとも1種類が、前記目的物質がリガンドとなる受容体のリガンドである、態様1-5のいずれか1項に記載の方法。
[態様7]
前記受容体が、複数の嗅覚、味覚又は体性感覚の受容体である、態様1-6のいずれか1項に記載の方法。
[態様8]
函数fiTが、対象となる1又は複数の嗅覚、味覚又は体性感覚の受容体に対する目的物質の最大応答強度αとEC50(最低値からの最大応答の50%を示す濃度)をパラメーターとして含む、態様2-7のいずれか1項に記載の方法。
[態様9]
函数fiRが、対象となる1又は複数の嗅覚、味覚又は体性感覚の受容体に対する複数の候補物質の組み合わせの最大応答強度αとEC50をパラメーターとして含む、態様2-8のいずれか1項に記載の方法。
[態様10]
(vi)工程5で得られた香り、味又は体性感覚を再現する濃度について、ヒトによる官能試験により調整したものを最終的な香り、味又は体性感覚を再現する濃度とする工程6、
をさらに含む、態様2-9のいずれか1項に記載の方法。
[態様11]
複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせについて、目的物質が有する香り、味又は体性感覚を再現する混合物を得る方法であって、
(i)所望の1又は複数の嗅覚、味覚又は体性感覚の受容体について、目的物質に対する前記受容体の応答強度を示す函数fiTを設定する工程1;
(ii)複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせに対する、前記受容体の応答強度を示し、前記候補物質のそれぞれの濃度によって特徴付けられる函数fiRを設定する工程2;
(iii)前記各受容体について函数fiTと函数fiRの誤差を特徴付ける誤差函数g
i
を設定する工程であって、ここで前記誤差函数は函数fiTと函数fiRが一致するときに最小となる、工程3;
(iv)工程3で得られた前記各受容体に係るすべての誤差函数giを引数とする汎函数Fを設定する工程であって、ここで前記汎函数Fは、すべての受容体において前記誤差函数が最小となるときに最小となる、工程4;
(v)前記汎函数Fについて最適化を行い、汎函数Fが最適値をとるときの前記各候補物質の各々の濃度を、目的とする香り、味又は体性感覚を再現する濃度として決定する工程5;
(vi)前記各候補物質を工程5で決定された濃度で混合して、混合物を得る工程6、
を含み、
ここにおいて、目的物質は単一の化合物又は複数の化合物の混合物である、
前記方法。
[態様12]
目的物質の香り、味又は体性感覚を再現する、複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせの配合の決定プログラムであって、該プログラムは、コンピュータに、
所望の1又は複数の嗅覚、味覚又は体性感覚の受容体について、目的物質に対する当該受容体の用量応答曲線と、複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせに対する前記受容体の用量応答曲線とが近似するように、前記複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の混合比率を決定するステップと
を実行させ、
ここにおいて、目的物質は単一の化合物又は複数の化合物の混合物である、
前記配合の決定プログラム。
[態様13]
目的物質の香り、味又は体性感覚を再現する、複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせの配合の決定プログラムであって、該プログラムは、コンピュータに、
(i)所望の1又は複数の嗅覚、味覚又は体性感覚の受容体について、目的物質に対する前記受容体の応答強度を示す函数fiTを設定するステップと;
(ii)複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせに対する、前記受容体の応答強度を示し、前記候補物質のそれぞれの濃度によって特徴付けられる函数fiRを設定するステップと;
(iii)汎函数Fについて最適化を行い、汎函数Fが最適値をとるときの前記各候補物質の各々の濃度を、目的とする香り、味又は体性感覚を再現する濃度として決定するステップであって、前記汎函数Fは、前記各受容体に係るすべての誤差函数giを引数とし、すべての受容体において前記誤差函数が最小となるときに最小となるものであり、前記各受容体に係る誤差函数giは、前記各受容体についてfiTとfiRの誤差を特徴付け、fiTとfiRが一致するときに最小となるものである、ステップと
をコンピュータに実行させ、
ここにおいて、目的物質は単一の化合物又は複数の化合物の混合物である、
前記プログラム。
[態様14]
目的物質の香り、味又は体性感覚を再現する、複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせの配合の決定システムであって、
所望の1又は複数の嗅覚、味覚又は体性感覚の受容体について、対象物質に対する当該受容体の用量応答曲線と、複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせに対する前記受容体の用量応答曲線とが近似するように、前記複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の混合比率を決定する
ように構成され、
ここにおいて、対象物質は単一の化合物又は複数の化合物の混合物である、
前記システム。
[態様15]
複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせについて、目的物質が有する香り、味又は体性感覚を再現する混合物を得るシステムであって、
(i)所望の1又は複数の嗅覚、味覚又は体性感覚の受容体について、対象物質に対する前記受容体の応答強度を示す函数fiTを設定し、
(ii)複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせに対する、前記受容体の応答強度を示し、前記候補物質のそれぞれの濃度を変数とする函数fiRを設定し、
(iii)汎函数Fについて最適化を行い、汎函数Fが最適値をとるときの前記各候補物質の各々の濃度を、目的とする香り、味又は体性感覚のレシピの濃度として決定し、前記汎函数Fは、前記各受容体に係るすべての誤差函数giを引数とし、すべての受容体において前記誤差函数が最小となるときに最小となるものであり、前記各受容体に係る誤差函数giは、前記各受容体についてfiTとfiRの誤差を特徴付け、fiTとfiRが一致するときに最小となるものである
ように構成され、
ここにおいて、目的物質は単一の化合物又は複数の化合物の混合物である、
前記システム。
【0016】
なお、『香り、味又は体性感覚』の再現は、香り、味及び体性感覚から選択されるいずれか一つのみが再現される場合を含んでいてよい。即ち、『複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせの配合の決定』は、香り、味及び体性感覚から選択されるいずれか一つのみについて、複数の候補物質の組み合わせの配合の決定が行われる場合を含んでいてよい。
【0017】
また 、『香り、味又は体性感覚』の再現は、香り、味又は体性感覚から選択される少なくとも二つが再現される場合も含んでいてよい。即ち、『複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせの配合の決定』は、香り、味又は体性感覚から選択される少なくとも二つについて、複数の候補物質の組み合わせの配合の決定が行われる場合を含んでいてよい。
【0018】
さらに、『香り、味又は体性感覚』の再現は、香り、味及び体性感覚のすべてが再現される場合も含んでいてよい。即ち、『複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせの配合の決定』は、香り、味及び体性感覚のすべてについて、複数の候補物質の組み合わせの配合の決定が行われる場合を含んでいてよい。
【発明の効果】
【0019】
本発明により、複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせの適切な配合を決定し、目的物質の香り、味又は体性感覚を再現することが可能になった。本発明の方法は、目的物質の用量応答曲線と候補物質の組み合わせの用量応答曲線を利用するため、目的物質及び候補物質の濃度が多少変化しても目的物質の香り、味又は体性感覚を再現することが可能である。
【図面の簡単な説明】
