(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2024-01-15
(45)【発行日】2024-01-23
(54)【発明の名称】MALDI質量分析装置及びMALDI質量分析方法
(51)【国際特許分類】
H01J 49/04 20060101AFI20240116BHJP
G01N 27/62 20210101ALI20240116BHJP
H01J 49/16 20060101ALI20240116BHJP
H01J 49/00 20060101ALI20240116BHJP
【FI】
H01J49/04 180
G01N27/62 G
H01J49/16 400
H01J49/00 310
(21)【出願番号】P 2020154322
(22)【出願日】2020-09-15
【審査請求日】2023-01-18
(73)【特許権者】
【識別番号】000001993
【氏名又は名称】株式会社島津製作所
(74)【代理人】
【識別番号】110001069
【氏名又は名称】弁理士法人京都国際特許事務所
(72)【発明者】
【氏名】志知 秀治
【審査官】右▲高▼ 孝幸
(56)【参考文献】
【文献】特開2014-215173(JP,A)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
H01J 49/04
G01N 27/62
H01J 49/16
H01J 49/00
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
マトリックスを用いてサンプルプレート上に調製されたサンプルに、レーザー光を照射し該サンプル中の成分をイオン化するイオン源、を具備するMALDI質量分析装置であって、
前記サンプルの調製に用いられているマトリックスの種類についての情報を取得するマトリックス情報取得部と、
前記マトリックス情報取得部により取得された情報に基いて、前記イオン源においてイオンを生成するためのパラメーター又は生成されたイオンを該イオン源から引き出して輸送するためのパラメーターを決定するパラメーター決定部と、
を備え
、前記マトリックス情報取得部は、前記サンプルプレート上のサンプルの光学像を取得する撮像部と、前記光学像に基いて該サンプルの調製に用いられているマトリックスの種類を推定する推定部と、を含むMALDI質量分析装置。
【請求項2】
前記推定部は、機械学習を利用して光学像からマトリックスの種類を識別する識別器を含む、請求項
1に記載のMALDI質量分析装置。
【請求項3】
前記パラメーターは、前記サンプルプレートに印加される電圧の値である、請求項1
又は2に記載のMALDI質量分析装置。
【請求項4】
マトリックスを用いてサンプルプレート上に調製されたサンプルに、レーザー光を照射し該サンプル中の成分をイオン化するイオン源、を具備するMALDI質量分析装置であって、
前記サンプルの調製に用いられているマトリックスの種類についての情報を取得するマトリックス情報取得部と、
前記マトリックス情報取得部により取得された情報に基いて、前記イオン源においてイオンを生成するためのパラメーター
である、サンプルに照射されるレーザー光のパワーを決定するパラメーター決定部と、
を備えるMALDI質量分析装置。
【請求項5】
前記マトリックス情報取得部は、サンプルの調製に用いられているマトリックスの種類をユーザーに指定させる入力受付部、を含む、請求項
4に記載のMALDI質量分析装置。
【請求項6】
イオン源において、マトリックスを用いてサンプルプレート上に調製されたサンプルにレーザー光を照射し該サンプル中の成分をイオン化するMALDI質量分析方法であって、
前記サンプルの調製に用いられているマトリックスの種類についての情報を取得するマトリックス情報取得ステップと、
前記マトリックス情報取得ステップにおいて取得された情報に基いて、前記イオン源においてイオンを生成するためのパラメーター又は生成されたイオンを該イオン源から引き出して輸送するためのパラメーターを決定するパラメーター決定ステップと、
を有
し、前記マトリックス情報取得ステップでは、前記サンプルプレート上のサンプルの光学像を取得し、該光学像に基いて該サンプルの調製に用いられているマトリックスの種類を推定するMALDI質量分析方法。
【請求項7】
イオン源において、マトリックスを用いてサンプルプレート上に調製されたサンプルにレーザー光を照射し該サンプル中の成分をイオン化するMALDI質量分析方法であって、
前記サンプルの調製に用いられているマトリックスの種類についての情報を取得するマトリックス情報取得ステップと、
