(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2024-01-22
(45)【発行日】2024-01-30
(54)【発明の名称】マウス近視誘導モデル及び近視予防・抑制のための小胞体ストレス抑制剤
(51)【国際特許分類】
A61K 31/192 20060101AFI20240123BHJP
A61P 27/10 20060101ALI20240123BHJP
A61P 43/00 20060101ALI20240123BHJP
【FI】
A61K31/192
A61P27/10
A61P43/00 111
(21)【出願番号】P 2022197027
(22)【出願日】2022-12-09
(62)【分割の表示】P 2021038816の分割
【原出願日】2018-03-06
【審査請求日】2023-01-06
(31)【優先権主張番号】P 2017041349
(32)【優先日】2017-03-06
(33)【優先権主張国・地域又は機関】JP
(73)【特許権者】
【識別番号】513077162
【氏名又は名称】株式会社坪田ラボ
(74)【代理人】
【識別番号】100088155
【氏名又は名称】長谷川 芳樹
(74)【代理人】
【識別番号】100128381
【氏名又は名称】清水 義憲
(74)【代理人】
【識別番号】100176773
【氏名又は名称】坂西 俊明
(72)【発明者】
【氏名】池田 真一
(72)【発明者】
【氏名】姜 効炎
(72)【発明者】
【氏名】坪田 一男
(72)【発明者】
【氏名】栗原 俊英
【審査官】新熊 忠信
(56)【参考文献】
【文献】特表2013-525451(JP,A)
【文献】特表2008-513465(JP,A)
【文献】特表2014-504873(JP,A)
【文献】特表2007-514760(JP,A)
【文献】特表2003-520228(JP,A)
【文献】特開平9-315954(JP,A)
【文献】特開平7-258083(JP,A)
【文献】国際公開第2015/064768(WO,A1)
【文献】国際公開第2010/010702(WO,A1)
【文献】国際公開第2016/171282(WO,A1)
【文献】Investigative Ophthalmology and Visual Science,2014年,Vol.55, Issue 13,p.4054, ISSN: 0146-0404
【文献】Nature Reviews Drug Discovery,2013年,Vol.12,p.703-719
【文献】Science Translational Medicine,2015年,Vol.7, Issue 292,292ra98
【文献】Acta Pharmacologica Sinica,2012年,Vol.33,p.941-952
【文献】Investigative Ophthalmology and Visual Science,2010年,Vol.51, No.3,p.1297-1303
【文献】Progress in Biophysics and Molecular Biology,2024年,Vol.86,pp.407-485
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
A61K 31/00-33/44
A61K 45/00-45/08
A61P 27/00
A61P 43/00
JSTPlus/JMEDPlus/JST7580(JDreamIII)
CAplus/REGISTRY/MEDLINE/EMBASE/BIOSIS(STN)
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
フェニル酪酸又はその薬理学的に許容される塩を有効成分として含有する、屈折値(D)の低下の抑制剤。
【請求項2】
前記フェニル酪酸の薬理学的に許容される塩が、フェニル酪酸ナトリウムである、請求項1に記載の抑制剤。
【請求項3】
1日1回投与されるものである、請求項1又は2に記載の抑制剤。
【請求項4】
3週間以上投与されるものである、請求項1~3のいずれか一項に記載の抑制剤。
【請求項5】
成長に付随して生じる正常な眼軸長の伸長期間に投与されるための、請求項1~4のいずれか一項に記載の抑制剤。
【請求項6】
屈折値(D)の低下が進行する期間に投与されるための、請求項1~5のいずれか一項に記載の抑制剤。
【請求項7】
小児用である、請求項1~6のいずれか一項に記載の抑制剤。
【請求項8】