【0020】
【
図1】
図1は、EC50と最大応答強度が異なる作動薬A、Bの混合物について得られた用量応答曲線モデルである。
【
図2】
図2は、クマリン再構成混合物の用量応答曲線予測である。実線は、クマリン再構成混合物の用量応答曲線予測を、点線は、1Mクマリンの用量応答曲線を示す。
【
図3】
図3は、クマリン再構成混合物の用量応答曲線である。三角は、クマリン再構成混合物の用量応答曲線を、丸は、1Mクマリンの用量応答曲線を示す。
【
図4】
図4は、クマリン再構成香料とクマリンの匂いの質の類似性をVASにて評価した結果を示す。
【
図5】
図5は、コンピュータのハードウエア構成の一例を示したものである。
【
図6】
図6は、ラベンダーオイル再構成混合物の用量応答曲線予測、及び、用量応答曲線である。点線は、ラベンダーオイル再構成混合物の用量応答曲線予測を、三角(実線)は、ラベンダーオイル再構成混合物の用量応答曲線を、丸(実線)は、ラベンダーオイルの用量応答曲線を示す。
【
図7】
図7は、ラベンダーオイル再構成香料とラベンダーオイルの匂いの質の類似性をVASにて評価した官能評価結果を示す。
【発明を実施するための形態】
【0021】
本発明者らは「目的物質の香り、味又は体性感覚を生じる目的物質の濃度と受容体の応答強度との関係(目的物質の用量応答曲線)」と「候補物質の組み合わせの濃度と受容体の応答強度との関係(候補物質の組み合わせの用量応答曲線)」とを、各候補物質の混合比率を調整することによって、近似させることにより、目的物質の香り、味又は体性感覚を再現できることを見出した。これを具体的に行うための実施態様の一例について、以下に記載する。非限定的に、本発明は、以下の内容を含む。
【0022】
I.目的物質の香り、味又は体性感覚を再現する、複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせの配合の決定方法
本発明は、目的物質の香り、味又は体性感覚を再現する、複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせの配合の決定方法に関する。本発明の方法は、
所望の1又は複数の嗅覚、味覚又は体性感覚の受容体について、目的物質に対する当該受容体の用量応答曲線と、複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせに対する前記受容体の用量応答曲線とが近似するように、前記複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の混合比率を決定する、
ことを含み、
ここにおいて、目的物質は単一の化合物又は複数の化合物の混合物である。
【0023】
前記方法は、目的物質の香り、味又は体性感覚を再現することを目的として、複数の香り、味又は体性感覚の候補物質を組み合わせる場合、前記組み合わせの配合をより適切なもの、最も適切なものに決定する、というものである。本明細書において「再現する」とは、目的物質の香り、味又は体性感覚に、より近づけることを含む。即ち、本発明は、本発明の方法を用いて複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせの配合を決定することにより、当該方法を用いずに、任意に複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせた場合と比較して、目的物質の香り、味又は体性感覚により近づく、ことを含む。目的物質の香り、味又は体性感覚を再現できたかどうかは、例えば、訓練された専門家パネルによる官能評価により判断することができる。
【0024】
「目的物質」は、生体に香り、味又は体性感覚を感じさせる物質であれば特に限定されず、天然の物質であっても人工の物質であってもよい。例えば、非限定的に、香り物質である、クマリン、バニリン、リモネン、ラベンダーオイル等が含まれる。クマリンは、桜の葉に代表される、植物の芳香成分の一種である。ラベンダーオイルは、シソ科ラベンダー属(Lavendula)の植物から得られる精油で、香料として用いられる。あるいは、呈味物質であるカフェイン(苦味)、サッカリン(苦味・甘味)、グルタミン酸(旨味)等が含まれる。また、体性感覚を生じる物質として、アリルイソチオシアネート(痛覚)、カプサイシン(温感)、メンソール(冷感)などが含まれる。
【0025】
上記のとおり目的物質は、単一の化合物であっても複数の化合物の混合物であってもよい。目的物質が単一の化合物である場合、非限定的に、目的物質の濃度の単位としてモル濃度(Mあるいはmol/L)を用いることが望ましい。あるいは、目的物質が複数の化合物の混合物である場合、混合物中の各候補物質の濃度、又は、候補物質の混合物自体の濃度に関しては、任意に定める濃度を1としたときの希釈率を用いることが望ましい。混合物の無希釈の原液すなわち希釈率1の濃度を、仮想的に単一の化合物の1mol/L相当の濃度とみなすことで、疑似的にモル濃度と同等の濃度軸上で表現できる。ここで、任意に定める濃度とは、購入、抽出あるいは調香等にて得た混合物の原液の濃度としてもよく、また特定の指標に基づき適宜希釈あるいは濃縮した値であってもよい。
【0026】
「香り、味又は体性感覚の候補物質」の種類も特に限定されず、天然の物質であっても人工の物質であってもよい。前記方法では、複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせを用いる。本明細書の実施例では、ピペロナール、γ-ヘプタラクトン及びメントンの3種類の候補物質の組み合わせの適切な配合の決定により、クマリンに近似する香りが再現された。「香り、味又は体性感覚の候補物質」は、生体に香り、味又は体性感覚を感じさせる物質であっても、別の物質との組み合わせにより、別の物質の香り、味又は体性感覚を抑制する物質であってもよい。本明細書において「香り、味又は体性感覚の候補物質」は、「候補物質」と呼称する場合がある。
【0027】
「候補物質」は、前述の通り特に限定されないが、一態様において候補物質の組み合わせの配合の決定方法に供する前に、スクリーニング等により予め候補物質を選定してもよい。香りの候補物質は、例えば、公知の香料の公開データあるいは官能評価より得られる香り特徴を基に、目的物質の香りと類似するものを選択してもよい。また、味の候補物質は、例えば、公知の食品添加物の公開データあるいは官能評価より得られる味の特徴を基に、目的物質の味と類似するものを選択してもよい。体性感覚の候補物質は、例えば、公知の体性感覚を生じる物質の公開データあるいは官能評価より得られる体性感覚の特徴を基に、目的物質から生じる体性感覚と類似するものを選択してもよい。
【0028】
「配合」とは、複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせ及びその混合比率を意味する。非限定的に、候補物質が複数の化合物の混合物である場合の当該候補物質の濃度、あるいは、候補物質の混合物自体の濃度に関しては、任意に定める濃度を1としたときの希釈率を用いることが望ましい。混合物の無希釈の原液すなわち希釈率1の濃度を、仮想的に単一の化合物の1mol/L相当の濃度とみなすことで、疑似的にモル濃度と同等の濃度軸上で表現できる。ここで、任意に定める濃度とは、購入、抽出あるいは調香等にて得た混合物の原液の濃度としてもよく、また特定の指標に基づき適宜希釈あるいは濃縮した値であってもよい。複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の混合物中の各候補物質の混合比率は、各候補物質の濃度の相対的な混合割合を意味する。
【0029】
前記方法では、「所望の1又は複数の嗅覚、味覚又は体性感覚の受容体」に対する前記目的物質に対する当該受容体の用量応答曲線と、前記候補物質の組み合わせに対する用量応答曲線とを比較し、両者が近似するように、候補物質の組み合わせ中の各候補物質の混合比率を決定する、ことを含む。
【0030】
嗅覚受容体は、苦味受容体、甘味受容体、旨味受容体等の味覚受容体と同様に、Gタンパク質共役受容体である。嗅覚受容体は嗅上皮の嗅細胞上に存在する。嗅細胞は、神経細胞が外界と直接接している人体で唯一の場所であり、そのもう一方の端は、脳の嗅球という領域に直接つながっている。「匂い物質」は、分子量30から300程度までの低分子化合物であり、地球上には数十万個もの匂い物質が存在すると言われている。ヒトにおいて約400種類の機能的な嗅覚受容体が同定されており、偽遺伝子も含め18の遺伝子ファミリーに分類されている。各受容体は、単一の匂い物質に反応するのではなく、多くの類似した構造に反応する。また、多くの匂い物質が1より多くの受容体を刺激する。これまでに、100種類程度の嗅覚受容体に関しては対応するリガンドが同定されているものの、各受容体が呈する匂いに関しては特許文献5などの少数例を除き殆ど明らかになっていない。
