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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2024-03-11
(45)【発行日】2024-03-19
(54)【発明の名称】摺動部材、その製造方法及び被覆膜
(51)【国際特許分類】
   C23C 14/06 20060101AFI20240312BHJP
   B32B 9/00 20060101ALI20240312BHJP
   C23C 14/32 20060101ALI20240312BHJP
【FI】
C23C14/06 F
B32B9/00 A
C23C14/06 N
C23C14/32 Z
【請求項の数】 10
(21)【出願番号】P 2023509335
(86)(22)【出願日】2022-03-25
(86)【国際出願番号】 JP2022014470
(87)【国際公開番号】W WO2022203052
(87)【国際公開日】2022-09-29
【審査請求日】2023-09-05
(31)【優先権主張番号】P 2021053978
(32)【優先日】2021-03-26
(33)【優先権主張国・地域又は機関】JP
【早期審査対象出願】
(73)【特許権者】
【識別番号】390022806
【氏名又は名称】日本ピストンリング株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】100117226
【弁理士】
【氏名又は名称】吉村 俊一
(72)【発明者】
【氏名】杉浦 宏幸
(72)【発明者】
【氏名】岡崎 孝弘
【審査官】末松 佳記
(56)【参考文献】
【文献】特開2015-083875(JP,A)
【文献】国際公開第2017/104822(WO,A1)
【文献】国際公開第2017/026043(WO,A1)
【文献】国際公開第2018/235750(WO,A1)
【文献】特開2018-127719(JP,A)
【文献】国際公開第2016/042629(WO,A1)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C23C 14/00-14/58
B32B 7/022
B32B 9/00
F02F 5/00
F16C 1/00-43/08
F16J 1/00-15/56
F02B 1/00-79/00
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
基材上の摺動面に被覆膜を有する摺動部材であって、
前記被覆膜は、断面を明視野TEM像により観察したとき、相対的に黒で示される黒色の硬質炭素層と相対的に白で示される白色の硬質炭素層とを含む繰り返し単位が厚さ方向に積層された積層部と、該積層部上に設けられた白色の硬質炭素層からなる表層部とを有し、
前記黒色の硬質炭素層のビッカース硬度が700~1600HVの範囲内であり、前記白色の硬質炭素層のビッカース硬度が隣り合う前記黒色の硬質炭素層のビッカース硬度よりも高く且つ1200~2200HVの範囲内であり、前記表層部のビッカース硬度が前記白色の硬質炭素層のビッカース硬度よりも低く且つ800~1200HVの範囲内である、ことを特徴とする摺動部材。
【請求項2】
隣り合う前記黒色の硬質炭素層と前記白色の硬質炭素層の[sp/(sp+sp)]比及び前記表層部の[sp/(sp+sp)]比は、[前記黒色の硬質炭素層<前記白色の硬質炭素層≦前記表層部]、又は、[前記黒色の硬質炭素層<前記表層部≦前記白色の硬質炭素層]である、請求項1に記載の摺動部材。
【請求項3】
前記表層部の厚さが0.1~1.0μmの範囲内であり、前記繰り返し単位の厚さが0.2~2μmの範囲内である、請求項1又は2に記載の摺動部材。
【請求項4】
前記黒色の硬質炭素層の[sp/(sp+sp)]比が0.05~0.75の範囲内であり、前記白色の硬質炭素層の[sp/(sp+sp)]比が前記黒色の硬質炭素層の[sp/(sp+sp)]比よりも大きく且つ0.20~0.80の範囲内であり、前記表層部の[sp/(sp+sp)]比が0.20~0.80の範囲内である、請求項1~3のいずれか1項に記載の摺動部材。
【請求項5】
前記黒色の硬質炭素層の直下及び/又は前記白色の硬質炭素層の直下にカーボン層を有する、請求項1~4のいずれか1項に記載の摺動部材。
【請求項6】
断面を明視野TEM像により観察したとき、前記基材又は該基材上に設けられた中間層と、前記被覆膜との間に、硬質炭素下地膜が設けられている、請求項1~5のいずれか1項に記載の摺動部材。
【請求項7】
前記摺動部材がピストンリングである、請求項1~6のいずれか1項に記載の摺動部材。
【請求項8】
基材上の摺動面に被覆膜を有する請求項1~7のいずれか1項に記載の摺動部材の製造方法であって、
前記被覆膜は、断面を明視野TEM像により観察したとき、相対的に黒で示される黒色の硬質炭素層と相対的に白で示される白色の硬質炭素層とを含む繰り返し単位が厚さ方向に積層された積層部と、該積層部上に設けられた白色の硬質炭素層からなる表層部とを有し、
前記表層部の成膜温度を前記積層部の成膜温度よりも高くして成膜する、ことを特徴とする摺動部材の製造方法。
【請求項9】
断面を明視野TEM像により観察したとき、相対的に黒で示される黒色の硬質炭素層と相対的に白で示される白色の硬質炭素層とを含む繰り返し単位が厚さ方向に積層された積層部と、該積層部上に設けられた白色の硬質炭素層からなる表層部とを有し、
前記黒色の硬質炭素層のビッカース硬度が700~1600HVの範囲内であり、前記白色の硬質炭素層のビッカース硬度が隣り合う前記黒色の硬質炭素層のビッカース硬度よりも高く且つ1200~2200HVの範囲内であり、前記表層部のビッカース硬度が前記白色の硬質炭素層のビッカース硬度よりも低く且つ800~1200HVの範囲内である、ことを特徴とする被覆膜。
【請求項10】
[隣り合う前記黒色の硬質炭素層と前記白色の硬質炭素層の[sp/(sp+sp)]比及び前記表層部の[sp/(sp+sp)]比は、[前記黒色の硬質炭素層<前記白色の硬質炭素層≦前記表層部]、又は、[前記黒色の硬質炭素層<前記表層部≦前記白色の硬質炭素層]である、請求項9に記載の被覆膜。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、摺動部材、その製造方法及び被覆膜に関する。さらに詳しくは、本発明は、耐チッピング性と耐摩耗性を示すとともに耐剥離性(密着性)に優れ、且つフリクションの低減を実現した摺動部材、その製造方法及び被覆膜に関する。
【背景技術】
【0002】
近年、各種産業分野、特に自動車分野において、エンジン基材やその他機械基材等の摺動性が必要とされる摺動部材では、その表面への被覆膜として、硬質炭素層についての検討が盛んに行われている。硬質炭素層は、一般的にダイヤモンドライクカーボン(DLC)層、無定形炭素層、i-カーボン層、ダイヤモンド状炭素層等、様々な名称で呼ばれている。そうした硬質炭素層、構造的には非晶質に分類される。
【0003】
