(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2024-01-05
(45)【発行日】2024-01-16
(54)【発明の名称】波形情報推定方法及び装置、並びに、ピーク波形処理方法及び装置
(51)【国際特許分類】
G01N 30/86 20060101AFI20240109BHJP
【FI】
G01N30/86 B
G01N30/86 G
G01N30/86 F
(21)【出願番号】P 2022515206
(86)(22)【出願日】2021-01-13
(86)【国際出願番号】 JP2021000823
(87)【国際公開番号】W WO2021210228
(87)【国際公開日】2021-10-21
【審査請求日】2022-08-02
(31)【優先権主張番号】P 2020073946
(32)【優先日】2020-04-17
(33)【優先権主張国・地域又は機関】JP
(73)【特許権者】
【識別番号】000001993
【氏名又は名称】株式会社島津製作所
(74)【代理人】
【識別番号】110001069
【氏名又は名称】弁理士法人京都国際特許事務所
(72)【発明者】
【氏名】野田 陽
【審査官】小澤 理
(56)【参考文献】
【文献】特開2020-042598(JP,A)
【文献】国際公開第2020/070786(WO,A1)
【文献】米国特許出願公開第2019/0379977(US,A1)
【文献】国際公開第2018/155412(WO,A1)
【文献】STINIS, P. et al.,Enforcing constraints for interpolation and extrapolation in Generative Adversarial Networks,Journal of Computational Physics,2019年,Vol.397, No.108844,p.1-33,ISSN:0021-9991, 特に第10頁第2段落参照
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
G01N 30/86
JSTPlus/JMEDPlus/JST7580(JDreamIII)
Scopus
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
信号波形についての波形情報を推定する方法であって、コンピューターを用い、
所定の分析装置を用いた実測に基く信号波形から、モデル化対象である部分波形を抽出する波形抽出ステップと、
前記波形抽出ステップにおいて得られた部分波形を入力とし、生成モデルと識別モデルという互いに敵対する二つのモデルを用いた敵対的学習を実行することで、前記部分波形に対応するモデル関数、又は、該モデル関数及び該関数における形状の分布情報を取得する敵対的学習ステップと、
を実行する
ものであり、前記敵対的学習ステップでは、前記部分波形を所定の関数で近似したときの歪み要素を表す部分関数を生成し、該部分関数を前記所定の関数に導入するとともに、前記信号波形の横軸のパラメーターを該関数の引数とすることで、入力された前記部分波形と比較される偽の波形を出力する処理を行う波形情報推定方法。
【請求項2】
信号波形についての波形情報を推定する方法であって、コンピューターを用い、
所定の分析装置を用いた実測に基く信号波形から、モデル化対象である、
単一のピーク波形である部分波形を抽出する波形抽出ステップと、
前記波形抽出ステップにおいて得られた部分波形を入力とし、生成モデルと識別モデルという互いに敵対する二つのモデルを用いた敵対的学習を実行することで、前記部分波形に対応するモデル関数、又は、該モデル関数及び該関数における形状の分布情報を取得する敵対的学習ステップと、
を実行する波形情報推定方法。
【請求項3】
信号波形についての波形情報を推定する方法であって、コンピューターを用い、
所定の分析装置を用いた実測に基く信号波形から、モデル化対象である部分波形を抽出する波形抽出ステップと、
前記波形抽出ステップにおいて得られた部分波形を入力とし、生成モデルと識別モデルという互いに敵対する二つのモデルを用いた敵対的学習を実行することで、前記部分波形に対応するモデル関
数及び該モデル関数における形状の分布情報を取得する敵対的学習ステップと、
を実行する波形情報推定方法。
【請求項4】
前記部分波形はピーク波形であり、前記歪み要素は、該ピーク波形の横軸のパラメーターについての歪みの関数である、請求項
1に記載の波形情報推定方法。
【請求項5】
前記信号波形の横軸のパラメーターは時間である、請求項
4に記載の波形情報推定方法。
【請求項6】
前記部分波形はピーク波形であり、
前記敵対的学習ステップにおいて得られたモデル関数を利用してピークモデル波形を生成するモデル波形生成ステップ、をさらに実行し、前記ピークモデル波形を利用して目的の信号波形に対するピーク検出を行う、請求項
1~3のいずれか1項に記載の波形情報推定方法を用いたピーク波形処理方法。
【請求項7】
前記部分波形はピーク波形であり、
前記敵対的学習ステップにおいて得られたモデル関数を利用して、目的の信号波形において重なっている複数のピークを分離する波形処理を行う処理ステップ、をさらに実行する、請求項
1又は3に記載の波形情報推定方法を用いたピーク波形処理方法。
【請求項8】
検出された又は分離された各ピークについて所定の特徴値を求める特徴値推算ステップをさらに実行する、請求項
6に記載のピーク波形処理方法。
【請求項9】
ピーク検出、ピークの分離、及び/又は、ピークについての所定の特徴値の推算を、ベイズ推定を用いて行う、請求項
6に記載のピーク波形処理方法。
【請求項10】
所定の分析装置を用いた実測に基く信号波形から、モデル化対象である部分波形を抽出する波形抽出部と、
前記波形抽出部により得られた部分波形を入力とし、生成モデルと識別モデルという互いに敵対する二つのモデルを用いた敵対的学習を実行することで、前記部分波形に対応するモデル関数、又は、該モデル関数及び該関数における形状の分布情報を取得する敵対的学習部と、
を備え
、前記敵対的学習部は、前記部分波形を所定の関数で近似したときの歪み要素を表す部分関数を生成し、該部分関数を前記所定の関数に導入するとともに、前記信号波形の横軸のパラメーターを該関数の引数とすることで、入力された前記部分波形と比較される偽の波形を出力する処理を行う、波形情報推定装置。
【請求項11】
所定の分析装置を用いた実測に基く信号波形から、モデル化対象である
、単一のピーク波形である、部分波形を抽出する波形抽出部と、
前記波形抽出部により得られた部分波形を入力とし、生成モデルと識別モデルという互いに敵対する二つのモデルを用いた敵対的学習を実行することで、前記部分波形に対応するモデル関数、又は、該モデル関数及び該関数における形状の分布情報を取得する敵対的学習部と、
を備える波形情報推定装置。
【請求項12】
所定の分析装置を用いた実測に基く信号波形から、モデル化対象である部分波形を抽出する波形抽出部と、
前記波形抽出部により得られた部分波形を入力とし、生成モデルと識別モデルという互いに敵対する二つのモデルを用いた敵対的学習を実行することで、前記部分波形に対応するモデル関
数及び該モデル関数における形状の分布情報を取得する敵対的学習部と、