【0031】
嗅覚受容体に匂い物質が結合すると、苦味受容体、甘味受容体、旨味受容体等の味覚受容体と同様に、細胞内のセカンドメッセンジャーなどを介する情報伝達過程を経て、細胞内のカルシウム濃度が上昇する。嗅覚受容体については、例えば、「化学受容の科学:匂い・味フェロモン 分子から行動まで」(東原和成(編)、化学同人、2012年)等の総説に詳述されている。
【0032】
Gタンパク質共役受容体は、真核生物の細胞質膜上又は細胞内部の構成膜上に存在する受容体の形式の1種である。細胞外(膜外)からの様々なシグナル(神経伝達物質、ホルモン、化学物質、光等)を受容すると、Gタンパク質共役受容体は構造変化を起こし、膜内側に結合している三量体Gタンパク質を活性化させてシグナル伝達が行われる。Gタンパク質は、細胞膜の内表面に結合し、GαサブユニットにGβγ二量体が固く結合しているヘテロ三量体である。Gタンパク質共役受容体にリガンドが結合し活性化されると、その下流のエフェクタータンパク質(例えば、Gタンパク質)が活性化される。Gタンパク質共役受容体及びその下流のGタンパク質は、嗅覚、味覚、視覚、神経伝達、代謝、細胞分化及び細胞増殖、炎症反応及び免疫応答などの細胞内シグナルネットワークにおける、多くの基礎的な生理化学的な反応を制御している。
【0033】
味覚は、物質を口にした時に、特に舌の表面に存在する特異的な受容体と物質が結合することによって生じる感覚である。哺乳類の味覚は、5つの基本味、すなわち、塩味、酸味、甘味、旨味、苦味で構成されており、これらの基本味が統合することによって形成されると考えられている。現在のところ、塩味、酸味は、舌の表面の味蕾に存在する味細胞の近位側の細胞膜上に発現するいくつかのイオンチャネル型受容体を介して感知されると言われている。
【0034】
甘味、旨味、苦味については、味細胞に存在するGタンパク質共役受容体と、それに共役するGタンパク質を介したシグナル伝達によって感知されると考えられている。具体的には、苦味はT2Rファミリーと命名された分子(苦味受容体)(ヒトで25種類)で受容され、甘味はT1R2+T1R3のヘテロダイマー(甘味受容体)、旨味はT1R1+T1R3のヘテロダイマー(旨味受容体)で受容されることが明らかにされている。
【0035】
味覚情報の伝達機構のしくみについては、一般には、以下のように理解されている。すなわち、まず、味物質が味細胞の受容体に結合すると、細胞内のセカンドメッセンジャー(IP3、DAG)などを介する情報伝達過程を経て、細胞内のカルシウム濃度が上昇する。次いで、細胞内に供給されたカルシウムイオンは、神経伝達物質をシナプスに放出させて神経細胞に活動電位を発生させ、その結果、受容体を起点とした味覚シグナルが味神経から脳に伝達されて味覚情報が識別、判断される、というのが通説である。味覚受容体については、例えば、「化学受容の科学:匂い・味フェロモン 分子から行動まで」(東原和成(編)、化学同人、2012年)等の総説に詳述されている。
【0036】
「体性感覚」という言葉は一般に、温度刺激、化学刺激、機械刺激によって生じる触覚、温度感覚、痛覚、深部感覚等の総称として用いられるが、本明細書においては、味覚、嗅覚同様に、化学刺激を介して惹起される体性感覚を意味する。
【0037】
化学刺激による体性感覚に関与する受容体として代表的なものはTRPチャネルである。TRPチャネルは非選択的陽イオンチャネルの一種であり、哺乳類では6種のサブファミリーからなる28種類が報告されている。中でも、感覚神経上に強く発現するTRPA1、TRPM8、TRPV1は外来からの化学刺激により痛覚や温度感覚といった体性感覚を惹起することが知られている 。TRPA1はヒトでは主に痛覚に関与する受容体であり、ワサビやマスタードに含まれるイソチオシアン酸アリルやシンナムアルデヒド等により活性化する。TRPM8は冷感に関与する受容体であり、28℃以下の温度刺激やメンソールをはじめとした冷感剤による化学刺激により活性化する。TRPV1は痛覚や温感に関与する受容体であり、42℃以上の温度刺激やカプサイシンによって活性化する。それぞれのTRPチャネルは活性化に伴い陽イオンを細胞内に流入させ、神経細胞が脱分極することにより感覚情報を伝達する。TRPチャネルについては、例えば、Amrita Samanta, et al.,Subcell Biochem. 2018;87:141-165を参照されたい。
【0038】
前記目的物質の香り、味又は体性感覚を再現する、複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせの配合の決定方法において、「嗅覚、味覚又は体性感覚の受容体」の受容体の種類は特に限定されない。一態様において、好ましくは、ヒトの嗅覚、味覚又は体性感覚の受容体である。受容体は単一であっても、複数であってもよい。
【0039】
一般に、「リガンド」とは、特定の受容体に特異的に結合する物質のことである。リガンドは、一般的には単一の化合物を意味する場合が多い。一方、嗅覚、味覚や体性感覚の研究においては、単一化合物だけでなく、複数の物質の混合物を香り、味又は体性感覚を生じる物質として、評価する意義は大きい。例えば、嗅覚に関する精油等の香りを有する抽出物や調香した香料等の混合物、味覚に関する生鮮食品あるいは加工食品などからの抽出物などが該当する。前記目的物質の香り、味又は体性感覚を再現する、複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせの配合の決定方法において、目的物質は単一の化合物のみでなく、受容体に選択的、特異的に結合する複数のリガンド(純物質又は単一化合物)を含有する混合物も含む。
【0040】
食品、飲料品等に含まれる化学物質、神経伝達物質、ホルモンなどは、リガンドとしてGタンパク質共役受容体に結合して構造変化を起こせしめ、膜内側に結合しているGタンパク質を活性化させるという、一連のシグナル伝達におけるGタンパク質共役受容体作動薬となる可能性がある。リガンドは、好ましくは生体内の受容体に作用して神経伝達物質やホルモンなどと同様の可能を示す物質、アゴニスト(作動薬)である。
【0041】
一般に、味や香りは、複数の受容体からの情報を統合して認識される。例えば、香料のL-カルボンとクマリンは応答する受容体が複数一致する。
【0042】
【表1】
(Saito H,et al.,Sci Signal,2009;2(60):ra9.及びJoel D. Mainland, et al.,2015;Scientific Data,2:150002を参照)
【0043】
その一方、L-カルボンとクマリンの香りは各々スペアミント、桜餅様であり、専門家でなければL-カルボンとクマリンの類似点を見出すことが難しい。これは、応答が共通する受容体であっても、濃度による応答の度合いが香りに与える影響が大きいからであると推察される。また、一方には強く応答するにもかかわらず、他方には応答しない受容体の存在も影響していると考えられる。非限定的に、前記目的物質の香り、味又は体性感覚を再現する、複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせの配合の決定方法において、嗅覚、味覚又は体性感覚の受容体は、複数の嗅覚、味覚又は体性感覚の受容体である。一態様において、より多くの種類の受容体を含むことが望ましい。所望の受容体として、前記目的物質がリガンドとなる受容体を含むことが好ましく、前記目的物質がリガンドとなる受容体をより多く含むことがより好ましく、前記目的物質がリガンドとなる受容体を全て含む、ことがさらに好ましい。
【0044】
一態様において、前記1又は複数の嗅覚、味覚又は体性感覚の受容体が、前記香り、味又は体性感覚の候補物質のうち少なくとも1種類がリガンドとなる受容体を含む。一態様において、複数の香り、味又は体性感覚の候補物質のうち少なくとも1種類が、前記目的物質がリガンドとなる受容体のリガンドである。
【0045】
用量応答曲線とは、対象の受容体について、投与した物質(化合物、混合物を含む)の濃度と当該物質に対する受容体の応答強度をプロットしたものを意味する。嗅覚、味覚又は体性感覚の受容体のいずれの用量応答曲線についても、用量応答曲線を示すために、物質の濃度を変数とし、最大応答強度αとEC50(最低値からの最大反応の50%を示す濃度)をパラメーターとしたモデルを好ましく用いることができる。物質の濃度は対数で表すことが好ましく、この場合、用量応答曲線はシグモイド曲線(対数シグモイド曲線)となる。なお、この場合に用いる対数の底は、10、e、それ以外のいずれであってもよい。