硬質炭素層は、ダイヤモンド結晶に見られるような単結合とグラファイト結晶に見られるような二重結合とが混在していると考えられている。その硬質炭素層は、ダイヤモンド結晶のような高硬度、高耐摩耗性及び優れた化学的安定性等に加えて、グラファイト結晶のような低硬度、高潤滑性及び優れた相手なじみ性等を備えている。また、その硬質炭素層は、非晶質であるために、平坦性に優れ、相手材料との直接接触における低摩擦性(すなわち小さな摩擦係数)や優れた相手なじみ性も備えている。
【0004】
摺動部材の摺動面では、耐チッピング性(耐欠損性)と耐摩耗性が重要な特性である。しかし、その耐チッピング性(耐欠損性)と耐摩耗性とは互いにトレードオフの関係にあるため、これらを満たす被覆膜を設けることは難しい。そのための手段として、低硬度化した硬質炭素層を設けたり、低硬度の硬質炭素と高硬度の硬質炭素の混在層を設けたりして、耐チッピング性と耐摩耗性とを両立させることが検討されている。
【0005】
しかしながら、耐チッピング性と耐摩耗性を両立させることについては、未だ十分とは言えないのが現状である。特にピストンリング等の高負荷が加わる摺動部材に設ける被覆膜には、耐チッピング性や耐摩耗性に加えて低摩擦性や耐剥離性が要求されるにもかかわらず、これらの特性の改善も未だ十分とは言えない。こうした課題に対し、近年、種々の技術が提案されている。
【0006】
例えば特許文献1には、PVD法でありながら耐久性に優れた厚膜の硬質炭素層を成膜することができると共に、成膜された硬質炭素層の耐チッピング性と耐摩耗性とを両立させると共に、低摩擦性と耐剥離性を改善させることができる技術が提案されている。この技術は、基材の表面に被覆される被覆膜であって、断面を明視野TEM像により観察したとき、相対的に白で示される白色の硬質炭素層と、黒で示される黒色の硬質炭素層とが厚み方向に交互に積層されて1μmを超え、50μm以下の総膜厚を有しており、前記白色の硬質炭素層は、厚み方向に扇状に成長した領域を有しているというものである。
【0007】
また、特許文献2には、一定で安定した耐チッピング性と耐摩耗性を示すとともに耐剥離性(密着性)に優れる被覆膜を有する摺動部材、及びその被覆膜が提案されている。この技術は、摺動面に硬質炭素層からなる被覆膜を有する摺動部材であって、前記被覆膜は、断面を明視野TEM像により観察したとき、相対的に黒で示される黒色の硬質炭素層と相対的に白で示される白色の硬質炭素層とを含む繰り返し単位が厚さ方向に積層されて1μm~50μmの範囲内の厚さを有し、前記被覆膜は、基材側に設けられて、前記繰り返し単位のうち前記白色の硬質炭素層の厚さが厚さ方向に徐々に大きくなる傾斜領域と、表面側に設けられて、前記繰り返し単位のうち前記白色の硬質炭素層の厚さが厚さ方向で同じ又は略同じ均質領域とを有し、前記傾斜領域は、厚さ方向にV字状又は放射状に成長した形態を有し、前記均質領域は、厚さ方向にV字状又は放射状に成長した形態を有しないというものである。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0008】
【文献】WO2017/104822A1
【文献】WO2018/235750A1
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0009】
摺動部材が有する被覆膜には、耐チッピング性、耐摩耗性、低摩擦性等が要求されているが、さらにフリクション(摩擦損失)の低減が期待されている。硬質炭素層は低フリクションを実現できる素材として期待されている。本発明者は、特に摺動初期の段階で相手部材になじみ性よく接触する表面層について、フリクションの低減の検討を行っている。
【0010】
本発明の目的は、耐チッピング性と耐摩耗性を示すとともに耐剥離性(密着性)に優れ、且つフリクションの低減を実現した新しい摺動部材、その製造方法及び被覆膜を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0011】
(1)本発明に係る摺動部材は、基材上の摺動面に被覆膜を有する摺動部材であって、前記被覆膜は、断面を明視野TEM像により観察したとき、相対的に黒で示される黒色の硬質炭素層と相対的に白で示される白色の硬質炭素層とを含む繰り返し単位が厚さ方向に積層された積層部と、該積層部上に設けられた白色の硬質炭素層からなる表層部とを有し、前記黒色の硬質炭素層のビッカース硬度が700~1600HVの範囲内であり、前記白色の硬質炭素層のビッカース硬度が隣り合う前記黒色の硬質炭素層のビッカース硬度よりも高く且つ1200~2200HVの範囲内であり、前記表層部のビッカース硬度が前記白色の硬質炭素層のビッカース硬度よりも低く且つ800~1200HVの範囲内である、ことを特徴とする。
【0012】
従来の技術と同様、積層部においては、相対的に黒色の硬質炭素層は、高密度で[sp/(sp+sp)]比が小さく、強度に優れている。相対的に白色の硬質炭素層は、低密度で[sp/(sp+sp)]比が大きく、低摩擦性と耐チッピング性に優れている。しかし、本発明での積層部は、従来の技術とは異なり、隣り合う黒色の硬質炭素層と白色の硬質炭素層において、硬度は、黒色の硬質炭素層よりも白色の硬質炭素層が高い。これら硬質炭素層の積層体である被覆膜を摺動面に設けることにより、性質の異なる硬質炭素層の積層効果に基づき、耐チッピング性と耐摩耗性と耐剥離性(密着性)に優れた摺動部材とすることができる。さらに、本発明は、白色の硬質炭素層からなる表層部は、硬度は黒色の硬質炭素層の範囲内で低い範囲であり、摺動初期の段階で相手部材に接触する際のフリクションの低減を実現できる。
【0013】
本発明に係る摺動部材において、隣り合う前記黒色の硬質炭素層と前記白色の硬質炭素層の[sp/(sp+sp)]比及び前記表層部の[sp/(sp+sp)]比は、[前記黒色の硬質炭素層<前記白色の硬質炭素層≦前記表層部]、又は、[前記黒色の硬質炭素層<前記表層部≦前記白色の硬質炭素層]である。
【0014】
この発明によれば、積層部における隣り合う黒色の硬質炭素層と白色の硬質炭素層の[sp/(sp+sp)]比は黒色の硬質炭素層よりも白色の硬質炭素層が大きく、性質の異なる硬質炭素層の積層効果に基づき、耐チッピング性と耐摩耗性と耐剥離性(密着性)に優れた摺動部材とすることができる。さらに、白色の硬質炭素層からなる表層部の[sp/(sp+sp)]比は黒色の硬質炭素層よりも大きく白色の硬質炭素層と同程度である。こうした表層部は、摺動初期の段階で相手部材に接触する際のフリクションの低減を実現できる。
【0015】
本発明に係る摺動部材において、前記表層部の厚さが0.1~1.0μmの範囲内であり、前記繰り返し単位の厚さが0.2~2μmの範囲内である。
【0016】
本発明に係る摺動部材において、前記黒色の硬質炭素層の[sp/(sp+sp)]比が0.05~0.75の範囲内であり、前記白色の硬質炭素層の[sp/(sp+sp)]比が前記黒色の硬質炭素層の[sp/(sp+sp)]比よりも大きく且つ0.20~0.80の範囲内であり、前記表層部の[sp/(sp+sp)]比が0.20~0.80の範囲内である。
【0017】
本発明に係る摺動部材において、前記黒色の硬質炭素層の直下及び/又は前記白色の硬質炭素層の直下にカーボン層を有することが好ましい。
【0018】