剤形が点眼剤である、請求項1~7のいずれか一項に記載の抑制剤。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
近視の発生する機序を解明するためのマウス近視誘導モデルの作製方法、及び近視を抑制する薬剤に関する。
【背景技術】
【0002】
東アジア人は欧米人に比べて近視の割合が高いといわれており、日本人では人口の少なくとも約1/3、すなわち約4000万人は近視であるといわれている。それにもかかわらず、近視の発症・進行に関する分子的機序は何ら解明されておらず、メガネやコンタクトレンズによる矯正は行われていても、根本的な治療法は存在していない。
【0003】
近視は、網膜よりも手前で焦点を結んでしまうためにはっきりと見えない状態をいう。近視には、角膜や水晶体の屈折率が強すぎることから生じる屈折性近視と、眼球の前後方向の長さである眼軸長が長すぎることにより生じる軸性近視の2つに大別される。屈折性近視は、レンズの役割を果たす水晶体の厚みの調節がうまくいかず網膜の手前でピントが合う状態をいい、軸性近視は眼軸長が長いために、水晶体を十分薄く調節しても網膜の手前でピントが合う状態をいう(
図1、軸性近視参照。)。近視の患者の大部分は、軸性近視である。
【0004】
軸性近視が強くなる、すなわち強度近視といわれる状態になると眼軸の伸長の程度が大きくなる。その結果、網膜や脈絡膜が後方に引き伸ばされるため、これらに対する負荷が増強し、眼底に様々な異常をきたす原因となる。眼底に異常が生じた状態を病的近視といい、先進国における失明の上位に位置している。厚生労働省の報告によれば、日本では、失明の原因疾患の第4位が病的近視である(平成17年度厚労省網膜脈絡視神経萎縮症調査研究班報告書)。病的近視は失明のおそれがあるにもかかわらず、現在のところ有効な治療法がなく、治療法の確立が望まれている。
【0005】
従来から近視研究は、ヒヨコ、ツパイ、モルモットなどの動物に近視を誘導して行われている(非特許文献1)。中でもヒヨコは、昼行性であり、眼が比較的大きく、扱いやすいなどの利点があることから、近視研究のモデル動物として多用されており、ヒヨコを用いた近視モデルが紹介されてから35年以上経っている現在も主要な近視モデルとして用いられている。ヒヨコの他にもツパイ、マーモセット、モルモット、アカゲザルなど、様々な動物が近視研究に用いられている。しかしながら、これら動物はいずれも遺伝子操作が容易に行える動物ではなく、近視の遺伝的要素を研究するには適していない。近視の発生頻度は上述のように人種差があることから、環境要素とともに、遺伝的要素が大きいものと考えられる。しかしながら、遺伝的要素を研究することのできる近視誘導モデル動物が得られなかったことが近視を抑制する治療法が確立されない一因となっている。
【0006】
近年ではマウスの近視モデルも報告されてきており、近視の遺伝的な研究の進展が期待されている。当初は、マウスが夜行性であることから、ヒヨコと同じようにマイナスレンズを用いて近視誘導ができるか懐疑的であったもののマイナスレンズを用いた近視誘導モデルが作製されてきている(非特許文献2)。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0007】
【文献】国際公開第2015/064768号
【文献】特表2013-534902号公報
【非特許文献】
【0008】
【文献】Schaeffel, F. & Feldkaemper,M., 2015, Clin. Exp. Optom.,Vol.98, p.507-517.
【文献】Tkatchenko, T.V. et al., 2010,Invest. Ophthalmol. Vis. Sci.,Vol.51, p.1297-1303.
【文献】Kolb, P.S. et al., 2015, Int. J.Biochem. Cell Biol., Vol.61,p.45-52.
【文献】Chen, Y. et al., 2016, Scientific Reports, 6:27486,DOI:10.1038/srep27486.
【文献】Hatz, C. et al., 2013, NatureRev. Drug Discov.Vol.12, p.703-719.
【文献】Hetz, C., 2012, Nature Rev. Mol.Cell Biol., Vol.13, p.89-102.
【文献】Guillen, C., 2016, Ann. Transl.Med. Suppl.1, S45
【文献】Gu, Y., et al., 2012, ActaPharmacol. Sinica, Vol.33, p.941-952.