を備える波形情報推定装置。
【請求項13】
信号波形についての波形情報を推定する方法であって、コンピューターを用い、
所定の分析装置を用いた実測に基く信号波形から、モデル化対象である部分波形を抽出する波形抽出ステップと、
前記波形抽出ステップにおいて得られた部分波形を入力とし、学習を実行することで、前記部分波形に対応するモデル関数、又は、該モデル関数及び該関数における形状の分布情報を取得する学習ステップと、
を実行する
ものであり、前記学習ステップでは、前記部分波形を所定の関数で近似したときの歪み要素を表す部分関数を生成し、該部分関数を前記所定の関数に導入するとともに、前記信号波形の横軸のパラメーターを該関数の引数とすることで、入力された前記部分波形と比較される偽の波形を出力する処理を行う波形情報推定方法。
【請求項14】
信号波形についての波形情報を推定する方法であって、コンピューターを用い、
所定の分析装置を用いた実測に基く信号波形から、モデル化対象である部分波形を抽出する波形抽出ステップと、
前記波形抽出ステップにおいて得られた部分波形を入力とし、学習を実行することで、前記部分波形に対応するモデル関数、又は、該モデル関数及び該関数における形状の分布情報を取得する学習ステップと、
を実行する
ものであり、前記部分波形は単一のピーク波形である、波形情報推定方法。
【請求項15】
信号波形についての波形情報を推定する方法であって、コンピューターを用い、
所定の分析装置を用いた実測に基く信号波形から、モデル化対象である部分波形を抽出する波形抽出ステップと、
前記波形抽出ステップにおいて得られた部分波形を入力とし、学習を実行することで、前記部分波形に対応するモデル関数
及び該モデル関数における形状の分布情報を取得する学習ステップと、
を実行する波形情報推定方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、各種の分析装置や計測装置で得られる信号波形に関する情報を推定する方法及び装置、並びに、該方法及び装置を用いたピーク波形処理方法及び装置に関する。なお、本明細書において「信号波形」とは、分析や計測によって得られる波形そのもののほかに、分析や計測によって得られた信号を処理することで作成された波形も含むものとする。
【背景技術】
【0002】
液体クロマトグラフ(LC)装置やガスクロマトグラフ(GC)装置では、試料に対するクロマトグラフ分析を実施することで、該試料に含まれる成分(一般には化合物)に対応するピークが観測されるクロマトグラムを取得する。クロマトグラムにおいて観測されるピークの位置(保持時間)は試料中の成分の種類に対応しているため、そのピーク位置から成分を特定する、つまり定性することができる。また、クロマトグラムにおいて観測されるピークの面積値や高さ値はそのピークに対応する成分の含有量や濃度に対応しているため、その面積値や高さ値から当該成分を定量することができる。そのため、クロマトグラムに基く定性や定量の精度を向上させるには、クロマトグラムに現れるピークのピークトップの位置やピークの面積値又は高さ値を精度良く求めることが重要である。
【0003】
一般にクロマトグラム上のピーク波形は、理想的にはガウス分布に従った形状である。しかしながら、実際に得られるクロマトグラム上のピークには、様々な要因によりリーディングやテーリングが生じる。また、ベースラインがドリフトしている場合もあるし、分離が不十分であるために、異なる成分に由来する複数のピークが重なっている場合も多い。このような様々な状況において、ピークを的確に検出するとともにピークの面積値や高さ値を精度良く求めることは容易ではなく、従来、ピーク検出のための様々な手法やアルゴリズムが利用されている。
【0004】
例えば非特許文献1には、与えられたクロマトグラムに対し適宜のベースライン補正線を設定するとともに、該ベースライン補正線に基いて、重なっているピークを適宜に分離し、分離した各ピークの面積の積算値を計算する波形処理方法が開示されている。
【0005】
また、特許文献1には、予め用意しておいたモデル関数をクロマトグラム上のピーク波形にフィッティングし、その結果に基いてピークの面積値や高さ値などの特徴量を算出する方法が記載されている。
【0006】
こうしたモデル関数をフィッティングする手法はピーク状波形ではない様々な観測波形にも利用されている。例えばクロマトグラムに基く定量分析では、ピーク面積値と物質の濃度(又は含有量)との関係を示す検量線が使用されるが、こうした検量線を多項式や指数関数として最小二乗フィッティングを行うことがしばしばある。また、医薬品の安定性試験や薬物動態試験では、目的物質の分解能の時間的な変化や代謝物の時間的な変化を観察することが行われるが、こうした場合にも滑らかに変動する観測波形にモデル関数を当てはめて、そのうえで統計解析を実行する。
【0007】
一般に、非特許文献1に開示されているような古典的なピーク検出法は、ノイズが比較的微少であることや、信号が定常的であることなど、波形の状態が比較的良好であることを前提としている。そのため、こうした条件を満たさない場合には的確なピーク検出が行えないことも多く、一般的には、モデル関数のフィッティングを利用した方法のほうが、より正確なピーク検出が可能である。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0008】
【非特許文献】
【0009】
【文献】「ピーク波形処理を確認しましょう」、[online]、株式会社島津製作所、[2019年12月2日検索]、インターネット<URL:http://www.an.shimadzu.co.jp/hplc/support/lib/lctalk/23/23lab.htm>
【文献】Alec Radford、ほか2名、「Unsupervised Representation Learning with Deep Convolutional Generative Adversarial Networks」、[online]、[2019年12月2日検索]、インターネット<URL : https://arxiv.org/abs/1511.06434>
【文献】Ian J. Goodfellow、ほか7名、「Generative Adversarial Nets」、[online]、[2019年12月2日検索]、インターネット<URL : https://arxiv.org/pdf/1406.2661.pdf>
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0010】
上述した特許文献1に記載のような、モデル関数のフィッティングを利用したピーク検出法をクロマトグラムに適用する場合、モデル関数としてEMG(Exponential Modified Gaussian)関数がしばしば用いられる。その理由は、クロマトグラムにおけるピーク波形は理想的にはガウス波形に近いものの、実際にはテーリングのために非対称波形になることが多いためである。しかしながら、こうしたテーリングを考慮して補正されたモデル関数を用いても、ピークの裾部の形状まで厳密に一致するようなフィッティングを行うことは難しく、ピークの形状誤差が生じがちである。
【0011】
