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特許7418719流れパターンの語表現装置、語表現方法およびプログラム
(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2024-01-12
(45)【発行日】2024-01-22
(54)【発明の名称】流れパターンの語表現装置、語表現方法およびプログラム
(51)【国際特許分類】
   G16H 30/00 20180101AFI20240115BHJP
   G16H 10/40 20180101ALI20240115BHJP
【FI】
G16H30/00
G16H10/40
【請求項の数】 6
(21)【出願番号】P 2020013646
(22)【出願日】2020-01-30
(65)【公開番号】P2021120781
(43)【公開日】2021-08-19
【審査請求日】2023-01-25
【国等の委託研究の成果に係る記載事項】(出願人による申告)平成30年度、国立研究開発法人科学技術振興機構、未来社会創造委託事業、「流線トポロジーデータ解析の理論と応用研究・ソフトウェア「開発・データ駆動数理モデリングの開発」、産業技術力強化法第17条の適用を受ける特許出願
(73)【特許権者】
【識別番号】516109509
【氏名又は名称】株式会社Cardio Flow Design
(74)【代理人】
【識別番号】100130845
【弁理士】
【氏名又は名称】渡邉 伸一
(74)【代理人】
【識別番号】100140350
【弁理士】
【氏名又は名称】渡辺 和宏
(74)【代理人】
【識別番号】100201020
【弁理士】
【氏名又は名称】野中 信宏
(73)【特許権者】
【識別番号】509349141
【氏名又は名称】京都府公立大学法人
(74)【代理人】
【識別番号】100105924
【弁理士】
【氏名又は名称】森下 賢樹
(72)【発明者】
【氏名】坂上 貴之
(72)【発明者】
【氏名】板谷 慶一
【審査官】今井 悠太
(56)【参考文献】
【文献】国際公開第2016/072515(WO,A1)
【文献】国際公開第2015/068784(WO,A1)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
G16H 10/00-80/00
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
2次元領域における流れパターンの流線構造を語表現する語表現装置であって、記憶部と、語表現生成部と、を備え、
前記記憶部は、流れパターンを構成する複数の流線構造に関し、各流線構造とその文字との対応関係を記憶し、
前記語表現生成部は、ルート決定手段と、木表現構成手段と、COT表現生成手段と、を備え、
前記ルート決定手段は、与えられた流れパターンのルートを決定し、
前記木表現構成手段は、前記与えられた流れパターンの流線構造を抜き出し、前記記憶部に記憶された対応関係に基づいて当該抜き出した流線構造に文字を付与し、当該抜き出した流線構造を削除する処理を、前記流れパターンの最内部から順にルートに到達するまで繰り返して実行することにより、前記与えられた流れパターンの木表現を構成し、
前記COT表現生成手段は、前記木表現構成手段によって構成された木表現をCOT表現に変換して、前記与えられた流れパターンの語表現を生成し、
前記流れパターンを構成する流れは、移動する物理境界が発生させる流れを含むことを特徴とする語表現装置。
【請求項2】
前記流れパターンを構成する流線構造は、n-bundled ss-saddle退化特異点を含む曲面上の基本構造を含むことを特徴とする請求項1に記載の語表現装置。
【請求項3】
前記流れパターンは、心室内血流のパターンである請求項1または2に記載の語表現装置。
【請求項4】
前記流れパターンから抽出された位相的データ構造を表示する表示部をさらに備える請求項1から3のいずれかに記載の語表現装置。
【請求項5】
記憶部と語表現生成部とを備えたコンピュータによって実行される、二次元領域における流れパターンの流線構造を語表現する語表現方法であって、
前記記憶部は、流れパターンを構成する複数の流線構造に関し、各流線構造とその文字との対応関係を記憶し、
前記語表現生成部は、ルート決定ステップと、木表現構成ステップと、COT表現生成ステップと、を実行し、
前記ルート決定ステップは、与えられた流れパターンのルートを決定し、
前記木表現構成ステップは、前記与えられた流れパターンの流線構造を抜き出し、前記記憶部に記憶された対応関係に基づいて当該抜き出した流線構造に文字を付与し、当該抜き出した流線構造を削除する処理を、前記流れパターンの最内部から順にルートに到達するまで繰り返して実行することにより、前記与えられた流れパターンの木表現を構成し、
前記COT表現生成ステップは、前記木表現構成ステップで構成された木表現をCOT表現に変換して、前記与えられた流れパターンの語表現を生成し、
前記流れパターンを構成する流れは、移動する物理境界が発生させる流れを含むことを特徴とする語表現方法。
【請求項6】
記憶部と語表現生成部とを備えたコンピュータに処理を実行させるプログラムであって、
前記記憶部は、流れパターンを構成する複数の流線構造に関し、各流線構造とその文字との対応関係を記憶し、
与えられた流れパターンのルートを決定するルート決定ステップと、
前記与えられた流れパターンの流線構造を抜き出し、前記記憶部に記憶された対応関係に基づいて当該抜き出した流線構造に文字を付与し、当該抜き出した流線構造を削除する処理を、前記流れパターンの最内部から順にルートに到達するまで繰り返して実行することにより、前記与えられた流れパターンの木表現を構成する木表現構成ステップと、
前記木表現構成ステップで構成された木表現をCOT表現に変換して、前記与えられた流れパターンの語表現を生成するCOT表現生成ステップと、を前記語表現生成部に実行させ、
前記流れパターンを構成する流れは、移動する物理境界が発生させる流れを含むことを特徴とするプログラム。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、流れパターンの語表現装置、語表現方法およびプログラムに関する。
【背景技術】
【0002】
曲面上の非圧縮性流体の流れパターンに対して、多対1の語表現(極大語表現)を与える技術、および語表現と正規表現を使った流体中の構造物の形状の設計方法が開示されている(例えば、特許文献1参照)。また、曲面上の非圧縮性流体の流れ構造に対して、流れパターンに1対1に対応するグラフ表現から語表現(正規表現)を与える技術が開示されている(例えば、特許文献2参照)。また心臓内の血液の流れについて超音波の計測断面で血流速度の分布を取得し、流線を表示する技術(特許文献3参照)や、心臓MRIで心臓内の血流速度分布を取得し、内腔や断面での流線を表示したりする技術(特許文献4参照)が開示されている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0003】
【文献】国際公開第2014/041917号
【文献】国際公開第2016/072515号
【文献】国際公開第2013/077013号
【文献】国際公開第2014/185521号
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0004】
前述の技術は、曲面上の非圧縮性流体の流れパターンに的確な語表現を与えることができるが、圧縮性流体を含む一般的な流れパターン、特に計測面内に湧き出しや吸い込みを伴うような断面を通過する流れパターンを表現できない。また前述の技術は、物理境界においては滑り境界条件(slip boundary condition)を前提として語表現が構築されており、物理境界が流れの発生源となるような事象、例えば心臓のように袋状に囲んだ壁が内部流れを圧迫し駆出したり、壁が膨張し流れを吸い込むような流れの事象について語表現を与えることができない。
【0005】
本発明はこうした課題に鑑みてなされたものであり、その目的は、移動する物理境界が流れを発生させる現象について語表現を与えることであり、3次元流れの2次元計測断面に対して語表現を与えることにある。その応用として特に心臓内に発生する超音波やMRIなどの医用画像から可視化される血流の渦流について、その流れパターンを分類し、当該流れパターンに対して語表現を与えることにある。
【課題を解決するための手段】
【0006】
上記課題を解決するために、本発明のある態様の語表現装置は、2次元領域における流れパターンの流線構造を語表現する語表現装置であって、記憶部と、語表現生成部と、を備える。記憶部は、流れパターンを構成する複数の構造に関し、各構造とその文字との対応関係を記憶し、語表現生成部は、ルート決定手段と、木表現構成手段と、COT表現(COT:partially Cyclically Ordered rooted Tree representation)生成手段と、を備える。ルート決定手段は、与えられた流れパターンのルートを決定し、木表現構成手段は、与えられた流れパターンの構造を抜き出し、記憶部に記憶された対応関係に基づいて当該抜き出した構造に文字を付与し、当該抜き出した流線構造を削除する処理を、流れパターンの最内部から順にルートに到達するまで繰り返して実行することにより、与えられた流れパターンの木表現を構成し、COT表現生成手段は、木表現構成手段によって構成された木表現をCOT表現に変換して、与えられた流れパターンの語表現を生成し、流れパターンを構成する流れは、移動する物理境界が発生させる流れを含む。ここで「2次元領域」とは、関心領域(Region of Interest=ROI)となる曲面上の領域のことをいう。また「物理境界」とは、上記2次元領域と外部領域との境界線である。「移動する物理境界」とは、この境界線が時間とともに移動することを示す。例えば「2次元領域」が左心室長断面である場合、「物理境界」は左心室断面を取り巻く壁の輪郭であり、「移動する物理境界」はこの壁の輪郭が収縮拡張して移動することを表す。
【0007】
本発明の別の態様は、語表現方法である。この方法は、記憶部と語表現生成部と、を備えたコンピュータによって実行される、2次元領域における流れパターンの流線構造を語表現する語表現方法であって、記憶部は、流れパターンを構成する複数の流線構造に関し、各流線構造とその文字との対応関係を記憶し、語表現生成部は、ルート決定ステップと、木表現構成ステップと、COT表現生成ステップと、を実行し、ルート決定ステップは、与えられた流れパターンのルートを決定し、木表現構成ステップは、与えられた流れパターンの流線構造を抜き出し、記憶部に記憶された対応関係に基づいて当該抜き出した流線構造に文字を付与し、当該抜き出した流線構造を削除する処理を、流れパターンの最内部から順にルートに到達するまで繰り返して実行することにより、与えられた流れパターンの木表現を構成し、COT表現生成ステップは、木表現構成ステップで構成された木表現をCOT表現に変換して、与えられた流れパターンの語表現を生成し、流れパターンを構成する流れは、移動する物理境界が発生させる流れを含む。
【0008】
本発明のさらに別の態様は、プログラムである。このプログラムは、記憶部と語表現生成部と、を備えたコンピュータに処理を実行させる。記憶部は、流れパターンを構成する複数の流線構造に関し、各流線構造とその文字との対応関係を記憶する。このプログラムは、与えられた流れパターンのルートを決定するルート決定ステップと、与えられた流れパターンの流線構造を抜き出し、記憶部に記憶された対応関係に基づいて当該抜き出した流線構造に文字を付与し、当該抜き出した流線構造を削除する処理を、流れパターンの最内部から順にルートに到達するまで繰り返して実行することにより、与えられた流れパターンの木表現を構成する木表現構成ステップと、木表現構成ステップで構成された木表現をCOT表現に変換して、与えられた流れパターンの語表現を生成するCOT表現生成ステップと、を語表現生成部に実行させ、流れパターンを構成する流れは、移動する物理境界が発生させる流れを含む。
【0009】
なお、以上の構成要素の任意の組み合わせや、本発明の構成要素や表現を方法、装置、プログラム、プログラムを記録した一時的なまたは一時的でない記憶媒体、システムなどの間で相互に置換したものもまた、本発明の態様として有効である。
【0010】
本発明のさらに別の態様は、装置である。この装置は、2次元領域における流れパターンの流線構造を語表現する語表現装置であって、記憶部と、語表現生成部と、を備える。記憶部は、流れパターンを構成する複数の構造に関し、各構造とその文字との対応関係を記憶し、語表現生成部は、ルート決定手段と、木表現構成手段と、COT表現生成手段と、を備える。ルート決定手段は、与えられた流れパターンのルートを決定し、木表現構成手段は、与えられた流れパターンの構造を抜き出し、記憶部に記憶された対応関係に基づいて当該抜き出した構造に文字を付与し、当該抜き出した流線構造を削除する処理を、流れパターンの最内部から順にルートに到達するまで繰り返して実行することにより、与えられた流れパターンの木表現を構成し、COT表現生成手段は、木表現構成手段によって構成された木表現をCOT表現に変換して、与えられた流れパターンの語表現を生成し、流れパターンを構成する流れは、移動する物理境界が発生させる流れを含む。
【発明の効果】
【0011】
本発明によれば、移動を伴う物理境界に囲まれた3次元流体の断面内流れに対して語表現を与えることができ、例えば心臓内に発生する渦流の流れパターンに対して語表現を与えることができる。
【図面の簡単な説明】
【0012】
図1】通常解剖(内臓正位、房室結合信大血管結合正位)での心臓(左心室)の収縮・拡張に伴う血流・血圧・心臓弁の周期的運動を示す図である。
図2】slidable saddleおよびslidable ∂-saddleを示す図である。(a)、(b)はslidable saddleを示す。(c)、(d)は、slidable ∂-saddleを示す。
図3】有限型の流れ(flow of finite type):vの境界軌道の集合Bd(v)の補集合に表れる領域内の軌道群の分類を示す図である。(a)は開矩形領域で軌道空間が開区間であるものを示す。(b)は開円環領域で軌道空間が円周であるものを示す。(c)は開円環領域で軌道空間が開区間であるものを示す。
図4】(Bd(v))の軌道群を表す構造(2次元構造)を示す図である。(a)は構造b~±を示す。(b)は構造b±を示す。
図5】球面S上の基本構造を示す図である。(a)は構造σφ±、σφ~±0、σφ~±±、σφ~±干を示す。(b)は構造βφ±を示す。(c)は構造βφ2を示す。
図6】Bd(v)の流れの0次元点構造と1次元構造の例を示す図である。(a)は1次元構造としての構造β±を示す。(b)は0次元点構造としての構造σ±、σ~±0、σ~±±、σ~±干を示す。(c)は1次元構造としての構造p~±を示す。(d)は1次元構造としての構造p±を示す。
図7】(S1)系列の1次元構造を示す図である。(a)は構造a±を示す。(b)は構造q±を示す。
図8】(S2)系列の1次元構造を示す図である。(a)は構造b±±を示す。(b)は構造b±干を示す。
図9】(S4)系列の1次元構造を示す図である。(a)は構造β±を示す。(b)は構造c±を示す。(c)は構造c2±を示す。
図10】(S5)系列の1次元構造を示す図である。(a)は構造aを示す。(b)は構造γφ~±を示す。(c)は構造γ~±-を示す。(d)は構造γ~±+を示す。
図11】(S3)系列の1次元構造を示す図である。(a)は構造a~±を示す。(d)は構造q~±を示す。
図12】n-bundled ss-saddleの作り方を示す図である。
図13】ss-componentとそれらを結ぶss-separatrixの例を示す図である。
図14】有限型の流れ(flow of finite type)の中に現れる3種類のnon-trivial limit circuitsを示す図である。
図15】基本構造sφnを示す図である。(a)は図4の再掲である。(b)は構造sφ0を示す。(c)は構造sφ1示す。(d)は構造sφn(n≧2)を示す。
図16】0次元構造:∞~±を示す図である。