【0046】
前記目的物質の香り、味又は体性感覚を再現する、複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせの配合の決定方法において、目的物質に対する受容体の用量応答曲線と、候補物質の組み合わせに対する用量応答曲線の「両者が近似するように」前記複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の混合比率を決定する。生体内における味や香り、体性感覚の受容体の応答強度を決めるのは、口腔中や嗅粘液中の味や香り、体性感覚を生じる物質の濃度である。一方で、これらの物質の量、濃度の測定は困難であり、また食品の摂取量、嗅ぎ方、吸入量等により容易に変化する。ある一点の濃度のみで目的物質と候補物質の組み合わせの応答を一致させた場合、用量応答曲線がたまたま同等であれば多少の濃度の変化が生じても嗅覚受容体の応答強度に差は生じない。しかしながら、EC50に大きな開きがある場合、多少の濃度差が応答に大きな差をつける可能性があり、香りや味に違いを生じさせる可能性がある。よって、多少の濃度変化に影響を受けず、用量応答曲線が近似する候補物質の組み合わせを設計することが重要である。
【0047】
「両者が近似するように」とは、例えば、目的物質に対する受容体の用量応答曲線と、候補物質の組み合わせに対する用量応答曲線を表す函数を、それぞれfT、fRとし、函数fTと函数fRとの距離を、函数fT及び函数fRの同じ濃度における値の差に基づき適宜定義したとき、当該距離を所定の範囲内に収めるようにする、ことを意味しうる。なお、例えば、函数fTと函数fRとの距離は、函数fT及び函数fRの各濃度における値の差の二乗や絶対値の合計や平均値として定義することができる。
【0048】
一態様において、目的物質の香り、味又は体性感覚を再現する、複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせの配合の決定方法は、以下の工程:
(i)所望の1又は複数の嗅覚、味覚又は体性感覚の受容体について、目的物質に対する前記受容体の応答強度を示す函数fiT(iは対応する受容体を特定するための添え字。1≦i≦n。nは考慮する受容体の総数。以下同様。)を設定する工程1;
(ii)複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせに対する、前記受容体の応答強度を示し、前記候補物質のそれぞれの濃度によって特徴付けられる函数fiRを設定する工程2;
(iii)前記各受容体について函数fiTと函数fiRの誤差を特徴付ける誤差函数giを設定する工程であって、ここで前記誤差函数は函数fiTと函数fiRが一致するときに最小となる、工程3;
(iv)工程3で得られた前記各受容体に係るすべての誤差函数giを引数とする汎函数Fを設定する工程であって、ここで前記汎函数Fは、すべての受容体において前記誤差函数が最小となるときに最小となる、工程4;
(v)前記汎函数Fについて最適化を行い、汎函数Fが最適値をとるときの前記各候補物質の各々の濃度を、目的とする香り、味又は体性感覚を再現する濃度として決定する工程5
を含む。
【0049】
函数fiTは、目的物質の濃度を引数とするものであってよい。また、函数fiRは、複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせ全体としての濃度(以下、『希釈率』ともいう。)を引数とするものであってよい。これは、上述のとおり、混合物の任意に定める濃度を1としたときの希釈率を用いることにより、用量応答曲線を、疑似的にモル濃度と同等の濃度軸上で表現できるからである。
【0050】
誤差函数giは、函数fiT及び函数fiRを引数とする汎函数であってよいし、あるいは、函数fiT及び函数fiRを特徴付けるパラメーターを引数とする函数であってよい。なお、函数fiRを特徴付けるパラメーターは、候補物質のそれぞれの濃度を含むことができる。
【0051】
汎函数Fは、実質的に、各受容体に係るすべての函数fiT及び函数fiRを引数とする汎函数とみなすことができる場合がある。あるいは、汎函数Fは、実質的に、各受容体に係るすべての函数fiT及び函数fiRを特徴付けるパラメーターを引数とする函数とみなすことができる場合がある。
【0052】
上述した汎函数Fの定義より、汎函数Fの値は、函数fiT又は函数fiRを特徴付ける候補物質のそれぞれの濃度に依存する。汎函数Fの最適化は、汎函数Fが最適値をとるときの函数fiRを特徴付ける候補物質のそれぞれの濃度を決定することを含んでいてよい。函数fiRを特徴付ける候補物質のそれぞれの濃度を決定することは、函数fiRを決定することを含んでいてよい。なお、汎函数Fの最適値は、汎函数Fの最小値又は極小値であってよい。
【0053】
ここにおいて、目的物質は単一の化合物であっても複数の化合物の混合物であってもよい。
【0054】
工程1では、所望の1又は複数の嗅覚、味覚又は体性感覚の受容体について、目的物質に対する前記受容体の応答強度を示し、前記目的物質の濃度を引数とする函数fiTを設定する。このfiTは、当該受容体の目的物質に対する用量応答曲線を表す函数である。
【0055】
受容体iについてのこのような函数fiTの一例を以下に記載する。
【0056】
【数1】
ここで、
R
i(T):応答強度、
c:目的物質の濃度、
α
i(T):最大応答強度、
Κ
i(T):EC50
α
i(T)及びΚ
i(T)は公知の方法で、例えば実験的に決定することができる。またそれらの値が公知の場合はそれを適用してもよい。
【0057】
工程1で設定される函数はこれに限定されるものではなく、適宜改変することができるが、工程1で設定される函数は2個のパラメーターを有することが好ましく、最大応答強度とEC50をパラメーターとすることがより好ましい。
【0058】
一態様において、函数fiTは、対象となる1又は複数の嗅覚、味覚又は体性感覚の受容体に対する目的物質の最大応答強度αi(T)とEC50(最低値からの最大応答の50%を示す濃度)Κi(T)をパラメーターとして含む。
【0059】
また、複数の受容体を対象とする場合には、それぞれの受容体についてfiTを設定する。具体的には、対象とする受容体1、2・・・nに対してf1T、f2T・・・fnTを設定する。
【0060】
工程2では、工程1で選択した受容体に対して、複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせを供したときの、候補物質の組み合わせの全体としての濃度即ち希釈率を引数とする、当該組み合わせに対する受容体の応答強度の関係を示す函数fiRを設定する。これは複数の候補物質の組み合わせの当該受容体の用量応答曲線を表す函数である。なお、組み合わせを希釈しても、これに含まれる候補物質の混合比率は一定である。受容体iについてのこのような函数の一例を以下に記載する。
【0061】
【数2】
R
i(eff):組み合わせの応答強度、
α
i(eff):組み合わせの最大応答強度、
Κ
i(eff):組み合わせのEC50、
α
ij:j(1≦j≦m。mは候補物質の総数。)番目の候補物質の最大応答強度、
C
j:j番目の候補物質の原液中濃度、
Κ
ij:j番目の候補物質のEC50、
X:候補物質の組み合わせの原液に対する希釈率
【0062】
本発明者らはこのモデル式が、複数の候補物質の組み合わせの用量応答曲線を示すことを確認した(実施例3参照)。実際に各候補物質のαij及びΚijは公知の方法で、例えば実験により決定することができる。またそれらの値が公知の場合はそれをそのまま適宜適用してもよい。なお、Cjの値又は比率は工程2においては未知であり、工程5において決定されるものである。
【0063】
なお、工程2で設定される函数は上記式(2)に限定されるものではなく、適宜改変することができる。また、複数の受容体を対象とする場合には、それぞれの受容体についてfiRを設定する。具体的には、対象とする受容体1、2・・・nに対してf1R、f2R・・・fnRを設定する。
【0064】
一態様において、函数fiRは、対象となる1又は複数の嗅覚、味覚又は体性感覚の受容体に対する複数の候補物質の組み合わせの最大応答強度αi(eff)とEC50Κi(eff)をパラメーターとして含む。