フィッティングによるピーク波形形状の一致度合いを向上させるには、モデル関数を規定するパラメーター、つまり形状パラメーターを増やすことが有効である。しかしながら、パラメーターの数が増えるほどモデル関数を表す式は劣問題に近づき、ノイズの影響を受け易くなる。これは、本来であれば、追加される形状補正のためのパラメーター群はEMG関数のテーリングパラメーターなどと密接に連携して特定の範囲(分布)に収まるべきであるものの、こうした計算には多大な労力と時間とが掛かるため、そのような精緻なモデル関数を設計することは実用的でないこと、が主たる原因である。
【0012】
観測対象であるピークが単一成分由来のピークである場合には、上述した要因によるピークの形状誤差がピーク面積値に与える影響は小さい。しかしながら、異なる成分に由来する複数のビークが重なっており、これを分離する必要がある場合には、ピークの形状誤差が各ピークの面積値に大きな影響を与えることがある。機器分析の分野では、近年、試料中の多成分を一斉に分析することが求められており、クロマトグラフ分析のみで多成分を完全に分離するのが難しいのはもちろんのこと、クロマトグラフと質量分析とを組み合わせたとしても複数の成分を完全に分離できない場合もある。そのため、モデル関数のフィッティングを利用してピーク面積値等を取得する際に、形状パラメーターを増やすことなくピークの形状誤差を抑えることは、成分の定量性能を改善するうえで重要である。
【0013】
本発明はこうした課題を解決するために成されたものであり、その主たる目的は、多大な労力や時間を掛けることなく、ピーク検出やピーク特徴値の抽出等に利用されるモデル関数について、パラメーターの増加を抑えながらその精度を向上させることができる波形情報推定方法及び装置を提供することである。
【0014】
また本発明の他の目的は、そうした波形情報推定方法及び装置を利用することで、クロマトグラムやスペクトルにおいて観測されるピークを正確に検出したり、重なっているピークを精度良く分離したり、検出したピークについての精度の良い特徴値を算出したりすることができるピーク波形処理方法及び装置を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0015】
上記課題の一つを解決するために成された本発明に係る波形情報推定方法の一態様は、信号波形についての波形情報を推定する方法であって、コンピューターを用い、
所定の分析装置を用いた実測に基く信号波形から、モデル化対象である部分波形を抽出する波形抽出ステップと、
前記波形抽出ステップにおいて得られた部分波形を入力とし、生成モデルと識別モデルという互いに敵対する二つのモデルを用いた敵対的学習を実行することで、前記部分波形に対応するモデル関数、又は、該モデル関数及び該関数における形状の分布情報を取得する敵対的学習ステップと、
を実行するものである。
【0016】
また上記課題の一つを解決するために成された本発明に係る波形情報推定装置の一態様は、本発明に係る上記態様の波形情報推定方法を実施するための装置であり、
所定の分析装置を用いた実測に基く信号波形から、モデル化対象である部分波形を抽出する波形抽出部と、
前記波形抽出部により得られた部分波形を入力とし、生成モデルと識別モデルという互いに敵対する二つのモデルを用いた敵対的学習を実行することで、前記部分波形に対応するモデル関数、又は、該モデル関数及び該関数における形状の分布情報を取得する敵対的学習部と、
を備えるものである。
【0017】
また上記課題の一つを解決するために成された本発明に係るピーク波形処理方法の一態様は、上記態様の波形情報推定方法を用いたピーク波形処理方法であって、
前記部分波形はピーク波形であり、
前記敵対的学習ステップにおいて得られたモデル関数を利用してピークモデル波形を生成するモデル波形生成ステップ、をさらに実行し、前記ピークモデル波形を利用して目的の信号波形に対するピーク検出を行うものである。
【0018】
また本発明に係るピーク波形処理方法の他の態様は、上記態様の波形情報推定方法を用いたピーク波形処理方法であって、
前記部分波形はピーク波形であり、
前記敵対的学習ステップにおいて得られたモデル関数を利用して、目的の信号波形において重なっている複数のピークを分離する波形処理を行う処理ステップ、をさらに実行するものである。
【0019】
また上記課題の一つを解決するために成された本発明に係るピーク波形処理装置の一態様は、上記態様の波形情報推定装置を用いたピーク波形処理装置であって、
前記部分波形はピーク波形であり、
前記敵対的学習部により得られたモデル関数を利用してピークモデル波形を生成するモデル波形生成部、をさらに備え、前記ピークモデル波形を利用して目的の信号波形に対するピーク検出を行うものである。
【0020】
また本発明に係るピーク波形処理装置の他の態様は、上記態様の波形情報推定装置を用いたピーク波形処理装置であって、
前記部分波形はピーク波形であり、
前記敵対的学習部により得られたモデル関数を利用して、目的の信号波形において重なっている複数のピークを分離する波形処理を行う波形処理部、をさらに備えるものである。
【0021】
本発明において、分析装置における分析や計測の手法は問わないが、典型的には、クロマトグラフ装置、質量分析装置、核磁気共鳴装置、光学分析装置、X線分析装置など、試料中の成分(化合物や元素など)に対応するピークが観測される信号波形を取得可能な装置とすることができる。また、必ずしもピークが観測される信号波形でなくても、特徴的な波形が観測されるものであればよい。また、分析装置における分析や計測により直接得られる信号波形に限らず、分析結果や計測結果に基いて作成される検量線などもここでいう信号波形に含めることができる。
【発明の効果】
【0022】
本発明に係る上記態様の波形情報推定方法及び装置では、例えば、非特許文献2、3等に開示されている、機械学習の一手法である敵対的生成ネットワーク(Generative Adversarial Network:以下「GAN」と称す)を利用して、信号波形から抽出される部分波形に対応するモデル関数と、そのモデル関数の変動(ばらつき)に関する分布(確率分布)情報を取得することができる。GANによる学習の際には、例えばクロマトグラフ装置で実際に試料を分析することで得られたクロマトグラムから抽出されたピーク波形を本物のデータとして与える。
【0023】
分析装置の種類は同じであっても、分析対象である試料の種類、或いは試料に含まれる成分の種類(カテゴリーなど)によって信号波形の形状が大きく相違する場合がある。そうした、形状が大きく異なる複数の信号波形を本物のデータとしてGANによる学習に供しても、学習が適切に行われず、目的とする精度の高い生成モデルを得ることは難しい。したがって、試料の種類等を限らない汎用的な分析ではなく、試料の種類や成分の種類、分析の目的、適用分野などを或る程度限定することで、波形形状の傾向が近い、つまりは波形形状が或る程度揃っている部分波形を本物のデータとしたGANの学習を実行するとよい。
【0024】
なお、敵対的学習は必ずしもニューラルネットワークを用いたGAN(ここでいうGANはGANの基本構造を有する広義のGANであり、WGAN(=Wasserstein GAN)、WGAN-gpなどの様々な改良版を含む)である必要はなく、ニューラルネットワークに代えて、学習対象のデータに基て該データの分布を近似できる関数を出力するアルゴリズムを用いてもよい。