図17】木表現の説明図である。
図18】第1実施の形態に係る語表現装置の機能ブロック図である。
図19】第2実施の形態に係る語表現装置の機能ブロック図である。
図20】第3実施形態に係る語表現方法のフロー図である。
図21】工程N1の処理を示すフロー図である。
図22】工程N2の処理を示すフロー図である。
図23(a)】工程N3の処理の前半を示すフロー図である。
図23(b)】工程N3の処理の後半を示すフロー図である。
図24】同じCOT表現を持つが、異なる流線トポロジーを持つ流れパターンの例を示す図である。
図25】心室内血流画像データに対する位相的前処理の例を示す図である。(a)は心室内血流画像の流れパターンを示す。(b)は(a)から抽出した不完全な位相的データ構造を示す。(c)は(b)に対して位相的前処理を行ってサドルを1つだけ外部に追加して得られた整合的な位相的データ構造を示す。
図26】パターンAの心血流に対するCOT表現の与え方を示す図である。(a)は、心室血流画像の流れパターンを示す。(b)は、(a)の軌道構造から抽出された位相的データ構造を示す。(c)は、(b)から最内部の特異点を取り除いた状態を示す。(d)は、(c)から構造a~-を取り除いて境界に縮退させて得られる軌道構造を示す。
図27】パターンB、CおよびDの心血流に対するCOT表現の与え方を示す図である。(a)は、パターンBを示す。(b)は、パターンCを示す。(c)は、パターンDを示す。
図28】超音波VFM(vector flow mapping)で解析した収縮早期と中期の間の時相、すなわち大動脈弁が解放され始めた時相の左室心内血流を流線で可視化した図である。(a)は健常者、(b)は心不全患者1、(c)は心不全患者2の例を示す。
【発明を実施するための形態】
【0013】
以下、本発明を好適な実施の形態をもとに各図面を参照しながら説明する。実施の形態および変形例では、同一または同等の構成要素、部品には、同一の符号を付するものとし、適宜重複した説明は省略する。また、各図面における部品の寸法は、理解を容易にするために適宜拡大、縮小して示される。また、各図面において実施の形態を説明する上で重要ではない要素の一部は省略して表示する。また、第1、第2などの序数を含む用語は多様な構成要素を説明するために用いられるが、この用語は1つの構成要素を他の構成要素から区別する目的でのみ用いられ、この用語によって構成要素が限定されるものではない。
【0014】
[左心室内の血流]
心臓は血液を周期的に駆出する。その仕組みは、心筋が収縮拡張を繰り返し、それに伴い心室の入口である房室弁と出口である半月弁が交互に開閉することにより、毎心拍一定量の血液の駆出が維持されるというものである。通常解剖では心室には左心室と右心室とが存在する。本明細書は、循環器臨床の検査画像で得られる心内血流の軌道群に関する分類およびその離散組み合わせ構造を語表現することも適用先として含む試みであることから、心内血流の流線可視化技術も取り扱うこととする。
【0015】
図1に、通常解剖(内臓正位、房室結合信大血管結合正位)での心臓(左心室)の収縮・拡張に伴う血流・血圧・心臓弁の周期的運動を示す。通常左心室では、血流の入口にあたる房室弁である僧帽弁(Mitral valve)と血流の出口にあたる半月弁である大動脈弁(Aortic valve)が開閉を繰り返し、以下の4つの時相を一心周期で繰り返す。
(1)等容収縮期(Isovolumic Contraction):心室が充満し、房室弁である僧帽弁は閉鎖する。このとき半月弁である大動脈弁はまだ解放されず、心室容積を維持したまま心内圧が上昇する時相。
(2)収縮期(Systole):心室圧が大動脈圧を超えると大動脈弁が解放され、心筋が収縮し、心室容積が縮小し、血液を絞り出すように大動脈に駆出する時相。左室心筋は、袋状の心室を単純に押しつぶすように収縮するだけではなく、心筋が線維方向にねじれ収縮する。収縮期は、大動脈弁通過血流が加速する収縮早期(early systole)、大動脈に多量の血液が駆出される収縮中期(mid systole)および大動脈弁通過血流速度が減速する収縮後期(late systole)に大別することができる。
(3)等容拡張期(Isovolumic Relaxation):心室内の血液が駆出されると、大動脈圧が心室内圧を上回るようになり大動脈弁が閉鎖する。このとき僧帽弁はまだ解放されず、左室心筋は能動的に弛緩し、心室内圧が容積を維持したまま低下する時相。
(4)拡張期(Diastole):左室内圧が左房圧より低下すると僧帽弁が解放され、左室内に血流が流入する時相。このとき心筋は拡張し、左室容積が増高し左室は充満する。上述の収縮期の逆で、心室をただ袋状に広げるだけでなく、心筋線維方向にほどけながら拡張することが知られている。拡張期では、心筋拡張に伴い僧帽弁通過血流が増多する急速流入期(rapid filling)の後に、僧帽弁通過血流速度が減少する緩徐流入期(late filling)を迎える。その後、左心房の収縮により再度僧帽弁通過血流が増えるが、これを心房収縮期(atrial contraction)という。その後の時相を拡張末期(end diastole)と呼ぶ。また収縮期同様拡張期を時間的に3分し、僧帽弁通過血流が急速に流入するあたりの時相を拡張早期(early diastole)、流入血流が減速し比較的staticに流れが一様に遅くなる時相を拡張中期(mid diastole)、心房収縮に伴い左室に再流入する時相以降を拡張後期(late diastole)と呼ぶこともある。
【0016】
上述の心周期を繰り返すことにより、周期的な血液の駆出がなされる。構造上左心室では、入口である僧帽弁(Mitral valve)と出口である大動脈弁(Aortic valve)とが、解剖学的に弁輪を共有し隣り合わせに接触する形で存在する。このため、流入血流と流出血流の向きは、ほぼ180度異なる向きとなる。従って、円錐形の袋状の左室内で血流は180度旋回しなければならず、左室内には渦流が発生する。解剖学的には、この大動脈弁と僧帽弁が連結した部分の近傍を左室基部(base)と呼び、袋状の盲端の近傍を心尖部(apex)と呼び、基部と心尖部の間を左室中部(mid)と呼ぶ。僧帽弁には、やや弁尖長の長い前尖(anterior leaet)と、弁尖長の短い後尖(posterior leaet)とが存在する。これらは、拡張期に流入血流が僧帽弁を通過する際に流れの剥離を発生し、弁腹の広い前尖の周囲でより半径の大きな渦流が発生する。3次元的にはトーラス型の渦が発生しており、これはvortex ringと呼ばれる。僧帽弁後尖の渦は比較的早期に消失するが、前尖周囲の渦は緩徐流入期に心尖部にやや近づき消退する。心房収縮期には、僧帽弁前尖周囲に再度渦流が発達し、等容収縮期にかけて左室基部を中心に左室内を大きく占める渦が発生する。大動脈弁の解放と同時に、あたかもこの渦から血流が駆出されるかのように、駆出血流が発生する。収縮期の中期には、心機能のよい左室では渦流が消失するが、心機能の悪化した左室では収縮後期まで渦流が残存することが知られている。
【0017】
以上述べたように、左室内血流は、心筋が収縮、拡張することが流れの発生源となっている。すなわち、大動脈弁、僧帽弁の開閉により血流が左室から流出、流入する。また心内においては、心室内浮遊血栓や浮遊腫瘍や疣贅の破片などが浮遊するような特殊な状況を除いて、左心室内腔には血流路に物理境界が存在しない。すなわちトポロジカルには、3次元開球体と同一視できる領域で、内部に物理境界が存在しないものとみなせる。
【0018】
以下、左室の特徴的な渦流を議論するために、左室長軸断面(縦切り断面)に焦点を当てて説明する。左室において、大動脈弁と僧帽弁の中心点と心尖部とを結ぶ断面を、長軸断面と呼ぶ。これは、心室瘤や心筋梗塞など局所の心筋壁の変性を伴うような疾患を除き、健常人ではほぼ面対称な構造をしている。長軸断面では、流入血流速度も流出血流速度も最も高速になる。このため、この断面内で描かれた血流ベクトルは、本来であれば3次元血流ベクトルの2次元断面への射影であるはずだが、断面通過成分よりも面内ベクトルの成分の方が大きいことが想定され、左室内血流の渦流に関してはこの断面内の流れのベクトル及び軌道が3次元的な左室の流れの特徴をよくとらえていると想定される。
【0019】
本明細書は、この長軸断面における血流の2次元性を強いるものではない。しかしながら、後述するように、本明細書には流れの湧き出し(source)、吸い込み(sink)を組み込んであり、局所的な2次元性の破綻は理論(後述の先行研究)と無矛盾である。この断面における境界曲線の特徴は、左室心筋が心尖部を盲端として後壁側と中隔側に存在し、中隔側に大動脈弁が右冠尖の中央部と左冠尖と無冠尖の交連を渡るように前後軸に切られ出口となり、後壁側に僧帽弁の前後弁尖中央部で線対称に切られる断面となり、境界線をなすことにある。これらの境界において、弁逆流が存在しない限りは、僧帽弁は拡張期にsourceとなる境界となり、大動脈弁は収縮期にsinkとなる境界になる。弁逆流が存在する場合は、解剖学的な弁輪の一部分にsourceやsinkを許す構造となるため、基本的には理論は崩れない。また心筋は一様には動かず、収縮にも早期に収縮する部位とやや遅れて収縮する部位とがある。従って、各時相においてsourceになったりsinkになったりする部分が混在するような境界となる。一方、心室内部の領域は、この断面での心室内腔には物理境界が存在しないと考えてよく、トポロジカルには開円盤領域に相同であるとしても問題はない。
【0020】
以下、有限型の流れ(以下、単に「流れ」と書く)パターンを構成する複数の構造(渦、湧き出し点、吸い込み点等)あるいはベクトル場の各々を「流線構造」または単に「構造」と呼ぶ。本発明者らは鋭意検討を重ねた結果、曲面Sの有限型の流れ(flow of finite type)が生成する流線構造(すなわち、2次元領域における任意の流れパターンを構成する流線構造)と、それに対応する文字すなわち「部分円順序根付き木表現」を与えることに成功した。以下、この文字列を組み合わせることにより流れパターンを表現したものを「語表現」と呼ぶ。以下、この知見を「先行研究」と呼ぶことがある。なお本明細書では、「部分円順序根付き木表現」のことを「COT表現」と呼ぶ。(COT:partially Cyclically Ordered rooted Tree representation)。以下、これらの流線構造とそれに対応するCOT表現について説明する。
【0021】
以下、流れvの特異点の集合をSing(v)、周期軌道の集合をPer(v)、非閉軌道の集合をP(v)と書く。
まず以下を定義する。
(定義1)「曲面S上のflow of finite type vの境界軌道の集合Bd(v)を以下で与える。
Bd(v):=Sing(v)∪∂Per(v)∪∂P(v)∪Psep(v)∪∂per(v)
ただし、各集合は以下で与えられる軌道集合である。
(1)Psep(v):P(v)の内点集合にあるsaddle separatrixとss-separatrixとからなる軌道集合
(2)∂Per(v):周期軌道集合の境界となる軌道の集合
(3)∂P(v):非閉軌道集合の境界となる軌道の集合
(4)∂per(v):Sの境界∂Sに沿って回る周期軌道の集合(∂S∩intPer(v))」
また(Bd(v))を、(Bd(v))=S-Bd(v)で定義する。
【0022】
図2(a)、(b)に、slidable saddleの点xを示す。サドル点xとそれにつながるss-separatrixと湧き出し構造(吸い込み構造)の組を「slidable saddle構造」と呼ぶ。サドル点xは、4つのseparatrixと連結している。これらをγ、γ、γ、γと書くと、α(γ)=α(γ)=ω(γ)=ω(γ)=xである。この「サドル点xがslidable」であるとは、「ω(γ)が吸い込み点であり、ω(γ)が吸い込み構造(図中では-を○で囲んだ記号で示される)である」場合(図2(a))、あるいは「α(γ)が湧き出し点であり、α(γ)が湧き出し構造である(図中では+を○で囲んだ記号で示される)」場合(図2(b))のいずれかを指す。
【0023】
図2(c)、(d)に、slidable ∂-saddleの点xを示す。「境界サドル点xがslidableである(あるいはxがslidable ∂-saddleである)」とは、separatrix γ ⊂intSと境界に沿ったseparatrix μと1つのxと同じ境界にあって吸い込み構造につながる境界サドル点y≠xがあって、ω(γ)=x、α(γ)が湧き出し点、α(μ)=x、ω(μ)=yとなる構造を持つときのことをいう(図2(c))。このベクトルの向きを反転させた構造もslidable ∂-saddleである(図2(d))。
【0024】
先行研究のflow of finite typeの軌道位相構造の語表現・ツリー表現理論では、この境界軌道によって分割される領域(数学的には、(Bd(v))=S-Bd(v)と書ける)の隣接関係をグラフとして表現し、それに文字列やツリーなどの離散組み合わせ構造を割り当てたものである。本明細書も同様のアイデアで(Bd(v))=S-Bd(v)なるborder orbitsに分割された2次元領域の中に入っている軌道群に文字を割り当てる。そのため、軌道群にある種の同値関係を導入して得られるorbit space(軌道空間)の概念が必要である。
【0025】
(定義2)曲面S上の流れvによって生成されるproperな軌道群で開部分集合T(⊂S)の内部を通るものとする。
このとき、Tのorbit space(軌道空間)T/~は、次の同値関係「任意のx,y∈T,O(x)=O(y)ならばx~y」から導入される商集合である。
【0026】
この商集合は、同じ軌道上にある点を1つの点につぶして同一視するという操作を意味している。例えば、図3(a)のように矩形をした開集合Tの中に一様流のような流れが並行に入っている場合、その軌道空間は開区間となっている。同様に図3(b)(c)のように開円環領域にある軌道群の軌道空間は、それぞれ円周と開区間とからなっている。
【0027】
図3は、有限型の流れ(flow of finite type):vの境界軌道の集合Bd(v)の補集合に表れる領域内の軌道群の分類を示す。図3(a)は、開矩形領域で軌道空間が開区間であるものである。すなわち図3(a)に示されるような矩形をした開集合Tの中に一様流のような流れが平行に入る場合、その軌道空間は開区間となる。図3(b)は、開円環領域で軌道空間が円周であるものである。図3(c)は、開円環領域で軌道空間が開区間であるものである。図3に示されるように、開円環領域にある軌道群の軌道空間は、それぞれ円周と開区間とからなる。
【0028】
[2次元構造]
はじめに2次元領域構造を定義し、これらに対応する文字(COT表現)を与える。Bd(v)によって分割される開領域を埋め尽くす軌道群は図3に示される3種類しかないことが証明されている。図3(a)に示される開矩形領域は、湧き出し構造と吸い込み構造とを結ぶss-separatrixの近傍の非閉軌道群を含むものであるが、ここで説明する変換アルゴリズムでは、これには記号を与えない。すなわちデフォルトの構造とする。これ以外の2つの2次元構造に文字(COT表現)を割り当てる。図4に、図3(b)および(c)に示される軌道群を表す2次元構造を示す。
【0029】
(2次元構造:b~±
図3(b)に示される開円環領域の構造は、外側から内側へ向かう非閉軌道で埋め尽くされている状況にある。これに対しては、図4(a)のようにb~±と記号を割り当てる。記号についている符号~±については、軌道群が円環の外側境界から内側境界へ流れるときは、流れが中心に吸い込まれていることを表現するものとして、~-とする。反対に内側境界から外側境界に軌道群が広がるような場合は、~+とする。その内側境界には吸い込み/湧き出し構造が必ず入るが、そのようなBd(v)の構造の集合を□~±と書いておく。また、領域を埋め尽くしている非閉軌道の1つ1つに対しては、□a~±で表されるBd(v)のclass-a~±の軌道構造を任意個数(s≧0個)入れることができるので、これを表す記号を□a~±sと書く。この□a~±sに対応する構造の並びは円順序で一意に決まらない。以上の考察に基づき、COT表現はb~±(□~±,{□a~±s})(複合同順)のようになる。また、□a~±sは、非圧縮流の□asの場合の記法と同様に、