本発明に係る摺動部材において、断面を明視野TEM像により観察したとき、前記基材又は該基材上に設けられた中間層と、前記被覆膜との間に、硬質炭素下地膜が設けられていてもよい。
【0019】
本発明に係る摺動部材において、前記摺動部材がピストンリングである。
【0020】
(2)本発明に係る摺動部材の製造方法は、基材上の摺動面に被覆膜を有する上記本発明に係る摺動部材の製造方法であって、前記被覆膜は、断面を明視野TEM像により観察したとき、相対的に黒で示される黒色の硬質炭素層と相対的に白で示される白色の硬質炭素層とを含む繰り返し単位が厚さ方向に積層された積層部と、該積層部上に設けられた白色の硬質炭素層からなる表層部とを有し、前記表層部の成膜温度を前記積層部の成膜温度よりも高くして成膜する、ことを特徴とする。
【0021】
(3)本発明に係る被覆膜は、断面を明視野TEM像により観察したとき、相対的に黒で示される黒色の硬質炭素層と相対的に白で示される白色の硬質炭素層とを含む繰り返し単位が厚さ方向に積層された積層部と、該積層部上に設けられた白色の硬質炭素層からなる表層部とを有し、前記黒色の硬質炭素層のビッカース硬度が700~1600HVの範囲内であり、前記白色の硬質炭素層のビッカース硬度が隣り合う前記黒色の硬質炭素層のビッカース硬度よりも高く且つ1200~2200HVの範囲内であり、前記表層部のビッカース硬度が前記白色の硬質炭素層のビッカース硬度よりも低く且つ800~1200HVの範囲内である、ことを特徴とする。
【0022】
本発明に係る被覆膜において、隣り合う前記黒色の硬質炭素層と前記白色の硬質炭素層の[sp/(sp+sp)]比及び前記表層部の[sp/(sp+sp)]比は、[前記黒色の硬質炭素層<前記白色の硬質炭素層≦前記表層部]、又は、[前記黒色の硬質炭素層<前記表層部≦前記白色の硬質炭素層]である。
【発明の効果】
【0023】
本発明によれば、特にピストンリング等の高負荷が加わる摺動部材及び被覆膜として、耐チッピング性と耐摩耗性を示すとともに耐剥離性(密着性)に優れ、且つフリクションの低減を実現した新しい摺動部材、その製造方法及び被覆膜を提供することができる。
【図面の簡単な説明】
【0024】
図1】本発明に係る摺動部材に設けられた被覆膜の一例を示す模式的な断面図である。
図2】被覆膜の例を示す説明図であり、(A)は黒色の硬質炭素層Bが成膜され、その上に白色の硬質炭素層Wが成膜された繰り返し単位が積層された積層部と、その上に表層部が設けられた断面形態例であり、(B)は白色の硬質炭素層Wが成膜され、その上に黒色の硬質炭素層Bが成膜された繰り返し単位が積層された積層部と、その上に表層部が設けられた断面形態例である。
図3】被覆膜の他の例を示す説明図であり、(A)は黒色の硬質炭素層Bが成膜され、その上に白色の硬質炭素層Wが成膜された繰り返し単位が積層された積層部と、その上に表層部が設けられた断面形態例であり、(B)は白色の硬質炭素層Wが成膜され、その上に黒色の硬質炭素層Bが成膜された繰り返し単位が積層された積層部と、その上に表層部が設けられた断面形態例である。
図4】被覆膜の一例を示す断面の明視野TEM像である。
図5】被覆膜を構成する表層部の一例を示す断面の明視野TEM像である。
図6】被覆膜を有するピストンリングの一例を示す模式的な断面図である。
図7】SRV試験機による摩擦摩耗試験方法の模式図である。
図8】被覆膜を構成するカーボン層の成膜形態を示す断面の明視野TEM像である。
【発明を実施するための形態】
【0025】
本発明に係る摺動部材、その製造方法及び被覆膜について、図面を参照しつつ詳しく説明する。なお、本発明は以下の説明及び図面にのみ限定されるものではなく、その要旨の範囲内での変形例も包含する。
【0026】
[摺動部材]
本発明に係る摺動部材10は、例えば図6のピストンリングの例に示すように、摺動面16に被覆膜1を有する摺動部材10である。その被覆膜1は、断面を明視野TEM像により観察したとき、相対的に黒で示される黒色の硬質炭素層Bと相対的に白で示される白色の硬質炭素層Wとを含む繰り返し単位(図2及び図3中、符号*で表す。)が厚さ方向Yに積層された積層部1Aと、その積層部1A上に設けられた白色の硬質炭素層からなる表層部1Cとを有している。硬度については、黒色の硬質炭素層Bのビッカース硬度が700~1600HVの範囲内であり、白色の硬質炭素層Wのビッカース硬度が隣り合う黒色の硬質炭素層Bのビッカース硬度よりも高く且つ1200~2200HVの範囲内であり、表層部1Cのビッカース硬度が白色の硬質炭素層Wのビッカース硬度よりも低く且つ800~1200HVの範囲内である、ことに特徴がある。
【0027】
こうした摺動部材10を構成する被覆膜1は、積層部1Aにおいて、従来の技術と同様、相対的に黒色の硬質炭素層Bは高密度でsp/sp比が小さく強度に優れており、相対的に白色の硬質炭素層は低密度でsp/sp比が大きく低摩擦性と耐チッピング性に優れている。しかし、この積層部1Aは、従来の技術とは異なり、隣り合う黒色の硬質炭素層Bと白色の硬質炭素層Wにおいて、硬度は、黒色の硬質炭素層Bよりも白色の硬質炭素層Wが高い。これら硬質炭素層B,Wの積層体である積層部1Aを摺動面16に設けることにより、性質の異なる硬質炭素層の積層効果に基づき、耐チッピング性と耐摩耗性と耐剥離性(密着性)に優れた摺動部材10とすることができる。さらに、白色の硬質炭素層からなる表層部1Cの硬度は、黒色の硬質炭素層Bの範囲内で低い範囲であり、摺動初期の段階で相手部材に接触する際のフリクションの低減を実現できる。
【0028】
なお、明視野TEM像は、FIB(Focused Ion Beam)を用いて薄膜化した被覆膜1を、TEM(透過型電子顕微鏡:Transmission Electron Microscope)により、例えば加速電圧300kVで観察して得ることができる。厚さ方向Yとは、基材11上に積層部1Aと表層部1Cが順次積層する方向の意味である。
【0029】
以下、摺動部材の構成要素を詳しく説明する。なお、以下では、摺動部材としてピストンリングを例にして説明する箇所が多いが、本発明に係る摺動部材はピストンリングに限定されるものではない。また、[sp/(sp+sp)]比を簡略化して「sp/sp比」と表すことがある。
【0030】
(基材)
基材11は、図1及び図2及び図3に示すように、被覆膜1が設けられる対象部材である。基材11としては、特に限定されず、鉄系金属、非鉄系金属、セラミックス、硬質複合材料等を挙げることができる。例えば、炭素鋼、合金鋼、焼入れ鋼、高速度工具鋼、鋳鉄、アルミニウム合金、マグネシウム合金、超硬合金等を挙げることができる。なお、被覆膜1の成膜温度を考慮すれば、200℃を超える温度で特性が大きく劣化しない基材であることが好ましい。
【0031】
被覆膜1をピストンリング10に適用した場合におけるピストンリング基材11としては、ピストンリング10の基材として用いられている各種のものを挙げることができ、特に限定されない。例えば、各種の鋼材、ステンレス鋼材、鋳物材、鋳鋼材等を適用することができる。これらのうち、マルテンサイト系ステンレス鋼、クロムマンガン鋼(SUP9材)、クロムバナジウム鋼(SUP10材)、シリコンクロム鋼(SWOSC-V材)等を挙げることができる。この基材11は、図1に示す下地層11aを必要に応じて有するものであってもよい。そうした下地層11aとしては、後述する中間層12との密着性を高めるもの等を挙げることができ、特に限定されない。