【0025】
本発明に係る上記態様の波形情報推定方法及び装置によれば、例えば、クロマトグラフ装置で得られるクロマトグラムにおけるピーク等の部分波形を高い精度でモデル化するためのモデル関数や、そのモデル関数の波形形状の分布の情報を、高い精度で以て取得することができる。
【0026】
また本発明に係る一態様のピーク波形処理方法及び装置によれば、上述したように得られた精度の高いモデル関数や波形分布情報をピーク検出に利用することで、解析対象であるクロマトグラム等において観測されるピークをより的確に検出することができる。また、本発明に係る他の態様のピーク波形処理方法及び装置によれば、クロマトグラムやスペクトル上で複数のピークが重なっている場合でも、それらピークを高い確度で分離することができる。また、そうして検出したピーク、或いは分離されたピークの面積値や高さ値などのピーク特徴値を精度良く求めることができる。それによって、試料中の成分の定量精度を向上させることができる。
【0027】
また、モデル関数やその関数の波形分布情報が判明していることで、解析対象であるクロマトグラムから求まるピークの面積値や高さ値などのピーク特徴値が採り得る誤差の範囲を合理的に算出することができる。それによって、例えば、他の波形処理法によって得られたピークの特徴値が適切であるか否か等の評価を的確に行うことができる。
【図面の簡単な説明】
【0028】
【
図1】本発明に係る波形情報推定装置を含むデータ解析装置を備えたLC装置の一実施形態の概略構成図。
【
図2】本発明に係る波形情報推定装置の一実施形態の機能ブロック構成図。
【
図3】
図2に示した波形情報推定装置における敵対的学習実行部の機能ブロック構成図。
【
図4】
図3中の生成器におけるネットワーク構成例を示す図。
【
図5】GANの入力データ(本物の波形データ)の一例を示す図。
【
図6】GANの出力データ(偽波形データ)の一例を示す図。
【
図7】検量線を対象としたときのGANの入力データ(本物データ)の一例を示す図。
【
図8】検量線を対象としたときのGANの出力データ(偽データ)の一例を示す図。
【発明を実施するための形態】
【0029】
以下、本発明の一実施形態である波形情報推定装置を利用したデータ解析装置について、添付図面を参照して説明する。
以下の例では、解析対象の信号波形はクロマトグラム波形であり、データ解析によって、クロマトグラム上で観測されるピークを検出するとともに該ピークのピークトップの位置(保持時間)及びピーク面積値(又は高さ値)を求めるものとする。
【0030】
[一実施形態のLC装置の全体構成及び概略動作]
図1は、本発明に係る波形情報推定装置を含むデータ解析装置を備えたLC装置の一実施形態の全体構成図である。
【0031】
図1において、測定部10は、移動相容器11と、移動相を吸引して略一定の流速(又は流量)で送給するポンプ12と、移動相中に試料液を注入するインジェクター13と、試料液に含まれる成分を保持時間に応じて分離するカラム14と、カラム14から溶出する溶出液中の成分を検出する検出器15と、を含む。検出器15としては例えば、フォトダイオードアレイ(PDA)検出器等の光学検出器や質量分析装置などを用いることができる。
【0032】
データ解析部20は、検出器15から出力される検出信号をデジタル化して処理する機能を有し、データ収集部21、ピーク検出処理部22、定性・定量解析部23などの機能ブロックを含む。ピーク検出処理部22は、事前情報記憶部221、ベイズ推定処理部222、ピーク特徴値決定部223などの機能ブロックを含む。このデータ解析部20には、ユーザーインターフェイスとしての入力部24と表示部25とが接続されている。
【0033】
データ解析部20の実体は汎用のコンピューターであり、該コンピューターにインストールされた専用のソフトウェア(コンピュータープログラム)を該コンピューターで実行することにより、
図1に示したような各機能ブロックの機能が達成される。もちろん、こうした機能ブロックにおける機能の一部を専用のハードウェア回路等で達成することも可能である。
【0034】
このLC装置においてポンプ12は、移動相容器11に貯留されている移動相を吸引し、略一定流速で以てカラム14に送給する。インジェクター13は、図示しない制御部からの指示に応じた所定のタイミングで、予め用意されている試料液を所定量だけ移動相中に注入する。注入された試料液は移動相の流れに乗ってカラム14に導入され、試料液に含まれる各種の成分はカラム14を通過する間に時間方向に分離されて溶出する。検出器15は溶出液に含まれる成分を検出し、その成分の量に応じた強度の検出信号を時々刻々と出力する。
【0035】
データ解析部20においてデータ収集部21は、上記検出信号を所定時間間隔でサンプリングしてデジタルデータに変換し記憶装置に記憶する。この記憶されるデータがクロマトグラム波形を構成するデータ(クロマトグラムデータ)であり、検出器15において検出された成分はクロマトグラム上でピークとして観測される。ピーク検出処理部22はクロマトグラムデータを受けて有意なピークを検出し、検出したピークのピークトップの位置(時間)とピークの面積値(又は高さ値)を求める。定性・定量解析部23は、クロマトグラム上の各ピークの位置の情報から成分を特定するとともに、予め作成された検量線を利用して、ピーク面積値(又は高さ値)から各成分の含有量を算出する。つまり、定性・定量解析部23は試料に含まれる各成分の定性と定量とを実施し、その結果を表示部25に出力する。
【0036】
[ピーク検出方法及びピーク特徴値の算出方法]
本実施形態のLC装置では、解析対象であるクロマトグラムに現れているピークを検出しその特徴値としてのピーク面積値を得るために、ベイズ推定に基くピークフィッティングを利用している。
【0037】
クロマトグラムにおいて試料中の成分に対応するピーク波形は、形状パラメーターZと保持時間tとを引数にとる関数f(t,Z)で表すことができる。ここで、形状パラメーターZは例えば、ピークの幅や裾部の広がり方に関連する又は関連すると推測されるパラメーターである。よく知られているように、ベイズ推定では、或る関数のパラメーターの事前分布と実際のデータとから事後分布を推定することができる。いま、ピークモデル関数f(t,Z)と該形状パラメーターZの確率分布の両方が既知であれば、ベイズ推定を用いることで、観測波形として或るクロマトグラム波形Dが与えられたときの事後確率p(Z|D)は、上記モデル関数に関連する確率p(D|Z)と形状パラメーターZの確率p(Z)とから求まる。確率p(D|Z)は、ピークモデル関数f(t,Z)に例えば標準偏差σの正規ノイズが乗ると仮定すれば、p(D|Z)=N(f(t,Z),σ)で与えることができる。但し、関数Nは正規分布である。
【0038】