【0065】
工程3では、前記各受容体について、工程1及び2で得られたfiTとfiRの誤差を特徴付ける誤差函数giを設定する。ここで、「誤差函数gi」はfiTとfiRが一致するときに最小となるように設定する。これは「目的物質の濃度と受容体の応答強度との関係(目的物質の用量応答曲線)」と「候補物質の組み合わせの濃度と受容体の応答強度との関係(候補物質の組み合わせの用量応答曲線)」を近似させるための条件である。非限定的に、このような函数の一例を以下に記載する。
【0066】
【数3】
ここで、添字iは受容体の種類、Tは目的物質、effは候補物質の組み合わせを示す。またκ
i(eff)及びκ
i(T)はそれぞれEC50Κ
i(eff)及びΚ
i(T)の常用対数値である。
【0067】
上記の誤差函数giは、複数の候補物質の組み合わせの用量応答曲線を特徴付ける2つの曲線パラメーターΚi(eff)(EC50)及びαi(eff)(最大応答強度)が、対象物質の用量応答曲線に係る曲線パラメーターΚi(T)及びαi(T)と近似するほどその値が小さくなるように設定したものである。ここでは誤差函数をそれぞれのパラメーターの差の2乗和を用いて設定したが、これに限定されるものではなく、誤差函数を設定するために絶対値や平方根などを当業者は適宜採用することができる。
【0068】
また、限定されるわけではないが、候補物質の組み合わせの配合の決定方法において、目的物質が呈さない香り、味又は体性感覚を候補物質の組み合わせが呈してしまうことを避けることが望ましい。そのため、目的物質がリガンドとならない受容体に対しても、候補物質の組み合わせの用量応答曲線が近似することが望ましい。すなわち、少なくとも実際の使用が考慮される濃度域において当該受容体に対する応答がゼロに近くなるよう、組み合わせの用量応答曲線を調整することが望ましい。そのためには、目的物質がリガンドとならない受容体についてのαi(eff)の値を小さくする(αi(eff)=0のときにgiが最小となる)こと、及び、Ki(eff)値を十分に大きくすることの一方又は双方を行うといった手法が挙げられる。
【0069】
以上を踏まえ、上記式(3)は、目的物質(香料)がリガンドとなる受容体についてはαi(T)>0、目的物質がリガンドとならない受容体についてはαi(T)=0とする場合分けを行っているが、これに限定されるものではない。
【0070】
また誤差函数giにおいて、κi(eff)及びκi(T)はそれぞれΚi(eff)及びΚi(T)そのままの値であってもよい。好ましくは、Κi(eff)及びΚi(T)とαi(eff)及びαi(t)の階差のスケールを揃える観点から、上記式(4)のように対数を用いることができる。
【0071】
なお、上記式(3)では、パラメーターκi(eff)、κi(T)、αi(eff)及びαi(T)の典型的な値が異なることに鑑み、規格化が行われている。即ち、
【0072】
【数4】
式中、Nは、目的物質がリガンドとなる受容体の個数であってよい。従って、
【0073】
【数5】
は、目的物質に応答する受容体に対する各パラメーターの平均値である。限定されるものではないが、このようにそれぞれのパラメーターのオーダーに鑑み、適宜規格化を行ってもよい。
【0074】
また、工程3で設定される函数は式(3)に限定されるものではなく、適宜改変することができる。なお複数の受容体を対象とする場合には、各受容体についてgiを設定することができる。具体的には、受容体1、2・・・nに対してg1、g2・・・gnを設定することができる。
【0075】
さらに、誤差函数giとして、2つの用量応答曲線fiT及びfiRの曲線間面積を最小化するようなモデル式を設定してもよい。
【0076】
工程4は、複数の受容体を対象とする場合に必要となる工程であって、工程3で得られた各受容体に係るすべての誤差函数giを引数とする汎函数Fを設定する。ここで前記汎函数Fは、すべての受容体において前記誤差函数が最小となるときに最小となるように設定する。このような汎函数Fの一例を以下に記載する。
【0077】
【数6】
が挙げられる。これは、工程3で例示したg
iについて、各受容体の総和をとったものである。なお、例示したg
iはκ
i(T)、α
i(T)、κ
i(eff)及びα
i(eff)を引数とする函数であるから、式(5)で例示される汎函数Fもまた、κ
i(T)、α
i(T)、κ
i(eff)及びα
i(eff)を引数とする函数とみなすことができる。
【0078】
工程5は、工程4で得られた汎函数Fについて最適化を行い、汎函数Fが最適値をとるときの前記各候補物質の各々の濃度を、目的とする香り、味又は体性感覚を再現する濃度として決定する工程である。汎函数Fの値が小さくなることは、それぞれの受容体において、目的物質の用量応答曲線と複数の候補物質の組み合わせの用量応答曲線が近似していくことを意味する。本発明者らは、これら2つの用量応答曲線が近似すると、目的物質の香り、味又は体性感覚と、複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせ香り、味又は体性感覚とが、より近いものになり、目的物質の香り、味又は体性感覚を再現できることを見出した。なお、最適値は大域的(最小値)であっても局所的(極小値)であってもよいが、大域的最適値がより好ましい。
【0079】
非限定的に、汎函数Fの最適値は、解析的に解ける場合であれば代数的解法で求めてもよい。また、汎函数Fの最適値は、アルゴリズムを用いた最適化手法によって求めてもよい。後者の手法の例として、最急降下法・ニュートン法などに代表される勾配法、遺伝的アルゴリズムに代表される進化的アルゴリズム、ベイズ最適化に代表される確率分布論に基づく推定アルゴリズム、もしくはモンテカルロ法に代表される乱拓アルゴリズムなどが挙げられるが、これらに限定されるものではない。また最適化の過程では、ラグランジュ未定乗数法等の手法で濃度に対する制約条件を付与してもよい。なお、最適化は、汎函数Fが最適値をとるときの函数fiRを特徴付けるパラメーター、即ち、Cjの値又は比率を決定することを含む。最適化は、Cjの値又は比率を決定するために、κi(eff)及びαi(eff)を決定することを含んでいてよい。
【0080】
一態様において、工程1~5で得られた香り、味又は体性感覚を再現する濃度について、ヒトによる官能試験により調整したものを最終的な香り、味又は体性感覚を再現する濃度とする工程6を含んでも良い。例えば、訓練を受けたパネラーによる官能評価工程に供し、各候補物質の濃度を調整することができる。工程1~5を経ることにより、ヒトの官能評価のみにより混合濃度を決定するよりも、遥かに効率的に目的物質の香り、味又は体性感覚を再現する、複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせの配合を決定することができる。しかしながら、最後にヒトの官能評価による調整を行うことにより、ヒトが感じる香り、味又は体性感覚に一層近づけることが可能となる。
【0081】
II.複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせについて、目的物質が有する香り、味又は体性感覚を再現する混合物を得る方法
本発明は、複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせについて、目的物質が有する香り、味又は体性感覚を再現する混合物を得る方法に関する。本発明の方法は、
(i)所望の1又は複数の嗅覚、味覚又は体性感覚の受容体について、目的物質に対する前記受容体の応答強度を示す函数fiTを設定する工程1;
(ii)複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせに対する、前記受容体の応答強度を示し、前記候補物質のそれぞれの濃度によって特徴付けられる函数fiRを設定する工程2;
(iii)前記各受容体についてfiTとfiRの誤差を特徴付ける誤差函数giを設定する工程であって、ここで前記誤差函数は函数fiTと函数fiRが一致するときに最小となる、工程3;
(iv)工程3で得られた前記各受容体に係るすべての誤差函数giを引数とする汎函数Fを設定する工程であって、ここで前記汎函数Fは、すべての受容体において前記誤差函数が最小となるときに最小となる、工程4;
(v)前記汎函数Fについて最適化を行い、汎函数Fが最適値をとるときの前記各候補物質の各々の濃度を、目的とする香り、味又は体性感覚を再現する濃度として決定する工程5;
(vi)前記各候補物質を工程5で決定された濃度で混合して、混合物を得る工程6、