【0032】
ピストンリング基材11には、Cr、Ti、Si、Al等の少なくとも1種の窒化物、炭窒化物又は炭化物等の層が下地層11aとして予め設けられていてもよい。このような化合物層としては、例えばCrN、TiN、CrAlN、TiC、TiCN、TiAlSiN等を挙げることができる。これらのうち、好ましくは、窒化処理を施して形成された窒化層(図示しない)や、Cr-N系、Cr-B-N系、Ti-N系等の耐摩耗性皮膜(図示しない)を挙げることができる。なかでも、Cr-N系、Cr-B-N系、Ti-N系等の耐摩耗性皮膜を形成することが好ましい。なお、ピストンリング10は、こうした窒化処理やCr系又はTi系の耐摩耗性皮膜を設けなくても優れた耐摩耗性を示すので、窒化処理やCr系又はTi系の耐摩耗性皮膜の形成は必須の構成ではない。
【0033】
ピストンリング基材11には、必要に応じて前処理を行ってもよい。前処理としては、表面研磨して表面粗さを調整することが好ましい。表面粗さの調整は、例えばピストンリング基材11の表面をダイヤモンド砥粒でラッピング加工して表面研磨する方法等で行うことが好ましい。こうしたピストンリング基材11は、後述する中間層12等を形成する前の前処理として、又は、その中間層12等を形成する前に予め設ける下地層11a等の前処理として、好ましく適用することができる。
【0034】
(中間層)
中間層12は、図1図3に示すように、基材11と被覆膜1との間に必要に応じて設けられていることが好ましい。この中間層12により、基材11と被覆膜1との間の密着性をより向上させることができる。
【0035】
中間層12としては、Cr、Ti、Si、W、B等の元素の少なくとも1種又は2以上を有する層を挙げることができる。なお、中間層12の下層(基材11と中間層12との間)には、Cr、Ti、Si、Al等の少なくとも1種又は2種以上の元素を含む窒化物、炭窒化物、炭化物等の化合物からなる下地層11aを設けてもよい。そうした化合物としては、例えば、CrN、TiN、CrAlN、TiC、TiCN、TiAlSiN等を挙げることができる。なお、中間層12が必要に応じて設けられる下地層11aの形成は、例えば、基材11をチャンバー内にセットし、チャンバー内を真空にした後、予熱やイオンクリーニング等を施して不活性ガスや窒素ガス等を導入し、真空蒸着法やイオンプレーティング法等の手段によって行うことができる。
【0036】
被覆膜1をピストンリング10に適用した場合における中間層12としては、チタン膜又はクロム膜等を挙げることができる。この場合の中間層12も必ずしも設けられていなくてもよく、その形成は任意である。チタン膜又はクロム膜等の中間層12は、真空蒸着法、スパッタリング法、イオンプレーティング法等の各種の成膜手段で形成することができる。例えば、ピストンリング基材11をチャンバー内にセットし、チャンバー内を真空にした後、予熱やイオンクリーニング等を施して不活性ガスを導入して行うことができる。中間層12の厚さは特に限定されないが、0.05μm以上、2μm以下の範囲内であることが好ましい。なお、中間層12は、ピストンリング10がシリンダライナー(図示しない)に接触して摺動する外周摺動面16に少なくとも形成されることが好ましいが、その他の面、例えばピストンリング10の上面、下面、内周面に形成されていてもよい。
【0037】
この中間層12は、ピストンリング基材11上に直接形成されていてもよいし、上述した窒化処理後の表面や耐摩耗性皮膜からなる下地層11a上に形成されていてもよい。その中間層12は、ピストンリング基材11と被覆膜1との密着性を向上させることができる。なお、中間層12と被覆膜1との間にも、それらの密着性等をより向上させるため、必要に応じて他の層を設けてもよい。例えば、後述する被覆膜1の成分と同じ又はほぼ同じ膜を硬質炭素下地膜として形成してもよい。
【0038】
(被覆膜)
被覆膜1は、図2図5に示すように、積層部1Aと表層部1Cとで構成されている。積層部1Aは、その断面の明視野TEM像を観察したとき、相対的に白黒2色で示される2種類の硬質炭素層(W,B)を有し、黒色の硬質炭素層Bと白色の硬質炭素層Wとは積層されて繰り返し単位(図2及び図3中、符号*で表す。)となり、その繰り返し単位が厚さ方向Yに積層されて積層部1Aとなっている。表層部1Cは、積層部1A上に設けられた白色の硬質炭素層である。なお、「相対的」とは、断面を明視野TEM像により観察したときの色合いの相対関係の意味であり、黒色に見える層が「黒色の硬質炭素層B」であり、白色に見える層が「白色の硬質炭素層W」である。
【0039】
被覆膜1をピストンリング10に適用した場合においては、被覆膜1は、図6に示すように、ピストンリング10がシリンダライナー(図示しない)に接触して摺動する外周摺動面16に少なくとも形成される。なお、その他の面、例えばピストンリング10の上面、下面、内周面にも任意に形成されていてもよい。
【0040】
(積層部)
積層部1Aは、図2及び図3に示すように、黒色の硬質炭素層Bと白色の硬質炭素層Wとの繰り返し単位が積層されて形成され、積層順は特に限定されない。図2(A)及び図3(A)のように、黒色の硬質炭素層Bが成膜され、その上に白色の硬質炭素層Wが成膜された繰り返し単位が積層されていてもよいし、図2(B)及び図3(B)のように、白色の硬質炭素層Wが成膜され、その上に黒色の硬質炭素層Bが成膜された繰り返し単位が積層されていてもよい。繰り返し単位は、図2及び図3に示すいずれの形態であってもよく、繰り返し単位を構成する黒色の硬質炭素層Bと白色の硬質炭素層Wとは隣り合った態様で成膜されている。なお、図2図3の違いは、表層部1Cの直下の層が、図2では白色の硬質炭素層Wであり、図3では黒色の硬質炭素層Bである。
【0041】
相対的に黒色の硬質炭素層Bは、従来の技術と同様、高密度でsp/sp比が小さく強度に優れており、相対的に白色の硬質炭素層は低密度でsp/sp比が大きく低摩擦性と耐チッピング性に優れている。しかし、本発明の被覆膜1を構成する積層部1Aは、従来の技術とは硬度の高低が異なり、隣り合う黒色の硬質炭素層Bと白色の硬質炭素層Wにおいては、黒色の硬質炭素層Bよりも白色の硬質炭素層Wの方が高い硬度になっている。すなわち、黒色の硬質炭素層Bは、隣り合う白色の硬質炭素層Wに比べて、硬度が低く、密度が大きい。逆に言えば、白色の硬質炭素層Wは、隣り合う黒色の硬質炭素層Bに比べて、硬度が高く、密度が小さい。
【0042】
sp/sp比は、白色の硬質炭素層Wの方が黒色の硬質炭素層Bよりも大きいので、より詳しくは、黒色の硬質炭素層Bは、隣り合う白色の硬質炭素層Wに比べて、硬度が低く、sp/sp比が小さく、密度が大きく、白色の硬質炭素層Wは、隣り合う黒色の硬質炭素層Bに比べて、硬度が高く、sp/sp比が大きく、密度が小さい。こうした黒色の硬質炭素層Bと白色の硬質炭素層Wとの繰り返し単位が積層された積層部1Aは、実験例の結果に示すように、性質の異なる硬質炭素層B,Wの積層効果に基づき、耐チッピング性と耐摩耗性と耐剥離性(密着性)に優れた摺動部材10とすることができる。なお、sp/sp比は、[sp/(sp+sp)]比を簡略化して表したものであり、後述した「sp/sp比」の説明欄で説明する方法で測定されたものである。