前記マトリックス情報取得ステップにおいて取得された情報に基いて、前記イオン源においてイオンを生成するためのパラメーター
である、サンプルに照射されるレーザー光のパワーを決定するパラメーター決定ステップと、
を有するMALDI質量分析方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、マトリックス支援レーザー脱離イオン化(Matrix Assisted Laser Desorption/Ionization=MALDI)法を利用したイオン化を行うMALDI質量分析装置及び質量分析方法に関する。
【背景技術】
【0002】
よく知られているように、MALDI法では一般に、分析対象の試料溶液とマトリックスと呼ばれるイオン化補助剤とを混合し、その混合液をサンプルプレート上に滴下し、それを乾固させることで、分析用のサンプルを調製する。それ以外に、サンプルプレート上で試料溶液とマトリックスとを混合させる等の、異なるサンプル調製法が採られる場合もある。さらにまた、イオン性の液体である液体マトリックスを用いる場合には、混合溶液を乾固させずに液体状のままサンプルとして供することもある。
【0003】
非特許文献1等に開示されているように、マトリックスには様々な種類の化合物があり、分析対象である試料の種類や分析の目的(例えば通常の分析又はインソース分解)などに応じて適宜のマトリックスが選択される。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0004】
【文献】「MALDI Matrix List for 337(355)nm Final Rev. 2.8 26/Feb/2015」、[online]、[2020年6月25日検索]、株式会社島津製作所、インターネット<URL: https://www.shimadzu.co.jp/aboutus/ms_r/archive/jp/topics/others/4803/MatrixList_2_8.pdf>
【文献】福山裕子、「液体マトリックスを用いたMALDI-MS分析」、日本質量分析学会、Journal of the Mass Spectrometry Society of Japan、2016年、Vo.64、No.5、pp.175-178
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
質量分析装置において良好な品質の測定データを取得するには、一般に、試料の種類等に応じて装置パラメーターを適切に設定する必要がある。MALDI質量分析装置では、MALDIイオン源においてイオン化効率に影響を与えるパラメーターや、生成されたイオンをイオン源から引き出して後段へ輸送するためのパラメーターも、上記装置パラメーターである。例えば、MALDIイオン源でイオン化に用いられるレーザー光の強度(レーザーパワー)やイオン化の際にサンプルプレートに印加される電圧の値などは、イオン化効率やイオン収集効率に影響を与える主要なパラメーターである。
【0006】
従来の一般的なMALDI質量分析装置では、ユーザー(オペレーター)が分析しようとするサンプルについてレーザーパワーなどの装置パラメーターを設定する必要がある。レーザーパワーなどのMALDIイオン源における装置パラメーターは、サンプル調製に使用されているマトリックスに主として依存する。そのため、分析作業の経験が豊富なオペレーターであれば、使用されているマトリックスの種類によってレーザーパワーなどを適切に調整することは比較的容易である。しかしながら、分析に不慣れなオペレーターにとってはこうした判断は難しく、作業効率の低下、或いは作業ミスの発生の大きな要因である。
【0007】
特に最近では、大量の試料を効率良く分析するために、分析作業の自動化や省力化が強く要望されており、オペレーターの経験や熟練度合に頼ることなく信頼性の高い分析を効率的に行えることが重要である。
【0008】
本発明はこうした課題を解決するために成されたものであり、その目的とするところは、サンプル調製に様々な種類のマトリックスを使用する場合であっても、オペレーターによる面倒な装置パラメーターの調整の手間を省くことができるMALDI質量分析装置及び質量分析方法を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0009】
本発明に係るMALDI質量分析装置の一態様は、マトリックスを用いてサンプルプレート上に調製されたサンプルに、レーザー光を照射し該サンプル中の成分をイオン化するイオン源、を具備するMALDI質量分析装置であって、
前記サンプルの調製に用いられているマトリックスの種類についての情報を取得するマトリックス情報取得部と、