【文献】Liu, H. et al., 2016,Evidence-Based Comple. Alter. Med., Vol. 2016,Article ID 7831282
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0009】
しかしながら、現在報告されているマウスモデルは、ヒトの強度近視の症状として知られている症状の全てを満たしていない。すなわち、眼軸長の伸長の程度、屈折率や強膜が正常よりも薄くなっているといった症状を満たすには至っておらず、近視モデルとしては不完全なものである。本発明は、ヒトの強度近視の症状と酷似した近視を有するマウスモデルを作製することを課題とする。従来のマウスモデルは、非特許文献2のモデルに記載されているように、レンズを皮膚に縫合し、さらに接着剤によって補強固定されているため容易に取り外すことができなかった。そのため、近視進行に伴う経時変化を観察することが困難であった。本発明はマウス近視誘導モデルを用いて近視進行の過程を解析し、得られる知見をもとに近視の治療薬を探索し、近視を抑制する治療薬を得ることを課題とする。
【課題を解決するための手段】
【0010】
本発明は、以下の近視予防・抑制剤、マウス近視誘導モデルの作製方法、及び前記作製方法により作製されたマウス近視誘導モデル、また、マウス近視誘導モデルを用いた医薬のスクリーニング方法に関する。
(1)小胞体ストレス抑制剤を有効成分として含有することを特徴とする近視予防・抑制剤。
(2)前記小胞体ストレス抑制剤がフェニル酪酸、タウロウルソデオキシコール酸、サルブリナル、グアナベンツ、GSK2606414、GSK2656157、ISRIB、アゾラミド、アークティゲニン又はそれらの薬理学的に許容される塩であることを特徴とする(1)記載の近視予防・抑制剤。
(3)前記小胞体ストレス抑制剤がフェニル酪酸、タウロウルソデオキシコール酸、又はそれらの薬理学的に許容される塩であることを特徴とする(1)又は(2)記載の近視予防・抑制剤。
(4)前記近視が軸性近視であることを特徴とする(1)~(3)いずれか1つ記載の近視予防・抑制剤。
(5)前記近視が病的近視であることを特徴とする(1)~(4)いずれか1つ記載の近視予防・抑制剤。
(6)剤形が点眼剤であることを特徴とする(1)~(5)いずれか1つ記載の近視予防・抑制剤。
(7)プロテクター及びマイナスレンズを幼若マウスの眼前に装着し、マウスの成長に応じて調節機構により角度及び幅を調節して飼育することを特徴とするマウス近視誘導モデル作製方法。
(8)プロテクター及びマイナスレンズを幼若マウスの眼前に装着し、マウスの成長に応じて調節機構により角度及び幅を調節し近視誘導を行うマウスモデルに、候補物質を投与することを特徴とする近視予防・抑制医薬スクリーニング方法。
(9)プロテクター及びマイナスレンズを幼若マウスの眼前に装着し、マウスの成長に応じて調節機構により角度及び幅を調節して飼育することにより作製されたマウス近視誘導モデル。
【発明の効果】
【0011】
ヒトの強度近視で見られる症状と同様の症状を備えたマウス近視誘導モデルを作製した。マウスは遺伝子操作を行う技術が他の動物と比較して整っていることから、近視の遺伝的要因についての研究を行うことができる良いツールを提供することができる。また、このモデルマウスを解析した結果、近視誘導に伴って強膜に小胞体ストレスが生じることが明らかとなった。さらに、小胞体ストレスを与えることによって近視が誘導されることから、小胞体ストレスによって近視が誘導されることが示された。また、マウス近視誘導モデルを用いた実験から小胞体ストレス抑制剤が近視抑制に有効であることが明らかとなった。したがって、今まで有効な治療法のなかった近視において治療薬を提供することが可能となった。
【図面の簡単な説明】
【0012】
【
図1】マウス近視誘導モデルの作製方法の概略を示す図。
【
図2】マウス近視誘導モデルの屈折値、眼軸長、強膜の変化を示す図。
【
図3】マウス近視誘導モデルの強膜の変化を示す電子顕微鏡像。
【
図4】近視誘導に対する小胞体ストレス抑制剤であるフェニル酪酸(4-PBA)ナトリウムの効果を示す図。
図4(A)は屈折値を、
図4(B)は眼軸長を、
図4(C)はレンズ装用1周間後、3週間後の眼軸長の変化を示す図。
【
図5】小胞体ストレス抑制剤であるタウロウルソデオキシコール酸の近視誘導に対する効果を示す図。