【0043】
硬度について、黒色の硬質炭素層Bのビッカース硬度は、700~1600HVの範囲内であることが好ましく、750~1200HVの範囲内であることがさらに好ましい。白色の硬質炭素層Wのビッカース硬度は、隣り合う黒色の硬質炭素層Bのビッカース硬度よりも高く且つ1200~2200HVの範囲内であることが好ましく、1250~1900HVの範囲内であることがさらに好ましい。
【0044】
sp/sp比について、黒色の硬質炭素層Bのsp/sp比は、0.05~0.75の範囲内であることが好ましい。白色の硬質炭素層Wのsp/sp比は、黒色の硬質炭素層Bのsp/sp比よりも大きく且つ0.20~0.80の範囲内であることが好ましい。sp/sp比が小さい黒色の硬質炭素層Bは、ダイヤモンドに代表される炭素結合(sp結合)が相対的に多いので、密度が高く、それゆえ硬度が高いものであったが、本発明では、密度は高いが、硬度は低い。一方、sp/sp比が大きい白色の硬質炭素層Wは、グラファイトに代表される炭素結合(sp結合)が相対的に多いので、密度が低く、それゆえ硬度が低いものであったが、本発明では、密度は低いが、硬度は高い。この原因は、後述する成膜プロセスによるものと考えられる。なお、sp/とspは、透過型電子顕微鏡(TEM)に電子エネルギー損失分光法(EELS)を組み合わせたTEM-EELSによる測定することができる。なお、ここでの「高い」、「低い」、「大きい」、「小さい」は、黒色の硬質炭素層Bと白色の硬質炭素層Wとの間の相対的な高低や大小を意味している。
【0045】
厚さ比(T1/T2)について、隣り合う黒色の硬質炭素層Bの厚さT1と白色の硬質炭素層Wの厚さT2との比(T1/T2)は、1/10~1.5/1の範囲内であることが好ましく、1/10~1/1の範囲内であることがより好ましい。繰り返し単位の厚さ比(T1/T2)が上記範囲内であるので、この厚さ比は、任意に制御して積層部1Aの厚さ方向Yで一定としたり変化させたりすることができる。厚さ比の変化は、徐々に大きくしたり小さくしたりしてもよいし、成膜開始時や成膜終了時を他の部分と異なる厚さ比としてもよい。
【0046】
例えば、黒色の硬質炭素層Bと白色の硬質炭素層Wの厚さの比(T1/T2)を積層部1Aの厚さ方向Yで同じ又はほぼ同じにした場合は、各繰り返し単位での低摩擦性や耐チッピング性が同程度になるので、積層部1Aの摩耗が徐々に進行した場合でも耐チッピング性や耐摩耗性を安定した一定の状態で示すことができる。また、例えば、黒色の硬質炭素層Bと白色の硬質炭素層Wの厚さの比(T1/T2)を積層部1Aの厚さ方向Yで徐々に変化させる場合は、摺動初期における繰り返し単位の低摩擦性や耐チッピング性と、初期以後における繰り返し単位の低摩擦性や耐チッピング性とを意図的に作用させることができるので、積層部1Aの摩耗が徐々に進行した場合の耐チッピング性や耐摩耗性をコントロールすることができる。
【0047】
厚さTについて、繰り返し単位の厚さTは、0.2~2μmの範囲内であることが好ましい。個々の繰り返し単位の厚さTは、任意に制御されて上記範囲内とすることができる。繰り返し単位が厚さ方向Yに積層された積層部1Aの合計厚さは、1~50μmの範囲内であり、好ましくは3~30μmの範囲内である。
【0048】
黒色の硬質炭素層Bは、その全部又は一部に網状又は扇状の組織形態を有している。その一部とは、黒色の硬質炭素層Bの表層側という意味であり、僅かに網状又は扇状の組織形態を有していてもよいし、網状や扇状に形容できる三次元的な成長形態を有していてもよい。こうした成長形態では、黒色の硬質炭素層Bに白色の硬質炭素が含まれていることもある。また、黒色の硬質炭素層Bの三角波状の形態を、膜の成長方向に対し、V字状(扇の要(かなめ)の位置から末広がりに拡大する形態)又は放射状とも見ることができる。
【0049】
図4に示すように、白色の硬質炭素層Wは、微細な縞模様を有することを視認でき、同様に、黒色の硬質炭素層Bも、微細な網状を有するように視認できる。こうした縞模様が繰り返す個々の各層(白色の硬質炭素層W、黒色の硬質炭素層B)で視認される理由として、リング状のピストンリングの摺動面に積層部1Aを成膜する場合のように、自転させて成膜させる際にターゲットに対する距離が連続的に変化することに基づいていると考えられる。
【0050】
積層部1Aは、1~50μmの範囲内の合計厚さで形成されることが好ましい。黒色の硬質炭素層Bと白色の硬質炭素層Wが積層した上記範囲の厚い積層部1Aの形成は、PVD法での成膜温度(基板温度)として、一例として、例えば200℃以下での成膜と200℃超での成膜とを交互に行うことによって実現できる。200℃以下での成膜は、sp/sp比がやや大きい白色の硬質炭素層Wとなる。一方、200℃超での成膜は、sp/sp比が小さい黒色の硬質炭素層Bとなる。積層部1Aは、これらの膜を交互に積層することにより、上記範囲の厚さの膜を形成することができる。
【0051】
なお、積層部1Aの一部には、積層された少なくとも2層以上の層間に跨るような隆起形状(図示しない)が現れていてもよい。この隆起形状は、あたかも地層が隆起したような形態に見える部分であり、粒子状にも見えるし、風船状にも見える部分である。隆起形状が存在した場合の積層状態は、厚さ方向Yに整列した態様で一様に積層されておらず、主に上半分に現れやすく、乱れた形態となっているように見えるが、耐摩耗性や耐チッピング性等の特性にはあまり影響しない。隆起形状の形成は、成膜時のマクロパーティクルが起点になっていると考えられる。
【0052】
積層部1Aを構成する黒色の硬質炭素層B及び白色の硬質炭素層Wには、その成膜条件に基づき、水素はほとんど含まれていない。水素含有量をあえて示すとすれば、0.01原子%以上、5原子%未満ということができる。水素含有量は、HFS(Hydrogen Forward Scattering)分析により測定でき、残部は、実質的に炭素のみからなり、N、B、Siその他の不可避不純物以外は含まれていないことが好ましい。
【0053】
(表層部)
表層部1Cは、積層部1Aの上に最表面層として設けられている。表層部1Cは、積層部1Aの白色の硬質炭素層Wと同様、断面を明視野TEM像により観察したとき、相対的に白色を呈する硬質炭素層で構成されている。
【0054】
表層部1Cのビッカース硬度は、同じ白色の硬質炭素層である積層部1Aの白色の硬質炭素層Wのビッカース硬度よりも低く、且つ800~1200HVの範囲内になっている。そして、その範囲(800~1200HV)は、積層部1Aの黒色の硬質炭素層Bの範囲内(700~1600HV)と同程度であるが、比較的低い範囲になっている。こうしたビッカース硬度の表層部1Cは、摺動初期の段階で相手部材に接触する際のフリクションの低減を実現するように作用するものと考えられる。
【0055】
sp/sp比について、積層部1Aを構成する黒色の硬質炭素層Bと白色の硬質炭素層Wと比較したとき、[黒色の硬質炭素層B<白色の硬質炭素層W≦表層部1C]、又は、[黒色の硬質炭素層B<表層部1C≦白色の硬質炭素層W]である。このように、白色の硬質炭素層からなる表層部1Cのsp/sp比は、黒色の硬質炭素層Bよりも大きく白色の硬質炭素層Wと同程度であり、sp/sp比については、断面を明視野TEM像により観察したときの相対的色調が同じ白色の硬質炭素層W(積層部1A)と同じであった。なお、表層部1Cのsp/sp比は、0.20~0.80の範囲内であり、好ましくは0.30~0.60の範囲内である。