このようにしてベイズ推定によってパラメーターZの確率分布である事後分布が求まれば、その事後分布から、ピークモデル関数f(t,Z0)の形状の確率分布を得ることができる。即ち、クロマトグラム波形D上で観測されるピーク波形に対して、フィッティングが適切になされる波形形状を示すピークモデル関数が確率的に求まる。したがって、例えば或る波形形状を示す関数の確率が顕著に高ければ、その波形形状が、与えられたクロマトグラム上のピーク波形を表している、と判断することができる。さらに、その関数f(t,Z0)に基いて、ピークの面積値、高さ値、或いはピーク位置などの、所望のピーク特徴値を算出することができる。
【0039】
また、ピークモデル関数f(t,Z0)の形状の確率分布から、クロマトグラム上のピークの面積値や高さ値等のピーク特徴値の確率分布を算出することもできる。それにより、例えば確率分布の信用区間を95%として、ピーク面積や高さ、或いは位置などが採り得る値の範囲などを求めることもできる。
【0040】
なお、特許文献1に示されているように、近接して存在している複数のピークの裾部が重なっている状況においても、複数のピークが存在していることを前提とした混合分布を組み込んだベイズ推定を行うことによって、各ピークを分離してそれぞれのピーク特徴値を求めることができる。
【0041】
[モデル関数及び波形分布情報の算出方法]
上述したように、ベイズ推定によるフィッティングの手法をピーク波形に対して適用するためには、ピークモデル関数とその関数における形状パラメーターの分布(事前分布)とが必要である。一般的には、ピーク波形に対するモデル関数としてはガウス関数やEMG関数などが用いられる。それに対し、ここでは、こうした明示的なモデル関数を用いること無く、ピーク波形を表す関数自体とその関数が持ちうる形状の分布(形状パラメーターの分布)とを同時に学習する機械学習の手法を利用して、クロマトグラフ装置の種類・方式やその分析の適用分野の特性等に応じたピークモデル関数とその関数のパラメーター分布情報とを推定する。
【0042】
図2は、ピークモデル関数とパラメーター分布情報とを推定するための波形情報推定装置の一実施形態の概略構成図である。この装置は、実測データ入力部30、ピーク波形抽出部31、敵対的学習実行部32、ピークモデル関数決定部33などの機能ブロックを含む。この装置の実体はコンピューターであり、コンピューターにインストールされた所定のプログラム(ソフトウェア)を実行することで、
図2に示した各機能ブロックが具現化される。
【0043】
図3は、
図2中の敵対的学習実行部32で使用されるGANの機能ブロック構成図である。なお、
図2及び
図3に示した装置は
図1に示したLC装置のデータ解析部20に含まれるようにしてもよい。つまり、LC装置のデータ解析用コンピューターで上記機能が達成されるようにしてもよいが、上記機能を達成する手段はデータ解析部20とは別体であってもよい。
【0044】
図2及び
図3に示す波形情報推定装置では、GANによる敵対的学習の際の本物データとして、実測により得られたクロマトグラム波形を用いる。即ち、
図1に示したLC装置の測定部10又はこれと同等のLC装置を用い、実際に試料を測定することで取得されたクロマトグラム波形を本物データとして利用する。
【0045】
但し、一般的に、クロマトグラム上のピーク波形と言っても、試料の種類つまりは成分の種類、解析の適用分野や目的、LC分離条件等によって、ピーク波形の形状に大きな差異が生じる。そうした形状に大きな差異がある複数のピーク波形、例えば、テーリングが大きい傾向にあるピーク波形とテーリングが殆ど現れない傾向にあるピーク波形とのいずれをも解析の対象としようとすると、ピークモデル関数の分布の幅が広すぎて該関数の精度が低下する、或いは、パラメーターの分布が広がりすぎる、といった問題が生じる。そこで、解析の適用分野などを絞ることによって、こうした問題を回避することができる。具体的には、ここでは、解析対象の分野を生体由来の代謝物の解析に限定する。即ち、試料は生体試料であり、試料中の成分は代謝物である。もちろん、これは一例であって、様々な試料、成分、或いは解析目的について、ここで述べるような手法を適用することができる。
【0046】
図2に示す波形情報推定装置において、実測データ入力部30は、実測により得られた多数のクロマトグラムデータを読み込む。ピーク波形抽出部31は、入力された各クロマトグラムデータに対し、例えばSN比が極端に低いピークや分離が不十分であるピークなどを除去し、波形形状が良好であるピークを抽出する処理を行う。そして、ピーク波形抽出部31は、抽出したピークについて、テーリング(又はリーディング)度合いやピーク幅といった所定のピーク形状パラメーターを求める。なお、例えば保持時間とピーク幅とに比例関係があるといったパラメーター間の相関が予測できる場合には、後述する学習が容易に行われるようにするために、予めピーク幅を保持時間で正規化するといったパラメーター間の相関を弱める正規化処理を事前に行うようにすることができる。
【0047】
上記のようにしてピーク波形抽出部31は、多数の単一ピークのピーク形状パラメーターを取得する。敵対的学習実行部32は、良好な波形形状を有する単一ピークのピーク形状パラメーターを本物データとしたGANによる学習を実施する。
【0048】
図3に示すように、敵対的学習実行部32は、ランダムノイズ発生部40、生成器41、データ選択部44、識別器45、判定部46、及び更新処理部47、を含む。生成器41は、時間歪関数生成部411と、時間入力部412と、ガウス関数演算部413と、を含む。ここでは、生成器41における時間歪関数生成部411、及び識別器45にはいずれも、非特許文献2、3に記載されているようなニューラルネットワークを用いる。
【0049】
一般的なGANの考え方では、生成器が本物データに似せた偽のデータを生成し、識別器はその偽のデータと本物データとを交互に識別する。即ち、生成器はピーク波形そのもののパラメーターを学習する。これに対し、本実施形態における敵対的学習実行部32で用いられるGANにおけるアルゴリズムには、次のような改良が加えられている。
【0050】
既に述べたように、クロマトグラム上のピーク波形は理想的にはガウス関数に従った形状であるが、実際には様々な要因によってガウス波形形状からのずれが生じる。そこで、このずれを時間的な歪みを表す時間歪関数s(t,Z)として定義し、生成器41において時間歪関数生成部411は、ニューラルネットワークによって、この時間歪関数s(t,Z)を生成する。時間入力部412は、クロマトグラムの横軸のパラメーターである時間tに時間歪関数s(t,Z)を加算してガウス関数演算部413に引き渡す。ガウス関数演算部413は、t+s(t,Z)を引数とするガウス関数の演算を行い、時間歪要素を含むガウス関数Gauss(t+s(t,Z))に従った波形を出力する。
【0051】
但し、時間歪関数s(t,Z)や元のピーク波形を表す関数f(t,Z)は時間tに関する連続関数であるのに対し、測定によって得られる実測データはサンプリング時間毎に観測された離散的なデータの集合である。そのため、そうした関数を直接的にGANの生成器41に利用することはできない。そこで、ここでは、連続関数である時間歪関数s(t,Z)の代わりに、実測データの各サンプリング時刻を示すベクトルTを用いた離散的な時間歪関数s(T,Z)を、時間歪関数生成部411により生成された関数として出力する。
【0052】