【
図6】点眼によるフェニル酪酸ナトリウムの近視誘導に対する効果を示す図。
【
図7】小胞体ストレス誘導剤による近視誘導を解析した結果を示す図。
【
図8】異なる小胞体ストレスセンサーのシグナル経路を阻害する化合物の効果を示す図。
図8(A)は屈折値、
図8(B)は眼軸長の解析結果を示す。
【発明を実施するための形態】
【0013】
本発明者らは、近視を誘導すると強膜に小胞体ストレスが生じることを初めて明らかにした。今まで、小胞体ストレスが角膜内皮細胞に対して影響を及ぼし、数々の疾患を引き起こすことが知られている(特許文献1)。しかしながら、近視と小胞体ストレスが相関することや小胞体ストレスによって近視が誘導されることは今までに報告されていない。さらに、小胞体ストレス抑制剤によって、近視の進行が抑制されるということは、本発明者らによって初めて見出されたことである。
【0014】
また、近視誘導モデルは今までに種々の動物で作製されており、マウスの近視誘導モデルも報告されている(非特許文献1、2)。しかしながら、ヒトの近視と同等の症状、すなわち屈折値、眼軸長、強膜の変化が全て認められるモデルは今までに報告されていない。ヒトと同様の症状を呈するマウスモデルは、本発明者の方法により初めて作製することができた。これにより今まで明らかにされてこなかった近視の遺伝的要因を研究することが可能となり、近視の根本的治療を行う医薬のスクリーニングができるようになる。実際に本発明者らは、小胞体ストレス抑制剤がマウスモデルで近視の誘導を抑制することを見出した。
【0015】
近視予防・抑制剤をスクリーニングする場合に、候補化合物の投与はどのタイミングで行ってもよい。すなわち、近視誘導開始後すぐに候補化合物の投与を開始してもよいし、近視誘導を開始後、軸性近視の症状がある程度認められた後に候補化合物の投与を開始してもよい。また、投与期間、時期についても候補化合物によって適宜定めることができる。
【0016】
近視抑制剤の投与は、ここでは腹腔内投与、及び点眼により行っているが、どのような投与形態で行ってもよい。具体的には、注射による投与、点眼剤、眼軟膏剤による適用でも、経口投与により行ってもよい。したがって、剤形としては、注射剤の他に、点眼剤、眼軟膏剤、あるいは錠剤、カプセルなどの内服薬に適する剤形としてもよい。特に、眼に対して直接適用できることから、点眼剤、眼軟膏剤とすることが好ましい。
【0017】
また、ここでは小胞体ストレス抑制剤としてフェニル酪酸(4-phenylbutyric acid、4-PBA)ナトリウム、及びタウロウルソデオキシコール酸(Tauroursodeoxycholic acid、TUDCA)を用いているが、これら化合物の他、薬理学的に許容される他の塩であっても構わない。薬理学的に許容され塩としては、アルカリ金属塩、アルカリ土類金属塩、アミンまたは塩基性アミノ酸の付加塩があげられる。
【0018】
さらに、小胞体ストレスを抑制することができる薬剤であればどのようなものを用いてもよい。フェニル酪酸ナトリウム、タウロウルソデオキシコール酸、トレハロースのように、タンパク質の高次構造の形成や安定化に寄与するケミカルシャペロンは小胞体ストレスを軽減するといわれている。また、小胞体ストレスセンサーの下流のシグナルを阻害することによっても、小胞体ストレスシグナルを抑制することができる(非特許文献3-5)。しかし、異なる作用機序であっても、小胞体ストレスを軽減、あるいは小胞体ストレスセンサーから生じるシグナルを抑制する作用がある化合物であれば、近視予防・抑制剤として作用する可能性がある。
【0019】
小胞体ストレスは3つのストレスセンサーによって感知され、折りたたみ不全のタンパク質が過剰に蓄積しないように下流へシグナルを伝達する。小胞体ストレスセンサーとしてはPERK(PKR-like endoplasmic reticulum kinase)経路、IRE1(Inositol requiring 1)経路、ATF6(Activating transcription factor 6)経路の3つの経路があることが知られている(非特許文献6)。したがって、これらのいずれかの経路のシグナル伝達を阻害することによって、小胞体ストレスを減じるような薬剤を使用してもよい。
【0020】