【0056】
表層部1Cを構成する白色の硬質炭素層は、グラファイトに代表される炭素結合(sp結合)が相対的に多いので、密度が低く、それゆえ硬度が低いものである。なお、積層部1Aを構成する白色の硬質炭素層Wとは、ビッカース硬度の範囲が顕著に相違している点に特徴がある。こうした表層部1Cは、成膜温度を、積層部1Aを構成する個々の硬質炭素層(B,W)の成膜温度よりも高くして成膜する。
【0057】
表層部1Cの厚さは、0.1~1.0μmの範囲内であり、好ましくは0.1~0.6μmの範囲内である。
【0058】
表層部1Cは、図4及び図5に示すように、微細粒状の組織として視認できる。この組織形態の理由は明らかではないが、表層部1Cの成膜条件によるものと考えられる。表層部1Cには、その成膜条件に基づき、水素はほとんど含まれていない。水素含有量をあえて示すとすれば、0.01原子%以上、5原子%未満ということができる。水素含有量は、HFS(Hydrogen Forward Scattering)分析により測定でき、残部は、実質的に炭素のみからなり、N、B、Siその他の不可避不純物以外は含まれていないことが好ましい。
【0059】
(被覆膜の成膜)
被覆膜1の成膜は、アーク式PVD法、スパッタPVD法等のPVD法を適用できる。なかでも、カーボンターゲットを用い、成膜原料に水素原子を含まないアークイオンプレーティング法で形成することが好ましい。被覆膜1を例えばアークイオンプレーティング法で形成する場合、バイアス電圧のON/OFF、バイアス電圧値の制御、アーク電流の調整、ヒーターによる基材の加熱制御、基材をセットする治具(ホルダー)に冷却機構を導入した基材の強制冷却、等を成膜条件とすることができる。
【0060】
具体的には、積層部1Aの成膜では、黒色の硬質炭素層Bは高いバイアス電圧を印加して成膜し、白色の硬質炭素層Wは低いバイアス電圧を印加して又はバイアス電圧を印加しないで成膜している。表層部1Cの成膜では、前記した黒色の硬質炭素層Bよりもさらに高いバイアス電圧を印加して成膜している。ここで、バイアス電圧の「高い」「低い」とは、絶対値の大小のことであり、例えば-100Vと-50Vとを例にすれば、-100Vの方が高いバイアス電圧であるということを意味する。
【0061】
積層部1Aの成膜では、sp/sp比が0.05~0.75の黒色の硬質炭素層Bは、温度上昇を起こすバイアス電圧で成膜される。バイアス電圧としては、例えば-100~-300Vの範囲とすることができ、その際のアーク電流は40~120Aの範囲であり、基材温度は100℃~300℃の範囲で成膜される。一方、sp/sp比が0.20~0.80の白色の硬質炭素層Wは、温度上昇を起こさないバイアス電圧で成膜される。バイアス電圧としては、0V、又は例えば0V超~-50V以下の範囲とすることができ、その際のアーク電流は40~120Aの範囲であり、基材温度は温度上昇せずに徐々に低下しながら成膜される。なお、基材温度は、アーク電流、ヒーター温度、炉内圧力等バイアス電圧の調整以外でも調整可能である。
【0062】
表層部1Cの成膜では、前記した黒色の硬質炭素層Bよりも高いバイアス電圧を印加して成膜する。黒色の硬質炭素層Bの成膜時のバイアス電圧が例えば-150Vであれば、表層部1Cの成膜時のバイアス電圧はそれ以上のバイアス電圧(例えば、-160~-400Vであり、好ましくは-170~-250Vである。)としている。このバイアス電圧の範囲では、表層部1Cは実質的な相違が見られない同じ形態(微細粒状)で成膜することができる。そして、こうしたバイアス電圧での成膜の際に、成膜温度を、積層部1Aを構成する個々の硬質炭素層(B,W)の成膜温度よりも高くして成膜している。
【0063】
(sp/sp比)
硬質炭素層は、グラファイトに代表される炭素結合sp結合と、ダイヤモンドに代表される炭素結合sp結合とが混在する膜である。本願では、EELS分析(Electron Energy-Loss Spectroscopy:電子エネルギー損失分光法)により、1s→π強度と1s→σ強度を測定し、1s→π強度をsp強度、1s→σ強度をsp強度と見立てて、その比である1s→π強度と1s→σ強度の比を[sp/(sp+sp)]比(「sp/sp比」と略すことがある。)として算出した。したがって、本発明でいうsp/sp比とは、正確にはπ/σ強度比のことを指す。具体的には、STEM(走査型TEM)モードでのスペクトルイメージング法を適用し、加速電圧200kV、試料吸収電流10-9A、ビームスポットサイズ径が1nmの条件で、1nmのピッチで得たEELSを積算し、約10nm領域からの平均情報としてC-K吸収スペクトルを抽出し、sp/sp比を算出する。
【0064】
なお、黒色の硬質炭素層Bの形成前や白色の硬質炭素層Wの形成前には、カーボンターゲットを用いたボンバード処理を行なってもよい。このボンバード処理は、黒色及び白色の全ての硬質炭素層B,Wの形成前にそれぞれ行ってもよいし、黒色の硬質炭素層Bの形成前だけ行ってもよいし、白色の硬質炭素層Wの形成前だけ行ってもよいし、これらに限らず任意の硬質炭素層の形成前に行ってもよい。ボンバード処理は、層間の密着性の向上や膜質のバラツキの抑制という役割を発揮できるので、本発明では好ましく適用することが望ましい。このボンバード処理をどの段階で行うかは任意であるが、後述の実施例のように、黒色の硬質炭素層Bの形成前にボンバード処理を行うことが好ましい。図8に示す例では、黒色の硬質炭素層Bの形成前にボンバード処理を行う前にボンバード処理を行って、黒色の硬質炭素層Bの直下にだけ形成されたカーボン層13(「ボンバード処理層又はボンバード処理カーボン層」と言い換えてもよい。)を有することが視認できる。後述の実施例では、ボンバード処理の条件の一例としてバイアス電圧が-750~-1000Vの範囲でアーク電流が40A程度で厚さが約20nmになる所定時間で成膜を行ったが、これらに限定されず、アーク電流の値や厚さは条件を適宜変化させてもよい。
【実施例
【0065】
以下に、本発明に係る被覆膜及び摺動部材について、実験例と参考例を挙げてさらに詳しく説明する。
【0066】
[実験例1]
摺動部材10としてピストンリングを適用した。C:0.65質量%、Si:0.38質量%、Mn:0.35質量%、Cr:13.5質量%、Mo:0.3質量%、P:0.02質量%、S:0.02質量%、残部:鉄及び不可避不純物からなるピストンリング基材11(直径88mm、リング径方向幅2.9mm、リング軸方向幅1.2mm)を用いた、このピストンリング基材11上に、窒化処理により40μmの窒化層を形成し、中間層12として、厚さ0.2μmの金属クロム層をイオンプレーティング法にて形成した。次に、中間層12の上に、カーボンターゲットを使用したアークイオンプレーティング装置を用いて、黒色の硬質炭素層Bと白色の硬質炭素層Wとの繰り返し単位を成膜して積層部1Aを形成し、引き続いて、積層部1A上に表層部1Cを形成した。なお、黒色の硬質炭素層Bの形成前にはボンバード処理(バイアス電圧:-1000V、アーク電流:40A)によって厚さ20nmのカーボン層13を形成した。