前記マトリックス情報取得部により取得された情報に基いて、前記イオン源においてイオンを生成するためパラメーター又は生成されたイオンを該イオン源から引き出して輸送するためのパラメーターを決定するパラメーター決定部と、
を備えるものである。
【0010】
また、本発明に係るMALDI質量分析方法の一態様は、イオン源において、マトリックスを用いてサンプルプレート上に調製されたサンプルにレーザー光を照射し該サンプル中の成分をイオン化するMALDI質量分析方法であって、
前記サンプルの調製に用いられているマトリックスの種類についての情報を取得するマトリックス情報取得ステップと、
前記マトリックス情報取得ステップにおいて取得された情報に基いて、前記イオン源においてイオンを生成するためのパラメーター又は生成されたイオンを該イオン源から引き出して輸送するためのパラメーターを決定するパラメーター決定ステップと、
を有するものである。
【0011】
ここで、パラメーター決定部で決定されるパラメーターは、少なくとも、イオン化の際にサンプルに照射されるレーザー光の強度(レーザーパワー)を含むものとすることができる。
【0012】
また、マトリックス情報取得部は、オペレーター(ユーザー)による実質的な作業無しに自動的にマトリックスの種類についての情報を取得する構成と、オペレーターによる実質的な作業を受けてマトリックスの種類についての情報を取得する構成と、のいずれかを採ることができる。
【0013】
前者の構成では例えば、前記マトリックス情報取得部は、前記サンプルプレート上のサンプルの光学像を取得する撮像部と、前記光学像に基いて該サンプルの調製に用いられているマトリックスの種類を推定する推定部と、を含むものとすることができる。一方、後者の構成では例えば、前記マトリックス情報取得部は、サンプルの調製に用いられているマトリックスの種類をユーザーに指定させる入力受付部、を含むものとすることができる。
【発明の効果】
【0014】
本発明に係るMALDI質量分析装置及びMALDI質量分析方法の一態様によれば、サンプル調製に使用されたマトリックスの種類に応じた適切な装置パラメーターの値をオペレーターが判断する必要がなくなる。それにより、分析に際してのオペレーターの作業負担が軽減されるとともに、分析作業効率の向上や作業ミスの軽減を図ることができる。また、マトリックスの種類に応じた適切な装置パラメーターの下での、信頼性の高い正確な分析が行える。
【図面の簡単な説明】
【0015】
【
図1】本発明の一実施形態であるMALDI質量分析装置の要部の構成図。
【
図2】主要な固体マトリックスを用いて調製されたサンプルの観察像の一例を示す図。
【
図3】液体マトリックスを用いて調製されたサンプルの斜視図(A)及び観察像(B)の一例を示す図。
【
図4】本発明の他の実施形態であるMALDI質量分析装置の要部の構成図。
【発明を実施するための形態】
【0016】
[第1実施形態]
本発明の第1実施形態であるMALDI質量分析装置について、添付図面を参照して説明する。
図1は、第1実施形態によるMALDI質量分析装置の要部の構成図である。このMALDI質量分析装置は、イオン源としてMALDIイオン源、質量分離器としてイオントラップ型質量分離器を用いた質量分析装置である。
【0017】
図1に示すように、真空ポンプ11により真空排気される真空チャンバー10内には、サンプルプレート15が載置される試料ステージ14と、引出電極16と、四重極型デフレクター17と、イオントラップ18と、検出器19と、が配置されている。試料ステージ14の直上の真空チャンバー10の壁面(天面)には、透明な窓100が設けられ、真空チャンバー10の外側であるその上部には、レーザー照射部12、ハーフミラー13、及びカメラ20、が配置されている。これら各構成要素の位置関係を示すために、便宜的に、
図1中に示すように、互いに直交するX、Y、Zの3軸を定める。試料ステージ14は、図示しないステージ駆動部によりX軸、Y軸の2軸方向に移動自在である。
【0018】
四重極型デフレクター17はY軸方向に延伸する4本のロッド電極からなり、電圧発生部21から各ロッド電極にそれぞれ印加される直流電圧によって、それらロッド電極で囲まれる空間にイオンの進行方向を折り曲げる偏向電場を形成する。イオントラップ18は、略円環状であるリング電極181と、リング電極181を挟んで対向して配置される一対のエンドキャップ電極182、184とを含む3次元四重極型の構成である。四重極型デフレクター17側に位置する入口側エンドキャップ電極182にはイオン入射穴183、出口側エンドキャップ電極184にはイオン出射穴185が形成されている。電圧発生部21からリング電極181、エンドキャップ電極182、184にはそれぞれ所定の電圧が印加され、それによって、それら電極で囲まれる空間にイオンを捕捉したり、或いは該空間内からイオン出射穴185を通してイオンを排出したりすることができる。