このような薬剤としては、サルブリナル(Salubrinal)、グアナベンツ(Guanabenz)、GSK2606414、GSK2656157、ISRIB、STF-083010、MKC-3946、トヨカマイシン(Toyocamycin)、ネルフィナビル(Nelfinavir)、スニチニブ(Sunitinib)、4μ8C(7-Hydroxy-4-methyl-2-oxo-2H-1-benzopyran-8-carboxaldehyde)などが挙げられる(非特許文献5)。この中でも、実施例で示すように、PERK経路、ATF6経路の薬剤に関しては効果があることが示されている。したがって、PERK経路阻害剤であるサルブリナル、グアナベンツ、GSK2606414、GSK2656157、ISRIBは有効な近視抑制剤として機能し得る。また、特許文献2には、GSK2606414、GSK2656157を含むPERK阻害剤が開示されている。特許文献2に記載されている阻害剤についても使用できることは言うまでもない。
【0021】
また、アゾラミド(Azoramide)、アークティゲニン(Arctigenin)は、より上流で小胞体ストレスを阻害すると考えられている(非特許文献7、8)。したがって、これら薬剤についても近視抑制剤として作用するものと考えられる。
【0022】
また、植物などに含まれる天然化合物であるアストラガラシドIV(Astragaloside IV)、バイカレイン(Baicalein)、ベルベリン(Berberine)、クロシン(Crosin)、エラトサイド C(Elatoside C)、ジンセノサイドRb1(Ginsenoside Rb1)、ホオノキオール(Honokiol)イカリイン(Ikariin)、マンギフェリン(Mangiferin)、ノトジンセノシドR1(Notoginsenoside R1)、プテロスチルベン(Pterostilbene)などが小胞体ストレスを抑制する化合物として挙げられる(非特許文献9)。
【0023】
[実施例1]マウス近視誘導モデルの作製
まず、本発明のマウスモデルの作製方法について説明を行う。マイナスレンズを装用させて軸性近視が誘導される機構を
図1に模式的に示している。正眼視は目に入ってくる平行光線が網膜上で像を結ぶことから、像がはっきりと見える状態をいう。一方、軸性近視は、眼軸長が長くなっているために目に入ってくる平行光線が網膜の手前で像を結ぶため、はっきりと見えない状態をいう。ヒトを含め、動物の眼は成長とともに大きくなる。幼若なマウスにマイナスレンズを装用させると、マイナスレンズを装用しているときに像を結ぶ位置、すなわちマイナスレンズ装用時にはっきりと見える状態まで眼軸が伸長する。その結果、眼軸が伸長し、軸性近視と同様の眼の状態を作り出すことができる。
【0024】
具体的には以下のようにしてマウス近視誘導モデルを作製する。幼若なマウスの方が近視誘導を行いやすいので、離乳後なるべく早期にマイナスレンズを装着するのが望ましい。ここでは、3週齢のC57BL6Jを用いている。マウスはドミトール(日本全薬工業株式会社)、ベトルファール(Meiji Seikaファルマ株式会社)、ミダゾラム(サンド株式会社)の3種混合麻酔で麻酔し、ハサミで頭蓋を露出させる。頭蓋に支柱1を立設し、歯科用セメント(Super-Bond、サンメディカル株式会社)で固定する。支柱は、後述の調節器具をナットで固定できるようにねじ山が設けてある。
【0025】
近視を誘導するために-30ジオプター(diopter、D)のマイナスレンズ(レインボーコンタクト、株式会社レインボーオプチカル研究所)2を片側に、コントロールとして0Dのレンズ、あるいはフレーム3のみを他方に装着させる。レンズはマウスに装着させた際に、マウスが前脚等によって傷をつけないように、レンズ下部のフレーム部に側方に突出した形状のプロテクター4が接着されている。プロテクター4によって、マウスはレンズを触ることができず、レンズに傷がつくことがない。プロテクター4はここではフレーム部に接着し一体となったものを使用しているが、マウスの行動によってレンズに傷がつかなければよく、レンズと一体になっている必要はない。例えば、外傷を負った動物が装用するエリザベスカラーのような形状のものであってもよい。
【0026】
レンズ上方のフレーム部には、マウスの成長に合わせて、装着したレンズの幅や角度を調節するための調節器具5が接着されている。調節器具5は「く」の字形状に折れ曲がっており、一方はレンズが接着されており、他方は頭部に立設された支柱1に装着できるように長穴6が設けられている。長穴6を支柱1に通し、ナット7でネジ止めすることによってマウスの両目の周縁を圧迫することなく、皮膚に密着させ固定することができる。