【0067】
積層部1Aを構成する黒色の硬質炭素層Bは、バイアス電圧-150V、アーク電流40Aで10分間アーク放電を行い、厚さT1が0.18μmの黒色の硬質炭素層Bを成膜した。その上に成膜する白色の硬質炭素層Wは、バイアス電圧-30Vで20分間アーク放電(アーク電流40A)を行い、厚さT2が0.35μmの白色の硬質炭素層Wを成膜した。繰り返し単位の厚さTは0.53μmであり、この繰り返し単位の成膜を20回行い、合計厚さが10.6μmの積層部1Aを得た。
【0068】
続いて、表層部1Cを積層部1A上に形成した。表層部1Cは、バイアス電圧-170V、アーク電流40Aで30分間アーク放電を行い、厚さが0.50μmの白色の硬質炭素層からなる表層部1Cを成膜した。積層部1Aと表層部1Cの合計厚さは、11.1μmであった。
【0069】
[構造形態の観察]
成膜された被覆膜1について、その断面の明視野TEM像を撮影した。被覆膜1の断面写真は、被覆膜1の断面を加速電圧200kVの明視野TEMで撮像して得た。実験例1で得られた被覆膜1のTEM像を図4及び図5に示した。図4及び図5に示すように、積層部1Aは、相対的に黒で示される黒色の硬質炭素層Bと、相対的に白で示される白色の硬質炭素層Wとが厚さ方向に交互に積層されているのが確認できた。また、白色の硬質炭素層Wには微細な縞模様が見られ、黒色の硬質炭素層Bには、その全部又は一部に網状又は扇状の組織形態を有するように見えた。表層部1Cは、微細粒状の組織形態を有するように見えた。また、図8のTEM像からわかるように、黒色の硬質炭素層Bそれぞれの直下には、ボンバード処理によって形成されたカーボン層13を視認できる。
【0070】
被覆膜1の総厚さ、黒色の硬質炭素層B、白色の硬質炭素層Wの厚さ、表層部1Cの厚さは、明視野TEM像から求めた。厚さの測定には、用いたアークイオンプレーティング装置のコーティング有効範囲の中央付近で被覆膜1を成膜したピストンリングと、上端及び下端付近で被覆膜1を成膜したピストンリングとを測定試料として用いた。なお、黒色の硬質炭素層Bの厚さT1と白色の硬質炭素層Wの厚さT2との比(T1/T2)は、0.18/0.35=0.51であった。
【0071】
[ビッカース硬度とsp/sp比]
ビッカース硬度について、黒色の硬質炭素層Bのビッカース硬度は700~1100HVの範囲内であり、白色の硬質炭素層Wのビッカース硬度は隣り合う黒色の硬質炭素層Bのビッカース硬度よりも高く且つ1200~1900HVの範囲内であった。表層部1Cのビッカース硬度については、同じ白色の硬質炭素層である積層部1Aの白色の硬質炭素層Wのビッカース硬度よりも低い900~1200HVの範囲内であった。なお、この範囲(900~1200HV)は、積層部1Aの黒色の硬質炭素層Bの範囲内(700~1600HV)と同程度であったが、比較的低い範囲になっていた。
【0072】
なお、ビッカース硬度の測定について、この実験例1の繰り返し単位の厚さT(=T1+T2)は0.53μmであり、黒色の硬質炭素層Bの厚さT1は0.18μm、白色の硬質炭素層Wの厚さT2は0.35μm、表層部1Cの厚さも0.50μmといずれも薄いため、それぞれの単層の硬さの測定は現在の最高レベルの測定技術でもほとんど不可能である。また、表面から測定しようとしても、厚さが薄いため、下層の硬さの影響を受けてしまい、現在の最高レベルの測定技術でも困難である。そこで、ここでのビッカース硬度は、黒色の硬質炭素層B、白色の硬質炭素層W及び表層部1Cそれぞれの層のみを、成膜条件を変えずに厚く成膜して測定した結果で評価した。
【0073】
具体的には、硬さは成膜温度に左右されるため、温度上昇を伴う黒色の硬質炭素層Bの成膜終了時の基材温度をTとし、温度低下を伴う白色の硬質炭素層Wの成膜終了時の基材温度をTとすると、T>Tである。黒色の硬質炭素層Bの単層を成膜する場合は、黒色の硬質炭素層Bを0.18μm成膜したのち、基材温度がTに低下するまで冷却し、Tに到達した時点で黒色の硬質炭素層Bの成膜を開始し、0.18μm成膜する。その後、基材温度がTに低下するまでの冷却と黒色の硬質炭素層Bの成膜を繰り返すことにより、黒色の硬質炭素層Bのみを成膜した単層皮膜を得た。一方、白色の硬質炭素層Wの単層を成膜する場合は、白色の硬質炭素層Wを0.35μm成膜したのち、基材温度がTに上昇するまでヒーター加熱を行い、Tに到達した時点で白色の硬質炭素層Wの成膜を開始し、0.35μm成膜する。その後、基材温度がTに上昇するまでの加熱と白色の硬質炭素層Wの成膜を繰り返すことにより、白色の硬質炭素層Wのみを成膜した単層皮膜を得た。こうして、表面からの硬さの測定において、基材の影響を受けない膜厚(6μm以上)に成膜した黒色の硬質炭素層B及び白色の硬質炭素層Wの単層皮膜を、表面粗さRa0.05程度に整えて、表層からビッカース硬度計にて荷重100gfでビッカース硬度を測定した。この実験例では、この方法で測定したビッカース硬度で評価した。表層部も同様の手段によりビッカース硬度を測定した。
【0074】
積層部1Aのsp/sp比は、黒色の硬質炭素層Bの各部で0.05~0.55の範囲内であり、白色の硬質炭素層Wの各部で0.20~0.70の範囲内であった。また、表層部1Cは、相対的に白で示される白色の硬質炭素層が微細粒状の組織形態で形成されているのが確認できた。また、表層部1Cのsp/sp比は、表層部1Cの各部で0.40~0.55の範囲内であった。なお、黒色の硬質炭素層B、白色の硬質炭素層W、及び表層部1Cのsp/sp比は、それぞれの各部で測定した結果であるが、他の層との境界部では他の層の影響で値が変動する場合があるので、他の層との境界部を測定ポイントとすることは避けた。
【0075】
[耐摩耗性、耐チッピング性、低摩擦性、耐剥離性]
成膜された被覆膜1の各種の特性は、自動車用摺動部材の評価で一般的に行われているSRV(Schwingungs Reihungund und Verschleiss)試験機120による摩擦摩耗試験方法により得た。具体的には、図7に示すように、摩擦摩耗試験試料20の摺動面を摺動対象物21であるSUJ2材に当接させた状態で、潤滑油に5W-30(Mo-DTCあり)を用いて、1000Nの荷重をかけながら、10分間及び60分間往復摺動させ、摩擦摩耗試験試料20の摺動面を顕微鏡で観察した。図7において、符号12は中間層であり、符号1は被覆膜である。
【0076】
得られた被覆膜1は、剥離もチッピングも発生しておらず、一定で安定した耐チッピング性と耐摩耗性を示すとともに耐剥離性(密着性)に優れる被覆膜を有することを確認した。
【0077】
[摩擦係数の測定]
摩擦係数は、可動ライナ式摩擦試験機によって測定した。その結果を表1に示す。実験例1の被覆膜1の摩擦係数は、後述する比較実験例1の摩擦係数を100とした摩擦係数比で比較すると、混合潤滑領域から境界潤滑領域で最大26%の摩擦の低減効果が認められた。
【0078】
【表1】
【0079】