a~±s:=□ a~±・・・ □ a~± (s>0)
a~±s:=λ (s=0)
とし、「何も入っていない」ことを表現するのに記号λを用いる。
【0030】
(2次元構造:b±
図3(c)は、開円板領域内部が周期軌道で埋め尽くされている状況を表す。これに対応する流線構造は、図4(b)に示される構造b±である。符号は、周期軌道が反時計回り(正方向回転)であるときに+を、時計回り(負方向回転)であるときに-を割り当てる。この内部に入る構造もBd(v)の元であるが、そこに入るのはclass-αの軌道構造であるため、□α±と書く。非閉軌道と異なり周期軌道には□のような構造は入らないので、このCOT表現は複合同順で、b±(□α±)と与えられる。
【0031】
以下、Bd(v)によって分割された領域に含まれうる軌道群の構造を、上の中から選ぶ。ここで、Bd(v)に対して定義されるCOT表現で用いるために、(Bd(v))の構造から定義される集合□bφ、□b+、□b-、□b~+、□b~-を以下のように定める。
b+={b~±,b
b-={b~±,b
b~+={b~+
b~-={b~-
【0032】
[基本構造]
平面は、トポロジカルには、無限遠点を取り除いた球面Sと同一視できる。この球面S上に、以下のような基本的な流れが存在する。以下、これらの流体構造を「基本構造」または「ルート構造」と呼ぶ。図5に、球面S上の基本構造を示す。
【0033】
(基本構造:σφ±、σφ±0、σφ~±±、σφ~±干
平面内に物理境界が全く存在しないときの流れ場は、図5(a)に示されるような球面の流れと同一視できる。この球面上の有限型の流れ(flow of finite type)は、両極の2つの0次元点構造を除く円環領域内の流れを与える。このときこの構造のCOT表現は、内部にどのような軌道構造が入るかで分類する必要がある。この円環領域が構造b±で与えられる周期軌道からなる軌道群構造b±で埋め尽くされるとき、σφ干(□bφ±)の表現を割り当てる。ただし□bφ±=b±(□α±)である。一方、円環領域が湧き出し点/吸い込み点のclass-~±の非閉な軌道群構造b~±で埋め尽くされているとき、そのCOT表現は、湧き出し点/吸い込み点の周辺の軌道の回転方向により、σφ~干0(□bφ~±)、σφ~干±(□bφ~±)、σφ~干干(□bφ~±)のいずれかとなる。すなわち、無限遠点の点である湧き出し点/吸い込み点の周りで,非閉な軌道群が回転していないときは複合同順でσφ~干0(□bφ~±)、反時計回りに回転しているときは複合同順でσφ~干+(□bφ~±)、時計回りに回転しているときは複合同順でσφ~干-(□bφ~±)である。ここで□bφ~±=b~±(□~±,{□a~±s})である。なお、σφ~±0、σφ~干干、σφ~干±の記号についている符号と中に入る2次元軌道群構造のCOT表現の符号とが逆になっているのは、無限遠点に相当する点の周りの流れの構造に符号をつけていることによる。例えば、bの表現が内部に入って反時計回り(すなわち+の方向)の周期軌道を埋め込むためには、無限遠点の点の周りには時計回り(すなわち-の方向)の流れが生じなければならない。従って具体的なCOT表現は、
σφ-(□bφ+
bφ+=b(□α+
となる。
【0034】
(基本構造:βφ±、βφ2
球面が物理境界をいくつか含んでいると仮定する。このとき、その中から1つを選んで特別な境界とし、北極がその境界内部に含まれるような球面極座標を導入することができる。このとき、この座標系に付随した立体射影(Stereographic projection)を通して、球面上の流れを2次元有界領域の内部流れと同一視することができる。図5(b)に、ルートの子で外側物理境界に湧き出し/吸い込み構造が全く存在しない流れを示す。このCOT表現は、外側境界の流れの方向が反時計回りのときは、βφ-(□b+,{□c-s})と与える。この構造は、□b+のところに常にclass-b構造を含まなければならないが、外側境界には任意の個数class-cの軌道構造をつけることができる。外側境界の流れの方向が時計回りのときは、すべての符号を反転させてβφ+(□b-,{□c+s})なるCOT表現を持つ基本構造となる。なお、双方において、s≧0個のclass-c軌道構造を意味する□c±sは、具体的には複合同順で以下のように書ける。
【数1】
【0035】
図5(c)に示される外側物理境界につながる湧き出し/吸い込み構造が少なくとも1つ存在する基本流れ構造を示す。基本構造βφ2は、この図5(c)に示される基本流れ構造である。この湧き出し/吸い込み構造から最も左側にあるペアを選んでclass-~±の特別な軌道構造とし、他の湧き出し/吸い込み構造にはclass-γφの軌道構造を割り当てる。他に境界に沿って、任意の個数のclass-c±の軌道構造を左右につけることができる。この状況をCOT表現では、特別な湧き出し点-吸い込み点のペアを□~±で、任意の個数のclass-γφs軌道構造を□γφsで表す。具体的には以下のように書けばよい。
【数2】
【0036】
特別な湧き出し点-吸い込み点のペアがあるため、それらを結ぶclass-aの軌道構造を任意の個数つけることができる。それらを、COT表現では□asと表す。なお、□asに入りうるclass-aの構造群の定義については表1を参照のこと。□asは、非圧縮流の場合の記法と同様に、
as:=□ ・・・□ (s>0)
as:=λ (s=0)
と定める。まとめると、この基本構造のCOT表現は、外側境界についている各構造を反時計回りに円順序で並べて、
βφ2({□c+s,□~+,□c-s,□~-,□γφs},□as
で与えられる。
【0037】
[Bd(v)の流れの0次元点構造および1次元構造]
次に、曲面S上の有限型の流れ(flow of finite type):vが定めるss-saddle connection diagram Dss(v)を構成するBd(v)の0次元点構造および1次元構造の分類とそれに対応するCOT表現を与える。前述の理論によれば、Bd(v)=Sing(v)∪∂Per(v)∪∂P(v)∪Psep(v)∪∂per(v)と表現されているので、それぞれの集合に対応させてBd(v)を実現する0次元点構造および1次元構造を導入する。ここで、各1次元構造はその周辺の軌道群情報によって、どの集合に入るかが変わりうることに注意する。図6に、Bd(v)の0次元点構造と1次元構造の例を示す。
【0038】
[∂per(v)、Sing(v)の構造]
(1次元構造:β±
その定義から∂per(v)の流れは、物理境界に沿って流れる周期軌道を指す。物理境界に∂-saddle separatrixで囲まれたclass-cの構造が全くついていないことを記号βで表す。すなわち、物理境界の流れが反時計回りのときβ{λ}、時計回りのときβ{λ}のようにCOT表現を与える(図6(a)参照)。これらの物理境界は、class-~±およびclass-α±の構造に入る。
【0039】
(0次元点構造:σ±、σ~±0、σ~±±、σ~±干
Sing(v)\Dss(v)の元は、0次元の点構造(孤立構造)である。点構造は、その周りの軌道によって分類することができる。もし点が渦心点で、その周囲に反時計回りあるいは時計回りの周期軌道を伴うとき、そのCOT表現はそれぞれσおよびσで与えられる。一方、点が湧き出し点または吸い込み点であるとき、COT表現は、その周囲の軌道の回転方向と合わせてそれぞれσ~±0、σ~±±、σ~±干で与える(図6(b)参照)。これらの点構造はclass-~±の構造に入る。
【0040】
[∂P(v)、∂Per(v)に入る構造]
(1次元構造:p~±、p±
集合∂P(v)および∂Per(v)は、それぞれ非閉軌道および周期軌道の境界集合として定義される1次元構造である。また、limit cycleはその内側と外側のいずれかが非閉軌道の極限軌道となる周期軌道である。これはintP(v)の元ではないため、集合Psep(v)の元にはなり得ない構造である。このとき、limit cycleの外側と内側の構造によって場合分けが必要となる。すなわち、1つはlimit cycleの外側領域では周期軌道となる構造(図6(c))、いま1つはlimit cycleが外側領域にある非閉軌道のω(α)極限集合となる構造(図6(d))である。前者の構造をp~±と書く。このときこの周期軌道がlimit cycleとなるためには、これが内側からの非閉軌道の極限軌道(すなわち境界軌道)となっていなければならない。そのため、内部にはb~±の2次元構造を入れる。従って、そのCOT表現はp~±(□b~±)である。後者の構造を記号p±で表す。このとき外側からの極限周期軌道になっているため、内部の2次元極限軌道群の構造はどのようなものでもよい。従って、そのCOT表現は複合同順でp±(□b±)で表すことができる。
【0041】
[∂P(v)、∂Per(v)、Psep(v)に入る構造]
∂P(v)、∂Per(v)、Psep(v)のいずれかの構造集合に入りうる1次元構造は、saddle separatrixやss-separatrixの構造を含む非閉軌道を持つ。その内部と外部に入る2次元構造は、一方が非閉軌道で、他方が周期軌道で埋め尽くされた領域である場合(このとき、∂P(v)か∂Per(v))と、両側が非閉軌道で埋め尽くされた領域である場合(このときPsep(v)の元とする)とを考えなければならない。
【0042】
まず、サドル点につながるseparatrixは4本存在するので、このseparatrixの局所的な流れの方向を考慮すれば、以下の3つの可能性がある。
(S1)1つが湧き出し構造、1つが吸い込み構造につながり、残り2つがself-connected saddle separatrixである。
(S2)2つのself-connected saddle connectionがある。
(S3)2つが湧き出し(吸い込み)構造につながっている。残り2つは、位相的制約から流れの方向からself-connected separatrixになりえないことに注意する。
【0043】
このうち(S3)の場合は非閉軌道を持ち得ないので、ここでは(S1)と(S2)だけを考えればよい。一方、境界サドル点は3本のseparatrixが存在するが、そのうち2本は境界上を走る必要があるので自由度は1本しかない。従って、その連結する構造の可能性は以下の2つとなる。
(S4)同じ境界上にある別の境界サドル点とつながる∂-saddle separatrixを持つ。
(S5)領域内部にある湧き出し/吸い込み構造につながる。
【0044】
(S4)の場合は明らかに非閉軌道を形成するので問題はないが、(S5)の場合は周囲の状況による。すなわち、この場合は単独で非閉軌道は生じない。しかしながら、ベクトル場の特異点の指数との関係で、1つの境界サドル点と、少なくとも1つの異なる境界サドル点との存在を認めなければならない。そのため、その境界サドル点が∂-saddle separatrixを持てば、構造全体が非閉軌道を含みうる。以上のことから、以下、(S1)(S2)(S4)(S5)に対応する4つの構造を考える。
【0045】
(1次元構造:a±、q±
図7に、(S1)系列の1次元構造を示す。湧き出し構造と吸い込み構造、およびself-connected saddle separatrixの位置関係で、これらの構造を分類する。
【0046】
まず、図7(a)に示される構造、すなわちself-connected saddle separatrixの囲む領域の外側に湧き出し/吸い込み構造が存在する構造をa±と書く。その符号は、self-connected saddle separatrixが反時計回りになる場合をa、時計回りになる場合をaと決める。この構造では、self-connected saddle separatrixの内部には周期軌道か非閉軌道が入りうる。このうち周期軌道が入る場合は、その回転方向が自動的に決まることから、aには□b+で定義された構造集合が、aには□b-で定義された構造集合が入る。
【0047】
次に図7(b)に示される構造、すなわちself-connected saddle separatrixの囲む領域の内部に湧き出し/吸い込み構造が存在する構造をq±と書く。符号については、外側のself-connected saddle separatrixの向きが反時計回りのときq、時計回りのときqと書く。この構造の内部に、囲まれている湧き出し/吸い込み構造とそれらをつなぐ□asの構造集合の元が任意個(s≧0)存在しうるので、そのCOT表現はq±(□~+,□~-,□as)となる。
【0048】
(1次元構造:b±±、b±干
図8に、(S2)系列の1次元構造を示す。ここでは2つのself-connected saddle separatrixの位置関係で構造を分類する。
【0049】
まず、図8(a)に示される構造、すなわち2つのself-connected saddle separatrixの囲む領域が互いの外側にある構造を、複合同順でb±±と書く。符号については、2つのself-connected saddle separatrixの回転方向が反時計回りのときb++、時計回りのときb--と書く。この2つのself-connected saddle separatrixで囲まれた内部領域には2次元構造が入りうる。周期軌道が入る場合はその回転方向が自動的に決まること、また2つの領域の並べる順番には自由度があることから、これらを{}で囲み、そのCOT表現をb++{□b+,□b+}およびb--{□b-,□b-}とする。
【0050】
次に、図8(b)に示される構造、すなわち1つのself-connected saddle separatrixの囲む領域の内部にもう1つのself-connected saddle separatrixが含まれる構造を、複合同順でb±干と書く。符号については、外側にあるself-connected saddle separatrixの向きが反時計回りのときb+-、時計回りのときb-+と書く。この符号の決め方から、内部にある軌道群が周期軌道の場合は、その回転方向が互いに反対方向となることが自動的に決まる。従ってそのCOT表現は、b+-(□b+,□b-)およびb-+(□b-,□b+)となる。ここではbの下についている符号と合うように内部の構造の並べ方の順序をつけると決める。
【0051】
図9に、(S4)系列の1次元構造を示す。
(1次元構造:β±
図9(a)に示される構造は、∂-saddle separatrixが任意個数ついた物理境界に対応する。もし、∂-saddle separatrixがついていないときは、図6(a)に示される形となり、そのCOT表現はβ±{λ±}であった。一方、境界に1個以上の∂-saddle separatrixがついているときのCOT表現は、境界に沿って反時計回りの流れとなっている場合はβ{□c+s}、時計回りの流れとなっている場合はβ{□c-s}を与える(図9(a)参照)。すなわち□c±sには、各構造を円順序で反時計回りに並べた以下の記号が入る。
c±s:=□ c±・・・□ c± (s>0)
c±s:=λ±・・・ (s=0)
【0052】
(1次元構造:c±、c2±
1次元構造c±、c2±は(S4)系列に対応する。これらは、図9(b)、(c)に示されるように、∂-saddle separatrixに囲まれた内部にどのような構造が入るかによって分類することができる。
【0053】
まず、周期軌道や非閉軌道で埋め尽くされた2次元構造が入るとき、すなわち、境界サドル点とつながる湧き出し/吸い込み構造が入らないときは、図9(b)に示される構造となる。これをc±と書く。符号については、∂-saddle separatrixと境界に沿った軌道で回る方向が反時計回りのとき+、時計回りのとき-とする。このとき、内部の軌道群が周期軌道からなれば、その方向は自動的に決まる。この内部にさらにc±の構造を任意個含み得るが、その場合は内部の回転方向が逆になることに注意する。このことを踏まえてc±構造の集合を、
c+={c
c-={c
と定義する。これが任意個(s≧0)並ぶという意味で、□c±sなる構造集合を複合同順で定義しておけば、そのCOT表現は複合同順でc±(□b±,□c干s)となる。
【0054】