を含み、
ここにおいて、目的物質は単一の化合物又は複数の化合物の混合物である。
【0082】
工程1~5については、「I.目的物質の香り、味又は体性感覚を再現する、複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせの配合の決定方法」において上述した通りである。工程5の後に、工程1~5で得られた香り、味又は体性感覚を再現する濃度について、ヒトによる官能試験により調整したものを最終的な香り、味又は体性感覚を再現する濃度とする工程6を含んでも良い。
【0083】
III.目的物質の香り、味又は体性感覚を再現する、複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせの配合の決定プログラム
本発明は、目的物質の香り、味又は体性感覚を再現する、複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせの配合の決定プログラムに関する。
【0084】
本発明の一実施形態(以下、この節において『第1実施形態』という。)は、目的物質の香り、味又は体性感覚を再現する、複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせの配合の決定プログラムであって、該プログラムは、コンピュータに、
(i)所望の1又は複数の嗅覚、味覚又は体性感覚の受容体について、目的物質に対する前記受容体の応答強度を示す函数fiTを設定するステップと;
(ii)複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせに対する、前記受容体の応答強度を示し、前記候補物質のそれぞれの濃度によって特徴付けられる函数fiRを設定するステップと;
(iii)汎函数Fについて最適化を行い、汎函数Fが最適値をとるときの前記各候補物質の各々の濃度を、目的とする香り、味又は体性感覚を再現する濃度として決定するステップであって、前記汎函数Fは、前記各受容体に係るすべての誤差函数giを引数とし、すべての受容体において前記誤差函数が最小となるときに最小となるものであり、前記各受容体に係る誤差函数giは、前記各受容体についてfiTとfiRの誤差を特徴付け、fiTとfiRが一致するときに最小となるものである、ステップと
をコンピュータに実行させ、
ここにおいて、目的物質は単一の化合物又は複数の化合物の混合物である、
前記プログラムである。
【0085】
函数fiTは、上述した式(1)によって定義されるものであってよい。従って、ステップ(i)は、函数fiTを定義するパラメーターαi(T)及びΚi(T)の値をメモリから取得するステップであるか、当該ステップを含むことができる。
【0086】
函数fiRは、上述した式(2)によって定義されるものであってよい。従って、ステップ(ii)は、函数fiRを部分的に定義する即ち特徴付けるパラメーターαij及びΚijの値をメモリから取得するステップであるか、当該ステップを含むことができる。なお、式(2)は、パラメーターとしての各候補物質の各々の濃度Cjによっても特徴付けられるが、当該パラメーターはステップ(ii)の時点では未知であることに留意されたい。
【0087】
誤差函数giは、上述した式(3)によって定義されるものであってよく、汎函数Fは、上述した式(5)によって定義されるものであってよい。従って、ステップ(iii)は、汎函数Fにおいて、取得したパラメーターαi(T)、Κi(T)、αij及びΚijを定数とし、各候補物質の各々の濃度Cjを変数としたときに、汎函数Fが最適値をとるときの各候補物質の各々の濃度Cjを計算するステップを含むことができる。このステップは、最急降下法・ニュートン法などに代表される勾配法、遺伝的アルゴリズムに代表される進化的アルゴリズム、ベイズ最適化に代表される確率分布論に基づく推定アルゴリズム、もしくはモンテカルロ法に代表される乱数アルゴリズムなどを用いて、汎函数Fの値が最適値となるまでCjの値を変化させるステップを含んでいてよい。汎函数Fの値が最適値となったかは、所定の手法に従ってCjの値を変化させたときの汎函数Fの値の変化が所定の閾値以下又は未満であるかに基づき判定してよい。その際、ラグランジュ未定乗数法等の手法で濃度に対する制約条件を付与してもよい。
【0088】
本発明の一実施形態(以下、この節において『第2実施形態』という。)は、目的物質の香り、味又は体性感覚を再現する、複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせの配合の決定プログラムであって、該プログラムは、コンピュータに、
所望の1又は複数の嗅覚、味覚又は体性感覚の受容体について、目的物質に対する当該受容体の用量応答曲線(以下、この節において『第1用量応答曲線』という。)と、複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせに対する前記受容体の用量応答曲線(以下、この節において『第2用量応答曲線』という。)とが近似するように、前記複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の混合比率を決定するステップと
を実行させ、
ここにおいて、目的物質は単一の化合物又は複数の化合物の混合物である、
前記配合の決定プログラムである。
【0089】
第1用量応答曲線は、上述した式(1)によって定義されるものであってよく、第2用量応答曲線は、上述した式(2)によって定義されるものであってよい。従って、第2実施形態におけるステップは、第1実施形態におけるステップ(i)~(iii)を含んでいてよい。
【0090】
IV.目的物質の香り、味又は体性感覚を再現する、複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせの配合の決定システム
本発明は、目的物質の香り、味又は体性感覚を再現する、複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせの配合の決定システムに関する。そのようなシステムは、コンピュータを構成するハードウエア資源と、ソフトウエアである上述したようなプログラムとが協働することによって実現されるものであってよい。
【0091】
従って、本発明の一実施形態は、目的物質の香り、味又は体性感覚を再現する、複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせの配合の決定システムであって、
所望の1又は複数の嗅覚、味覚又は体性感覚の受容体について、対象物質に対する当該受容体の用量応答曲線と、複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせに対する前記受容体の用量応答曲線とが近似するように、前記複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の混合比率を決定する
ように構成され、
ここにおいて、対象物質は単一の化合物又は複数の化合物の混合物である、
前記システムである。
【0092】
また、本発明の別実施形態は、複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせについて、目的物質が有する香り、味又は体性感覚を再現する混合物を得るシステムであって、
(i)所望の1又は複数の嗅覚、味覚又は体性感覚の受容体について、対象物質に対する前記受容体の応答強度を示し、前記対象物質の濃度を変数とする函数fiTを設定し、
(ii)複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせに対する、前記受容体の応答強度を示し、前記候補物質のそれぞれの濃度を変数とする函数fiRを設定し、
(iii)汎函数Fについて最適化を行い、汎函数Fが最適値をとるときの前記各候補物質の各々の濃度を、目的とする香り、味又は体性感覚のレシピの濃度として決定し、前記汎函数Fは、前記各受容体に係るすべての誤差函数giを引数とし、すべての受容体において前記誤差函数が最小となるときに最小となるものであり、前記各受容体に係る誤差函数giは、前記各受容体についてfiTとfiRの誤差を特徴付け、fiTとfiRが一致するときに最小となるものである
ように構成され、
ここにおいて、目的物質は単一の化合物又は複数の化合物の混合物である、
前記システムである。
【0093】
V.コンピュータ