以上のように、実験例1で得られた被覆膜1は、耐チッピング性と耐摩耗性がよく、相手材に対する攻撃性もよいので、被覆膜1と相手材の両方に対して安定した摺動特性となっている。こうした特徴は、特にピストンリング等の高負荷が加わる摺動部材及び被覆膜に対して望ましく、この特徴を有しない摺動部材に比べて、一定で安定した耐チッピング性と耐摩耗性を示すとともに耐剥離性(密着性)に優れた摺動部材とすることができる。さらに、この被覆膜1は、表層部1Cを最表面に有するので、摺動初期の段階で相手部材に接触する際のフリクションの低減を実現できる。
【0080】
[実験例2]
この実験例2も摺動部材10としてピストンリングを適用し、実験例1と同じピストンリング基材11を用いた、窒化層と中間層12も実験例1と同様に形成した。黒色の硬質炭素層Bと白色の硬質炭素層Wとの繰り返し単位についても実験例1と同様、中間層12の上に、カーボンターゲットを使用したアークイオンプレーティング装置を用いて、積層部1Aと表層部1Cを成膜して被覆膜1を得た。なお、この実験例2でも、実験例1と同様、黒色の硬質炭素層Bの形成前にはボンバード処理によってカーボン層13を形成した。
【0081】
この実験例2での成膜条件は、表層部1Cの成膜をバイアス電圧-230V、アーク電流40Aで30分間アーク放電を行い、厚さが0.55μmの白色の硬質炭素層からなる表層部1Cを成膜した。それ以外の積層部1Aの成膜条件は、実験例1と同じとした。積層部1Aと表層部1Cの合計厚さは、11.2μmであった。
【0082】
[実験例2の評価]
各特性等の評価は、上記した方法と同じである。実験例2の被覆膜1についても、その断面の明視野TEM像は図4及び図5と同様の形態を示していた。また、カーボン層13についても図8と同様の形態を示していた。積層部1Aにおける黒色の硬質炭素層Bのビッカース硬度は700~1100HVの範囲内であり、白色の硬質炭素層Wのビッカース硬度は隣り合う黒色の硬質炭素層Bのビッカース硬度よりも高く且つ1200~1900HVの範囲内であった。表層部1Cのビッカース硬度については、同じ白色の硬質炭素層である積層部1Aの白色の硬質炭素層Wのビッカース硬度よりも低い800~1100HVの範囲内であった。
【0083】
積層部1Aのsp/sp比は、黒色の硬質炭素層Bの各部で0.05~0.55の範囲内であり、白色の硬質炭素層Wの各部で0.20~0.70の範囲内であった。また、表層部1Cは、相対的に白で示される白色の硬質炭素層が微細粒状の組織形態で形成されているのが確認できた。また、表層部1Cのsp/sp比は、0.45~0.65の範囲内であった。
【0084】
得られた被覆膜1は、剥離もチッピングも発生しておらず、一定で安定した耐チッピング性と耐摩耗性を示すとともに耐剥離性(密着性)に優れる被覆膜を有することを確認した。摩擦係数の結果は、上記表1に示したように、後述する比較実験例1の摩擦係数を100とした摩擦係数比で比較すると、混合潤滑領域から境界潤滑領域で最大33%の摩擦の低減効果が認められた。
【0085】
[比較実験例1]
この比較実験例1は、摺動部材10としてピストンリングを適用し、実験例1と同じピストンリング基材11を用いた、窒化層と中間層12も実験例1と同様に形成した。黒色の硬質炭素層Bと白色の硬質炭素層Wとの繰り返し単位についても実験例1と同様、中間層12の上に、カーボンターゲットを使用したアークイオンプレーティング装置を用いて成膜して被覆膜1を得た。なお、この比較実験例でも、実験例1と同様、黒色の硬質炭素層Bの形成前にはボンバード処理によってカーボン層13を形成している。
【0086】
この比較実験例1での成膜条件は、表層部1Cの成膜をバイアス電圧-150V(黒色の硬質炭素層Bと同じ)、アーク電流40Aで10分間アーク放電を行ったが、厚さは0.18μmと実験例1の1/3程度に薄くした。それ以外の積層部1Aの成膜条件は、実験例1と同じとした。積層部1Aと表層部1Cの合計厚さは、10.8μmであった。
【0087】
[比較実験例1の評価]
各特性等の評価は、上記した方法と同じである。比較実験例1の被覆膜1についても、積層部1Aについては、図4及び図5と同様の形態を示していた。積層部1Aにおける黒色の硬質炭素層Bのビッカース硬度は700~1100HVの範囲内であり、白色の硬質炭素層Wのビッカース硬度は隣り合う黒色の硬質炭素層Bのビッカース硬度よりも高く且つ1200~1900HVの範囲内であった。積層部1Aのsp/sp比は、黒色の硬質炭素層Bの各部で0.05~0.55の範囲内であり、白色の硬質炭素層Wの各部で0.20~0.70の範囲内であった。なお、表層部1Cは図4及び図5と同様の形態は示していなかった。
【0088】
得られた被覆膜1は、剥離もチッピングも発生しておらず、一定で安定した耐チッピング性と耐摩耗性を示すとともに耐剥離性(密着性)に優れる被覆膜を有することを確認した。摩擦係数の結果は、既述した実験例1よりも高い摩擦係数を示した。
【0089】
[比較実験例2]
この比較実験例2は、摺動部材10としてピストンリングを適用し、実験例1と同じピストンリング基材11を用いた、窒化層と中間層12も実験例1と同様に形成した。黒色の硬質炭素層Bと白色の硬質炭素層Wとの繰り返し単位についても実験例1と同様、中間層12の上に、カーボンターゲットを使用したアークイオンプレーティング装置を用いて成膜して、表層部1Cを有しない被覆膜1を得た。なお、この比較実験例でも、実験例1と同様、黒色の硬質炭素層Bの形成前にはボンバード処理によってカーボン層13を形成している。
【0090】
この比較実験例2では、表層部1Cの成膜を行わなかった。それ以外の積層部1Aの成膜条件は、実験例1と同じとした。被覆膜1の厚さは、10.6μmであった。
【0091】
[比較実験例2の評価]
各特性等の評価は、上記した方法と同じである。比較実験例2の被覆膜1について、積層部1Aは図4及び図5と同様の形態を示していた。摩擦係数の結果は、上記表1に示したように、既述した比較実験例1の摩擦係数を100とした摩擦係数比で比較すると、混合潤滑領域から境界潤滑領域で最大12%の摩擦の増加が見られた。
【0092】
[まとめ]
実験例1,2及び比較実験例1,2の結果を整理すると、積層部1Aの組織形態については、黒色の硬質炭素層Bはその全部又は一部に網状又は扇状の組織形態を有し、表層部1Cの組織形態については、微細粒状の組織形態であった。また、積層部1Aにおいて、黒色の硬質炭素層のBビッカース硬度が700~1600HVの範囲内であり、白色の硬質炭素層Wのビッカース硬度が隣り合う黒色の硬質炭素層Bのビッカース硬度よりも高く且つ1200~2200HVの範囲内であった。表層部1Cのビッカース硬度は、白色の硬質炭素層Wのビッカース硬度よりも低く且つ800~1200HVの範囲内であった。
【0093】
以上、本発明を実施の形態に基づき説明したが、本発明は上記の実施の形態に限定されるものではない。本発明と同一及び均等の範囲内において、上記の実施の形態に対して種々の変更を加えることが可能である。
【符号の説明】
【0094】
1 被覆膜
1A 積層部
1C 表層部
10 摺動部材(ピストンリング)
11 基材(ピストンリング基材)
11a 下地層
12 中間層
13 ボンバード処理によって形成したカーボン層
16 摺動面
20 摩擦摩耗試験試料
21 摺動対象物
120 SRV試験機
B 黒色の硬質炭素層
W 白色の硬質炭素層
Y 厚さ方向

図1
図2
図3
図4
図5
図6
図7
図8