【0019】
制御・処理部30は、機能ブロックとして、画像取得部31、マトリックス識別部32、パラメーター決定部33、分析制御部34、データ処理部35、などを含む。また、制御・処理部30にはユーザーインターフェイスである入力部40及び表示部41が接続されている。
【0020】
画像取得部31は、カメラ20から、サンプルプレート15上のサンプルSを撮影した画像データを受け取り、観察画像を作成する。マトリックス識別部32は、作成された観察画像に基いて、サンプルSの調製に使用されたマトリックスの種類を識別(推定)する。パラメーター決定部33は、推定されたマトリックスの種類に応じて、装置パラメーターの少なくとも一部を決定する。分析制御部34は、装置パラメーターに基いて、サンプルSに対する質量分析を実行するために各部を制御する。データ処理部35は、検出器19による検出データを受け取り、該データを処理してマススペクトルの作成などを行う。
【0021】
なお、一般に、制御・処理部30の実体はパーソナルコンピューターやワークステーションなどのコンピューターであり、該コンピューターにインストールされた専用のソフトウェア(コンピュータープログラム)を該コンピューターで実行することにより、上記機能ブロック等が具現化される。その場合、入力部40はコンピューターに付設されたキーボードやポインティングデバイスであり、表示部41はディスプレイモニタである。
【0022】
サンプルプレート15は、例えば金属(通常はステンレス)製で平板状であり、その上面には複数の上面視円形状であるウェルが設けられる。ウェルは浅い窪みである場合もあるが、単なる円形状のマークが付された平面状(その周囲と面一である)の部位である場合もある。サンプルSは、そのウェルの内側に、分析対象である試料とマトリックスとを混合することで形成される。
【0023】
非特許文献1にも開示されているように、マトリックスとしては様々な化合物が用いられるが、大まかにいうと、固体マトリックスと液体マトリックスとに分けることができる。固体マトリックスとしては、SA(Sinapinic Acid:シナピン酸)、CHCA(α-Cyano-4-hydroxy-cinnamic Acid1: α-シアノ-4-ヒドロキシケイ皮酸)、DHB(2,5-Dihydroxy-benzoic Acid:2,5-ジヒドロキシ安息香酸)などが頻用される。一方、液体マトリックスでは、3-AQ/CA(3-Aminoquinoline/p-coumaric acid:3-アミノキノリン/ クマル酸)が広く用いられている(非特許文献2等参照)。
【0024】
MALDI法でイオン化を行う場合、サンプル中の目的化合物がイオン化するためのレーザーパワーのイオン化閾値はマトリックスによって異なる。全体的にいえば、固体マトリックスよりも液体マトリックスは強いレーザーパワーをイオン化に必要とする。また、上記の3種類の固体マトリックスの中では、CHCAに比べてSA、DHBは強いレーザーパワーをイオン化に必要とする。
【0025】
また、イオン化の際には、試料ステージ14を通してサンプルプレート15に直流電圧を印加し、それによってサンプルSの周囲に電場を形成することで、サンプルSから生成されたイオンを迅速に上方(サンプルプレート15から離れる方向)に引き出して四重極型デフレクター17に向かわせる。このときにサンプルプレート15に印加される直流電圧は、サンプルSの厚さ(高さ)に応じて変えることが望ましい。液体マトリックスを用いた場合、固体マトリックスを用いた場合に比べてサンプルがかなり厚くなるため、サンプル調製に固体マトリックスを用いた場合に比べて液体マトリックスを用いた場合には、サンプルプレート15への印加電圧(以下、サンプルプレート15への印加電圧を単に「プレート電圧」という)を高くする必要がある。
【0026】
本実施形態のMALDI質量分析装置では、レーザーパワー及びプレート電圧という二つの装置パラメーターを、サンプル調製に用いられたマトリックスの種類に応じて決めるようにしている。
図2は、上述した3種類の固体マトリックスを用いて調製されたサンプルの光学像の一例を示す図である。また、
図3は、液体マトリックスである3-AQ/CAを用いて調製されたサンプルの斜視図(A)及び観察像(B)の一例を示す図である。なお、
図2、
図3は非特許文献1から抜き出したものである。また、
図2において、周りの円形状の部分はウェルの周縁部である。
【0027】