次に内部に湧き出し/吸い込み構造が入る場合、これらの構造はベクトル場の特異点の指数との関係で、同じ境界にある境界サドル点につながっている必要がある。すなわち図9(c)に示される構造、すなわちslidable ∂-saddleが∂-saddle separatrixに囲まれた構造となる。これをc2±と書く。一般に吸い込み/沸きだし構造からそれぞれ境界にあるサドル点に繋がる構造であるslidable ∂-saddleはいくつでも境界につけることができるので、その最も右側にあるものを選出し、これに対応する湧き出し/吸い込み構造のペアを□~±と表す。また、この湧き出し/吸い込み構造をつなぐ構造集合□が任意個(s≧0)存在しうることを示す構造集合□asを含む。さらに境界の上には、c±構造がその向きに応じて任意個(s≧0)存在しうることに加えて、これ以外にも任意個(s≧0)のslidable ∂-saddle構造を表す集合□γ干sが存在しうる。なお、□γ±sの構造が常に向かって左側についているのは、全部でs+1個あるslidable ∂-saddle構造のうち最も右側にあるものを選出して□~±と表現しているためである。ここでこの構造のCOT表現を与えるために、内部構造の並べ方に1つのルールを決めておく。すなわち「内部にある円境界に∂-saddle separatrixに囲まれた構造が存在する場合、その内部構造を境界の内部から見て反時計回りに回る方向に並べる。一方、さきほど現れたβφ2の外部境界につく場合は境界の内部からみて時計回り(逆に流体のある部分から見れば反時計回り)に構造を並べる」というルールである。このルールに従えば、図9(b)に示される構造のCOT表現は、この構造が内部境界につくことを踏まえれば、一番右から構造を並べればよく、c2+(□c干s,□~±,□c±s,□~干,□γ干s,□c干s,□as)となる。なお、このようにルールを決めておくと、構造は内部・外部の境界によらず必ず時計回りについている構造が並ぶ形となる。
【0055】
(1次元構造:a、γφ~±、γ~±±
図10に、(S5)系列の1次元構造を示す。この1次元構造は、基本的に、境界にある湧き出し/吸い込み構造のペアをつなぐslidable ∂-saddleに対応する。後のアルゴリズム構成の便宜のため、このような構造が複数存在する場合は、その1つを特別なものとして扱う。
【0056】
図10(a)に示される構造は、湧き出し/吸い込み構造のペアをつなぐslidable ∂-saddleのうち特別な1つを表す構造であり、これをaと書く。物理境界には∂-saddle separatrixに囲まれた構造□c±がその境界上の流れの方向に応じて任意個(s≧0)つきうる。これを□c±sと表す。また、他のslidable ∂-saddle構造も任意個つき得るが、特に最も下側にあるslidable ∂-saddleを選べば、その上側にのみ他のslidable ∂-saddleの構造□γ-がs≧0個存在することになる。これをγ~-+と表現する。最終的にそのCOT表現は、内部円境界につく構造に対するCOT表現の構造の並べ方のルールに従い、構造を境界反時計回りに並べることにしてa(□c+s,□c-s,γ~-+)とできる。なお、□c-sの左側にしかγ~-+が入っていないのは、後で導入する構造γ~±±の定義によるものである。
【0057】
特別な湧き出し/吸い込み構造をつなぐslidable ∂-saddleを選出した後は、他のslidable ∂-saddleはすべて同等に扱う必要がある。ここに追加する構造については、つける境界の構造で分類をしなければならない。まずβφ2の外側円境界に任意個の構造をつけられるが、βφ2の定義では常に最も左側にある湧き出し点-吸い込み点のペア構造に□~±の記号を割り当てるため、他のものはすべて右側についていることになる。右側の境界に沿って流れは上から下へと進むのでslidable ∂-saddleも同じ方向にs≧0個追加することができる。このとき、ベクトル場の特異点の指数との関係で、2つの∂-saddleが追加される。これによって、間に□c±sの構造を挟むことが可能になる。右側境界は、流れに沿って□c+sの構造が入る。従ってこの先にslidable ∂-saddleの構造を足すためには、図10(b)に示されるような構造である必要がある。この構造をγφ~±と書く。符号については、新たに足す構造が湧き出し構造である場合はγφ~+、吸い込み構造である場合はγφ~-とする。各構造のCOT表現は、外部境界につく構造の場合は、左側から右へ反時計回りに(つまり外部内部からみれば時計回りに)構造を読むので、γφ~+(□c+s,□~+,□c-s)およびγφ~-(□c+s,□c-s,□~-)となる。なお、追加された湧き出し(吸い込み)構造につながる境界サドル点とは異なる境界サドル点には、既存の吸い込み(湧き出し)構造がつながっていることに注意する。
【0058】
最後に、aやcにある境界につくslidable ∂-saddleの構造は、境界に沿った流れの下流側から追加した構造(図10(c))と、上流側から追加する構造(図10(d))の2種類がある。これらをそれぞれγ~±-、γ~±+と書く。あとは新規に追加するものが湧き出し構造か吸い込み構造かにより、その符号が決まる。これに対応するCOT表現は、内部境界を反時計回りに構造を読むので、γ~+-(□c-s,□~+,□c+s),γ~--(□c-s,□c+s,□~-),γ~++(□c+s,□c-s,□~+)およびγ~-+(□c+s,□~-,□c-s)となる。なおここで導入される□γ+sにはγ~±+の構造がs≧0個あり、□γ-sにはγ~±-の構造がs≧0個あることを示す。
【0059】
[Psep(v)に入る構造]
(1次元構造:a~±、q~±
図11に、(S3)系列の1次元構造を示す。これらはサドル点に2つの同じ湧き出し/吸い込み構造がつくので、slidable saddle構造となる。このslidable saddleにつながるss-componentの位置関係により、構造を分類する。このとき近傍の軌道はすべて非閉軌道で埋め尽くされた2次元領域(開矩形領域)なので、常にPsep(v)の元となる。slidable saddleがつながるss-componentの外側に存在する図11(a)のslidable saddleに対応する構造をa~±と書く。slidable saddleがつながるss-componentの内側に存在する図11(b)の構造は、slidable saddleに対応する。これをq~±と書く。符号については、両側に湧き出し構造□~+がついている場合a~+、両側に吸い込み構造□~-がついている場合a~-と書く。これらの湧き出し/吸い込み構造の順序は自由に選べるので、そのCOT表現は複合同順でa~±{□~±、□~±}とq~±(□~±)である。
【0060】
以上説明したすべての流線構造に関し、各流線構造とその文字(COT表現)との対応関係を表1にまとめて示す。
【表1】
【0061】
しかしながら心室内血流の場合、心室壁が収縮拡張することが、移動境界として流れの発生源や吸収源となる。このため、上記で前提とされた物理境界上のslip boundary conditionが成立せず、軌道群が境界に対して横断的となる。その結果、心筋壁や心臓弁などの構造がsource(湧き出し)/sink(吸い込み)となる。このため上記(先行技術)の基本構造だけでは、十分なCOT表現を与えることができないという課題がある。
【0062】
本明細書における関心領域(Region of Interest=ROI)は、心エコーやMRIなどの心室内流れの測定装置のデータから構成される心室内の2次断面領域である。こうした心室領域の境界は、弁を通して流体を出し入れする部分と、心臓運動に伴って時間変化する変形境界とからなる。本明細書では、これらの2つの境界を区別せずに1つと見なして、トポロジカルに2次元開円盤領域Ωと同一視する。厳密には心臓は拍動するため境界の形状は時々刻々変化するが、トポロジカルには円盤領域であることには変わりないので、この仮定は妥当なものである。
【0063】
いま、扱う流れが心室内部の血流であるということを踏まえれば、Ωの内部に物理境界は存在しないと仮定してよい。一方、対象となる流れが心室内の流れの計測情報から構成された軌道群の画像データ(以下、「心室内血流画像データ」と呼ぶ)であることを踏まえると、ROIの円周境界∂Ωでは流れはslip境界条件を満たさないことに注意する。すなわち、流線可視化によって得られる軌道群の多くは流れの発生源(source)や吸い込み(sink)となっており、円周境界に横断的(transversal)に交わっている。心室内血流画像データでは、ノイズの影響や計測精度の不十分さから、すべての軌道を抜き出すことは必ずしも保証できない。さらに、いくつかの軌道は、境界上のある点で接すること状況も想定される。しかしながらそのような場合は、接点の周りの領域を少し切り取って新しい境界とすることで、軌道群は境界∂Ωの全ての点で横断的であるようにできると仮定することができる。この状況の下で、境界上の点に以下の同値関係を導入する。
∀x,x’∈Ω ̄, x~x’⇔x,x’∈∂Ω
ただし、Ω ̄は集合Ωの閉包を表す。
【0064】
この同値関係によって得られるΩ ̄/~を考えると、これは境界上の点を1点に潰して球面Sと同一視することができる。さらに、適当な球面極座標系を導入することによって、この代表元を球面における北極(平面における無限遠点。以下、{∞}と書く)とすることができる。軌道群はすべて境界に横断的であるため、この無限遠点には無限個の軌道が出入りすることになり、無限遠点は退化特異点(degenerate singular point)となる。その一方で、それ以外の球面上の点x∈S\{∞}(すなわちΩ上の点)では、非退化(regular non-degenerate)な流れと仮定することは自然である。従って、心室内血流画像データの軌道群のトポロジー分類で取り扱う流れは、無限遠点に退化特異点を一つ有する球面S上の流れに帰着する。上記で説明した曲面上の軌道群のトポロジーの分類とその離散組み合わせ構造への変換理論では、このような退化特異点の存在は許していなかった。従って、変形する境界における心室内血流が作る軌道群のトポロジー分類においては,この退化特異点の流れの数学的扱いが重要な役割を果たす。
【0065】
[0次元特異点構造における新たな定義]
本明細書では、関心領域Ω内においては、特異点はすべて非退化(non-degenerate)であると仮定する。このとき、Ωの内点に存在し得る非退化特異点は以下の4種類である。
・Center(渦心点)
・saddle(サドル点)
・source(湧き出し点)
・sink(吸い込み点)
ただし、本明細書では関心領域Ω内部に物理境界は存在しないと仮定するので、∂-saddle(境界サドル点)、∂-source(境界湧き出し点)、∂-sink(境界吸い込み点)等の境界にある非退化特異点は現れない。
【0066】
本明細書では、その仮定から心室内血流画像データにおける∂Ωに横断的に交わる軌道群を扱うため、無限遠点に退化した特異点をうまく導入して、その位相的な分類を行う必要がある。また、境界から出て改めて境界に戻ってくるような無限個の軌道群の存在を認めなければならない。従って境界上の点の同一視により、これらの軌道群は、無限遠点の近傍では吸い込みと湧き出しの流れが1点に潰れたような退化した構造になっている必要がある。一般にこのようなsource/sinkのペアが1点につぶれる構造は一意ではないが、Ω内部の非退化特異点の構造と、心内血流流線可視化画像データから得られる軌道群の境界での横断条件とを踏まえて以下のように定義する。
【0067】
(定義3)n-bundled ss-saddle:
球面上の点x∈Sの開近傍U内にn(≧1)個のsaddleをおき、これらの4n本のseparatarixがUの境界に横断的に交差すると仮定する。このとき、Uは3n+1個のdisjointな領域に分割される。これらの分割領域のうち、その境界がただ1つのsaddle点を含むものには内部に1つcenterをおく。このcenterとsaddleとを1点xに潰してできる退化特異点を「n-bundled source-sink-saddle」(あるいは、n-bundled ss-saddle)と呼ぶ。
【0068】
図12に、n-bundled ss-saddleの作り方を示す。条件を満たすn個のsaddleが点xの近傍Uに存在するとき、centerを置く領域は2n+2個ある。そして、これらのすべてのsaddleとcenterとを1点xに束ねる(bundled)ことで、この退化特異点を構成する。この作り方から、この退化特異点の指数は、2n+2+(-n)=n+2である。また、n-bundled ss-saddle xには4n本のseparatrixが存在している。いま、関心領域Ωの中にn個の非退化なsaddleが存在しているとし、この4n本のseparatrixがすべて∂Ωと横断的に交わっているとする。このとき、∂Ωを同値関係によって1点に潰したときに得られる球面S上の無限遠にある退化特異点として、このn-bundled ss-saddleをおけば、境界のない球面全体でn+2+(-n)=2となり、Poincare-Hopfの定理を満足し、さらにsaddleとn-bundled ss-saddleの4n本のseparatrixを一意的に大域接続できる。n=1のときは、図12(c)に示す構造になる。n=2のときは、図12(d)に示す構造になり、局所的には8つの分割領域のうち6つの領域内にはsource-sinkペアの軌道群が、残り2つの領域には湧き出しと吸い込みの軌道群が含まれている。
【0069】
一方で、もしΩ内部にそのseparatrixがすべて境界と横断的に交わるようなsaddle点がないとき、軌道群が境界と横断的に交わるためには、Ω内部の流れは、それぞれ湧き出し点(吸い込み点)構造をもつ流れになっているか、Ω内を横断的にすべての軌道群が一様に貫く流れになっているかのいずれかである必要がある。このような場合、前者については、無限遠点には非退化特異点であるそれぞれ吸い込み点(湧き出し点)をおけば、球面S全体で流れは非退化となる。一方後者については、図12(b)に示すような、無限遠点にsourceとsinkを一つに潰した退化特異点(1-source-sink point)をおけばよい。なお、この退化特異点は定義3でn=0とおいたときに構成される特異点に相当するので、0-bundled ss-saddleと見なすこともできる。従って、ここでは無限遠点におけるn-bundled ss-saddleをn≧0で考えればよい。
【0070】
最後に、n-bundled ss-saddleを軌道として特異点と定義するためには、境界を同一視することによって、境界に横断的に交わる軌道をt→±∞で平面の無限遠点到達するように「延長」しなければならない。実際の心室内血流画像データでは、軌道は有限時間でその境界に到達するが、境界を1点に潰して球面の北極における特異点と見なすことは、平面全体でみたときに軌道を無限遠点に伸ばすことに対応している。こうすることで、n-bundled ss-saddleは特異点と見なし、ここへ繋がる無限個の軌道は無限時間で到達するようにできる。その結果、この特異点に入ってくる軌道はここから再び出ることはないので、特異点としてはsource/sink構造の退化特異点となっていることに注意する。
【0071】
[新たな1次元構造]
(定義4)曲面S上の流れvで定義されたx∈Sを通るproperな軌道に対して、ω極限集合(ω-limit set)ω(x)およびα極限集合(α-limit set)α(x)を以下で定義する。
【数3】
【数4】
Saddle separatrix(サドルセパラトリクス構造)とは、そのα極限集合またはω極限集合がsaddle(サドル)である軌道をいう。Saddle separatrixが同じsaddleをつなぐとき、これをself-connected saddle separatixと呼ぶ。
【0072】