以下、本発明の一実施形態を実施するために用いることができるコンピュータのハードウエア構成の一例について説明する。なお、本発明の一実施形態を実施するために用いることができるコンピュータは任意のものであってよく、例えば、パーソナル・コンピュータやタブレット・コンピュータ、スマートフォン、クラウド上のコンピュータ等である。
【0094】
図5は、コンピュータのハードウエア構成の一例を表している。同図に示すように、コンピュータ1700は、ハードウエア資源として、主に、プロセッサ1710と、主記憶装置1720と、補助記憶装置1730と、入出力インターフェース1740と、通信インターフェース1750とを備えており、これらはアドレスバス、データバス、コントロールバス等を含むバスライン1760を介して相互に接続されている。なお、バスライン1760と各ハードウエア資源との間には適宜インターフェース回路(図示せず)が介在している場合もある。
【0095】
プロセッサ1710は、コンピュータ全体の制御を行う。なお、1つのコンピュータは複数のプロセッサ1710を含む場合がある。このような場合、以上の説明における『プロセッサ』は、複数のプロセッサ1710の総称であってもよい。
【0096】
主記憶装置1720は、プロセッサ1710に対して作業領域を提供し、SRAM(Static Random Access Memory)やDRAM(Dynamic Random Access Memory)等の揮発性メモリである。
【0097】
補助記憶装置1730は、ソフトウエアであるプログラム等やデータ等を格納する、HDDやSSD、フラッシュメモリ等の不揮発性メモリである。当該プログラムやデータ等は、任意の時点で補助記憶装置1730からバスライン1760を介して主記憶装置1720へとロードされる。補助記憶装置1730は、非一時的コンピュータ可読記憶媒体として参照されることがある。なお、プログラムは、プロセッサに所望の処理を実行させる命令を含むものである。
【0098】
入出力インターフェース1740は、情報を提示すること及び情報の入力を受けることの一方又は双方を行うものであり、デジタル・カメラ、キーボード、マウス、ディスプレイ、タッチパネル・ディスプレイ、マイク、スピーカ、温度センサ等である。
【0099】
通信インターフェース1750は、ネットワーク1770と接続されるものであり、ネットワーク1770を介してデータを送受する。通信インターフェース1750とネットワーク1770とは、有線又は無線で接続されうる。通信インターフェース1750は、ネットワークに係る情報、例えば、Wi-Fiのアクセスポイントに係る情報、通信キャリアの基地局に関する情報等も取得することがある。
【0100】
上に例示したハードウエア資源とソフトウエアとの協働により、コンピュータ1700は、所望の手段として機能し、所望のステップを実行し、所望の機能を実現させることできることは、当業者には明らかであろう。
【実施例】
【0101】
以下、実施例に基づいて本発明を詳細に説明するが、本発明はこれらの実施例に限定されるものではない。当業者は本明細書の記載に基づいて容易に本発明に修飾・変更を加えることができ、それらは本発明の技術的範囲に含まれる。
【0102】
実施例1 嗅覚受容体関連タンパク質発現細胞株の作製
本実施例では、嗅覚受容体関連タンパク質hRTP1S、mRTP2及びhGαolfを発現する細胞株を作製した。
【0103】
ヒトのGαolfのmRNA配列は、GenBankにアクセッション番号AF493893.1で登録されている。ヒトのGαolfの塩基配列及びアミノ酸配列はまた、本出願の配列表の配列番号1及び2として記載されている。
【0104】
RTP(receptor-transporting protein)は、嗅覚受容体の機能的発現を促進する機能を有することが知られているタンパク質のファミリーである。hRTP1SはヒトRTPの一種で、GenBank:AY562235.1で登録されており、塩基配列及びアミノ酸配列は配列表の配列番号3及び4として記載されている。mRTP2は、マウスRTPの一種であり、GenBank:AY562226.1で登録されており、塩基配列及びアミノ酸配列は配列表の配列番号5及び6として記載されている。
【0105】
Picornavirus由来自己切断型2Aペプチド発現遺伝子(配列番号7)の上流にhRTP1S遺伝子を、そして、下流にmRTP2遺伝子を配置し、これをpIRESpuro3ベクター(タカラバイオ)に挿入して、hRTP1SとmRTP2を共発現するベクターを作製した。次にhGαolf遺伝子をpIRESneo3ベクター(タカラバイオ)に挿入し、hGαolfを発現するベクターを作製した。これらの2つのベクターを、Lipofectamine3000(ThermoFisher)を用いてヒト胎児腎細胞株HEK293T(ECACCより入手)に導入した。
【0106】
得られたHEK293Tの形質転換細胞を、37℃、5%CO2下で2日間培養した後、培地を1μg/mLのピューロマイシン(ThermoFisher)及び200μg/mLのジェネティシン(ThermoFisher)を含む選択培地としてさらに12日間継続培養を行い、hRTP1S、mRTP2及びhGαolfを安定発現する細胞株(HEK-Olf)を得た。
【0107】
実施例2 嗅覚受容体応答測定系の構築及び応答測定
ヒトcDNAライブラリーから取得された351種類のヒト嗅覚受容体遺伝子をpFN21KSPc HaloTagベクターに挿入した嗅覚受容体遺伝子ライブラリー(pFN21KSPc HaloTag-OR)を、かずさゲノムテクノロジーズから購入した。351種類のうち嗅覚受容体OR1A1、OR2B11等は、既知の作動薬(アゴニスト)に対し応答が低いことが知られる遺伝子多型であったため、応答性の高い多型に改変を行い以降の試験に用いた。(Joel D. Mainland, et al.,Nat Neurosci. 2014; 17(1):p.114-120)。
【0108】
実施例1で得られたHEK-Olf細胞株を、96ウェルプレート(Corning)に1×104細胞/ウェルとなるようにDMEM培地(ThermoFisher)で調製の上、播種した。続いてpFN21KSPc HaloTag-ORとpGL4.29[luc2P/CRE/Hygro]Vector(Promega)を、ViaFect(商標)Transfection Reagent (Promega)を用いてHEK-Olfに導入した。この時、pFN21KSPc HaloTag-ORとpGL4.29[luc2P/CRE/Hygro]Vectorは、それぞれ70ng/well、30ng/ウェルとなるように調製した。こうして構築した各嗅覚受容体発現HEK-Olfを用いて、以下の嗅覚受容体の応答測定を行った。
【0109】
上記で得られた各嗅覚受容体発現HEK-Olfを37℃、5%CO2下で24時間培養した後、培地を除去し、DMEM培地で適宜調製した試験化合物(候補物質)を50μLずつ添加した。ネガティブコントロールのウェルには、試験化合物を含まないDMEM培地を添加し、ポジティブコントロールとしては3μMに調製したフォルスコリンを添加した。これらを37℃、5%CO2下で3時間反応させた後、ONE-Glo(商標) Luciferase Assay kit(Promega)を用いた発光測定により嗅覚受容体の応答を取得した。
【0110】
各濃度における嗅覚受容体の応答強度Rは、測定で得られた発光強度(RLU)を用いて以下の式(6):
【0111】
【数7】
より算出した。さらに、カーブフィッティングソフトXLFit(IDBS)を用いて用量応答曲線の最大応答強度及びEC50を導出した。
【0112】
上記記載の手順に基づき、351種類のヒト嗅覚受容体について、香料であるクマリンに対する応答測定を行った。その結果、6種類の嗅覚受容体でクマリンに対する用量依存的な応答が確認された。これら6種の嗅覚受容体は、いずれもクラスIIに分類されるものであった。
【0113】
実施例3 目的物質(香料)の用量応答曲線の再現
本発明者らは、対象香料の嗅覚受容体に対する用量応答曲線を、他の香料の混合物の用量応答曲線により再現できれば、対象香料の香りを当該混合物により再現することができることを想到した。
【0114】
以下、嗅覚受容体に対する作動薬(アゴニスト)を候補物質として検討する。一般に、作動薬(アゴニスト)の濃度(C)における応答強度(R)は、最大応答強度(α)及びEC50(K)を用いて式(7)で与えられる。また、同一受容体に対するn種類の作動薬をそれぞれ濃度C1、C2・・・Cnで混合した際の混合物の応答強度Rmixは、それぞれの作動薬のEC50(K1、K2・・・Kn)及び最大応答強度(α1、α2・・・αn)を用いて式(8)により推算されることが知られている(Howard GJ et al.,J.Theor.Biol. 2009 Aug 7; 259(3):469-477)。