即ち、学習実行時に、時間歪関数生成部411はニューラルネットワークにより、ランダムノイズ発生部40から入力されるノイズに基いて時間歪関数s(T,Z)を作成する。時間入力部412は、与えられた本物データのベクトルサイズと同じサイズである、時刻tに対応するベクトルTと、時間歪関数生成部411から出力された離散的な時間歪関数s(T,Z)とを加算する。これを受けてガウス関数演算部413は、ガウス関数Gauss(T+s(T,Z))に従った波形、つまりは偽のピーク波形を生成する。このときに出力される偽の波形データは、学習対象である本物の波形ベクトルと同じサイズである。
【0053】
データ選択部44は、生成器41から出力される偽の波形データと上記本物の波形データとを交互に切り替えて識別器45に入力する。識別器45は、入力されたデータが本物であるか否かを識別し、判定部46はその識別結果が正しいか否か、つまり、本物データが識別器45に入力されたときにはそれが本物であると識別したか否か、一方、偽データが識別器45に入力されたときにはそれが偽物であると識別したか否か、を判定する。
【0054】
更新処理部47は判定部46による判定結果に基いて、偽データが本物データに近づくように、時間歪関数生成部411におけるニューラルネットワークの係数を更新する。また併せて、識別器45の識別性能が向上するように、該識別器45におけるニューラルネットワークの係数を更新する。周知のように、GANでは、このように生成器41と識別器45とを競わせながら、それぞれの性能が向上するように学習を実行する。
【0055】
上述したようなGANにおける学習によって、生成器41は本物のピーク波形にきわめて近い偽のピーク波形を生成するようになり、その学習の過程で、そのピーク波形を近似するピークモデル関数とその関数のパラメーターの分布(つまりは波形形状の確率分布)情報とが得られる。ピークモデル関数決定部33は、敵対的学習実行部32が上述したようなGANにおける学習を実施した結果に基いて、ピーク波形形状を表すピークモデル関数とその形状パラメーターの分布とを決定する。
【0056】
本実施形態の波形情報推定装置における生成器41では、時間歪関数生成部411で生成される関数を微小な時間歪みに限定し、該関数を組み込んだGauss(T+s(T,Z))をピークモデル関数として用いている。これによって、クロマトグラム上のピーク波形全体ではなく、クロマトグラム上のピーク波形をガウス関数で近似したときの微小な時間歪みの部分のみをGANの学習によって生成すればよいため、精度の高い学習が容易に行える。
【0057】
GANにおいて形状パラメーターZの分布は確率分布である。したがって、この形状パラメーターZの分布は、そのままベイズ推定の際の事前分布として用いることができる。そのため、ピークモデル関数f(t,Z)の分布自体は明に記述する必要はなく、ベイズ推定を行う際には、確率変数Zを単純に変換する関数f(t,Z)が存在するとして推論を行うことができる。
【0058】
図4は、
図3中の生成器41の時間歪関数生成部411におけるネットワーク構成の一例を示す図である。図示するように、この例では、時間歪関数生成部411は、ランダムノイズ発生部40から与えられる乱数ベクトルZとスカラー値である時間tとを結合して一つのベクトルとして受け取る。そして、このベクトルをフルコネクト(FC)層及び活性化関数のネットワークに適用する。通常、ピークのテーリングはパラメーターtに直接的に強く影響を受けるため、この例では、最初の層の入力を以降の各層の入力に加えている。但し、この構成に限らず、自由なニューラルネットワークの構成を時間歪関数生成部411として使用できることは当然である。
【0059】
一方、識別器45としては一般的なニューラルネットワークを用いても構わないが、ここでは、ガウス関数のような釣り鐘形状の波形をよりよく捉えられるように、一次元コンボリューション層と線形結合層とを持つニューラルネットワークを用いる。
【0060】
また、より好ましくは、s(t,Z)≒tで示される分布となるように、関数s(t,Z)のネットワークにスキップドコネクション(スキップ接続)を用いるか、或いは、s(t,Z)=t+s’(t,Z)として、s’(t,Z)が0付近の値を適切な幅でとるようにネットワーク重みのパラメーターの初期値分布を調整するとよい。
【0061】
また、釣り鐘状関数の裾が重いなどの、強度に対して略一様に掛かる歪みがある場合も考えられる。その場合には、強度補正ニューラルネットワーク関数i(y)を使用し、生成器41として関数i(Gauss(s(t,Z))を用いることも有用である。この関数iのネットワーク構成も関数sと同様に、
図4に示したものと同様のネットワーク構成で記述することができる。
【0062】
また上記説明において、敵対的学習実行部32の本質的な目的はデータ点群の分布に一致する分布を学習することであり、上記例ではその学習の手法としてGANを用いている。非特許文献2、3に示されているように、GANではニューラルネットワークを使用するのが一般的であるが、非特許文献3の記載からも明らかであるように、ニューラルネットワークに代えて、微分(勾配)を用いて関数を最適化できる適宜のアルゴリズムを使用することができる。また、ここでは、観測波形Dと形状パラメーターZとから生成される関数fの分布に対する類似度としてKL(Kullback-Leibler)距離を利用しているが、KL距離以外にも、JS(Jensen-Shannon)距離やWasserstein距離などの、分布の一致度合いを評価する様々な指標を用いることができる。
【0063】
また、ピーク波形のリーディング及びテーリングの形状を考えると、時間歪関数s(t,Z)には単調性を仮定するのが妥当である。そこで、単調性を組み込んだニューラルネットワークを用いてもよい。
【0064】
例えば(t,Z)を引数として、A,a,b,c,dの値を出力するニューラルネットワークを作成する。このうちA,a,cは非負である。非負の出力を持つニューラルネットワークは、ELU(Exponential Linear Units) 関数に1を加えたものやRELU関数などを活性化関数として用いることで作成可能である。このようにして得られた出力A,a,b,c,dを用い、s(t,Z)= c*t+d+ΣA*sigmoid(t*a+b)を計算することにより、単調性を満たした時間歪関数を作成することができる。上記例では、時間歪関数は、ct+dで示される直線に複数のシグモイド関数の合成による変曲点が存在しているというモデルになる。
【0065】
図5は、GANによる学習の際に使用する本物のピーク波形データの一部を示す図である。一方、
図6は、生成器41により生成される偽のピーク波形データの一部を示す図である。
図5及び
図6はいずれも、ランダムに複数本の波形を重ね書きしたものである。これらを比較すれば分かるように、GANにおける学習によって、本物のピーク波形データにきわめて近い(実質的には区別できない)偽のピーク波形データを出力可能な生成モデルを得ることができる。
【0066】
上述したような処理によって、実測のクロマトグラフ上で観測されるピーク波形に基いて該波形を模擬的に生成する生成モデル、つまりはピークモデル関数と形状パラメーターの分布情報とを取得することができる。これらデータを