異なる非退化saddle点をつなぐsaddle separatrixをheteroclinic saddle separatrixと呼ぶ。これらのsaddle separatrixはP(v)の元である。なお、ハミルトンベクトル場に構造安定性の仮定をしたときに表れるsaddle separatrixはself-connectedなもののみであることが証明されている。saddle connection diagramとは、これらのsaddleとsaddle separatrix全体がなす集合である。なお,特許文献1や特許文献2では流れ領域に境界が存在するために同様の概念を、境界サドル(∂-saddle)を含むように定義しているが、本明細書では内部境界はないとするので、こうした境界サドルをつなぐseparatrixは考える必要がないことに注意する。
【0073】
次に、圧縮性のある流れ構造に付随するsaddle separatrixを定義する。ss-componentとは、(1)source、(2)sink、(3)non-trivial limit circuitおよび(4)n-bundled ss-saddleのいずれかを指すものとする。saddleとss-componentとをつなぐseparatrixをss-separatrixと呼ぶ。図13に、ss-componentとそれらを結ぶss-separatrixの例を示す。図13(a)は、Ω内に存在するss-componentsとss-separatrixの例を表す。図13(b)に示すようなΩ内にある非退化saddleから退化特異点n-bundled ss-saddleに繋がるseparatrixもss-separatrixである。Saddle、saddle separatrix、ss-component、ss-separatrixを集めた集合をss-saddle connection diagramと呼ぶことにし、以下、曲面S上の流れvが生成するss-saddle connection diagramをDss(v)と書く。なお、ここで扱われるss-saddle connection diagramは、先行研究で扱われたものから境界サドル点を取り除いて、新たにn-bundled ss-saddleを追加したものである。
【0074】
本明細書の対象は、球面の北極(無限遠点)にn-bundled ss-saddleを持つ境界無し球面Sの流れvの軌道群の分類である。退化無限遠点を持たない(境界を持つ)球面Sにおける軌道群の文字化およびツリー表現による位相的分類理論は先行研究で与えられているが、ここではそれを拡張して以下のような流れを考える。
【0075】
(定義5)境界を持たない球面S上の流れvが以下の4つの条件を満たすときn-bundled ss-saddleを持つ有限型の流れ(flow of finite type with an n-bundled ss-saddle)であるという。
(1)vによって生成される軌道はすべてproperである。
(2)すべてのsingular orbitはn-bundled ss-saddleを除き非退化(non degenerate)である。
(3)limit cycleの数は有限個である。
(4)すべてのsaddle separatrixは、self-connectedかn-bundled ss-saddleに連結している。
【0076】
(1)の条件は既に仮定したものである。(2)の条件を課すと、singular orbitの数は有限で孤立していることが分かる。(3)の条件は、limit cycleのような構造が無限に集積しないという仮定である。(4)の条件と流れ領域に境界がないことを踏まえれば、saddleをつなぐseparatrixによって構成されるnon-trivial limit circuitは図14に示す3つのパターンしかないことも結論できる。心室内血流画像データの軌道群においては、関心領域Ωの内部では退化特異点は存在せず、また無限に集積するようなlimit cycle、heteroclinic軌道を持つ構造はgenericには観察されないため、分類理論やこの理論に基づく心室内軌道群データへの適用を強く制限するものではない。
【0077】
退化した特異点を持たない球面上のflow of finite typeの分類理論としてPoincare-Bendixonの定理を一般化したものを、n-bundled ss-saddleを持つ境界を持たないS上への流れに拡張すると、以下のような極限集合に関する結果を得る。
【0078】
(補題)vを境界を持たない球面S上のn-bundled ss-saddleを持つflow of finite typeとする。このとき、vのproperなnon-closed orbitsのω-limit set(α-limit set)は以下で構成される。
(1)saddle;
(2)sink;
(3)source;
(4)attracting(repelling) limit cycle;
(5)attracting (repelling) non-trivial limit circuit;
(6)center;
(7)n-bundled ss-saddle
【0079】
この補題によれば、n-bundled ss-saddleを持つflow of finite typeの軌道群は以下の3つのカテゴリに分類できることが分かる。
(i)limit setとそれらをつなぐnon-closed proper orbits;
(ii)centerまたはcircuitとその周りのperiodic orbits;
(iii)intP(v)に入っているnon-closed orbits
【0080】
次に、これに基づいて軌道群の分類を行う。n-bundled ss-saddleを持つflow of finite type vのss-saddle connection diagram Dss(v)を構成する1次元以下の構造の集合border orbits(境界軌道)を以下で特徴付ける。
【0081】
(定義6)n-bundled ss-saddleを持つ曲面S上のflow of finite type:vのborder orbitの集合Bd(v)は以下で与える.
Bd(v):=Sing(v)∪∂Per(v)∪∂P(v)∪P sep(v)
ただし、各集合は以下で与えられる軌道集合である。
・P sep(v):P(v)の内点集合にあるsaddle separatrixとss-separatrixとからなる軌道集合;
・∂P(v):non-closed orbit集合の境界となる軌道の集合:
・∂Per(v):periodic orbit集合の境界となる軌道の集合
【0082】
ここで与えたBd(v)の各集合のうち、∂P(v)と∂Per(v)は先行研究で与えられたもので、limit cycleやnon-trivial limit circuitを指す。一方、先行研究で与えられていたborder orbit:Bd(v)における、Sの境界∂Sに沿って回るperiodic orbitの集合∂Per(v)は、本明細書では内部境界の存在を考えないので除外されている。また、P sep(v)はsaddle separatrixやss-separatrixからなる集合で、先行研究のPsep(v)に加えて、n-bundled ss-saddleと繋がるseparatrixが追加されていることに注意する。Bd(v)によって分割される開領域を埋め尽くす軌道群は、この図3に示された3種類しかないという主張が以下の定理1である。この結果は、退化特異点であるn-bundled ss-saddleが存在していても先行研究の結果と全く同じものである。
【0083】
(定理1)n-bundled ss-saddleを持つ球面S⊆S上の任意のflow of finite type vに対して、境界集合の補集合(Bd(v))に入っている領域の軌道は以下の3種類のいずれかである。
・開矩形領域でP(v)のnon-closed orbitで埋め尽くされたもの。その軌道空間は開区間。図3(a)ss-separatrixの近傍領域の流れ。
・開円環領域でP(v)のnon-closed orbitで埋め尽くされたもの。その軌道空間は円周。図3(b)source(sink) disk/limit annulusの近傍領域の流れ。
・開円環領域でP(v)のperiodic orbitで埋め尽くされたもの。その軌道空間は開区間。図3(c)center disk/periodic annulusの近傍領域の流れ。
【0084】
[新たな基本構造]
(基本構造:sφn
図15(b)(c)(d)に、ここで新たに導入する基本構造sφnを示す。無限遠点{∞}にn-bundled ss-saddle(n≧0)が存在しているとき、その作り方から、無限遠点近傍を除く球面内におけるflow of finite typeの流れの中にはn個のsaddleが存在している。この基本流れはこれらのsaddleに付随した4n個のseparatrixとn-bundled ss-saddleのseparatrixと繋がっているようなものとなる。このとき各separatrixはss-saddle separatrixになっていることに注意する。なお図15(a)は、図5に示した基本構造の再掲である。
【0085】
n=0のとき、ss-saddle separatrixは存在しないので、S\{∞}にsaddleが存在する必要はない。このとき、図12(b)に示した無限遠点の0-bundled ss-saddleの作る流れは、S\{∞}およびROI領域Ωにおける流れの構造は図15(b)のような流れになっている。各軌道は後で議論するように無限遠点に繋がるclass-aの軌道構造と無限遠点{∞}に縮退するclass-∞~±の軌道構造が入り得る。この状況を詳しく説明するために、図15(b)のように、流れをΩ上に展開して考えてみる。関心領域Ωの片側境界∂Ωから出て、反対側の境界に至る一様流の流れが存在する。この起点と終点にはclass-∞~±の縮退した構造が存在し得るが、その間にclass-aの構造を任意s個(s≧0)つけることもできる。従って、これらの構造を表現するには、∂Ωでの起点と終点のsource/sink構造と、その間をつなぐclass-aの軌道とを一括して表現する必要がある。例えば,この図に示す構造の一番上の軌道については[□ ∞~+,□ ,□ ∞~-]と表現して、縮退している構造を1つの「セット」と表現する。一般には1本の軌道構造に対して、三つ組み
a∞~±:=[□∞~+,□as,□∞~-
で表現する。
asには、□~+と□~-との間をつなぐs個(s≧0)のclass-aの軌道構造□を表しており、以下のように並べられる。
as:=□ ・...・□ (s>0),□as=λ(s=0)
ここで、この三つ組みには□∞~±に入る構造がない、つまり無限遠点で縮退する構造がない場合は複合同順で∞~±の記号を、class-aがないときはλの記号をつける。
この三つ組み構造が、さらにs個並んでいることを以下のように表現する。
a∞~±s:=□ a∞~±・...・□ a∞~±(s>0),□a∞~±s=λ(s=0)
こうして作ったΩ内部の軌道構造に対して0-bundled ss-saddleから順に(図中は上から下へ)読んで並べることで、この基本構造のCOT表現をsφ0(□a∞~±s)のように与えることができる。
【0086】
n=1のとき、1-bundled ss-saddleは、図15(c)にあるように無限遠点{∞}から出ているseparatrixはS\{∞}にあるsaddleのseparatrixと連結している。関心領域ではΩ内部にあるsaddleから伸びる4本のss-saddle separatrixが∂Ωに横断的に交わる状況となっている。各separatrixについて球面の{∞}あるいは関心領域における∂Ωにclass-∞~±の軌道構造を縮退させられることに注意する。また、このseparatrixによって球面S(あるいはΩ)は3n+1=4領域に分割されて、それぞれの分割領域の中には1-bundled ss-saddleから出て戻るような吸い込み湧き出し対に対応する軌道構造が存在している。この分割領域の各軌道に対しては軌道構造□a∞~±を考えることができる。
【0087】
n=0の場合と違って、この軌道にはsaddleにつながるss-saddle separatrixという位相幾何学的に特別な軌道が存在するため、COT表現の中でこれらの軌道構造を使って並べる順序を以下のように決定できる。いま、saddleと繋がっているss-saddle separatrixを任意に1つ選ぶ。このseparatrixが∂Ωと交わる点に縮退した構造□∞~±と、その反時計周り方向にある分割領域にある軌道構造□a∞~±の並べ方を考える。ここでは説明のため、選んだseparatrix構造が湧き出しの場合、つまりこのseparatrixと関心領域の境界∂Ωが交わるところに□∞~+に縮退した構造をもつ場合を考える。このとき、この分割領域のもう一方の境界となる(選んだseparatrixの反時計回り側にある別の)separatrixがもう1つ存在し、それが境界∂Ωに交わる点で縮退した構造□∞~-が存在し得ることに注意する。この分割領域に存在する位相構造を持つ軌道群を□ a∞~±sと書くことにして、そこに属する軌道群は2つのsaddleと無限遠点を結ぶseparatrixの軌道から遠い順に並べる。つまり、saddleに近い点から関心領域の境界∂Ωに近づく方向に向けて並べる。この操作を順次残りのseparatrixとその分割領域の内部にある位相構造をもつ軌道群(これらを□ a∞~±s,k=2,3,4と書く)に対して行い、それらを反時計回りに並べれば以下のCOT表現を得る。
φ1{□ a∞~±s,□ a∞~±s,□ a∞~±s,□ a∞~±s
なおこの基本構造sφ1に限り、最初のsepartarixの選び方にcyclicな自由度があるため、COT表現では{}で囲む。
【0088】
n≧2のときは、n-bundled ss-saddleとsaddleをつなぐseparatrixによって球面Sは3n+1個に分割され、いずれの領域でも2次元領域は図15(a)と同じとなり、各分割領域では□a∞~±sで表現される軌道構造が入ることは変わりないが、そのうち2n+2個の領域では内部で吸い込み湧き出し対に繋がる軌道構造になっているのに対して、残りのn-1個の領域では、軌道は湧き出し点から出て球面を一周まわって反対側の吸い込み点に入る軌道構造になっている。また、4n本のn-bundled ss-saddleとn個のsaddleをつなぐseparatrixは無限遠点に縮退するclass-∞~±の軌道を埋め込むことができる。
【0089】
これらの軌道構造の位置関係をあいまいさなく表現するCOT表現の与え方(図15(d))を、関心領域Ωを用いて説明する。まず、各saddleに付随したseparatrixと、それによって分割される領域を考え、そのsaddleのうち一番端(図では左端)にあるものから、構造に番号をつけていく。すなわち、一番左端のseparatrixに図15(d)のように1~4の番号を反時計回りにつけ、それらによって囲まれる3つの領域にも順に1~4の反時計回りに番号をつける。次に、その右隣のsaddleの4本のseparatrixの左下のものから順に反時計回り5~8の番号をつけて、それらが囲む3領域に順に5~7の番号をつける。以下、帰納的にk≧2に対して、右側にあるsaddleのseparatrixに対して左下から反時計回りに4k+1~4k+4の番号を反時計回りにつけて、それらが囲む3つの領域に3k-1~3k+1の番号をつけていく。この操作をn番目のsaddleまでseparatrixとその分割する領域までに番号をつけて,その番号順に軌道構造を並べていく。こうして分割された3n+1個の領域には任意のs≧0個の位相構造をもつ一様流の軌道群(□ a∞~±s,k=1,...,3n+1)が入りうる。各構造に対して境界∂Ωの連結成分に起点と終点を持つ2n+2個の領域内部では、sφ1と同様にsaddleから近い構造から境界に向かって三つ組み構造をならべ、∂Ωの非連結な成分にそれぞれ起点と終点を持つn-1個の領域では右側のsaddleから左側のsaddleへ向けて三つ組み構造を順次並べれば、この基本構造のCOT表現を以下で与えることができる。
φn(□ a∞~±s,□ a∞~±s,□ a∞~±s,□ a∞~±s,□ a∞~±s,□ a∞~±s,□ a∞~±s,...,□3n-1 a∞~±s,□3n a∞~±s,□3n+1 a∞~±s
【0090】