【0115】
【0116】
ここで、各作動薬を濃度C1、C2・・・Cnで混合した混合物を原液とし、濃度比を維持したまま一様に希釈率Xで希釈させた場合、希釈液中の各作動薬の濃度はXC1、XC2・・・XCnとなる。これを式(8)の各濃度に代入することで、n種類の化合物を原液中の濃度C1、C2・・・Cnで混合した溶液の希釈率Xにおける応答強度(R(eff))を導出することができる(式(9))。また希釈率を変数とする用量応答曲線の有効EC50(K(eff))及び最大応答強度(α(eff))は各作動薬の原液中濃度、EC50、最大応答強度の値より式(10)、式(11)で求めることができる。
【0117】
【0118】
EC50と最大応答強度が異なる作動薬A、Bの混合物について、式(9)を用いて得られた用量応答曲線モデルを
図1に示す。
図1に示す通り、作動薬A、Bの混合比を変えることにより、混合物のEC50と最大応答強度を操作することができる。
【0119】
原液を構成する作動薬に混合物が含まれる場合、当該混合物の濃度として、任意に定める濃度を1としたときの希釈率を用いても、上記の式は成立する。すなわち混合物の無希釈の原液、すなわち希釈率1の濃度を、仮想的に単一化合物の1mol/L相当の濃度とみなすことで、疑似的にモル濃度と同等の尺度で表現することができる。
【0120】
対象香料の用量応答曲線を他の香料の混合物で再現するためには、式(9)により求められる用量応答曲線が、対象香料の用量応答曲線に近似するような各香料の原液中濃度を求めればよい。また、対象香料が持たない香りを上記混合物が呈してしまうことを避けるため、対象香料がリガンドとならない受容体に対しても、用量応答曲線が近似することが望ましい。すなわち、少なくとも実際の使用が考慮される濃度域において当該受容体に対する応答がゼロに近くなるよう、混合物の用量応答曲線を調整することが望ましい。具体的には、αa(eff)の値を小さくする、もしくはKa(eff)値を十分に大きくするなどの手法が挙げられる。ここでは、嗅覚受容体aに対する対象香料と混合物の用量応答曲線の誤差函数gaを曲線パラメーターK及びαを用いて下記の通り定義した。
【0121】
【数10】
添字aは嗅覚受容体の種類、Tは対象香料、effは香料混合物を示す。またκは、EC50の常用対数値である。
【0122】
【数11】
さらに曲線パラメーターの典型的な値が異なることから、次に定義する量によって規格化を行った。
【0123】
【数12】
ここで、Nは対象香料がリガンドとなる受容体の個数である。すなわち
【0124】
【数13】
は、対象香料に応答する嗅覚受容体に対する各パラメーターの平均値である。
【0125】
続いて対象香料が応答する複数の受容体を近似させるため、対象とする全ての嗅覚受容体に対して、対象香料の用量応答曲線と香料混合物の用量応答曲線との間の差異を特徴付ける指標となる汎函数Fを式(13)の様に定め、Fの値が極小となる構成成分の原液中濃度を求めた。
【0126】
【0127】
以上の検討を踏まえ、実施例2でクマリンへの応答が確認されたOR1、OR2、OR3、OR4、OR5、OR6の6種類の嗅覚受容体のクマリンに対する用量応答曲線について、他の香料の混合物による再現を試みた。
【0128】
上記6種類の嗅覚受容体について、応答する香料を探索した結果、ピペロナール、γ-ヘプタラクトン、メントンが同定された。6つの嗅覚受容体のうちピペロナール、γ-ヘプタラクトン、メントンが応答する嗅覚受容体は以下の表の通りである。
【0129】
【0130】
続いて、式(13)に、クマリン、ピペロナール、γ-ヘプタラクトン及びメントンの各嗅覚受容体に対する最大応答強度とEC50を与えた上で、数値勾配法を用い、python言語のscipyパッケージを用いて作成したコンピュータプログラムを使用して最適化計算を行った。その結果、ピペロナール、γ-ヘプタラクトン、メントンをそれぞれ0.6M、0.39M、0.01Mの原液中濃度で混合した場合にFの値が極小となることが示された。予測される混合物の各受容体に対する用量応答曲線は
図2の通りである。上記の計算結果を基に、実際にピペロナール、γ-ヘプタラクトン、メントンを、それぞれ0.6M、0.39M、0.01Mで混合した混合物の、上記6種類の嗅覚受容体への応答を測定したところ、
図2で予測された通り、用量応答曲線と同等のクマリンに近似する用量応答曲線が得られたため(
図3)、この混合物をクマリンの香りを再現した香料(クマリン再構成香料)とした。
【0131】
実施例4 官能評価による対象香料と再構成香料の類似性の確認
本実施例において、実施例3で得られたクマリン再構成香料とクマリンの匂い質の類似性を、官能評価で検証した。官能評価は、訓練された専門家パネル5名による官能評価で検証した。匂いの類似性は、リファレンスとして提示するクマリンとブラインドで提示する各評価サンプルのヘッドスペース香気の類似性をVisual analog scale(VAS)により評価することで得た。ここで評価サンプルとしては、実施例3のクマリン再構成香料に加え、クマリン、及びクマリン再構成香料の構成成分のうち最もクマリンに近い嗅覚受容体応答を示すピペロナールを用いた。また、評価に用いた各香料は、プロピレングリコールを用い、以下の表に示す濃度で調製した。
【0132】
【0133】
結果を
図4に示す。官能評価の結果、クマリン再構成香料が、評価サンプルとして提示したクマリンと同程度の非常に高い類似性を示すことが確認された。一方で
ピペロナール単独での類似性は低く、目的物質の香料の嗅覚受容体応答に近似させていくことが、匂い質の類似性向上に重要であることが示された。
【0134】
実施例5 目的物質(香料)の用量応答曲線の再現
実施例2、3と同様の手法を用いて、ラベンダーオイルの嗅覚受容体応答の測定、及び他の香料の混合物による応答の再現を試みた。
【0135】
【0136】
ラベンダーオイルが応答する4種類の嗅覚受容体(OR7、OR3、OR8、OR9)が確認された(表4)。この4種類の嗅覚受容体について、応答する香料を探索した結果、o―ヒドロキシケイ皮酸、ネロリオイル、ノートカトン、吉草酸エチルが同定された。4つの嗅覚受容体のうちo―ヒドロキシケイ皮酸、ネロリオイル、ノートカトン、吉草酸エチルが応答する嗅覚受容体は表4の通りである。各香料の最大応答強度とEC50を与えたうえでラベンダーオイルと同様の応答となるよう最適化計算を行った。その結果、o―ヒドロキシケイ皮酸、ネロリオイル、ノートカトン、吉草酸エチルをそれぞれ1.09M、1.23×希釈、1.04M、1.16Mの原液中濃度で混合した場合にFの値が極小となることが示された。この計算結果を基に、原液中濃度が、o―ヒドロキシケイ皮酸、ネロリオイル、ノートカトン、吉草酸エチルについて、それぞれ1.09M、1.23×希釈、1.04M、1.16Mとなるように混合した混合物の、4種類の嗅覚受容体への応答を測定したところ、ラベンダーオイルに近似する用量応答曲線が得られたため(
図6)、この混合物をラベンダーオイルの香りを再現した香料(ラベンダーオイル再構成香料)とした。
【0137】
続いて、実施例4と同様に官能評価によりラベンダーオイルとラベンダーオイル再構成香料の類似性を比較した。具体的には、訓練された専門家パネル5名による官能評価で検証した。匂いの類似性は、リファレンスとして提示するラベンダーオイルとブラインドで提示する各評価サンプルのヘッドスペース香気の類似性をVisual analog scale(VAS)により評価することで得た。評価サンプルは、プロピレングリコールを用い、以下の表に示す濃度(配合比)で調製した。
【0138】
【0139】
官能評価の結果、評価サンプルとして提示したラベンダーオイルにはやや劣るものの、高い類似性を示すことが明らかとなった(
図7)。
【産業上の利用可能性】
【0140】
本発明により、複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせの適切な配合を決定し、目的物質の香り、味又は体性感覚を再現することが可能になった。本発明の方法、プログラム等により、例えば、目的物質が、取り扱いが困難である、入手しにくい、高価である、などの事情がある場合でも、複数の香り、味又は体性感覚の候補物質の組み合わせの適切な配合により、目的物質に香り、味又は体性感覚を再現することが可能である。
【配列表】