【0027】
支柱1、ナット7、調節器具5の3点からなる調節機構によって、マウスの成長に合わせて幅、角度を調節し、マウスの目の位置にレンズがくるように調整できる。また、レンズの取り外しが可能であることから、眼軸長、屈折値の経時的な変化を計測することが可能である。上述のように、従来のモデルでは近視進行の経時的な変化を観察することができなかったが、本近視誘導モデルでは容易にレンズを取り外すことができるため、近視進行をより詳細に解析することができるようになった。
【0028】
左目はコントロールとしてフレームのみ、右目は-30Dレンズを3週間装用させ、屈折値、眼軸長、強膜の厚さを測定し、装用前後の差を求めた。屈折値は屈折計(Infrared photorefractor for mice、Tubingen大学Schaeffel教授作製)、SD-OCT(Spectral-domain OCT、スペクトラルドメイン光干渉断層撮影、Envisu R4310、bioptigen Inc.)、強膜の厚さはHE染色したパラフィン切片を光学顕微鏡(BX53、オリンパス株式会社)により光学画像を取得後、イメージングソフトウェアcellSensによって計測した。結果はANOVA、Turky HSDにより解析した。
【0029】
図2に示すように、屈折値、眼軸長、強膜の厚さは、-30Dレンズにより近視を誘導した目は、コントロールに対していずれも有意な差が認められた(図中、*はp<0.05、**はp<0.01であることを示す。以下の図においても同じ。)。強膜の厚さに関しても、視神経乳頭からの距離にかかわらず、近視眼では正常眼よりも強膜厚が薄くなっていることが観察された。
【0030】
今まで報告されていた近視誘導モデルでは、ヒトで報告されている屈折値、眼軸長、強膜の変化といった強度近視の症状を全て満たすものは報告されていない。これに対し、本実施例で作製した近視誘導モデルはヒト軸性近視の特徴を全て備えており、優れたモデルとなり得ることを示している。これは、本近視誘導モデルは、成長に伴いレンズの位置を微調整することができるようにしたこと、さらに、レンズを保護するプロテクターを設けたことからレンズに傷がつかず、軸性近視をより顕著に誘導することができるからだと考えられる。
【0031】
[実施例2]マウス近視誘導モデルを使用した治療薬のスクリーニング
近視誘導モデルの病態を詳細に調べるために、透過型電子顕微鏡(TEM)を用いて解析を行った。3週間マイナスレンズを装用させ軸性近視を誘導した眼球、及びコントロールとしてフレームのみを装用させていた眼球をマウスから摘出し、2.5%グルタールアルデヒド/生理食塩水で1時間、4℃で固定した。角膜を除去し、2.5%グルタールアルデヒド/生理食塩水で一晩、後固定を行い、Epok812(応研商事株式会社)で包埋し薄切しTEM(JEM-1400plus、日本電子株式会社)により観察した。
図3の上段にコントロール、下段に-30Dレンズを装用させて近視誘導を行ったマウスから得た試料の強膜を示す。スケールは左から1.0μm、500nm、500nmである。
【0032】
上段のコントロールの画像に示すように、マウス強膜は、ほとんどがコラーゲン繊維と線維芽細胞からなっている。コントロールの線維芽細胞は、ミトコンドリア、粗面小胞体(上段矢印で示す。)に富んでいる。一方、マイナスレンズによって近視を誘導したマウスの強膜には、拡張した空胞状のERが多数観察され(下段矢印で示す。)、小胞体ストレスが生じていることが示唆された。
【0033】
(1)小胞体ストレス抑制剤、フェニル酪酸ナトリウムの効果
電子顕微鏡の観察結果から、近視誘導に伴って小胞体ストレスが生じていることが示唆された。そこで、小胞体ストレス抑制剤を投与し、近視誘導が抑制されるか解析を行った。小胞体ストレス抑制剤として、フェニル酪酸ナトリウム(Cayman株式会社)200mg/kg/dayの用量で、レンズ装用後2日目から21日目まで毎日腹腔内投与を行い、21日目に屈折値、眼軸長を測定した。なお、コントロール群には、PBSのみを投与した。
【0034】