次に、n-bundled ss-saddleを持つ曲面S上のflow of finite type:vが定めるss-saddle connection diagram Dss(v)を構成するBd(v)の1次元構造の分類と、それに対応するCOT表現とを与える。前述の通り、Bd(v):=Sing(v)∪∂Per(v)∪∂P(v)∪P sep(v)と表現されているので、それぞれの集合に対応させてBd(v)を実現する0次元・1次元構造を導入する。ただし、各1次元構造はその周辺の軌道群情報によって、どの集合に入るのかが変わりうることに注意する。
【0091】
(0次元構造:∞~±
この点は球面の無限遠点{∞}にあるn-bundled ss-saddleに対応する退化特異点である。図16に、例として1-bundled ss-saddleと2-bundled ss-saddleを示すが、一般にn-bundled ss-saddleを表現する。実際にどのnに対応するかの情報は、この退化特異点の存在を1つしか認めないこと、および基本構造のCOT表現sφnの中で与えられることから、ここで記号として区別する必要はない。この構造はclass-∞~±に入っている。
【0092】
(1次元構造:a~±、q~±
~±、q~±は、前述の(S3)に対応する構造である。このときは、saddleに2つの同じsource/sink構造がついているので、slidable saddleになっている。このslidable saddleにつながっているss-componentの位置関係で構造を分類する。このとき、近傍の軌道はすべてnon-closed orbitで埋め尽くされた2次元領域(開矩形領域)なので、常にP sep(v)の元となる。
【0093】
まず、slidable saddleがつながれているss-componentの外側に存在する図11(a)のslidable saddleに対応する構造は、a~±である。この構造はsaddleに接続するsource/sink構造が2つある。もし2つともn-bundled ss-saddle{∞}に接続していれば、それは基本構造を構成するsaddleであるため、関心領域Ωの境界∂Ωに横断的に交わり、そこにCOT表現を割り当てる必要はない。片方だけがn-bundled ss-saddleに繋がっている場合は、a~±{□~±,∞~±}と表現すれば、これは無限遠点(あるいは∂Ω)に縮退する構造となる。従って、構造a~±はclass-~±とclass-∞~±の双方に属している。これらのsource/sink構造の順序は自由に選べるので、そのCOT表現は複合同順でa~±{□~±,□~±}となる。
【0094】
次に、slidable saddleがつながれているss-componentの内側に存在する図11(b)のslidable saddleに対応する構造は、q~±である。このCOT表現は複合同順でq~±(□~±)である。この構造はb~±の中にのみ含まれる構造なので、n-bundled ss-saddleとは接続しない。従って、class-a~±に属している。
【0095】
表2に、n-bundled ss-saddleを持つ(境界無し)球面S上のflow of finite type:vのCOT表現で使われる内部に入る構造集合をまとめる。また表3に、n-bundled ss-saddleを持つ(境界無し)球面S上のflow of finite type:vを構成する構造とそのCOT表現をまとめる。
【表2】
【表3】
【0096】
[木表現]
次に図17を参照して、本明細書で用いる「木表現」についての基本的な事項を説明する。図17は、一般的な木表現の一例を示す。図示されるように、木表現は頂点同士を線で結んだ構造を持つグラフである。木の頂点には大きく分けて、木の終端に位置するもの(○)と、そうでないもの(●)の2種類がある。前者(d、e、g、h、j)を終端頂点(「葉」または「leaf」)、後者(a、b、c、f、i)を非終端頂点と呼ぶ。最上部にある非終端頂点(a)を「ルート」と呼ぶ。線で直接結ばれている2つの頂点のうち、ルートに近い方(図では上の方)を「親」と呼び、葉に近い方を「子」と呼ぶ。ルートは、木表現の中で親を持たない唯一の頂点である。ルート以外の頂点は、必ず親を1個だけ持つ。例えば図17では、bはaの子でありcの親である、dはcの子である、といった具合である。
【0097】
本明細書で説明する語表現技術では、ルートは、対象とする流れパターンにおいて最も外側にある構造であり、具体的には、渦心点、吸い込み点、湧き出し点のいずれかを含む。葉は、ルートの内側にある構造である。後述するように本技術では、対象とする流れパターンが与えられたとき、最初に、ルートに相当する最外部構造が何であるかを決定する。次に、葉に相当する内部構造のうち最内部構造が何であるかを決定して文字を与えこの構造を抜く。次に、残った構造のうち最内部構造が何であるかを決定して文字を与えこの構造を抜く、といったステップを最外部構造のルートに到達するまで繰り返す。例えば、後述するように図26(a)に示される流れパターンが与えられたとき、COT表現
φ1{[∞~+,λ,a~-{σ~--,∞~-}],λ,λ,λ
が得られる。このとき、ルートはsφ1であり、葉は、内側から順にσ~--、∞~-、a~-、∞~+である。
【0098】
[第1実施の形態]
本発明の第1実施の形態は、2次元領域における流れパターンの流線構造を語表現する語表現装置である。図18に、第1実施の形態に係る語表現装置1の機能ブロック図を示す。語表現装置1は、記憶部10と、語表現生成部20と、を備える。語表現生成部20は、ルート決定手段21と、木表現構成手段22と、COT表現生成手段23と、を備える。
【0099】
記憶部10は、流れパターンを構成する複数の流線構造に関し、各流線構造とその文字(COT表現)との対応関係を記憶する。この対応関係は、例えば表1および表3にまとめられたものである。すなわち、表1は先行研究で与えられた流線構造とCOT表現との関係であり、表3は今回与えたn-bundled ss-saddleを持つ球面上の流線構造とCOT表現との関係である。
【0100】
ルート決定手段21は、与えられた流れパターンを木表現するためのルートを決定する。具体的には、当該流れパターンの最も外側の構造が、表1および表3に記載されたいずれに相当するかを判断する。このとき流れの回転の向きは、ルートとなる特異点または境界を中心と見たときの回転の向きとする。ある構造の「内部構造」とは、補集合の連結成分でルートを含まないもののことをいう。さらに、「最内部構造」とは、内部構造を持たない構造か、flow box(開区間の形をしている軌道からなる長方形)以外の内部構造を持たない構造のことをいう。
【0101】
流れパターンを構成する流線構造は、n-bundled ss-saddle退化特異点を含む曲面上の基本構造を含む。典型的にはこのような流れパターンは、心室内の血流のパターンである。
【0102】
木表現構成手段22は、与えられた流れパターンの流線構造を抜き出し、記憶部10に記憶された対応関係に基づいて当該抜き出した流線構造に文字を付与し、当該抜き出した流線構造を削除する処理を、流れパターンの最内部から順にルートに到達するまで繰り返して実行することにより、与えられた流れパターンの木表現を構成する。木表現の構成は、以下の原則に基づいて実行される。
1.与えられた流れパターンから、最内部から順に1つずつ流線構造を抜き出す。
2.流線構造を抜き出すとき、当該流線構造に対応する文字(COT表現)を木の頂点として付与する。そして当該流線構造を削除する。以下、「流れパターンから流線構造を抜き出し、当該流線構造に文字を付与し、当該流線構造を削除する」処理をまとめて「構造を抜く」と表記する。
3.構造を抜くとき、最内部の構造を抜き出すことから始めて、すべての構造がなくなるまで順次抜いていく。
3.1.最内部の構造は葉に対応する。
3.2.最後に抜く構造はルートに対応する。すなわち、与えられた流れパターンのルートに到達するまで構造を抜く処理を繰り返す。
3.3.ある構造を抜くときに、その構造を□に置き換え、□とその構造をリンクさせて対応させる(これにより、この□を含む上の構造を抜くときに、この構造を上の構造の「子」構造とすることができる)。
木表現構成手段22は、上記の処理を実行することにより、与えられた流れパターンに含まれるすべての流線構造に対応する文字を木表現して出力する。
【0103】
COT表現生成手段23は、木表現構成手段22により構成された木表現をCOT表現に変換する。具体的には、木表現を括弧を用いた表現に変換することにより、COT表現を構成する。ただし、円順序で並んだ要素を持つ場合は中括弧{}を用い、全順序で並んだ要素を持つ場合は丸括弧()を用いることで変換が実現される。後述で、COT表現の生成を実例を用いて説明する。例えば、図26(a)に示される流れパターンから、図26(b)に示される位相的データ構造が抽出される。図26(b)の位相的データ構造から最内部の流線構造を抜いたものが図26(c)に示される。以下、上述の手順に従って構造を抜く処理を繰り返すことにより、COT表現
φ1{[∞~+,λ,a~-{σ~--,∞~-}],λ,λ,λ
が得られる。
【0104】
以上述べたように、本実施の形態に係る語表現装置の一例は、流線構造がn-bundled ss-saddle退化特異点を含む曲面上の基本構造を含む流れパターンの流線構造を語表現する。従って本実施の形態に係る語表現装置は、移動する物理境界が発生させる流れを含む流れパターンの流線構造を語表現する。
【0105】
本実施の形態によれば、2次元領域における流れパターンが与えられたときに、当該流れパターンのCOT表現を得る、すなわち当該流れパターンを文字化することができる。
【0106】
なお以上で説明した実施の形態では、流線構造に対応する文字は、アルファベットやギリシャ文字に下付き添字を付したものを用いた。しかし流線構造に対応する文字はこれに限られず、任意の種類の文字であってよく、ピクトグラムのような絵文字であってもよい(以下同様)。
【0107】
[第2実施の形態]
図19に、第2実施の形態に係る語表現装置2の機能ブロック図を示す。語表現装置2は、図18の語表現装置1の構成に加えて、語表現生成部20の後段に表示部30を備える。その他の構成と動作は、語表現装置1と共通である。
【0108】
表示部30は、流れパターンから抽出された位相的データ構造を表示する。表示部30はさらに、位相的データ構造に加えてCOT表現生成手段23が生成したCOT表現を表示してもよい。表示部30はさらに、COT表現に対応した渦流領域を塗りつぶして表示してもよい。表示部30はさらに、流れの元画像から抽出した流線やその特異点を表示することにより、関心領域内の流れパターンそのものを示してもよい。さらに流れパターンが心室内血流の流れパターンである場合、表示部30はさらに、超音波VFM(vector flow mapping)画像や、血流速度ベクトルを表示してもよい。
【0109】
本実施の形態によれば、流れパターンの位相的データ構造を可視化することができる。
【0110】
[第3実施の形態]
本発明の第3実施の形態は、2次元領域における流れパターンの流線構造を語表現する語表現方法である。この方法は、記憶部と語表現生成部と、を備えたコンピュータによって実行される。図20に、第3実施の形態に係る語表現方法のフローを示す。本方法は、与えられた流れパターンのルートを決定するステップS1と、当該流れパターンの木表現を構成するステップS2と、当該流れパターンのCOT表現を生成するステップS3と、を備える。流れパターンを構成する流線構造は、n-bundled ss-saddle退化特異点を含む曲面上の基本構造を含む。
【0111】
ステップS1で本方法は、与えられた流れパターンのルートを決定する。ルート決定の具体的な処理は、第1実施の形態で説明したものと共通であるので、詳細な説明は省略する。
【0112】
ステップS2で本方法は、与えられた流れパターンの木表現を構成する。
【0113】
ステップS3で本方法は、ステップS2で構成された木表現をCOT表現に変換する。
【0114】
本実施の形態によれば、2次元領域における流れパターンが与えられたときに、当該流れパターンのCOT表現を得る、すなわち当該流れパターンを文字化することができる。
【0115】
[第4実施の形態]
本発明の第4実施の形態は、記憶部と語表現生成部と、を備えたコンピュータに処理を実行させるプログラムである。このプログラムは、図20に示されるフローをコンピュータに実行させる。すなわち本プログラムは、与えられた流れパターンのルートを決定するステップS1と、当該流れパターンの木表現を構成するステップS2と、当該流れパターンのCOT表現を生成するステップS3と、をコンピュータに実行させる。流れパターンを構成する流線構造は、n-bundled ss-saddle退化特異点を含む曲面上の基本構造を含む。
【0116】
本実施の形態によれば、2次元領域における流れパターンが与えられたときに、当該流れパターンのCOT表現を得る、すなわち当該流れパターンを文字化するプログラムをソフトウェアに実装できるので、コンピュータを用いて精度の高い語表現を実現することができる。
【0117】
[構造抽出アルゴリズムの実例]
以下、心室内血流の実例に基づき、当該血流の流れパターンに対して語表現を与える手順を具体的に説明する。先ず以下のアルゴリズムを実行する前に、流れパターンの最も外側の構造であるルートを決定しておく。心室内血流画像の軌道群データの分類による文字生成・ツリー構造などの離散組み合わせ構造の抽出アルゴリズムは大きく分けて、以下の3工程((N1)~(N3))からなる。これらの工程を経て、心室内血流画像の軌道群データの位相構造に対して一対一に対応するリンク表現とCOT表現を与えることができる。これらの工程は、図18および19の語表現装置1および2では、語表現生成部20で実行される。
(N1)心室内血流画像の軌道群データに位相的前処理を施してss-saddle connection diagramを構成する工程。
(N2)心室内血流画像の軌道群データの軌道構造からリンク構造を抽出する工程。
(N3)心室内血流画像の軌道群データの軌道構造からCOT表現とそれに付随するツリー表現を構成する工程。
以下、各工程のアルゴリズムを説明する。
【0118】
(N1)ss-saddle connection diagramの抽出アルゴリズム
図21は工程N1の処理を示すフロー図である。関心領域内における心室内血流画像の軌道群データに対して、ss-saddle connection diagramを構成する。このとき、必要に応じて位相的前処理を施すことによって、saddleをPoincare-Hopfの指数定理に矛盾しないように必要最小限の個数付け加えることは許すこととする。位相的前処理が不可能なパターンに対しては以後の解析は行えないので、エラーを返す。これは例えば以下のようなステップ(S10)~(S30)によって達成できる。
(S10)関心領域内の心室内血流画像に位相的前処理が必要かどうか確認する。位相的前処理が不要であれば(S20)へ進む。
位相的前処理が必要であれば(S30)に進む。
(S20)ss-saddle connection diagramを抽出して、本工程は正常終了する。
リンク構造の抽出工程(N2)へ進む。
(S30)画像で位相的前処理が可能なら、位相的前処理(S35)を行って(S20)へ進む。画像で位相的前処理が不可能なら、エラー終了する。
【0119】
(N2)リンク構造抽出アルゴリズム
図22は工程N2の処理を示すフロー図である。(N1)によって構成されたss-saddle connection diagramから、saddleとつながっているss-separatrixがどのようなss-componentにつながっているかをグラフ構造として抜き出す工程である。実際、頂点は「ss-componentとつながるsaddle」と「saddleとつながるss-component」であり、辺はsaddleとつながっているss-separatrixである。このグラフは、頂点と辺の数が有限であるような平面グラフとなっている。そのため、このグラフを抽出する。例えば、このグラフを抽出する方法として、以下のようなものがある。
(S40)ss-componentとつながるsaddleを抽出する。
(S50)saddleとつながるss-componentを抽出する。