図1に示した装置における事前情報記憶部221に格納しておき、ベイズ推定処理部222におけるベイズ推定の際の事前分布として用いることで、ピーク検出処理部22は、ピークを精度良く検出するとともにピーク定量値などのピーク特徴値をより正確に計算することができる。
【0067】
即ち、ベイズ推定を利用したパラメーター推論の際には、対象となる観測波形データD0に対して、形状パラメーターZの事後分布Z0が得られる。こうして得られた推論済みの事後分布Z0をサンプリングすることによって、具体的なピーク形状のサンプルGauss(T+f(T,Z0))の形状が得られるので、その形状を元にしてピーク面積値などの所望のピーク特徴値の分布を算出すればよい。上述したような機械学習によって得られるf(t,Z)はEMG関数等と同様のtを引数とする関数であるため、ベイズ推定によるパラメーターZの分布や関数fの事後予測分布が使用できるといったモデル関数の利点をそのまま有しており、ベイズ推定に容易に適用することができる。
【0068】
実用的には、隣接するピークの裾部同士が重なった混合ピーク等を扱う必要がある場合が多いが、LC装置、GC装置等の多くの分析装置では、分析における線形性が確保されているものとみなせる。そのため、解析対象がクロマトグラム波形である場合、混合ピークの信号値は複数の単一ピークに対応する信号値を単純に加算したものである、としても構わない。また、ベイズ推定のためには、ピークの幅や裾部の広がり度合いなどの情報のほかに、ピークの位置や高さ等の分布の情報も必要であるものの、クロマトグラムの場合にはそれらパラメーターの分布をそれぞれ独立に考えるのが一般的であり、ピーク幅等の形状パラメーターとは別に、その分布を推定することができる。したがって、複数のピークが重なっている混合分布においても、複数のピークが存在しているとの前提の下でベイズ推定を行うことによって、実質的にピークを分離し、それぞれのピーク面積などのピーク特徴値を求めることができる。
【0069】
また、本発明に係る上述した手法は、ピーク面積の算出以外にも、ピーク有無の検定、ピーク位置の推定等、のピーク特徴値の算出にも当然ながら利用可能である。また、ピークモデル関数を利用してピーク検出、ピーク分離、或いはピーク特徴値の算出を行うために、ベイズ推定以外の手法を利用してもよい。具体的には、ピーク波形のフィッテイングに頻用されている最尤推定法、最小二乗法などの、より簡易的な方法を利用してもよい。その場合でも、元のピークモデル関数が高い精度で得られているため、高い精度でのピーク検出、ピーク分離等が可能である。
【0070】
[ピーク波形解析以外への応用]
また、上記説明では、本発明に係る手法をクロマトグラム上のピークの解析に適用したが、それ以外の波形の解析に利用することができる。例えば、ピーク面積から成分濃度(含有量)等を求める際に使用される検量線も一種の信号波形であり、検量線についても同様の解析が可能である。もちろん、通常、検量線の形状はガウス関数に従わないが、ガウス関数を用いる代わりに、関数g(t+f(t,Z),Z)を用いてモデル化することが可能である。また、薬剤反応量の変化量の時間経過等などを示す波形の解析にも本手法を適用することができる。
【0071】
図7は、検量線を模擬する生成モデルをGANによる学習により作成する際に使用する本物データの一部を示す図である。一方、
図8は、これに対して生成器において生成される偽データの一部を示す図である。
図7及び
図8はいずれも、ランダムに複数本の波形を重ね書きしたものである。これらを比較すれば分かるように、検量線を模擬する際にも、本物データにきわめて近い(実質的には区別できない)偽データを出力可能な生成モデルを得ることができる。
【0072】
また、上記例では、時間tに関係する時間歪関数fのみをニューラルネットワークで作成して変換関数を記述したが、時間ではなく強度xに関係する関数g(x,Z)を用いて変換関数g(Gauss(T),Z)を記述することもできる。これは、時間ではなく強度に応じた歪みが発生することを想定したものであり、例えば、吸光光度計などを検出器としたLC装置において、高濃度領域で信号飽和が生じてピークトップが潰れるような場合のモデル関数を記述するのに適している。当然のことながら、関数fと関数gとを組み合わせ、g(Gauss(T+f(T,Z)),Z)と記述することもできる。
【0073】
また、上記実施形態は本発明をLC装置に適用した例であるが、LC装置やGC装置以外の様々な分析装置で得られる信号波形を処理又は解析する際に本発明を適用することができることは明らかである。
【0074】
[種々の態様]
上述した例示的な実施形態は、以下の態様の具体例であることが当業者により理解される。
【0075】
(第1項)本発明に係る波形情報推定方法の一態様は、信号波形についての波形情報を推定する方法であって、コンピューターを用い、
所定の分析装置を用いた実測に基く信号波形から、モデル化対象である部分波形を抽出する波形抽出ステップと、
前記波形抽出ステップにおいて得られた部分波形を入力とし、生成モデルと識別モデルという互いに敵対する二つのモデルを用いた敵対的学習を実行することで、前記部分波形に対応するモデル関数、又は、該モデル関数及び該関数における形状の分布情報を取得する敵対的学習ステップと、
を実行するものである。
【0076】
(第9項)本発明に係る波形情報推定装置の一態様は、
所定の分析装置を用いた実測に基く信号波形から、モデル化対象である部分波形を抽出する波形抽出部と、
前記波形抽出部により得られた部分波形を入力とし、生成モデルと識別モデルという互いに敵対する二つのモデルを用いた敵対的学習を実行することで、前記部分波形に対応するモデル関数、又は、該モデル関数及び該関数における形状の分布情報を取得する敵対的学習部と、
を備えるものである。
【0077】
第1項に記載の波形情報推定方法又は第9項に記載の波形情報推定装置によれば、例えば、クロマトグラフ装置で得られるクロマトグラムにおけるピーク等の部分波形を高い精度でモデル化するためのモデル関数や、そのモデル関数の形状パラメーター、例えばピークのテーリング度合い、ピーク幅などの分布の情報とを、高い確度で以て取得することができる。
【0078】
こうして得られたモデル関数やパラメーター分布の情報を例えばピーク検出に利用することで、解析対象であるクロマトグラム等において観測されるピークをより的確に検出することができる。また、そうしたピークの面積値や高さ値などのピーク特徴値の算出の精度を向上させることができる。それによって、試料中の成分の定性精度及び定量精度を向上させることができる。
【0079】
また、モデル関数及びパラメーター分布情報が判明していることで、解析対象であるクロマトグラムから求まるピークの位置、或いは面積値や高さ値などのピーク特徴値の誤差の範囲を合理的に算出することができる。それによって、例えば、他の波形処理法によって得られたピークの特徴値が適切であるか否か等の評価を的確に行うことができる。
【0080】
(第2項)第1項に記載の波形情報推定方法において、前記敵対的学習ステップでは、前記部分波形を所定の関数で近似したときの歪み要素を表す部分関数を生成し、該部分関数を前記所定の関数に導入するとともに、前記信号波形の横軸のパラメーターを該関数の引数とすることで、入力された前記部分波形と比較される偽の波形を出力する処理を行うものとすることができる。
【0081】