図2から分かるように、固体マトリックスの種類によって、結晶の粗さや析出の様相、或いは色などがかなり異なり、人間が見れば識別が可能である。また、
図2、
図3から分かるように、固体マトリックスと液体マトリックスとでは、光学像上で明確に識別が可能である。そこで、本実施形態の装置では、ディープラーニング等の機械学習による画像解析を利用して、サンプルの撮影画像からマトリックスの種類を識別する。
【0028】
即ち、例えば本装置のメーカーでは、
図2、
図3(B)に示したような、異なるマトリックスを用いて調製されたサンプルの撮影画像を多数用意し、その画像を教師データ(学習データ、訓練データともいう)として機械学習を行い、マトリックスの種類を識別可能な識別器(識別モデル)を作成する。例えば、畳込みニューラルネットワーク(Convolution Neural Network:CNN)を用いたディープラーニングでは、多数の畳込み層それぞれのフィルタの係数、ノードや全結合層における重み付け係数、などをCNNのパラメーターとして学習する。こうして学習された識別器をマトリックス識別部32として用いる。したがって、サンプルの撮影画像をマトリックス識別部32に入力することにより、その出力である識別結果として、マトリックスの種類を示す情報を得ることができる。なお、CNN等のディープラーニングでは一般に、識別結果と共に、識別の信頼度を示す確度の情報を出力することができる。
【0029】
次に、本実施形態のMALDI質量分析装置における分析動作を説明する。
その上面にサンプルSが形成されたサンプルプレート15が試料ステージ14上に載置され、オペレーターが入力部40で所定の操作を行うと、カメラ20がサンプルプレート15上のサンプルSの光学像を撮影し、画像取得部31はその画像データを受け取って観察画像を作成する。なお、通常、サンプルプレート15上には多数のサンプルSが形成されているが、1枚のサンプルプレート15上の各サンプルSがそれぞれ異なるマトリックスを用いて調製されるようなケースはそれほど多くはない。したがって、通常は、サンプルプレート15毎に一つのサンプルSの撮影画像を取得すればよい。
【0030】
但し、サンプルプレート15上の個々のサンプルSについてそれぞれ撮影画像を取得できるようにし、後述するようにサンプルS毎にレーザーパワー等の装置パラメーターを決定してもよい。
【0031】
上記サンプルSの撮影画像はマトリックス識別部32に入力され、マトリックス識別部32はその画像を解析することで、マトリックスの種類の情報を識別結果として出力する。即ち、例えば、「SA」、「DHB」、「CHCA」、「3AQ/CA」、「それ以外」などの情報を出力する。上述したように識別の信頼度を示す確度の情報がマトリックス識別部32から出力される場合には、その確度に閾値を設定しておき、確度が閾値以下である場合には、識別の信頼性が低いために識別結果に拘わらず、「不定」又は「識別不可」との情報を出力してもよい。
【0032】
パラメーター決定部33は、マトリックス識別部32から出力される情報を受けて、分析対象であるサンプルについてのレーザーパワーの値及びプレート電圧の値をそれぞれ決定する。レーザーパワー値及びプレート電圧値は、上記の「SA」、「DHB」、「CHCA」、及び「3AQ/CA」に対してそれぞれ予め実験的に決めておけばよい。一般的には、レーザーパワーの最適値は、CHCAが最も低く、3AQ/CAが最も高く、SA及びDHBがその中間である。また、プレート電圧の最適値は、サンプルの厚さが厚いほうが高い。サンプル調製に液体マトリックスを使用すると固体マトリックスを使用した場合に比べてサンプルが厚くなるので、固体マトリックスである「SA」、「DHB」及び「CHCA」は同じプレート電圧値とし、液体マトリックスである「3AQ/CA」はそれよりも高いプレート電圧値とするとよい。
【0033】
また、マトリックス識別部32から出力される情報が特定のマトリックス種類を示さない「それ以外」、「不定」、「識別不可」などである場合には、パラメーター決定部33はレーザーパワー値及びプレート電圧値をそれぞれデフォルト値とするか、又は、それらパラメーター値を自動決定できないことを示す警告を表示部41に出力するとよい。例えば、上記4種類のマトリックス以外のマトリックスが使用されるのは、比較的特殊な場合であり、そうした場合には、オペレーターが経験等に基いてレーザーパワーやプレート電圧の最適値を設定可能であることが多い。したがって、レーザーパワーやプレート電圧の最適値を自動的に決定することができなくても、多くの場合、実質的に問題とならない。
【0034】