(S60)saddleとつながっているss-separatrixを抽出する。
(S70)これらの情報から得られる抽象グラフを、平面上の配置に対応するように頂点と辺を配置して、平面グラフを構成する。
【0120】
なお図24(a)(b)に示すように、同じCOT表現を持つが、異なる軌道トポロジーを持つ場合も存在する。この場合、separatrixの接続関係をリンク構造として保持しておけば、COT表現からss-saddle connectiond diagramを再構成するときに、これを参照しながら接続関係を定義すれば正しい復元が可能となる。
【0121】
(N3)ツリー表現とCOT表現の生成アルゴリズム
図23は工程N3の処理を示すフロー図である。(a)はその前半であり、(b)はその後半である。先行研究にもあるように、心室内血流画像の軌道群の位相構造に対してCOT表現およびそれに付随するツリー構造を付与するアルゴリズムは以下のようにまとめられる。
(S80)最内部にある0次元構造を抽出して、それに付随するCOT表現を割り当てる。点構造が、湧き出し点(source)で反時計回り回転のときσ~++、時計回り回転のときσ~+-、回転なしのときσ~+0、点構造が吸い込み点(sink)で反時計回り回転のときσ~-+、時計回り回転のときσ~--、回転なしのときσ~-0、反時計回りの周期軌道を伴う渦心点(center)のときσ、時計回りの周期軌道を周囲に伴う渦心点(center)のときσのCOT表現(文字)を割り当てる。COT表現を割り当てたら、その構造を軌道構造から取り除いて□なるラベルに置き換える。
(S85)(S80)での処理の結果、すべての点構造がなくなったか否かを判断する。すべての点構造がなくなった場合は(S90)に進む。点構造が残っている場合は(S80)に戻る。
(S90)最内部にあるp±、p~±、b±±、b±干、b±、b~±、a~±、q~±、a±、q±の構造をすべて抜き出す。もしこれらの構造が見つかれば、この構造をΩから取り除いて、内部に構造が存在しないことを表す□に置き換える。この際に抜いた構造には、かつて取り除いて□に置き換えた内部軌道構造が存在しているので、その内部軌道構造を自分自身の「子ノード」として、また自分自身をその内部軌道構造を「親ノード」にするようにエッジを生成する。
(S95)(S90)での処理の結果、すべての最内部構造がなくなったか否かを判断する。すべての最内部構造がなくなった場合は(S100)に進む。最内部構造が残っている場合は(S90)に戻る。
(S100)(S90)の結果、Ω内部からすべての軌道構造が除かれる。このときΩ内部にn-bundled ss-saddleに繋がるsaddleが存在しない場合、その基本構造が湧き出し/吸い込み点をただ1つ持つなら(S110)へ、関心領域の境界を横断的に横切る一様流からなる場合は(S120)へ進む。もしΩ内部にsaddleが存在する場合は、(S130)へ進む。
(S105)以下の(条件1)(条件2)のいずれを満たすかを判断する。
(条件1)基本構造が湧き出し/吸い込み点をただ1つ持つ
(条件2)基本構造が関心領域の境界を横断的に横切る一様流からなる
(条件1)を満たす場合は(S120)に進む。(条件2)を満たす場合は(S110)に進む。なお、条件1、条件2のいずれかは必ず満たされる点に注意する。
(S110)基本構造は退化した特異点を持たない球面上の流れとなる。このときΩ内部構造に応じて基本構造を決定する。時計回り湧き出し構造のときσφ~-+、反時計回り湧き出し構造のときσφ~--、回転なし湧き出し構造のときσφ~-0、時計回り吸い込み構造のときσφ~++、反時計回り吸い込み構造のときσφ~+-、回転なし吸い込み構造のときσφ~+0。この構造が最初に決定したルートであるので、(S80)、(S90)で抽出した構造を子ノードとするツリー表現が得られ、アルゴリズムは終了する。
(S120)基本構造は無限遠点に0-bundled ss-saddleを持つ球面上の流れになる。このうち(S20)でΩの境界に退化するclass-∞~±構造を持つものやclass-aの構造をもつ軌道がs個(s≧0)存在すれば、それらを三つ組みのCOT表現□a∞~±sに並べ、なくなるまでその構造を取り尽くす。基本構造sφ0をルートとし、その子ノードとして三つ組みの構造を繋げ、さらに(S80)、(S90)で抽出したツリー構造を繋げることで対応するツリー表現が得られる。これにより、アルゴリズムは終了する。
(S130)基本構造は、無限遠点にn-bundled ss-saddleを持つ球面の流れになる。関心領域Ωの内部に存在するsaddleの数nをカウントする。次に、class-∞~±やclass-aの構造からなる三つ組み□a∞~±を持つ一様流を取り尽くす。基本構造sφnをルートとして、その子ノードとして三つ組みの構造を繋げ、さらに(S80)、(S90)で抽出したツリー構造を繋げることで対応するツリー表現を得る。これにより、アルゴリズムは終了する。
【0122】
[文字列アルゴリズムと適用例]
以上説明した分類理論とCOT表現の割り当てに基づいて、与えられた心室内血流画像データの軌道群の位相構造に対してCOT表現と、それに付随するツリー構造を割り当てるアルゴリズムとを構成する。理論はn-bundled ss-saddleをもつ球面の上のflow of finit typeの分類理論として与えられているが、現実にCOT表現を割り当てる時は有界な関心領域Ωの画像に対して、このアルゴリズムを適用する方が便利である。基本的な方針としては、まず与えられた心室内血流画像の軌道群データから関心領域Ωにおけるss-saddle connection diagramを構成する。次にそこから「最内部構造」と呼ばれる小さな構造から文字列を割り当てて、それを含むより大きな構造を帰納的に抽出していく。先行研究と比べると、抽出する構造は境界がないと仮定している分、考慮すべき構造の種類は少ないが、基本的な方針は全く同じである。一方、この方法を適用した結果、関心領域の境界∂Ωに横断的に交わる軌道構造は抽出されずに残ることに注意する。そこで、次にこれらの軌道構造を抜き出してCOT表現を割り当てる。最終的にはルートに到達するので、これで文字列化およびツリー構造などの離散組み合わせ構造の抽出が終了する。
【0123】
ここで図25を用いて、心室内血流画像データに対する位相的前処理(topological preconditioning)を説明する。例えば図25(a)のような超音波VFMでの左室内血流画像データ(流れパターン)を考える。この流れからss-saddle connection diagramを構成することを考える。まず、関心領域の左側に時計回りの吸い込み流れ構造があり、上部にはサドル領域が見いだされる。他には特徴的な構造は存在しない。この情報だけからss-saddle separatrixを抽出しようとすると、図25(b)のような特徴的軌道構造が位相的データ構造として得られる。しかし、図中点線で書かれた一様流の向きと、湧き出し構造が作る流れの構造の向きとが正反対になっているため、この流れ場は位相的に矛盾する。このような状況を解消するために、関心領域の外部に何らかの構造を仮定して位相的に整合させる必要があるが、そのような方法には任意性がある。そこで補正をする場合のこの恣意性を取り除くために「saddleを1点加えて、そのss-saddle separatrixを整合的につなぐ操作」のみを許すものとする。このケースではslidable saddleを1つ追加して、湧き出し構造からsaddleへ伸びるss-separatrixとsaddleから境界へ横断的に交差するss-saddle separatrixを3本追加することで、図25(c)のような点線の一様流の向きと矛盾しない流れ構造が構成できる。実際、図25(a)の下部には、saddleのような流れの構造が見いだされる。
【0124】
このような外部にサドル点を追加することで位相的な矛盾を解消する操作を、心室内血流画像データに対する位相的前処理(topological preconditioning)と呼ぶ。この前処理を行うかどうかの判断は、先の例では点線で示されたような流れ場によって囲まれる領域内部に注目して行えばよい。
【0125】
[ss-saddle connection diagramからCOT表現への変換]
まず位相的前処理が行われて構成されるss-saddle connection diagramから「最内部構造」を抽出する。ここで、最内部構造とはその内部に構造を持たないような流れ構造を指す。本心室内血流画像の軌道群データでは、関心領域内部には物理境界が存在しないと仮定しているので、最内部の構造として存在しうるのは0次元の特異点構造、すなわち渦心点(center)か吸い込み(sink)/湧き出し(source)のいずれかである。これに基づいて以下のようにアルゴリズムを構成する。
【0126】
(ステップ1)関心領域Ω内のss-saddle connection diagramから最内部にある0次元特異点構造を探す。その点構造が湧き出し点(source)で反時計回り回転のときσ~++、時計回り回転のときσ~+-、回転なしのときσ~+0、点構造が吸い込み点(sink)で反時計回り回転のときσ~-+、時計回り回転のときσ~--、回転なしのときσ~-0、反時計回りの周期軌道を伴う渦心点(center)であればσ、時計回りの周期軌道を周囲に伴う渦心点(center)であればσのCOT表現を割り当てる。COT表現を割り当てたら、その構造を軌道構造からとりのぞいて□なるラベルに置き換える。このようにラベルを置き換えることによって、内部に構造を「もたない」ことを表現することにし、その抜き出した構造を内部に含む上位の構造を最内部の構造へと変換することができる。この操作をすべての0次元構造がなくなるまで続ける。
【0127】
(ステップ2)次に関心領域Ω内のss-saddle connection diagramから最内部(つまり内部に構造をもたず□とラベル付けされている)1次元構造と2次元構造を探す。これらはCOT表現で、p±、p~±、b±±、b±干、b±、b~±、a~±、q~±、a±、q±で与えられる構造のいずれかである。もしこれらの構造が見つかれば、この構造をΩから取り除いて、内部に構造が存在しないことを表す□に置き換える。この際に抜いた構造には、かつて取り除いて□に置き換えた内部軌道構造が存在しているので、その内部軌道構造を自分自身の「子ノード」としてまた自分自身をその内部軌道構造を「親ノード」にするようにエッジを生成する。この操作をすべての最内部の構造がなくなるまで帰納的に続ける。
【0128】
(ステップ3)(ステップ2)の結果Ω内部からすべての軌道構造が除かれるが、もしΩ内部にn-bundledss-saddleに繋がるsaddleが存在しない場合、その基本構造は湧き出し/吸い込み点をただ1つ持つσφ~±±か、関心領域の境界を横断的に横切る一様流からなる基本領域sφ0となる。前者の場合は(ステップ4)へ、後者の場合は(ステップ5)へ進む。Ω内部にsaddleが存在する場合は、n-bundled ss-saddle(n≧1)を持つ基本構造となるのでステップ6へ進む。
【0129】
(ステップ4)基本構造は退化した特異点を持たない球面上の流れとなる。このときΩ内部に湧き出し構造があるとき、無限遠点では吸い込みになっている。また回転方向は内部の構造の回転方向と反対になるとして、そのCOT表現は、σφ~--(□bφ~+)(内部構造が反時計回り軌道)、σφ~-+(□bφ~+)(内部構造が時計回り軌道)、σφ~-0(□bφ~+)(内部構造が回転なし軌道)となる。逆にΩ内部が吸い込み構造になっているときは、無限遠点では湧き出しになっている。回転方向も同様に定めて、そのCOT表現は、σφ~+-(□bφ~-)(内部構造が反時計回り軌道)、σφ~++(□bφ~-)(内部構造が時計回り軌道)、σφ~+0(□bφ~-)(内部構造が回転なし軌道)となる。ただし、□bφ~±には(ステップ2)で抽出したすべての構造のCOT表現が入り、この構造をルートとし、(ステップ2)で抽出した構造を子ノードとするツリー表現が得られ、アルゴリズムは終了する。
【0130】
(ステップ5)基本構造は無限遠点に0-bundled ss-saddleを持つ球面上の流れになる。Ω内部は境界∂Ωを横断的に横切る一様流の構造になっている。この中でステップ2で境界に退化するclass-∞~±構造を持つものや、class-aの構造をもつ軌道がs個(s≧0)存在すれば、それらを三つ組みのCOT表現□a∞~±sに並べて、上から順にsφ0の下に図15(b)のように並べればCOT表現を得る。また、この構造をルートとし、その子ノードとして三つ組みの構造を繋げることで対応するツリー表現が得られ、アルゴリズムは終了する。
【0131】
(ステップ6)基本構造は無限遠点にn-bundled ss-saddleを持つ球面の流れになる。nはΩの中に存在するsaddleの数である。このとき、これらn個のsaddleと∂Ωに横断的に交わる4n個のsaddleのseparatrixによって分割される3n+1個の領域ができ、この中にそれぞれclass-∞~±やclass-aの構造からなる三つ組み□a∞~±を持つ一様流が存在するので、これをルール通りに図15(c)(d)のように並べていけばCOT表現を得る。また、この構造をルートとし、その子構造としてこれらの三つ組みを繋げることで、対応するツリー表現も得られ、アルゴリズムは終了する。
【0132】
以上のアルゴリズムを用いて、与えられた流れ構造にCOT表現と付随するツリー構造は、流れと一対一には対応せず、多対一対応である。これは先行研究で議論されたのと同じ理由である。これを一対一対応にするためには、COT表現に加えて、流れのss-saddle connectionやsaddle connectionの接続状況を表すリンク構造を与えればよい。証明はCOT表現の与え方およびリンク構造の与え方から先行研究と全く同じであるが、結果として以下の定理が成立する。
【0133】
(定理2)退化特異点n-bundled ss-saddleを持つ球面上のflow of finite typeの流れは、そこから構成されるCOT表現とリンク構造と一対一に対応する。
【0134】
このCOT表現の与え方を図26の例を用いて説明する。図26(a)は、超音波VFMで可視化した心内血流の軌道群データである。これは左室収縮期に心尖部近傍の両側の乳頭筋が収縮をはじめ、saddleの位置で血流の力学的な均衡がなされ、左室心基部の渦流からスムーズな駆出血流が出るための代表的な左室収縮早期の血流パターンであり、以下、重要となるので、このパターンを特に「パターンA」と呼ぶことにする。
【0135】
図26(b)は、前述の位相的前処理を行って図26(a)から抽出したss-saddle connection diagram(位相的データ構造)である。ここから上で説明したアルゴリズムを使ってCOT表現を与える。まず(ステップ1)により、関心領域Ωの最内部の特異点を検出する。左下に時計回りの吸い込み点が1つあるので、これにσ~--のCOT表現を割り当て、その構造を抜いたことを示す□に入れ替えると図26(c)のような構造になる。この時点でステップ2で抜き取らねばならないΩ内部の構造は存在しないので、次に無限遠点に縮退するclass-a∞~±の構造を探すと、吸い込み構造□と境界下部にある∞~-とを結ぶslidable saddleが存在するので、これに対応するCOT表現を割り当て、これを境界に縮退させ□∞~-に置き換える。このとき、この構造の□には(ステップ1)で抽出した湧き出し点が「子」構造として入っているので、□∞~-:=a~-{σ~--,∞~-}となっていることに注意する。これらの軌道構造をすべて抜ききると、図26(d)のように関心領域にはseparatrixがすべて境界∂Ωに横断的に交わるsaddleが1つだけ残ることになる。従ってこの流れの基本構造はsφ1となることが分かる。これにCOT表現を割り当てるためにss-saddle separatrixに∞ ~+,∞ ~-,∞ ~+,∞ ~-と番号をつけておく。このとき∞ ~+と∞ ~-のseparatrixによって分割されている領域にのみ無限遠点に縮退したclass-a∞~±構造が1つあるので、これに対応する三つ組み