(第10項)第9項に記載の波形情報推定装置において、前記敵対的学習部は、前記部分波形を所定の関数で近似したときの歪み要素を表す部分関数を生成し、該部分関数を前記所定の関数に導入するとともに、前記信号波形の横軸のパラメーターを該関数の引数とすることで、入力された前記部分波形と比較される偽の波形を出力する処理を行うものとすることができる。
【0082】
一般的なGANでは、生成モデルは上記本物のデータに似せた偽のデータを作成するための関数を生成するが、第2項に記載の波形情報推定方法及び第10項に記載の波形情報推定装置において、生成モデルは、部分波形を表すデータそのものではなく、部分波形を所定の関数で近似したときの歪み要素のみを表す部分関数を生成する。つまり、この部分関数は部分波形そのものを作成するものではなく、部分波形を例えばガウス関数などで近似しようとしたときの歪みを表す関数である。そして、部分波形の横軸のパラメーターを引数とし、生成された部分関数を所定の関数に導入することで、偽の波形を示すデータを求める。この偽のデータと上記本物のデータとを識別モデルを用いて識別する。
【0083】
歪み要素を表す部分関数は元の部分波形そのものを表す関数に比べて強度の変動が大幅に小さな関数となるので、GAN等における生成モデルの学習は微小な強度変動を拡大して学習を行うことになる。そのため、部分波形そのものを学習する場合に比べて精度の高い学習が可能であり、モデル関数、及び、そのモデル関数の形状パラメーターの分布の算出精度を高めることができる。
【0084】
(第3項)第2項に記載の波形情報推定方法において、前記部分波形はピーク波形であり、前記歪み要素は、該ピーク波形の横軸のパラメーターについての歪みの関数であるものとすることができる。
【0085】
(第11項)同様に、第10項に記載の波形情報推定装置において、前記部分波形はピーク波形であり、前記歪み要素は、該ピーク波形の横軸のパラメーターについての歪みの関数であるものとすることができる。
【0086】
即ち、第3項に記載の方法及び第11項に記載の装置において、部分波形がクロマトグラムから抽出されたピーク波形である場合、横軸のパラメーターは時間であるから上記部分関数は時間歪関数である。
【0087】
(第4項、第12項)第3項に記載の波形情報推定方法、及び第11項に記載の波形情報推定装置において、前記横軸のパラメーターは時間であるものとすることができる。
【0088】
第4項に記載の波形情報推定方法及び第12項に記載の波形情報推定装置によれば、例えばクロマトグラム上のピークについてのモデル関数やその形状パラメーターの分布などの精度の高い波形情報を得ることができる。
【0089】
(第5項)第5項に記載の発明は、第1項~第4項のいずれか1項に記載の波形情報推定方法を用いたピーク波形処理方法であって、
前記部分波形はピーク波形であり、
前記敵対的学習ステップにおいて得られたモデル関数を利用してピークモデル波形を生成するモデル波形生成ステップ、をさらに実行し、前記ピークモデル波形を利用して目的の信号波形に対するピーク検出を行うものとすることができる。
【0090】
(第13項)第13項に記載の発明は、第9項~第12項のいずれか1項に記載の波形情報推定装置を用いたピーク波形処理装置であって、
前記部分波形はピーク波形であり、
前記敵対的学習部により得られたモデル関数を利用してピークモデル波形を生成するモデル波形生成部、をさらに備え、前記ピークモデル波形を利用して目的の信号波形に対するピーク検出を行うものとすることができる。
【0091】
第5項に記載のピーク波形処理方法及び第13項に記載のピーク波形処理装置によれば、精度の高いモデル関数を利用してピーク検出を正確に行うことができる。また、ピークの高さ値や面積値などのピーク特徴値を精度良く求めることができるので、例えば目的成分の定量精度を向上させることができる。
【0092】
(第6項)また第6項に記載の発明は、第1項~第4項のいずれか1項に記載の波形情報推定方法を用いたピーク波形処理方法であって、
前記部分波形はピーク波形であり、
前記敵対的学習ステップにおいて得られたモデル関数を利用して、目的の信号波形において重なっている複数のピークを分離する波形処理を行う処理ステップ、をさらに実行するものとすることができる。
【0093】
(第14項)同様に、第14項に記載の発明は、第9項~第12項のいずれか1項に記載の波形情報推定装置を用いたピーク波形処理装置であって、
前記部分波形はピーク波形であり、
前記敵対的学習部により得られたモデル関数を利用して、目的の信号波形において重なっている複数のピークを分離する波形処理を行う波形処理部、を備えるものとすることができる。
【0094】
第6項に記載のピーク波形処理方法及び第14項に記載のピーク波形処理装置によれば、精度の高いモデル関数を利用して、重なっている複数のピークを精度良く分離したうえで、各ピークの高さ値や面積値などのピーク特徴値を精度良く求めることができる。それにより、例えば、従来手法ではクロマトグラム上で分離しにくい重なったピークについても、各ピークに対応する成分についての精度の良い定量分析が可能である。
【0095】
(第7項)第5項又は第6項に記載のピーク波形処理方法において、検出された又は分離された各ピークについて所定の特徴値を求める特徴値推算ステップをさらに実行するものとすることができる。
【0096】
(第15項)第13項又は第14項に記載のピーク波形処理装置において、検出された又は分離された各ピークについて所定の特徴値を求める特徴値推算部をさらに備えるものとすることができる。
【0097】
第7項に記載のピーク波形処理方法及び第15項に記載のピーク波形処理装置によれば、例えばクロマトグラムやスペクトルに基いた精度の良い定量分析を行うことができる。
【0098】
(第8項、第16項)第5項~第7項のいずれか1項に記載のピーク波形処理方法、又は、第13項~第15項のいずれか1項に記載のピーク波形処理装置において、ピーク検出、ピークの分離、及び/又は、ピークについての所定の特徴値の推算を、ベイズ推定を用いて行うものとすることができる。
【0099】
第8項に記載のピーク波形処理方法及び第16項に記載のピーク波形処理装置では、ベイズ推定を利用して例えばクロマトグラムにおけるピークを検出したり面積値等のピーク特徴量を求めたりする際の事前分布として、上記モデル関数の形状の分布情報が用いられる。したがって、ピークを的確に検出したり分離したりすることができるとともにピーク面積値等のピーク特徴量も精度良く求めることができ、その結果、定性精度や定量精度を向上させることができる。
【符号の説明】
【0100】
10…測定部
11…移動相容器
12…ポンプ
13…インジェクター
14…カラム
15…検出器
20…データ解析部
21…データ収集部
22…ピーク検出処理部
221…事前情報記憶部
222…ベイズ推定処理部
223…ピーク特徴値決定部
23…定性・定量解析部
24…入力部
25…表示部
30…実測データ入力部
31…ピーク波形抽出部
32…敵対的学習実行部
33…モデル関数情報決定部
40…ランダムノイズ発生部
41…生成器
411…時間歪関数生成部
412…時間入力部
413…ガウス関数演算部
44…データ選択部
45…識別器
46…判定部
47…更新処理部