なお、レーザーパワー及びプレート電圧以外の装置パラメーターの値、例えば四重極型デフレクター17への印加電圧などは、デフォルト値とするか、或いは、装置の自動チューニング機能などを利用して予め選定された最適値などに設定すればよい。
【0035】
上述のようにして装置パラメーターが決まると、分析制御部34は、決まった装置パラメーターに従って各部を制御することでサンプルプレート15上の各サンプルSに対する質量分析を実施する。即ち、真空チャンバー10の内部が真空ポンプ11により十分に真空排気された状態で、レーザー照射部12はパルス的にレーザー光を出射する。レーザー光はハーフミラー13で反射されて窓100を通過し、サンプルSに対して略垂直に照射される。上述したように試料ステージ14はX、Yの2軸方向に移動可能であり、その移動によって、レーザー光の照射位置が調整される。
【0036】
レーザー光の照射を受けて、サンプルS中の化合物はイオン化する。生成されたイオンは、サンプルプレート15に印加される電圧と引出電極16に印加される電圧とにより形成される電場によってサンプルプレート15近傍から引き出され、概ねZ軸方向に進行して四重極型デフレクター17に到達する。イオンは四重極型デフレクター17により形成される偏向電場によってその軌道を略90°曲げ、概ねX軸方向に進行する。そして、イオンはイオン入射穴183を経てイオントラップ18の内部空間に入り、リング電極181に印加される高周波電圧によって形成される電場により捕捉される。
【0037】
1回のレーザー光照射によってサンプルSから生成されたイオンは一旦、イオントラップ18の内部空間に捕捉され、そのあと、エンドキャップ電極182、184に印加される電圧によって形成される電場によって、質量電荷比(厳密には斜体字の「m/z」であるが、本明細書では慣用的に「質量電荷比」という)の順にイオン出射穴185を通して排出される。なお、イオントラップ18からのイオン排出の際には、特定の質量電荷比を有するイオンを大きく振動させる共鳴励起排出を利用することができる。
【0038】
検出器19はイオントラップ18から排出されたイオンを順次検出し、入射したイオン量に応じた検出信号を生成して出力する。データ処理部35はこの検出信号を受けてデジタルデータに変換し、質量電荷比と信号強度との関係を表すマススペクトルを作成する。なお、一般にMALDI法では、1回のレーザー光照射によって生成されるイオンの量が少ないうえにそのばらつきが比較的大きい。そのため、分析の精度及び感度を向上させるため、同じサンプルSに対して照射位置をずらしながらレーザー光を複数回照射し、そのレーザー光照射の度に得られたマススペクトルを積算することで最終的なマススペクトルを得るようにしている。
【0039】
本実施形態のMALDI質量分析装置では、上述したように、分析に先立ってサンプルSを調製する際に使用されたマトリックスの種類が画像認識により自動的に識別され、マトリックスの種類に応じた適切なレーザーパワー及びプレート電圧の下で分析が実行される。そのため、レーザー光照射によるイオン化の効率が良好であるとともに、生成されたイオンが効率良くイオントラップ18まで案内される。したがって、1回の分析に供されるイオンの量が増加し、高感度のマススペクトルを得ることができる。一方で、標準的なマトリックスを使用する場合であれば、レーザーパワー及びプレート電圧をオペレーター自身が入力したり調整したりする手間が必要ないので、そうした手間を軽減できるだけでなく、そうした作業に不慣れなオペレーターでも分析作業に当たることができる。
【0040】
なお、第1実施形態のMALDI質量分析装置では、サンプルの観察画像からマトリックスの種類を識別するために機械学習を用いていたが、同様の識別が可能であれば機械学習以外の手法を利用してもよい。
【0041】
例えば、画像に対するテクスチャー解析により使用されているマトリックスの種類を識別することも可能である。テクスチャー解析の手法としては、周知の空間濃度レベル依存法、濃度レベル差分法、濃度ヒストグラム法などの適宜の手法を用いることができる。もちろん、テクスチャー解析以外の様々な解析・処理手法を用いてもよく、特に、固体マトリックスと液体マトリックスとの識別のみを実施する(固体マトリックスの種類の識別は行わない)のであれば、機械学習やテクスチャー解析などの画像解析の手法よりも簡易的な画像解析を利用することができる。
【0042】
[第2実施形態]
本発明の第2実施形態であるMALDI質量分析装置について、添付図面を参照して説明する。
図4は、第2実施形態によるMALDI質量分析装置の要部の構成図である。上述した第1実施形態のMALDI質量分析装置と同じ構成要素には同じ符号を付している。この第2実施形態のMALDI質量分析装置では、第1実施形態のMALDI質量分析装置において制御・処理部30が機能ブロックとして有していた、画像取得部31及びマトリックス識別部32に代えて、マトリックス指示受付処理部310を有している。