図4(A)に屈折値の変化量を示す。コントロールとしてPBSを投与した群では、-30Dレンズを装用させた場合には、有意な屈折値の変化が認められるにもかかわらず、フェニル酪酸(4-PBA)ナトリウム投与群では、-30Dレンズを装用した目と、フレームのみを装用させた目とで、屈折値の変化はなく、フェニル酪酸ナトリウムに近視抑制効果があることが示された。
【0035】
眼軸長の変化を
図4(B)に示す。フェニル酪酸ナトリウム投与群では、マイナスレンズを装用した目と、コントロールであるフレームのみを装用させた目の眼軸長を比較すると伸長に対する差は認められなかった。一方、PBS投与群では、マイナスレンズを装用した目の眼軸長は、フェニル酪酸ナトリウム投与群のマイナスレンズ装用群に対しても有意に伸長していた。
【0036】
眼軸長は、成長とともに伸長するが、フェニル酪酸ナトリウムは成長に伴う眼軸伸長は抑制しないことを次に示す。
図4Cに、レンズ装用1週間後、3週間後の眼軸長の長さを示す。PBS投与群のマイナスレンズを装用した目は、レンズ装用後1週間で、レンズ非装用のコントロール眼、及びフェニル酪酸ナトリウム投与群のレンズ装用眼、非装用眼に対し有意な伸長が認められる。レンズ装用開始3週間後の眼軸長は、いずれの群でもレンズ装用開始後1週間後の眼軸長と比較して伸長している。フェニル酪酸ナトリウム投与群でもPBS投与群のフレームのみを装着した目の眼軸長と同程度の伸長が見られることは、フェニル酪酸ナトリウムは、成長に付随して生じる正常な眼軸長の伸長には影響を及ぼさないことを示している。
【0037】
フェニル酪酸ナトリウムは、尿素サイクル異常症にすでに適用が認められている薬剤であることから、ヒトでの安全性も確認されている。また、上記で示したように正常な眼軸長の伸長を妨げないことも明らかであるから、強度近視の進行を抑制する薬剤として非常に有望である。
【0038】
(2)小胞体ストレス抑制剤、タウロウルソデオキシコール酸の効果
次に、同じく小胞体ストレス抑制剤として知られているタウロウルソデオキシコール酸の効果の解析を行った。実施例1と同様に、3週齢雄性C57BL6Jマウスを用いて解析を行った。マウスは右眼に-30Dのレンズを左眼にはフレームのみを装用した。レンズ装用当日から100mg/kg タウロウルソデオキシコール酸(SIGMA-Aldrich株式会社)を腹腔内投与により1日1回投与し(n=4)、対照群(n=4)にはPBSを等量腹腔内投与した。レンズ装用前、装用1週間後に眼軸長・屈折値を測定し、その変化量を算出した。
図5左には屈折値を、右には眼軸長の変化を示す。
【0039】
コントロールとしてPBSを投与した群では、-30Dレンズを装用させた目とフレームのみを装用させた目では、有意な屈折値の変化が認められたにもかかわらず、タウロウルソデオキシコール酸を投与した群では、両者に差は認められず、タウロウルソデオキシコール酸に近視抑制効果があることが認められた。また、眼軸長の変化に対しても、近視誘導を行った目について、タウロウルソデオキシコール酸を投与した群、PBS投与群を比較すると、有意な差が認められ、眼軸長の変化に対してもタウロウルソデオキシコール酸が効果を有することが明らかとなった。
【0040】
(3)小胞体ストレス抑制剤の点眼による効果
近視を抑制する薬剤として、点眼剤、あるいは眼軟膏のように直接目に投与することのできる剤形は、高い効果が望める点、また、患者自らが投与できることから望ましい。そこで、実施例1と同様にしてマウス近視誘導モデルを作製し、フェニル酪酸ナトリウムの点眼による効果を解析した。
【0041】
3週齢雄性C57BL6Jマウスにレンズを装用させ、レンズ装用当日から両眼に0.2%(n=4)または2%(n=4)になるようにフェニル酪酸ナトリウムをPBSに溶解させたフェニル酪酸ナトリウム溶液を1日1回、毎日点眼投与した。対照群(n=4)にはPBSを点眼投与した。レンズ装用前、装用3週間後に屈折値(
図6左)、眼軸長(
図6右)を測定し、その変化量を算出した。
【0042】
レンズを装用させて近視を誘導した目において、屈折値、眼軸長を比較すると、2%フェニル酪酸ナトリウム投与群では、PBS投与群に対して、有意な差が認められた。したがって、点眼投与によっても、フェニル酪酸ナトリウムが近視抑制に対して効果があるものと認められる。また、0.2%フェニル酪酸ナトリウム投与群においても、PBS投与群に対して有意差は認められないものの、屈折値、眼軸長の変化を抑制する傾向が見られた。
【0043】
[実施例3]小胞体ストレス誘導の近視に対する影響