[∞~+,λ,a~-{σ~--,∞~-}]を作って、基本領域sφ1の構造に埋め込むと、この流れのCOT表現は以下で与えられる。
φ1{[∞~+,λ,a~-{σ~--,∞~-}],λ,λ,λ
【0136】
同様の手順を用いて、他のパターンについてもCOT表現を割り当てる。図27(a)は、僧帽弁流入血流がピークに達し、流れの剥離によって前後尖の裏にvortex ringが形成されたものが心尖部長軸断面で左右反対周りの双子状の渦流が発生する典型的な左室拡張期血流軌道パターンであり、これを「パターンB」と呼ぶ。図27(b)は、左室拡張末期に大きな心内渦流を形成し、来るべき収縮期に向けて滑らかな血流を準備しているかのような渦流が発生する時相の典型的な渦流であり、これを「パターンC」と呼ぶ。図27(c)は、左室拡張後期にしばしばみられる典型的な断面内2次元流れの破綻のパターンであり、これを「パターンD」と呼ぶ。まず図27(a)のパターンBは、関心領域において一様流が下から上に流れているような状況である。その結果として左右に回転流が生成される。流れ場の様子からこれは「湧き出し点」になっていることが分かる。これを模式的にss-saddle connection diagramとすると右のようになる。これに対してまず、左側に反時計回りの湧き出し点(COT表現σ~++)と右側の時計回りの湧き出し点(COT表現σ~+-)があり、それら2つを取り出して□に置き換え、さらにclass-∞~±の2つの構造(COT表現はa~+{□,∞~+})を無限遠点に縮退させて□∞~+とすることで、2つのclass-a∞~±の一様流をともなう基本構造がsφ0の流れに帰着する。従って、この流れのCOT表現は以下で与えられる。
φ0([a~+{σ~++,∞~+},λ,∞~-]・[a~+{σ~+-,∞~+},λ,∞~-])
【0137】
次に、図27(b)のパターンCでは、関心領域の右側に大きな湧き出しの渦構造が存在し、左上の方に小さなsaddle領域が存在しているので、これを模式的にss-saddle connection diagramとして書き、そこから時計回りの湧き出し点σ~+-を1つ抜きだす。さらにclass-∞~+の構造a~+{□,∞~+}を境界に縮退させれば、関心領域内にsaddleは1つしか残らないので、基本構造はsφ1となる。このsaddleから境界に伸びるseparatrixに∞ ~+~∞ ~-の番号をつけておいて,順次それらのseparatrixによって分割される構造の内部構造を並べることで、COT表現が以下のようになることが分かる。
φ1{[a~+{σ~+-,∞~+},λ,∞~-],λ,λ,λ
【0138】
最後に図27(c)のパターンDには、真ん中に大きな渦構造が見え、それを挟むように左上と右下にsaddleが存在する。この渦構造の内部は白く抜けているため、ここに何らかの内部構造が入っている可能性も否定できないが、ここでは単に湧き出し点がその中央に存在すると仮定し、ss-saddle connetion diagramを書いておく。まず、この時計回りの湧き出し点(σ~+-)を抜き出して□に置き換えると、この湧き出し構造と上下のサドルを結ぶ2つのss-componentが存在することが分かる。原理的にはこのsaddleのうち1つとこの湧き出し構造、および無限遠点の湧き出し構造∞~+を1つのclass-∞~+構造とみて無限遠点に縮退させることとなるが、このケースでは境界上側の湧き出しに縮退させるか、下側の湧き出しに縮退させるかの任意性が生じることになる。このような場合は、上にある方へ常に縮退させると決めて、実際に境界に縮退させれば、関心領域内に残るsaddleは1つとなって基本構造はsφ1であり、あとはこの縮退した構造から出る2つのclass-a∞~±の軌道に対応する三つ組みをつくり、saddleに繋がるss-saddle separatrixと境界と交わる点に番号∞ ~+~∞ ~-をつけて順次並べれば次のCOT表現を得る。
φ1{λ,[a~+{σ~+-,∞~+},λ,∞~-],[a~+{σ~+-,∞~+},λ,∞~-],λ
【0139】
[健常者の心血流エコーデータへの適用]
以下、上述の技術を健常者の心血流エコーデータに適用した例を説明する。具体的には、計測時間の間隔を短くして精度よく取得した一拍動間の健常者の心室内血流画像データに対して、位相的前処理を施してえられたss-saddle connection diagramにCOT表現を割り当てる。これにより、心臓の拍動に表れる特徴的な流れパターンとして、前述のパターンA~Dが表れることが示される。さらに、その心臓機能との関連、今後の心室内血流画像データの文字列表現においてどの時相に注目すればよいのかなどといった、当該心血流の状態の特徴について基礎医学的考察を加える。
【0140】
ここでは、一心拍動の間に測定された心室内血流画像の軌道群データ(具体的には、0~44フレームからなる画像データ)を利用する。これらのフレームに位相的前処理を行うことで、フレームごとにss-saddle connection diagramを構成することができる。
【0141】
これらのフレームを観測すると、以下のように、心臓内に早い血流速度を伴う特徴的な軌道の位相構造が見られる時相が4つ存在することが分かる。
・左室収縮中期(Mid-Systolic):関心領域の右下から血流が外へ強く流れ出ている。一心拍間において血流が拍出している時相の軌道構造を表している。
・左室拡張流入時(Rapid flling diastolic):関心領域の真ん中あたりから強い血流が流入している。一心拍間において血流が流入している時相の軌道構造を表している。
・拡張後期:関心領域への血流の流入出が止まり、流入時に生じた左渦が散逸して、大きな右渦構造が持続する時相の軌道構造を表している。
・拡張末期:前時相で持続した右渦構造がその慣性により真ん中に移動していく時相の軌道構造を表している。
以下、各時相の軌道群に対してss-saddle connection diagramを示し、それに対してCOT表現を与えて流れの位相構造の記述を行う。
【0142】
(左室収縮期)
左室収縮期では、軌道の形は変化するものの位相構造は変化しない。関心領域に右下から強く境界外部へ出ていく血流が観測される。その結果、無限遠点に繋がるss-saddle separatrixをもつsaddleが1つ関心領域の上部に観察され、関心領域の左側には大きな時計回りの吸い込み回転流構造が一つ存在している。これらの位相的前処理の結果、この構造に付随するsaddleが1つ追加されており、これは図26で示されたパターンAの構造となっている。この時相におけるCOT表現は以下で与えられる。
φ1{λ,λ,λ,[∞~+,λ,a~-{σ~--,∞~-}]}
【0143】
このCOT表現は、前述のパターンAに与えたものと違うように見えるが、基本構造sφ1ではss-saddle separaratrixの選び方にcyclicな任意性があるので同じ表現である。この流れにおいて、時計回りの吸い込み回転構造の影響領域の内部で、流れは構造の中央に吸い込まれていることが分かる。この領域は渦度の負領域と完全に重なるわけではないが、位相的に回転流れ構造の抽出を行ったものになっている。以下、こうした構造を「位相的渦構造」と呼ぶ。このような構造の存在は、COT表現における三つ組み[∞~+,λ,a~-{σ~--,∞~-}]によって回転方向も含めて表現されている。
【0144】
(左室拡張流入時)
前時相で流出がとまると大動脈弁が閉鎖されるが僧帽弁はまだ解放されない等容拡張期の血圧緩和過程に入り、左室内部の流れの構造は複雑になる。その後僧帽弁が解放され、左室拡張流入時相に入ると、今度は強い流れが関心領域内部に入り込むため、流れの構造がはっきりしたものとなる。まず、流出時相で見られた上部のsaddleは消えてしまうため、基本構造がsφ0へと変化する。流入時相に入った直後は、流れに伴って関心領域の左側に大きな反時計回りの湧き出し位相的渦構造が形成される。このときのCOT表現は以下のようになる。
φ0([a~+{σ~++,∞~+},λ,∞~-])
【0145】
この後も強い流入が継続し、右側にもう1つ新しい時計回りの湧き出し位相的渦構造が形成され、特徴的な「双子渦」様の構造となる。これは図27(a)で示したパターンBであり、そのCOT表現は以下で与えられた。
φ0([a~+{σ~++,∞~+},λ,∞~-]・[a~+{σ~+-,∞~+},λ,∞~-])
【0146】
このように湧き出し渦構造が増えるごとに三つ組みが増えていくことが表され、それぞれの三つ組みが位相的渦構造の抽出を行っている。
【0147】
(拡張後期)
心血流の流入が止まると、左側の渦構造は散逸して消えてしまうが、右側の湧き出し時計回り位相的渦構造は大きいまま持続的に存在する。この結果、ss-saddle connection diagramを持つパターンCの流れへと遷移する。そのCOT表現は既に与えたように以下のようなものになる。
φ1{[a~+{σ~+,∞~+},λ,∞~-],λ,λ,λ
【0148】
この三つ組みで表現される湧き出し時計回り位相的渦構造は、この時相で大きさを保ったまま少しずつ上に移動を開始する。
【0149】
(拡張末期)
前の時相で右側に見られた大きな湧き出し時計回り位相的渦構造は、渦の粘性散逸により次第にその大きさを小さくしながら、その慣性により関心領域の中央に移動する。その結果、前の時相で見られたsaddleに繋がる外向きss-saddleと渦構造領域の境界にあるss-saddle separatrixの距離が小さくなる。それがある時点で一致して位相的な構造に遷移が生じ、吸い込み時計回り渦構造が2つのsaddleのseparatrixで囲まれるパターンDへと変化する。この位相的渦領域は関心領域中央に灰色で塗られた領域である。このCOT表現は、既に与えられたように以下のようになる。
φ1{λ,[a~+{σ~+-,∞~+},λ,∞~-],[a~+{σ~+-,∞~+},λ,∞~-],λ
【0150】
基本構造が変わっても、そこに表現されている三つ組みの構造や、その並びには変化がないことに注意する。
【0151】
[心不全データとの比較]
次に、健常例と心不全例の心内の渦流パターンがどのように異なるのかに関し、実際にCOT表現を与えて差異を検討する。ここで、様々な疾患での全時相の渦流のパターンの変化を記載するにはあまりに解析が膨大になるため、心不全例の中でも代表的な疾患である拡張型心筋症の重度心不全例のサンプルをもとに解析を行う。心不全では、左心室から拍出される血液量が全身臓器の酸素需要を満たさないことが病態の本質となる。そのため本検討では、まずは左心室が血液を駆出する収縮期に着目し、上述のパターンAが明確に出現しやすい収縮早期から収縮中期にかけての拡張型心筋症で重度心不全を来した症例において、健常と比べどのようにCOT表現が異なるかを検討することとする。これら拡張型心筋症の症例は、重度の左室璧運動低下、左室駆出率の低下を認め、重症心不全のために左心補助装置の装着を余儀なくされた症例である。
【0152】
図28は超音波VFM(vector flow mapping)で解析した収縮早期と中期の間の時相、すなわち大動脈弁が解放され始めた時相の左室心内血流を流線で可視化したものである。(a)は健常者、(b)は心不全患者1、(c)は心不全患者2の例を示す。上段の図は、超音波画像に血流速度ベクトルを重ね合わせたものである。中段の図は、上段の画像から流線のみを抽出し、それらの特異点を明示したものであり、関心領域内の軌道群データを示す。特異点は数値的にその位置を求める。なお、心筋壁境界である退化特異点は図示していない。下段の図は、中段の軌道群データから抜き出した流線構造と、これらにss-saddle connection diagramを与えたものである。
【0153】
まず健常例では、前述のように、以下のパターンAに相当するCOT表現が得られる。
φ1{[∞~+,λ,a~-{σ~--,∞~-}],λ,λ,λ
【0154】
このパターンでは、心基部後壁側に渦流が存在する。ここからスムーズに大動脈弁側に向かって血流が駆出できる配置になっており、合理的な流れであると考えられる。三つ組み[∞~+,λ,a~-{σ~--,∞~-}]によって表現された渦領域は、ss-saddle connection diagramにおいて灰色の領域として特徴付けられており、心基部後壁側に形成された時計回り吸い込みの渦領域の広がりを明示することに成功している。
【0155】
次に「心不全例1」では、収縮期の同一時相における流線を見ると明らかにパターンが異なり、パターンAが崩れていることが分かる。実際、この症例のこの時相のCOT表現は以下のようになる。
φ1{[∞~+,λ,a~-{σ~--,∞~-}],λ,[∞~+,a(b~+(σ~+-,λ)),∞~-],λ
【0156】
この場合、saddle separatrixによって分割された領域の心尖部側にa~-{σ~--,∞~-}の渦構造が出現し、ほとんど有効に渦が駆出に使われないであろうことが想定される。さらに側壁側の渦のないλの領域を介し、心基部側にはb~+の2連構造の渦が出現している。このため、全体として渦からスムーズに大動脈側に血流が駆出されるどころか、渦が壊れにくく心内に血液が残存する可能性が高いことが示唆される。COT表現により、心基部側にできた2連渦構造領域が現れている。それらの三つ組みは、下側渦構造が[∞~+,λ,a~-{σ~--,∞~-}]、上側渦構造が[∞~+,a(b~+(σ~+-,λ)),∞~-]として表現されている。パターンの違いが明確にCOT表現の違いとして現れるのはもちろんだが、本来は下側渦構造が健常例における渦構造に対応するものの、心機能の不全のため十分に構造が形成されていない。その結果、上側の小さな渦構造を閉じ込めた渦領域が形成され、それぞれに対応する渦流領域の面積も非常に小さくなっている。また、これらの三つ組みを分離している基本構造sφ1に対応する無限遠点につながるss-saddle separatrixのsaddle位置も左下側に移動しており、健常例との顕著な流れ構造の違いを明確にしている。
【0157】
次に「心不全例2」でも、収縮期の同一時相における流線を見ると明らかにパターンが異なり、パターンAが崩れていることが分かる。この症例のこの時相のCOT表現は以下のようになる。
φ1{[∞~+,λ,a~-{σ~--,∞~-}]・[∞~+,λ,a~-{σ~--,∞~-}],λ,λ,λ
【0158】
この渦では、パターンAで見られた心基部のa~-{σ~--,∞~-}の構造の渦が2連の構造を呈し、大動脈弁からやや離れた心室中部側に大きな渦流が発生している。このため、あまり有効に血液駆出に渦が使われていないことが分かる。この心不全例では、基本構造sφ1を決定する無限遠点につながるss-saddle separatixの位置は健常例に近いが、心基部の渦領域の形成が不全であるために、同じ三つ組み[∞~+,λ,a~-{σ~--,∞~-}]が繋がる時計回り吸い込みの2連の渦流構造のCOT表現が観察される。すなわち、これは本来1つで形成されるべきパターンAの渦流構造が2つに分離している。その結果、それぞれに対応する渦流れ領域も小さいものとなっている。
【0159】
流線の形態学的特徴が異なることは、画像だけからも明らかである。しかしながら本実施の形態によれば、この違いは単なる画像上の違いという曖昧な指標ではなく、流線位相構造が表現する渦構造の違いとしてCOT表現に明確に違う形で現れる。これは、流れ状態の物理的情報を保持した識別子として機能する。それのみならず、これを解析することによって、当該COT表現が表すベクトル場としての圧縮領域と非圧縮領域の分離、その存在領域という定量情報も同時に抽出できる。この点において、心機能を考える上での定性・定量情報を同時に表現できることが重要である。
【符号の説明】
【0160】
1・・語表現装置、 2・・語表現装置、 10・・記憶部、 21・・ルート決定手段、 22・・木表現構成手段、 23・・COT表現生成手段、 24・・組合せ構造抽出手段、 S1・・ルートを決定するステップ、 S2・・木表現を構成するステップ、 S3・・COT表現を生成するステップ
図1
図2
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図19
図20
図21
図22
図23(a)】
図23(b)】
図24
図25
図26
図27
図28