【0043】
第2実施形態のMALDI質量分析装置では、分析に先立って、オペレーターが入力部40で所定の操作を行うと、マトリックス指示受付処理部310は、予め格納されているマトリックス種類一覧表を表示部41の画面上に表示する。そして、そのマトリックス種類一覧表中で、サンプル調製に使用したマトリックスの種類をオペレーターに選択させる。そして、オペレーターが選択を確定させると、マトリックス指示受付処理部310はその操作を受けてマトリックス種類を確定し、そのマトリックス種類の情報をパラメーター決定部33に渡す。以降は、上記第1実施形態の装置と同様に、マトリックス種類に応じたレーザーパワー及びプレート電圧が決定される。もちろん、マトリックスの種類の指定や選択の方法は、これに限らず、適宜に変更することができる。
【0044】
この第2実施形態のMALDI質量分析装置では、第1実施形態のMALDI質量分析装置において画像認識により自動的に実施されていたマトリックスの種類の識別を、オペレーターの入力操作(選択指示)に置き換えている。そのため、オペレーターの操作の手間は若干増えるものの、マトリックスの種類に応じてレーザーパワーの数値を設定したり調整したりするのに比べれば、経験や技量を伴う判断は不要であり、その操作はかなり簡便である。
【0045】
上記第1、第2実施形態のMALDI質量分析装置は、質量分離器としてイオントラップ型質量分離器を用いていたが、イオンを一旦、イオントラップに蓄積したあとに該イオントラップから射出して飛行時間型質量分離器でイオンを分離する質量分析装置にも本発明を適用することができる。また、MALDIイオン源で生成したイオンを加速し、リニア方式又はリフレクトロン方式の飛行時間型質量分離器に導入して質量分析する質量分析装置にも本発明を適用することができる。後者の場合、質量精度や質量分解能を高めるうえで、サンプルの厚さの相違によるイオンの引出し時や加速時の挙動の相違を軽減することは、より重要である。したがって、マトリックスの種類に応じてプレート電圧を調整するほか、引き出し電極に印加する電圧や加速電極に印加する電圧などの装置パラメーターも調整するようにしてもよい。
【0046】
また、上記実施形態や変形例はあくまでも本発明の一例にすぎず、本発明の趣旨の範囲で適宜に変更、修正、追加を行っても本願特許請求の範囲に包含されることは当然である。
【0047】
[種々の態様]
上述した例示的な実施形態は、以下の態様の具体例であることが当業者により理解される。
【0048】
(第1項)本発明に係るMALDI質量分析装置の一態様は、マトリックスを用いてサンプルプレート上に調製されたサンプルに、レーザー光を照射し該サンプル中の成分をイオン化するイオン源、を具備するMALDI質量分析装置であって、
前記サンプルの調製に用いられているマトリックスの種類についての情報を取得するマトリックス情報取得部と、
前記マトリックス情報取得部により取得された情報に基いて、前記イオン源においてイオンを生成するためのパラメーター又は生成されたイオンを該イオン源から引き出して輸送するためのパラメーターを決定するパラメーター決定部と、
を備えるものである。
【0049】
(第7項)本発明に係るMALDI質量分析方法の一態様は、イオン源において、マトリックスを用いてサンプルプレート上に調製されたサンプルにレーザー光を照射し該サンプル中の成分をイオン化するMALDI質量分析方法であって、
前記サンプルの調製に用いられているマトリックスの種類についての情報を取得するマトリックス情報取得ステップと、
前記マトリックス情報取得ステップにおいて取得された情報に基いて、前記イオン源においてイオンを生成するためのパラメーター又は生成されたイオンを該イオン源から引き出して輸送するためのパラメーターを決定するパラメーター決定ステップと、
を有するものである。
【0050】
第1項に記載のMALDI質量分析装置又は第7項に記載のMALDI質量分析方法によれば、サンプル調製に使用されたマトリックスの種類に応じた適切な装置パラメーターの値をオペレーターが判断する必要がなくなる。それにより、分析に際してのオペレーターの作業負担が軽減されるとともに、分析作業効率の向上や作業ミスの軽減を図ることができる。また、マトリックスの種類に応じた適切な装置パラメーターの下での、信頼性の高い正確な分析が行える。
【0051】