上記で示したように、小胞体ストレスの抑制剤が近視誘導に対して抑制効果があることから、小胞体ストレスが近視誘導に直接的に関与しているものと考えられる。そこで、小胞体ストレスを誘導する薬剤を投与することによって、近視を誘導することができるか解析を行った。対象は3週齢雄性C57BL6Jマウス(n=12)とした。マウスには右眼に50μg/mlのツニカマイシン(Tm)(SIGMA Aldrich株式会社)又は10μMのタプシガルギン(TG)(和光純薬工業株式会社)、左眼にはPBS(Veh)を1回点眼投与した。ツニカマイシン、タプシガルギン投与前および1週間後に屈折値、及び眼軸長を測定し、その変化量を算出した(
図7)。
【0044】
小胞体ストレス誘導剤として知られているツニカマイシン、タプシガルギン、いずれの薬剤の投与によっても、PBS投与眼に対して、屈折値、眼軸長ともに、有意差が認められ、近視が誘導されている。すなわち、小胞体ストレスが直接的に近視を誘導していることが示された。
【0045】
[実施例4]小胞体ストレス経路阻害剤の近視誘導に対する効果
上述のように、小胞体ストレスの下流には、IRE1経路、PERK経路、ATF6経路の3つの経路があることが知られている。小胞体ストレス経路の3つの経路の阻害剤を用いて、近視誘導抑制効果があるか解析を行った。
【0046】
IRE1経路の阻害剤としてSTF-083010(STF)、PERK経路の阻害剤としてGSK265615(GSK)、ATF6経路阻害剤としてNelfinavir(NFV)を用いた。マウス近視誘導モデルにこれら薬剤を投与し、近視誘導が抑制されるか解析を行った。
【0047】
実施例1と同様に、3週齢雄性C57BL6Jマウスは、右眼に-30Dのレンズを左眼にはフレームのみを装用した。レンズ装用当日から両眼に1日1回60μM STF-083010(SIGMA Aldrich株式会社)(n=3)または50μM GSK2656157(Cayman株式会社)(n=3)または50μM Nelfinavir(東京化成工業株式会社)(n=3)になるようにPBSに溶解したものを毎日点眼投与した。対照群(n=3)には0.1% DMSO(SIGMA Aldrich株式会社)をPBSに溶解し点眼投与した。レンズ装用前、装用1週間後に屈折値、眼軸長を測定し、その変化量を算出した(
図8)。
図8では、レンズ装用前後の屈折値(
図8(A))、及び眼軸長(
図8(B))の差(変化量)を左に、さらに各個体における変化量の差を比較するために、レンズ装用眼の変化量とコントロール眼の変化量の差を求め右側のグラフとして表している。
【0048】
STF-083010はDMSO同様に、レンズを装用させなかったコントロール眼に対して屈折値、眼軸長ともに有意に変化を生じており近視誘導を抑制しなかった。他方、GSK2656157、Nelfinavir点眼群は、レンズを装用させなかったコントロール眼でも屈折値の変化、眼軸長の伸長が観察された。しかしながら、レンズを装用させ近視を誘導した眼との変化量の差が有意に減少していることから(
図8(A)、(B)右のグラフ)、近視誘導を抑制する効果があるものと考えられる。
【0049】
以上の結果から、小胞体ストレスによって近視が誘導され、小胞体ストレスを抑制することによって、近視誘導を抑制可能なことが示された。また、小胞体ストレス自体を抑制するフェニル酪酸、タウロウルソデオキシコール酸のような薬剤を用いることによって近視抑制を行えるだけではなく、その下流の小胞体ストレスを伝達するシグナルを阻害することによっても抑制可能であることが示された。特に、小胞体ストレスセンサーであるPERK、ATF6により生じるシグナルを阻害することによって有効に近視を抑制することが示された。
【産業上の利用可能性】
【0050】
今まで有効な治療薬がなかった近視に対して、小胞体ストレス抑制剤が近視の進行を抑制することが明らかとなった。したがって、小胞体ストレス抑制剤は近視の治療薬として作用し得る。また、遺伝的解析が容易なマウスを用いて、ヒトの近視と同様の症状を呈する近視誘導モデルを作製することができた。今後、マウス近視誘導モデルを用いることによって、近視発症の分子的機序を解明し、分子標的薬を開発することが可能となる。
【符号の説明】
【0051】
1・・支柱、2・・マイナスレンズ、3・・フレーム、4・・プロテクター、5・・調節器具、6・・長穴、7・・ナット