(第2項)第1項に記載のMALDI質量分析装置において、前記マトリックス情報取得部は、前記サンプルプレート上のサンプルの光学像を取得する撮像部と、前記光学像に基いて該サンプルの調製に用いられているマトリックスの種類を推定する推定部と、を含むものとすることができる。
【0052】
(第3項)また第2項に記載のMALDI質量分析装置において、前記推定部は、機械学習を利用して光学像からマトリックスの種類を識別する識別器を含むものとすることができる。
【0053】
(第8項)第7項に記載のMALDI質量分析方法において、前記マトリックス情報取得ステップでは、前記サンプルプレート上のサンプルの光学像を取得し、該光学像に基いて該サンプルの調製に用いられているマトリックスの種類を推定するものとすることができる。
【0054】
第2項及び第3項に記載のMALDI質量分析装置、又は第8項に記載のMALDI質量分析方法によれば、サンプルの光学像に基いて使用されているマトリックスの種類が自動的に識別されるので、オペレーターはマトリックスに関する何らの知識や情報を有している必要がない。そのため、オペレーターによる操作や作業が大幅に軽減され、作業ミスの発生も一層少なくすることができる。また、分析に不慣れなオペレーターでも分析作業に当たることができる。
【0055】
(第4項)第1項に記載のMALDI質量分析装置において、前記マトリックス情報取得部は、サンプルの調製に用いられているマトリックスの種類をユーザーに指定させる入力受付部、を含むものとすることができる。
【0056】
(第9項)また、第7項に記載のMALDI質量分析方法において、前記マトリックス情報取得ステップでは、サンプルの調製に用いられているマトリックスの種類をユーザーに指定させるものとすることができる。
【0057】
第4項に記載のMALDI質量分析装置又は第9項に記載のMALDI質量分析方法によれば、第2項に記載のMALDI質量分析装置に比べると、オペレーターの操作の手間は若干増えるものの、マトリックスの種類に応じてレーザーパワーの数値を設定したり調整したりするのに比べれば、経験や技量を伴う判断は不要であり、その操作はかなり簡便で済む。
【0058】
(第5項)第1項~第4項のいずれか1項に記載のMALDI質量分析装置、又は第7項~第9項のいずれか1項に記載のMALDI質量分析方法において、前記パラメーターは、サンプルに照射されるレーザー光のパワーであるものとすることができる。
【0059】
MALDI法においてサンプルに照射されるレーザー光のパワーは、イオン化効率に大きな影響を与える重要なパラメーターであり、一般的に、その調整は面倒である。第5項に記載のMALDI質量分析装置によれば、マトリックスの種類に応じて適切なレーザーパワーを設定することができるので、質量分析に供するイオンの量を増やし高い感度での分析を行うことができる。また、複数回の分析(レーザー光照射)で得られたデータを積算してマススペクトルを作成する際に、その積算回数を減らすことができる。それによって、分析時間の短縮を図ることができるとともに、使用するサンプルの量を減らすこともできる。
【0060】
(第6項)第1項~第5項のいずれか1項に記載のMALDI質量分析装置、又は第7項~第9項のいずれか1項に記載のMALDI質量分析方法において、前記パラメーターは、前記サンプルプレートに印加される電圧の値であるものとすることができる。
【0061】
MALDI法においてサンプルプレートに印加される電圧は、イオン収集効率に大きな影響を与える重要なパラメーターである。また、生成されたイオンを直ぐに加速して飛行時間型質量分離器に導入する構成では、サンプルプレートに印加される電圧は、質量精度や質量分解能に影響を与える重要なパラメーターである。
【0062】
第6項に記載のMALDI質量分析装置によれば、マトリックスの種類に応じてサンプルプレートに適切な電圧を印加することができるので、質量分析に供するイオンの量を増やし高い感度での分析を行うことができる。また、生成されたイオンを直ぐに加速して飛行時間型質量分離器に導入する構成では、マトリックスの種類に依らず、質量精度や質量分解能を高めることができる。
【符号の説明】
【0063】
10…真空チャンバー
100…窓
11…真空ポンプ
12…レーザー照射部
13…ハーフミラー
14…試料ステージ
15…サンプルプレート
16…引出電極
17…四重極型デフレクター
18…イオントラップ
181…リング電極
182、184…エンドキャップ電極
183…イオン入射穴
185…イオン出射穴
19…検出器
20…カメラ
21…電圧発生部
30…制御・処理部
31…画像取得部
310…マトリックス指示受付処理部
32…マトリックス識別部
33…パラメーター決定部
34…分析制御部
35…データ処理部
40…入力部
41…表示部